【夏の日の想い出・誕生と鳴動】(2)

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那覇に日帰りしてきたあと、私は沖縄のお土産を持って私の姉・萌依の家を訪問した。むろん政子もくっついてくる。
 
「こんにちは〜、赤ちゃんの様子どう?」
と私が尋ねると
「なんか元気すぎる〜。もう今にも飛び出してきそうな感じ」
と萌依は言っている。
 
「予定日はいつでしたっけ?」
と政子が尋ねる。
 
「一応6月20日なんだけどね。でもお医者さんはこの子元気そうだから早めに出てくるかもって言ってる」
「20日だったら、私たちが帰ってきた後だね?」
と政子は私を見て言う。
「まあ私たちが居ない間に生まれちゃったら御免ということで」
と私。
「冬が産むんじゃないから大丈夫だよ。うちのお母ちゃんもよく顔を出すし、昼間は結構麻央ちゃんも来てくれているから、たいてい誰かいるしね」
 
「麻央はまるで自分が父親になるかみたいにそわそわしてるね」
「あの子父親になりたい訳?」
「佐野君に産んでもらえば」
「男の子がどこから産むのさ?」
「帝王切開かな」
 

帰る車の中で私と政子は話していた。
 
「小夜子さんの所も産まれるの近いよね?」
「うん。向こうは7月下旬が予定日だったはずだけど、もうすぐだね」
「あそこは人工授精したんだったよね?」
 
「うん。あきらさんのおちんちんはもう立たないんだよ。でも女の子みたいに指でおさえてぐりぐりすれば、立たないまでも射精はするんだ。だからそれで精子を取って人工授精したんだよ」
 
「精子は作られているけど、大きくはならないのか」
「男性の身体って微妙だから」
「だったらおちんちん取っても射精できるのかな?」
「可能ではある。おちんちん取っちゃったけど射精できる人というのは存在するから」
「へー」
「栗ちゃんを刺激することで射精するんだよ。睾丸は除去せずに体内に温存している前提」
「見てみたーい」
「動画サイトにたまにアップロードされてるから探してごらんよ」
「よし検索してみよう」
 
政子はこういうのには熱心である。
 
しかし人工授精といえば、千里の(元夫の)所も人工授精だよなと思い起こしていた。千里はまるで自分の卵子に彼の精子を受精させたかのような言い方をしていたが、千里に卵子は無いだろうし。ひょっとして卵子の提供者は桃香なのだろうか?というのも考えていた。
 

「でも上島先生の所は赤ちゃんできないのかなあ」
と政子が言う。
 
「ここだけの話だけど不妊治療してるみたいだよ、茉莉花さん」
「へー。どういうのやるの?」
 
「基本はタイミング合わせ。茉莉花さんの排卵のタイミングをチェックしながら、ちょうど排卵が起きる少し前にセックスして精子を子宮の少し先の付近でスタンバイさせておくようにする。精液が薄くならないように、そのセックスのしばらく前から男性は禁欲」
 
「なるほどー」
「でも茉莉花さん、そもそも凄い生理不順なんだよ。だから色々お薬飲んで調整したりもしているみたい」
 
「大変そうだね」
「人工授精も一度やってみたけど、失敗したらしい」
「失敗することあるんだ?」
「おそらく茉莉花さんが妊娠しにくい体質なんだと思う。上島先生自身はこれまで子供何人か作っているから精子の質にはあまり問題無いと思うんだけどね」
 
「上島先生、子供がいたんだっけ?」
「人前では言わないでよね」
「でも上島先生、初婚だよね?」
「別に法的に籍を入れなくても赤ちゃんはできるから」
「そうか、籍を入れなくても、おちんちんを入れさえすれば赤ちゃんはできるんだ?」
 
「政子、発想がおやじ化してる」
「うっ・・・・」
 

私たちは数日の休日をはさんだ上で、6月4日からローズ+リリー初のワールドミニツアーに出発した。
 
これは実はアルバムのロケハンを兼ねたものである。
 
2月に都会をテーマにしたアルバムを制作することを決めてからその話を聞いた上島先生から「実際に彼女らに世界各地の都市を見せて、それで曲を書いてもらったら」という提案があった。それに○○プロの丸花社長が賛同。更にせっかく世界各地の都市を見て回るなら、そこでコンサートをしようよ、などと言い出したのである。
 
しかし単に見て回るだけなら観光ビザで良いが、コンサートをするには興業ビザ(アメリカだとPビザ)の取得が必要で、そのためには各国の招聘元を決める必要がある。
 
そこであの後、★★レコードが提携していて『Flower Garden』『雪月花』の外国語版の発売元にもなっているFMIが中心になって、公演地と招聘元の選定、そして私たちおよび伴奏者・スタッフのビザ取得、また楽器等の国境通過に伴う免税処置に関わる作業をしてくれたのである。その準備作業に4ヶ月かかり、この時期の渡航になった。なお今回のツアーのライブチケットは全部ソールドアウトしているということであった。
 

渡航するのは、私と政子、スターキッズ&フレンズ(Gt.近藤嶺児 Sax/Fl.近藤七星 Bass/Vn.鷹野繁樹 Dr/WoodBase.酒向芳知 KB/Marimba.月丘晃靖 Gt/Vc.宮本越雄 Vla/Tp.香月康宏 Org.山森夏樹)、ヴァイオリン演奏者(凜藤更紗・鈴木真知子・伊藤ソナタ・桂城由佳菜・前田恵里奈・佐藤典絵)、琵琶/Gt:若山鶴風(田淵風帆)、胡弓/Fl:若山鶴海(今田七美花)、演奏の補助をしてくれる線香花火(松川杏菜・野乃干鶴子)、サックス奏者としてバレンシアの心亜、ダンサー(近藤うさぎ・魚みちる)、そしてマネージングスタッフとして、秋乃風花(演奏者登録)・近藤詩津紅(演奏者登録)・近藤妃美貴・甲斐窓香・町田有咲、★★レコードの氷川真友子・奥村照枝・加藤銀河・則竹星児・弓川恭介・松田幸作、それにFMIのJean Marie de La Patelliere といった面々が付きそう。総勢35名である。
 
