【夏の日の想い出・超多忙年の夏】(1)

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※この物語は当初「夏の日の想い出」の最終回として2011年9月8日に書いたものですが、その後、あらためて続編を書いていく内にそこでの展開と矛盾するようになり、2012年11月11日に大改訂を行いました。しかしその後書いた話と更に合わなくなってしまったため、2017年12月26日に半ば書き直しになる大改訂を行いました。約200行の削除をして約400行の追加をしています。
 

2018年、政子とふたりでボーカルユニット「ローズ+リリー」および作曲ペア「マリ&ケイ」として活躍中の私は春先から超多忙状態にあった。
 
私が以前所属していた「ローズクォーツ」は、その年春に全国20ヶ所のホールツアーを敢行していたが、私はそちらには基本的に関わっていない。私は未だにローズクォーツのメンバーということにはなっているものの、実際には2014年3月のアルバム『Rose Quarts Plays Sakura』を持って事実上卒業し、その後はローズ+リリーの方の専任になっている。
 
私はローズクォーツでは「名誉ボーカル」という扱いになり、実際のボーカルは1年単位で「代理ボーカル」を迎えていた。
 
2013.8(1日だけ) 鈴鹿美里 (Rose Quarts SM)
2013.8-2014.3 覆面の魔女(Sirena Sonica) (Rose Quarts FM)
2014.4-2015.3 Ozma Dream (Rose Quarts OM)
2015.4-2016.3 ミルクチョコレート (Rose Quarts CM)
2016.4-2017.3 アンミル (Rose Quarts AM)
2017.4-2018.3 メグとノン (Rose Quarts NM)
2018.3-2019.4 透明姉妹 (Rose Quarts TM)
 
ローズ+リリーは結局、大学2年(2011年)の秋に出した2つのシングルを契機に活動再開し、2012年4月14日の沖縄シークレットライブでマリは 1218日ぶりにステージに帰って来た。2012年はごく少数のライブをしただけであったが、2013年には年6回(政子的数え方)のライブをし、この秋にとうとう政子の父が活動解禁を認めてくれたことから2014年以降はローズ+リリーが完全に復活した。
 
その他、私はこの頃、けっこうな数の歌手やバンドに曲を提供していた。一時期はかなり凄い数の歌手に楽曲提供をしていたものの、数人の友人の助言から、アーティストを絞らせてもらい、現在常時提供しているのは私のもうひとつのホームグラウンドであるKARIONのほか、貝瀬日南とアクアのみである。それでも私は単発で色々と頼まれて、年間合計80曲くらいの曲を書いていた。
 
「お疲れ様、足揉んであげようか?」と政子に言われて私は「お願い」と頼んだ。政子はマッサージが巧かったが、ちょっと問題もあった。政子のマッサージはしばしば変な所まで指が行くことも多かったのである。
 
「そこは、いいって」
「遠慮しない。気持ち良くなるまで揉んであげるよ」
「もう・・・」
「冬も私のに触っていいよ」
「やめとく。よけい疲れそうだし。マーサ、結局亮平さんとはその後、どうなっている訳?」
「どうもなってないよ。言った通り去年の秋に別れたし」
「Nさんとその後は?」
「全く会ってない」
「ふーん」
 
どうも政子の恋愛模様もよく分からない所がある。実際問題として政子は亮平さんとは結構電話で話しているのである。
 

さて、その春の私を超多忙状態にしてくれたのが上島先生のトラブルだった。上島先生が名義貸しをしていた土地取引が違法なものであったことが発覚し、上島先生は膨大な重加算税を税務当局から課されたのみならず、そのことが元で様々な契約を解除されたり、それに伴い、損害賠償訴訟でまた凄まじい額のお金を請求されることになった。そして不祥事の責任を取って上島先生は無期限の音楽活動の謹慎をすることになったのである。
 
「まあ、そういう訳で上島君は今事実上の破産状態なんだよ」
と、内密の話があるからといわれて横浜市郊外の料亭で★★レコードの町添専務と秘密の会談を持った私は冒頭言われた。
 
「私もお電話したのですが、心配掛けて済まないとばかりおっしゃってて」
「一応、表向きには無期限の謹慎ということにしているけど、1年後に謹慎を解除することで、うちの社長や、∞∞プロの鈴木さんやζζプロの兼岩さん、上島ファミリーの世話人格になっている◇◇テレビの響原取締役などとは意見が一致している。このことは君には必要があって話すんだけど、絶対口外しないで欲しい」
 
「分かりました」
 
「それで実は上島ファミリーの歌手たちに提供する曲で困っているのだよ」
「ああ」
「上島君は、とんでもない多作だったからね。ホントにどうしようと思っている」
 
「話が見えてきました」
「うん。まあ、それで君にこういう話をしている訳で」
「私が、上島先生が1年後に復帰してくださるまで、上島ファミリーに楽曲を提供すればいいんですね」
 
「さすがに全部は無理だと思う。それで多数の作曲家さんに頼むつもりだけど、上島君と交流のあるクリエイターの中でいちばん多作なのが君たちだから、どうしても君たちに頼りたくなる」
「分かりました。先生には恩がありますし、できるだけやってみます。おそらく200曲くらいは頑張れると思います」
 
「ほんとに?それは助かる。近い内に作曲さんたちを集めて会議を開くつもりだけど、他の人でどのくらい数字が集まるかは見えないんだよ」
と町添さんは厳しい顔で言った。
 

実際の作曲者会議は、上島先生が多数のレコード会社にまたがる形で活動していたこともあり、◇◇テレビの響原部長が呼びかける形で開かれた。
 
そこには日本のポップス界を代表するような作曲家・シンガーソングライターが集まっていた。現在日本で一番稼いでいる作詞家といわれる月村山斗さん、多作ということでは上島先生の次に凄かった東郷誠一先生、ネットでは最も良質の作曲家と認定されている後藤正俊さん、同じくネット民の評価が高い田中晶星さん、雨宮グループの管理人・新島鈴世さん、妊娠休業中のはずのElise、こういう場に顔を出すのは珍しい夏風ロビン(桜島法子)や秋風メロディー(上野美由貴)、香住零子、それに松居夜詩子さん、山本大左先生、蔵田さん、などの中堅作家。
 
そして千里も来ていて新島さんの隣に座っていたが、銀色の結婚指輪を左手薬指に付けていたので《川島さんと結婚した千里》だなと私は判断した。
 
会議の冒頭響原部長は昨年度1年間で上島先生が950曲も書いていたことを説明し、何とかここにいるメンバーでその代替をお願いできないかと言っていた。ただこの機会に引退させる歌手があるのでどうしても必要な曲は700曲。ただしその内の200曲は代替の目処が付いていると言っていた。
 
その200曲って、きっと私が先日町添さんに言った曲数だ!
 

