【夏の日の想い出・花園の君】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-06-08
やがて昼食が終わってお茶を飲んでいた頃に竹岡さんが、上司の加藤課長と一緒に△△社に来訪した。
加藤さんも槇原愛が大学受験前に半年間休養するという件は了承した。
「じゃ、私、大学受験頑張らなきゃ」と三千花。
「ところで愛ちゃん、どこ受けるの?」と竹岡さんが訊く。
「えっと、どこにしよう?」
「まだ決めてないんだ?」
「ってか、つい数時間前まで大学行く気無かったもので」
と正直に言っちゃう。
「まあ私立だろうね」
「うん、国立なんて絶対無理」
「でもあまり高い所にしないでね。入学金何千万とか言われても払えないから」
と知見。
「そういう所は居心地悪そうだからパス。庶民的な大学がいいなあ。音楽活動を考えると、ゆるい所がいいんだけど」
「冬ちゃんたちの通ってる所は?」と知見が訊くが
「あそこは国立上位に入れる学力無いと行けないよ〜」と三千花。
「庶民的ってと、M大学とかかな。KARIONの3人とか通ってる」
と私が言うと、政子がムッとした顔をする。
「M大学にしても、かなり勉強しなきゃ」と三千花。
「いやだから、勉強のために休業するんでしょ?」
「そうだった!」
休業前に出すCDの曲について検討する。
『灯りの舞』に関しては異論が出なかったし、加藤課長もイメージの転換を図ってファンを刺激するのは面白い試みだと言ってくれた。
『お払い箱』に関しては竹岡さんも否定的な意見だったが加藤課長は少し考えているふうであった。
「タイトル少し変えていいですか?」と加藤さん。
「はい?」
「『お祓いロック』というのはどうです?」
「なるほど」
「歌詞はそのままです。それで折角だからですね、これ以前から腹案として持っていたのですが、疑似バンド形式でやってみません?」
と加藤さんは言う。
「ほほお」
「愛ちゃん、ギター弾けたよね?」と加藤さん。
「ええ。あまりうまくはないですけど」と三千花。
「アイドルが弾くんだから、上手さは要求されない。誰かベースの人、ドラムスの人で、アサインできそうな人いませんかね。できたら愛ちゃんより少し年上の女性がいいですけど」
と加藤さん。
「・・・それは多分ピッタリの人がいます」
「ほお」
「女の子3人で組んでバンドしてたんですけどね。CDは作ったことないのですが。それでギターでリードボーカルだった子が結婚するので辞めて、現在活動停止状態になってるんですよ。年齢はふたりとも23歳。今ファミレスのバイトで生活してます。ふたりとも実力は確かです」
「会ってみたいですね」
「仕事的にはとりあえず今回のCDで組むだけということでいいですよね?」
「取り敢えずそうしておいた方がいいと思います。今後のことはまた今後考えるということで。どうせ次のCDは来年の春にしか出せませんから」
加藤課長は更に、槇原愛復帰後のスケジュールを新曲リリースとほぼ同時に発表してしまうことを提案した。それで来年4月下旬に新曲発売、ゴールデンウィークに全国ツアーという線で検討することになった。
『お払い箱』がジョークと思ってもらうためには確かにそういう枠組みの公表は必須であろう。
3月30日。政子の両親が5年間のバンコク勤務を終えて帰国した。政子は結局20日から30日まではひたすら実家でピアノの練習をしていて、帰国した両親に『トルコ行進曲』を披露したのだが、その後4月2日までは実家に泊まったものの、3日からはマンションの方にずっといるようになり、ピアノもマンションの防音室内に置いている私のクラビノーバを使って練習していた。
「ここ数日ずっとこちらにいるね」
「だって、向こうでHしてたらお父ちゃんたちに聞こえちゃう」
「大きな音を立てなければ大丈夫だと思うけど」
「冬を責め立てた時に冬が悲鳴をあげたら、きっと何事かと思って飛んでくる」
「そんなに責めたてなければいい」
「いや、最近どうも冬を責めたくなるネタが多くて。そうだ!こないだ『柊』
なんとかいう名前の話が」
「えっと・・・」
「私JASRAC検索してみたよ。なんかボロボロ登録されてるじゃん。ハードロックからアイドルからフォークからR&Bから演歌まで、幅広い。日付見ると私たちが高1の夏頃からローズ+リリー始める直前頃まで」
「うん、まあ」
「やはり冬って高1の頃既に女の子だったのね?」
「え、えっと・・・・」
「ふふふ。アルミの鎖がいい?麻のロープがいい?」
「マーサ、今日のピアノのレッスンは?」
「冬を責めてからやるよ。防音室は便利。夜中でも弾ける」
「実家も防音工事したから夜中でも弾けるじゃん」
と言ったら政子がハッという顔をしている。
「ん?どうかした?」
「ね、ね、実家でもさ。ピアノ部屋でHしたらお父ちゃんたちに聞こえないよね」
「まあそうかもね」
「じゃさ、今度から実家に泊まる時は冬、一緒にピアノ部屋で寝ようよ」
「あはは」
「折りたたみ式の簡易ベッドでも置いておけばいいよね?」
「そ、そうだね」
「さて、それで今夜はアルミにする?麻にする?」
4月に結成したローズ・クォーツ・グランド・オーケストラにも2曲『Flower Garden』収録曲の伴奏をお願いした。依頼した曲目は『プルメリアの虹』
『花のしおり』という曲である。
『プルメリアの虹』はポール・モーリアっぽいアレンジで、どちらかというとオーケストラが主体であり私とマリの声は楽器のひとつにすぎない感じである。
『花のしおり』は『アルビノーニのアダージョ』や『パッヘルベルのカノン』的な雰囲気のバロック風の曲で、まるで聖歌か何かを歌うように私たちは歌った。
この曲の練習をしていたら、ドイツに留学中だったはずの従姉アスカがやってきてヴァイオリンのソロを弾かせろと言った。
「いつ帰国したの?」
「昨日。それで何やら面白いことしてるって聞いたからさ。12月上旬までは日本にいる」
「でも、この曲にはヴァイオリンのソロなんて無いけど」と私。
「追加してよ」とアスカ。
「君、どのくらい弾くの?」と指揮者の渡部さん。
それでアスカはバッハの『無伴奏パルティータ第2番シャコンヌ』を弾き出す。
