【夏の日の想い出・風の歌】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-04-28
私は中学に入ってすぐ陸上部に入ったのだが、私はとっても鈍足だったので、5月の春の大会ではもっぱら見学と雑用係で、ゴールのテープを持っておく係とか、記録用紙をゴールから本部に持って行ったり、また自分のチームの所にいる時は、出場する人の柔軟体操の相手を務めたり、声援を送ったりしていた。
「冬ちゃん、男子とも女子とも柔軟体操で組めるから便利だね」
などと1年生女子のエースである貞子などからは言われていた。
一応登録上の性別は男なのだが、触った感触は女なので、こういう便利な使われ方をしていたのであった。またトイレに関して、私は最初ちょっと「事故」が起きたことから「唐本、お前は女子トイレ使ってくれ」と部長から言われて、別に女装している訳でもないのだが!女子トイレを使っていた。
しかしそんな私も4月からずっと毎日他の足の速い人たちと一緒の練習を重ねてきたことから、秋の大会には出してもらえることになる。先生からは400mと走り高跳びに出すよと言われていた。当時、先生は私の「使い方」として、長距離で使うか、フィールド競技で使うか、少し悩んでいた感じもあった。
夏休みの間も毎週3回の練習に出ていき、たくさん走り、たくさん飛んだ。私は筋力が無いから、高飛びにしても飛ぶ力自体はあまり無いのだが、身体が柔軟なので、ベリーロールを使うとけっこう高さが稼げるのである。高飛びに出場する他の選手はだいたい背面跳びをしていたが、私はベリーロールで頑張っていた。
「冬ちゃん、気持ち良さそうに飛んでる」
「飛ぶ時、風を感じられるのが気持ちいいです」
「ああ、風を切るからね」
「私ロード走るのも好きです。いろんな風が感じられて」
「そうそう。同じ1万m走るのでも、ロードの方が楽しいよね」
「でも冬ちゃんのベリーロールの飛び方って、凄くきれい。お手本にしたいからビデオ撮らせて」
などと言って、加藤先生はほんとに私の飛ぶ所を撮影していた。
「これで筋力がもう少しあれば結構入賞狙えるのになあ」
「女子ではでしょ?」
「そうそう。冬ちゃん、女子としてエントリーする? 多分バレない」
「無理です〜」
「このビデオ見た人はみんな女子選手の模範演技だと思うよね」
「思う思う」
「でもベリーロールって、体重移動とか身体の動かすタイミングとかが凄く難しいのよね。今大きな大会では背面跳び一色だけど、本当に背面跳びの方がベリーロールより高く飛べるのかというのは、結論が出てないんだ。ただ身体の柔軟性とか、リズム感とかを要求されるから、これでいい記録出せる選手は限られるんだよね〜」
と加藤先生。
「ああ、私みたいに不器用な人には無理」
とそばで貞子が笑っていた。
「冬ちゃん、身体が無茶苦茶柔らかいもん。私も冬ちゃんと柔軟体操しているおかげで、春頃よりかなり柔らかくなってきたけど、まだまだだからなあ」
「柔軟体操って、身体の柔らかい人と組んでやると自分も柔らかくなるからね」
さて私は7月にひょんなことからクラリネットを覚えることになり、吹奏楽部の友人、貴理子に教えられながら練習をしていた。その覚えたて、始めてからわずか半月というクラリネットで図々しくも8月14日に行われた都内のアマチュアオーケストラの演奏に出たのであるが、その後は9月の吹奏楽部の大会に出てと言われ、学校で吹奏楽部の練習に参加していた。陸上部も吹奏楽部も夏休みの間は練習が月水金だが、陸上部は午前、吹奏楽部は午後なので、掛け持ちで参加できていたのである。
貴理子からは吹奏楽部にセーラー服着てきてもいいよ、などと唆されたのではあるが、一応自粛的に学生服で参加していた。
「こないだちょっと参加したオーケストラもまあ面白かったけど、ブラスバンドもまた面白いね」
と言ったのだが、貴理子から
「冬、うちはブラスバンドじゃなくて吹奏楽」
と言われる。
「へ? ブラスバンドと吹奏楽って違うの?」
「ブラスバンドといえば、ブラスだから金管楽器。吹奏楽はウィンドバンドで管楽器」
「ああ!木管楽器が入るかどうかか!」
「そうそう。ウィンドバンドは木管楽器 wood wind と金管楽器 brass wind を使う」
と貴理子は説明する。
「風の楽器かあ。でもそれごっちゃになってない?」
「うん。だいたい混同されている。でも吹奏楽の大会の参加規定にハッキリと『ブラスバンド編成での参加は禁止』って書かれているよ」
「へー!」
しかし吹奏楽部の練習は、楽器を吹くことだけではなかった。とにかく走らされた!
