【女子大生たちの妊娠騒動】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2014-07-04
「え?吉子ちゃん結婚するの?」
千里はそういう話を全然聞いていなかったので母からの電話で聞いてびっくりして言った。つい先週、吉子の妹で千里と仲の良い愛子と電話した時にも、そんな話は聞いていなかった。
「それが付き合ってた彼氏の子供を妊娠しちゃったらしくて。結構大騒動だったみたいだよ」
「へー。それで結婚することにしたんだ?」
「うん。本人はまだ結婚するつもりないし、子供は堕ろすなんて言ってたんだけど、お母さんに説得されて産むことにして、それで先に結婚しなきゃということで」
「なるほどねー。産んでから結婚するより結婚してから産んだ方がいいよね」
「なんか最近、そのあたりの順序が乱れてるけどね」
「HIJKというやつだよね」
「何それ?」
「HしてからI(愛)して、JuniorができてからKekkonして」
「あんたは順序守ってよね」
「大丈夫だよ。Hする時はいつも付けてもらってるし、私、子供産む前にちゃんと結婚するから」
「・・・・あんた貴司さんと結婚するんだっけ?」
母は千里の言葉の中に微妙なニュアンスを感じ取ったようで、そう尋ねた。
「貴司と法的には結婚しないと思うよ。彼とはあくまで友だち。お母ちゃんに認めてもらって、結婚式まであげたのにごめんね」
「いや、それはいいんだけど。それで吉子ちゃんの結婚式は東京で挙げるらしいのよ。それに私とお父ちゃんの代理で、あんた出席してくれない?」
東京というより多分埼玉ではないかと千里は思った。吉子は現在埼玉県の越谷市に住んでいる。母にとっては、千葉県も埼玉県も神奈川県も「東京」の範疇だ。
「東京のどのあたり?」
「あ、えっとね。ちょっと待って」
と母はメモか何かを探しているようだ。
「あった、あった。茨城だって」
「へー! 彼氏がそっちの人なの?」
「そうみたい。何か趣味のサークルで知り合ったらしいよ」
「ふーん」
「それでさ・・・」
と母は何か言いにくそうにしてる。
「じゃ私が出席するよ。御祝儀も立て替えとくから」
と千里は言った。
「ほんと?助かる」
と母。
交通費が掛かるという問題もあるけど、その御祝儀の方がきっともっと問題だったんだろうなと千里は思う。新婦の叔母という立場だと御祝儀も2〜3万という訳にもいくまい。
だけど従姉の結婚式に、私、どんな服を着ていけばいいんだろう!? 個人的にはドレスで出たいけど、あとでその写真を見たら、父が腰を抜かしそうだ。
取り敢えず近い内に吉子の所に一度顔出しておかないといけないかな。
2009年4月。千里は千葉市のC大学に入学した。千里は小学校から中学高校と、かなり性別曖昧な状態で過ごしていたが、大学に入るのと同時に完全な女の子生活に入ろうと思っていた。
ところが学校に出て行く前日千里はなりゆき上男装せざるを得なくなった。そしてその日の用事が終わり、翌朝女の子の服に着替えて学校に行こうと思ったら、着替えが全部雨漏りにやられているのを発見してショックを受ける。
結局男装のまま学校に出て行くハメになった千里はクラスメイトから
「女子ですよね?」
と訊かれて
「ボク男ですよ」
と答えてしまった。このあたりは高校時代さんざん女生徒扱いされながらも男子を主張していた癖が出てしまった気もした。
千里が男を主張するのでその日、男子のクラスメイトたちから飲み会に誘われたものの、行ってみて千里は「男の世界」に付いていけない思いを持つ。また千里を誘った男の子たちも「この子は違う」と思ってしまった感じであった。
そして週明けの月曜日千里は、女子のクラスメイトの朱音に誘われて和菓子のバイキングに出かけた。
「800円で食べ放題って凄いね」
と千里は正直な感想を言う。
「月曜と木曜だけの限定なんだよ。土日はランチとセットで2000円で食べ放題」
「2000円というと都会価格だなあ。うちの田舎でやったら誰も来ない」
などという声もあがっている。
「このどら焼き、あんこの量が凄い!」
「なんか普通のどら焼きの2〜3倍入ってるね」
「これ普通の値段出して買ってもいいなあ」
「普通に買うと1個150円みたいね」
「いや、それでも安い気がする」
「このお団子やわらかーい。好き〜」
「みたらしの味も好みだな。辛すぎず甘すぎず」
「お菓子がホントに好きな人が味付けしてるね」
ここの食べ放題は時間制限は無いのだが、だいたい最初の1時間くらいで女子たちのお腹は適度に満たされる。食べながら話していたのはお菓子自体の論評だったが、ひとしきり話し終えると、学校の中身の話が色々出る。
「緋泊先生はちゃんと毎回出席していたらテストの答案がよほど酷くない限りは最低でもCくれるらしいよ」
「あの先生、逆にAはめったにくれないらしいね」
「そうそう。だから『シーどまり』というアダ名があるらしい」
「N先生、結構セクハラ紛いの言動があるから気を抜かないようにしないといけないって」
「そういう先生って自分ではセクハラしてる意識無いんだよね」
「そうそう。単に学生と親睦を深めているつもりだったりする」
先生の噂に関しては金曜日に男子の飲み会で聞いた話とも一部重複していたが同じ先生の評価でも、男子学生の見方と女子学生の見方は結構違うんだなと思いながら千里は聞いていた。
同級生の話題も早速出る。
「佐藤君は文学部の2年に彼女が居るんだって」
「年上の彼女?」
「いや、佐藤君は1年浪人してるから。高校の時の部活で一緒だったらしいよ」
「宮原君は本当は医学部を狙ってたらしいね。前期で落ちたんで後期で理学部受けて通ったんだって」
「もしかして仮面浪人するつもりだったりして」
「うんうん。本人の口ぶりもそれっぽかったらしい」
「渡辺君は地学科のアヤちゃんと同棲してるっぽい」
「新入学で既に同棲!?」
「一応、各々独立にアパートは借りたらしいけど、実質アヤちゃんのアパートで暮らしているっぽい」
まだ2日目なのに、何なんだ?この子たちの情報網は?
