【夏の日の想い出・雪月花】(1)

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2014年8月。
 
ある日の夕方。政子はデートに出かけているし、私はマンションで楽曲の編曲作業をしていたのだが、訪問者がある。モニターで見るとピンクのブラウスに紺のペンシルスカートを穿いた、見慣れぬ女性である。
 
「済みません、どなたでしょうか?」
「唐本さん、僕松山なんだけど」
「まさか松山貴昭君?」
「うん」
 
驚いて中に入れる。
 
「松山君、女装に目覚めた?」
「女装なら物心ついた頃から目覚めてた」
「女の子になっちゃうの?」
「女の子になりたかった時期はあるけど、今は男で生きて行こうと思っている。それより、これ政子にやられたんだよ」
「ああ」
 
「東京に出てきたんでデートに誘って食事してドライブして、そのあとホテルに行って。疲れてたんで眠っちゃったら、目が覚めたらお化粧されてて女物の服だけが残されていて」
「政子らしい」
 
「政子に電話するけど出ないし」
「私も似たようなことされたな」
「悪いけど、男が着ても変じゃないような服があったら貸してくれない?」
 
「だったら正望ので良ければ男物を貸すよ」
「あ、それは助かる! それとクレンジング貸して」
 
「お風呂場にポンプ式の置いてるから、それで落として。ついでに身体の汗も流すといいよ。着替え用意しておくから」
「さんきゅ!」
 
それで松山君はお風呂場でお化粧を落とし、私が用意した服に着替えて出てきた。取り敢えずアイスコーヒーを勧める。
 
「ありがとう。わ!これ美味しい!」
 
「お仕事大変そうね」
「全然休みがない。昨日東京出張になったんで今日は有休を取ってデートしたんだけどね」
 
「でも松山君、政子との関係はどうなってんの?」
 
松山君はため息をついた。
 
「政子から聞いていると思うけど、二股になってしまっているのは認める」
「当面両方と付き合っていくの?」
「何度か向こうの子とは別れようとしたんだけど、泣き付かれてしまって。政子がいるのに他の子に心が動いてしまった自分が悪いというのは分かっているんだけど」
「でも三角関係に円満な解決方法は無いよ。彼女を切るか、政子を切るか、どちらか決断しなきゃ」
 
「政子何か言ってた?」
「自分は貴昭さんとは友達だから彼女がいても気にしないと言ってた」
 
「正直、政子の気持ちも読めない。僕とは遊びなのか、マジなのか。その不安があった時に、ちょうど露子と会ってしまって」
 
「政子はマジだと思う」
「だよなあ。。。やはり」
「ただ当初は政子の方が二股だったけどね」
「だよね!?」
 
「それもあって政子は松山君の二股を責められないんだと思う」
「そうか・・・」
 
松山君は疲れたような表情をしていた。
 

ローズ+リリーの2枚目のオリジナル・アルバム『雪月花』の制作は春のツアーが落ち着き始めた2014年5月中旬頃から始めた。昨年『Flower Garden』の発表記者会見の時、次のアルバムのタイトルが『雪月花』と予告しておいたのだが、その時点で私の中に漠然とあったのが、次の3つの曲であった。
 
『雪割り鈴』
2007.8.13 高校1年生だった私は先日伊豆のキャンプ場で私を女装させたら可愛かったという政子に乗せられてカラオケ屋さんでまた女装させられ、そのまま一緒にお散歩をしていた。その時突然思い浮かんだメロディーに政子が詩を付けたものである。この詩をまとめるのに、偶然会ったζζプロの兼岩さんに連れて行ってもらった料亭で作業をしたのだが、その時料亭の女将がその時期には珍しいスズランの花をくれた。そのスズランを見て政子はこの曲のタイトルは『雪割り鈴』にしようと言ったのである。
 
ただしこの曲は制作段階で『雪を割る鈴』と改題した。
 
前半のスローテンポでメロディアスな部分と、後半のアップテンポでリズミカルな部分が対照的な曲で、先行してサマフェスで披露した。
 
『ムーンライト・トーク』
2007.07.28 上記の曲を書く半月ほど前。佐賀県の武雄温泉に泊まった私は、お風呂(当然女湯)の露天風呂に入っていて唐突にメロディが浮かんだ。それを部屋に戻るまで忘れないようにしようと頭の中に刻み込んでいた時、偶然政子がその露天風呂に入ってきた。幸いにも私の居る位置が物陰に入っていたので政子は私とは気づかなかったが、おしゃべりしていて私だと気付かれたら痴漢として通報されるのではとヒヤヒヤしやがら話していた。その時の美しいメロディとドキドキ感のあるCメロが特徴的な曲である。制作経緯を絶対に明かせない曲のひとつだ。
 
『花の祈り』
2006.8.17 中学3年生だった私はドリームボーイズの楽曲制作とPV撮影のため数日間、能登半島に行っていた。その時、観光館のような所で見た《波の花》の写真が私のインスピレーションを刺激してこの曲が出来た。波の花というのは能登半島の《外浦》と呼ばれる日本海側の海岸で冬季に見られるもので、寄せ来る波が海岸にぶつかって白い泡のようなものを作ったものである。だからこの曲は「花」という言葉に反して、冬季の寂しい風景を歌ったものであり、蔵田さんに言わせると「演歌だな」という雰囲気の曲。実際この曲をヨナ抜きで書き直したら演歌になってしまうと思う。
 

今回のアルバム制作は8月末発売という線で進めていたが春のツアーは6月15日まで掛かっており、アルバムの前にシングル『Heart of Orpheus』を7月中旬に発売することになっていたので、楽曲の最終選定作業と編曲が完成したのが実際問題として7月の上旬。実際の音源製作作業は1ヶ月も無いという厳しいスケジュール進行になっていた。
 
しかし7月10日、2011年に知り合い意気投合して私の親友のひとりとなっていた村山千里が実はKARIONに2008年から楽曲提供してくれていた醍醐春海だったことを知り、私は彼女と話したくなり、その日のうちに会食をした。大阪に行っていた政子を迎えに行くのにも付き合ってくれた千里であったが、私はその日彼女と話している内に、彼女の言動から、
 
《昨年の『Flower Garden』で感動してくれた人たちを次のアルバムで失望させてはいけない》
 
ということに思い至った。千里は別に何か私に言った訳ではない。しかし彼女の行動から私はそのことに気付いた。後から思えば、あるいは千里はローズ+リリーの『影の仕掛け人』を自称する雨宮三森先生の意向を受けて動いていたのかも知れないという気もする。
 