上島先生の代わりに曲を書き始めて、私は多い日は1日3〜4曲、平均しても週に8曲以上のペースで、ひたすら曲を書いた。
 
私が凄いペースが曲を書き始めて少しして、須藤さんがマキと一緒にマンションを訪問した。
 
「冬、大量に曲を書いているんだって?」
「ええ。上島先生の代理なんですよ」
と私が言うと
 
「上島さんに何かあったんだっけ?」
などと須藤さんは言っている。
 
「へ?」
 
どうも須藤さんもマキさんも上島先生のトラブルを知らないようである!
 
「でも★★レコードの社長からその話を聞いてさ、それで社長は心配していたのよ」
「はい?」
「そんなハイペースで曲を書いていたら、うっかり過去に発表した曲とか、誰か他の作曲者が書いたのと似た曲ができたりしないかって」
 
「はあ」
「だから、私とマキでチェックしてあげるよ」
 
それ、迷惑なんですけど〜!?
 
須藤さんは、他のローズクォーツのメンバーにも呼びかけ、更にFM局の元DJ島原コズエさんまで雇って、このチェック作業を始めてしまった。
 
「これ、先月書いた『※※※』とモチーフが似てる」
「それ、どんなんだっけ?」
というと須藤さんは私の作品集のファイルをパソコンで開き譜面を見せてくれる。
「あちゃあ、この曲はきれいに忘れてた」
「まあ、このペースで書いてたら、書いたらすぐ忘れちゃうこともあるだろうけど、気をつけようね」
「うん」
 
「上島先生はそのあたり、どうしてチェックしてたんだろう」
「ノーチェックだったと思う。メジャーな曲ではさすがにそういうの無いけどアルバム収録曲の中には、これ他の歌手のアルバムにあった曲と似てるぞ、と思うもの時々あったもん」
「そっか。。。。やはり大量に書いてたらそういうの出てくるか」
「まあ、自分が書いた曲と似てるのは誰も文句言わないんだけどね。怖いのは他人の作品との類似だよ。冬は今までそういうの1度も無かったけど、何か秘訣があるの?」
「うーんとね。他の人の作品をうっかり真似してしまったような場合は、違和感がある。自分の『波長』じゃないと思うの」
「なるほどね」
 

しかし彼女たちが「類似チェック」を始めてしまってから、私が書いた作品のほとんどが彼女たちによって「アウト」にされてしまうようになった!そんな過去の作品と似てない作品なんて、作るの物理的に不可能だよぉ、だって音ってドレミファソラシの7つしか無いんだから・・・
 
と思っていたら半月もした頃から、彼女たちのチェックに引っかかる作品が激減した。
 
チェックされて「アウト」にされた作品を見ると、過去の有名なヒット曲にフレーズが似ているようなものばかりで、自分でも「ああ、これはマズった」と思うようなものばかりになる。
 
何があったか知らないけど、助かったぁ!と思って私は作品を書き続けた。須藤さんは
 
「最近はちゃんと自己チェックできているみたいね。過去の作品と似たものは全然発生してないよ」
 
と言っていたが、おそらく須藤さんが使っているプログラムのバグか、データベースが壊れたかじゃないかという気がした。試しに過去にパラゴンズに提供して全然ヒットしなかった曲を少し手直しして新たなタイトルで出してみたら、全くひっかからなかった!
 
しかしお陰で私はすいすい書けるようになったし、過去に自分が書いた曲であまり売れなかった曲は歌詞ごと、どんどん再利用してタイトルだけ新しいのに変えて提供した。その中にはヒットしてしまったものもあり、私は驚いた!
 

私がこの時期大量の曲を書き続けることができた背景には作詞担当である政子がまた大量の詩を書いてくれたこともあった。政子は1回美味しい御飯を食べる度に詩が書けるなんて言っていた。そんなことしてたら政子の体重がちょっと心配だが?
 

この年、私は正望が7年前に買ってくれていたエンゲージリングをついに受け取った。7年前の指輪はサイズを修正することなく、私の左手薬指にきれいに納まった。
「これでフィアンセになるけど、結婚自体はもう少し先にしてもらっていい?」
と私が言うと正望も
「うん。今年は特に忙しいもんね。こちらもとても今は結婚とか考えられない」
と言った。この年、正望の方も大きな訴訟の弁護団に参加して、凄まじく忙しかったのである。そのため私たちは婚約はしたものの、実際にはほとんど会っていない。
 
「えー?あんたたちすぐ結婚する訳じゃないの?」
と正望のお母さんからも、自分の母からも言われた。
「婚約するというから、式場の予約しなきゃと思ったのに」
 
「だって忙しいんだもん。とても結婚して甘い生活とかできない」
と私。
「ごめーん。たぶん結婚するのは数年後」
と正望。
「あんたたちには呆れるよ。まあ私の目が黒い内に結婚してよね」
 
「だけど今回の訴訟に勝てたら、フーコから貸してもらったお金、一気に返せるかも」
などと正望はふたりだけの時に言っていた。
 
「そんなの気にしないで。私たちの間で水くさいよ。それより無理しないでね」
と私は言う。
 

学生時代に大学や法科大学院と並行して法曹関係の予備校に通う費用や、司法修習生をしていた時期の生活・研究資金・就職活動資金は私が提供していた。正望は学部時代、お金が無いから予備校にまでは行けないと言っていたのだが、
 