「この中で恋愛中の子いる?」
という質問が出るが、美緒が堂々と
「交際中」
と言って手を挙げる。
「おぉ、すごーい」
「高校の時の知り合い?」
「ううん。入試の時に知り合った」
「嘘」
「それでもう恋愛成立しちゃったんだ?」
「うん。私はぐずぐずしてる恋は嫌いだから」
「Hした?」
「3回したよ」
「すごーい。既にそんなにしてるとは」
「ちゃんと避妊してるよね?」
「してないけど、排卵日は避けてるから大丈夫だよ」
「いや、それは危ない」
「ちゃんと付けさせなきゃ」
「セックスしたことで排卵が起きることもあるって話だよ」
「基本的に女の子の身体って妊娠が起きやすいようにできてるから」
千里はそんな会話にも普通に混ざって話していた。この程度のことは高校の時にも、蓮菜たちと普通に話していた内容だ。
その後、5人(玲奈・美緒・真帆・友紀・朱音)と千里の会話はファッションの話や、ジャニーズやExileなどの男性芸能人の話題、高校時代の恋話などで盛り上がっていく。
「結構長居しちゃったね」と言って2時間弱で和菓子の店を出て(特に美味しかったお菓子を何人か別途買ってテイクアウトしていた)、ファミレスに移動し、晩御飯を食べながらまた話が続く。
玲奈はハンバーグセット、真帆はシーフードスパゲティ、友紀はカツカレー、朱音はチキンステーキセット、千里はミートグラタンを食べているが美緒はひとりでサーロインステーキとヒレカツのコンボセットにタコスのプレートを取っている。
「美緒、よく入るね」
「男の子の目が無い場所では本音の食事だよ」
「ああ、言えてる、言えてる」
「美緒の食べっぷり見てたら、もう少し入る気がしてきた」
という声が出て来て、ソーセージピザとポテトのプレートを注文してみんなでシェアしようということになる。
それで料理が来て食べながら話していた時、友紀が千里の前にあるグラタン皿に目を留める。
「あれ、村山君、まだそのくらいしか食べてないの?」
「うん。もうお腹いっぱい」
「うそ」
「それ3分の1くらいしか食べてないじゃん」
「ボク少食なんだよねー。マックとかもハンバーガーは何とか食べてもポテトは食べきれないから最初から誰かにあげちゃうし」
「信じられん」
「ハンバーガーって、クォーターパウンダーとか?」
「あんなのとても入らないよ〜。普通のハンバーガーとかフィレオフィッシュとか」
「私ならクォーターパウンダーは2個行ける」
と美緒。
「クォーターパウンダーはさすがに1個しか入らないけど、ダブルチーズバーガーなら2個食べたことある」
と朱音。
「ボク、ダブルバーガーは半分も食べきれない」
「凄い少食だね〜」
「ごはんちゃんと食べてないとおっぱい大きくならないよ」
と美緒は言ったが、言ってから「あれ?」といった顔をして
「そういや、村山君、男の子だっけ?」
「うん、ボク男だけど」
「忘れてた!」
という声が複数の子から上がる。
「だけど、なんか普通に女子の話題に付いてきていた」
「レディスのブランド名もよく知ってるし」
「サンリオのキャラクターもよく知ってる」
「Hey! Say! JUMP のメンバーの名前を知ってる男の子なんて有り得ない」
「女子特有の恋愛話にふつうに反応してた」
「卵胞期・黄体期なんて言葉を知ってる男の子って見たことない」
「まるでPMSを経験したことがあるみたいな話し方だった」
「授業中に付けてあげたイヤリング、そのまま付けてるし」
「村山君、ニューハーフさんってことは?」
「え〜? ボク、普通の男の子だと思うけど」
「いや、絶対普通じゃない!」
と全員の声。
「取り敢えず、食欲に関しては、かなり少食な女の子って感じだよね」
「取り敢えず、女子に準じて扱っても問題ないような気がする」
「女子に準じて扱われたら嫌?」
「うーん。別に気にしないけど」
「だったら、『村山君』って苗字で呼ぶのもよそよそしいし、千里ちゃんって名前呼びしてもいい?」
「うん。呼び捨てでいいよ」
「よし、本人も言っているし、他の子と同様に名前の呼び捨てで」
「了解了解」
結局、千里の性別問題はスルーされた感じで、また色々な話題で盛り上がる。
「男子では結構春休みに運転免許を取りに行った子いるみたいね」
「ああ。合宿で取るには、春休みは良いタイミング」
「私は高3の夏休みに合宿で免許取ったよ〜」
と友紀が言う。
「お、すごい」
「取るには取ったけど、高校卒業まではお母ちゃんに免許預けてたんだけどね」
「ああ。親としては心配だよね」
「春休みにお父ちゃんに助手席に乗ってもらって練習してだいぶ勘を取り戻した」
「車買った?」
「買いたいけど、車屋さんに行ってみて、値段見て桁を数えてそのまま帰ってきた」
「ああ、高いよね〜」
「中古車だと少しは安いよ」
「うん。高校の同級生男子からそういう話聞いて中古車屋さんにも行ってみたけど、やはり手が出んと思った」
「入学金で親に負担掛けてるし、お金貸してとかは言えないよねえ」
「そもそも免許取るのに親からお金出してもらったし」
「いくら掛かるんだっけ?」
「だいたい20万くらいだよ」
「あれ、だいたい年齢×1万円くらいなんだって。20歳前後で取るなら20万で取れるけど、30歳になってから取ろうとしたら30万掛かるって」
「60歳なら60万?」
「60歳で免許取ろうというのは凄いな」
「男子では車買った子が5人くらい居るみたいね」
「へー」
「だいたいみんな30万から50万くらいの中古車で3〜4年のローンみたい」
「ああ。うちの大学は貧乏な学生多いから、親がポンと新車買ってくれるなんて子は居ないだろうね」
「ボクも免許だけ取った〜」
と千里も言う。
「バイトとかするのに免許があった方がいいかなと思って」
と千里は付け加える。
「ああ。免許があればできる仕事が増えるよね」
「ピザの宅配とか、運送屋さんの助手とか」
「運送屋さん?」
「宅配のトラックで、メインのドライバーが荷物を配達に行っている間、運転席に代わりに座っておく仕事」
「そんな仕事があるの?」