ともかくも私は深夜★★レコードの町添部長に電話を掛けて1時間以上議論した。その結果『雪月花』は発売日を12月に延期することになったのである。私はそれで7月いっぱいかけて楽曲のアレンジを完全にやり直し、8月から実際の音源製作に入った。8-11月の4ヶ月間、ほとんど他の仕事をしないまま、アルバムの制作に専念することにした。
 

8月下旬。
 
ネット上にドリームボーイズの蔵田さんの《女装写真》が大量に出回った。
 
別に蔵田さんが最近突然女装外出を始めた訳ではない。私は遭遇したことが無かったのだが、どうも10年以上前から、けっこう密かに女装で出歩いていたようである。
 
ところが誰もそれを蔵田さんの女装とは思っていなかった。
 
なぜなら、女装した蔵田さんは身長158cm程度で体型もスリムではないもののそう太っている印象もなくおそらく体重50kg程度かという感じ。やや少女っぽい装いの服が多い。ふだんマスコミに露出していたり、ライブなどで見られる蔵田さんは身長182cm 98kgというのが公称で、服装もB系などラフな服装が多くて男っぽさがにじみ出ている。男性同性愛者であることは公言しているので、同性愛者特有の男っぽさなのかなと思われていたフシもある。
 
ところがそれがフェイクだったのである。
 
蔵田さんは20cm以上もあるシークレットブーツで身長を誤魔化していたし、わざと膨れて見える服を着て、体重が重いように見せかけていた。
 
蔵田さんの本当の体型は160cm 60kgくらいらしい(仕事の状況で数kg単位の増減あり)。50kgくらいの体型に見せているのは矯正下着のなせる技である。お腹付近の肉を強引に胸の所に揚げてバストも作り出していた。身長2cm程度は、ひざの使い方や靴の選び方で結構何とかなる。
 
この身長の誤魔化しは、サマフェスのライブ会場で起きた、蔵田さん襲撃事件でバレてしまった。犯人が撃った銃弾が蔵田さんの靴に命中したものの、シークレットブーツだったので、蔵田さん自身には全く怪我がなくて済んだのである。
 
しかしその身長の誤魔化しがばれてしまったおかげで
 
「じゃ、あの女装っ子は蔵田さんだったんだ!」
 
という人たちが大量に現れたのである。みんな、顔は蔵田さんに似ているものの身長が違いすぎるし、体重もどう考えても98kgには見えないというので、似た別人だろうと思い込んでいたのである。
 

「蔵田さんは性同一性障害なのでしょうか?」
と雑誌記者がテレビ局などから出てきた蔵田さんに食らいついてインタビューしようとする。
 
「俺はホモだってのに。性同一性障害と同性愛を混同するなよ。俺はプレイとして女装するだけであって、俺の性別アイデンティティは間違いなく男だよ」
 
と言って蔵田さんは明快に《女性指向》は否定した。
 
「女装趣味という訳でもないんですか?」
「女装趣味といったら、ローズクォーツのタカとか、ワンティスの雨宮とかだろ? 俺はパートナーとの関係上女装するだけ」
 
この発言については、タカも雨宮先生もクレームを付けていた。
 
タカは
「俺は別に女装趣味じゃないよ。ただしタカ子は女の子だけどね」
などと言い、雨宮先生は
「あら。私はふつうの服着ているだけなのに。女装しているように見える?」
 
などと言っていたが、ネットでは「蔵田説に1票」という意見が多かった。
 

「つまり蔵田さんは女役なんですか?」
と雑誌記者はしつこく訊く。
 
「そのあたりは個人情報ということで。帰った帰った」
と言って、蔵田さんはその付近のことについてはノーコメントを貫いた。
 
蔵田さんとしても自分の性癖を細かく訊かれた場合、樹梨菜さんの名誉を傷つけることになるので、触れられたくなかったのである。実際問題として一部の記者を除いて、多くの記者はあまり深く追求しなかった。テレビ局の多くはネットに貼られている蔵田さんの女装写真も(肖像権に問題があるとして)映さなかった。蔵田さんのポピュラー音楽界への影響力に配慮したようであった。
 
しかしネットの住民達は、蔵田さんは男性同性愛の女役でかつ、バイなのであろう。それで否定はしていたものの、趣味で女装することがよくあるのではと推測したようであった。きっと奥さんの樹梨菜さん以外に男性の恋人もいるのでは?と憶測して、その候補者捜しをする人もあったが、一番の候補者として挙げられたドリームボーイズの大守さんが、
 
「俺、そっちの趣味は無いから」
と明快にツイッターで否定コメントを出したので、候補者捜しは暗礁に乗上げたようであった。
 

「ぐふふ。かぁいいなあ、ヌイちゃん」
と言って政子はネットからプリントアウトした、倉田さんの女装写真をたくさん並べて悦に入っている。
 
「ヌイちゃん?」
「ネットの住人さんたちが倉田さんの女装姿に付けた愛称」
 
「どっからそんな名前が?」
「冬、倉田さんの女の子名って知らないの?」
「知らない。実は倉田さんの女装姿自体を見たことがない」
 
と言いつつ、あれ〜?私、樹梨菜さんの実家で畳の上に座っている蔵田さんを見ているよな?あの時、なんで背丈の問題に気付かなかったんだろう?などと考えていた。
 

この年のローズ+リリーの夏のライブは、最初全国アリーナ・ツアーを実施する予定であったものの、アルバム制作に専念したいということでキャンセルした。ただ完全キャンセルはファンに申し訳ないということで1日だけ大宮アリーナの公演を入れた。
 
この公演では「音の伝達距離」をできるだけ短くしたいという観点からセンターステージを採用する。中央に設置したステージを取り囲むように客席を設置する。収容人数は2万人で、ローズ+リリーで過去最大規模のライブとなった。
 
このイベントの日程については、8月4日にKARION初のアリーナ・ツアーが発表された翌日、8月5日に公表されたのだが、ネットが騒然とした。
 
ローズ+リリーの大宮アリーナでのライブは8月31日に設定されていたのだが、その日KARIONは沖縄ライブをしているのである。
 
「やはりケイと蘭子は別人」
「その説はもう消滅」
「片方は女装っ子蔵田さん」
「もっとあり得ん」
「何とか掛け持ちするんだと思う」
 
「片方はホログラフィでは?」
「そういうふざけたことは絶対にしないのがケイだ」
「ちゃんとどちらも実体で参加すると思う」
 
「物理学的には不可能ではない」
「KARIONのライブは12時開始だから多分14時半には終わる」
「大宮アリーナでのローズ+リリーのライブは18時開場19時開演。だから4時間半以内に那覇から大宮まで移動すればいい」
 
