【夏の日の想い出・誕生と鳴動】(下)

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18時半頃に空港に入った。例によって出国審査を通った後で夕食を取った。
 
アントニオカルロスジョビン国際空港を21:55発のブリティッシュ・エアウェイズ BA248(B777)に乗り込み11時間15分のフライトでイギリスのヒースロー空港(LHR)に到着する。到着したのは6月8日(月)の13:10, 9300kmの旅である。時刻帯はUTC-3からUTC+1に変わる。
 
長旅が続いたので6月8日は午後いっぱい休養日になっている。更に明日9日は20時からのライブである。
 
「ね、スコットランド行って来ようよ」
と政子がもうすぐヒースローに到着するという頃になってから言い出した。
 
「休んでようよぉ。前回パスしたウェストミンスター寺院とか見に行ってさ」
と私は言うが
 
「スコットランドで男の人がスカート穿いてるのを見たい」
などと言う。全くどういう趣味なんだか。
 
それで氷川さんが付き添ってくれて、そのままヒースロー空港から国内便に乗り継ぎ、LHR 16:40 BA1452(A319) 17:55 EDI というタイムスケジュールでエディンバラ空港まで行った。
 

「いや、もう事務処理が何だか膨大にあって疲れていたので逃げ出したかったんです。伝票の数が凄まじいのに無関係の伝票を紛れ込まそうとする人がいるから、チェックも大変で」
 
などと氷川さんはエディンバラ行きの飛行機の中でで言っていた。
 
「エディンバラまで車で行けるかと思ったら飛行機でないと厳しいのね?」
と政子が言う。
「600km近くあるから車だと移動で1日潰れてしまう。東京から青森くらいの距離があるよ」
「そんなにあるのか。イギリスにも新幹線があればいいのに」
「インターシティ225という高速列車が走っている。最高速度200km/h。一世代前の新幹線の感覚かな。それでもロンドンからエディンバラまで4時間半掛かる」
 
「やはり遠いんだなあ」
「今日はヒースローからキングクロス駅までの移動時間も考えるとヒースローから直接エディンバラに飛んだ方が早いという結論に達したんだよね」
 

「2年前にイギリスにいらっしゃった時はスコットランドまではご覧にならなかったんですね?」
と氷川さんが訊く。
 
「そうなんですよ。あの時はストラトフォードアポンエイボンで1日過ごした後リバプールに行ってマジカルミステリーツアーのバスに乗ったんですよ」
と私は言う。
 
「それで『花の国』とか『恋人たちの海』とか『Back Flight』とかお書きになったんですよね?」
と氷川さん。
 
「そうです、そうそう。もっとも『恋人たちの海』は黒海上空、『Back Flight』も飛行中に書いた曲ですが」
と私。
 
「『花の国』はストラトフォードでしたっけ?」
「そうです。ほんとによく覚えておられますね」
 
氷川さんは私たち自身が忘れてしまっているようなことまで、しばしば覚えてくれている。
 
「だけど今回のツアー行程4万kmの内、既に3万kmは移動したんですよね」
「そうなんですよね。まだライブは半分も終わっていませんけど」
 
今回の行程では、日本−アメリカ、アメリカ−南米、南米−欧州、欧州−日本が各々1万kmクラスの移動である。
 
「あれ?地球一周って約4万kmだっけ?」
と政子が言う。
 
「そうそう。約じゃなくて正確に4万km」
「へー、39800kmとか41800kmとかじゃないんだ?」
「そもそも地球1周の長さの4000万分の1を1mと定めたんだよ。正確には赤道と北極の間の子午線長の1000万分の1を1mにした」
 
(その後「メートル」の定義が変遷したこと、また地球は実際には球体ではなく楕円体であることから、正確な地球一周の長さは赤道一周が40075km, 子午線一周が39941kmである。つまり「横に1周」するほうが「縦に1周」するより134km長い)
 
「そうだったのか! でも誰が決めたの?」
「フランス革命政府。1799年だからナポレオンが第一統領だった時代」
 
「なるほどー!さっすがナポレオン。でも私たち凄い旅をするんだね!」
「まあ世界一周旅行だよ」
「すごーい」
 
と言って、政子は今日は『赤い情熱』で詩を書き始める。『Around the world towards to your arms』などと書いている。
 

到着したのは17:55だが、まだ日は高い。確認すると、この日の日没は21:53, 日暮れは23:12である。高緯度地方の夏の夜は明るい!(翌日の夜明けは3:10, 日出は4:29)
 
「せっかく『街』を見に来たんだから、庶民の街を見ましょう」
と氷川さんが言って、ホテルのフロントで尋ねて女性でも安心して入れるような庶民的なパブを紹介してもらい訪れた。
 
「取り敢えずビール」
などと言って、スコティッシュ・エールの樽出しを注いでもらい乾杯する。
 
「あ、これ結構好きかも」
などと政子は言う。
 
日本などではビール(ラガー)は冷えていて泡がたっぷりというイメージだがイギリスのビール(エール)は15度くらいの温度で出てくるし、泡も少ない。
 
「コーヒーとかもアイスコーヒーって味が分かりにくいから深煎りにして砂糖も多めに入れたりしますよね。たぶんビールもギンギンに冷えたものよりこのくらいの温度で飲んだ方が味わいが分かりやすいんですよ」
と氷川さんは言う。
 
「ああ、なるほど。そうかも知れないですね」
 
ビールは基本的に上面発酵型と下面発酵型に分けられる。エールは上面発酵であり、15-20度程度の高温で1〜2週間という短期間で発酵させる。これに対して日本で主流となっているラガーは下面発酵で8-10度くらいの低温で1ヶ月から1ヶ月半ほど掛けて発酵させる。
 
またビールは基本的に水・麦芽(モルト)・ホップ・酵母の4つで作られるのだが、イングランドのエールではホップが多く使われているのに対してスコティッシュ・エールはホップを使わないのが基本で、その分、本来の燻製されたモルトの味が強く出るのである。
 

政子はスコットランドに来たらハギス食べなきゃと言って、それを注文して美味しそうに食べていた。私はスコッチブロスを頼んで食べていたのだが、これがまた絶品であった。
 
私たちは食事しながらも大衆的なパブの雰囲気を楽しみ、そして詩や曲を合間合間に書いていた。
 
その内、ライブが始まった。この日ステージに立ったのは女性2人組。年齢は40代であろうか。姉妹か友人かは分からないがお揃いの黒いドレスを着て1人がピアノを弾き、ひとりが歌を歌っている。歌っているのがAnnieさん、ピアノを弾いている人がLoraさんらしい。
 
シーナ・イーストンのナンバーを多くカバーしているようで、私たちにも馴染みの曲が多かった。しかしクリアで美しいソプラノボイスだ。
 
私たちが結構熱心に見ていたら、こちらが日本人というのに気づいたようで『Wings to Fly(翼をください)』を歌ってくれた。
 
「歌詞が結構直訳っぽいね」
などと政子が言うので
「これ多分、スーザン・ボイル(Susan Boyle)版だと思う」
と言って氷川さんを見ると
「ええ。私もそう思いました」
と言っている。
 