まず練習を始める前に校庭の外周を30周走らされる。その上、坂道(上り坂)30mのダッシュを50本やる。そのあと腹筋50回、背筋50回、腕立て伏せ50回やる。
「これ、きついよー!」
「陸上部員が何言ってる?」
また体力が付くよと言われて、ニンニクを焼いたのを食べさせられた。
「でもニンニクを食べて楽器を吹くと楽器にニンニクの臭いが移らない?」
「みんな食べてるから気にならない」
「確かに!」
演奏の練習が終わった後もまた校庭10周くらい走っていた。その後、クールダウンということで学校のプールに移って、みんな25mプールを10往復くらい泳いでいたが、これについては貴理子が私に配慮してくれた。
「唐本君、泳げないので、一緒に市民プールに行って水中ウォーキングしてきます」
と言い、私を連れ出してくれる。
「冬ちゃんさ。5年生の時に奈緒ちゃんたちに唆されて女の子水着を着てたよね」
「うん」
「あの水着、まだ持ってる?」
「持ってる」
「じゃ、それ持っておいでよ」
「えー」
「それとも男子水着になる?」
「嫌だ」
「じゃ、女の子水着を着よう。写真撮ったりしないからさ」
「うん」
それで私は家に寄って、その水着を取り出し、身につけてから中性的な服を上に着て、貴理子との待ち合わせ場所に行った。
「水着、中に着込んで着た」
「ああ、それがいいかもね」
市民プールのチケット(中学生は100円)を買う。
「あ、私がまとめて買ってあげるよ」
と貴理子。
「私のために貴理子ちゃん、こちらに来てくれたからプール代は私がふたり分出すね」
と言って100円玉を2枚渡す。
「了解〜」
と言って、貴理子は100円玉を2枚入れ、「中学女子」のボタンを2回押した。
「はい、どうぞ」
「中学女子?」
「だって冬は女子水着だよね? だったら女子更衣室を使うよね。ということは、女子のチケット買わなきゃね」
「あはは」
貴理子と私がチケットを提示すると、係の人は女子更衣室の鍵を2本くれた。逃げ腰の私の手を握って、貴理子は女子更衣室に入っていく。
「さあ、着替えよう」
と言って貴理子が服を脱いで水着を着る間、私は視線を逸らしていた。私も上の服を脱いで水着になる。
「女の子同士だし、気にしなくていいのに」
などと貴理子は笑っている。
「でも少しおっぱいあるね、これ」
と言って貴理子は私の胸に触る。
「うん、少しね」
「まだ小さいけど気にすることないよ。うちのクラスの女子の中にはこの程度の胸の子もまだいるよ」
「バストの成長時期って個人差あるからね」
「そそ。冬もこれからきっと大きくなるんだよ」
「ははは」
「でも、下は上手に隠してるね」
「隠さなきゃやばいからね」
シャワーを浴びてプールに入り、一緒に準備運動をした上で、左端に設定されているウォーキングコースに入り、ひたすら歩く。
「しかし吹奏楽部って運動部なんだねー」
「ほんと、ほんと」
「でも水の中は気持ちいい」
「うんうん。これ練習の後のご褒美って感じだね」
「夏になる前はどうしてたの?」
「帰ったらお風呂の中で手足をマッサージしろと言われてたよ。プール終わって家に帰ってからも、それやった方がいいよ」
「うん」
「でも水の中で歩くのにもけっこう筋肉使う感じしない?」
「するする」
そういうわけでその年の夏休みは吹奏楽部の練習がある度に、私は貴理子と一緒にプールに行き、女子水着を着て、ひたすら水中ウォーキングをしたのであった。
