【代親の死神】(3)
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(C) Eriko Kawaguchi 2022-02-11
死神はグレンツの手を引き、どこかに連れて行きました。そこは広い洞窟でした。何千何万もの蝋燭が燃えています。そしてしばしば蝋燭の火が飛んでいます。よく見ると、どこかで小さくなっている蝋燭が燃え尽きると、その火が新しい蝋燭が立っている所に飛んで行き、その蝋燭が燃え始めるのです。
「気をつけてね。この蝋燭の1本1本が人間の生命(いのち)だから。もし間違って息を吹きかけて消してしまうと、その蝋燭の人は突然死する」
「気をつける」
と言ってから尋ねます。
「赤い蝋燭と青い蝋燭があるけど。どうして?」
「赤いのは女、青いのは男だよ」
「なるほどー」
「時々、赤の途中から青になったり、青の途中から赤になるものがある。フリーダのは途中から赤になってた。ローランドのは途中から青になってた」
「性別が変わる運命だったんだ?」
「まあそんなものかもね」
と言って、死神は説明を続けます。
「通常は誰かが死ねばその火がどこか別の新しい蝋燭に飛んで、その蝋燭が燃え始める。誰かが死ねば誰かが生まれるんだよ」
「だったら生きている人の数は変わらないの?」
「何かの事故で途中で蝋燭が消えてしまうことはある。また唐突に新しい蝋燭が火移りして燃え始めることもある。だから総数は変動する。今年はペストの流行で、途中で消える蝋燭が続出した。300年くらい前の大流行では私たち死神も不安になるほど蝋燭が消えたけど、その後は、少しずつ総数は増えてきていた。今年は数が減ったけど、また少しずつ増えて行くと思う」
「へー」
「姫君の蝋燭は襲撃事件がなくても、燃え尽きる予定だったんたよ。でもあんたが助けてしまったから、姫君の蝋燭とあんたの娘、まあ私の孫娘の蝋燭と入れ替わってしまった。でもあんたがヤスミンをまた無理矢理助けたから、今度はヤスミンの蝋燭とあんたの蝋燭が入れ替わった」
「だったらヤスミンはぼくの余命程度しか生きられないの?」
「あんたの余命は40年あった。あんたは84歳まで生きられる予定だった」
「へー!凄い」
「だからヤスミンは44歳までは生きられるよ」
「おまけしてよ」
「分かった。それは何とかしてあげるよ」
「ありがとう」
「でも娘のと入れ替わったから、ほらあんたの蝋燭はこれだよ」
と言って、死神が見せる蝋燭は今にも燃え尽きそうです。
「これは赤だね」
「元々バイエルン公の姫君の蝋燭だったから」
「ヤスミンの蝋燭はまさか青?」
「赤だよ。あんた事実上もう女になってたじゃん。あんたもう男の服なんて持ってないでしょ?」
「そう言われたらそんな気もする」
「だからヤスミンはちゃんと女として生きられるから心配しなくていいよ」
「やはりぼくは死ぬんだね。今まで本当にありがとう。お母さんのお陰で、ぼくだけじゃなくて、ぼくの兄さん・姉さんたちも充実した人生を送ることができている。願わくば、ぼくが死んだ後、イルマやヤスミンのことを見守ってあげられない?」
「それは守ってあげるけど、あんたにしては諦めがいいね。普段は最後まで諦めないで何か方法を考えるのに」
「まだ生き延びる方法があるの?」
「この蝋燭はあと1時間で燃え尽きる。その後、あんたはこの蝋燭に飛び火する予定」
と言って、赤い大きな蝋燭を見せます。
「ぼく、次は女の子になるの?」
「今産まれようとしている所だよ。あんたが死ぬのと同時に産声をあげる。今度の人生では、赤ちゃんも産めるよ」
「・・・・・」
「あんた。自分で赤ちゃん産んでみたくなかった?」
「べ、べつに」
「うふふ。でもね」
と言って代母はそのグレンツの次の人生用の蝋燭を手に取りました。
「この蝋燭の上にね。あんたの残り少ない蝋燭を重ねたら、あんたの蝋燭が燃え尽きると同時にこの蝋燭が燃え始める。そうすればあんたはまだ生きることができる」
「でもそうしたら、産まれるはずだった赤ちゃんは」
「死産になるだろうね」
「それは可哀想だよ。他人の人生を奪ってまで生きたくない」
「あんた、ほんとに私の息子だね」
「そう?ぼくはもう実の父も母も亡くなってしまった。親と呼べるのはお母さんだけだし」
「ふふふ」
と死神が笑った時、グレンツの今にも燃え尽きそうだった蝋燭が僅かながら伸びました!
