【夏の日の想い出・勧誘の日々】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-09-28
若葉と一緒にステージを降りる。
「お、1位は何か封筒がある」
「中身は?」
「5000円だ」
「すごーい」
「お寿司食べに行こう」
「まあ回転寿司なら行けるかな」
「回転しないお寿司屋さんなんて行ったことない」
「若葉は回転するお寿司屋さんって分かる?」
「私だって、そのくらいは経験してるよ」
と若葉は笑って言う。
「いや、若葉のおうちでは、夕食は寿司職人さんが出張してきて握ると聞いたから」
「まさか。うちだってお寿司はスーパーのパックの買ってくるか、時間がある時はお母さんが自分で作るかだよ」
「若葉の家もスーパーで買い物するんだ?」
「するよー」
「でもお母さん、お寿司握れるの? すごーい」
「にぎり寿司の型に御飯を詰めて、ネタを乗っけるだけだよ」
「そんな庶民的な道具を若葉の家でも使うんだ?」
「なんか、私の家庭環境誤解されてる気がするなぁ」
と若葉が苦笑いしている。
「でも冬、優勝しちゃったから性転換しなくちゃ」
「冬は既に女の子だから、性転換すると男になっちゃうよ」
「そしたら再度性転換を」
「そんなに何度も性転換ってできるもの?」
「女になった後で男に戻りたくなって、おちんちんくっつけたという人の話は聞いたことあるけど」
「おちんちん保存してたの?」
「まさか。付けたのはシリコン製か何かのおちんちんだと思うけど。睾丸も取っちゃってるから、そちらも偽物のボールを入れたんだと思う。だから形は男に戻れても、生殖能力は無いよね」
「ああ、さすがに完全に元には戻せないか」
「基本的には性別の変更は1度だけ」
「で、冬は既に変更済みなんだっけ?」
「小学6年のお正月に見た感じでは、変更済みに見えた」と奈緒。
「私も一緒にお風呂に入った時、付いてないように見えた」と若葉。
「やはり変更済みか」と有咲。
「え?そうなの?」
と由維が驚いたように言う。
「もうみんな冗談がきついんだから」と私。
「なんだ、冗談か。びっくりした」と由維。
「だけどさ。冬ったら中学では男の子の振りして、学生服着て男装している上にあろうことか声も男の子の声で話してるんだよ」
と若葉。
「うそ。冬、男の子の声が出るの?」と由維。
「うん。こちらが本来の声。女の子の声は特殊な発声法で出してるんだよ」
と私は男の子の声で答えてみる。
「へー」と由維は感心したように言う。
「由維、騙されてはいけない。それは偽装用の声」
と奈緒。
「ふつうに私たちと話している時の声が冬の本来の声だよ」
と有咲。
「男の声の方が特殊な発声法で出しているもの」
と若葉。
「冬は睾丸は無いから、声変わりも来なかったんだよ」
と奈緒。
「あるけど」
「いや無い。私、冬のお股を思いっきり蹴ってみたことあるけど、男の子なら悶絶するはずなのに、冬ったら平気っぽかった」
と奈緒。
「凄いこと試してるね」
「何するの!?と思った」
「じゃ、やはりタマタマはもう無いんだ?」
「おちんちんも多分無いんだと思うんだけどねー」
「花の女王コンテスト」の後、私たちは特にアトラクションにも乗らないまま園内をぶらぶらしては、適当な日陰で座っておしゃべりをしていた。なお若葉のヴァイオリンケースだが、ずっと持っておくの大変でしょ? 自分は男だと主張している子がひとり居るから持たせちゃおう、などと言われて私が持っていた。(高価な楽器なのでさすがにコインロッカーには預けられない。ケースの上に日差しよけのアルミのカバーを掛けている)
薔薇園の前の屋根の下でおしゃべりをしていた時、こちらにひとりの女性が近づいてきた。
「ね、ね、君たちさっき『花の女王コンテスト』の3位と1位になった子たちだよね?」
「はい、そうでーす」と奈緒。
「えっと・・・ヴァイオリン持ってた子、あ、君かな? 君が3位だったよね」
と私の方を見た上で
「歌を歌ったのは誰だったっけ?」
とその女性は訊く。
由維以外みんな体操服なので、どうも区別が付いてない感じだ。
「私でーす」と奈緒。
「ね、ね、もう一度聴かせてくれない? あ、私こういうものです」
と言って、その女性は奈緒に名刺を渡した。∴∴ミュージック、アーティスト担当・三島雪子と書かれていた。
おぉ、スカウトさんかな? 私は奈緒とアイコンタクトする。奈緒が了解了解という顔をする。
「じゃ、若葉、ヴァイオリンで伴奏してよ。私歌うから」
と奈緒は私に向かって言った。
「いいよ」
と言って私は若葉のヴァイオリンを取り出すと、調弦を確認して楽器を構える。
「何歌うの?」
「そうだなあ。『夏の思い出』」
「おっけー」
私は江間章子作詞・中田喜直作曲のその歌の、前奏を哀愁を帯びた感じでヴァイオリンで弾く。由維が「へー!」という感じで私の演奏を聴いている。三島さんが頷いている。そして奈緒が「夏が来ーれば思い出すー」と歌い出す。
次の瞬間、三島さんの顔が「え!?」という感じに変わった。
取り敢えず1フレーズだけ歌って止めた。
「さっき、もっと上手かったよね?」と三島さん。
「冬は時々、上手くなるけど、普段はこんなものだよね」と私。
「まあ、私音感はほとんど無いから」と奈緒。
「そう。ごめんね。時間を取って」
と言うと、三島さんは首をひねりながら、向こうの方へ歩いて行った。
後で大笑いした。
