【八犬伝】(2)

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さて、姨雪世四郎は信乃たち3人に、自分の(事実上の)妻・音音(おとね)が住んでいる荒芽山に行くとよいと言っていたのですが、4人の中で最初に荘助がその荒芽山に向かっていました。
 
荒芽山の麓には、音音(石川ポルカ)と、力二郎・尺八郎の各々の妻である曳手(ひくて)(大仙イリヤ)・単節(ひとよ)(美崎ジョナ)が暮らしていました。曳手と単節は姉妹で、つまり兄弟と姉妹で結婚したのです。
 
1478年7月6日(刑場破りの4日後)、久しぶりに世四郎が戻って来たのですが、音音は彼がずっと敵の領地の住人になっていることに怒っているので、家の中にも入れてくれません。
 
見かねて単節が義父を柴置き小屋で休ませました。世四郎は単節に「これを絶対開けて中を見たりせず家の中の戸棚に置いてくれ」と言って、何やら重い包みを単節に渡しました。単節は何だろうと思いながらも、頑張って運び入れ、戸棚に置きました。
 
また世四郎は単節に伝言を頼み、音音に、ここに若者が4人来るはずだから、助けてやって欲しいと言いましたので、単節はそれを音音に伝えました。
 
やがて日が落ちますが、仕事に出ている曳手の帰りが遅いので、心配した妹の単節が姉を迎えに出ました。
 
それからしばらくして犬川荘助が「世四郎殿から聞いた」と言って、音音を訪ねてやってきます。音音は荘助がどういう人なのかと外出したふりをして盗み見しています。するとそこに、自分が乳母をしていた子・道節が戻ってきます。道節は大きな包みを土間に置きました。
 

荘助と道節は円塚山で浜路・村雨丸を巡って争っていたので、顔を合わせると緊張が走ります。
 
しかし道節は言いました。
「お主の守り袋を預かっている」
 
すると荘助も
「私はお主から飛んできた珠を持っている」
と言います。
 
それで道節は荘助に“義”の珠の入った守り袋を返し、荘助も道節に“忠”の珠を返しました。
 
「これが私からお主に飛んで行ったのか?」
「そうだ」
 
「実は、私は生まれて以来左肩に瘤(こぶ)があったのが、あの時に無くなったのだ。もしかしたら、それがここに入っていたのかも知れない」
と道節は言って、左肩を見せます。
 
「痣(あざ)になってる」
「そうなんだ。瘤(こぶ)は無くなったが、代わりに痣(あざ)が残った」
 
すると荘助は
「これを見てくれ」
と言って、着物の上半身をはだけ、道節に背中を見せます。
 
「お主、背中に痣があるのか」
「お主の肩の痣と形が似ていると思わないか」
「確かに」
 

それで荘助はこれまでのいきさつを語りました。
 
「ということは私はお前たちの仲間ということか」
「そうだと思う」
「しかし私は父・犬山道策の仇、扇谷定正を倒さなければならない」
「それは里見家の味方をすることと、目的が一致すると思う」
「確かにそうだ」
 
それで道節も他の犬士たちと当面行動を共にしてよいと同意するのです。ふたりは、義兄弟の契りを交わします。
 
荘助は自分たちを助けるために、姨雪世四郎と2人の息子が身を犠牲にしてくれたことも語りますが、それを隠れ聞いていた音音は、それではさっき訪ねてきた世四郎は幽霊だったのだろうかと思います。
 
荘助と道節は他の3犬士も近くまで来ているのではと考え、探しに出かけました。
 

やがて曳手と単節が戻って来ます。2人の男性の旅人を連れていました。曳手の話ではこういうことでした。
 
城下で何か事件があったらしく(道節が上杉定正を襲撃したから!)、多数の人が出ていたので思うように道を進めず、その内日も暮れてしまうので困ってしまった。するとそこにその男性2人が来てくれて、頑張って道を掻き分けてくれた。おかげで帰宅できたのだと言います。また2人の旅人はどうも怪我しているようだということでした。
 
音音は道節たちが他の犬士を連れて戻って来ると、客人がいるのは困ると思うのですが、怪我している旅人をむげに放り出す訳にもいきません。それで2人を休ませてあげます。
 
ところで日が暮れた後、真っ暗な中で連れてきたので気付かなかったのですが、灯りのある室内に来ると、2人が、力二郎と尺八郎なのでびっくりします。
 
「まあ、あんたたちったら、自分たちの夫に気付かないなんて」
と音音は呆れました。
 
曳手と単節も驚いています。
 
もっとも力二郎・尺八郎は曳手・単節と結婚した翌日に合戦に出て行き、その後、1度も帰宅していなかったので、曳手・単節が自分たちの夫を、真っ暗闇の中では認識できなかったのも、そう責められないかも知れないと音音は思いました。
 
「あんたたち、久しぶりだからさ、少し“休み”なよ」
と音音は言いました。曳手と単節が少し恥ずかしそうな顔をしましたが、結局、力二郎と曳手、尺八郎と単節は各々別の部屋に下がりました。
 
音音は自分も少し仮眠しました。
 

二時(にとき:4時間)ほど経った真夜中、5人は囲炉裏(いろり)そばに集まりました。
 
力二郎・尺八郎は音音に、自分達と父・世四郎のここしばらくの活動状況のことを語りました。自分たちが敵地に住んでいたのは諜報活動のためであったことを話したので、それで音音の世四郎に対する誤解も解けたのです。
 
ふたりは、世四郎が道節の仲間となる者を集めていたこと、そして信乃たちを見つけ、彼らなら道節と一緒に大願を果たしてくれるだろう思ったことを語りました。だから音音にも、信乃たちの力になってあげて欲しいと言いました。
 
力二郎と尺八郎の話はかなり長く、明け方近くまで掛かったのですが、彼らの話の中で、世四郎が戸田川の戦闘で亡くなったことを聞いた単節(美崎ジョナ)は驚きます。
 
「だって、お義父様は昨日戻ってこられたではないですか」
「きっとあれは幽霊だったんだよ」
と音音。
 
音音は昨日盗み聞いた荘助の話で、世四郎と力二郎と尺八郎が信乃たちの盾になってくれたことを聞いていたので、その時に世四郎は死んだものの、力二郎と尺八郎は九死に一生を得たのだろうと思ったのです。
 