この曲はヴァイオリンのことをあまり知らない人が聴くと、そう難しい曲のようには聞こえない。しかし実はヴァイオリンという楽器が持つ本来の演奏能力を明らかに超えた、超絶難曲なのである。玄人うけする曲だ。多数のセミプロからプロクラスのヴァイオリニストが並んでいる場ゆえにこの曲を選んだなと私は思った。
長い曲であるが、その場にいる全員が一言も発せないまま、アスカの演奏に聴き惚れていた。
演奏が終わると物凄い拍手。
「ブラーバ!」
「すげー!」
渡部さんも驚いたようで首を振っている。コンマスの桑村さんは天を見上げている。鷹野さんなど「なんであんたみたいな凄い人がこんな所にやってくる?」
などと言っている。そういう楽団のみんなの様子を見て私は言った。
「アスカさん、アスカさんをこのオーケストラのソロ奏者に任命していい?」
と私は言った。
「あ、いいよ。半年限定なら、他の予定とぶつからない限り出てくるよ」
「ギャラ安いけど」
「あとで冬から個人的に搾り取るからいいよ」
そういう訳で私はスコアに急遽ヴァイオリンソロを書き加えて収録を行った。
「個人的に搾り取るって、どういうことするの?」
と政子がちょっと嫉妬したような目で言う。
「大丈夫だよ、政子ちゃん。ベッドに誘ったりはしないから」とアスカ。
「年末の***コンクールに向けた練習に付き合ってよね、冬」
「時間と体力の許す範囲でね」と私は答えた。
「冬、ますます彼氏とのデートの時間が無くなりそう」
「あはは。今年前半に1回くらいデートできるかなあ・・・・」
5月1日(水)。連休の合間のこの日は、ローズクォーツの10枚目のシングル『魔法の靴/空中都市』が発売されたほか、ローズ+リリーのPVを集めたDVD、そしてマリ詩集Vol.2『闇の風』が発売された。
PV集のDVDは年末の大分ライブで販売したら用意していた枚数が全部売れてしまい、買えなかった人やライブに行ってない人から「欲しい」という声が多数寄せられたので、会場で売ったのと同様1000円で売り出したものである。
ローズクォーツの新譜は上島先生の『魔法の靴』、マリ&ケイの『空中都市』、マキの『Doble Role』『Loverise』を収録したもので3月下旬に音源制作をしているが、今回、マキの作品に関して、テストを兼ねてサトとヤスに1曲ずつアレンジをしてもらった。また『魔法の靴』は上島作品なので当然下川編曲だが、『空中都市』も下川先生の所に編曲を依頼した。実際には2曲とも下川工房の峰川さんという21歳で音楽大学在学中の若い女性アレンジャーが編曲してくれている。
ローズクォーツの録音はそれまでUTPが年間契約で借りている新宿のスタジオで行い録音作業は須藤さん自身が行って、ミクシングとマスタリングはそのスタジオの技術者にお願いしていたのだが、今回私とタカの強い要請により『Rose Quarts Plays Girls Sound』の収録を行った、渋谷のスタジオで行い、録音作業は同アルバムの録音をしてくれた山形さんという人にまたお願いし、ミクシングとマスタリングも同スタジオのベテランミキサー新荘さんにお願いすることにした。
「だってこっちのスタジオはタダで使えるよ。録音も自分でやればタダだよ。ミクシング・マスタリング1曲2千円って、こんなに安くやってくれる所はなかなか無いよ」
などと須藤さんは言っていたが、私たちは
「それは素人の趣味の音源制作の値段です」
と言って強引に変えさせた。
今回のシングルは前作10万枚売れた『ウォータードラゴン』の路線を引き継ぎ、全体的にフュージョン色が強くなっている。上島先生の『魔法の靴』にしてもマリ&ケイの『空中都市』にしても、1980年代のT-SQUAREを思わせるようなテクニカルなサウンドを作っており、ウォータードラゴンで好評だった私のウィンドシンセをどちらにもフィーチャーしている。この2曲は同じアレンジャーが担当したことで統一感が出た感じもあった。
ヤスがアレンジした『Double Role』はロック色が強く、私のアルトボイスを2つ多重録音してデュエットにしているが、やや歌い方を変えて『一人二役で恋人を翻弄する女』を演じさせている。シャウト的な歌い方も要求している。
サトがアレンジした『Loverise』はむしろポップロック系のアレンジになっていて、私のソプラノボイスで優しく包み込むような歌い方をしている。ある意味では2010年頃の結成当時のローズクォーツのサウンドに近い作りである。
新曲発表会で4曲ともショートバージョンで演奏したが、記者さんたちは『Loverise』に対する反応が良かった。
マリの詩集『闇の風』は昨年販売した『闇の声』に続くもので、マリが書いた「暗い詩」を集めた詩集である。『闇の声』より更にヘビーな作品を集めたが、昨年「疲れている人は買わないで」という注意書きを付けたら、逆に心の疲れた人ばかり買って行ったようだったので、今回はそういう注意書きは付けないことにした。前回同様、買って後悔した人には返金に応じるシステムとした。
表紙は昨年に続き私が、わざと怖そうな絵を描いている。また詩集の中にも私の絵を10点ほど入れておいた。
昨年の『闇の声』は増刷を重ね、この1年間で12万部も売れている。今回は最初から5万部用意したが、これが一週間で売れてしまい、即増刷するハメになった。
私は和泉から頼まれたので、発売日の数日前に政子に「中田マリ」のサインもさせてこの詩集を1冊届けた。
「サンキュー。去年も読んでマリちゃんの多作さの理由が分かった気がしたよ」
と和泉は言った。
「マリ&ケイで発表している作品はいわば海に浮いた氷山の頂上部分だからね」
「いや、むしろここがマリちゃんのイマジネーションの源泉だと思う」
と和泉は言う。
「摂氏100度の源泉に直接触れたら大やけどするけど、人が入る温泉では40度くらいまで冷ましている。100度のお湯10Lに20度の水を30L足して、やっと40度になるけどお湯の量は40Lになってしまう。マリちゃんが多作なのは、普通の人が鑑賞できるレベルにするために、元々のイマジネーションを薄めているからだよ」
「ああ、それは面白い解釈だけど、当たっているかもという気はする」
「私の源泉は多分50度か60度くらい」と和泉。
「60度の源泉10Lに20度の水なら10Lで40度になるから、できるお湯の量は20L。温泉の有効成分密度は倍かもね」
と私が言うと
「冬って口が巧いね」
と言って睨まれた。もう!直接ふたりを対談させたい気分だ。