「運転手が居ない状態で車が放置されてたら、駐車違反の紙貼られちゃうでしょ?運転手が居れば、駐車してるんじゃなくて停車中ですと言えるらしい」
と玲奈が言う。
「そのために運転席に座るんだ!」
「だから実際にはトラックを運転できなくてもいい」
「でもトラック運転できる免許が必要なのでは?」
と朱音が訊くが
「街中の配送に使っている2トントラックなら普通免許で運転できる」
と玲奈は答える。
「へー!」
「でも玲奈詳しいね」
「あ、えっと・・・」
「もしかして彼氏から聞いたとか?」
「あははは」
「なるほどー。交際中か」
「まだ交際ってほどじゃないよ。キスもしてないし」
「ふむふむ」
話をしている内に千里の携帯が鳴る。Perfumeの『チョコレイト・ディスコ』のメロディーである。千里は携帯(二つ折り型)を取り出すと開き、表示されたメールを見る。そしてそのままオンフックキーを押してメールを閉じ、携帯自体も閉じた。
「千里、今のは恋人?」
と質問が出るが
「男の子の友だちだよ〜」
と千里は答える。
「なーんだ」
という声。
「『チョコレイト・ディスコ』なんて、てっきり彼女からのメールかと」
「彼女なんて居ないよ〜」
「恋人できたことないの? なんか女の子と話すのに慣れてる感じだし」
「ボク、女の子とは友だちになっちゃうんだよねー」
「それでは恋人にはならんか」
この時点では、このメンツは千里の恋愛対象が男の子であることに気付いていない。
「ボク、お母ちゃんからのメールは『桜の花びらたち』を設定してるよ」
「誰の曲だっけ?」
「AKB48」
「どんな曲?」
というので鳴らしてみるが、朱音だけが「あ、聞いたことある」と言い、他の4人は「知らん」と言った。
ファミレスでもかなり話題が盛り上がり、ピザを2回くらいお代わりし、フランクフルトソーセージのプレートに、鉄板餃子のプレートに、フライドチキンのプレートにと消化されていた頃、ファミレスの中にウェイトレスに案内されて入ってくる姿があった。
それを見て玲奈が
「桃香ちゃーん、こっちこっち!」
と呼ぶ。
桃香はびっくりしたようであったが、案内していたウェイトレスは
「ああ、お連れさんですか?」
と尋ねる。
すると桃香が答える前に玲奈が
「そうそう。お友だちでーす」
と言っちゃうので、「それではどうぞ、ごゆっくり」とウェイトレスは言って向こうに行ってしまう。
桃香は「え〜?」という顔をしていたが、仕方無いので、千里たちのテーブルに着席する。
「何食べる? ここのハンバーグ結構美味しかったよ」
と玲奈。
「スパゲティもゆで加減がちょうどいい。きれいにアルデンテになってた」
と真帆。
「ピザも美味しいね」
と朱音。
「あっと、それじゃミートグラタンにしようかな」
と桃香は言う。
すると玲奈が呼び出しベルを鳴らしてウェイトレスを呼び、桃香に代わって
「ミートグラタンとドリンクバー」
とオーダーしてしまう。
「飲み物何飲む?」
「うーん。凍頂烏龍茶かな」
などと難しいことを言うと
「あ、それあったよ。ボクが煎れてきてあげる」
と言って千里が席を立ち、凍頂烏龍茶の茶葉を入れ熱湯を注いだポットとティーカップを持って戻って来た。
「どうぞ」
「ありがとう」
「桃香ちゃん、どちらの出身?」
「あ、えっと高岡」
「どこだっけ?」
「九州?」
「いや北陸」
「富山県だよね」と玲奈が言う。
「うん」
と答える桃香は居心地が悪そうな顔をしている。
「そういや、みんなどこの出身だったっけ?」
「その話題は金曜日も出たが」
「酔っ払ってたんで忘れてしまった」
などと玲奈は言っている。
「ああ、かなり飲んでたね」
「私は群馬県の高崎」と美緒。
「私は長野県の安曇野」と朱音。
「私は静岡県の浜松」と友紀。
「私は茨城県の鹿嶋」と真帆。
「私は新潟県の長岡」と玲奈。
「ボクは北海道の留萌」と千里。
「結構みんな遠くから来てるよね」
「真帆がかろうじて地元っぽい」
「富山とか北海道とか、近くにも良い大学があるだろうに、なぜわざわざ千葉まで?」
「うーん。親元から離れたかったからかな」
と千里は言う。
「父親が漁師を継げとか言うんだけどさ、ボク絶対漁師なんて無理だから」
「ああ、確かに無理っぽい」
「なんか華奢な感じ」
「あれ? でもバスケットしてたとか言ってなかった?」
「うん。してたよ」
「スポーツ選手に見えん」
と多くの子が言うが、美緒だけが
「いや。千里の身体付きって余計な肉が無い。女子マラソン選手みたいに全身筋肉だと思う」
と言う。
「《女子》マラソン選手なのか」
「女子のスポーツ選手なら、こういう体形の子は居る」
「男子のスポーツ選手じゃないのね」
「うん。千里のお肉の付き方は男子スポーツ選手じゃない」
と美緒は断言する。
「あれ? そちら男子?」
と桃香が訊く。
「そーでーす」
と千里は答えるが
「女の子かと思った!」
と桃香は驚いている。
「ボクの声、男の声に聞こえないかなあ」
と千里が言うと
「確かに男の声と思えばそう思えるが」
「女でもたまにこのくらい低い声の子は居る」
「話し方も女の子っぽい」
「まあそれで女子に準じて扱っていいみたいだから」
「というか女子の中に自然に溶け込んでいるし」
「うん。だから名前で『千里』って呼んでもらっていいよ」
と千里は言う。
「ごめーん。みんなの名前覚えてない」
と桃香が言うので、あらためてみんな自己紹介する。ちょうど桃香が(?)頼んだミートグラタンも来たので、桃香はそれを食べながらである。
「私は美緒(みお)。中学では陸上部、高校ではコーラス部してた」
「私は朱音(あかね)。部活はしてないけどずっと図書委員してた」
「ああ、図書委員とか放送委員は部活に近い」
「あ、ボクも放送委員〜」と千里が言う。
「私は友紀(ゆき)。私は中学も高校もバレー部だった」
「私は真帆(まほ)。中学では美術部、高校ではアニメ部」
「私は玲奈(れいな)。中学では剣道部、高校では茶道部」
「すごーい。やまとなでしこだ」
「本人的には宇宙戦艦ヤマトに機動戦艦ナデシコ」
「ほほぉ」
