【女の子たちの修学旅行・高校編】(下)

前頁次頁目次

 
バスで嵐山に移動し、バスで渡月橋を渡った後、お昼御飯を食べる。その後、班単位でマイペースで嵯峨野を散策することになっていた。
 
班は一応定めてあるのだが、最初から混線気味である。結局千里は、鮎奈・蓮菜・京子・花野子・梨乃と6人で歩き回ることになる。最初は天龍寺だったのだが・・・・
 
「天龍寺って何があるんだっけ?」
「石庭のある所?」
「それは龍安寺。金閣寺の割と近く」
「仁和寺からも割と近くだよね」
「ああ。お坊さんが鼎をかぶって踊って取れなくなった所か」
 
「こちらは?」
「龍の絵とお庭が有名なんだって」
「どこから入るのかな?」
「あれ? なんかお寺から離れてない?」
 
などと言って歩いている内に、黒い鳥居が見えてくる。
 
「あそこ?」
「まさか」
「お寺に鳥居は無いでしょ」
「そうなんだっけ?」
「鳥居は神社。お寺は山門」
 
「あれは次のポイントの野宮神社では?」
「行き過ぎた?」
「戻る?」
「いいや、パスして行こう」
 
ということで、最初から迷子気味である。この中に方向感覚の良い子が入っていないというのも問題だ。千里も、何か目的があればそれを見つけるものの、こういうルートを辿っていくのはあまり得意では無い。
 
伊勢神宮に赴く斎王が決済した場所で、源氏物語の舞台にもなった所である。お参りして、縁結びの御守りなど買っていく。
 
「あんたたち縁結びの御守りなくても既に彼氏いるじゃん」
と若干3名ほどが言われているが
 
「彼と法的に結婚できるとは思えないし」
「彼とはただの友だちだよ」
「まだキスもしてないよ」
 
などと各人の弁。
 

若干歩いた所に大河内(おおこうち)山荘がある。
 
「ここは何だっけ?」
「おおかわちでんじろう、という人の別荘だって」
「誰だっけ?」
「確か昔の有名な俳優さんだよ」
「見る?」
「いいや。次行こう」
 
ということで、あまりまじめに見て歩く気は無い。
 
結構歩いた所で常寂光寺である。
 
「少し疲れたね」
「休んでいこう」
 
ということで寺の中に入る。
 
歩いて行っていたら、ベンチがあり、たまたま空いていたので座って取り敢えずおしゃべりである。
 
「疲れたね」
「もう帰っちゃおうか」
「嵐山付近で時間を潰していればいいよね」
「レポートは適当に書いておけばいいし」
 
などとサボる相談が進む。しかししばらくおしゃべりしていたら、みんな体力が回復してきたので
 
「もう少し行ってみようか」
 
ということで、少し奥にある有名な多宝塔も見ないまま常寂光寺を出てしまう。 

落柿舎に入る。
 
「ここは何だっけ?」
「向井去来の住んでた所だって」
「あれ、その人聞いたことある?」
「詩人か歌人だっけ?」
「江戸時代の俳人だよ」と蓮菜が言う。
 
「俳人って俳句を書く人?」
「俳諧ね。俳句は明治時代に俳諧から生まれた新しい文芸」
「え?松尾芭蕉とか俳句書かなかったの?」
「松尾芭蕉が書いたのも俳諧。向井去来はその弟子だよ」
「ほほお」
 
そこから少し歩いて二尊院がある。
 
「横向きの仏様がいる所だっけ?」
「それは永観堂」
「昨日行った知恩院より少し先にあったんだよ」
「ここは釈迦如来と阿弥陀如来の2体の本尊が祭られているから二尊院」
「ふむふむ」
 
落柿舎は一応中まで入ったのだが、ここでは入る前に入口の所でおしゃべりが始まる。
 
「なんか如来(にょらい)とか菩薩(ぼさつ)とか色々いるよね、仏様にも」
「本当の意味での仏様というのは如来だけ。菩薩は如来になるための修行をしている人たち」
「へー」
「他に明王とか天とかもいるけど、説明すると長くなる」
「アシュラとかカルダとかは?」
「そのあたりまで説明しようとすると多分本が1冊書ける」
「ふむふむ」
 
「阿弥陀如来(あみだ・にょらい)も修行していた頃は法蔵菩薩(ほうぞう・ぼさつ)という名前だった」
「へー。修業時代があったのか」
「それ何年前?」
「五劫くらい修行したらしい」
「なに?五劫のすり切れ?」
「それそれ。160km四方の巨大な石を100年に1回ずつ薄い布でさっと拭いていくというのをずっとやっていった時、摩耗して石がなくなってしまうまでの時間を1劫というらしい」
「それが五劫のすり切れの意味だったのか!」
「それって何億年くらい?」
「1億年の1億倍の更に1億倍くらいって聞いた」
 
「そんな古くから仏教ってあったんだっけ?」
「その辺は誰かお坊さんに訊いてみてよ」
 
たいがいしゃべった所で「面倒くさくなった。次行こうか」「仏像が2つ並んでたとレポートには書いておけばいいよね」などと言って、結局中には入らずに次へ進む。
 

また少し歩いた所に滝口寺と祇王寺が並ぶように建っている。
 
「どちらから見ていくの?」
「滝口寺からかな」
 
と言って滝口寺に入ったつもりが、入ってみたらなぜか祇王寺である。 
「あれ?ここ祇王寺みたい」
「まあいいや。その後反対側に入ればいい」
 
京子が代表して拝観券を買ったが、よく見たら大覚寺とセットの券だ。 
「あれ〜?ごめーん」
「いや、後で大覚寺にも行けばいいよ」
「近くだっけ?」
「分んないけどセットで券を売ってるから近くでは?」
 
