【プリンス・スノーホワイト】(1)

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昔々(*1)、エンジェルランドのノガルド(Nogard)という国にゲオルク(Georg)という王様とエレノア(Eleanor)というお妃様がいました。ふたりにはまだお世継となる子供ができていませんでした。ある冬の日、エレノア様がお城の黒檀の枠の窓辺で針仕事をしていたら、誤って針を自分の指に刺してしまいました。
 
「痛!」
と思わず声をあげたのですが、その時、指先から数滴血が落ちて雪を赤く染めました。それを眺めてお妃様はつぶやきました。
 
「雪のように白い肌、血のように赤い唇と頬、そして黒檀のように黒い髪の子供がほしい」
 
間もなくお妃様はご懐妊になり、やがて美しい王子が生まれました。その王子は雪のように白い肌で、血のように赤い唇と頬、そして黒檀のように黒い髪を持っていたので、スノーホワイト王子(Prince Snow White)と名付けられました。
 
しかしエレノア王妃はスノーホワイト王子が生まれて間もなく亡くなってしまいました(*2)。
 

スノーホワイト王子は美しい容貌でしたし、その黒い髪が美しいのでずっと髪を長くしていました。
 
ところで昔の西洋(19世紀頃まで)の風習では男の子は、おむつが取れた2歳頃から、8歳くらいになるまでズボン(breeches *3)ではなくドレス(dress)つまりスカートを穿いていました。これは昔のズボンというのは着脱がひじょうに大変で、幼い男の子はズボンなど穿いていたら、トイレが間に合わなかったからです。
 
それで8歳頃になって、ドレスを着るのをやめてズボンを穿くようになることをBreeching(ブリーチング)といい、ささやかなお祝いをしたりする習慣がありました。
 
そういう訳で幼いスノーホワイト王子は美しい顔に長い髪、それにドレスを着ているので、しばしば王女様と間違えられることもありました。
 

スノーホワイトが2歳の時、隣国アルカスのハモンド大公夫妻がお城のパーティーに2人の王子と1人の王女、ロベルト、レオポルド、ポーラを連れてきていました。3人は10歳、8歳、2歳でしたが、ポーラとスノーホワイトは年が近いこともあり、すぐ仲良くなって、一緒に歌を歌ったり、お手玉をして遊んだりしていました。その2人のそばにはレオポルド王子が付いていて、ふたりに絵本を読んであげたりしていました。
 
レオポルド王子は今年やっとブリーチングをしてドレスを卒業し、ズボンを穿くようになった、可愛い男の子でした。
 
その様子を眺めていたスノーホワイトの父・ゲオルク王はハモンド大公に言いました。
 
「とても仲良く遊んでいますね。あの2人、将来結婚させてもいいかも知れませんね」
 
するとハモンド大公も
「ああ、それもいいですね。いいカップルになりそうですよ」
 
ここで実はゲオルク王とハモンド大公の間には誤解が生じていました。
 
ゲオルク王は、大公の娘のポーラ姫と、うちのスノーホワイト王子を結婚させたいという意味で言ったのですが、ハモンド大公はスノーホワイトをてっきり女の子と思ったので、スノーホワイト“王女”をレオポルド王子と結婚させようという意味に取ったのでした。
 
3人はそのような誤解が生じているとは全く気付かず仲良く遊んでいました。
 

「スノーホワイト様って、顔立ちも優しいし、時々王子ではなく王女様と思われていることあるみたい」
 
などと、王子付きの侍女で王子からいちばん気に入られているアグネスは言います。
 
「実際、間違ってお人形とか、髪飾りとかプレゼントされることあるよね?」
と別の侍女ローラが言います。
 
「髪飾りはちゃんと使っている。髪が長いからあると便利だし」
「スノーホワイト様は実はお人形がけっこう好き」
などと侍女たちは言います。
 
「でもそうだから私が影武者になれる」
と黒い髪の侍女・イレーネは言いました。彼女は元々スノーホワイトと顔立ちの雰囲気が似ている上に黒髪なので、王子と同じくらいに髪を伸ばし、しばしば王子の影武者も務めています。
 
「スノーホワイト様、いっそのこと王女様になっちゃいません?などと言うと悩んでいたから、きっとあれ、女の子になるのも悪くないと思っているわよ」
とローラ。
 
「でも王女様になれるもの?」
「自分は王女である、と宣言しちゃえばいいんじゃないの?」
「でも王女様になったら、どこかの王子と結婚しちゃう訳?」
「スノーホワイト様なら、きっと素敵なお妃様になれるわよ」
「うーん・・・。お妃様にもなれる気がしてきた。だってあんなに可愛いんだもの」
などと侍女たちは話していました。
 

「だけどお妃になるなら、お世継ぎを産まないといけないよ」
「スノーホワイト様なら産めるかも」
「どこから産むのよ!?」
 
「だいたい夜のお勤めはどうする訳?」
「スノーホワイト様なら何とかなっちゃうかも」
「どうやって!?」
 
「でも私聞いたことあるけど、昔のローマ帝国の皇帝でアラブの医者に手術してもらって女の人になって、皇帝から女帝に変わった人がいたらしいよ。エラガバル帝とか言ったかな」
 
「アラブの医者って、男を女に変えられるんだ?」
「それって、やはり、男にあって女に無いものは取って、女にあって男に無いものを作るのかな?」
「まあ、そういう手術なんじゃないの?」
「きゃー!」
「スノーホワイト様にそういう手術受けさせちゃう?」
「そんな話したら、王子様、どうしよう?って悩みそう」
 
「逆に女を男にすることもできるらしいよ」
「すごーい!さすがアラブ」
 
当時ヨーロッパにとってアラブというのは“先進国”地域です。
 
「ね、ね、男になってみたくない?」
「なってみたい、なってみたい」
「ちんちんがあったら、良さそうだよね〜」
「私、立っておしっこしてみたーい」
「そっちに行くのか?」
 
「だって気持ち良さそうじゃん」
「私は女を抱いてみたいな」
「それきつそー」
「うん。男って結構大変そうにしてるよ」
 

スノーホワイト王子が4歳の時にも、ハモンド大公の一家はノガルドのお城にやってきました。この時、レオポルド王子は10歳、ポーラ王女は4歳でした。大人たちが、色々政治のことであるとか、国際情勢について話している間、子供たち3人はまた仲良く遊んでいましたが、この時、レオポルド王子がふと思いついたようにして、
 
