【女の子たちの精密検査】(1)

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2006年9月。千里が高校1年の秋。
 
金曜日、部活を18時で早めにあがらせてもらった後、千里は女子制服を着て、ロングヘアのウィッグを着け、愛用の筮竹・タロット、そして龍笛を持って、旭川空港に向かった。羽田行き最終便に乗る。
 
到着ロビーで∞∞プロの谷津マネージャーと落ち合い、彼女の車で都内に向かった。
 
「ごめんね。こんな遅い時間に」
「いえ。いつもだいたい12時過ぎまで勉強してますし」
「偉いね!」
 
千里は先月1日、谷津と旭川市内で偶然会った時に、8月7日に上越新幹線沿線で有望なアーティストを見つけられると占った。その結果を受けて谷津は当日高崎に行き、そこでLucky Tripper というバンドとRed Blossom というバンドを見出し、両者をまとめてスカウト。合体させてLucky Blossom の名前でデビューさせることになった。
 
その件で少し相談したいことがあると言われて、千里は東京に呼び出されたのである。
 
「占ってもらう前に、彼らの演奏を聴いてもらいたいと思ってね。でも彼らまだ勤めている会社とかを辞めてないから、遅い時間帯にしか集まって演奏ができないのよ」
 
「全員お勤め人さんですか?」
「2人、大学生がいる。これはよほど売れて多忙にならない限りは卒業まで学校と掛け持ちでいいことにしている。でも会社勤めの人は辞めて専業になってもらう」
 
「会社勤めだと残業とか命じられた時の優先度の問題があるから難しいでしょうね」
「そうそう。学生さんは何とかなるけどね。それに会社側に兼業禁止規定がある所もあるからね」
 
「なるほど。でも谷津さんも大変ですね。こういう遅い時間帯に」
「ううん。音楽業界はだいたい時間感覚のずれてる人が多くてさ。だいたい一般の人と6時間ずれてる。昼の12時が音楽業界では朝、夜の12時が夕方くらいの感覚なのよ」
「なるほどー。すると23時でもふつうの人の17時の感覚なんですね」
「そうそう」
 

やがて都内の某スタジオに着く。中に入っていくとスタジオのメインフロアに12人の人が居る。
 
「12人のバンドですか?」
「ああ。メンバーは7人。他はうちやレコード会社のスタッフ」
と谷津は説明し、
 
「ちょっと演奏してみてもらえる?」
と声を掛ける。
 
「まず第1形態で」
と言われて、演奏者以外が外に出て演奏が始まる。千里やスタッフたちは副調整室の方でそれを聴く。
 
ギター2人、ベース2人、ドラムス、キーボード、そしてサックスが1人である。曲はオリジナル曲だろうか?千里の知らない曲であった。
 
ベースが2人居てどうなるんだろう?と思ったら、ひとりが根音を中心にリズムを刻み、ひとりはスラップ奏法などで演奏している。ギターの2人はリードギターとリズムギターという感じだ。サックスが基本的にはメロディーを担当し、そのバックアップをリードギターがしている。ドラムスを打っているのが女性で紅一点。これだけ男性メンバーが揃っていて、一番腕力の必要なドラムスが女性というのは変わっているなと千里は思った。
 
先日の電話で谷津さんはRed Blossomのリーダーの女の子がスター性があると言っていた。このドラマーがそのリーダーなのだろうか? しかし千里には、その子にそんなにスター性があるようには感じられなかった。むしろ、サックスを吹いている、イケメンの男の子の方にスター性を感じる。
 
それで千里は遠慮がちに言ってみた。
「ドラムスの人がリーダーですか? 彼女も良いかも知れませんが、むしろサックス吹いている男の子が凄くスター性があるように思うのですが」
 
すると、谷津さんの向こう側に座っていた25-26歳かな?という感じの女性が千里に言った。
 
「あんた、見る目があるね。あの子はスター性が強い。あの子を前面に押し出すことでこのバンドは売れると思うのよ」
 
谷津さんも頷いている。どうも雰囲気的にこの女性は作曲家さんか何かで、このプロジェクトのプロデューサーか何かであろうか?と千里は思った。
 
「でもね、あんたひとつだけ勘違い」
「はい?」
「あの子、男の子じゃないんだよね」
「へ!?」
 
ちょうど曲が終わったので谷津さんが少し笑いながら
 
「次に第2形態で」
と声を掛ける。すると、今サックスを吹いていた人が楽器を置き、歌い始める。その瞬間千里は
 
「嘘!?」
と言ってしまった。
 
その人は女声で歌っていた。
 
「あの人、両声類さん?」
「違う。女の子なんだよ」
「えーーー!?」
 
谷津さんが笑って説明する。
 
「いや私も最初男の子と思ったんだけどね。すっごく格好良いし。あの通り短髪だし。でも言葉を掛けてみたら女の子の声じゃん。あのぉ、ニューハーフさんじゃないですよね?と確認したら、よく間違えられるけど生まれながらの女ですって」
 
「へー! あれ?でもドリームボーイズのバックダンサーしてるとか、おっしゃってませんでした? あんなに短い髪の人、いましたっけ?」
 
「バックダンサーする時は普通の女の子レングスのウィッグ付けるらしいよ」
 
「そうだったのか!」
 
ああ。ウィッグの愛用者って結構居るんだなと思った。しかし自分ってやはり性別曖昧な人と縁が出来やすいのだろうか?
 
