【女子大生たちの妊娠騒動】(下)

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そして、少し人の流れから外れた所にあるトイレの女子トイレの方に入ると、千里は個室の中で服を着替え、ロングヘアのウィッグをつけた。玄関の所の健診受付に行く。学生証を渡すと白衣を着た係の人がそれを読取機に掛けて健診票がプリントされる。クリアファイルに入れてくれるので、それを持って再度C館の中に入った。
 
検尿をするトイレの所に行く。表に出ている紙コップを持ち女子トイレに入ると、まだ早い時間帯だからだろう。空いている個室があるのでそこに入る。紙コップに自分の学生番号のバーコードシールを貼り付け、コップの中におしっこを出す。それでコップを棚の所に置いて外に出た。
 
レントゲンの所に行くが、椅子に座っているのは3人だけだ。タイミング的には多分真帆はもう終わっているはずと踏んだが、実際その後レントゲン室から出てきた子は知らない子だった。やがて名前を呼ばれてレントゲン室に入り、服を脱ぐ。女性の技士さんから「髪が長いですね。クリップお持ちですか?」と言われる。「持ってます」と言って髪をあげて頭の上でまとめた。それで機械の所に立ち、「息を吸って」「停めて」「OKです」という声を聞く。
 
服を着て外に出ると、待合の椅子の所に友紀が居たが、こちらは平常心で伝票をもらい、次の心電図に行く。ここで真帆がまだ順番待ちをしているのを見るが、やはり平常心で受付に伝票を出し椅子に座って待つ。真帆はすぐ呼ばれて中に入った。
 
10分くらいの後、真帆が出てくるが、千里は文庫本を出して読んでいたので、真帆はこちらに気付くこともなく次に向かったようであった。こういう時千里は「気配を消して」モブに同化しているので、もしかしたら普段の格好のままでも気付かれないかも知れないなと千里は考えていた。
 

心電図も女性の技士さんが対応してくれるが、この時期の千里のバストはAカップより少し大きいくらいなので、技師さんも特に千里の性別に疑問を感じたりはしていない風であった。終わって出て行くと待合には友紀が居る。ほんとにギリギリで行動している感じだ。
 
その後、採血をされた後、視力検査、聴力検査を経て、内科に行く。行った時5人前に真帆が居た。そして待っている内に6人後に友紀が来る。すると友紀が来たのを見た真帆は自分の居た位置から離れて友紀と一緒に並び、おしゃべりを始める。千里は例によって気配を殺してじっと列の進むのを待っていた。 
しかし友紀と真帆のおしゃべりの内容が聞こえてくる。
 
「桃香がこないだメール受け取ってた女の子、実際には《元恋人》らしいね」
「へー」
「地元に彼女を残してこちらに出て来たってことらしい」
「じゃ遠距離恋愛?」
「玲奈が聞き出したのでは、一応卒業を機に別れたんだって」
「でも連絡取り合ってる訳でしょ?」
 
「本人としては切れたいんじゃないかな。だから着メロに『オーゼの死』なんて設定していたんだよ」
「一応終わった恋ってことか」
 
ああ。自分のことも色々噂立てられてそう、と思っていたら、やがてそういう話も出てくる。
 
「千里ってさ、本人は否定しているけど、やっぱあっちだよね?」
「だと思う。でなかったらイヤリングそのまま付けてたりとかしないよ」
「イヤリング似合ってた!」
「あれきっとイヤリングとかしたことあるんだよ」
「スカートとかも穿いてそうだよね」
「ってか、こないだ穿いてたパンツもあれレディスだったよ」
「ほんと?それまでは気付かなかった」
「よし、今度は髪留めでもプレゼントしてあげよう」
「髪留めはあの髪の長さでは難しいかも」
「じゃカチューシャで」
 
まあいいけどねー。
 
「でも千里と桃香って、ひょっとしてシンクロしてない?」
「あ、それもちょっと思った」
「なんかどちらも超格安物件に入居したみたいだし」
「ふたりとも春休みに運転免許取ったみたいだし」
「こないだ同じメニューを注文してたよね」
「それと見た? 千里と桃香って同じ形の携帯ストラップ付けてたね」
「うそ! それ気付かなかった」
「但し色違いなんだよ。千里は金色のリング、桃香は銀色のリング」
「それペアで買ったんじゃないよね?」
「いや、さすがに偶然だとは思う」
 
「でももしかして凄く相性が良かったりして」
 
ちょっと待って〜。私女の子は恋愛対象じゃないよぉと千里は思う。
 
「でもそれ恋愛成立するの? 桃香はレスビアンだから女の子にしか興味はないでしょ? 千里の方も女の子には友情しか感じないって言ってたじゃん」
 
「ってことはカップル成立の可能性は無いか」
「うーん、残念」
 
友紀はこないだの集まりでもBL/GLの話をしていたし、カップリングを想像するのが好きなのかなと千里は思った。
 

やがて千里の順番が来る。健診票を係の人に渡す。最初に体重と身長を測られる。
「身長167cm」
「体重54kg」
と言われた。
 
身長は多分真面目に測ると168-169くらいある。しかし身長計に乗る時の要領で多少低い数値にすることは可能である。そして体重は、千里は本来49kgくらいのはずなのだが、今日はロングヘアのウィッグをつけているので、このウィッグが多分5kgくらいだろうと思った。この時期、千里は血糖値を低く保つために食事制限をしていたので、体重も低めだったのである。
 
血圧を測られた上でカーテンの向こうで上半身裸になり医師の診察を受ける。 
「心音とかに乱れはないですね。心電図も問題無い感じだし。でもちょっと体重が軽いね。この身長だと60kgくらいあっていいんだけど。ダイエットのしすぎってことない?」
 
「ダイエットはしてないです。ただ少食だからかも。あまり入らないんですよね」
「生理の乱れとかはないですか?」
「ええ。乱れたりはしません」
「じゃ特に問題ないかな」
 
ということで解放された。洋服を着て、友紀たちと視線を合わせないように気をつけて健診室の外に出る。それからC館を出た後、隣のB館に入り、そこのトイレで元の服に戻してウィッグも外した。
 
「ふう」と大きく息を付く。
 
取り敢えず今年はこれで何とか誤魔化したけど、来年はやばいかな、などとも思う。でも来年くらいまでには友人たちにも性別のことをカムアウトしているかも知れないなという気もした。
 

12時に正門前に行くと、居るのは友紀・真帆・玲奈・美緒の4人である。 
「朱音はバイトだって。11時40分頃来てバタバタと健診受けてまた行っちゃった」
「わあ、もうバイト見つけたんだ! 何してるの?」
「ハンバーガー屋さん」
「おぉ、凄い」
「しばらくはずっと訓練らしいよ。実戦投入までに鍛えられそうって言ってた」
「多分ゴールデンウィークの戦力としてカウントしてるんじゃない?」
 