「誰だっけ?」
「エディンバラ出身の歌手だよ。48歳の時に歌番組に出たのがきっかけでデビューするとことになった、いわば中年シンデレラ」
「へー!」
「ああいう人が出てくると、売れてないけど音楽やっている人たちは凄く勇気付けられますよね」
と氷川さんも言っている。
 
「たぶんマーサの好みだと思うよ」
「うちにCDある?」
「最初に出した自主制作盤だけは入手できなかったけど、大手から出たものは全部あるはず」
「帰ったら聞いてみよう」
 

歌が終わった所で、私たちが大きな拍手をするとアニーさんもこちらに一礼してくれた。
 
「Was I right?(間違ってませんでした?)」
と彼女が訊く。おそらくややうろ覚えで歌ったのだろう。
 
「Yes, You were right. It was beautiful singing」
と私は答えたのだが
 
「でも1ヶ所だけ音が違ったよね」
と政子が言い出す。音の違いに気づくとは政子もなかなか耳が上達している。
 
すると政子の発言を聞いた男性客が
「Point out any mistake, if there were. That is more kind」
などと言い出す。
 
ステージ上のアニーさんも「Please」と言うので、私は1ヶ所だけメロディーが違っていたところを歌ってみせた。
 
「In chorus part, you sang like this "La la la- La la la, La la la-La la la",while the original melody is "La la la- La la la, La la la-La la la"」
 
と私は彼女が歌ったのと、大元のメロディーとを歌い分ける。
 
「Oh, thank you. I'll confirm there」
と彼女は言ったが
「But you sing very well! Would you sing with me?」
などと言い出した。
 
すると客が大勢拍手をする。私は困ったなと思ったのだが、氷川さんも頷いているので私は政子を連れてステージにあがった。
 

「What would you sing?」
と私が訊くと
 
「Can you sing "Memory" from Cats?」
と訊くので
 
「Yes, yes」
と答えて伴奏が始まる。
 
最初ユニゾンで歌い始めるが3人とも音程が正確なので声が1つにまとまり、自分の声が全体に溶け込んで自分で聞こえない状態になる。初心者は不安になるのだが、これが音程がちゃんと合っているという証拠である。アニーさんもこちらが音程・歌詞ともに正確に歌うので、喜んでいるようである。最初はユニゾンだったもののサビの途中「The streetlamp dies in the cold air...」で盛り上がっていく部分では、お互いの呼吸で三和音唱にすると、客席から歓声があがっていた。音を伸ばしたところで拍手も来る。
 
その後は語り部分もずっと三部唱で歌っていく。ピアノ伴奏のローラさんも歌いやすいように音のヒントをくれるので政子もノーミスで歌っていく。Touch meと歌う所を政子がうっかりMemoryと歌おうとしてMetch meみたいな感じになったのは、まあ愛敬だ。
 
きれいに終止して、大きな拍手をもらう。
 
「Wonderful!」
「Brave!」
などという声も飛んでくる。さっき間違ってたら教えてあげなよと言った男性客など
「You can be a singer!」
などと言うので、私たちは曖昧に笑っていた。
 
歌い手さん・伴奏者ふたりと握手して私たちは客席に戻った。
 

彼女はその後、ビートルズの『Fool on the Hill』、ユーリズミックスの『There must be an Angel』と歌った後、彼女が言う。
 
「Next, the last song. I will sing a song from Japan again. It is very beautiful song, that I prefer so much. "Room you are absent" from the album "Flower Garden", by Rose plus Lily」
 
私も政子も思わず食べていたポテトフライを喉に詰まらせそうになった。
 
「What happened?」
とステージ上の彼女が戸惑いがちにこちらを見る。
 
それで氷川さんが笑って
「These two is the Rose plus Lily」
と言うと、驚いたような歓声がパブの中に広がる。
 
「Then, sing yourself!」
と声を掛ける客が何人もいる。アニーさんも拍手しているので、結局私たちはまたステージにあがり
「Let's sing together」
という。
「OK,OK」
ということで、私たちはアニーさんと握手して『あなたがいない部屋』を歌うことにした。酒場の隅にふるぼけたヴァイオリン(フィドル?)があるので
 
「Can you use that violin?」
と尋ねると、酒場の人が取ってくれた。一礼して受け取る。弦が完璧に緩んでいるのを締めて急いで調弦する。
 
ピアノ担当のローラさんと頷いて彼女のピアノに合わせて私が前奏のヴァイオリンを弾く。やがて歌の部分が始まるがAメロ・Bメロは私は歌わずにヴァイオリンに集中する。それでアニーさんとマリがデュエットする形になった。
 
元々高校時代に政子がタイに転校して行くと聞いて、そのショックを慰めるかのように私が弾いたヴァイオリンを雨宮先生がまとめてくれた曲である。「モーリー作詞・ケイ作曲」という変わったクレジットの曲だ。但し英語歌詞はマリが翻訳している。
 
私はその時のことを思い出しながらヴァイオリンを弾いていたが、いつしか涙が目に浮かんでいた。客も息を呑むかのように静かに聴いている。間奏のところでは私は自由な音の並びを紡ぎ出しいく。それにピアノのローラさんが合わせてくれる。こんなの元の曲には無いのにという感じの長い展開になり、私の超絶技巧に拍手が鳴る。そしてやがてヴァイオリンの旋律は元の曲に戻ってくる。
 
私はその後Aメロ・Bメロはヴァイオリンを身体から離してアニーさんと一緒にケイのパートをユニゾンで歌った。それにマリが歌う「だいたい3度下」の音が絡んでいく。
 
サビで絶唱のような感じで長い音をたくさん歌う。更にサビを2度繰り返して曲は終曲へと進んでいく。
 
歌い終わると、物凄い拍手と歓声があり、私たちは何度もお辞儀をした。そしてアニーさん・ローラさんと握手してステージを降りた。
 

パブを出たのが21時すぎであったが、まだ太陽は沈んでいない!
 
「私、時計を合わせそこなったかな?」
と政子が言うが、私や氷川さんの時計と同じなので
「大丈夫、間違ってない」
と言う。
 
「まだ昼間なのに」
「うん。今日の日没は21:53,日暮れは23:12だから」
「なんでそんなに遅いの〜?」
「高緯度だから」
「うーん・・・」
「今は夏だからね。冬になると極端に日が短くなる。15時くらいで日が沈んでしまう」
「こういう地域で生活していると、昼や夜という概念が日本の東京あたりとは違う物になりそう」
「まあそうだろうね」
 
それで政子は街灯のあかりの下で、『Short Night』という詩を書いていた。
 
「前回イギリスに来た時は特に何も感じなかった。リバプールって緯度はどのくらいかな」
「リバプールは北緯53度くらい。でもあの時は9月で秋分に近かったから18時くらいで日没だったんだよ」
 
「なるほどー」
「夏至の頃は夜が短い、冬至の頃は夜が長い」
 
「でもブエノスアイレスではふつうだったよね?」
「あそこは南緯35度くらいだったはず」
「そっかー。今回もっと高緯度の所に行ったりする?」
「サンクトペテルブルグは北緯60度くらい」
「サンクトペテルブルグの日没は?」
 