「ちなみにさ、私の性別知ってる?」
とその作曲家さん(?)は言った。
 
「え?女の方じゃないんですか?」
「私、男よ」
「嘘!」
 
谷津さんがまた笑っている。
 
「この人はワンティスの雨宮三森ですよ」
と谷津さんが言う。
 
「ああ! そうか!どこかで見たような気がしていたのですが。あれ?でも私、雨宮三森さんって女性だと思ってたのに」
 
「ああ、時々そう思い込んでいる人いるみたいね」
と雨宮さんは笑いながら言った。
 
何で今日はこんなに性別曖昧な人に遭遇するの!?
 

「まあ、それで千里ちゃんに占って欲しいんだけどね」
「はい」
 
「今聴いた、第1形態と第2形態、どちらが売れると思う?」
「つまり、あの格好良い女性が、サックスを吹くのと歌を歌うのですね?」
「そうそう」
 
「易を立ててみます」
 
それで筮竹の略筮方式で2つ易卦を立てた。
 
第1形態(サックス)は天雷无妄の上爻変。之卦は沢雷随である。
第2形態(ボーカル)は雷天大壮の三爻変。之卦は雷沢帰妹である。
 
「みごとに上下逆の卦が出ましたね。サックスの方は最初は戸惑いを持って受け入れられます。しかし次第に人気が出て来ます。ボーカルの方は最初から人気が出ます。しかしすぐに行き詰まります」
と千里は結果をまず結論から言った。
 
「あんたの占い、当たってると思う」
と雨宮さんが言う。
 
「そうですか?」
「だって、それ私の見方と同じだから」
 
「ああ、占い師さんは雨宮先生の意見に近いか」
とその向こうで40代くらいの男性が言っている。
 
「実はね、彼らのデビューに当たって、レコード会社側から、こういうバンドって女の子ボーカルを入れた方が人気出るから、サックスなんか吹かせないで、彼女、ゆまちゃんって言うんだけど、ゆまちゃんに歌わせるべきだという意見が出たのよ。それに対して、彼女のサックスの先生であるこの雨宮先生は、彼女にサックスを吹かせろ、ボーカルなんて要らないという意見でね。それで占い師さんに占ってもらいましょうよ、というので千里ちゃんを呼んだ訳」
 
と谷津さんが説明する。
 
「でも君の占いの精度を確認しておきたいな」
と(多分)レコード会社の人が言う。
 
「僕の愛用のボールペンが、今、背広の右ポケットか左ポケットに入っているんだけど、どちらと思う?」
 
すると千里は筮竹を1回だけ左右に分けて本数を数える。
 
「偶数なので陰、右です」
と千里は答える。
 
「残念不正解。左ポケットに入れたんだよ」
と言って男性は左ポケットからボールペンを出そうとするが・・・・
 
「あれ?あれ?」
と言っている。見つからないようである。
 
「吉田さん、もしかして右に入ってない?」
と雨宮さんが言うので、吉田と呼ばれたそのレコード会社の人は右ポケットを探る。
 
「・・・・あった」
と言ってボールペンを取り出した。
 
「吉田さんの勘が外れてるという証明にもなったね」
などと言って雨宮さんは笑っている。
 
「いや、参った。君、凄いよ!」
と吉田さんは少し千里を信頼する気になったようである。
 

「もうひとつ占って欲しいんだけど、今ベースが2人いるのよね」
「はい、珍しい構成だと思いました。でも椎名林檎さんの発育ステータスはベースが3人もいましたから、有り得ない構成ではないです」
 
「ああ、よくそういうの知ってるね。でもあまり一般的ではないでしょ」
「ええ」
「やはりベーシストは1人でいいと思うのよね。今演奏した2人の内、どちらがいいと思う?」
と雨宮さんが訊く。
 
ひとりは失職するのだろうか?とも思ったが、質問されたら占うのみである。タロットを1枚引く。
 
「女司祭のカード。女司祭はヘブライ文字ではギメル。Gですからギブソンのベースを使っている方」
 
さっきスラップ奏法をしていた方のベーシストである。
 
「ほほぉ。じゃ、もうひとりスクワイヤのベースの方は首にすべき?」
 
今度は筮竹で易卦を立てる。
 
「山雷頤(|::::|)。この易卦の形が管楽器を連想させます。何か管楽器を吹いてもらうといいと思います」
 
「ふーん。具体的には何がいい?」
「変爻が五爻に出ているんです。高音が出る笛だと思います。でも上爻ではないから、ピッコロではなくフルート」
 
「あんた凄いね。実は、スクワイヤのベース弾いてる子は木管楽器、何でもできてね。Red Blossomって実は元々木管四重奏で、そこではパートの都合でバスクラを吹いていたんだけど、実はフルートも上手いんだよ」
と雨宮さんが言う。
 
「彼にフルートかクラリネットを吹いてもらうのはどうだ?というのは、一部から出てましたね」
と吉田さんも言う。
 
「逆に相馬君の方は他にできる楽器が無いから、ベースを貝田君ひとりにする場合は解雇するか、あるいはパーカッションでも覚えてもらおうかという話になっていた」
と別の人(恐らく吉田さんの部下か?)が言っていた。
 

そのあたりで「お疲れ様」と言って、スタッフ一同、メインフロアに入る。
 
「君たちの編成について、この美少女占い師さんに占ってもらって決めたから」
と雨宮が言う。
 
「占いで決めるんですか!?」
 
と戸惑うような声。千里はポーカーフェイスだが、サックスの女の子が凄く熱い目をしているのを感じ取っていた。
 
「鮎川君はやはりサックスで行く」と雨宮さん。
「その方がいいです」とリードギターの人。
「歌の上手い女の子はたくさんいるけど、サックスこれだけ吹ける人は男女問わずそうそう居ないから」
 