「ぼくの蝋燭が伸びた!」
「あんたが何故80歳もの寿命を持っていたと思う?」
と代母は訊きましたが、グレンツは首を傾げます。
「それはあんたがたくさんの人の命を助けてきたからだよ。医者として」
「・・・・・」
「あんたが蝋燭の継ぎ木を拒否したことで、この子の寿命60歳の1%、0.6年つまり219日分のお裾分けをもらったのよ。だからあんたの余命は219日と1時間になった」
「その分、その子の寿命が219日縮んでない?」
「それは大丈夫」
「よかった」
と言ってから、グレンツは更に疑問を感じます。
「その子の蝋燭はぼくの蝋燭が燃え尽きたら燃え始まる予定だったんでしょ?ぼくの寿命がのびちゃったらどうなるの?」
「ああ、大丈夫」
と言って、死神は、その産まれる予定の女の赤ちゃんの蝋燭を手に持つと、しばらくタイミングを見計らっていたようでしたが
「来た」
と言って、グレンツの蝋燭の火を移しました!
「この子は今産声をあげた」
「そうやれば命が増えるんだ!」
「まあ、たまにはそういうこともある」
「でもあんたは少なくともあと219日は生きられる」
「ありがとう」
「でも、あの薬草はもう取り上げるよ」
「分かった。ぼくもこれ以上お母さんを欺すのは耐えられない気分だし」
「そして医者も引退しなさい」
「そうする。病院はロベルトに譲るよ」
「医療からだけ身を引けばいいと思うよ。あんたは病院の経営者。あの病院の資産は大きすぎて、ロベルトには買えないよ。あんたが死んだらヤスミンがオーナーになればいい」(*21)
「それもいいかな」
ふと疑問を感じてグレンツは尋ねました。
「ぼくが市長を助けた時も誰かと蝋燭が入れ替わったの?」
「ああ、あの偉そうな将軍のと入れ替わった」
「あの将軍さん、すぐ死んだね!」
ティリー将軍は、ローテンブルク占領の半年後に戦闘で負傷し、破傷風で死亡している。
「でもそういうの誰が決めてるの?」
「知らない。正直、姫様の蝋燭とヤスミンの蝋燭が入れ替わった時、私は心臓か止まる思いだったよ。でもお役目だから足元に立ったけどね」
そのあたりの厳しさというのは、死神も医者も同じかも知れない、とグレンツは思った。ユリオン兄が逝くのを自分は止めようもなかった。
しかし唐突に疑問を感じた。
「死神って心臓あるんだっけ?骨だけなのに」
「ただの言葉の言い回しよ」
(*21) ローマ法では息子だけが相続権を持ったが、ゲルマン法では娘にも相続権がある。
グレンツたちの親の資産は、農地はオリビアの子供であるルイーザ、鍛冶屋の仕事場や道具は鍛冶屋を継いだノア、金物屋の店舗は金物屋の店主となっていたユリウス、が相続した。
充分な財産を持つグレンツとローランドは相続を辞退し、神の許で生活しているフリーダも財産分与は要らないと言ったので、他の6人に動産を分与した。
ルイーザが農地を相続したのは、オリビアの子供で、他の3人(フリーダ、アレックス、ユリウス)の内、フリーダは神の許での生活をしており、ユリウスは金物屋を相続したし、アレックスはローテンブルクに住んでいて地元に居なかったからである。
なお、グレンツが死んだ後は、ヤスミンが病院の資産を相続して“理事長”になり、エリカが院長になった。エリカとヤスミンは仲がよいので、とてもよいコンビになった。
グレンツが意識を回復した時、イルマが真っ赤な目をして見ていました。
「グレンツ、グレンツ」
と言って泣いてグレンツを抱きしめます。
「息もしてないし脈拍も無いから、死んじゃったかと思ったよぉ」
「心配掛けてごめんね。本当にくたくたに疲れていたから。ヤスミンは?」
「だいぶ安定している」
「良かった」
イルマが求めるので、グレンツは