「“使える”弁護士になるにはダブルスクールして予備校で実務能力を徹底的に鍛えるべきだよ、弁護士にはなれたけど裁判で全然勝てないというのでは話にならないよ」
と私が説得して、それまでしていたバイトも辞めて、予備校に行くようになったのである。
 
「バイトしている時間があったらコンメンタールでも読んでた方がいい」
と私は言った。
 
「いや。全くそうなんだけどね」
 
と彼は言っていた。しかし彼が予備校に行くようになったことで、学生時代、私たちはますます会えなくなったのではあったが。
 

ただ私は正望とずっと恋人であり続けられたひとつの要因は「なかなか会えない状態が継続していたこと」ではないかという気もしていた。なかなか会えないから会えた時はお互いに凄く燃える。その記憶が恋のエネルギーになっていた。実際、私は正望と会えた直後にしばしば良質の曲を書いていた。KARIONで出した『アメノウズメ』など実は正望とのセックス中!に書いた曲である。
 
また彼も自分の限界を感じたり、全てを投げ出したい気分になった時に私に電話して話をすると、またやる気が出てくると言っていた。
 
さて、私が正望と婚約した後、プライベートな外出の際に左手薬指のリングを付けたまま出かけていくので、芸能関係の記者の目にとまり、騒がれた。私は記者会見をして、長年の恋人と婚約をしたが、お互いの仕事が多忙なため、結婚はいつになるか分からないと述べた。むろん私は指輪を受け取る時、ちゃんと事前に○○プロや★★レコードにも言っておいた。
 

そういう慌ただしい日々を送っていた7月のある日、私は芸能ニュースに政子に関するスクープが載っているのを見て、ぶっ飛んだ。
「ローズ+リリーのマリ、妊娠発覚!出産予定は3月」
というものだった。
 
政子が滞在先の仙台で体調を崩したのがきっかけで妊娠中であることが記者の知るところとなったようで、本人が確かに妊娠中で予定日は3月であることを明かしたというものであった。政子はローズ+リリーのキャンペーンで仙台を訪れていた。普段は私も一緒に行くのだが、今回はとにかく作曲作業が大変すぎて行けなかったので、政子1人で行っていたのであった。
 
記事の中で、政子は父親について昨年一度交際中と噂された俳優Nではないとも言ったと書かれていた。私はすぐに仙台にいる政子に電話を入れた。
 
「御免、御免。冬には今度ゆっくり会えた時にちゃんと話すつもりだったんだけど」
「確かにここのところ、私忙殺されてたもんなあ」
 
「氷川さんからも叱られたよ。記者に言う前にせめて自分には言ってって」
「いつ、妊娠分かったの?」
「そのあたり微妙な問題があるから、そちらに戻ってから話す」
「相手の人とは結婚するの?」
「しない、とだけ今は言っておく。その件も冬には話すから」
「分かった。無理しないでね」
「とりあえず明日・明後日の予定はキャンセルになった。後で冬にフォローしてもらうことになると思う」
「うん。こちらも週末には急ぎの分の作曲が終わるから、それから行くことになるんじゃないかな」
 

結局、私は作曲作業が一段落した所で、すぐに政子が行く予定だった東北方面でのキャンペーンに出かけることになった。しかし政子とは入れ替わりになり、その週は会えずじまいになった。
 
氷川さんは帰京した政子と話して、本人が相手の人と結婚しないまま出産する意志が固いということが判明したため、森元課長とも話した上で、★★レコードとしては、このことについては何も言わないことになったと伝えてくれた。また、個人的にはマリちゃんを支援していきたいからと言ってくれた。
 
それで結局、私は風花・鱒渕・近藤さん・七星さん・氷川さん・森元課長に○○プロの丸花社長も加えたメンバーで話し合い、マリの出産前後半年、合計1年間を産休期間とすることを決めた。その期間は本人の負担にならない範囲で音源制作はするものの、コンサートなどは休止になる。
 
「まあ、来年の春まではケイさんも作曲のほうで忙しいし、ちょうどいいかも知れませんね」
と氷川さんは言っていた。
 
「でもマリさんも頑固ですね。何かあった時に対処しないといけないから、私にだけは相手の男性は誰か教えて下さいと言うのに、どうしても教えられないって頑張るんですよ。ケイさんにだけは言うと言ってましたから、何か問題が起きたりした時は、相談にのってあげてくださいね」
 
「ええ、もちろんです」
 
しかし政子が結婚しないまま出産することを決めたというのが報道されると、ネットでの反応は擁護派の方が多数であった。特に若い世代の女性からは「かっこいー」などという意見がかなり出ていた。
 

妊娠休養中に政子の作詞ペースが落ちないだろうかというのを周囲は少し心配していたようだが、実際には逆に生産量が増えたし、品質も高くなった。私の作曲の方が追いつかないくらいであった。
 
「なんかお腹の子が手伝ってくれてる感じで」
と政子は言っていた。(後から思えば本当に手伝ってくれてたという気もする)
 
妊娠発覚のため予定をキャンセルした政子の代わりにキャンペーンに行った先で、私は政子の妊娠に関しても随分尋ねられたが、相手が誰かというのは、本人が発表するつもりが無いと言っているので、とだけ答えた。世間では発表できないということは不倫なのではという噂が飛びかっていた。上島先生の名前も相手の候補としてあげているメディアがあったが、政子はレコード会社にも了承を取った上で、報道各社に直筆のFAXを送り、その噂を明確に否定した。なお、俳優のNさんとは本当に何も無かったので、父親ではないことも改めて明言した。
 
東北方面のキャンペーンに行っている間に、私は政子のお母さんからも電話をもらった。落ち着いている(というより開き直っている)感じの政子に比べて、お母さんの方はおろおろしているようであった。
 
「冬子さんは父親が誰か聞きました?私にもあの子言わないんですよ」
という。
「まだ聞いてませんが、私には話すと言ってました」
と答える。
 
「でも、ひとりで産んでひとりで育てていくなんて、あの子言ってるんですけど、大丈夫かしら」
「子育ては、私も手伝いますから、お母さんは政子さんの妊娠中の体調を気遣ってあげてもらえますか?」
「うん。ありがとう」
 

