【サクラな日々】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2011-09-15
「君、優しい顔立ちだしさ。女の子で通るよ」
そう言われてボクは絶句した
発端は父との喧嘩だった。電話でのちょっとしたやりとりをきっかけに衝突したボクと父は、まさに売り言葉に買い言葉で大喧嘩し、結局仕送りの中止を宣言されたのであった。新学期早々のことであった。
バイトしなきゃなあ・・・・そう思ったボクは近くのコンビニに寄ると、お昼を買うついでに、店頭のバイト情報誌を取って来た。めぼしい感じのものに電話をするが、もう決まりましたという所が大半である。でもそのうち1件、面接しましょうというところがあったので行ってきたが、一週間後不採用通知が届いた。そこでまた新しい情報誌をとってきて電話を掛けまくり、面接に行って・・・・やはり不採用で・・・・というのを数回繰り返している内に1ヶ月近くたった。
困ったなあと思い、教室で少し考え事をしていた時、同級生の寺元進平から声を掛けられた。
「お前、どうかしたの?」
「いや、バイトがなかなか見つからなくて」
「ああ、今不況だしなあ。でも、お前バイトとかする時間あるの?自主ゼミの準備とかでも、かなり忙しいだろ?」
「うん。あの準備で毎週4日は掛かってる。それで週に1回くらいのが無いかなと思ってあたってるんだけど、電話してももう埋まりましたと言われたり、こないだから何度か面接行ったけどダメで」
「そういう美味しいバイトは希望者多くて、向こうも選び放題だし、すぐ埋まるから。でも、お前親からの仕送りは?」
「喧嘩しちゃって、もう仕送りしないと言われた」
「うーん。。。。。」
と寺元はしばらく考えていたようだったが
「俺がさ、前に一時期やってたバイトがあるんだ。俺は1日3〜4時間してたけど出勤は原則として自由。いつでも空いている時に出て行って好きな時間すればいい。作業実績給に成績給が付くから、稼ぐ奴は毎日7〜8時間で月に30〜40万稼ぐ奴もいる、なんてのがあるんだけど、お前興味ある?」
「なに?その高給は?肉体労働か何か?」
「いや。デスクワーク。お前、タイピング早かったよな」
「うん。カナ入力で秒8〜9文字打てる」
「それなら、稼げるぜ。やってみるか?」
「うーん。。。怪しい仕事?もしかして」
「まあ多少は怪しいけど、犯罪とかじゃない。でもこの給料は魅力だろ?」
「うん」
「じゃちょっと連絡してみるわ」
彼は携帯でどこかに電話していたが、やがて
「はい、分かりました。今から連れて行きます」
というと、ボクを促して、町中の割ときれいな感じのビルに連れて行った。
「ここの4階なんだよね」
エレベータで4階に上がるが、会社名とかが何も出ていない。彼はその奥のドアを開けて
「こんにちは。ご無沙汰しております」
と言って入っていった。
「あれ〜、マノンちゃん、復帰するの?」
と中にいた23〜24歳くらいかなと思う女性が声を掛けた。
「レモンちゃん、お久〜。いや、俺は復帰しないんだけど、バイトしたいという友達連れてきた。店長いる?」
「あ、今お昼買いに行った。すぐ戻ると思うから、会議室で待ってて」
「おっけー」
寺元はそういう会話をすると、ボクを入口近くのドアのある部屋に導いた。
「ところで、ここ何の仕事なの?」
「たくさん、メールのお返事書く仕事」
「苦情係みたいな?」
「うーん。けっこう似てるけど、微妙に違う。マニュアルが充実してるから、それしっかり読んでれば、あまり悩むようなことはないよ。サンプルも沢山入ってるから、場合によっては書き写してもいいし。そんなに自分で文章を考えたりする必要はないから」
「へー」
そんな話をしている内にドアが開いて
「おっす」
と声を発して、Tシャツにジーンズというラフなスタイルの27-28歳かなという感じの男性が入ってきた。
「ご無沙汰してました、店長」
「お世話になります。吉岡と申します」とボクは挨拶する。
「電話で話してた子ね?」
「はい」
「仕事の内容は話した?」
「いえ、今説明しようとしていた所で」
「ま、ぶっちゃけストレートに言えば、うちはいわゆる出会い系って奴ね」
「というと、男の人と女の人が恋人探しするサイトですか?」
とボクはびっくりして訊く。
「そうそう。会員さんが恋人を求めて、メールしてくるから、それにお返事を書くのがお仕事」
「ああ、いわゆるサクラって奴ですか!」
「そういうこと。よく分かってる」
「いかにも普通の会員みたいな顔して、お返事書くんですね」
「うん。それがここのお仕事の全て。良心が痛むという人には勧められない」
「分かりました。その程度で痛むようなやわな良心は持ってないので、ぜひやらせてください」
「OK。じゃ、取り敢えず仮採用ね。マノンちゃん、この子に最初の数日、少し指導してあげてくれない?その間の給料は、この子と折半ということで」
「了解です」
「あ、ハンドル決めなくちゃ。何か希望ある?」
「あ、特に」
「じゃー、ミュウミュウ」
「へ?」
「何ですか?それは、店長?」と寺元。
「フィーリングだよ」
「俺のマノンもフィーリングと言われましたね」
「そ、そ。本人の顔を見て瞬間的に連想した名前」
ボクは寺元と一緒にオフィスに移動した。けっこうな広さのオフィスに多数のテーブルが並び、その1つ1つにノートパソコンが置かれている。見るとネットブックのようである。席は全部で20くらいかなと思ったが、その7〜8割が埋まっている感じだ。オペレータは女性と男性が半々くらいの感じである。
「これ、空いている席、どこに座ってもいいから」
「うん」
「初期登録はしてやるよ」
と言って、寺元は「ミュウミュウ」というハンドルでシステムに初期登録をした。
「このパスワードはちゃんと覚えとけよ。俺は忘れるから」
「覚えた」
「今登録したばかりだから、自分のメールボックスには何も入ってない。こちらのAnyと書かれたメールボックスは誰でもいいからお返事頂戴というメールなんで最初はここから取り出して、お返事を書けばいい」
「なるほど」
「一度やりとりしはじめると、けっこう自分宛にメールが来るから、それはその人とのこれまでのやりとりを踏まえながらお返事する」
「分かった」
