【代親の死神】(1)
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(C) Eriko Kawaguchi 2022-02-06
based on the Grimm's fairy tale KHM44 "Der Gevatter Tod" (*1)
ある所に鍛冶屋(Schmied)が居て、3人の息子が居ました。長男レオン(Leon)は大工(Zimmermann)になり、たくさん家を建てました。領主の別荘の工事をした縁で、領主令嬢の侍女だったティアナ(Tiana)という娘と結婚し、4人の子供を作りました。次男ロビンは左官(Verputzer)になり、建物の壁を塗る仕事で頑張りました。農家の壁の補修をした縁で、その農家の娘オリビア(Olivia)と結婚、やはり4人の子供を作りました。そして三男のハンス(Hans)は、父親の仕事であった鍛冶屋(Schmied)を継ぎ、馬具や大工道具・農具などを頑張って作っていました。彼は取引の関係から商人の娘ドリス(Doris)と結婚し、やはり4人の子供を作りました。
ところがある年、流行り病で、多数の人が死にました。ハンスの所は無事でしたが、ハンスたちの両親および兄のレオンとロビンが亡くなってしまいました。2人の兄の奥さんはどちらも無事でしたし、子供たちも無事でしたが、夫を亡くして途方に暮れ、ハンスを頼ってきました。
一気に自分の妻子を含めて3人の成人女性と12人の子供(*2)の生活を支えることになったハンスは弱音をあげたくなりましたが、頑張りました。何しろ子供たちはレオンの子供が3,7,9,11歳、ロビンの子供が2,4,5,10歳、ハンスの子供が1,3,7,9歳で、まだ労働力にはなりません。(↓年齢は引取った時点)
レオンの子:ユリオン♂(11) カメリエ♀(9) ローザ♀(7) リリエ♀(3)
ロビンの子:ジークフリート♂(10) アレクサンダー♂(5) ルイーザ♀(4) ユリウス♂(2)
ハンスの子:ソフィア♀(9) トーマス♂(7) ノア♂(3) アンナ♀(1)
次男一家はオリビアの実家に同居していて、そちらではオリビアの両親や兄弟も流行り病で亡くなってしまったのですが、そこの家が広いので、16人の一家はその家に引っ越し、長男の家は売却、ハンスの家は鍛冶で作った金物(かなもの)を売る純粋な店舗としました。
そしてハンスが鍛冶屋の仕事で頑張る一方、女たちでオリビアの実家の畑を耕しました。畑仕事で腕力の必要な作業はハンスがそれも手伝いました。またレオンのいちばん上の11歳の男の子(ユリオン)と、ロビンのいちばん上の10歳の男の子(ジークフリート)には金物屋の店番もしてもらいました。
「しかし男2人というのもなあ」
「ソフィアも店に出す?」
「あの子はねんねだから今年はまだ無理」
「そうだ。フリッディ、お前女の子の格好しろ」
「え〜〜!?」
「看板娘になって客引きだよ」
「うっそー!?」
ということで、みんなにフリッディと呼ばれているジークフリートは女の子の服を着せられ、フリーダと名乗って看板娘になったのでした。でもおかげでよく金物が売れて助かりました!
(*1) この物語"Der Gevatter Tod"(直英訳すると"The Godparent Death")はグリム童話に44番目の物語として収録されている。一般に『死神の名付け親』というタイトルで日本では知られているが、このタイトルには2つの問題がある。
1つはGevatterは名付け親ではなく代親であること。この問題は後述する(*3). もうひとつは『死神の名付け親』と言われると、死神に名前を付けた人みたいだが、実際は代親になってあげた死神なので、むしろ『代親の死神』とすべきである。
この物語は落語の『死神』(作:初代三遊亭圓朝)の原作である。彼はグリム童話の第2版(*12) をベースにこの演目を制作したとされる。日本ではおそらくグリム童話より、この落語の方が広く知られている。
この物語はグリム童話の1812年の初版と1819年の第2版以降では結末が異なっており、一般には1819年版以降の結末が知られている(グリムの初版は一般に収集した原型に近いが、その後、読者層の要望に応えて加筆修正されている)。
この物語は実は南ドイツ・ニュルンベルク(Nürnberg)の劇作家ヤコブ・アイラー(Jakob Ayrer 1543.3-1605.3.26) が書いた106本の戯曲の内の6番目の演劇"Baur mit seim Gevatter Tod"(農夫と代父の死神)がベースになったものと考えられている。書かれたのは恐らく1570-80年頃だろう。これは農民戦争(1524)の後で、南ドイツではルター派のプロテスタントが勢いを持っていた時期であることに注意する必要がある。なお、グリムの原作は標準ドイツ語(≒南部ドイツ語)で書かれているように思われる。
今回の物語は時代設定をアイラーの原作より少し後の1580-1650年頃に設定している。
(*2)グリム版では「12人の子供が居て、パンを食べさせるのにも苦労していた」とあるのだが、普通に考えて、夫婦の子供が12人としたら、2年おきに作って、途中で誰も死ななかったとしても(昔はだいたい赤ちゃんの3人に1人が5歳になる前に死亡していた)しても、13番目の子供ができた時には一番上は24歳になっており、男の子なら仕事をしていたろうし、女の子ならお嫁さんに行っていたと思われる。
パンを食べさせるのに苦労するということは、子供たちがまだみんな幼いということであり、それを夫婦だけで作るには双子・三つ子を連射しないと無理である。たとえば2歳・4歳・6歳・8歳の三つ子がいたら12人になる。しかし双子や三つ子は更に死亡率が高い。
そういうのはあまりにも非現実的なので、今回の翻案では、兄弟の子供を引き取るというシチュエーションを考えた。またこの父親は何とか子供たちに御飯を食べさせている訳で、かなり優秀な稼ぎ手であり、経済力がある人と考えられる。本当に貧乏で子供が12人いたら多分半分以上が栄養失調で死亡する。神様を拒絶する言動なども、経済力のある中産階級的な発想である。
さてハンスは、そうやって何とか子供たちの食い扶持も稼いでいたのですが、この時実はドリスは妊娠しており、翌年ハンスにとって5番目の子、一家にとって13人目の子が生まれました。ハンスはこの子の代親(*3)について悩みました。