5人で歩きながら話す。
 
「桃香はキャッチできなかったんだよね」
「狭い健康診断会場で居ればどこかで遭遇しそうなものなのに」
「寝過ごしてたりして」
「幽霊に取り憑かれていたりして」
 
それで焼肉屋さんに入る。
 
「ここはランチタイム800円なんだよね。11時から14時限定で、豚肉・鶏肉に限っては食べ放題」
「それでも800円なら充分嬉しいね」
 
最初お店の人が持って来た皿には牛肉のロースとカルビが10切れずつ(つまり1人2切れずつのよう)と、鶏ムネ肉、ウィンナーに、豚カタ・モモという感じのお肉に多少の野菜が乗っている。後は豚肉・鶏肉および野菜は言えばいくらでもお代わりを持って来てくれるらしい。
 
「だけどバイトもなかなかいいの無いみたいね」
「勉強と両立できるバイトが少ないよね」
「そうそう」
 
「どうしても昼間の仕事が多いけど、昼間仕事してしまうと授業に出られない」
「勉強に差し支えない程度の仕事だと実入りが少ない」
「難しいなあ」
「やはり理系は授業に出ていればいいってもんじゃないもんね」
 
「やはり教科書ちゃんと予習しておかないと、授業の内容その場では理解できないよ。私、群論の最初の講義、訳が分からなくて、終わった後生協書籍部に行って『猿でも分かる群論』って本を見つけて読んで、何とか理解できたかなというところ」
 
「私も群論分からなかった。最初のパズル解くみたいな話の途中で先生の言葉が頭の上を素通りし始めた。その本貸してよ」
「じゃ明日持ってくるよ」
 
「私、群論より線形代数が分からなかった」
「私もー。あれ私の頭の容量をオーバーしてる気がする」
「でも位相幾何よりはマシらしいよ」
「位相幾何は脳味噌の革命が必要だって」
「うーん・・・」
 
「私は解析学がチンプンカンプン。高校の時はごまかし気味に理解していたんだけど、やはり私はεδ(エプシロン・デルタ)法が根本的に分かっていないという気がする」
「あれ、εδより、超準解析の方がまだ理解しやすいって先輩が言ってた。超準解析だと無限小とか無限大という数が存在するんだよ。超準-non standard-とは言うけど、実は解析学が生まれた時代、ニュートンやライプニッツの時代の考え方に近い」
「ほほぉ」
「それの本読むと解析学が理解できる?」
「いやその頭になってεδの話を聞くと多分もっと混乱する」
「うむむ」
 
「しかし『猿でも分かる・・・』か。それ読んでも分からなかったらどうしよう?」
「猿未満ってことか」
「うむむむむ」
 
「やはり授業の後、それと同じくらいの時間の復習はしておかないと学年の途中で付いていけなくなるって先輩が言ってたよ」
「そうなるとバイトは厳しいなあ」
 
「ただ3年生くらいになったら、もうホントにバイトなんかしてる時間なくなるらしいから、バイトするなら1〜2年の内だよ」
 
「みんな奨学金は受けてるよね?」
という質問に全員頷く。(実際には千里は奨学金は受けてないが話を合わせておく) 
「あれも気が重いけどね」
「返す時のこと考えたらね」
「私、高校の時も受けてたから借金が順調に増加中」
「結婚するまでに返済は終わらないから、マイナスの持参金持って結婚するようなことになる」
「欧米じゃ、奨学金って返さなくていいものが多いらしいね」
「日本の奨学金って、ほとんど高利貸しだもんなあ」
 
「そうそう。高利貸しと言えば、先輩が言ってたけど、サラ金には絶対手を出すなって」
「うん。それはうちの母ちゃんからも言われた」
「あんなの借りたら、返せなくなるの分かりきってるから」
「返せるほどの資金力があるなら、そもそも借りなくていいはず」
 
「クレカ作った人いる?」
「あ、ボク作った」
と千里は言う。
「どこの?」
「###のデビューカードっての。いやETCカードを作れるということだったから」
「いーてぃーしーって?」
と質問が出る。車に乗らないと確かに知らないだろう。
「高速道路の料金所を素通りするだけで料金を払えるシステムなんだよ。無線通信式のクレジットカードという感じ。そのシステム専用のね」
「へー」
 
「あ、そうか。免許取ったんだもんね」
「だったら、やはりETC持ってないと高速代が全然違うよね」
と言う子もいる。ETCのシステムを知っていると、こういう意見が当然出てくることになる。
 
「平日の深夜時間帯に掛かるように走行すれば半額になるから、長距離走るなら、絶対ETC持ってないといけないよ。東京から大阪まで12000円掛かる所が6000円で済む」
と玲奈が言うと
 
「そんなに割り引かれるんだ!」
と千里は驚くように言った。
 
(深夜の50%引きは2008年10月14日から2014年3月31日まで行われた。但し一部の道路をのぞく) 
「あ?知らなかった?」
「うん。割引されるよ、というのは高校の時の友だちに聞いたんだけどね。細かい内容までは知らなかった」
 
と千里は答える。先日貴司から何割引とかになるよとは聞いていたのだが半額とまでは言われなかった気がする。(実際には貴司はあまり深夜のドライブをしたことがなく正確な割引率を知らなかったのである) 
「そうか。私もETCカード作っておこうかな」
とやはり免許を取っている友紀が言う。
 
「クレカ自体は何かに使った?」
「全然。ボクってアバウトな性格だから、多分クレカ使ったら破綻する。現金主義で行くつもり」
「うんうん。それがいい」
「ただ、ネットの買物とかする時はクレカがあると便利だよね」
「ああ、なるほど。こないだキッチン用品を通販で買った時は代引きにしたから手数料100円取られた」
「うん。代引き手数料も、いつもネットショッピングしてたら馬鹿にならない」
 
「クレカで物を買ったら、その分の現金をすぐ決済準備用の口座に入れておくようにするといいんだって。普段使いの口座と別にそういうのを作っておく」
 
「それでもちろんカードローンとかキャッシングは絶対に使わない」
「うんうん。使ったらそれが地獄の一丁目」
 
「それから学生目当ての詐欺商法は多いから気をつけた方がいいよ」
「いくつかのパターン聞いた。旅行とかに当選しましたって電話掛かってくるんだって。それで旅行は無料だけど、登録するのに会費3万円払ってとか言われるらしい」
 
「こないだ**君が道を歩いてたら、洋服屋さんの配送トラックというのに呼び止められたんだって。配送してたら背広が1着余ったというのよね。出荷係のミスだと思うけど、持って帰ると伝票の処理が面倒だから、あんた良かったら、安く買わないって言われたらしい」
 