訊かれたので計算サイトで確認する。
「サンクトペテルブルグの今日の日没は22:15, 明日の日出は3:40」
「日暮れ・夜明けは?」
「日暮れ・夜明けは起きない」
「起きない〜?」
「太陽はずっと地平線のすぐ下にあって、空はずっと明るいまま」
「白夜なんだ!」
「サンクトペテルブルクでは夏至を中心にして1ヶ月くらいの間は日暮れが起きないみたいね」
「ちょっと楽しみ〜」
 

この日はむろんエディンバラのホテルで過ごす。私と政子はスイートルームを取ってもらい、氷川さんは隣のダブルルームをシングルユースで取って休んだ。氷川さんもぐっすり眠ることができて、旅疲れを少しでも解消できたようである。今夜は政子も1回セックスしただけであとは朝まで熟睡していた。やはり3万kmの旅で疲れが溜まっていたのだろう。
 
なおロンドンで私たちが泊まることにしていたスペシャルルームには加藤課長が最初近藤夫妻に泊まりませんか?と言ったものの遠慮されて、線香花火の2人に打診したら、そんな豪華な部屋では眠れないと言われて、結局風帆伯母と七美花が使用したらしい。七美花は豪華な部屋に単純に喜んでいたという。
 

翌日朝御飯を食べながら今日のスケジュールを確認する。
 
「午前中エディンバラ城に行き、市内でお昼を食べた後、エディンバラ空港に移動。15:35-17:05 Easy Jet U2808 (A319)でロンドンのガトウィック空港(LGW)に飛びます。それから会場入りして20時からコンサートです」
 
と氷川さんが言ったのだが、
 
「電車じゃ間に合わないんですか?」
と政子が言う。
 
それで氷川さんが時刻を確認すると、12:30の特急に乗るとロンドンに17時に着くことが分かる。
 
「到着時刻は飛行機と同じか」
「いや到着後の手間を考えるなら多分列車の方が早い」
 
「じゃそれにしましょうよ。飛行機ばかりじゃ詰まらない」
「いいですけど、お昼が食べられませんよ」
「1食くらい平気」
 
政子の言葉とは思えない発言だ。それでチケットを予約する。1等を3席取ろうとしたら、政子が旅の雰囲気を楽しむには2等席でというので、2等をテーブルを挟む向かい合わせの席で確保した。
 

食事が終わった後で、ホテルをチェックアウトし、出かけようとしていたら、FMIのエジンバラ支店の男性がやってきた。
 
「パトリエールに言われてやってきました。何かお手伝いすることがあったら何でも言って下さい」
などというので、荷物をエディンバラ駅に移動してくれるよう頼む。
 
「鉄道でロンドンに入るんですか?」
「ええ。イーストコーストの風景が見たいというので。そうだ、私たちは12時頃に駅に入るので、もしよかったら、サンドイッチとノンアルコールドリンクでも何か調達しておいていただけませんか? エディンバラ城を出るのが恐らく11時半頃になると思うので」
 
「いいですよ」
 
それで彼に荷物を預け、サンドイッチと飲み物を買うお金も渡して、私たちはバッグひとつでエディンバラ城に行くことができた。
 

入場は9時半からなのだが、朝8時半から並んだおかげで開くとすぐに入ることができた。政子は列に並んでいる間もずっと詩を書いていた。
 
城内を見学していて政子が何だかキョロキョロしているので「どうしたの?」と訊いたら「キルト穿いた衛兵さんとかが居ない」などと言っている。
 
ああ!それが目的であったか!!
 
衛兵さんは見るものの、普通に(?)ズボンを穿いてるのである。
 
「どこかにキルトの人もいると思うよ」
と言っておいたのだが、残念ながらこの日は城内でキルトを穿いた人は見ることができなかった。
 

エディンバラ城を出たのが11時半くらいである。その付近で昼食を取ってから空港に行きましょう、ということでロイヤルマイルの坂を下っていく。
 
「あ、いた!」
と政子が嬉しそうに声をあげる。
 
道にキルトを穿いてバグパイプを演奏している男性が立っていたのである。
 
政子がニコニコとした表情で見つめていると、彼はちょっと照れている感じであった。たっぷり彼が1曲吹き終えるのを聴いてからパチパチパチと大きな拍手をする。彼もお辞儀をしてくれた。政子がとっても褒めるので彼は照れていた。ついでに一緒に並んだ記念写真も撮らせてもらった。
 
その後、エディンバラ・ウェイバリー駅に向かうが、FMIの人から荷物と昼食用サンドイッチを受け取る。
 
列車は10分ほど遅れてきた。乗り込んで予約していた席に行くと、中年の男性が座っている。氷川さんが「We have reservation here」と言うと「Sorry」と言って隣の席に移動してくれた。指定が入っている席には"Reserved"と印刷された紙が差してあるのだが、誰か来たらどけばいいやという感じで予約を無視して座っている人がいるのは、日本と同様のようである。
 
しかし隣に移った4人がかなりの下ネタトークをしている。しかし私たちは気にするほどウブでもないので、聞き流しつつ買っておいてもらったサンドイッチを出して食べていた。しかし・・・・
 
「量が少ない」
と政子が言う。
 
「ああ、どのくらい買っておいて、というのを言い忘れたからなあ」
「ふつうに女性3人で食べる程度の量を買ってありますね」
「取り敢えず、私の半分あげるよ」
「私のも半分あげます」
 
と言って政子は私と氷川さんから分けてもらって喜んでいた。
 
しかしそれを見た、隣の席の男性達が
 
「あんたスポーツ選手か何か?たくさん食べるね」
と声を掛けてくる。
 
「私は歌手ですけど、胃袋はスポーツ選手並みだって言われます」
と政子が答えると
 
「おお、だったら、このスコーン食べない?」
などと言うので
「頂きます」
と言って美味しそうに食べていると
「あんた、感じいいね!」
「歌手志望なの?」
「あんたきっと売れるよ」
 
などと彼らから言われた。ビールやウィスキーも勧められたものの、この後仕事があるのでと言ってお断りしておいた。
 
しかしそのあと4時間ほどの汽車の旅は彼ら4人との楽しいトークで過ごすことになったのである。彼らはけっこう際どいネタも話すものの、政子が割とうまくあしらうので、それも彼らに気に入られたようである。
 
「CD出したら教えてよ。買うからさ」
などと言われて、握手して別れた。
 
政子は上機嫌な感じで、ロンドのキングクロス駅から会場までタクシーで移動する間にもレターパッドに赤い情熱を使って楽しい詩を2篇書き綴り、会場に到着してからも更に2篇書いていた。
 

20時、この日会場となったオペラハウスでローズ+リリーのロンドン公演が幕を開ける。
 
オープニング。幕が開く前から私のソロヴァイオリンが鳴り響く。今回持ってきているヴァイオリンは6000万円の「ガルネリもどき」のヴァイオリンAngelaである。私が弾く『あなたがいない部屋』の前奏の調べに合わせて野乃さんの弾くスタインウェイのグランドピアノの音が鳴り響き、そして幕が開く。
 