というわけで私はこの時、三島さんと言葉を交わしているのだが、三島さんは2年後に∴∴ミュージックで再会した時、私のことを覚えていなかったようである。有望そうな子を見たら、よく声を掛けているから、そのたくさんの記憶の中に埋もれてしまっているのだろう。声を掛けてもだいたいがっかりすることの方が多いのが、スカウト活動の常でもある。
そういう訳で、私が芸能事務所関係者に「出会った順序」というのは、
2002.05津田アキ → 2002.12兼岩(ζζプロ)→2003.05前橋($$アーツ)→2004.07丸花(○○プロ)→2005.08白浜(&&エージェンシー)→2005.08三島(∴∴ミュージック)→2005.12須藤(当時は○○プロ)→2007.08畠山→2007.09紅川(§§プロ)→2008.07津田邦弘(△△社)
ということになる。これは勧誘の有無と無関係にとにかく会っ(て名刺をもらっ)た順序であるが、私は結果的には一番最初に会った津田アキ先生が共同オーナーになっている事務所でもあり、色々レッスンも受けさせてくれた○○プロの系列で、しかも津田先生の弟さんのプロダクションからデビューしたことになる。
色々な所にお世話になっているのだが、実際には2008年春くらいの時点では$$アーツではAYA, &&エージェンシーではXANFUSのプロジェクトが水面下で進行していたし、ζζプロは松原珠妃が私と同じ事務所になるのを拒否していたので、当時私がデビューするのに頼る事務所としては∴∴ミュージックと○○プロの二択であった。
なお、私が2003-2007年に実際に関わっていた事務所の幾つかが実は匿名組合に参加する形でサマーガールズ出版に出資してくれている(結果的に利潤も還元されている)。
この匿名組合は丸花さんが管理しているので実態は私にも分からないが、参加している事務所は「1桁」というのは聞いている。ζζプロや$$アーツもそのメンツっぽいので、私としてはローズ+リリーの活動により、当時色々とお世話になった兼岩さんや前橋さんに恩返しができているのが嬉しい。
まあそういう訳で三島さんとのちょっとした出来事もあった上で、私たちはその日はその後も遊園地内を適当に散歩し、結局何もアトラクションに乗らないまま、外に出てしまった!
遊園地から少し歩いて有咲推薦の、ほとんどの皿が100円なのに結構美味しい回転寿司屋さんに入る。
「わー。回転寿司なんて入るのは5年ぶりくらいかも」
などと由維が言っている。
「ひょっとして由維もお嬢様ということは?」
「お父さん、大企業の部長さんだもんね」
「でもサラリーマンだよお」
適当に注文して、会計が5000円を超えた場合は割り勘ということで話し合い、あとはほんとうに適当に取ったが、結局は3000円で収まった。私も由維も少食だし若葉もそれほどは食べないので、主として奈緒と有咲が食べていた感じもあった。
「私の性別のことだけど、このメンツだからこの際カムアウトするよ。あまり変な噂が広まると、色々面倒だし」
と言って、私はかかりつけの例の病院の診断シートを見せた。
「何これ?」
「何か数値が並んでるのは意味分からん」
数値の意味を知られると女性ホルモン濃度(E2やP4)が通常の女性並みにあることがバレてしまうのだが、医学関係に強い奈緒もこの略語の意味は分からないだろうと踏んで、見せてみたのだが、やはり知らないようだ。
「濃度:60 運動率:75%? これ何?」
「精子の濃度(百万/ml)と運動している精子の比率だよ」
「ひゃー」
「長さ 38mm, 外周 58mm, 容量 8ml? これってまさかアレとアレのサイズ〜?」
「きゃー」
「先週の日付だ。年は今年だね」
「年に3回チェックしてもらってるんだよね。つまり、アレもアレも存在しているということで」
と私。
「でも、そのサイズって多分かなり小さいよね?」
と奈緒が言う。さすが奈緒だ。
「まあ普通の男の子だと長さ70mm, 外周 100mm, 容量15ml くらいかな」
と私。
「なるほど。冬のは普通の男の子の半分くらいのサイズか」
と奈緒。
「それ聞いて何か少し安心した」
と由維。
由維の言葉はこの場の空気を代表している。私が彼女たちと普通に友だちでいられるのは、私が「男の子ではない」からだ。
「つまり、冬は半分しか男の子じゃないんだよ」
と有咲。
「なるほどー!」
とみんなの声が上がる。何だか凄くホッとしたような空気だ。
「ねぇ、その長さって大きい時の長さ? 小さい時の長さ?」
「ああ。私のは大きくならないから同じ事」
「大きくならないんだ!?」
「それだとセックスする時に困らない?」
「冬が女の子とセックスする訳ないじゃん」
「あ、そうか!」
「実は本物は除去済みで、ダミーをくっつけてるからサイズ変化しないとか」
「まさか!」
「冬、ヴァギナのサイズは測定してないの?」
「そんなのありません」
「いや、ありそうだけどなあ」
「うんうん」
「次はちゃんと測定してもらった方がいいよ」
「うむむ」
「あれ? これ、診断シートの名前が唐本冬子になってるよ」
「あ、ほんとだ」
「つまり、冬って、女の子名前で病院に掛かってるんだ?」
「それにさ。そもそもこういうのをチェックしてもらっているということはだよ。要するに冬はこの病院で女性ホルモンを打ってもらってると?」
と奈緒。
「う・・・・」
「図星みたい」
「昔1度打ってもらったことはある。でも1度だけだよ」
仕方無いので正直に答える。
「じゃ、その後は錠剤で飲んでるんだ?」
「飲んでません」
「あのさあ、こういう分かりやすい嘘をついても仕方無いと思うんだけど」
「全く、全く」
