【女の子たちのベビー製造】(1)

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2007年4月。千里は高2になった。
 
1年生の時のクラス分けは、1−3組が福祉・ビジネス・情報・外国語・音楽コース、4−6組が進学・特進コースという単純なものだったが(それプラス芸術の科目選択でクラス分けされていた)、2年ではもう少し細かく分けられる。
 
1組が福祉、2組がビジネス・外国語、3組が情報・音楽、4組が進学の文系、5組が進学・特進の文系、6組が進学・特進の理系となる。但し1組は女子クラスなので、福祉コースの男子は2組に組み込まれる。進路を優先した結果各クラスの人数が30〜50人程度に幅が出ている(教室は50個の机を並べても充分な余裕がある広さである)。
 
千里の友人たち、というよりDRK(Dawn River Kittens)のメンバーの中では、音楽コースの麻里愛は1年の時と同様に3組で、文系志望の智代・花野子・恵香・留実子が5組、理系志望の蓮菜・鮎奈・京子・鳴美・梨乃が6組となった。千里も理学部志望なので6組である。
 
孝子は法学部を狙っているので本来は文系なのだが、理系クラスの方がレベルが高いので2年の段階では薬学部志望という「仮の志望」を提示して6組に組み込まれた。3年進級の時点で「文転」する予定である。留実子は昨年は旭川医大の看護学科と言っていたのだが、自分には看護婦無理かもと言って、北海道教育大の旭川校に志望変更し、文系の5組に入った。体育の先生を目指すということである。
 
「るみちゃん体育の先生は似合うかも」
「考えてみたらさ、ボクって荒っぽいから患者5〜6人殺しそうな気がするんだよね」
「腕力あるからなかなか言うこと聞かない困った患者を担当させられたりして」
「うん。それで暴れる患者を殴って死なせて訴えられたりとかしそうだもん」
と本人は言っていた。
 

理系志望の子が集まった6組はやはり女子が少ない。35人の生徒の内、24人が男子で残る11人が女子なのだが、その内DRKのメンバーが7人であった。
 
「特進組は補習補習で忙しいのに、あんたたちよくバンドとかまでやるね〜」
と、梨乃と以前から親しかった芳香が言うが
 
「まあ練習は週に1回だからね」
と蓮菜は答える。
 
「その練習の出席率もだいたい半分以下だよね」
「こないだは私と花野子の2人だけで練習したよ」
「去年全員揃ったのってCD制作の時だけ」
 
「ところで先生が女子11人って言ってたけど、女子制服を着ているのは10人だけだね」
「千里が女子のくせに男子制服を着てるんだもん」
「頭は丸刈りにしてるし」
「いいかげん千里は女子としての自覚を持つべき」
「生徒手帳にも女と印刷されているし、バスケット協会の登録証も女子のIDだし、女子バスケ部の部員だし」
「体育も女子と一緒だし、女子トイレに女子更衣室を使っているし」
「それで男だったら、重大犯罪者」
 

千里たちの高校は1学年6組で、各学年とも1組が女子クラスなので、体育は2組と3組、4組と5組が合同し、各々男女に分かれてやっている。そうすると6組が余ってしまう。それで1年生では6組はだいたい男女とも単独でやったり、サッカーなどの種目に関しては男子vs女子でやったりしていた。
 
しかし2年・3年の6組は進学・特進組の理系で、女子が少ないので体育については2年6組と3年6組女子の合同授業になっていた。合同授業になると当然更衣室でも一緒になる。
 
最初、千里が男子制服を着たまま女子更衣室に入ってきたので、一瞬
「きゃっ」
などと悲鳴をあげられるが
 
「すみませーん。この子、事情があって男子制服を着てますが、確かに女子ですから」
とそばに付いていた蓮菜が言って収まる。
 
「びっくりしたー」
「でもなんで男子制服なんか着てるの?」
「髪は異様に短いし?」
 
千里の生態は同学年の女子には知れ渡っているものの、1学年上までは情報が浸透していなかったようであった。
 
「なんか本人は男だって主張してるんですけどね」
「どう見ても女にしか見えないので、昨年末に医学的検査を受けさせられて、やはり女子であることが確定しています」
 
「へー。でも丸刈り頭でも、女子にしか見えないよ」
などと3年生に言われる。
 
そして千里が制服の上下にブラウスまで脱ぐと
「なーんだ、男子を主張するというのに女子下着をつけてるじゃん」
と言われる。
「そうなんですよねー。全然徹底してませんよね」
と鮎奈。
 
そして3年生の数人が千里に寄って見て
「ちゃんとおっぱいもあるし、ウェストもくびれてるし、やはりどう見ても女の子だよね」
「これ、わざわざ医学的検査を受けさせる必要もなかったのでは」
などと言う。
 
「ちんちんは付いてないんでしょ?」
「付いてたら、そのショーツに盛り上がりができるはずで、そんなのが見られないってことは付いてないはず」
「昨年末の検査では内診台にも乗せられたらしいですから間違い無いです」
「この子、生理用品入れを持ち歩いてるから、生理もあるはず」
 
「もしかして、男の子になりたい女の子?」
「それなら男の子下着をつけると思うんですよねー。この子、女の子下着しか着ないというから」
「一説によると、女の子になりたい女の子らしいです」
「よく分からない」
 
ということで、千里は男子制服を着たがる、変な女の子ということにされてしまった。
 
なお、この2年生の体育の時間、千里はだいたい蓮菜か鮎奈と組んで柔軟体操をしていた。
 

新学期始まって最初の週には、2-3年生の身体測定と内科検診が行われる。千里は今年はさすがに最初から何も抵抗せずに、ふつうに他の女子と一緒にこれを受けた。
 
「身長166.9cm」
「体重55.1kg」
 
保健委員の梨乃が記録してくれるそばで見ていた保健室の山本先生は
 
「千里ちゃん、ギリギリ、痩せすぎ体重ではなくなってるね。まあ本当はこの身長だと55.7kgが《美容体重》なんだけどね」
と言った。
 
「最近、練習で筋肉付いているし、頑張ってお肉も食べているので」
「うんうん。でももう少し体重付けてもいいからね。この身長の標準体重は61.2kgだから」
と先生。
 