大学を出てすぐに結婚して既に3人の子供を作っていた礼美からも電話が掛かってきて、政子にも直接言ったけど、自分も手伝えることあったら手伝うから、私からも、遠慮無く友達を頼るように言っておいてということだった。私も礼美に「分からないこととか結構ベテラン・ママのレミには聞くと思うからよろしく」
と言っておいた。
 
なお、ローズ+リリーのコンサート(10周年記念ツアー)が8〜9月に全国20ヶ所で予定されていたが、それは予定通り行うことになった。ただ演出面で、政子の身体に負担を掛けないように、政子には座って歌わせることにした。ひとりだけ座っていると不自然なので私も一緒に隣に座って歌うスタイルにすることになった。
 

さて、結局、政子とちゃんと話すことができたのは、妊娠が明らかになってから半月も後になってしまった。
 
私が久しぶりのオフになったので、政子にどこか豪華なホテルにでも泊まらない?と言い、結局リッツカールトンの最高級スイート(1泊16万円)を予約してそこに2泊した。
 
最初の夜はふつうに寝て、翌日丸一日ホテルでゆっくりと過ごそうという計画である。食事も食べに行かず、ルームサービスしてもらう。
 
その2日目の朝、政子は言った。
 
「相手が誰か教えてあげるから、私とHして」
 
私は
「妊娠しているのにセックスとかできないよ」
と言ったのだが
 
「その程度で驚くような、やわな子じゃないから」
と言うので、私は政子の身体に負担を掛けないように松葉で結合した。
 

(レスビアンカップルで松葉を好む人たちは多いようだが、私たちは松葉はお互いの顔が見られなくて寂しい、といって普段ダブルスプーンなどが多い。私たちは“おちんちん”も使わない)
 
その後、横に並んで寝て、お互いに愛撫する。
 
「冬のおっぱいに触ってると、なんだか気持ちがいい」
「マーサのおっぱいも気持ちいいよ」
「冬、今更だけど、女の子になっちゃったこと後悔してないよね」
「もちろん。私は今の生き方が自然だと思ってるし毎日が充実してる」
「良かった。冬、正望さんとはうまく行ってる?」
「いってるよ。忙しいからなかなか会えないけど、愛情はちゃんと維持しているつもりだよ」
 
と私は語る。
 
「今年何回会った?」
「今年は無茶苦茶でさ。私も正望も超多忙だから、その婚約した日以外は1度も会えてないよ。その日もデートわずか1時間だった」
「だから敢えて婚約したのね」
「うん、お互いにそれで励みになると思ったし。でも少なくともこの先数年は結婚できない気がする。メールはずっとやりとりしてるけど」
「まあメールも交換しなくなったら、終わってるね」
 
「でも冬はずっと恋人変えなかったね」
「面倒くさいだけかも。正望、私のこと愛してくれてるし、優しいし。政子は大学時代はコロコロ変えてたね。大学出た後は2人だけ」
 
と私が言うと、政子は口をつぐんで何か考えている。
 
2人というのは、高校の同級生だった松山貴昭君と、タレントの大林亮平だ。
 
私は政子が相手を言いたがらないというのは、ひょっとして2015年に別れたはずの松山君の子供なのでは?という可能性を考えていた。政子はどうも時々、大阪にひとりで行っているようなのである。松山君と今でも時々会っているのではという気がしていた。しかし結婚している一般の人の子供を妊娠したとなると、バレると大変な騒ぎになる。
 

「冬、私のこと好き?」
「好きだよ」
「私も好き」
 
政子は私に深く長いキスをした。
 
「次は正常位でやってみる?」
「そういう体位はいけないよ。まだするなら横になったまましよう。マーサのお腹を圧迫できないから」
「うん」
 
私は政子と横に寝たまま、政子の身体のあちこちにキスをする。そしてあの辺りを指で刺激し、充分濡れて来たなと思うところで足を組み合わせるようにしてふたりの曲線を密着させた。
 

目が覚めたのは午後2時くらいだった。たぶん3時間くらい寝ていたようだ。「おはよう」と政子が言った。
「あ、起きてた?」
「ううん。私も今起きた」
「気持ち良かった」
「私も」
 
「男の人とのHも気持ちいいけど、やはり女の子同士の方が凄く気持ちいいと思わない?」
と政子が言う。
 
「うん。というより多分、私とマーサの相性がいいんだよ」
「冬は私とのHと正望君とのHで、どちらが気持ちいいの?」
「その質問には答えられないことになっております」
「ちぇっ」
 
「でも、女の子同士だと、一緒に昇って一緒に下りられるよね。男の人は出しちゃうと、それで終わっちゃうから、こちらの気持ちが置いてけぼり。でも男の人の構造上、それは仕方ないよ」
 
「お互い感じやすい所も分かりやすいしね。でも冬はホントに女の子的な昇り方・降り方するの?演技抜きで」
「うん。青葉ちゃんに波動を調整してもらってるから、そのあたりも女の子のパターンになっちゃってる」
「冬って普通の女の子と同じように濡れるし、生理もあるしね。私もあの子のおかげで肩こりとか腰痛とかに無縁で済んでる」
「うん。生理は無くてもいいのにな。体質が完璧に女性になってるから、生理も自然に発生しちゃうんだって言ってた。青葉ちゃんは性転換手術前から生理あったらしいよ」
 
「へー。どこから出すんだろう。。。。でも冬とは久しぶりだったな」
「ここしばらくお互い忙しかったもんね」
「でも不思議だよね。私冬との関係があるからこそ、他の男の子との関係も作れる気がするんだよね」
「私もそうだよ。マーサとの関係があるから、正望とも安定した関係が続いていると思う。正望も私とマーサとの関係には嫉妬しないというし」
「私も冬と正望さんの関係には嫉妬しないよ」
「大いなる二股とか随分言われたけどね」
 

「それでさ。。。。今お腹の中にいる子の父親なんだけどね」
「うん」
「それが冬だって言ったら信じる?」
「え!?・・・・・・だって、私、生殖能力無い・・・・よね?」
私は言葉の途中で急に不安になり、質問みたいな形になった。
「あったら、びっくりだね」
「女の子同士でも妊娠するんだっけ?って、今、一瞬考えちゃった。
でも、私の子供なの?」
 