「だけどそんな交通手段があるか?」
 
「KARIONのライブが行われる沖縄なんくるエリアは、那覇空港に近い。車で恐らく10分で行ける。すると15:05のJALに乗れないか?」
「難しいよ。15:05の飛行機に乗るならどんなに遅くとも14:45頃までには保安検査場を通過する必要がある。そのためには空港には14:40頃までに着く必要がある。ぎりぎり間に合わないと思う」
 
「いやそれに何とか間に合った場合、15:05のJALが羽田に着くのは17:15。そこから17:25のモノレールに飛び乗れば18:45に大宮アリーナの最寄り駅に着く」
「いや車で走った方が早いと思う。羽田から大宮アリーナまでは車なら50分で行ける」
「渋滞に引っかかるとどうにもならん。夕方だぞ」
 
「綱渡りだな」
「飛行機が遅れたらアウト」
 
KARIONライブのアンコールは欠席するのではという説も出てレコード会社や事務所に質問が来たものの、どちらも「蘭子はちゃんとKARIONライブの最後までステージ上に居ます」という回答をした。
 

ローズ+リリーのアルバム『雪月花』の演奏は、最初の方針通り、スターキッズを中心にして、春のツアーで演奏に参加してくれた人たちをフィーチャーして作っていくというのを基本にした。ただし曲によっては更に演奏者を追加したり別の伴奏者を使ったものもある。
 
作り直しの方針を固めてから最初に制作したのはサマフェスでも披露した『雪を割る鈴』である。前半の《緩》の部分と後半の《急》の部分が対照的な曲で、リード系の音が欲しいと思っていたのだが、そんな時、以前からロシア音楽に関心を持っていたEliseがバヤンという楽器のことを教えてくれた。
 
これはアコーディオンの一種なのだが、リードの形が西洋式のものとは異なっており、音色も少し違う。上手い具合にアンナ・イゴレヴナさんという在日ロシア人の演奏家を紹介してもらえたので、彼女にバヤンを弾いてもらい、ついでに彼女の夫のバラライカ奏者・ニコライ・ジャンケレヴィッチさんにバラライカを弾いてもらって、この歌を完成させた。
 
通常のスターキッズの他に、凜藤更紗/伊藤ソナタ/桂城由佳菜/鈴木真知子/ケイ/松村市花という豪華メンバーのストリング・セクションをフィーチャーしている。伊藤さん・桂城さんも物凄く巧いのだが、この音源製作のためわざわざ帰国してくれた更紗の演奏を聴いて、「凄い!」と言い感激していた。
 
「でもアスカ先輩にはかないません」
と更紗が言うと、顔を出しているものの自分では演奏せず見物を決め込んでいるアスカから
「まあ簡単には追い抜かれないけどね」
と言われていた。
 

「ところでブリュッセルに居る間に、私考えていたのよ」
と更紗が言う。
 
「何をですか?」
「ケイちゃんがいつ性転換したのかという問題」
「そんなの考えてるんですか!?」
 
「結局ですね。真知子ちゃんから聞いた話や、ネットで収集できた情報を総合すると、やはりケイは高校1年の12月か1月に性転換手術を受けたと考えるのが最も確からしい」
 
「なんで、そういう話になるんです!?」
「動向が不明だからだよ。12月にKARIONの音源製作に参加しているのに1月以降ずっと動静が不明。明確なのが7月にKARIONの大阪・東京・名古屋のライブに出演していること。これは多くの証言がある。その直後8月からローズ+リリーの活動を開始している。だから恐らく年末に性転換手術を受けて1月から6月まで手術を受けたあとの休養期間だったのではないかと」
 
「私、実は1月のKARIONデビュー会見にも出てるんですけどね」
「あれ?そうなの?」
「何人か記者は来てたんですけど、どこも記事にしてくれなかったんですよ。だから誰も覚えていない幻の記者会見。出席してくれたはずの★★レコードの鷲尾さんでさえ、全然覚えてないと言うんですよ」
 
「まあアイドルなんて掃いて捨てるほど日々デビューしてるから」
「いちいち覚えてないよね」
 
「その記者会見、撮影とかはしてないの?」
「1社、どこの記者さんかは知らないけど撮影していた記者があったんですよ。これテレビに流れないかなと期待したんですけど、流れませんでした」
 
「でも撮影した記者があったのなら、それどこかのテレビ局の倉庫に今も眠っていたりして」
「いやさすがに他ので重ね書きしてるでしょ」
 

そんな話をした直後、ゴールデンシックスの制作で千里に会った時、同じような話をしていたら
 
「ああ、その記者会見のビデオあるよ」
と千里が言う。
 
「嘘!?」
 
「今度持って行ってあげるよ」
と言い、実際千里は翌日ビデオを持って私たちの自宅マンションまで来てくれた。
 
政子、および呼び出した和泉・小風・美空と一緒に、千里が持って来たビデオを見る。
 
4人が並んでテーブルに座っている所を見て政子が「凄い」と言う。
 
「私、この日、伴奏頼むと言われて呼び出されたんだよ。それが伴走者の衣装だと言われて着せられたのが和泉たちとおそろいの衣装だし。更に実は伴奏は他の人を用意したからと言われて」
と私は言う。
 
「ところがその伴奏者が使えなくなったんだよね」
と和泉が言う。
 
「MURASAKIさんのライブのキーボード奏者が会場の前で車にはねられて。それで急遽こちらの会見用に用意していたキーボード奏者に向こうに行ってもらったんだ」
と私も言う。
 
「そしたら美空が知り合いのキーボード奏者が近くに居るはずだから呼び出すと言って。。。あ、もしかして?」
 
「うん、呼び出されたのが私だよ」
と千里。
 
「私、ちょうどバスケットの皇后杯に出るのに代々木に来てたんだよ。ただその日は新宿に居たんだけどね。記者会見が始まる30分前に連絡受けたから、青山まで駆けつけるのに焦った焦った」
と千里は説明する。
 
「じゃ醍醐春海さんって最初からKARIONに関わっていたのか」
と小風は驚いたように言う。
 
「私もてっきり『夏の砂浜』に入れた『積乱雲』からかと思ってた」
と和泉も言う。
 
千里は説明する。
「それで記者会見場を見たら、カメラ持ってる記者さんがひとりも居ないじゃん。寂しいなと思って、私に付き合ってくれた友達に撮影してもらったんだよ。たまたま試合撮影用のビデオカメラ持ってたから」
 
「あれ撮影していたのは記者さんじゃなかったのか!」
 
「だからこれを持っているんだよ」
と千里がみんなに見せてくれたのは、2008.1.4 日付で、KARIONの四分割サインが書かれた『幸せな鐘の調べ』のCDである。
 