「こんなに疲れてたら立たせる自信無〜い」
と思いながらも、彼女と抱き合います。
「今日は疲れてるでしょ。私が立たせてあげるね」
と言って、イルマはグレンツのお股に手を伸ばしました。
「あれ?どこ?」
とイルマが言います。
「え?」
「ちんちんが見つからない」
「嘘!?」
と言って、グレンツは起き上がって、自分のお股を見てみました。
「嘘!?なんで無いの?」
そこには見慣れた陰茎と陰嚢は無く、代わりに女のような陰裂がありました、
「グレンツェ、女になりたい気持ちがつのって、とうとう女になる手術を受けちゃったの?女になるのはいいけど、手術する前に私に言って欲しかったなあ」
「いや、そんな手術受けた覚えは無いんだけど」
「じゃ眠っている間に勝手に手術されちゃったとか?」
グレンツはハッとしました。自分の蝋燭は赤い蝋燭になっていた。だからもう自分は女として生きないといけないのだろう。
「まあいいわ。私、ちゃんと女同士でも気持ち良くなれる方法知ってるから」
「え〜〜〜!?」
その日より後のグレンツェとイルマの“夜の生活”はグレンツェが男だった時より濃厚なものとなりましたし、2人の営みは毎晩数時間にわたって続くので
「ぼく200日ももたないかも。100日で死ぬかも」
と不安になるほどでした。でも男だった頃より気持ちいい気がしました。
グレンツェが219日だけ寿命を延長してもらい、これからの数ヶ月で自分が持つ知識をできるだけ書き残そう、などと考えていた時、トーマスがグレンツェを呼びにきました。
「姫君がお前と話したいと言っているんだよ」
「姫君の容体は?」
「ドクトル・スロバキーが見てくれて、輸血とかもしたけど(*22)、出血は止まっているし、恐らく1ヶ月くらい静養すれば帰国できるだろうと言っていた」
「彼が診てるなら大丈夫だね。外科では彼がこの町で第一人者だと思うし」
「でもお前と話したいらしいんだよ」
「分かった」
(*22) この時代の“輸血”では、血を飲ませていた!(鉄分補給にはなると思う)
それでさすがに身体がまだきついものの、グレンツェはトーマスと一緒に馬車で市庁舎に出掛けていきました。
「殿下、お呼びとのことでしたので参りました」
姫は人払いをしました。
「ちょっとご相談があるのです」
「はい。この老いぼれ医師(der arme alte Doktor)に何の用でしょうか」
「ドクトル(der Doktor)ではなくて、ドクトリン(die Doktrin)ですよね?」
「まあ人からはそう呼ばれています」
「私は本当は今回の旅の途中で死ぬつもりでした」
ああ。だから代母は、姫は襲われなくても死んでいたと言っていたんだなとグレンツェは思いました。
「まだ発表されていないのですが、私は来年、コサラゴ公国の第3公子ジャック殿下と結婚することになっています」
「それはおめでとうございます」
「でも実は私は公子様と結婚なんかできない身体なんです。それで死のうと思ってて。でも私を助けて下さったお医者様がドクトリン・グレンツェだということを聞いて、ある噂を思い出したんです」
グレンツェは、堕胎の依頼をされるのかな?と思いました。他の国の公子と結婚するはずの姫君が実は妊娠しているなんて一大事です。破談になりかねませんが、破談になると、国際関係がかなり難しいことになります。
しかし堕胎手術は基本的に違法であり、手術を行えば、殺人罪で摘発される危険もあります。しかし多くの病院で密かに行われているのも事実でした。恐らく、国内で手術すると、どうしても情報が漏れるので外国でしたいのかも知れないとグレンツェは思います。しかも刺されて大怪我した後なら、しばらく静養していても全然怪しまれません!