千里はどうも《介入》されているなと思った。
 
ここは平清盛の愛人・祇王ゆかりの地である。平清盛が祇王という白拍子を愛していたが、やがて仏御前という白拍子が現れると、そちらに寵愛は移ってしまい、祇王は放置されてしまう。そこで祇王は妹の祇女、母の刀自と3人でここに庵を結んでひっそりと暮らす。やがてそこに仏御前もやってきて自分も入れてくれと言い、女四人で静かな暮らしを送ったという。
 
「これって要するに男って浮気もんだってことだよね」
「まあ、そういう話だよね」
 
「清盛は奥さんの親族の力でビッグになったようなものだから、奥さんを捨てる訳ないのであって、愛人になってもそうなる運命だよ」
などとクールな花野子は言う。
 
そばで
「高岡智照さんが亡くなられてから何年ですかね?」
と庵の人らしき人に訊いている初老の女性観光客が居た。
 
「昨年十三回忌だったんですよ」
と尼さんが答えていた。
 
「誰だろう?」
と梨乃が言ったのを聞いて、その観光客が言う。
 
「以前、この庵に高岡智照さんという名物庵主様がおられたんですよ。98歳で亡くなったんですけどね」
「長生きですね!」
 
「その方自身が若い頃、男に愛されては捨てられてって浮き沈みの激しい人生を送ってね。なんか政財界の大物何人かの愛人だったこともあるけど、海外で放置されて帰国するのにも苦労したりとかあったみたい。それで40歳頃に頭を丸めて尼さんになって、それから半世紀ほどこの庵で暮らしては、観光客に祇王の物語を語ってくれていたんですよ。智照さんにとっては祇王の話は他人事(ひとごと)じゃなかったんでしょうね。私も智照さんの解説3回聞いたけど、いい風情の方でした」
とその女性観光客は言っていた。
 

祇王寺を出る。
 
「昔の男も現代の男も、やはり女は飽きたらポイなのね」
「それは男の習性だから仕方無いよ」
「現代では女もけっこうしたたかだけどね」
 
などという話も出る。
 
千里は考えていた。貴司って浮気性だよなあ。今まで何人貴司とデートしようとした女を排除してきたのだろう・・・。でもその内、貴司が自分より好きな女性と巡り会ったら自分はどうなるのだろうか。。。私って子供産む機能が無いから、誰かが貴司の子供を妊娠しちゃったら、貴司はその人と結婚するんだろうしなあ。。。
 
自分が祇王あるいは仏御前であるのかも知れない。でもきっと自分に勝って貴司の恋人の座に納まった人も、いつか他の女性からその座を追い払われるのかも。そうなったら、貴司に振られた女で集まって共同生活なんてのも悪くないかも知れないなぁ。。。。
 
今日の千里の妄想は少し後ろ向きだった。
 

隣の滝口寺に入る。ここも平家物語絡み。ここは滝口入道と横笛の悲恋の場所である。
 
滝口は平家一門の武士だったが、身分の低い女性・横笛と恋をして、ふたりは盛んに文のやりとりをする。しかし彼の父はその恋を認めなかった。悲嘆にくれた彼は出家してしまう。その報せを聞いた横笛は驚き、滝口に会おうとお寺を訪れてくるが、彼は寺の人に「そのような人は居ません」と言わせて会おうとしなかった。横笛は
「山深み思ひ入りぬる柴の戸の、まことの道に我を導け」
という歌を残して悲しみながら去って行った。彼女はそのまま亡くなってしまったとも言う。
 
「私なら男に捨てられたら次の男探すけどなあ」
という意見が出て、同意する子も多い。
 
「でも源平の時代の女って、そういうものだったのかもね」
「今みたいに女が自立して生きていける時代とは違うよね」
「巴御前とか北条政子みたいなのは、きっと例外的な存在」
「逆に言うと、今の時代は女がみんな巴御前になっちゃった」
「それで千里みたいな子が代わりに古風な女になる」
などという意見も出るが
 
「いや。千里も今の彼を失ったら、すぐ次の彼を見つけると思う」
と蓮菜は言った。
 

「次はどこ?」
「15分ほど歩いて化野(あだしの)念仏寺」
 
それで歩いて行くのだが、なかなか辿り着かない。
 
「もう20分歩いているよ」
「道に迷った?」
 
そんなことを言っている内に大きなお寺に辿り着く。
 
「ここ?」
「いや、これは違うと思う。化野念仏寺は確かもっと小さなお寺だったはず」
 
というので確認すると、そこは大覚寺であった。
 
「ちょうど良かったんじゃない? せっかく大覚寺の切符も買ったんだもん」
「うん。拝観していこう」
「その後、念仏寺に行けばいい」
「ここは念仏寺に行く途中?」
 
などという意見が出るが、地図を見ていた京子は
「全然違う方向に来ている」
と言う。
 
「えーー!?」
「どうする?」
「なんか、もう結構歩いたし、ここ見たら嵐山に戻ろうよ」
「うん。そうしようか」
 
ということで化野念仏寺はパスすることになってしまった。
 
「でもこの後帰ったら早すぎない?」
 
途中本来寄るところを結構パスしてしまったので時間があまっている。 
「嵐山でお茶でも飲んでればいいよ」
「そうだねー」
 

大覚寺に入り、ぐるぐると回廊を歩く。すごくきれいに整備されているというのを感じる。
 
「あれ? ここ時代劇によく出てくる所じゃない?」
「あ、そういえばよくクレジットに出ている気がする」
 
いろいろ見て回った後、写経をする所に辿り着く。
 
「どうする?」
「やっていこうか?」
「そだね。結構歩いて疲れたし。休憩」
 
というので全員その部屋に入り、般若心経を1枚書いた。
 
「みんな字がきれいだな」
「いや、この筆が凄く書きやすい」
「うん。私も普段以上にきれいな字が書けた」
「これ1本買っていこう」
などと言っている子もいる。千里もその筆を3本買った。この手の物は量産品と違って《当たり外れ》があるのである。
 