「それからベースは相馬君だけにする」
と雨宮さん。
「確かにベース2人というのはやりにくいですけど、そしたら貝田の方はどうしますか?」
とリードギターの人。
「悪いけどクビだな」
 
一瞬みんなが沈黙する。
 
「待って下さい」とサックスの子が厳しい顔をする。
 
「冗談。貝田君にはフルートを吹いてもらう」
 
「良かったぁ」と本人が言うが
「雨宮先生。そういうことを冗談で言わないでください」
とサックスの子はマジ顔で言った。
 
雨宮三森といえば、数年前デビュー曲以来8連続ミリオンセラーというとんでもない実績を残した伝説のバンド・ワンティスの中心人物のひとりとして音楽業界の中でもある程度の影響力を持っているだろう。しかしその大人物に対して臆することなく、主張をするのは偉いと千里は思った。
 
「ごめん、ごめん」
 
「元々私たちは木管四重奏でしたからね」
「それがどんどんポップス方面に流れていったから」
「で、ギター・ベースを持って」
「一番リズム感の良いサキちゃんがドラムス打って」
 
ああ、なるほどリズム感の問題だったのかと千里は女性がドラマーになった理由を理解した。
 
「貝田は木管ならフルート、クラリネット、オーボエ、サックスと何でも吹けるから」
「バグパイプも経験あると言ってたね」
「パンフルートも持ってたよね」
「ウィンド・カルテットではバスクラに回ってたけどね」
「曲によってはテナーサックスを吹いて、鮎川君とサックス二重奏にしてもいいと思う」
と谷津さんが言う。
 
「貝田君が吹けない木管といったら、篠笛とか龍笛とか尺八とか?」
「ああ、そのあたりはやったことない。ケーナも経験無い」
 
そんなことを言っていたら、谷津さんが
 
「この占い師の千里さんは龍笛の名手」
と言う。
 
「へー」
「聴かせてよ」
 
と言われるので、千里は愛用の煤竹の龍笛を取り出した。
 
「それ、本格的な龍笛だね」
「30万か40万くらいしたでしょ?」
「38万円でした。出世払いということで買ったんですけど、実はまだ代金払ってません」
と千里は言った。
 
「いい声してる」
「澄んだ声だね」
という声がバンドメンバーからあがった。千里はここまでバンドメンバーの前で発言していなかったのである。
 
「女子高生?」
「あ、男子高校生です」
「お茶目なことを言う子だ」
「男子高校生が女装してここまで可愛くなったら、それはそれで凄いけど」
 
などという声が出る。雨宮さんなど
 
「君が男の子なのにこんなに可愛くなっているんだったら、僕は君に楽曲を提供してCDを出してあげたいくらいだよ」
などという。
 
ほほお。
 
でも一応本当のことは言ったからね〜、と千里は思い、一礼して龍笛を構えると、目を瞑って、心の赴くままに吹いた。
 
4〜5分ほど演奏してやめるが、しばらくみんな無言だった。そしてパチパチと凄い拍手をされる。
 
「凄い」
「きれーい!」
「今の何て曲?」
「分かりません。単に心が赴くままに吹いただけです」
「楽譜書ける?」
「書けますよ。書きましょうか?」
 
と言って千里はバッグの中からレポート用紙を取りだし、今吹いた曲を譜面に書いていく。
 
が、
 
「何それ〜〜〜!?」
という声が上がる。
 
《トラタル》とか《トリヒイ》とかいった文字が並んでいる。左右に色々と記号が付加されている。
 
「僕、読めるよ」
と鮎川さんが言うと、千里が書いた譜面を自分のサックスで吹いてみせた。
 
「凄い」
「確かに今の曲だ」
「何で読める?」
「譜面の読み方だけは習った。でも僕も龍笛は吹けない。篠笛なら音だけは出るけど、篠笛をフルートみたいに吹く感じになってしまう。和楽器は横笛も縦笛も本格的にはやったことないんだよね」
 
「ね、千里さんだっけ? この曲、僕らのデビューアルバムに入れてもいい?」
 
「ええ、構いません」
 
それでこの曲は『六合の飛行』のタイトルでLucky Blossomのファーストアルバムに《作曲:大裳》のクレジットで収録されることになる。
 

「でも鮎川君は、その《僕》ってのやめてくれない?」
と吉田さん。
 
「すみませーん。一応《私》って言うつもりではいるんですけど、普段はどうしても《僕》が出ちゃうんですよね」

 
「別にいいじゃん、一人称なんて」
と雨宮さん。
 
その後、このメンツで雑談モードになった。その内、ピザが出て来て、カレーライスも出てくるし、最後はケンタッキーまで出てくる。結局明け方まで話していたが、千里はバンドメンバーが熱く音楽を語るのを心地良く聴いていた。
 
「そうだ。この千里ちゃんたちも同級生でバンド組んでるんですよ」
と谷津さんが言う。
 
「へー。音源ある?」
「あ、こないだ録音させてもらったの。待ってね」
 
と言って谷津さんは荷物の中からUSBメモリーを取り出す。パソコンに刺して再生させる。
 
「おお、センスいいね」
「うん。演奏技術はまだまだだけど、センスがいいと思う」
 
「『浮舟』の龍笛は千里ちゃん?」
「はい、そうです。他の曲ではヴァイオリンを弾いています」
「なるほどー」
「龍笛は上手いけど、ヴァイオリンは下手ね」
「すみませーん」
 