「それから、こちらのLongと書かれたメールボックスは、個人宛に送られてきたんだけど、本人が48時間以上お返事してないもの。そういう場合は、誰か手の空いてる人が代わりに返事を書く。あとで破綻しないように無難な線で」
「あああ」
「あとこちらの『新規』というのは新規登録して間もない会員さんのリストで括弧の中はその人が既に受け取っているメール数。ここがゼロとか少ない会員さんにはこちらからメールを出してみる。それから『不活』というところは、48時間以上何のアクションもしてない会員さん。ここに自分がメールしたことのある人がいたりしたら、お忙しいの?みたいな感じのメールをしてみる」
「なるほど」
「じゃ、ちょっと、ひとつやってみようか」
といって寺元はAnyのメールボックスからひとつメールを取り出した。
「あれ?これ男の人からのメールじゃ」
「ん?それがどうした?」
「男の人からのメールには女性のサクラさんが返事する訳じゃないの?」
「お前、今更何言ってんの?会員は99%が男。だからサクラの必要性があるの」
「え?もしかして、男の人からのメールに、こちらは女性を装って返事する訳?」
「それ以外にサクラの仕事があるか?」
「てっきり男性スタッフは女性の会員からのメールに返事するのかと思った」
「女の会員はごくわずかいるけど、放っといても、たくさん男の会員からメール行くからサクラ使う必要はない」
「そうだったのか」
「どうする?やめる?」
「やる。お金いるもん」
「よし。頑張ろう。これはなあ、寂しがっている男たちに夢を見させる商売なんだよ。向こうだってサクラかもなあくらいは思ってるだろうけど、メールのやりとりしている時は、もしかしたらホントに可愛い女の子かも、ってワクワクできるじゃないか。そのひとときの幸せを提供する仕事なんだ」
「そう言われると、凄くいいことしている気がしてきた」
「まあ、そうでも思っておかなくちゃ、やってられないけどね。こいつはいきなりパンツの色訊いてきてやがるなあ。こういうのはノリで返事するんだ」
寺元はそのメールを見ながら、まるで18-19歳の女の子が書いたかのような感じの文章を打ち込んでいく。パンツはイチゴ模様だと書き添えて返信した。
「だいたい、今ので雰囲気分かった?」
「分かった。でも凄い。まるでホントに女の子からの返事みたい」
「自分が18の女の子になったつもりで書けば書けるよ」
「はあ」
「お芝居で女の子の役をしているような気持ちになればいいのかな」
「そうそう、そんな感じ」
寺元は3通まで自分で返事を書いてから
「じゃ、次やってみよう」
と言って、私に返事を打たせた。
「うーん。今時の女の子は『わ』なんて語尾は使わないよ。同級生の女の子たちの会話を聞いてると勉強になるよ。それからマックとかに言って、女の子たちのおしゃべりを聞いとくとか」
「うん。少し勉強してみる」
「一応こちらのマニュアルに基本的なやり方とかサンプル載ってるから悩んだら読んでみよう」
「分かった」
「ここのシステムはポイント制でさ。会員がメール出す度にポイントを消費するわけ。それでポイントがなくなると、コンビニで電子マネーを買ってきて追加する。だから、できるだけたくさんポイントを消費させることがサクラの目的」
「なるほど」
「だから、いかにもまた返信したくなるようなお返事を書くことが大事。基本は『突っ込みどころ』を作っておくことだな。自己完結してしまっているようなメールは書いちゃだめ」
「うん。考えてみる」
私の最初の返信はかなり寺元に修正を入れられてから送信された。しかしその後もどんどんメールボックスから取り出しては返事を書いていると、だんだん寺元の直しも少なくなっていき、10回目に書いた返信は「OK。これはそのままでいい」
と言われた。
「お前、飲み込みが早いよ」
と褒められる。
「ちなみに、もらえるお給料は、Anyに返信したメールが1通100円、自分宛のメールに返信すると1通200円。だから1ヶ月毎日出てきて、自分宛のメールに毎日60通返信すると36万円稼げることになる」
「凄い」
「稼いでる子は凄いよ。さっき声掛けてくれたレモンとかは毎月70〜80万稼いでると言ってた」
「ひゃー。それだけもらえるって、これ使う側もけっこう料金取られるんだよね」
「メール出すのに300円。受信するのに100円。過去のメール見るのに1通50円。でも業界ではもっと高額取る所がたくさんある」
「わあ、お金が余ってる人、多いんだなあ」
「サクラのいないサイトはもっと安いか逆に高額の会費とって月額固定制なんだけど、マジの出会い系なら、真剣勝負じゃん。けっこう深刻なやりとりになっていく場合もあるし、おかしな性格の女の子なんかに当たると、ひどい目に合う。だけどサクラの多いサイトはみんなかなり理想的に近い反応をする。男性会員は純粋に楽しめるんだよ。だからこれは一種のエンタテイメントなんだな。俺達がもらう報酬は会員さんを楽しませてあげる代金なんだ」
「そう考えるとサクラの多いサイトって、けっこう存在意義があるんだ!」
「俺はけっこうマジでそう思ってるよ」
「だけど、寺元はどうして、この仕事辞めたの?」
「俺の場合は、車を買う資金が欲しかったからさ。その分稼いだ所で辞めた」
「なるほどー」
「実際には、良心が痛んで辞める奴、変な客に絡まれてストレスから辞める奴、親にバレて辞める奴、突然飽きて放置する奴とか、いろいろだよ。だいたい3ヶ月もったら、この仕事に適性があるな。俺は4ヶ月だった」
「はあ・・・」
その後、ボクはどんどんメールボックスに入ってるメールに返事を出していった。そのうち、ミュウミュウの個人メールボックスに着信がある。取り出してみると向こうは返事をもらえたことを凄く嬉しがっているようだ。学生さん?などと聞いてきているので、
『女子大生でーす。ゼミの準備の合間にメールしてるの♥』
などという感じのお返事を書く。
「うんうん、そんな感じでいい」
と寺元が言ってくれる。
そんな作業を2時間も続けた時だった。ひとりの男性オペレータが
「店長〜。ヘルプ〜」と声を出している。
「どうした、どうした」と言って、窓際の大きなテーブルの所で数台のパソコンを使って作業をしていた店長が、その人のところに行くと、
「あちゃあ。この客はこないだから、結構しつこかったもんなあ」
と言っている。
「どうしたんだろ?」
とボクがつぶやくように言うと
