【夏の日の想い出・ベサメムーチョ】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-10-09
2015年6月下旬。
その日、私と政子は制作中のアルバム『The City』の中に収録予定の曲『コーンフレークの花』のPVの演出について《自称アドバイザー》の雨宮先生と打ち合わせていた。最初、和実が店長を務めているメイド喫茶《エヴォン》銀座店に行く。
その和実が出勤しているので私はちょっと驚いた。
「和実、新婚旅行とかは?」
「今朝戻って来たよ」
「忙しいね!もう少し休めば良いのに」
「うん。もしハネムーン・ベビーとかできたら身体に負担が掛かるからもう少し休んだら?とか淳は言ってたんだけど、そういう淳は今朝から会社に出て行ったから、私も頑張ろうと思って出てきた」
「へー。淳ちゃんはOLしてるんでしょ?」
「そそ。今日もレディススーツ着て出かけて行ったよ。客先に行って打ち合わせする予定があるからって。それで今朝戻って来たんだよ」
「ふたりとも忙しいね!」
そんなことを言っていたら雨宮先生が言う。
「あんた結婚したの?」
「はい。17日に結婚しました」
「おめでとう!じゃ結婚祝いにこれでもあげるわ。ふたりで行っておいでよ」
と言って、ホテルオークラのレストラン食事券を渡す。
「ありがとうございます。お客様から物を頂いてはいけないことにはなっておりますが、今日は特別に」
「うんうん。そういう固いことは言わないで」
それでコーヒーを飲みながら、オープンサンドを摘まみながら3人で打ち合わせていたのだが、その内雨宮先生が水割りを飲みたいと言い出す。ちょうど近くを通り掛かったメイドのジューンちゃんに
「ね。水割り3杯ちょうだい」
などと言い出す。
「申し訳ございません。当店は喫茶店ですのでアルコールはありません」
とジューンは言うのだが、
「じゃ、あんたそこのコンビニでウィスキー1本買って来てくれない?トリスかオールドでもいいからさ」
などと雨宮先生は万札を出して渡そうとする。
ジューンが困っているのを見て和実がやってくる。
「お客様、アルコール類の持ち込み、酔った状態での御帰宅(来店のこと)も禁止させて頂いております」
と和実から言われる。
「さっき結婚祝いあげたのに」
「それはそれで、お店の規則は守って頂きます」
「ケチ」
「アルコールが飲みたい方は、その手の店においで下さい」
と和実が毅然とした態度で言うので
「しゃあないな。じゃその手の店に行くか」
ということでエヴォンを出る。
「和実、ごめんねー」
と私は謝っておいたが、彼女は笑っている。時々こういう客もあるのだろう。
それで銀座7丁目の《その手の店》に移動した。私は初めて来た店であるが、先生は馴染みのようである。そして何だか高そうだ!
ボトルがキープしてあったようで『モーリー様』とマジックで書かれたサントリー《響》のボトルが出てくる。お店の女の子が3人分水割りを作ってくれるので、取り敢えず乾杯する。ここはお店の子は水割りを作ったりお酌をしたり、また料理を取り分けたりする時は客の隣に座るものの、常駐はしないシステムのようだ。ついでにタッチも禁止のようで、雨宮先生はいきなりイエローカードを渡されていた。
「何ですか?それ」
と訊くと
「1回のご来店でこれが2枚になったお客様はご退場になります」
とカードを渡した女の子が説明する。
「サッカー方式ですか!」
「一応次のご来店までの累積はしない方式で。ふつう女性のお客様には適用しないのですが、モーリー様はちょっと前歴が酷いので、男性のお客様同様に扱わせて頂いております」
「ああ、それでいいと思いますよ」
と私は言った。
「まあ私は男だから、それに不服は無いけどね」
と雨宮先生。
「退場くらったことあるんですか?」
と私が訊くと
「昨年は3回、今年も既に1回」
と店の女の子が言う。
「悪質だなあ。罰金物ですね」
と私は言った。
それでややけだるい感じのピアノ生演奏による昭和40年代の歌謡曲メドレーが流れる中、私たちは打ち合わせを続けた。
やがてその演奏が終わって30代くらいの女性ピアニストがステージを降りるが、その後、他の演奏者が出てくるのかと思ったら誰も出てこない。音楽は終わりなのかな?と思っていたら雨宮先生が
「音楽無いの〜?」
と声を掛けた。
「済みません。この時間帯に来る予定だった女子大生が先ほど6つ子を出産したのでお休みさせてくれと連絡がありまして」
と店長が言う。
「あら、おめでたいじゃん」
本当なのか冗談なのかよく分からない話だ。
「何でしたら先生弾かれますか?」
「あら。私が弾いたら高いわよ」
「ツケから10億円引いておきますよ」
「それなら弾いてもいいか」
と雨宮先生。
「よろしく」
と店長さん。
景気の良い話だ。
しかし雨宮先生は
「聞いたよね。冬、弾いといで」
と言う。
「先生が弾かれるのでは?」
「だって私は打ち合わせ中だもん」
「私も打ち合わせ中ですが」
「私が政子ちゃんと打ち合わせしておくからあんたは弾いてていいよ」
ということで、雨宮先生と政子に任せておいたら、どんな話になるかとっても怖かったのだが、私は出て行くとピアノの前に座った。
「何かリクエストありますか?」
と私が言うと
「何か適当なラテンナンバーを」
という声が掛かる。
「それでは『イパネマの娘』を」
と言って私はボサノヴァの名曲を弾き出す。
イパネマ(リオデジャネイロの地名)で見かけた美少女のことをひたすら愛でる曲である。
私がその曲を弾いていたら客席に座っていた35-36歳くらいかなという感じの和服の女性が立って来て、私の弾くピアノのそばで踊り出した。私は「へー」と思ってそれを眺めながら演奏を続ける。彼女は和服姿ではあっても、ラテン系ダンスの心得があるようで手や身体の動きがしなやかで、和服を着ているとは思えない高速回転なども入る。彼女のダンスに客席からも歓声があがる。
やがて演奏が終わると大きな拍手が贈られた。私も拍手をした。
彼女がピアノの傍によって言う。
「私もリクエストしていいかしら?」
澄んだソプラノボイスだ。この人、歌を歌っても映えそうと思う。
「はい。何にしましょう?」
「ベサメ・ムーチョとか弾ける?」
「はい。弾けますよ」
私はテーブルに座っている雨宮先生と政子が何か悪戯っぽい笑みを浮かべて乾杯などしているので、いな〜や予感がしたのだが、ともかくも、リクエストされたので、このメキシカン・ボレロの名曲を演奏する。ベサメはKiss meという意味。ムーチョはたくさんで、とてもセクシーでムーディーな曲である。
私がこの曲をオリジナルのスペイン語歌詞で弾き語りしていると、リクエストした和服の女性は最初曲に合わせて踊っていたのだが、その内、いきなり帯を解いてしまう。へ?と思いながらも演奏していたら、和服自体を脱ぎ始める。え〜?と思いながらも演奏と歌を間違えないよう意識をキーボードに集中する。彼女は着物を脱いでしまうと、更にその下の長襦袢を脱ぐ、更には肌襦袢まで脱いでしまう。
ひゃーっと思って見ていたのだが、彼女はその下にブラとパンティを着けていた。そしてその格好でしばらく踊る。男性客の歓声が何だか凄い。あはははと私は顔が引きつりながらも演奏を続ける。そして曲がクライマックスにさしかかった所、彼女はとうとうブラを外してしまった。
その瞬間、客席がシーンと静まりかえる。
彼女の胸が真っ平らだったからである。
私は数回目をぱちくりさせた。彼女の胸の部分には通常の女性にあるはずの膨らみが全く無い。なんで胸が無いの〜?と思いながら、私はミスしないように頑張って演奏を続ける。
そして私が最後の音を歌った瞬間、彼女はパンティも脱いでしまった。
え〜〜〜!?