「私に何かできることがあるのでしょうか」
とグレンツェは言いました。
「実はドグトリンに、秘密の手術をして頂けないかと思って」
やはり堕胎か・・・と思ったのですが、姫が言ったのはとんでもないことでした、
「実は男性器を除去して女性器を作って欲しいのです」
「ちょっと待って下さい。あなたは女性ではないのですか?」
「女として生きていますが、実は男性器が付いているのです。私が生まれた時、私の生母の父は謀反の疑いを掛けられて処刑された所で、母の男の兄弟も全員殺されました。母が産んだのが男の子ならその子も殺されるはずでした。でも産婆さんが膠(にかわ)でお股を接着して男性器を隠し『女の子ですよ。ほら、ちんちん付いてない』と言って確認役の人に見せたので、私は殺されずに済みました。それでずっと私は女の子として育てられました。それでもずっと幽閉されていましたが、10歳の時に祖父は無実であったことが証明され、行動の自由が与えられるとともに私は公女および女城爵(Burggräfin) の地位を与えられました」
それで姫が許すので、グレンツェは姫の服をめくって股間を拝見しました。上手に隠してありましたが、確かに男性の形をしていました。
「ドクトリンはアラビア渡来の、男を女に変える手術ができるという噂を聞いたことがあったので」
そんな噂、どこから漏れたのだろうと思います。その手術は過去に3人しかしてないのに。
「でもそういう手術をしても、普通の女のように子供を産めるようにはなりませんよ」
「構いません。私の侍女で実は大公の庶子でもあるマリアを連れていきます。そして私の代わりにマリアに子供を産んでもらい、それを私が産んだ子供ということにします。ただ、王侯貴族の結婚は“確かに成立した”ことを多数の人に観察され確認されます。だから私は公子様と性交ができないとまずいのです」
「一週間待って下さい。その手術は大手術です。今の殿下の体力では耐えられません。もう少し回復してから手術しましょう」
「お願いします!」
グレンツェは、姫様はどこか静かな所に移して静養させた方がいいと言いました。それで市郊外に適度な広さの家が用意され、おとなしい馬をつけた馬車でそこに移動しました。グレンツェは手術に必要な道具を用意し、その家に運び込みました。
“レーベンデル”を処方したら、姫君は1週間で充分手術に耐えられる程度の体力を回復しました。グレンツェはロベルトとイルマ、ロベルトの妻ユリア(彼女も現役看護婦)の3人を助手にして手術を行いました。
代母が例の薬をくれたので、それを姫に飲ませて意識の無い状態にしてから手術を始めます。
ロベルトたちは姫の股間にとんでもないものが付いているのを見て仰天しましたが、むろん彼らは秘密をちゃんと守ってくれる筈です。ロベルトを同席させたのは、この手術の技術を彼に伝授するためです。
ブランデーできれいに消毒してから身体にメスを入れます。
3時間ほどの手術で男性の股間がきれいに女性の股間に改造されたので、これを初めて見た、ロベルトとユリアは「凄い」と感激していました。
姫は結局2ヶ月ほど静養してから帰国しました。そして帰国して間もなく、姫とコサラゴ公国の公子との結婚が発表されました。グレンツェはこの結婚がうまく行くことを祈りました。
「ぼくの蝋燭がまた長くなってる」
「バシルサ大公の公女とコサラゴ公国の公子の結婚は、カトリックとプロテスタントの融和を進める」
「そうだろうね」
「それで戦争は10年は短くなった」
「それはよいことだ」
「死ぬ人の数が100万人は減った」
「なんか数が大きすぎてよく分からないよ」
「だからあんたの蝋燭は伸びたのよ」
「戦争なんて、すぐ終わらせられないもの?」
「全員死なせたらすぐ終わるけど」
「それはやめよう」
グレンツェが姫君を助けたことで、市からも大公からも、高額の謝礼の申し出がありましたが、グレンツェは全て辞退し、ここ15年ほどの戦争で亡くなった人たちの遺族の生活支援に回して欲しいと言いました。
でも大公がくれるという記念のメダルだけは頂いておきました。(例の手術代は手術をした時点でちゃんと姫様本人から受け取っている)
しかしグレンツェは当面の診察休止を宣言しました。
病院の診療はロベルトとミハエルに任せることにし、更に若い医師をもう1人雇いました。グレンツェはイルマとヤスミンを連れ、シュトゥットガルト郊外に確保した別荘で疲労困憊した自分の心を休ませることにしました。そして自分の持つ知識を本にまとめようと思いました。
あの日以来、女の身体になってしまったので、その身体でグレンツェは生活していたものの・・・別に女になったからって何か変わる訳でもないなあ、とグレンツェは思いました。
立っておしっこできなくなっただけだし!