「ボクは千里(ちさと)。中学も高校もバスケ」
「あ、えっと。私は桃香(ももか)。中学も高校も科学部」
そこまで行った所で桃香は千里が自分と同じミートグラタンを食べていたっぽいことに気付く。
「あれ?随分残してるね。あまり美味しくなかった?」
と千里に訊くが
「ううん。もうお腹いっぱいだから」
と千里。
「ああ、その前に何か食べた?」
「何も食べてないよ」
「桃香ちゃん、千里はマクドナルドも半分残すらしい」
「うっそー! マクドくらい2〜3個入るでしょ?」
と桃香が言うと
「そうそう。ダブルバーガーなら3個くらい行けるよね」
と美緒が言うが
「いや、さすがにダブルバーガーは1個半だ」
と桃香。
「女の子でもこんなに少食は珍しいよね」
「やはり男の子というのが信じられん気がしてきた」
「でもよくそんなに少食でスポーツしてたよね」
「バスケとか消耗激しそうなのに」
「あ、そうか。それで髪を短くしてたって言ってたっけ?」
と桃香は金曜日の教室でのやりとりを思い出す。
「うん。去年の秋頃から伸ばし始めた。うち3年生の夏で部活終了だから」
「ああ、だいたいそういう所が多いよね」
「進学校になると2年生で終了という所も多い」
「うちも2年で終わりだった」
とバレー部だったという友紀が言う。
「でも部活辞めたら突然体重が増えたんだよ」
と友紀が言う。
「それまで50kgだったのが一時期60kgまで行っちゃって。更に受験勉強で増えて」
「ああ。受験勉強は夜食とか食べるから体重増えるよね」
「春休みに減らしたけど、まだ58kgだよ」
と友紀は言うが、
「いや58もあるように見えない」
と多くの声。
「やはりスポーツやってた子は身体の均整が取れてるから太って見えないんだよ。バレーやってて50kgなんてむしろ軽い方では?」
「うん。バレーって背の高い子が多いから体重も60-70はザラだった」
「友紀、身長はいくら?」
「165cm、千里見た時、わぁい私より背の高い女子がいると思ったのに」
「うーん。その《背の高い女子》ということで千里は構わない気もする」
「千里は身長170くらいある?」
「ボクは168cmくらいかな」
「体重は?」
「バスケしてた頃は55-56kgあったんだけど、辞めたら体重落ちちゃって。現役時代は御飯を頑張って2杯食べてたのを1杯に戻したせいかも知れないけど」
「・・・・」
「受験勉強で更に落ちたから今は49kgくらい」
「・・・・・・」
「なぜ受験勉強で体重が落ちる?」
「えー?だって頭使うじゃん。脳みそってカロリーの消費が凄いんだよね」
「夜食とか食べない?」
「コーヒーとか飲んでたよ」
「コーヒーに砂糖は?」
「ボクいつもブラック〜」
「千里、168cmで49kgはどう考えても痩せすぎ」
「そうかなあ。でもバスケしてた頃より筋肉落ちてるから、体重があまりあると身体が重たいと思うんだよね」
「私も確かにバレー辞めた後は自分の体重を重く感じたけどね」
と友紀。
「千里の少食かげんはかなりのものだなあ」
「千里、ほんとちゃんと御飯食べないから、おっぱい小さいんだよ」
「うーん。男の子は別におっぱい小さくてもいいと思うけど」
「いや。その短い髪を見てなかったら、千里をどこかに拉致して解剖して本当に男かどうか確認したい気分だ」
などと玲奈が言う。
「まあ女子でこんなに短くする子はいないだろうね」
「Lucky Blossomの鮎川ゆま、とかなら」
「ああ、あの人短いね」
「私、Lucky Blossom 好き」
と桃香が言う。
「アユちゃんに激らぶだよー」
などと桃香が言うと
「もしかして桃香ちゃん、レズっ気とかある?」
という質問が出る。
「うん、私、レスビアンだよ」
と桃香は堂々と告白する。
「お、それもいいなあ」
という声が数人から出る。
「レスビアンも一回経験してみたいなあ」
などと美緒。
そんな話をしていた時、桃香の携帯が鳴る。ペールギュントの『オーゼの死』だ。不思議な曲を着メロにするもんだと千里は思った。
メール着信のようで桃香はバッグから取り出して中身を見ていたが、千里はぎょっとする。それは桃香の携帯ストラップに銀色のリングのついたものが付けてあったからである。
私と貴司が使ってるストラップに似てるなあと思って千里はそれを見詰めていた。
「誰からのメール?」
「あ、高校の時の友だち」
「友だちって男の子?女の子?」
「えっと・・・女の子」
「ね、ね、それって友だちというより恋人ってことは?」
というツッコミが入る。
「いや、そんなんじゃないって」
と桃香は言ったが、何だか焦っている様子。
残りの6人はお互いに顔を見合わせて、大きくうなずき合った。
おしゃべりは延々と続いていた。よく話のネタがあるものだという感じである。
「でも千里、ほんとに髪伸ばしなよ」
と玲奈が言う。
「うん。結構そのつもり」
「肩くらいの長さあってもいいと思うよ」
「実は胸くらいまで伸ばそうかなと思ってる」
「ああ、似合うよ、きっと」
「千里女装とかしないの?」
という大胆な質問が出る。
「しないよー」
「似合いそうだよね」
「うんうん」
「スカート一度穿かせてみたいな」
「勘弁してー」
桃香の方は自分がレスビアンだと告白してしまったこと。それにみんなの前で恋人?らしき女の子からの連絡を受けたりしたことで、隠すようなものが無くなり、この6人との垣根が取れてしまったかのようで、結構おしゃべりに参加するようになっていった。最初はみんな「桃香ちゃん」と呼んでいたものの本人がその内「呼び捨てでいいよ」と言うので「桃香」になってしまう。
7人のおしゃべりは適宜ピザやポテトにチキン、タコス、サンドイッチなどを追加オーダーしながら9時頃まで続いた。
「さすがにそろそろ帰ろうか」
「今日は楽しかったね」
「やはりアルコール入れない方が楽しい気がする」
「うん。金曜日はなんか混沌としてしまって記憶が飛んでいる」
「やはり禁酒するか」
などと言っているが全員未成年のはずである。
「またこの7人で集まろうよ」