「そうなんだよね」
 
政子は妊娠の秘密を話してくれた。
 
「冬が去勢手術受ける前日、私たちホテルでHしたでしょ。8年前の6月」
「うん」
「あの時、Hしたあと冬が眠ってしまってから、私、自分のヴァギナの中の冬の精液をスポイトで吸い出したの」
「えー!?」
「あの時、私『これで妊娠したら奇跡の子だよね』と言ったでしょ」
「覚えてる」
「でも実際、あの時これで自分は妊娠する、という予感が凄くあったんだ」
「・・・・」
 
「でもあの時点では妊娠できないじゃん。私もまだ大学1年で子供産むと学業に差し支えるし、それで子供産んだら絶対冬は認知したでしょ」
「もちろん」
「そしたら冬は戸籍を女性に変更できなくなっちゃう」
「それで・・・」
 
「可能な限り吸い出して、それをあの病院に持ち込んで、冷凍保存してもらったの。ついでに膣洗浄してもらって、事後避妊薬も処方してもらった」
「確かに、あそこは元々産婦人科だもんね。しかしよくそんな飛び込みで冷凍保存の依頼を受けてくれたね」
 
「男性側の同意があることが確認できない限り受けられないと随分言われたけど、事情があってこれが精子を保存できる唯一のチャンスだからと、必死でお願いして。受精させるまでには確実に相手の同意を取るからと言ったし」
「同意取ってないじゃん!」
「いいじゃん。冬も自分の遺伝子をつぐ子供、欲しくない?」
「・・・欲しい」
 

「あの病院はあのあと潰れてしまったけど、冷凍精液は別の病院に引き継いでくれて、それを使ってちょうど8年後の6月同じ日に受精させたの。体外受精させた後、私の子宮に戻した。チャンスは1度だけだから受精卵2個入れてもらったんだけど、着床したのは1個だけ」
 
「分かった。その子、認知するね・・・・って、私、認知できるのかな?あれれ?」
「認知はしないで。できない気もするけど。これ私たち、ふたりだけの秘密にしよ」
「でも。。。。」
「認知しなくても、この子が冬の遺伝子を受け継ぐ子供だってことを覚えていてくれることと、この子をずっと可愛がってくれることだけ約束して欲しい」
「約束する。でもこの子には父親のこと、なんて言うつもり?」
「父親はいない。でも母は私と冬のふたりだって言うつもり」
「じゃ、マーサはお母ちゃん、私はママ、とかでは?」
 
「千里んとこの京平君が、ママとお母ちゃんって呼び分けていたね」
 
「そうそう。でもあれは元ネタは昔あった少女漫画なんだって。夫婦が離婚して、旦那が別の女の人と結婚して、それで旦那のもとで育てられてた女の子が、自分の実の母親のことをお母ちゃんと呼んで、新しい母親のことはママと呼んでたんだよね。お母ちゃんにもママにも、ちゃんと可愛がってもらってたのだけど、子供としては何とかして呼び分けないと混乱するしね」
と私は説明する。
 
「その呼び分け、いいかも知れないな。この子に推奨しよう」
と言ってから、ふと悩むように言う。
 
「でも京平君は実の母の阿倍子さんのことをママと呼んでたよね?」
「京平の実の母は千里だもん」
「うっそー!?」
 
「千里は戸籍が出生時男だったから、法的には子供を産んだことにできない。それで阿倍子さんを母親として届けたんだよ」
 
「ちょっと待って。ほんとに千里が産んだの?」
「あれは説明するととても複雑なんだけど、実はそう」
「だったら、冬にも子供が産めるね?」
「それは無理だよぉ」
 

「マーサのお腹の中の子は、性別は分かってるの?」
 
「うん、女の子だよ。私、名前も決めちゃった。絶対この名前だと思うものを思いついちゃったの。それにしていい?」
「いいよ。産む人が決めていいと思う」
「あやめ、っていうの」
 
「あやめ・・・・・・」
「どうかした?」
「ううん。ちょっと昔不思議なことがあったなと思って」
 
私は8年前の9月に宇都宮のデパート(今ではもう潰れてビルも建て替えられ、まるごと大型書店になっていたが、8階に特設ステージがあり、今でもミニコンサートが頻繁に行われていた)で体験した、不思議な出来事のことを語った。
 
「当時は幽霊でも見たのかと思ったんだけどね。デパートって結構あるし」
「へー。それ、未来の冬自身とこの子とに出会ったんだね」
「今にして思えばそんな気がする」
「あやめちゃん、可愛かった?」
「可愛かった。きっと美人になると思った」
「そうなるといいね」
「私たちの子供なら、歌うまいよね、きっと」
「歌手になるかもね」
「あ、私たち既に親馬鹿」
「ふふふ」
 

「あれ?そういえば」
「ん?」
「昔、占い師さんに運勢観てもらった時に、私、27歳の時に子供ができるって言われたんだった。20歳の時だよ、観てもらったの」
と私は言った。
 
「へー」
「その時は、私子供産めないからなあと思ったんだけど、まさかこういう展開になるとは」
「凄い占い師さんだね」
 
「ああ、でもマーサのお母さんからも、この子の父親のことで聞かれたんだけど」
「誰にも言わないよ、私。冬は当事者だし、私と冬の仲だから話しただけ」
「分かった。私もマーサから聞いたけど、言わないと答えることにする。でも不倫ではないと言って安心させておきたいな。お母さん、それを心配していたから」
「まあ、ふつう父親の名前を言えないていったら、不倫のこと考えるよね」
「それか、本人にも分からないケースとか」
「あはは。私、そこまでは乱れてないしな」
「あと、相手が宮様なんてケース」
「そういう方面のお付き合いは無いし」
 