「他にも何か楽器弾ける?」
「えっと、ピアノとフルートくらいです。笙も少し習いましたが、まだまだです。でも私、リコーダーとかハーモニカが吹けないんですよねー」
 
「フルートや龍笛が吹けて、リコーダーやハーモニカが吹けないというのは理解不能」
 
「縦笛がダメだとか? クラリネットは吹いたことある?」
「本格的に練習したことはないですけど、吹奏楽部の友だちに、やってみてごらんよと言われて借りて吹いてみたら、一応ドレミファソラシドは出ました」
 
「それいきなり?」
「はい」
「普通は音が出るまで一週間かかる」
「えー!? そういうものなんですか?」
「君、ほんと不思議な子」
 
「フルートは龍笛のスキルから想像が付くけど、ピアノはどのくらい弾くの?ちょっとそこのピアノ弾いてみてよ」
と言って、スタジオ内に置かれているスタインウェイの巨大なグランドピアノを指し示される。
 
「えっと、何を弾きましょうか?」
「んーじゃ、これ」
 
と言って、キーボードを弾いていた人(真申さん)が譜面を渡す。
 
「はい。ではピアノお借りします」
と言って、千里は譜面立てに楽譜を置き、弾き始める。何だか躍動感のある曲だ。演奏は5分ほどで終わった。
 
「上手いね」
「というか、よく初めて見た譜面をいきなりそこまで弾けるね」
「というか、今譜読みせずに、いきなり弾いたよね?」
 
「あ、それ友だちからも変だって言われます。普通は譜面を1回読んでから弾くって。でも私、読んでみたからと言って何かが変わる訳でもないんですよね〜」
 
「やはり君、変だ」
と雨宮さんやバンドメンバーみんなから言われた。
 

最後は曲順や曲想の相談までされた。
 
「この曲とこの曲のどちらかを先頭に置こうと思うんだけど、どちらがいいと思う?」
と言って2曲音源を聴く。
 
「1曲目は雷山小過、2曲目は沢山咸。2曲目がいいですね」
 
「うんうん。その意見の方が強かった。曲としては美しいんだよね。でも2曲目はインパクトが弱いという説もあってさ」
 
「初爻変で之卦が沢火革。下克上。ドラムスとかベースとか、普段は裏方に徹している楽器が主役になってみるとか?」
 
「あ、その手は使えるかも知れん」
 
この曲は結局新たに鮎川さんが書いたベースソロで始まる曲に改造されることになる。
 
「鮎川君の衣装をね。ドレッシーな系統と、キュートな系統のと、どちらがいいかというのも意見が別れているんだけどね」
 
「震為雷。雷という卦は少年を表すんです。むしろ少年っぽい服が鮎川さんには合うと思います。」
 
「僕、そういうのが好き!」
と鮎川さん本人。
 
「あまりスカートとか好きじゃないんだよねー」
 
「俺もそれに賛成です。女装の鮎って、見てて落ち着かないと思う」
とリズムギターの鈴木さん。
 
「女装になるんだっけ?」
「鮎は男っぽい服装で標準」
 
「ゆまって、トイレの場所訊くと、男子トイレにしばしば案内されちゃう子だからね〜」
とドラムスの咲子さんも言っていた。
 
レコード会社の人は悩んでいたが、雨宮さんが
 
「よし。ゆまには軍服を着せよう」
 
と言って、その路線で決着した感じであった。
 
結局、Lucky Blossom で鮎川さんは、しばしば将官風の服とか、パイロット風の服とか、「格好良い制服を着た男性」のような衣装が多く、それが彼女のトレードマークのようになっていた。もっともそういう服ではあっても必ずスカートかキュロットを穿かされていたが!
 

千里たちの学校では9月下旬に音楽祭が行われた。
 
合唱部・吹奏楽部・軽音楽部のステージが行われる他、3学年18クラスが合唱または楽器で15分枠の演奏をする。多くのクラスでは誰かがピアノを弾いて、それに合わせてみんなで合唱するというスタイルで出るようである。若干、ギターやヴァイオリン、また管楽器などを入れるクラスもあるようであった。
 
千里たちの1年5組は孝子のピアノ伴奏で混声四部合唱をするということであっさり決まってしまった。布施君が指揮をする。曲目は音楽の教科書に載っている『帰れソレントへ』、ポルノグラフィティの『メリッサ』、松原珠妃の『硝子の迷宮』の3曲である。
 
「みんな自分のパートは分かるよね?」
 
「ボクは何だろう?」
などと千里が言うものの
「千里はソプラノ」
「音楽の時間もそこに居るじゃん」
とあっさりみんなから言われ、そちらに引っ張って行かれる。
 
このクラスでは大半の生徒が芸術は音楽を選択している(*1)ので、みんなだいたいその時入っているパートに行くのだが、何人か美術を選択している子が音域不確かということで、キーボードの音に合わせて声を出してもらって確認していた。
 
(*1)進学・特進クラスで1年4組・5組は音楽、6組は美術・書道だが人数の都合で美術でもこちらに組み込まれている子がいる。
 
ステージ上では上手側からバス・テノール・アルト・ソプラノと並ぶので、千里たちソプラノはピアノにいちばん近い場所で歌うことになる。
 
前の週のLHRの時間を使って1時間練習しただけで本番となる。
 

「当日はみなさん、冬服を着て下さい」
という伝達がある。
 
この時期の北海道は結構涼しいのだが日によっては暖かい日もあるので夏服と冬服が入り乱れている時期である。この学校では一応10月初旬の連休までが移行期間ということになっている。
 