「マリちゃんが速筆なのもそう。小さなイメージの源泉を希釈することで結構なサイズの詩になるから」
「マリは『急いで書き留めないとイメージがどこかに行っちゃう』とよく言う」
「小さな塊を捕まえてるから、見失うと見つけるのが大変なんだよ」
「そうそう。停まっちゃった時によくマリはその付近の空中を探すような仕草をする。たいていは何とか見つけ出して続きを書くけど、それを見つけ損なって完全に停まってしまった詩には本人でさえどうやっても続きが書けない」
「だろうね」
「もうほとんど出来掛かっていた奴は、私が補作して完成させたこともあるけどね」
「たぶんそれは冬にしかできない。冬は詩の表面的な字句にとらわれずに、詩人が捉えたイマジネーションそのものを見てるから」
「マリが森之和泉さんによろしくと言ってた。カミソリの刃も付けようかと思ったけど自粛しておくって」
「あはは」
5月5日。ローズ+リリーは仙台で今年3回目のコンサートを行った。この日も会場に1日に一般発売したPV集のDVDを持ち込んだら、ここでも持ち込んだ5000枚がきれいに完売した。
またこの日、ローズ+リリー第2ベストアルバム収録曲を決めるファン投票の最終結果が公表された。上位30曲はこうなっていた。
1.神様お願い 2.100時間 3.A Young Maiden 4.キュピパラ・ペポリカ
5.夏の日の想い出 6.雪の恋人たち 7.影たちの夜 8.ピンザンティン 9.桜色のピアノ 10.天使に逢えたら 11.坂道 12.あの夏の日 13.言葉は要らない 14.Spell on You 15.あの街角で 16.疾走 17.涙のハイウェイ 18.夜間飛行 19.私にもいつか 20.恋座流星群 21.遙かな夢 22.花模様 23.Long Vacation 24.サーターアンダギー 25.ネオン〜駆け巡る恋 26.若草の思い 27.ヘイ・ガールズ! 28.聖少女 29.破壊 30.ブラビエール
大激戦だった。ミリオンセラーの『甘い蜜』『涙のピアス』が圏外に消えた。絶対的な1位.2位と思われていた『神様お願い』『A Young Maiden』の間に新しく発表された曲『100時間』が割り込んだ。
また健闘したのが『雪の恋人たち』『坂道』である。この2曲は2009年に公開されているが、元々「デモ音源を公開」しただけということで前回は投票対象になっていなかったのが、ファンからの要望に応えてこの2曲も投票対象に入れたところ、後半の投票数だけで上位に食い込んだ。
私たちは上位の16曲でベストアルバムを出すつもりでいたのだが、あまりに激戦であったこと、それから収録曲数を増やして欲しいという要望が非常に多く寄せられたことから、12曲入りのディスク2枚、つまり24曲でリリースすることにした。
しかし24位のサーターアンダギーと25位のネオン〜駆け巡る恋はわずか18票差であった。そもそも21位から40位までの票差が1000票も無かったのである。本当にボーダーラインは激戦であった。
「どうかした所なら、最終投票締め切り直前に再度中間発表して、投票券目的にCDを買わせるよね」
と七星さん。
私たちは仙台公演の後、打ち上げをしてから、数人でラウンジに行き、お茶を飲んでいた(一部の人はカクテル)。
「うん。そういうえげつないことはしないようにしましょうよ、と町添さんに言った」と私。
「町添さん、『うん、そうだね』と言ってたけど、本心は直前発表したかったんじゃないかなあ」と政子。
「それでなくてもTime Reborn, ベストアルバム, 花園の君 とアルバムの発売が連続するから、無駄なお金をファンに使わせたくないんだよね」と私。
「やはりケイちゃん欲が無い」と近藤さん。
「ケイちゃん、玉を取ってから無欲になったとかは?」と鷹野さん。
「ケイは元々無欲だったよね」と政子。
「その頃から実はもう玉が無かったとか」
「あ、そうかも」
仙台ライブの翌日から『砂漠の薔薇』の収録に入った。これは2009年に上島先生から頂いた作品である。『間欠泉』同様に、リリースは何年先になっても構わないと言われて、ずっと預かっていた作品であるが、やっとこの曲を表に出すことができるようになった。
この曲はシンセサイザー前提の曲である。8種類のFM音源が使用されているが、上島先生は各々の音のアルゴリズムとパラメータを指定しておられた。
その音を設定した上でMIDIで演奏させると、砂漠に魔法色の風が吹いているような不思議な調べが聞こえてくる。恐らく上島先生はこの音のパラメータを作るだけで2〜3日掛けたのではないかと思った。
この曲は、私とサト、ヤス、月丘さんの4人がそれぞれ2台の電子キーボードを使用して各々両手弾きで演奏した。
シンコペーションが複雑だし強弱の付け具合も結構な考慮が必要だったので、4人で譜面をかなり検討した上で、最初に代表して月丘さんがメイン?パートを演奏して、それを聞きながらあらためて全員で演奏して録音した。そしてその録音を聞いて再度譜面の解釈の仕方に検討を加え、再度録り直す。
しかし絡み具合が複雑なので、なかなかきれいに合わせることができず、各々充分な個別練習をした上で、合同練習もたっぷりして、結局4日がかりの収録になった。
「これさ、ライブ演奏は無理と思わない?」
「まあ、誤魔化しながらなら何とか」
『砂漠の薔薇』のシンセサイザー部分の収録は難しそうだというので5日間日程を取っていたのだが、4日間で片付いたので、5月10日(金)はお休みにすることにした。
私は収録が終わった9日の夕方、スタジオを出てから政子とふたりで新宿に行き、今日の夕食は何にしようかなどと言いながらお茶を飲んでいた。その時
「可愛い彼女たち、暇?」
などと声を掛ける女性が居る。
「おはようございます。雨宮先生ナンパですか〜?」と私。
「いや、君たちがあんまり可愛いから声を掛けただけ」と雨宮先生。
「おはようございます、雨宮先生」と政子。
「ケイちゃんは高校時代も会う度に可愛い格好してたなあ」と先生。
「やっぱりケイって、高校時代、かなり頻繁に女の子の格好してたのかな?」
と政子。
「少なくとも私はケイちゃんの男装って見たことないわ。実際、かなり先の時期まで、ケイちゃんは本当に女の子とばかり思い込んでいたし」
と先生。
「やはりね〜」