「上島先生では無いって直筆FAXまで出したのに、世間ではまだ上島先生を疑ってる書き込みとか見るね」
 
「私、上島先生の奥さんのアルトさんにも電話してお騒がせして申し訳ないが、天に誓って先生とは浮気などしてませんし、この子、上島先生の子供ではありませんから、って言ったよ。奥さんは笑ってたけどね。平気、平気。大きな声ではいえないけど、先生、隠し子が3人いて、みんな母親が別々だって」
 
「あ、隠し子の話は私も奥さんから聞いてた。ナイショよって」
「あの奥さんもおおらかだよね。でも夫の浮気を受け入れられるって凄い」
 
「以前は色々あったよね」
「あの時は本当にアルトさん泣いてたもんね」
 
それは2012年の春にアルトさんが1ヶ月ほどの長期の家出をした時のことである。上島先生とアルトさんの危機は以前にも1度あり、その時は雨宮先生と千里がうまくお膳立てして修復の機会をあげたらしい。
 

「でも隠し子さんたち、今回の騒動で先生からの養育費の送金が止まって、困ってるんじゃない?」
「私が代わりに送ってる。ただし生活に最低必要な程度のお金だけど」
「え?」
「前に隠し子のこと聞いてたから、養育費の件心配してアルトさんに電話した。それで私が少額しか無理だけどそれでもよければ1年間送金したいと言ったら、送り先教えてくれた。先生に言っても絶対教えてくれないと思ったからアルトさんに連絡したんだけどね。でも後で先生本人から電話掛かってきて、ほんとに助かる。この恩は一生忘れないとか言ってた。でも、私がこれまで先生から受けてきたご恩にくらべれば大したことありませんと答えた。隠し子の母親たち3人からもお礼の手紙や電話もらった」
 
「私がアルトさんに電話した時、ケイさんにもよろしくって言われたんだけど、そういうことがあってたからなのか」
「ふふふ」
 
「でも・・・冬って、ほんとに代役ついてるんだ」
「まあね」
 

8月、私は、ある人物から
「内密に話がしたい」
という接触があったので、忙しい中、豊橋!で密会した。
(密会といっても変なことをした訳では無い)
 
「ごめんね。忙しいのに呼び出して」
と松山貴昭は言った。
 
「ううん。実はそちら揉めてないかと心配してた」
と私は言う。
 
「実は揉めてるんだよ!」
 
松山君の奥さん・露子さんは、政子とかなり熾烈な争いをした末に、政子が男性俳優から熱烈な求愛をされたのが報道され、松山君が動揺している隙を狙って、彼と婚約してしまった。
 
政子は一応松山君のことについては撤退することを彼に告げたものの、露子さんとしては、その後もずっと政子に対して警戒していたようである。
 
それで、今回の報道が出て、しかも政子が父親の名前を明かさないというので露子さんは、それは松山君の子供なのではと疑っているというのである。
 
「どうしたらいいものかと思って」
と松山君は本当に困っているようである。
 
「奥さんに言いなよ。政子のお腹の中の子供のDNA判定をするからって。それで松山君との父子関係が科学的に否定されれば、露子さんも納得するでしょ?」
と私は言った。
 
「DNA鑑定って生まれてからだよね?」
「胎内にいる間でもできるよ」
「子宮内に針とか指して胎児の細胞を採取するの?」
「そんな恐ろしいことはしない。妊娠中は、胎児の細胞がお母さんの血中にも混じるから、それで鑑定できるんだよ」
 
「そんなことができるんだ!」
「だから松山君は、口腔内の粘膜とかで、細胞を提供してもらえばいい」
「うん。それは今すればいい?」
 
「ちゃんと裁判所とかにも提出できる公式の鑑定をした方がいいと思う。鑑定会社に依頼するから、そこから連絡があったら、立会人さんと一緒に病院に行って、採取に応じてもらえばいい」
 
「分かった。その手続き進めてくれない?鑑定費用は僕が払う」
「了解」
 
それで鑑定の結果、松山君との父子関係は否定され、松山君の奥さんも松山君に疑って悪かったと言ったのである。
 

ローズ+リリーのデビュー10周年全国ツアーはローズ+リリーが生まれた日である8月4日から始まり、メジャーデビュー日の9月27日まで全国24ヶ所で実施された。
 
産休前最後のコンサートになることから、コンサートが予定通り実施されることが発表されると、チケットは全会場とも即ソールドアウトした。ソールドアウトした後も問い合わせがあまりにも凄かったため、一部の会場で日程を追加したり、大きなキャパの会場に変更したりもした。それで20ヶ所の予定が結局24ヶ所になった。
 
そしてこのツアーにあわせて発売したシングル『お嫁さんにしてね』(今年春に発売したアルバム『郷愁』からのシングルカット)はローズ+リリー初の(公式)ダブルミリオン・シングルになったのであった。この曲は後に結婚式の定番ソングとしても定着していくことになる。この曲が発売された時にレコード会社が付けたキャッチフレーズは
 
『婚約したケイ、出産するマリ、があなたに贈るラブソング』
 
というものであった。
 
そのキャッチフレーズを見て私と政子は「でも結婚が抜けてるね」と言って笑った。
 
★★レコードの町添専務は
「僕、7年前に君に27歳になったら結婚や出産してもいいと言ったけど、ふたりとも実行するんだから参ったね」
と笑っていた。
 
むろん商売人なので、町添さんはローズ+リリーにブライダルやベビーをテーマにしたミニアルバムの制作を打診し、私は笑って快諾した。シングルがダブル・ミリオンを達成した余勢で、このアルバムも発売前の予約が40万枚も入った。そして発売された後は「胎教にいい」なんて噂まで流れて、売れに売れた。
 
実際、妊娠中の政子がとても秀逸な歌詞を書いたので、私も刺激されて自分でもかなり良い出来の曲を付けることができた。氷川さんは
「このアルバム収録曲を全部シングルカットして発売したい」
などと言っていた。
 

更に少し先の話を書いておこう。
 
翌2019年の2月3日、政子は女の子を出産。あやめと命名した。1ヶ月ほどの早産であったが、私も政子本人も
「よりによってこういう日付で生まれてくるなんて」
と言った。
 