「睾丸が存在しているのに小さいと言うこと、冬が全然男の子っぽくないということ。中学2年にもなって声変わりしてないということ。それから得られる結論は女性ホルモンを摂っているということ以外にはあり得ん」
と奈緒が断言した。
「奈緒、推理がすごーい」と由維。
「もうその病院で睾丸も取ってもらったら? そもそも不要でしょ?」
と奈緒。
「この先生は去勢手術とかはしないんだよー」
と私は言ってみる。本当は性転換手術もしてるけどねー。
「だったら去勢手術してくれる病院、私が紹介するよ」
と若葉。
「おお、それは良い。ぜひ手術してもらおう」
と奈緒。
「お金無かったら、取り敢えず私が立て替えててもいいし」
と若葉。
「よし。みんなでそこに拉致して行こう」
と奈緒。
「やめてー!」
その日はお寿司屋さんの後、結局電車の駅まで歩き町に出た。商店街を歩いた後、大きなスーパーに入り、のんびりと洋服屋さんなどのぞきながら(買物はしない)おしゃべりする。結局若葉のヴァイオリンは私がずっと持っている。
このスーパーのいちばん上のフロアは飲食店が集まっているが、中央に椅子に座って休めるスペースがあり、100インチくらいの巨大なテレビが置かれている。映像の感じがどうもプラズマではなくリアプロのようである。
私たちが行った時はワイルズ・オブ・ラブのライブ映像が流れていた。
「この人たち歌いながらしゃべってるよね」
などと奈緒が言い出す。
「まあ、こういうのをラップと言うんだけどね」
「私はあまり好きじゃ無いけど、結構根強いファンがいるよね。でも私にはさっきの曲と今の曲と、同じに聴こえる」と由維。
「由維って、わりと曲を聴くタイプだから、特にこの傾向のは同じに聞こえやすいかもね」
「そうそう。人には、歌を聴く時に、主に歌詞を聞いてるタイプと曲を聴いてるタイプがいるんだよ。いわゆるニューミュージックのファンや演歌のファンには前者が圧倒的に多い」
「でもラップでなくても、全ての歌が同じに聞こえる歌手とか作曲家っているよね」
「まあそれはそれで需要があるんだろうけどね」
「水戸黄門的大いなるワンパターンって奴だな」
「あのヴィヴァルディだって同じ曲を300曲作ったとか言われるからね」
「でも当時はそういうものだったんだよ。ハイドンとかもだけど、貴族とかから『今宵の晩餐会のために何か新しい音楽を』とか、朝や昼に言われて、時間が無いから以前使った曲をちょっと手直しして演奏するなんてことをしている内に、たくさん曲が出来ちゃったという世界だから」
「現代のフォークとかも実は似たノリという気がするね」
「冬も音を聴いてるタイプだよね?」と有咲が言う。
「そうだね。小さい頃から、流行ってる曲があったらそれをすぐピアノで弾いてみてたから、聞いた時に面白そうに聞こえた曲でもメロディーがつまらない曲はあれ?と思ってたんだよね。そういう曲には結果的にあまり興味が持続しなかった。だからボクはやはりワイルズ・オブ・ラブより、ワンティスやドリームボーイズだよ」
「明後日の関東ドームのドリームボーイズ・ライブにも出るの?」
と有咲から訊かれる。
「出るよ」
「何に出るの?」と由維。
「冬は、ドリームボーイズのバックダンサーなんだよ」
と若葉が説明する。
「凄い、知らなかった!」
そんなことを言っている内に、ワイルズ・オブ・ラブのライブ映像が終わってドリームボーイズのライブ映像が流れる。
「おお、冬が映ってる」
「えー、ホントだ。全然知らなかった」
などと言ってみんなで映像を見ていた時、高校生くらいの男の子がふたり寄ってくる。
「済みません。もしかして、ドリームボーイズのダンスチームの柊洋子さんですか?」
「はい」
「わぁ! 良かったらサインもらえませんか?」
「いいですよ」
というので、相手の名前を訊き、渡された色紙2枚に日付と宛名を書いた上で、柊洋子のサインを書いて渡した。男の子たちが去ってから奈緒が言う。
「すごーい!サインなんてあるんだ」
「念のためといって練習させられた。転売目的や営業目的とは考えられない状況なら、日付と宛名を確実に書く条件でサインは自由に書いていいと言われている」
「へー」
「でもダンサーのサインを求めるというのは若干マニアックだな」
実際には柊洋子名義のサインは、秋風コスモスや樟南など、ミュージシャン関係に渡したもの、源優子(KARIONの和泉)との交換サイン、などの他は多分30枚も書いていない。
「でもさぁ、こうやってビキニ姿になってる冬を見ると、女の子の身体にしか見えないなあ」
と奈緒。
「やはり冬が男の子の身体だってのは嘘だって気がしてきた」
「うん。さっきの診断シート自体が捏造なのでは?」
「ああ、それありそう!」
「冬にやはり、おちんちんなんて付いてる訳がないよ」
「えーっと・・・」
「なんか裸にして確認したい気分だよね」
と由維。
「よし、裸にしてみよう」
「ちょっとちょっと」
「どこで裸にするのよ?」
「そりゃお風呂でしょ」
「やはり」
若葉がヴァイオリンを置いて来るというのでいったん別れ、15時に再度集まることにした。
で別れるとは言っても、私と奈緒と有咲は結局一緒に行動している。由維は本屋さんで立ち読みしてくる、などと言っていた。
商店街のイベントスペースで何か音楽が流れている・・・・・と思ったら生歌だった。
「あ、原野妃登美じゃん」と有咲。
「こんな商店街によく、このクラスを呼んできたね」と私。
「誰? これ?」
「去年の夏か秋くらいにデビューした子だよ。一応最初のCDは2万枚売れたから、まあ今の時代ではヒットした部類。今年の春のCDも同じくらい売れてる」
と私は説明する。
「へー」