「道大会、そして出場できたらインターハイに向けてもう少し筋肉付けるかも知れません」
「うん、頑張って。千里ちゃんは睾丸無いんだから、筋肉つく場合も女の子の付き方になるから、心配することないよ」
「あはは、そうですね」
 
ちなみにこの日、千里はショートヘアのウィッグを付けている。そのウィッグが実は300gほどある。また、身長を測る時に千里はきちんと背筋を伸ばさず、膝も少し緩めにして身長計に乗っているので、実際の身長より低めに出ている。
 

内科検診では上半身裸になってお医者さんの診察を受ける。昨年は「胸の発達が遅れているみたいだけど」と言われたのだが、今年は何も言われなかった。胸と背中に聴診器を当てられ「はい、OKです」ということになった。
 
それで後から
「千里、今年は胸の発達のこと言われなかったね」
と鮎奈からも言われた。(鮎奈と千里は出席番号が続きである)
 
「ちょっとバスト測ってみよう」
などと言われて、女子の後男子が検診に行っている間に制服とブラウスを脱がされ、ブラも外されてメジャーで測られる。結果的に6組女子全員に生バストを曝すことになった。初めて千里の上半身ヌードを見た子たちが「へー」という顔をしている。
 
「アンダーが72、トップが82」
「おお、ジャストAカップ」
「千里、それ付けてるブラはBカップだよね?」
「うん。A75ではきついから、B75付けてる」
 
そんなことを言っていたら、そばで徳子が
「負けた〜。私、A70付けてるのに」
などと言っている。
 
「徳子ちゃん、自称男の子に負けちゃダメだよ」
「牛乳飲もう」
「納豆食べよう」
「私、納豆嫌いだけど、少し頑張ろうかなあ」
 
「千里は納豆食べてるよね?」
「うん。私、納豆は毎朝食べるし、牛乳も200cc飲むし、豆腐や油揚げの味噌汁飲んでるし」
「おお、さすが。やはり納豆効くんだなあ」
「そうか。豆腐も油揚げもお味噌も大豆製品だ」
 
「やはり朝はお味噌汁を食べるのが、おっぱいにもいいのか」
 
「でもやはり千里、タマ取ったからおっぱいの成長も良くなったんじゃない?」
「千里いつタマ取ったんだっけ?」
「9月にひとりで東京に行った時、手術したんでしょ?」
「銀座のクリニックって言ってたっけ?」
 
なぜ、そういう話になってる〜?どこから銀座なんて話が??
 

1年生は翌週から部活開始なのだが2〜3年は既に春の大会のまずは地区大会に向けて練習をしていた。3年生の麻樹は2年後期・期末テストの数学で赤点を取ったものの追試で可にしてもらい、何とか留年を免れて練習に参加している。どっちみち3年生は今回のインターハイまでで部活終了なので、彼女にとっても、キャプテンの久井奈にとっても、これが最後のインターハイ挑戦になる。
 
その久井奈にしても、穂礼・みどり、千里や暢子・留実子にしても気合いが入りまくりで激しい練習をしているので、ベンチ入りボーダー組もそれにつられるように気合いが入っていた。特に2月の秋田行きに自費ででも行きたいと志願した夏恋と睦子は物凄い気合いの入りようで、レギュラー組がたじたじとなる場面もしばしばあった。その様子を宇田先生は微笑ましく眺めていた。
 
この時期は毎日最後の30分くらいに「高さ対策練習」をしていた。セネガル出身で旭川在住のマリアマさんという人に協力してもらい、彼女のジャンプにもめげずシュートする練習、彼女とリバウンドを争う練習をしていたが、暢子・留実子以外は、みなシュートは止められるし、リバウンドでは歯が立たないしで、最初の内は「どうやったら勝てるの〜?」と音を上げる子も続出であった。しかし、そこで諦めたら全国では勝ち進めないので、みんなタイミングを外してシュートしたり、バウンドパスで下を抜いたりというのを覚えていく。
 
それでもリバウンドはなかなか難しいようであった。高さで負けていても何とかいい勝負をしていたのは(留実子以外には)暢子と揚羽だけである。
 
「揚羽ちゃん、リバウンドの勝率が高い。3割取ってる」
「単に落下地点を予測してそこで飛んでるだけですよー」
と揚羽は言う。
 
「ああ、私のやり方と同じ」
と暢子は言うが、それを聞いて試してみた麻樹は
 
「落下地点が予測できないよー」
と嘆いていた。
 
「実際の試合ではその絶好の場所を相手ディフェンダーが簡単には譲ってくれないだろうけどね」
と暢子は付け加えていた。
 

月曜日に、新入生向けの部活紹介(デモンストレーション)があり、バスケ部では、男子の真駒さん・白滝さん・北岡君、女子の久井奈さん・千里・暢子の6人がステージに上がり、全員目隠ししてボールをパスしあうというパフォーマンスをしてどよめきが起きていた。最後は留実子と氷山君で抱えてきたゴールにめがけて、千里(ショートヘアのウィッグを付けている)が目隠ししたままシュート。それが入ると物凄い拍手が起きる。
 
「昨年バスケ部はインターハイ予選、男女とも3位で惜しくも全国行きを逃しました。今年こそ君の力で全国に行こう」
と久井奈さんが勧誘の口上を述べた。
 

その日の入部説明会には予め入部内定してた男子2人・女子3人を含めて、男子12人・女子17人の入部希望者が訪れ、入部試験をして男子8人と女子は17人全員の入部が決まる。実は女子で本当に合格したのは12名だったのだが、試験に落ちた5人が「ボール拾いでも掃除係や洗濯係でもいいから入れてください」と南野コーチに直訴したので、その意欲を買って入部させることにした。彼女たちはみなバスケは体育でしかやったことが無かったらしい。女子バスケ部はこの17人を入れて、36名(3年7名・2年12名・1年17名)の大所帯になる。但し大会に連れて行けるのは選手15名の他、マネージャーの名目で1名(出場できないがベンチには座れる。なおN高バスケ部には元々マネージャーという制度が無い)、TO(テーブルオフィシャルズ)兼掃除係で4名である。
 