「合唱だから、みんな服が揃っていた方がいいよね」
 
「千里は女子制服を着てよね」
「えー?なんで−?」
「だってソプラノの列にひとりだけ男子制服が混じっていたら変」
「ボク、テノールに行こうかなあ・・・」
「千里の声は音域的にメゾソプラノなんだよね。テノールに混じられたらオクターブ高いからハーモニーが乱れる」
「だいたい声変わりしたくないから小学4年生の時に睾丸取ったんでしょ?」
 
なんかまた勝手な噂が生産されているようだ。
 
「ま、いっか。じゃ女子制服着てくるよ」
 

それで当日千里が自宅で朝から女子制服の冬服を着ていると、叔母から
「あれ?今日はその服で行くの?」
と訊かれる。千里はここしばらく男子制服の夏服を着て学校に行っていた。
 
「うん。そろそろ衣替えだし」
「なるほど。衣替えね〜」
と言って美輪子は微笑んでいる。
 
「でも今日は音楽祭で、クラスで合唱するから冬服で揃えてくださいと言われたんだよ。私、ソプラノだし」
と千里は言う。
 
「ああ。ソプラノの子はだいたい女子制服着てるだろうね」
と美輪子。
 
「うん」
と言って千里も微笑む。
 
「毎日音楽祭があったら、千里、毎日その服で出て行くことになるね」
「えへへ」
 

音楽祭は最初に合唱部の演奏(夏のコンクールに出た曲目+襟裳岬:森進一版)があった後、吹奏楽部の演奏(こちらもコンクールに出た曲目+ソーラン節)があり、その後、各クラスごとの演奏になる。演奏順はシャッフルされていて1年5組はお昼前の順序であった。
 
「襟裳岬というと今はたいてい森進一が歌った歌を連想するけど、それ以前は島倉千代子が歌った別のメロディーの歌があったんだよね」
と蓮菜が言う。
 
「へー、それ知らないや」
「実際の襟裳岬に行くと両方の歌碑が立っているよね」
 
「ソーラン節はだいぶ踊らされたなあ」
「ああ。小学校の運動会とかでも踊ったね」
 

やがて1年5組の出番が来る。前のクラスの演奏が終わってステージを降り、代わって千里たちが舞台袖からステージに進む。段が2段作られていて3列になって並ぶ。孝子がピアノの前に座る。布施君が左手を振り、それを見て孝子が前奏を始める。Cm(シーマイナー)の分散和音を三拍子で2回繰り返した後、布施君は右手も動かし、みんなで歌い出す。
 
『帰れソレントへ』はイタリアの古い歌謡曲である。原曲はEmなのだがそれだと上のソまで使うので結構苦しい。ミかファまでしか出ないという子は多い。Cmだとミ♭までで済むので随分歌いやすくなる(実は伴奏も変化記号が少なくて楽になる)。
 
次のポルノグラフィティの『メリッサ』はAmの曲でラからラまで1オクターブ使う曲であるが、これもCmに移調してドからドで済むようにした。またこの曲は実は混声4部のスコアが入手できなくてソプラノ・アルト・男声という混声3部で歌っている。
 
最後に歌った松原珠妃の『硝子の迷宮』は、メロディ自体が4オクターブ近い音域を使うというとんでもない曲である。松原珠妃はその4オクターブをマジで1人で歌っているのだが、蓮菜が入手してきた(どうも田代君経由っぽい)スコアはこれをバス・テノール・アルト・ソプラノの4パートが分担して歌う形にしていた。裏方になることの多いバス・アルトの子にはちょっと楽しい曲だ。それでも下の方、上の方は出る子が少ない。結局サビ2にある超高音部分は、孝子のピアノで代替することにした。
 

演奏が終わってステージから降りたら
「そのままこちらに来て」
と言われて、体育館ロビーの校旗が壁に貼られている所に誘導される。ここにもステージと同じように段が作られている。
 
「さっき歌った時と同じように並んで」
と言われて3列に並ぶ。
 
「では記念写真撮ります」
と言われて撮影される。えっと。。。。
 
「これも卒業アルバムのDVDに収録しますし、明日から学期末までの間、学校サイトの1年5組専用エリアからもダウンロードできるようにしますので」
と言われた。
 
私、女子制服のままだけど、いいのかなあ、などと千里は思った。
 

千里たちの学校は2学期制なので、1学期の期末テストが9月中旬に行われ、10月頭の連休前10月6日に終業式が行われる。そして連休明けの10日が2学期の始業式である。
 
この2学期から一部の生徒のクラス移動が行われた。
 
1学期終了直前に行われた振り分け試験が優秀な生徒で本人が希望する場合、ビジネスコース・情報コースから進学コースへ、また進学コースから特進コースへの移動が行われ、また進学・特進に居たものの振り分け試験も期末テストも成績が良くなかった者は特進・進学からビジネスか情報へ移動されている。特進から進学へのランクダウンもある。
 