「凄いね。伴奏が3人もいるし、ダンスチームまで連れてる」
「お金掛けてるね」
「将来有望と思われてるんだろうね」
「このクラスの歌手の場合、伴奏者無しで録音された音源を使うか、伴奏が居てもキーボード1人だけということが多い。ダンスとかバックコーラスを動員するのは珍しい」
私はそのダンスチームの中のひとりの子に見覚えがあった。去年の12月に吹奏楽の演奏会の時に、私たちのひとつ前の中学でフルートを吹いていて、フルートを振って飛ばした子だった。
へー。あの子、こういう活動もしているのかと思ってみていた。フルートの演奏では他の子から微妙に遅れて吹いていたが、今日のダンスを見ていると、しっかり他の子と同じタイミングで踊っている。
やはりあの時はフルート自体が調子が悪くて、おかしな動きになったのだろうか、などと思いながら見ていた。
そして見ながら思った。この子、踊り方自体はそううまくもない。でもダンスチームの中でいちばんに輝いている。とにかく目立つ子だ。とても強いオーラを持っている。
トイレに行きたくなったので、近くの大型店に入り、2階に上ってトイレを借り、戻って来たら、ちょうどイベントが終わった所のようであった。タクシーに乗り込もうとしている原野妃登美と目が合ったので、会釈したら向こうも手を振ってきた。
奈緒たちの方に戻ろうとして歩いていたら、私も知っている○○社の社員、大宮さんが何か今踊ったダンスチームの子たちと話している。私は大宮さんと目が合わないように気をつけながら歩いた。
「え?じゃ君、事務所から言われて集まった子じゃないの?」
「たまたま通りかかったところを早く早くと言われて、連れてこられて、この衣装着てと言われて」
と答えているのは、例のフルートを飛ばした子である。
「**君、人数は確認してなかったんだっけ?」
とダンスチームのリーダーっぽい子に訊いている。
「ダンスの人数は日によって変わりますし、全然知らない子が入ることは日常茶飯事なので」
どうも近くにいたのでダンスの人と思われて徴用されてしまっただけのようである。
「ごめんねー。でも君けっこう可愛いね。ダンスの動きも悪くなかったし、うちに登録だけでもしておかない?」
普通ならあの程度の踊りをする子を勧誘しない。でも大宮さんが勧誘したのは多分、この子にスター性を見たからだろうと私は思った。
「部活やってるので無理ですー」
「了解。でもどうせだから、今日はこの後3ヶ所あるのに付き合わない?夕方5時には終わるし。ギャラは現金で払うから」
「そのくらいは良いですよ」
それでリーダーの人と握手していた。私は微笑ましい気持ちで奈緒たちの所に戻った。
15時にスーパー銭湯の最寄りバス停前に集合したのだが、由維は塾に行くのを忘れてたということで、欠席の連絡があった。若葉がバスで到着したので4人でおしゃべりしながら、その銭湯の前まで行ったら・・・
「臨時休業!?」
「どうしたんだろ?」
「脱衣場が爆発したとか?」
「なぜ脱衣場が!?」
「まあ休みなら仕方無い」
と私は少しホッとしながら言う。
「うーん。悔しいなあ。私、去年9月の長島スパーランドにも行けなかったし」
と奈緒。
「長島スパーランドで何かあったの?」
「冬の水着姿と裸体の鑑賞会したんだけどね」
「へー!」
「あはは」
「それは私も知らなかった」と若葉。
そんなことを言いながら道路の方まで戻ってきた時、目の前に一台のエスティマが停まった。
「冬ちゃーん」
と声を掛けてきたのは名古屋に住む風帆伯母だ。
「こんにちは! こちらお仕事ですか?」
「そうそう。知見と一緒に演奏会したの。春ちゃん(私の母)の所にも寄ろうかと思ったんだけど、今日は仕事だからということで」
「ええ。7月から9月まではパート先が忙しいみたいです」
「それで友見の娘たちを連れて今から温泉に行く所」
「わぁ」
助手席で埼玉に住んでいる従姉の知見の娘、三千花(小4:後の槇原愛)が手を振っている。セカンドシートにはその妹の小都花(小2:後の篠崎マイ)と七美花(幼稚園の年長)が乗っている。
「あれ?知見さんは?」
「演奏会の後で飲みたそうにしてる人たちの世話を押しつけてきた。私は子供たち連れてのんびり休もうという魂胆」と風帆。
「あらあら」
「おばさん、こんにちは。あのぉ、温泉に行くんですか?」
と奈緒が訊いた。
「あら、あなた去年八尾で会ったわね?奈緒ちゃんだったっけ?」
「はい、そうです。ご無沙汰しております」
伯母もよく覚えていたなと私は思った。
「これからF温泉まで行くんだけどね」
「泊まりですか?」
「泊まるのも楽しいけど、子供連れだし、私自身も明日名古屋でお仕事があるから、お風呂入って晩御飯食べたら、子供たちを浦和まで送ってから夜中高速をのんびりと走って帰還予定」
「日帰りだったら、もしよかったら私たちも連れて行ってもらえませんか?ちょっと大きな子供ですけど、お酒は飲みませんし」
「まあ、あんたたちはお酒飲むのはちょっと早いね」
「私たち一緒にスーパー銭湯に行こうとしたらお休みだったんですよ。帰りは浦和駅放置でいいですし、ガソリン代と温泉代・食事代は冬子に出させますから」
「ちょっと、そんなの勝手に言わないでよ」
と私は笑って言う。
「いいでしょ?」と奈緒。
「いいけど」と私。
「あんたたち4人だね。この車、ちょうどあと4人乗れるし、いいよ」
「ありがとうございます!」
ということで、私たちは風帆伯母の車に乗り込んだ。先にサードシートに奈緒・有咲・若葉を乗せ、私がセカンドシートに乗り込んで車はスタートする。
「冬彦おじちゃん、何だか女の子みたいな雰囲気」