「そんな・・・・」
と言ってから、単節は
「だったらお義父様が持って来た包みは何だっんだろう」
と言って、戸棚に置いている包みを取ろうとします。
 
するとなぜか力二郎と尺八郎(水谷姉妹)は
「だめだ。開けてはいけない」
と言うのです。
 
「あんたら何焦ってるの?」
と言って音音はその包みを開けてしまいます。
 
すると突然、力二郎と尺八郎の姿は陽炎(かげろう)のように揺らいだかと思うと、掻き消すように消えてしまいました。
 
「え!?」
と音音も曳手・単節も声に出して驚くのですが、音音が開いた包みの中にあったのは、見たこともない男の首2つでした。
 

そこに
 
「おーい。小屋で寝るのはいいけど、腹が減ったから飯でも食わせてよ」
と言って、世四郎が家の中に入ってくるので、仰天します。
 
音音たちは、今力二郎と尺八郎から世四郎が死んだと聞かされたばかりです。
 
音音が薙刀を取り出して
「この妖怪め、退散しろ!」
などと言うので、世四郎は
 
「ちょっと、妖怪はないだろう?そりゃ不義理してたのは悪いけどさ」
と言います。
 
そこで、さっきから出るに出られないまま話を聞いていた道節、そして荘助・信乃・小文吾・現八が出て来ます(深夜に戻って来ていた)。
 
「その首は俺が討ち取った、越杉遠安と竃門五行の首だ」
と道節は言います。
 
(越杉遠安は主君・練馬倍盛の首を取った者で、竃門五行は父・犬山道策の首を取った者で、各々偶然にも自分の仇であった。ただ道節はそもそもの張本人である扇谷定正を狙っている)
 
「ここにそれがあるということはもしかして」
と言って、自分が土間に置いた包みを開けます。
 
そこには、力二郎と尺八郎の首があったのでした。
 
曳手と単節が気絶しました。
 

2人を介抱して息を吹き返させ、彼女たちには少しお酒を飲ませてから、世四郎が説明しました。
 
戸田川での戦いで、息子たちが戦死した。自分もいづれ討たれるだろうと思ったが物凄い雷雨があり、川が増水して流される者もあり、役人たちは撤退した。自分も流されたが、泳ぎには自信があったし、何とか岸に泳ぎ着いた。息子たちの首が刑場に晒されているのを見て、闇に紛れて奪い取り、持って帰ったきたのだと。
 
つまり幽霊は世四郎ではなく、夜通し音音たちに話をしていた力二郎と尺八郎のほうだったのです(*20)
 

(*20) 現代ではこれと似た怪談がよく知られているが、ひょっとすると元ネタは八犬伝だったのかも知れない。
 
カップル2組(仮にA君とa子、B君とb子とする)で一緒にキャンプに行った。A君とB君が出かけている間、a子とb子はバンガローで留守番をしていた。
 
そこにA君が青い顔をして帰って来る。
「Bが崖から落ちて死んだ」
と言うので、b子がショックを受け泣き出す。
 
ところがそこにノックがある。
「どなたですか?」
「俺だ。Bだ。Aの奴が崖から落ちて死んだ。今救助隊の人と一緒に遺体を回収してきた所だ」
 
この時、バンガローの中に居たAが
「開けるな。きっと幽霊だ!」
と叫ぶ。
 
しかしb子はドアを開けた。
 
するとそこには怪我したふうのB君、そして救助隊の人たちが持つ担架に乗せられたA君の遺体があった。
 
そして振り向くと、バンガローの中にいたはずのA君の姿は無かった。
 
(b子は恐らく“シュレディンガーの箱”を開けてB君が生きている世界を選択したのだと思う)
 

様々な誤解も解けたことから、道節や曳手・単節らに勧められ、世四郎と音音はあらためて結婚式を挙げることにしました。
 
またここで道節は村雨丸を信乃に返しました。
 
「もし良かったら、犬飼(現八)様と、しの様で仲人(なこうど)をして頂けません?」
などと曳手が言います。
 
「仲人は夫婦でするものでは?」
「あれ?済みません。しの様って犬飼様の奥方ではなかったんでしたっけ?」
「違う違う。結婚などしていない(*21)」
と現八(白鳥リズム)が焦って言います。
 
「失礼しました!」
と曳手。
 
「だいたい私は男だし」
と信乃(アクア)。
 
「またご冗談を。女侍姿は、りりしくていらっしゃるけど、さすがに性別を間違えることはないですよ。それに“しの”って可愛い名前だし」
と単節。
 
信乃は困ったような顔をしたものの、小文吾は笑っていました。道節はまだ状況を把握していません!
 
結局、曳手・単節の姉妹が、隣に亡夫の力二郎と尺八郎の首を置き、それで一緒に仲人を務めて、世四郎と音音は三三九度をし、道節が嘆仏偈を唱えました。
 

(*21)例によって、ネットでは、リズムとアクアは結婚可能かという問題について議論が行われた!
 
大半の意見は結婚可能というものである。
 
「アクアは今年紅白に紅組から出ることからも分かるように間違い無く女」
「リズムも今年紅組から出るけど、性別の変更は20歳までできないから多分戸籍上はまだ男だと思う」
「だったら今なら結婚可能か?」
「アクアはもう戸籍は変更したの?」
 
「アクアが SEX:F と書かれたパスポートを持ってたという話は複数の証言がある」
「じゃもう変更したんだ?」
 
「法的にも性別変更が完了して女になったから、紅白も紅組から出るのかもね」
 

7月7日朝、役人3人が道節たちを捕らえようと家の中に飛び込んできましたが、世四郎・音音・道節に倒されました。
 
役人に目を付けられたことから、一同はどこかに退避した方がいいと話し合います。
 
しかしどこに行くかを話し合っている最中に、本格的な捕り方が大勢やってきます。巨田助友(坂出モナ *22)自身が軍勢を率いています。それて折角集まった犬士たちはまた逃走することになってしまったのでした。
 
(*22)巨田は“おおた”と読む。実は太田道灌(物語中では巨田道寛)の息子という設定である。太田道灌が定正に殺されたのは1486年でこの離散があった1478年の8年後。ここでは巨田助友は忍者か妖術使いという感じで、台本を読んだモナが面白ーいと言って喜んで演じていた。むろんこのシーンはボディダブルを2人使用して撮影し、編集したものである(一部は合成)。モナ(154cm)のボディダブルを務めたのは 153-154cmの宮地ライカと知多めぐみである。
 

家の中で世四郎と音音が闘っているので、信乃たちは軍勢の後方に回って攪乱しようとしました。
 
ところが軍勢を率いているはずの巨田助友(坂出モナ)が目の前に現れます。ふと後を振り向くと、後にも巨田助友が居ます。
 
「どうなってんだ?」
と混乱した現八が言っていると、第3の巨田助友が現れました。軍勢を率いている助友まで入れると4人です。
 
「何かの妖術だ。いったん引こう」
と現八が声を掛け、犬士たちはバラバラに逃げ出しました。
 
(荒芽山の離散)
 

犬士たちの中で小文吾(西宮ネオン)は曳手と単節を馬に乗せ、落馬しないようにしっかり縛りつけた上で、安全な所に移そうとしましたが、目の前にまたもや巨田助友(坂出モナ)が現れて、馬を弓矢で射ます。
 