これに伴って、1〜3組で進学コースに移動した生徒が4〜6組に移動になり、4〜6組でビジネス・情報に移動したものが1〜3組に移動になった。
 
千里のクラスメイトの中にも数人、1〜3組行きになった子がいる。
 
「えーん。寂しいよぉ」
「勉強頑張ってね。また2年生で同じクラスになれたらいいね」
「うん。頑張る」
 
「ああ、2組行きか。どうせなら俺1組に行きたかったな」
などと言っている男子もいる。
「1組は女子クラスだから、性転換しないと行けないだろうね」
「あんた、性転換手術受ける?」
「興味ないこともないなあ。村山、お前性転換したんだろ?病院紹介してくれよ」
 
「取り敢えず女子制服を作ったら?」
と千里は言うが
 
「千里こそ、ちゃんと女子制服着て授業に出るべきだよな」
という声も掛かる。
 

千里の友人たちの中では同じ中学出身であった恵香が情報処理コースから進学コースに移動になり、3組から4組に移動して来た。
 
「恵香頑張ったね」
「うん。自分でも頑張ったと思う。来期は特進目指す」
「おお、頑張れ」
「今期も可能な限り特進向けの授業に出席するから」
「凄い凄い」
 
進学コースの生徒でも本人が希望すれば(座席に空きがある場合)特進向けに行われている0時間目の授業や土曜日の授業を受けることは可能である。今学期恵香と同じクラスになる4組の花野子などが1学期からそうやっていた。花野子は2学期では特進に移動したかったようであるが、残念ながら試験の成績が足りなかったようであった。
 
なお自分では進学コースにギリギリで入ったし来期はやばいかもと言っていた留実子は特に落とされることもなく、進学コースのままで、クラスも千里たちと同じ5組のままであった。前期に受けていた奨学金も継続である。留実子は試験でよく勘が働くので実力以上の点数を取る傾向がある。
 

スポーツ特待生にとっても振り分け試験は重要である。授業料全免のためにはこの試験で20位以内、半免には50位以内に入っていなければならない。野球で入った特待生の子で千里と同級生の子が「60位だった!母ちゃんに叱られる!」
などと言っていた。
 
バスケ部では千里は17位で全免を維持した。暢子も42位で半免を維持し、特待生ではないものの奨学金を受けていた寿絵もその資格を維持した。しかし男子で北岡君は40位で半免維持したものの、氷山君は71位で授業料免除の特典が一時停止になった。
 
「氷山君、学校、辞めたりはしないよね?」
「うん。父ちゃんから叱られたけど、取り敢えず授業料は出してくれるって。でも勉強も頑張らないといけないなあ」
 
来期50位以内に復帰できないと、特待生の資格自体を失うことになる。
 
なお、成績特待生の蓮菜は振り分け試験3位の成績で、余裕で特待生資格を更新した。この試験の1位は6組の浜中君、2位になったのが鮎奈であった。3人とも東大理3を志望校にしている。しかし成績特待生で入ったものの授業料全免に必要な成績10位以内に入れなかった子もいた。
 
結局、スポーツ特待生・音楽特待生・成績特待生として入学した合計20人の内、この最初の振り分け試験で早速8人が授業料免除の恩恵を失い、4人が全免から半免に変更になった。
 
「特待生12人の内女子が8名、男子4名だって」
「やはりこの学校は女子が強い」
「ところでその中で千里はどちらに分類されてるんだっけ?」
「当然女子のはず」
「やはりねー」
 
結局千里の学籍簿上の性別は女子のままになっているようである。
 
逆に特待生で半免から全免になった子もいるし(音楽コースの麻里愛がこのケース)、特待生ではないものの、成績10位以内に入って自動的に奨学金を支給(返済不要)されることになった子もいた。千里と同じクラスの孝子などがこのケースである。
 

N高校の2学期が始まってすぐ、バスケットの秋の大会が始まる。
 
春の大会の頂点は夏のインターハイだが、この秋の大会の頂点は冬のウィンターカップである。高校3年生にとって最後の大会になるのだが、千里たちのN高校は進学校なので、特進組・進学組は(一部の特例を除いて)部活は2年生で終わり、それ以外の子も夏で終わっている。
 
それで今回の大会では1〜2年生で編成したチームで臨むことになった。キャプテンも男子では3年の黒岩さんから2年の真駒さんへ、女子では3年の蒔枝さんから2年の久井奈さんへバトンタッチされる。久井奈さんは千里と留実子が中3の秋に学校訪問した時、バスケ部に入ってよと声を掛けてくれた人である。千里はせっかく彼女が声を掛けてくれたのに、女子バスケ部ではなく男子バスケ部に入ってしまったことで、少し気が咎める思いをしていた。
 
そのことを更衣室で着替えている時にふと口にしたら
 
「気が咎めるなら、今度の大会からは女子の方に参加してよ」
と久井奈さんから言われてしまった。
 
「千里は実際女子ですよ。病院で検査した結果ですから間違い無いです」
と暢子が言う。
 
「千里はJなんとかって公的機関の検査官にも女子と認められてます」
と同じ1年の寿絵にも言われる。
 
そして更に小さい頃からの親友である留実子にまで
「千里とは私、中学の時に何度か一緒にお風呂入っているから、女の子であるのは間違い無いです」
などと言われる。
 
「でも今回、私、協会に戸籍抄本提出して男子だと認めてもらいましたから」
と千里は弁明する。
 
6月の大会で協会側が千里の性別に疑問を呈してきたので、先日戸籍抄本を提出して、確かに男子であるとして、今回の秋の大会には男子チームへの出場が認められている。
 
「戸籍がそうだとしても、実態が女だからね」
「千里は生徒手帳の性別も女になってますよ」
「だいたい、いつもこうやって女子更衣室で着替えてるし」
「トイレも女子トイレ使ってるし」
 
