【Powder Room】(下)
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(c) 2003.02.02 written by Eriko Kawaguchi
「あそこで性転換手術をするのよ」
そう言われて私はあらためて、その建物を目を凝らして見て、大きく息を吸い込んだ。
冬休みが終わってから3学期の間に起きたことは、今から思い起こしてみてもよく分からないことも多い。あまりにもたくさんのことが起きたので、記憶が曖昧になったり飛んでしまったことなどもあるように思う。
東京に戻った後、私はアソコの接着を外すために、アロンαのハガシ液を買ってきた。ところが溶けてくれないのである!! 幸子に相談したら、あれはアロンαじゃなくてアマロンαだから、それ用のハガシ液でないとダメかも、という。そこで、都内のあちこちの文房具店を回ってみたのだが、どうしてもその製品を見付けることができなかった。私はちょっと焦ってきた。幸子はその接着剤をあの町で買ったと言ったので、私は衣子さんに電話し、代金と送料を送るので、それのハガシ液を買って送ってもらえないかと頼んだ。「アクセサリーを接着してて、接着する場所を間違えたんです」と言っておいた。しかし数日後、衣子さんから、その製品は見つからなかったこと、文具屋さんで聞いたら、そこのメーカーは潰れたらしい、という衝撃的な事実が報された。
「潰れた」肝を冷やした私は幸子に相談してみた。すると幸子は逆オークションのサイトに、その製品を持っている人いないか?という掲示を出してくれた。すると幸いにも、持っているという人がいて、500円で売ってもらえることになった。それが届いたのはもう2月の上旬で、結果的に私は約1ヶ月、女の子の股間のままであったことになる。
幸子がハガシ液を受け取り、私の家に来て、その部分に付けると、少し置いただけで、接着部分はきれいにはがれた。私は1ヶ月ぶりに、男の子の印を見て、ちょっと感激した。が、同時にそこにそんなものが付いてることになにか違和感も感じた。
はがす作業は私は自分でやると言ったのだが、幸子は自分に責任があるから自分ですると言ってきかなかった。その部分が顔を出したら、幸子はそれをウェットティッシュできれいに拭いてくれた。そして私がそれを今言ったようにちょつと複雑な思いで見ていた時、幸子は突然それを口にくわえた。
「え?」
私はその頃まだフェラチオという言葉を知らなかったので、自分が何をされたのか理解できなかった。でも、それはとても気持ち良かったので、私は抵抗するのをすぐにやめた。大きな波が何度も体の上を通り過ぎていった。「礼子さん、遅いの?」幸子が時々口を休めては訊く「多分今日は帰らない」
「あら、お仕事?」「ううん。彼氏の所だと思う」「へえー」
そう。礼子さんには明らかに彼氏が出来ていた。私のお父さんが死んでからもう何ヶ月もたつし、そろそろいいよな、と私は思っていた。ただ礼子さんがその人と結婚したら、自分はどうなるのだろう、というちょっとした不安はあった。
幸子はそれを随分長時間してくれていたようだ。私はあまりの気持ち良さについ眠ってしまった。そして起きたとき、また驚くことになる。
「なに、これー!??」
そこにはまた数時間前と全く同じように、きれいに割れ目ができていて、あった筈のバットとボールは姿を消していた。
「女の子の形じゃなくなって残念そうな顔してたから、またくっつけてあげたよ」「そんな....」
「今度は、特殊メイクする人が使う皮膚用の接着剤を使ってみました」
「そんなのがあるんだ」
「今度はちゃんとハガシ液も一緒に買ってるから、また今度ハガシに来てあげる」「今度って?」
「私が気が向いた時。順子はその形のほうがふさわしいよ」
そういう訳で、私はほとんど常時、女の子の擬似股間のまま、ということになってしまったのである。その後幸子は月に1度くらいこれをはがしてくれるが、しばらくもてあそんだりして自分で楽しみ終わると、またすぐ「封印」
してしまう。私は幸子のいいオモチャになっているようだ。ちなみに幸子はセックスしようか、とも言ってくれたけど、私の度胸がなくて、まだ一度もそれをするには至ってない。
