【桜色の日々・男の子をやめた頃】(2)

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母とそんな話をしたのは、私と進平が2人の子供を育て始めた頃のことであった。島根から特急を乗り継いで金沢にやってきた母は、幸せそうに志織(しおり)と悠貴(ゆうき)の頭を撫でながら、孫2人がしゃべる幼稚園での話を聞いていた。島根からは6時間ほどかかるが、毎月1度はやってきて、ふたりと遊んでいる。
 
「あんたが睾丸を取るって聞いた時は、ああ私は、この子の子供の顔は見られないのねって思ったけど、こうやって孫と遊ぶことができて、私は幸せだわ」
と母は言う。
 
「私の睾丸は小学生3年生の頃に機能停止していたんだけどね」
「うん。それは薄々分かってたけどね」
 
「だけどさ、悠貴って『ゆうき』と読めば確かに男の子の名前だけど『ゆき』
と読んじゃうと、女の子の名前だよね」
「そうなんだよね。このふたりって二卵性双生児のはずなのに顔立ちが似てるから、女の子の一卵性双生児と誤解されちゃうこと、よくあるよ。『しおちゃんがお姉ちゃんで、ゆきちゃんが妹ね?』とか言われるし」
「なんで、こういう名前の付け方したのさ」
 
「私が名前付けた訳じゃないけど。幼稚園に入れる時も、女の子用の制服が2着用意されてたんだよね。申込書にはちゃんと男女1つずつって書いてたのに」
「ハルだって幼稚園に入った時、初日女の子の制服着て帰ってきたから仰天したね」
 
「このふたり、仲良くて、おそろいの服を着たがるのよね。それでけっこう型紙ダウンロードして、ミシンで縫って、志織用にはスカート、悠貴用にはズボンで服を作ってあげてたんだけど、下も同じのがいいと言って、しばしばふたりで交換して穿いたりするもんだから、最近はふたりとも最初からズボンにしてるよ」
 
「この子、そのうちあんたみたいに女の子になりたいとか言い出さないだろうね」
「まあ、そうなった時はそうなった時だけどね」
 
私は、少し前に清花から言われたことばを思い出していた。
「晴音母さんの所に来ればそういう自分の生き方を認めてもらえるかもと思って、晴音の子供になりたいって言ったのかもよ」と。
 
もし悠貴にそういう傾向が見られるようだったら、亜紀さんとも話し合わないといけないなあと思う。
 

大学2年の夏、私が1年半にわたる男装生活に別れを告げ、女子生活に戻って間もなく、私は足の脱毛をした。やはり剃ったのではどうしてもきれいにならないので生足になるのに困難がある。女として暮らしている場合、どうしても週に1度は処理しなければならないので、大変だなと思っていた。大学1年の時にヒゲの脱毛をして、快適に感じていたので、足もやってしまうことにした。
 
昨年ヒゲの脱毛をした美容外科を訪れた。ここは男性用の診療所と女性用の診療所が別れていて(建物は同じだが入口が違う)、昨年はそれを知らずに女性用の窓口の方に行き「男性は裏手に回ってください」と言われたので、今年は最初から、男性用の窓口の方に行ったのだが・・・・
 
「済みません。こちらは男性専用なので、女性の方はビルの反対側の方の入口に回っていただけますか?」と言われてしまった。
 
「あ、えっと・・・・私、男なのですが」
「あら。そうでしたか。でもあなた、女性のように見えますね。トランス中ですか?」
「ええ、まあ」
「つかぬことをお聞きしますが、バストはあります?」
「トップとアンダーの差が9.5cmあります」
「じゃAカップはありますね。ちなみに下の方も手術なさってるんですか?」
「最終的な手術はまだですが、去勢はしています」
「でしたら、女性の方でいいですよ。あなた、見た目が完全に女性なので、むしろこちらに来られると他の男性の患者さんが恥ずかしがりますので」
「はあ」
「連絡しておきますので、向こうにいらしてください」
「分かりました」
 
ということで、私は今年は女性の方の窓口に回されたのであった。
 
ここは診察室や施術室は共用なのだが、男性患者と女性患者が遭遇しないようにコントロールされているようであった。男性側の待合室はブルーの椅子で結構狭かったのだが、女性側の待合室はピンクの椅子で、わりと広いしクッションもいい。男女差別だなあ、と私は思った。なんか置いてある雑誌のラインナップもこちらは充実してるし、BGMも流れている。向こうは音楽も流れてなかったぞ。
 
順番が来てカウンセリングを受けた後、施術室でスカートをめくって足にレーザーを当ててもらい脱毛していく。今日はゆったりとしたフレアースカートを穿いて来ている。
 
「あなた、ムダ毛が元々薄いですね」などと施術してくれている人に言われる。
「ああ、そうですね。それに普段はパンツなので、ついついサボってしまって。でもこないだ突然スカート穿くことになった時焦ったんですよ」
「それは焦りますよね」
 
などと会話をしたが、施術してくれている人はそもそもこちらが男とは思ってもいない感じであった。
 

ちょうど脱毛の引き籠もり期間が終わった頃、町で偶然由美佳と遭遇した。昨年の春、自動車学校に通っていた時の友人だが、自動車学校を卒業した後は会う機会がないままになっていた。当時は私はいつも中性的な服装をしていたので、最初彼女は私のことが分からないようであった。
 
「あ、由美佳、久しぶり」とこちらが言ったものの、きょとんとしている。そしてかなりの間があってから
「晴音? わあ、見違えた!」と笑顔で言った。
 
その日はカフェで甘いコーヒーを飲みながら話した。彼女はカフェモカ、私はキャラメル・マキアートを頼んだ。
 
「とうとう『女の封印』を解いたのね」と由美佳は言う。
「うん。1年半くらい中性的な格好で出歩いてたけど、バイト先で女らしい服装したのをきっかけに、完全に女に戻っちゃった」と私。
「凄く可愛い感じだなあ。彼氏いるの?」
「ううん。フリーだよ」
「きっと2〜3ヶ月のうちには彼氏できるよ」
「そうかな?」
「こんな美人を周囲は放っておかないって」
 
その日の会話は盛り上がり、私は週末、由美佳の友人たちと一緒にプールに行く約束をした。
 

その翌日、大学の図書館に行き、その帰り大学近くのスーパーで買物をしていたら、ばったり涼世に出会った。
 
「何か晩御飯の材料って感じだね」と涼世。
「うん。今日は肉ジャガにしようかなと思って」と私。
 
「すごーい。肉ジャガなんて作れない。カレーでさえ何度か鍋こがしちゃったことあるし」
と言う涼世の買物かごにはカップ麺と果物ゼリーが入っている。
 
「スズって、あまり料理しないんだっけ」
「うん。学食が頼りだよ。それとコンビニが無いと私は生きていけない」
「何なら、今日はうちで一緒に晩ご飯たべる?」
「あ、ハルリンの作るご飯って食べてみたい!」
 