「何その、小学生並みの話は?」
「そんなんで引っかかる人居るの〜?」
「引っかかる人がいるから、振り込め詐欺なんかも被害続出だと思う」
「あれも覚えのない請求書に金払うって人が理解できん」
 
「あと怖いのは宗教勧誘と学生運動だよね」
「学生運動の人たちはまだいいんだよなあ。話せば分かるから」
「宗教は怖いね。可愛い女の子が男の子とデートするみたいに見せて実は勧誘なんてのもあるらしいよ」
「何それ?」
「デート商法の宗教版」
「うかつにデートもできんな」
「美緒、惚れっぽいみたいだけど気をつけろよ」
「大丈夫だよ。私は深入りしない主義だから。こないだの彼氏とももう別れたし」
 
「えーーー!?」
 
「だって、入試の時に知り合って、そのあとセックスまでしたのでは?」
「うん。でもフィーリング合わないから別れることにした」
「なんてあっさりしてるんだ」
「セックスが深入りじゃなかったら、深入りって何なんだ?」
「うーん。同棲とか」
 

「でもこの中でセックス経験者は誰々?」
「それはちょっとこういう場で告白する内容では」
 
「よし、こうしよう」
と言って、友紀は、コーヒー用の角砂糖をテーブルの上から取り、全員の前に1個ずつ置く。
 
「これでさ。みんな目を瞑ってから、セックス経験のある人はこの角砂糖を食べちゃう。未経験の人は中央に寄せる」
 
「ふむふむ。それで何個中央に寄せられたかを見ようって訳か」
「よし、やってみよう」
 
それで全員目を瞑る。友紀が携帯のタイマーで2分計ってから全員目を開ける。 
中央に寄っていた角砂糖は2個であった。
 
「なんて疑心暗鬼を起こさせる個数なんだ?」
「取り敢えず誰が角砂糖を食べたかを詮索するのはやめよう」
「うん。そうしよう」
 
雰囲気的には角砂糖は3個残るのではないかと思っていた子が多いようだった。 

翌日教室で会った桃香に玲奈が声を掛ける。
 
「桃香、昨日はちゃんと健康診断受けた?」
「いやぁ、それが寝坊しちゃって」
「ほんとに寝過ごしたのか!」
 
「で学生課に連絡したら、別途受けてくださいということになった。今月いっぱいは新入生の健診で忙しいから、連休明けに受けてくることになった」
「なるほどー」
 
そうか!そういう手があったのかと千里は思った。今年みたいにハラハラしなくても、休めば別途ひとりだけで受けられるのか! 来年はその手で行こう。 
男子のクラスメイトの宮原君が千里に声を掛けてきた。
 
「そうそう。実は男子の間では、村山って実は女なのでは?なんて噂があったんだけどさ」
「何それ〜?」
 
「いや、昨日の健診で男子の時間帯にちゃんと居たから、やはり男だったのかとみんな言ってたよ」
「男ですよ〜」
 
「いや、あまり男に見えないもんで。あ、いや、ごめんな」
「ううん。別にいいよ」
 
その会話を聞いて美緒が「ふーん」という感じの顔をしていた。
 

ゴールデンウィーク初日の4月25日(土)の午後。千里は「ようやく」雨宮先生をキャッチすることができて、新宿のカフェで会い、頼まれていた作曲案件の譜面とMIDIデータをお渡しした。
 
雨宮先生は居場所がつかみにくいので、なかなかキャッチできないことで業界でも有名である。千里もその週の頭から何とか連絡を取ろうとしていたのだがなかなか捕まらず、その日やっと新宿で本人と遭遇できたのである。もっとも本人はラブホテルの中に居たのでホテルの前から千里が電話を掛けて出て来てもらった。
 
「よく私を捕まえたね」
と雨宮先生は言った。
 
「某レコード会社に電話したら、たまたま某部長さんが出られまして」
「ほほぉ。あの人自分で電話も取るんだ」
 
「それで大西典香や津島瑤子などに楽曲を提供している作曲者の鴨乃清見というのを名乗ったら、私の携帯番号がちゃんとデータベースに登録されていたようで、雨宮先生と今日の夕方新宿で会う予定というのを教えてくださったんですよ。先生って、ある程度の余裕を持って行動なさるから、既に新宿におられるのではないかと思って来てみたら先生の波動を感じたので、あとはそれを頼りに辿り着きました」
 
「ふーん。大したものね。波動で分かるとは、さすが美少女占い師」
「そうですね。20歳までは美少女でもいいかな」
「その後は美女占い師になって、その内何とかの母とか名乗ったり」
「あまり占い師でやっていくつもりはないですけどね」
 
「将来何になりたいの?」
「できたら普通の会社勤めがしたいんですよねー。ハードルは高いだろうなというのは思っています」
 
「いっそプロの作曲家としてやっていくとかは?」
「20年も30年も曲を生み出していく自信はないです」
「なーに、最初の10年で一生分稼いでしまえばいいのよ」
「まあ、それはひとつの手ですね」
 

そんなことを言いながら雨宮先生は千里が書いた曲を見た。
 
「あんた、ホントにしっかりとしたプロの書き方をするようになったね」
「それは楽曲の質が落ちているという意味でしょうか?」
「いや。今はまだ上り坂だと思う」
 
千里は無言で雨宮の言葉を待つ。
 
「初期の頃の未熟さ・荒削りな部分が影をひそめて、すごくきれいにまとまっているのよ。これ直すべき部分が無い」
 
「やはり欠点を指摘されている気がします」
「ふふ。何か足りないものがある気がしたら、それをまた考えてみるといい」
「努力します」
 

「ところで、その会談が夜8時くらいに終わると思うんだけどね」
「はい」
「その後、ちょっと週末、新潟まで行って来たいのよ。運転してくれない?私、お酒飲みたいからさ」
 
「了解です。それでは例のインプでお迎えに行きます」
「明日の帰りも運転してくれる?」
「いいですよ。新潟では適当に時間を潰して待っています」
 
千里としてはその間、大学の勉強をするつもりである。
 
「今日はそれまではどこに居る?」
「ネットカフェか何かで休憩してます」
「サウナ付きのカプセルホテルとかで寝てたら?」
「あのカプセルってなんか好きになれないんですよね」
「あんた、サウナとかは男女どちらに入るの?」
「私、男湯には入れませんよ」
「なるほどねぇ」
 

千里は夕方6時までネットカフェの女性専用エリアで休憩し、その後駐車場に移動して、給油して満タンにした後、再度駐車場に戻り、車の中で毛布をかぶって寝て待った。ここは近くにコンビニがあるのでトイレに行きたくなったらそこで適当なものを買物してトイレを借りられる。
 