岐阜への旅行は私にすっかり度胸をつけさせてしまった。それまでは家の中だけで女の子の格好をしていたのだが、3学期の間はどちらかというと学校に行く時だけ男の子に戻って、普段はずっと女の子になっていた。買物などにもそのままで行ってしまう。これは幸子という存在があったから、更にその傾向が強まったともいえる。私は幸子と一緒によく町を歩き、女の子が立ち寄るような店にたくさん連れて行ってもらった。
礼子さんは私に彼氏が出来たことを正直に言ってくれた。ただ結婚するかどうかはまだ分からないと言う。私は「私ももう来年中2だし。一人で暮らしていけるよ。毎月の生活費だけ貸してよ。中学出たら働いて返すから」
と言って、自分のことは気にしないように言ってあげた。しかし礼子さんは「何言ってるの。私たちはずっと一緒よ」と言った。ただ彼氏とのことは迷っているようだった。
それに気付いたのは3月ももう中旬にさしかかり、終業式も間近になった頃だった。指摘したのは最近週末にはいつも泊まっていく幸子である。そして毎週週末には礼子さんはいつも留守になっていた。私と幸子は週末を一緒に過ごしはしても、あまりみだらなことはしなかった。というよりできなかった。そもそもアレをはがしてくれるのは月に1度くらいである。
「最近、順子、おっぱい大きくなってきてない?」
そうなのだ。それを私も少し気にしていた。やはり単に太っているというだけではなかったようだ。しかし幸子の次の言葉は更に衝撃的だった。
「さすがエステミックスの力ね」
私は混乱した。「あの幸子のママからもらったサプリメント?」「うん」
「あれっておっぱい大きくするものなの?」「そうだよ」
「でも女の子がきれいになるサプリメントって」「女性ホルモンだもん」
そんなの知らなかったよー。それは胸が大きくなるわけだ。
「どうしよう」「いいんじゃない。女の子として過ごしてる時間の方が多いから、胸はあったほうが便利だよ」
うーん。私は悩んでしまった。悩みはしたが、やめる気もしないので結局今もずっとエステミックスは飲み続けている。最近はAカップのブラではきつい気がして、Bカップを付けている。
そして最大の一連の事件は終業式も終わった後の3月25日に起きた。
その日は第四土曜で学校が休みだった。礼子さんは「じゃ、また月曜日にね」
といって朝10時ころ出かけていく。普段なら11時頃に幸子がやってくるのだが、その日は遅かった。その日は幸子の両親が福引きで当たった北海道旅行に出かけると言っていたので、その関係で遅れているのかも知れない。
11時半頃になって玄関のベルがなった。私はてっきり幸子だと思ってドアを開けたが、そこにいたのは知らない男の人だった。
「えっと、こちら谷山さんのお宅ですよね」「そうですけど」
「礼子さんは....」「今出てますけど」
と答えて、この人が礼子さんの彼氏か、とピーンと来た。しかしどうしていきなりうちに...
「実は礼子さんと会う約束になっていたのですが、待ち合わせ場所に来ないので、ひょっとしたらまだ家かなと思って。今日うっかり携帯を忘れて家を出てしまって電話できなかったので、直接来てみたんですよ」
「中でお待ちになりませんか?。私の携帯で呼んでみましょう」
と、言っていたところに幸子が到着した。私が連絡すると礼子さんは呆れたような声を上げてすぐ戻ってくると言った。その間に幸子がお茶を入れていた。男の人は中島信司と名乗ると
「いやぁ、礼子さんも人が悪いな。子供が居るとは聞いてたんだけど、男の子か女の子かさえ教えてくれなかったんですよ。そのうち教えてあげるなんていって。でもこんな可愛い女の子がふたりもいたとは。ふたりとも礼子さんに似て美人だね。えっと、君のほうがお姉さんだっけ?」
とニコニコしながら幸子のほうを指さした。私たちは思わず顔を見合わせた。
「礼子さんの子供は、こっちの順子だけですよ。私はその友達。それに順子も礼子さんが産んだ子じゃなくて、礼子さんの亡くなった旦那さんの連れ子で、礼子さんとは血はつながってないんです」
と幸子が説明する。しかし私は『自分は女の子の格好していて良かったのだろうか』という根本的な疑問を感じつつあった。
「あれ?そうなんだ。御免ね。礼子さんったら、ほんと何も教えてくれなくて」
「それはきっと、謎が多いほうが面白いからですよ」
と幸子は答えた。しかし信司さんはその付近はあまり気にしていないようでわたしたちを前にしていろいろな話題を機関銃のように話し続けた。私たちは彼のつまらない冗談についつられて笑ってしまったりしながらも、時々『変な人だね』『礼子さんの彼氏にしては軽い感じ』などと目で会話していた。