ということで、この後、このクラスの《女子7人》で集まっておやつやごはんなど食べながらおしゃべりするというスタイルが定着する。当時はまだそういう言葉は無かったものの女子会であった。
もっとも実際には7人の内、朱音・真帆・友紀の3人が中核メンバーという感じで、これに玲奈・美緒は彼氏とのデートとぶつからない時だけ出て来て、桃香は気分次第(正確には寝坊しなかった時)、そして千里は(2年生の頃までは)誰かに誘われたら参加する、という感じであった。
「みんなアパートは大学の近く?」
「私は**町」
「私は**町」
とだいたいキャンパスの近所の住所を言うが、千里が
「ボクは**町」
と言うと
「遠いね!」
とみんなびっくりしたように言う。
「親戚の家か何か?」
「ううん。とにかく安い所を探したらそこになった」
「家賃幾ら?」
「共益費込みで11,000円」
「安っ!」
「良くそんな所見つけたね!」
という声が上がったが、桃香が
「勝った」
と言う。
「桃香は家賃幾ら?」
「共益費込みで6000円」
「うっそー!?」
「だって**町でしょ」
「そんな中心部で」
「1K?」
「2DKバストイレ付き」
「そんな馬鹿な!」
「その場所で2DKなんて6〜7万してもおかしくない」
すると友紀が少し考えるようにして言う。
「それ、まさか事故物件?」
「うん。住んでた人が3月に自殺した」
「えーーーー!?」
「怖くないの?」
「幽霊出ない?」
「幽霊とか妖怪なんてものはこの世に存在しないよ」
「いや、この世には存在しないけど、あの世にはあってもおかしくない」
「みんな理系なのに迷信深いなあ」
と桃香は言っているが、千里は、なるほどー、それで幽霊をぶらさげていたのかと納得した。
「桃香、だったらこれあげるよ」
と千里は桃香に財布の中に入れていた金色の小さな蛙を渡す。
「何これ?」
「桃香が幽霊に取り憑かれないようにおまじない」
「おまじないとか信じないけど」
「うん。信じないなら持っていても問題無いよね」
「確かにそれはそうだ」
「お財布かバッグのポケットに入れておくといいよ。これ二見浦(ふたみがうら)の蛙だから、御守り効果も強烈。無くした物が帰る、去って行った友だちが帰る、無くしたお金も帰るというんだけど、幽霊もあの世に帰ってもらう」
「ほほぉ」
「ボクは良く人に『あるべきやうは』と言うんだよね。二見浦の蛙って、まさにその効果かなと思うんだけどね」
「あるべきようは?」
「明恵上人という鎌倉時代のお坊さんの言葉」
「へー」
「物事はそうなるべきようにすべきということね。何か間違っていることに気付いたら、そこからどう辻褄を合わせるかと考えるより、本当はどうするべきだったか考えて原点に戻ってやり直した方がいい。明日試験なのに勉強してない!って時におかしな必勝法を考えるより、少しでもちゃんと勉強した方がマシ。道に迷った時も、変な抜け道を通ろうとするより間違った所まで戻って正しい道を行った方がいい」
「それは言えるなあ」
「何か迷うようなことがあったら、本来はこれはどうあるべきかというのを考えると道が見えてくるというの」
「なんか深い言葉だ」
「みょうえ?」
「明るい恵みと書いて明恵。河合隼雄さんの解説本が面白い」
「ふーん。図書館で探してみよう」
「しかしお金が返ってくるなら、持っていてもいいかな」
と桃香が言うので
「ああ、そういう性格好き」
などと玲奈が言っていた。
翌日の午後は講義が無かったので、千里は連絡を入れて千葉市内のL神社に、春休みに自動車学校で知り合った辛島さんを訪ねて行った。千里は学校にはなりゆきで男装・短髪で出たものの、神社は女装・ロングヘアで訪れた。
社務所に行き、名前を名乗って辛島さんに会いたいと言うと事務所に通される。
「こんにちは〜」
と挨拶すると、辛島さんは一瞬誰か分からなかったようだが
「あ、千里ちゃんか!」
と言って笑顔になる。
「でも長い髪!」
「あ、これウィッグなんですよ」
「へー。全然ウィッグっぽくない」
「私中学の時までは髪を長くしてたんですけど、高校ではそういう長い髪にできなかったんで切ったんですよね。その時、切った髪でこのウィッグ作ってもらったんです」
「なるほどー!」
(このウィッグの代金は、実弥(留実子)の姉の敏美がなかなか受け取ってくれなかったものの、今回千葉に出てくる前に、何とか押しつけてきてようやく精算することができた)
それで自動車学校で話していた龍笛をお聞かせする。
周囲に居た人たちがみな振り返って千里を見た。
「こんな凄い龍笛の音は初めて聞いた」
と言われる。
神職の衣装を着けた初老の男性が近づいてくる。
「君、それいつ頃から吹いてるの?」
「中学1年の時からだから6年ですね」
「ね、うちの神社の巫女さんにならない?」
「えっと。私、理学部で忙しいから」
「だったら、土日だけでもいいよ」
「そうですね。だったら週に1回くらいなら」
ということで千里はL神社に原則として週一回奉仕することになったのであった。
神社での奉仕は奉仕として、千里は何かアルバイトをしなければと思った。それで学生課に行って尋ねてみた。
「どんなバイトがしたい?」
「えっとどんなのがあるんでしょうか? 私よく分からなくて」
と正直に言うと
「女子はファミレスとか居酒屋の店員さんとか、ガソリンスタンドのスタッフとか、電話オペレーターとか、あとコンビニのレジ係とかもありますね」
《女子は》と言われたのは取り敢えず気にしないことにする。
「学校の時間にぶつからないもので、ある程度の日数できるものがいいんですが」
「そうだねえ。家庭教師とかしてみる?」
「ああ、それなら夕方以降ですよね」
「そうそう」
それで紹介してもらって家庭教師の派遣会社に登録して、まずは講習を受けたが、「C大学の学生さんなら、かなり需要がありますよ」と言われた。
それで中学2年生の子の勉強を見てあげることになった。服装は、襟の無い服とかはダメと言われたので、初日、高校時代にブレザーの下に着ていたワイシャツにベージュのコットンパンツ、靴はスニーカーという感じで訪問したのだが
