【夏の日の想い出・限界突破】(1)

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大学1年生の秋。私はローズクォーツの「ドサ回り」で、日本中を慌ただしく飛び回っていた。平日の朝から午後2時くらいまでは大学に出ているので、その後新幹線や飛行機に飛び乗ってあちこち出かけたり、また金曜の夕方から日曜の夕方まではずっとどこかに行きっぱなしになっていた。
 
10月1日の相馬市を皮切りに始まったドサ回りは10月は東日本を中心に回り、11月は西日本を回って、12月12日の博多で打ち上げになっている。
 
★★レコードの町添さんはそのような営業手法に疑問を呈したが、私は個人的にこの全国行脚をやっておきたかった。それは1年半前の2009年2月ローズ+リリーの大規模な全国ツアーが予定されていたのに、週刊誌報道を発端とする大騒動で、吹き飛んでしまい、全国のイベンターさん・放送局さんたちに多大な損害を与えてしまったし、また多くのファンをがっかりさせてしまっていたので、そのお詫びをしたかったのである。
 
実際にはどこのイベンターさんも暖かかった。
 
「こういうのはこの業界ではよくあることですから気にしないでください。マリちゃんが元気になったらまた一緒に遊びに来てくださいね」
 
などという反応が多かったし、色々とお土産のお菓子やお酒、ご当地歌手のCDなどの頂き物もしてしまった。私はマリとふたりで書いたサイン色紙をたくさん用意して各地に持って行っていたが、
「わあ、ください、ください」
 
といって、たくさんもらわれていった。ローズクォーツの色紙の倍以上配った感じだったし、FM局などで、ローズ+リリーの色紙をリスナーにプレゼントなどという企画をした所もあった。
 

しかし日中まともに大学の講義を受けたあとで新幹線で各地に出かけ、最終便で戻って来て、翌日はまた朝から大学に出てという生活は極めてハードだった。
 
「ツンツンツン、生きてますか?」と政子につつかれても
「ごめん。死んでる」と答えてひたすら私は寝ていた。
 
「ね、ね、遊ぼうよぉ」
「ごめん。私の身体は好きにしていいから、寝せて」
「じゃ好きにしちゃうんだから」
 
ということで、しばしば私は朝目を覚ますと、ベッドに縛り付けられていたり、チェーンで亀甲縛りにされていたり、ボディペイントを施されていたり、変なものを突っ込まれていたりしていた。
 
「ちょっとぉ、顔に塗られた墨が落ちないんだけど」
「ニューメイクということで」
 
などというやりとりをしていた。
 
「しかし、よく冬も身体がもつね」
「もってない。もう限界超えてる」
「ローズクォーツ、辞めちゃえば? あのユニット冬がいなくても大丈夫のような気がする」
などと政子はわりと大胆なことを言う。
 
「私が辞めたら売れなくなるよ」
「冬がいても売れてないじゃん」
「うむむ、確かに」
 
「でもさあ、今回のドサ回りは私としては1年半前のローズ+リリーのツアーが直前中止になったことへの、お詫びの旅でもあるんだよ」
「まあ、それは冬、代表して謝ってきてね。はい。サイン私の担当部分100枚書いといたから、残りの部分は冬が書いてね」
「ありがとう。講義の間の休み時間に書く」
 

結局10月で私が休めたのは26日のみだったのだが、その日政子は唐突にヴァイオリンを買って練習をすると言い出したので一緒に楽器店に行き、取り敢えずの練習用にといって50万円ほどの中国製ヴァイオリンを買ってきた。
 
すると政子は
「私がヴァイオリンを練習するから、冬はフルートを練習して」
 
と言って、政子が中学の吹奏楽部で吹いていたというフルートを私に渡した。
 
「フルートなんて吹いたことないよお。というか私が横笛吹いても音出ない」
「冬は1週間あればどんな楽器でも演奏できるようになるはず」
「そんな馬鹿な」
 
などといった会話を交わしたのだが、その後の一週間北陸方面のドサ回りをしながらひたすらフルートを吹いていたら、とにかくあまり難しくない音域では何とか音が出るようになった!
 
それで何とかふたりで『主よ人の望みの喜びよ』を合わせてみる。
 
「できた!できた!」
「マーサ、この一週間で随分弾けるようになったね」
「冬もちゃんとフルート吹けるようになったじゃん」
「昨日やっと音が出るようになったんだよ」
「やはり冬はどんな楽器でも1週間で覚えるんだな」
 
「たまたまうまく行っただけだって。それにまだ出る音の範囲が狭い」
「まあ、それは頑張って練習すればいいね。じゃ次は8日に『歌の翼』」
「来週は無理。ローズクォーツのレコーディングに加えてELFILIESの録音にも立ち会わないといけない」
「次空くのはいつ?」
「16日かな」
「じゃ16日までに」
「OKOK」
 

ということで、私はドサ回りとレコーディングで慌ただしい時間を送りながら、休憩時間にひたすらフルートを吹いていた。
 
政子からもらったフルートは「リングキー」なのでポルタメントなどの演奏が可能な反面、正確な音程を出すには穴をしっかり押さえる必要がある。しかしオフセットといって、薬指の位置をずらして押さえやすくなっているため、初心者の私にも何とか吹くことが出来た。
 
ローズクォーツの音源制作(『バーチャル・クリスマス』)が終わり、オフとなった16日(火)。あまりに疲れていたので大学をサボって朝からベッドで寝ていたら、ついでに自分もサボった政子が「ちょっとちょっと」
 
と言って私を起こす。
 
「何? 私凄く疲れてるからもう少し寝せて」
「フルートとヴァイオリンを合わせる約束だよ」
「そうだったね。でもあと30分寝せて」
「10分で起きなかったら、怪しい薬を注射しちゃうぞ」
「怪しい薬って何さ?」
 
「そうだなあ。何にしようかな。目薬がいいか、うがい薬がいいか」
「ちょっと、ちょっと、そんなの注射されたら死んじゃう」
「じゃ起きて」
 
「じゃ10分後に起きる」
「よし」
 

ということで、10分後に起き出す。フルートをバッグから出して政子のヴァイオリンと合わせる。『歌の翼』を演奏する。
 
「うん、合ったね。二週間前からかなり進化した」
「冬はもう1年くらい演奏してる人みたいになってる」
「マーサも凄くうまくなったね。子供の頃にやってた時の感覚をかなり取り戻したんじゃない?」
 
「うん・・・・」
「どうしたの?」
 
「なんかさ。自分で弾けてる感じと実際の音の出方に距離があるんだよ」
「ふーん」
 
「ほら9月にさ、アルバムの制作やって、ヴァイオリンを松村さんに弾いてもらったじゃん」
「うん。あの人はうまいよね」
「冬、何だか親しそうに話してたけど、知り合い?」
「ああ、高校時代に一緒に演奏したことあるんだよ。私はピアノ弾いて、松村さんはヴァイオリン弾いて」
 