なおビザはステージに上がることになる人は興行ビザ(アメリカならPビザ)を取っているが、それ以外の人は一般ビザ(但し今回訪問するほとんどの国ではビザ免除になることを確認済み)になる。
 
しかし、これだけの人数が8ヶ国を回るとなると凄まじい費用が掛かることになる(今回のツアーの費用は大半をサマーガールズ出版と★★レコードが折半し損益も出資比率に応じて分配する協定になっている。私は損益はトントンくらいかなと考えていた。
 
この人数が6月4日の朝、成田空港に集合した時、政子は
「歌うのは私と冬だけなのに凄い人数だね」
と言った。
「これだけの人たちのおかげで私たちが歌えるんだよ」
と私が言うと
「そうだよね。私、いつも感謝してます。私ひとりだとお財布とかも落としちゃうし」
などと言うと風帆伯母が笑っていた。
 
今回、政子の監視係(政子がふらりとどこかに行ってしまわないよう、常にそばにいるお仕事)として同行してくれる甲斐窓香は、トイレにでも一緒に行きますのでと政子に言っていた。政子はトイレに携帯やバッグを忘れる常習犯なので、政子が出たあとの個室は毎回チェックする必要がある。
 
★★レコードのスタッフで則竹さんと弓川さんは音声・映像の記録係で全公演のPAを担当する有咲と一緒に全ての映像・音声を記録してくれる。あとで編集しDVDにして発売予定である。
 
松田さんと奥村さんはいづれも2014年に★★レコードに入社した社員で今回は雑用係だ。松田さんは空手の有段者ということでボディガード含みもあるということであった。近藤妃美貴は今回サマーガールズ出版の臨時職員資格にして風花の補助、要するに彼女も雑用係をしてもらうことになった。ふだんは風花が雑用も引き受けてくれるのだが、今回はスタッフの人数が多いだけに一部の演奏に参加するほかは「デスク」役に徹してもらうことにし、雑用係は彼女に任せることにした。
 

近藤うさぎはマリンシスタに参加する前の2002年にタイで性転換手術を受けたらしいが、女性のパスポートを取ったのは初めてということで、Sex:F という記載を見ていると涙が出てくるなどと言っていた。私も2013年に台湾公演の前にパスポートを作った時は、やはりSex:F の記述に感動したものである。
 
「へー。本名は近藤幸(こんどう・さち)さんなのか」
と言って政子が彼女のパスポートを覗き込んでいるので
「こらこら、他人のパスポートを勝手に見ない」
と言って私は注意する。
 
「出生名は幸一なんです。でも中学の頃は生徒手帳の『一』の字に鉛筆で書き加えて『子』にして『幸子』にしたものを、定期券作ったり図書館の利用者証を作ったりするのに使ってました」
 
「まあそういう公文書偽造同行使は、経験のあるGIDさん多い。見付かったらj厳罰くらうけどね」
 
「でも高校時代の友人が、最近は子の付く名前は少ないし、一を取っちゃって幸(さち)にしたら?というので、高校以来、子を付けない『幸』を名乗っているんですよ」
「へー」
「棒を取っちゃいたいんでしょ?と言われたし」
「なるほどー」
 
「マリンシスタに参加する前、いろんな歌手のバックダンサーとかコーラスとかしていたんですけど、たまたま芹菜リセさんのバックダンサーとして海外公演に行った時、初めてパンフレットに名前を書いてもらって。その時Sachi Kondo と書いてあったのを芹菜さんがステージ上でダンサーを紹介してくれた時に『サキ・コンドー』と読んじゃったんですよね」
 
「まあchiはキとも読めるけど」
「それで芹菜さんにそう読まれたのなら、あんたサキになりなさいと言われて」
「うん。芸能界ってそういう世界」
 
「それでその後『近藤さき』の名前で活動するようになったんですが、マリンシスタに参加した時に、名前を近藤さきで提出していたのに、事務の女の子が入力する時に u を2度打ちしてしまったみたいで『近藤うさき』で登録されていたんですよ。それをマネージャーさんに言ったら『さき』という名前より『うさき』の方がインパクトあるから、そうしちゃえよと言われて」
 
「ああ、そういうのもありがち」
「まあ要するにめんどくさがってるんだけど」
 
「それでマリンシスタで初期の頃は『近藤うさき』の名前だったんですよ。だけど、私の所に来るファンレターの大半が『近藤うさぎ』になってて」
 
「それで『うさぎ』になっちゃったんだ?」
「もうどうでもいいや、という感じで」
「あはは」
 

FMIのJean Marie de La PatelliereさんはFMIのアメリカ本社に勤務するフランス人で、日本や韓国・中国の歌手やバンドのCDを欧米で発売する部門に勤務しており、語学に堪能なことから、今回このツアーに参加してくれることになった。主として現地との折衝役である。
 
「こんにちは、マリさん、ケイさん、よろしくお願いしますね」
と笑顔で私たちと握手をしながら言う。日本語の発音もきれいでとても自然である。
 
「私、氷川さんからのメールでジーン・マリーさんと思ってたから女の人を想像してた」
などと政子が言う。
 
「ああ、私の名前、よくアメリカ人や日本人には性別を誤解されます」
とにこやかに言う彼は190cm 100kgくらいのたくましい男性である。学生時代は柔道をやっていて、二段の段位を持ち、全仏高校選手権にも出たことがあるらしい。
 
「Jeanという名前は英語だとジーンと読んで女性名だけど、フランス語ではジャンと読んで男性名。英語のJohnに相当する名前なんだよ」
と私は解説する。
 
「でもマリーというのも付いてる」
「そうそう。私もマリさん。あなたもマリさん」
などと彼が言う。こういうのは日本人だと、思っても遠慮して言わない発言だが外人さんは割とこのあたりがストレートである。外人さんとの交流経験が少ないと馴れ馴れしく感じたりもする所だ。もっとも政子はこういうのは全く気にしない。
 