「すごーい!」
「こんなのうちにも無いよ」
と和泉が感動したように言った。
 
「ね、ね、これKARIONの次のDVDにサービスビデオとして収録してもいい?」
「いいよ。このビデオは冬たちに寄付するよ」
 
「このCDも撮影させて」
「冬も持ってないなら冬にあげるよ」
と言って千里は微笑んだ。
 
唐突に政子が言う。
「でもこれで冬が2008年1月4日の段階で既に性転換済みだったことが確定したな」
「なんでそうなるの!?」
 

今回のアルバム制作では楽曲と同時にPV制作も進めていった。『雪を割る鈴』のPVは、ライブで踊ってくれた近藤うさぎ・魚みちるの2人をフィーチャーしている。撮影は豪華客船《ぱしふぃっくびぃなす》のイベントステージを借りた。Gt:近藤、B:鷹野、Dr:酒向、Pf:月丘、A.Sax:七星、バヤン:アンナ・イゴレヴナ、バラライカ:ニコライ・ジャンケレヴィッチ、というリズムセクションをステージ右側に、6人の弦楽器奏者によるストリング・セクションを左側に配し、ステージ前面に私とマリが並んで歌い、そのバックでうさぎ・みちるの2人に踊ってもらう。
 
私とマリはおそろいの白いドレスを着ているが、うさぎ・みちるの2人はロシアの民族衣装サラファンを着て踊り、そのスカートの動きを巧みにビジュアルに取り入れた踊り方をしてもらっている。この振り付けに関してはロシア人の振付師アリサ・ロマノヴナという人に指導をしてもらっている。実をいうと、この曲を書いている時に有名な童話『十二の月』(しばしば『森はいきている』とという邦題で知られる)のイメージがあって、ロシアっぽくしたいというのがあったのである。
 

2番目、8月中旬に制作したのは『スティル・ストーム』である。これは2009年12月、私たちが公式には「休養中」だった時期の作品である。
 
対立するようなふたつの単語を組み合わせると面白いというのを政子が言い出し、「静かな嵐」ということで、先にタイトルだけ決めて、そのタイトルに沿って楽曲を制作したものだ。直後私は唐突に北海道まで往復してきたのだが、私が旅の途中で書いた曲と、私が居ない間に政子が書いた詩をくっつけたものである。
 
私と政子はしばしば、独立に詩と曲を書いても、それがピタリと合っているという経験をしている。
 
「スティル」の部分はヴァイオリン(演奏者:鷹野)、「ストーム」の部分はエレキギター(演奏者:近藤)という対比で曲は進行する。私と政子のボーカルは傍観者のように、どちらの動きにも同調せず進んでいく。それらを唯一統一するのが酒向さんのドラムスである。七星さんのサックスは私と政子の声に合わせて、あたかも第3のボーカルであるかのように唄っていく。
 
「これは難解な曲ですね」
とレコーディングに顔を出してくれた氷川さんが言う。
 
「まあ売れない曲が1つくらいあってもいいかなと」
 
「でも昨年のアルバムで、およそ理解されるとは思えなかった『砂漠の薔薇』が随分売れていますから、本当にセールスは分からない」
「あれ、私もびっくりしました!」
 

この作品のPVは鳥取砂丘で撮影した。砂の様子が刻一刻と変化していく様子を長時間掛けて撮影し、実際に砂が飛んだりする所は一切映さないまま、砂の形が変化して行く様子が出ている。
 
背景に砂丘で休む鳥の姿、砂丘を背景にした満月、漁り火などの映像を入れてとても美しいビデオに仕上がった。このビデオには私とマリ自身も出ていない。
 
このビデオは後で某放送局から、日本の自然を映した美しい映像ということで賞まで頂いてしまい、その影響で後から個別ダウンロード数が増えることになる。
 

2014年8月13日。
 
ローズ+リリーの春のツアーで毎回私たちと「カラオケ対決」をしてくれた、ゴールデンシックスのメジャーデビューCD『Take Six/ロングシュート』が発売された。ローズ+リリーのツアーで知名度がかなり上がっていたこともあり、初動で4万枚という快調なスタートであった。
 
楽曲は6曲入れている。「ゴールデン・シックス」にちなんで6曲構成にした。
 
タイトル曲になっているのは葵照子・醍醐春海のペアが書いた『Take Six』である。ジャズの名曲『Take Five』の、悪く言えばパロ、よく言えばオマージュであり、原曲と同様「6分間休もうよ」という意味と、「6拍子」というのを兼ねている。内容的には「私たちは2人だけど魅力は6人分」とか「私たちは2人だけどギャラは6人分」などと、ローズ+リリーのライブで実際にカノンとリノンが言った内容を多数組み込んでいる。この曲はパンクっぽい雰囲気で軽くまとめた。
 
この曲のPVはゴールデンシックスが旧メンバーと一緒にスタジオで演奏している映像をそのまま使用している。旧メンバー4人も顔出しは快諾した。演奏者は
 
Ld.Gtリノン(矢嶋梨乃) Rh.Gtアンナ(前田鮎奈) B.タイモ(村山千里) Dr.キョウ(橋口京子) Pf.カノン(南国花野子) Vn.マドンナ(水野麻里愛)
 
という面々で、PV上ではリノンとカノンが歌い、残りの4人がコーラスを入れているように見えるが実際の歌は別録りである。(ライブではカノン・リノンは弾き語りもやっている)
 
しかしこのPVを見たファンは、ゴールデンシックスって、ちゃんとメンバーが6人居るんだ!と思った人も多かったようである。
 
同じ葵照子・醍醐春海のペアで『Golden Aqua Bridge』という曲も入っている。これは夕日に輝くアクアブリッジの風景を歌った歌である。PVでは夕方アクアブリッジを走る車の助手席から映した映像を使用している。良い映像が撮れるように、撮影班は1ヶ月間毎日夕方にアクアブリッジを走り、その中で最もきれいに撮れた画像を採用した。執念の力作だ。音源では千里が龍笛を吹いて途中に落雷音も入っている(多くのリスナーは効果音と思ったようである)。この曲と『Take Six』を合わせて《Golden Six》になるという言葉遊びにもなっている。
 
もうひとつ葵照子・醍醐春海のペアで『Roll over Rose + Lily』という曲も入っている。Roll over というのは昔のラジオのディスクジョッキーにリクエストを出してレコードをプレイヤーに掛けて回してくれという意味である。決して「ぶっ飛ばす」訳ではないのだが、歌詞の内容は例の曲を相当意識している感じだ。下手くそな歌謡曲にハマってしまった。もう身体に下手くそな音楽が染みついてて私は下手にしか歌えない。ローズ+リリーのCDを掛けてくれ。あんなきれいな音楽を聴けばこの病気も治るだろう(つまりローズ+リリーの歌はきれいなだけで詰まらないというのを言外に示唆している)、などと歌っている。私も氷川さんも笑い転げていたのだが、ローズ+リリーのファンが過剰に反応しないように私はわざわざ
 