「へー! あ、それでさ。松村さんが弾いてた雰囲気ではこんな感じで弾けばこんな感じの音が出る、ってイメージがあるのに、私が弾いてもそうは音が出ないんだよね」
 
「そりゃ松村さんはヴァイオリンのプロだもん。音楽大学のヴァイオリン科を出てるから、無茶苦茶鍛えられてるからね」
「やはり、それって私の腕の問題かなあ」
 
「まあ楽器のせいもあるかも知れないけどね。松村さんのヴァイオリンは多分本体だけで800万円くらいする。弓を入れたら1000万円越える。これ弓とケースと弦と調子笛を入れても58万円だもん」
「うむむ。17.2倍もするのか」
 
いきなり少数点付きで数字が出るのが政子らしいと思った。
 

「これちょっと弾いてみる?」
 
と言って私は部屋の奥からヴァイオリンケースを出してくる。
 
「あれ?冬ってヴァイオリン持ってたんだっけ」
「まあね」
と言いながらケースを開けて中を取り出すと政子がしかめっ面をする。
 
「何?これ?」
「サイレント・ヴァイオリン」
「これ、ヴァイオリンなの〜?」
「ギターにアコスティックギターとエレキギターがあるようなものだよ。これはいわばエレキ・ヴァイオリンだね」
 
と言って私はヴァイオリンを居間のアンプにつなぎ、音を出しながら調弦する。
 
「なんか変な感じだ」
「まあ、変だけど、ちょっと弾いてごらんよ」
「うん」
と言って弾き出す。
 
「あ、これ結構いい感じ」
「さっきより随分いいね」
「なんかこれ形は違和感あるけど、いい音出るね。これで弾くと、自分が持ってるイメージと実際に出る音の差が割と小さい」
 
「わずか3週間で、マーサってそちらのヴァイオリンの楽器能力限界を突破しちゃったのかもね」
 
「これ気に入った。このヴァイオリンちょうだい」
「まあ、いいよ。量産品だから私はまた同じの買ってもいいし」
 
「でもこの子弾いて分かった。普通のヴァイオリンでも、もっといいのを買うと、きっと私もっと弾けるよね」
「そんな感じするね。このサイレント・ヴァイオリンは結構良いヴァイオリン並みの音が出るから」
 
「よし、そしたら普通のヴァイオリンの良いのも買いに行こうよ」
「まあそうだね。その子はその子としてやはりアコスティック・ヴァイオリンの感覚はちゃんとつかんでおく必要あるし」
 
「50万のヴァイオリンを突破してしまったとしたら、次は500万?」
「いきなり10倍になるのか!」
「500万くらいなら冬、出せるよね?」
「うん、まあ出してもいいよ」
「だって50万のヴァイオリンを3週間で限界突破したら100万くらいではまた3週間で限界突破しちゃうよ。500万なら450万円分、27週、約半年もつんじゃないかな」
 
「マーサそんな計算してたら3年後には2500万くらいのヴァイオリンを買うことになる」
「う、それはさすがに辛いな」
 
「それに500万のヴァイオリンだと入手するのに時間がかかりそうだよ。マーサ、割とすぐ欲しいでしょ?」
「今日欲しい」
「数百万クラスのヴァイオリンはたぶん納期が1〜2ヶ月掛かる」
「それ我慢できない」
 
このあたりは、ワガママと言えばワガママなのだが、2ヶ月経ってしまうと多分もう政子は冷めてしまって練習しないだろう。でも私は今政子にヴァイオリンを覚えさせるのは色々な意味で好都合だと思っていた。音感を付けさせる意味でも、そして音楽への情熱を高めるためにも。
 
「ヤマハのArtidaとか買ってみる?」
「何それ?」
「世界のヤマハだからね。量産品だから価格は95万円くらいだけど、どうかしたハンドメイドを軽く越える品質があるよ。多分マーサでも限界突破に数ヶ月かかると思うから、それを弾いてる間に良さそうなヴァイオリン探せばいい」
 
「あ、七星さんが、良いコンデジは下手な一眼より上質とか言ってたね」
「そそ。Artidaはまさに良いコンデジという雰囲気。国産品で量産品だからどこかにきっと在庫があるよ」
「じゃ、冬、在庫のある所を調べて」
「はいはい」
 
私は笑って置いてそうな所数件に電話してみた。すると幸いにも3件目で在庫があるというところが見つかった。
 
「YVN200S, YVN200G どちらもあるって。とりあえず確保しておいてくれるらしいから、行ってみよう」
「わあい! でそのSとGの違いは?」
 
「Sはストラディバリウス・モデル、Gはガルネリ・モデル」
「あ、その手のには怪しいのが多いと七星さんが」
「それは事実だけどヤマハのは大丈夫だよ」
「なら行って弾いてみよう」
「うん」
 

そういう訳で私たちは在庫を確保しておいてくれた楽器屋さんに行ってみた。
 
政子が試奏してみる。両方のヴァイオリンで『G線上のアリア』を弾く。
「Sの方が好みかな」
 
「うん。マーサ、ストラディ・タイプの方が良く音が出てる。そちらの方が相性いいみたいね」
 
「じゃ、これ1個くださーい」
と政子が言うので、店長さんが戸惑っている雰囲気。90万の商品をこんなに簡単に決めるとは思っていなかったのだろう。私たちはユニクロのトレーナーにジーンズで、全然お金がありそうに見えないし!
 
「あ、えっと2年ローンくらいに致しましょうか?」
「現金で払います。今すぐ振り込みますので、口座番号教えて頂けますか?」
と私は答える。
 
「はい!」
 
私たちはヴァイオリン本体(95万)と弓(15万)、ケース、それに弦はナイロン製のを予備まで含めて2セット買うことにした。結局ケースはおまけしてくれた。金額を確認してその場で携帯から振り込む。店長さんが着金を確認して商品を渡してくれた。更に電子チューナーまでおまけに付けてくれた。
 
「これがあれば私がいない時でも音を合わせやすいよね」
「うん多分。調子笛ではなんかうまく合わせきれないから、いつもピアノの音で合わせてたよ」
「ああ、そう言う人は結構いる」
 

買って帰ってから早速私が弦を張って調弦し、政子に渡す。
 
弾き出す。
 
58万円のヴァイオリンよりはぐっと良い音が出るし、さきほどのサイレントヴァイオリンよりも良い音が出る感じだ。
 
「すごく良い感じだね」
「うん、私この子凄く気に入った」
 
「私のフルートと合わせてみる?」
「うん、合わせよう、合わせよう」
 
ふたりで『歌の翼』を演奏する。58万円のヴァイオリンと合わせた時とは全く雰囲気が違う。
 
「きれいにできたね」
「うん。ヴァイオリンを変えただけでこんなに変わるとは」
 
「じゃ来週までに今度は『パッヘルベルのカノン』練習しようよ」
「いいよ、ってか次は24日ね」
「じゃ、それで」
「マーサ頑張ってね」
「冬もフルート、もう少し広い音域まで出るように頑張ってね」
 