「どうしても会いたいって言ってるんだよ、たぶん」
と寺元がいう。
「ああ、そういう場合、どうすんの?」
「仕方ないから会わせる」
「えー?」
「レモ〜ン」と店長がレモンさんを呼ぶ。
「はーい」と言って、レモンは自分の席を立ち、店長たちの所に行った。
「すまん。この客がどうしても会いたいっていって、かなり抵抗したんだけどもう押し切られそうな感じなんだ」
「OKです。会って、適当にあしらってきます」
「すまんね。いつも」
「マネー、マネーです」
「じゃ18時、△△前で」と店長の指示でスタッフが返信すると向こうからの返事も速攻で届いたようであった。
「マノン、あ、ミユウミュウも」
「はい」
「レモンがデートするから、付き添い頼む」
「はい」
と寺元は返事した。
「デートに付き添い?」とボクはびっくりして訊く。
「うん。どうにも会いたいという客には、適当にスタッフの女の子がその子の振りをして会いに行くんだけど、女の子をひとりでやる訳にはいかないだろ?レモンはこの役のベテランでほんとに男のあしらいがうまいんだけどさ。それでも、何かあったらいけないから。万一の時に守るために、男のスタッフが近くでデートの様子を見ておくんだよ」
「なるほど」
「一緒に行こう。お前もこの役、時々することになるだろうし」
「うん」
レモンはノーメイクで23-24歳と思ったが、本人は「私27よ」と言っていた。元々若く見えるタイプのようだ。それが可愛くメイクをして若い感じの服を身につけると、充分18-19歳に見える。
「デート用の衣装もここにそろってるんだ」
と寺元は言っていた。ボクはこの時は「へー」と思っていた。
レモンの後ろ、20mほど離れて、ボクたちは歩いて行った。やがて待ち合わせ場所に男がやってきて、レモンと話している。男はふつうのサラリーマンという感じである。ごく普通の感じの背広を着ている。
ふたりはしばらく並んで歩いていたが、やがて一緒にファミレスに入った。ボクらも入り、2つ隣の席に座った。充分会話が聞こえる。何だか探偵気分だ。
男はごく普通に世間話をしているし、レモンも無難な答えをしている。
「メールで積極的な奴に限って、リアルでは結構奥手なんだよ」
と寺元が小声で言う。
食事が進んでデザートなど食べ始める頃になって、男はやっとレモンを口説きにかかった。しかしレモンはうまい具合に、のらりくらりとかわしている。
「かわしかた、うまいですね」
「うんうん。レモンはあれがうまい」
攻防は20分くらい続いたが、ついに男は諦めたようであった。
「またメール書くね」
「うん。楽しみに待ってる」
などと言って、ふたりは別れた。彼がかなり遠くまで行ってから、ボクたちはレモンの近くに寄った。
「お疲れ様。今日の客はかなりしつこかったね」
「うん。かなり頑張った。またたくさんメールくれるんじゃないかな」
「また会いたいと言ってきたり?」
「どうだろう。かなりのガス抜きしたつもりだけど」
実際、この手の客で何度も会いたいと言ってくる客はそうそういないらしい。ボクたちは店に戻る。レモンはまだ仕事をするようであったが、ボクたちは今日はそのまま上がりということになった。
店長がボクたちの実績をチェックして
「じゃ、今日の報酬。ふたりで分けてね」
といって、現金を渡してくれた。寺元がお金を数えて半分をボクに渡してくれる。
「10000円!?そんなに返信したっけ?」とボクが驚いて言うと
「今日は32通に返信して、内8通が個人宛だったから、4000円。これと
デートの監視役が特別手当5000円。あと800円はファミレスのコーヒー代。残り200円は今日は初日だしおまけでサービス。ふたりで分けやすいように全部1000円札ね」と店長が説明する。
「わあ、デートの監視でそんなにもらえるんですか!またやりたいなあ」
などとボクが言うと、
「OK。OK。また頼むことにするよ」
と店長は笑いながら言っていた。
「ちなみにデートした本人は1万円だね」と寺元が言い添えた。
バイトは2回目まで寺元が一緒に付き合ってくれたが、ボクがだいたいうまい返事を書くので、これならもうひとりで出来るなと言い、店長にも確認した上でその次からはボク1人でやることになった。
「でもこれ向こうからの返信をあまり長く放置できないから、毎日出てきたほうがいいんですね」
とボクは店長に言った。
「あまり気にすることはないよ。間があいたら、誰かが適当に代わりに返事するから2〜3日に1度出てくる子も多いし、土日は休む子も多い。まあ、毎日出てきて、自分宛の分に返信だけして帰ってく子もいるね。話のつながりがいいからといって。その辺りは自分のペースで無理しない範囲でしてくれればいい」
と店長は答えた。
その後ボクは自主ゼミの前日をのぞいてほぼ毎日出勤し、忙しい日は返信だけし、時間のある時は、Anyのメールボックスからどんどん取り出しては返事を書いていった。また寺元に言われたように、よくマクドナルドとかロッテリアに行っては、若い女の子たちの会話を聞き、話し方の雰囲気を感じ取るようにしていた。また彼女たちの話題を理解できるようにするため、セブンティーンとかnonnoとかを買って読んだり、嵐などのCDを買って聴いたりもした。
ボクの部屋の本棚には若い女の子が読むような雑誌が並び、CD棚にもジャニーズとかエグザイルとかのCDが並んだ。これ他人が見たら、ここに女の子が住んでると思うかもね、などとボクは思ったりした。
返信の文章は店長が時々斜め読みしてチェックしているようであったが
「君、ほんとにいい感じの文章書くね。ほんとに17-18の女の子が書いたみたいな文章だよ」と褒められるようになった。
デートは週に2〜3回発生し、レモンがいる時はたいていレモン、いない時は、他の女の子でこういうのに慣れている子がデートをしにいき、ボクが監視役をさせてもらった。デートで実際にトラブルが起きることはなかったが、ボクはレモンや他の子の話術を聞いていて、ほんとにうまいなあと感心していた。
そして、それはここでバイトを始めてから2ヶ月ほどがたった頃であった。7月の初旬で、あと少ししたら学校は夏休みである。
会いたいというのを断れないような客が発生したのだが、あいにくその日はレモンが来ていなかった。
「うーん。誰か、男性とデートできそうな人?」