と叫びたくなった。そこには、紛う事なき男性のシンボルがぶらさがっていた、いやしっかり自己主張していたのである。
客席はみな呆気にとられていた。
「ごめんなさーい」
と彼女(?)は男の声で言うと、脱いだ服を手に持ってお店の男子トイレ!に飛び込んでしまった。
「あ、えーっと。商品を買う時って見た目に欺されてはいけないですね」
と私が言うと、やっと店の中に笑い声が発生し、和やかなムードになった。
すると政子が
「リクエスト!オーチンチン」
などと言う。
どっと笑い声が店内に響く。私はやけくそで弾き始めると政子がステージに上がって、歌い出す。
「オーチンチン、あのチンポコよ、どこ行った?」
と堂々と歌う。店内に爆笑が起きる。
私はこの歌を3番までで演奏終了しようとしたのだが、政子は「続けて続けて」と言う。それで仕方なく演奏を続ける。
「チンチンつまんだあの子がね、私もほしいとつぶやいた」
と堂々と歌っちゃう。
それで歌い終わると客席から
「お姉ちゃんのちんちんはどこ行ったの?」
などと声が掛かる。すると政子は
「18歳の時に病院の先生に切ってもらったから、もう無いんですよー」
などと言っちゃう。
「お、すごーい」
「さっきのお姉様には全然かなわない、ちっちゃいのがあったんですけどねー」
などと政子は悪のりして言っている。
「なんで取っちゃったの?」
「だって朝起きた時ベビードールにテントが張ってたらみっともないじゃないですか」
「おぉ!」
「じゃ次の歌、『金太の大冒険』」
「おお!!」
もうこれで後は混沌としてしまう。雨宮先生も途中でステージに上がってきて
「金太、マスカット切った」
と大きな声で政子とデュエットする。
その後は、『とってもウマナミ(マキバオーより)』『日本全国酒飲み音頭』、『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』『君にジュースを買ってあげる』『踊れポンポコリン』とコミックソングのオンパレードとなり、大いにお店は盛り上がり、私たちのPVの打ち合わせはもうどこかに行ってしまった。
結局その日は、私たち3人ともお代は要りませんということになった上で、雨宮先生はツケを10万円減額してもらったようである。
「先生、PVはどうしますか?」
「お店の子に頼んで、全部今日のステージ、私のスマホで撮ってあるけど、これ使う?」
「こんなの使ったら町添部長に叱られます」
「町添さんはヤバいな」
「でも『コーンフレークの花』って、男の娘のフレークちゃんを歌った歌なんでしょ」
「まあ彼女たちを見て発想した曲ですけどね」
「あれ、私にアレンジ任せない? 300万円でやってあげるよ」
「先生にしては上品なお値段ですね」
「色っぽくまとめてあげるからさ」
「日本国内で発売できるものになるのでしたら」
「これけっこう気に入っているのよね〜。いっそ今度のシングルのタイトルに使えない?」
「うーん。さすがにシングルのタイトルには弱すぎると思うのですが」
「だから私がアレンジしてあげるからさ」
「そうですねぇ」
「そうだ。男の娘を歌った歌なら、さっきのオカマちゃんオンステージの映像は使えないかしら?」
「あの辺から撮ってたんですか?」
「私、あの子知ってたから」
「さすが男の娘コレクター。でもあの人、きれいな女声で話してましたね」
「あれはかなり頑張ってあの声を獲得したんだよ。努力の子だよ」
「へー」
しかし例のドーチェス・フロコスにしても松居夜詩子さんにしても、強制的に性転換されちゃった人ってのも世の中には居るんだなあと思うと・・・・
羨ましい!