ということで、その日は材料を少し多めに買って帰り、肉ジャガをふたりで食べた。涼世は自分の買物かごのカップ麺は返して果物ゼリーはおやつにとそのまま買ってきた。
 
「お邪魔しまーす」と言って入ってきた涼世は部屋の中を見るなり
「完璧に女の子の部屋だ」と言う。
 
「今年の春くらいまではもう少し殺風景だったんだけど、5月に例の出会い系のバイト始めてから、女の子の心を理解した方がいいとか言われて、女の子が読むような雑誌とか買ってたりしてたら、カーテンとかも可愛い系にしてみようかなと思ったり。ぬいぐるみはもらった奴とかを並べてみた」
「ふーん。。。。。ちょっと待って。このnonnoは去年の号だけど」
 
「ああ、前からあった奴は押し入れに入れてたんだけど、出して来た」
「つまり去年もこういう雑誌読んでたってことね」
「うん、まあ」
「このプリキュアのぬいぐるみ、去年のシリーズのだと思うけど」
「あ、それは去年ゲームセンターのクレーンゲームで取った」
 
「ね、このカーテンはもしかして自家製?」
「うん。布だけ買ってきてミシンで縫ったよ」
「ミシン持ってるの?」
「あ、えっと中学生の時から使ってるのを東京に出てくる時持って来たから」
「中学生の時から自分用のミシンがあったんだ!?」
「うん。けっこう室内着とかパジャマとか自分で縫ってたし」
 
「私、ハルリンの過去が少し見えてきた」
「何か誤解されてる気もするけど」と私は笑いながら言った。
 
私が肉ジャガを作っている間、涼世は棚に並んでいる少女漫画を読んでいた。お肉を厚手の鍋で炒めて、ジャガイモ・タマネギ・ニンジンを入れ、IHヒーターでタイマーをセットして煮込む。
 
「この漫画全部一刷で揃ってるね」
「うん。好きだったから」
「3年前からこれ読んでたってことね」
「あまり追求しないように」
 
「ハルリンの中学・高校時代の写真とか見たくなった」
「うーんと、パソコンの中に入ってるけどね」
 
私はパソコンを開き、作業用フォルダの中の Photo というフォルダを開く。
 
「ああ、日付単位でまとめてあるんだ」
「デジカメや携帯からパソコンに移した日が基準。撮影日はその少し前」
「なるほどね。いちばん古いのは、この8年前のか」
「あ、それは・・・・」
「8年前というと小学6年生か・・・・ん? 鼓笛隊?」
「うん」
 
「可愛い! で、スカート穿いてるじゃん」
「あ、えっと。ファイフの担当だったから。ファイフの子はみんなその衣装だったから」
「でも、それって女子で構成してたってことで、この頃から女子だったってことなのね」
「うーん。まぁ・・・・」
 
「まあ、いいや。今日は追求するのはそのくらいにして、写真だけ見て楽しもうっと」
と言いながら、涼世は楽しそうに私の昔の写真を見ている。
 
肉ジャガができたので、鍋ごと持ってくる。ジャーも食卓の所に持って来た。
「盛るのはセルフサービスで。好きなだけどうぞ。女の子同士だし本音の食欲で」
「OK、OK」
 
「いただきまーす」と言って食べ始める。
「わあ、美味しい!」
「そう?良かった」
「こんな美味しい肉ジャガ初めて食べた」
「それはさすがに大げさだよ」
「料理は大学に入ってから、し始めたの?」
「ううん。小学校の1-2年の頃からお母さんの手伝いしてたから。本格的に勉強し始めたのは小学6年生頃からかな。女の子になりたいのなら料理くらいちゃんとできるようにならなきゃとか言われて」
 
「ふーん。その頃から女の子になりたくて、それを親も容認してたのね」
「うーんと。お母さんはね。お父さんは私の性別のことは全然知らない。実はお母さんにも大学に入るのと同時に男の子に戻ると言ったから、まさか女の子に戻っちゃったとは思ってないよ」
「それなら、お母さんには今のハルリンの写真とか送ってあげた方がいい」
「いや、まだこのまま女の子のままでいるかどうか自分でも分からないし」
「男の子になっちゃうというのは、無いような気がするけどなあ」
「そうかもね・・・」
 
「しかしリコたちに言い訳っぽく言ってた話とはかなり違うなあ」
「えーっと、その辺はとりあえずまだ内密に」
「いいけどね。でもハルリンって初めて見た時から、少し女の子っぽいなとは思ってたけどね。元々そういう生活だったのか。中高生の頃の写真、適当に開いてみてるけど、女子の制服着てる写真ばかりじゃん」
「うーん。学生服の写真もあるはずだけど」
「それを発見するのが難しそうだ。あれ・・・これは、水着写真」
「あ・・・」
 
「凄い。スクール水着だ」
「うん」
「ハルリン、胸があるみたいに見えるけど。下も付いてないみたいに見えるし」
「うーんと、男の子体型じゃ女子用スクール水着は着れないから、そのあたりは色々と誤魔化しを」
「ふーん。誤魔化しね・・・。でもこれで体育の授業に出てたんだ」
「うん」
 
「ハルリンは、結局ごく普通の女の子と思っていいみたいだな」
といって涼世は笑っている。
 
結局その日、涼世は泊まっていき、夜遅くまで楽しそうに私の写真を見たり、私からいろいろ昔の話を聞き出したりしていた。
「これ、面白すぎるから、リコとヒサリンには黙ってよっと」
などと涼世は言っていた。
 

週末。私は由美佳たちと一緒にプールに行った。あの付近は水着用のアンダーショーツでしっかり押さえ、おちんちんの形が外には見えないようにした。
 
そして今日選んだのはワンピースタイプの水着でタンクチュニック付きのものである。高校時代は令子やカオリたちと一緒にプールに行く時にビキニタイプを着たこともあるのだが(その写真は先日の夜は涼世に見つからずに済んだ)、やはりAカップのバストでビキニはちょっと恥ずかしいかなと思い、無理せずにワンピースタイプにした。胸はちょっとだけ見栄張って水着用ヌーブラを貼り付けておいた。それでCカップ弱には見える。
 