「南野さん、地区大会のベンチ入りメンバーでかなり悩んでるみたい」
 
とある日、練習帰りに暢子が言った。この時居たのは千里・暢子・留実子・メグミの4人である。
 
「私は無理だろうな」
などとメグミが言うが、暢子は
「メグミは外せないでしょ」
と言う。
 
「確実なのはガードでは、ポイントガードの久井奈さん・メグミ・雪子、シューティングガートの千里・透子さん。ガードというのはバスケの中では専門職だから、どうしても5−6人確保しておかないといけない。センターの留実子と麻樹さん。これは背の高い人にしかできない仕事。そしてフォワードで確実なのは穂礼さん・私・寿絵。結局この10人までだと思う。残り5人の枠を26人で争う」
と暢子は言う。
 
「1年生のリリカちゃんも揚羽ちゃんも背が高いよね。私見上げてる」
「麻樹さんがのんびり屋だから、宇田先生はどちらかをバックアップ・センターとして考えていると思う」
「意欲が高いのが睦子と夏恋。南野さんもあの2人は入れられたら入れたい気分と見た。ベンチに居るだけでみんな元気づけられる」
 
「しかし考えてみると、千里って、うまいタイミングで女子チームに移籍してきたよね」
と暢子は言う。
 
「うん?」
「秋の大会が終わって、久井奈さんたちの学年で進学組・特進組の部員が抜けてベンチ枠が3つ空いた。そのひとつを千里が取ったんだよね」
 
N高の部活は、進学組・特進組の子は2年生の秋冬の大会まで、その他のコースの生徒は3年の春夏の大会までである。新人戦は翌年の主力組の前哨戦なので、2年生の進学組・特進組の子は参加しない。
 
「だから千里は誰の恨みも買わなかったよね。変なタイミングで移籍してきたら、いったんベンチ入りしてた子が誰かあおりを食っていた」
とメグミ。
 
「もっともベンチ入りのボーダーの子はめったに試合では出番が来ない」
「それは言えてるけどね」
 
「そもそも入学した当初から女子チームに入っていたら何も問題無かったんだけどね」
と暢子。
「その手の競争は初めてだなあ。中学の時はそもそも枠外だったし、部員そのものが1年の時は6人、3年の時でも12人で、全員ベンチに座れたし。もっとも練習試合以外では私はマネージャーとか監督名目でベンチに座ってたんだけどね」
と千里。
 
「中学の時は男子の試合には出てないの?」
「出てない。私は女子バスケ部の部員として登録されていたし」
「中学で女子バスケ部だったのなら、やはり高校で男子バスケ部に無理矢理入ったのが問題だ」
「結局そういう話になるのか」
 

ところで男子バスケ部の方に、勧誘されたとかではなく、部活動説明会を見て面白そうだからというので入って来た子が居た。湧見(わくみ)君という子なのだが、彼も中学までバスケは体育でしかやったことが無いと言っていたし、中学の部活は運動部ではなくチェス部だったのが、この高校には無かったので、将棋部に入ろうかな、などと考えていたという子。30m走も垂直跳びも男子の平均以下で、普通ならその段階で「残念ですが」と言われているレベルだったのだが、真駒さんが「なんかこいつ不思議なものを持っている気がする」と言ってシュートを撃たせてみた所、レイアップは5本の内1本しか入らなかったのにフリースローは5本中3本入れた。
 
「君、もしかして遠くから撃った方が入ったりして」
と言われて、スリーポイントラインの外側から撃たせると、5本中2本決めたのである。
 
「すみませーん。3本も外しちゃった」
「いや、2本入ったのが凄い」
「うん。普通の人はこの距離からは1本も入らないんだよ」
「えーー!?」
「君、シューターの才能がある」
「よし、君シューティングガード決定」
「えっと・・・入部試験は・・・」
「もちろん合格。この後の種目は免除」
「ほんとですか!?」
 
そういう訳で、湧見君は男子合格者の中の1人となったのである。他の7人がいかにもスポーツマンという感じで、がっしりした体格をしているのに、彼は華奢な感じで、他の選手と並んでいたら「主務さんですか?」と言われそうな感じなのだが、男子チーム期待のシューターとなった。
 

もっとも彼はほんとに体力や運動能力が低いので、即戦力ではなく、秋以降の戦力と、宇田先生も北田コーチも考えた。それでしばらくはむしろ、女子チームの方で千里のシュートを見学させるのもよいかと考えた。それで毎日基礎練習が終わった後、女子チームに合流して、シュートやパス、リバウンドなどの練習をさせた。
 
「村山さん、凄いです。なんであんなにポンポン入るんですか?」
「まあ、千里は入れすぎの感もあるよね」
「千里の前に居るとリバウンドの練習ができん」
 
「だけど、湧見君、ひとりだけ苗字で呼ぶのも変だし、名前で呼んでもいい?」
「ええ、いいですけど」
「私たちのことも、こちらにいる間は下の名前で呼んでいいよ」
「分かりました」
「下の名前は何だっけ?」
「昭一(しょういち)です」
「じゃ、しょうちゃんかな」
 

昭一はやはりセンスが良かったようで、シュートの時の体勢、身体全体のバネの使い方などをきちんと教えると、シュートの精度が物凄く良くなった。フリースローではほとんど入れられるようになるが、さすがにスリーポイントはなかなか入らない。
 
「しょうちゃん、やはり優秀〜」
「女子チームに入れて、千里のバックアップ・シューターにしたい気分」
「ちなみに、おちんちん取って女子チームに正式移籍とかする気は?」
「やめてくださいよー」
と昭一は言ったが、そんなこと言いながら、何だか嬉しそうな顔をしている。
 