と隣に乗っている小学2年の小都花に言われる。
すると後ろに乗っている奈緒が
「冬彦おじちゃんは、性転換して女の子になったんだよ。だから冬子おばちゃんなの」
などと言った。
「へー! じゃ、お風呂も私たちと一緒に女湯に入るの?」
と小都花。
「もちろん、そうだよ」
と奈緒。
「えー!? 冬彦おじちゃん、そういうことになってるんですか?」
と助手席の三千花(小4)。
「この子、おっぱいは結構あるよ」
と運転している風帆。
「へー! おちんちんは?」
と三千花が訊く。
「既に取っているのでは?と私たちは疑っているんですけどねー」
と奈緒。
「取ってないって。だからさっき診断書見せたじゃん」
「あんなのワープロで簡単に捏造できるよね」
「同意同意」
「あ、分かった。あの長さと外周ってヴァギナの長さと外周なんだよ」
「ああ、容量は卵巣のサイズだったりして」
「なるほどー」
「え?卵巣もあるんですか!?」
「冬子は生理があるっぽいから、卵巣はあると思います」
「へー!」
そういう訳で、私は奈緒・有咲・若葉、風帆伯母、三千花・小都花・七美花と一緒にF温泉まで行くことになったのであった。
ここはほんの数年前に開発された新しい温泉でテニスコートや体育館なども付属している。若葉が「あ、ここテニスの大会で来たことある」などと言っていた。ただ若葉が来た時はまだこの温泉の方は無かったらしい。
到着したのが16時すぎで、まだ夕食には早いので、まずはお風呂に行くことにする。
「ガソリン代がわりに入浴料を私が出しますね」
と言って、私が大人5人・子供2人分の料金を払った(幼稚園の七美花は無料)。
受付の女の人が「全員女性ですか?」と訊いたので、私は一瞬躊躇ったが、そばから有咲が「そうでーす」と言ったので、赤いベルトのロッカーキーを7つもらった。それでぞろぞろと脱衣場の方へ行く。
「私が横から口を出さなかったら、冬、男1人女6人と言いかねなかった」
と有咲。
「悪い子だ」
と奈緒。
風帆伯母が笑っている。
脱衣場で自分たちの番号のロッカーの所に行く。三千花も小都花も興味津々という感じでこちらを見ている。やれやれ。奈緒・有咲・若葉はそれぞれ何度も一緒に女湯に入っているので、時々こちらに視線を投げるだけである。
取り敢えず体操服の上下を脱ぐ。
「あ、冬彦おじちゃん、女の子下着つけてるんだ?」
と小都花。
「女の子だからね」
と奈緒。
「冬彦おじちゃん、可愛いブラしてる!」
と小都花。
「この子、こういうのが似合うのよ」
と奈緒。
「ね。小都花ちゃん、『冬彦おじちゃん』は勘弁してくれない」
とさすがに私は言った。
「あっと、おじちゃんじゃなくて、お兄ちゃんだっけ?」
と小都花は大きな声で言う。
すると、その会話を耳にしたのか、スタッフらしき女性がこちらに近づいてくる。そして小都花は
「冬彦お兄ちゃん、キティちゃんのパンティ穿いてる!」
などと大きな声で言う。うむむ。
そして近づいて来た女性が
「あの、すみません」
とこちらに声を掛けてきた。やっばー。
と思った時だった。
「ちょっと、あんた男じゃないの?」
という声。
ん? という感じの奈緒たちの視線・風帆伯母や三千花などの視線がこちらに来るのを感じたが、
「きゃー!」
という声が近い所でする。
ガタガタっという音がして、何だか異様な風体の人物がこちらに走ってきて、向こうから「そいつ捕まえて!」という女性の声。
反射的に私と有咲がその人物の両腕を掴んで確保した。若葉がその男の右手を掴んだ。男はブラジャーを握りしめている。(奈緒はこの手の反射神経を持ち合わせていないのでただ眺めているだけ)
うーむ。と私はうなった。こりゃちょっと酷い女装だ。ハーフウィッグを付けているが、地の髪の色と違いすぎる。口紅を塗っているがあちこちはみ出しているし、口の端の方には塗られていない。アイシャドウは、化粧下手のおばちゃんでもここまで下手には塗れないだろうというひどさ。だいたい、眉も太いままだし、ヒゲ剃り跡をファンデで隠そうとしたような雰囲気はあるものの、隠せていなくて、けっこう目立つ。それに何だ?このワゴンセールでも売れ残りそうなひどいデザインのスカート。
「そのブラは?」
とちょうど私たちの近くに来ていたスタッフさんが訊くと
「それ私のです!」
と向こうの方にいる女性。
単に女装して脱衣場に居たというだけなら、性同一性障害のケースも考えられなくもないが、下着を漁っていたというのは痴漢で確定だ。
「ちょっと、あんた事務所まで来て」
とスタッフの女性が言う。それで騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきた他の女性スタッフ数人に私たちはその男を引き渡した。男が連行されていく。
「ところで、今あなた、その女の子からおじさんとかお兄さんとか呼ばれてませんでした?」
とスタッフの女性。騒動にも関わらずこちらのことは忘れていないようだ。やれやれ。
「えっと、私、男に見えます?」
と私は笑顔でその女性に尋ねた。私はショーツ一枚でバストも露出している。
「あ、いや失礼しました」
と言って、彼女も痴漢を連行していくスタッフに付いていった。
「凄い。開き直ってる」
と有咲が感心したように言う。
「まあ、確かに女にしか見えないけどねぇ」
と風帆伯母も少し呆れている感じ。
「さあ、入りましょう、入りましょう」
と私は言って全員浴室に移動する。
「小都花、冬彦おじさんのことはこれからは冬子おばさんと言おうね」
と三千花が言う。
「はーい」
おお、なんて物分かりの良い三千花ちゃん!