ところでこの夏休みのある日。その日は火曜日で練習はお休みだったのだが、朝、貴理子から電話が掛かってきた。
「ね、冬、ちょっと頼みがあるんだけど」
「なあに?」
「私ね、金本君と付き合ってるんだけどね」
「ああ、吹奏楽部でトランペット吹いてる2年生の?」
「そうそう。それでさ、こないだから私がいつも冬と一緒に帰ってたでしょ」
「ああ」
私はだいたい事情が飲み込めた。
「金本君が変に誤解しちゃって。冬、ちょっと誤解解くのに一肌脱いでくれない?」
「一肌脱ぐって、ヌードになれとでも?」
「そうだなあ。ほんとに脱ぐのがいいかもな」
それで私はわざわざ学生服姿で、11時頃、待ち合わせ場所に出て行った。先に貴理子と金本君が来ている。
「こんにちはー」
と明るく挨拶する。
「あれ?女の子みたいな声」
「うん。学校では男の子を装ってるけど、私中身は女の子なんです」
と私は明るく女声で答える。
「じゃ、ほんとにキーちゃん、唐本とは何でもないの?」
「うん。だって、冬ちゃんはほんとに中身は女のだから」
「証拠をお見せします」
と私は言うと、学生服の上をその場で脱いでしまう。
すると下に夏服のセーラー服を着ている。
「え?」
「下も脱いじゃいますね」
と言って学生ズボンを脱ぐと、下はセーラー服のプリーツスカートである。
「嘘! ほんとに女の子みたい」
「学校には規則があるから男子制服で出てきてるけど、冬ちゃん部活の後は女の子の服に着替えて、私と一緒にプールに行ってたんだよ」
「そうだったのか! ちょっとびっくり。でもそうしてると女の子にしか見えない! でも声は男の子の声も女の子の声も出るんだね」
「うん。私の声変わりは『なんちゃって声変わり』だから」
「実際『なんちゃって男子中学生』だよね。髪型はほとんど女の子の髪型だし」
「あ、それはちょっと思った。髪長くしてるのはロックかなとも思ったけど」
「えー?私、ギターもベースも弾けないし」
「練習すればすぐ弾けるようになりそうだけどなあ。練習してみる?」
「いい。この夏は、胡弓とヴァイオリンとクラリネットだけで手一杯」
「じゃ、来年の夏にでも」
結局、更に私がいかに女の子であるかを確認してもらおうというので、そのままプールに行くことになる。
「今日は私がまとめて払うよ」
と言って貴理子は券売機に300円入れ、女子中学生の赤いボタンを2回と男子中学生の青いボタンを1回押した。
「はい」
と言って配る。
「え?唐本、女子中学生のチケットなの?」
「だって、ほんとに女子だもんね〜。さ、行こ行こ」
と言って貴理子は金本君に手を振り、私と手を繋いで女子更衣室に入る。
いつものように水着に着替えてシャワーを通り、プールに出た。金本君は先に来ていた。
「お待たせ〜」
「えー!?唐本、女の子水着を着るのか!」
「それを他の人に見せるのが恥ずかしいって言うもんだから、私が市民プールに連れ出してたのよ」
「なるほど、そうだったのか。でも違和感無く着てるね」
「でしょ?」
「その下は・・・付いてないように見えるけど」
「隠してるらしいよ。本人の弁では?」
「そんなに隠せるもん?」
「奈緒ちゃんたちは、実はもう手術して取っちゃってるのでは?とか言ってるけどね」
「あはは、取ってないですよー」
「でも、市民プールに来れるんだったら、学校のプールでこれ着てもいいのに。ってか、いっそ練習自体、セーラー服着て参加してもいいのに」