大きな拍手がある。
 
私はステージ前面に立ってヴァイオリンを弾いており、そばにマリがマイクを2本持って立っている。やがて前奏が終わる。私はそのタイミングで近づいてきた氷川さんに楽器を渡すと、マリからマイクを受け取って、この曲を歌い始めた。
 
伴奏は野乃さんのピアノのみである。
 
歴史を感じさせるオペラハウスに私たちの声が染み渡るように響く。
 
間奏になるが、ここで凜藤更紗と鈴木真知子が出てきて、一緒に演奏してくれる。この演奏が実は昨夜エジンバラのパブで弾いたものを使用している。本番の直前に譜面を見せられて、これだけ弾きこなしてくれる2人も大したものである。その超絶技巧に観衆がどよめく。
 
ちなみに凜藤さんのヴァイオリンは2億円の《Tuala》、真知子ちゃんが弾いているのは1500万円の《Monica》である。なお、野乃さんが弾いているスタインウェイのコンサートグランドは2000万円で、ここに並んでいる楽器の合計金額は約3億円ということになる。全く恐ろしい。
 

演奏が終わった所で私たちは挨拶する。
 
「Good evening! We are Rose plus Lily」
 
拍手があったところでマリがトークをする。今日はエジンバラから特急列車でロンドン入りしたが、とっても楽しい人たちと出会っておしゃべりしていた。頂いて食べたスコットランド風スコーンが美味しかった、などと言っていたが、これを聞いたファンがライブ修了後、深夜にも関わらずホテルに大量のスコットランド風スコーンを届けてくれて、政子は嬉しい悲鳴をあげていた。
 
(それを検査して食べられないものを見付けて廃棄しなければならない氷川さんはうんざりした顔をしていた。FMIロンドン支社の技術部の人に試薬の類いを持って来てもらって夜通し検査していたが、実際には悪意のあるものは全く無く、全て10日中に政子のお腹の中に消えた)
 

イギリス公演ではアメリカ公演と構成をかなり変更している。
 
『あなたがいない部屋』の後は、スターキッズが入ってきた上にヴァイオリン奏者6人を並べてこれもまた超絶演奏を第1・第2ヴァイオリンにさせている『花園の君』『花の里』と続ける。スターキッズはアコスティック・バージョンで演奏しているので、ここまではクラシックコンサートっぽい雰囲気である。
 
箸休めに七美花の胡弓をフィーチャーした『坂道』、近藤・魚ペアが巫女衣装を着て躍る『女神の丘』と続ける。『女神の丘』には七美花の龍笛もフィーチャーしている。七美花は千里の所に半年通って龍笛を習ったらしい。
 
その後、山森さんのオルガンを入れた『時を戻せるなら』『アコスティック・ワールド』、そして再び弦楽器の魅力を見せる『眠れる愛』と続けた。この『眠れる愛』にはツイン・サックスもフィーチャーしていて、これは七星さんと七美花が吹いた(フルートは松川さんと風花が吹いている)。
 
ここまでアコスティックな曲を8曲続けてきたので、ここで『雪を割る鈴』の出番である。
 
今日は振袖を着た近藤・魚ペアが入って来て、前半はゆったりとしたペースの音楽にあわせて2人も踊る。そしてそこにイギリスに人気アイドル歌手が入って来て、彼女の希望で急遽用意した薙刀(なぎなた)で鈴を割ると、大量の小鈴が飛び出して歓声が上がる。
 
そして曲は突然アップテンポに変わる。
 
近藤・魚ペアは振袖を脱いで一分袖のシャツとミニスカで踊り出す。アメリカでは水着になったのだが、ヨーロッパの客は下品と思うのではないかということで、こういう衣装になっている。
 
そしてこのリズミカルに転じた後、スターキッズは電気楽器を持って演奏を続けて行く。
 
『Step by Step』『恋人たちの海』『月下会話:ムーンライト・トーク』、『Spell on You』『ファイト!白雪姫』と続けて、ホログラフィが天井で踊る『影たちの夜』まで演奏する。
 
そしてマリが「最後の曲です。『ピンザンティン』」
と言った所で私が横やりを入れて先に『Virtual Surface』を歌う。この演出はさすがにイギリスの観客には既に知れ渡っていたようで、私がタイトルを言う前に客席から『Virtual Surface!』という声が掛かってきた。
 
その後ほんとうに『ピンザンティン』を歌って、いったん幕が下りる。
 

拍手は鳴り止まない。「Encore!」という声も聞こえてくる。
 
主宰者が頷くのを見て私たちはまたステージ中央に出て行く。幕が上がる。スターキッズの入って来て『キュピパラ・ペポリカ』を演奏する。この無国籍な歌にまた会場は興奮する。
 
それで再度アンコールとなる。
 
今度は私とマリのふたりだけで出て行く。私がスタインウェイ・コンサート・グランドの前に座り、マリはいつものように私の左に立つ。そして私のグランドピアノ演奏だけを伴奏として『夏の日の想い出』を演奏する。
 
静かに曲は終わり、割れるような拍手と歓声の中、私たちは何度も何度も客席に向かってお辞儀をした。
 

ロンドン公演が終わった後は、翌6月10日(水)の朝6時にホテルを出てヒースロー空港に行く。とにかくここは時間のかかる空港である。出国手続きを通った後で9:20のロシア・サンクトペテルブルク(旧レニングラード)のプルコヴォ空港行きBA878(A320)に乗り込んだ。
 
約3時間の旅だが時刻帯がUTC+1からUTC+3に変わるので到着は14:35である。
 

この日は朝早くからホテルを出てきているので、公演の時間までホテルでひたすら寝ていた。そして20:00、サンクトペテルブルク市内のコンサートホールでローズ+リリーの公演を始める。座席は3000人だが、どうも立見が500人くらい出ている雰囲気であった。
 
ロンドン公演と同様に幕を下ろしたまま私のヴァイオリン演奏で始め、幕があがったところで『あなたのいない部屋』を歌い始める。そして歌い終えたところで
 
「Здравствуйте! Мы роза плюс лилия!」
と挨拶して最初のトークをする。
 
その後も基本的にロンドン公演と同様に進めていく。『雪を割る鈴』は人気の若手バレリーナさんにお願いしたのだが、彼女は鈴を割った後、サービスでピルエットをきれいに決めてくれた。またこの曲には地元のバラライカ奏者・さん・バヤン奏者さんに入ってもらった。
 
ロンドン公演と1曲だけ入れ替えたのが『Spell on You』の代わりにロシア歌謡で、私たちの最初のアルバムのタイトル曲にもなっている『長い道』を入れたものである。むろん日本語歌詞で歌わせてもらったが、ロシアの人たちにはなじみの深い曲なので、反応も良かった。
 
歌詞の中に歌い込まれているсемиструнною(七弦ギター)をこのロシア公演のためだけに実は準備していて、間奏の所で近藤さんがこれを持って前面まで出てくると、歓声があがっていた。
 