それで馬は倒れて小文吾は投げ出されてしまいました。曳手と単節は縛りつけられていたおかげで無事です。馬がクッションになって衝撃も小さかったのです。
 
(この撃たれて倒れる馬は模型)
 
ところがそこに死んだはずの力二郎と尺八郎(水谷姉妹)が現れ、巨田助友を斬り倒します。2人は自分たちの妻を介抱します。
 
「大丈夫か?」
「はい」
と答えながらも2人は戸惑っています。
 
「小文吾殿は?」
「気を失っているが命に別状は無いようだ」
 
「曳手・単節、お前たちには頼みがある」
「はい」
「取り敢えず行こう」
 
「馬を2頭調達してきたぞ」
「よし」
 
それで、力二郎と尺八郎は自分たちの妻(大仙イリヤ・美崎ジョナ)を各々馬に乗せると、どこへともなく走り去っていったのでした。
 
(この場面の撮影のため、水谷姉妹は10月の第一週は熊谷のオープンセットには行かず、乗馬クラブで1週間乗馬のレッスンを受けた。小文吾役の西宮ネオンと大仙イリヤ・美崎ジョナの3人は8-9月にレッスンを受けている。水谷姉妹は忙しすぎて、9月まではレッスンに行く時間が無かった)
 

小文吾は意識を取り戻すと、曳手たちの行方を心配しながら、取り敢えず古那屋に向かおうとします(小文吾は妙真たちが安房に向かったことを知らない)。
 
そして武蔵の浅草寺の近く、阿佐谷(あさがや)まで来た時、向こうから猪が突進してくるので、小文吾はこの猪を素手で倒します。
 
(この猪はぬいぐるみにモーターを付けて動かしただけ)
 
そして少し先に男が倒れているのを見ます。どうも猪にぶつかってしまったようですが、介抱すると息を吹き返しました。男は鴎尻並四郎(夢島きらら)と言いました。彼は御礼を言い、良かったら一晩泊まっていってくださいと言います。
 
それで小文吾は並四郎の家に行ったのです。家には美人の奥さん・船虫(坂田由里・二役)が居て、彼を歓迎してくれました。
 

その夜、小文吾は自分を見詰める視線を感じ、そっと寝床を抜け出し、布団はあたかも人が寝ているような形にしておきました。すると男が入ってきて、自分が寝ていた布団にいきなり刀をずぶっと刺します。
 
小文吾はすかさずその男を斬り捨てました。
 
燈台(*23)を持って入ってくる者がいます。船虫です。
 
「首尾はどうだい?」
と声を掛けてから、立っているのが小文吾であることに気付いてギョッとした様子。そして船虫の持っていた灯りで、小文吾が斬り捨てたのが、並四郎であることも分かりました。小文吾は「なるほど。最初から追い剥ぎ目的で俺を泊めたな」と察しました。
 
(*23)燈台(とうだい)というのは、皿に油を入れ、糸や布を縒って作った燈心を浸して燈心に火をつけたもの。毛管現象で吸い上げられた油のみが燃えるので、燈心は燃えない。当時既に提灯(ちょうちん)は存在したが、中に入れる蝋燭(ろうそく)が極めて高価なもので、祭事などの時のみ使用された。また当時の提灯はまだ折りたためなかった。行灯(あんどん)は江戸時代頃に生まれたもので、この時期はまだ無い。
 
室町時代の燈台は、風除けの反射板が付いたもので、平安時代より消えにくく、また照度も明るくなっている。
 

船虫は言い訳します。
 
「お侍様、ありがとうございます。私はこの男に毎日のように暴力を振るわれていました。この男は本当に性悪男なんです。この男が死んでくれて、やっと私も解放されました。この御礼はどうしたらいいでしょう。そうだ。これをお持ちください」
と言って、船虫は戸棚の中から上等の絹に包まれた尺八を取り出します。そして小文吾が辞退するにもかかわらず、この尺八を小文吾に押しつけたのです。
 

船虫は並四郎の葬儀の手配をしてくると言って外出しますが、小文吾はその間に尺八を別の布に包んで元の戸棚に戻し、代わりに船虫が渡した袋の中には棒を1本入れておきました。
 
やがて船虫が戻って来たので小文吾は出発します。しかし少し行った所で大勢の捕り手が現れます。
 
「何でしょうか?」
と小文吾は冷静に尋ねます。
 
捕り手の頭は、千葉家の眼代・畑上高成(羽鳥セシル)と名乗ります。
 
そなたが所持している尺八は千葉家で以前盗まれた名笛・嵐山(らんざん)で、それを疑った鴎尻並四郎が殺されたと船虫から訴えがあった、と畑上は説明しました。
 
それに対して小文吾は冷静に昨日からのことを全て話しました。すると船虫は
 
「その人が持っている尺八を見れば分かります」
と言います。
 
「これですか?」
と言って、小文吾が包みを取り出しますが、その中に入っているのはただの棒です。
 
「それよりこの人の家を調べてみてはどうです」
と小文吾が言うので、畑上は船虫の家を調べます。すると戸棚から嵐山が出てくるので、船虫は畑上により捕縛されてしまいます。
 
(だいたい胡散臭い船虫の言葉より、武士の小文吾の言葉の方が一般的には信用されやすい!船虫たちは引っかけようとした相手が悪すぎたのである)
 

この話を聞いた領主、千葉介自胤(秋風コスモス)は小文吾を歓待し、小文吾はしばらく城で過ごすことになります、
 
しかし船虫は連行されていく途中を何者かにより奪われて行方不明になります(実際は馬加大記が配下の者に奪わせた:実は元々嵐山を船虫に盗ませたのが馬加だったので船虫が取り調べられるとまずい)。すると、馬加大記(花咲ロンド)は畑上を責め、彼は獄に繋がれてしまいました。更には小文吾は敵の間者かも知れないと領主に讒言し、小文吾まで軟禁されます。軟禁は最終的に1年ほどに及びました。
 
小文吾は親しくなった老僕の品七(城崎綾香:出産復帰後の初仕事!)から、馬加大記常武(まくわり・だいき・つねたけ)が出世した経緯を聞きます。
 
先代領主・千葉介実胤が弟の自胤に家督を譲ろうとした時、馬加はこの機会にライバルの粟飯原胤度と籠山逸東太を一掃しようと企んだ。手の者に命じて嵐山を実胤の倉庫から盗み出させ、粟飯原胤度(あいはら・たねのり)(広沢ラナ)に渡し、足利成氏殿に献上して来るように言う。また自胤は彼に名刀小笹・落葉をお土産にと渡した。彼が出発した翌日、馬加は自胤に讒言し、粟飯原は成氏と組んで千葉家の領地を奪い取るつもりだと言う。それで自胤は籠山逸東太(こみやま・いっとうだ)(花貝パール)に粟飯原を連れ戻すよう命じる。この時、馬加は粟飯原を斬るよう言った。籠山は粟飯原を斬ったが、嵐山・小笹・落葉は、並四郎と船虫が盗んでいた。それで籠山は笛と刀を回収できなかったことから逃亡してしまう。
 