「男子更衣室からも男子トイレからも追い出されるんですよー」
と千里は弁解するが
 
「そりゃ、女なんだから当然」
と言われてしまう。
 

 
そういった議論はあったものの、千里は取り敢えずこの大会では男子チームに参加し、シューティングガードとして活躍。チームは順調に地区大会を勝ち上がり、北海道大会に駒を進めた。むろん女子チームも順調に勝って北海道大会に行く。
 
そして北海道大会には貴司のいるS高男子バスケ部も進出していた(S高女子は今回地区大会決勝戦で敗退した)。S高校は進学校ではないので3年生もこの大会に参加しており、キャプテンは3年生の山根さんだが、実質的なS高の中心選手は2年の貴司である。
 
そしてS高校とN高校は今回、1回戦で激突してしまったのである。
 
試合前日、千里は貴司と電話で話した。
 
「今回、最悪の組合せだね」と貴司。
「うん。でも、どっちみちウィンターカップはどちらかしか行けないからね」
と千里。
「確かにどこで当たるかだけの問題ではある」
 
北海道はインターハイは代表2校だが、ウィンターカップは代表1校である。
 
「でも貴司が相手なら私も戦い甲斐があるよ」
「まあ、僕は負けないけどね」
「今度こそ貴司を倒す」
「まあ、全力で掛かって来い」
「当然」
 
「それでさ」
「うん」
「僕が勝ったら、やらせろよ」
「いいよ。じゃ、私が勝ったら私を抱いてよ」
「何か同じことのような」
「じゃ貴司が勝ったらフェラしてあげる。私が勝ったら、お風呂場から部屋まで私をお姫様抱っこ」
「OKOK」
 

そしてS高対N高の試合は始まった。
 
ティップオフはS高の佐々木さんが勝って貴司が速攻で攻めてくる。そこに千里が立ちふさがる。貴司は無理せず清水君にパス。清水君から山根さんにパスが渡り、山根さんがゴール下に進入してシュート。
 
しかしN高北岡君のブロックが決まる。こぼれ球を拾った氷山君が真駒さんにパス。攻め上がる。千里にパスが来るが、当然貴司が猛烈にチェックに来る。構わず撃つが貴司が指で弾いて軌道を変えてしまう。
 
そのボールをS高の田臥君が確保してドリブルで運んでいく。そして佐々木さんにパスするが一瞬早く佐々木さんの前に立ったN高の真駒君が横取り。北岡君にパスして北岡君がフロントコートに運ぶ。千里のそばに貴司が居るのを見て、氷山君にパス。氷山君が撃つが、S高の清水君のブロックが決まる。
 
試合はそもそもなかなか点数が入らないまま進行した。
 
試合開始後4分も経って、やっと田臥君の3ポイントが決まってS高が先制する。その後も両者なかなか点数を入れられない状態が続き、第1ピリオドを終わって、S高7点対N高6点、という信じがたいロースコアであった。
 

「村山、物凄く消耗してるな」
と真駒君が心配する。千里は激しく呼吸をしていた。
 
「大丈夫です。行けます」
と千里は言い、スポーツドリンクを1本一気飲みすると、第2ピリオドに出て行った。
 
試合ではとにかく千里のシュート、パスをことごとく貴司が邪魔した。しかし、貴司のシュートもことごとく千里が邪魔するし、1度は貴司がドリブルしているところを死角から忍び寄って千里がスティール。貴司はものすごく悔しそうな顔をしていた。
 
普段なら貴司も千里もチーム得点の半分くらいを稼いでいるのに、この試合では第2ピリオドを終えても、2人とも無得点であった。
 
「村山が封じられているな。代わりに落合を入れる?」
と2年生の白滝さんが言う。
 
「とんでもない! 村山君でさえ封じられているのに、僕では歯が立ちませんよ」
と1年生シューティングガードの落合君。
 
しかし宇田先生は言った。
「流れを変える意味でも第3ピリオドは落合を出そう」
 
それで第3ピリオドは千里は休み、代わりに落合君が入った。貴司はそのまま出ている。そして落合君のシュートは全て貴司が叩き落としたし、そもそも落合君へのパスがなかなか通らなかった。
 
「全然フリーになれないな」
と同じく第3ピリオド休んでいる氷山君が言う。
 
「でも村山もフリーにしてもらえなかった」
 
一方貴司はこのピリオドやっと得点をすることができた。貴司の巧みなフェイントに、1年生の北岡君だけでなく、2年の真駒さん・白滝さんも引っかかる。それでこのピリオド、貴司の活躍でS高が30対18と突き放した。
 

「ごめんなさい。ちょっと格が違った」
と落合君は疲労しきった声で言った。
 
「大丈夫。ボクが倒すから。第3ピリオド休ませてもらって体力回復した」
そう千里は言い、第4ピリオドに出て行った。
 
N高が攻める。真駒君から千里にパスが来る。
 
貴司が突進してくる。すると千里はドリブルで貴司に向かって行った!
 