と私は思ってしまった。
「だけど、それにしてもストリップをPVに入れたら18禁になっちゃいますよ」
「そうだなあ。だったら、豚か羊のストリップでもさせるとか?」
「へ?」
「でもベサメムーチョという曲に私は新たなイメージを追加することになった」
などと翌日のお昼頃、政子はソファーに下着姿のまま転がってnonnoを見ながら言った。私はお昼御飯に焼きそばを作っていた。
「あの曲を書いたのはどんな人だと思う?」
「なんか女性っぽいんだよね。男が女の振りして書いたとは思えない。だから27-28歳くらいの女性かなあ」
「女性というのは正解。でも年齢は外れ。Consuelo Velazquezという女性作曲家だけど、これを書いた当時、彼女は16歳の誕生日直前だったんだよ」
「嘘!?」
「15歳とは思えない歌詞だよね」
「すごーい。さすがメキシコの女子高生は進んでる」
「とんでもない。彼女は当時セックスどころかキスも未経験。敬虔なクリスチャンだったから、キスなんて罪深いものと思っていたらしい」
「うっそー!?」
「まさに空想の暴走がなせるワザという感じの曲だね」
「よし、冬、たくさんキスしようよ」
「いいけど」
それで政子は私を押し倒して!キスをたくさんする。
「冬ってキスもセックスも受け身だよね」
と政子が言う。
「悪い意味で女の子的だって、よく若葉や有咲に言われてた」
「あれ?冬、そういえば正望さんと最近いつデートした?」
などと言っていたら、その正望がやってきた。
近所のホテルで泊まり込みの特別講習を受けていたとかで、それが終わった所でこちらに顔を出したらしい。キャミ1枚だけという姿だった政子が慌てて部屋に飛んで行って服を着てきた。
「ごぶさたー。ごめんねー。全然会いに行けなくて」
と私は正望に謝る。
「いや、フーコ無茶苦茶忙しそうだもん。あ、美味しそうな匂い」
「今できた所なのよ。一緒に食べる?」
「うん」
それで3人で焼きそばを食べながら話す。焼きそばが目の前にある以上、政子はこの場を遠慮しておこうなどという気は全く無い。
「そうそう。司法試験の短答式合格、あらためておめでとう」
と私は言う。
「ありがとう。まあ短答式に通っても論文式に通らないとどうにもならないけどね」
と正望。
「その論述式っていのは、いつ試験あるんですか?」
と政子が訊く。
「もう終わってるよ」
「あれ?そうなんだっけ?」
「5月の中旬に4日掛けて、論文式を3日やった後で、短答式を1日やるんだよ。それで4日間の試験の最終日にやった短答式を先に採点して、ここで落ちた人は論文式の方は採点してもらえない」
「何か不思議な試験の仕方だね」
「偉い人の考えることは理解できない感じだね。まあそれで論文式の結果は9月8日に発表される」
「かなり先だね」
「やはり採点が大変なんだと思うよ」
「でも5月に試験して結果発表が9月って待ち遠しいね。その間何してんの?」
「勉強してるよ。自分としてはかなり感触が良かったから合格しているものと期待している。それで合格ということになったら11月下旬から修習が始まるけど、最初の1ヶ月で教えられることって、通常の頭脳ではとてもじゃないけどそんな短期間には覚えられないような内容なんだよ。だから今の内にちゃんと勉強しておく」
「そういうことを知らなかったら、そこでいきなり挫折か」
「そんなことも知らない人は法曹にはなれないってこと」
「情報戦なんだね」
「そうそう」
「でも修習始まったら全然時間無くなるんでしょ?」
と政子は訊く。
「うん。全く無い。お金だけどんどん掛かる」
と正望はチラっと私を見ながら言う。
「気にしないで。必要なお金は、生活費、参考書代、何でも出すから」
と私。
「ごめんねー」
「これってお金の無い人はとても弁護士になれないね」
と政子が言う。
「そうそう。それが結構問題なんだよ」
「苦しい人はバイトとすかるの?」
「バイトしながらの修習は無理。それでなくても無茶苦茶忙しいからね。そもそも司法修習生は国家公務員だから副業は禁止」
「副業禁止で給料は払わないというのは酷いなあ」
「だけど正望さん、合格していた場合、11月になったら全く時間が無くなるんだったら、今のうちに冬と一緒に旅行にでも行ってきたら?」
と政子は言い出す。
「うーん。でも私、時間無いよ」
と私は言うが
「冬はいつでも時間無いから一緒。私が予約してあげるよ。ハワイでも行ってくる?」
「こないだ半月海外に行ってきたばかりだし」
「うーん。じゃ国内かぁ。北陸新幹線開通したし、石川県の和倉温泉でも行ってくる?」
「私、新幹線開業の翌日に金沢でコンサートしたんだよね〜」
「そういえば私はまだ乗ってないな」
「マーサ、付いてくるの〜?」
「まさか。じゃ鹿児島の指宿温泉にでも行ってくる?」
「ああ。鹿児島も悪くないな」
「新幹線で行ってくればいいよ。東京から鹿児島まで行けるよね」
「まあ新大阪か博多で乗り換えれば」
「東京から鹿児島中央までの直通は無いの?」
「無い」
「作ればいいのに」
「そんなに長時間乗るのはしんどいよ」
「じゃ新大阪か博多で一泊する手かな」
「うん。あるいはその途中のどこかでね」
「あ、広島あたりで一泊して宮島でも行ってきたら?」
「それもいいかな」
「よし。私が手配してあげるよ。あ、正望さん学割利くんだっけ?」
「僕は学生じゃないから利かないよ」
「あ、法科大学院は学割無いんだっけ?」
「いや。法科大学院は昨年11月に退学したから」
「退学したの〜?」
と私と政子は言ったが
「ちょっと待て。なぜフーコまで驚く?」
と正望が言う。
「ごめん。私、聞いたっけ?」
「言ったはずだけど」
「ごめーん。その頃、たぶんアルバム制作とXANFUSの件とかでバタバタしてたんだ」
「冬、さっきも訊きかけたけど、正望さんと最後にデートしたのいつ?」
と政子が訊く。
「うーんと・・・いつだっけ?」
と私が悩んでいると
「去年の4月5日に夕食を一緒にとってホテルで一晩過ごしたのが最後かな」
と正望が言う。
「ひっどーい。じゃ、もう1年以上デートしてなかったの?」
「うーん。そんなにしてなかったっけ?」
「冬、そのうち正望さんに捨てられちゃうよ。もう今すぐデートしてきなさい」
「今すぐって!?」
「正望さんは大学院辞めたら、今何してるんだっけ?」
と政子が訊く。
「ずっと予備校に通ってるよ」
「法科大学院は出なくてもよかったの?」
「昨年のうちに予備試験に合格したからもう行く必要は無くなった」
「そんなものなんだっけ?」
「予備試験に合格したら法科大学院を卒業したのと同程度と認定されるから、わざわざ実用性の低い法科大学院の講義なんて受ける意味が無い」
「へー」
「だから予備試験に合格したら辞める人は多い。その段階で辞めなくても司法試験に合格したら辞める」
「なんで?ふつうは法科大学院の既修者2年生・未修者3年生で司法試験を受けるんじゃないの?」