由美佳もワンピースタイプを着てきていたが、由美佳の友人でビキニを着てきた子がいた。
 
「わあ、すごーい」と他の友人たちからも言われている。
「ちょっとまぶしいなあ」と私も言った。
 
彼女はGカップということであった。自分もGまで行けなくてもEカップくらいになることができたらビキニを着たいなと思った。
 
その日は、みんなと一緒にスライダーを滑ったり、ボール遊びをしたり、またひとり25mプールで泳ごうと言っていた子がいたので、私も付き合って泳いだ。私は基本的に運動音痴で水泳も得意ではないが、一応クロールの型は覚えてるし、クイックターンもできるので、得意な子からは何往復分も遅れながらも400mくらい泳ぎ切って「頑張ったね」と言ってもらった。しかし400m泳いでも水着用ヌーブラは全然外れなかったし、下の方も無事だった。とりあえず水着を着ていれば、肉体はけっこう誤魔化せるもんなんだな、というのを実感した。
 
その日はプールの後、みんなでピザの食べ放題のお店に行って女の子1200円の料金を払って、みんなで食べまくった。男の子抜きで女の子だけの気安さで、みんなよく食べる食べる。私も料金分の倍くらいは食べた気がした。これじゃ太っちゃう! とは思ったものの翌日体重計に乗ってみたら50kgで、以前と全然変わっていなかった。たくさん食べたからといってすぐ体重が増えるものでもないのね〜と私は不思議に思った。
 

8月初旬、伸子から電話があり、夏休みの合宿をするので、また講師をしてほしいと言われた。その時期はもう私は完全に女の子の生活になってしまっていたのだが、まだ出会い系のほうはそんなに忙しくもなかったので、店長に10日間休むと伝え、特に熱心な数人の客については清花にフォローを頼んで出かけていった。スーツはまた伸子から借りた。
 
「なんか、5月の時より女らしさが増してない?」
などと伸子から言われた。
「そうですか? そんなに変わらないと思うけどなあ」
と私は頭を掻いたが、やはり男装生活しているのと女子生活しているのとでは漂わせる空気が違うのかな、という気もした。
 
例によって男女分離方式であったが、今回は中1-2年の女子クラスの英語・数学と、高1-2年の女子クラスの英語を担当することになった。
 
中学生はやはりまだ無邪気な感じで、授業の内容自体はけっこうハイレベルであってもほのぼのとした雰囲気があったのだが、高校生はさすがにピリリとした空気がある。私はその空気を心地良く感じた。自分の高校時代なども思い出す。
 
自分が3年くらい前に受けた高2の時の夏休み補習授業の時のノリを思い出しながら授業をやったら、生徒たちもいい雰囲気で付いてきてくれた。校長と主任が初日、2日目と見学していたが「あの感じ、とてもいいです」と褒めてくれた。
 
「先生、凄く女らしくなってる。恋でもしてるんですか?」
などと生徒からも言われた。
 
年齢が近いというのは、やはり話しやすいということのようで、中学生の生徒からも高校生の生徒からも、主として恋愛問題で相談を受けた。こちらも恋愛経験って、なんだか失恋の経験ばかりではあるが、その自分の経験も交えながら話していたら、向こうもかなり気持ちの整理がついた感じだった。告白する勇気が無いなどと言っている子には、告白して振られたらそれでまたスッキリするじゃん。悶々としていたらいつまでも苦しいだけ、などと言って煽っておいた。
 

結理が初日の晩に、私の携帯に電話してきて、相談に乗ってほしいと言った。
 
「私、すごく辛いの」と結理は泣いていた。
「どうしたの?」
「私、もうおちんちん要らない。今すぐ女の子の身体になりたい」
 
「そうだね。結理にはおちんちん要らないよね」
「先生、もう切っちゃいたいよぉ」
「じゃ、切っちゃおうか?」
「え?」
 
「良く切れるはさみかカッター持ってない?」と私は電話越しに結理に訊いた。
「・・・かなり大きな裁ちばさみあります」
「じゃ、それでおちんちん切ろう。私の言う通りにして」
「はい」
 
「血が出てベッド汚しちゃいけないし、何か敷くものがあるといいんだけど」
「レジャーシート持ってます」
「まるでおちんちんを切るセットみたい」
「えへへ。結構そうです」と結理が初めて笑った。
 
「じゃ最初にその付近の毛をできるだけ切っちゃおう」
「はい」
 
「かなり短く切っちゃった。何か変な感じ」
「だよねー。じゃ、おちんちんの根元にはさみを当てて」
「はい」
 
「行くよ〜。 チョキン」と私。
「えっと・・・・」
 
「結理のおちんちん切っちゃった。これ要らないからゴミ箱にポイ。さあもうこれで結理は女の子になっちゃった」
「あの。。。。。」
 
「あれ? おちんちんまだ付いてる?」と私は訊く。
「ごめんなさい。切り落とす勇気が出なくて」と結理。
 
「いや、結理のおちんちんはもう私が切ってゴミに捨てちゃったよ。だから無いはず。あれ?もしかして、結理って嘘つき?」
「え?」
 
「正直者なら、もうおちんちんが無くなって女の子になっちゃったのが見えるはずなんだけど、嘘つきにはまだ付いてるみたいに見えるんだよね」
「・・・・私、嘘つきかも」
 
「でもね。嘘つきだとおちんちんがまだ見えてるけど、本当はもうさっき私が切ったので無くなっちゃったの。だから、見えてるのはただの幻」
「幻・・・・」
 
「いわば偽物のおちんちんだね。実は存在しないんだ」
「そうか。これ偽物なんだ!?」
「そうだよ。だから安心して女の子として生きなさい」
「はい」
 
「私もね。小学3年生の時に本物のおちんちんは取っちゃって、それ以来偽物を付けてるんだよ。あと2〜3年のうちには、その偽物も取っちゃうつもりだけどね」
「へー」
 
「少し落ち着いた?」
「なんだか少し落ち着きました」
「結理、しばらく女性ホルモンさぼってたでしょ?」
「え?」
「それを昨日か今日あたりから、また飲み始めたね」
 
「どうして、そんなこと分かるんですか?」
「女性ホルモンの飲み始めの数日はホルモンバランスがひどく崩れるから精神的にすごく不安定になるの。結理、オナニーもしちゃったでしょ?」
 
「そんなことまで分かるなんて・・・・そうなんです。もう1年くらいしてなかったのに、今日は我慢できなくなっちゃって。トイレの中でやっちゃいました。女子トイレの中で男の子の器官使ってオナニーするの凄く興奮しちゃって。でも終わった後は凄い罪悪感で。私って、どんだけ変態なんだって。自分を女の子として受け入れてくれている友だちにも悪い気がして」
 