「君たち仙台ライブはどうだった?」
「観客の人たちが熱狂してくれて嬉しかったです」と私。
「私は気持ち良かったです。また早く次のライブが来ないかなあ。まだ興奮が収まらなくて。裸になって踊り出したいくらい」と政子。
「まあ新宿の街の中で裸になって踊り出したら警察に捕まりそうね」
「だから我慢してます」
「裸になれる所に連れてってあげようか?」
「先生、それホテルというわけでは?」
「そうだなあ。ホテルにもふたりを招待してふたりまとめて逝かせてあげたいけど、まあどこかでヌード撮影とかでもいいよ」
「あ、やりたい、やりたい」
と政子が嬉しそうに言う。
私は頭を抱えた。
雨宮先生のご友人が住んでいる伊豆大島に行こうという話だった。そこの御自宅の庭を借りての撮影ということ。すぐに飛行機の予約をして往復の座席を確保した。
私たちは翌日朝、撮影用カメラを持って調布飛行場に集まった。25分のフライトで伊豆大島に到着する。空港まで、御友人の人が迎えに来てくれていたので、その人の車で御自宅までお伺いした。
「親戚の家に3時間くらい行ってるから好きに使って」
といって出て行かれたので、私たちはヌードになって庭に出た。
「今日はお天気が良くて気持ちいい」
「素敵な陽気ですね」
初めて私たちがヌード撮影をしたのは2009年だった。その後、2011年はしていないものの、2010年、2012年とやってきて、今回が4回目である。毎回政子は楽しそうにヌードを撮られている。この撮影したデータは私たち3人の間だけで保管して、他人には見せないということを、お互いの信頼関係の上で決めている。
「思えば、最初にヌード撮影した時はケイちゃんは本当はまだ男の子だったんだよね」
「ヌード自体は女の子にしか見えなかったけどね」
「2度目の時はもうタマは無かったですけど、あちらは付いてました」
「それでもやはり女の子のヌードにしか見えなかったけどね」
「前回が初めて本物の女の子になってからのヌードだよね」
「そうなんだよね。私、2009年、2010年、2012年のケイちゃんのヌードを見比べてみたけど、バストサイズ以外には違いが分からなかった」
「あはは」
「ケイちゃんにしてもマリちゃんにしても身体の線が全然崩れてない」
「節制してますから」
「マリちゃんはあれだけ食べるのに全く太らないのが不思議」
「消費してますから」
「ケイちゃんは、ホルモンバランスが変わってるはずなのに体形が変化してないのが不思議」
「ああ、きっとケイは幼稚園の頃から女性ホルモン優位だったんです」
「うん、そうとしか思えんよ」
その日は天候が素晴らしかったので、私たちは気持ち良く撮影を続けた。庭に色々な花が咲いていて、政子は
「ここってFlower Gardenだ」などと言っていた。
撮影していた時風が吹いてきて、あじさいの花びらが政子の上半身に多数付着した。政子は取ろうとしたが「あ、待って。そのまま」と雨宮先生は言い、花びらの付いたままのマリの写真を撮った。私も撮った。
「花びらが付いてると、花の女王みたい」と先生。
「えへへ」
と言った瞬間、政子の表情が変わる。
私は荷物の中から紙とボールペンを出し政子に渡した。
「サンキュー」
と言って政子は詩を書き出す。しばし撮影は中止である。
「突然詩を書き出して、やめなさいとか言われたことない?」
と雨宮先生が尋ねる。
「あんまり無いなあ。授業中とかにそれをやってもだいたい先生たち諦めてた感じだったから」
と政子は詩を書きながら答える。
「マリちゃん、ほんとに周囲の人たちに恵まれて育ったんだね」
と雨宮先生は感心して言った。
「ケイも女の子の服を着てて、脱ぎなさいとか言われたことほとんどないらしいです」
「ケイちゃん、ほんとに周囲の人たちに恵まれて育ったんだね」
「でも私、ケイと一緒に居るおかげで、男の子から女の子に変わった人と随分付き合いが出来ちゃったけど、みんなそれぞれ傾向が違う感じで。考えてたんだけど、基本は男の子で女の子でいるのが好きな人とか、純粋に女の子でいたい人とか、そもそも女の子でしかない人とか、むしろ単なるファッションで女の子の服を着ている人とか色々いますね」
「そうそう。性のあり方って、ホントに人それぞれなんだよ」
「割と傾向が近いかなと思う、春奈ちゃん、鈴鹿ちゃん、唯香ちゃんとか見てても各々の傾向が微妙に違う気もするし」
「性別の生き方を変えた時期による差もあるよね。春奈ちゃんとか鈴鹿ちゃんは小学生の頃から女の子として学校に行ってて、中学は女子制服で通学してる。唯香ちゃんや私は中学高校6年間を男子制服で過ごしてる。トランスした時期が遅いほど、コンプレックスも大きい。雨宮先生も多分20歳前後からですよね?女装で人前に出るようになったのって」
「まあ、そんなものかな」
「いや、ケイは中学から女子制服で通学してた疑いが濃厚」
「そんなことないって」
「だって、お姉さんに見せてもらった冬の中学時代の写真とか、セーラー服着た写真ばかりで、学生服着てる写真は1枚も無かったよ。入学式当日に撮った写真ってのもセーラー服着てたし」
「うーん。それはそんな写真ばかり撮られたからだよ。入学式は学生服で出てるけど、その後セーラー服を着せられたんだよ」
「なんか言い訳がましいね」と雨宮先生にまで言われる。
「だいたいその入学式当日の写真って、一緒に写っている男の子たちはみんな丸刈りなのに、冬は女の子みたいな髪型だったんですよ」
「あれは直前までうちの中学は男子は丸刈りだったから、ほとんどの子はもう丸刈りにしちゃってたんだけど、入学式の直前にその校則が無くなって、髪は自由になったんだよ。だから私は切らなかっただけで」
「なんかそれ、すごーく、嘘くさい」と政子。
「うんうん。どう聞いてもそれ嘘。そんな都合のいい話がある訳ない」
と雨宮先生。
「本当なんだけどなあ」
「冬って、中学の卒業アルバムにも高校の卒業アルバムにも女子制服で写ってるし」
「卒業アルバム制作委員の子にハメられたんだよ」
「ああ、また嘘付いてる」と政子。
「ほんとだよぉ」と私。
「信用ならないわよね」と雨宮先生。
