【女子大生たちの天体観測】(1)

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2009年7月18日。
 
塾の夏期講師の仕事を終えた千里はいったんアパートに戻ると、講師をする間着ていた背広(貴司からの借り物)を脱いで、普段着の半袖ポロシャツと膝丈スカートに着替え、既に昨日の内に準備していた旅行カバンを持って出かける。 
普段なら自分のインプレッサを近くの駐車場に持って来ているので、それを使うのであるが、今回は事情で使えない。それでバスで千葉駅まで出て更に電車で東京まで出て、東京駅近くのレンタカー屋さんに入る。
 
「予約していた村山と申しますが」
と言ってレンタカー屋さんの会員証を提示する。
 
「ありがとうございます。エスティマ・ハイブリッドをマンスリーでレンタルですね」
「はい。それでお願いします」
「免許証を拝見します」
 
それで免許証を見せる。免許証の写真と千里本人を見比べている。免許証の写真はセミロングヘアで写っている。今日の千里のウィッグもセミロングヘアなので問題無く同一人物と認識したようだ。
 
まあ、写真も実物も男には見えないよね?
 
「この春に免許取得なさったんですね。これまでレンタカーをご利用になったことは?」
「マツダレンタカーでRX-8、日産レンタカーでエルグランドを運転したことがあります」
 
どちらもまだ免許取る前だったけどね!
 
「なるほど。免許を取得なさってから何kmくらい運転なさってますか?」
「ちょうど1万kmくらいだと思いますが」
「それは凄い! ご自身のお車はお持ちですか?」
「ええ。インプレッサ・スポーツワゴンを使っています」
「そういう車を運転なさっているのなら安心ですね」
 
千里がまだ若葉マークで未成年でもあるので、営業所の人もこちらの腕を少し確認したくなったのであろう。こちらの経験が少ない場合は3年程度以上の経験者の同乗を求められることもあるとは聞いていた。
 
「若葉マークはお持ちですか?」
「はい。持参しています。車にカーナビ・ETCは付いてますよね?」
「はい、付いております。ETCカードはお持ちですか?」
「ええ。たくさんお世話になっています。休日の夜間にはよく走るので」
「なるほど、なるほど」
 
お店の人は千里をかなり好感した雰囲気であった。
 

お支払いのカードは?と訊かれるので、千里がカードを出すとギョッとした雰囲気があった。ANAのマイレージカードも一緒に提示する。
 
「お預かりします」
とお店の人は冷静に言って、貸し出しの手続きをしてくれた。
 
何かこのカードで信頼度が更に上がった雰囲気もある。どこかの金持ちの娘と思われたかも知れないなあと千里は思った。あまりこのカードは使いたくないのだが、エスティマを1ヶ月借りる料金はこのカードでないと決済できないのだ。 
「お車はこちらでございます」
と言って、駐車場に案内してくれる。車の周囲を一緒にぐるりと回って目立った傷が無いことを確認する。
 
それで千里は書類にサインして、車に乗り込み、ETCカードをセットしてエンジンを掛け、カーナビに最初の目的地を指定して、お店の人の見送りを受けて出発した。 

最初に都内某所の駐車場に行き、自分のインプから常備品を移す。非常食、簡単な調理器具やプラスチックの食器・箸、地図、ブースターケーブル、ガラコ、インバーター、ボックスティッシュ、予備の着替え、毛布などである。更に、スーパーに行って長旅用の食料品や飲料水に乾電池なども仕入れた。エスティマの荷室が一杯なので、一部は助手席の座席の下にも置く。
 
そして時計を見て、ジャスト午前0時に中野駅前に車をつける。
 
「お早うございます」
と千里は車を降りて言った。
 
「うん。お早う」
と雨宮先生が言う。
 
「あれ?ドライバーって女の子なんだ?」
と上島雷太が言う。
 
「ああ、女の子に見えるけど男だから」
と雨宮先生。これは浮気性の上島さんから千里を守るために言ってくれた感もあった。千里としても、上島さんと万一のことがあったら、長年のクライアントである春風アルトさんに申し訳ないという思いがある。
 
「へー!そうなの? ありありなし?」
と上島さんが訊くと。
「ありありありだよ」
と雨宮先生が答える。
 
「なーんだ。まだ付いてるのか」
と上島さんはがっかりした雰囲気。やばいやばい。雨宮先生はバイだが上島さんは男には興味が無いようである。そして女とみたら雨宮先生もすぐ口説くが上島さんの場合は口説かれたと思ったら寝てた!という話もあるくらい素早い。 

ふたりを乗せて出発する。雨宮先生が2列目、上島さんが3列目に乗った。 
「夜通し走りますので、適当に寝ていてください。毛布も適当に使って下さい。先週洗濯しておきましたから」
 
「うん。適当に寝てる」
と上島さん。
 
「私も寝てていいよね?」
と雨宮先生。
 
「はい、どうぞ」
「千里も寝てていいから」
「はい。寝ておきます」
と千里が答えると、上島さんが「え〜〜!?」と言っている。
 
雨宮先生が
「この程度で驚くというのは、雷ちゃん、修行がなってない」
と笑って言っていた。
 

千里はカーナビの指示に従って道路を南下し永福出入口から首都高に乗り、そのまま高井戸ICを通って中央道に入る。雨宮先生と上島さんは飲んでいたようで、ふたりともすぐ眠ってしまう。それで千里も
 
『じゃ、こうちゃん、よろしく〜』
と言って身体を《こうちゃん》に預けて眠ってしまった。
 
7月19日朝6時過ぎに西宮名塩SAに駐める。《こうちゃん》が少し前から千里に起きろと言ったので、手前10分くらいから千里は覚醒していた。千里が寝ている間に《こうちゃん》と《きーちゃん》が交替で運転してくれたはずである。 
「休憩するの?」
と少し前から起きていたふうの雨宮先生が言う。
 
「はい。トイレ休憩と給油です」
「もうガソリン無くなった?」
「半分くらいしか消費していませんが、中国道は給油できる場所が限られているので」
「確かにね。ついでに朝御飯食べよう」
「はい」
 

それで上島先生も起こしてトイレに行った後、朝御飯ということになる。トイレはもちろん千里と雨宮先生は女子トイレ、上島さんは男子トイレに入る。3人とも男なのに、2人が女子トイレって面白い、などと上島さんは言っていた。 
「だけど実際は、千里、既にありなしなしだよね?」
と雨宮先生は女子トイレの中で訊く。
 
「企業秘密です」
と千里は答える。
 
「まあいいや」
「先生はありなしなしにする予定は?」
「取りたくなることはあるけど、取っちゃうと女の子と遊べないからなあ」
「上島さんとは悪い友だちなんですね?」
「そうそう。同じ女を同時に愛人にしていたこともある」
「困った人たちだ」
「あんた、私に対して遠慮が無いから好きだよ」
「新島さんには負けます」
「私と新島が話してるの聞いて、新島が私の先生だと思ったという奴がいたよ」
「ありそうですね」
 