「私はいい筆使ってもダメなんだな」
などと言っている子もいるが、恐らく《外れ》の筆に当たったのではと千里は思った。
 

それで大覚寺を出て、お寺の人に道を尋ね、嵐山方面に戻ろうとしていた時、「すみません」
と声を掛けてくる少女が居る。
 
6人全員が振り向いた(千里は後からよくよく考えたが、確かに6人とも振り向いた。つまり全員彼女を見ていた)。年齢は中学生くらいに見えた。すごく長い髪をしている。
 
「なんでしょう?」
「直指庵(じきしあん)への道はこちらでしたでしょうか?」
 
「直指庵ですか?ちょっと待って」
と言って京子が地図を確認する。
 
「直指庵はそちらの道を登っていくみたいですよ」
「ありがとうございます」
 
それで彼女が行きかけるが京子は
「待って」
と呼び止める。
 
「おひとりですか?」
「ええ」
 
「そちらに行く人少ないみたいだし、ひとりは不用心ですよ。一緒にいきませんか?」
と京子が言う。
 
「えーー!?」
という声も出る。
 
「行きは20分、帰りは15分くらいみたいだから時間調整にちょうどいいよ」
「でも上り坂だよ」
「受験生は身体の鍛練だよ」
と京子。
 

それで彼女と一緒に7人で直指庵への道を歩いて行く。
 
「中学生ですか?」
「はい。中学1年です」
「ことばが京都の人じゃないみたい。観光客さん?」
「ええ。金沢から来ました」
「ひとりで?」
「ええ、ちょっとあって」
 
千里たちの間に素早い視線の交換がある。千里は京子が呼び止めたのは正解だと思った。この子、もしかして自殺しに来たのではないかという気がした。 
唐突に蓮菜が訊く。
「千里さ、中学に入ったときに失恋したよね。その時どんな気持ちだった?」
 
千里は少し考えて答える。
「気持ちとか言う以前の問題なんだよ。もう何も出来なくてさ、体のバランスも取れないし。中学の初めに私一週間休んだでしょ。あれ、そのせいなんだよ」
 
「そうだったのか」
「熱が出て、病院の先生も原因が分からないって言って」
「やはり、失恋ってそういう一大事なんだね」
 
「なんかホルモンバランスも崩れまくりで、エストロゲンの注射までしてもらったよ」
と千里が言うと、鮎奈と京子が一瞬顔を見合わせていた。
 

「さっき見て来たところでさ、祇王寺の祇王さんはあそこで余生を送ったみたいだけど、滝口入道と恋をした横笛さんはその後どうしたんだろ?」
と花野子が言った。
 
「滝口入道と会えなかったのを悲観して、そのまま川に身を投げたという説もあるんだけど、自分も尼になったという説もある」
 
「ふむふむ」
「奈良の法華寺というところで修行していたんだって」
「へー」
「その後もけっこうふたりは文のやりとりとかもしていたみたいなんだよね。贈答した歌が残っている」
「ほほぉ」
「お互いに仏の道で修行する者同士になったから、その立場で励まし合ったんじゃないのかなあ」
「それは割と良い話かも」
 
「それで法華寺には滝口入道から来た手紙を固めて、横笛が自分自身の姿を象ったという横笛像が残っている」
「像を造れるくらい、たくさん手紙のやりとりしたんだ!?」
 
「それってお互いに出家する前のもの?」
「それが大半だろうけど、出家した後のものも割とあるかもね」
「横浜の三渓園にも手紙を固めて作った横笛像はあったはず」
「横浜?」
「なんでそんな遠くに」
「さあ、なんだろうね」
「東国まで落ちていったんだったりして」
「でも横笛のお墓は奈良の葛城にあるらしい」
「でも有名人のお墓ってあちこちにあったりするから」
「滝口入道が高野山に籠もっているからというので、高野山の麓に住んでいたという説もあるよ」
 
「横笛さん、ひょっとして意外にたくましくない?」
「かも知れない」
 

千里たちの会話を、中学生の女の子は興味深そうに聞いている感じであった。やがて直指庵に辿り着く。
 
「着いた着いた」
「疲れた疲れた」
 
土曜というのに境内は人がまばらである。
 
「春休み前だからかもね」
「あれ、なんか女の人ばかりって気がしない?」
「もしかしてここ男子禁制?」
 
「あ、それ時々誤解する人いるけど、男性でも別に入っていいんだそうですよ」
と中学生女子は言う。
 
「まあ千里は男子禁制でも問題ないだろうね」
「むしろ千里は女人禁制の所に入れない」
「なるほどなるほど」
といういつもの会話を、中学生は不思議そうに聞いていた。
 
《想い出草》と書かれたノートの置かれた部屋まで来る。
 
「旅の想い出帳みたいなもの?」
と梨乃が言ってノートを開いてみて沈黙する。千里たちも覗き込んで沈黙してしまう。
 
「まあ、普通に旅の想い出書いてる子もいるね」
「うん、そういう子もいる」
 
「よし。私も書こう」
と言って蓮菜が書き始める。
 
「ね、提案。先に書いた人の文章は見ないことにしない?」
と鮎奈。
 
「了解」
「これで上のは隠して書くといいよ」
と言って京子がガイドマップを出すので、以後そういうことにした。千里は隣で何か思い巡らすようにゆっくりとペンを運んでいる女子中生を見ながら「隣にいる女子中学生に幸いありますように/北海道・女16歳」と書いた。 