ここ半月ほどの間に千里はこの車の中に寝具や着替え、カロリーメイト、かにパン、またカップ麺などの非常食や水・コーヒー、小型のカセットコンロに鍋、食器、簡易トイレなどを持ち込んで、いつでも長距離ドライブができるようにしておいた。バッグにはいつもクールミントガムも入れている。また車内で電化製品(特にパソコン)が使えるようにするためインバーターも買った。そして深夜の交通の少ない時間帯に結構運転の練習もしている。ETCカードを作った後は、それで高速に乗り降りする練習もして、東関東道・館山道などを主として走り、何度か圏央道や首都高も経験し、中央道で甲府まで往復などというのも経験した。
 
9時頃になって携帯が鳴る。それで雨宮先生を迎えに行き、後部座席にお乗せして出発する。
 
「新潟のどの付近ですか?」
「高田って分かる?」
「上越高田ですか?」
「そそ」
 
「お急ぎですか?」
「明け方までに着けばいいよ」
「途中休憩を入れて5〜6時間程度だと思いますが、できるだけ早く着いた方がいいですか? むしろ夜が明けてから着いた方がいいですか?」
 
「そうだね。じゃ6時くらいに着くように」
「では途中のSAで少し長めの休憩をします」
「うん」
「上信越道を通っていっていいですか?」
「ルートは任せた」
「了解です」
 
上越高田に行くには関越で長岡まで行ってから北陸道を西行して直江津から南下する道と、藤岡JCTから上信越道に入り、長野県内を北上する道がある(もうひとつ中央道・長野道を通るルートもある)。距離的には上信越道を通った方が長岡経由より40kmほど短い。しかし道の難易度は上信越道のほうが遥かに高い。アップダウンやカーブも多いし濃霧がよく発生する地点が軽井沢付近・妙高高原付近と2ヶ所もある。
 
上信越道の濃霧の話は友人からも聞いていた。
 
それでも短い方のルートを選ぶのは、千里の貧乏性のなせるわざである! 
「こないだよりだいぶ上手くなった」
と言われた。先日、この車を受け取った日に千里は雨宮先生を静岡まで送って行っている。ただし千葉から海老名SAまでは貴司が運転して、千里は海老名SAから日本平PAまでを運転しただけだ。
 
「時間が取れる限り練習してました」
「よしよし」
「あんたを私の専任運転手に任命しようかしら」
「時間が取れる限りはお引き受けしますよ。車運転するの楽しいし」
「ああ、ハマったね」
「ええ」
「高校時代に何度か運転させた時もセンスいいと思ってたけど、免許取ったら堂々と運転できるからね」
「そうですね」
「実際は中学生頃から運転してたんでしょ?」
「してませんよー」
「私にまで嘘つかなくてもいいのに」
 
首都高に乗り、練馬ICから関越に入る。千里はあまり無理せず左車線をゆっくりとした速度で走って行った。上里SAで少し休憩してから藤岡JCTで上信越道に入る。かなりスピードを出す車も多いが、千里はわざとトラックの後ろに付いて控えめの速度で走って行く。
 
「トラックの後ろとか怖くない?」
「初めのうちは怖かったです。それと標識が全然見えないんですよね」
「だろうね」
「でも分岐ポイントはカーナビで分かりますし、他の車の後ろに付いている限り、まずスピード違反で捕まることはありません。これ教習所の先生が休憩時間に内緒の話と言って教えてくれたんですよ」
 
「ふふ。それは無事故無違反ドライバーの基本的なテクだね」
と雨宮先生は言った。
 

東部湯の丸SAで長めの休憩をすることにした。雨宮先生と一緒に降りて夜食を食べた後、車内で仮眠を取った。千里が前座席、雨宮先生が後座席で横になる。 
「毛布が2枚積んであるというのは偉い」
「ふたりで寝る場合を想定して積んでおきました」
「それって1枚で済むケースじゃないの?」
「うふふ」
 
「でも先生ってひょっとしてバイですか?」
「うん。私は男の子も摘まみ食いするよ」
「その時って、どちらが男役なんですか?」
「ふふふ。試してみる?」
「遠慮しておきます」
 
「もっともあんた既に女の身体になってるからなあ」
「先生に病院に連れて行って頂いた時のことは本当に不思議でしょうがないんですよ。実際は手術とか全然してないんですけどね」
「ほんとに?」
「ええ。何でみんな私が性転換手術済みだと思っちゃうんだろう」
 
「それは事実だからだと思うけど」
「うーん」
 
「あんた、こないだの男の子は恋人なんでしょ?」
「恋人じゃないですよー。彼とは1年前に別れて今はただの友だちです」
「友だちね〜。でもセックスはするんでしょ?」
「そのくらいはしますけど」
「彼氏はあんたが男であることを承知で付き合ってるわけ?彼ってホモ?」
「彼はノーマルです。女の子が好きですよ。でも私、彼の前では完璧に女を演じてますから。ただ演じすぎたのか、彼、私が既に女の身体になってると思い込んでる感じなんですよね」
 
「セックスもしている彼氏がそう思っているということは、やはり女の身体になっているとしか考えられんのだが」
「うーん・・・」
 
朝4時頃千里は目を覚ます。雨宮先生はまだ寝ているようであったがトイレに行ってきてから出発する。妙高高原で霧が濃かったので、時間調整も兼ねて短時間の休憩。ここで雨宮先生も起きてトイレに行ってこられる。そして千里は5時45分くらいに上越高田ICを降り、6時の時報が鳴るのと同時に目的地に到着した。
 
「正確に着いたね」
「偶然です」
「楽曲の辻褄合わせの仕方なんか見ていても思うけど、あんたの頭の中って、アナログコンピュータが動いているみたいだ」
「なんかそういうこと高校時代によく言われてました」
「ああ。バスケのゴールを狙う感覚と、こういう感覚って共通だろうね」
 
雨宮先生は電話で会う予定にしていた人と連絡を取っていたが、向こうは焦っている雰囲気。多分無予告だったのではと千里は思った。結局8時まで待ってくれということになったようで、近くのファミレスに行って一緒に朝御飯を食べた。
 
「昨夜、私が何の打ち合わせをしていたか分かる?」
と雨宮先生は訊く。
 
千里は少し考えて答える。
「ローズ+リリーですか?」
「正解」
「あのペアも騒動のほとぼりは冷めたし、そろそろCD出すんでしょ?受験勉強での休養が入るだろうから、時期は難しいけど7月くらい?」
 
「うん。そのつもりだったんだけどさ」
「何か問題でも」
「マリちゃんが歌う自信無いと言ってるのさ」
 
千里は耳を疑った。自分の性別を全国に曝されたケイの方がショックで歌えないと言うのなら分かる。なぜマリの方なのだ?
 