11月20-23日は奄美・沖縄・宮古と遠征し、24日はいったん東京に戻って政子と一緒にスリファーズのデビューイベントに出席する。
 
そのイベントの後、スリファーズは甲斐さんと一緒に関東周辺でのキャンペーンに行ったが、私と政子は津田社長に誘われて食べ放題の焼肉屋さんに行った。
 
「わあい、食べ放題って大好き」
と言って政子は楽しそうに食べている。
 
「いや、マリちゃんを食べ放題じゃない所に連れて行くと財布が限界突破するから」
と津田さん。
「すみませーん」
と私が謝る。私たちが高2の時、日光に設営のバイトで行った後、津田さんがスタッフ一同を連れてステーキハウスに行ったら、マリがひとりで男子5人分くらい食べて津田さんが伝票とマリの前にある皿の山を見て絶句してた、などということがあった。
 
「でも今日のお客さん、凄く反応が良かったですね」
「うん。スリファーズは売れるという予感がするよ。インディーズでは全然実績がないけど、あの子たちはあまり地道に売るタイプじゃないと思うんだよね。ある程度宣伝費を掛けて売り出した方がどーんと行く気がしてる」
 
「記者さんたちの反応が良かったから、きっとたくさん書いてもらえますよ」
「CDも取り敢えず持ち込んだ分を含めてCDショップにあった分が売り切れちゃったしね」
「PVの再生回数がさっきから見る度にぐいぐい上がってますよ」
 
「ね、ね、ケイ、さっき小学校以降で男湯に入ったことないって言ってたけど」
「あっと、それはまたその内お話しようね」
 

「ところでスリファーズにマリ&ケイの名前で曲を提供してもらったし、kazu-manaの方も、鈴蘭杏梨の名義をマリ&ケイに戻す?」
「そうですね。そちらはそのままでいいかと。鈴蘭杏梨というブランド名ということで」
「そうだね。それもいいね」
 
と津田さんは頷いていた。
 
「君たち本体の活動はどうなの?」
「秋にアルバムの制作をしたんですけどね。須藤さんは今月くらいに予定していたローズクォーツのアルバムと同時発売したかったみたいで、リリースが延期されています」
「ローズクォーツのアルバムはまだできないの?」
「そうなんですよ。色々スケジュールが割り込んできて」
 
「ってかさ、ここだけの話、須藤君ってスケジュール組むの下手だよね?」
と津田さん。
 
「あ、それは感じてました。なんか時間が空いてたら全体的な戦略とか優先度とか考えずに何でも放り込んでしまうから。それで結果的にローズクォーツのアルバム制作もずれ込んでる気がします。ローズ+リリーが高2の時、恐ろしいスケジュールになってしまったのも、あの須藤さんの性格という気がするし。今回は、津田さんや町添さんのアドバイスで、UTPとは委託契約にしたおかげで、私は自由に行動できるんですけどね。ただローズクォーツがハードスケジュールで動いてるから、結局、私も付き合ってますが」
 
「拒否権はあるんでしょ?」
「ありますけど、今はもう少し付き合ってもいいかな、と」
「限界突破しないようにね」
「はい」
 

「急ぎではないんだけど、君たちにもう少し負荷掛けても大丈夫?」
「ソングライトですか?」
 
「そそ。今うちの事務所に出入りしている中学生で、歌のうまい子がいてね。中3で高校受験を目の前に控えているんで、高校に入った後、春から売り出したいと思っているのだけど、鈴蘭杏梨でも、マリ&ケイでもいいんだけど、曲を提供してもらえないかなと思って」
 
「じゃ、今度その子の歌っている所を生で見せてください」
「うん。槇原愛っていう子なんだけどね。一応これプロフと写真と歌の録音」
といって資料とUSBメモリを渡される。
 
私はその場でUSBメモリをパソコンにコピーし再生してみた。
 
「わりとうまいですね」
「うん。中学生にしては歌唱力あるよね。ケイちゃん次はいつ時間取れる?」
 
私は手帳を確認した。
「6日と8日が空いてます。いづれも午後6時過ぎなら」
「中学生だからどっちみち平日は夕方以降になるね。じゃ6日夕方に本人をうちに来させるから、見に来てもらえないかな?」
「いいですよ」
 
政子はプロフィールを見ている。
「へー。△△ミュージックスクールに通ってるんですか」
「うん。というか、うちから紹介して通わせているというか」
「ああ、なるほど。3歳の時からピアノとヴァイオリンに、・・・三味線!?」
「ああ、お母さんが民謡の先生なもので」
「へー」
 
「写真は無いんですか?」
「あれ? 入ってない?」
「えーっと・・・」
 
といって探すが見当たらない。
 
「あれ? ごめん。入れ忘れたかな」
「あ、構いませんよ。近い内に会うんなら全然問題無いです」
 

津田さんと別れてから私たちはマンションに戻り、少し愛し合ってから、フルートとヴァイオリンを合わせた。
 
「マーサ、一週単位でどんどんうまくなってる」
「冬もフルート、かなりよく音が出るようになってきたね」
「うん。自分でも最初の頃出てた音とは全然違うなと感じてるよ」
 
「冬、明日は?」
「ふつうに大学に行く。ちょっと行かないとやばい」
「ああ、あまり休みすぎると留年という事態も」
「そちらの限界を突破しないように勉強しなくちゃ」
 

私はその後、25日夕から12月6日朝に掛けて九州・中国・北陸と駆け回った。6日朝は北陸から夜行バスでの帰着だったので、さすがに身体が悲鳴をあげていた。それでも頑張って大学に行き講義を受け、夕方△△社に行く。
 
「おはようございまーす」
と言って政子とふたりで玄関を入ると、そこにセーラー服を着た少女がいた。
 
「あれ?三千花ちゃん?」
「あれ?冬・・・子さん!」
 
「知り合い?」と政子が訊く。
「うん。従姉の子供。従姪(いとこめい)ってのかな」
 
そこにいたのは、従姉の友見(聖見の姉)の娘の三千花であった。友見一家は埼玉県に住んでいる。
 
「あ、こちらからは冬子さんは従叔母(いとこおば)になるのかな」
「なんか難しいな。でもまあ冬は《いとこおじ》じゃなくて《いとこおば》ということで良かったね」
 
「ところで三千花ちゃん、こんな所に何の用?」
「実は私今歌のレッスン受けてて、春くらいにデビューなんて話もあって」
「すごーい! いつの間に」
「もっとも今高校受験で大変だから、それが終わるまでは何もできないですけど」
「へー」
 