伊豆大島から帰った翌日から2日間はローズ・クォーツ・グランド・オーケストラと一緒に『Rose Quarts plays Easy Listening』の音源制作を行った。そちらの音源制作は前半は5月3-4日に行ったのだが、その後、5日に仙台に来てもらってローズ+リリーのライブにゲスト出演してもらった後、6日に東京で更に音源制作の作業をしている。そしてこの11-12日の土日で作業は完了した。この一連の作業にはアスカも参加した。
めったに他人を褒めることの無いアスカが、グランドオーケストラでピアノを弾いている美野里を褒めていた。
「美野里ちゃん、無茶苦茶ピアノがうまいね」
「私は、アスカさんのヴァイオリンに聞き惚れていました」
「ね、ね、12月にドイツまで一緒に来てくれたりしない?」
「何があるんですか?」
「****コンクールがあるのよ。それの伴奏とかお願いできないかなあ」
「きゃあ。そんな凄いコンクールで私が伴奏していいんですか?」
「美野里ちゃんもコンクール優勝経験あるでしょ?」
「国内のコンクールに2回、***杯と***賞で優勝しただけですよぉ」
「それだけ実績あれば充分うちの先生に紹介できるよ」
なお、一応5月12日までの音源制作でローズ・クォーツ・グランド・オーケストラを結成した用事は済んでしまったのだが、せっかく作ったので、この後は秋まで、ゆっくりしたペースで公演活動を続けることになっている。一部の団員が5月12日までで退団したので私たちは追加団員を募集して補充したが、退団する団員さんも希望者には「RQGOフレンズ会員」になってもらった。もし時間の取れる時にはまた参加してくださいという趣旨である。
なお、グランド・オーケストラで収録した曲は次のようなものであった。ポール・モーリア・グランド・オーケストラの作品を4曲カバーしている。基本的にボーカルは「ラララ」や「アー」などのスキャットやヴォカリーズであり、元々歌詞のある曲でも「歌」は歌っていない。(これが仙台ライブ版との違い)
『エーゲ海の真珠(Penelope)』Augusto Alguero作曲。
1970年にスペインの男性歌手Joan Manuel Serratが歌った曲で、同年ポール・モーリアがカバーしてヒットさせた曲。モーリアの初版では《スキャットの女王》ダニエル・リカーリがスキャットを歌っているが、今回は私のソプラノボイスとマリのアルトボイスでデュエットしている。モーリアのアレンジでピアノとトランペットが呼び合うように演奏する所は美野里のピアノと七星さんのフルートでの呼び合いにしている。冒頭のファンファーレは香月さんのトランペットであるが、これはこのアルバム自体のファンファーレでもある。
『恋はみずいろ(L'amour est bleu)』Pierre Cour作詞,Andre Popp作曲。ギリシャ出身の歌手Vickyが1967年に歌った曲でモーリアは翌年にこの曲をワールドヒットさせ、ポール・モーリア・グランド・オーケストラの出世作となった。ストリングス・セクションが事実上の主役であるが、メロディーラインは美野里のチェンバロ、アスカのヴァイオリンソロ、七星さんのフルート、タカのギターが交替で担当している。
『オリーブの首飾り(El Bimbo)』Claude Morgan作曲。
フランスのラテン・ディスコ・グループ Bimbo Jetが1974年『El Bimbo』の名前でヒットさせた曲で一般には同グループのリーダー Claude Morgan の作品であるとされている(Ahmad Zahir作曲説もあるが疑問)。ポール・モーリアも1975年にBimbo Jet風の編曲でこの曲を再ヒットさせた。
ポール・モーリアが当初のムード音楽からディスコやラテンなどに転換していく時期の作品。仙台ライブでは月丘さんがメロディを担当するシンセサイザを弾いたが、音源制作では私がシンセを弾き、コンガ・ボンゴ・ティンパレスを酒向さん、月丘さん、ヤスに叩いてもらって、マラカスをマリが振っている。
『恋人たちのバラード(Paris Ballade)』Paul Mauriat作曲。
モーリア自身の1982年の作品。モーリアは1975〜1980年頃ディスコやラテン、更に電子音楽など様々な試みにチャレンジしたが1981年の『再会(Je n'pourrai jamais t'oublier)』で再びムード音楽の世界に戻ってくる。そしてこの作品では『エーゲ海の真珠』で共演したダニエル・リカーリのスキャットを再びフィーチャーした。このアルバムでは私とマリの掛け合いでスキャットしている。
『シバの女王(La Reine de Saba)』Michel Laurent 作詞作曲
レーモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラの代表作。エレクトーンで弾くと左手で分散和音を弾きつつ右手でメロディーを弾くという、エレクトーンプレイヤーにとっては結構技術を要求する曲である。今回のアルバムではストリングスによる分散和音をバックにアスカが美しくソロパートを弾いており、アスカのヴァイオリンソロと、私とマリの声がきれいに和音になるように歌った。山森さんのオルガンの音色も取り入れている。
『夏の日の恋(Theme from A Summer Place)』 James Owen, Max Steiner 作詞作曲。1959年の映画『避暑地の出来事(A Summer Place)』の主題歌。1960年にパーシーフェイス・オーケストラの演奏でヒットした。金管楽器群が刻むリズムを背景にアスカのヴァイオリンソロがのびやかに歌う曲。サビの部分は七星さんのフルートが入っている。
『愛の歴史(Une Belle Histoire)』Pierre Delanoe作詞,Michel Fugain作曲。原題は直訳すると「美しい歴史」だが、サーカスが『ミスター・サマータイム』
のタイトルで1978年にカバーしたことから日本では有名になった。
『愛のオルゴール(Music Box Dancer)』 Frank Mills作曲。
フランク・ミルズ(Frank Mills)の代表作。1974年の作品だが1978〜1979年頃からワールドヒットとなった。今回のアルバムでは、美野里のピアノ、アスカのヴァイオリン、七瀬さんのフルートが掛け合いをしながら演奏している。
『ロマーナの祈り(The Lonely Shepherd)』Einsamer Hirte作曲。