(あやめは千里の娘である緩菜・由美と同学年生まれになる。緩菜が2018.8, 由美が2019.1, あやめが2019.2。私の姉・萌依の第二子・清代歌の1つ下になる)
 
なお、政子が双子座、私が天秤座で、あやめは水瓶座と、3人とも風の星座で相性が良かった。
 
2019年の春になって、上島先生は謹慎が解け、調子も回復してまた精力的に楽曲の制作を再開した。何年も超多作を続けていたので、結果的にはこの1年が良い充電期間になったようであった。私は肩の荷が下りてホッとしたが、今度は私の方が超多作を1年間続けた反動で全く曲が書けなくなってしまった。
 
しかし政子に誘われて宮古島にふたり+あやめの3人で一週間ほど旅に行ったら、作曲がまたできるようになった。
 

あやめが生まれてから、私は政子の家に入り浸りになって、赤ちゃんをあやしたりしていた。政子も遠慮無く私をこき使った。青葉が私のホルモンの出方を調整してくれたので、私は母乳が出るようになった。そこで私たちはふたりで交替で授乳することができたので、私が東京にいる間は政子は充分な睡眠が取れていた。
 
「でも、あやめ、私のおっぱいよりマーサのおっぱいが好みみたい」
「そりゃ産みの親ですから当然ですわ。おほほ」
 
などといって政子は笑う。あやめが少し言葉が出るようになってくると、私たちは『予定通り』、政子のことを「おかあさん」又は「おかあちゃん」、私のことを「ママ」と呼ばせた。
 

政子は両親がタイから帰国した2013年3月以降、私のマンションに「住んでいる」感じで、時々実家に行っていたのが、「産休」に入った2018年10月頃以降は、お母さんに色々サポートしてもらうため実家にいるようになったので、結果的に私もできるだけ政子の実家に行き、まるでそこが自分の家で、マンションは「仕事場」という感じになっていった。逆に政子も育児に疲れた時は、子供を私に任せてマンションに来て、のんびりと創作活動をしたりもしていた。
 
また、私は正望にも許しをもらって、あやめを自分の養子にした。養子に出しても政子は実母として戸籍上の関係は維持されるので、それで政子と私はふたりともあやめの法的な母親になった。
 
私の行動について世間はいろいろ噂した。
「ケイさんとマリさんやはりレスビアンなんですか?」
とも随分訊かれたが、私たちは
「親友です」
と笑顔で答えた。
 

私と政子の関係についてはデビュー当初の頃は随分騒がれたものの、現在は「親友同士」という公式見解が広まっている。もっともネットではローズ+リリーはレスビアンというのがほぼ確定しているが!
 
あやめを養子にした件については
「マリが1人で子供を育てるのは大変だし、私は子供が産めないし、お互いの気持ちとニーズが一致したんです」
と私は説明した。
 
「また養子にしたのは私が突然死したような場合に、子供の教育費として私の遺産を活用してもらいたいのもあります」
と、法技術的な面もあることを私は語った。
 
私が政子の家に入り浸りなので、正望も仕事の手が空くと政子の家にやってきて、結果的に、あやめのことも可愛がってくれた。正望はあやめに自分のことをパパと呼ばせた。
 
「だって、フーコが『ママ』なら、僕は『パパ』だろ?」
と正望は言って、あやめを可愛がってくれた。それで、あやめも正望のことを『パパ』といってなついた。正望はそのうち実家にいる時間より、政子の家にいる時間の方が長くなり、この家から朝弁護士事務所に出勤していき、仕事が終わるとこの家に「ただいま」といって帰ってくるようになった。
 
正望がこの家に入り浸りになったので、そのうち正望のお母さんまでやってきて、あやめを自分の孫のように可愛がってくれた。また私があやめを養子にしたことから結果的にあやめの祖母になった私の母も、政子の家に来ては、あやめをあやしていった。政子の母・私の母・正望の母はしばしば顔を合わせるので、随分仲良くなって、どこかに3人で一緒にお茶を飲みに行ったりもするようになった。
 

2020年になると、政子は敷地内に小さな2階建ての離れを建てた。基本的には政子が恋人を連れ込むためのものなのだが、逆に私が正望と一緒にそこの2階で寝たりもしていた。政子が恋人と一緒に離れにいる時は私が母屋であやめの世話をしながら創作活動をしていた。
 
私と政子はどちらの恋人も来ていない時は普通にふたりで寝ていた。それでいて各々の恋人が来た時は、そちらと離れで寝ていたのだが、このことについて、最初の頃は私もうしろめたさを感じた。しかし正望が来た時は、政子は私に「今夜は頑張ってね」と言うし、政子が彼氏を連れ込んだ時は、私がふたりに「おふたりとも頑張ってね」などと笑顔で言ったし、慣れてしまうと、特に嫉妬も後ろめたさも感じなくなった。
 
「嫉妬ってさ・・・・自分の愛が失われるかもと思うから嫉妬するのかもね。旦那が子供を愛してくれているの見て嫉妬する妻なんていないじゃん」
「いや。それ、いるって。でも私とマーサの関係は揺らぎないから、マーサがどんなに他の男の人と愛しあってても、私、嫉妬しないよ」
「うんうん。私も正望君に全然嫉妬しないもん」
 

さて、政子はその後、6年間にわたって1年おきに3人の子供を産んだ(あやめを含めて政子が産んだ子供は全部で4人)。お見事というかその父親が全て違う人であった。各々が誰の子供かを知っているのは、私以外には千里・青葉の姉妹だけであった。
 
2019.02.03 あやめ(父:私)
2020.10.18 大輝(父:大林亮平)
2022.08.03 かえで(父:百道大輔)
2024.06.19 博史(父:松山貴昭)
 
政子が2年に1度子供を産むので、氷川さんはスケジュールの調整に苦労した。結局「ローズ+リリー」のコンサート活動は、その6年間は、政子の妊娠と育児の合間を縫っておこなわれる感じになった。
 
私はあやめ以外の3人の子供も生まれる度に養子にした。最初、政子は1人産む度に交互に自分の子供、私の子供と、振り分けるつもりだったようだが、政子のお母さんが、きょうだいで苗字がばらばらになるのは可哀想と言ったので、みんな養子にすることにした。あやめの後から生まれた3人にも私と政子は「おかあさん」「ママ」と呼び分けさせたし、正望も自分のことを「パパ」と呼ばせた。
 