実は上の12人の子については親戚や友人などに代親をお願いしていたのですが、これだけ子供の数がいると、もう頼めるような人の心当たりが無かったのです
それで誰に頼もうと悩みながら眠ってしまうと夢の中に亡くなった母親が出てきました。母親は言いました。
「目が覚めてから表通りを歩いて、最初に出会った人に代親を頼むといいよ(*9)」
ハンスは目が覚めました。まだ夜中でしたが、少し厚着をして通りまで出ます。そして歩いて行くと、やがて古代ギリシャのような一枚布の服(キトン Chiton)を着た老人が向こうからやってくるのに出会います。
「すみません」
と男は声を掛けました。
「何ですか?」
「唐突に申し訳無いのですが、うちで生まれたばかりの息子の代親になっていただけないでしょうか?」
「いいですよ。その子が大きな病にも罹らず、幸せになるようにしてあげましょう」
「すみません。そちら様はどなたでしょうか?」
「私は神様です(*4)」
すると男は難しい顔をして言いました。
「申し訳ありませんが、あなたに代親を頼むことはできません。だって、世の中には金持ちもいれば自分みたいな貧乏人もいる。神様ってそういう不公平をそのままにしている。そんな人には頼めません」
それで男は神様を置いて先に進みました。
男が道を歩いて行くと、金銀や宝石をちりばめた贅沢な服装をした太った中年男が向こうからやってくるのに出会います。
「すみません」
と男は声を掛けました。
「何だい?」
「唐突に申し訳無いのですが、うちで生まれたばかりの息子の代親になっていただけないでしょうか?」
「よっしゃ、引き受けた。その子がじゃんじゃん金を儲けて女にももてて、好きな物は何でも手に入るようにしてやろうじゃないか」
「すみません。そちら様はどなたでしょうか?」
「俺は悪魔だ (Ich bin der Teufel)」
すると男は難しい顔をして言いました。
「申し訳ありませんが、あなたに代親を頼むことはできません。だって、あなたって、人間を欺したり悪いこと唆したりするばかり。そんな人には頼めません」(*5)
それで男は悪魔を置いて先に進みました。
男が道を歩いて行くと、黒いローブを着て背が高く痩せた女が向こうからやってくるのに出会います。
「すみません」
と男は声を掛けました。
「何でしょう?」
「唐突に申し訳無いのですが、うちで生まれたばかりの息子の代親になっていただけないでしょうか?」
「いいわよ。その子が有名になって、それなりのお金も得られるようにしてあげましょう」
「すみません。そちら様はどなたでしょうか?」
「私は死神よ (Ich bin die Todin)」(*6)
と言って女性がヴェールを取ると、その下には骸骨の顔がありました。
すると男は喜んで言いました。
「あなたは金持ちも貧乏人も等しく扱う。誰も死を免れることはない。あなたに代親をお願いしたい」
「洗礼式はいつ?」
「日曜日の午後1番の予定です(*7)」
「いいわ。じゃ引き受けるわね。ところでその子の名前はもう決まってるの?」
「はい。グレンツ(Grenz)にしようかと思っています」
「へー。変わった名前ね」
「この子は、1年が終わって新しい年が始まる瞬間に生まれてきたんです。それで境界(Grenze)から男名前にして Grenz にしようと」
「ああ。いい名前だと思うよ」
「ところでひとつ相談があるんですが」
「なぁに?」
「今うちには子供が13人もいて。私自身の子供が今度生まれた子を入れて5人で、兄たちの子を引き取ったのが8人なのですが、女房ももう29歳だし、これ以上子供を産むのは辛いと思うんですよ。それでここで子供は打ち止めにしたいのですが、何か方法はありませんかね」
「あるよ」
「ほんとですか?」
「ひとつの方法は、今すぐあんたを死なせること。死んだらもう子供はできない。本当はまだあんたは死ぬ予定ではないけど、私があんたの生命の火を吹き消せば死なすこともできるけど」
「すみません。まだ死にたくないし、子供たちを育てないといけないから、どうかそれ以外の方法で」
「んじゃ、あんたの金玉を取っちゃえば子供はできない」
「金玉を取るんですか〜?」
「金玉の中に子種が入っているからね。あんた鍛冶屋だから、家畜の去勢は、いつもやってるでしょ?(*8)それと同じよ。何なら自分で去勢する?」
「私、家畜と同じですか〜?」
「人間だって動物だしね。自分でできないなら私が去勢してあげるわよ」
「頼もうかな・・・」
「魂(たましい)を取るのでもいいけど。金玉も魂も“たま”だし」
「魂は勘弁して下さい。じゃ金玉取るのでお願いします」
「金玉のついでに、ちんちんも一緒に取ることもできるけど」
「ちんこまで無くなると、小便に困るから、ちんこは取らないで下さい」
「あら。女の人は、ちんちん無いけど困ってないわよ」
「どうか金玉だけで」
「了解」
と言うと、死神は男のお股に手を伸ばし睾丸をつかみ、箱の中に入れました。
「これであんたにはもう子供はできないから」
「助かります。あとは頑張って働いて今居る子供たちを育てていきます」
「うん。頑張ってね。私も草場の陰から応援してるから」
「ありがとうございます。でも洗礼式はお願いしますね」
「ヤー(Ja)」
それで死神は、産まれたばかりの赤ん坊の洗礼式に出席してくれました。
洗礼式に出たのは、赤ちゃんと父親のハンス、まだ起きられない母親ドリスの代わりに赤ちゃんを抱く伯母のオリビア(ティアナはドリスおよび他の子供たちを見ている)、そして代母の死神です。死神はハンスの親戚の女と称し、ナハト(Nacht 夜)と名乗りました。
牧師さんの祈りとお言葉の後、この日洗礼を受ける赤ちゃんたちが順番に洗礼を受けます。まだ何も話せない赤ちゃんに代わって父親が信仰の告白をし、白い洗礼ドレスを着た赤ちゃんを水につけます。黒い服を着た代母(実は死神)が赤ちゃんにお祝いの贈りものをして洗礼式は終わりました。
代母はずっとヴェールを顔に掛けたままでしたが、女性は教会の中ではヴェールを掛けている習慣があるので、牧師さんは特に不審には思わなかったようです。
洗礼式が終わった後、死神はハンスに言いました。
「この子は医者になる才能がある。だから学校に行かせなさい」