やがて礼子さんが戻ってきた。礼子さんは玄関先では少し困ったような顔はしていたが、居間まで来るともう開き直って、信司さんを自分の恋人であると私たちに紹介し、私を『娘の順子です』と信司さんに紹介した。すると幸子が
「いつ結婚するんですか?」
と質問する。礼子さんと信司さんは一瞬顔を見合わせたのち「いや、まだ決めてなくて」と信司さんが頭をかきながらこたえた。そして結局この日はこの家で4人で夜を過ごすことになってしまった。
夕食が終わると礼子さんと信司さんは礼子さんの部屋に引っ込む。私と幸子は私の部屋に入った。
「だけど順子はもう女の子ということで完全に定着しちゃったね」
「このあとどうすればいいのか頭が痛いけど」
「完全に女の子になっちゃえばいいんじゃない?。性転換手術もしてからだも女の子にしちゃって。実際今ももう既に日常的に女の子としての生活を送っているんだから」
「手術はちょっと。だけど信司さんと一緒に暮らすとなると学校に出かける時に男子の制服に着替えられないよ」
「そうねぇ」
幸子はしばらく考えていたが、やがてこう言った。
「学校にも女の子として通えばいいのよ」
「そんな無茶な」
ほんとに無茶なと、その夜は思った。しかし思えばその夜がその問題について頭を悩ませた最後の日だった。
翌日私たちは4人でディズニーランドに出かけることになった。信司さんが令子さんの「家族」と親睦をはかりたかったようで、子供と一緒ならディズニーランドかなという発想のようだった。そして私を連れて行くなら仲のいい友達らしい幸子も一緒にということになってしまったらしい。その時はどうせ行くならディズニーランドより新宿か銀座がいいのに、と思ったが、あとで考えると、これが強運だった。
ディズニーランドは久しぶりだったので楽しかった。しかしスペースマウンテンに乗った時に風の感じ方がスカートとズボンでは違うなというのを感じた。正直な話、スカートのめくれが気になって仕方なく、その分逆に恐怖感を感じなかった。
シンデレラ城に行くと偶然にもツアーの参加者の中に子供がいなかったようで、「そこのお嬢さん、やってみよう」と魔王倒しの役を指名されてしまった。
お昼を日本料理店で食べて、午後からはウェスタンランドの方に行ってみようということになり、マークトウェイン号の近くまで来たとき、それは起きた。
突然の地面の揺れ。
何これ?と思うより早く令子さんが私と幸子をほとんど引き倒すような感じで座らせ、その上にかばうようにおおいかぶさった。次の瞬間に私たちはもっと重たい重量を感じた。信司さんが更に令子さんの上にかぶさったのであろう。
あちこちで凄い悲鳴が聞こえていた。何か物が飛んでくる感じがした。それは長い時間であったような気もしたが、あっという間だったような気もした。
再び立ち上がった時に私たちが見たものは、悲惨だった。
手近な建物を見るとガラスなどが割れている。パニックになっているようで、走り回っている人たちが大勢いたが、私たちは信司さんが焦りかけていた他は3人とも冷静で、騒ぎに巻き込まれないように、道から外れて木のそばに身を寄せた。無理とは思ったが携帯でニュースサイトを見ようとしてもつながらなかった。かなりしばらくしてから救急車のサイレンなども聞いた。園内の数ヶ所で火災が起きたようであったが、スプリンクラーが作動したのとキャストの人達がしっかり行動していてすぐに消火活動などをしてくれたおかげで、すぐに消えたようであった。
「震源はどこだろうね」
「新宿の高層ビル街にいたよりは安全だったと思うな」
余震が夕方までに2度来た。2度目の余震は震度4くらいあったと思ったが、最初の大きな地震で既に感覚がまひしていたのであまり気にならなかった。時々回ってきていたキャストの人からの話で震源地は分からないが東京が壊滅的な被害を受けているらしいことを知った。
暗くなってからディズニーランド側で仮設の避難所を設置したので、そちらに来て欲しいということを言われ、私たちはファンタジーランドのキャプテン・フックスのピザ屋さんの所に案内された。「材料が確保できないのと設備が一部使えないのであまりお配りできませんが」と断った上で、一人1切れずつのピザをもらった。さすがにお腹が空いていたので助かった。