などといって店長が店内を見渡すも、今日は出てきている女性スタッフが、たまたま比較的最近ここに入った人や年齢の高い人ばかりで、対応できそうな子がいない。
「明日以降とかに延ばせないかな」と店長。
「今日、実は設定上のこちらの誕生日なもので、プレゼントあげたいから15分でもいいから会ってくれと」
とオペレータのルーシーさん(一応男性)。
「うーん。参ったなあ・・・・・・こういうのに慣れてる子でないと
対処できないし・・・・・」
どうも大変そうなので、ボクも心配してそのオペレータの席に行き、メールのやりとりの履歴を見せてもらう。
「ああ、かなり熱を上げてますね」
とボクは言った。
その時突然、店長はこんなことを言い出した。
「ね、ミュウミュウ、君、デートできない?」
ボクは目をパチクリした。
「は?男のボクが行っていいんですか?」
「違う。女の君が行く」
「へ?」
「女装ですか!」とルーシーさん。
「そうそう」
「そんな。バレますよー」
「いや、行ける気がする」とルーシーさん。
「だろ?俺もそんな気がするんだよ。最初から思ってたんだけど、顔立ちが優しいし、色白だし。背もそんなに高くないし。お化粧したら女の子で通りそうな気がするんだ。それにミュウミュウはいつも監視役してるから、どんな会話すればいいかとか、相手からのアタックのかわし方も、だいたい分かっているはずなんだ」と店長。
「あ、そうですよね」とルーシーさん。
「ミュウミュウ、ちょっと更衣室に行って女の子の服を着てみて・・・・って俺が衣装選んでやるよ」
そういうと店長はボクを女子更衣室に連れていき、ボクの顔を見ながらクローゼットの中から、青いカットソーと長い丈のマーメイドスカートを取り出し、「ちょっと着てみて」と言った。
ボクはなぜだ〜、と思いながらも、とりあえず着ていたポロシャツとズボンを脱ぎ、カットソーを着、スカートを履いてみる。
「君、ウェスト細いね。ちゃんとホックが締められる」
「あ、はい」
外に連れ出され、ルーシーさんや、他の数人のスタッフも集まってきたが
「充分、女の子に見えそうですね」
と言われた。
「ジャワティーちゃん」と店長はボクと同い年くらいの女の子を呼ぶ。
「はい」
「ミュウミュウにお化粧したいから、ファンデとかアイカラーとかルージュとか、お化粧品をワンセット、急いでコンビニで買ってきてくれない?」
「分かりました」
と言って、店長から1万円札をもらい飛び出して行く。
彼女が帰ってくるまでの間にボクは足の毛を剃られた。そして彼女が戻ってくると、彼女の手でお化粧をしてもらった。眉も細く削られた。指にはマニキュアもされた。
「なんか、凄い美人になっちゃったんですけど」とジャワティーが言う。「可愛いね」とルーシー。
「女子大生に見える」
「でも胸が・・・・・」
「あ、そうか。待ち合わせは何時にしたっけ?」
「19時から15分です」
「まだ少し時間あるな。ジャワティー、大急ぎで、四越まで行って、この子に合うブラジャー買ってきてくれない?」
「下着買うなら四越まで行かなくても、地下街にランジェリーショップがあります」
「じゃ、そこで頼むよ」
「バストパッドとかも買いましょうか?」
「うん、よろしく」
ジャワティーがまた飛び出していく。
「どうせならと思って、パンティーも買ってきました」
と言ってジャワティーはすぐに戻って来た。
「あ、そうだね。スカート履くのに下が男物のパンツではね」
「じゃ、これ身につけてくれる?」といって袋を渡される。
「ブラジャーの付け方がたぶん分かりません」
「そうか。ジャワティー、手伝ってあげられる?」
「いいですよ」
といって、ボクはジャワティーと一緒に更衣室に入ると、まず穿いていたパンツを脱ぎ、女の子用のパンティーを穿こうとして・・・・悩む。
「そのリボンが付いてるほうが前よ」
「あ、ありがとう」
そのあと、一度上半身を全部脱ぎ、ブラジャーを付けるが、ホックを締めきれない。これをジャワティーが留めてくれた。ブラのカップの中に、バストパッドを入れた。その上にTシャツを着ようとしたが
「待って。こちらのほうがいい」
と言って、ジャワティーはクローゼットの中にあったブラウスを取り出した。それを着る。。。。ボタンの付き方が逆だから留めにくい。でも何とか留めることができた。その上にさきほどの青いカットソーを着る。
「ぐっど。女の子1丁あがり」
と楽しそうにジャワティーは言って、ボクを更衣室の外に連れ出した。
「ほんとに可愛いなあ」と店長。
「ボクがデートしたいくらいです」とルーシー。
店長といくつか確認した。
「できるだけ女の子っぽい声の出し方、話し方をして」
「はい」
「でも男とバレてしまった時は『ごめんなさい。私、性同一性障害なんです』とでも言うしかない」
「分かりました」
「ただ、君の場合、バレないような気がするけどね」
「そうですか?」
「15分だけだしね。このあと家族で誕生祝いやることになってるから、ということで時間になったら逃げだそう」
「はい」
「その他の相手のかわし方は、レモンがいつもやってるのを聞いているだろうから、それを参考にして」
「やってみます」
「ルーシー、付き添い頼む」
「行ってきます」
ボクはそういうわけで、女の子の服を着て、お化粧をした状態で、オフィスの外に出た。こんな格好で外歩くなんて・・・・恥ずかしい!でも5千円だもんね。頑張ろう。ボクはそう思って、開き直って女の子っぽい歩き方をして地下鉄の駅まで降りていった。ルーシーはずっと20mくらい離れたところを付いてきてくれた。
目的の駅で降り、待ち合わせ場所に行く。10分前に着いたのだけど、目印にしたキティちゃんのポーチに目を留めたのか、すぐに、30歳前後の学校の先生かな?という感じの男性が近づいてきて
「ルーシーちゃん?」
と声を掛けた。
「こんにちは、AKB29さんですか?」
「うん。どこかお店に入ろう」
といって連れて行かれたのは、資*堂パーラーだ。
「わあ、可愛い」
などと私は入るなり言った。ボクもここはノリで女子大生になりきっている。
「何か好きなメニューある?」
と聞かれる。ここには実は昨年1度上京してきた従姉と一緒に入ったことがあった。その時、従姉はパフェを注文していた。
「ホワイトブーケパフェかな」
「じゃ、それ2つ」と注文する。ボクは元々甘党だからパフェ行けるけど、普通の男の人にあのわりと大きめのパフェ、大丈夫だろうか?