「お金が無いですよー」
「それは私が何とかするから」
「分かりました」
「でもこの子だけ学校に行かせたら、上の子たちが不満に思うよね」
「だと思います」
「だから全員学校に行かせなさい。その費用も出してあげるから」
「分かりました!」
(*3) Gevatter(ゲファーター)というのは古い言い方で、現代ドイツ語ではPate(パーテ。女性形=Patin パーティン)という。英語では Godfather (女性形Godmother まとめてGodparent), フランス語では parrain (女性形 marraine) である。ペローの童話では 妖精の marraine が出てくるものがひじょうに多く、ひとつの類型になっている。サンドリヨン (Cendrillon 英語ではシンデレラ Cinderella) を助けたのも 妖精の marraine (fée marraine フェ・マレーヌ) である。
Gevatter の役割は洗礼に立ち会い、その子供が洗礼を受けた証人となることである。Gevatterは geistlicher Vater (宗教的父)の意味で、その子供を生涯にわたって支援する重要な役割である。子供が小さい内に親が死んでしまったような場合は、実親に代わってその子を養育する場合もある(デュプレックス!)。
(Gemutterという単語は無いもようである)
そういう意味では“道父”とか“教父”のような訳が意味的に近いが、近年では“代父”と訳すことが多い。だからこの物語の原作「Der Gevatter Tod」は直訳すると『代親の死神』となる。
古い訳本ではGevatterに“名付け親”という訳語を当てているケースが多く、この物語も“死神の名付け親”というタイトルになっているものが多い。しかしGevatterは別に子供に名前を付ける訳ではないので(付けることがない訳ではないが、通常は親や祖父母が付ける。成人洗礼では本人が考える)“名付け親”という訳語はほぼ誤りである。恐らく、あまりキリスト教の風習に詳しくない人が誤訳したのが、その後踏襲されてしまったものと思われる。
(*4)原文は「Ich bin der liebe Gott.」英語に直訳すると I am the dear God. ここで liebe というのは、Ich liebe dich (I love you) とかにも使われる“愛する”という意味の動詞 lieben の形容詞形 lieb (に名詞を修飾する時の語尾 -e が付いたもの)だが、ここでは英語の dear に相当する表現である。
手紙の先頭に英語なら dear Ms Trapp と書く所をドイツ語なら liebe Frau Trapp と書く。つまり liebe (英語のdear)は日本語の“様”に相当する言葉である。そういう意味で liebe Gott というのは“神様”という表現(Gottは“神”)で、ドイツ語ではひじょうによく使用される言い回しである。
キトンは古代ギリシャの一般的な衣服で一枚布を肩で留めて着る(ふたつ折りにして貫頭衣のように着る着方もある)ものだが、西洋の神様はしばしばそのような服装で描かれる。ちなみにキトンは男性も女性も着ていた。女性は一般的に足首までを覆い、男性は膝までを覆っていた。しかし男性でも身分の高い人は足首丈で着用したし、それほど身分が高くない人でもフォーマルな場では足首丈だった(つまり女性と同じフォルムになる)。
今回の翻案では、悪魔を明確に男性、死神を明確に女性で描いたので、神様は性別を曖昧に描いた。
なお、最初に遭遇するのはグリム版では神様、アイラー版ではイエス・キリストになっているが、出典は不明だが、最初に遭遇したのが聖母マリアであるとするバージョンも存在するらしい(岩波文庫の日本語訳グリム童話に収録されている)。
(*5) 元々のアイラー版では、悪魔は十字架を見たら逃げて行ったことになっている。それではそもそも洗礼式に立ち会えない。元々、カトリックやルター派が赤ちゃんにすぐ洗礼をするのは、赤ちゃんに神の加護が及び“悪魔に取られないようにするため”であり、悪魔を代母にするのは、泥棒の親分に留守番を頼むようなものである。
(*6) “死”Todが男性名詞なので通常は死神もそれに合わせて Ich bin der Tod とするが、本人が女である場合は女性形に変えて Ich bin die Todin となる。Todは本来“死”そのものなので、ドイツ語で死神を表す一般的な名詞は、むしろ男死神が Sensenmann, 女死神は Sensenfrau である。
この物語での死神の性別については、男性とするバージョンと女性とするバージョンが存在する。今回の翻案では女性の死神とするバージョンを採用した。女であれば洗礼式の時に、教会の中でヴェールを取らなくてもいいので骸骨の顔を見せずに済むからである。女性の死神を出す版では最初に遭遇するのが神様ではなく聖母マリアなのだが、ここでは性別は分散させた。
骸骨に黒いローブをまとった死神というイメージはこの物語が出発点であるという説がある。それ以前の死神は、馬に乗った騎士の姿で描かれることが多かったとも言う。
(*7) 洗礼をいつ行うかは宗派や地域により結構異なる。例えばシェイクスピアの時代は、基本的には生まれた日にすぐ受けさせていた(遅くとも3日以内)。プロテスタントの一部の宗派では、本人が信仰の意思を表示できるような年齢に達してから受けさせる。しかしルター派では、カトリック同様、生まれたらすぐ受けさせる方式である。
ここではグリム版に従って、日曜日にまとめておこなう方式を採用した。
(*8) 鍛冶屋は馬の蹄鉄を作るので、その仕事の延長上、獣医のような仕事もしており、結果的に馬や牛の去勢もおこなっていた。
(*9) 夢の中の母親の言った通りにしていれば、代親は神様になっていたはずである。しかし神様の代親と死神の代親のどちらが良かったかは、何ともいえない。ただ悪魔はやめといて正解という気がする。
死神が子供たちを学校に行かせるように言ったので、まずは既に学齢に達している、男の子のユリオン・ジークフリート・アレクサンダーの3人を町の歌唱学校(歌を歌わせるとともに読み書きも教える)に入れました。