馬加は粟飯原をすっかり謀反人ということにしてしまい、彼の妻子を皆殺しにした。ただ、粟飯原には調布(たつくり)という妾がいて“3年も前から妊娠中”だった。さすがにこれは妊娠ではなく、腫瘍か何かだろうということで、この女は見逃され、足柄の犬坂村に移った。ところがここで調布は女の子を産んだ。伝え聞いて仰天した馬加は探させたが、母娘ともに行方が知れなかった。
 

語り手:小文吾が軟禁されてから1年近くが経った翌年1479年5月。城下に女田楽(おんな・でんがく)の一座がやってきました。美人揃いという評判なので、馬加は彼女たちを城内に招き入れて演奏させます。
 
(ここで女田楽を演じているのは“1人”を除いて、ColdFly5のメンツである。彼女たちは昨年は雅楽器のお稽古を受けたが、今年は田楽の歌と踊りのお稽古を1ヶ月ほど受けた)
 
馬加はその中に美人の旦開野(あさけの)という娘がいたので、彼女たちに自分の邸にしばらく滞在し、今宵は宴に出るよう命じます。
 
小文吾もこの宴に招かれました。小文吾は宴に乗じて自分を殺すつもりではと考え、予備の脇差しを衣服の中に隠し持って馬加の邸に向かいました。
 
ここは隅田川(*24)の畔に建てられていて、臨江亭(りんこうてい)といい、眺望のために建てられた高楼は牛島の海岸を望めるので対牛楼(たいぎゅうろう)(*25)といいました。
 
(*24)この当時の隅田川というのは、利根川の河口付近の呼称であり、かなり大きな川である。
 
(*25)対牛楼は今回のセットで芳流閣と並ぶ目玉である。3000万円の予算で建築された。朱塗りの2階建ての楼閣。静岡県の富士山本宮浅間神社の楼閣や京都・平安神宮の白虎楼などを参考に、花ちゃんが大まかなデッサンを描き、播磨工務店の青池、花咲ロンド、ミューズセンターの大原主任の3人でコンピュータでシミュレーションしながら設計を行なった。
 
眺望を楽しむだけのものなので、面積はそう無いものの高さがある。上の階に行くには、ハシゴで登る仕様であり、階段は無い。
 
「階段が無いのならエレベータは?」
「君はマリー・アントワネットのような人だ」
「室町時代にエレベータがある訳無い」
 
などとビーナ・パール・愛心が会話していたが不正解!エレベータはアルキメデスがBC3世紀にも作っている。それ以前に存在したたかどうかは不明。(確認されている)日本最古のエレベータは水戸偕楽園の好文亭に江戸時代末期の天保13年に作られたものである。
 
但し昔は手動である!
 
動力で動くエレベータで日本最古は恐らく明治23年に東京浅草の凌雲閣に設置さたもの。偶然にも対牛楼の近くということになる。
 
むろん今回の対牛楼にエレベータは無い!
 
この楼閣は2階建てではあるが、眺望のための建物なので高さは10m近い。1階から展望階までのハシゴの高さは7m近く段数は25段もある。
 
(700cmでハシゴの角度を75度とすると 700÷sin(75)=725 | 725÷29=25)
 
当初馬加大記役にアサインされていた川崎ゆりこはこのハシゴを見て
 
「別の役になって良かった」
と言った。
 
若い子たちはみんな楽しそうに登り降りしていた。記念写真も撮って
「これインスタにあげていいですか?」
とか訊くので
「放送終了後なら」
と言っておいた。
 

語り手:この宴の席で小文吾は馬加常武の妻・戸牧(直江ヒカル)、娘の鈴子(古屋あらた:今回が初仕事!)、息子の鞍弥吾(直江アキラ)、更には側近の“四天王”渡部綱平・白井貞九・坂田金平太・卜部季六(演:長浜夢夜・鈴原さくら・立山きらめき・花園裕紀)を紹介されます。
 
(源頼光の四天王なら、渡辺綱、碓井貞光、坂田公時、卜部季武)
 
(この場面“きれいどころ”として宴に臨席しているのは Flower Sunshineのメンバー:桜井真理子・安原祥子・立花紀子・竹原比奈子・神谷祐子・山道秋乃・水端百代、である。桜井真理子は山下定包役、安原祥子は神余光弘役もしているが男役だったので、ここは女装で再登場である)
 
宴がかなり進んだ所で女田楽(おんな・でんがく)の一座が入ってきます。座長(米本愛心)が馬加大記に挨拶し、小文吾に挨拶してから、演奏を始めます。楽器はこのような構成になっています。
 
米本愛心:田楽笛(唄用)
花咲鈴美:篠笛(唄用)
木原扇歌:腰鼓
田倉友利恵:銅拍子(小型のシンバル)
栗原リア:びんざさら
 
この伴奏に合わせて旦開野(水森ビーナ)が歌いながら踊りますが美事です。
 
(ビーナは数年前のドラマで女田楽の役をしたことがあったので今回は簡単なお稽古できれいに演じることができた。なお、びんざさらというのは多数の板をつないだ楽器で、コキリコの“ささら”と同系の楽器。腰鼓は横にして首から紐で吊り、腰の位置で両手で叩く鼓)
 
この演奏もサウンドトラックに収録された。演奏したのは田楽の指導をして下さった方から習ったもので、古い時代からある楽曲ということであった。
 

語り手:旦開野たちが褒美をもらって退出します。小文吾もそれを機会に帰ろうとしますが、馬加はぜひ対牛楼からの眺めを見ていってくださいというのでそこに登ることにします。
 
この時、刀を持とうとしたら刀の紐に白銀の簪(かんざし)が引っかかっていました。近くに侍(はべ)っている女たちに
「誰のだろう?」
と尋ねると
「旦開野さんのじゃないかしら?きっと踊っている時に落ちたんですよ」
と言いました。
 
「だったら、あの者たちの部屋に届けてやってくれないか?女ばかりの所に男の私が行くこともできないし」
と小文吾が言うと、ひとりの侍女(立花紀子)が
「では私がお届けします」
と言って部屋を出て行きました。
 
そして小文吾(西宮ネオン)は馬加(花咲ロンド)と2人でハシゴを登って対牛楼の上に行きます。
 
すると対牛楼の上で馬加は「一緒に千葉介自胤(秋風コスモス)を殺(や)らないか」という相談を持ちかけてきました。むろん小文吾はそれを断りました。
 
(この場面、ロンドの目がマジなので、本当にコスモスに下剋上を狙ってないかと放送時には言われた)
 