最初見た時にボクが思ったように、彼は中学校の先生ということだった。ストレスが多い仕事なので、その息抜きにメールをたくさん書いているらしい。今回のデートにしても、『ルーシー』を口説くことより、単に直接いろいろおしゃべりがしたかったというのが動機のようであった。
「うちの生徒の女の子たちには嵐とかキスマイとかが凄い人気でさ。でも、僕は嵐のどの子が桜井君で、どの子が二宮君かとかも、さっぱり分からない」
「あはは。私はどちらかというとHey! Say! JUMPが好きですけど、櫻井君と二宮君の区別は付きますよ」
なんて会話をする。さすが中学生とふだんやりとりしているだけあって話題が若い。
やがてパフェが来た。ボクはゆっくりとそれを食べていくが、彼の方は途中でギブアップしてしまったようだった。
「そうそう。バースデイプレゼント。あまり高価なもの贈っても負担に感じるだろうからと思って」
と言って、彼は可愛い熊のストラップをくれた。
「わあ、可愛い。ありがとうございます」
とお礼を言う。
その後も私はAKB29さんと、お互いの学校での話題やジャニーズ系の話題などを話し、結局20分後に店を出て別れた。
彼の姿が充分遠くなってから、ルーシーが近づいてくる。
「お疲れ様」
「疲れました。あ、トイレ行って来なきゃ」
といって、今出てきたビルのお店の入口近くにトイレがあったなと思い、そこに行こうとする。
「ミュウミュウ、トイレ入るほう、間違うなよ。君、今女の子だから」
「ああ!きゃー、どうしよう」
「開き直り」
「うーん。頑張ってみます」
と言って階段を上り、おそるおそるスカートを穿いた女性をかたどったマークが刻まれているほうのトイレのドアを開ける。ひゃー列が出来ている。結構人の多い時間帯なのでトイレも混み合っているようだった。
女子トイレにはいつも列ができているという話は同級生の女の子から聞いたことがあったが、実物を見たのは始めてだ。仕方ないので最後尾に並んでひたすら待つ。その間、男とバレないだろうかとドキドキしていたが、AKB29さんと20分も話していてバレなかったんだから大丈夫、と自分に言い聞かせる。
やがて順番が来て、私は個室に入り、ふっとため息をついた。
しかしこれどうやってトイレすればいいんだ?
マーメイドスカートなので。まくりあげたりするのは無理っぽい。取り敢えずスカートを下ろしてみた。パンティーも下ろす。これで立ってできるかな?とも思ったが、ちょっと思い直して、便器に座ってからしてみた。
うん。なんかこっちの方がしっくり行く。女の子の服を着せられた時から、自分の心の中を女の子のような感じにシフトしていたので、その女の子の心では、おしっこを立ってするというのは違和感を感じたのである。女の子は座ってするよねー、などと自分で思う。出し終わってから、トイレットペーパーを少し取って、おしっこの出たあたりを拭いた。こんなことするのも初めてだ。でも、女の子っておしっこの後、拭くんだよね、などと思いながらそんなことをしてみた。
パンティを上げ、スカートを上げて、流してから個室を出、手を拭いてから外に出てルーシーの所に行く。
「お待たせ。帰りましょう」
といって一緒に歩き出した。
「こうしてると、まるでミュウミュウとデートしてるみたいだ」
「もう、やめてくださいよー。今もう、恥ずかしくて死にそうなんだから、私」
となんだか声も話し方も女の子になったままだ。
「でも、すごく女の子が板に付いてる」
「そう?」
などといって、私が小首を傾げたのが、自分でも女の子っぽい気がした。あとでルーシーはあの時ドキっとしたなんて言っていた。
会社に戻ると、店長から「お疲れ様」といって迎えられる。
取り敢えず仔細を報告してねぎらわれた。
「着替えてきまーす」と言ってノックして誰もいないことを確かめてから女子更衣室に入り、着ていた服を脱ぎ、空いているロッカーに収めていた自分の服を取り出して着た。脱いだ服を持って店長の所に行く。
「この衣装はどうしましょうか」
「ああ、更衣室の隅のバスケットの所に入れておいて。後で洗濯するから」
「はい」
「下着は自分で洗濯してから返しますね」
「あ、うん・・・あ、いや下着は君が持っておいて」
「あ、はい」
「下着は共用できないからね」
「確かにそうですね」
「あ、どなたかクレンジング持ってませんか・・・って女子がひとりもいない」
「あ、もうみんな帰っちゃったね」と店長。
「仕方ない。帰りにコンビニで買って帰ろう」
「あ、このメイク道具も君が持ってていいから」と言って、さっき使った化粧品をまとめて渡される。
「はい。じゃ、また使う機会があったら」
などと笑って言って受け取ったが、自分としてはまさかまたそれを使うようなことはあるまいと、その時は思った。
「じゃ今日の報酬ね」
といって現金を受け取る。
「わ、なんか凄く多いんですけど」
「デートは1回1万円だから」
「えー!?5千円かと思った」
「それは付き添いの手当。5千円でいいの?」
「いえ、1万円頂きます」
といって、ボクは現金をバッグにしまった。
「わあ、でも1万円ももらえるなら、またしたいくらいだなあ」
などと軽い気持ちで言ったのだが
「ふーん。じゃ、またデートが発生したら頼もうかな。念のため、そのメイク道具とか、洗濯済みの下着とか、会社に置いとくかい?」
などと言われる。
「あはは、そうですね」