しかしロンドン公演にしてもこのサンクトペテルブルク公演にしても、観客は概してお行儀がよくて、ハメを外して警備員に取り押さえられたりするような人もいない。手拍子もしっかり打ってくれるし、超絶ヴァイオリン演奏の所には曲の途中であっても律儀に拍手してくれる。
 
こちらも気持ち良く演奏して行くことができた。『ピンザンティン』の前に『Virtual Surface』を入れる演出のところは、また律儀に「О!」などと驚いてくれたし、アンコールもしっかり2回呼び戻してくれた。
 

翌日6月11日(木)は終日フリータイムとなった。私たちは午前中は松田さんと3人でサンクトペテルブルクの街を(政子の)気の向くままに歩き回って、お昼もレストランというより食堂という雰囲気のお店に入って定食っぽいものを注文した。自家製っぽいピロシキが美味しかった。
 
この食堂で政子は『Pillow Shaked』などという詩を書いてたが、それってピロシキじゃんと思いながら私は見ていた。また歩いていたら不思議なモニュメントがあり、そこで政子は『After ∞』という詩を書いていた。
 
午後からは政子が少し練習しておきたいというのでスタジオを手配してもらい2人で3時間ほど歌い込んだ。練習には七星さんと風花が付き合ってくれた。
 
また、この日の夕方にはマリインスキー劇場でバレエを見た。風帆伯母・七美花、七星さん・風花・近藤姉妹と一緒に8人で見に行ったが七美花が食い入るように見ていた。日本舞踊もとってもうまい彼女にとっては大いに刺激されるものがあったのであろう。
 
上演されていたのは『白鳥の湖』であるが、その美しいパフォーマンスに私たちは酔いしれた。20時に始まって終わったのは23時半であるが、この日の日没は22:17なので、劇場を出ても、日本だとまだ18時半くらいの感覚であった。
 
この日政子はホテルに戻ってから『Rotation white and black』という詩を書いていたが、それって白鳥と黒鳥を同じ人が踊るってのと黒鳥の32回のグランフェッテじゃんと思った。
 

6月12日(金)。この日は早朝からの移動になる。
 
プルコヴォ空港を朝6:15のアエロフロートSU033(A320) に乗り 7:30にモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に到着する。ここからトランジットで 8:45の同じくアエロフロートSU2104 ヴィリニュス行き(Sukhoi Superjet)に乗り継ぐ。ヴィリニュス到着は10:15である。どちらも1時間半ほどのフライトだ。
 
サンクトペテルブルクからヴィリニュスへは直行便(Rusline 7R281)もあるのだが、時間が16:35-17:55という遅い時間帯なので、何かあった時に公演に間に合わないとまずい、ということで午前中に移動できるモスクワ経由になったのである。またリトアニア入国は、シェンゲン圏外からシェンゲン国への入国になるので入国検査に時間がかかるおそれがあった。
 
実際にはヴィリニュスでの入国審査はとってもスムーズに行き、11時前には私たちはヴィリニュスの街に出ることができた。恐らく小さい空港で客の数が少ないので早いのだろうと私たちは話していた。
 

現地レコード会社のスタッフでパウガイテさんという27-28歳くらいの女性に案内してもらってヴィリニュス市街地を歩き、カフェに入って
「リトアニアではこれを食べなきゃ」
 
と政子が言っていたお菓子・シャコティスと紅茶を注文する。
 
バウムクーヘンの原型といわれるお菓子だが、太い木からたくさんの枝がまるで栗のイガイガみたいな感じで飛び出している。
 
大きなお菓子なので、少し食べて後はお持ち帰りかなとパウガイトさんは思ったようでビニール袋なども用意してくれていたのだが、政子がぺろりと全部食べてしまうので、びっくりしていた。私も少し分けてもらったが、とても美味しいお菓子だった。
 
政子はこのお菓子を食べながら「バルト海の松」などという詩を書いていたが、シャコティスの形状(たくさんの枝が飛び出しているように見える)から松を連想したのではと私は思った。どうもここの所、政子はダジャレに走っているようである。
 
ちなみにヴィリニュスは内陸の街なのでバルト海は見えない。
 

更に政子はリトアニアっぽい料理を食べておきたいと言う。
 
「今お昼食べたし、夕方会場に戻る直前くらいに食べに行きますか?」
とパウガイテさんは言ったのだが
「え? 今のはおやつだから、御飯は入りますよ」
などと言う。
 
これには彼女も絶句していたが、それでもリトアニアの典型的な料理が食べられる庶民的なレストランに連れて行ってくれた。
 
まずは有名なピンク色のスープ、シャルティバルシュチを頂く。バルシュチというのはロシア語でいえばボルシチで、冷製ボルシチという感じである。
 
リトアニア風餃子(コルドゥネ)、リトアニア風ピロシキ(チェブレキ)、そしてじゃがいもソーセージ(ブルブベーダライ)といったものを頼む。これは見た目はソーセージで、その中身がじゃがいもという料理である。
 
政子はどれも「美味しい美味しい」と言ってたくさん食べていた。
 

ところで私たちとパウガイテさんは、ロシア語・フランス語混じりで会話していた。リトアニアでは歴史的な経緯からほとんどの国民がロシア語を話せるのだが、彼女はフランス語の発音もきれいなので私は尋ねてみた。
 
「私、大学を出たあと3年ほどパリに留学してたんですよ。実は昨年こちらに戻って来たばかりで」
「ああ、そうだったんですか」
 
「ヴィリニュスも充分都会と思ってたけど、パリはまるで別世界。最初はかなり戸惑いましたよ」
「ああいう巨大都市は全てが混沌としてますからね。東京もだけど」
 
「私の住んでいたアパートの同じ階にアルジェリア人のシーメールの人がいてですね」
「あ、そういう話、私大好き」
 
「見た目は完璧に女の人なんだけど、声が男なんですよねー」
「女の声の出し方って難しいんですよ。小学生の内に睾丸取っちゃえばいいんですけどね。ケイなんて幼稚園のころ取っちゃったらしいから」
「え?そうだったんですか?」
 
私はもう笑っておいた。
 
「いや、その問題には触れるなと上司から言われていたんですけど、ケイさんって元男性と聞いていたから、パリで会ったその人とのこととか想像していたら、何だかふつうに女の子だから、ほんとに元男だったのかなと疑問を感じていたんですよ」
 
「これってトランスした時期で随分変わるみたいですよ。やはり17-18歳くらいまでに手術した人ってすごくきれいだし、変声期前に睾丸を取るか女性ホルモン両方始めた人は体付きがほんとに女らしいし声も女だし」
「やはり、そういう子は10歳くらいで睾丸を取ってあげればいいんですよね?」
「それがいいですよ」
 

「でも、そのアパートの住人の女の子数人で誘い合ってプールに行った時、彼女も一応女の子の仲間かなということで誘ったんですよ。すごい布面積の小さいビキニ着て、スタイルも良かったですよ」
「おお、そういうのが着れるというのは偉い」
 
「おっぱい大きいね〜とか言ってみんなで触ってたけど、触られると嬉しいみたいで」
「ああ、そういう傾向の人は多い」
 
「だけど泳いでいた時に外れちゃってですね」
「おお!」
「お股の所にあってはならないものが」
「あはは」
「周囲の人がギョッとしていたのを私たち数人で壁になって隠してあげて、慌てて水着を直して、あるべからざるものを隠蔽してました」
「大変ですね」
 