「そうそう。授業じゃないんだから、セーラー服着ちゃいなよって唆してるんだけどね。本人恥ずかしいって言って」
「さっきのセーラー服姿も、この水着姿も全然恥ずかしがってるように見えないんだけど」
「ね?」
この後、吹奏楽部の練習後の市民プール通いにはしばしば金本君も付いてきた。彼は遠泳用コースで泳いでいたが、時々ウォーキングコースに来て歩きながら会話にも参加していた。
「しかしふたりが女の子水着を着てると、俺だけ男子水着で疎外感を感じるな」
「カズちゃんも女の子水着にする?」
「いい! 俺にはどう考えても、そんな水着は着られない!」
「普通の男の子はそうだよね〜!」
「俺が女子更衣室に入っていったら即痴漢で捕まりそうだし」
「冬ちゃんは男子更衣室に入ろうとして追い出されたことあるらしいよ」
「そうだろうな!」
8月28日は名古屋で風帆伯母の教室で民謡のお稽古だったが、その後、待ち合わせて名古屋市内で、リナ・美佳・麻央と会った。
「おぉ! 冬がセーラー服を着てる。髪型も女の子っぽい」
「麻央、ほんとに丸刈りなんだ!」
と私たちは言い合った。
「でも久しぶりだね」
「うんうん」
「でも毎月名古屋まで出てきてるんなら、時々会おうよ」
「うん、会おう、会おう」
「でも、冬、今日はセーラー服だからいいけど、ふだん男子制服を着てたら、問題が起きたりしない?」
「最初の頃、生徒指導の先生に『なぜ君は学生服なんか着てるの?』と注意された」
「ああ、ボクも生徒指導の先生に『なぜ君はセーラー服なんか着てるの?』と注意された」
と麻央が言う。
「麻央は警官に職務質問されたこともあるらしいよ」
「ああ」
「こないだ市民プール行ったらさ、女子更衣室で悲鳴あげられて、痴漢として突き出されそうになったよ」
「麻央って、以前にもそんなことなかったっけ?」
「うん。女湯の脱衣場で捕まったことある。小学生の時ね」
「冬はお風呂は男湯・女湯、どちらに入るの?」
「えー、それは男湯だけど」
「ほんとかなあ」
「冬だったら、男湯に入ろうとしたら摘まみ出されそうな気がする」
「うんうん、むしろ女湯にはふつうに入れそう」
「まさか」
「だいたいセーラー服で男湯に入って行こうとした時点で、あんたこっち違うと言われると思うよ」
と美佳。
「それはボクがジーパン穿いて女湯に入ろうとした時に言われることだな」
と麻央。
「でも麻央はウィッグとか付けたりしないの?」
「めんどくさーい」
「それにウィッグの方がよけい性別疑われたりして」
「ああ、ありそう!」
「冬、その持ってる楽器はギターともうひとつは何?」
「あ、こちらは胡弓だよ」
と言って私はそれを取り出し、『G線上のアリア』を弾いてみせる。
「おお、ヴァイオリンの曲が胡弓で弾けるのか」
「どちらも似たような楽器だよね?」
「擦弦(さつげん)楽器っていうんだっけ」
「うん。ヴァイオリンや胡弓は弦をこするから擦弦(さつげん)楽器。弦をはじく三味線やギターは撥弦(はつげん)楽器。古い時代の外国文学の翻訳作品にはヴァイオリンのことを胡弓と訳したものもあるね」
「あれ?ヴァイオリンの日本語訳って何だろ?」
「提琴(ていきん)だと思う」
「ああ」
「じゃチェロは?」
「大提琴」
「なるほど、でっかいヴァイオリンか!」
「女子十二楽坊が使ってるのもこれ?」
「あれは二胡(にこ)と言って、糸が2本なんだよ。中国語で発音すればアルフーだけどね。日本の胡弓は糸が3本」
「へー」