「冬子さんはここの事務所と何か関わってるんですか?」
「うん。私とマリは以前ここの事務所に所属してたんだよ」
「へー!知らなかった」
 
「三千花ちゃん、ソロでデビューするの?」
「はい。その予定です。今日は何だか、偉い作曲家の先生に引き合わせるからと言われて。怖い先生だったらどうしよう?なんてちょっと不安」
 
私と政子は顔を見合わせた。
 
「ね、三千花ちゃん、その先生の名前は?」
「鈴蘭杏梨先生っていうらしいんです。この事務所の kazu-mana とかいうデュオに曲を提供しておられる先生らしいです。その先生の作品CDで聴いてみたけど何だか軟弱で甘ったるい感じで私の好みじゃないなあ」
 
私と政子は再度顔を見合わせた。
 
「ね、槇原愛って名前知らない?」
「あれ?冬子さん、どうして私の芸名知ってるんですか? 先月頂いたんですが、恥ずかしいからまだお母ちゃんにも言ってなかったのに」
 
「あ、えっと私とマリがその鈴蘭杏梨なんだけどね」
「えー!?」
 
などと言っていた時、事務所の奥から津田さんが出てきた。
 
「あ、ごめん、ごめん、待たせた?」
などとは言ったものの、私たちの異様な雰囲気に気付く。
 
「君たち、どうかしたの?」
 

「それはまた凄い偶然だね〜。ケイちゃんと愛ちゃんが親戚だったとは」
と言って応接室で、津田さんは笑っていた。
 
「じゃ鈴蘭杏梨って、マリ&ケイの別名だったんですか?」と三千花。「けっこう世間では知られてるかと思ったんだけどね」と私。
「まあでもそのことは一応非公開だからね、建前的には」と津田さん。
 
「ごめんなさい。私、変なこと言ってしまって」
「無問題。マリが燃えてるから、多分kazu-manaとは全然別傾向の曲を渡せると思う」
と私は笑って言う。政子も全然気にしている様子は無い。
 
「愛ちゃん、何か変なこと言ったの?」と津田さんが訊く。
「いや、ほんとにごめんなさいです」
と三千花は恐縮して縮こまっていた。
 
「ただですね、津田社長」
「うん」
「この子、性格的にロック系が好きでしょ? Red Hot Chili Peppers とかArctic Monkeys とか、聴いてるみたいだし。フォーク系のkazu-manaとはアレンジャーを変えた方がいいと思うんです」
三千花本人も頷いている。
 
「ああ、なるほど」
「ロック系の得意なアレンジャーさんにお願いしてもらえるよう下川先生には言ってもらえませんか」
「了解」
 
「じゃ、春までに曲は用意しておくから、受験勉強頑張ってね」
「はい!」
 

私はこの後、7日は夕方から休めたものの、8日は富士宮ノエルの新曲発表会に顔を出し、9日は名古屋、10日は静岡まで新幹線往復でローズクォーツのドサ回りに付き合い、11日は政子と2人でロシアフェアに行ったが、この時花村唯香のライブステージで、私とマリが伴奏を務めることになった。
 
政子はロシア大使館が所有している1400万円クラスのヴァイオリンを借りたのだが、政子は調弦できないとか、譜面が読めないなどと発言して大使館の人を不安がらせたものの、美事にその銘器を弾きこなして、美しい音色を添え、大使館の人をホッとさせていた。
 
「政子、しっかり弾きこなしてたね」
「うん。凄くいい感じで音が出るなと思って弾いてた。でもね」
「うん」
「感覚が遠い気がした」
「へー」
「ヴァイオリンがクジラでさ、私はそのお腹の肉をちょっとだけ食べてる感じだったんだよ」
 
「マーサらしい表現だけど、つまりマーサの技術がヴァイオリンの能力に足りないということだろうね。いっぱい練習するといいよ」
「うん。とりあえず、うちのアルちゃんを弾きこなしてからだね」
「アルちゃん?」
「アルティーダだからアルちゃん」
「へー」
「ちなみに10月に買ったヴァイオリンは初めて買った4/4(4分の4)ヴァイオリンで中国娘だから、イーちゃん」
 
「中国語の数なんだ!」
「そそ。イー・アル・サン・ス−。だから次に買うのはサンちゃんかも」
「サイレント・ヴァイオリンは?」
「そちらは別系統だから、ユキちゃん」
「どこからそんな名前が・・・・」
 
「ちなみに冬に渡したフルートはハナちゃんね」
 

翌日、夕方から博多でローズクォーツのドサ回りの最後のライブが予定されていたが、政子は「博多のラーメンが食べたいから付いてく」と言った。
「あ、旅先でもヴァイオリン練習したいからユキちゃん(サイレント・ヴァイオリン)連れて行こうかな」
などと言うので
 
「あ、いいんじゃない」
と答えた。
 
「だったらさ、旅支度して付いてきて」
「もう今から出るの?」
「寄る所があるんだよ」
 
それで私は政子を都内のホールに連れて行った。
 
「蘭若アスカ、ヴァイオリン・リサイタル?」
「まだ♪♪大学に在学中なんだけど、既に国内外のヴァイオリンコンクールで10回くらい優勝している、若手注目株だよ」
「へー」
 
「あれ?でもリサイタルは午後からだよ」
「これからリハーサルがあるから」
と言って、政子を楽屋口の方に案内する。
 
「お友だち?」
「私の従姉」
「えー? 冬の従姉にそんな人がいたんだ!」
 
楽屋口から中に入っていくと、ちょうどアスカとお母さんが何か話している所に出くわす。
 
「おーい、遅ーい」
とアスカから言われる。
 
「ごめん、ごめん。あ、これ私の相棒のマリこと中田政子」
「よろしく〜」とアスカ。
「ということで、こちら私の従姉の蘭若アスカ」
「初めまして、よろしくお願いします」と政子。
 
「じゃ早速リハーサル始めるよ」
「OK。マーサは観客席で見てて。勉強になるよ」
「ん? 冬は何するの?」
「今日のリサイタルのピアノ伴奏」
「へー!」
「去年もしたんだよ」
「えーー!? いつの間に」
 
「この子が中学生の頃まではだいたい私がいつも伴奏してたんですけどね〜。私のピアノの腕ではもう間に合わなくなってしまって、この子が高校生の頃からは、かなり冬ちゃんに練習の伴奏もお願いしてたんですよね」
とアスカの母が言う。
「へー、そんなに冬ってピアノがうまかったのか」
 