SAのフードコーナーで御飯を食べていて
 
「そうだ。名前を聞いてなかった」
と上島さんが言うが
 
「名乗るほどの価値のあるものではないので、少女Aということで」
と千里は答える。
 
「まあいいや。君はモーリーの純粋なドライバー? それとも愛人か弟子かを兼ねているの?」
「雨宮先生の後釜を狙っています。どっちみち雨宮先生、その内セックス・スキャンダルで失脚するでしょうから」
と千里。
 
「私が失脚する前に、雷ちゃんが失脚するわよ。毎年7−8人愛人作っているんだから」
と雨宮先生。
 
「以前より少なくなりました?」
「うん。結婚前は年間20-30人と寝てたけど、結婚したから少し控えてる」
 
ああ。春風さんに言ったら泣かれそうだ。
 
「あれ?思い出した。君、僕の結婚式の時に歌手の人たちが歌うののピアノ伴奏をしてくれていたよね?」
「はい。裏方ということで」
 
「君弾くのはピアノだけ?」
「ヴァイオリンも弾きますけど下手です」
「ふーん。それって謙遜?」
「私は謙遜はしません。私が下手と言ったら間違いなく下手ですよ」
「ああ、そのあたりが正直な子、僕は好きだな」
 
「この子は龍笛の名手」
と雨宮先生は言う。
 
「へー。今度聴かせてよ」
「では100万円頂けたら」
「ふーん。いいよ。いい音聴かせてくれたら払うよ」
 
「少女A、安売りしすぎ。1000万円ふっかけてよかったよ」
と雨宮先生。
「まだ無名ですから」
「まあ少女Aとしては無名かもね」
 
「モーリー、この子、やはり有名な子なの?」
「まあ有名な名前もあるね」
 
「だったらさ、少女A君。僕が君の演奏を気に入って100万円払ったら名前も教えてよ」
「いいですよ」
 

食事中に千里の携帯に蓮菜から電話が掛かって来たので、席を立ちSAの建物から出た所で取って話す。
 
「お疲れ様。そちらどう?」
「那覇は暑いよ。今から船に乗る。でも私、船酔いするんだよね」
「蓮菜も漁師の娘なのに。でも大きな船なんでしょ?」
「うん。大きな船ってたくさん揺れるんだっけ?」
「そんなことない。大きい船ほど揺れは小さいよ」
「だったら良かった」
「船に乗ったら着くまで寝てれば船酔いしようもない」
「寝れるかなあ」
「ビールでも飲んじゃえば?」
「試してみる!」
 

食事が終わった後は、お茶を飲みながら一休みしてまた出発する。
 
「君、寝なくていいの?」
と上島さんが心配するが
 
「大丈夫です。私体力ありますから」
と言って千里はエスティマ・ハイブリッドを走らせて行く。西宮名塩SAを8時頃に出発して、車はひたすら中国自動車道を走っていく。
 
「君ちゃんと制限速度守るんだね」
「スピードオーバーしたら雨宮先生の弟子を首になります」
「そうか。偉いね。モーリー、弟子の管理厳しいんだ」
「まあね」
 
後ろで《りくちゃん》は苦しそうにしている。安佐SAでお昼を食べてから、上島さんがせっかくここまで来たら宮島に行きたいというので、予定を変更して広島自動車道を南下して広島JCT/廿日市JCTと通って広島岩国道路の廿日市ICで降り、宮島口の近くの駐車場に駐めた。
 
雨宮先生は少し寝ておくといいと言ったので、遠慮無く車内で寝せてもらう。その間に雨宮先生と上島さんで宮島を見に行ったようだ。
 

夕方。蓮菜からの電話で起こされた。
 
「島に着いた。なんか凄いちっちゃい島だよ。なーんにも無い」
「そりゃ何もないだろうね」
「私、何してればいいんだろ? 観光するような所も無いらしい」
「本でも読んでるしかないと思うよ。あるいはひたすら寝てるか」
「携帯でネット小説でも読んでようかなあ」
「電池があっという間に切れると思うけど」
「そうそう。電波が弱いんだよ。だから電池の消耗激しそう」
「携帯は必要な時以外、切っておいたほうがいいかも。ところで、そちらはどこに泊まるの?」
「小学校の校庭に建てたテント」
「暑そう」
「今は夕方なのに暑い」
「頑張ってね。そちらハブ居ないんだっけ?」
「うん。この島には居ないらしい」
「良かったね」
 

蓮菜と話している内に、上島さんと雨宮先生が戻って来たので「じゃ、またあとで」と言って切る。
 
それで3人で、取り敢えず近くの和食屋さんに入って夕食を取ることになった。 
上品な感じの作りで、3人は20畳ほどもある部屋に通された。和食の店と雨宮先生は言ったが、実質料亭のようである。女将が出て来て挨拶までする。でも料理は美味しい!夏なので冷凍だろうが牡蠣フライに酢牡蠣もある。上島さんも雨宮先生もよく飲んでいる。調子に乗って千里にまで「一杯飲め」などと言うが
 
「ドライバーは飲めません」
と言ってにこやかに断っておく。
 
「そちらのお嬢さんが運転手さんですね?」
と言って仲居さんが《ドライバー》と書かれた首掛け式の丸い札をくれた。宮島の大鳥居の写真を使用している。これはこのままお持ちくださいということだった。 
「ところで仲居さん、クイズです」
と雨宮先生が言う。
 
「今、この部屋の中には男が何人、女が何人いるでしょう?」
「この部屋って私も含めてですか?」
「そうそう」
 
「当たったら、チップ1万円あげるよ」
「え?当たったらって、難しいんですか? 私含めて女性が3人、男の方がお1人に見えますけど」
「その回答でいい?」
 
「待ってください」
と言って仲居さんが悩む。
 
「ひょっとして最近流行りの女の娘さんがいるとか?」
「女の娘はふつうに女なのでは?」
「あ、そうか! なんでしたっけ? 女の男??」
「男の娘かな?」
と上島先生が助け船を出す。
 