「構造もかなり違うね。胡弓の胴は三味線のように薄いけど、二胡の胴は鼓のように厚い。胡弓は四角形だけど、二胡は六角形か八角形。張ってある皮も、二胡はニシキヘビだよ。ニシキヘビは国際保護動物だから、二胡を中国から日本国内に持ち込もうとすると、けっこう大変なんだよね。税関で没収される人続出。向こうの法律コロコロ変わるし」
「へー」
「胡弓の皮は?」
「表が猫、裏が犬」
「あ、両面張ってあるのか」
「そそ。二胡は表だけだよね。そして胡弓は胴体を回転させながら演奏する」
と言って『越中おわら節』の胡弓を弾いてみせる。
「なんか面白い!」
「弓の角度を変えるんじゃなくて本体を回転させるのがヴァイオリンとの違いだよね」
「あ、沖縄の三線(さんしん)もヘビの皮だっけ?」
「そうそう。三線もニシキヘビの皮を使う。日本の三味線も初期の頃はヘビの皮を使ったらしいけど、本土ではニシキヘビの皮は入手困難だから猫の皮になったらしいね。津軽三味線は犬の皮だけど」
「なるほどー」
「猫の皮って、そこら辺の野良猫とか捕まえて使うの?」
「1950年代くらいまでは、猫取りさんっていたらしいけど、今は日本国内に猫取りさんは存在しないよ。後継者がいなかったんだよね。日本の三味線や胡弓に使われているのはだいたい中国産で、食用猫の肉を取った後の皮らしい」
「食用猫?」
「猫も食べるのか」
「まあ、四つ足の物は、机以外食べるというし」
「すごい」
「そちらのギターでも何か弾いてみてよ」
「うん」
と言って、私がギターケースから三味線を取り出すので、みんなびっくりする。
「三味線だったのか!?」
「これ、ギブソン製の三味線?」
「まさか。ギブソンは三味線は作ってないと思うな」
と言って、私はその三味線をバチではなくギターピックで弾いてベンチャーズの『ダイヤモンド・ヘッド』を演奏する。
「おぉー」
「でもこれハワイじゃなくて、九十九里浜か天橋立を振袖着たお姉さんが走って行く雰囲気だよ」
「うふふ」
「ギターは弾かないの?」
「弾いたことない」
「あ、じゃ次会う時にボク、自分のギター持ってくるからさ、少し教えてあげるよ」
と麻央が言う。
「三味線でこれだけ弾けるんなら、ギターも行けるよね」
「全然違うよー、たぶん」
私が9月3日に八尾の風の盆を見に行くと行ったら
「八尾って大阪だっけ?」
などと言われる。
「私が行くのは富山県の八尾(やつお)、大阪のは八尾(やお)だよ」
「冬も何か演奏するの?」
「しないしない。見学だけ。民謡の演奏はやはり地元の人のを生で見ないとね」
「服装は?」
「浴衣かな」
「それって、男物?女物?」
「あ、えっと・・・・」
「言いよどむ所を見ると女物だな」
「うん、まあ」
「よし、冬の浴衣姿を見に私たちも行こう」
「えー?」
「でも平日だよね」
「金曜日だけど、夜なんだよ」
「富山に何時に着くの?」
「東京を20時に出て、富山に着くのは23時半かな」
「どれどれ」
と言ってリナが携帯で時刻を確認している。
「こちらも名古屋を20時に出ると、富山に23時半に着く。米原経由」
「富山から東京と名古屋って同じ距離なのか」
「よし、私たちも浴衣を持って出かけよう」
「持って行って着替える所ある?」
「それはやはり野外プレイで」
「きゃあ」
「嘘嘘。叔母さん、エスティマを持って行くと言ってたから、車内で浴衣くらいなら着付け可能だよ」
「それか《しらさぎ》のトイレで、降りる前くらいに着替えるかだよね」