園の幹部らしき人から説明があり、東京都内を中心に数千人規模の死者が出ているらしいとのことであった。交通機関などは全てストップしているし、都内は混乱しているので、少なくとも都内に住んでいる人は情報がもう少し分かるまで動かないほうがよいと言っていた。
夜かなり遅くなってから幸子の携帯に着信があった。北海道に行っていた幸子の両親であった。幸子は平気な顔をしていたが、どうも電話の向こうの両親は泣いていたようである。すぐ東京に戻ると言っていたのを、こっちは混乱しているから来ない方がいい、と令子さんが代わって言った。
「幸子さんは私が確実にお守りしますからしばらくそちらに留まっておいて下さい」と令子さんは言った。
その日はそこの中で寝て、翌日、まだ交通機関などは動き出している気配がなかった。その日の昼前くらいになって信司さんが水戸にいる叔父さんと連絡が取れた。向こうも電話を掛けていたようだが、なにせ信司さんの携帯は自宅である。恐らくは地震の時に潰れている。
信司さんのご両親はもう亡くなっていて、この叔父さんがいわば、親同然の人らしい。私たちはとりあえずそこに行くことにしたが、とにかく交通機関が使えない。東京周辺の鉄道網などは復旧のメドが全くたたないようであった。「迎えに行きたいけど、千葉市南部付近から先へは行けないようなんだ」と言っていたので、私たちは千葉市まで歩くことにした。地図で確認してもらったら30kmくらいである。ゆっくり歩いても2日あればたどりつけるはずだ。ちなみに私たちは携帯のバッテリーを節約するために、3人のうち2人はスイッチを切っておくことにした。電波が通じにくくなっているから、携帯側がつながる局を探して通常より電気を多く消耗するはずだ、と幸子が言ったためである。
私たちが園を出ようとしていたら門の近くにいたキャストの人が寄ってきて行き先を確認した。どうも都内に戻ろうとする人を引き留めようとしているようである。私たちが千葉市まで歩いていくというと、待って下さい、といって、私たちにパンを少しくれた。私たちはお礼を言ってディズニーランドをあとにした。
ディズニーランドということで令子さんも普段のハイヒールではなく踵の低い靴を履いてきていたのが助かった。それでもさすがにペースは一番遅い。それに合わせるから、暗くなる頃、ようやく習志野市内に入った。途中高速道路の高架が崩壊していて、車が燃えた後をあちこちで見た。習志野市内はかなり平穏だったが完全に機能が回復しているようではかった。避難所が作られていたので、そこにその夜は泊めさせてもらった。
翌日、千葉市内まで歩いていくと聞いて、避難所に居たおばちゃんが令子さんにスニーカーを譲ってくれた。私たちはお礼を言って、また歩き出した。さすがに2日目は私たちでも足が痛い。かなりペースは落ちたが、夕方ちかくに、千葉市内南部に到着。無事信司さんの叔父さんと落ち合うことができた。
その後数日、私たちは半ば放心状態のような感じで時を過ごした。被害は思っていたよりひどいようであった。死者は1万人を越えていた。ディズニーランドでもやはり死者が多少出ていたようだったが、震源から比較的近い場所にしては、奇跡的に被害が少なく済んだようである。よほど基礎工事がしっかりしていたのであろう。
私たちの家があった区も壊滅的な被害の出た地区の中にあった。あの日、出かけていなかったら、私たちもどうなっていたか本当に分からない。級友たちの中にも死傷者が出ているのではないかと思ったが、調べようもなかった。
幸子の両親が北海道からJRを乗り継いで水戸まで来たのは地震の4日後であった。幸子の家も(多分)壊れているだろう。お父さんは見に行きたいようであったが、まだ気軽に見に行ける状況ではなかった。信司さんの叔父さんの家は広いので、幸子の両親も取り敢えず一週間ほどそこに泊まらせてもらうことにした。
4月になった。震災の後かたづけなどは少しずつ進み、落ちつきを取り戻してきていたが、どうやら私たちが通っていた中学なども完璧に壊れていることなども分かってきた。令子さんが務めていた学校も同様であった。信司さんの会社は都内の支店がやはり利用不能な状態になっていて、あちこちと連絡をとりあった結果、結局信司さんはその会社の水戸支店に当面の間顔を出して仕事をすることになった。幸子のお父さんの会社も同様で、こちらは日立市にある支店で取り敢えず作業をすることになった。しかし幸子のお母さんが日立市より水戸市に住みたいと主張したため、結局水戸市内にアパートを借りて、そこに住むことになった。