「あ、それです!」
と言ってから悩んでいる。
「ひょっとして、奥様、男の方だということは?」
と雨宮先生に訊く。
 
「さあ、どうかしら」
 
「でしたら、男の方2人、女性2人ですか?」
と仲居さん。
「ファイナルアンサー?」
と雨宮先生。
「ファイナルアンサーです!」
と仲居さん。
 
すると雨宮先生は「はぁ」とため息を付く。
 
「不正解ですか!?」
と仲居さん。
 
「実はね。この少女みたいにしてるのが実は男なのよ」
「えーーー!?」
「年もまるで17-18に見えるけど実は40歳だから」
「それは逆に凄いです!」
 
「そして私は本物の女、そちらのおっさんみたいに見えるのも女。だから、男1人と女3人だったのよ」
と雨宮先生。
 
仲居さんはしばらく考えていた。
 
そしておもむろに笑顔になって言った。
 
「じつは内緒なんですけど、私、男なんです。ですから、やはり男2女2ですね」
と仲居さんが言うと
 
「えーーーーーーーーーーー!???」
と千里も雨宮先生も上島さんも驚いて声をあげた。
 
「あんた、ちんちん付いてるの?」
と雨宮先生は再確認する。
 
「ついてますよ。毎日オナニーしてますから」
などと仲居さん。
 

この自称男の仲居さん(1万円のチップはしっかりもらった)が楽しくて場が随分盛り上がった。本当は客席にあまり長居する予定ではなかったようだが、30分くらい雨宮先生と『おばちゃんトーク』をしていた。
 
21時前に打ち上げにしたが、会計を雨宮先生がカードで払っているのを見ると10万円越えている。恐ろしいと千里は思った。ほんとに美味しかったし、何だか楽しかったけどね!
 

千里が車を出す。今度は広島岩国道路を西行し、そのまま山陽自動車道に入り、ひたすら走る。ふたりは寝ている。千里も岩国ICを過ぎたあたりで眠くなってきたので《きーちゃん》に身体を預けて眠った。
 
壇ノ浦で起こしてと言われていたので、夜23時頃、《きーちゃん》が壇ノ浦PAに駐めて、千里に起きるように言う。それで千里自身覚醒し、雨宮先生たちを起こした。
 
「ここは絶対夜景で見るべきだよね」
と言って雨宮先生は関門橋を見上げる。
 
「美しいよね、関門橋の夜景は」
「飛行機の中から見ても夜景が美しいからね」
 
3人でしばらく見とれていたら、上島さんが何かを探すようにする。
 
「しまった。五線紙持って来てない。モーリー持ってる?」
 
「少女Aは持ってるよね?」
と雨宮先生はこちらに投げてくる。
 
「はい」
と言って取りだして、ボールペンと一緒に上島さんに渡した。
 
「少女A、私にも2〜3枚」
と雨宮先生が言う
 
それで雨宮先生にも五線紙とボールペンを渡す。そして千里自身も五線紙に音符を綴っていった。
 

五線紙はみんな使うだろうということで、上島さんにも雨宮先生にも30枚くらいずつ渡した。それで車に戻り、九州を南下することになる。
 
しかしこの付近は自動車道の組合せが複雑だ。
 
(九州道)門司IC(関門橋)下関IC(中国道)山口JCT(山陽道)

 
この門司ICで北九州高速にも接続しているので注意が必要だ。また関門橋をはさんで、壇ノ浦(だんのうら)PAと和布刈(めかり)PAがあるが、九州方面に行く時は壇ノ浦PAのみを通り、本州方面に行く時は和布刈PAのみを通る。ここに門司港ICも絡んでややこしいことになっている。
 
また今は関門橋から九州自動車道に直接入れるのだが、昔は関門橋からいったん北九州道路(現北九州高速)を経由して九州自動車道に入るというややこしい接続であった。直結部分の工事が完成して少しは分かりやすくなったし随分速く通れるようになった。
 
ここは吹田付近・草津〜大山崎付近・亀山付近などと並ぶ、進行に注意の必要なエリアである。
 

壇ノ浦PAで車に戻る時に、上島さんが「あれ?」と声を出す。
 
「どうかしました?」
「少女Aちゃん、若葉なの?」
「はい。3月に免許を取りましたのでまだ4ヶ月経っていません」
 
「嘘!物凄く運転上手いのに!」
 
「まあ少女Aは免許を取ってからは4ヶ月でも、運転歴は40年だから」
と雨宮先生。
 
「少女A、何歳なの?」
「自称18歳です」
「本当は180歳よね」
「あんた1800歳でしょ?と言われたことあります」
 
「モーリーの周囲には年齢や性別のよく分からない人がいる」
と上島さんは首を振りながら言っていた。
 

千里はふたりに寝ていてくださいと言い車を出す。少ししたらふたりとも実際寝てしまったようなので、今度は《こうちゃん》に身体を預けて自分も眠る。 
7月20日。朝6時頃に鹿児島まで来る。最後のSAである桜島SAで駐めて、朝御飯を食べる。そしてその後、九州自動車道を最南端まで走って鹿児島ICで降り、市内の天文館通りまで行く。予め現地の知人に調べてもらっていた数日駐めてもよい駐車場に入れて、その後、身の回りの荷物だけを持って海岸の方へ向かう。 
「少女A、上島の荷物を持ちなさい」
「はい、上島さん、お持ちします」
 
「いや、女の子に荷物持たせる訳には」
と上島さんは言うが
 
「大丈夫。こいつ男だから」
と雨宮先生は言う。
 
「忘れてた! でも大丈夫? 体形はふつうに女の子だけど」
「私、バスケットの選手だから大丈夫ですよ」
「インターハイでBEST4まで行ったチームの中心選手だから」
「凄い!」
「スリーポイント女王も取ったもんね」
「ええ」
 
それで上島さんは荷物を千里に預けてくれたが、その後で何だか考えている。 
「スリーポイント女王って、女子選手の表彰だよね?」
「そうですね。男がスリーポイント女王になることはないかと」
 
「じゃ、君、女子選手として出たの?」
「はい、そうですけど」
「だって男なのに?」
「男の方で出ようとしたら、お前ほんとに男か?といわれて、病院で検査受けさせられたら、女の方に出なさいと言われたので」
 
上島さんはまた考えている。
 
「それって、既に性転換手術済みだったということ?」
「まさか。高校生が性転換手術なんかできるわけがありません」
「じゃ、君、男なのに女子の試合に出たの?」
「まさか。女でなければ女子の試合には出られません」
 
「分からん!」
と上島さんは素直に音を上げた。
 

集合場所のドルフィンポート日食館で受付をする。免許証を見せて名簿と照合する方式で、まるで人気コンサートのライブの入場みたいに厳重である。 
「まあ人気ライブを見に行くんだもんね」
「出演は太陽さんと月さんですね」
 
「だけど1人8万円というライブは物凄いね」
「超ビッグアーティストですね。私の友人は特等席に申し込んだので38万円ですよ。那覇からの往復だから那覇までの交通費・宿泊費を入れると48万円」
 
「おお、凄い! よく見えるんだろうね」
「でも特等席への交通が大変みたいです。島に渡るフェリーも200人定員なのに来る人は500人いるので3日前から入らないといけないらしいです」
 