暢子と久井奈が一瞬顔を見合わせた。
 
「ね、しょうちゃん、実は本当に女の子になりたいとかは?」
「ああ、私、しょうちゃんが女子部員の間にきれいに埋没してるなあと思ってた」
「えっと・・・」
 
あちこちで顔を見合わせる姿がある。
 
「しょうちゃん、スカートとか穿いたことは?」
などと訊くと恥ずかしそうに俯いてしまった。
 
女子部員たちの間で「なるほどー」という感じの表情が交わされる。
 
「でも、しょうちゃん、やはり、この距離から入れるには筋力が必要だよね」
「握力も無いと、ボールを正確にセットできない」
「千里さんは、やはり筋力凄いんでしょう?」
「ああ、私はピアノとかヴァイオリンとか弾くから、それで腕とか指の力を鍛えられているんだよ」
「ああ。たしかにヴァイオリニストの握力って凄いらしいですね」
 

この週は学校の体力測定が行われた。測定された種目は、握力・上体起こし・長座体前屈、反復横跳び、シャトルラン、50m走、立ち幅跳び、ハンドボール投げ、垂直跳びである。
 
普通の授業はこの日は1日行われず、体操服で順次種目をこなしていくが、反復横跳びやシャトルランでは終わった後、疲れ切って「立てなーい」などと言っている子もいた。
 
「千里数値どのくらい?」
と途中で遭遇した暢子から効かれる。
 
「こんなものかな」
と言って計測表を見せる。
 
「ん?」
と言って暢子は目をゴシゴシする。
 
「握力18/15kg〜? シャトルラン25〜? ハンドボール投げ10メートル〜? 垂直跳び20cm〜?」
 
「暢子ちゃん、どのくらい?」
と千里の隣に居た鮎奈が訊く。
「握力50/40kg, シャトルラン110, ハンドボール投げ45m, 垂直跳び75cm」
と言いながら自分の計測表を見せる。
 
「すごーい!さすがバスケット選手」
「私のと比べて千里の数値は異常だと思わない?」
「思う!」
 
「千里ちょっと来い。先生に言って再測定してもらおう」
と暢子は千里の手を取って引っ張っていく。
 
「別に再測定しなくてもいいよー」
「だいたい千里、去年は体育祭でソフトのピッチャーしてたじゃん。ピッチャーズプレートからベースまでの距離は12mあるんだから、それより短いってのは有り得ないじゃん」
「ソフトボールとハンドボールじゃ違うよ〜」
などと千里は言ったものの、暢子が体育の先生の所に連れて行き、千里の測定値がおかしいと言うと、
 
「確かにこの数値はおかしい。千里ちゃん、真面目にやるまで今日は居残り」
と先生も言った。
 
「えーん」
「留実子ちゃんなんか垂直跳び87cmだよ」
と先生。
「すごーい」
「でもあの子楽々とダンクシュート決めるもん。そのくらい跳躍力あって不思議じゃないよ」
 
バスケのゴールは305cmの高さにあり、留実子の身長は180cmである。腕を伸ばした時の高さは留実子の場合220cm程度になる。つまり85cm程度以上飛ばないとダンクは決められない計算になる。むろん試合でダンクを決める時は助走が入るので静止状態からのジャンプより高く飛べる。
 
それで千里は先生が付いている状態で各種目「まともな数値」が出るまでやり直させられる。
 
「握力60/70kg, シャトルラン130, ハンドボール投げ57m, 垂直跳び60cm。最初に測定したのと全然違うね。千里ちゃん、去年もサボってたでしょ?」
「ごめんなさーい」
「千里ちゃん、罰として体力測定が終わってから校庭30周」
「えーん」
 
「でも左手の方が握力あるんだね?千里ちゃん、もしかして左利き?」
「母によると特に矯正はしなかったそうです。私、ピアノとかヴァイオリン弾くから左手を鍛えられているんだと思います。一応左手でも箸とか鉛筆は使えます」
「隠れ左利きかもね」
 
「しかしさすがシューターだね。握力もハンドボール投げも凄まじい」
「私、体力が無い」
「とんでもない。この130って数値はプロバスケットボール選手並みだと思う。凄まじい。やはり年末以降かなり頑張っているからだと思うよ」
と暢子は千里を褒めた。
 

「でも千里何のために腕力とか誤魔化してるの?」
と校庭30周に付き合ってくれた暢子から訊かれる。
 
「うーん。漁師なんかできないくらい体力弱いことにしておきたかったから」
「なるほどそれでか」
「まだ私を漁師の跡取りにっての、お父ちゃん諦めてないみたいだし」
 
「だけど千里、身長とか体重とかも誤魔化したりしてない?」
「えへ、えへへへへ」
 
「千里、性別も誤魔化してるだろ?」
「えーっと」
「性転換したなんてきっと嘘だ」
などと言われるのでドキっとする。
 
「えっとそれはね、説明すると長くなるんだけど・・・・」
と千里は言いかけたが
「千里、本当は生まれた時から女だろ?」
と暢子は言った。
 
「うーん・・・」
千里はどう答えていいか悩んでしまった。
 

 
そしてバスケットの地区大会がやってきた。結局ベンチ入りメンバーはこうなった。
 
PG.久井奈(3) メグミ(2) 雪子(1) SG.千里(2) 透子(3) SF:穂礼(3) みどり(3) 寿絵(2) 睦子(2) PF.暢子(2) 夏恋(2) リリカ(1) C.留実子(2) 麻樹(3) 揚羽(1)
 
結果的には2月に秋田に行ったメンツに、あの時は留年の瀬戸際で行けなかった麻樹が加わる形である。1年生3人が入った分、新人戦でベンチに入っていたメンバーから3人外れたことになるが、3人とも「強い人が入るのが当然。また頑張ります」と言っていた。特に敦子などは
 
「うかうかしてると道大会では入れ替わるからね〜。みんな全力で頑張れよ」
と逆にベンチ入りメンバーに発破を掛けていた。実際、敦子と夏恋やみどりとの実力差は紙一重である。
 