「マーサ、特にヴァイオリンには興味無いかなと思って去年は誘わなかった。あそうそう、アスカさん。政子は10月からヴァイオリンの練習始めたんですよ」
 
「へー。ヴァイオリンケース持ってるね? どんなの弾いてるの?」
というので政子がサイレント・ヴァイオリンを見せると
「なるほど、こいつか!」
と笑っていた。
 

そういう訳で政子を客席に座らせて、私とアスカはリハーサルを始めた。
 
今日のライブはクライスラーの作品を中心に演奏する。
 
おなじみの『愛の喜び』『愛の悲しみ』『美しきロスマリン』をはじめ、『ウィーン奇想曲』『中国の太鼓』『踊る人形』『ロンドンデリーの歌』
『おもちゃの兵士の行進曲』『アンダンテカンタービレ』『悪魔のトリル』
などなどクライスラー作曲あるいは編曲の曲を16曲演奏する。今日は一般向けのコンサートなので、親しみやすい曲を中心に選曲している。
 
政子が食い入るようなまなざしでステージを見ているのを感じつつ、私はアスカのヴァイオリンの伴奏をしていた。
 
曲間で拍手もせずにじっと見ていた政子が最後の曲を演奏し終わり、私とアスカが握手をしたところで、凄い拍手をして立ってステージに寄ってきた。
 
「アスカさん、凄いです! 感激しました」
「うん。強烈な視線で見られてるなと思って演奏してた」
 
「たぶん今の演奏聴いただけで、マーサのヴァイオリンが進化したよ」
「そんな気がする。ああ、何か今自分で少し弾きたい気分」
 
などと言っていたら、アスカのお母さんが
「ちょっと弾いてご覧よ」
と言うので、政子はケースからサイレント・ヴァイオリンを取りだす。私が持参の小型スピーカーに接続して、調弦した上で政子に渡した。
 
政子は『パッヘルベルのカノン』を演奏した。私と合わせるためにかなり練習した曲ではあるが、私と合わせた時からは格段に進歩していると思った。
 

「ふーん。始めて2ヶ月の演奏には見えない」
 
「政子は子供の頃ヴァイオリンを習ってたんですよ。短期間で辞めたらしいですが。当時の1/4(4分の1)ヴァイオリンが残ってます」
「なるほど。それにしても10年ぶりくらい?で2ヶ月でここまで戻すのは凄いよ」
 
「政子は昨日聴いた時より明らかに進歩してます。さっきのアスカさんの演奏を聴いたからですよ」
「なるほど。じゃ本番を聴いたらまた進化するね」
「だと思います」
 
「でもライブってものを見ると私ワクワクするなあ。私も何かしたい気分」
「政子がもっと弾けるようになったら、幕間で弾いてもらってもいいけどね。さすがにまだ無理だね」
 
「政子ちゃん、そんなにステージに立ちたかったら、今日の司会でもする?」
「え?いいんですか?」
「いいよね、お母ちゃん?」
「ええ。じゃ私が司会用に持って来たドレス貸してあげるよ」
 

そういう訳で、その日のリサイタルの司会を政子がやることになった。
 
取り敢えず昼食を食べに4人で近くのファミレスに行く。私は最初に宣言した。
「今日のお昼は私のおごりね」
 
「あら、それは悪いわよ。私が出すわ」
とアスカのお母さんが言うが
「いえ。私が出した方がいいというのは40-50分後には分かります」
と私は言った。
 
お昼は4人で楽しく音楽関係の話題で盛り上がった。元々政子は自分の歌唱力の割に耳が良いので、やはりポップスでも音程の正しい歌手・ユニットに関心が向いていて、結果的にはアスカの好みと重なる部分があり、けっこうふたりは意気投合している感じであった。
 
「ね、ね、もしかしてアスカさん、色々冬の秘密を知ってません?」
「うーん。。。。何が秘密なのだろう。よく分からないなあ。でも冬って、何だか公然の秘密の多い子だよ」
「やはり・・・・」
 
「まあ、そういう昔のことは本人に直接訊けばよい。同棲してるんでしょ?いくらでも聞き出す時間はありそう」
とアスカも言う。
 
「それが、なかなか自白しないんですよね〜」と政子。
「大丈夫。冬が言ってることはだいたい全部嘘だから、逆を考えれば良い」
 
「なるほど!」
私は何も答えずに笑っていた。
 
「アスカさんの見解として冬が女の子の身体になったのっていつと思います?」
「うーんとね。今の所有力な説はお母さんのお腹の中、12週目頃に性器が分化した直後だね」
「そうだったのか」
「そんなのどうやって性転換するの?」
「レーザービームで睾丸を破壊すれば、胎内で男性化が起きないから女の子の外見で生まれてくる。人間の身体は本来女性型だから」
「無茶な」
 
政子はおしゃべりしながらも5分単位でテーブルの上のボタンを押してウェイトレスを呼ぶとオーダーを入れていた。ウェイトレスは空になった皿を下げていくので、そのことにアスカの母は気付かなかったようである。
 
やがて、そろそろ出ましょうかという時になって私とアスカの母の間で伝票の取り合いが起きたが、いったん伝票を握ったアスカの母が「ん?」という表情をする。
「この枚数は・・・・」
「政子がたくさん追加オーダーをしたので」
と言って私は笑う。
 
そして最後の伝票に書かれた金額に目を丸くしている。
 
「ということで、ここは私が出しますので」
と言って伝票をアスカ母の手の中からさっと取った。
 

客の入りは1200人のホールに8割くらいという感じであった。超有名クラスでもなければ、このくらいは普通である。
 
やがて客電が落ち、幕が上がる。拍手が来る。アスカがヴァイオリンを持って立っている。スタインウェイ・コンサートグランドの前に座る私と頷き合って演奏を始める。『美しきロスマリン』である。実はこの曲だけ使用楽器が異なる。今アスカは私のヴァイオリンを弾いている。なぜかというと、アスカがこのヴァイオリンに付けた名前が《ロスマリン》だからである!
 
ちなみにアスカがロスマリンの次にメインに使っていたヴァイオリンの名前は『アンジェラ』、そして1年前からメインに使用し始めたのが『ルツィアーナ』
である。
 
演奏が終わり大きな拍手が来る。
 
司会者用のドレスに身を包んだ政子が舞台の左端に姿を現し挨拶する。
 
「みなさま、こんにちは。本日は蘭若アスカのリサイタルにお越し頂き、ありがとうございます。短い時間ですが、最後までお楽しみ下さい」
 
「ただいま演奏しました曲はクライスラー作曲『美しきロスマリン, Schoen Rosmarin』です。とても可愛い曲ですね。本日はクライスラー作曲の曲、クライスラー編曲の曲を中心に演奏していきます」
 
「クライスラーはオーストリア・ウィーン生まれの世界的なヴァイオリニストですが、最初ウィーン・フィルの入団試験を受けた時は何と落とされてるんですね。こんな凄い人でも挫折の日々があったのかと思うと親しみを感じてしまいます。それでは次は同じクライスラーの作品で『愛の喜び,Liebesfreud』です」
 