「それって途中で嫌になっても出られないよね?」
「交通手段は無いですね。どうしても出たければ泳いで出るしかないかと」
「サメの餌になるだけだな」
 

やがてバスに乗り込み鹿児島港に行く。大きなフェリーに乗り込む。中の席は男女に分けられている。
 
「少女Aありがとね。この後は自分で持つよ」
と上島さんが言うので荷物を返す。
 
それで千里は女性船室、上島さんと雨宮先生は男性船室に行ったものの、男性がたくさん寝ている所に雨宮先生が入って行ったら、ぎょっとされたのではと千里は思った。
 

フェリーはお昼前11:00に出発し、夜22:00に奄美大島の名瀬港に到着する。千里はその間ひたすら寝ていた。意識は眠らせていても身体はずっと車を運転していたので疲れている。このあたりは散々冬の出羽山を山駆けしたので鍛えてあるので、もつのだが、経験上4−5日の徹夜稼働までは大丈夫のようだと千里は思っていた。
 
18日の朝から20日の昼まで54時間ほど、広島で数時間の仮眠を取った以外は起きていたので、やはり目が覚めた時は身体がだるかった。名瀬港で船を降り、バスで太陽が丘総合運動公園に入った。ここの体育館に簡易ベッドが大量に並べてあり、そこで宿泊するのである。ここも当然男女別である。
 
千里は右の方にある女性エリアに入る。出発前日の17日に送っておいた荷物がベッドの下に置かれていた。中身を確認しておく。
 
一方、雨宮先生と上島さんは左側の男性エリアに入ったのだが、雨宮先生は「ここ場所が違いますよ」とスタッフから声を掛けられたらしい。
 
夕方。蓮菜から「暇だよぉ」というメールがあったので、30分くらい通話でおしゃべりした。おそらく他の友人にも掛けているのだろうが、これでは持っていった充電用の乾電池が本番前に無くなるのではと千里は心配した。
 

翌朝、21日。折角奄美に来たから観光しようと言われ、下見を兼ねてタクシーを呼び、島内を巡った。
 
「中心食が通るのはこの奄美より北にあるトカラ諸島な訳だろ? ということはこの島の中でもいちばん北の端に行くのがいちばん条件はいいんじゃないかな」
と上島さんが言う。
 
それでタクシーの運転手さんに頼んで島の北端まで行ってもらった。
 
奄美大島の中心部・名瀬は島全体を100に分けると北から30くらいの位置にあり、千里たちが宿泊する太陽が丘総合運動公園は、北から10くらいの位置にある。近畿日本ツーリストが推奨している観測場所はその近くの宇宿漁港である。すぐそばに奄美空港もある。
 
上島さんが提案したのはそこから更に北の笠利崎まで行かないか?ということである。北端の灯台そばに小さな駐車場がある。タクシーには待ってもらっていて、そこから灯台の所まで階段を登っていく。
 
「待って。2人とも歩くの速い」
と上島さんが哀れな声を出している。
 
「雷ちゃん、運動不足」
「少女Aはバスケしているというから分かるけど、モーリーなんでこんなに速く歩けるのさ?」
「私、毎日100km走っているわよ」
「君たちの言葉はどこまで信用して良いのかさっぱり分からない」
 

千里たちの他にも数組、笠利崎を下見しているグループがあった。
 
「太陽は明日どちらに見えるんだっけ?」
「こちらです」
と言って千里は方位磁針を見ながら言う。
 
「ここまで登らなくてもいいわね。さっきの駐車場の所でいい。あそこからも見えるよね?」
「方角的には問題無いです。でも車があふれて明日は駐車場まで到達できないかも」
「路上駐車多いだろうね。まあその時は歩けばいいし」
「やはり歩くのか」
と上島さんは弱音を吐いている。
 
「どのくらい継続時間が違うのかな?」
と雨宮先生が訊く。
 
「国立天文台のサイトで確認したのですが、宇宿漁港では3:15, 笠利崎では3:54で、39秒長くなるようです」
と千里はメモを見ながら答える。
 
「40秒違うと、少しは晴れる可能性あるわよね?」
 
今日、天気は曇り。空は厚い雲で覆われている。
 
来た道を降りて、タクシーに戻り、ついでに島の南の方まで行ってもらう。まるでおとぎ話の中の島のようなトビラ島を見た所で上島さんはまた五線紙に色々書き込んでいた。
 
「運転手さん、他に奄美で見所といったらどこですかね?」
「タンギョの滝かなあ」
「ああ、滝があるんですか」
「ええ。落差が120mくらいの」
「120m!? それは凄い。ぜひ見たい」
 
「いや、それが車では近づけないんですよ」
「じゃ歩いて行こう」
「ガイドがいないと無理です。ちょっと訊いてみます」
 
それで運転手さんが問い合わせてくれたら幸いにも、他のグループで滝を見に行こうとしていた人たちがいたということで、同行させてもらうことになった。 

「お待たせして済みません」
と言って現地でガイドさんと、見学しに行こうとしていたグループの人に挨拶する。 
秋月さん・大宅さんという30歳くらいの男性2人組であった。こちらを見ると千里に少し不安げな視線を投げられたが
 
「この子、山歩きは慣れてますから。山の中の村で生まれ育ったんですよ」
などと雨宮先生が言うと、同行を認めてくれた。
 
それで歩いて行くが・・・・
 
例によって上島さんが遅れる。途中でついに雨宮先生が通告する。
 
「雷ちゃん。あんた無理。ここで待ってなさい」
「分かった。そうする。写真のお土産頼む」
と言われて、上島さんのアルファ7デジタルを千里が預かった。雨宮先生はEOSの何だか凄そうなカメラを持っている。
 
その後、ガイドさんと秋月さん・大宅さん・雨宮先生・千里の5人で山道を進み、岩場を歩き、長靴に履き替えて川の中を歩いて、ようやくその滝に到達する。 

「これは凄い」
と雨宮先生が声をあげる。千里も清々しい気持ちで滝を見上げる。汗を掻いてここまで来ただけのことがあった。
 
雨宮先生、そして秋月さん・大宅さんが写真を撮っている。
 
が千里はただ滝を見ている。
 
「あんた写真撮らないの?」
「済みません。私、言ってなかったけど、コンパクトカメラでもまともな写真を撮れたことないです」
 
「あんた機械音痴か!」
「すみませーん」
 
「いいよ。私がそちらのカメラでも撮る」
と言って、雨宮先生が2台のカメラでたくさん写真を撮ってくれた。
 
「私が撮ったから、カメラ持つのはあんた」
「はい。お持ちします」
 
ということで帰りは千里が2つのカメラと三脚を持って帰った。
 

山道(というかほぼ山!)をたくさん歩いたので、疲れて体育館に戻るとかなり寝ていた。夕食の時間にも起きずに寝ていて夜中目が覚めてトイレに行ったら雨宮先生が居る(むろん女子トイレである)。「あら奇遇ね」と言って一緒にロビーに出て行く。自販機で雨宮先生がブラックコーヒーを買ってくれたので一緒に飲む。
 