ちなみに男物の服はごく一部の外出着を除いて全部イルマが捨ててしまいました。
しかし夜の生活は物凄く気持ちよくて、男性時代より大きな快楽をむさぼっていました。でも、イルマってなんでこんなに“巧い”の!?
「イルマひとつ聞いてもいい?」
とグレンツェは言いました。
「なあに?」
「君って、恋人が死んだから修道院に入ったと言ってたよね。その恋人って、男?女?」
「あの子、お産で死んじゃったのよ」
「なるほどね〜」
シュトゥットガルトで執筆を中心に余生を送るつもりだったグレンツェですが、そう簡単には休ませてもらえまぜんでした。
シュトゥットガルトに来て半年ほど経った時、グレンツェがそこに滞在しているのに気付いた元同級生が
「大学で教えないか?」
と誘ったのです。それで結局“彼女”はテュービンゲン大学の教授になり、若い医学生を指導することになりました。そして自分の知識と技術を、惜しげも無く彼らに伝授しました。
でも“あそこの大学には男装の女博士がいる”という噂が立っていました!
そして3年後、姪のエリカが男装で入学してきてグレンツェはギョッとします。
ヤスミンはシュトゥットガルトで、健やかに成長していきました。
たくさん勉強したいようでしたが、一人娘を修道院とかに入れて勉強させるのは寂しいので、家庭教師を雇い、ギムナジウム並みの高等教育を施しました。従姉(従兄?)のエリカにも数学や天文学を指導させましたが、意気投合してるようなので、ヤスミンまで男装して大学に行きたいと言い出さないか心配になりましたが!
ヤスミンは18歳で自身が家庭教師になり、22歳でロベルトの息子グスタフ(24)と結婚しました。この時グスタフは大学生だったのですが、やがて医師免許を取り、グレンツェの病院に入りました。またヤスミンは結婚した後も、夫が理解してくれたので(出産前後を除いて)家庭教師の仕事を続けました。
ヤスミンが結婚したタイミングで、グレンツは病院のシュトゥットガルト分院を作りました。これはヤスミンとグスタフの夫婦を手元に置いておきたい!という気持ちがあったからです(子離れしない親)。
しかしその頃からローテンブルクは人口流出が続き、寂れていくので、結果的にはシュトゥットガルト分院の方が、まるで本院のような感じになっていきます。
グレンツェは69歳で亡くなりました。グレンツェが残した医学全書30巻はその後、近代医学の基礎になったとも言われています。
69歳というのは、物凄い長寿ですが、既に兄姉たちは全員亡くなっており、兄弟の中でグレンツェが最後にこの世を去りました。ヤスミンの産んだ孫たちの顔まで見ることができたので、グレンツェとしては充分満足な人生でした。最後の数年間はグレンツェもイルマも孫たちと遊ぶ日々でした。
イルマ(65)はグレンツェが亡くなった翌日に亡くなり、ヤスミン(29)は涙を流しながらグスタフ(31), グスタフの母ユリア(53) と一緒に両親のお葬式をしました。
「やっと私の手元に来たね、私の可愛い娘ちゃん」
と代母は言いました。(*23)
うーん。。。ぼくって娘なのか?確かに24年前から女の身体で生きて来てたけど。
あれって自分の本来の命が燃え尽きてしまったから、お裾分けしてもらった女の人生を生きることになったんだろうなあとグレンツェは考えました。あの時、イルマは、ぼくの呼吸も脈も止まっていたと言っていた。きっとぼくはいったん死亡した後“お裾分け”のお陰で蘇生したのだろう。
「あんたには死神の仕事を継いでもらいたい」
「医者から死神への転身というのもシュールだね」
「医者も死神も似たようなものよ」
と代母は言いました。
「境界(die Grenze)のこちらに居るか向こうに居るかの違いだけだからね」
代母のダジャレ?に苦笑していたら、そばでトントンとする者があります。
「私もお手伝いするね」
と言っているのはイルマです!