「それも、ホルモンバランスが崩れた影響だから、気にしなくていいよ」
「はい」
 
「何か苦しいことがあったら、いつでも電話して。相談に乗るから」
「ありがとうございます」
 
初日少し元気が無い感じだった結理は私とそんな会話を交わしたおかげか2日目からはゴールデンウィークの時のような元気さを取り戻して、積極的に発言するようになった。
 

合宿から戻った翌日、私は大学の図書館に行って資料を探していたのだが、そこでばったり同級生の妃冴に会い、一緒にお昼を食べていて、成人式の着物をどうするのかと訊かれた。話している内に振袖を着たい気分になってしまったので、お勧めという呉服屋さんに行ってみた。
 
実は昨年の夏、そこの呉服屋さんの店頭に出ていた浴衣を買ったことがあったのだが、ほとんど通り掛かりに短時間で浴衣を買っただけであったので、さすがに店員さんも私のことは覚えていないようであった。しかし店員さんは和服の知識が皆無の私に、かなり詳しい解説をしてくれた。それで、結局そのお店で振袖を買うことにした。お金は私に「良い振袖を買った方がいい」と勧めてくれた清花が少し貸してくれた。
 
振袖を買うことにしたことで、私の心の中の「和服スイッチ」が入ってしまって、私はその月の下旬に行われた花火大会に、昨年買った浴衣を着て出かけた。
 

昨年は浴衣は買ったものの、うまく帯を結べなくて、結局兵児帯で適当に結んで出かけたのだが、今年は頑張って練習して、ちゃんと文庫で結ぶことができた。
 
電車に乗って会場の近くまで行く。けっこう浴衣の女性がいて、何となく心強い気持ちになった。不思議な連帯感のようなものさえ感じてしまう。
 
かなり会場に近づいた感じのところで立ち止まり、風の通りやすい場所を探して立ち止まって眺めていた。
 
打ち上げ場所までここは500mくらいだろうか。かなりの迫力だ。打ち上げの音も響いてくる感じ。でも、きれい!
 
しぱし見とれていた時、声を掛けてくる男性がいた。
 
「あれ?」
「あ、こんばんはー」
「久しぶりだね」
 
それは昨年自動車学校で一緒になった、田代君だった。
 
「今日は彼女と一緒じゃないの?」
「ああ。。あの娘とは結局別れたんだよ。今年の5月なんだけどね」
「へー。でも念のため言っておくけど、私も交際NGだからね」
「うん。分かってる。彼氏できた?」
「ううん。今の所フリーだけどね」
 
「復縁は無しか。その方がすっきりするかもね。でも今夜はこのまま一緒に花火見てていい?」
「まあ、移動するのもお互い面倒だしね」
「そうだね」
 
私はずっと花火が終わるまで田代君と話していたが、話していて、彼と話している時の感覚と、寺元君と話している時の感覚が違うのを、昨年感じていたその正体がやっと分かった。田代君は会話しているとき、女の子が話しやすいように、そういう話題を振ってくれているし、こちらが出すファッションとかジャニーズとかの話題を、彼はうまくフォローしてくれる。つまり田代君は「女の子と話す」のがうまいんだ! でもその状態ではこちらも相手に対して異性として身構えてしまう。
 
それに対して寺元君と話している時は「友だちと話している」感覚。涼世や令子などと話している時と似た感覚で話せる。だから寺元君との会話はストレスが無いし、リラックスできる。寺元君自体が女の子とまるで同性の友人ででもあるかのように会話する。ひょっとしたら彼って「女の子の心」を持ってるのかもね、という気もした。だからきっと、出会い系でも、あんな可愛い、どう見ても18〜19の女の子が書いたとしか思えない文章が書けるのでは?という気もした。
 

花火が終わった後、そのまま別れるのも少し寂しい気がしたので、食事でもしようということになり、夜のファミレスに行った。
 
「ねえ、大事なこと、私ずっと言いそびれていて」
「うん?」
「私ね。実は男なんだよね」
「へ?」
 
私はバッグの中から健康保険証を出して、田代君に見せた。
 
「うっそー!? じゃ、男の娘とかいうやつ?」
「あ、そうかも。女装してなくても、私って女の子と思われがちなんだよね、子供の頃から。去年田代君と会った頃は自分では男装していたつもりが、男装になってなかったみたいで」
「今まで女の子じゃないなんて、思ったこと無かったよ」
 
「中学や高校も女子の制服で通ってたしね。でも高3の秋に失恋して女としての自分に自信を失って、やはり男として生きようかなと思ってもみたけど、無理だったみたい。結局また女の子に戻っちゃった」
「今日みたいな浴衣姿見てると、すごい美人だしね。自分は女の子だと思ってていいと思うよ」
 
「去年はね、自分では男のつもりだったし、田代君とも男同士の友達のつもりでいたら、いつの間にか、あれ?ひょっとして恋人っぽくなってない?と気づいて。でも何となく自分の性別のこと言いそびれている内に遊園地での事件になって」
「なるほど」
「でもあの後、私泣いちゃったよ」
「ごめんね」
 
「じゃさ、取りあえずふつうに友達同士ということにしとかない?」
と田代君は言った。
「うん、いいよ」
と私は答えて、改めて携帯の番号とアドレスを交換した。
 

9月の上旬、令子が好きなバンドのライブを見るのに上京してきた。7月に大阪で会った時は令子は男装して来て、私たちは疑似デートのようなことをしたのだが、今回は令子も女の子の格好で来ていたので、コンサートが終った後、私たちは女友達の状態で会い、夜の焼肉屋さんで一緒に食事をした。
 
興奮が抜けやらない感じで、令子はライブの様子を熱く語り、私は楽しくその話を聞いていた。令子は焼肉を無茶苦茶食べたので、私もたくさん食べた。
 
「今日は気分がいいから、食が進むのよ」
「お店も女性料金2人分じゃ元が取れないかもね」
「でも今日、男同士で会っていたら、男性料金2人分払わないといけない所だったね」
「女って便利な所あるよね」
「まあ、便利じゃないものの方が多いけどね」
 
食事の後はコンビニでデザート、おやつの類をたくさん調達してうちのアパートに入った。予備の布団を出して、一緒に寝ることにする。パジャマは私のを貸した。シャワーを浴びてからくつろぎ、お茶を入れておやつを食べながら、またあれこれ話す。
 
「でも、ハルと私って、結局は女友達感覚になってしまうんだなあ」
「お互いに自分の性別意識は揺れてるけどね」
「ハルが男の子の場合と女の子の場合、私が女の子の場合と男の子の場合で、4種類の組み合わせが発生するけどね」
「どの組み合わせでも、私たちって友達だよね」
「7月の時はホテルのベッドでじゃれあったけど、またやってみる?」
「やめとこうよ。変な気分になったらいけないし」
 
「私たちって恋人になる可能性って無かったんだろうか?」
「性別がヘテロになった時期があったら、それあったかも知れないけど、あまり無かったよね」
「そうだね。小学3〜4年生の頃、ちょっと微妙な雰囲気もあったけど、ハルがすぐに女の子になっちゃったから、結局同性のまま。ここ1年半はふたりとも男の子だったしね。そして一緒にまた女の子に戻っちゃった」
 
0時半頃に「おやすみー」と言って寝たが、何かどこかに拉致されて改造手術を受けるような夢を見て目が覚めてしまった。ちょっと改造されてみたいな・・・などという気がしたのだが、身体が重い。「ん?」と思ったら、少しずつ意識がハッキリしてくるにつれ、令子が私の身体の上に半分自分の身体を乗せていることに気付く。それに何だかあの付近を触られている!
 