「在学生には司法試験の受験資格は無い。法科大学院を卒業した翌年しか司法試験は受けられない。そもそも法科大学院2年生で在学中に司法試験を受けて合格した場合、司法修習は11月から始まるから、どっちみち卒業前に辞めざるを得ない」
「変な制度だ」
「同感。最終学年なら在学中に受けられるようにして、司法修習は卒業直後の4月から始めるべきだって気がするんだけど。それもあって法科大学院は人気が無い。そもそも講義内容が法律の実務から懸け離れたものが多い。結局大学には、裁判官や弁護士になれるような実用的な知識を教え、訓練ができるスタッフが居ないんだな。司法試験に合格するには予備校の方が大事。そして、みんな大学の学部生3年の時から毎年予備試験を受ける。僕も3年の時・4年の時と受けたけど通らなかった。昨年やっと予備試験に通ったんだよ。これが優秀な人は学部の3年生で予備試験に合格して4年生で司法試験に合格して、大学は中退して司法修習生になる。法曹の世界で最高に優秀な人の証しは《東大法学部中退》という学歴」
「面白〜い」
政子はそんな話を聞きながら、パソコンに向かってメールを打っていたようなのだが
「OK。チケット取れたって」
と言う。
「何のチケット?」
「冬と正望さんの指宿までの乗車券、今日の東京発広島行新幹線、明日の広島発鹿児島中央行新幹線、どちらもグリーン席、指宿の温泉旅館のスイートルームの宿泊クーポン、25日の鹿児島発羽田着の航空券。これはごめんプレミアム席が取れなかった。現地で可能ならグレードアップして」
「待って。今日なの!?」
「今すぐデートしておいでよと言ったじゃん。14:50発広島行き《のぞみ115号》。15分後くらいにチケット持って来てくれるらしいから、冬、着替えとか準備するといいよ」
「ちょっとぉ!」
「思い立ったら吉日だよ。行ってらっしゃい。JRだから、そこの恵比寿駅からそのまま乗れるよ」
「僕、着替え持ってないけど」
「うちに多少の着替えは置いてあるでしょ?後はコンビニとかで買えばいいよ」
そういう訳で私と正望はバタバタと送り出されて(政子が恵比寿駅までエルグランドで送ってくれた)、鹿児島まで3泊4日の旅に出ることになってしまったのであった。
私たちを送った政子は、そのまま銀座にでも出て、何か美味しいものでも食べようと思ったものの、まずは銀座まで行くのに渋滞につぐ渋滞で苦労する。
「なんでこんなにたくさん車がいるのよ〜!?」
などと言っている。
悪戦苦闘してやっと銀座まで来たものの、今度は駐車場の空きが無い。
「なぜどこも満車なの〜? みんなが少しずつ譲ればもう少し入らない?」
などと無茶なことを言っている。
結局空いている駐車場を探している内に、政子はいつの間にか水天宮の近くまで流れて来ていた。なぜそんな所まで流れて来たかは、政子にも分からない。
取り敢えず空いている駐車場があったのでそこに駐める。そしてせっかくここまで来たし、ということで水天宮の境内に入ってお参りをした。そして銀座まではどうやって行こうなどと考えながら参道を表の方に歩いていたら。向こうから見たことのある30代くらいの男性が来る。
政子は誰なのか思い出せなかったが、向こうがこちらを認めて声を掛けてきた。
「ローズ+リリーのマリちゃん?」
「あ。はい。あなたどなたでしたっけ?見たことあるなとは思ったんですけど」
すると、そんなことを言われたのが彼はショックだったようである。
「僕を知らないなんて、君はモグリかい? 僕は日本を代表する俳優の渋紙銀児に決まってるでしょ?」
「しぶし・・・・、えっと有名な方でしたっけ?」
これで向こうは更にショックを受けたようである。
「僕はこれでも昨年、一昨年と、日本アドリング賞にノミネートされてるんだよ」
「何か大きな賞ですか?」
「日本で最も権威のある賞だよ」
「ごめんなさーい。私、全然テレビドラマとか見ないので」
見ているのはアクアが出ている『ときめき病院物語』くらいである。政子は普段バラエティ番組と音楽番組くらいしか見ない。
「僕は低俗な番組だらけのテレビなんかには出ないよ。僕が出るのは映画だけ。基本的にギャラ2000万円未満の仕事はしないから。去年も『湘南海岸の傘』に主演したんだけど」
「ああ、その映画は見ました。じゃ、そのヒロインの女子大生を演じたのが、しぶしさんだったんですか?」
「ちょーっ。なんで僕が女の子役をしなきゃいけない。その相手役の宮様の役だよ」
「あぁ、そちらでした! 御免なさい。凄く上手に女装したんだなと思った」
「女装はしてみたい気もするが、さすがに女子大生に化けるのは無理」
「あ、女装したいんならお手伝いしましょうか?」
「いい!」
結局立ち話をしててもということで、渋紙さんがお参りしてくるのを待ってから一緒に近くの和食の店に入り、軽食(というよりもう17時なので実質夕食)を食べながら話をする。
「こちらにお参りに来たのは、おうちが近くなんですか?」
「僕の家は田園調布だよ」
「へー。なんか高級そう」
「2年前に20億円で建てた」
「わあ、お金持ち〜」
「まあその内18億円はローンだけどね」
「すごーい。2億円は現金で払ったんだ?」
こういう会話は渋紙さんも心地良いようである。
「18億円を何年ローンなんですか?」
「12年だよ」
「だったらボーナス併用無しの元利均等1%として月1327万198円かな」
渋紙さんは目をぱちくりさせる。
「君、今どうやって計算したの?
「あ、これ計算するんじゃないんです。このあたりにパッと浮かび上がるんです」
と言って政子は自分の右頭から数cmの付近に手をやる。
「君、面白いね!」
と渋紙さんはこの政子の特技を気に入ったようである。
「細かい金額は覚えてないけど、実際そのくらい払ってるよ。そうそう。ここのお参りにきたのは、今度漁村の娘と漁師の映画を作るから、水の神様に一度お参りしておいた方がいいかなと思ったんだよね」
「へー。漁村の娘の役をなさるんですか?」
「漁師の役だよ! ね、なんか、君って僕に女役をさせたがっている?」
「しぶしさん、女装がけっこう似合いそうな気がするし」
「君、趣味が変だね」
「よく言われます」
渋紙さんは、政子が自分のことを全然知らないようだというのに、最初は結構戸惑っていたものの、ふだんチヤホヤされるのに慣れているので、こういう相手と話すのは新鮮だったようである。それで、話は盛り上がり、彼は映画作りの話をあれこれ政子に話してくれた。それを政子が興味深そうに聞いて、しばしばとんちんかんな質問をするので、彼は呆れながらも丁寧に教えてあげていた。
ふたりの会話は結局2時間ほどに及び、
「何か楽しかったね」
「また機会があったら会いましょう」
などと言って、携帯の番号とアドレスを交換して別れた。
一方、私は東京駅から広島行きの《のぞみ115号》に乗り、19時頃に広島駅に到着した。(後で考えると、政子が渋紙さんと別れたのと同じくらいの時刻であった)