直指庵を出たところで京子が彼女に
「この後、どちらに行きますか?」
と訊く。
 
「滝口寺に行きます」
と言うので
「じゃ途中まで一緒に行きましょう」
と言って坂道を降りて行く。
 
「ね、君、名前を訊いていい?」
と京子が訊くと
「江与子です」
と彼女は名乗った。
 
そしてかなり降りてきて、大覚寺が見えてきた所で、唐突に彼女は荷物の中から朱塗りの横笛を取り出すと、それを持って吹き始めた。
 
その美しい調べに千里たちは立ち止まり、ただ見とれていた。笛は篠笛のようである。やがて千里は自分のリュックの中から、龍笛(樹脂製)を取り出す。そして彼女の笛に合わせて千里も自分の龍笛を吹き始めた。
 
江与子の篠笛と千里の龍笛。ふたつの笛の共演は何分も続いた。髪の長い少女がふたり笛を吹いていると物凄く美しい絵である。花野子は写真を撮りたい衝動を抑えていた。
 
演奏は10分くらい続いたろうか。やがて江与子が笛をやめる。千里もやめる。そして微笑みあった。
 
「素敵な笛でした」と江与子。
「君こそ凄かった」と千里。
 
「もし良かったら、笛を交換しません?」と江与子。
「これ安物だけど」と千里。
「私のも安物」と江与子。
 
それでふたりは笛を交換した。そして何となくそのまま交換した笛を吹く。江与子の龍笛に千里は衝撃を受けた。
 
こんな凄い龍笛の音があったのかと千里は自分の認識を新たにした。それは龍笛が鳴っているというより、龍そのものが鳴いているかのような音だった。千里が少し天空に気を配ると、大きな龍が3体も来ている。そして龍たちは天空に巴を描くかのように連なって舞い踊り始めた。
 
江与子の龍笛に千里の篠笛が音の彩りを添える。15分ほど演奏は続いた。霊感の少しある蓮菜・京子・梨乃が時々上空にも目を遣っていた。
 
「皆さんにはバレちゃったかなと思ったけど、私死のうかと思ってここまで流れて来ました」
と江与子は言った。
 
「失恋しちゃって」
と笑いながら言うが、そんな言い方ができる所まで彼女の心は立ち直ったのであろう。
 
「また頑張ります」
「うん。辛いけど頑張ろうよ。もし辛くなったら私に電話してもいいよ」
と言って千里はメモ帳に自分の電話番号を書いて渡した。
 
「ありがとう。また会えるといいですね」
「うん。またその内」
 
それで江与子は千里の龍笛を持って、道を降りて行き、滝口寺の方に行く道に折れた。千里たちはそれを見送っていた。
 

「それ何の笛?」
と花野子が訊くので
「これは篠笛だよ」
と千里は答える。
 
「それも樹脂製?」
「竹に漆を塗っているみたい。これ、かなり年季が入っている。元々はあの子のお母さんかお祖母さんのものだったかも。もらっちゃって良かったのかなあ」
と千里は笛を指で軽く弾きながら答える。
 
「今思ったんだけどさ」
と蓮菜が言う。
 
「《よこぶえ》という文字の中に《えよこ》という名前が隠れてるよね」
「へ?」
「まさか、今のは横笛本人だとか?」
 
「平家物語の横笛って、横笛も吹くんだっけ?」
「確か琴とか歌がうまかったという話」
「でも横笛という名前を付けられたくらいだから横笛も吹いたのかもね」
 
「ね、もしかして今の子、人間じゃないって意味?」
と花野子が尋ねる。
 
「私、この子は人間じゃないかもって、直指庵で思ったよ」
と梨乃が言う。
 
「えーーーー!?」
 
「梨乃も結構霊感あるもんね」
「だけど霊感ゼロの花野子にも見えてるふうだから、違うかなとも思ったんだけどね」
「私も霊感ゼロだけど見えてた」と鮎奈が言う。
 
「江与子ちゃんの履いてた靴、千里の靴と同じものだったよね」
と蓮菜。
 
「え?気付かなかった」
「痛み具合まで似てた。精霊みたいなのが人の前に姿を現す時って、しばしば近くに居る人の服装の一部を借りるんだよね」
「へー」
 
「千里って霊媒体質だからさあ」
と蓮菜は言う。
 
「あ、確かに私何度か『入られた』ことある」
と千里。
 
「元々千里って実は女の子なのに、男に憑かれているんだったりして」
「うむむ。新しい説が」
「だったら憑いてる男を祓っちゃえば千里は本当の女の子になれる」
「どうやって祓うの?」
「そうだなあ。プーケットあたりに連れて行って手術台に乗せて、男の依代を切り取っちゃう」
「ふむふむ」
 

嵐山まで降りて行っても、まだ半分くらいの子が戻って来ていなかったので、結構待つことになる。それで待っている間に千里が何か書いているので「何書いてるの?」
と蓮菜が訊くと
「さっきの曲を書き留めてる」
と千里は言う。
 
「ああ、江与子ちゃんと吹いた曲か」
「うん。凄くきれいな曲だったからね」
「それ、横笛の譜面?」
「そうそう」
「なんか訳が分からん」
「ふふ」
 

翌日は奈良に行く。
 
京都の旅館はこの日までだったので荷物を持って旅館を出てバスに乗り込む。バスの荷室に大きな荷物は積み込んだ。
 
奈良の西方、斑鳩の里を訪れ、法隆寺に入り、五重塔の前でまたクラス単位の記念写真を撮った。その後、となりの中宮寺に行き、ここで美しい如意輪観音半跏像を見る。千里たちは、そのなまめかしさに見とれていた。
 
バスで移動して薬師寺、唐招提寺、と見ていき、お昼を食べたあと興福寺に行く。ここは阿修羅像が目玉である。
 
「中宮寺の半跏思惟像とはまた趣の違う美しさだね」
「あちらはおとなの女の美しさ、こちらは少女の美しさだよ」
「私たちにとってはこの阿修羅が等身大かも」
「中宮寺の菩薩様みたいなおとなになれたらいいね」
 