「マリーという名前はフランスでは男女どちらにも使うんだよね。イタリアだと女性がマリアで男性がマリオだけどね」
と私は更に解説する。
 
「de La と付いているのは貴族さんですか?」
と私は尋ねたが
 
「ああ、先祖に貴族がいたらしいですけど、今は世俗にまみれてます」
と彼は言う。一瞬考えてから、もしかしてしてダジャレだった?と気がついて私は笑顔になった。
 

「だけど今回のメンツに近藤さんが多い」
とも政子は言っていた。
 
「スターキッズの近藤嶺児・七星夫妻、スタッフの近藤詩津紅・妃美貴姉妹、それにダンサーの近藤うさぎがいるからね」
 
「近藤嶺児さん以外は女の子だ」
「まあ全体的に女子が多い」
「近藤うさぎさんも女の子になっちゃったことだし、近藤嶺児さんは女の子になったりはしないの?」
 
「それは勘弁して〜」
と本人は笑って言っている。
「私は別に嶺児が性転換して女性になってもいいけど」
と七星さん。この人も結構バイっぽい。
「あ、七星さんの許可も出たことだし、とりあえずスカート穿いて女装の練習を」
と政子。
「いや、いい」
と嶺児。
「女装したことないの?」
「寝ている間に女物の服を着せられてお化粧されていたことならある」
 
「ああ、それはマリちゃんも常習犯だな」
と私は横から言う。
 
「女装の嶺児さん、可愛かった?」
と政子は七星さんに訊いている。
「うーん。気持ち悪かったけど、何度もやっていればその内、慣れて可愛く見えるようになるかも」
「じゃやはり女装やお化粧の練習しましょう」
「遠慮しとく」
 
「マリちゃんってみんなに女装を勧める」
と言って近くに居た鷹野さんが笑っている。
 
「『男子絶滅計画』ですね」
 

一行は6月4日(木)の11:00のニューヨークJFK空港行き(NH10 B777-300)で旅だった。地球を約半周する10000kmの旅で、飛行時間は12時間45分。11:00に出て同日10:45に到着するが実際は日付変更線を跨いでいる。太陽の進行方向に飛ぶので、その12時間で外の景色は丸一日経過する。
 
政子はその「倍速」で変化して行く外の景色をけっこう楽しんでいたようで、『太陽と雲』『空飛ぶくじら』『翼があったら』といったタイトルの詩を書いていた。私もいくつかメロディーラインの着想があったので書き留めておいた。
 
到着後は時差ボケ解消も兼ねて仮眠を取った上で、甲斐さん・松田さんと4人でニューヨークの町に出て、外の景色が見えるカフェでお茶を飲んだ。
 
「松田さん、きれいな英語でオーダーしてましたね」
「大学生の時1年間アメリカに留学していたんですよ。それもあって今回のツアースタッフに採用されたみたいで」
 
「すごーい。私も冬も、海外ってタイと台湾と韓国とイギリスしか行ってないよね?」
「うん。トランジットを除くとその4国かな。パスポートにはスタンプ押す欄たっぷりあるのに、ほとんど押されてないからもったいないね」
 
「町添部長のパスポートはすぐいっぱいになっちゃうらしいです」
「ああ、あの人、忙しそうだもん」
「空いてる所無いですね。いや、ここに押せるでしょ?そうですね。ちょっと重なるけど、なんて言って無理矢理隙間にスタンプ押してもらうらしいです」
「凄いなあ」
 
「今回も同行したいとか言っていたようですが、半月もツアーに付きそうのは無理、ということで加藤が付いてくることになったんですよね。加藤も見せてもらったらパスポートがスタンプで埋まってました」
 
「加藤さんの2週間不在も、後に残されたスタッフが大変そうだ」
「あの人全く休み取らずに仕事してますからね」
「南や北川の顔がひきつってました。森元係長は悲愴な顔でした」
「ああ、そのあたりにしわ寄せが来そう」
「森元さん過労死しなきゃいいけど」
 
今回は外国のエージェントとの折衝も多いので、ある程度の権限が執行できる人が付いてまわらざるを得ないのである。
 
政子は窓の外を見ながら『Dry City』『Bath time Blues』という英語の詩を書いていた。Bath timeはきっと「ニューヨーク→入浴」だなと思って眺めていた。
 

その日夕食をゆっくり取った後、20:00-21:30のタイムスケジュールでニューヨーク市内の大型ライブハウスで最初の公演を行った。ニューヨークはこの時期は20時頃が日没である。日本で18時くらいからライブを始めるのと似た感覚かなと私は思った。
 
このライブハウスは幕が無いので、あらかじめ機材が設置されている所に出演者全員、脇から出てきて歩いてステージにあがる。私たちが出てきた時点からたくさんの拍手がある。
 
「Hello! We are Rose plus Lily!」
とマイクの前に立ち、ふたりで挨拶すると、更に多くの拍手・歓声に迎えられる。
 
最初は『雪を割る鈴』を演奏する。リズムとダンスの緩急の変化が魅力的なナンバーだが、今回の海外公演用に前半を少し縮めるアレンジをしている。通常のスターキッズに加えて、風花がフルート、詩津紅がクラリネットで入っている。ダンサーの近藤・魚はこの日は日本髪のかつらをつけ、大奥女中のような小袖を着て躍っている。マツケンサンバの世界だ。また原曲にはバラライカとバヤン(ロシア風アコーディオン)をフィーチャーしているのだが、この日の演奏では、風帆伯母の弾く三味線と野乃さんが弾く普通のアコーディオンに置換している。
 
この日、鈴を割る役は加賀友禅の振袖を着た七美花にやらせたが、アメリカ人の目にも彼女の着る友禅が、近藤・魚ペアが着ている小袖より豪華な服であることは分かったようで出てきた時から歓声があがっていた。もっとも女子高生の若さに反応した感もある。
 
七美花がこの日は日本刀(ソフビ製で刃の表面にアルミ箔を貼る加工をしたもの)で大きな鈴を割り、その中から大量の小鈴が飛び出すと、これもまた凄い歓声があがっていた。この小鈴を飛び出させる演出はライブハウス側が難色を示したものの確実にちゃんと掃除しますからと一筆入れて許可を得たのであるが、客席まで転がっていった鈴をお持ち帰りした客も多かったようである。この鈴は特注品で全ての鈴に『Rose+Lily』のロゴが蛍光色で入っている(実費で1個100円ほど掛かっている。これを1000個ほど封入している)。ちなみに、蛍光色を使っているのは掃除する時に見付けやすいようにするためである!
 