今回久しぶりの正望とのデートだったのだが、私は不覚にも新幹線の中で眠ってしまっていた。覚えているのは新横浜を出たあたりまでで、広島に着く直前に正望に「フーコそろそろだよ」と言われて身体を揺すられて目を覚ましたという状態だった。
「ごめーん」
「いや、疲れてるんだもん。仕方ないよ」
そんなことを言いつつも、私たちは改札を出て出口の方に向かう。正望が
「ちょっとトイレ」
と言って、駅構内の男子トイレに行ったので私もその隣の女子トイレに入ろうとした。するとそのトイレの中から思わぬ2人組が出てくる。ふたりとも凄く可愛い格好をしている。
「ローザ+リリンさん?」
「もしかして本物のケイさん?」
それは2009年以来、ローズ+リリーのそっくりさんで売っているローザ+リリンの2人であった。彼らは私とマリより2つ上で、このユニットを作った時はまだ大学1年生であったものの、現在既に25-26歳になるはずだ。
「きゃー! 色々パクっててすみません」
「いや、結構参考になるよ。自分の悪い癖に気づくし。マリはふたりのパフォーマンス見て笑い転げているけどね」
「おこぼれ商法ですけど、けっこう受けるんですよ。ローズ+リリーが売れていてくれる限り、こちらも商売になるかもって思ってます」
「うん。頑張って。特にこちらは来月からアルバム制作に入ってライブがほとんどできないから、その間、あちこち荒らし回るといいかも」
「わはは。本家のお墨付きもらったら安心して歌いまくろうかな」
「君たちふたりとも歌も上手いもんねー」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「そちらは広島で公演してたの?」
「ええ。昨日広島市内で2箇所、今日も午前中に1ヶ所やって明日は岡山です」
「がんばるねー」
「ギャラが安いから数で稼ぐしかないんですよ」
「お疲れ様」
「ケイさんはこちらはお仕事ですか?」
「いや。プライベートな休み。このあと週末に大阪でロックフェスタに出て、7月からはスタジオに籠もりっきりになるから、その前にちょっと休みを取ったんだよ」
「マリさんも一緒ですか?」
「あの子は東京でおやつ食べてると言ってた」
「なるほどー」
「ところでさ、マリがふたりにもし会ったら訊きたいって言ってたんだけど」
「はい?」
「君たちって、そもそもそっちの傾向あったんだっけ?」
「あはは。それは企業秘密ということで」
とケイナちゃんが笑って言っている。
「でも私たち、プライベートでも常に女の子の格好して女言葉で話せと言われてるもんね」
「そうそう。そういう契約なんですよ。もう自分のこと『僕』とか『俺』とは言えなくなっちゃった。友人や家族と話していても『私』が出るんです。アウターだけでなく下着も女物しか着けちゃいけないし。大学にもずっと女の子の格好で出ていたから、性同一性障害と思われてるかも。こういう生活をもう6年間続けているかも、私服も男物が全然無くなっちゃって」
「ああ。そうなるだろうね」
「身体はいじってないんだよね?」
「さすがに商売のために男を捨てる気はありません」
「やはりノーマルなんだ?」
「でも実は体毛やヒゲは永久脱毛しちゃったんです」
「さすがに毎日処理が大変すぎるから」
「まあそのくらいは男に戻った時も支障が無いよね」
「髪も最初の頃はカツラだったけど今はもう自毛だし」
「お化粧は完璧に癖になってる」
「この仕事やめても男に戻る自信がないかも」
「ああ。もうハマっちゃってるでしょ?」
「一応ふたりとも彼女はいるんですけどね」
「最初の頃、女の子の格好で待ち合わせ場所に行くと、恥ずかしいから寄らないでとか言われましたよ」
とマリナちゃんが言う。
「ああ、可哀想に」
「もう。私たちはこういうものなんだと納得してもらったというか」
「諦めてもらったというか」
「たいへんねー」
「結婚式は契約を守ればウェディングドレス同士で挙げる必要があります」
「うーん。まあそれもいいんじゃない?そうだ。女の子の声を出す練習とかはしないの?」
「実は・・・」
と言ってケイナは
「こういう声も出るには出ます」
とアルトボイスで言った。
「すごーい」
「でも女の声で歌ったら、ローザ+リリンとしての商品価値が無いから、私たちはあくまで男の声で歌うのが芸ということで」
とケイナ。
「ゲイの芸かな」
とマリナ。
私たちはお互い記念写真を撮り、通りがかりの女性に頼んで3人並んでいる所も撮ってもらってから、私はふたりに
「頑張ってねー。自分の身体を大事にして人生を誤らないようにね」
と言って別れた。
トイレの前で随分立ち話してしまったが、彼らが立ち去った後で正望が寄ってくる。それで私は取り敢えずトイレはパスして、そのまま駅前からタクシーに乗り、市内の高級ホテルに行った。ここには2年前(2013.10.1)に、政子・青葉と3人で泊まったなというのを私は思い出した。
あの時期、ちょっと行き詰まり掛けていた私はあの夜と前日博多での青葉のセッションで「創作の源泉」を再発見したのである。
さて正望はタクシーに乗る頃から、何だかそわそわしていたのだが、部屋に入ると私の方から進んで正望に抱きつき、深いキスをした。もう本人以上にあそこがもう我慢できない様子である。
それでファスナーを下げ、それを取り出して舐めようとしたのだが
「待って。せめて洗ってから」
と言ってバスルームに飛び込んであの付近を洗ってきたようである。
「じゃベッドで待ってて。私も洗ってくるから」
「うん」
それで私はバスルームに入り、トイレを済ませた上で、あの付近をていねいに洗い、歯も磨いておいた。そして身体を拭いて出て行くと、正望はベッドには入らず、そわそわして歩き回っていた。
「お・ま・た・せ」
私は彼のあそこに挨拶した。
政子は結局水天宮近くのコンビニでいろいろおやつを買ってからエルグランドを運転して自宅に戻った。そして(さっき和食の店で天ぷら5人前を平らげたことは忘れて)晩御飯代わりにケーキなど食べながらテレビを見ていたのだが、その内何だかもやもやした気分になってくる。
「やはりセックスしないと気分が乗らないな」
などと独り言を言ってから時刻表を調べ、新大阪行きの最終新幹線を予約した。
それで恵比寿駅まで歩いて行き、山手線で品川駅に移動して21:23発の新大阪行き《のぞみ265号》に乗る。
そして新幹線の快適なグリーン席で眠ってしまった。
目が覚めると新大阪に着いた所である。政子は駅の出口でふと目を留めたタコ焼き屋さんでたこ焼きを3個買うと(3個買ったら更に1個おまけに付けてくれた)、タクシーに乗って貴昭のアパートの住所を告げた。
それで政子はちょうど0時頃にアパートに到着した。自分が持っている鍵でアパートのドアを開ける。
そして政子はそこにとんでもないものを見た。
貴昭が女性とふたりでキッチンのテーブルに座って楽しそうに話していたのである。
「あっ」
と貴昭が声を出す。
政子はバタンとドアを閉め、急ぎ足で階段を降りた。大通りまで走って出る。ちょうど通り掛かってきたタクシーを掴まえる。