「あら、先生色気の無い格好ね」
と向こうのお母さんに言われた。
「うちの娘は、人が見てないと勉強しないので、そばに付いてて時々アドバイスとかしてもらうと助かるのですが」
という話であった。
あれ?娘? なんで女の子なのかな?と千里は思った。派遣会社の登録シートには(戸籍通りでないとまずいかなと考えて)性別男と記入したはずなのにと思う(実際には千里を見た担当者が性別は記入ミスだろうと考えて女に変更してしまったのである)。
取り敢えずその日は2時間ほど勉強を見てあげたが、素直な子で、やればできる感じの子であった。ただ、このタイプは「勉強を始める」までが時間がかかったりするし、自主的な勉強をあまりしないので、学校の成績の割りに模試とかに弱かったりする。それで2時間の指導の後で、その点をお母さんに言うと
「そうなんです!うちの娘、模試に弱いんです」
と言われた。
「今のうちに何とか自分で勉強するというのを覚えさせていかないといけませんね。これが高校生くらいになってもこの癖が直らないと受験で失敗しやすいです。成績が良いと、学校の先生もレベルの高い大学を薦めてしまう。でも、実際の試験ではその実力を出せないんですよ。難しいとは思いますが、本人がやる気を出せる環境作りをしましょう。パソコンやゲーム機などは時間を決めるとか、おうちの人も協力してテレビを点ける時間も決めるとかしたいですね」
「それ、以前担当していただいたベテランの家庭教師さんにも言われたことあります!」
なるほど、それでも進展が無い訳か。これは重症だと千里は思った。
帰り際お母さんは
「次からはもっとカジュアルな服装でもいいですよ。女性らしい服装の方があの子もリラックスできますし」
と言う。千里は戸籍上男だから、男として登録しないといけないかなと思っていたのだが、結局この家庭教師のバイトでは、その後ふつうにブラウスとスカートにパンプスなどといった格好でこの家を訪問することになった。また髪も次回からはショートヘアのウィッグをつけて行くようにした。
千里は旭川から引っ越して来て、とりあえず住民票は動かしたのだが、他にもいろいろと移転の手続きを取らなければならないものがあった。その中のひとつが銀行の住所変更である。北海道の地元銀行の方は母に変更手続きの代行をお願いしたのだが、都銀の方は自分で行くことにする。
それで千里は神社に行った翌日、水曜日の午後に###銀行の千葉支店を訪れ、その手続きをした。番号札を取ってから住所変更の用紙をもらい記入しながら待つ。順番が来た所で呼ばれて窓口に行く。用紙と印鑑を出す。
「これ口座の支店は移動させなくてもいいですか?」
「ええ。札幌支店のままでいいです」
「こちらへは就職か何かで出て来られたんですか?」
「大学進学です」
「あ、ちょっとお待ち下さい」
と言われて、窓口の女の子が奥の方に行き、少し偉そうな感じの男性と話している。何か端末を叩いて確認している。何だか驚くような顔をしている。その男性が窓口に出て来た。支店長代理の名刺を出される。
「村山様、今普通預金に****万円ほど残高がありますが、普通預金にこんなに置いておかれるより、定期か何かになさいませんか? あるいは投資信託などにするとか」
「投信はするつもりはないです。むしろ株にしておきたいんですよね。そちらは別途証券会社の口座を開設する準備をしていますので」
「了解です。今村山様はキャッシュカードは普通のキャッシュカードですか」
「そうです」
「クレジットカードはお作りになりませんか?」
「あ、そういえば友人がETCカードを作っておいた方がいいと言ってましたね」
「村山様、お車を運転なさるんですね?」
「ええ。免許取り立てですけど」
「お車をお買いになる予定は?」
「あ、もう買いました」
「そうでしたか。ローンですか?」
「いえキャッシュです」
と言うと、支店長代理さんは何だか頷いている。これは数百万の新車をポンと現金で買ったかと思われたかも知れないという気がする。
「それではETCカードとクレジットカードを同時発行できるもので、学生さんにお勧めしている、デビューカードというのがあるのですが、いかがでしょう?」
「あ、じゃお願いしようかな。どっちみちどこかで作ろうと思っていたので」
それであらためてそのカードの申込書に記入する。保護者などを記入する欄はあるものの「そこは名前だけ書いておけばいいですから」などと言う。どうも千里の口座の残高が大きいので、ほとんど無審査になっている雰囲気だ。
投信はしないと言っているのに、他にも国債はどうでしょうとか、積立口座とか、クレジットカードとは別にこういかカードもありますがとか色々勧められたが、丁寧にお断りしながら、支店長代理さんとのお話は1時間以上に及び最後は千里が
「済みません。次の時間の講義に出ないといけないので」
と言ったので、やっと解放してくれた。
クレカとETCカードはその場で渡してくれた。大サービスのようであった。クレカには MS. CHISATO MURAYAMA と刻印されていたが気にしないことにした。(申込書の性別は一応男に丸をした)
カードを作ってもらった御礼になどと言って、何やらけっこう重量のある白い箱の入った袋をもらった(後で開けてみたら深川製磁のペアのティーカップであった)。他にもボールペンやメモ帳など銀行のアメニティグッズが幾つか入っていた。
なお、この銀行の口座とは別に、C大学の授業料の引き落とし用の口座も必要なので、千里は翌日の昼休みに地場の地方銀行の大学そばの支店に行って開設してきた。本当は水曜日に両方回る予定だったのだが、###銀行で時間を取られてしまったので、翌日になってしまった。こちらは1000円だけ入れて開設したので、口座開設の御礼はポケットティッシュ1個であった。
千里は、なりゆきで男装して通学し始めてしまったので、大学構内でのトイレの使用については少し悩んだ上で、こんな感じで利用することにした。
基本的にはできるだけ理学部のトイレには行かない!