小文吾が翌朝、顔を洗おうと縁側に出て手水鉢(ちょうずばち)を使おうとすると木の葉が1枚浮かんでいました。手に取ってみると裏に何やら文字が書かれています。
 
《分け入りし栞絶えたる麓路に流れも出でよ谷川の桃》
 
(山奥に分け入って、道しるべの栞も分からなくなってしまった。この谷川の桃よ、どうか麓への路に流れ出て、私を導いておくれ:つまり自分を導いて欲しいという女からの熱烈なラブレター)
 
(水に落としても文字が消えないということは、顔料を使用したことになる。黒色の顔料は煙煤(本当は烟炱と書く。烟は煙の異体字。炱は煤と同義)と言って、松などの木を燃やしてできた煤(すす)を使用したものが日本でも古代から使用されている。室町時代は中国から輸入された高品質の顔料も一部では使用されていた)
 

語り手:小文吾はこの歌を書いたのは、あの旦開野(あさけの)ではなかろうかという気がしました。
 
「それにしても女性的で美しい字だなあ」
と言って、ネオンは(ではなくて)小文吾は思わずその木の葉を胸に抱きしめました。
 
それを密かに見詰める目があることに、小文吾は気付きませんでした。
 
(つまり小文吾が気付かないほど自分の気配を殺しているということ)
 

それから10日ほど経った日、小文吾が甲夜の頃(20時頃)に少しうとうとしていたら、部屋の外で何か小さな音がします。ハッとして目を覚まし、傍の刀を取ったのですが、障子の向こうに人影があったのが「う」という声を残して倒れてしまいました。
 
小文吾は少し様子を伺ってから、そっと障子を開けます。すると馬加の四天王のひとり、卜部季六(花園裕紀)が倒れていました。死んでいるようです。そして首の後ろに白銀の簪(かんざし)が刺さっていました(撮影は人形使用)。
 
これは旦開野の物だと思います。きっと卜部が自分を殺しに来たのを旦開野が助けてくれたのだろう。
 

それよりも問題は卜部の遺体です。これをこのままにしておくと、きっと馬加は自分を卜部殺しの下手人として捕まえ処刑するだろう。となると、この遺体は隠すに限る、ということで、卜部の遺体を井戸の傍まで運んでいき(人形でないとあまり腕力の無いネオンにはとても運べない)、重しになりそうな石をたくさん服の中に入れると、簪(かんざし)は回収した上で井戸に放り込んでしまいました。
 
その時、庭で何か動くのに気付きます。
 
曲者(くせもの)か?と思い、無言で刀を抜いて斬りかかりますが、相手はさっと飛び退いて刀を交わすと
 
「犬田様、私です」
と女の声がします。
 
(小文吾の刀をかわしたのは物凄く腕が立つということ)
 
雲の間から差してくる灯りで、それが旦開野であることに、小文吾は気付きました。
 

旦開野は小文吾に、あなたのことが好きになったと言います。それであの木の葉の手紙も書いたのだと。しかし小文吾は彼女を、馬加が自分を女色で籠絡して仲間に引き込むための回し者ではないかと疑います。旦開野はそんなことを疑うのであればどうぞ私を殺してくださいと言います。それで小文吾は刀を抜き、振り上げるのですが、旦開野は目を瞑って静かに合掌しています。
 
(ここは万一小文吾が本当に斬ろうとしたら、その刀をかわす自信があるので、このような殊勝な真似をしている。旦開野の方が1枚も2枚も役者が上)
 
小文吾はここまでして逃げる様子を見せないということは、この女、本当に自分に惚れたのかも知れないと思い、刀を鞘に収めます。そして彼女に簪(かんざし)を返してから言います。
 
「そなたの思いは分かったが、私は囚われの身だ。いつまで命を長らえることができるとも知れない。そなたと添い遂げることは難しい」
 
「でしたら、私と一緒に脱出しましょうよ」
「それは無理だ。よしんばこの邸を脱出できたとしても、城の城門を突破することはできない」
 
「私たち一座はここ10日ほど城内に滞在していますが、城下に出て芸をするのに城門の通行証を発行してもらっています。仲間が増えたと言えば、新たな通行証をもう1枚くらい調達するのは可能です。それで私たちの一座に紛れて外に出ませんか」
 
「そなたたちの一座と言っても、私は男だから、女の格好をして女田楽に紛れるのは無理だ」
「あら、女田楽にも男の下働きとかもいますよ。もちろん女に化けたいなら、お化粧とか手伝いますが」
 
女に化けなくてもいいのなら、その手はあるかと小文吾も思います。
 
「しかしそれではあなたの一座に迷惑を掛けないか?それに見とがめられたら城門破りの罪人として処分されるだろう」
 
「といって、何もせずに居たら、今夜のようにまた刺客を送られたりして、あなたはますます危なくなりますよ」
 
小文吾は考えた。旦開野の言うことはもっともである。それに卜部を倒したことはどっちみちすぐにバレる。
 
「分かった。その話に乗ろう。ただ、私には果たさなければならない使命がある。それを果たした後でなら、そなたと夫婦(めおと)になってもいい」
 
「はい、お待ちします」
と言って、旦開野は小文吾に抱きつきました。女の香りを間近に感じて女性経験の無い小文吾はドキドキしました。
 
それで旦開野は邸の塀をひょいと乗り越えると去って行きました。小文吾は凄い身のこなしだと思って、彼女が去った方角を見ていました。
 
(なおビーナはこのシーン、一貫して女声で話している。結局、女声・男声の両方が使える人でないと毛野の役は務まらないので、ビーナが毛野を演じることになったのである。当初毛野役にアサインされていた舞音が「頑張ってボイトレに通って男声をマスターします」と言ったが、ゆりこは「舞音ちゃんが男の声で話してたら、ファンが1000万人減るからやめて」と言った)
 
(塀の上に飛び上がるのはトランポリンを使用している。ビーナが地面からジャンプするシーンときれいに編集でつないだ。昔の忍者物のドラマでよく使われたビデオの逆回しでは、髪の毛や服の布が上にたなびいてしまう)
 

(1479年)5月15日は、馬加常武の息子・鞍弥吾の誕生日だったので、馬加は城内外の様々な人を招いて、宴を開きました。宴はお昼頃から真夜中まで続きます。旦開野たち女田楽も歌や踊りを披露し、賑やかな宴が続きました。小文吾は宴には出席していませんが、旦開野が通行証を確保してくれたらすぐにも出る必要があると考え、旅支度をして待機していました。
 