「ケイは小さい頃に取っちゃってたから、そういう事故の経験は無いでしょ?」
「幸いにも事故はないけど、そんなに早く取った訳でもないけどね」
「今更嘘つかなくてもいいのに」
 

その後はヴィリニュス市内をあちこち歩き回ったが、政子はその途中で更に3篇の詩を書いた。
 
今回のツアーは平日は20時から21時半の時間帯で設定しているのだが、当日のヴィリニュスの日没時刻は21:53である(日暮れは23:06)ので、結局日没前に公演は終わってしまうことになる。
 
17時頃、会場入りしたが、既に入場を待つ人がかなりの列を作っていた。
 
今日の会場は体育館でキャパは4000人である。
 
ところで今回のツアーでリトアニアを公演地に入れたのは『雪月花』がリトアニアで物凄いセールスを挙げていたからである。前のも無いかという問い合わせが凄まじく、急遽『Flower Garden』の英語版、更には過去のアルバム(日本語版)にFMI側の責任で制作した英語とリトアニア語の解説書を付けたものも同国で発売して、それも随分売れているという。
 
「『雪月花』だけに限ってもヨーロッパの国別ではいちばん売れたのがイギリス、2位がフランス、3位がリトアニアなんですよね」
とパトリエールさんが言う。
 
「なんでリトアニアなんでしょうね。人口もそう多くないのに」
「そうなんですよ。人口300万だから横浜市程度。そこで9万枚売れているから、人口比で言うと日本の1.5倍売れている」
「すごーい!」
 
「何かリトアニアの国民性にマッチした所があったんでしょうね」
 
なお『雪月花』は同じバルト三国のエストニアでもかなり売れているということで、バルト三国での公演を決めてから、リトアニアにするかエストニアにするか結構日程決定の段階で悩んだらしい。
 

会場は物凄い熱狂であったが、彼らも前半のアコスティックタイムは静かに聞いてくれる。そして「雪を割る鈴」からアップテンポの曲になると物凄い歓声が上がる。全員が席から立ち上がって激しく手拍子を打ってくれる。
 
この日のMCはむろんマリがしているのだが、マリもさすがにリトアニア語は知らなかったので、公演が決まってから「Learn Lithuanian in one week」なる本を買ってきて覚えていたようである。それでも話す台詞についてはFMIのリトアニア人スタッフの人に翻訳してもらい、一応丸暗記した上でカンペを手に持って話していた。
 
もっともマリは話している最中に、唐突に思いついたことを結構ロシア語で話していたので、観客にはリトアニア語の部分が台本でロシア語の部分がアドリブというのが分かったようであった。そしてどうも反応を見ているとリトアニア語の部分ではかなりの言い間違い(読み間違い)もしていた雰囲気ではあるが、できるだけ現地の言葉でというこちらの姿勢は伝わったと思う。
 
「雪を割る鈴」ではリトアニア出身の世界的人気バンドの女性メンバーが登場して、シンデレラに出てくるかのような《魔法の杖》で鈴を割った。彼女は曲の後半を私たちと一緒に日本語で!歌ってくれたのでまた大いに沸いていた。彼女は私たちと固い握手をして下がって行った。
 

翌日は4時に熟睡していた政子を何とか起こしてチェックアウトする。そして空港に行き6:05のドイツ・フランクフルト行き LH889(A321) に乗った。
 
ちなみにロシアからリトアニアに入った時は入国手続きが必要であったが、ここから先はシェンゲン協定に入っている国同士になるのでその手の手続きは不要になる。国内の移動と同じだ。
 
ヨーロッパの「シェンゲン国境」は、フィンランド・バルト三国・ポーランド・スロバキア・ハンガリー・スロベニアの東側にある。他に飛び地のギリシャもシェンゲン圏である。それらの国と国境を接しているロシア・ベラルーシ・ウクライナ・ルーマニア・セルビア・クロアチア等がシェンゲン圏外だ。但しルーマニアとブルガリアは近い内にシェンゲン入りする予定である。するとギリシャが飛び地ではなくなる。
 
入国管理に関してはシェンゲン圏は「ひとつの国」のようなものなので、この内部では自由に移動できる代わりに、ここに外部から入る時、外に出る時には入出国検査が統一ルールに従い厳密に行われる。
 
ヴィリニュスからフランクフルトへは2時間15分のフライトだが時差がUTC+3からUTC+2に1時間戻るので6:05に出て7:20に到着する。私も政子も機内ではひたすら寝ていた。
 
他の人たちもみんな眠いといってホテルを取ってもらったりあるいは会場の隅で寝ている人たちが多かった。私と政子も会場近くのホテルに入って10時頃まで寝ていた。
 
10時半にホテルを出て会場に戻る。今日の会場は8000人入る多目的ホールである。会場に入る時に、既に周囲の多数の人が集まっているのを見た。
 

今日は6月14日・土曜日なので公演は13:00-14:30の時間帯に設定されている。
 
13:00、客電が落ちた後、私のヴァイオリンソロで演奏を始める。前奏が終わる頃に幕が上がり、私はヴァイオリンを手放してマイクを持ちマリと一緒に歌い始める。そして歌が終わった所で
 
「Guten tag! Wir sind Rose plus Lilie」
と挨拶して、最初のトークを入れる。むろんしゃべるのは主としてマリである。私もドイツ語ならある程度分かるので、マリのトークを聞きながら頷いたり、時々横やりを入れたりしていた。
 
ロンドン公演に準じた進行で進めていく。この日の「雪を割る鈴」での鈴割り役は、地元オーケストラの指揮者さんがしてくれたのだが、この指揮者さんは凜藤さんのヴァイオリンを聞いて「あんた、うちのオーケストラに来る気無い?」とスカウト(?)していたようであった。
 

この日は公演が終わった後で、私と政子の2人だけでフランクフルトの街に出た。
 
「ドイツでもミュンヘンなんかはまた雰囲気違うだろうし、ハンブルクとかはまた違うんだろうけどね」
 
フランクフルトに来たら当然ということで、政子はフランクフルトソーセージを食べてご機嫌である。
 
「今回ウィーンにも寄れたら良かったんだけどなあ」
「ウィンナソーセージを食べるわけね」
「もちろん」
「ミュンヘンに行くとミュンヒナー・ソーセージがあるけどね」
「それも食べてみたい!」
 
この街でも政子はまた詩を5篇書いた。元々政子は1日に2−3篇の詩を書くのだが、やはり旅に出ると生産量が上がるようである。
 

翌日も早朝からの移動になる。この日は全員鉄道での移動だ。
 
フランクフルト駅を6:54のTGV(TGV EST 9568)に乗り、4時間の行程で10:54にパリ東駅に到着する。ツアーも疲れがピークに達していて、大半のメンバーがひたすら寝ていたが、私と政子は氷川さん・七星さんをおしゃべり相手にして車窓の風景を見ながら、また詩を書いていた。
 