地区大会はトーナメントで準決勝で敗れた2チームは3位決定戦を行い、3位までが道大会に行ける。千里たちのN高校はこの地区最強の旭川L女子高や友子や橘花の居るM高校とは別の山になった。当たるとすれば決勝戦である。
 
1回戦は昨年は地区大会準々決勝で敗れてシード権を取れなかったものの道大会常連校のチームである。むろんこちらは最強布陣で行く。お互いに「なんでここと1回戦で当たる?」と思う所だが、これもクジ運だ。
 
向こうはこちらを当然研究しているので、千里にマーカーが付き、簡単にはフリーにさせてくれないが、千里は巧みなフェイントで相手との距離を取ったり、相手の一瞬の意識の隙に視界から消えてフリーになってはどんどんスリーを撃って行った。暢子も全開で、このふたりで8割の得点を稼ぎ、30点差で圧勝した。
 
準々決勝はそれほど強い所でも無かったので、PG.メグミ SG.透子 C.麻樹 にフォワードみどり・寿絵という控組を先発させた。それでも第1ピリオドで20点差がついてしまったので、第2ピリオド以降では残りの5人も少しずつ出して行くが、点差は縮まらず最終的には50点差で大勝した。
 

地区大会は2日目に入る。
 
午前中の準決勝は昨年春の地区大会で三位決定戦を戦ったチームであった。向こうは当然リベンジに燃えている。しかし、宇田先生はスターティングメンバーから暢子と千里を外し、代わりに暢子のポジションに寿絵、千里のポジションに1年生の雪子を入れたスターティングメンバーで行く。午後の決勝戦はどちらが勝ち上がってきてもシビアな戦いになるのは見えているのでこの2人を温存するとともに、寿絵・雪子に強い相手を体験させておく作戦である。
 
向こうは最初から全開で来るが、留実子・穂礼が簡単には相手のゴールを許さない。更にはテクニシャンの雪子がしばしば相手選手からスティールを決めて久井奈にパスしたり、状況次第では自分で攻め上がり、終始N高ペースで試合は進行した。雪子はシューティングガードのポジションに入っているが彼女はスリーはあまり得意ではないので、ボールをもらうとむしろ敵陣にドリブルで侵入(ペネトレイト)して、そこから自ら撃ったり、あるいは裏側からカットインしてきた穂礼などにパスするプレイをしていた。雪子は背が低いので相手の長身のディフェンダーが、かえって守りにくそうにしていた。制限区域内でチョコマカされる雰囲気なのである。
 
第3ピリオドまでに20点差が付いたので、途中で雪子を下げて透子を入れたり、穂礼を下げてリリカを入れたりもしたが最終的には25点差で勝利した。
 

千里たちの試合と同時刻に行われていたL女子高とM高校の準決勝は前半はかなり激しい戦いだったようだが、M高校が前半で消耗しきってしまったので、後半はほとんどワンサイドゲームとなり、最終的にはL女子高が圧勝して決勝戦に上がってきた。
 
偵察していた敦子と美々によれば、L女子高は最初は主力を温存していたようであったが、第3ピリオドでたまらず主力を投入して突き放したということであった。
 
「L女子高は新人戦でうちに負けてるから、準決勝では主力を使いたくなかったろうね」
 

女子の準決勝の後、男子の準決勝が行われ、それから2時間の休憩をはさんで、女子の3位決定戦が行われた。
 
両者とも準決勝で激しく消耗していたものの気力で頑張っている感じであった(橘花は準決勝の後3位決定戦の直前まで3時間ひたすら寝ていたと後で言っていた)。これにM高校が勝ち、道大会にはL女子高と千里たちのN高校、橘花たちのM高校の3高が出場することが決まった。
 
なお、男子の方ではN高校は鞠古君たちのB高校に準決勝で敗れたものの3位決定戦に勝って道大会への出場を決めた。
 
その男子準決勝が行われていた時、寿絵が留実子に訊いた。
「あのB高校の11番の選手、るみちゃんの彼氏でしょ? るみちゃんとしてはこの試合、どちら応援してるの?」
「ボクはもちろんN高校を応援してるよ。もしボクが男の子になっちゃって、男子の試合に出ていて、彼と対戦しても、ボクは全力で叩きのめすだろうしね」
と留実子。
 
「ああ、去年それを千里はS高校の選手とやったよね。ふたりとも全力全開だったもん」
と横から暢子が言う。
「で、るみちゃんも試合終了後に相手選手とキスしちゃったりして」
 
「キスしようとしたらぶん殴る」と留実子。
「うーん。るみちゃんならそうかも」と寿絵。
 
結果的には両者とも道大会に行くことになって留実子もホッとしたようであった。
 
そのN高男子の3位決定戦の次に、千里たちの出る女子決勝戦が行われる。(男子の決勝は女子の決勝の後に行われる)
 

 
どちらも気合いの入った顔で整列して挨拶し、試合が始まる。
 
ティップオフはN高校が取り、久井奈がドリブルで攻め上がるが、L女子高は千里にマーカー1人を付けるボックス1のゾーンディフェンスを敷いてきた。これは地区大会決勝なのだが、向こうとしては全国大会のつもりで戦うということだろう。
 
千里に付いたマーカーは2年生ながら事実上の中心選手になっている溝口麻依子さんである。元々能力が高い上に、恐らくビデオなどで千里の動きをかなり研究してきたと思われた。容易にはマークを外せない。むろんフェイントにもほとんど引っかからない。それでも久井奈は強引に千里にパスする。そして千里も強引に撃つ。それを溝口さんがブロックするが、千里の撃つタイミングがひじょうに読みにくいので、結局第1ピリオドで8回撃った内の2回は、きれいにシュートが決まった。
 