宴に出席した人たちはだいたい子二刻(23:30)頃になると大半の客は帰りますが、酔い潰れてその辺で眠ってしまっている者も結構ありました。
 
四更の頃(午前2時頃)、人の声が聞こえたような気がしました。しかし騒ぎはすぐに収まったようです。何だったんだろうかと小文吾は思いました。酒に酔っての喧嘩だろうか。
 
それで様子を伺っていると血だらけの服を着た女がこちらに歩いてくるので驚きます。
 
「旦開野!?」
 
「小文吾様、通行証でございます」
と言って、旦開野は手形を小文吾に渡しましたが、彼女が左手に持っている物を見て仰天します。
 
それは馬加大記常武の首だったのです。
 

夕方まで時間を戻します。
 
旦開野はみんなが酒で酔い潰れている今夜こそが決行の時と考えました。女田楽の座長(米本愛心)に今夜本懐を遂げるつもりだと言うと、座長も
「死んだらいけないよ」
とだけ言ったので、涙を流して水杯を交わしました。旦開野は万一の場合に一座が巻き込まれないよう、退団届けを書き、座長に渡しました。
 
旦開野は多くの招待客が子二刻(23:30)頃には帰ってしまうので、その後、みんなが寝静まった丑二刻(1:30)頃、普通の(女物の)小袖に着替えて、対牛楼のハシゴを静かに登りました。
 
上の階で、馬加大記常武(花咲ロンド)がだらしなく着物の裾が少しはだけた状態で寝ています。隣に息子の鞍弥吾(直江アキラ)も寝ています。近くに四天王の(卜部以外の)3人、渡部綱平・白井貞九・坂田金平太が寝ています。渡部(長浜夢夜)が旦開野の入ってきた気配で目を覚ましますが、旦開野が笑顔で目配せしてから、馬加のそばに添い寝するようにすると、渡部も微笑んで目を瞑り向こうを向きました。艶事を見るのは野暮だと思ってくれたのでしょう。
 
渡部が目を瞑り向こうを向いたのを見た旦開野は、小袖の内側に隠し持っていた名刀・落葉をそっと取り出すと静かに振り上げ、馬加の首に思い切って振り下ろしました。一瞬で馬加の首は胴体から離れます。
 
(花咲ロンドのフィギュアを使用しているが、本人は「フィギュアでも自分の首が切られるのを見るのはあまり気持ち良くない」と言っていた)
 
たちまち四天王の3人が飛び起きます。息子の鞍弥吾も目を覚まします。渡部が素早く旦開野に斬りかかってきますが、これを一刀のもとに斬り伏せます。
 
鞍弥吾が無謀にも自分の刀を抜いて突きかかってくるので、子供を殺すのは気が咎めるものの、彼を生かしておくことは禍根を遺すことにもなります。身をかわしてから後ろから首を落としました。できるだけ苦しまない殺し方です。
 
白井貞九・坂田金平太が左右から旦開野に対峙しています。この時、何か異変があったかと、階下にいた馬加の妻・戸牧がハシゴを登ってきました。すると、女が入ってきたので、白井貞九(鈴原さくら)はてっきり、旦開野の仲間かと思い、速攻で斬ります。斬ってから馬加の妻だったことに気づき「あっ」と声を出しますが、もう遅い。斬られた戸牧は転落し、下にいた娘の鈴子(古屋あらた)に衝突。鈴子は潰されて圧死してしまいます。
 
(転落するのとぶつかるのはむろん人形だが、新人の古屋あらたは「わぁい!私の人形だ!」とはしゃいでいた)
 
旦開野は、白井が戸牧を斬ってしまい狼狽している隙を狙って斬り伏せます。そして残る坂田金平太(立山きらめき)と対峙しますが、彼が斬りかかってきた所を一瞬で身をかわし、カウンターで斬り倒しました。
 
これだけの人数を1本の刀で斬るのは、名刀・落葉だからこそできることです。この刀は粟飯原胤度が千葉介自胤から託された刀で、いったんは船虫に奪われたのですが、毛野はこれを取り戻しており(*26)、敵討ちを終えたら千葉介自胤に返却するつもりでいました。しかし馬加もまさか自分が奪わせた刀で斬られることになるとは夢にも思わなかったでしょう。
 
(*26)ここは原作と少し話の順序を入れ替えている。原作では、落葉は籠山逸東太から盗んだ船虫が売り飛ばしてしまい、それを小文吾!が買い、古那屋での出会いの時に刀を失って困っていた信乃に譲り、刑場破りの後、荘助に渡し、荘助は越後で没収され、馬加大記の甥・馬加郷武が入手し、郷武がこの刀で毛野の友人を試し斬りしたことに毛野が怒って郷武を斬り、結果的に毛野が落葉を入手した。
 
つまり毛野が落葉を入手したのは原作では対牛楼事件よりかなり先のことである。
 

旦開野は馬加の首を手に持つと対牛楼を降りて何事も無かったかのように小文吾の部屋まで歩いて来て、そこで小文吾に声を掛けられたのです。
 
小文吾は旦開野が馬加の首を持っているので仰天します。
 
「そなたそれはどうしたのだ?」
 
「小文吾様は、自胤様が当主になられた時に、馬加が籠山逸東太に粟飯原胤度を殺させた企みのことをご存じですか」
 
「うん。聞いている。」
 
「寛正六年(1465)11月、馬加大記の悪巧みにより、粟飯原胤度は籠山逸東太に斬られ、正妻の稲城、息子の夢之助、幼かった娘の玉枕まで殺されました。ただ1人妾の調布(たつくり)だけが、子を孕んでいるように見えるものの、3年前からその状態ということで、妊娠ではなく腫瘍なのだろうと言われて助けられました。しかし調布は12月、子供を産みました。その子供が私なのです」
 
「そうか、調布(たつくり)殿が女の子を産んで、馬加はその行方を捜したが見つけきれなかったとは聞いた。その娘がそなたであったか」
 
「私は本名は毛野と申します。犬坂村で生まれたので、犬坂毛野と名乗るよう母は言いました」
 
「そうだったのか。しかしよく見つけられなかったな」
 

「私と母はあちこち移動しておりましたから。女1人で子供を育てるのは大変だったと思いますが、母は鼓を打つのが上手いので、やがて女田楽の一座に入り、それで生計を立てながら私を育てたのです。それで私も物心ついた頃から女田楽を覚えました」
 
「それで母上は元気か?」
 
「私が13の年(*27)に亡くなりました。その時、母は私の出自について語ったのです。実は私は小さい頃から、剣の腕も鍛えさせられていました。女田楽でも剣は扱いますが、母は腕の立つ武士に頼んで、私に実戦で使える剣を覚えさせていたのです。自分は女なのに、なんでこういうことを覚えさせられるのだろうと思っていたのですが、追っ手が掛かったような場合に、剣の腕が無いとやられてしまうからだったと母は今際の際に言いました。でも私は母が亡くなり父や兄姉の無念を知った時、自分はいづれ父たちの仇を討とうと思いました。そして今回、とうとう馬加の近くまで寄ることができました」
 