「冬、ビキニの水着の跡がくっきり」
と奈緒から指摘される。
「うん。先週ビデオ撮影で伊豆の白浜に行ってきたから」
と私は答える。
「冬、そちらが陸上部の合宿の後で良かったね。そちら先に行ってたら、ビキニの跡を貞子たちに厳しく追及されてたね」
と若葉。
「あはは」
「あんた、モデルか何かしてるの?」
と風帆伯母に訊かれる。
「えっと。ドリームボーイズというバンドのバックダンサーしてるので」
「ドリ?」
「ドリームボーイズです」
「へー。名前知らないや」と風帆。
「ああ。あの人たち私たちくらいの年齢層に特に受けてるよね」
と有咲。
「うん。ファン層がせいぜい20代までって感じ」
と私も言う。
「松原珠妃の『鯛焼きガール』とか『硝子の迷宮』とかを書いたヨーコージというのが、そのバンドのリーダーなんですよ。本当は蔵田孝治というんですが作曲の時はヨーコージの名前で」
と有咲が説明する。
「ああ、それなら聞いたことある。というか、松原珠妃は冬ちゃんのお友だちだよね?」
と風帆。
「ええ。私にポップスの歌い方とかを教えてくれた人です。初見で歌うのとかも彼女にたくさん鍛えられたんですよ」
と私は言った。
「へー」
「実はドリームボーイズのバックダンサーしてるのも、その縁なんですけどね」
「あ、そうだったんだ!」
と奈緒。
この件は有咲や若葉は知っているのだが、奈緒はこの時まで知らなかったようである。
「でも冬子さん、しっかりおっぱいある」
と三千花が言う。
「そうだね。発達は遅いけどね」
「女性ホルモン飲んでるんですか?」と三千花。
「そのあたりは秘密ということで」と私。
「いや、本人は否定しているけど、ホルモン飲んでいる以外に考えられないよね、この胸は」と奈緒。
「あはは、そのあたりは曖昧に」と私。
「本当にホルモン飲んでないのなら、それで女湯に入ってたら痴漢だと思う。私は多分冬は小学4年生くらいの頃に密かに性転換手術して、その後ずっと女性ホルモン飲んでるんだろうと思うんだけどね」
と若葉が言う。
「やはりアレ・・・付いてないですよね?」
と三千花が私の身体をのぞき込むようにして言う。
「本人が付いてると主張するからお風呂に連れてきてみたんだけどね。こうして見る限りはやはり付いてないとしか思えないね」
と奈緒。
「それも、ほんとに付いてるならここに居るのは痴漢だよね。でも見た感じやはり付いてないみたい」
と言って有咲は触っちゃう!
「ちょっと。さすがに触るのは勘弁して!」
「やはり何も無いよ」
と有咲。
「半月ほど前に私も触ったけど、何も付いてなかった。でもヴァギナも無い感じ」
と若葉。
「あ、そうかも」
と有咲。
「ふーん。男の器官は取ったけど、まだ女の器官は作ってないの?」
と風帆。
「大人になるまでに作ればいいのかも」
と有咲。
「ごめんなさい。その付近は曖昧にさせといて」
と私。
「若い内に男性器官を除去する場合はその方がいいと聞いたことあります。おちんちんは除去してそのまま冷凍しておいて、ヴァギナが必要になる年齢になってから解凍して、それを材料にヴァギナを作るんだって。そうしないと使ってないヴァギナは萎縮しちゃうからって」
と若葉。
「ああ、なるほどー」
「勝手に納得しないように」
「もしまだ付いてるのに女湯に居るのなら重罪人だよね。でももう男ではないみたいだし。やはりさっきの診断書も捏造で確定だな」
と奈緒。
「なあに、診断書って?」
と風帆。
「冬子がおちんちんもタマタマも付いてると主張してそのサイズを測った診断書見せてくれたんですけどね」
「ふーん。本当に付いてるというのなら、取り敢えず警察に通報してみる?」
「ああ。そういう手もありますね」
「勘弁して〜」
三千花たち3人がジャングル風呂の方に行った。その様子を目の端で見守りながら、話が核心?に入る。
「でも性同一性障害の人で女子トイレとか女湯とか使う人いますよね。そういう人と、痴漢とを判別する基準って何なんでしょうね?」
と奈緒は自問するかのように言った。
「後戻りできない身体になっているかだと思う」
と風帆は言った。
「ああ」
「ウィッグ使ったり、お化粧しなきゃ女に見えないレベルでは、女として受け入れられないけど、女性ホルモン飲んだり、おっぱい大きくしたり、去勢したりしている人は、警察も女性として認めてくれるでしょうね。要するにもう覚悟してるのかどうかだよ」
「冬は覚悟が微妙だな。改造はしてるっぽいけど」
と有咲が言った。
鋭い指摘だな、と私は思った。
「冬の場合、愛知から転校してきた時からずっと女の子みたいな髪型だったし、今はおっぱいAカップあるし、おちんちんは正直どうか分からないけど、多分タマタマは無い気がするし。警察に捕まっても釈放されるかな」
と奈緒。
「でも女子トイレまではいいけど、女湯に入るのは、おちんちんが無いことが条件だと思う」
と風帆。
「その点が私も分からないんだよねー」
と若葉。
「冬、どうなのさ?」
と奈緒。
「えっと、私もよく分からない」
「本人に訊くとだいたい分からないという答えが返ってくるんだよね」
と有咲。
「こないだ里美とも冬ちゃんのおちんちんのこと話したんだけどね」
と風帆。
「そんなの話すんですか〜?」
「里美は、もしかして冬ちゃん病気か何かで小さい頃、おちんちん取っちゃったんじゃないかと」
「ほほぉ」
「それでこないだ春絵に直接訊いてみたらさ」
「冬のお母さんに?」
「春絵は小学1年くらいの時に冬ちゃんのおちんちんを見たというんだよね」
「へー」
「でもそれ以降、見てないと言うんだな。正直今は付いてるかどうか分からんと」
「お母さんにも分からないんですか?」
「きっとその頃、取っちゃったんですよ」
「ひょっとしたら、凄く退化してクリちゃんサイズにまで縮んじゃったのかも」
「それだと本人にも、もうそれおちんちんなのかクリちゃんなのか分からなくなってたりして」