「ゴールデンシックスのデビューCDに入ってるRoll over Rose + Lily、聴いたけど、笑って笑ってお腹がよじれそうだった。作曲者は私の長年の親友醍醐春海」
 
とツイートしておいた。
 
実際こんなふざけた曲を堂々と書けるのはきっと千里か神崎美恩くらいだろう。
 
カノンたちとの約束に従って私が提供したのが『ロングシュート』という曲。これは中学生の頃に能登半島の見附島(別名軍艦島)を訪れて書いたものである。この島には、弘法大師が中国から帰国する船の中から投げた五鈷杵がここで見付かったという伝説があることから発想したもの。PVではバスケットボールのコートのセンターラインの所からシュートしてゴールにボールが飛び込む映像が入っている。これは千里が数十回シュートして、奇跡的にダイレクトに飛び込んだシーンを採用した。つまり画像自体には一切細工無しである。
 
その他入っている曲はリノン作詞・カノン作曲の 『カラオケ天国』、ツキヨ作詞作曲の『ワンナイト・ラブ』である。「ツキヨ」こと月夜は美空の実姉で彼女は 24121503 というバンドを組んでいるのだが、ゴールデンシックスの前身のDRK時代から楽曲を提供してくれていたのだそうである。
 

ローズ+リリーのアルバム『雪月花』の作業は淡々と進んでいた。
 
3番目に制作したのは萌枝茜音さんから提供してもらった『カオル』という曲である。萌枝さんは元々はロックバンドを組んでいたのだが、アイドル歌謡を最近は多く書いており、鈴鹿・美里やチェリー・ツインなどにも楽曲を提供している。それでこの曲も、その系統に属する曲なので、歌謡曲っぽい感じで仕上げることにした。
 
渡部賢一グランド・オーケストラに出演してもらい、ストリング・セクションやブラス・セクションをたっぷり聞かせる曲に仕上げた。この時期のオーケストラのリズム・セクションは、Eliseの実妹・亜矢が率いるナディアルが担当している。
 
PVも音源制作に引き続き、同じメンツで、東京中野のスターホールのステージを使用して撮影した。歌謡ショーのようなセット(響原さんから、実際の歌謡番組のセットのお下がりをもらった)を設置し、私たちは1970-80年代の歌謡曲の歌手のようなキラキラするドレスを着て、髪も昔風に結ってもらって歌っている。
 
この曲はアイドル系の歌ということで十代のファンの掘り起こしを狙ったのだが、意外に40代以上の層に受けて、カラオケでもたくさん歌われることになった。音域もあまり広く使っていないので、カラオケでも歌いやすいのである。ローズ+リリーの曲は、私の音域を生かすように2オクターブ以上ある曲が多いのだが、この曲は1オクターブ半くらいしか使っていない。
 
またこの曲のPVでは、フードコーナーでメロンソーダを飲んだ後、繁華街をさまようように歩く女性の姿を映し込んでいる。カラオケ屋さんの標準画像っぽい作りなのだが「この人は誰ですか?」という問い合わせが結構あった。
 
実は苗場にも出演してもらった女子バスケ・チーム《千葉ローキューツ》のキャプテンで歌子薫さんという人である。カオルという名前なので出演してもらった。彼女は千里の古い友人であり、また和泉の友人の照橋ヒナさんの古い友人でもある。千里も大学生時代に、このバスケ・チームに所属していたらしい。
 

「千里は、なんでそのチーム辞めたの?」
と政子が尋ねると、千里は
 
「性転換手術を受けるためだよ」
と答えた。
 
「それにちょうど、初期メンバーが就活とか結婚のために相次いで脱退したから、そのどさくさまぎれに私も辞めさせてもらった」
 
「おかげで私ひとり取り残されて、この後どうしようと思った」
と薫さん本人も言う。
 
「でもそのメンツで、全日本クラブ選抜を制したし、翌年は全日本クラブ選手権も制したんだから薫は偉いよ」
と千里。
「主力がごそっと抜けたから建て直すのに大変だったよ」
と薫。
 
政子が悩むように言う。
「その千葉ローキューツって男子バスケチーム?」
「ううん。女子バスケチームだよ。苗場でも苗場行進曲で出てもらったじゃん」
と千里。
 
「私は女子選手としての正式なIDカードをもらってすぐにローキューツに参加したんだよ。それまでは男女混合のお遊びみたいなチームに居たんだ」
と薫が言う。
 
「女子バスケチームに所属していたということは、千里ってその時点で女子選手だった訳だよね?」
と政子。
「当然。男が女子バスケチームに入れる訳無い」
と千里。
 
「ということは性転換手術を受けるために辞めたというのはどう考えてもおかしいんだけど」
と政子。
 
「いや、千里は中学生の時から女子バスケチームに居た」
と薫が衝撃の発言をする。
 
「ということは、やはり千里って、小学生の内に性転換してたんだ!?」
と政子が言う。
 
「本人は否定するけど、そうとしか考えられないよね」
と薫。
 
千里は笑っている。彼女は以前にも自分がいつ性転換したのか自分でも分からない、みたいなことを言っていた。彼女の「言い訳」を聞いてもさっぱり意味が分からないのである。
 
すると政子は言った。
「ということは、やはりケイも小学4年生頃までに性転換していたんだ?」
「なんで、そうなるの!?」
 

「ちー姉が2012年にタイで性転換手術を受けたのは間違いないんだよね」
と久しぶりに東京に出てきた青葉も言った。
 
「でもそれだとあれこれ矛盾がある」
と私は言う。
 
「何らかの予定調和のひとつという気もする。だから多分、ちー姉って実は小学生の内に性転換したんだけど、実際に性転換手術を受けたのは大学4年の時なんだよ」
 
「意味が分からん」
 
「普通の大工さんは、基礎工事をして柱や梁を組み立ててから屋根を乗せる。材木を合わせてから釘を打つ。ところが、予定調和の大工さんは屋根を乗せてから柱や梁を組み立て、その後基礎工事をしたり、釘を打ってから材木を合せたりすることができる」
「なんかガリバー旅行記にそんな話があったね」
 
「ちー姉って物凄い予定調和で動くんだよ。ちー姉って本人は否定するけど、強烈な霊感の持ち主じゃないかと私は思うこともある。でも私が見る感じ、ちー姉のオーラって、ふつうのやや霊感が発達した人程度しか無いんだよね。Eliseさんとか、七星さんとかと似た程度の、小さなものなんだ。あのオーラから判断する限りは、そんな大した霊感があるとは思えない。だから私にも、ちー姉って、よく分からない存在なんだ」
と青葉は言う。
 