私と政子はいつも歌の練習に加えて、きちんと口を開けて明瞭にことばを発音する練習も日々やっている。それで政子の言葉は専門のアナウンサーのようにきれいにホールに響いた。たぶん政子の素性を知らない人の中には職業アナウンサーかなと思った人もいたろうなと私は思った。
 
ただ、場内で隣同士でささやくような姿があったので、結構正体がバレている感じはした。むろん、クラシックのリサイタルなので観客もわきまえており、ここで「マリちゃーん」などといった声が掛かったりはしない。
 
政子が解説をしている間にアスカのお母さんが出てきてヴァイオリンを交換していた。2曲目『愛の喜び』の演奏がスタートする。
 

演奏はその後『愛の悲しみ』『ウィーン奇想曲』と続いていく。8曲演奏した所で一時休憩となり、観客がトイレに行く。私たちも控室で休憩する。政子はおやつを食べている。
 
「政子ちゃんよく食べるのにスリムねぇ」
とアスカの母が感心している。
 
「外は細くても中身が詰まっているということは?」とアスカ。
「42kgです」と政子は答える。
「私より体重軽いんですよ。私が45kgだから」と私。
「冬ちゃんだって相当細いのに、更に細いなんて凄い」
 
「政子は詩人なので、詩を書いていると痩せるんです。囲碁や将棋の棋士がタイトル戦とかやると、盤の前に座っているだけなのに体重が2〜3kg落ちるというでしょう。あれと同じですよ」
「なるほど〜。どんな詩を書くの?」
 
というので、私は着想が得られたら曲を付けようと思ってバッグに入れていた政子の詩を数点見せる。
 
「政子ちゃん・・・・」とアスカのお母さん。
「はい?」
「あなた、天才詩人だ!」
 
「はい、みんなから言われます」
「あ、そういう反応の仕方、私大好き」とアスカが微笑んでいる。
 
「まあ、アスカさんも私も政子も一流同士だよね」
と私は言った。
「うん。一流同士仲良くしよう」
と言ってアスカは政子に握手を求めた。
 
「詩は手書きなんだね」
「政子は紙にしか詩を書きません。そして書きだしたらノンストップです。逆に停まってしまうともう続きが書けません」
「ほんとに天才の書き方だ。モーツァルト型なんだね。冬もだけど」
「ええ。モーツァルト型同士で相性がいいみたいです」
 

後半は『スペイン舞曲』(ファリャ作曲・クライスラー編)から始まり、『スラブ舞曲』(ドボルザーク作曲・クライスラー編)の1番,3番などと少し本格的な曲を弾いた上で『ロンドンデリーの歌』『悪魔のトリル』
『踊る人形』などまたおなじみの曲に戻ってくる。
 
そして最後『アンダンテ・カンタービレ』(チャイコフスキー作曲・
クライスラー編)を弾いたところで幕が降りる。
 
大きな拍手。それが時間を掛けてアンコールの拍手に変わる。
 
幕があがり、アスカと私が出て行く。私はピアノの前に座る。アスカが自分でアンコールの御礼を言う。
 
「それではクライスラーの作品ではありませんが『タイスの瞑想曲』」
 
と言って演奏を始める。美しいメロディーに聴衆が聴き惚れている。
 
音が消え入るように小さくなっていき、完全にその響きが消えてから数秒置いて大きな拍手。アスカが聴衆に向かってお辞儀をする。私に出てくるよう言って一緒にお辞儀をする。そして幕は下がらないままふたりで舞台袖に下がる。
 
拍手が再度アンコールの拍手に変わる。
 
私たちは再び出て行く。アスカが再度アンコールの御礼を述べる。
 
「それではツィゴイネルワイゼン」
 
とアスカが言うと、観客から「わぁ」という声とともに大きな拍手がある。私とアスカで頷き合って演奏を始める。
 
激しい曲だ。体力も使う。演奏会の最後の最後にこれを弾くというのは半分気合いで弾くようなものである。ただ、こういう曲をラストに演奏するというのは物凄い高揚感がある。私も残っている体力を全部使い切るような気持ちでピアノを弾いていた。
 
終曲。拍手。アスカがお辞儀をして拍手と歓声に応える。アスカがヴァイオリンを教えている中学生が花束を持って来て贈呈する。その花束を掲げて再度お辞儀をして幕が降りる。そして政子が
 
「本日の演奏はこれをもちまして終了致します。最後までご静聴いただき、誠にありがとうございました」
 
と締めのアナウンスをした。
 

私と政子は演奏終了後、アスカたちへの挨拶もそこそこに、手早くドレスを脱いで普通の服に着替え、羽田に急行した。福岡空港行きの便に飛び乗る。
 
「でもアスカさん、ほんとにうまいなあ。私感動した」
「小さい頃からお母さんからスパルタ教育受けてたみたいだから。この曲を弾けるようになるまで御飯無し、とか言われて、泣きながら弾いてたらしいよ」
「きゃー、私には絶対耐えられない、それ」
「うん。いろんな意味でマーサには無理だね」
 
「冬、いつもアスカさんの伴奏してるの?」
「ライブでは去年が初めて。今年が2度目」
「へー。コンクールとかでも伴奏するの?」
「それは無理。コンクールの伴奏は自分でもピアノコンクールに出られるクラスのピアニストでないと出来ない。ここ3年くらいはピアノ科の先輩で今大学院に在学中の恭子さんという人に頼んでいる。この人も今まで何度もピアノのコンテストで優勝している若手有望株だよ」
 
「へー。その人にライブでは頼まないんだ?」
「いくつかの理由がある。ひとつはそもそもこの年末のライブは私とアスカさんのふたりで立案したものだということ、ひとつは恭子さんは多忙だということ、そして割と現実的な話として恭子さんに頼むと伴奏料が高額になって収支が辛いこと」
「なるほど!」
 
「それと最後にここだけの話。ピアニストが私の方が、集客力が出るんだよ」
「ああ」
 
「公演のパンフレットに小さく Pf.唐本冬子 と書かれているだけで絶対200枚は多く売れてる」
「そういう営業してたのか」
 
と言ってから政子は初めて私の足下にあるヴァイオリンケースを入れた布袋に気付いて言った。
 
「あれ?そのヴァイオリンは」と政子が訊く。
「今日のプログラムで最初に演奏した『美しきロスマリン』は私のヴァイオリンで弾いたんだよ。それを引き取ってきた」
 
「手荷物に預けなかったの?」
「そんな恐ろしいことできません。マーサだってそのヴァイオリン足下に置いてるし」
「預けるの面倒と思っただけ」
 
「なるほど。私はこの子を持ち歩く時は、いつもこうやってセキュリティケーブル付けて自分のスカートのベルト穴とかに留めてるよ。今度セキュリティケーブル、マーサの分も買ってあげるよ」
 