歌唱学校は男の子だけですが、女の子で7歳以上に達している、カメリエ、ローザ、ルイーザ、ソフィアの4人には、教養のあるティアナがまずは文字の読み方を教えることにしました(中世の中流以上の女性は一般に文字の読み方は母親などから習っていることが多く、普通に本が読めた。署名くらいはできるが、文章を書く訓練まで受けている女性はそれほど多くは無かった。でも女性の文筆家は近世以前において女性がひとりで食っていける数少ない職業のひとつであったという。恐らくは、手紙の代筆などで収入を得ていたか?)。
女の子4人は、ティアナが金物屋の店番をしながら合間合間に字を教えることにし、農作業はユリオンたち男の子が学校から帰ってからオリビアが指揮してすることにしました。しかし1年間女の子の格好をしてお店に出ていたフリーダ(フリッディ)は“男の子に戻れて”ホッとしたようでした。
子供たちは男の子は年齢が7歳に達した子から順に歌唱学校に入り、それを卒業した後は更に中等学校:ギムナジウム(Gymnasium イギリスならGrammer School, フランスならリセに相当する)に進学させることにしました。女の子たちは本などを読めるようになった所で、兄たちに指導させて文章を書く訓練や算術なども覚えさせ、ひじょうに教養の高い女性に育っていきました。
子供たちの中でいちばん年長のユリオンはあまり勉強ができなかったので、ギムナジウムには進学したくないと言い、12歳の時から4年間歌唱学校で字の読み書きなどを学んだ後は、実父の友人だった大工さんに弟子入り。大工への道を進みました。
なお、グレンツが産まれた時、ユリオンは12歳、フリッディは11歳でした。通常歌唱学校に行くのは7-12歳の6年間なのですが、遅く入学したので、ユリオンは12-15歳の4年間歌唱学校に通ってから、大工の弟子になり、フリッディは11-13歳の3年間歌唱学校に通ってから、他の人より1年遅い14歳でギムナジウムに入りました。
ということで最初にギムナジウムに入ったのはジークフリートになったのですが、彼のことは後述します。
歌唱学校はハンスの住む町にもありますが、ギムナジウムは近隣の都市であるローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)まで行かないといけないので、そこまで行かせ、寄宿舎に入れました。また女の子たちの中でソフィアは
「私も男の子たちと同じくらい勉強したい」
と言うので、やはりローテンブルクの女子修道院(Nonnenkloster)に入れて様々な教育を受けさせました。
カメリエ、ルイーザ、リリエはそこまでの勉強を求めなかったので、ティアナの元同僚の教養のある女性を家庭教師に雇い、ラテン語、数学、音楽など及び礼儀作法を学ばせました。チェンバロやフルート(現代のリコーダーのこと)なども教えました。
女の子たちの中でローザもたくさん勉強したいというので
「お前もソフィア同様、修道院に行くか?」
と訊いたのですが
「もっと勉強したい。ギムナジウムに行きたい」
と言います。
「ギムナジウムは男だけだよ」
「だったらボク、男装する」
と言って、長い髪を自分で切り落としてしまったので、実母のティアナが悲鳴をあげました。
しかし男の子みたいな髪にしてしまうと、むしろ女の子として通りません。それでティアナは猛反対したものの、ローザの行動に理解を示してくれたオリビアが取りなしてくれたので、ハンスも
「まあ性別がバレたらバレた時だ」
と言ってローザは名前も“ローランド”(Roland)と変えて、本当にギムナジウムに入ってしまいました!
昔は男の子の声変わりはだいたい17歳くらいで起きていたので、ローランドがずっと女の子みたいな声で話していても特に不審がられず(一応できるだけ低い声で話していた)、彼(?)はしっかり男の子としてギムナジウムを卒業してしまいました!彼は演技力があり、しっかり男の子を演じていたので、在学中誰も彼の性別を疑う人は無かったと、同い年で一緒にギムナジウムに入ったトーマスは言っていました。
ローランドとトーマスがギムナジウムに入学した時、2学年上にジークフリートがいたので3人は同じ部屋にしてもらいました。それまではジークフリートは別の生徒と相部屋だったのですが、兄弟(?)3人だからというので3人だけの部屋を当ててもらったのです。
ローランドとしては、兄(?←疑問符が付く件は後述)と弟が一緒なので、安心して着替えなども出来て助かったようです。もっともローランドが着替える時にトーマスは後を向いているのですが、けっこうドキドキしていました(ローザとトーマスは実親が違うので、通常双子と称しているが本当は結婚可能な従姉弟)。
ローランド(ローザ)と対照的な道に行ってしまったのがフリッディ(ジークフリート)でした。彼は美形で優しい性格なので、ギムナジウムに入ると、男ばかりで女の子が居ない環境ではすっかり“人気”になってしまいます。多数の男の子から“愛の告白”をされ、デートに誘われたりする内に、本人もすっかりその気になってきます。
「フリッディ、女の子の服とかは着ないの?」
などと“ボーイフレンド”から言われ
「きっと君、女の子の服着たら可愛いよ」
などとも唆されて、デート!の時に女の子の服を着るようになります。
「ほんとに女の子みたい!」
などとクラスメイトたちからも言われて、すっかり“フリーダちゃん”と呼ばれるようになってしまいました。
やがて3年生になるとローランドとトーマスが入ってきて3人で同じ部屋になります。
「ローザ、なんで男の格好してるの?」
「ぼくはローランドだよ。それよりフリッディ兄さんはなんで女の子の格好してるの?」
ということで、フリッディは、ローザ(ローランド)からたくさん女の子としての基礎的な知識などを再教育されるとともに、フリッディ(フリーダ)とトーマスがローランドの性別がバレないようにするのに協力したのでした。
2年後にはアレックス(アレクサンダー)が入ってきて、この部屋では4人が共同生活するようになりますが、アレックスはローランドが男らしく振る舞っているのに感心するとともに“フリーダ”が魅力的な少女!に成長しているのに唖然としました。
結局、ローランドもトーマスもアレックスも、フリッディのことを“フリーダ”と呼んでいました。