「ちー姉の予定調和って凄いんだよ。今夜はビーフストロガノフが食べたいなという気分になっている時に帰宅したら、ちー姉と桃姉が来ていて、ビーフストロガノフを既に作っていてくれたりする。トランプがしたいねと言ったら荷物からトランプが出てくるし、ヴァイオリンの練習しようかなと言ったらちゃんとヴァイオリンを持っている」
 
「ああ、そういうのは千里と付き合っているとよく経験する。千里の鞄って何だか魔法の鞄なんだよ」
 
「雨宮先生から一度聞いた話では、東京から大阪まで送ってくれないかとファミレスのバイトに出ているちー姉に頼んだら、普段はスクーターでファミレス通勤してるのに、その日だけは自分の車でファミレスに来ていて勤務が終わった後、その車で迎えに来てくれたんだって」
 
「物凄い偶然だね」
「しかも普段は夜10時から朝5時までの勤務なのに、その日だけは他の人のシフトを代わってあげていて、夜12時で終わるシフトに入っていたらしい」
 
「話ができすぎ!」
 
「桃姉も言ってたんだよね。ちー姉が『傘持っていきなよ』と言った時は、朝どんなに晴れていても雨が降る。おかげで桃姉はちー姉と同棲し始めてから、急に雨に降られて困るということが、ほとんど無くなったらしい」
 
「雨が降るの分かる人は結構いるよね」
「気圧に敏感な人とかだよね。あと電話が掛かってくるのも事前に分かるみたい」
 
「青葉も分かるでしょ?」
「うん。私はだいたい30分くらい前に分かる。ちー姉は私ほどじゃないけど、5分くらい前には分かるらしい」
 
「それって、やはり千里は結構な霊感人間なんだと思う。だから青葉って、やはり最適の人に保護してもらったんだよ」
 
「うん。そう思うことがある。物凄く大きな運命の流れにあるんだろうな」
 
そう言って青葉は遠くを見るような目をした。
 

8月下旬、その青葉が出てきたついでに彼女の吹くサックスをフィーチャーして収録したのが『眠れる愛』である。この曲は、政子が眠っているのを見て、私が書いた曲だ。時は2009年のクリスマス。『アイドル・クリスマス』というイベントに出演した私と政子はその後、政子の要求で帝国ホテルに泊まった。受験勉強の疲れから政子はふかふかのベッドでぐっすり眠ったのだが、その時の曲である。実は名曲『恋座流星群』とほぼ同時に仕上げた曲だ。
 
演奏はスターキッズの《アコスティックバージョン》を基本にしているが、そこに七星さんと青葉のツイン・アルトサックスをフィーチャーした。
 
PVでは『眠れる森の美女』を意識したセットの中で、童話のような衣装を着けたスターキッズのメンバーが、実際に演奏しているのを撮影した。そこに更に、帝国ホテルの部屋を借りて、眠っているマリを撮影して、その映像を加えている。ベッドに入って目をつぶってと言ったのだが、マリは本当に眠ってしまったので、結果的に本物のマリの寝顔を公開することになった。
 
演奏の映像では、小人さんのような衣装を着けた七星さんと青葉の双方が使用しているピンクゴールドのサックスが可愛い!というので結構評判になったようである。元々は七星さんが青葉を唆せて買わせたものの、唆した七星さん本人も欲しくなって後から買ったもので、Yanagisawa A-9937PGP という製品である。
 
また、時間経過を表すのに、ゼンマイ式の木製の古い仕掛け時計を映しているのだが、この時計が趣きがあって評判になっていた。七星さんの私物なのだが、以前スイス旅行をした時に古道具屋さんで見付けて買っていたものらしい。時計マニアの★★レコード・則竹さんがこれを見て、恐らく1920-30年頃のものではないかと言った。
 
もう動かないようになっていたのだが則竹さんは「修理できると思う」と言うので、七星さんが「だったら修理お願いします!」と言い、則竹さんの知人の時計職人さんに依頼したところ、丁寧に歯車やカラクリ部分を分解して磨いて、切れていたゼンマイだけ新しいものに交換して、組み立て直してくれた。それで実際に動いている様子、カラクリが飛び出す様子などを撮影することができた。
 

9月上旬、5番目に制作したのは上島先生に書いて頂いた『白い虹』という作品である。白虹というのはふつうは月が作る虹なのだが、この歌では、恋を失って、ショックで色覚が消失してしまい、虹が白く見えるという状況を歌っている。
 
上島先生は最初このアルバムのために『青い静寂』という曲を書いてくださったのだが、曲の品質に問題があり、制作段階で議論になった。氷川さんが上島先生に他の収録候補曲を聴かせた所、がぜん意欲が出たようで、全く新しい曲を書いてくださった。『青い静寂』は別の歌手に回してしまったようである!?
 
この曲は、色彩排除ということから、ピアノの伴奏のみで歌っている。実際に音源製作時にピアノを弾いてくれたのは、スリーピーマイスのエルシーである。彼女には昨年のアルバムでも、『カトレアの太陽』でピアノを弾いてもらっている。
 
またこの曲のPVもモノクロで撮影した。わざわざ富士フイルムの古いシングル8(8mmフィルムカメラ)でモノクロフィルムによる撮影を行い、それをビデオ変換している。カメラはヤフオクに出品されていたものを近藤さんが見付けて落としてくれ、それをメーカーに持ち込んで修理してもらって動くようにした。またモノクロフィルムも実はもう純正品は存在しないのだが、ドイツのメーカーが製造したものが何とか入手できた。
 

8mmフィルムで撮影しているというのを聞いて、何と○○プロの丸花社長が顔を出して「懐かしい!」と言っていた。丸花さんは磁気テープではなくフィルム式の動画カメラを使用していた最後の世代っぽい。
 
「いや、昔は歌手のステージを8mmフィルムで随分撮ったよ」
 
などと言って、昔の話をたくさん語り、氷川さんが聞き役になってあげていた。
 
「ね、ね、この8mmカメラ、もらえない? 僕が持ってたのはもう壊れて動かないんだよ」
などと丸花さんが言うので、制作が完了した所でこのカメラは余ったフィルムと一緒に丸花さんにプレゼントされることになった。
 

更に懐かしい感じに仕上げたのが東堂千一夜先生から頂いた『可愛いあなた』である。ジャズの名曲『素敵なあなた(Bei Mir Bist Du Schoen)』を意識したスイングっぽい曲である。
 
この曲の伴奏は雨宮先生のツテで、ワンティスの山根さんが組んでいるジャズバンド・横須賀デイライトスターズにお願いした。さすが本職だけあってとてもノリが良く、まさに「大人の音」を聴かせてくれて、近藤さんや七星さんも刺激をたくさん受けていたようである。
 