七美花はそのまま篠笛(ドレミ調律)を持って演奏に参加したので、アメリカの観客にはこれも受けていたようである。鈴を割った後は、近藤・魚ペアは小袖を脱ぎ、かつらも外して、ビキニの水着で踊ったので、この変化にも男性客から「ヒュー!」という感じの歓声があがっていた。
 

なお、今回のツアーはどのステージもMCを交えて90分の構成なので楽曲は16曲に絞り込んでいる。MCは語学に堪能な政子が各々の現地の言葉でするものの、楽曲は全て日本語歌詞で歌うことにしている。
 
『雪を割る鈴』の後は、『ファイト!白雪姫』を演奏する。元気なナンバーなので特にアメリカでは受けるだろうということで2曲目に入れている。ダンサーの2人はサーベルを持って戦うようにして踊っていた。
 
『可愛いあなた』もスイングっぽい曲なのでアメリカの観客に受け入れられるかなというので3曲目に入れた。香月さんのトランペット、詩津紅のクラリネット、野乃さんのホルン、七星さんと心亜のサックスをフィーチャーしてジャズっぽいまとめ方をしている。
 
一転してストリングセクションを魅せる曲を演奏する。
 
『花の里』スターキッズのアコスティック版に、ヴァイオリンセクションを加え、風帆の三味線、七美花・松川・風花のフルート、七星・野乃・心亜のサックス、をフィーチャーしている。圧倒的なヴァイオリンの響きが強いインパクトを与えたようである。
 
なおヴァイオリンの6人には青系統の「ワンタッチ振袖」を着せている。着た姿は振袖に見えるが、実は上下セパレートになっていて、1分で着られる服である。今回のツアーではステージ衣装として大量のワンタッチ和服を持ってきている。
 
ちなみに七美花がこの日着た加賀友禅は本物の振袖(実は姉の三千花:槇原愛の所持品で300万円の品。念のためATAカルネを取っている)であるが、高校生にして既に民謡の師範免状を持つ彼女はこれをひとりで着ることもできる。但し今日は一応風帆伯母が着せてあげていた。
 

その次は『アコスティック・ワールド』である。ヴァイオリンセクションに山森さんのオルガンをフィーチャーしている。今日の公演にはアメリカの主宰者が古いバロックオルガンを調達してくれたので今回はそれを使用したが、美しい音色に観客も感動していたようてある。
 
『坂道』を演奏する。胡弓が美しい曲である。この胡弓を七美花(若山鶴海)が弾き、風帆(若山鶴風)は和太鼓を入れてくれた。更に七星・風花・松川のフルートを加えている。
 
そして『花園の君』。やはりヴァイオリンセクションを使う曲だが、第1ヴァイオリンが超難度、第2ヴァイオリンもかなりの難度で、今回それを凜藤更紗と鈴木真知子が弾いてくれているのだが、生で聴いている観客の間にざわめきが起きていた。
 

弦楽器の魅力を見せたところで今度はリズミカルな曲に行く。『影たちの夜』
『Spell on You』『恋人たちの海』と続ける。『影たちの夜』ではダンスを踊るホログラフィをライブハウスの天井近くに多数投影したのでかなり盛り上がっていた。
 
『女神の丘』では近藤・魚ペアが巫女衣装を着けて扇を持ち舞を舞う。七美花が龍笛を吹くと、その純和風の世界に、観客は魅せられていたようである。
 
その後、フォーク調の曲に転じて『あなたがいない部屋』『君待つ朝』『言葉は要らない』と演奏する。『あなたがいない部屋』のすすり泣くようなヴァイオリンは鈴木真知子ちゃんが可愛く演奏してくれた。
 
そして最後は『神様お願い』を演奏してからマリは
 
「Well, next song is the last song of this live. Ping-Zan-Tin」
と言ったのだが、ここで私が横やりを入れる。
 
「Wait a minute, Mari. I want to introduce a new song before it」
と私が言うと、Oh! という大きな歓声が上がる。
 
「The song we are planning to include in the next album "The City".Title of the song is "Virtual Surface"」
と私は言った。
 

これは私が高校時代に旧友のMTF、泰世に新宿で会った時に書いた曲をベースとするもので、最近その楽譜を発掘したので、大幅に手を加えて再構成した曲である。例によって政子が私からその時の状況を、蝋燭と鞭を使って聞き出した上で、新たな歌詞を書いてくれたものである。ただし私が最初に書いたフレーズ『都会はその大きな波の中に全てを飲み込んでしまう』という言葉はそのまま残してある。
 
月丘さんと山森さんのダブルキーボードをフィーチャーしている。月丘さんはいわゆるシンセサイザ音を使い、山森さんは優しいフルー管系のオルガンの音を使って、VirtualとRealを対比させている。ボーカルも私はバーチャル側を歌い、マリはリアル側を歌う、対位法的な作りである。
 
いわゆる「ホモフォニー」か「ポリフォニー」かという問題で、ローズ+リリーの曲は一般に和音を重視したホモフォニーの構成にすることが多いのだが、この曲の場合はポリフォニー的に作っているのである。過去にローズクォーツの方で出した『雨の夜』なども似た構成だが、あの曲の場合は実験曲の色合いが強かった。今回はかなり普通に聴ける曲にまとめたつもりである。
 
ふだん和音を保ちながら歌う私とマリが別の旋律を歌っているので、観客はやや戸惑っている雰囲気ながらも大きな手拍子を打ってくれる。しかし最後の方になるとふたりのメロディーが合流してひとつの和音になるので、みんなホッとした様子である。そして最後は楽器と一緒にとても明るいG7−Cの和音進行で終止する。
 

そして本当に最後の曲『ピンザンティン』を歌う。
 
この曲で、ステージ上の私とマリはお玉を持って歌ったのだが、客席にもお玉を振る人が1割ほども居て、私たちはびっくりした。木製のサラダスプーンなどを振っている人もいた。
 