「そうだ。スノーホワイト、これをあげるよ」
と言って、スノーホワイトにきれいなペンダントをくれました。
 
「まっしろできれい」
「ムーンストーンというんだよ。お月様みたいな白さでしょ?これを持っている人はお月様の力で強くなれるんだって」
「へー。すごい。ありがとう、レオポルド」
 
レオポルドは「この石を持つ人はとても女らしくなれるんだよ」というのも付け加えようと思ったのですが、そこまで言うのは恥ずかしい気がして、言うのをやめてしまいました。
 
その様子を見ていた侍女のアグネスとローラは思わず顔を見合わせました。そして後になってから、こっそり言い合いました。
 
「ねえ、レオポルド王子は、ひょっとしてスノーホワイト様を王女様だ思い込んでない?」
「うーん。。。まあ、いいんじゃない?」
「そしてレオポルド王子はスノーホワイト様のこと、好きみたい」
 
ふたりは腕を組んで考えています。
 
「でもどうせ王家の者なんて、恋とか関係無く結婚させられるんだし」
「そうよね。それまで夢を見ておくのも悪くないよね」
 
しかしスノーホワイトはこのムーンストーンのペンダントがとても気に入り、亡きお母様エレノアの形見の、オパールの指輪と並ぶ宝物となったのです。
 

スノーホワイト王子が5歳の時、西のナンキ国で王様が倒され、大臣をしていたケーンズが“フォーレ皇帝”を自称しました。フォーレというのはこの地域、エンジェルランド付近に800年ほど前にあった大国で、ケーンズはそのフォーレ王家の血筋を引くと自称したのです。それでケーンズはこの地域全てがフォーレ帝国の本来の領土であると言って、周辺の国王・領主たちに自分に臣従するよう手紙を送りますが、全員拒否します。
 
すると、まず北隣のハンナ国を攻めて国王一族を殺害。ハンナ国の併合を宣言します。そしてその勢いに乗って、ノガルドにも侵攻してきました。
 
ゲオルク国王はハモンド大公とも協力し、ノガルド・アルカスの連合軍でこの軍隊を迎え撃ち、国境近くで撃退することに成功しました。“フォーレ皇帝”はいったん軍を引きました。
 
その戦いが終わって数ヶ月後、ノガルドの王宮の門前に倒れている女性がいました。高貴な雰囲気の女性なので、衛兵が介抱しますと
 
「私はハンナ国王の従妹でレザンナと申します。フォーレの魔の手を逃れてここまで逃げてきました。どこか遠縁の者でもいる国に亡命したいと思っていますが、もし良かったら少し休ませて頂けませんでしょうか」
と言いました。
 
衛兵は驚いて王様に報告します。王様も驚いて、取り敢えずレザンナを城の中に入れます。そして医師に診させました。医師はあちこち小さな怪我はしているものの、少し休めば治るでしょうと見立てました。それでゲオルク国王は彼女にしばらくここに滞在なさるとよいですよと言いました。
 

そして・・・ゲオルク国王はレザンナと結婚してしまったのです。
 
この結婚にはハモンド大公は反対したものの、ゲオルクは押し切ってしまいました。そしてゲオルク国王は結婚した1年後に急な病で亡くなってしまったのです。レザンナは自分がノガルドの女王になると宣言します。そして更にフォーレと友好国になると宣言しました。
 
ここに至って、人々はレザンナはハンナ国王の親族ではなく、逆にフォーレ皇帝の関係者だったのだろう。ゲオルク先王は騙されたのだ、と噂しました。しかしこの頃までにレザンナはノガルドの軍や閣僚の主要人物をたくみに自分に協力的な者に交替させてしまっていたので、今更レザンナに対抗することはできなくなっていました。
 
そしてハモンド大公のアルカスはノガルドとの断交を宣言しました。
 
それは結果的にはスノーホワイトの婚約も無効になることになりました。もっとも、この婚約はノガルド側ではスノーホワイト“王子”とポーラ王女の婚約と思い込んでいたのに対して、アルカス側ではレオポルド王子とスノーホワイト“王女”の婚約と思い込んでいたのですが。
 
そして無効になっても、レオポルド王子は“スノーホワイト王女”のことを決して諦めてはいませんでしたし、彼女は今でも自分の許嫁だと思っていると周囲にはおっしゃっていました。
 

「まあ、私の正体がケーンズ本人だなんて、知る者はほとんど居ないよね」
 
と女王になったレザンナは自分に最も忠実で現在はノガルド国軍の参謀長に就任しているソリスに言いました。
 
「ケーンズ様は男、レザンナ様は女ですから、それが同一人物なんて普通は思いませんよ。両方を見ている人が顔が似ていると思ってもきっと兄妹か従兄妹なのだろうと思うでしょう」
 
とソリスは言いますが、ソリスにも分からないことがあります。
 
「でもレザンナ様は、本当は男なのですか?女なのですか?」
と尋ねたのですが、レザンナは妖しい微笑みを浮かべて
 
「知りたい?」
と訊きました。
 
「いや、やめておきましょう。まだ妖獣の餌にはなりたくないので」
とソリスは答えました。
 

レザンナは不思議な鏡を持っていました。波斯(ペルシャ)で手に入れた物であると、ソリスには言っていましたが、ソリスはそれって一体何年前の話なのだろうと思いました。ソリスにはレザンナの性別も分からなければ年齢も分かりません。
 
そしてレザンナは毎日この鏡にこのようなことを問いかけていました。
 
「鏡よ鏡(Spieglein, Spieglein *4)、この地上で一番美しい女は誰?」
 
すると鏡は口をきいて、こう答えるのです。
 
「レザンナ様、それはあなたです。あなたがこの地上の女の中で一番美しい」
 
その答えにレザンナはいつも満足していました。
 

そんな中、スノーホワイト王子は不安な日々を送っていました。
 
表面的にはレザンナはスノーホワイト王子の良き母として振る舞い、優しく接してくれていました。レザンナは楽器もうまく、それをスノーホワイト王子に直接手ほどきをしていました。それでスノーホワイト王子はリュートや笛に、当時はかなり珍しかったチェンバロなどもレザンナの指導で覚えていきました。更にスノーホワイトは元々美しい声を持っていたのですが、レザンナの指導で随分歌がうまくなりました。
 