などという会話をしたのだが、なんと同様の事態が翌週も起きたのである。2度目だったので、少し心に余裕があった。ボクはお芝居の女役でもするような気分で、ロッカー(女子更衣室なのだけど、ボク専用のロッカーを決めてもらった)に入れておいた下着を身につけ、たまたま在社していた女性スタッフに衣装を見立ててもらい、メイクもしてもらって、男性スタッフに付き添いをしてもらい、ボクは2度目のデート外出をした。
今度は25-26歳くらいの会社員という雰囲気の人だった。話題が車とか格ゲーとかの話ばかりだ。あいにく、ボクはその方面はあまり興味が無いので、単に相槌ばかり打っている感じになってしまった。『ランエボ』という単語が出てきて何のことだろうと思っていたらだいぶ後になってからそれがどうも車の名前のようだということが分かった、などという状態だったが、それはそれで問題ないみたいだった。別れ際に彼が
「車のこととかばかり話して御免な。俺、こういうのしか知らないもんだからさ。でも、相槌打って、ちゃんと聞いてくれていたから嬉しかった」
などと言っていた。彼とは30分ほど会話してから笑顔で握手して別れた。
付き添ってくれたメイリンさん(ハンドルは女の子だが本人は体育会系の男性)が終わってから「さてミュウミュウと事務所までデートだ」などという。
「もう、メイリンさんまで」
「他の奴にもなんか言われた?」
「ルーシーさんからも似たようなこと言われた」
「そりゃ、これだけ可愛かったらね。ミュウミュウ、普段は女装しないの?」
「したことないですー」
「女の子の口調になってるね」
「いや、メールで毎日大量に女の子になりきって返信書いてるし」
などと言う。
その日事務所に戻ってからクレンジングで化粧を落としながら、ボクはふと思った。こういう事態が女の子がひとりもいない時に起きたらメイクに困るよなあ。お化粧少し勉強してみようかな。
そう思うと、ボクはメイク道具をバッグの中に入れて持ち帰った。遅くまで開いている書店で、メイクの参考になるような本を探してみる。うーん。そういう本はどこにあるんだろう・・・・あれこれ探してみて「実用」の所に少しあることに気付く。しかし・・・・見た感じ、あまり参考にならないふうだ。これはもともとお化粧が分かっている人向けの本だ。
さてどうしようと思ってぶらぶらと書棚を眺めながら歩いていた時、ティーンズ向けの雑誌で「メイク初心者講座」なんて文字が躍っているのを見かける。
「そうか!女の子向けの雑誌でも、よくお化粧の話書いてあるじゃん」
と思って、その雑誌を買って帰った。
アパートに帰ってから、とにかく試してみる。ファンデは分かる。ひたすら塗ればよい。アイシャドウが、いまひとつよく分かっていなかったのだが、書いてある通りに、薄い色を眉毛の下に広く、濃い色をまぶたの上にだけ塗ってみる。あ、いい感じだ。
アイブロウを入れる。こないだメイクしてくれた女の子も、今日してくれた女の子も眉毛を1本線で入れたのだが、それはどうも略式のようで、本当は眉毛の毛の流れにそって、短い線を重ねて描いていかなければならないようだ。やってみる。けっこう時間が掛かるし、途中飛び出してしまったのを綿棒で拭いて消したりした。しかし完成すると、1本線で描いたのより、ぐっと自然な感じだ。いいな、これ。
アイラインを入れる。これが難しい。目の中に飛び込みそうでこわい。慎重に慎重に描いたが、なんだか黒くなりすぎた感じだ。うーん。これはもう少し研究が必要だな。
マスカラを塗ってみる。なんか楽しい!これ。でもこのマスカラだけでぐっと女の子っぽい目になるんだなあ。。。たっぷり塗ってから、ビューラーで押さえて・・・・と思ったのに、うまくはさめないよう。えーん。
どうしてもうまくビューラーではさんでカールできないので、指で押さえて無理矢理上にカールさせた。これは宿題だ。
チーク。これが難しい。本には、チーク買った時におまけで付いているブラシではなく、もっと大きなブラシを買って使ったほうがいいと書いてある。よし、今度買ってこよう。今日はとりあえずおまけのブラシで。。。。こんな感じ?これ以上やると多分「おてもやん」になる。うん。このくらいで悪くない気がする。
でもチークって、自分でメイクをされるまでは「おてもやん」みたいなのを想像していたので、最近の女の子はチークなんてしてないんじゃないかとばかり思い込んでいたのだが、実際のチークはとてもほんのり入れるのだ。メイクされてみて知ったことであった。
最後にルージュ。この雑誌を買う前に見た別の本ではリップブラシで輪郭を描いてからと書いてあったのだけど、この雑誌ではそういうやり方は採用されていない。ふつうにそのまま塗っている。ジャワティーにもそのまま塗られた。輪郭がピシッとしているのは、「お姉さん」の塗り方じゃないかなかという気がした。ボクの年齢では逆にそういうピシッとした塗り方しないほうが、若い子らしくなりそうな気がしたので、口紅をそのまま使って唇に塗った。
口を大きく開けて、ちゃんと端まできれいに塗る。これ、こないだメイクしてくれたジャワティーにはされたけど、今日してくれた子にはされなかった。でもこれはちゃんと口角まで塗るべきだという気がする。
取り敢えず完成。
うーん。。。。。
なんか変だ。一応手順通りにしたつもりだけど・・・バランスが悪いんだろうなあ。よし、これ毎日練習しよう!