「ね、何してんの?」
「改造手術」と令子。
「えー!?」
「もう少しでできるから、待ってて」
「えっと・・・・」
 
言われるままに、しばらく待っていたら「できた〜!」と令子が言う。
「ほらほら見てみて」
 
私は起き上がってその付近を見たら、きれいな割れ目ちゃんができている!
「タックだ!」
「あ、知ってたのね」と令子。
「こないだ私も覚えて何度かやってみたんだけど、どうもうまくできなくて」
と私が言うと
「私もこないだ何気なくネット見てる時に見つけてね。面白そうだからやってみたい気がしてたのよね〜。自分の身体じゃできないから、今度ハルに会った時に寝込みを襲ってみようかと思って」
「へー。でも凄い。きれいにできてる」
 
それまで私が自分でやったタック(テープタック)は5分とか10分で外れてしまったのだが、その夜令子にしてもらったのは結局翌日の夕方まで外れなかった。そしてその日を境に、私はタック生活を始めたのであった。
 

10月のある日曜日、神保町で古本屋さんをのぞいていたら、バッタリと田代君に遭遇してしまった。
「やあ」
「ごぶさた〜」
 
こちらはひとりだったが、彼の方は友だち2人と一緒だった。
「何か本探し?」
「うん。半ば散歩だけどね」
 
「誰?」と友人のひとりが訊く。
「俺の元カノ」と田代君。
「うん。まあ、そういうことでいいよ」と私も笑って答える。
 
「今暇?」と田代君が訊く。
「うん、まあ暇だけど」
「ちょっとゴーカートとか乗りに行かない?」
「どこまで行くの?」
「埼玉県だけど高速で行くから1時間くらいで着くよ」
「へー。面白そう。行ってもいいかな」
「よし。女の子がいると雰囲気変わるしね」
「私みたいなのでもよければ」
 

ということで、私たちは田代君の友人の川中君の車に乗り、埼玉県にある小さなゴーカート場にやってきた。
 
「晴音ちゃん、車の運転できるんだっけ?」と川中君。
「免許は持ってるよ」
「俺と自動車学校で知り合ったんだよ」と田代君。
「でも、あのあと全然運転してないから忘れてるかも」
「とりあえず、右足がアクセル、左足がブレーキ。とにかく何か自分でよく分からない状況になったら取りあえず左足を踏み込もう」
「分かった」
 
あまり慣れてないなら近くにほかの車がいない状況で走った方がいいと言われて、ひとりで先に走り出した。わあ、これ結構スピード出る!
 
直線は良かったのだがカーブで少し目測を誤って端に寄りすぎた。思わずブレーキを践む! カートが停まってから「ふう」と息をつく。よし、気を取り直して。改めてスタートする。おっ、調子いい。前方に踏切がある。でも何も通ってないし、そのまま走っていいよね。信号などもあるので赤信号で停まり青信号で出発。ここは元々交通安全の指導などに使われる施設なのでこういうのが付いているようだ。本来子供向けだが年齢制限が無いので大人も楽しめる。
 
坂を上る。ちょっと苦しい。アクセルを踏み込む。下り坂になる。今度は軽くブレーキを踏みながら降りていく。橋を渡り、少し急カーブの連続をスピードを落としながら走って、ゴール! うん。けっこう感覚戻ってきた。カートの速度は時速15kmくらいかな?
 
カートを降りたところで注意された。
「晴音、踏切で一時停止しなかったろ?」
「あ、そうか! 踏切は一時停止して左右と音の確認だった!」
「アメリカだと停まらなくていいんだけどね。ここは日本だから」
「ごめんなさい。気をつけます」
 
その後は1人乗り2台と2人乗り1台を使い、交代しながら乗って楽しんだ。2人乗りも色々な組み合わせで乗る。田代君とも、川中君とも、もうひとりの辻野君とも楽しく会話ができた。3人とも私の性別を知った上で女の子として扱ってくれている感じで快適。私は自分の身体にコンプレックスを持つのはやめようと心底思った。
 
「でも晴音ちゃん、今日1日でずいぶんうまくなったね」と川中君。
「うん。運転って楽しいね」
「あ、そうだ。もしふつうの車も運転するならレンタカーの会員証作らない?」
「ああ、レンタカー! そうか。そういう手があるよね」
「晴音ちゃん、去年の春に免許取ったんなら、もう若葉卒業してるから普通に貸してくれるよ。実は俺がレンタカー屋さんでバイトしてるんだけどね」
「へー」
「うちの会員証作ってたら、全国どこででもすぐ車を借りられるから」
「じゃ、書類送ってくれる? 住所メモするね」
 
そういって、私はレンタカー屋さんの会員証を作ったのだが、実際に車を借りたのは12月の「あの日」が最初だった。
 

田代君たちとゴーカートに行った週の金曜の夜。私はバイトを終えて少し休憩してから帰ろうとして、雨が激しく降っているのに気づいた。どうしようと思っていた所に、ちょうど進平が車で通りかかった。
 
「傘持ってないの?乗せてくよ」
「助かった。凄く降ってるからどうしようかと思ってた」
 
最初彼が私の家まで送ってくれるということだったのだが、彼が山梨までドライブしてくるつもりだということだったので、私は付き合うことにした。すると山梨に行く途中で、進平の友人(椎名君と花梨, 深谷君と麻耶, 高梁君と美沙)と遭遇。結局彼らと一緒に韮崎の近くの温泉に行くことになった。
 
脱衣場に入って行く私を進平は心配そうに見ていたが、私はけっこう余裕だった。脱衣場で突然おっぱい比べになる。
 
「花梨のおっぱい大きいね」と私が思わず見とれて言うと
「Fカップだからね」と花梨。
「何食べてるとそんなに大きくなるの?」
「ねぇ大きいよね」と言う美沙もけっこう大きい。Eカップ近くありそう。
 
「晴音はCカップくらい?」
「うん。パッド入れてDカップのブラ付けてる日もあるんだけど、今日は素直にCカップのブラ付けてきた」
「私もCカップ。私たち微乳同盟だね」と麻耶。
「うん。同盟、同盟」
 