「あんたもブラックでいいよね?」
「まあ女性ホルモン摂っている人はブラックにしないとまずいですね」
「血糖値コントロールが大変だからね」
「先生は、完全去勢した後、大変だったでしょ?」
「うん。玉がまだ1個あった頃は何の苦労も無かったのよ。でも2個目も取ったら、完璧に更年期障害にやられた。事実上あの年はまともに仕事もできなかった」
 
「苦しんでおられるとは思いました」
「あんたのおかげで助かった。私が書くべき曲をだいぶ書いてもらった」
「こちらも鍛えられましたけどね」
 
そんなことを話していたら、昼間一緒になった秋月さんと大宅さんが男性エリアの方から一緒に出て来た。
 
「こんばんは〜」
「こんばんは。女子大生?」
「はい。千葉の方の大学に行ってます」
「でも歩くペースほんとに速かった。凄いですね」
「まあ鍛えてますから。私、バスケットの選手なんですよ。試合では40分間走り回りますから」
 
「わあ、凄い! お母さんもスポーツ選手ですか?」
「ん?」
 
ここで初めて、千里は自分たち3人が「父・母・娘」と思われていることに気付いた。確かに、30代?の男女と10代の女の子なら、家族に見られるかもね。 
「うん。私もエアロビクスとジャズダンスのインストラクターなのよ」
と雨宮先生。
「でもうちのは会社員だから、運動不足みたい」
と向こうの思い込みに乗っかって話をする。
 
「ああ、普通の人はあの山道は歩けないかも知れないですね」
 
向こうの2人は山歩きが趣味で、夏には北海道の山道などを結構歩いているということであった。
 

それで秋月さん・大宅さんも笠利崎に行こうかと思っていると言う。
 
「ああ、いいですね。一緒に行きましょう」
と雨宮先生が提案する。
 
5人になると定員オーバーだが、無理すればタクシー1台に乗れないこともない。どっちみち明日は交通機関の確保は困難だから相乗りできると他の観測者にも配慮できる。
 
それで計画を練っていた所に、疲れたような顔をした男性が来る。甘いコーヒーを自販機で買って飲んでいるが、千里たちが笠利崎に行く話をしていたら、 
「あんたたち明日笠利崎に行く気?」
と言う。
 
「ええ」
「それはやめた方がいい」
「え?」
 
男性は気象協会の人ということであった。
 
「僕は奄美の気象をずっと観測しているけど、笠利崎って島の北端だから気流の関係でいつも雲がかかっているんですよ」
「あぁ!」
 
「逆にここの奄美空港の周辺は晴れやすいんです。そういう気象条件の所だからこそ、空港を建設したんですよね」
「そうだったのか!」
 
「絶対、笠利崎より宇宿漁港がいいと思う」
「ありがとうございます! そうします」
 
そういうことで、千里たちは気象の専門家に偶然遭遇したおかげで、観測条件の比較的良い場所で明日の日食を見ることができることになったのである。 

翌朝。天気は雨模様である。厚い雲がかかっているが、ところどころには晴れ間もある。うまい具合に日食の太陽があの雲の切れ目で欠けてくれると、きれいに日食を観察することができる。
 
千里たち3人が朝御飯を食べていたら電話が掛かって来た。蓮菜である。雨宮先生が構わないよというのでその場で取る。
 
「そちらどう?奄美はけっこう曇ってるよ」
「こちらは豪雨」
「豪雨?」
「どしゃぶりで凄いよ。レインコートが役に立たない。ついにテントから離れて下さいと言われて小学校の校舎の中に避難させてもらった。取り敢えずずぶ濡れになった服を着替えたところ」
 
「じゃ太陽は?」
「全く見えない」
「うわぁ」
 

千里が向こうの様子を話すと、
 
「じゃこちらの方が、よく見えるかもね」
と雨宮先生が言う。
 
朝御飯の後、運動公園から約2kmの坂道を歩いて降りて行く。千里が雨宮先生と上島さんのカメラ・三脚など荷物を持っているのだが、手ぶらの上島さんが「待って」と言って何度か立ち止まり、2kmの下り坂に40分も掛かった!昨日は途中で放置して正解だったようである。
 
やがて海岸に達する。海岸にはもう多数の人が居て、カメラの三脚を立てている人、天体望遠鏡をセットしている人などもいる。
 
「荷物ありがと」
と言って、上島さんと雨宮先生も千里からカメラと三脚を受け取り組み立ててセットした。
 
天気は悪いが蓮菜のいる島ほどではない。幸いにも、今のところは持ちこたえている。晴れ間も結構あるので、これだとうまく観測できるかも知れないと千里は思った。
 
途中で蓮菜とまた電話で話したが、向こうは自衛隊が出動して島から退避する必要があるのではと思うくらい物凄い雨だそうである。危険なので絶対に校舎から出ないこと、という警察の指示があったということだった。
 
「だけど、あんたたち大変だね、って島の人がおにぎりとか持って来てくれてさ。なんだか心がほわっとしちゃったよ」
 
「その感動を詩に書いといてよね」
「書いたよ。千里もそちら、まだ雨降ってないなら、こちらよりマシっぽいから、しっかり見て曲を書いておいてよね」
「もう3曲書いたよ」
「これから本番だよ」
 

ポップコーンだの、たこ焼きだの売っている人たちがいるので、雨宮先生にお金を渡されて買って来たりした。ホラ貝を売っている人もある。
 
「少女A、ホラ貝吹けるよね?」
「はい」
「ちょっと1個買ってきて吹いてみて」
 
などと言われるので1個買ってくる。ブォーーーーー!と千里が吹いてみせると周囲の視線が集中する。調子に乗って、色々な吹き方をしてみせていたら、少し山男風の中年男性が近づいて来た。
 
「あんた、出羽の人?」
「こんにちは。出羽で女山伏の鑑札をもらいました」
「凄い。ホラ貝も上手いね」
 
「先達は英彦山とお見受けしましたが」
「凄い!当たり!」
 
それで何となく握手をして、名刺交換!?までした。藤谷さんという人であった。その藤谷さんもホラ貝を吹いてみせてくれた。上島さんも雨宮先生も 
「確かに音が違う!」
と言って感心していた。
 

「でも君、村山千里さんなんだ?」
と上島さんが言った。交換した名刺を見たので名前が分かったようである。 
「そちらは戸籍名です」
と千里は答える。
 
「改名したの?」
「いえ。千里って男でも女でも通じる名前なので」
「ああ。それは便利だね。モーリーも男女行けるよね?」
「雷ちゃんは女に性転換する時は不便ね」
「まあ、男をやめるつもりはないけど」
「いや、あんたほどたくさんの女と寝ていたら、恨んだ女がチョキンと切り落とすなんてこともあるかも知れん」
「怖いなあ」
 