11日間にわたって続けて来たワールドツアーも今日が最終日である。今日の会場は1万人入る多目的ホールである。
 
そして13;00、例によって私のヴァイオリンソロから演奏を開始する。最初の曲を演奏し終えた所で
 
「Bonjour! Nous sommes Rose plus Lys!」
と挨拶する。
 
基本的な進行は他のヨーロッパの国でのライブと同じパターンである。前半をアコスティック、後半をリズミックとした。このツアーの後で発売するライブDVDは、アルゼンチン版とフランス版をベースにする予定だと聞いている。それで疲れもたまっているが笑顔で頑張る。
 
この日の「鈴割り役」は昨年デビューしてたくさんの賞を取った若手女優さんにお願いした。最初、ローズ+リリーの2009年以来のファンだというパリ市長さん(女性)がやらせてと売り込んできたらしいのだが、政治的な要素は入れたくないのでと、やんわりと断り、招待券とローズ+リリーの直筆サインで勘弁してもらって、あらためてこの女優さんにお願いしたものである。
 
例によってラストは『ピンザンティン』を歌いますと言ってから私が横やりを入れて『Virtual Surface』を歌う。そしてあらためてお玉を振って『ピンザンティン』を歌い、いったん幕。
 
そしてアンコールで呼び戻されて『夜宴』『夏の日の想い出』を歌って終了である。私たちは鳴り止まない拍手に、何度も何度もお辞儀をし、手を振って、お客さんたちの歓声に応えていた。
 

ライブが終わったのは結局15時近くであったが、休憩をはさんで夕方から今回のツアー参加者全員でパリの街に出て、ビストロを貸し切りにして打ち上げをおこなった。
 
裏方で大忙しであった加藤課長は「むしろ寝ていたい」と言っていたのだが、乾杯の音頭取りだけでも出てきてなどと言って引っ張り出して、実際その後ずっと店の隅で寝ていたようである。全くお疲れ様である。
 
「フランス版をDVDには入れるつもりだったんですけどね」
と則竹さんが難しい顔をしている。
 
「済みません、出来が悪かったですか?」
「頑張っている姿はいいんだけど、やはり疲れが溜まっているからだろうけど声の伸びがロンドンとかに比べると少し落ちていると思う」
「ごめんなさーい」
 
「加藤や帰国してから町添とも相談しないといけないですが、僕と氷川とで検討した範囲では、いちばん良いできだったのはリトアニア版だと思う」
と則竹さん。
 
「マリさん・ケイさん、前日にサンクトペテルブルクで半日歌い込んだりしてるでしょう? それもあってあの公演がいちばんいい出来になったと思うんですよ」
と氷川さんは言う。
 
「やはり練習が如実に結果に出るんですね」
と私。
「まあ今回は元々ロケハンだけの旅行のつもりだったのが、丸花さんの意見でツアーまでやることにしたんで、気の毒ではあるけどね」
と則竹さん。
「いえ、それは全然言い訳になりません。アーティストはベストな状態で公演に出なければなりません」
と私は言う。
 
「まあ、精進、精進だね」
と、料理も食べずにワインを飲みまくっている近藤さんが隣から声を掛けた。
 

翌日、私と政子はふたりでシャンゼリゼに出て、のんびりと散歩したりカフェで本場のカフェオレとクロワッサンやブリオッシュを食べたりしていた。政子はこの日10篇も詩を書いた。
 
夕方シャルル・ド・ゴール空港に移動する。出国手続きを経て21:10の羽田行きNH216(787-8)に登場した。11時間50分のフライトで翌日6月16日(火)の16:00に羽田空港に到着する。時差はUTC+2からUTC+9へ7時間である。
 
「私たち世界一周したので1日寿命が縮んだのかなあ」
などと政子が言う。
「ん?疲れたってこと?」
「だって私たち6月4日を2回やったよ。同じ日を2度したってことは、その分、1日寿命が短くなったんじゃないかと思うんだよね」
「うーん。だけど日の時間が短くなっているから結局同じだと思うよ。1度目の6月4日は18時間くらい、2度目の6月4日は17時間くらい、6月7日が23時間、6月8日が21時間くらい、そして6月15日が23時間、6月16日が18時間くらいだよ」
 
政子は少し考えていたが
「すっごーい。その6日間の時間合計が120時間でちょうど5日分だ!」
と感動したように言う。
 
私はアバウトな線で数字を言ったのだが、偶然にもちょうど辻褄の合う時間数になっていたようだ。ホッ!
 
取り敢えずそれで政子は納得したようで、またすやすやと寝ていた。その幸せそうな寝顔を見ていて、この子が安心して眠られるように自分は頑張らなくちゃなあと思うと、また闘志が湧いてきた。
 

火曜日の夕方、羽田に着いて入国手続きを通ったところで解散式をする。加藤課長がこの12日間のみんなの頑張りをねぎらった。私たちもこの日はそのままエビスのマンションに戻り、ひたすら寝た。
 
翌日、6月17日(水)。この日私は午前中は旅の間に書いた譜面の整理をしていた。いくつか政子が「これには曲を付けて」と言っていたものとうまく合うものがあるので、それは楽曲として組み立てていく。政子の方は美空を誘っておやつを食べに行こうとしたら用事があるといって振られたらしく、代わりにシレーナ・ソニカの穂花を呼び出して、10時からケーキバイキングに行ったようである。旅疲れもあると思うのだが、全く元気なことである。
 
そしてこの日の午後、私と政子は礼服のドレスと真珠のネックレスを持って越谷市内の某神社に出かけた。
 
今日ここで和実と淳の結婚式が行われるのである。
 

ふたりは東日本大震災の直前に知り合い、震災のボランティアをしながら親しくなっていき、その頃から事実上の同棲状態にあった。翌年には双方の親にも交際を認めてもらい、和実が学校を卒業したあたりで結婚しようと言っていた。和実は現在大学院の2年生で、卒業するのは来年の春である。
 
しかし・・・・
 
「赤ちゃんできてから慌てないように、先に籍を入れておこうかと思って」
(和実弁)
 
ということで、この日がちょうど淳の誕生日でもあることから結婚することにしたのだそうである。どうも和実の言葉もどこまで本気でどこからジョークなのかが良く分からん。
 
ふたりは最初、淳が紋付き袴・和実が白無垢で結婚式を挙げると言っていたようだが、淳のお母さんが「あんたも白無垢着たいんでしょ?」と唆して、結局ふたりとも白無垢での挙式ということになった。
 
しかしこういう変則的な挙式をしようという場合、それをさせてくれる所がどこにあるかという問題がある。ここで千里が昨年まで奉仕していた千葉の神社での元上司の人が神職をしている越谷市の神社で引き受けてもいいですよというお返事をもらえて、それでここで挙式ということになったのである。
 
式に参列したのは、淳の両親、兄の恭介夫婦、従妹の佳奈・比奈、青森の叔母、黒石の伯父夫婦、愛媛のふたりの伯母とその夫、淳の上司の専務、同僚の女性が2人、和実の側は和実の両親、姉の胡桃、エヴォンの店長・永井夫妻、盛岡のショコラの店長・神田夫妻、親友の梓・照葉、他にも数人のメイド仲間や学校の友人たち、そしてXROADの仲間である私と政子、桃香・あきらである。
 