千里は自転車通学で、キャンパスより北側の地区から来るので北門から入り、そのまま理学部の駐輪場に駐めればよいのだが、朝はわざわざ南側の正門にまわり、工学部でトイレを借りてから理学部に移動する。
理学部も女子は少ないが工学部は更に少ないので、工学部の女子トイレはたいてい空いているのであまり人と顔を合わせずに用が達せる。
それでどうしても理学部に居る間にトイレに行く場合は、できるだけ多目的トイレに入るようにしていた。
しかし多目的トイレというのはしばしば塞がっていたりする。そういう時は意を決して男子トイレの使用を敢行した。千里が男子トイレを使うのは中学の時以来、3年ぶりであった。
しかし千里が男子トイレを使うと、当然のようにトラブルも発生する。
千里がトイレに入って来たのを見て
「ちょっとちょっとこちら男子トイレ」
と言われたことも何度かあった(素直に出て行って他の階のトイレを探した)。
「わっ、びっくりした! なんだ村山君か」
と言われたこともあった。
たまたまそんな感じで一応受け入れられたものの、個室がふさがっていると、千里は立っておしっこすることができないので個室が空くまで待つしか無い。
「あれ?大?」
「うん」
と言って待っていたが、このケースは結構長時間待つことになる。待つのは女子トイレの行列でさんざん鍛えているから割と平気なのだが、その間、入って来た他の男子たちから「わっ、びっくりした」と毎回言われるハメになっていた。
しかし千里が男子トイレに入っても、いつも個室を使っているということには男子のクラスメイトが次第に気付き出す。そしてその話は噂として広がり、女子のクラスメイトにも伝わってくる。
それである日の女子会で訊かれてしまう。(この日は桃香は来ていなかった)
「ね、ね、千里さ。男子から聞いたけど、千里が立っておしっこしているのを見たことが無いって」
「え?してることもあるけど、たまたま見られていないのでは?」
「いや、これは数人の男子から聞いた話だから、千里がホントに立っておしっこしているのなら、誰か見ているはず」
「そ、そうかな? あ、でもボク個室でする方が好きではあるけど。ちょっとボーっとしていられるから」
「確かに小便器の前でぼーっとしていたら変だ」
そんなことを言っていたら美緒が
「ね、千里、実はおちんちんが無いから立ってできないとか」
「あるよ〜」
「いや、千里におちんちんが無いと言われても驚かない」
と玲奈が言う。
「というか千里は『ごめん。私本当は女なの』とか告白しても驚かないな」
と朱音。
「まさかぁ」
「千里、いっそ女子トイレに来ない?」
などと友紀が言い出す。
「ボクが女子トイレに侵入したら痴漢で捕まるよ」
「いや。そんなことはない」
「千里が女子トイレに居ても多分誰も不自然に感じない」
とみんなの意見。
「女子トイレなら個室いくつもあるから、のんびりできるよ」
「ってかのんびりしてる子多いよね」
「私も中でメールチェックしてたりするし」
「ついつい彼氏とチャットしちゃったりするし」
「こないだ私、トイレの中で朝御飯におにぎり食べた」
「おにぎり食べるのはトイレはやめといた方がいい」
「じゃ何かの間違いで性転換でもしちゃったら女子トイレ使うよ」
と千里は言ったのだが、
「あぁ、やはり性転換したいんだ?」
などと言われる。
「別にしたくないよー」
「千里、性転換したら可愛い女の子になりそうだけどなあ」
「ってか既に可愛い女の子である気もする」
「もしかして既に性転換済みだったりして」
「うんうん。だから男子トイレで立ってはできないんだったりして」
と話はお約束な感じで暴走する。
「ちんちんは付いてるけどなあ」
「私たちには隠さなくてもいいからね」
「内緒にしといてあげるよ」
むろん女子の友人の前で「内緒に」と言ったことは、概ね高速に友人間で噂として伝わっていくことになる。
「ほんとにどこかに拉致して裸にして調べたいなあ」
「あはは」
「でもどっちみち、近い内に裸になるよね?」
「ん?」
「来週は健康診断だよ」
「あぁ」
「でもちんちんまでは調べられないのでは?」
「いや千里が女の子なら上半身裸になっただけでもお医者さんには分かるはず」
「ふむふむ」
「でも昔の徴兵検査とか、ちんちんまで見せないといけなかったらしいね」
「そんなの見せてどうすんの?」
「確かに男だという確認?」
「むしろ性病とかに罹ってないかのチェックだと思う」
「なるほどー」
「ちんちんが無いのに徴兵検査受けに行く人は無かったんじゃないかなー」
「そういう人は女の格好してるから、だいたい入口で帰れと言われたらしい」
「千里も入口で帰れと言われるタイプだな」
「女装してなくても帰れと言われるよね、多分」
「ありそう、ありそう」
金曜日のお昼頃、貴司から電話があったので取ると
「今日の午後、時間ある?」
と言われる。
「夕方からバイトなんだよね。でも午後の講義が休みになったから今自宅に戻っている最中。どこに居るの?」
「いや、会社の仕事で成田に来たんだよ。今その仕事が終わったんだけど、夕方までに大阪に戻ればいいから、1-2時間会えないかなと思って」
「じゃ、千葉市内のどこかで御飯でも食べる?」
「あ、いや。自宅に戻る最中なら、千里んちに行ってもいい?」
「いいよ」
貴司は実業団のバスケット選手であるが、実業団の選手というのは社員でもあるので昼間は普通のお仕事をしている。その関係で出張があったのだろう。
それで自宅で待っていると、1時頃、貴司はやってきた。
「何時に帰るの?」
「19時からの練習に出ないといけないから羽田を17時の飛行機に乗りたいんだよね。だから16時くらいまでに羽田に行かないといけない。だから1時間くらいしか時間が取れないと思うんだけど」
「だったら私が羽田まで車で送って行くよ。15時に出れば間に合うはず」