フリーダは、ギムナジウムの中では中くらいの成績で大学に進学するには微妙だったこともあり、教会指導者の道を選びます。ギムナジウムを卒業した後は、テュービンゲンの教会学校に入りました。教会学校も男ばかりなので、彼(?)はとても人気があり、たくさん求愛されて、やがて固定のボーイフレンドを作るに至りました。
教会学校を卒業した後は牧師として近郊の教会に派遣されました。牧師が5人もいる大きな教会でした。むろん彼はその“本性”をすぐ見抜かれてしまいます。先輩牧師ルドルフの家に“同居”するようになり、事実上彼の奧さん!になってしまいました。
しかし彼(?)の女性的な性格は、女性の信徒たちに人気で、彼が懺悔担当の時に懺悔に来る女性が多くなりました。女性たちとしては“同性”感覚で彼と接することができるので、安心して色々なことを相談できたのです(不倫の相談には食傷しましたが)。ちなみに彼は“夫”のルドルフからも、女性信徒たちからも、すっかり“フリーダちゃん”と呼ばれていました。
ローランド(ローザ)とトーマスはギムナジウムを卒業すると、テュービンゲン大学(1477創立)の法学部に進学しました。ローランドはギムナジウムの6年間ですっかり男装が板に付いていたので、大学でも性別がバレることなく学問を修めました。
2人は遠隔地から来ているので学寮に入りますが、ギムナジウム時代同様に
「ぼくたち双子の兄弟だから」
と言って、2人で同室にしてもらいました(2年後にはここにアレクサンダーも加わる)。おかげで、ローランドはギムナジウム時代同様、気兼ね無く生活することができて快適に大学生活を送ることができました。
テュービンゲンの大学に行った3人の内、弁の立つローランド(ローザ)は法律家になり、彼の性別のことを知っている先輩の事務所に入れてもらいました。結局男装のまま仕事をしていました。
「お前、嫁に行く気は?」
とハンスは尋ねたのですが
「ボクが奧さん欲しい」
などと言うので、ハンスも匙を投げていました!
(実際問題としてローランドは大学で学んでいる間に女子としての結婚適齢期を過ぎてしまっている)
ローランドは数年後、本当に女性と結婚し、女同士で仲良く暮らすようになります。相手の女性が前の夫との間に作っていた幼い双子の女の子を養女にし、4人で幸せな生活を送りました。また彼は、やり手の弁護士として、教会や学校などを顧客にし、結果的にはきょうだいの中でグレンツと並ぶ稼ぎ頭になります。
トーマスはローテンブルクの市役所の役人になり、アレクサンダーはギムナジウムの教師になりました。
アレクサンダーの2つ下のリリエは「私はお嫁さんになりたい」と小さい頃から言っていました。それで彼女は16歳で鍛冶屋仲間パウルの息子ヴォルターと結婚しました。カメリエはリリエの前年に21歳でユリオンの友人の大工さん(24)と結婚しました。ルイーザはリリエの翌年に18歳で靴職人の次男と結婚しました。この次男はルイーザとの結婚後ローテンブルクに出て衣服商を始めたのですが、ルイーザが帳簿を付けられるので、商人の妻として夫を支え、夫の店をとても大きく育てました。
ソフィアは20歳で修道院を退所し、ローテンブルクで貿易商の令嬢の家庭教師の職を得ました。この商人は結果的にルイーザの夫ともつながりができて、お互いに助け合って商売を広げることになります。
ノアは父親の職業である鍛冶屋を継ぎたいと言いました。それで彼は歌唱学校を出た後、鍛冶屋仲間パウルのところに弟子入りさせました。自分の弟子にすると甘えが出るので、敢えて他人に預けたのです。実はこの人の息子ヴォルターが3年後にリリエと結婚し、またノアは後にこの鍛冶屋の娘エリゼと結婚して実家に戻ったので、リリエとノア(この二人は同い年で通常「私たち双子」と言っている)はいわば“クロス婚”したことになります。
ユリウスは金物屋のお店の方を継ぎたいと言いました。それで彼はギムナジウムまで卒業した後で、数年間ローテンブルクの商店で修行させた後で町に戻り、金物店の店長になりました。彼は愛想が良いのでお店は繁盛し、ハンスは息子たちの稼ぎのおかげで、楽に老後を送れることになります。
アンナも勉強意欲が旺盛でしたが、ローザみたいにギムナジウムに行きたいとまでは言わなかったので、修道院に入れて勉強をさせました(ちょうどソフィアが退所したのと入り替わりにアンナが修道院に入り、ソフィアの使っていた部屋で生活することになった)(*10)。
なお、オリビアが所有する農地(その後、近隣の農地も買い取って、相続した時の5倍の広さになっている)に関しては、人に貸して耕作させることにし、その管理は(オリビアの実子である)ユリウスに委ねました。
(*10) 修道院(die Abtei, Eng=Abbey) は基本的に男子修道院(das Mönchskloster, Eng=monkery) と女子修道院(das Nonnenkloster, Eng=nunnery) に分けられる。男女合同だったら修道院として成立しない! 修道士という単語も、男性はder Mönch (Eng=monk) 女性は die Nonne (Eng=nun) となる。
また、修道会には、活動修道会と観想修道会があり、前者は社会に出て様々な奉仕活動をするが、後者は基本的にその修道院の敷地内で日常生活を送る。
基本的に修道院での生活は、志願期→(入所許可)→修練期→(初誓願)→第二修練期→(終生誓願)と進む。終生誓願を立てると一生その修道院で生活することになる。行儀見習いなどのために修道院に身を置く人は、基本的に初誓願の前に退所する。また、初誓願から終生誓願に至る間に、何度も誓願を更新していき、後悔しないかを確認するのが一般的である。
この物語のソフィアやアンナも、修練期までを修道院で過ごし、誓願を立てずに退所している。
そして死神の代子であるグレンツも7歳になる年に歌唱学校に入り、やがてギムナジウムに進学します。彼が歌唱学校・ギムナジウムに入った時、兄姉たちはこういう状態にありました。
ユリオン 19 大工の弟子/25 大工
フリート 18 ギムナジウム/24 新任牧師
カメリエ 17 私教育中/23 結婚3年目
ソフィア 17 修道院/23 家庭教師
ローラン 15 ギムナジウム/21 大学生
トーマス 15 ギムナジウム/21 大学生
アレック 13 ギムナジウム/19 大学生
ルイーザ 12 私教育中/18 新婚!