などと言いながら浴室に入る。
 
その時期はいつもお股はタックしてきれいな女性の形になっていたし、胸にはブレストフォームを貼り付けていた。当時、私の「生胸」はAカップより少し大きいくらいだったのだが、ブレストフォームを貼り付けてCカップにしていた。
 

実はこの時期、私は2種類のブレストフォームを使っていた。AカップからCカップまでボリュームアップするものと、Eまでボリュームアップするものである。6-7年ほどAカップの胸と付き合ってきたので、いきなりEカップにすると、何か違和感を感じてしまった。そこで少し小さめのものも買ってC にしたりEにしたり、Cにしてパッドを入れてDにしたりしていたが、その日はたまたまCの方を付けていた。しかし花梨たちにこのサイズの胸を見せてしまったので、その後は当面このサイズのブレストフォームを付けておかなければならなくなってしまった。
 
なお、後に麻耶に譲ったのはEに上げる厚い方で、実は使用回数がそう多くなかったので譲ることができたというのもあった。Cに上げる薄い方はブレストフォームの使用をやめた3年生の5月頃は、度重なる温泉での使用もあったのだろうが、テープを貼り付けている内側が若干痛んでいたのである。
 
しかし2年生の10月の時点で、私に生胸があることを知っていたのは、中高生時代の友人たちと涼世だけで、他の人には私の身体は未加工で胸も無いということにしてあった。
 
その場合、ブレストフォームというのは、私を完全に女と思っている人には、CあるいはEカップサイズの胸を主張して女として埋没するのに役立ったし、逆に私を男と思っている人には、それを貼り付けておくことで自分の生胸を隠す道具にもなっていたのであった。
 
実際にはトップとアンダーの差が11cmのところを薄手のブレストフォームで16cmにボリュームアップしていたのだが、トップアンダー差5cmのAAAカップの状態から厚手のブレストフォームで15cmのCカップに上げていることにしていた。本当は生胸に厚手の方を貼り付けると21cmのEカップになるのである。
 
このカラクリを知っていたのは涼世だけである。
 

11月の下旬、母が突然アパートを訪れた。私はまだその時期は自分が完全に女になってしまうのか、それとも再度男に戻ることもあり得るのか、心が完全には定まっていなかったこともあり、1年半の男装生活にピリオドを打ち女子生活に戻ってしまったことをまだ母に言っていなかったので、母は仰天したようだった。
 
最初、母は私だと言うことに気付かなかった。
 
「あら、晴音(はると)のお友達ですか?私、晴音の母でございます。ちょっとこちらに用事で出てきたので、寄ってみたのですが。晴音は外出ですか?」
などと訊く。
 
「あ、えっと・・・・・・お母さん・・・・私・・・・・」
「え!?・・・・もしかして、晴音なの?」
「うん」
「あんた、何て格好してるの?てっきり彼女かと」
「私、最近ずっとこういう格好してるの」
「えぇぇ!!?」
 
「でも、私のこういう格好はお母さん、中高生時代にいやほど見てるのに」
「だって、あんた男に戻ったって言ってたし。それに高校生の時とは見違えちゃうよ。昔とは全然別人。あんた、完璧に女の雰囲気になってるもん。もしかして、もう性転換手術しちゃったの?」
「まだしてないよ。でも夏頃からずっとこんな感じで過ごしてるから、雰囲気は完全に女になっちゃったかも」
 
「あんた、その格好で学校にも行ってるの?」
「うん。実はもう男の子の服、持ってない。全部捨てちゃった」
「それでどうするの?性転換するの?」
「まだ分かんない。足の毛とヒゲは脱毛しちゃったけど」
「まあ、そのくらいはいいだろうけど・・・・」
と母は何を言ったらいいか分からない感じだ。
 
「あ、御免ね。お茶入れるね」
「だけど、この部屋、ほとんど女の子の部屋だね」
母が部屋を見渡して言った。
「個室持ったの初めてだったし。可愛くまとめちゃった」
 
「でも何か私ショックだわ・・・・ちょっと心の整理が付かないよ」
と母が言う。無理もない。
「御免ね。私、このまま完全な女の子になっちゃうと思う」
「はあ・・・・」
と母はため息を付いた。
 
「私、お父ちゃんに何て言えばいいかしら・・・・」
「私、もう男装はしないし。しばらく実家に行かないね」
「うん・・・・少し私の中で考えまとまるまで何も言わないことにしよう」
 
「取り敢えず、どこかに出てお昼しない?」
「そうだね・・・」
 
私は母を近くにあるイタリアンレストランに連れて行った。
 
「あのね、お母ちゃん」
「うん」
「私、成人式、振袖で出る」
「・・・・・・まあ、今のあんたなら、それもいいかもね。振袖はレンタル?」
「実は買っちゃった。安いのだけど」
「まあまあ。お金ほんとに大丈夫?」
「うん。買う時、お金持ちの友達に少し借りたけど、月々少しずつ返していってる。まあ、その友達に買っちゃえ買っちゃえ、って煽られたんだけどね」
「なるほどね」
 
「ちょっとトイレ」と言って、私はトイレに立った。
戻ってくると母が
「あんた、トイレも女子トイレに入るのね」
などという。
「そりゃ、この格好で男子トイレには入れないよぉ、というか私、小学6年生の頃以降、高校卒業するまで男子トイレなんて入ってなかったじゃん」
と私は笑って答える。
「そっかー。そういえばそうだった」
 
「バイト先にも女子更衣室に私のロッカーあるし」
「へー」
「私あんたが男になるなんて言うからさ、この2年、ずっと晴音は男の子だ、男の子だって、自分に言い聞かせてきたのに。女の子に戻ったんなら、さっさと言って欲しかったよ」
「ごめんなさい」
 
「あんた、名前はどうしてるの?」
「もう『はるね』で通してるよ。美容室とかもその名前で登録してるし。そもそも私、昔からその名前で友達からも呼ばれてたし」
「そうだったね」
「これ。私の学生証」
と言って、母に自分の学生証を見せる。
 
「何これ? よしおか・はるね、女、になってる!」
「うん。入学した時に、またまた性別間違えられて、女で登録されてたのよね。一応登録は修正してもらったけど、学生証は再発行してもらうのも面倒だしそのまま使ってたんだ。女という身分証明書があると実は便利なこともあるし」
「あきれた」
 
「私ね、もう公式に『はるね』になっちゃおうかと思ってる。裁判所とかに行かなくても、単に区役所に届け出すだけで、読み方は変更できるんだ」
「うん。いいんじゃない? 私も中高生時代はあんたのこと『はるね』と言ってたしね」
と母も笑って言う。
 