ザンフィルの1984年のヒット曲。パンフルート(正確にはザンフィルが使用しているのは《ナイ》という楽器である)の日本での知名度を大きく広めた曲。原曲は「孤独な羊飼い」というタイトル。今回のアルバムでは、七星さんのフラウト・トラヴェルソと山森さんのオルガンが交替でメロディーを演奏している。
『愛のテーマ(Love's theme)』 Barry White, Aaron Schroeder 作曲。Barry White and Love unlimitted orchestraの代表曲。1973年の作品。今回のアルバムでは、ストリングセクションの華麗な音を背景に、アスカのヴァイオリン・ソロ、七星さんのフルート、そして私とマリの声が交替でメロディーを歌っている。
『幻しの道(Mirage Road)』マリ&ケイ作詞作曲。
今回のアルバムで唯一のオリジナル作品。中学生の時に八尾で書いた作品で、能登半島の「地図に無い道」珠洲道路のことを聞いて書いた曲であるが、実は阿蘇のミルクロードのイメージも混入している。流れる霧を表すかのような(マントバーニー・オーケストラ風の)カスケード・ストリングスを背景に、疾走する車のイメージをタカのギターで表現している。サビの部分でクラクションのような香月さんのトランペットと鳥の声のような七星さんのフルートも活躍する。
『ロシア風ロンド(Rondo Russo)』Saverio Mercadante作曲。
オランダのフルート奏者Berdien Stenbergの1983年のヒット曲。メルカダンテは19世紀のオペラ作家だが、現代ではオペラ作品より『フルート協奏曲ホ短調』
が有名でこれはその第三楽章である。この曲はよくイージーリスニングとしても演奏されている。七星さんのフルートが主役だが、アスカのヴァイオリン、美野里のピアノ、山森さんのオルガン、タカのギターにも見せ場があるように編曲した。
「ところで俺たち今回は何したんだっけ?」
とマキが言っていたが
「気にしない、気にしない」
と言ってタカが笑っていた。
『砂漠の薔薇』の歌唱部分の録音に入る前に、5月14日(火)には、槇原愛の新譜の音源制作、伴奏部分の収録を行った。5月1日に町添さんと会った時に、町添さんとしては特に深く考えた言葉では無かったとは思うのだが、槇原愛の売行きの悪さを指摘されていたので、私もちょっとリキが入っていた。
その日は今回のシングル制作と8月までのライブでの伴奏を担当してくれる女性二人組、Sirena Sonica(シレーナ・ソニカ:音の魔女)の穂花さん・優香さんと初顔合わせをした。ふたりは既に槇原愛本人とは会って、実際に少し曲を合わせてみたりはしているし、またメールでは結構こちらとやりとりをしていた。
「短期間だけでの仕事依頼で申し訳ないです」
「いえ、しばらくまともな演奏活動できなくて、凄くストレスが溜まっていたので嬉しいです。後先考えずにふたりともファミレス辞めて来ました」
「おお!ロッカーだ!」
ふたりには音源制作における演奏料に加えて、5月から8月まで△△社から給料方式で報酬が支払われることになっているが、あまり大した金額ではないのでバイトなど無しではけっこう生活はきついハズだ。しかしふたりはひじょうにテンションが高かった。
ライブ演奏では槇原愛本人がギターを弾くことになるのだが、音源制作では代わりに私が弾くことにする。
最初に普通のロック曲である『お祓いロック』を演奏することにする。
「何か、この歌詞、すごーく冗談がきついんですけど」と優香さん。
「全くですね。で、少し投げやり風に演奏してもらうといいです」と私。
「会社クビにされたことなら何度もあるから、すごーく現実感があります」
と穂花さん。
そんなことを言いながらも、私のエレキギター、優香さんのベース、穂花さんのドラムスで「かるーい」感じ、やや「投げやり〜な」感じで演奏する。政子が副調で楽しそうにその演奏を見て、あれこれ注文を付ける。朝10時から始めて13時頃まで掛けて、政子が満足する出来映えになった所のテイクを活かすことになった。
なお、お昼は政子はひとりで外食してきて、帰りにお弁当を買ってきてくれたので、この曲の収録が終わった所でみんなでそれを食べた。
お昼の後、2曲目『遠すぎる一歩』を収録する。これはフォークロック系の曲なので、私はアコスティックギターを弾き、優香さんの(エレキ)ベース、穂花さんのドラムスと合わせる。
「あ、杏梨先生、庶民的なギターを使ってる」
「うん。私はこちらの方がやりやすい。ギブソンなんて本当はもっとうまい人が使う楽器」
「私たちは一貫して庶民的な楽器使ってるなあ」
演奏した感じでは、シレーナ・ソニカのふたりは『お祓いロック』よりこちらの曲の方が、良い雰囲気で弾いている気がした。元々そういう系統の曲の方が得意なのかも知れない。
この曲は2時間ほどで収録が終わった。
お茶を入れて休憩する。自宅から持って来たクッキーの箱を(政子がいるので)5個開けたが、この日、クッキーの減る速度が何となくいつもより速いような気がした。
17時頃から『灯りの舞』の収録に入る。
私が作っておいた「仮」の伴奏音源は、アコスティックギター、胡弓、それに電子キーボードで弾いたハンドベルの音で構成されている。シレーナ・ソニカのふたりと事前にメールのやりとりで相談した結果、ドラムスの穂花さんにチューブラーベル(NHKのど自慢でおなじみの鐘)を打ってもらい、優香さんが小学2年生の時以来というヴァイオリン(楽器は取り敢えず8月まで貸与)に挑戦することになっていたが・・・・
「ごめんなさい。頑張って練習したけど、まだこの程度です」
という感じの音であった。そこで今回の音源制作では予定を変更して仮音源の線で進めることにし、私が最初アコスティックギターを弾いたのをベースに更に私の胡弓の音を重ね、そこにハンドベルの音を加えることにする。ハンドベルは23音セット(A4-G6)のものをスタジオから借りて、優香・穂花の2人に、私と政子も両手に持ち、それを2度(A4-G5/A5-G6:半音略)録って完成させた(ハンドベルの練習に1時間掛けた)。
「ヴァイオリン、発売日まで頑張って練習してね」
「はい!」
「でも杏梨先生、色々楽器なさるんですね! 作曲する時はギターですか?」
「あ、自宅で書く時はエレクトーンが多いですよ」