「拍手が鳴り止みません」
「アンコールですね」
 
それで私たちは再度出て行き、挨拶をした上で『月下会話:ムーンライト・トーク』を演奏する。ノリのいい曲なので、客席は更に盛り上がる。
 
演奏を終えていったん下がるものの、観客は興奮している。
 
そこで最後は私と政子だけで出て行き、いつものように私のピアノ伴奏に合わせて『あの夏の日』を演奏し、ステージを終えた。
 

翌日、6月5日(金)は夕方近くまでフリータイムとして、私と政子のふたりだけでニューヨークの街並み、特にブロードウェイ方面を散歩してみた。この町が持つ空気に政子は結構感応したようで『Play at noon』『Hamburger and Love』などといった詩を書いていた。
 
15時頃、そろそろ帰ろうかと言っていた所で思いがけない人と出会う。
 
「こんにちは〜」
「奇遇ですね!」
 
それは難病にかかって高校1年の時から7年間の闘病の末、とうとう昨年退院することができた麻美さんであった。今年の春から地元の国立大学に通っている。彼女のお母さん、及びいつも彼女を励まし支えてきた陽奈さんも一緒である。
 
「旅行ですか?」
「実は私の病気のことで、主治医の先生が国際学会で発表なさるということで、そこで私にも簡単なスピーチでいいからしてくれないかと言われまして」
「わあ、凄い」
「この病気になって退院できた人ってまだ私ひとりしか存在しないらしいので、今世界中でこの病気と闘っている全ての患者に勇気を届けて欲しいと言われて」
 
「ほんとに凄いことですよ」
「私、本人は実はあまり大した意識がないんですけどね。両親の心労は凄かったろうし、陽奈ちゃんにもほんとにお世話になったんですけど」
 
「まあ私はなりゆきだから」
などと陽奈さんは言っている。
 
「こちらはお仕事ですか?」
「昨日ニューヨークでライブしたんですよ」
「え〜?知らなかった」
「日本国内では全く告知してないからね」
「今日はもうライブしないんですか?」
「アメリカでは昨日の1回だけです。このあとアルゼンチン・ブラジルに行きますが」
「遠いのかな?」
と麻美さんはお母さんを見るが
「飛行機で半日くらいかかりますよね?」
 
「そうなんですよ。日本人の感覚だとアメリカもアルゼンチンも同じアメリカ大陸で近いように思っちゃう人もあるんですが、日本からアメリカへの旅は地球を横に1万km、アメリカからアルゼンチンへの旅は地球を縦に1万kmなんですよ」
 
(正確にはニューヨークからブエノスアイレスまでの距離は8540km程度。成田からニューヨークまでは10840kmほど)
 
「わあ、さすがに行けないか」
「年末か年明けくらいにまた全国ツアーやりますから、その時また招待しますよ」
「ありがとうございます。いつもすみませーん」
 

彼女たちとは立ち話は麻美さんの身体に負担にもなるので、近くのレストランに入り、もう少しおしゃべりした。
 
「そうそう。つい数日前に、お姉さんの花奈さんに会ったんですよ」
と陽奈さんに言う。
 
「あ、すみませーん。色々姉がお世話になっているようで」
と陽奈さん。
 
「だけど人間の関わりって不思議ですよね。花奈さんと陽奈さんが姉妹と知った時はびっくりしました」
「あの時は私もびっくりしました!」
 
私たちが花奈さんのデザインの服を着るようになったのは、友人が偶然通り掛かって覗いたデパートで開かれていた彼女の個展を見てひじょうに気に入り、買って来た絵はがきを政子に見せてくれたのがきっかけである。
 
それで政子が私を誘ってその個展を見に行ったのだが、私たちが行った時、実はその個展はもう終わっていて、片付けようとしていた所だった。ところが政子のことを知っていたデパートの店長さん(政子の父の友人)が、声を掛けてくれて私と政子は本当に片付けている最中の彼女の個展を見せてもらうことができた。その場で政子は彼女の作品を3点も購入し、実は政子が買ったことで花奈さんはデパートが課していた販売ノルマを達成して、ペナルティを払わずに済んだのである。
 
それをきっかけに私たちと花奈さんの交流が始まり、花奈さんがデザインした服をステージで使用するようになり、やがてこちらからステージ衣装のデザインを彼女にお願いするに至った。しかしそういう関係ができた後も1年ほど、私たちは花奈さんと陽奈さんが姉妹とは知らなかったし、花奈さんは陽奈さんが私たちと知り合いとは知らなかったし、陽奈さんも花奈さんがローズ+リリーのステージ衣装のデザインを手掛けているとは知らなかったのである。
 

「実は5月の連休には関東ドームのXANFUS公演を見に行ったんですよ」
と麻美さん。
 
「頑張りますね!」
「母が心配してお医者さんと相談して、実は看護婦さんにずっと付いててもらったんですけどね」
「いや、それは心配しますよ」
と私は言う。お母さんは笑っている。
 
「私も心配だから一緒に付いていたんですけど、麻美が元気で大丈夫そうだから、最後の方は看護婦さんはもう仕事忘れてライブに興奮してましたね」
「いや、あの子たちはノリがいいから」
 
昨年の秋、XANFUSの「六大ドームツアー」が行われたものの、音羽解雇・全く支持できない新譜の出来、などの問題から閑散としたライブとなり、その中で光帆が孤軍奮闘した姿が印象的であった。
 
今回のドーム公演は、その時のお詫びを兼ねたもので、前座としてHanacleが1時間歌った後、XANFUSのライブを3時間やるというイベントで、終わった時は観客の大半が疲れ切って、退場を促しても「あと10分待って」などと言って座席から動けない客が大量に居たというのが新たな伝説となった。
 
「私も立って踊りたかったけど、それは禁止されてたから」
「無理しちゃダメですよ。あの公演、ふつうの人でもクタクタになったらしいですよ」
「さすがに4時間踊り続けたらね」
「私たちは、白衣の看護婦さんがそばに付いていたことで座っていても他の客から文句言われずに済んだみたい」
「それだけでも看護婦さんはしっかりお仕事してますね」
 
「だけど3時間踊りながら歌い続けた音羽さん・光帆さんの体力も凄いですね」
 
「あの公演に向けてふたりとも毎日10km走っていたんですよ」
「すごーい!」
「スポーツ選手並みの鍛え方してますね」
 
と言いながら私はソフトハウス勤務の傍ら毎日物凄い練習をしているっぽい千里のことを思い起こす。あの子はいったい毎日何時間バスケの練習しているのだろう。会社の方はやはり特例か何かで定時で帰らせてもらっているのだろうか。
 