レザンナがスノーホワイトにした教育はそのような管弦や歌だけではありません。ラテン語や古典文学などの勉強もさせましたし、アラブから博士を呼んで天文学や数学も勉強させます。将来の国王たるもの身体も丈夫で、武術にも優れていなくてはいけないと言い、ソリスやその部下のマルスに命じて、身体を鍛えさせました。
 
毎日5マイルのジョギングをさせ、お城の池で水泳をさせます。また腕立伏せや腹筋もさせ、剣や槍の使い方も教えました。
 
そのような様子を見て、お城の中では、レザンナ様は将来スノーホワイト王子に王位を譲り、自らはその母かつ先王として、院政をするつもりではと噂する人達もいました。
 

しかし・・・実はレザンナはスノーホワイト王子といづれ結婚しようと思っていたのです。スノーホワイト王子と結婚して、自分との間に子供を作り、その子に将来的には譲位して院政を敷くつもりでした。
 
つまりレザンナがスノーホワイトをしっかり教育していたのは、自分の夫になる人を育てていたのです。
 

スノーホワイトが8歳の春。ノガルド第2の都市ボウルで不穏な動きが伝えられました。大規模な集会が開かれ「我々はレザンナを女王と認めない」という宣言をしようとしているという情報が伝わります。武器が多数売買されているようだという情報まで入ります。
 
レザンナ女王はソリスにその集会を阻止するために軍隊を派遣するよう命じました。ところがそこに8歳のスノーホワイトが入って来て
 
「待って下さい」
と言ったのです。
 
「陛下、軍隊を派遣するのはお待ち下さい。軍隊というのは外国からの侵略に備えるためのものです。国民に剣や弓を向けてはいけません」
とスノーホワイト王子は言います。
 
「誰に言われて、ここに来た?」
とレザンナ女王は不快そうに言います。
 
「誰にも言われていません。私はただ悲しいのです。国民同士で血を流してはいけません。私が行って彼らを説得して来ます」
とスノーホワイト王子は言います。
 
女王は少し考えてから言いました。
「ではお前がまず行ってくるがよい」
「はい」
 

それでスノーホワイト王子は、侍女のアグネスとローラ、警護の兵士のフェルト少佐、フロム中尉、フランツ軍曹と一緒に馬3頭で早駆けでボウルに向かいました。ボウルでは既に広場に多くの市民が集まりつつありましたが、そこに僅かな供を連れたドレス姿の8歳のスノーホワイト王子が現れたので場は騒然とします。
 
「私に一言、話させて下さい」
と美しい黒髪を垂らしたスノーホワイト王子は言いました。
 
「はい、お願いします」
とリーダー格の鍛冶職人リュッソーが言います。
 
スノーホワイト王子は既に150-160人は集まっている民衆の前でこう言いました。
 
「皆さんの不安は分かります。突然現れた人が女王になって戸惑っておられるかも知れません。しかし私が居ることを忘れないで下さい。そして私は平和を望みます。国民同士が血を流しあって争うのはよくないです。色々お金のこととか、お仕事が無いとかで、不満がある方は、ぜひ私宛にお手紙を下さい。私はまだ幼くて、難しい話は分かりませんけど、私が信頼する者に託して必ず善処させます。ですから、どうかここは事をあらげ・・・あらたげ・・・・何だったっけ?」
 
と言って、傍にいるアグネスに訊きました。
 
「事を荒立てるですか?」
「そうそうそれ」
と王子が言った所で、思わず市民たちの間から笑い声が起きました。
 
「それでどうか事を荒立てるのはやめてください。みんなでできるだけ仲良くこの国を盛り立て、豊かにしていきましょう」
 
まだ幼い王子が、精一杯知恵を絞って考えた感じのメッセージに市民たちから大きな拍手が送られました。そしてこの日市民たちは集会を中止し、内戦の危機は回避されたのです。
 

「スノーホワイト様って何歳だっけ?」
「確か8歳だったはず」
「8歳であれだけしっかりしておられるって凄いな」
 
「スノーホワイト様、美しかったぁ」
「凄い美人だよなあ」
「きっと素敵な王女様に成長なさるんだろうなあ。あの方がその内ノガルドの女王様になるのであれば、俺はそれを期待するよ」
 
「ちょっと待て、スノーホワイト様は王子様だろ?」
「そんな馬鹿な。あんな美しい王子がいる訳無い。王女様だろ?」
「でもスノーホワイト王子と聞いた気がする」
「あ、分かった!男の兄弟が居ないから、王女様だけど王子様も兼ねるのでは?」
「ああ、そういうことか」
 
という訳で、どうも市民の間では、スノーホワイトを王女様と誤解してしまった者たちが多数いるようでした。
 
昔はインターネットもテレビや新聞もありませんから、この手の情報は必ずしも正しく伝わりませんでしたし、正しい情報を得るのも逆に難しいことでした。
 

反乱の勃発を防いで嬉しそうな顔で戻って来たスノーホワイト王子を見て、レザンナ女王は腕を組んで悩むような顔をしていました。
 
なお、アグネスの進言で、スノーホワイトは女王に「あの人たちが絶対に処罰されないようにするため、フェルト少佐をボウルの市長か軍区長に任命して欲しいと要請。女王も少し考えた末にそれを受け入れ、少佐をボウル市長に任命しました。
 
市民たちの中には、集会に参加しようとしていた者が逮捕されたりしないかという不安の声もあったのですが、この人事に人々はホッとします。それで実際、この後、ボウルで反女王派の逮捕のようなものは起きなかったのです。
 
ただ、集会のリーダー格のリュッソー他数名については、女王系の者から狙われる可能性があるとアグネスやフェルト少佐は心配し、少佐の個人的なツテを頼って身を隠せるように手配してあげました。
 

スノーホワイト王子は戦争やフォーレとの同盟などの国政の大事が続いていたこと、またゲオルク国王の死の後、喪に服していたりしたこともあり、本来は7-8歳ですべきブリーチングをまだおこなっていませんでした。
 