「ひとりで浴衣着れる人は、そっちが楽だと思う」
私はすぐ風帆伯母に電話して、名古屋の友人が3人行くと言っていることを伝えた。するとエスティマは名古屋から行くお弟子さんたちで一杯だが、富山駅からピストン輸送してあげるということであった。
風帆伯母は、結局、私サイズの浴衣をあらかじめ私の家に送ってくれた。姉が受け取ってくれていたのだが、
「可愛い柄だね〜。あんたこれ着るの?」
などと言われる。
「うん、まあ」
「ちょっと着てみてよ」
などと言われるので姉の部屋で着てみせると
「おお、可愛い!」
などと言われて写真を撮られた。
それで9月3日の夕方、学校も終わり、部活は休んですぐに帰宅し、早めの夕食を終えてから、その浴衣や姉から借りたカメラなどを持ち富山に出かけようとしていたら突然奈緒がやってきた。
「冬〜、忘れ物があったから、持って来たよ〜」
と言って持って来てくれたのはICレコーダである。
「わあ、ありがとう。今ちょうどそれ探してた」
「あれ? 今からどこか出かけるの?」
「うん、富山まで」
「へー、随分遅い時間出るね。夜行で移動して朝から何か?」
「ううん。0時頃から『風の盆』を見る」
「夜中にやるの〜?」
「そそ」
「頑張るなぁ。ひとり?」
「現地で名古屋の伯母さんと、愛知の時の友だち3人と落ち合う」
「何〜? 愛知の時の友だち? それ女の子だよね」
「当然。ボクに男の子の友だちがいるわけない」
「よし。私も行かなきゃ」
「へ?」
私や愛知の友人たちが浴衣を着る予定だというと奈緒も浴衣を持って行くというので、結局父が私たちを車に乗せて奈緒の家まで行き、奈緒が旅行用具と浴衣を持ち、そのまま私たちふたりを大宮駅まで送ってくれた。
そういう訳で、父の手前、私は大宮駅まで男装のまま来てしまった。
「まだ少し時間があるね。着替えてくる」と私が言う。
「浴衣に?」
「それは現地で着替える」
それで私が着替えて来たところで奈緒が訊く。
「何か変わったっけ?」
「うん。ワイシャツと学生ズボンから、ブラウスとブラックジーンズに。それから下着の線を隠すのに着ていた濃紺のTシャツを脱いで代わりにキャミを着た」
「解説されてもよく分からん」
「そう?」
「だいたい冬って、着替えるのに今女子トイレに入って行ったね」
「えっとね。男から女にチェンジする時は女子トイレを使って、女から男にチェンジする時は男子トイレを使うのが、問題起きにくい」
「いや、それはたぶん冬だけだと思う」
「そうかなあ」
「普通は男が女子トイレに入った時点で悲鳴をあげられる」
「うーん。悲鳴をあげられたことはないな」
「まあ、冬はそうだろうね」
みどりの窓口で、富山までのチケットを買い、私と並びの席にしてもらった。
「並びの席にするのに、男女だと関係を訊かれるかもと思って先に服を替えたんだよね」
「いや、元の服装でも充分女の子に見えてたと思う」
「えー? でもワイシャツだよ」
「私がワイシャツ着たら男の子に見える?」
「・・・・女の子にしか見えないかも」
「それと同じだよ」
「むむむ」
今夜徹夜することになるから、取り敢えず越後湯沢まで寝ておこうと言って、座席で持参の毛布を身体に掛けて寝てしまう。越後湯沢の少し前で目を覚まし、《はくたか》に乗り換える。しばらくおしゃべりした後、糸魚川を過ぎた所で一緒に車内の多目的トイレに入り、お互いに協力し合って浴衣を着た。