「ケイちゃんが歌えないというのなら分かりますが、なぜマリちゃんが」
と千里はそのままの疑問をぶつける。
 
それで雨宮先生はマリは自分の歌が下手だというのをずっと気にしていて、こんな下手な歌でお金を取っていいものかと悩んでいたというのを話す。その疑問があの事件をきっかけに爆発してしまい、自信喪失しているのだというのを説明した。
 
「歌いたいことは歌いたいらしい。でも『ローズ+リリーのマリとして』は歌う自信が無いというんだよね」
 
「だったら、名乗らずに歌わせればいいんです。名も無き歌い手として。そしていろんな機会に人前で歌う経験を積み重ねて、それで自信回復させるしかないでしょう。それと並行して歌のレッスンとか受けさせて、ほんとに歌唱力を付けさせる」
 
「今、占いしたね?」
「無筮立卦(むぜいりっか)というんです。易占い師は頭の中に筮竹があるので、実際に筮竹に触らなくても易卦を立てることができます。今のは天水訟三爻という卦が出ました。無理させるなという卦です。之卦は天風女后 Encounter. 人との接触をさせること。つまり、実際にライブをさせることで本人が怖さを乗り越えていくしかないということです」
 
「ふふふ。私はやはりいい弟子を持ったわ」
 

「ケイの方は逆に開き直ってる感じだわ」
と雨宮先生は言う。
 
「偉いですね。ケイちゃんがそれなら、やがてローズ+リリーの復活はあるでしょう」
 
「今のもその無課税なんたら?」
「山天大畜の二爻変。山火賁へ行く。大きな利益をもたらす案件だけど、今は一時停止。でもやがて超ビッグスターになりますよ。大畜はお金がたくさんある状態。賁(ひ)は活火山です」
 
「ああ。あの子たちはそのくらいの素材かもね。だったら、あんたも一口乗る?」
「投資ですか?」
 
「そそ。彼女たちのプロジェクトの運営会社を作っちゃおうという魂胆な訳。そもそもマリが自信喪失した背景には、自分たちの意志と無関係に過密スケジュールで働かせて精神的に消耗したというのもある」
 
「普通の十代の歌手は親の同意を取り付ける段階で本人も歌手をするんだという意志を固めていく。でもあの子たち、親の同意を取らずにデビューさせちゃったからその段階を経てない。趣味のサークルでもしているのと似た感覚のまま、いきなり売れちゃって、何も覚悟していない状態でプロとして行動せざるを得なかった。ちょっと同情しますね」
と千里は言う。
 
「やはり親の同意取ってないのが一番まずかったね」
 
「そういうことならマリの精神的疲労は理解できます。ケイはKARIONの水沢歌月としても音楽活動してたからプロ意識はあったでしょうけど、マリは無垢でありすぎたんです」
 
「ふーん。ケイが水沢歌月だってことを知ってるんだ?」
「・・・・それって、もしかして非公開ですか?」
「非公開どころかトップシークレット。★★レコードでも知っているのは多分2〜3人」
「へー! だって演奏を聴けば波動で分かるじゃないですか」
「いや、千里、普通の人は波動なんて分からないんだけど」
「そっかぁ」
 
「まあ、それで今度は彼女たちが自分たちのペースと自分たちの考えで働ける環境を作ってあげようということ。色々な会社が彼女たちに便宜を図ってあげられるように多数の会社の相乗りにするけど、主導権を本人たちが取れるように資本金の67%はケイ本人が出す」
「あの子、そんなにお金があるんですか?」
 
「持ってるんだなあ。実はあの子、数年前からあんたと似たような仕事をしていたのよ。私と違って物凄く売れてるソングライターのだけどね。それで実はケイの所属をめぐっては何年も前から数社で争奪戦をしてたんだ。だからその数社で相乗りしちゃおうというのも背景にある」
 
「談合か。便宜を図ってあげるというより利益の共有ですね。で、出資額はどのくらいですか?」
 
「私は2本出すつもりだけどね。今準備中だから実際の設立は多分来年」
「受験が終わってから稼働ですか。それ実際に利益が回収できるのって更に数年先ですよね」
「うん。桃栗3年柿8年の気持ちが必要」
「じゃ、取り敢えず先生がお出しになる額の2割程度で」
「よしよし」
 
この時千里は「2本」の単位を1桁勘違いしていたので、あとで慌てることになる。しかし、それで結局、千里はサマーガールズ出版の0.4%の株主になることになる。
 

連休中は千里はずっと千葉市内L神社で巫女として奉仕していた。この時期は4月29日の田植祭、5月5日の端午節句祭が連続して行われる。千里は境内で早乙女たちの踊りの奉納が行われるのを見、境内に設けられた五月飾りの展示エリアなども見て歩いた。脇参道には鯉のぼり100匹が泳いでいる。
 
「千里ちゃん、小さい頃は兜とかを飾って鯉のぼり立てて、端午の節句をしたのかな?」
と辛島さんが訊く。
 
辛島さんと宮司さんには千里の性別は話してあるが、辛島さんは「でも既に性転換してるんだよね?それなら全然問題無い。それに巫女として問題があるなら既に以前奉仕していた神社で問題が起きていたはず」などと言って、性別は気にすることないと言われた。着替えなども他の巫女さんたちと一緒にふつうに着替えている。
 
「私が生まれた年だけは鯉のぼり立てたらしいです。でもその年だけだったらしいですね。うちの母って面倒くさがり屋さんだから。雛祭りも妹が生まれた年1回だけだったらしいし」
 
「千里ちゃんのお母さんって、アバウトっぽくて親近感を感じる」
「物事にこだわらない性格ですね。だから私も自由に生きてこられたのかも」
 
「それって世間的にはダメな母親かも知れないけど、子供にとっては良い母親だよ」
と辛島さんは言う。
 
「むしろ私、近所の女の子と仲良くなって小さい頃からよく一緒に遊んでいたから、幼稚園の頃とか小学1〜2年生くらいに、その子の家で一緒に雛人形の前で撮った写真なんかが残ってますよ」
 
「ふーん。面白い。だけど雛祭りとか女の子ばかり集まっているだろうから、その中に男の子がひとりいると、それも微笑ましいよね」
 
「そうですね。でも私、幼稚園の頃とか女の子の服を着ていること多かったから、その手の写真ではみんな女の子の格好なんですよね」
 
辛島さんは少し悩んでいる。
 
「千里ちゃん、本当は最初から女の子だったってことは?」
「だったらいいですけどねー」
 

「なんか今日は変な天気だね」
と連休なので多数の昇殿祈祷をこなしている若手の神職さんが言う。
 
「ああ、そういえばだいたい晴れてるのに朝から何度も突然の雷鳴とかありましたね」
と別の神職さん。
 
その時、27-28歳くらいの巫女・田口さんが言う。
「雷鳴は、千里ちゃんが龍笛を吹いている時に鳴っている気がする」
 
すると「そういえばそんな気がする」と言う人が何人かいる。
 
「ああ。留萌でも旭川でも私よく言われてました」
と千里は平然と言う。
 
「ね、もしかして千里ちゃんの龍笛って、本当に龍を呼んでいたりして?」
と辛島さん。
 
「だったら龍の来る神社ということで宣伝しちゃいましょう」
と千里は笑顔で言った。
 

千里は###銀行の店頭でも支店長代理さんと会話したように、証券会社の口座を作ろうと思っていた。それで連休前に某ネット証券会社の口座開設のための書類を出していた。それの本人確認の電話が連休明けにあった。 
その場で訊かれる。
「村山様。性別が男性と記入されていたのですが、村山様、本当に男性の方なのでしょうか?」
「え、えっと・・・」
「こうしてお声を聞いておりますと、女性の方の声に聞こえるのですが」
 