しかしソリスの進言もあり、11歳の誕生日にブリーチングを行うことになり、王子はやっとドレスを卒業して、ズボンを穿きました。こんなに遅くなった原因のひとつは、周囲が「ドレス姿のスノーホワイト」があまりに可愛いのでこのまま女の子みたいな格好をさせておきたいという意図が働いたのも実はありました。
 
「スノーホワイトよ、髪はどうする?男らしく短く切るか?」
とレザンナ女王は訊きましたが、
 
「ずっとこの長い髪に慣れてたから、もうしばらくこのままで」
と王子は答えました。
 
「うむ。それもよいであろう。元服の時に短くすればよいな」
 
と女王が言うので、王子はちょっと寂しいなとも思いました。元服は多分16歳になったらすることになります。
 
この日は王子が「男の子になった」お祝いということで、お城では盛大なパーティーが開かれました。
 

ズボンを穿くようになったスノーホワイト王子は、しばしば女王と一緒に国中を歩いて回り、そのりりしい姿を人々に見せていました。
 
もっとも・・・スノーホワイトは元々優しい顔立ちですし、長い黒髪をいつも垂らしたり、時にはポニーテイルにしたりしているので、ズボンを穿いていてもスノーホワイトのことを王女と誤解する国民は後を絶ちませんでした。
 
そういう訳で“スノーホワイト王女”の国民間での人気は高まり、それをいつも優しくサポートしている女王としてレザンナの評価も高まっていきました。それは結果的に国の平穏を保つことになったのです。女王に反感を持つ人たちも多かったですが、皆、スノーホワイト王女がいるならと表だった行動は起こしたりしませんでした。
 
そして2年ほど経ったある夜のことでした。
 
レザンナ女王はいつものように鏡に尋ねました。
 
「鏡よ鏡、この地上で一番美しい者は誰?」
 
すると鏡はこう答えました。
 
「スノーホワイト様です。スノーホワイト様がこの地上の者の中で一番美しい」
 
女王は驚き、ガタッと音を立てて立ち上がります。
 
「なぜだ?昨日までお前は私がこの地上で一番美しいと言っていたではないか?」
 
すると鏡はこのように言いました。
 
「この地上で一番美しい“女”であれば、それはレザンナ様です。しかしスノーホワイト様は男ではあっても、レザンナ様の千倍美しい」
 
その言葉を聞き、レザンナはわなわなと震え、顔色も青ざめてしまったのです。
 

レザンナはソリスを呼び出しました。
 
「今すぐスノーホワイトを殺してこい」
 
ソリスはびっくりします。
 
「なぜ、そのようなことを。レザンナ様は、スノーホワイト王子と結婚するおつもりではなかったのですか?」
 
「鏡によれば、スノーホワイト王子は私より1000倍美しいらしい。そのような者を生かしておく訳にはいかない」
 
「落ち着いてください。今レザンナ様はスノーホワイト王子と仲良くしておられるからこそ、国民に支持されています。ここで万が一王子が死ぬことがあればみんな、あなたが殺したと思います。国民は反乱を起こしますよ」
 
「反乱など抑えこめばいい」
 
「ここはどうか我慢して下さい。冷静になってください。偉大なるレザンナ様、フォーレ皇帝ケーンズ様であれば、ここでどうすべきか、お分かりになるでしょう?」
 

ソリスは必死で女王を説得したのですが、女王は納得しません。そしてソリスに「下がれ。2度と我が前に顔を見せるな」と言って下がらせると、少し考えてから、猟師のステファンに玉座に来るよう言いました。実は女王はスノーホワイト王子と一緒に近い内に鹿狩りに行く予定で、そのために猟師を召していたのです。ステファンは女王直々のお召しとあって緊張しています。
 
「鹿狩りだが、せっかく呼び出したのに申し訳ないが、私の公務が忙しくて中止することにした」
 
「それは残念でしたね。またの機会にはぜひお手伝いさせてください」
「うん。それで私は良いのだが、スノーホワイトは凄く楽しみにしていたので中止は可哀相に思ってな。それでそなた、こっそりとスノーホワイトだけ連れ出して、そなたとふたりで鹿狩りをさせてやってはくれまいか?」
 
「はい、それは構いません。殿下のお付きの方と一緒ですね?」
「いや。侍女や護衛はつけないから、そなたとふたりだけで」
「それはなぜ?万一山賊などが出た場合、私ひとりでは守り切れない場合もありますから、殿下の安全のためには、せめて護衛の方を2〜3人付けて頂けませんか?」
 
「それはだな」
 
と言って、女王は自分の近くまで寄るよう命じます。ステファンが緊張した様子でそばに寄ります。
 
「そなたに命じる。その狩りの最中にスノーホワイト王子を殺害せよ。そして確かに殺したという証拠に、王子の心臓を持ち帰れ」
 
「なぜそのようなことを・・・」
とステファンは驚いて訊きます。
 
「お前は言われた通りにすればよい。従えば金銀財宝を授けるし、拒否したりこのことを他人に言ったりしたら、お前もお前の家族もみな磔(はりつけ)にする」
 
「そんな・・・」
 

それで女王はスノーホワイト王子を別途、内密の用事があると言って呼び出しますと、鹿狩りを中止にすることにしたことを言い、それでは寂しいだろうから、猟師とふたりだけで森にやるので、ふたりだけで鹿狩りを楽しんでくれるよう言います。
 
「陛下がお忙しいのでしたら、私でもできることがありましたら、お申しつけください。そのような時には遊んでいたりせず、少しでも陛下のご負担を軽くしたいと思います」
などとスノーホワイトは言います。
 
全く、この子は何てしっかりしているんだ、と女王は思いました。まだ13歳なのにこんなにしっかりしているのであれば、美しさの問題だけでなく、この子を生かしておくこと自体が、自分にとって脅威だという気がしてきました。
 