特に山根さんのトランペットとバンドのサックス奏者新妻(あづま)さんのテナーサックスとの掛け合いは、素敵だった。この曲では私たちはギターコード付きの譜面だけを渡して、細かい演奏は向こうにお任せし、それにリアルで私とマリの歌も入れて、一発録音をしている。
 
やはりジャズの醍醐味は即興のイマジネーションなのである。
 
でも山根さんから
「あんたたち上手いじゃん」
と歌を褒められた。
 
PVでは、実際の横須賀のナイトクラブに協力をお願いして、実際に観客も入っている状態で、私とマリも少しセクシーなドレスを着て歌ったものを撮影したが、観客からおひねりが飛んできたのにはびっくりした(ありがたく頂いた)。
 

7番目に制作したのは『花の祈り』である。
 
能登半島の冬の名物『波の花』のイメージで作った曲なので、これは昨冬にこのアルバム制作を見越して実際の波の花を撮影したビデオをPVには取り込んでいる。
 
演奏は私の親戚連中に入ってもらって、三味線、和太鼓、尺八などをフィーチャーしている。音程をそろえるために「西洋音階尺八」なるものを特別に制作して、これを尺八の名手である清香伯母(若山鶴声)に吹いてもらったが「これ面白い。もらっていい?」というので、音源とPVの制作が終わってから進呈した。
 
要するに和楽器を使用したロックに仕上げた。
 
この制作では三味線は清香の娘の佳楽(若山鶴芳)と、私の従姪の槇原愛(今田三千花:若山鶴花)、和太鼓はその妹の篠崎マイ(今田小都花)に打ってもらっている。西洋音階の篠笛も入れて、これは千里に吹いてもらったが、千里の笛を聴いた清香伯母が
 
「あんた、うちの教室に入門しない?」
と勧誘していた。
 
すると自分では演奏しないものの、槇原愛と篠崎マイの付き添いで来ている友見(ふたりの母)が
「伯母ちゃん、それ逆でしょ。伯母ちゃんが村山さんに弟子入りした方がいい」
などと言う。
 
「うん、それでもいい!」
と清香伯母が言って、千里が困っていた。
 
(乙女・清香・春絵が姉妹で、友見は乙女の娘、佳楽は清香の娘、私は春絵の娘。槇原愛と篠崎マイは友見の娘)
 

PVの撮影は、スタジオで加賀友禅の豪華な振袖を着て歌う私とマリの画像を、昨冬能登半島で撮影した映像にafter effectsで合成している。でも雨宮先生が「気分を出すため」と称してスタジオの室温を0度まで下げたので、私たちは寒さにこごえながら歌った。でもそのおかげで「まるで本当に北国の海岸で歌っているみたい」というファンからの評価を頂いた。
 
演奏者の映像も、佳楽の三味線、清香の尺八、千里の篠笛は映している。正直、千里が映像に顔出しをOKしてくれたのは驚いた。やはり千里は大学院卒業後は音楽家の専業になるつもりなのかなと私は思った。なお3人とも自前の振袖を着ていたが、全員本物の友禅ではないものの「友禅風」のもので、見た目はとても華やかだった。
 
「私毎年1枚ずつ、こういう友禅風の振袖買っているんですよ。本物じゃないから気軽に着てお出かけできていいんですよね」
と千里が言う。
 
「ああ、私もやはりお稽古や演奏会で着るとよごすから、友禅風の量産品は重宝してる」
と清香が言う。
 
「お母ちゃん、私に本物の友禅を買ってくれたりはしない?」
と佳楽。
 
「既婚者が何を言ってる?」
 
佳楽は昨年結婚したばかりである。
 
「ケイちゃん・マリちゃんの友禅はさすがだよね」
と清香。
 
「マリちゃん、その振袖おいくらくらい?」
と佳楽が訊く。
 
「いくらだったっけ?」
と政子は私に訊く。
 
「自分のくらい覚えておきなよ。それは514万円」
と私が言うと
 
「そんなにしたんだ!?」
と政子本人が驚いていた。
 
「税込み500万円だったんだけど消費税が上がったから514万円になったんだよ」
「消費税で14万円も上がったのか」
「やはり重税感を感じるなあ」
 

「でも千里は成人式は振袖着たの?」
 
演奏収録とPV撮影が終わり、清香たちが帰ってから、私と政子と千里に雨宮先生の4人でお茶を飲んでいた時に政子が訊いた。
 
「もちろん」
「千里が背広着て成人式に出たりする訳無いじゃん」
と私も言う。
 
「その振袖を選ぶのに、私、あまり和服に詳しくなかったから桃香に手伝ってもらって、そのあたりから私と桃香は急接近したんだよ」
 
「そういうことだったのか」
「それをきっかけに、私、女の子の格好で外を出歩くようになったんだよね」
 
「ちょっと待て」
「それ以前は男の子の格好で学校行ってたの?」
「そうだけど」
 
「だって高校時代、女子バスケ選手だったんだよね?」
「うん」
「だったら高校時代は女子高生してなかったの?」
 
「女子制服で通学しているよ。冬と同じ」と千里。
「私は男子制服で通学してるよ」と私。
「嘘つくな」と政子。
 
「高校時代、女子制服で通学していた人が、なぜ大学には男の格好で行く?」
 
「授業初日の前日に大雨で、雨漏りして女物の服が全滅したんだよ。たまたま事情があって男装していたもんで、仕方なくその格好で最初の日の授業に出ていったんだよね。そのまま成り行きで」
 
「そんなの雨漏りするって、千里なら分からないの?」
「たぶんその日は自分の心の声に耳を傾けることができなかったんだよ。私、その日失恋したから」
 
「大学入学の前日に失恋するってつらいね」
「しかし心の声か・・・・」
 
「みんな、心の声ってあると思うんだ。それに耳を傾けることのできる人、できない人がいる。そして普段耳を傾けることができていても、どうかした日にはちゃんと聴けないんだよね」
 
「青葉が何度も悔やんでた。震災当日、凄く嫌な予感がしたのに、どうして自分はせめてお姉さんだけでも助けられなかったんだろうって」
 
「身近な人のことについては、特にちゃんと聴けないんだよね。占い師って自分のことがいちばん分からないとよく言うけど、実は自分のこと以上に、自分の家族や恋人のことが分からない」
 
「そうかも知れない」
 
「だって自分の愛する人のことについて、完全に冷静になることできる?冷静になれるとしたら、それはその人のこと愛してないよ」
と千里は言う。
 
政子が唐突に紙を取り出すと、詩を書き始めた。
 
私も千里も雨宮先生も静かにそれを見守る。
 
『under the candlestick』というタイトルが付けられている。英語のことわざのThe darkest place is under the candlestick. だろうなと私は思った。直訳すると燭台(しょくだい)の下が最も暗いということだが、日本語でいう所の「灯台下暗し(とうだいもとくらし)」だろう。
 