「あ。それなら冬が『おちんちんあるの?』という質問に『分からない』と答えるのが説明できますね!」
「私、以前お医者さんから聞いたんですけど、おちんちんって子供の内に去勢した上で女性ホルモン投与してると2年くらいで、小指の先程度のサイズまで萎縮しちゃうらしいですよ」
「おぉ!」
何それ?何かの妄想小説じゃないの〜!? 私は下手なことをしゃべると藪蛇になりそうなので、曖昧に笑っておいた。
「そのくらい縮んじゃうと、もう皮膚の中に埋もれて、一見付いてないように見えるんだって」
「凄っ!」
「それ、まさに冬の今の状態かも!」
「冬ちゃん、去年の6月から名古屋に通ってきてお稽古する時はいつもセーラー服だよね」
と風帆。
「本来の自分の姿でお稽古受けたいから」
と私は正直な気持ちを言う。
「私もセーラー服の冬ばかり見てるからてっきりそれで学校にも行ってるのかと思ったら学生服で行ってるというから、なんで〜!?と思ってるんですけどね」
と奈緒。
「冬、やはり9月からはセーラー服で通学しようよ」
と若葉にまで言われる。
「えー、恥ずかしい」
「冬の恥ずかしさの基準が理解できん」
「だいたいビキニ姿を全国に公開していて今更だよね」
「あはは」
「やはりお母さんに知られるのが嫌なのかな?」
「冬ちゃんがそういう格好してるって春絵が気付かない訳ないでしょ?」
と風帆伯母は言った。
私はドキッとした。
「でも自分の気持ちが少し整理ついたら、ちゃんとお母ちゃんには自分の性別のことを自分の言葉で話しなさい」
と風帆は言った。
「はい」
と私は素直に返事した。
実際に私がそういう話を母とするようになるのは、1年半後、高校に合格してからである。
「でも冬ちゃん、そういうモデルのお仕事とか、他にも民謡の伴奏とかのお仕事随分してるよね。いただいたお金はちゃんと貯金してる?」
と風帆伯母から訊かれた。
「初期の頃、半分くらい母に渡そうとしたら、貯金してなさいと言われたので貯金しています。名古屋に毎月通う費用にしたり、ヴァイオリンの弦や三味線の糸を買ったり、CDや楽譜とかを買ったりした以外は半年単位で全部定期預金にして、自分でも簡単には使えないようにしています。実は私、人には名古屋大学志望とか言っているんですけど、本当は都内の私立大学に行きたい気持ちもあって、その学費に充てるのに積み立ててるんです」
「すごーい。えらーい」と奈緒。
「ああ、それは偉いね」と風帆。
この時期、私が実は密かに狙っていたのは音楽系の学科が充実しておりアスカがその付属高校に行っている♪♪大学だったのだが(実は当時夢美も♪♪大学に行きたいと言っていた)、結果的には芸能活動との兼ね合いで断念することになる。
「だから普段の私のお小遣いは主として親からもらっているお金だけで運用してます。まあ予備費は裏会計から流用しているから今日の入浴料とかはそちらから払いましたけど」
「女の子の服も裏会計で買ってるよね?」
「あ、えーっと・・・」
「いや実はそれが目的なんじゃないかと私は推測している」
「うーん・・・」
「多分女性ホルモンを買うお金もそこから出てる」
「うっ・・・」
「性転換手術もそのお金で受けたんでしょ?」
「まだ受けてないよー。受けたいけど」
「まあ、いいんじゃない?自分で稼いでいるんだし」
と風帆伯母も楽しそうに言った。
「ああ、そうそう」
と風帆伯母は言った。
「冬ちゃんにあげる予定の名前だけどね。4人で改めて話し合って。もし、冬ちゃんが民謡のプロになるなら『若山鶴冬』。民謡の道に進まないのであれば文字をひっくり返して『若山冬鶴』にしようと」
「ごめんなさい。多分私はそちらには進まないと思います」
「うん。だから『若山冬鶴』の名前をあげて、冬ちゃん自身がもし民謡の道に進みたいと思ったら、その時自分で名前をひっくり返して『若山鶴冬』を名乗ればいい、と。タイミングとしては20歳になってから、あるいは大学に行くなら大学を卒業したらあげよう、という線で話している」
「うーん・・・」
「まあ、それまでは若山富雀娘(ふゆすずめ)で頑張ってもらおうかと」
「はい」
そういえば、私って民謡の道にもずっと誘われているんだったな、と私はあらためて自分の「スカウトされ具合」について考えたのであった。
私が遊園地で「花の女王」に選ばれた翌29日は都内のスタジオで、30-31日の2日間、関東ドームで行われるドリームボーイズのライブの練習をしていた。
今回はダンスチームの常連組は私と葛西さん・松野さんの3人で4人が経験の少ない子であった。しかし練習は今日1日だけなので、その1日で20曲ほどのダンスを覚えてもらわなければならない(実際にはその内10曲程度は経験して覚えている子たちだが、どれを経験しているかは各々異なる)。
葛西さんがずっとひとりで指導するのは大変なので、私と交替で指導していたのだが、松野さんが
「何だか樹梨菜ちゃんが2人いるみたい」
などと言っていた。
「ん?」
「洋子ちゃんの指導の仕方が樹梨菜ちゃんの指導の仕方に似てるなと思って」
「まぁ2人だけで、いっぱい練習したからね」
と葛西さん。
「たくさん色々教えてもらいました」
と私。
「洋子ちゃんと樹梨菜ちゃんって、そんなに仲良かったっけ?」
と松野さんが言うが
「仲いいですよー」
と言って、私と葛西さんは笑顔で肩を組んだ。
「最近ふつうの練習の後でもけっこう樹梨菜さんに車で送ってもらったりしてるんですよー」
「へー。まぁ、いいけどね」
と言って松野さんは笑っていた。
15時にいったん休憩しておやつタイムにしたが、そこに大守さんが私と葛西さんを呼びに来た。別室で演出面などの打ち合わせを再度しておこうということだった。練習を松野さんに託してそちらに行く。
部屋に入ったのは、マネージャーの前橋さん、ドリームボーイズの蔵田さんと大守さん、それにダンスチームの葛西さんと私、という5人である。人形などを使いながら本番での進行、ダンスチームの出入りのタイミングなども確認する。