私、男声でしゃべっているのに何で〜?とは思ったものの、千里は
「すみませーん。間違って記入したみたいです」
と答えてしまう。
 
「では性別は女性に訂正しておいてよろしいですか?」
「はい。お願いします」
 
ということで、書類では男の方にチェックを付けておいたものの、結局女性としてこの証券会社には登録されることになった。
 
なお、この証券会社では未成年が口座を作る場合、保護者が同じ会社に口座を持っている必要があったので、4月中に母に口座を作ってもらっておいた。但し母は「株なんて分からん!」と言っていたので、結局そちらの口座も千里が管理している。
 

連休明け、健康診断の結果が出ましたので、各自自分のID/PASSで学校サイトにログインして確認してくださいという掲示が出ていた。重大な病気の可能性などがあり、再検査が必要な人だけ郵便でも通知するらしい。何人かパソコンをいつも持ち歩いている子が教室でチェックしていたが千里は後で自宅で見ようと思った。
 
ところが友紀がパソコンを持っていて、そこに他の女子も集まっている。彼女のパソコンでみんな自分の検査結果を見ているようである。
 
「あぁ、私鉄分が低いみたい」
「やはりホウレン草とかトマトとか食べないといけないよ」
 
そんなことで騒いでいた時、真帆が
「ね、ね、千里はもう自分の見た?」
などと声を掛ける。
 
「あ、まだ見てない」
と言うと
「ここで見られるよ」
などと言われる。
 
いや、他の人には見られたくないんですけど!?
 
取り敢えずそばに寄って行く。
 
「このパソコンはIDカードリーダー付いてるから、学生証を読み取らせれば、ID/PASS入力しなくても、ちゃんとアクセスできるんだよね」
 
しまったぁ。パスワード忘れたと言うつもりだったのに。
 
仕方無いので千里は学生証をそのカードリーダーに掛ける。写真を見られたくないので、写真付近に指を置いて読み取らせたが、特にそのことには気付かれた感じはなかった。
 
「特に異常数値は無いみたいね」
と言われる。
 
検査項目で異常値の出た所は反転表示になるようになっている。
 
「へー。鉄分の数値高いね。えらーい」
「RBC(赤血球数)が470, Hgb(ヘモグロビン)も14.2で充分高い。千里、貧血とかあまり無いでしょ?」
「中学の頃は何度か貧血で倒れたことあるけど、最近は無いかな」
「少食な割りには偉いね」
 
「でも千里、HbA1cが高い。少食を装ってて、実は隠れてドカ食いしてない?」
「それ以前にも血液検査された時に言われたことあるけど、隠れてドカ食いはしてないよ。私の身体って物凄く燃費がいいみたいだから普通に食べててもカロリー過多になりやすいみたい」
「ああ、そういう体質なのか」
 
血糖値に関してはかなり気をつけているのだが、やはりまだまだかなと千里は自戒する。
 
「男性ホルモン・女性ホルモンも正常値だね」
「千里はきっと女性ホルモンが高くて男性ホルモン低いと思ったのに」
 
彼女たちは千里の性別がFと表示されていることに気付いていない。どうか最後まで気付きませんようにと千里は祈った。千里の女性ホルモン値・男性ホルモン値は、あくまで「女性として正常」な値である。
 
「Hcgも0.5か。千里、妊娠はしてないみたい」
「私、妊娠はしないと思うけど」
「いや、気をつけておかないと危ないよ」
「Hする時は確実に避妊を」
 
そんなことを言っていた時、美緒が教室に入ってくる。
「何やってんの〜?」
というので、
「こないだの健康診断の結果を見てるんだよ」
と朱音が答える。
「美緒も見てごらんよ」
 
「そこで見られるの?」
ということで、美緒が自分の学生証をカードリーダーに掛ける。
 
おかげで千里の健診数値チェックはそこまでで終了した。千里はホッとした。ところが美緒の数値を見ると、反転表示している所がある。
 
「・・・・」
「美緒・・・」
 
「なあに、この数値は?」
と本人。
 
「ここはHcgってホルモンの量なんだけど」
「何のホルモン?」
「これ正常値は0.7以下なのに、美緒のは20000もある」
「超異常?」
などと言いながらも、本人はこの数字の意味が分かってないっぽい。
 
友紀が周りを見回す。男子学生が居る場でこの話はできない。
 
「ちょっと教室の外に出よう」
と言って、友紀はパソコンを閉じて、その場にいる女子5人(友紀・真帆・朱音・千里・美緒)だけで外に出た。
 
そして友紀は美緒に言った。
「あんた妊娠してる」
 
「えーーー!?」
と本人は超絶驚いていた。
 

少し遅れて来た玲奈も入れて6人で話し合い、とにかくも産婦人科に行くことにする。美緒の健診シートには欄外に「妊娠しています。検診は受けていますか?」というコメントが入っていた。
 
2時間目の授業をサボって、一緒に学校から少し離れた所にある病院に行った。あらためて、おしっこを取られ検査結果を待つ間、待合室で話し合う。 
「だけど生理来てなかったら気付かなかったの?」
「先月中旬、小さな出血があったんだよ。それが生理だと思ってた。あれ?今月は軽いなとは思ってたんだけど」
「それ着床時出血っていうやつだよね」
「つわりとかは無かった?」
「そう言われてみると、こないだから何度か吐き気がした」
 
「ほんとに妊娠してたらどうすんの?産む?」
と友紀が訊くが
「まさか。中絶。中絶」
と本人は言っている。
 
「入試の時に知り合った彼?」
「だろうな。この時期、他の子とはしてないし」
 
「えっと・・・美緒って割とセックスするんだっけ?」
「うん。結構してたけど、妊娠したのは初めてだよ。危険日は避けてる自信あったんだけどなあ」
「いや。それは、やる時はちゃんと付けさせなきゃダメ」
 

友紀が代表して付き添いで診察室に入り、美緒と一緒に先生の話を聞いてきたが、漏れてくる声を聞いていると、美緒は女医さんから、かなり叱られているっぽかった。妊娠7週ということで、明日中絶の手術をすることになったが、今日の夜9時以降は絶食ということであった。
 