千里は宮司の奥さんとふたりで三三九度をする巫女役をしてくれた。
 
若葉は和実の元同僚ということで、和実の友人として式に参列した。子持ちではあるが「私未婚だから」などと言って振袖を着ている。桃香と千里、あきらも振袖である。
 
「私たちは和服は大変そうだからドレスにした」
と私が言うと
「持ってくれば私が着せてあげたのに」
とあきらが言っていた。
 
なお小夜子はもう臨月なので大事を取って、式はパスし、披露宴に直接行くことにしている。
 

式が終わった後で記念写真など撮ったあとで、全員で大宮のホテルに移動する。披露宴にここを使うことにしたのは、ここが同性婚でも構わないと言ってくれたことと、淳の母方の親戚や、和実の親戚が東北地方に多く、移動に便利であったこともある。
 
披露宴は会社が終わってから来てくれる人が来やすいように20時から始めたのだが、これに新幹線で青葉が学校が終わった後、高岡から駆けつけて来てくれた。青葉は制服姿であるが、千里が
 
「青葉、振袖用意しておいたから着せてあげるね」
と言って控室に行き、着付けしてあげていた。
 
披露宴の司会は政子がやらせろというので任せたのだが、例によって脱線の多い司会になり、参列者の笑いを取っていた。
 
「だけどクロスロードのカップルで双方が生まれた時は男だったというのはこの2人だけなんだな」
と桃香が7〜8杯目の水割りを片手に言う。
 
確かに、桃香と千里、私と政子、あきらと小夜子はいづれも現在はレスビアンであるが生まれた時は片方は男だったのである。
 
「結婚式を挙げてくれた宮司さんは、念のため占いをして吉と出たので引き受けたそうだよ」
「そのあたりはちゃんと一定のルールでやっているわけか」
 
新郎(?)の紹介は兄の恭介、新婦の紹介は姉の胡桃がする。新郎側主賓祝辞は淳の上司の専務、新婦側主賓祝辞はエヴォンの永井店長がして、乾杯の音頭は私が仰せつかって、僭越ながら務めさせてもらった。
 

余興では、千里が式場のピアノを弾いて和実の友人が歌を歌っていたし、私と政子もやはり千里の伴奏で『Long Vacation』を歌って祝福した。千里自身も木管フルートで『ボッケリーニのメヌエット』を吹いて祝福してくれた。ドシドレド↓ドーミミソ・ソファファ〜という曲である。
 
「千里、こういう所でのピアノ伴奏やったことあるの?凄く堂々としてる」
などと政子が言うと
「私、まだ高校生時代に、春風アルトさんの結婚式でピアノ伴奏したんだよ」
などと千里は言う。
 
「嘘!?」
「なんか最初は都内の女子高生に弾かせるつもりだったのに、その子が相棒の女の子とふたりで北陸の方にキャンペーンに行っちゃったから、あんた代わりに弾けと言われてさ」
 
「ぶっ」
 
それって私たちが高2の時、ローズ+リリーのキャンペーンで日帰りで新潟・富山・金沢に行った時だ!
 
「お互いこき使われているね〜」
 

そして披露宴もあと少しでお開きという雰囲気になった時であった。
 
政子が異変に気づいて、私の袖を引っ張る。
「小夜子さん?」
 
私たちは急いで駆け寄った。ピアノの所に居た千里も演奏を放置して掛けよってきた。あきらがおろおろしている。千里が
「すぐ病院に運ぼう」
と言った。
 
それであきらと恭介さんが支えて小夜子を車まで運ぶ。千里と桃香が付き添い、千里の運転で小夜子を病院まで運んだ。
 
披露宴の方は余興のピアノ伴奏をその後、青葉が引き受けて歌いたい人たちに充分歌わせた後、両親への花束贈呈で終了した。
 
終わった所で千里に電話を入れる。
 
「生まれたよ。母子ともに元気」
「ほんと!良かった!!」
 
それでクロスロードのメンバーで病院に駆け付けると、あきらが照れるような顔をして、それでも嬉しそうにしていた。
 
「自分で生みたい気分だったんだけどね。小夜子が私の分まで産んでくれると言うから」
などと、よく分からないことを言っている。
 
子供は女の子であった。あきら・小夜子の3人目の子供であるが3人とも女の子で、賑やかな家庭になりそうである。
 

披露宴が終わったのが22時頃で、病院を出たのはもう0時近くであった。
 
「青葉はどうすんの?」
「明日の朝1番の飛行機で帰ります。今夜は桃姉の家に泊まります」
「でも今度のアパートは1Kと言ってなかったっけ?寝られるの?」
「大丈夫。布団は5つ敷けること確認済み」
「そんなに敷けるんだ!」
 
「千里も実際問題として、ずっと桃香のアパートで暮らしているのでは?」
「週末の夕方はだいたい自分のアパートに戻る。うかつに桃香のアパートに行くと、裸の女の子が転がっているから」
「ああ・・」
 
「そういえば政子は俳優のBさんとの関係、どうなってんの?」
と桃香が訊いてきた。
 
「全く無関係」
「そうなの!?」
「たまたま街で会ってお茶に誘われたから、お茶くらいいいかなと思って一緒にスタバに入って、2時間くらいおしゃべりしただけだよ。お互い変な意図は無かったと思うけどな」
 
ふたりがカフェで《親しそうに》話していたというので写真付きでネットに公開した人があったのである。事務所からの申し入れで本人はその書き込みを削除したが、あちこちに転載されたものは完全には消去しきれない状況である。
 
「まあ政子の方は無かったかも知れないが」
「向こうは下心もあったかもね」
「そうかなあ?」
「政子、そのあたり無防備だから気をつけた方がいいよ」
 

解散して各々タクシーで自宅に戻った。そして帰宅してみると留守電が入っている。聞いてみると母である。
 
「萌依が産気づいた。病院に行く」
ということである。
 
「なんか今日はベビーラッシュなのかな」
と政子が言う。
 
それで帰って来たばかりであったが、タクシーに乗って、姉が入院している病院に駆け付けた。姉は分娩室に入っているということで、母と夫の和義さん、それに和義さんの妹である麻央が来ている。
 
「麻央ありがとう」
「いや、たまたま産気づいた時に私が居たから」
 
麻央が自分の車で姉を病院に運び、それから母や和義さんに連絡したらしい。
 

私たちは夏至の近づく夜を漫然として過ごしていた。
 
やがて6月18日の3時頃、萌依は女の子を出産した。産気づいてから約4時間。まあまあの安産な方であったものの、姉は
「辛くて辛くて、死ぬかと思った」
などと言っていた。
 
「でも凄いなあ。私も赤ちゃん産んじゃおうかな」
と政子は言うが
「今マーサが出産したら町添さんが青くなるよ」
と私が言うと
「仕方ない。あと3-4年待つか」
と言う。
 
「冬も一緒に産まない?」
「うーん。産めるものなら産みたいけどねぇ」
 
 
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【夏の日の想い出・誕生と鳴動】(下)