ボクは声の出し方についても少し研究してみることにした。カラオケ屋さんに行き「女の子っぽい」声の出し方をして、携帯で録音し、再生してみる。
うーん。これこちらを女の子と思い込んでいる人には通用するかも知れないけど、ふつうに聞くと男の声に聞こえるなと思う。よくバレなかったものだ。
トーンを変えてみたり、指を喉に置いて喉の緊張度を調整したりして、試行錯誤をしてみる。あ、今のいい感じ。
あれこれしているうちに偶然女の子っぽい声が出た。この出し方をちゃんと覚えておこう。その出し方で「あいうえお」とか言ってみる。録音して再生。ちゃんと女の子の声に聞こえる。やったね。ボクはその声で『枕草子』の一節を暗誦してみたり、せっかくカラオケ屋さんなので女性歌手の歌を歌ってみたりしてみた。録音して聞いてみるが、やはり歌は音程の高いほうが不安定な感じになる。しかし朗読の方はわりといい感じだ。
よしこれ毎日練習しよう。
ボクはそうやって毎日メイクと発声の練習をしていたが、その内、もっとこれを実地で試してみたくなってきた。
女の子の服、買ってこよう!
と思って日曜日にスーパーまで買いに出たものの、いざ婦人服売場まで来ると、なんか恥ずかしくて近寄れない。
何度もタッチアンドゴーを繰り返していたが、やがて「よし」と思い切ると、中まで入っていった。
まずスカート。自分のウェストサイズはこないだからの衣装選びでW64で合うことが分かっている。64の膝丈スカートでベージュのコットンのを選んでみた。上は取り敢えずポロシャツが着こなせそうだな、と思い、ライトグリーンの無地のポロシャツを選ぶ。
下着コーナーに移動する。このあたりでかなり開き直りの心が出来ていた。ブラジャーはこないだ付けてもらったのはB80だったが少し余っている気がした。たぶん「はまらない」事態を避けるために、ジャワティーが少し大きめのを買ってくれたのだろう。実際にはおそらくB75で行けるんじゃないかと思いそれを買う。それからショーツ。ジャワティーはLを買ってくれていたが、これは、アレを押さえるためにMの方がいい気がしていた。そこでワゴン・セールに出ていた1枚300円コーナーのショーツのMを2枚買ってみた。
それからブラパッドを買おうとして、シリコン製のパッドがあるのに気付く。こないだから入れていたのはウレタン製のパッドだが、元々胸が全く無いのでブラカップの中で遊んでいる。シリコン製のパッドに触ってみると、感触がすごく柔らかいし、ボリュームもある。ちょっと値段は張るけど、先日からもらっているバイト代はかなりの額になっていた。買っちゃおう。
それから靴のコーナーでLサイズのサンダル、日用品コーナーで、女性用のカミソリを買って家に帰った。
お風呂場でカミソリで足の毛をきれいに剃る。これあらためて見るといい感じだよな、と思う。スベスベした肌が気持ちいい。お風呂から上がり、ショーツとブラを付け、シリコンパッドを入れる。ポロシャツを着てスカートを穿いた。
鏡に映してみる。うーん。いい感じ!
メイクをしてみた。こないだからだいぶ練習したので、かなり良い感じになっている。可愛い!ボク自身がこの子とデートしたいくらいだ、なんて思う。
髪の毛が適当だよなあ・・・・美容室に行ってみようかしらん?
ボクはその格好でサンダルを履き、表に出た。女の子の格好で外を歩くのはこれで3度目なので、最初の時ほどの恥ずかしさは無い。むしろ快感な感じ!この近所や、学校の近くの美容室だと知り合いに会いそうな気もしたので、町まで出てみた。
同級生の女の子が大きな美容室って好きじゃない、なんて話していたのを聞いていたので、派手な外装のおしゃれな美容室は避けて、こぢんまりした感じの美容室に入った。中にいたスタッフが一斉に「いらっしゃいませ」と声を掛ける。わあ、なんだか感じいい!