「うん、おねがい。たしかにヴァイオリン高いもんね。でも冬、ふつうのヴァイオリンも持ってたんだ?」
 
「アスカさんが小学生の頃に弾いてたヴァイオリンなんだよ。アスカさんって楽器に名前付ける癖があってさ。この子の名前が『ロスマリン』なんで、あの曲だけこの子で弾いたんだ」
 
「へー!」
「マーサが自分のヴァイオリンにイーちゃん、アルちゃん、ユキちゃんと付けたのと似たようなものかな」
「ふーん。その後の曲を弾いたヴァイオリンは?」
「あれは元々『Luciana(ルツィアーナ)』という名前が付いているんだけど、アスカは勝手に『ひかりちゃん』という名前を付けて呼んでる。
 
「Lucianaって、元々光という意味だろうから、間違ってない気がする」
「そそ」
 
「でも私今凄く興奮してる」
「せっかくヴァイオリン持って来たんだし、今日のステージでマーサ弾いてみる?」
「私も出ていいんだっけ?」
「ノープロブレム」
 
政子がやる気を出して来たので、私は福岡空港に到着してすぐローズクォーツのタカにメールして、マリが今日のローズクォーツのステージでヴァイオリンを弾きたいと言っているがよいか?と尋ねた。タカから速攻で「大歓迎。マリちゃん大好き★」という返事が返ってきた。
 
「タカって私たちの水戸ライブを偶然見て、その場でCDも買ったというローズ+リリーの一番古いファンでもあるからね。特にマリ派だし」
「ふふふ」
 

政子は観客から見えるところでは恥ずかしいなどと言ったので、舞台の左端、カーテンの影になる所に立ってサイレント・ヴァイオリンを演奏することになった。それでこの公演にマリが参加していたことは、角度の関係でその姿を見ることができた、最前列右端付近に座った数人の客だけであった。多くの客はヴァイオリンの音は音源で流しているのだろうと思っていたようであった。
 
博多公演は電力会社系の小ホールを使い、『川の流れのように』『萌える想い』
『あの街角で』『ヴァーチャル・クリスマス』『渡せないプレゼント』
『恋人がサンタクロース』『黒田節』と演奏していき最後は『博多どんたくの唄(ぼんちかわいや)』を唄った。
 
そして観客がホールから出てきた所で、私とタカのふたりで『博多祝い唄』を唄う。
 
「祝いめーでーたーーーの、若松ーさまーよ、若松ーさまーよ、枝も栄えりゃ、葉も茂る、エーイッショーエ、エーイッショーエ、ショーエー、ショーエー、ショーンガネ。アレワイサソ、エッサーソエーーーー、ショーンガネー」
 
するとロビーにいた観客もみな一緒に唱和してくれて最後は大きな拍手でいっぱいになった。更にタカが
「よ〜〜ぉ、(パチン)」
と、《一本締め》をすると、更に盛り上がった。
 
「なに、なに? この雰囲気?」
と須藤さんが驚いていたが、子供の頃博多に住んでいた政子が
「これ、博多ではお約束です」
と言って微笑んでいた。
 

そしてその夜、私たちはそのまま博多に泊まったが、私と政子は夜中ホテルを抜け出して、ホテルに隣接していたカラオケ屋さんに行き、政子はヴァイオリンを弾きまくった。
 
ちょうどホテルを出る時にタカと遭遇したので、タカも付いてきた。タカがたくさん褒めるので、政子は調子に乗ってたくさん弾いた。更に私のヴァイオリン(高価な楽器なので部屋に置いたりはせず、当然一緒に持って来ている)を貸してというのでそれも弾かせてみた。
 
「この子、凄くいい音するね」
「いいでしょ」
 
「でもこの子、私に反発してる気がする。まあまあとなだめながら弾く感覚。あと高音をうまく出し切れない。これ私には手に余る。マンモスに乗ってるみたいな感じなの。イーちゃんだと猫に乗ってる感じで、アルちゃんだと馬に乗ってる感じなんだけどね。これ高いヴァイオリンじゃ?」
 
「さあ、よく分からないなあ。私はかなり安い値段でその子譲り受けたんだよ」
「へー」
 
「でも、そのヴァイオリンは弾く人を選ぶと言ってたから、マーサとは相性が良くないのかもね」
 
「こないだ楽器屋さんでアルちゃんのガルネリ・タイプの方を弾いた時に近い感覚なんだよ」
「うん、その子、ガルネリ系の作りだから」
「それでか!」
 
「マーサはやはりガルネリ系よりストラディ系が合ってるみたい」
「冬はこの子、どのくらい弾くの?」
 
「もらったことはもらったけど、あまり弾いてないからなあ」
などと言って、私はそのヴァイオリンを使って『ユモレスク』を少し弾いてみせた。
 
「へー、冬って割とヴァイオリンも弾くんだね」
「私が演奏できるのは今の曲くらいだよ」
「なーんだ。でも性格的には合ってると思った」
「うん、私とこの子は相性良いみたい」
 

「でもマリちゃんがこんなにヴァイオリン弾けるなんて初めて知った」
などとタカは言っていた。
 
「マリちゃん、歌は歌わないの?」
 
「はい、ケイ歌って」と政子。
「一緒に歌おうよ」と私。
「そだね」
 
「じゃ俺が伴奏してやるよ」
 
と言ってタカがホテルからアコギ(Martin D-28)を持って来たので、その伴奏で
 
『あの街角で』『遙かな夢』『涙の影』『私にもいつか』『恋座流星群』
『用具室の秘密』『Spell on You』『その時』『甘い蜜』『影たちの夜』
 
とローズ+リリーの歌を歌いまくった。
 
「マリちゃん、ほんとに歌がうまくなったね」
とタカが褒める。
「そうかな。えへへ」
などと政子は少し恥ずかしそうに答えていた。
 

「ローズクォーツの方のこの後の予定は?」と政子が訊く。
「12月後半は全国のライブハウス8ヶ所、1月はライブハウス16箇所、2月は西日本方面のドサ回り」
 
「体力大丈夫?」と政子。
「俺、10月は死んでた。マキとサトは公演が終わった後飲みに行ったりしてたみたいだけど、俺はあそこまで体力無いや」とタカ。
 
「タカさん、男の子にしては身体が細いもん。ウェストいくつですか?」
「あ、俺ウェストは76」
「体重は60kgくらい?」
「うん。だいたいその付近をウロウロしてる感じかな」
「ちょっと女装させてみたいなあ」と政子。
「パス」とタカ。
 
「でも私も10月は特にしんどかったよ。もう新幹線の中でひたすら寝てた」
 
「公演地から公演地に直接移動する俺たちはいいけど、ケイちゃんは毎日新幹線や飛行機で往復してたもんなあ。よく身体が持つと思ってたよ」
「いや、限界超えてた」
 
「このままあと半年こんな仕事の仕方してたら、俺たぶん潰れる」とタカ。
「あのさ考えてたんだけど」
と私は腹案を提示する。
 
「スケジュール作成を松島さんにさせるように持っていかない?須藤さんって根本的にこういうの作るのが下手っぽい。アーティストの負荷も移動に掛かる時間も考えずに、空いてたらそこにポンと日程入れちゃう」
 