その後、少し歩く。東大寺に行き、大仏様を見る。それから奈良公園で鹿と戯れ(?)てから春日大社まで行った。
 
「千里なんか少しホッとしてる雰囲気」
「うん。私って神社体質だから、お寺ではいまいち落ち着かないんだよ」
「へー」
「神社に来るとホッとする」
 
「その内神社の巫女さんになるとか?」
「千里は既に巫女さん」
「そうだった!」
 

短い区間だがバスで近鉄奈良駅に移動する。ここで荷物を持ってバスを降りて近鉄電車に乗り込む。なお千里は移動中はショートウィッグに変更しておいた。特急で約30分で京都駅に来る。そのまま新幹線に乗り換え東京を目指す。品川駅で降りてバスに乗り込み、日の出埠頭に移動して、ここで東京湾のクルーズ船に乗り込んだ。
 
「これ、この修学旅行のエポックだよね」
「うん。今夜の御飯はこの旅の中で最高額」
 
素敵な船の素敵なレストランで全員制服のまま素敵なお食事をした。夜景が美しい。自然の美は昼間しかその美しさを鑑賞できないが、都会はむしろ夜にその美しさをあらわす。
 
「しかし千里、ほんとに少食だなあ」
「ごめーん」
ということで、千里はこの素敵な御飯も半分くらいを、蓮菜・鮎奈に食べてもらった。
 
「牛肉がとろけるように美味しい」
「こんな美味しい牛肉を少ししか食べないなんて千里もったいない」
「えー。だって入らないもん」
「スポーツやってる子とは思えないよねー」
 

クルーズが終わった後、バスで移動して浦安市内のホテルに泊まる。ここで2泊することになる。部屋割は洋室の4人単位であった。中に入ってみると元々ツインの部屋で、ふつうのベッドを外して代わりに小さめのベッドを4個入れたという感じである。しかしそれでも部屋に余裕があるのが安ホテルとは違うところだなと千里は思った。このホテルでは蓮菜・留実子・孝子と一緒の部屋であった。
 
「お風呂が部屋に付いているというのは良いことだ」と留実子。
「千里も留実子も安心してお風呂に入れるね」と孝子。
「千里は本心は女体を人に見せたいのかも知れないけどね」と鮎奈。
 
「ここは大浴場ではないのね」と千里。
「大浴場は無いみたいね」
とフロアガイドを見て孝子が言う。
 
その日は部屋付きのお風呂なので早めに交代で入浴し、11時頃にはみんな眠ってしまった。
 
朝御飯はバイキングである。
「最近はホテルの朝御飯はたいていバイキングだよね」
「まあ配膳の手間が省けるという問題がある」
「労働単価が高くなってるからね」
 
「でも美味しいね!」
「うん。さすが良いホテルだけのことある」
「うちの高校の修学旅行って結構グレードが高いのかも」
「ああ、そういう気はするよ」
 

その日は終日ディズニーランドである。朝一番に中に入り、夜8時までたっぷりディズニーの世界を満喫した。入場直後にシンデレラ城をバックにクラス単位で記念写真を撮った。この日は千里もショートヘアのウィッグを付けていたので、このディズニーランドでの写真はこの修学旅行の中で唯一のショートヘアの記念写真となった。
 
その後、班単位の行動になる。ここで男子は比較的班を守っていたものの、女子は嵯峨野同様かなり入り乱れる。一応、班長に指名されている人は全員としばしば携帯で所在の確認を取りながら回っていた。
 
千里は鮎奈・京子・蓮菜と4人で歩き回った。花野子が以前来たことがあり、要領のよいまわり方をみんなに教えていたので、ファストパスをうまく使って人気アトラクションなどもあまり並ばずに見ることができた。
 
「今日歩いた距離って、京都で三十三間堂とか八坂神社をまわった時より長くない?」
「長いかも知れないけど楽しいから疲れない」
「やはり神社お寺を巡るのと、ジェットコースターやイベントを巡るのとでは疲労度が全く違う」
 
「でも昔の人は多分寺社巡りが凄い息抜きだったんだろうけどね」
「寺社もイベント志向になるといいのかも?」
「閻魔大王の血の池コースターとか?」
「不動明王と綱引きとか?」
「天照大神の天岩戸迷路とか?」
「須佐之男命の八岐大蛇シューティングとか?」
「風神雷神の乗り物?」
「いや、それは既にある」
 
今日は(原則として)班単位の行動だったので、お昼は各自班(?)単位で食べたが、夜はホテルに戻って食事だった。
 
「ここは晩御飯もレストランで食べるのね」
「まあホテルはだいたいそういうもの」
 
「旅館でもそういう方式のところが今はほとんどだけど、京都で泊まった旅館は良いところだから部屋まで持って来てくれたね」
「昔は旅館はたいてい部屋まで持って来てくれてたらしいよ。でも経費節減でほとんどのところが食堂方式にしてしまった」
 
「でも朝御飯のバイキングも美味しかったけど、晩御飯はまた美味しい」
「私、個人的には自分の食欲の分だけ食べられるバイキングは悪くない」
「ああ、それはたくさん食べる人にとってもそうだね」
 
今日も千里は自分の分を鮎奈や留実子に食べてもらっていた。
 

翌13日(火)は最終日である。千里は今日はまたロングヘアのウィッグを付けた。ホテルをチェックアウトし、朝から浅草寺を見た後、皇居を見学する。この皇居でまた記念写真を撮る。その後、東京タワーを見てからお台場に移動した。ここでお昼を食べてFテレビを見学する。
 
ここでもまた班(?)単位の行動になる。1時間後に25F球形展望室に集合である。千里は鮎奈・蓮菜・京子・花野子・梨乃と一緒にドラマなどの台本や小道具などの展示を見た後、花野子がなぜかローソンに連れ込む。
 