「あんた、せめて浮気は年に1回くらいまでにしなよ」
「そうだなあ。少し考えてみる」
 

刻一刻と日食の時間が迫る。
 
9:35。部分食が始まる。観測者たちがざわめく。この時点ではまだ結構晴れ間があった。このまま何とか晴れ間が持ってくれると・・・・と思っていたのだが、次第に雲が増えてきて、観測者たちの間から悲鳴に似たため息が多数漏れる。 
「でも雲を通しても太陽の形は分かりますね」
「うん。雲が天然の日食フィルターになったようなもの」
 
上島さんと雨宮先生はずっとカメラを動画モードにして撮影している。千里は携帯のカメラとコンパクトカメラで時々撮影している(後でチェックしたら、コンパクトカメラは全滅だったが、携帯で撮ったのが結構撮れていた)。 
10:52。
 
ほぼ欠けてしまった太陽のすぐそばを通って1台の大型飛行機がすぐそばにある奄美大島空港に着陸した。千里は夢中で携帯のカメラをそちらに向けてボタンを押したが奇跡的に撮れていた。
 
後で確認すると、この飛行機は東京発・奄美大島10:40到着予定だったJAL 1953(MD-81)で、少し到着が遅れたために、この便に乗っていた人たちはレアな天体ショーを機内から見ることができて、感激だったらしい。
 
そして飛行機が空港に着陸して間もなく、10:55:43 太陽は完全に欠けた。 
観測者たちはみんな息を呑んでいた。
 
太陽は相変わらず雲の向こうではあるが、皆既になったのはきれいに分かった。 
あたりは真っ暗で、突然到来した夜に鳥たちが騒ぐ。
 
ずっと南の空は明るい。皆既日食になるのは奄美大島でも島の北部のわずかな地域に過ぎない。昨日行ったトビラ島付近だと皆既にはならないのである。 
千里は初めて体験する皆既日食の不思議な世界に物凄く大きなものを感じていた。これを見たことで自分は人生が変わったかも知れないと思った。 
そして10:58:58 雲の向こうで一瞬ダイヤモンドリングが光った後、太陽は再び姿を現した。3分15秒の天体ショーが終わる。
 
「今、ダイヤモンドリング、光りましたよね?」
「うん。光った」
「皆既になった瞬間はよく分からなかったけど、今、現れた時は確かに光った」
 

部分食はまだ続いている。
 
千里は荷物から龍笛を取り出す。
 
今千里は笛を吹かずには居られなかったのである。
 
すると千里の笛に合わせて、近くに居た藤谷さんがホラ貝を吹き始めた。 
龍笛とホラ貝の共演が宇宿漁港に響く。周囲の視線が集まるが千里は無心に笛を吹いていた。
 
空の雲はどんどん厚くなってくるのだが、千里が龍笛を吹いていた時、一瞬だけ太陽が雲の間から姿を現す。
 
「おぉ!」
と歓声があがり、多数の人がカメラのシャッターを切っている。
 
しかしすぐに雲はまた太陽を覆ってしまった。
 

12:22。日食は終了した。
 
宇宿漁港に集まった1000人くらいの観測者たちの緊張が緩むのが感じられる。雨宮先生もため息を付き
 
「帰ろうか」
と言う。
 
それで機材を片付け、また千里が2台のカメラと三脚を持ち、体育館への道を引き返した。
 
「あんたが笛を吹いたら一瞬雲が途切れたね」
「そうですね。私が龍笛を吹くと、雷が落ちることが多いのですが、今日は逆に雲がちょっと途切れました」
 
「どうせなら皆既の最中に吹いてくれたら良かったのに」
「いや、皆既の時はもう感動で何もできませんでした」
 
「僕も感動した」
と上島さんは言った。恐らく上島さんはこの感動で曲を100曲は書くだろう。 
「あ、道の端は歩かないように」
と雨宮先生が注意する。
 
「何かまずいんですか?」
「端を歩いていると、ハブをうっかり踏んでしまう危険がある。ハブって湿気ったところが好きだから、草むらに居るのよ」
「わ!」
 
「奄美では草むらとは距離を取って歩くのがハブにやられないコツよ」
「分かりました!」
 
それで3人は歩道の車道側の端を歩いて坂道を登っていった。
 
「でもどうして海岸へ降りて行く時は注意してくださらなかったんです?」
「うん。忘れてたから」
 
まあ雨宮先生はこんなものである。
 

また蓮菜から電話がある。
 
「そちらどうだった?」
「ずっと雲の向こうだったけど、ダイヤモンドリングが一瞬見えた」
「いいなあ! こちらは皆既になっていた間、あたりが真っ暗になっただけ」
「それでも皆既体験だよ」
「うん。そう思うしかない。この島にいる間中、村の人がほんとに親切でけっこう心がなごんだし」
「ふだんはめったに行けない場所だし、それなりの価値はあったのでは?」
 
「うん。皆既日食は太陽が invisible になる現象だけど、今回は invisible になるのが invisible であったという珍しい日食だよ」
 
「ああ、それは確かに貴重かも」
 
「ところで雨はどう?」
「物凄い。予定通り島を出られるかどうかも未知数」
「まあ焦っても仕方無いし。出るのに1年掛かるってことはないだろうし」
「うん。開き直るしかないよ」
 

体育館に戻ってから、上島さんは歩いて疲れたので寝てると言ったが、千里は雨宮先生に誘われて運動公園内のプールに行った。
 
入口の所で料金を払い、女子更衣室の方に入る。
 
「先生、こちらで良かったんですか?」
「私、向こうでは着替えられないわよ」
 
先生は競泳用の水着であるが、千里はこの日、緑色のビキニを持っていっていた。
 
「・・・・」
「どうかしました?」
 
「ウェストが細い」
「鍛えてますから」
「水泳選手みたいに引き締まっている」
「私はバスケット選手です」
 
「あんたそれ、胸は本物だよね?」
「ええ。上げ底無しですよ」
「下も偽装無しだよね?」
「タックではないですよ」
「やはりおちんちん付いてないんだよね?」
「そんなもの付いてません」
 
「つまり性転換済みなんだ?」
「まさか。私は男の娘です」
 
「まあいいや。でもせっかくそんな水着持ってるなら、海岸で着れば良かったのに」
「あまり肌を焼きたくないから」
「あんた白いもんね!」
 
千里はプールに入って、取り敢えず端から端まで往復してきたのだが、先生は端の方で水に浸かっているような感じ。
 
「泳がないんですか?」
「私、10mくらいしか泳げない」
「10mって、スタートの勢いで進みそう」
「私、息継ぎができないのよ」
「ああ。では勝手に泳いでます」
「うん。泳いでて。でもあんた、そんなビキニで泳いでいてよく水着が外れないわね?」
「外れちゃったことありますよ」
「やはり!?」
 