私たちの学校のことを令子さんが心配した。当面元いた学校は授業ができる状態ではない。そこで交渉の結果、水戸市内の中学に当面の間通えることになった。私たちの一時編入用の書類を書いていて、令子さんが私にいたずらっぽく訊いた。「順ちゃん、性別はどっちだったっけ?」その質問には、私が答える前に幸子が答えてしまった。「女の子に決まってるじゃないですか」
「あっそうだったよね」と言って令子さんは性別・女のほうに○をし、私の名前も谷山順子と記入した。こうして私は新学期から、女生徒として通学することになってしまったのである。
考えてみれば自分の人生にとって大きな転換点だったのかも知れないが、その時は地震後の精神的な混乱が続いていて、あまり深く考えなかった。まぁ、なんとかなるかな。私はそうその時は思った。
やがて春休みが終わってその新しい学校に出かける。令子さんは取り敢えず教育委員会の方の仕事をすることになったので(事実上壊れた学校の再建のための仕事)、水戸市内から車で都内に通うようになった。しかし学校勤務ではないので多少のわがままが効く。そこでこの初日は保護者として付いてきてくれた。この女子中生としての初日はさすがにちょっと緊張したが、そのことと幸子が手を握っていてくれたおかげで、なんとかなった感じであった。今までさんざん女の子の格好で外を出歩いたが、学校に行くというのは初体験である。
それは思ったより刺激の強いできごとだった。うまい具合に私は幸子と同じクラスに入れられてもらったので、それでもずいぶん助かった(私たちと同様に震災で東京から退避してきていた人たちがたくさんいた)が、初日から、同級生の女の子たちから胸はつかまれるし、目の前で下着姿になって着替える子もいるし、なによりも会話の内容が刺激的というより衝撃的であった。完全な男の子の生活から即こういう生活になっていたのなら1日で馬脚をあらわしていたのではないかという気がした。
しかし1日目が終わって一緒に信司さんの叔父さんの家に戻ってきて幸子は「(女として)完璧だったよ」と言ってくれた。そう。幸子は「こっちの家の方が広くていいからここに泊めて」と言って、両親のアパートではなく、ここに住み着いてしまうつもりのようであった。当然、私と同室である。
信司さんと令子さんはその年の夏に結婚した。
私と幸子がいつも一緒にいるのでクラスメイトから「ふたりはどういう関係?」
と訊かれた。すると幸子は「私たち結婚するの」と言い切った。この発言は強烈で、二人はレズだったんだという話は数日中に学年全体に広まった。しかしおかげで私は初期の段階で悩まされていた男の子からの靴箱などへのラブレター攻勢から解放された。これはマジで助かった。正直、私は男の子には興味がないので、本当に困っていたのである。でも幸子と結婚、というのは今まで考えてみたことがなかった。しかし戸籍上は男と女だから、正式に結婚できるはずだ。何だかそれも面白い気がした。
「それってどちらがウェデスングドレスになるの?」
「もちろんふたりともよ」
「しかし幸子の両親がなんというか」
「なんとでも説得するから平気」
幸子はなんだか頼もしいことをいう。私と幸子の関係の中ではどちらかというと、幸子のほうが男役のような気もする。
秋口には私たちが通っていた中学がやっと復興された。ただし周辺の幾つかの中学を統合したかたちでの復興であった。そもそも死んだ生徒も多かったし、親戚などを頼ってほかの地区に行っている生徒が必ずしも帰ってこないとみてのことだった。私たちも水戸に残ることにした。実際問題として東京に戻るとすると男子生徒に戻らなければならないが、自分の気持ちの上で、もう男の子として学校に通うということに違和感を感じる気がした。
女の子の友達との会話も最初は少し戸惑いもあったけど、慣れると、以前の男の子時代に男の子の友達としていた会話よりスムーズに話の輪に入っていける気がしていた。男の子時代には私は友達はあまりいなかったのに、ここに来てから女の子のともだちは沢山出来た。自分は女の子の素質があったんだろうな、あるいは元々女の子的だったんだろうな、と思うようになった。
そうそう新しい生活でいちばん変わったのが自分の呼び方だ。