ここで初めて今回のゲストがワンティスのドラマー三宅行来さんであることが明かされ私はびっくりした。
「かつてのライバルがゲストで出てくるというのはビッグサプライズだから。実は、これ口外しないで欲しいんだけど、三宅さん、今年中に自分のバンドを立ち上げる予定なんだよ。それでその前宣伝ということで頼まれたんだ」
と前橋さん。
「事務所とかはどうなるんですか?」
「新しい事務所を設立して、うちと委託契約にする。ワンティス自身の前の事務所との契約は今年の3月で切れたんだよ。あそこも今は****売ってるから過去のバンドにはこだわらないで解除に応じたようだね。それで各自勝手に活動を始めるということみたい」
「じゃ事実上の解散ですか?」
「解散宣言はたぶんしないんだろうけどね」
「三宅さん、ドラムスの演奏なんですか?」
「ギターの弾き語りで歌うということ。ワンティスは高岡・海原とギターが2人もいたから披露する機会が無かったけど、三宅さん、結構ギターも弾くらしい」
「へー」
「ギター弾けるけど、披露しないというと蔵田さんもですよね?6月の時は別として普段の作曲では結構ギター弾いておられますし」
と私は言った。
「まあ俺はギターあまりうまくないし。それに弾き語りも苦手だから歌に集中したいというのでライブでは弾かないんだけどね」
と蔵田さん。
「弾き語りが苦手というと、ワンティスの上島も弾き語りが苦手だよな」
と大守さんが言う。
「ああ。ライブでキーボード弾く時はキーボードに集中して歌は高岡に任せて、歌う時はキーボードは下川に任せてたな、だいたい」
と蔵田さん。
「そうそう。これは別口で耳にはさんだんだけど、上島さんも既に音楽活動再開しているらしい」
と前橋さん。
「そちらも自分のバンド作るんですか?」
と葛西さんが訊く。
「いや、それが作曲家として復帰ということみたい」
「へー」
「何でもさ、コージが『鯛焼きガール』を書いて松原珠妃が歌って大ヒットしたろ? それに刺激されて松浦紗雪に曲を提供したらしい。で、その曲がまだ未公開だけど、かなり出来が良いという評判で、レコード会社の要請で、アイドル歌手の篠田その歌にも更に提供したらしいよ。松浦紗雪の曲は来月、篠田その歌の曲は10月くらいに発売されるらしい。これ某ミュージシャンからの伝え聞きなんで確かではないんだけどね」
と前橋さん。
ああ。世間にはそう伝わっているのかと私は伝聞による情報の変化の面白さに顔が緩みそうになる所を我慢していた。
なお、当時松浦紗雪は22歳でアイドル歌手としてはピークを過ぎていたが、この後、上島先生の曲でポップス歌手として再生し、トップ・ディーヴァへの道を歩み始める。初期の上島ファミリーの中核になる人だ。
「あれ、篠田その歌なら、洋子ちゃんも関わっているのでは? どんな曲だった?」
と大守さん。
「ごめんなさい。守秘義務があるので、解禁日まではお答えできません」
「えらーい!」
「うん。洋子ちゃんって、そのあたり口が硬いから信頼できる」
と前橋さん。
「もう少し漏らしてくれてもいいじゃんと思う時もあるけどね」
「すみませーん」
「でもひとつ。このくらいなら答えてもいいよね? 俺の曲に対抗できるような曲だった?」
と蔵田さんが訊く。
「いい勝負だと思いますよ」
と私は笑顔で答えた。
「よし。じゃ、こちらはそれより凄いの作ろう」
「誰かに渡すんですか?」
「芹菜リセ(保坂早穂の実妹)に曲を書いてくれないかと頼まれているんだよ」
「きゃー! それは気合い入りますね」
「9月2日の夕方、洋子、時間取れる?徹夜モード」
「取ります」
と私は手帳も見ずに言った。徹夜は・・・若葉の家にお泊まりすることにさせてもらおう。私が男の子の家に泊まると言ったら停められそうだが、女の子の家なら何も言われない。
「樹梨菜も付き合え」
「私には都合を訊かずに言うの〜?」
と葛西さん、不満そう!
「まあいいじゃん。スタジオで3Pデートしようぜ」
「もう!」
と葛西さんが呆れたように言い、大守さんが笑っていたが私は「3P」の意味が分からなかったので質問してしまった。
「さんぴーって何ですか?」
「気にしない!」
と言われる。それでどうもエロ系の言葉なのかな?と想像した。
「洋子ちゃんにまた試唱させるの?」
と前橋さんが訊く。
「松原珠妃とか、芹菜リセみたいな声域の広い歌手に渡す歌は、洋子みたいな子に歌わせてみないと曲の出来が確認できないからな」
「そういえば洋子ちゃんって、声域広いなとは思った」
と前橋さん。
「この子、自分でも何オクターブ出るのか分からないと言ってる。こないだはC7が出てた」
「えー!?」
「あはは・・・あれはさすがにまぐれですー。偶然ハーモニクスで出ちゃっただけで普通はC6かせいぜいD6までです。高い音は声量も無いし」
楽器でも歌声でも、音には必ず倍音が混じるが、その倍音のみを響かせるのをハーモニクス(フラジオレット)と言い、2倍音のみが出れば結果的に1オクターブ高い音が出るのである。原理的にはもっと高い倍音も出すことが可能であり、声域の広い歌手は結構これを使用している。ただどうしても弱い音になりやすい。
「D6出たら充分凄いよ。ね、ね、こないだからも何度か言ってたけど、洋子ちゃん、うちのプロダクションから歌手デビューする気無い? ○○プロからも多分誘われてるだろうけどさ、契約金色付けるよ」
「済みませーん。まだ修行中なもので」
「俺たちって契約金とかもらったっけ?」
と蔵田さん。
「登録料とか言われて最初俺たちが5万円払ったな」
と大守さん。
「あはは、何度かボーナス払ったじゃん。それで勘弁してよー」
と前橋さんは焦ったように言った。
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【夏の日の想い出・勧誘の日々】(2)