1時間ほど泳いでから、プール水浴していた感じの雨宮先生と一緒にプールを出る。正直日食観察の間、暑いので身体がかなりほてっていたのをプールで鎮められた感があった。水着は体育館内のトイレで洗って絞り、水着用のビニール製バッグに入れておいた。後で洗濯機・乾燥機に掛ける必要がある。 
夕食を運動公園内に設置された屋台村で取り、仮眠した後、(7月23日)早朝3:30にバスに乗り込んで名瀬港へ移動する。そして5:50発のフェリーに乗り込んだ。
 
この船は鹿児島から名瀬(奄美)まではノンストップであるが、沖縄まで行くのには、途中、徳之島・沖永良部島・与論島と停泊していく。沖縄本島でも那覇港に着く前に本部港に寄る。
 
千里はほぼ寝ていたのだが、与論島では周囲の女性客で「凄くきれい。見て見て」などと言っていた人がいたので、つられてデッキに出て見ると、物凄く美しくて感動した。こんな美しい景色が日本にあったのかと千里は驚いた。 

18:40。定刻にクイーンコーラル8は那覇港に着く。船を降りた後、3人はタクシーで波上宮に行った。
 
「神社って本当は午前中にお参りすべきものかも知れないけど、ここは夕日が美しいのよ」
と雨宮先生が言う。
 
この日の日没は19:21である。
 
「ちょっと高速道路が邪魔ですね」
「まあ無いものと思えば」
「そう思うことにしました」
「おちんちんが付いていても、無いものと思っておけば女の意識で居られるのと同じ」
「その例え、私や雨宮先生は分かるけど、上島さんは分からないと思います」
 
と千里が言うと上島さんも苦笑している。
 

千里たちが波上宮で夕日を見ていたら、千里の腰のあたりをトントンとする子が居る。見ると6-7歳くらいの感じの女の子で、白い小袖に緋袴を穿いている。髪が長い。
 
「君、神社の子?」
と千里が訊くと
 
「これお母様から渡された」
と言って何やら鈴を3つ渡された。
 
「ありがとう。お母さんはどこにいるの?」
「あっち」
と言って女の子が指すのは神社の本殿である。
 
ハッとして再度女の子を見ようとしたが、そこには誰も居なかった。
 

「どうかした?」
と雨宮先生から尋ねられたが、千里は微笑んで
「ちょっとここの神様とおしゃべりしていただけです」
と答えた。
 
波上宮にお参りした後は、取り敢えず、この日泊まる那覇市内のホテルに移動する。荷物を置いてからあらためて食事に出た。雨宮先生の案内なので、何となく怪しげな町並みに入って行く。
 
「モーリー、女の子連れてること忘れるなよ」
などと上島さんが言う。
 
「あんた男装させとけば良かった」
「やはりその手のお店に行くおつもりでしたか」
 
結局入ったのは、ごく庶民的な飯屋さんという感じである。雨宮先生たちはビール(オリオンビール)を頼んでいたが、千里は水だけ飲んでいた。ゴーヤチャンプルーを頼んだのだが、物凄く美味しかった。ボリュームがあって、最近よく食べている千里もさすがに食べきれなかったので、半分は雨宮先生に手伝ってもらった。
 
なお、奄美で使用した水着や、その他着替えなどをホテルのコインランドリーで洗濯・乾燥させておいた。これは千里が雨宮先生や上島さんの分もやってあげた。
 

翌日7月24日。千葉。
 
千葉市内ではあるが、とっても辺境な場所に立つ校舎でこの日も夏期講座が行われていた。千里はこの日は2回目の講師である。
 
初日に生徒に随分気に入られてしまい、何だか女生徒の中には背広を着た千里の胸に触ってみて、確かにおっぱいがあることを確認するような子までいた。その日の最初の授業。千里が来る前に、1人の男子生徒が黒板消しをドアの隙間にはさんでいた。
 
古典的な悪戯だが、すたれない悪戯でもある。
 
やがて《千里》が入ってくる。
 
ドアを開ける。黒板消しが落ちる。
 
教室内で忍び笑いの声が聞こえる。
 
ところが黒板消しは《千里》の身体を「通過」して床に落ちてしまった。 
一瞬、教室内がシーンとなる。
 
《千里》は
「あれ?こんな所に黒板消しが落ちてる。どうしたのかな?」
などと言って、それを拾い上げると、黒板の所に戻し。
 
「Hey, Lets's begin today's Lesson. Open your textbook page 7.」
と言ってその日の授業を始めた。
 

一方24日。那覇。
 
折角沖縄まで来たしということで、この日は首里城を見た後、国際通りを少しのんびりと歩いた上でゆいレールで空港に移動し、空港内で昼食を取った。アグー豚のトンカツを食べたが美味しかった。
 
「そうだ。村山君」
と上島さんが言う。
 
「はい」
 
「日食の時の君の龍笛は素晴らしかった。だから約束通り100万円払うよ」
と言って、上島さんは厚い札束の入った沖縄銀行の封筒を千里に渡した。おそらくどこかのATMなどで降ろしてきたのだろう。
 
「頂きます」
と言って千里は封筒を受け取る。
「受け取りを書きます」
と言って、伝票の用紙を出して金額・日付を記入し、署名捺印して上島さんに渡した。名目は演奏料とした。
 
「だから名前教えて」
と上島さんは伝票を受け取って言った。
 
「雨宮先生、どこまで言っていいのでしょうか?」
と千里は雨宮先生に訊き直した。
 
「じゃ私が教えておげるよ」
と言って、先生は千里を引き継いで話す。
 
「この子は木ノ下大吉の一部」
「ほほぉ」
「そして東堂千一夜の一部」
「なるほど」
「東郷誠一の一部」
「ふむふむ」
「まあ他にも色々」
 
「ゴーストライターの中の人か」
「年間20曲くらい、そういうので書いてるよね?」
「昨年はそんなものですかね。上島さんはゴーストがお嫌いと聞いたので、あまり名乗りたくなかったのですが」
 
「僕は自分では絶対に使わないけど、ある意味、今の音楽業界では必要悪と思っている」
と上島さんは言う。
 
「でも年間20曲って、多作だね。年はいくつ?女子大生?」
「大学1年生です。でも上島先生から見たら寡作だと思います」
と千里は言うが
「そんなこと言ったらモーツァルトだって寡作」
と雨宮先生は言う。
 