「避妊のことでだいぶ叱られた」
と本人も少しへこんでいるが
「当然!」
とみんなから言われている。
 
「でも手術代が無いや。どうしよう? 学生ローンとかで借りようかな」
などと言うので
「それはダメ!」
とみんなの意見。
 
「その彼氏に出させることはできないの?」
と朱音が言うが
「無理だと思う。貧乏学生だから」
と美緒。
 
「それに彼、私がいろんな男の子とセックスしてたの知ってるから、自分の子供じゃないって言われそう」
「うーん。それはそういう乱れた性生活してた美緒が悪いという気もする」
 
友紀が提案する。
「こういうのお互い様だしさ。みんなでカンパしない?
玲奈も
「うん。そうしよう。私が失敗した時は、みんな助けてよ」
と言う。
 
全員同意して、みんなで分担して出すことにする。朱音が桃香(寝坊してまだ自宅に居た)に電話したら、桃香も協力するということだった。それで諸経費込みで14万円掛かるところを、この7人で2万円ずつ出すことにした。 
(最終的には、桃香に再度強く言われた美緒が彼氏と連絡を取ったら彼氏は申し訳ないと謝り、自分も貧乏なのでとは言いつつ3万出してくれたので、それを美緒を除く6人で5千円ずつ分けることになった) 
「あ、ごめん。今日の診察代も持ってないんだけど」
などと美緒が言うので
「今日の分は私が出しとくよ」
と言って千里が支払いをしてあげた。
 

病院を出る段になってから、ふと真帆が入口の所の表示に気付く。
 
「あれ?この病院って、男性の立入禁止なんだ?」
と言うと、受付の所に居たおばちゃんが
 
「そうですよ。だからこういう所に不慣れな女の子でも、安心して受診できるようになっているんです」
と言う。
 
一瞬6人の間で視線が飛び交う。正確には千里を除いた5人の間で飛び交う。が・・・「まあ、いいよね」と玲奈が言い、他の子も頷いている。
 

近くのマクドナルドに入る。
「病院代を千里が出したから、ここのお勘定は私が持つよ」
と朱音が言う。
 
すると美緒が
「たくさん食べていい?」
などと言う。
 
「まあ少々はいいよ」
と朱音。
「いや、明日手術だし、体力つけとかないといけないからクォーターパウンダー食べちゃおう」
と美緒。
「おお、元気だ」
 
「うん。でも少し反省した。やはり次からはちゃんと付けてもらおう」
「セックスする以上は付けるのが当然というのを徹底しなきゃ」
 

「しかし男子禁制のレディスクリニックに千里が居ても、咎められなかったね」
と真帆が言う。
 
「男の子がひとり混じっていると、妊娠させた彼氏かなと思われるかもという気もしたんだけど、女友だちのひとりと思われていたようだ」
「私も男の子の千里が支払いをしたということは、その人がお腹の中の子の父親と思われるかもと思ったんだけど、そもそも女性と思われていた感じだ」
 
「待合室でも全然浮いた感じ無かったしね」
「千里、レディスクリニックとかに居て、居心地悪くなかった?」
「ううん。別に」
「こういう所に来たことはないよね?」
 
「こういう独立したレディスクリニックは初めてだけど、総合病院の婦人科なら高校時代に行ったことあるよ」
 
「・・・・・・」
 
「それって誰かの付き添い?」
「まさか恋人を妊娠させたとかじゃないよね?」
「ううん。ボクが受診したんだけど」
 
「ちょっと待て」
「男の子が婦人科を受診するってどういう状況よ?」
 
「え?男で婦人科を受診するってことないんだっけ?」
と千里が訊くと
「普通有り得ない!」
と言われて、千里は、あれ?まずかったかな?と思った。
 

「まあ、そういう訳で自己紹介どぞー」
と花野子が言った。
 
その日、千里たちは東京都内のスタジオに集まっていた。
 
「福岡出身、△△△大学の希美です」
「鹿児島出身、Y国大の香奈絵です」
「東京出身、△△△大学の真乃です」
 
それで千里たちもひとりずつ自己紹介した。
 
「希美ちゃんにベース、真乃ちゃんにピアノ、香奈絵ちゃんにドラムスをお願いしようと思っている」
と花野子が言う。
 
「香奈絵ちゃん、体格がいい」
「中学、高校で柔道やってたんですよ」
と香奈絵は言っている。
 
「やはりどうしてもドラムスは体育会系だよね〜」
「するとどういうパート振りになるのかな?」
 
「リードギター梨乃、リズムギター鮎奈、ベース希美、ドラムス香奈絵、ピアノ真乃、大正琴が私」
と花野子が説明する。
 
「花野子は大正琴なのか」
「いや、これの音に結構ハマってるんだよね。孝子のお母さんから借りっぱなしで悪いけど」
「いや孝子のお母さんはきっともう忘れている」
 
孝子は京都の大学に行っている。関西方面に行ったメンツでもやはりバンド結成の動きがあるらしい。
 
「歌も入れるの?」
「うん。私と希美ちゃんでデュエットする。希美ちゃん、なかなか歌が上手い」
「ほほぉ」
 
「それでさ、札幌組も2人大学の友だち引き込んで5人編成にしたらしいのよね」
「へー」
「それで新メンバー入れたから Kittens からは離れて Northern Fox という名前にするらしい」
「ネコがキタキツネに変身したのか」
「まあ、キツネの皮をかぶったネコかも」
「ふむふむ」
 
「それでこちらも名前を変えようかと」
「ああ。いいんじゃない?」
「何て名前にするの?」
「ゴールデンシックス」
「ああ。6人だもんね」
「ノーザンフォックスと韻を踏んでるな」
 
「ついでにメンバーのニックネームも考えちゃったよ」
と花野子はノリノリである。
「どんなの?」
 
「私がカノン、梨乃はリノン、鮎奈はアンナ、希美がノノ、香奈絵がカーナ、真乃はマノン」
 
「何だか格好いい」
「よし。取り敢えず合わせてみよう」
「今から練習初めて、夏頃にCD作れたらいいかなあ」
 
「楽曲は少し待って。ここしばらく忙しかったから」
 
と千里は言う。ゴールデンウィーク前まで雨宮先生から頼まれた仕事をしていたので、すぐには新しい曲が書けないのである。千里は《創作の源泉》を貯めるのに最低でも1週間、できたら2週間掛かるのを意識していた。3曲続けても書けるが、それをやると次の曲を書くまで1ヶ月程度の空隙が必要だ。モーツァルトみたいな人って、やはり元々の出来が違うんだろうと千里は思う。モーツァルトはわずか4日で交響曲を1本書きあげたなどという恐ろしいエピソードもある。
 