「なぜローソン?」
「いや、実は前回来た時にここで歌手の丸井ほのかを見かけたんだ。ここに居るとごく稀に芸能人を見ることがあるらしい」
「ほほぉ」
「ちょっとした穴場か」
 
それで番組グッズなどを眺めながら少しのんびりとそこで過ごしていると、花野子が小さな声で「あっ」と言う。
 
「誰か来た?」と小さな声で訊く。
「あそこの緑のカーディガンの人」
「誰だっけ?」
「富士宮ノエルのマネージャーで確か蕪田さんって言ったよ」
「マネージャーか」
と少しがっかりした声。
「でもマネージャーがいるということはノエルちゃんも居る?」
「居るかも知れないけど、さすがにアイドル歌手はこういう一般人と遭遇する可能性もある所には出て来ないだろうな」
「だよねー」
 
もうしばらく店内でウダウダしてると、全員が注目する人物が入ってくる。「うそ」
「すごーい」
 
ドリームボーイズのベース大守さんであった。
 
「サインねだったらダメかな」
などという声が出ていたが、店内にいた若い女の子が本当にアタックしている。しかし「ごめーん。今急いでいるから」と言われていた。大守さんは本当にバタバタと出て行った。
 
「ああ、残念」
 

結局20分近くそこで過ごしてから適当なグッズを買って店を出る。色々な番組のコーナーのある方へ行こうとしていたら、バッタリと思わぬ人に遭遇する。 
「谷津さん?」
「あら、あなたたち。何かお仕事?」
「いえ、修学旅行です」
「へー!」
と言ってから
「10分後にLucky Blossomが出演するんだけどスタジオで見ない?」
と言う。
 
「見ます!」
と全員即答する。
 
「あなたたち時間は?」
「14:30に25F展望室に集合です」
「だったら間に合うね」
 
谷津さんがローソンで何かを箱で買って来たのを京子が「持ちます」と言って代わりに持つ。谷津さんが肩から掛けていたバッグを千里が「そちら私が持ちますね」と言って持つ。それでエレベータを上ってスタジオのあるフロアで降りる。千里たちがまるで助手か何かのような顔をしているので、守衛さんは何も咎めなかった。
 
スタジオに入ると、隅の方にLucky Blossomのメンバーがいる。鮎川さんと咲子さんが、こちらを見て笑顔で手を振ってくれたので、千里たちも会釈した。 
静かに番組の進行を見守る。やがてLucky Blossomの出番が来る。鮎川さんたちは千里たちに手を振ってカメラの前に出て行った。そして演奏を始める。 
「やっぱりあの人たち凄いね」
と花野子が言う。
「鮎川さんはスターの顔だよね」
と千里も言った。
 

そして演奏がもう終わろうとしていた時、千里はいきなり誰かに後ろから両胸を両手でつかまれた。
 
「だ〜れだ?」と小さな声。
「おはようございます、雨宮先生」と千里は小さい声で答えた。
 
「偉いね。悲鳴をあげないのは」と雨宮先生。
「スタジオですから」と千里。
 
蓮菜たちもびっくりして会釈をしている。習慣を知っている蓮菜・花野子・梨乃が「おはようございます」と言い、それを聞いて鮎奈・京子も慌てて「おはようございます」と挨拶した。
 
「Lucky Blossomを見に来たの?」
「偶然来合わせたので」
「私たち修学旅行なんです」
「ふーん」
と雨宮先生は言ってから
「今日の予定は?」
と訊く。
 
「この後、新宿都庁を見たあと、羽田に移動して北海道に戻ります」
「飛行機は何時?」
「17時50分です」
「あんたパソコンは持ち歩いてる?」
「いいえ」
「それは残念。あんたいつまでこのビルにいるんだっけ?」
「あと10分したら集合場所に行きます」
 
「急用ができたからと言って、新宿はパスしなさい」
「そんな無茶な」
「羽田まで送って行ってあげるよ。17:50の飛行機なら17時前に着けば大丈夫だよね」
「うーん。ギリギリですけど」
 
「今から3時間ほどで曲を1つ書いてくれない?」
「え?」
「今日の夕方から録音作業を始めないといけない歌手の曲がまだできてないのよ」
「何という歌手ですか?」
「富士宮ノエル。営業政策上これ以上スケジュールを遅らせられないんだ」
 
思わずみんな顔を見合わせる。
 
「先生がノエルの歌を書いておられるんですか?」
「本当は木ノ下大吉先生なんだけどさ。こんなこと余所で言わないでよ。あの先生、もうほとんど曲が書けなくなっているんだよ。創作の源泉が尽きてしまっている感じ」
「・・・・・・」
「だからゴーストライターなのさ」
「もしかしてゴーストライターの下請けですか?」
「私も昨夜頼まれたんだよ。でも今日はついさっきまで別件で飛び回っていてさ。どこかで時間見つけて書くつもりだったんだけど、どうにも時間が取れなかったんだ。この後、別件の打ち合わせも1時間ほどあるし」
 
「歌詞つきですか?」
「うん」
 
「蓮菜書ける?」
と千里は訊く。
 
「ノエルちゃんが歌うような歌、書くのもちょっと面白そうだな」
と蓮菜は言った。
 

それでみんなでいったん25Fまで上り、そこで既に待機していた学年主任の寺田先生と副主任の河内先生の所に行って、雨宮先生が急用で蓮菜と千里を3時間ほど借りたいと話した。寺田先生と河内先生は、相手が有名な雨宮三森と知ると驚いていたようであった。展望室のあちこちで雨宮先生に気付いた見物客がこちらを見て騒いでいる。
 
寺田先生は雨宮先生の携帯の番号を確認した上で了承したが、テレビ局というシチュエーションでなきゃ信じてもらえない話だよなと千里は思った。 
それで蓮菜と千里が他の子と別れて、このテレビ局内のスタッフ専用エリアにあるカフェに入り、曲作りをすることになった。
 