リリエ_ 11 私教育中/17 結婚2年目
ノア__ 11 歌唱学校/17 鍛冶屋の弟子
ユリウス 10 歌唱学校/16 ギムナジウム
アンナ_ 9 私教育中/15 修道院
グレンツ 7 歌唱学校/13 ギムナジウム
グレンツは小さい頃から、兄や姉たちからたくさん物事を習っていました。それで4-5歳頃にはラテン語を読めるようになっていましたし、簡単な算数も理解していました。また楽器も習っていましたし、裁縫まで習っていました!
そういうのもあり、グレンツは代母が見込んだ通り、歌唱学校の1年目から高い才能を示しました。ラテン語の読み書きができるし、算数ができるし、論理的な思考ができました。歌もうまく、またチェンバロやフルート(現代のリコーダーのこと)なども弾きこなすので、音楽家を目指さないかと先生が言うほどでした。
「でも音楽家になるにはタマタマ取るんでしょ?」
とグレンツは不安そうに訊きます。
「そんなことは無いよ。それは男性ソプラノとかになりたい人だけだよ」
と言って先生は笑っていたものの、グレンツは、そうやって安心させておいて騙し討ちで睾丸を取られないかと、かなり警戒していました。この時期彼は朝起きたら、タマタマもちんちんも無くなってた!という夢を何度も見ています。
「なんだ睾丸取りたいなら取ってあげようか?ちんちんも一緒に取ってあげていいよ」
と代母は言います。
「いらない」
「ああ。やはり睾丸やちんちんは要らないのね」
「要るよぉ、取らないでよぉ」
とグレンツが泣きそうな顔で言うので、代母も、あまりからかいすぎるのもやめとくかと思うのでした。
でもフリーダは
「ぼくあまり男っぽくはなりたくない」
と言うので、睾丸を取ってあげたら凄く喜んでいました。ついでにおっぱいが大きくなる薬をあげたら飲んでいたので、実は牧師になった頃には12-13歳の少女程度の胸ができていました。
それで“夫”のルドルフからは
「フリーダちゃん、おっぱいもあるんだね」
と言って、とても可愛がってもらいました。なおルドルフとフリーダは、後に実妹のルイーザが生んだ子供を養子にもらい、一緒に育てました。
ギムナジウムの寮では、使っている部屋がハンスの息子たちの指定部屋の状態になっていました。
フリッディが2年生の時までは他の生徒と相部屋でしたが、3年生になった時にローランドとトーマスが入ってきて、ここから兄弟3人だけで1部屋使わせてもらうようになりました、その2年後にはアレックスが入ってきて、そのあと4年間、3-4人部屋の状態が続きます。ローランド・トーマスの卒業後はグレンツが3年生の時まで2人部屋でしたが、そのまま2人だけで部屋を使わせてもらいました。(ナハトが充分な寄付をしてくれたからだと思う)
「ねぇ、なんで女の子の服があるの?ローザが着てた服?」
とグレンツはユリウスに訊きました。
「ローランドは男の服しか着ないよ。それはフリーダが着てた服」
「フリーダって?」
「フリッディ兄さんは、女の子になっちゃってフリーダと名前を変えたんだよ。だからフリーダ姉さんだね、今は」
「嘘!?」
「最初の頃は男の子とデートする時だけ女の子の服を着ていたらしいけど、その内、寮内で食事に行く時とかも女の子の服になって、その内、寮内ではいつも女の子の服を着てるようになって、最後の学年の頃はそれで授業も受けてたみたい」
「女の子でもギムナジウムに居られるの?」
「ちんちん付いてるから居てもいいんじゃない?」
「ちんちん付いてても女の子なの?」
「まあ女の子にしか見えないから女の子でいいと思う。おっぱいもあるし」
「なんで男なのにおっぱいあるの?」
「ちんちん以外女の子になっちゃったんだと思う」
「教会学校って女でも入れるんだっけ?」
「男しか入れないけど、ちんちん付いてるから男として入ったんだと思うなあ。でもきっと入学した後は、女の子してる気がする。おっぱいあるから男の格好なんてできないし」
とユリウス。
「よく分からなくなってきた」
とグレンツは言いました。
「でも、ずっと女の子の服、ここに置いてるの。ユリウス兄さんが着るの?」
「俺は女の服を着る趣味は無いなあ」
「じゃ捨てる?」
「そうだ。グレンツ、お前着てみろよ」
「え!?」
「お前は女の服が似合う気がする」
「うっそー!?」
それでグレンツはフリーダが着ていた女の服を着せられてしまいますが
「似合うじゃん!」
と言われます。
「取り敢えず、部屋の中に居る時はそれを着てなよ」
「やだよー」
「グレンツはそもそも可愛いから女の服を着ていい」
「え〜〜!?」
「名前もグレンツェかグレンツァとか女名前に変えるといいな」
ということで、グレンツは兄からすっかり“妹”扱いされ、女の子の服を着ているように言われたのでした。
最初は部屋の中だけでしたが、その内、食堂などに行く時も、その格好で連れていかれるようになります。グレンツ本人も、女の子の服を着ている時は他の寮生たちから「可愛い」「彼女にしたい」などと言われるのに、すっかりハマってしまい、やがて寮内にいる時はいつもその格好をしているようになりました。ユリウスが女の子の服の新しいのを買ってきて、それもグレンツに着せていました。結構ラブレターももらうので、真面目な性格の“グレンツェ”はお返事を書き、結局“ボーイフレンド”ができてしまいました!