「心配してくれるのはありがたいが、人は時には遊んだ方が良いこともあるのだよ。しっかりした猟師を付けるから、息抜きしておいで」
 
と女王は笑顔でスノーホワイト王子に言いました。
 

それで王子はステファンと一緒にお城を出ます。王子付きの侍女は、今日は侍女長のアグネスが月の物で下がっており、副侍女長のローラほか数名が王子には付いていましたが、女王は秘密の用件で数日城を留守にさせるが、腕の立つ護衛を数名付けたので大丈夫だと言いくるめておきました。
 
それでステファンは王子とふたりだけで城を出ます。そして森の中に行って少し歩いた所で、王子をクロスボウ(*5)で撃とうとしました。
 
しかしスノーホワイトが、あまりにあどけない顔をしているので、どうしても殺すことができませんでした。
 

ステファンはスノーホワイト王子の前に跪いて言いました。
 
「殿下、私はあなたの母君にあなた様を殺すよう命じられました」
 
「なぜです?私に何か落ち度がありましたでしょうか?それなら、私はきちんと母上に謝ります」
 
「いえ。恐らく母君はあなた様の存在自体が邪魔なのだと思います」
「そんな」
 
「私は確かに殿下を殺したと女王にご報告します。すぐバレるとは思いますが、時間稼ぎにはなります。ですから、その間に殿下はお逃げ下さい」
 
スノーホワイト王子はしばらく考えていましたが、やがて
 
「分かった。ここはいったん待避しよう。母君が落ち着いてから、あらためて使者など立てて、和解の道を探ろう」
 
とおっしゃいます。
 
「それがよいかと。しかしどこに逃げましょう?」
「東のハモンド大公の所を頼ろうと思う」
 
「それは良い考えです。では不肖、私がお供つかまつります」
「そなたは、女王に私を殺したと報告しなければならないのではないか?」
「うっ・・・。そうでした」
 
と言ってからステファンは少し考えました。
 
「私に妹がおります。妹に付き添いさせましょう」
「娘で大丈夫だろうか?私は追手に狙われるかも知れない。そなたの妹殿にも危険が及ぶかも知れない」
 
「妹も猟師の娘ですから、ある程度弓や槍は使えます。足手まといにはならないと思います。それと、恐れ多いのですが、見つかりにくいように、平民の服を着るというのは如何でしょうか? 私の服でもよければ差し上げます」
 
「それは名案だと思う。申し訳無いが、服を少し分けてくれ」
「分かりました。ただその場合、逆に心配なのは、殿下がハモンド大公様の所に辿り着いた時、スノーホワイト様と分かるかということなのですが」
 
「それは心配無い。私はいつもこれを身につけているから、それで自分の身元を証明できる」
と言って、左腕に付けていた革の腕輪の内側から薄い金属製のプレートを取り出しました。
 
「これだけ見ても金目の物には見えないだろう。ただこのプレートにはルーン文字で、私の身分が書かれている。更に私固有の合い言葉もルーン文字で書かれている。それを言うことができるかどうかで本人確認が出来る。ルーン文字が読めない限り、それは分からない」
 
と王子は言います。
 
「へー。これがルーン文字というものですか。確かにこんなもの読めません。そもそもふつうの文字でも多くの平民には読めませんよ」
 
とステファンは言いました。
 
「ともかくも、粗末な所ですが、私の家にお越し下さい」
 
と言って、ステファンは王子を連れて森の中にある自分と妹が住んでいる小屋に向かいました。
 

途中でステファンはふと気付いて言いました。
 
「殿下は金貨などはお持ちですか?」
「うん」
「金貨は大商人か王侯貴族しか持っておりません。盗賊か何かと誤解されてはいけないので、銀貨と交換させて頂いてもよろしいですか?」
「確かに金貨では、パン屋からパンを買うのにも驚かれるだろう。銀貨との交換頼む」
 
と言って王子は金貨の入った袋を出しますが・・・・
 
「申し訳ありません。この金貨があまりにたくさんあって、全部は両替できません」
とステファンは正直に言いました。
 
「それでは金貨はそちに預けておく。代わりに隣国に辿り着くまでに必要な程度の銀貨を貸してくれまいか?」
「ではそう致します。金貨はお預かりしておきますので、あとでそちらに持参致します」
「頼む。それとそのお金は私がそなたに預けたものという書き付けを書いておく。そうしないと、大金を持っているのを怪しまれてはいけない」
「御配慮、かたじけのうございます」
 
それで王子は金貨の袋をステファンに預けて書き付けを書き、ステファンは大型銀貨や小型銀貨(*5)の入った袋を王子に預けました。
 
「おや?金貨以外にも何か入っていますね」
「それは私の大事なものなのだよ。母上の形見と、仲の良い友人からの贈り物なのだ。いつも肌身離さず持っていたのだが、それもそなたに預けておく。その方が安全だと思う」
 
「分かりました。しっかりお預かりします」
とステファンは言いました。
 

そうして、ふたりが、もうステファンの住む家のかなり近くまで来た時のことでした。今度はスノーホワイト王子が少し思い詰めたように言いました。
 
「正体を隠すためなら、私はこの髪を切った方が良いだろうか?」
 
王子はかなり悩んでおられるようです。きっとこんなことを言っていても本当はその美しい黒髪を切りたくないのだろうなとステファンは思いました。
 
「それはひとつの手段ではありますが、王子の長い髪は国民たちにもとても評判が良いです。それを切ってしまうと国民が嘆きます」
 
「そうか。ただ、長い髪の男は目立つかなあと思ったから。いっそ女なら長い髪も目立たないのだが」
とスノーホワイト王子は言いました。
 
するとステファンがピクッとします。
「殿下。いっそのこと、女の子の格好をしては如何でしょう?」
「え〜〜〜!?」
「追手が出たとしても、きっと“王子”を探します。娘が2人で歩いているのを見ても放置するでしょう」
とステファンは言いました。
 