「そうかもね」
と言って上島先生は笑い
「大学1年生なら、ローズ+リリーのケイちゃんの1つ上か」
と言う。
 
「ケイちゃんは格が違います。とてもかないません。あの子は凄すぎる」
と千里。
 
「うん。ケイは天才。千里は凡才」
と雨宮先生も言う。
 
「ええ。私は凡才の星です」
「うんうん。そんな感じ。ミリオン行くような曲は書けないけど、そこそこの曲はけっこう書く」
「私は便利屋なんです」
と千里は言う。
 
「この子は器用なんだよ。さすがに名前を出せないけど、様々な作曲家のゴーストをしているけど、本人より本人っぽい曲を書いちゃう」
「それはやはり天才だよ」
 
「コピーの天才ですね」
「なるほど。でも君、自分の名前では書かないの?」
 
千里は微笑んだ。
 
「これ私の名刺です」
と言って、千里は醍醐春海の名刺を出した。
 
「この名前は記憶がある。鈴木聖子さんの曲を書いてるでしょ?」
「いくつか書かせて頂きました」
「他にもいたな・・・・。KARIONに書いてる。カップリング曲とかだけど」
「よくご存じですね」
 
「凄く素朴でストレートな曲を書くと思っていた。多分音楽の専門教育を受けていない人。でもちゃんと独学で最低限のことを勉強している人」
 
「まあ私はそんなものです。実は私のアドバイザーが音楽大学のピアノ科に居るんですよ」
「へー!」
「実は彼女も何個か醍醐春海の名前で書いています。ですから醍醐春海は本当は私と彼女の共同ペンネームなんです」
と千里は言うが
 
「もっとも9割以上があんただよね」
と雨宮先生。
 
「そんなものだと思います」
 
「だけど君、もう少し専門的な教育受けたら、もっと書けるようになると思うなあ。君も充分ミリオン作曲家になれる素質があると思うよ。音楽の専門学校とかにでも通う気無い?大学生でもダブルスクールすればいい」
と上島さんは言う。
 
「千里、もうひとつの名刺も出しなよ」
「いいんですか?」
「私が許可する」
 
「この名刺は今まで10枚も配っていないのですが」
と言って、千里は鴨乃清見の名刺を出した。
 
「えーーーーーーーー!???」
と上島さんは絶句した。
 

午後の飛行機で鹿児島空港に戻った。
 
連絡バスで鹿児島市街地まで行く。雨宮先生と上島さんに天文館通りで待っていてもらっている間に千里が、20日朝から駐めていた車の所に戻る。駐車場の所まで来た頃、蓮菜から電話が掛かって来て、やっと那覇に戻ったということだった。
 
「お疲れ様」
「疲れたぁ」
「すぐ帰るの?」
「飛行機が26日のしか取れなかったんだよ。だから明日は沖縄観光」
「楽しんでね」
「今日はもう寝る!」
「うんうん、それがいい」
 

車を動かして、天文館通りでふたりをピックアップし、市街地から少し離れた所にある和風レストランに付けた。
 
「少し早いけど晩御飯にしよう」
と言って3人で中に入り、取り敢えずテーブルに座った。
 
薩摩黒豚のトンカツを頼んで食べる。今日は昼も晩もトンカツだ。
 
「アグー豚もいいけど、黒豚もいい」
「どちらも美味しいです」
 
上島さんが地酒とかも頼む?と言ったのだが、雨宮先生は
「今日はアルコール抜きにしようよ」
と言うので、3人でコーヒーを飲んでいる。
 
充分料理を堪能してから、デザートを食べながら会話していた時、雨宮先生が 
「あ、ごめん。千里。車の中にバッグ忘れて来ちゃった。とってきてくれる?」
と言うので、千里は
「分かりました」
と答えて席を立ち、駐車場の方へ行った。
 

千里が戻ってくるまで雨宮と上島は色々話している。内容は結構色々と「悪い相談」である。
 
それで少し盛り上がっていた時、やっとテーブルに戻って来て座る人影がある。 
「あ、村山君、お疲れ様」
と上島は声を掛けたが、テーブルの向かい側に座っている人物を見て、ポカーンという顔になる。
 
「茉莉花!?」
 
それは上島の奥さんの茉莉花(春風アルト)であった。
 
「じゃ私は消えるから、あとはゆっくりとね。車はお盆前までに東京近辺の適当な営業所で返却すればいいから」
と言って、雨宮は席を立った。
 
「でも仕事が・・・・」
「車にはインバーターも付けてるし、あんたのパソコンも持って来てもらって通信環境も確認してもらっておいたから」
 
「アルトちゃん、車のキーは持ってるよね?」
と雨宮は確認する。
「はい。千里ちゃんと交換しましたから」
と言ってキーを見せる。
 
このレストランで落ち合うことにして春風アルトは鹿児島市内のレンタカー屋さんでプリウスを借りて、ここに乗り付けた。そして千里と車の中身を入れ替えたのである。
 
つまりアルトが借りてきたプリウスに今、千里が用意した旅の道具と雨宮の荷物が載っていて、東京からここまで運転してきたエスティマに、春風アルトと上島の着替えや荷物が載っている状態である。
 
ただしブースターケーブル、毛布、地図、調理器具や食料品・電池などアルトさんに確認してエスティマ側に残したものもある。後日余ったものは東京で返してもらうことにしている。
 
「雷ちゃん、あまり仕事ばかりしているとアルトさんに振られるよ。たまにはふたりでゆっくりと旅でも楽しむといい。最近あんた楽曲の品質が落ちてたでしょ。一度リフレッシュしなきゃだめ」
と雨宮。
 
「エスティマって中がゆったりしてるわね。セックスする時も楽そう」
などと春風アルトは言う。
 
「旅の資金もあるし」
と言って、春風アルトが見せるのは、沖縄銀行の封筒である。
 
「それは・・・」
と言って上島は絶句する。
 
「じゃね! あ、お勘定は払っておいてね」
と言って雨宮は手を振ってレストランを出た。
 

玄関の所で立って待っていた千里の案内で駐車場に駐めているプリウスに乗りこむ。
 
「じゃ福岡までドライブを楽しもうか」
 
帰りの飛行機は福岡−羽田を予約しているのである。鹿児島−羽田間は満席で取れなかった。来る時、東京から車で走ってきたのも、日食の直前は、東京−奄美、東京−鹿児島どころか、東京−福岡でさえ取れなかったからである。 
25日になるとさすがにもう福岡−東京の席は取れた。
 
なお今車に積んでいる荷物は福岡から宅急便で送る予定である。車は福岡で乗り捨てる。
 
「はい。運転します」
と言って千里は車をスタートさせた。
 
「アルトちゃんから100万円の受け取りはもらってるよね?」
「はい。頂いています。名目は預かり金ということで」
 
「うん。それでいい。私は寝てていいかな?」
「ええ。どうぞ」
 
それで雨宮先生は目を瞑る。千里は車を鹿児島ICに向ける。
 
「でもあんたいつ寝てるの?」
「運転しながら寝てますよ」
「だったらいいね」
 
と言って雨宮先生はプリウスの後部座席で眠ってしまった。
 
 
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