4年生に進級する時、ユリウスが卒業して、グレンツェは1人になりました。さすがに1人で1部屋使う訳にはいかないので、グレンツェは新1年生3人と同室になります。すると、彼らの手前、グレンツェは女装を控えるようになり、男の子の“グレンツ”に戻って、男子生徒としてギムナジウムの残り3年間を過ごしました。
ギムナジウムの6年生の時、ユリオンたちの実母ティアナが亡くなりました。54歳でした。当時は“平均寿命”は40歳くらいですが、これは赤ちゃんの3人に1人が小さい内に死ぬからであり、5歳まで生きた人はだいたい50-60歳まで生きていました。その時代で54歳はほぼ寿命に近いものでした。
カメリエとリリエが産んだ孫の顔も見ることができて充実した人生だったと言い残しました。ローランドのことも「お前は男の子になっちゃったんだから仕方ないね」と彼の生き方を認めてくれて、ローランドは涙を流していました。
グレンツはギムナジウムを卒業すると、テュービンゲン大学の医学部に入りました。
↓地図再掲(赤い■はプロテスタント都市)
この時点での兄姉たちはこういう状況でした。
ユリオン 31 大工
フリーダ 30 牧師&主婦!
カメリエ 29 結婚9年目(3児の母)
ソフィア 29 結婚6年目(2児の母)
ルイーザ 24 結婚7年目(2児の母)
ローランド 27 新米弁護士
トーマス 27 市役所の職員
アレック 25 博士課程
リリエ_ 23 結婚8年目(2児の母)
ノア__ 23 鍛冶屋
ユリウス 22 商人見習い
アンナ_ 21 “御友人”(*11)
グレンツ 19 大学生
(*11) アンナは20歳で修道院を退所し、修道院時代の1年先輩で前後して退所したエデルトルートという女性の“御友人”(Gesellschafterin / English=Companion)になった。実は修道院時代から、彼女と仲が良かったので、本人から誘われたのである。ここで“御友人”というのは、高貴な又はお金持ちの女性に付き添い、話し相手や外出時のお供を務める女性のことである。『アルプスの少女ハイジ』のハイジはクララの“御友人”である。ハイジの場合は年少の御友人だが、一般には家庭教師の手を離れた成人の娘がいる家で、御友人は雇用されていた。
御友人というのは“使用人”ではなく“ゲスト”である。だからゼーゼマン家において、ハイジは使用人たちから“お嬢様”と呼ばれていた。
グレンツがテュービンゲンの大学に入った時、兄たちで大学に通った3人の内アレックスだけが(法学部の博士課程に)在学中でしたが、グレンツは医学部で学部が異なるので、ひとりで学寮に入りました。
一人なので当然相部屋になります。同じ部屋になったのは、バルドル、フランク、クラウス、という3人でした。バルドルは堅物、フランクは遊び好きで、クラウスは勉強以外のことには興味が無い感じでした。フランクはしょっちゅう女の子と遊んでいて、バルドルから度々苦言を呈されていました。
ある時、グレンツが自分の荷物を整理していた時、荷物から衣服が1枚落ちます。
「あっと」
と言って拾い上げようとした時、バルドルの目に留まります。
「待て。それは女のドレスではないのか?」
「すみませーん。すぐ片付けます」
と言ってグレンツはすぐそのドレスを自分の鞄の中に入れてしまいました。
「君はまさかこの部屋に女の子を連れ込んだのか?」
とバルドルが追及します。女の子を学寮に入れるのは重大な規律違反です(フランクはこれまで数回厳重注意をくらっている)。
「違います。そんなことしないし、ぼくには女の子の友だちはいません」
実際ギムナジウムから6年以上、男だけの世界で生活しているので、女の子と知り合う機会もありませんでした。
「だったら、今の服は何だね?まさか女の家から盗んできたのではないよね?」
女の服を盗んだとあれば犯罪です。バルドルなら即通報して、グレンツは役人に拘束されるかも知れません。
「そんなことしません。この服はぼくのものです」
と仕方ないのでグレンツは言いました。
「君の物って、君、女の子の服を着るの?」
「はい」
とグレンツは仕方なく答えました。犯罪者と思われては困ります。
「君が女の子の服を着た所を見たい!」
とフランクが言いました。
それで仕方なく、グレンツはその服を出して身につけました。
「可愛い!」
とフランク。
「女の子に見える!」
とクラウスまで言います。
「君、いつもそういう服着てるの?」
とバルドルは尋ねました。彼も女の子姿のグレンツに見とれてしまった感もありました。
「いつも着てる訳じゃないんですけど、ギムナジウム時代に、君女の子の服が似合うよ、着てごらんよとか言われて、よく着せられてたんです。それで、ギムナジウムの寮を退去する時に持っていた女の子の服も一緒に持って出たので、そのまま荷物をこちらに運んだから、女の服も一緒に来てしまって」
「まあ女の子を連れ込んだのでも、女の服を盗んだのでもなければいいよ。疑ってすまなかった。君自身の服だというのは、君がその服を着こなしているのから明らかだ」
とバルドルは言いました。
しかしフランクは
「グレンツちゃん、その格好が可愛いから、いつもそういう服を着ててよ」
と言います。
「え〜?」
「女の子名前は無いの?」
「グレンツェと呼ばれてた」
「おお。じゃ俺は君のこと、これからグレンツェと呼ぶよ」
「えーん」
ということで、グレンツは大学入学早々に“女の子”生活が復活してしまったのでした。またグレンツ自身も、ギムナジウム後半の3年間、女の子の服を“あまり”着ていなかったのが少し不満に思えていたので、堂々と女の子の服を着られるようになったのは、そう悪くも感じませんでした。
グレンツェは、フランクに連れられて女の子の服のまま学寮の食堂にも連れて行かれました。
「誰だ女の子を連れ込んだのは?君、女はここには入ってはいけない。すぐ退出しなさい」
と寮長が言います。
しかしフランクが
「この子は男の子です。寮生のシュミットですよ」