最初に蓮菜が詩を書く。
「お、可愛い詩」
「ノエルちゃんなら、こんな感じでしょ」
「うんうん」
 
蓮菜は歌詞を15分ほどで書き上げ、推敲に入るが、同時に千里は作曲に入った。正確には最初から頭の中でイメージを探していた。蓮菜の歌詞の雰囲気だけ掴んだ上で、トイレに入る。トイレというのは結構アイデアが浮かぶのである。 
最初のモチーフをつかんだところで、テレビ局の中庭に出た。ここで千里は京都で自分の龍笛と交換した、不思議な少女の朱塗りの篠笛で、できた所までのメロディーを吹く。すると何度か繰り返すうちに唐突にサビが浮かぶ。よしこれで行けるという感覚で笛をやめるが、ふと周りを見ると何人もこちらを見ている。どうも写真も撮られていたようだ。確かに髪の長い少女が横笛を吹いている様は絵になる。どこかのタレントさんと思われたかな?などと思い、さっと退散してカフェに戻った。
 
蓮菜はほぼ推敲を終えていたが、まだもう少し調整したいようである。千里は自分が今組み立てたメロディーを五線紙に書いていく。だいたい書き終えた頃蓮菜の推敲も一応終了した。歌詞にメロディーを合わせつけていく。歌詞の文字数に合わせて音符を調整する。
 
歌がひととおり出来上がったのはこのカフェに入ってから1時間半後である。それから蓮菜とふたりで話し合い、更にこの歌に調整を掛けていく。
 
「ここはこうした方がいい」
と蓮菜が直接五線紙に書き込んでいく。
「確かにその方がいい」
というので、修正して行く。2時間近く経ち16時頃、雨宮先生が鮎川さんを連れてカフェに入ってくる。
 
「できた?」
「まだ清書してません」
 
「ゆま、これ見てMIDI打ち込める?」と雨宮先生が訊く。
「行けると思います」
「どう解釈していいか分からない所はあんたが適当に創作して」
「はい」
「あと、ゆまの感覚で、ここはこうした方がいいと思った所は歌詞も曲も修正していいから」
と言ってから、千里たちに「いいよね?」と訊く。
蓮菜も千里も頷く。
 
「では、そうさせてもらいます」
と鮎川さん。
 
「よし。それじゃそれ打ち込んで、18時までに★★スタジオに持って行って。私はこの子たちを羽田に送ってくる」
「はい」
 

それで雨宮先生はテレビ局の駐車場に駐めている先生の愛車・フェラーリの後部座席に乗せる。
 
「フェラーリに4シーターもあったんですね」
と蓮菜が言っている。
 
「2シーターでMRのエンツォフェラーリも持ってるけど、結果的にはこちらの4シーターでFRの612スカリエッティばかり使っているよ。スピード出す時はMRがコントロールしやすいんだけど、やはり4シーターが実用性は高い。エンツォフェラーリは飾っておくだけになってる。1億円もしたのに」
と先生は言う。
 
「まあ日本の道路ではフェラーリの性能が活かせるほどの速度を出したら免停くらいそうですね」
と千里は言った。
 
車は羽田に向けて出発した。先生はきちんと制限速度を守って走っていく。下り坂などで速度が一時的に上がっても、すぐに元の速度に戻す。
 
「先生、きちんと制限速度を守られるんですね?」
と蓮菜が言う。
 
「高岡がさぁ、馬鹿なことやって死んじゃったから、私も上島も含めて残ったメンバーで誓い合ったんだよ。どんな時でも速度遵守、飲酒運転・疲労運転は厳禁ってね。それ守ってるから私も上島もゴールド免許だよ」
「あれは悲惨な事故でしたね」
「あんたたち覚えてる?」
 
「中学生の時でしたけど、覚えてますよ。あの日朝から母の車で札幌まで行く所だったんですけど、カーラジオのニュースで聞いてびっくりしたんです」
「あいつがしばしば飲んでから車を運転していたのは知ってはいたんだけどさ、それ危ないからやめなよと注意はしてたけど、私たちも若かったから、あんな事故になるとまでは思ってなかったんだよ」
と先生。
 
「あ、そうだ。そっちの作詞者さんもさ、###銀行の札幌支店の口座作ってこちらに口座番号連絡してよ。印税振り込むのに使うから」
 
「はい!」
と蓮菜が返事する。
 
「そういえばあんた名前なんだっけ?」
「琴尾蓮菜です」
「どんな字?」
「楽器の琴に尾っぽの尾、睡蓮とかの蓮(はす)に、ナッパの菜」
と蓮菜は説明する。
 
雨宮先生は5秒ほど考えていたが
 
「じゃあんたのペンネームは葵(あおい)で」
と言う。
 
「えーーー!?」
「蓮(はす)も葵(あおい)も似たようなものよ」
「似てますか!?」
 
「じゃ、葵作詞・醍醐作曲ということで木ノ下先生の事務所のシステムには登録するから」
 
木ノ下先生は大量のゴーストライターを使っているので、それぞれの曲を本当は誰が書いたのかが膨大なデータベースになっていて、それで印税の計算と支払いをしているらしい。あとで聞いた話では、ゴーストライターをしている内に有名になってしまい、孫請けに出している人、複数の作曲家から孫請けしている人までいて、そのマージン計算まで代行しているので、かなり複雑らしい。印税や著作権使用料はレコード会社やJASRACから入金したら即日、その人の口座に振り込むシステムということであった。
 
「この曲今月26日ダウンロード開始だから印税が入るのが6月末。木ノ下先生の仕事の場合、即日そちらに入金されるはず」
「ありがとうございます」
「って今月26日発売の曲を今から制作するんですか!?」
 