母とそんな感じで次第に和やかな雰囲気になってきた時、携帯に着信があり、頼んでいた振袖ができたという連絡があったので、母と一緒に呉服屋さんに見に行った。早速着付けしてみますか?と言われる。和装下着セットもサービスするということだったので、着付けをお願いした。
 
「可愛い!」と母が声をあげて喜ぶ。私は母と並んだ所の記念写真も撮ってもらった。
 
「今日はいろいろあったけど、私なんか凄く幸せな気分」と母は言った。
「あんたを産んで良かったぁ、と思った」
「そ、そう?」
「あんたのことはもう諦めてたからね。それが女の子に戻ってくれたので嬉しくなっちゃった」
「私、女の子でいい?」
 
「もちろん。あんたずっと女の子だったじゃん。それに娘の成人式に振袖着せるって親にとっては凄い夢だもん。それをあんたが中高生の時はちょっと期待してたのに、男に戻るっていうから、もうホントにがっかりしてたんだから。でも、女の子に戻ってくれたから、結局その夢が叶うわ」
「えへへ」
「次はあんたのウェディングドレス姿が拝みたいねぇ」
「それはさすがに無理かも」
 
「でも、この振袖可愛いわねえ。それにあんたに似合ってる」
「ありがとう」
「でも何だか嬉しいな・・・・成人式の時、私また出てきちゃおう」
「別に大した行事がある訳じゃないよ、成人式なんて」
「でも、そのためにこの服を着るんでしょ」
「うん」
 
母に今の自分の生き方を認めてもらったことは、私にとって大きな勇気の源にもなった。そんな感じで、私の心の進路は次第にしっかりと、女という道を目指し始めた。
 

10月の深夜ドライブをきっかけにして、私は進平と恋愛関係になっていった。しかし12月の初旬、私は友人からの忠告で進平が二股をしていることに気づき、そのデート現場を押さえることに成功した。
 
半ば賭けでその場でいきなりキスした上で「進ちゃん、行くよ」と言うと進平は「あ、うん・・・・」と言って席を立った。その瞬間私は「勝った」と思った。進平も一瞬迷ったかも知れないが、その瞬時の判断で自分を選んでくれたんだ!
 
その場から進平を連れ出し、私は近くのレンタカー屋さんに入った。10月に田代君の友人の川中君のツテで、そこのレンタカー・チェーンの会員証や更にはETCカードも作っていたのだが、どちらも初めての使用になった。
 
プリウスを借り出して自分のETCカードをセットする。進平と一緒に何度も行っている中央道方面に行こうかとカーナビに河口湖を設定したら、カーナビは御殿場経由のルートを選択してしまった。直し方が分からなかったので、まあいいやと思い、そのまま車をスタートさせる。
 
すぐ近くのICから首都高に乗るようナビされるので、ランプを駆け上がる。ETCゲートを通過する。わあ、自動車学校の高速教習でやって以来だなと思う。
 
運転の方も車の運転は自動車学校以来、1年半ぶりだったが、10月にゴーカートに乗ったのでなんとなく身体がうまく自動車の動きに調和する。うん、何とかなりそうと思いながら車をナビに従って走らせていく。首都高から横浜新道・保土ヶ谷バイパスを通り、横浜町田ICを通って、東名高速の富士方面に乗る。うん。右アクセル・左ブレーキでいいよね?なーんだ。ゴーカートと同じじゃん!
 
しかしそれで車を走らせながら進平と話していて、私が自動車を運転したのは自動車学校を出てから1年半ぶりだと言うと進平は肝を潰した感じ。
 
「ちょっと待て。どこかそこら辺の脇に停めて。俺、運転代わるから」
とは言われるものの、脇に寄せて停める自信が無い! そんなことしたら横を壁面にこすりそう。ところどころ非常駐車帯はあるものの、あんな短いエリアにきちんと停める自信もない。
 
「じゃ、次の海老名SAで運転交替しよ」
と私は言った。広いサービスエリアの駐車場なら、何とかなりそうな気がする。
 
「あ、うん。慎重に運転しろよ。スピード出し過ぎないように」
「OK」
 
結局海老名SAの路上で停めて、進平と運転を交替し、駐車枠に駐めてもらった。進平は寿命が縮む思いだったようだったが、私はものすごく気持ち良かった。運転って愉しい!と思った。
 

その年のクリスマスイブとクリスマスは土日であったこともあり、進平やそのドライブ仲間たち8人で過ごした(ただしクリスマスイブの夜中は各カップルのプライベートタイム)のだが、その前日23日のこと。
 
街を歩いていたらバッタリ由美佳と遭遇した。「しばらく会ってなかったね」
「お昼でも一緒に食べよう」などと言って食堂街の洋食屋さんに入る。ビールメーカーの系列のお店だったので、昼間ではあったがビール付きのランチを頼んで乾杯した。
 
「ね、晴音、彼氏できたでしょ?」
「え?分かる?」
「だって、激しく恋愛中って感じのオーラが出てるよ」
「えー、私そんなオーラ出てる?」
 
「出てる、出てる。いつ彼氏できたの?」
「うーんと。10月かなあ。気づいたら恋人になっちゃってたという感じだけど」
「もうHした?」
「したよ。今餌付け中」
「おお、男は餌付けすると、壁も取れるけど本性も顕すから注意ね」
「あ、本性は知られたくない感じで隠してるっぽい。たぶん結婚して10年くらいたって実は・・・とか言い出しそう」
「まあ10年も続いたら、その後は多少問題があっても続くだろうね」
「かもね」
 

由美佳と別れた後、デパートで進平に渡すクリスマス・プレゼントを選んでいたら、今度は田代君と遭遇した。
 
「わ、ご無沙汰」
「何か結構遭遇するね」
「そりゃ、同じ大学に通ってればね」
「なんか校内では会わないけどね」
 
「何見てるの?」
「彼氏へのクリスマス・プレゼント」
「わあ、彼氏出来たんだ!」
「田代君は何見てたの?」
「彼女へのクリスマス・プレゼント」
「お、彼女できたのね。おめでと」
「実は明日初デートなんだよ」
「ホテルは予約してる?」
「予約した。だって満杯になるもん」
「こちらも彼氏からホテルは予約済みと言われてる」
「おお、お互い頑張ろうね」
「うん」
 
私と田代君はお互いにアドバイスしながら各々の恋人へのプレゼントを選んだ。流れでお茶でも飲もうということになる。
 
「考えてみると、元カノ・元カレという存在は便利だね。こういう場面をもし誰かに見られても、もう別れた人だから大丈夫だよ、なんて言える」
と田代君。
「ほんと、そうだよね。私は今の彼に夢中だし」
「俺も今の彼女に夢中」
「クリスマス・デートうまく行くといいね」
「晴音は彼とはいつから付き合ってるの?」
 