「休憩はHanacleとXANFUSの間に機材の入れ替えで10分ほどのインターバルがあったのと、XANFUSのライブの真ん中にゲストで丸山アイちゃんが出てきてフォークギターでバラード調の曲を歌った時だけで」
 
「アイちゃんは激しい曲もあるんだけど、あのギターの弾き語りが美しいね」
「だけどふと思ったんですけど」
「ん?」
「アイちゃんって女の子なんですかね?」
と麻美さんが尋ねる。
 
「え?女の子でしょ?」
と政子。
 
「いや、あの雰囲気が何と言ったらいいか・・・・」
と言って麻美は言葉を選んでいたが
 
「いや、ケイさんやスリファーズの春奈ちゃんに似た雰囲気を感じた、とこの子言うんですよ」
と陽奈さんが言ってしまう。
 
私は苦笑した。
 
「アイちゃんは女の子にもなるけど、男の子にもなるんだよ」
と私は言う。
「あまり言いふらさないでね」
 
「じゃ、女の子になりたい男の子?」
「それが分からないんだよ」
「え?」
「女の子になりたい男の子という説と、男の子になりたい女の子という説があって。本人に訊くと、訊かれた人によってその両方の答えを言っているみたいでさ」
「へー!!」
 
「本人は性転換手術済みだと言っているけど、それも男から女になったのか、女から男になったのか、さっぱり分からない」
「うーん・・・」
 
「結局あの子の性別は元の性別も今の性別も分からない。男の子の格好している時はすごく格好いい男の子になるよ。女性ファンがたくさん出来そう」
「すごーい」
 
「そういう話、私は知らなかった」
 
と政子が言っている。いや、その話は12月に音羽・光帆たちと話した時に話題になっていたから政子も聞いていると思っていたのだが、あの時は美空と何やらふたりでおやつネタで話し込んでいたので、この話は聞いていなかったのだろうか。
 

私と政子は17時頃、麻美たちと別れて集合場所に行った。エアトレインでジョン・F・ケネディ空港に行き、出国手続きを通った後で夕食を取る。そして21:59のアルゼンチン・ブエノスアイレス行きAA953(B777)便に搭乗した。
 
政子は麻美さんたちと会っている最中もおしゃべりしながら、時々ふと何かを思いついたりすると詩を書いていたし、空港での待ち時間にも詩を書いていた。ニューヨークで書いた詩だけでも10篇を越える。やはり旅は政子の創作欲を刺激するようである。
 
10時間44分のフライトで翌日6月6日(土)の9:43にブエノスアイレス・エセイサ空港(正式名:ミニストロ・ピスタリーニ国際空港 EZE UTC-3)に到着する。ニューヨークとは1時間の時差である(ニューヨークは冬時間UTC-5,夏時間UTC-4)。
 
飛行機の中ではほとんど寝ていたのだが、それでも機内で政子は2篇詩を書いていた。
 
「『Reversible Eye』って、それ丸山アイちゃんのことでは?」
「冬はアイちゃんの男の子仕様も見てるの?」
「どちらも見てるよ。女の子の格好の時は完璧に女の子だし、男の子の格好の時は完璧に男の子。声や仕草もガラリと変わるんだよ」
「すごいなー。解剖してみたいな」
 
そちらに行くのか。
 
もうひとつは『Thru a narrow cave』という詩だが、やや重い感じの詩だ。
 
「そちらは麻美さんのことだね?」
「そうそう。病気の治療って、暗くて細い洞窟を通り抜けるようなものなんだよ。うまく通り抜けることができたら、快復するんだよ」
「みんながその道をうまく通り抜けられたらいいね」
 

空港を出て会場入りしたのは11時近くである。この日の会場はかなり大きな体育館で定員は5000人ということであったが、私たちが行った時点で既に会場周辺が物凄い数の人出であった。
 
「なんかすごいねー」
「『Flower Garden』と『雪月花』のスペイン語版の7割がアルゼンチンで売れてるから」
と加藤課長が言う。
 
「チケットは1日で売り切れてプレミアムがついて5倍・10倍で取引されていたようだよ」
「ひゃー」
 
この日の公演も「Buenos dias! Somos Rosa plus Azucena!」と挨拶して、『雪を割る鈴』から演奏を開始した。
 
実はRose plus Lily をスペイン語に直訳すると Rosa mas Azucena になるのであるが、この名前は以前ちょっと「おいた」に使ったことがあるので mas という表現を使わず、そこだけ plus と英語にしたのである。スペイン語版のCDのタイトルでは Rosa + Azucena にしていたのだが、この「+」をどう読むかについてはスペイン語圏で結構議論されていたようである。この日の公演でここはそのまま英語読みするのが「公式見解」らしい、というのが、ネットで拡散することになる。
 
この日の公演は「南米仕様」ということで、アレンジを若干調整している。『雪を割る鈴』のバヤンのパートは、地元の人気バンドネオン奏者さんに入って弾いてもらったのだが、彼はたった1回リハーサルで合わせただけできれいにこの曲の演奏に合わせてくれた。またこの日の鈴割り役はアルゼンチンの人気アイドル歌手にやってもらったが、彼女にも大きな歓声が送られていた。
 
他に『可愛いあなた』や『恋人たちの海』はタンゴっぽいアレンジにしてあるし、スターキッズの男性陣はガウチョ・スタイルの衣装(FMIのアルゼンチン支店で用意してもらった)を着ていたしで、観客も本当に盛り上がって、楽しく私とマリも歌を歌っていった。
 
マリはスペイン語で楽しそうにMCをしていて、観客が結構笑っていたが、私はスペイン語はあまり強くないのでマリの話の内容が半分も分からず、どうも私をネタにされているようだなとは思っても、曖昧に微笑んでいた。
 
最後は『ピンザンティン』を歌いますとマリが言った後で私が「Espera un momento!」と言って横やりを入れ、新曲を紹介したいと言うのはアメリカ公演と同じである。このセリフだけマリに作文してもらってスペイン語で言えるように練習している。
 