「大丈夫大丈夫。取り敢えずしばらくは麻里愛が書いてくれた曲と、1曲私が書いて、美空ちゃんに意見聞いて調整した曲で練習してるから」
 
「お、花野子、作曲したんだ」
「だけど美空ちゃんも、ビッグになっちゃったね〜」
「こないだ蓮菜たちも入って演奏した『trois ans』、聞かせたらいい出来だって言ってたよ。契約上直接関わることはできないけど、意見とかは聞かせてくれるって」
「それは頼もしい」
 
「よし、それでは練習を始めよう」
ということで、全員位置に就いた。
 

「ふーん。じゃ、その彼女に今は激ラブなんだ?」
と千里は微笑みながら貴司に言った。
 
「いや、まだそんな段階じゃないよ。1度ゴールデンウィークの試合の合間に食事しただけで」
と貴司は何だか焦ったような顔で言った。
 
千里は5月下旬、貴司と会っていた。半ば運転の練習を兼ねて深夜の東名・名神を大阪までインプで走ってきたのである。正確には貴司が大津駅まで電車で出て来たので、朝そこで貴司を拾いふたりでドライブをしていた。千里は渋滞を避けるのも兼ねて、R367の山の中を走る道を通って今津まで行き、そこから更にR161で敦賀まで北上してお寿司屋さんでお昼を食べた後、また南下してマキノピックランドまで戻って来ていた。途中インプのような車で走ると(ドライバーにとっては)《楽しい》区間がたくさんあった。
 
今日は会った時にキスしてくれなかったし、その後も何だかよそよそしい感じだし、車内で休憩してても自分を襲わない!?しというので、これは多分あれだろうなと思い、道中はバスケの話ばかりしていたものの、マキノまで来てから「彼女できたの?」と笑顔で訊いたところ、貴司は最初申し訳なさそうな顔をして、新しい恋人の存在を告白した。
 
「私も今新しい恋人と付き合ってるから、貴司もその彼女と付き合っていいんだよ」
と千里は言う。
「でもどんな人?」
 
「前の彼女とはある意味正反対。淡泊な雰囲気で恋人というより友だち感覚で付き合ってしまいそうな気分。本人の弁では料理とかも好きみたい。手作りクッキー食べたけど美味しかった」
「貴司って、元々女の子と話すの苦手って言ってたし、そういうポジションで付き合える子との方がうまく行くかもね。セックスした?」
 
「まだしてないよぉ!」
「3回目のデートまでの間にセックスしちゃいなよ。それ過ぎると、今度はお互いに言い出しにくくなるよ」
 
「千里、僕が他の女の子とセックスしても平気?」
「私は平気だよ。その件は私、中学の頃から平気だって言ってたはずだけど。そもそも私、貴司の赤ちゃんを妊娠してあげられないしね」
 
「その割りには、他の女の子とのデートは、いつも邪魔されてたけどね」
「ふふふ」
「それに千里って本当に妊娠できないのかというのも疑問があってさ」
 
ふたりはしばらく沈黙した。
 
「でも私も今の恋人と次のデートではセックスすると思うから」
と千里は言った。
 
「そっかー」
と貴司は残念そうに言う。
 
「でも千里の彼氏ってどんな人? 同級生?」
「まだ内緒」
 
「でも千里、まだその携帯のストラップ付けてくれてるんだね?」
「貴司もまだ付けたままじゃん」
「これさ。元々は僕たちの結婚の印だったけど、僕たちの友情の印ということに再解釈しない?」
「いいよ。私はそれで。だったらずっと付けておく」
 
千里は結果的に桃香ともお揃いになってしまうなというのをチラっと思った。 
「でももし僕、彼女と結婚することにした時は外すかも」
「私も今の恋人と結婚する気になったら外すかも」
 
「じゃえっと・・・」
と貴司は千里とどういう形で《接触》すべきか悩んでいる。
 
「握手しよう」
と千里が笑顔で言うと
「うん」
と貴司も言って、ふたりはしっかり握手した。
 

千里は考えていた。今私振られたんだよなぁ。でもなんで私こんなに冷静なんだろう、と。思うに高校進学の時に貴司といったん別れた時も、私ってすごく余裕があった。いまだにあの時の自分の気持ちが理解できない。今も私悲しくなったり、貴司の新しい彼女に嫉妬してもいいはずなのに、何なのだろう?この自分の余裕は??
 
「そうだ。これ持っててくれない?」
と言って千里はインプの荷室に置いていたヴァイオリンケースを貴司の前に出す。 
「このヴァイオリンは千里にあげたものだよ」
と貴司は戸惑うように言う。
 
「うん。私のもの。だから貴司に預ける」
「そう来たか」
 
「弦は4月に千葉に出て来てから新しいナイロン弦に張り替えてるし、一応貴司と会う前に朝、草津PAで調弦しておいた。まあ貴司は絶対音感持ってるから自分で調弦できるだろうけど」
「いや実はだいぶやってなかったから、もう僕、絶対音感が怪しい」
「だったら、これで少し鍛え直すといいかもね」
「でも・・・」
 
「貴司さあ、こないだは彼女がいるのに私とふたりきりになったら暴走しちゃったじゃん」
「あれは本当にごめーん」
 
あれはお互いに会ったのが1年ぶりだったこともあったのかも知れないなと千里は思う。
 
「だからさ、性欲暴走しそうになったら、私の代わりにこのヴァイオリンを抱きしめてよ。抱いて寝てもいいよ」
 
「何それ? 僕は楽器を抱いて寝る趣味はないけど」
「だってヴァイオリンの胴って女の子の身体の形してるって言うしね。ウェストがくびれてるんだよ」
「首長女だ」
「ろくろっ首だよね。男がいつ来るかいつ来るかと待っている内にのびちゃったんだよ」
「ああ、昔は特に女は待つだけだったしね」
 
「貴司が結婚する時に私に返して」
「でも千里、ヴァイオリンの練習はしないの?」
「貴司が結婚したら、練習するよ」
「千里って、本当に練習嫌いだからなあ」
「うふふ」
 
軽食を取った後、お散歩したが、ここは本当に気持ちのよい場所である。メタセコイアの並木も美しい。ふたりとも夕日が迫る光の中で、たっぷりと自然の美味しい空気と景色を満喫した。それで暗くならない内に帰ろうということになる。 
「また会ってくれるよね?」
と貴司が訊く。ふーん。恋人を作っても私と会いたいのか。貴司にとって私って何なのだろう?とは思ったが千里は自分の心の欲求に従うことにした。 
「友だち同士会うのは問題無いはず」
と千里も言う。
 
それでふたりは手をつないで駐車場まで戻った。
 
「ね、千里、お願いがあるんだけど」
「なあに?」
「帰りは僕に運転させてくれない?」
 
 
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