「千里、しばしばシュート動作を途中で一瞬停めてたね」
「それで溝口さんが早く飛びすぎてブロックできなかった」
 
「千里が筋力付けてきたから、そういう変化もできるようになったんだと思うよ。停めるってことは、その先のバネだけで撃たないといけない」
と暢子が言った。
 
試合はシーソーゲームで進む。向こうの主力組がどんどん得点するが、暢子も千里がなかなか撃てない分ひとりで点を稼ぐ。ただ、L女子高もいちばん強い選手を千里のマークに使っているので、どうしてもその分パワーが落ちている感じであった。
 
第3ピリオドまで行って52対50と完璧に拮抗したロースコアであった。お互い抜きつ抜かれつのゲーム展開である。
 

「久井奈ちゃん、4ファウルか。メグミちゃんか雪子ちゃんを出します?」
と南野コーチが宇田先生に訊くが、
「いや、そのまま行こう。岬、万一5ファウルになっても元気なのが控えてるから、萎縮せずに戦え」
と先生は言う。
 
「はい、そのつもりです」
と久井奈も答えて、最終ピリオドに出て行く。
 
どちらも主力組はずっと出ている。お互いに疲れが出てくる。疲れるとファウルも増える。しかしどちらも4ファウルになったからと言ってプレイスタイルは変えない。とうとう向こうの主力フォワードのひとり本間さんが5ファウルで退場になるが、こちらも久井奈が第4ピリオド8分たった所で退場になってしまった。こちらは代わりに雪子を入れる。相手も1年生のフォワード大波さんを入れてきている。
 
ここまで58対54とL女子高4点のリードである。
 
相手シュート失敗の後のボールを留実子が確保する。雪子がドリブルで攻め上がり、チラっと右側に居る暢子を見る。ゾーンを作っている相手ディフェンダーが全員そちらに注目する。雪子が暢子の方に向けて振りかぶる。
 
そして次の瞬間雪子から千里へ矢のようなパスが来る。
 
千里をマークしていた溝口さんが「あっ」と言った次の瞬間には既に千里はシュートを放っていた。
 
入って3点。58対57。
 
その後4点ずつ取り合って62対61。
 
向こうが攻めてくる。N高校はマンツーマンでディフェンスしている。L女子高がパスを回して突破口を探している。先程入ったばかりの1年生大波さんからSGの2年生登山さんにボールが渡ろうとした時、一瞬飛び出した雪子がパスカット。そのボールを穂礼が押さえて既に走り出している千里の背中に向けて全力で投げる。
 
ボールが到達する瞬間千里は足を停め振り向いてボールを受け取るが、そのままドリブルで攻め込む。スリーポイントラインの手前で停まって即シュート。後ろから追いついた登山さんが千里を停めようとしたものの、千里は体勢を崩しながらも正確にゴールを狙っている。入って62対64。逆転!
 
更に今のプレイがプッシングを取られる。千里はフリースローも決めて62対65と3点差になる。
 
相手がディフェンス態勢を整える前の速攻であった。これもある意味、ゾーンディフェンスへの対抗策のひとつである。なお、プッシングした登山さんは5ファウルで退場となった。
 
このタイミングで宇田先生は穂礼・留実子を下げて、夏恋と揚羽を入れた。2人ともこの試合ではまだ出番が無かったので、体力がありあまっている。強豪相手に選手がみんな疲れていたのでマンツーマンディフェンスをする時のマークの動きが鈍くなっていたのだが、雪子もコートインして間もないし、これでこちらのディフェンスはほとんど隙が無くなった。
 
相手が攻めあぐねて、遠くからスリーを撃つが入らない。向こうとしてもシューターの登山さんの退場は辛いようだ。このリバウンドを揚羽が押さえて雪子にパス。雪子が攻め上がる。まだ向こうは全員戻って来ていなくてゾーンが完成していない。千里には登山さんと交代で入った浜川さんがマークに付いたが、本来のマーカーではない。パスの通り道は塞がれているが、雪子はフェイントで反対側に居る夏恋を見ながら、千里へバウンドパス。千里は1回フェイントを入れて、相手のジャンプタイミングを外してシュート。62対68。
 
時間は残り40秒。浜川さんが速攻のドリブルで攻めてきて、そのままゴール下まで飛び込みシュートを撃つが、揚羽がきれいにブロックする。そのボールを暢子が取る。相手が速攻だったので、千里はまだ戻りきっていなかった。その千里へ暢子がロングパス。撃てる距離まで自分でドリブルして行くが、今度は相手のキャプテン池谷さんが追いついてマークする。
 
ドリブルしながら立ち止まり、一瞬ドライブインの姿勢を見せる。相手は上半身だけ身体を動かしたが足は動いていない。ちゃんとこちらのフェイントを見破っている。千里はドリブルをやめボールを両手で持つ。お互いに緊張感が走る。そこに千里を本来マークしていた溝口さんが戻ってくる。挟まれる形である。池谷さんが彼女を見た一瞬の隙を突いて千里は高い軌道のシュートを撃つ。
 
ほんの僅かジャンプが遅れたことでブロックはならず、ボールはゴールに吸い込まれる。これで62対71。
 
これで勝負あったかに思われたが、諦めるL女子高ではない。残り時間は26秒。池谷さんが自らドリブル、速攻で攻めてきて、スリーを撃つも外れる。しかしリバウンドをずっと千里をマークしていた溝口さんが取ってそのままゴールに叩き込み、64対71。
 
残りは16秒ほどなので時間稼ぎでも勝てるが、N高校は普通に攻める。相手はゾーンディフェンスをしている。雪子がドリブルしながら立ち止まった後、いったん暢子にパス。暢子はそれを夏恋にパスするが、夏恋はそのままシュート。スリーポイントラインの外側である。この場面で夏恋がこの位置からシュートするというのは、相手も想定外だったようだが、N高側も実は想定外だった。
 
しかしこれがきれいに決まって、64対74となる。
 
夏恋はそんな遠くから入ったのに自分で驚いていたが、暢子に「よくやった」と頭を叩かれていた。残り4秒。相手は浜川さんからのロングパスの後、溝口さんがスリーポイントを撃ったが、これは入らず、そこまでで試合終了となった。
 