「**ホテルまで」
と一流ホテルの名前を告げる。
「**ホテル大阪ですか?大阪**ホテルですか?」
何それ?と政子は思う。
「どっちでもいいよ」
それで連れて行かれたのは何か安っぽいビジネスホテルのよう。政子はなんでこんなところに連れて来られたのだろうとは思ったものの、中に入っていくとフロントで
「予約は無いけど、部屋空いてませんか?できるだけ豪華な部屋」
と尋ねた。
お部屋の清掃をするので10分か15分待ってくださいと言われ、ロビーの椅子に座った。
貴昭から電話が何本も着信している。メールまで送られてきている。
《彼女が終電を逃してしまったのでちょっとお茶を飲んでいただけ。その後、彼女はタクシーで返した》
と書かれている。しかし政子は
《別にいいよ。その子と結婚したら?》
と返信した。
そして
「冬の馬鹿ー!!!」
と大声で叫んだ。
するとフロントの人が
「お客様、もし泥酔なさっているのでしたら、お泊まりはご遠慮頂きたいのですが」
などと言う。
「大丈夫です。私は正常に作動しています」
と政子は答えた。
私は25日の夜東京に戻ったのだが、政子がひじょうに機嫌が悪いので困惑した。
「冬、冬は私を捨てないよね?」
などと言うので
「私は死ぬまでマーサと一緒だよ」
と言ってキスした。
「セックスしたい」
と言うので、シャワーを浴びてからベッドに行き、たっぷりとふたりだけの行為を満喫した。
「やっぱり私、冬が居ないとダメだよー」
「ごめんね。ずっと一緒に居るから」
「私をひとりにしないで」
「私が生きている間は約束するよ」
「私たちどちらが先に死ぬのかなあ」
「たぶん私だと思う。身体の大改造をしただけでも、かなり寿命を縮めているよ」
「冬が死んだら私も死ぬ」
「マーサは子供や孫の面倒を見てあげてよ」
「そうだなあ。それもいいか。冬、元気な赤ちゃん産んでね」
「うん。いいよ」
その晩は朝までふたりの営みは続いた。
結局翌日26日は午前中はほとんど寝ていて、午後から明日のロックフェスタの準備をする。七星さんが午後一番に来て、2時間ほど簡単に打ち合わせたが、その間、政子は「食料か尽きた」などと言って、エルグランドで買い出しに行ってきたようである。私が正望と旅行に出かけた22日の段階では2週間分くらいの料理のストックが冷凍室にあったはずなのに、留守中にどれだけ食べたんだ??
夕方、秋風コスモスと川崎ゆりこが来て、次のアクアのCDに関する打ち合わせをした。更に8時頃千里も来たのだが、結局、私と政子、千里、ゆりこ、ドライバーの佐良さんの5人で、ゆりこのポンガDXに乗って大阪に向かうことになる。
千里の用事は、彼女の不倫相手(元夫)の細川さんの奥さんが出産しそうということで、その様子を見てきてくれと細川さんから頼まれたらしいのだが、大阪の細川さんのマンションに行ってみると、産気づいた奥さんが倒れて苦しんでいた。それを私と千里と佐良さんの3人で病院に運んだ。
奥さんは結局2日後の6月28日午後になって赤ちゃんを産んだ。41時間にも及ぶ大難産であったが、母子ともに無事で私たちはホッとしたのであった。
日付を3ヶ月ほど巻き戻す。
KARIONは全国ツアーを2月7日から3月22日までの土日にやっていたのだが、平日は空いているので、その時間を使ってシングル、更に年末くらいの発売を想定したアルバム作りを進めていた。
そのシングルは4月1日(水)に発売した。発売記者会見にはKARIONの4人、その両脇に三島さんと土居さん、その更に左右に作詞作曲者の福留彰・相沢孝郎・櫛紀香・黒木信司の4人が並ぶという状態で始められた。
そして最初に本日公開のPVを上映しながら4人が壇上で歌う(PVはカラオケバージョンを使用する:音声オフにして伴奏まで生でやると、歌と映像が合わなくなってしまう)。
最初は『たんぽぽの思い』(泉月)という可愛い曲である。タンポポが風に飛んで、そこからアニメーションになり、KARIONの4人の顔をしたタンポポが空を舞っていく。そのたんぽぽのように彼の元に行きたいと歌った乙女のような恋歌である。
次は『隠れ片想い』(福孝)というフォーク調の曲で、ここには作詞者の福留さん自身の顔を元にしたアニメキャラが登場して、思い人(顔が映っていない女性キャラ)への気持ちを淡々と綴った曲になっている。その思い人の《今彼》のキャラが作曲者の相沢孝郎(TAKAO)さんの顔になっている。
『シンデレラ・トレイン』(照海)は、ポップロックの曲。いい雰囲気でデートしていた2組のカップルが0時になると「終電が出る」と言って慌てて駅に駆け込んで別々の方面行きの電車に乗るというアニメになっている。カップルAの男とカップルBの女、カップルAの女とカップルBの男が同じ電車のすぐ近くに立っている様子が何か波乱を予感させるものになっている。ここに出てくる2組のカップルの顔は、A組が小風とSHIN、B組が和泉とTAKAOである。
最後に『農業詩人の歌』(櫛信)は畑を耕し、作物を育てる夫婦を描いたアニメで、夫婦の夫の方は作曲者の黒木信司(SHIN)さんの顔になっている。労働歌っぽいリズムで「ヨイショ・ヨイショ」というボイス・パーカッション風の声が入っている(歌っているのはVoice of Heartのアルト担当タラちゃん)。
なお、CDの収録順は、『たんぽぽの思い』『隠れ片想い』『農業詩人の歌』 『シンデレラ・トレイン』の順である。
今日の4人の衣装はタンポポをイメージしたクリーム色のドレスである。4人が歌い終わって席についたところで質問が出る。
「今回は全部アニメのPVなんですね」
「はい、いつもはライブ映像が多いのですが、今回は珍しく予算がついたので」
と和泉が答える。
「アルバムの方はいつ頃出すんですか?」
「まだハッキリしませんが、年明けくらいになるのではと考えています」
「今回のアニメの中にKARIONのみなさん、それに作詞作曲者の方が入っているようですね」
「はい。葵照子・醍醐春海は顔出しNGということで入らず、代わりに私とこかぜが出て、TAKAOさん、SHINさんにも出演してもらいましたが他は各々の楽曲作者が出演していますね」
と和泉は答える。
「『農業詩人の歌』は櫛紀香さん作詞・黒木信司さん作曲ですよね?櫛紀香さん出てましたっけ?」
「畑を耕している夫婦の夫が黒木さんで、妻が櫛さんです」
これに記者たちがざわめく。
「あのぉ、櫛さん女装ですか?」
「してません。顔を出しただけです」
と櫛紀香本人が答える。
「新機軸で女性に転換なさる訳ではないですね」
「すみません。僕、そういう趣味は無いので。黒木さんとどちらが妻役をやるかはジャンケンで決めました」
あちこちで小さな笑い声が起きていた。
「櫛紀香さん、大学を卒業なさったんでしたっけ?」
「はい。先月卒業しました。それで本当に農業詩人になりました。今雪解けした後の耕作の準備をしている所です」