(本当はこういうペネトレイトをするのもSGの役目である。ただし千里はたいていスリーを撃つし身体も小さいので、少なくとも強い相手との試合ではほとんどペネトレイトを見せない。なお、スリーよりペネトレイトの方が得意なSGはスラッシャー型と呼ばれる)
 
一瞬貴司が「え?」という顔をして戸惑った。その意識的な隙を突いて貴司の右側を抜き貴司の向こう側に回る。そして貴司が振り返る間に撃つ。
 
ここはスリーポイントラインより内側である。千里が敢えてそんな場所から撃つというのは貴司の想定外だったようであった。
 
きれいに決まって2点。
 
貴司が千里を睨み付ける。こちらも睨み返す。
 
S高が攻めてくる。ドリブルしている貴司の前に千里が立ちはだかる。貴司は自分のフェイントが千里に通じないのは知っている。しかし貴司はフェイントなど入れずにそのまま突込んできた。千里はそれにひるまず迎え撃つように貴司の方に向かって間を詰める。
 
当然両者激突。
 
笛が鳴る。
 
貴司のチャージング、千里のブロッキング、両方が取られてダブルファウル。両者激しく睨み合ったが、ここで審判が更に笛を吹く。
 
「テクニカルファウル」
 
あ、しまった!と貴司の顔。千里もやばかったと後悔する顔。相手チームに対する無礼な行為はテクニカルファウルの対象である。
 
ここまで貴司は2度のファウルを取られていた。千里も1度ファウルを取られていて、貴司はこれで累積4個、千里は3個になる。貴司はあと1度ファウルすると退場である。
 
S高のスローインで再開。佐々木さんがシュートしたのをN高北岡君がブロック。氷山君が運んでいき、千里にパス。当然貴司がチェックに来る。貴司は次にファウルしたら退場だからといって全くひるまない。全力チェックである。千里が撃つ。貴司は停まりきれずにに千里にぶつかりかけたが、千里は巧みに身体をかわして接触を避けた。
 
千里のシュートは決まって7点差。
 
貴司が千里を見詰める。そして小声で「勝負事に情けは禁物」と言う。「分かってるよ」と千里は小声で言った。
 
その後お互いに6点ずつ取り合う。
 
S高が攻めて来る。また貴司の前に千里が立ちふさがる。千里の前で貴司が停まる。ドリプルしながら次のアクションを選択している。氷山君が死角から寄って来てスティールしようとするが貴司は気配で気付いて反対側の手にドリブルを移す。そして、氷山君がふたりの間に入った隙にそのまま貴司はシュートした。
 
しかし千里はそれを読んでいてジャンプ。空中ではじいて、真駒さんの居る方角にボールを飛ばす。真駒さんが速攻で攻め上がる。そしてそのままゴール下まで進入してシュートするがブロックされる。そのボールを北岡君が拾い、再びシュートしようとする。ここで貴司のブロックが決まった。
 
と思ったが、笛が鳴る。
 
貴司の手が北岡君の手に触れたようであった。貴司のファウルが取られて北岡君のフリースロー。
 
しかしこれで貴司はファウル5個になり退場になってしまった。
 
不満そうな顔で退場する貴司。そして千里も不満そうな顔でそれを見送った。
 
北岡君のフリースローは1本目は決まり2本目は外れたが、リバウンドを確保した氷山君が千里にパス。撃ってシュート成功。これで3点差。
 

残りは1分である。S高がゆっくり攻めて来る。どうかしたスポーツなら時間稼ぎして逃げ切るが、あいにくバスケでは24秒ルールがある。24秒以内にボールがゴールリングに触れない限りヴァイオレーションを取られる。
 
佐々木さんが攻め込んでくる。千里がマッチアップする。しかし佐々木さんは千里が目の前に来ただけで嫌そうな顔をした。中学時代から、佐々木さんは千里にマッチアップで勝てたことがないのである。
 
そしてその嫌そうな顔をした隙を狙ってボールをスティール。自らドリブルして速攻で攻め上がる。そして3ポイントラインのぎりぎり外側まで来た所でピタリと停まる。そこから身体全体のバネを使ってシュート。
 
きれいに決まって3点!同点!
 

残りは26秒。何とも微妙な時間である。しかし同点だからS高は攻めざるを得ない。今度は清水君がボールを運んで来る。北岡君がその前に立ってマッチアップ。フェイントを数回入れてから突破しようとするが北岡君は騙されない。無理かと思ったところでボールを真横に投げる。田臥君が居る。千里がチェックに行く。構わずシュートするが千里が指ではじいて軌道を変える。落ちていくボールを氷山君が確保。
 
残り13秒で速攻。全力で走って白滝君にパス。白滝君がゴール下からシュート。佐々木さんがブロック。リバウンドを千里が取り、そのままシュート。外れる。しかしそのリバウンドを更に北岡君が取ってシュート。佐々木さんのブロック。と思った所で笛。
 
しかしそれは試合終了ではなく、佐々木さんがファウルを取られた笛であった。
 
時計はもう1秒である。
 
北岡君がフリースローをする。これで決めたい。
 
1本目。外れる。
 
2本目。北岡君が何度もボールを床に打ち付けている。そして構えてシュート!
 
決まる。逆転!勝った!!
 

両軍ともクタクタに疲れていたが整列する。
 
「37対36でN高校の勝ち」
 
千里は居並ぶS高のチームメンバー全員と笑顔で握手した。貴司とは握手した後、お互いに肩を叩き合った。
 
ベンチに引き上げてきたところで宇田先生から言われる。
 
「にらみ合いでテクニカルファウルを取られたのと、相手がファウルになりそうだったのをわざわざ無理な体勢で回避したのと、始末書」
「はい。申し訳ありませんでした」
 
「あの回避はかなり危険だったぞ。あれで、ねんざでもしてたらどうするつもりだった?」
「はい、今後気をつけます」
 
 
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【女の子たちの精密検査】(1)