「わあ!キーボードも弾かれるんですか!」
収録が終わったら22時近くだった。「お腹空いたよね」と言って出前を取って食べてから解散することにする。希望を訊いたらピザがいいということだったのでLサイズのピザを5種類注文した。しばらく雑談をしていて、やがて宅配が来た所で食べ始めたのだが・・・・・
「穂花ちゃん、ペースが速い」
「鈴蘭先生、ペースが速い」
「私、第2のギャル曽根と言われてました」と穂花。
「むむ。私も第2のギャル曽根と言われた」と政子。
「穂花に対抗できそうな人を初めて見た」と優香。
「私も鈴蘭に対抗できそうな人初めて見た」と私。
そして5枚のピザ(約20人分)はあっという間に無くなったのであった。
「優香ちゃん、何切れ食べた?」と私は訊いた。
「私2切れ。杏梨先生は?」と優香。
「私は1切れ」
「ふたりとも食べるのが遅いのよ」
などと政子は言っていたが、そういう訳で政子は穂花に親近感を持ったようで何だか握手をしていた。
『砂漠の薔薇』の歌唱部分は翌日5月15日から17日に掛けて録音作業を行った。
この曲はシンセサイザー演奏も大変だったが、歌も複雑である。4つのボーカルパートが指定されていたが、その4つのパートが有機的に絡んでいて、ひとつの単語を複数のパートで分担して歌ったり、和音の何音目を担当するかが1拍ごとに変わったりするなど難しい技法が使用されていた。
この複雑な曲を多重録音で録って単語がきちんとつながり和音がきちんと響くようにするのは非常に困難であるという判断から、応援を頼んだ。私とマリの他に、声がつながりやすいようにするため同年代の歌手として、XANFUSの2人に特別参加してもらい、私・政子・光帆・音羽の4人で歌ったのだが、収録前の練習に丸2日使って結局ボーカルパートだけで3日がかりの収録になった。多忙なXANFUSのスケジュールの合間を縫い、5月15〜17日の水木金を使用してこの作業を行った。
「何か超絶難しい曲だ!」と光帆も言っていた。
「上島先生、こんな物凄い曲を書いてたのね、凄いよ。2008年なら上島先生が一番円熟していた頃の作品だね」と音羽。
「ちょっと、ちょっと」
「今の発言は誰も聞かなかったことにして」と光帆。
「これを歌える4人の組合せって、かなり限られるよね」と音羽。
「この曲の性質上、同年代の4人で構成する必要があるんだよね」と私。
「そうそう。年齢差1年以内だよね。2年は微妙。3年違うと、もう声が溶け合わない。そしてそもそも若い歌手でないとダメ。30歳4人並べても合わない」
と光帆。
「もちろん同性だよね」と政子。
「当然」と音羽。
「えっと、私良かったんだっけ?」と私が言うと
「冬ちゃんは変声期前に去勢したと聞いたから女の子と同じ」と光帆。
「えっと・・・」
「幼稚園の頃にはもう性転換してたという説もあるよね」と政子。
「へー、そうだったのか」
「そんな馬鹿な」
「他に参加できそうなのはKARIONのいづみちゃんとか、map(エムエーピー)のカンナちゃんとかじゃない?」と音羽。
「いづみ」という単語に政子がピクッとする。
「AYAとかは?」と政子が言うが
「歌唱力不足」と音羽があっさり言う。
「ゆみは拍を正確に歌えないから無理」と光帆。
AYA本人には聞かせられない話だ。
「私、歌って良かったんだっけ?」と政子が不安そうに言ったが
「マリちゃんの歌は、もう既に、AYAのゆみちゃんとかKARIONの美空ちゃんをずっと越えてるよ」と光帆は言った。
「たぶん正確な歌い方するケイちゃんといつも一緒に歌ってるから自然と正確な歌い方が身についているんだよ」と音羽。
「AYAの拍の精度が悪いのは逆にいつもソロでしか歌ってないからだよね。コーラスは入ってるけど、コーラスの子たちはAYAに合わせてくれるもん。だからセッションセンスが鍛えられていない」
とも光帆は言った。
この曲の収録が、このアルバム制作での山場とも言えた。
「でも上島先生は何でこんなややこしい歌い方を指定したんだろう?」
と政子が疑問を提示する。
「『砂漠の薔薇』、デザートローズというタイトルが全てを語っていると思う」
と私は言う。
「この曲は人間が歌っている感じじゃなくて、無機質な音感を求めたんだよ。砂漠の薔薇って、一見植物に見えるけど、実は地下水で侵食された鉱物の残存でしょ。この歌詞を見ても分かる。愛のように見えるけど、もう愛などどこにも残っていなくて、心が全て溶けて残りの硬い残存物が残っているだけ。だから抑揚とか感情表現を廃した歌が欲しかったんだよ。ボカロイド以上に機械的に仕上がったでしょ?」
「でもこの曲、売ることを想定してないね」と音羽。
「ああ、完全に趣味に走ってる」と光帆。
「上島先生はだいたいそういう曲を私たちに歌わせるんだよ」と私。
「売れ行き気にせず実験ができるとか言ってたね」と政子まで言った。
なお、この曲はあまりにも難曲であることから単語を複数の人で分担して歌うような部分を無くし、演奏も比較的一般的な音を使いシンコペーションも少なくして「易しく歌える」ようにしたイージーバージョン(下川先生編)も同時に収録した。しかしそのイージーバージョンでもカラオケで歌うのは大変そうと私たちは言い合った。
『砂漠の薔薇』の歌唱収録が終わった翌日はワンティスの音源制作への勧誘候補として、nakaさんがギタリストとして出演するライブを上島先生・雨宮先生たちと一緒に見に行った。nakaの演奏を見て、上島先生も雨宮先生も惚れ込んだ。
「この人是非勧誘したいね。UTPでキャッチできる?」
「確認します」
と言って私は夢花さんに電話してnakaのスケジュールを確認する。
「20日の午後1番に生徒から送られて来た演奏データを取りに来社なさるそうです」
「じゃ、僕がその日そちらに行って勧誘するよ」
と上島先生。
「先生がわざわざいらっしゃるんですか!?」
「だって人を誘うのには本人のいる所へ行くのが当然」
「先生偉いです」
「マリちゃん、ケイちゃんはその日は事務所にいる?」と上島先生。
「あ、えっと・・・」
「最近、あんたたちほとんどスタジオに入り浸りだよね」と雨宮先生。
「ええ。1月下旬から、ほとんどスタジオに通勤してる感じで」
と言いながら私は手帳を見る。その日はKARIONの音源制作の予定が入っていた。しかしそれはこのメンツの前では言えない。