「ところで皆さんの座っているお席で気になったのですが、相沢さんと黒木さんは両端に座っておられますが、仲が悪い訳ではないですよね?」
「あんたたちって、バンドを見たら不仲説を流すでしょ?」
と相沢さんが笑っている。
「僕たちは仲良しですよ。こないだキスしたし」
と黒木さんが言うと
「ちょっと待て」
と相沢さん。
「あのぉ、恋愛関係にあるのでしょうか?」
「違ーう。俺はノーマルだ」
と相沢さん。
「全ての恋愛関係はノーマルで、アブノーマルな恋なんて無いんですよ」
などと黒木さんは悪ノリして言う。
「でもSHINさんはゲイというよりは女装趣味の方じゃないの?」
などと小風が言う。
「女装は嫌いじゃないけど、女装趣味とまではいかないよ。僕スカートも持ってないし」
と黒木さん。
「じゃ今度プレゼントしようか?」
「いい」
「SHINさん、ウェストはいくつですか?」
と記者から質問が出る。
「いくつだったっけ? 僕、適当に穿いてるから」
と黒木さんは言ったのだが
「以前SHINさんにスカート穿かせた時、66が穿けましたよ」
と小風が言うと
「細ーい」
という声が上がる。
「SHINさんは今年は女装を、櫛紀香さんは今年こそ性転換を」
と小風。
「なんで僕が性転換なんですか〜?」
と櫛紀香が言った所で、会見は終了となった。
発売後はミニキャンペーンを行った。
1(水) 札幌 2(木)福岡 3(金)名古屋 4(土)神戸大阪 5(日)横浜東京
というわりとハードスケジュールである。私たちは記者会見をした後すぐに羽田に移動した。
行くのは、KARIONの4人とマネージャーの花恋のみだが、三島さん・土居さん、黒木さん・相沢さん、福留さん・櫛さんも羽田まで見送りに来てくれた。
「だけどよく農業詩人になろうと決断しましたね」
と福留さんが櫛さんに言っている。
「いや、KARION様々ですよ。昨年の『動物たちの舞踏会』の印税だけでも400万ほどありましたから。このくらいあれば何とかなるかなあという感じで。福留さんもKARIONの印税は大きいでしょ?」
「うん。昨年だけで1200万くらいかなあ。まあ税金でごっそり持って行かれたけど。でもどうしても印税は不安定だから僕はずっとバイトしてるんですよ」
「福留さん自身のCDは売れてないの?」
「年間数百枚のレベルだね」
「ああ・・・バイトは何してるんですか?」
「電話占い師ですよ」
「え〜〜!?」
「自分が空いている時に待機に入ればいいから、他の仕事と両立しやすいんですよ。まあ報酬は毎月2〜3万円程度ですけどね。でもそれがあるだけで全然違う」
「ああ、それはわかります。でも何て名前で出てるんですか?」
「恥ずかしいから秘密」
「でも男性占い師の需要って少なくないですか?」
と小風が訊く。
「うん。こういう仕事は女性が絶対有利。男であることがハンディキャップなんですよ。超有名占い師は別でしょうけどね」
「福留さん、女の子の声が出せるように頑張って練習して女性占い師の振りをするとかは?」
「挑戦してみたことあるけど、僕には無理なようだと諦めた。ささやき法とかだと、ふつうの会話なら女の声に聞こえないこともないみたいだけど、電話占いの場合、相手が携帯とか家電の子機で自室からこっそり掛けているんで、通話が不安定で、お互い聞き取りにくいんですよ。すると胸の底からハッキリ声を出すようにしないと相手に伝わらない。それに軽い声はクライアントが不安がるんです。どっしりした低音で話した方が向こうは安心する」
「ああ。確かに逆に女性占い師でも低音で話す人がけっこう支持されますよね」
「そうみたいですよ」
彼らに見送られて私たちは14時の新千歳行きに乗った。15時半に新千歳に着き、その後札幌市内に入って夕方のFMの番組に出演した上で19時から市内のCDショップでキャンペーンライブをした。
その日は札幌市内で泊まり、翌日は新千歳1025-1300福岡の便で福岡に移動する。夕方からのFMの番組に出演してからその後、天神地下街でミニライブをした。更に福岡で1泊した後、翌金曜日は福岡1110-1235中部国際の便で名古屋に移動。また夕方からFMに出た後、栄の地下街でミニライブをする。そしてその日は更に新幹線で神戸に移動して泊まる。
「歌手ってやっぱり体力勝負だよねぇ」
とそろそろ疲れがピークに達して、ベッドの上でぐったりしている小風が言う。
「音羽や光帆は毎日ジョギングとかしてるみたいね」
「頑張るなあ」
「あの子たちのステージ激しいもん。2時間ひたすら踊りながら歌ってるし」
「17-18歳ならまだいいけど、23歳にもなるとおばちゃんには辛いぜ」
「小風、自分がおばちゃんだと思った時が、おばちゃんの始まりらしいよ」
「むむむ。まだお姉ちゃんで頑張らなきゃ」
「だけどこないだのパラコンズの結婚宣言にはびっくりしたねー」
「うん。でもいいんじゃない?ああいうのも」
それは3月下旬のことであった。
パラコンズは実は2008年組のひとつである。もっともメジャーデビューしたのは2012年で、それまでインディーズで、関西ローカルに近い形で活動していた。そして昨年春に休業宣言をして「しばらく充電します」と発表していた。ところが先日ふたりは共同で記者会見を開き、最初にいきなりふたりでキスした上で
「私たち結婚します」
と冒頭発言したのである。
その場にいた多くの記者が、てっきりパラコンズのくっく・のんのがレスビアン婚するのかと思った。
「おふたりはレスビアンだったんですか?」
と質問されてふたりは
「は?」
と聞き返す。
「あのお、くっくさんとのんのさんがご夫婦になられるんですよね?」
「どうしてですか〜? 私もくっくも花嫁になりますよ」
「ふたりともウェディングドレスを着て女同士で結婚式を挙げられる訳ですか?」
「まさか。ふたりともそれぞれ別の男性と結婚するんですよー」
記者席にざわめきが起きた。誰もそういう意味には取らなかったのである。
「おふたりが結婚する訳じゃないんですね?」
「まさか」
「じゃ冒頭のキスは?」
「いつものことです」
「ただの仲良しの印です」
くっくがキス魔であることは有名である、被害者は多数居て、私もやられているが、AYAのゆみ、XANFUSの音羽もやられたらしい。男性でも大林亮平君やチェリーツインの紅ゆたかさんなどが被害に遭っているようである。
「でも私たち仲良しだから、披露宴は合同でやることにしたんです」
「ああ、そういうのもいいかも知れないですね。結婚式は別々ですか?」
「はい。8月15日の10時にくっくが結婚式、11時に私の結婚式、そして12時から合同披露宴です」
「8月15日なんですか!?」
「式場が空いてたので」
「不思議ですね。土曜日で友引なのに空いてたんですよ」
「それは空いてるかも知れませんね」
記者たちも彼女たちが受け狙いで言っているのかマジなのか判断に迷った。しかしお盆に結婚式をやられては、招待される側も大変だ!