新曲を歌うという話はアメリカでやったのでその情報が伝わっているかなとも思ったのだが、アルゼンチンの観客にはほとんど伝わっていなかったようで、本気で嬉しそうな歓声があがっていた。
 
そしてその後で『ピンザンティン』を歌って、いったん幕を下ろす。
 
しかし拍手が凄い。それでアンコールで呼び戻されて『月下会話:ムーンライト・トーク』、そして私のピアノのみの伴奏で『あの夏の日』を演奏して終了した。
 

この日はライブが終わった後4時間くらいのフリータイムとなった。さすがに外国人女性が2人だけで歩くのは危険ということで、★★レコードの松田さんが付いて3人で町に出て散策した。
 
「東京とかはどこ行ってもきれいになっているから、こういう混沌とした町を見ると郷愁のようなものを感じる」
と政子は言う。
 
「今回アルゼンチンとブラジルを入れたのはこの2国でのCD売り上げが良かったこともあるけど、上島先生が強く推したのもあったみたいね。都会を歌うのなら、南米の都市も見て来て欲しいということみたい」
と私は答える。
 
「最近の日本人は純粋培養すぎる。もっとたくましくならないといけないよ」
「まるでお年寄りのような発言」
「食べ物を床に落としたりした時にさあ、3秒ルールとか5秒ルールとか言う人いるけど、そんなの関係無いよね」
「うーん。確かに秒数は関係無い気がする」
 
「食べ物であれば落ちてから何秒経っていようと拾って、ゴミとか付いてたら払って、それで食べればいいんだよ」
と政子。
「うん、まあ落ちた場所にもよるけどね」
 

一応観光名所ということでカミニートにも行ってみたが、政子はちょっと見ただけで「パス」というので、一応写真だけ撮った上で、結局サンテルモ地区を通り抜けた後で、タクシーで移動してサン・マルティン広場で政子は詩を幾つか書いた。
 
「まあ観光客が多すぎて空気が変質してたね」
「うん。私はふつうの空気の方が好き」
と言って、政子は子供が走り回ったり、恋人たちが戯れている情景を見ながらボールペンを走らせている。しかし・・・・
 
南米の恋人たちはさすが大胆だ!
 
今回の旅に持って来たボールペンは《赤い旋風》と《金の情熱》であるが、昨日から《金の情熱》の方をメインに使っているようだ。このボールペンは瞬間的な情景から得られたイメージを脳内にキープしてくれるような効果があると私は思っている。
 
3人で市内のステーキハウスでたっぷりとアルゼンチン・ステーキを堪能してから直接空港に入った。
 
エセイサ国際空港(EZE)を22:00発のリオデジャネイロ行きアルゼンチン航空AR1254(B737-700)に乗る。3時間のフライトで日付が変わって6月7日(日)1:00リオデジャネイロのアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港(GIG)に到着する。時間的には沖縄から東京に飛ぶくらいの感覚である。なおブエノスアイレスとリオデジャネイロは時差は無い。どちらもUTC-3の時刻帯である。
 

ブラジルは今回の訪問国の中で数少ない「ビザが必要な国」なので入国に時間がかかるかなと思ったものの、アルゼンチン入国の時とそう差は無かった。
 
深夜の到着なのでそのままホテルに入って朝まで寝る。
 
政子が「キリスト像が見たい」と言っていたので、朝5時に起こして早い朝食を取った後で、現地レコード会社の女性警備員さんに付き添ってもらって、コルコバードの丘(Corcovado)まで行った。レコード会社の車で麓まで行き、タクシーに乗り換えて展望台まで昇る。更に展望台から専用のバンに乗り換えてキリスト像の傍まで行った。
 
ここは日中に来ようとすると混雑していて麓から展望台まで昇るケーブルカーが2時間待ちとかになるのだが、早朝来たおかげでまだ人が少なく、景色をゆっくりと楽しむことができた。
 
「これ凄く大きいね!奈良の大仏様より大きい?」
「高さ30mだからね。奈良の大仏様は14mだから倍くらい」
「すごーい」
「ウルトラマンが設定40mということだからそれくらいかも」
「ウルトラマンってこんなに大きいのか!」
「まあキリストさんは怪獣じゃなくて悪魔とかと戦うのかも知れないけどね」
「悪魔かぁ。私ルシファーさん好きだけど」
「そういう発言はキリスト教国ではしないように」
 
付いてきている警備員さんも日本語は分からないようである。私たちは彼女と英語・ポルトガル語混じりで会話している。
 
「あれ?キリストが磔(はりつけ)になったのはゴルゴダの丘だったっけ?」
「ゴルゴタ(Golgotha)の丘。最後のタは濁らない」
「あれ〜?」
「濁音の次に清音だからついゴルゴダと言っちゃうよね。アボカド(avocado)なんかもアボガドと言う人が多い」
「日本語難し〜い!」
 
政子はそんことを言いながらも、この像の下で『Sob o Grande Homem』(偉大な人の下で)という詩を書いた。しかしタイトルはポルトガル語だが、書いている詩はスペイン語だ!?
 
おそらくポルトガル語では想像力を直接文章に焼き付けるほどうまく言葉を操れないのだろう。英語・スペイン語・フランス語あたりとは、やはりスキルが少し落ちるのかなと思って私は見ていた。
 

「あれ?そういえば007ムーンレイカーでジョーズがぶら下がっていたロープウェイはどこだっけ?」
「あれ?それが無くなってケーブルカーになったのかな?」
と私も不確かだったので、付き添ってくれている警備員さんに尋ねてみたら
 
「それはここではなくてポン・ヂ・アスーカルです。ほら、あそこに見えますよ」
と言って彼女が指さしてくれたのは、海岸近くにある巨大な岩塊である。
 
まるで地面に大きなラグビーボールでも立てたかのような形をしている。
 
「高さ396mあります」
「凄い!」
「あそこ行く時間ある?」
 
「あそこも人気観光地なので、今から行くとたぶん1時間待ちになってしまいます」
「じゃ帰りに車であそこのそばを通るだけでもしてもらえます?」
「いいですよ」
 
ということで、この巨岩は私たちは真下から見上げるだけにして会場の方へ向かったのであった。しかし政子はこの大きな岩の下で『あなたの顔が大きくそして遠く見える』という詩を書いていた。
 
政子の詩ってしばしば「まんま」だ!
 