「うーん」
と私が悩んでいると、雨宮先生が
「あ、ごめーん。その日は私がケイをリザーブしてたんだった」
と言ってくださった。
「あ、じゃ私がUTPには行っておくよ」と政子。
「そう? じゃお願いしようかな」
ということで、nakaを上島先生がUTPに来社して勧誘する場面は政子がひとりで目撃することになる。
「でもさ、冬、最近UTPにあまり出てないんじゃない?」と政子。
「そうなんだよね〜。スタジオでの作業が大変だし。時間があったら卒論の作業してるし。結局4-5月は1度も出てない」
「UTPのスタッフから、顔を忘れられてたりしてね」
「まさか!」
「雨宮先生、ありがとうございます」
と後で私は言った。
「あんたもよくやるね〜。『Flower Garden』無茶苦茶手間を掛けてるみたいだし。それと並行して今あちらのアルバムもやってるんでしょ?」
と雨宮先生。雨宮先生は私が水沢歌月であることを初期の頃から知っていたひとりである。ローズ+リリーが始まる前から私はKARION系の活動のことを先生には話していた。
「シングル2枚と並行です。あちらのユニットは7月に出すシングルとアルバム、11月に出すシングルを一緒に制作しておいて、卒論のための休業中にも1枚シングルを出すということにしているので」
「『Flower Garden』の残りは?」
「『あなたがいない部屋』『夜宴』『花園の君』です」
「いつ録る?」
「『あなたがいない部屋』『夜宴』は23-24日。『花園の君』は6月1日から3日の予定です」
「現時点での『あなたがいない部屋』『花園の君』のスコアを見せて。少し調整したい。パートの増減はしないから」
「分かりました。帰宅したらすぐメールします」
先生の『花園の君』の新しいアレンジは、ストリングセクションのサウンドがかなり手を入れられ、ぐっと美しくなっていた他、管楽器の音が増えていた!パートの増減しないって言ってたのに!! 私は慌てて追加されているホルン、トロンボーン、尺八の演奏者を、知り合いで吹ける人に連絡して確保した。
そしてその翌日5月19日(日)は槇原愛の新曲の歌唱部分の録音であった。シレーナ・ソニカのふたりにも出てきてもらい、今日はコーラスを担当してもらうことにする。
穂花をすっかり気に入った政子が大量のクーポンを積み上げる。
「穂花ちゃーん、プレゼント。マクドナルドのバーガー券たくさんもらったから、あげるね」
「わぁ! 食費が助かります!」
と穂花はホントに嬉しそうな声を挙げていた。
「ところで杏梨先生って昔は男の人だったという噂を聞いたんですが・・・」
と優香。
「そそ、杏梨はね、すごく小さい頃に性転換して女の子になったんだよ」
と政子。
「子供のうちにですか!?」
「うんうん。一説によると、まだ受精前」
「そんな時期に性転換できるんですか!?」
「精子の段階でY染色体だったのを電子メスで性転換手術してX染色体に変えたらしい」
「えー!?凄い!」
『灯りの舞』から収録する。
三千花は元々ハードロックが好きな子であったし、民謡を唄う場合も『武田節』
『佐渡おけさ』など絶叫系の曲を好む子だったので、これまで激しい曲ばかり提供してきたのだが、いざ『灯りの舞』を歌わせてみると、こういう静かな曲でも充分な歌唱力を持っていることが分かり、私はあらためて、この子の可能性を誤解していたのかも知れないと思った。なにより民謡の基礎があるので長い音符をブレス無しで歌う力を持っている。
この子にこういう曲を歌わせようと思い付いた政子の慧眼が凄い。
午前中で収録が終わり、お昼にする。お昼は今日顔を出してくれていた△△社の飯田さんにお願いして「両手でやっと抱えられるくらいの量のパン」を買ってきてもらった。
「ほんとに買ってきましたけど、鈴蘭先生ほんとにこんなに食べられます?」
と心配そうに言うが
「ああ、今日は鈴蘭がふたり居るから」
と答えておく。
そして政子と穂花のふたりで楽しそうにおしゃべりしながら、あっという間にその大量のパンをたいらげてしまうのを見た飯田さんが、呆気にとられていた。三千花もふたりのペースに驚くような顔をして、それでも5個くらいパンを食べた。私と優香はそのそばでマイペースで食べていた。
昼食後お茶を飲んで少しお腹が落ち着いた所で『お祓いロック』を収録する。この曲は実際に3人にギター・ベース・ドラムスを演奏しながら歌ってもらった。その臨場感を取り入れようという試みである。これまではロック系の曲ではあっても愛のボーカルはふつうに伴奏をヘッドホンで聴きながら歌のみで収録していたのだが、バンド形式で歌わせるのなら、こういう形で録った方がノリが良くなる。
(ドラムスは電子ドラムスを使い、ギターやベースの音を含めて、歌収録用のマイクにあまり入らないように気をつける。微妙なタイミングのずれはミクシングの際に編集対応)
2時間ほどの練習を経て、喉を休ませるため、ティータイム(おやつ付き)を取ってから、本番収録となった。こちらの曲では多少の音外しは許容して、ノリの良さの方を優先した。
「軽食」を取ってから最後に『遠すぎる一歩』を収録する。この曲はやはり正確な音程で歌わないと映えないということで、伴奏音源をヘッドホンで聴きながら私がギターを弾き、優香のベース、穂花のドラムスと一緒に演奏しているのを背景に、愛の歌を収録した。この曲も今まで愛が歌っていた曲からするとおとなしめの曲だが、愛はとてもしっかりした歌唱を見せてくれた。
全ての収録が終わったのは22時(高校生は22時までしか働かせられない)ギリギリであった。急いでスタジオから撤収したが、政子が
「穂花ちゃーん、焼肉に行こうよ」
と言って、飯田さんも入れて6人で郊外の個室のある焼肉屋さん(当然食べ放題)に行った。一応私と政子は時間差を付けて入退室した。ちなみに財布は私持ちである。なお、愛の母(友見)には焼肉に連れていく旨、私から電話を入れた。
音楽談義などしながら食べていたが、5分単位でおかわりを頼むので、専任で対応してくれたチーフさんが、心なしか顔がこわばっている気もした。愛も穂花や政子ほどではないものの、若さのパワーでかなり大量に食べていた。
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【夏の日の想い出・花園の君】(2)