ふたりは色々な質問に答えた後、最後にまたキスをして会見を締めくくった。
「だけど、08年組の中にもそろそろ結婚を視野に入れてくる子も出てこないのかなあ」
「みんな契約上はどうなってんだっけ?」
「スリーピーマイスは恋愛や結婚に関する制約は無いと言ってたよ」
「あの人たちは恋人がいるという話になってもセールスに影響は無いだろうね」
「私たち3人は25歳まで婚約・結婚・出産が禁止されていて恋愛は禁止されてないけど、冬もだっけ?」
と美空が訊く。
「同じだよ。∴∴ミュージックとの契約では私も美空たちと同じ。UTP,△△社、○○プロとの契約では恋愛・結婚に関する制約は無い。但し25歳までは出産はしないでくれという条項がある」
「冬って赤ちゃん産めるんだっけ?」
「うーん。あまり産む自信ないけど、契約する時に浦中さんが世の中何があるかわからないし、この条項は他の女性タレント同様に入れさせてくれ、マジでケイちゃんが1年間出産休暇取られたら無茶苦茶やばいからと言われた。まあ実際本当に出産したら1年と言わなくても前後数ヶ月は稼働できないだろうからなあ」
「冬たちから曲をもらっているアーティストが困るよね」
「冬ならホントに産むかも知れんという気もしないではない」
「政子ちゃんも同じ?」
「そうそう。出産は25歳以降。ただし私も政子も町添さんとの口約束で結婚・出産は27歳以降にしますと言っている」
「ほほお」
「AYAは28歳まで恋愛・交際・結婚・妊娠・出産禁止らしい」
「あそこは規約が厳しいからなあ。仕方ないかもね」
「麻生まゆりちゃんも昨年28歳の誕生日を迎えてから引退・結婚したね」
「音羽と光帆は25歳までは男性との交際禁止という条項があったんだよ」
「男性とのか〜?」
「だから女の子との恋愛は禁止されてないはずと主張していたんだけど、昨年は社長交代した時に、屁理屈だと言われて音羽は契約違反ということで解雇されたんだよね」
「いや、それは屁理屈だというのに賛成」
「今の事務所とは恋愛や結婚に関する制約は無い状態で契約している」
「じゃ堂々と結婚できるわけか、あのふたり」
「でもまあ復帰してすぐに結婚という訳にもいかないだろうし、しばらくは自主規制するんじゃない?」
「というか、あの2人、結婚式は挙げてなくても事実上既に結婚してるよね」
「確かに確かに」
その時、私たちはそんな感じで他の年頃の歌手などについても恋愛論議をしていたのだが、その後5月上旬に行われた山村星歌と本騨真樹の結婚記者会見にはみな度肝を抜かれた。マジで全国に「失恋」した多くのファンの悲鳴が鳴り響いた。
そんな中、5月下旬に「ローズ+リリーのマリ熱愛か?」という報道をした週刊誌があった。ふたりが「密会」していたという写真も掲載されていたが、その日のうちに政子は★★レコードで、《交際相手》と報じられた俳優のBも所属事務所で各々記者会見し、その報道を否定した。
「お腹空いたんで、新宿に出てマクドナルドでビッグマック8個食べて。少し食べ過ぎたかなあと思って腹ごなしに散歩していた所にBさんとバッタリ会ったんです。スタバにでも入ってちょっと話さない?というので一緒に入ってお話しただけなんですよ」
と政子は言った。
「スタバでは何を飲まれました?」
「キャラメルマキアートを5〜6杯飲んだかな。あとモッツァレラ・ポークのフィローネ3個、アップルパイ2個に、ドーナツも5〜6個食べたかな」
記者たちの間に苦笑が漏れる。政子の大食いはみな知るところである。
「お話はどんなことだったんですか?」
「最初はたこ焼きの話だったんですよ。最近のよくあるたこ焼きって、小麦粉だけで作られているし、お好み焼き粉を流用したとしか思えないような店まであるけど、じん粉を使ってふわっとした感じに作るのが最高だよね、というので意見が一致したんですよ」
「じん粉って海老餃子とか、明石焼きに使いますよね?」
「そうそう。明石の玉子焼はじん粉を使うんです。たこ焼きって元々玉子焼きのバリエーションだから、たこ焼きも最初はじん粉を使うのが本来だったんじゃないかなあ、と言ってたんですよね」
「スタバの後はどこに行ったんですか?」
「どこにも行きませんよ。それで別れました」
「でもキスくらいしたんでしょ?」
「ああキスですか」
「どんな感じでしたんですか?」
「私は釣りはしたことないんですが、Bさんは鱚(キス)釣りを時々なさるそうで。私はもっぱら食べるばかりだからお店でしか買ったことないし、天ぷらとか南蛮漬けしか食べたことないんですけどね。釣ってその場で塩焼きにすると凄く美味しいらしいです。お刺身では食べられないんですか?とお訊きしたんですが、キスは寄生虫がいるから素人はやめといた方がいいらしいです」
「魚のキスですか・・・・」
「恋とかの話はしなかったんですか?」
「ああ、それで結構盛り上がりました」
「どんな感じのお話でした?」
「鯉(こい)といえばやはり洗いだって言うけど、洋風にワイン煮にするのもいいですよねと私は言ったんですけど、Bさんは日本酒を使って和風のうま煮の方がいい気がする、ということで、今度お互いに試してみて報告しようか、なんて言ってたんですけどね」
「ああ。それも魚の鯉ですか?」
「へ?果物のコイとかありましたっけ?」
「愛のお話はしなかったんですか?」
「ああ。しましたしました」
「どんな?」
「鮎(あゆ)はシーズンが限られているけど、やはり獲れてすぐの新鮮なのがいいよねという話で。サボって町中で食べようとせずに、鮎の獲れるような水のきれいな所までちゃんと行って食べないと本当に美味しいのにはありつけないよねと」
「なるほど」
「少し時間の経ったのなら、塩焼きも悪くないけど、甘露煮とか南蛮漬けとかも良いよねとか」
「えっと・・・もしかして食べ物の話ばかりなさっていたとか?」
「あ、そうかも知れません」
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【夏の日の想い出・ベサメムーチョ】(1)