「田代君たちとゴーカートに行った週の金曜日」
「へー」
「雨の夜に車で送ってもらったのを機会に付き合うようになっちゃった」
「うーん。惜しかったな。その時、その場に俺が行ってたら」
「それは特に進展してないと思うよ」
「あはは」
「その夜、彼とドライブしてた時に、彼の友人カップル数組と遭遇しちゃって。何となく流れで私が彼の恋人みたいに、その場の雰囲気でみなされちゃって。周囲から恋人とみなされてしまったことで、結局ほんとに恋人になっちゃった」
 
「ああ、そういうのってありそう。Hした?」
「したよ」
「晴音って、どこ使ってHするの?」
「S」
「S・・・・なるほど!」
「Aは私も使いたくないし、彼も使いたくないと言ってるから。お口でもしてあげるよ」
「うーん。晴音にお口でしてもらいたかった気分」
「クリスマスデートする彼女にしてもらいなよ」
「さすがにデート初日にそれは言えないよ」
 
私たちは元恋人という気安さで、その日はけっこうきわどい話もしながら、お互いの恋がうまく行くようにと励まし合って別れた。
 

年明けてすぐの1月5日。学校はまだ始まっていなかったが、私は莉子と学食で遭遇し、進平とのことで「もっと自信を持て。結婚を目指せ」と励まされたものの、なかなか自信が持てない気分だった。
 
その莉子と会った翌日の金曜日、令子がコンサートのためまた上京してきた。令子は帰省していて、島根から直接飛行機で東京に出てきた。コンサートを見て、私のアパートで1泊してから翌日また飛行機で大学のある大阪に戻るスケジュールである。東京−大阪間はチケットの取り方次第で、飛行機の方が新幹線より安くなる。
 
コンサートが終わってから、うちのアパートに来た令子はリクエストされていたので用意していたビールを飲みながら、コンサートの感想を興奮気味に語った。
 
私は月曜日の成人式で着る予定の振袖を取り出して取りあえず袖だけ通してみせた。
 
「可愛い! いい振袖じゃん。高かったでしょ?」
「セット価格で75万だったよ」
「おお。凄い。でもこれ手染めでしょ。よくセット75万で買えたね。生地のみで75万でもおかしくないと思うよ」
「えー、そう? やはり現金で払ったお陰かなあ。令子は成人式は?」
「お母ちゃんと半分ずつ出し合って、セット価格85万の振袖を買った」
「わあ、じゃ今度大阪に行くから見せて」
「うん。いつ来る?」
「そうだなあ・・・」と私は手帳を見ながら考える。
「28日の土曜日とかどう?」
「うん。いいよ。晴音も振袖持って来て、一緒に着てお好み焼き食べに行こう」
「お好み焼きはまずいよ!」
 
そんなことを言っていた時、令子が、ふと壁に掛かった洋服に目をとめた。
 
「あれ? 男物の服があるぞ。まさか、また男装始めた?」
「違うよ。それは彼氏のだよ」
「おお、彼氏ができたとは聞いていたが、じゃ、よく泊まって行ってるんだ」
「うん。週に2回くらいは泊まっていくかな。今夜は彼は夜通しのバイトなんだけどね」
「ふーん。同棲になっちゃうのも時間の問題だね」
「うん。結婚できるとは思ってないけど、行ける所まで行きたい」
 
「ハル、性転換手術するつもりでしょ?」
「もちろん」
「じゃ、戸籍の性別も変更するんだよね」
「当然」
「じゃ、結婚できるじゃん」
「向こうのご両親に絶対反対されるよ」
「理解のあるご両親なら許してくれるかもよ」
「うーん。自信無いなあ」
 
「じゃ、晴音が結婚できるかどうか占ってあげよう」
「令子、占いとかするの?」
「こないだ習ったのよ。何か本無い?できるだけ厚いの」
「これどうかな」
と言って、私は令子に本棚から英和辞典を取って渡した。令子はそのページをパッと開き、ページ数を読み上げた。
「333ページ。凄い。ぞろ目だ」
 
「ぞろ目だといいことあるの?」
「うん。さい先いいよ。これを64で割ったら・・・えっと」
「5あまり13だね」と私が答える。
「お、さすが暗算得意だね」
「中学時代に鍛えたのが今でも使えるんだよね」
「凄いなあ。13なら天下同人。一緒にやっていけるってこと。結婚できるよ」
と令子は何かの一覧表のようなものを見ながら言った。
 
「ほんとに?」
「自信を持ちなさい」
「うん」
 
その当時は進平との将来について、更には自分自身の性別についてもまだ若干の心の揺れがあった。しかしこの夜の令子の「占い」で、私は少し自信を持つことができた気がする。
 
高校3年の秋の失恋を契機に揺れ始めた自分の方向性はこの年の年末頃、やっと定まったのだと思う。2年間にわたる迷走だったが、小学4年生の頃から女の子としての自分を生きて来た私にも、やはり迷いの時期は必要だったのかも知れない。
 

ある時、うちの母は言っていた。
 
「あんたさ、中学・高校の頃って、ほとんど女の子していたから、この子はきっと、こういう子なんだろうな。娘と思ったほうがいいんだろうな、と思っていたのよね」
「うん。お母ちゃんから随分女の子の服、買ってもらったし学校に来て先生にこの子はうちの娘ですからと言ってもらったし。女の子としての行儀とかも教えてもらったし」
 
「あの頃も、あんた女子制服着たり男子制服着たりしてたね。やっぱり性別意識が揺れてたの?」
「自分の中では揺れてなかったけど、世間とのインターフェイスの試行錯誤はあったよ」
 
「あれ見て私は結構ハラハラしてた。だから、あんたが大学入るのを機に女の子はやめると言った時は、そっちに落ちちゃったのかなと思って残念な気分だった」
「うん。そんな顔してたね。お母ちゃん」
 
「この子が女の子になってくれたら『娘の成人式に振袖を着せる』なんてのを体験できるんだろうかとか期待もしてたし。でも無理だったかなって思うと残念で。でも元々男の子だったんだから仕方ないかな、って諦めようと自分に言い聞かせたりしてたけど」
「ごめんね。混乱させて」
 
「そんな気持ちだったから、よけい、あんたが大学2年の秋に、突然女の子に戻っちゃったのは、ほんとにびっくりしたし、私自身も心の整理をするのに時間が掛かった」
 
「でも、あれでお母ちゃんに認めてもらったから、私、性転換手術する決断ができたんだよね」
「まあ、あんたは実質小学生のうちに性転換しちゃってたんだろうけどね」
「うん。最終的な手術を引き延ばしてただけだよね」
 
 
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【桜色の日々・男の子をやめた頃】(2)