「それは・・・いい手かも知れない」
とスノーホワイト王子も言います。
 
「でしたら、妹の服を借りましょう。そして女2人で東の国へ旅をすればいいのです」
 

それでステファンはスノーホワイト王子を自分の住んでいる小さな小屋に連れて行きますと、王子を外で待たせたまま家の中に入り、妹のマルガレータに頼みました。
 
「妹よ、すまぬが、お前の子供の頃の服を少し恵んでくれないか?」
「お兄様、そのようなものを何になさるのです?」
 
「可哀相な女の子にあげるのだよ」
「分かりました。お兄様。そういうことでしたら、差し上げます」
 
と言って、マルガレータは自分が14-15歳頃の服がまだ取ってあったのをクローゼットの奥から取り出しますが、兄に言います。
 
「お兄様、その子は近くに居るのですか?」
「うん。外に待たせている」
「でしたら、私がその子に着せてあげます。女の子の着換えを男であるお兄様が見てはいけません」
 
「そうだな」
 

それで、ステファンは外に出ると、スノーホワイト王子に服を脱ぐように言います。男の子の服のままでは、男とバレてしまいますし、そもそも王子の立派な服を見れば妹に王子の身分までバレてしまいます。それで全部脱いでしまった上にステファンのマントを羽織りました。
 
しかし、服を脱いでしまうと、困ったことにお股に女の子には無いものがあります。そこでステファンはそのお股のものは、足ではさんで隠しておくように王子に言いました。そしてステファンは裸にマントを羽織っただけの
スノーホワイト王子を家の中にお連れしますが、この時、王子は足であの付近のものを挟んでいるので、太ももをピタリとくっつけて、膝下だけで歩く形になりました。するとそれがかえって、おしとやかな女の子みたいな歩き方になりました。
 
「あら、あなた裸なの!」
とマルガレータは驚く。
 
「この子、追い剥ぎに服を盗まれてしまったらしいんだよ」
とステファンが言う。
 
「だったらお兄様は後ろ向いてて」
「うん」
 
マルガレータはスノーホワイトに向き直ると
「たいへんだったね。こんな真冬に追い剥ぎされるなんて。怪我とかはしてない?」
と訊く。
「はい、大丈夫です」
 
「じゃ、まずこれを着て」
と言って女の下着を渡します。
 
王子は女の下着なんて着けたことがないので、大いに戸惑いますが、人目を誤魔化すためなら仕方ないと思い、何とかしてその女の下着を着けました。幸いにも王子が下着を着ける間は、マルガレータも後ろを向いていてくれました。
 
ドレスはマルガレータが着せてくれました。この服は自分が10歳の時まで着ていたようなドレスとは違い、ボタンが背中に付いているので、自分で着脱することができません。王子はお付きの侍女たちがこのような服を着ているのを見て、あれはどうやって着たり脱いだりするのだろうと疑問に思っていたのですが、結局誰か他の人の手を借りないと、自分ではどうにもできないようです。
 

マルガレータは
「あなたお腹空いてない?」
と言って食事を出してくれました。
 
ハーファーブロイ(オートミール)にエール(上面発酵ビール*7)、そして焼いた干し肉(*8)まで付けてくれています。お城の食事からすると随分質素なものですが、スノーホワイト王子は聡明なので、これは庶民にとっては多分かなりの“ごちそう”だと思いました。
 
「すごく美味しそうです!いただきます」
と笑顔で言って王子は食事を頂きました。
 
見ていると、ステファンはスノーホワイトと同じようなものを食べていますが、マルガレータはハーファーブロイだけです。
 
スノーホワイトは申し訳ないなあと思いましたが、ここはせっかく出してもらったものはちゃんと食べるべきだし、この後、自分はいつまともなごはんを食べられるか分からないしと思いましたので、しっかり頂きました。
 

食事が終わると、ステファンは妹に頼みました。
 
「この子は身よりが無いのだよ。しかし東のアルカス国に遠い親戚がいるらしくて。悪いけど、お前、この子をアルカスの都まで連れて行ってあげてくれないか?私が付き添えたらいいのだが、私はあいにくすぐにも城へ行かねばならぬ」
 
「分かりました。お兄様。それに女の子には男のお兄様が付きそうより、女の私が付きそう方が良いですよ」
 
「確かにそうかも知れん」
 
「私も猟師の娘。獣が襲ってきても倒してこの子を守りますから」
「それは頼もしい」
 
そこで保存食と飲料用にエールを準備し、女装のスノーホワイト王子はマルガレータと一緒に旅だって行きました。
 

王子を見送り、お城の方に戻ろうとしていた時、ステファンは大きなイノシシが居るのを見ました。彼に気付くとイノシシはこちらに向かって走って来ます。ステファンは反射的にイノシシにクロスボウを向けると、5mくらいの距離まで近づいた所で、矢を発射しました。
 
ステファンはすぐに身をかわします。イノシシがこちらに向かって走ってくる勢いを残したまま倒れて数メートル地面を滑り、ステファンがいた付近まで到達しました。
 
矢はイノシシの頭に命中していました。ステファンはこの時、このイノシシの心臓を、王子の心臓と称して持ち帰ることを思いつきました。そこでイノシシの首の後ろを槍で突いてトドメを刺しますと、ナイフで心臓をえぐり出しました。
 
そしてそのまま完全にイノシシの血抜きをします。1時間ほど掛けて血を抜くとイノシシを抱えていったん小屋に持ち帰り、そばの雪の中に埋めます。そして自分は血の付いた服を着替えると、イノシシの心臓を入れた袋を持ってお城に登りました。
 

「女王陛下、スノーホワイト王子を殺し、その心臓を持ち帰りました」
と言って、袋を差し出します。
 
「おお、ご苦労であった」
と女王様は喜びます。そしてステファンにたくさんの金貨・銀貨を授けました。
 
お妃様はその心臓を料理番に命じて料理させ、自分で食べてしまいました。世界一美しいスノーホワイトの心臓を食べることで、自分は更に美しくなるだろうということなのです。
 

お妃様は鏡に向かって訊きました。
 
「鏡よ鏡、この地上で一番美しい女は誰?」
「レザンナ様、それはあなたです。あなたがこの地上の女の中で一番美しい」
 
それで満足するのですが、ふと思いついて訊き方を変えました。
 
「鏡よ鏡、この地上で一番美しい男は誰?」
「それはレオポルド王子です。ハモンド大公の次男で今年19歳になられました」
 
と言いました。
 
これで取り敢えずスノーホワイトは生きていないことが確認された、と女王は思いました。もしスノーホワイト王子が生きていたのなら、一番美しい男として鏡が言うはずです。
 
しかし、スノーホワイト亡き今、最も美しい男はハモンド大公の次男ね。。。と女王は考えます。
 
ちょっと興味あるわね。私がハモンド大公とその長男を殺した上で次男と結婚すれば、アルカス国も私のものになるじゃない。女王はそのように考えたのです。
 

さて、そのスノーホワイト本人は、女の子の格好をして、マルガレータと一緒に森の中をひたすら東へと歩いて行っていました。マルガレータは護身用も兼ねて自分用のクロスボウと槍を持っています。腕力が兄ほどは無いので、ステファンが持っているものよりは小さなものですが、これでもオオカミやサル程度は倒す自信がありました。イノシシも過去に1度倒したことがあります。そんなことを話していたらスノーホワイト王子が訊きました。
 