と言うと
「確かにシュミット君だ。なんで君、そんな服着てるの?」
と言います。
「可愛いから着せてみました。別に何を着ても自由ですよね?」
とフランク。
「まあ女の服を着てはいけないなどという規則はなかったはずだ」
と寮長も言い(想定外なので禁止規定が無い)、結局、この後、グレンツェが女の姿で寮内を歩き回るのは容認されてしまったのでした。
そういう訳で、グレンツェはこれから博士号を取るまでの間、半ば“女子医学生”に近い状態で大学生活を送ったのでした。当初のルームメイトの中でフランクは結局度重なる規則違反で退学になってしまいました。バルドルは学士号だけ取って退学し、田舎に帰っていきました(学士号だけでも田舎なら医師を開業できる)。博士号取得まで一緒に行ったのはクラウスだけでした。
グレンツが大学に在学中23歳の年に、フリーダ・アレックス・ルイーザ・ユリウスの実母、オリビアが亡くなりました。54歳でした。奇しくも義姉のティアナと同じ年齢で逝きました。フリーダは男装で戻って来て母を看取ったのですが「あんた女の子してるんでしょ?ちゃんと女の子の格好しなさい」と言われて、女の姿で母を見送りました。
「お前は私の立派な娘だよ」
と言われてフリーダは涙を流していました。
(お葬式は地元の教会で行いましたが、フリーダが(男装で)司会を務めました)
4年後、グレンツが27歳の年に、母親のドリスが亡くなりました。56歳でした。義姉たちより2年だけ長生きしたことになります。ハンスは
「俺より先に死ぬなんて酷いよぉ。俺この後、どうしたらいいんだ?」
と号泣していました。
グレンツも自分が医者になった姿を母に見せてあげられなかったのが悲しく思いました。
そしてグレンツが医学博士になり大学を卒業した年、父ハンスが亡くなりました、62歳でした。60歳すぎまで生きたのは長寿だよなあと思いました。グレンツは危篤の報せを受け、勤務先のシュトゥットガルトから馬車で駆け付けてきたものの、死に目には会えませんでした。
ハンスはドリスが亡くなった後は魂が抜けたようになってしまい、ユリオンがチェスの相手をしてくれるのだけを楽しみに暮らしていたそうでした。
グレンツは、夫に先立たれた妻はわりと元気なのに、奧さんに先立たれた夫は呆けてしまうことが多いのは何故だろう?と思いました。
親たちがみんな亡くなってしまいましたが、兄弟たちの頭領であるユリオンはみんなに言いました。
「俺たち13人は兄弟だ。これからも一緒に助け合って行こう」
ハンスの葬儀の場で13人は手をひとつに重ねて誓いをしました。
しかしこれだけの人数が居て、自分たちって対立したりする者もいないし、ずっと仲良くやってこれたのは、素晴らしいという気がしました。
(経済的なゆとりが精神的なゆとりも生むんだよ、とナハトは言っていましたが)
グレンツェは医学博士の資格を取ってから、最初の数年間はテュービンゲンの隣町・シュトゥットガルトで、先輩の医師が開いている病院に勤め病院の実務を学び、また多数の患者を診察しました。この時期は、グレンツも自粛してずっと男の格好をしていました。先輩には「女の格好してもいいのに」と言われましたが!
でもこの時代、随分女の患者さんから親しまれました。女に特有の症状などを話すのに、彼(彼女?)は話しやすかったのです。この辺りは姉フリーダと似たような路線になっていました。
シュトゥットガルトで5年間その病院で診療した後、ローテンブルクで年老いて引退する医師の後継医師として乞われ、そこで初めて独立の開業医になることになりました。
この時、代母ナハトは、彼をテュービンゲン西方に広がるシュヴァルツヴァルト(Schwarzwald 直訳すると「黒い森」:高木彬光の『一二三死』(Eins Zwei Drei Tod) で重要な鍵になる)に連れて行きました。
かなり森の奥深くに入った所に見たこともない紫色の葉の植物が群生していました。
「この草を摘んで乾燥させなさい。すると万病に効く薬になるから」
「へー!それは凄い」
「但し、これを使っていいのは、まだ死ぬべき時が来てない人だけ」
「それってどう判断すればいいの?」
「重病人の往診を頼まれた時、私を連れていきなさい。私はお前以外の人には見えないようにして付いていく。私が病人の枕元に立っていたら、その患者は助かるから、薬を飲ませなさい。でも足元に立っていたら、もうその患者の命は尽きようとしている(*12)。だから『申し訳ありませんが、手遅れで手の施しようがありません』と言って帰りなさい。私がその患者の魂をあの世に導くから」
「ふーん。分かった」
とグレンツは答えましたが、この時、グレンツはこの“死の判定”の重さを理解していませんでした。
(*12) 今回の翻案では、死神が枕元に立っていたら助かるが、足元に立っていたら助からないという説を採用している。実はこれはどちらがどちらかというのが2種類のバージョンが存在する。
落語『死神』では、足元に死神がいたら助かるが、枕元なら助からないとなっている。Jakob Ayrer版でもグリム初版(1812)でも、逆に、枕元に居たら助かるが、足元に居たら助からないということになっている。これに対してグリムの1819年版では逆に、足元に立っていたら大丈夫だが、枕元に立っていたら死ぬということになっている。
しかし1837年版以降ではまた足元なら死ぬが枕元なら助かるということになっている。それで落語の『死神』はグリム第2版をベースにしたものと言われているのである。
元々のアイラーの原作が足元なら死ぬということだったので、初版で収集されたものもその方式になっていたのが、死神が足元に立っているより枕元に居る方がより死にやすい気がすると思って第2版で逆にしたものの、再度考え直して元に戻したものと思われる。
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【代親の死神】(1)