この日の公演も昨日と同様に13時から始めた。今回のツアーでは土日は昼間に公演をすることにしている。今日のライブ会場も体育館で、今日は観客は7000人ということであった。
 
この日は前座も入っており、doces flocos という名前のブラジル人の女の子2人のペアが過激な露出の衣装(?)を付けてセクシーに踊りながら歌っていた。観客はもう盛り上がって盛り上がって、こちらがやりにくいほどである!
 
舞台袖で出番を待ちながら見ていて
「可愛い女の子だね」
「歌も踊りもうまいね」
などと言っていたら
 
「Elas sao transgeneras」
と現地主宰者の人が言う。
 
「え〜〜!?」
と政子が驚いているので
「何?」
と訊くと
「あの子たち男の娘なんだって」
と答える。
「へー!」
 
政子がその後いくつか主宰者さんと会話を交わしている。
 
「おっぱい大きくしてタマタマは取ってるけど、おちんちんはまだあるらしい」
「ほほぉ」
 
しかし2人ともかなりハイトーンの声で歌っている。恐らく変声期前に睾丸は取ってしまったんだろうなと思いながら彼女たちの歌を聞いていた。
 

彼女たちが歌い終わって下がってくる。私たちは彼女たちと握手した。握った手が女の子の感触! ほんとに早い時期に去勢してHRT(女性ホルモン療法)しているんだろうなと私は思った。
 
彼女たちが下がった後で、別の2人組の女の子が出て行く。なんかさっき出ていた子たちと顔が似てる? 名前も doces flores という。
 
政子がまた主宰者の人と話している。
 
「ああ、こちらの方が本家なんだって。このふたりは天然女子」
「へー!」
「だから名前もこちらはdoces flores、甘い花。さっきの2人はdoces flocos、甘いフレーク。フレークというのでやや人工的香り」
「なるほど。でもうっかりしてると間違えそう」
 
「元々このdoces floresが出て、そこそこ売れていた時に、そっくりさん、でも男の娘というコンセプトで doces flocos を別のプロダクションが売り出したらしい」
「ほほお」
 
「本人たちは顔が似ているというだけで別に女の子になりたい男の子ではなかったらしいけど、口説き落としておっぱい大きくする手術受けさせたんだって」
「え〜?いいの〜?」
「更に売り出したらマジで人気出たから、男性化が進まないように睾丸も抜いちゃったと」
「本人たちの希望で?」
「それも半ば強引に手術受けさせたらしい」
「ひっどーい!」
 
「でも他の国でも強制的に美容整形とか豊胸とか受けさせる事務所はありがち」
「確かに。まあ去勢も美容整形の一種かも知れないけど」
 
そんなことを言いながら「本家」だというdoces floresの歌を聞いていたのだが・・・・
 
「ねえ、こちらの方が下手(へた)じゃない?」
と政子。
「うん。さっきの男の娘たちの方がうまい」
と私も言う。
 
それで政子がまた主宰者の人と話している。
 
「実際さっきの男の娘たちの方が売れているらしい」
「ほほお」
「それでだいたいこの2組、doces flocosがdoces floresの《前座》を務めるという形でライブしているらしいんだけど」
 
「セット売りになっちゃったんだ!?」
「実際の売り上げもdoces flocos、男の娘たちの方が多いらしいよ」
「だってそちらがうまいもん」
 
「でもあくまで向こうは前座という形を取っているらしい。演奏時間も前座のflocosが1時間で本家のfloresは30分なんてこともよくあるって」
「なるほどね〜」
 
実際今日の演奏でもdoces flocosは30分ほど歌ったのに、doces floresは15分ほどで演奏を終えた。彼女たちとも握手する。しかしなんか客席の盛り上がりもさっきより少しトーンダウンした感じであった。
 
もっとも私たちのライブの演出上は、その方が助かる。
 
機材の設定のため10分間の休憩をあけて私たちのステージが始まる。
 

「Boa tarde! Nos somos Rosa plus Lirio」
と挨拶して演奏を始める。前座で1時間掛かったので結局私たちのライブの開始時刻は14時頃になってしまった。
 
このブラジル公演も基本的にアルゼンチン公演と同じ進行であるが、アルゼンチンでタンゴ風にアレンジした所をここではサンバ風に演奏して結構うけていた。席から離れて踊ろうとする客を警備の人が抑えるのに苦労していた風であった。洋服を脱ぎだして真っ裸になり、警備員に取り押さえられて退出させられていた女性もあったらしい。
 
ここでもやはり最後に『ピンザンティン』を歌いますとマリが言った後で私が横やりを入れ『Virtual Surface』を歌う。
 
そしてあらためて『ピンザンティン』を歌って幕を下ろしたあとで、アンコールで呼び戻され、『月下会話:ムーンライト・トーク』、そして私のピアノのみの伴奏で『あの夏の日』を演奏して公演を終了した。
 

ライブが終わって撤収したのが16時、飛行機の時刻は21:55で19時までに空港に入ればいいということだったので、朝のコルコバードに付き合ってもらった女性警備員さんの運転する車でリオデジャネイロ市内をあちこち見て回った。観光地とかには行きたくない。街の表情が見られるところがいいと政子がややたどたどしいポルトガル語で言ったら「All right」と彼女は英語で答えて、ほんとに雑然とした感じの街並みに連れて行ってくれた。ただし車のドアをロックし、窓は絶対に開けないようにと言われた。
 
街のあちこちに車を停めては、政子はいろいろ詩を書いていた。何だか凄く楽しそうな表情をしている。今朝はスペイン語で詩を書いていたのだがやや疲れたのかこの午後は英語で詩を書いていた。ただ時々政子が詩を書いている最中であっても、警備員さんは車を急発進させたりした。おそらく危険を感じて移動したのであろう。
 
『Handshake through the window』なんて詩もあった。恋人っぽい男女が別れぎわに名残惜しくて窓を通して再度キスをしていたのを目撃して書いた詩だがKissではなくhandshakeにしたのは自主規制か。
 
私の方も着想したメロディーをいくつか五線譜に書き留めておいた。
 
 
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【夏の日の想い出・誕生と鳴動】(2)