「森の中にはどのような動物がいるのですか?」
「シカ、イノシシ、サル、クマ、オオカミ、タヌキ、キツネといったところですね。シカは強いですが、こちらが何もしなければ向こうも何もしません。サルも同じです。タヌキやキツネは向こうが逃げて行きます。クマ、イノシシ、オオカミは怖いですが、全部私がこの弓で倒すから大丈夫ですよ」
 
とマルガレータは言いました。本当はオオカミも集団で来られたら辛いし、イノシシは結構な勝負で、クマはさすがに倒す自信がありません。しかしここはこの娘さんを安心させておくべきだと思ったのです。
 

「ところでうっかりしてた。あなた名前なんだっけ?」
とマルガレータは言いました。
 
「あ、ごめんなさい。名乗ってなかったですね。私は・・・スノーです」
「スノー!雪ちゃんかぁ。可愛い名前だなあ」
「でもマルガレータというのも真珠のことですよね。素敵な名前だと思います」
「そう?私は『豚に真珠』(*9)とかよく言われてたけどね」
 
そうやって半日ほど歩き、やがて夜になりますので、マルガレータは木の上に寝床を作り、スノーホワイトを手伝って上に上げ、そこで寝させます。マルガレータもそのそばで一緒に寝ました。
 
マルガレータは同性の女の子と一緒に寝ていると思っているので平気ですが、スノーホワイトは異性の女性がそばに寝ていることでドキドキしました。
 
たまに侍女が自分と一緒のベッドに寝て「殿下お好きにしていいですから」と言うのですが、スノーホワイトは全然意味が分かっていないので、ちょっとドキドキしながら何もせずに寝ていました。アグネスなどはわざわざ自分のおっぱいにスノーホワイトの手で触らせましたが、
 
「ごめん。さすがに僕はおっぱいは卒業している」
とスノーホワイトが言うと、アグネスはさも可笑しそうに笑っていました。アグネスは、女の人のあそこにも触らせてくれましたが、
 
「侍女はみんな王子様に何をされてもいいと思っていますが、他の女の人、特に姫君たちにはうかつに触らないで下さいね」
 
などとアグネスは言っていました。
 
スノーホワイトはそんなことも思い出しながら、少しドキドキしていたのですが、この日は疲れていたこともあり、すぐに眠ってしまいました。
 
寝ている間、森の中で気味の悪い何かの鳴き声がしているような気がしましたが、気にしないことにしました。
 

翌日。ふたりは保存食を食べてからまた歩き始めます。冬なので森の中もかなり雪が積もっているのですが、それにしては比較的暖かい気がしました。やはり森の木々が寒さをやわらげてくれているのでしょうか。
 
「だいたい3日くらいで国境を越えられると思うのよね。アルカス側には国境警備兵とかいるかも知れないけど、民間人は事情を話せば通してくれるだろうし」
 
とマルガレータは言いました。その話を聞き、スノーホワイトはアルカス側の警備兵がいたら好都合なので身分を明かして都までのガードを頼めばよいと思っていました。
 
「国境までずっと森が続くのですか?」
とスノーホワイトは訊きます。
 
「そうそう。ただ・・・」
 
「ただ?」
 
マルガレータは彼女に不安を与えないようにと黙っていたのですが、実はその途中で、明日くらいに『闇の森』を通過する必要があるのです。
 
そこを通らずにアルカスに行くには南方の草原地帯を抜ければいいのですが、そちらを通過するのは馬などの“交通手段”を持っていないと困難です。かなり暑い地区なので飲料なども持ち素早く通る必要がありますし、オオカミの群れや盗賊などまで出るという噂があります。森を抜けるルートはそういうものからは安全ですが、闇の森はそれ自体が結構危険です。ただマルガレータは一度は亡き父と、一度は兄と一緒に闇の森を抜けたことがあるので、何とかなると思っていました。
 
それに兄もお城での用事を済ませたらできるだけ早くこちらを追いかけてくると言っていたので、半分はそれに期待していました。
 

お城では女王がひどく浮かれているのを見て、ソリスはスノーホワイト王子が殺されたものと判断します。しかしそのことが公になると国民が黙ってはいないだろうと彼は考えました。
 
そこでソリスはイレーネという王子付きの侍女を呼びました。彼女は年齢が15歳で王子と年齢も近く、長い黒髪の持ち主で(正確には黒い髪だったので髪を長く伸ばさせた)、実は過去にも何度かスノーホワイトの影武者をさせたことがあるのです。
 
「イレーネよ、頼みがある」
「はい、何でしょうか?ソリス閣下」
 
「実はスノーホワイト殿下が今、ローマまで秘密の使者に立っているのだ」
「何とまあ遠い所まで!」
 
「ごく少数の精鋭の兵士に護衛をさせている。大事な用事なので、秘密にしなければならないが、その間、殿下の姿が見えなかったらみんな変に思うだろう。だから殿下が戻ってくるまで、申し訳無いが、そなた殿下の影武者をしてくれまいか?」
 