「確かに。10時に前橋、11時に新潟ってスケジュール見た時は、移動はF15か?と思った。あれはさすがに変えてもらったけど」
 
「あれは私も仰天した。で、ここだけの話、○○プロの前田課長と先日話してたんだけどね」
「あれ?○○プロって何か関わってるの?」
 
「ローズクォーツの活動資金はね、△△社・○○プロから出てるというか、表に立っているのがその2社で、実は須藤さんも知らない所合計6社からその大元は出ているんだよ。これ絶対他の人には言わないでね」
と私は説明した。
 
「そうだったのか! いやドサ回りはどう考えても大量の赤字を出していると思ったから、よく資金があるなと思ってた」とタカ。
 
「須藤さんが以前○○プロで担当していたアーティストでも、スケジュールがハードすぎるという苦情が度々出ていて、前田さんとかが介入して負荷を減らしていたというんだよね」
 
「なるほどね」
「10月11月から今日までの全国行脚は私もローズ+リリーの全国ツアーが突然中止になって全国のイベンターさんや放送局さんとかに迷惑を掛けたから、そのお詫びの行脚のつもりで参加したんだけど、さすがに今回と同じペースで2月3月もやられたら、私も体力的に限界突破しちゃいそうだから」
 
「よし、それは松島さんを動かそう。あの人そのあたりさりげなく自分の方に仕事を取るのがうまいみたいだから」
「経理も松島さんが帳簿を付けるようになってから、現金過不足が出ないようになったみたい」
「いや日常的に過不足勘定が発生するというのが問題ありすぎ」とタカ。
 
「須藤さんって、マリと同じで感覚人間だから」と私。
「マリちゃんが会社経営したら、3日で潰れそうだ」とタカ。
「えへへ」
 

2月の西日本方面のドサ回りは松島さんがスケジュールを組んでくれたおかげで、だいたい1日1ヶ所、日曜は夕方くらいで上がりというペースにし、更に平日私の行程が鬼畜すぎる場合は私抜きで3人だけでのライブ(歌はタカ)という形にしてくれたので、体力的には秋のドサ回りに比べて随分楽であった。
 
しかしその直後3月11日から始まった大災害には、私たちはただ涙を流すことしかできなかった。私は本当に無力感を感じていた。
 
そんな中、私と政子は震災から2ヶ月たった5月11日から、東北ゲリラライブを始めた。政子のヴァイオリンと私のフルートで、随分あちこちで演奏した。
 

「だけどゲリラライブと言ったら、ギターってイメージもあるよね」
と政子は言った。
 
「んーじゃ、ギター買おうかな」
「冬、ギター持ってるじゃん」
「エレキギターじゃ、電気無いと演奏できないよ」
「あ、そうか!」
 
ということで私はアコスティックギターを買いに行った。もちろん政子も付いてきた。
 
私たちが良く行く楽器店の店長さんも随分私たちとは馴染みになったので、こちらの懐具合も知っているし、最初マーチンとかギブソンとかを勧められた。
 
私がギブソン J-45 を試奏していたら政子が言った。
「それ、冬にはまだ無理だよ。限界突破に5年掛かる。もっと安いギターにした方がいい」
「へー」
 
それで私はヤマハの普及品FGシリーズを出してもらい弾いてみた。
「ああ、その方が冬には合ってる」
「うんうん。私もそんな気がする。さっきのギターは何だか感覚が遠かった。こちらがしっくりする」
「そのギターでたくさん練習して限界突破を目指しなよ」
「そうだねー」
 
そういう訳で、私と政子は7月に実行した第2回目のゲリラライブには、新たに購入したヤマハの普及品のギター FG730S を持って行った。
 

ところで政子が使用しているヤマハのヴァイオリン Artida YVN200S について、私たちはあくまで、次のヴァイオリンを探すまでのつなぎと考えていた。それで私の時間が取れる時にあちこちの弦楽器店を見てまわっていたのだが、政子が気に入るような楽器には出会うことができなかった。
 
その内、6月にヤマハから同じArtidaシリーズで YVN200S の上位楽器YVN500S(本体160万円:これに35万の弓を合わせる)が出たので、結局政子はそちらに乗り換えてしまい、その後、かなり長期にわたって YVN500S が政子の愛用楽器となった。
 

7月に実行した2度目のゲリラライブで、私たちは一曲目は私のフルートと政子のヴァイオリンで『青葉城恋歌』を演奏したのだが、その後は私のギター伴奏でふたりで一緒に『神様お願い』『帰郷』『コンドルが飛んでいく』『再会』
『聖少女』『Long Vacation』などを歌った。その日政子は選り好んで私たちの作品を指定した。そもそも、その日の政子の歌は物凄く気合いが入っていたし、私たちの素性に気付いて「マリちゃーん」などと声を掛けてくれる聴衆に笑顔で手を振り返していた。演奏が終わった後、サインに応じる時も何だか凄い笑顔で握手も力強かった。
 
「何だか今日はとっても良い雰囲気だったね」
と私は帰りの新幹線の中で政子に言った。
 
「私ね」
「うん」
「ちょっと限界突破したかも」
「何の?」
「私の休養期間はもうおしまいにしようかと思って」
「いいんじゃない。結構ゆっくり休んだでしょ?」
 
「うん。私のワガママでずっと休んでてファンの人たちに申し訳無かったなあ。ね。冬も本当の女の子の身体になれたし。ふたりで何か歌ってCD作ろうよ」
 
私は震災直後の4月に性転換手術を受けていた。
 
「いいね」
「ステージ復帰には・・・多分、まだ1年くらい掛かりそうな気がするんだけど、まずは私、ファンの人たちに新譜を聴かせたい」
 
「うん、一緒に作ろうよ」
「冬、いつなら時間取れる?」
「えっとね」
 
と言って私は手帳を確認する。
 
「今度の18-19日は休めるよ。18日は仁恵の誕生日で多分1日潰れるから、19日の火曜日に一緒にスタジオに入って録音しない? みっちゃんのペースに合わせてたらいつ作れるか分からないから、私たちだけで音源作っちゃおう。契約上CDの発売に関しては本当は私たちに決定権があるから、まだ待ってと言われても強引に発売しちゃおう。曲は『聖少女』と『不思議なパラソル』でいいと思う。この2曲、絶対70-80万枚は売れる曲だよ。あと上島先生から預かっている『涙のピアス』も使っていいと思う」
 
「よし、やろうやろう」
と言う政子の顔は、やる気いっぱいであった。
 
 
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【夏の日の想い出・限界突破】(1)