「じゃ2時間取れるね!」
まだお昼を食べていないということだったので、昨日の残りだけどと言ってシチューを温めると美味しい美味しいと言って食べてくれる。束の間の奥さん気分になれる時間だ。
食事が終わった後、何となく誘い合って、お布団の中で少し気持ちいいことをする。貴司は逝ったまま眠ってしまった。その寝顔に千里はそっとキスをした。
彼に恋人が居ない間はこんなことしてもいいかな、と千里は思う。ただ、そんな時間がそう長くはないだろうというのも千里は考えていた。このセックスがもしかしたら最後のセックスになる可能性もある。一期一会という言葉を千里は改めて噛み締めていた。
14時半近くになるので貴司を起こす。
「シャワーでも浴びてくるといいよ」
「うん。その前にトイレ行ってこよう」
と言って貴司はトイレに行く。
そして出て来てから言う。
「今気付いたんだけど、千里、トイレに汚物入れがあるんだね」
「女の子が住んでいる家のトイレにはあって当然」
「ふと棚を見たらナプキンも置いてある」
「女の子が住んでいる家のトイレにはあって当然」
「千里、やっぱり生理あるんだっけ?」
「セックスする時はちゃんと避妊してよね」
「そりゃするけどさ!」
貴司がシャワーを浴びている間にタンスに入っている貴司の下着とワイシャツを出しておく。貴司は「ありがとう」と言って、それに着替え、一緒に駐車場に行った。
「あれ?時間貸し駐車場?」
「うん。この車の本来の駐車場は都内にあるんだよね」
「なんで?」
「なんでだろうね。私もよく分からない。でも今日は必要になる気がしたから昨夜こちらに持って来てたんだよ」
「千里って、昔からそれがあったね。必要なものが前もって分かってるんだ」
それは《たいちゃん》が千里に教えてくれるからである。
インプレッサの運転席に千里、助手席に貴司が乗って車はスタートする。東関東自動車道から首都高湾岸線に進み、東京湾に沿って車は走る。初めてここを通った時は、宮野木JCTで行き先の表示を読み違ってうっかり京葉道路の入口に入ってしまい、料金所の職員さんにリカバーの仕方を尋ねたりしたものだが、一度失敗すれば、次からは大丈夫である。
「千里だいぶ上手くなってる」
「ここの所毎晩夜中に走らせて練習してたから」
「えらーい。練習嫌いな千里にしては上出来」
「えへへ。褒めて褒めて」
「うん。この調子で頑張れ」
と言って貴司は千里の頭を《よしよし》してくれた。
首都高は渋滞が始まる前の時間帯だったので、無事16時前に羽田空港ターミナルビル前に到着した。
「ありがとう」
「じゃ、また」
と言いあって貴司は千里の唇にキスして車を降りていった。千里は次に彼とキスするのは何ヶ月後だろうなぁ、とふと思ってしまってから、何故今自分がそういうことを考えたのだろうと再度思って顔をしかめた。
翌週の月曜日は健康診断であった。学生課の掲示板に「新入生健康診断」と書かれており、場所は医学部C館、時間は男子9:00-11:00, 女子11:00-12:00 となっていた。多分女子は人数が少ないから1時間で終わるということなのであろう。
千里は「うーん」と考える。自分は果たしてどちらの時間帯に行けば良いのだろうか? そこで千里は自宅に戻るとパソコンから大学の学生専用サイトにアクセスし、自分のスケジュールを確認してみた。
すると「健康診断 4.20 11:00-12:00」という表示がある。
やはり私って女子学生なのね〜。
お医者さんに診られるのはいいけど、クラスメイトに見られるのは面倒だなと思い、千里はどうしたものかと考えた。実は女だってもうカムアウトしちゃおうかな?
そんなことを少しワクワクしながら考えながら、千里は取り敢えず問診票への記入をして送信しておいた。女子用の問診票なので「妊娠したことがありますか」「妊娠していますか」という項目があったが、どちらも「いいえ」を選択しておいた。
それで千里は10:30に医学部C館に出て行った。そして受付を通らずに!診察が行われているエリアに行く。見知ったクラスメイトがいる。
「あれ?村山、もしかして今来たの?」
「うん。遅れちゃった」
などと言って、男子トイレの前に置いてある紙コップを持って中に入る。少し時間を見計らって、コップはゴミ箱に捨て、何もせずにトイレを出た。(本来は自分の学生番号のシールを貼って棚に置く)
その後、レントゲンの所に行くが、ここでも千里は受付はせずにただ待合の椅子に座っている。そこにまたクラスメイトの男子がレントゲン室から出てくる。千里が笑顔で会釈すると、彼は手を振って別のコーナーへ行った。
しばらくその付近に居た後、今度は心電図の所に行き、ここでも千里は何も受付はしないまま椅子に座っていて、数人の男子クラスメイトと顔を合わせた。やがて10:50になる。千里は内科検診の行われている所に行き、列に並んだ。
もう男子の検診時間の終わり頃なので、できている列は少ないものの、ここでもまた数人の男子クラスメイトと顔を合わせる。その中のひとり宮原君と少し会話していたが、千里は突然思い出したように
「しまった。忘れ物してきた。ちょっと取りに行ってくる」
と言って列を離れ、1階に降りた。
するとそこに、真帆がこちらに来るのを見る。もう女子の検診が始まるのだろう。
「あれ?千里、今検診受けてたの?」
「そうそう。終わったから帰る所」
「ね、ね、検診終わった後、朱音たちと一緒に御飯食べようと言っているんだけど、もし良かったら待っててくれない?」
「いいよ。じゃ適当な所で時間潰しておくよ」
「じゃ12時に医学部正門で」
「了解〜」
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【女子大生たちの妊娠騒動】(1)