「それは喜んで致しますが、殿下は男の方で私は女ですので、誤魔化すのにも限度があるかと」
 
「取り敢えず、男の服を着ておいてくれ」
「それは問題ありません。私は殿下とお揃いの服を頂いております。でも殿下をご存知の方に会えば一目瞭然ですよ」
 
「うん。それで病気ということにするから、殿下のお部屋でベッドに入っていてくれ。医者は丸め込むから、医者と私以外には顔を見せないようにして」
 
「はい、それでしたら何とかなるかも知れません」
 
それでイレーネがスノーホワイト王子の影武者を務めたため、お城に王子がいらっしゃらないことには、しばらくの間、誰も気付かなかったのです。
 

次の日のこと。レザンナ女王はなにげなく鏡に尋ねました。
 
「鏡よ鏡、この地上で一番美しい者は誰?」
 
すると鏡はこう答えました。
 
「スノーホワイト様です。スノーホワイト様がこの地上で一番美しい」
 
女王は驚き、鏡に詰め寄ります。
 
「なぜだ?スノーホワイトは生きているのか?」
「スノーホワイト様は今東の森の奥、闇の森を歩いておられます。明日にはあの森を抜けて国境を越え、アルカスに入られるでしょう」
 
まずい・・・。アルカスに行かれたら、ハモンド大公と共同で反撃される。と女王は思いました。
 
「しかし、鏡よ、昨日、お前は私がこの地上の女の中で一番美しいと言っていたではないか?それにこの地上の男の中ではレオポルド王子が一番美しいと言ったぞ」
 
すると鏡はこのように言いました。
 
「この地上で一番美しい“女”は確かにレザンナ様です。この地上で一番美しい“男”は確かにレオポルド様です。しかしスノーホワイト様は今、女の服を身につけておられるので、男ではありません。しかしお股に男の印が付いているので、女でもありません。ですから、スノーホワイト様は、世界で一番美しいお方ではありますが、世界で一番美しい女でもないし、世界で一番美しい男でもありません」
 
レザンナはイライラしました。そんなの屁理屈じゃん!と思います。しかし明確なことがありました。
 
それはスノーホワイトは今すぐ始末しなければならないということです。
 

女王はもうひとつ、猟師のステファンが嘘をついたことも分かりました。あの男、女王を騙すとはいい度胸をしている。磔(はりつけ)にして家族共々油の入った釜で煮てやると思いますが、それは後回しです。ソリスを呼ぼうかと思いましたが、ソリスには「2度と顔を見せるな」と言ったばかりです。
 
女王は密かに飼っている妖獣を呼び出しました。
 
1日に千里を走ることのできる妖獣で、実はレザンナはこの妖獣に乗ってノガルドの都アッシュと、フォーレの都ヴァルトを往復して、ノガルド女王のレザンナとフォーレ皇帝のケーンズを掛け持ちしているのです。
 
「妖獣よ。東の森の奥、闇の森を歩いている、女の服を着たスノーホワイト王子を始末してこい」
 
すると妖獣は物凄い速度で走って行きました。
 

その頃、女の子の格好をしたスノーホワイト王子と、マルガレータは闇の森を歩いていました。ここは天井を多数のツタ植物が覆っており、昼間でも薄暗く、ジメジメとしていて、またワニや大蛇などの爬虫類も生息し、方位を見失いやすく、危険な領域です。この領域には、誰も知らないような恐ろしい生き物も生息しているという噂もあります。
 
しかしマルガレータは父や兄からこの闇の森の中での方角の知り方を習っていたので、しっかり東に向けて歩いて行っていました。
 
かなり歩いて、黒川(シュヴァルツァーフルス)という所で休憩していた時のことです。この川の水は飲めるので、マルガレータはスノーにも勧めて自分でも水を飲んでいました。
 
その時何かが忍び寄ってきた気配があります。
 
反射的にマルガレータはスノーを突き飛ばし、身を伏せました。
 
スノーが川の中に落ちてバシャンという大きな音がします。そしてマルガレータの真上を何か大きなものが凄い速度で通過していきました。
 

マルガレータが身を起こすと、その大きな獣のようなものは、川に落ちたスノーを狙っているようです。
 
「スノーちゃん、川の中に潜って!」
と声を掛けながら、マルガレータは自分のクロスボウの弓を急いで引きます。
 
そしてスノーがマルガレータの声に応じて水中に潜ったのと、獣のようなものがスノー目掛けて飛びかかるのと、マルガレータが弓矢を発射したのが、ほとんど同時でした。
 

1時間ほど経った頃。
 
レザンナ女王の所に妖獣が帰ってきました。
 
「お疲れさん。やったかい?」
と声を掛けましたが、様子が変です。
 
「どうした?」
と呼びかけますが、妖獣はその場にバッタリと倒れてしまいました。驚いて傍に寄って見ますと、妖獣の頭に矢が刺さっていました。かなり失血しているようで、むしろよくこの状態でここまで帰還したものです。
 
そして妖獣は手に何かを持っていました。よく見ると腕輪のようです。その腕輪にレザンナは見覚えがありました。二重になっている革(かわ)の間に挟まっている金属製のプレートを取り出すと、ルーン文字でスノーホワイト王子の名前と“合い言葉”が書かれていました。腕輪には赤い血も付いています。妖獣の血は青いので、これは王子の血ではないかと女王は思いました。
 
鏡に訊いてみます。
 
「鏡よ鏡、この地上で一番美しい者は誰?」
 
「レザンナ様、それはあなたです。あなたがこの地上の者の中で一番美しい」
 
と鏡は答えました。
 
「やった!スノーホワイトは死んだんだ!相討ちになったのか?妖獣よ。済まなかったな。しかしよくやったぞ」
と死んでしまった妖獣に声を掛けました。
 
しかし・・・妖獣が死んでしまったら、移動に困るぞと女王は思いました。癪に障(しゃくにさわ)りますが、背に腹は替えられません。ソリスを呼びます。
 
「何か御用でしょうか? 顔を見せるなと言われましたが」
とソリスは言います。
 
「それは解除するから、この妖獣の死体を始末して、その後ヴァルト(フォーレの都)に行ってこいつの兄弟を1匹調達して来い」
 
「御意」
と言ってからソリスは付け加えます。
 
「今取り敢えずスノーホワイト様はイレーネを影武者にして、病気で寝ていることにしておりますので、念のため」
 
それでソリスは部下のマルスに後事を託すと、馬に乗ってヴァルトに向かいました。向こうからこちらに来る時は妖獣の力で30分もあれば来られますが、馬で向こうまで走るのはどうしても数日かかるでしょう。ソリスは自分が不在の間に、女王が何か変なことをしなければよいが、と少し心配でした。
 
 
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【プリンス・スノーホワイト】(1)