どうも一緒にお葬式をされたので、一緒にこちらの世界に来たようです。
「夫婦で死神というのもいいんじゃない?」
とイルマは言っています。
「いいコンビね。普通の夫婦は“死が二人を分かつまで”一緒に暮らすけど、あんたたちは死んでも夫婦であり続けるのね」
と代母は笑顔で言っています。
「お義母様、質問があります」
とイルマが言います。
「なんだね。私の可愛い義娘ちゃん」
「死んでいてもセックスはできるのでしょうか?」
「何か問題ある?」
と代母は答えました。
「じゃ毎晩しようね」
と言ってイルマは代母の前なのにグレンツェにキスしました。
あはは、早死にしそう。
あれ?もう死んでるんだっけ???
(*23) この物語のラストは、各版では次のようになっている。
グリム2版以降:蝋燭を継げば生き延びられると聞き、それを死神に依頼するが、死神は怒っているので、わざと失敗し、医師は即死する。
グリム初版:蝋燭の洞窟に案内され「あんたの蝋燭はこんなに短くなってしまった。だから気をつけなさい(hüt dich!)」と言われた所で終了。尻切れトンボで、その後どうなるのかよく分からない終わり方である。
グリム第2版(以降)は初版の結末の後に、実はフリードリッヒ・グスタフ・シリング (Friedrich Gustav Schilling 1766-1839) の『neuen Abendgenossen』という作品のモチーフをつないだものらしい。Abendは“Guten Abend”(こんばんは)の abend で夕方という意味。genossen は仲間とか党といった意味で、直訳すると『新・夕方の仲間』という感じか?この作品は現在でも本になっているようだが、この執筆時点では Amazon では品切れ状態である。
1980年制作の映画では市長の娘を助けた代償に自分の息子が死んでいたという悲劇になっていた。主人公はショックを受けてどこかに走り去ってしまう。
落語「死神」では、多くが主人公は死んで終了する。ただ、多数の話者が様々なバリエーションを考えている。
・火接ぎに成功するが、その蝋燭を持っていたら「昼間から蝋燭つけてるなんて、もったいない」と奧さんが言って、吹き消しちゃう!
・誕生日のケーキだと言って吹き消しちゃう。
・成功するが、くしゃみ/溜息で消してしまう。
・死んだ後、自分が死神になる(話は最初に戻る:回り落ちという)
夢落ちにした例もあるらしいが、つまらないと思う。
お正月に演じられた時に成功させて「おめでとうございます」で終わった例があるらしいが、例外的なものである。死んで終わる場合、演者は倒れてそのまま幕が下りる。こういうのを仕草落ちと言う。
今回の翻案ではグリム初版をベースにして、その後の別展開を作ってみた。
なお、書くタイミングが無かったので述べていなかったのだが、この物語には医者になったのは、子供ではなく父親の方であるというバリエーションがある。
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【代親の死神】(3)