政子は最終的に最後の子供の父親である松山貴昭と2025年に結婚したので、貴昭は4人の子供から「お父さん」と呼ばれるようになった。つまりうちの家庭では
 
政子=お母さん、私=ママ、貴昭=お父ちゃん、正望=パパ
 
なのである。
 
父親たちの中で、第二子・大輝の父親となった大林亮平は、大輝が生まれた時、養育費を送ると言った。政子は要らないと言ったが「養育費は僕が自分の子供に送るものだから」と言った。それで政子は大輝名義の口座を作り、亮平は律儀に毎月50万その口座に送金してくれた。政子はその口座には一切手を付けなかったので、大輝が20歳になる時には物凄い金額が貯まっているだろう。
 
亮平はしばしば政子の実家を訪れ、4人の子供たちの、もうひとりのお父さんのような感じになって行った。亮平は子供たちに自分のことを「父上」と呼ばせていた。時代劇俳優として活躍する彼には、それが快感のようであった。
 

私は2025年春になって、ようやく正望と籍を入れ、一応結婚式なるものも挙げた。招待客が200人くらいの豪華な挙式となった。式の時、うちの母と正望の母が
 
「いや、ほんとにここまで長かったですねぇ」
と語り合っていた。
 
「全くもう自分が生きている間に結婚してくれるのか、やきもきしてましたよ」
 
私たちは一応新婚旅行にも行き(人並みにハワイに行ってきた)、その間はスイートな生活をした。しかし旅行から戻ると、またお互い多忙な日々が待っていた。結局、籍を入れたからといって同居を開始できたわけではなく、一応政子の家で顔を合わせることが多いものの、実際に会えるのは週に1度程度、などという状態が続いていくことになる。しかし交際開始から14年、婚約してからも7年たっていたので政子から『最も長い交際期間』でギネスに申請しようか?なんてからかわれた。
 
同年秋、政子は高校の同級生であり、政子の4人目の子供・博史の父親でもある松山貴昭と結婚して、またこちらも豪華な結婚式披露宴を挙げた。
 
しかし政子は貴昭さんと結婚しても、彼のの家には行かず!ずっと自分の実家に住んでいた。それで結果的には貴昭さんの通い婚になってしまう。
 
政子が大林亮平と結婚しなかったのは、結局政子が「主婦」になる自信が無かったからだが、政子は最終的に主婦にならないまま、松山君と結婚してしまったのである。この家の主婦は私である!
 
この家には、政子が産んだ4人の子供を含めて8人の子供が暮らすようになり、私はもう保育所の先生の気分であった。
 
この家にはしばしば大林亮平もやってきて、貴昭と一緒にお酒を飲みながら仲よさそうに?していたので、子供たちも
 
「お父ちゃん、父上、すごろくしよう」
などと言って、ふたりと一緒に遊んでいた。
 
政子の母など「いいの〜?」と悩んでいた。
 
亮平も政子が百道大輔と付き合っていた時期は遠慮していたのだが、政子が貴昭と結婚した後は、貴昭が「大輝のお父さんなら、いつでも来てください」と言ったので、最初は遠慮がちに来ていたもののその内、ごく普通にやってくるようになった。
 
「亮平さん、何なら今夜は政子を貸そうか?」
などと貴昭は言ったりすることもある。
 
「いや、やっちゃうと、嫉妬しそうだから、やめとく」
と亮平は言っていた。
 

2025年に私と政子が正望・貴昭と結婚した結果、政子と貴昭は松山姓、私と正望は木原姓、政子が産んだ4人の子供は唐本姓という、親が全員子供と違う姓を持つ不思議な家庭?になった
 
(そもそも母2人・父3人というのが変則的すぎるが)。
 
更に貴昭の連れ子2人は元々松山姓だし、最後に作ったももは木原姓を名乗るし、百道大輔の遺児・夏絵は政子が養子にしたので中田姓になったので、この家の子供の苗字は最終的に唐本4人・松山2人・中田1人・木原1人となった。
 
夏絵と、ももがこの家庭にやってきた経緯については書けば長くなるので、またの機会にあらためて書きたい。またかえでの父親問題についてもまたどこかで触れたい。
 
あやめは容貌が母親似であったので、私が父親であることには誰も気付かなかった。しかし天性の歌唱力を持っていた。その歌声を聞いて町添さんは
 
「ひょっとして、あやめちゃんの父親がケイちゃんってことないよね?」
と私たちに訊いた。
 
「まあそういうこともあるかもですね」
「だったら僕は、あやめちゃんがデビューするまでは頑張るよ」
などと町添さんは言っていた。
 
あやめの父親が私であることには、もちろん千里・青葉の姉妹はすぐ気付いた。
 
「だって、あやめちゃんの波動が、冬さんと凄く似てるんだもん」
 
とふたりとも言っていた。
 
それで青葉は
「冬子さんも授乳したいでしょ?自分の子供に」
 
などといって、母乳が出るようにしてくれたのであった。
 

家庭が極めて変則的な上に、2人の母親は個性的過ぎるし、3人の父親も全員多忙でなかなか会えないという状況で、あやめは小学校では最初他の子と話が合わずになかなか友達ができずに悩んだりもしたようだったが、ものすごく芯の強い子だったので、やがて同様に孤立していた変な家庭?の子2人と変な子同士?で仲良くなり、明るい表情を絶やさない子に育った。
 
あやめには3歳の時からピアノとヴァイオリンとフルートを習わせていたが、ほんとに良い声を持ち(声質自体は政子に似ていた)、歌のうまい子だった。小学3〜4年生の頃にはもうかなりしっかりした曲作りもしていた。
 
そして、あやめは、中学生になるのと同時にプロ歌手兼ソングライターとしてデビューし、私たちを遙かに超えるヒットを連発していくのだが、それはずっとずっと先の物語である。
 
 
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【夏の日の想い出・超多忙年の夏】(1)