今日は3月13日である。
 
「本当は1月制作の予定だったんだよ。木ノ下先生の都合で遅れに遅れたけどタイアップとかの関係もあって発売日は絶対にずらせなかったんだ」
 
「こんなのよくあることなんですか?」
「さすがに滅多に無い」
「ちょっと安心しました」
 
車はほんの20分ほどで羽田空港のターミナルビルに到着する。元々のお台場が羽田にかなり近いからであるが、東京の地理に不案内な蓮菜と千里は「あれ、もう着いたんですね」と驚いていた。
 
「これで間に合うかな?」
「間に合います。ありがとうございます!」
 
それで蓮菜と千里は雨宮先生と別れて、集合場所に移動した。
 

最後に羽田空港の出発ロピーでまたクラス単位の記念写真を撮った。記念写真は結局、根本中堂・金閣寺・伏見稲荷・法隆寺・ディズニーランド・皇居・羽田と7箇所で撮ったことになる。
 
千里はむろん全ての写真に女子制服で写っている。ディズニーランドのみショートヘア、それ以外の写真ではロングヘアのウィッグを使っている。
 
乗った機体は来た時と同じA300-600Rで、座席も来る時と同じ並び、蓮菜・千里・鮎奈・京子であった。この4人の場合、こういう並び方がいちばん自然な感じになる。
 
「旅行が終わったら、すぐ振り分け試験だね」
「それで2年のクラスが定まる」
「特待生や学内奨学金を受けてる人にとっても気の抜けない試験」
「旅行中も単語帳持ち歩いて歩きながら見ていた子や、宿で問題集やってた子もいたみたいね」
「受験の緊張感に慣れる意味合いもあるみたいね、振り分け試験って」
「予備校のクラス分けでやってるのも半分はそういう意味だよね」
 
「このメンツはみんな理系志望?」
 
2年では文系志望と理系志望でクラスが分けられる。
 
「取り敢えず私は東大理3のまま」と鮎奈。
「同じく理3」と蓮菜。
「私は理1」と京子。
「私は取り敢えずC大学理学部のままで」と千里。
 
「千里、今の成績なら東大理1狙ってもいいし、C大にするなら医学部を狙える」
と鮎奈が言う。
「千里って本番に強いしね」
と蓮菜も言う。
 
千里は特待生待遇を維持するために頑張って勉強しているので、この1年間、学年で20位以内をキープしているし、10位以内に入ったこともある。
 
「私、大学では今よりもっとたくさんバイトしないといけないと思うんだよね。東大とかあるいは医学部みたいな所に入って、バイトしながら勉強を続ける自信が無い」
と千里はこのメンツだから言える本音を言う。
 
「千里はやはりお金の問題がいろんなもののネックになっている」
 
「それに医者って私の性格には合わないよ」
「ああ。千里もかなりのムラ気だもんなあ」
「調子のいい時は名医になって、調子が悪い時は患者をたくさん殺すかも」
「いや、名医と呼ばれる人の中にはそのタイプがしばしば居る」
 
「千里って10日間あったら8日間ぼーっとしてて、残りの2日で他人の30日分くらいのことをしてしまうよね」
「不断の努力とかいう言葉とはいちばん遠い性格」
「バスケの練習でさえ、かなりサボってる」
「あはは」
 
「確かに医者には向かないかもね」
という声も出るが
 
「そういう性格はむしろ研究者向きかも。千里、医学部に行って医者じゃなくて医学の研究者になる道を選んだら?」
と京子。
 
「研究者への道は研究そのものよりライバルとの戦いが物凄く厳しい。大企業や中央官庁の出世競争と似た世界だよ。私、対立したらすぐ譲ってしまう性格だから無理」
と千里は言った。
 
「ああ、千里って他人とあまり喧嘩しないよね」
「バスケの試合中の闘争心が、普段の生活では全く出ない」
「へんな所で女性的なんだよなあ」
「研究者として大成する女性は、やはり闘争心も凄い人たち多いもん」
 
しかし蓮菜は言う。
「でも千里ってさ。貴司君に寄ってくる女の子は徹底排除してきたよね」
「うんまあ」
「千里は戦闘モードになれば割と平気で他人を蹴落とせるんだよ」
「ほほお」
「千里ってもしかすると車のハンドルを握ると性格が変わる人かも」
「千里の運転する車に乗ってみたいような怖いような」
「千里っておとなしく、ミラとかアルトに乗るタイプじゃなさそう」
「うん。千里はきっとNSXかGTR」
「あるいはポルシェかアウディか」
「そんなお金無いよ!」
 
「でもそしたら千里、将来何になるのさ?」
「私の性別では学校の先生とかは無理だろうしね。システムエンジニアかなあ」
 
「確かにその分野は仕事さえできれば性別はあまり問題にされないかもね」
「私たちみたいな子が仕事させてもらえる分野って、多分基本的に男社会ではあっても女性が多く進出している職業分野」
「あ、そうかも」
 
「でもシステムエンジニアなんて30歳までだよ。その後は体力がもたない」
と京子は言う。
 
「その後はお嫁さんになろうかなあ」
「ああ、それは良い手かも知れない」
 

旭川空港に着いて手荷物を受け取り、そこで集会をして一応解散とする。その後、バスに乗り込み、旭川駅と学校で降ろす。千里は駅で降りてから路線バスで帰宅した。
 
「あれ?女子制服を着てたの?」
と美輪子から訊かれる。
 
「初日の朝に男子制服を没収されちゃって」
「まあ、その方が問題は少ない気がするね」
 
などという会話を交わしてから
「あ、しまった! 男子制服を返してもらってない! 明日どうしよう?」
と千里は今になってそのことに気付いて言う。
 
今日は火曜日である。明日も一応学校がある。
 
「その女子制服で出て行けばいいんじゃない?」
と叔母は言った。
 
 
前頁次頁目次