「千里、例の不義の子、どうしたの?」
と私は政子が詩に集中している間に訊いてみた。
 
「今回は失敗した。私が父親になる方法でも母親になる方法でも受精卵は着床しなかった。来月再挑戦する」
 
「千里ってまさか精子と卵子の両方持ってるの?」
「私元々男の子だから卵子は無いし、去勢してもう3年たつからさすがに精子は無いよ」
 
「やはり千里の言葉はさっぱり分からない!」
 
「でも精子無くたって女の子や男の娘を妊娠させるのは気合いだよね」
などと雨宮先生は言う。
 
「雨宮先生なら行けそうだ」
「雨宮先生なら女の子を見ただけで妊娠させられるかも」
「それは上島だよ」
「上島先生は隠し子が100人居るという噂も」
「隠し子の存在は知ってるけど、さすがに100人は居ないと思うな」
と私は言う。
 
「それに上島さんは女の子専門ですよね。雨宮先生は女の子でも男の子でも男の娘でもいけるから」
と千里。
 
「うん。さすがに男の子は妊娠させたことがないけども男の娘には実は子供産ませたことある」
と雨宮先生。
 
「産めるんですか?」
「たまにいるんだよ。産める子も」
「それ半陰陽なのでは?」
 

「雨宮先生って嘘つきだから、どこまで本当なのかさっぱり分からない」
と千里が言うと
 
「そういえば千里は声変わりしましたなんて嘘までついてたね」
などと雨宮先生は言う。
 
「冬も声変わりしたなんて嘘ついてたよ」
と政子。
 
「私、ほんとに高3の時、声変わりしたんだけど」と千里。
「私は小学6年生の時に声変わりした」と私。
 
「そういう無意味な嘘つくのって理解できん」
と雨宮先生。
「同意同意」
と政子。
 
「やはり冬は小学6年生の時に性転換したに違いない」
「なんでそうなるの!?」
 

2014年8月29日(金)。
 
私は翌日の福岡でのKARIONライブのため前日にあたるこの日の午後福岡に向かったのだが、政子も「美空と一緒に博多ラーメンを食べたい」などと言って、私に同行した。実際その日の晩は美空と政子のふたりで長浜の一心亭に行き4杯ずつ食べたらしい。ふたりはもっと入ると主張したが同行した花恋がこれ以上食べたら明日のライブに差し支えますと言って「レフェリーストップ」を掛けたという。一心亭のラーメンは私も食べたことがあるが、かなり濃厚でヘビーである。しかも後で聞くと、ふたりはラーメン4杯の他にチャーハン2皿、餃子4皿食べていたらしい。
 
ちなみに私は小風・和泉と一緒に和風割烹・海幸でコース料理を食べた。
 

翌30日、私は和泉たちと一緒にKARION福岡公演(12:00-14:20)に出た。政子はこの公演の進行役を買って出て「間もなく公演が始まります」から「これで本日の公演は全て終了しました」までのアナウンスをした。この件は後で結構話題になっていたようである。
 
その後空路沖縄に入る。
 
私と政子が沖縄に行くと、毎回、難病と闘っている私たちのファン、麻美さんをお見舞いに行くのだが、今回は連絡すると、自宅に戻っていると言う。
 
麻美さんの症状がこのところかなり改善されているというのは聞いていたのだが、外出許可が出るほど良くなっているのかと驚き、ふたりでご自宅を訪問した。
 
「むさ苦しい所に済みません」
ともう麻美さんとは姉妹同然になっている友人の陽奈さんが言って、私たちを迎え入れてくれた。麻美さんは寝ているかと思ったら、居間でかりゆしウェアなど着て座っている。
 
「起きてていいんですか?」
と私が訊くと麻美さんは笑顔で
 
「ええ。このところ調子がいいんで」
と答える。
 
「いつ病院に戻るの?」
と政子が訊いたら、麻美さんは答えた。
 
「いえ、戻りません。退院したんです」
 
「ほんとに!?」
「凄い!」
 
「以前マリさん・ケイさんが連れてきてくださったヒーラーの方とユタの方が予言してくださった通りでした」
 
「あ、ちょうどそうなるかな?」
 
陽奈さんが言う。
「あの方たちが来てくださったのが2012年の11月で、その時、おひとりは23ヶ月、もうひとりの方は1年10ヶ月後に退院できるとおっしゃったんです。でもそれより1ヶ月早い1年9ヶ月後の退院になりました」
 
「やはり青葉って凄いね」
と政子が感心したように言う。
 
「一応毎週1回病院に通わないといけないんですけど、とにかく退院できたのは凄いです。この病気にかかって退院できるまで回復したのは麻美ちゃんが世界で初めてらしいです」
と陽奈が言う。
 
「なんかロシアかどこかで見付かった特効薬が効いたみたいなんです」
と麻美の母。
「うん。でもあの薬、効く人と効かない人があるとかで、公的には認可薬になってないらしいのよね」
と陽奈。
 
「それでも効いたのは運がいいですね!」
と私は言った。
 
その晩は麻美さんのお母さんに
「ずっとお世話になっているせめてものお礼に」
と言って、沖縄風の料理で歓待してもらった。
 

「麻美さん、この後は何かするんですか?」
「私、大学に行こうかと思ってるんです」
「へー」
 
「麻美、1年くらい前から病院の中で結構勉強してたんですよ」
と陽奈が言う。
 
「私、高校はほとんど授業受けてないのに特例で卒業証書もらったから。高校1年の英語・数学から勉強し直してます。でも退院したから予備校に行こうかと思っているんです」
 
「偉ーい!」
 
「世界史とかは元々好きだったもんね?」
「うん。病院のベッドで寝てると暇だから、河出文庫の『世界の歴史』とか、石ノ森章太郎さんの『まんが日本の歴史』とか、よく読んでたんです」
「なるほどー」
 
「どこ受けるんですか?」
「地元の国立大学の保健学科」
「もしかして看護師コース?」
「ええ。私、看護師さんになりたいなと思って。私自身がたくさん入院中にお世話になったから」
 
「それは頑張って下さい!」
 
この日私たちはとても幸せな気分だった。その気分の中で政子は『神様ありがとう』
という詩を書いた。大ヒット曲『神様お願い』は元々麻美さんの回復を祈って書いた曲である。麻美さんが退院したことで、あのお願いのお礼をしなければと政子は言ったのである。
 
 
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【夏の日の想い出・雪月花】(1)