地震の前までは、男の子としての学校での生活があったこともあり、自分のことを「ボク」と言っていた。しかし完全に女の子として生活するようになると、少なくとも人前では「私」と言わなければならない。これは初期段階では実はかなり抵抗があった。つい「ボク」と言ってしまいそうになるのだ。それを押し殺して「私」と自分のことをいう。このことになれるのには半年くらいかかった。しかしその半年間の体験のおかげで、今では逆に「ボク」ということの方が抵抗感が大きい。そこで今回の話ではずっと自分のことを「私」と書いてきた。
今では周囲の人の中で私は完全に女の子で定着しているので、自分でも時々自分のからだが男だということを忘れている。そもそも日常的に顔を合わせている人の中でそのことを知っているのは幸子と令子さんだけである。信司さんはそのことを知らない。再婚する時に私の戸籍に関してはそのままにしておいたので(こういう場合自動的には子供の戸籍は夫側に移動しないらしい)信司さんのほうの戸籍には私が記載されていないから、戸籍で気付くことはないだろう。信司さんは養子縁組をして私も戸籍に入れたがったようだったが、私が断った。信司さんは苗字が変わるのが好きでないか、亡くなったお父さんの事を気にしているせいかなと思って深くは勧めなかったようである。その代わり私が大学を出るまでは学費の面倒はちゃんと見るから心配するなと言ってくれた。
中学を卒業する時に令子さんが「手術受けたいなら費用出すから」と言ってくれたが、まだ手術をしてからだを女の子に変える勇気はない。幸子が手術しちゃえばいいのにと私を煽っているので、そのうちフラフラと手術してしまうかも知れないけど、先のことは分からない。ある時は入っているクラブの関係で川越市に行っていた時、一緒に来ていた幸子が「ねぇあそこ」と言って、バスの窓の中から白い大きな病院を指さした。「あそこで時々性転換手術が行われているんだよ」と教えてくれた。「日本国内ではここと岡山大の2ヶ所だけ。今のところは。でも順子の場合、基準に適合しなさそうな気がするからタイ行きかな」と言う。「タイ?」「世界で最もたくさん性転換手術をしている国かも。日本からも大勢行ってるよ」幸子は良く知っているようだ、というよりも、私自身に、こういう方面の知識がなさすぎるような気もしている。そんなことを言ったら「じゃ今度からもっとじっくり教えてあげるよ」と言った。
中学卒業後、私と幸子は水戸市内の女子高に進学した。「女子高はまずくない?」
と私は最初少し抵抗したのだが「大丈夫でしょ」と令子さんはあっさり言った。実際、女子高での生活は何も心配することがなかった。
アレをいつも体の中に押し込んでいることと、植物性の女性ホルモンを取っているせいか私は中学を卒業する頃になっても、声変わりは来ていなかった。また体毛も特に濃くなる気配がなかった。そして胸はBカップのブラを付ける状態になっていた。プールや温泉などにも女の子として行って、場慣れはしていたので確かに今更女子高くらいで心配することもなかったようであった。身体検査なども水戸の中学ではちゃんと女の子として受けて、特に誰からも疑問は持たれていなかったし、そう簡単にバレることはあるまいと、私は日増しに自信を付けていた。
信司さんが名古屋に転勤になり、令子さんは学校の先生は辞めて付いていくことになった。また、幸子のお父さんも大阪支店に転勤になり、幸子のお母さんも今度はそれに付いていくことにしたが、幸子は水戸に残ると言った。そこで結局私と幸子はふたりで水戸市内の女性専用マンションに住むことになった。令子さんは私に「ほどほどにしておきないさいよ」と謎?の言葉をささやいて名古屋に旅立っていった。そして幸子は完璧に『新婚生活』のつもりで張り切っているのが確かである。性のいろいろな問題についても、セックスのことと合わせて私にいろいろ『実地』で教育してくれるつもりになっているようだ。
これから自分自身、そして幸子との関係がどうなっていくのかは分からない。だけど、自分が男に戻ってしまうということは、きっとないだろうな。そんなことを考えている。
あの日、ふと令子さんの個室に入って下着を触ってみた、あの日がもう遠い昔のことのような気がする。
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