整列する。
 
「74対64でN高校の勝ち」
 
「ありがとうございました!」と挨拶した後、お互いに握手する。何人かハグし合う姿も見られる。千里も自分をずっとマークしていた溝口さん、キャプテンの池谷さん、シューターの登山さんとハグした。
 
お互い完全燃焼であった。
 

試合終了後、更衣室で下着を交換してから帰ろうとしていたら、今対戦したL女子高の登山さんから声を掛けられた。
 
「村山さんって、去年N高男子チームに居た凄いシューターの村山さんの妹さんなんですって?」
「え?」
 
「兄妹そろって凄いシューターですね。でもお兄さん亡くなったんだそうですね。大変だったろうけど、頑張って下さいね」
「あ、えっと。ありがとうございます」
と言っといて、自分でも千里は変な挨拶だと思う。
 
「うちのキャプテンがM高校の松村さん(友子)から聞いた話では、お兄さん、睾丸の癌で治療のために女性ホルモンの投与を受けて、睾丸もペニスも手術で取ったので、女性的な外見になってたんだそうですね。随分大変な闘病生活だったんでしょうね」
 
自分のことを一番知っている筈の友子から聞いたというのに、なぜこんなにも情報が変形しているのだ!?
 
「なんか、それ話が違っている気がするんですけど」
「あれ? そうですか」
 
などと言っていた時に、登山さんを呼ぶ向こうのコーチの声がする。
 
「あ、呼ばれてる。今日は負けたけど、道大会で当たったらリベンジするから」
「ええ。こちらも負けないように、また鍛えていきます」
 
それで笑顔で握手して別れた。
 
「人の噂って凄いね」
と暢子が呆れたような顔をしていた。
 
「あの話、きっと妹さん本人からも聞いたから間違い無いってことになって更に広まって行くよ」
と寿絵が言った。
 

なお、留萌の方では、貴司たちのS高校は男子も女子も地区大会で優勝して、道大会への出場を決めていた。女子は今年の春から「女子バスケット同好会」が「女子バスケット部」に昇格したので、部になってから初めての道大会出場ということになる。
 
ゴールデンウィーク前は学校の中も、気がそぞろの雰囲気になる。
 
古文の授業を受けていた時、千里はふと窓の外で鳥が鳴いているのに気付く。何の鳥かな? 南の方から飛んできたのだろうか?などと考えていたら
 
「村山」
と先生から当てられる。
 
「今僕が読んだ歌の意味を述べなさい」
 
『えーん。聞いてなかったよぉ。《りくちゃん》教えて』と後ろの子に言うと、《りくちゃん》は少し呆れた感じで『副教材の12ページ5番目の歌』と教えてくれる。千里は慌ててそのページを開き、歌をまずは読んでから解釈する。
 
「鶯の谷より出づる声無くは、春来ることを誰(たれ)か知らまし。ウグイスが谷から出て来て鳴く声が聞こえないので、これでは春が来たことを誰が知るだろうか?誰も知らない。つまり、早くウグイスさん谷から降りて来て鳴いてくれ、要するに、春よ早く来い、という歌です」
 
「ほほぉ。ボーっとしていた割りにはちゃんと聞いてたんだな」
「はい。大江千里(おおえのちさと)の歌ですから」
 
「ああ、お前の専門だな。大江千里の歌で百人一首に入っているのは?」
「月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」
「さすが、さすが」
 
「ちなみに大江千里(おおえせんり)も好きですよ。母がファンなもので、よく聞いてました」
 
「大江千里(おおえのちさと)と大江千里(おおえせんり)の違いは何だと思う?」
「あ、えっと・・・歌人と歌手の違いかな」
 
この千里の解答に教室内から思わず「おぉ」とか「凄い」という声があがる。
 
「いい回答だな。僕もそれを採用することにしよう」
と先生も千里の答えを気に入ったようであった。
 
「私個人では森高千里(もりたかちさと)も好きです」
「まあ、千里という名前は男も女もあるよな」
「ええ、それでよく小さい頃から私も性別を間違われていました」
 
と千里が言うと、教室内で忍び笑いの声が多数聞こえる。
 
「うんうん。でもそうやってちゃんと女子制服を着ていたら、間違えようが無いよな?」
と先生が言う。
 
それで千里は「え?」と思って自分の服を見ると、普通に女子制服を着ているし頭にもショートヘアのウィッグを付けている。
 
「あれ〜〜〜?」
 
なんか前にもこのパターンはあったぞ、と千里は思った。
 

授業が終わった後、千里は男子制服に着替えて来ようとしたが、クラスメイトに停められる。
 
「女子生徒は女子制服を着ているのが本来なんだから、その服で良いはず」
 
と言われて、結局その日はずっと女子制服を着ていることになった。
 
「まあ千里が朝から女子制服を着て授業に出ているということは、つまりボーっとしている時だというのが、先生にも認識された気がする」
と京子に言われる。
 
「でも、ああいう状況で当てられた時って、千里、ちゃんと正しく反応するよね」
と梨乃は感心したように言う。
 
「あれはね、耳の1%で聞いているんだよ」
「凄い」
 
「その感覚を残せる人は自動車のドライバー向きと聞いたことがある」
「ほほぉ」
「運転中に睡魔に襲われたような時に、そのまま完全に眠ってしまう人は事故を起こすんだよね」
「まあ睡眠しながらは運転できないだろうな」
 
「ところが運転中に眠り掛けても1%だけ感覚が起きている人って居るんだよね。そういう人はその1%の感覚で運転し続けるから、車をちゃんとコントロールして、いったん安全な場所に停めたり、あるいは窓を開けて風を顔に当てたりして自分を再覚醒させたりできる」
「へー」
 
「長距離の運転をするドライバーには、このタイプがいるんだよ」
「逆にそういう人でないと、長距離トラックの運転手とかは務まらないかも」
「ハードスケジュールだもんね。わずかの遅れも許されないし」
 