受付の女の子がカルテを作ってくれる。名前を書かなきゃ・・・わあ、どうしよう。と思ったが、ボクは本名をそのまま書き込んだ。
『吉岡晴音』と記入する。これで本来『はると』と読むのだが、ボクはふりがなのところに『はるね』と書き込んだ。実際昔から『はるね』と誤読されて女の子と思われたりしたこともけっこうあるのだ。性別は
ちょっと躊躇ったけど、女の方に○を付けちゃう。ボクはその受付の女の子との会話を全部女声でやりとりしていた。
30分ほど順番待ちしてからシートに案内された。
「どんな感じにしますか?」
「よく分からないんですけど、こんな感じいいかなあと思って」
と雑誌の切り抜きを見せる。
「分かりました。こういう雰囲気ですね」
美容師さんはボクに途中でいろいろ確認しながらカットして行った。洗髪し再度調整し、ブローして仕上げる。(仰向けにされて洗髪されたのは初めてだったので少しドキドキした)
「わあ、すごくいい感じです。ありがとうございます」
と言う。実際、この髪型はとても気に入った。
そのまま町を少し散歩し、カフェに入ってコーヒーを飲みながら解析学の教科書を読む。こないだからやっていた所が難解で、挫折しそうな気分だったのだが、ここで分からなくなると、この先全て分からなくなりそうだったので何とかしたいと思っていたのだが・・・・・
「何だ・・・そういうことか」
ボクは突然全て理解できてしまった。分かってみると何でもないことである。むしろ、なぜ今まで理解できなかったのが不思議なくらいであった。
でもこれって・・・・・今日女の子の格好でお出かけして、美容室なんかに行ったりして、気分転換できたからかもね。なんて考えたりすると、なんだか凄く面白い気分になった。
ボクは最初いったん家に戻って、男の服に戻ってからバイトに出て行くつもりだったけど、なんだかこのまま行きたい気分になった。そこでロッテリアで軽い夕食を取り、またしばらく解析学の本を読んでから、バイト先に入った。
「こんばんわー」と女声で言って入っていくと、前のほうの席にいたレモンが「いらっしゃいませ」と言って出てきた。ボクということが分からないみたい。「レモンちゃん、ボク、ミュウミュウだよ」と女声のまま言うと、しばらくこちらの顔を見つめていたが「うっそー」と言って「ほんとにミュウミュウだ。びっくりした」と言う。
「ちょっと気分転換したくて、今日はこの格好で来ちゃった」
「気分転換じゃなくて性転換だよね」
「あはは、そうかも」
「こないだから、私がいない時に2回女装してデート対応したって聞いたけど、もともとこういう趣味があったのね」
「ううん、むしろ、その2回女装したので、なんだか自分でもちゃんとお化粧できるようになりたいな、とか思って、お化粧練習してたら、女の子の服を着てみたくなって、買いに行って着てみたら、髪もきれいにしてみたくなって、午後から美容室に行ってきて、そしたらこのままここに来たくなった」
「はまっちゃったのか」
「そうかも」
「でも、声が女の子の声に聞こえる〜」
「これもだいぶ練習した」
そんな会話をしていたら店長が出てくる。
「ミュウミュウ?」
「はい。ちょっと女装にはまっちゃったみたいです。今日はこの格好で勤務していいですか」
「もちろん、うちは服装自由だし。自由といっても裸とかは困るけどね」
「はい。では勤務入ります」
「しかし君・・・・」と店長はまだボクを信じられないという感じの表情で見ている。
「はい?」
「マジで可愛いな。こないだ2回女装してもらった時も可愛くなるもんだと思ったけど、メイクうまくなってるし、髪型も可愛いのになってるし」
「あ、えーっと」
「私、ミュウミュウの女装初めて見たけど、凄く可愛い女子大生って感じ」
とレモン。
「声も女の子の声だね」
「練習しました」
「ね、ね。ミュウミュウ、今日は何時まで?」と休憩室でレモンに話しかけられた。1時間ほど個人宛返信を書いていて、一息ついていた時であった。
「9時までのつもりだけど」
「あ、私もそのくらいまでのつもりだった。帰り一緒に御飯食べない?」
「うん、いいよ」
「遅くまで勤務する女の子少ないからさあ、いつもひとりで晩御飯食べてたんだ」
などと言っている。レモンは取り敢えず今日のボクを『女の子』に分類しているみたいだ。
その日の勤務は平穏無事にデートなどが発生することもなく終了。レモンと一緒にファミレスに行って遅い夕食をとった。
「仕事抜きだからさ、普通の名前でいこうよ。私は清花(さやか)」
「私は晴音(はるね)で。晴れる音と書いて、本来は『はると』と読むんだけど、昔からけっこう『はるね』と読まれて、名前だけ見たら女の子と思われたりすることあったのよね」
「ふーん。確かにその字だと『はるね』と読んじゃう。でもマジ、女装したことって無かったの?」
「ぜんぜん。でもなんかこういう格好するの楽しい」
「とても最近始めたようには見えない。もうずっとやってる感じ」
「でも今日の外出で、こういう格好で出歩くこと自体には抵抗無くなった。最初は、男とバレるんじゃないかって、ドキドキだったけど、どうもちゃんと女の子と思ってもらえてるみたいって自信が付いてきて。トイレも自然に女子トイレに入っちゃうし」
「というか、女の子にしか見えないもん。もうこのまま性転換しちゃうとか」
「あはは。1年後くらいの自分が怖い」
「学校にもその格好で行っちゃうといいよ」
「まだその勇気は無いかな」
「最初だけよ、勇気がいるのは」
「そうかも」
「晴音は、あの仕事は学費稼ぎ?」
「うん。親と喧嘩して仕送り停められちゃって。でも理系だからあまり長時間のバイトはできないのよね。あそこだと3時間くらい、忙しい時は自分宛に来ているメールの返信だけしに1時間でもいいし。その割りにはかなり稼げるし。前やってた塾の先生のバイトは拘束時間自体は短いけど、授業の準備とかテストの採点とかでけっこう時間使っちゃってた。それも勤務時間にならない時間を」
「そういう意味で、この仕事は効率いいよね」
「清花は、何か目的あるの?凄く稼いでるみたいだけど」
「元々はさあ、住宅ローンの補填だったのよ。私、前結婚してたんだけど、家を建てたとたん、旦那の会社が潰れちゃって」
「きゃー」
「風俗とかはできないし。私、文章書くの好きだから、これならできるなと思って始めたのよね。でも結局旦那とは離婚したし、そのあと向こうは破産したみたい。私は保証人とかにはなってなかったから連鎖破産はせずに済んだ」
「わあ」
「私、いくつだと思う?」
「え?こないだ27だって」
「えへへ。それは鯖読みで実は来月で30なんだ」
「うっそー。見た目は23〜24に見えるのに」
「晴音、生まれ年の干支は?」
「え?ヒツジだけど」
「わあ、ほんとに20歳(はたち)なんだ」
「うん。この仕事始める直前に20になったばかり」
「若いなあ。いいなあ。年だけは無情に毎年1つ増えてくからね。私も晴音の年の頃は、いろいろ夢や希望もあったのに」
「清花もまだ若いよ。お金貯めてるみたいだし、それを元手に何か始められるんじゃない?」
「うん。実はアクセサリーショップとかできないかなあと思ってるのよね。でも、そういうショップ、無計画にフィーリングで始めて失敗する人多いからね。私はこの仕事しながら、そういう方面の勉強ももう少ししてから始めようかなと思ってる」
「うん。それがいいと思う。頑張ってね」
ボクたちの会話はとても弾んでいた。ほんとに女の子同士の会話という雰囲気になっていた。
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【サクラな日々】(1)