「おお」
 
(*27)毛野が生まれたのは寛正六年(1465)12月と言っているので13の年は1477年。現在は1479年5月なので、毛野は現在15歳ということになる。満年齢で言うと13歳半である。
 

「私がここに来て以来、馬加は私を口説こうとしていましたが、もちろんお断りしていました。今夜は宴で馬加も側近もかなり酔っておりました。それであたかも夜伽をするかのようなふりをして側近たちを油断させて馬加に近づき、隠していた刀でついに馬加を討ち果たしました。四天王の3人が襲ってきましたが、3人とも倒しました」
 
「そうであったか。しかしよく女の身で親の仇をあげたものだ。あっぱれだ。四天王は結構腕が立つのに」
 
と小文吾は言いますが、この子が卜部も簪一本で倒していたことを思い出しました。なんて凄い娘だろう。自分の妻にふさわしい女だと、小文吾はあらためて毛野のことを好きになったのです。しかし毛野は
 
「あ、いえ、私は・・・・」
と困ったような顔をします。自分が女ではないことを言わなければとは思うものの、何から説明していいか分かりません。
 
「小文吾様、取り敢えず脱出しましょう」
と毛野は言います。性別のことは後からゆっくり説明した方がいいと判断したのです。
 
「そうしよう。そなたの一座の他の者たちは?」
 
「私は早めに逃げた方がいいと言ったのですが、慌てて逃げ出したら一味と思われる。それより明日ゆっくりと退出すると座長がおっしゃるのでお任せしました。私は対牛楼にいた全員を斬ったので、あとで気付いた人が見ても誰が斬ったのかはきっと分かりません」
 
(結果的にこの夜姿を消した小文吾に疑いが掛かるのだが、そこまでさすがの毛野もこの時は思い至ってなかった。対外的には馬加は病死と発表される)
 
「それは凄い。しかし長居は無用だ。脱出しよう。しかしそなたの服は血だらけで目立つ。男物でもよければこれに着替えなさい」
 
「お借りします」
 
それで小文吾が後を向いている間に毛野は服を着替えました。
 

小文吾は毛野が着替えている間、庭の方を向いていたのですが
「そろそろ着替え終わったか?」
と言って、振り向くと毛野はまだ着替えている最中だったようで、
「きゃっ」
と言って、胸をこれから着ようとしていた服で隠します。
 
(ビーナのあられもない格好)
 
「すまん」
と小文吾は声を出したのですが、彼の視線は毛野の腕に釘付けになります。
 
「おぬし」
と声をあげて、毛野のそばに寄り、彼女の左腕を取りました。
 
「この痣(あざ)はいつからある?」
と訊きます。
 
「生まれた時からあったそうです。女の子なのに可哀想にと言われましたが、あまり目立たない所で良かったねとも言われました」
と毛野が答えます。
 
「ちょっとこれを見てくれ」
と言って、小文吾がいきなり自分の着物の裾をはだけ、ふんどしを解くので、毛野は
 
「小文吾様。言い交わした仲なれば、ただちに小文吾様のものになるのはやぶさかではありませんが、今は早く逃げた方がよいかと」
と冷静に言います。
 
(あくまで慌てないのが毛野。最悪はスマタで逝かせようと思っている。この人、女性経験無さそうだし多分気付かないなどと考えている。毛野の頭の中は小文吾の10倍の速度で回っている)
 
「いや、違うのだ。これを見てくれ」
と言って、小文吾は自分の尻を毛野に見せました。
 
ここでネオンはほんとに下半身裸になりお尻を見せている。お股に付いているものにはモザイク!がかかっている:ビーナは実はネオンの男性器を見てしまってドキドキしている。男の人のって、本当はこんなに大きいの?ボクのとは全然違うじゃん、などと思っている(*28)。しかしこのドキドキしている感じの表情がいいと言われた。
 
なおこのシーンは男性のネオンが小文吾を演じることになって、挿入された。原作では毛野が犬士であることが分かるのは越後編のあとの諏訪編。
 
(*28)ビーナは実はここまで他人の男性器を見たことがなかった。小学校の修学旅行では個室にお風呂が付いていて大浴場には入っていない。中学の修学旅行は“仕事”(「サーファーの夏」!での詩恩の吹き替え)で参加していない(あまり参加したくなかったので渡りに舟だった)。父は家の中で男性器をぶらぶらさせて歩くようなことはしなかった。
 

「痣(あざ)が・・・」
と毛野が声をあげます。
 
「着替えを中断して済まなかった。着替えを続けてくれ」
と言って、小文吾は再度庭を向き、褌をつけ始めます。
 
※痣の位置まとめ
 
信乃 左腕
毛野 右肘
道節 左肩
大角 左胸
親兵衛 脇腹
荘助 背中
現八 右頬
小文吾 尻
 
むろん元々の八房の黒いぶちがこの位置にあるのである。舞音が着る着ぐるみはちゃんとその位置にぶちが入っている。
 
(親兵衛の“脇腹”が右か左かについては原作にも記述が無いが、このドラマでは右脇腹ということにした。大角が左胸なので、左脇腹だと接近しすぎる)
 

「あのぉ、私は腰巻きを取った方がよいのでしょうか?それとも」
と毛野が訊きます。
 
「小袖を着てくれ」
と小文吾は焦ったように答えます。
 
「分かりました」
 
と言って、毛野は(小文吾の着替えの男性用の)小袖を身につけます。その間に小文吾は褌を締め直します。
 
「毛野、そなたもしやタマを持っていないか?」
「私は女ですので、タマはありません」
「いや、その玉ではなくこのようなものだ」
と言って、小文吾は自分が持つ“悌”の珠を後ろ向きに毛野に見せます」
 
「あら、それなら似たものを」
と言って、着替え終わった毛野は自分がいつも首からさげている守り袋に入れた珠を取り出して小文吾に見せました。“智”の文字が描かれています。
 
「実は母が亡くなった時、母の身体から飛び出してきたのです。それで母といつも一緒に居る気持ちになれるよう、身につけています」
と毛野が言います。
 
「身体から?身体のどこから?」
「女にだけある場所なのですが」
 
「すまん!」
と言って小文吾が真っ赤になるので、この人ほんとに女性経験が無いみたいと毛野は思うのでした。
 
「しかしだったらそなたは我々の仲間でもあったのか」
「仲間?」
「詳しいことは道々話す。しかし我々の仲間に女子(おなご)もいたとは。しかしそなたは女子にしておくのが惜しいほどの武勇の者だ、我々の仲間にふさわしい」
 
「あのぉ、私、男になった方がいいですか。必要なら頑張って男になれるよう努力しますが」
 
実は毛野は生まれて以来、ずっと女として生きてきたので、男に戻る(というより男になる)自信が無い!
 