「そういう感覚って、傭兵なんかで生き残れるタイプでもあるよね?」
「うんうん。敵襲を即察知できないと、戦場では生き残れない」
「熟睡してたら、気付いた時には既に死んでるだろうね」
「武士はクツワの音で目が覚めなければならないってのも多分同じ話」
「香箱になって寝ている猫なんかもその状態だよね。あの体勢は即動けるんだ」
 
「千里、トラックの運転手か傭兵さんか武士になる?」
「どれもハードそうだなあ。野良猫とかも大変そうだし」
 

ゴールデンウィークの直前、千里たち2年生の女子たちの間に衝撃的な情報が流れてきた。
 
「3組の忍ちゃんが妊娠したんだって」
「えーーー? どうすんの? 中絶?」
 
「そうそう。最初は本人もそのつもりで、クラスの女子でカンパして手術代を作ってあげて、学校に知られないうちに中絶しちゃおうということになったらしいのよ。ところがさ」
「うん」
 
「病院に行って中絶の方法とか聞いてるうち『私、この子を殺したくない』って言い出して」
「じゃ、産むの?」
「本人、産む気満々」
「すごーい、で学校は?」
 
「普通なら退学じゃん。ところが忍ちゃん、教頭先生と凄いディベートやったらしい」
「ほおほお」
「16歳の女の子は法的に結婚できる年齢ですって。だから自分は結婚して産むから休学を認めて欲しい、というのよ」
「へー」
「だって子供のいる女性が社会人入学してきたら、ママさん女子高生になるわけじゃん」
「確かに」
「それが認められるのなら、適法な結婚をして、適法に子供を産むのに退学処分にするというのは道理が通らない、と」
「うむむ」
 
「それで、生活指導の先生とか、保健室の先生とか、担任・学年主任に、途中で呼びだされた忍ちゃんのご両親に、最後は校長や急遽出て来た理事長さんまで入って大激論の末、法的に結婚している生徒が子供を産むのは退学処分の対象外だし、出産前後の休学も認めるということになったのよ」
 
「すごーい!」
「どうも春休みにやったセックスで妊娠したみたいなのよね。避妊はしたつもりだったらしいけど失敗したみたいね。それで向こうの両親とも話してすぐに籍を入れて。予定日は12月だから、今年の2学期と来年の1学期の1年間を休学するんだって」
 
「でも、凄いなあ。私たちと同い年でお母さんになっちゃうなんて」
「頑張って議論して休学を認めさせたのが偉いよね」
「やはり、母は強いんだよ。それに忍ちゃん、休学中もしっかり勉強続けるし復学した後は北大を目指すから、復帰後は進学コースに入れて欲しいと言ったらしい」
「すげー」
「彼女、1年生最後の振り分け試験では100位以内に入ってたから、進学コースに入る権利あったんだけど、大学進学はお金掛かるからって情報処理コースにしてたらしいのよね。教頭先生も復学の時に振り分け試験受けてもらって、その成績が良ければ進学コースに入れると約束してくれたんだって」
 
「ママさん北大生を目指すのか。実現したら凄いね」
「うんうん」
 
「だけど結婚をすんなり認めてあげた両親も偉いと思うなあ」
「なんか、彼氏も彼氏のお父さんも忍ちゃんのお父さんの前で土下座して謝ったらしい」
「まあ、そうなるだろうね」
 
「でもお父さんとしても、結婚することで退学を回避できるというのがあって認めることにしたのもあったみたい。彼氏は大学生ですぐ学校辞めて働くと言ったらしいけど、それはもったいないから、卒業までは双方の親で経済的に支えてあげるから学業を全うしなさいということになったらしい」
 
「まあ親も大変だね」
「でも避妊何やってて失敗したの?」
「どうも最初付けずにやってて、射精前に付けたらしいよ」
「それはとっても危険なパターン」
「全く全く」
「ちゃんと大きくなったらすぐ付けなきゃダメ」
 
「千里、よく彼氏とHしてるみたいだけど、最初から付けさせてる?」
「うん。大きくなったらすぐ付けてくれてるよ」
 

今年のゴールデンウィークは4月28-30日と5月3-6日の前後半に別れている。バスケ部は学校から後半の3-6日の午前中、9時から12時まで練習する許可を取ったが、前半は休みということにした。それで千里は留萌の実家に帰るつもりで、28日のお昼頃、お土産に妹から頼まれたケーキなど買って留萌駅まで行った。
 
駅でバッタリ同じ中学出身で隣のクラスの恵香に会う。汽車の時間まであるので、自販機のジュースなど買って飲みながらしばしおしゃべりしていたら、携帯に着信がある。見ると雨宮先生である。
 
「お早うございます、雨宮先生」
「お早う、千里ちゃん。今忙しい?」
「あ、えっと田舎に帰ろうと思っていたところですが」
「あんたの田舎ってどこだっけ? 得撫(ウルップ)島?」
「えっと、あそこには人は住んでなかったと思いますが」
「それでさ、申し訳ないけど、ちょっとこちらに来てくれない?」
「こちらというと?」
「あれ?私言わなかったっけ?」
「聞いてません」
「じゃ、当ててみて」
 
千里はため息を付いた。
 
荷物の中から愛用のバーバラ・ウォーカーのタロットの入ったポーチを取り出す。シャッフルも何もせず、いきなりポーチの中から1枚引き抜く。出たカードはワンドの4である。
 
「四方を山に囲まれた場所ですね。山梨か奈良か・・・・京都ですか?」
「ピンポーン。じゃ、今すぐこちらに来てくれる?」
「ちょっと待って下さい。私、今から帰省する所で。春休みは部活やバイトで帰省できなかったから、ちょっと顔見せろと言われてるんですよ」
 
「芸人は親の死に目にも会えないのよ」
「私、芸人なんですか〜?」
「もう、あんたはこちらの世界にどっぷり浸かってるからね。今旭川市内?」
「旭川駅です」
「だったらすぐ空港連絡バスに飛び乗って。空港に着くまでに時刻調べておくから」
「分かりました」
 
千里は仕方無くそう返事した。
 
 
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【女の子たちのベビー製造】(1)