「努力して男になれるものなのか?いや、女にしておくのはもったいないが、そなたが男になってしまったら、我々は夫婦(めおと)になれない」
「そうですね」
 
毛野は自分が本当の女だったらこの人の妻になってもいいような気もしてきました。
 

ともかくも脱出することにします。
 
血で汚れた服は井戸の中に放り込みます。そして2人はまだ事件に気付いていない城内を平然として歩き、通行証を使って城門の外に出ました。そして毛野が逃亡用に用意していた舟で城から離れようとします。小文吾が毛野を舟に乗せ、自分も乗ろうとしたのですが・・・
 
ここで舟が勝手に動き出してしまいました。おそらく舟を留めていた綱が緩んでいたので毛野の体重で離れてしまったのでしょう。
 
「毛野ぉ〜!」
「小文吾様ぁ!」
 
ふたりは呼び合いますが、隅田川は大きな川で流れも速いので、小文吾が走っても舟に追いつくことはできませんでした。
 

小文吾が追いかけ疲れて座り込んでしまった時、川の方から声がします。見ると、古那屋の宿屋で働いていた依介(山口暢香)でした。
 
小文吾は彼の舟に乗せてもらうと、自分の許嫁1人だけ乗った舟が流されていってしまったと言います。それは大変だと依介は速度を上げて川を下っていったのですが、毛野の乗る舟を見つけることはできませんでした。やがて江戸湾に出てしまいます。
 
「女だてらに剣術とかもできる人ですか?それは凄い。でもそういう人ならきっと何とかどこかの岸に舟をつけてますよ」
と依介は言いました。
 
小文吾もそれを信じるしかないと思いました。仕方なく、依介と一緒に、いったん古那屋に戻ることにしました。
 

依介は小文吾に、小文吾の父・古那屋文五兵衛が病に倒れ、今年2月に亡くなったことを語りました。
 
「なんと。そうであったか」
 
宿は小文吾が居ないので、文五兵衛の遺言により、依介が後を継ぎ、妻の水澪(水野雪恵)と一緒に経営しているということでした。小文吾は依介をよく知っているので、それを追認しました。
 
「それと房八さんが亡くなったんですよ」
「どうした?喧嘩でもしたのか?」
 
と房八の性格を知っている小文吾は言いますが、依介から彼の最期の様子を聞くと
「あっぱれな奴だ」
と涙を流して語りました。
 
また親兵衛が神隠しにあったこと、妙真や沼藺は安房に居ることも聞きました。
 
「それはまさに神隠しだと思う。おそらく親兵衛は無事だよ」
「私もそんな気がしています」
 
小文吾は古那屋に戻って一晩泊めてもらうと、翌日は父・文五兵衛と義弟・房八の墓に参りました。また妙真・沼藺への手紙を書きました。
 
彼は、曳手・単節の行方も気になりましたが、とりあえず毛野の行方を捜すことにします。それで、手がかりを求めて、毛野が育った鎌倉に行ってみることにしました。
 
(その後、越後に行き、馬加大記殺しの犯人として捕まってしまう!越後の領主・長尾景春の姉妹が実は千葉自胤の妻だったためである。この件は後でナレーション!で語られる)
 

さて、荒芽山の離散(1478.7)の後、犬飼現八は小文吾は古那屋に戻ってないだろうかと思い、訪ねていってみるものの、文五兵衛から、小文吾はまだ戻っておらず、妙真や沼藺たちは安房にしばらく滞在しているという話を聞きます。また親兵衛の神隠しのことも聞き、彼の行方を心配しました。
 
現八は房八の墓参りをし、沼藺に手紙を書いてから、京都に行きました。そしてそこで2年ほど過ごしました。
 
文明12年(1480)8月、ずっと京都に居るわけにもいかないと思い、関東に戻って仲間を再度探すことにしました。
 
そして9月7日、下野国足尾(原作では“網苧”と書く)の庚申山まで来た時のこと、彼は夕方、夫婦(鈴鹿あまめ・知多めぐみ)がやっている茶店で休憩します。
 
「お武家様、どちらへ向かわれますので?」
「庚申山を越えて鹿沼方面へ出ようと思っている」
 
「この時間から庚申山をお越えになるんですか?おやめになった方がいいです。厩橋(現在の前橋)方面から回り込まれるか、せめてここにお泊まりになって明日になさいませんか」
 
と茶店の主人・鵙平(もずへい)は言います。奥さんの雀女(すずめ)も
「宿代は取りませんから、どうかお泊まりになって下さい。本当に危険です」
と言います。
 
「庚申山に何があるというのだ?」
と現八が尋ねますと、鵙平はこのような話をしました。
 

今から17年前の寛正5年(1464)、この地の郷士・赤岩一角(品川ありさ)は武芸に秀でて多数の門人たちもいた。彼は誰も恐れて入らない、庚申山の奥の院を見極めてくると言って出かけていった。しかし彼がその日戻ってこないので、翌日明るくなってから人が出て捜索をする。すると一角が自分で歩いてみんなの前に姿を現した。谷底に落ちて右手を怪我したが、何とか這い上がってきたと言う。それでみんな無事を喜んだが、その後、一角は、すっかり人が変わったようであった。
 
一角は結局右手の怪我が酷く、道場では師範を辞め、怪しげな師範代が入ったが門弟たちはほとんどが、やめてしまった。
 
一角は間もなく窓井という後妻を娶り、翌年牙二郎という息子が生まれた。すると一角は彼だけを愛し、前妻の正香が産んだ長男・角太郎(常滑舞音:二役)は疎むようになった。それで見かねた正香の兄・犬村蟹守(木取道雄)が彼を引き取り養子にした。牙二郎を産んだ窓井は間もなく亡くなった。一角は多数の後妻を娶ったが、みんな病になって早死にしたり、あるいは逃げて行った。
 
ところが一昨年(1478)の秋に武蔵の方から流れて来た船虫(坂田由里)という女はその後2年ほど経つが元気で、赤岩の後妻として定着している。
 
犬村蟹守夫妻は3年前に相次いで亡くなったが、亡くなる直前に、角太郎は犬村の娘・雛衣(ひなぎぬ)(木下宏紀)と結婚した。しかし船虫は稲村家の財産を狙っているようで、雛衣にあれこれ難癖を付けて角太郎と離婚させようとしている。(雛衣が子供を産むと犬村家の財産はこちらに来ない)
 

茶店の夫婦が強く一泊するよう勧めるものの、現八は「先を急ぐので」と言って出発します。しかし胸騒ぎを感じたので、鵙平から弓矢を買ってから出ました。
 
 
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【八犬伝】(2)