23時半に富山駅に到着する。少ししてから《しらさぎ》が到着し、リナたちが降りてくる。3人とももう浴衣に着替えている。
「こちら、東京の友人の奈緒、こちら愛知の友人のリナ、美佳、麻央」
「はじめましてー」
と言ってお互いに握手している。
「冬の浴衣姿可愛い〜」と美佳。
「麻央ちゃん、その頭インパクトが凄い」と奈緒。
「えへへ」
「でもさぁ、麻央、今日はその頭では余計な混乱招くから、これ付けない?」
と言って、私は用意してきたウィッグを取り出す。
「おお、かぶせよう、かぶせよう」
とリナが言い、
「えー?要らないよ」
と言っている麻央を少し押さえつけるようにして、かぶせた。
「でないと、女子トイレで悲鳴が炸裂して、それでなくてもお祭りの警備で忙しい警察の人に迷惑掛けるからさ」
「確かに、確かに」
「いや、実は名古屋駅でも悲鳴を挙げられた」
「やっぱり」
「冬は女子トイレで悲鳴あげられたことある?」
「男子トイレでなら何度も」
「なるほどー」
やがて風帆伯母の車が到着する。運転していたのは伯母のお弟子さんの吉田さんである。よくお稽古で一緒になるので顔見知りであった。他の人たちはもう八尾に置いて来たということで、私たちを乗せて八尾の町に行ってくれた。まだ町内は結構混雑していたが、案内に従い誘導されて、体育館の近くの道で、多数の車の並びの中に縦列駐車した。
「すごーい。魔法みたい」と縦列駐車を見たことの無かった奈緒が感心している。
「ああ、都会ではあまり使うことないけど、田舎のお祭りでは駐車場が不足する時に結構縦列駐車を要求されるよ」
と吉田さんが言う。
「吉田さん、どちらの出身なんですか?」
「私はこの八尾の出身だよ」
「あら、そうなんですか!」
「そもそも鶴風先生を風の盆に誘ったのも私」
「へー!」
風帆伯母や他のお弟子さんたちと聞名寺前で合流した。美耶もいた。私の従姉で今月結婚するんですと言うと
「おめでとうございまーす」
と私の友人たちに言われている。
既にあちこちで「流し」が行われている。
《唄われよ〜、わしゃ囃す》
《唄の街だよ、八尾の町は》
《キタサノサー、ドッコイサのサ》
《唄で糸とるオワラ桑もつむ》
へーと思いながら聴いていたら、風帆が
「今のキタサノサーは観光客の声」
と言う。吉田さんも頷いている。
どこか変だったのかな? などと思いながらも唄の声に耳を傾ける。
小節(こぶし)が凄い。ほんとうに美しい節回しだ。
唄い手は数人で交替しているが、次唄った人は音程が外れてた!
「この人うまいね」と伯母。
「うまいんですか!?」
「音程は外しているけど唄い方がうまい」
「はあ」
「民謡を唄うのはみんな素人だからさ。音感がいい人ばかりではない」
「確かに」
「でも、地元の人が唄う民謡は、どんなに音を外していても、民謡の名人が唄う正確な音程のきれいな唄より、ずっと格上なんだよ」
風帆のこのことばを理解できるようになったのは、これより5年くらい先だった。
「あと、歌の上手下手と音感の良さは必ずしも相関しない。音感が良くても歌が下手な人はいるし、音感が悪くても歌は上手い人がいる」
「あ、それは何となく分かります」
「クラシックの歌手に民謡を唄わせてごらんよ。音程は正確だけど、だいたい聞くに堪えない歌になることが多い」
「そういうCDを学校の音楽の時間に随分聞かせられましたよ。勘弁して〜と思って聞いてました。あれはフレンチのシェフに酢豚を作らせるようなものです」
「少なくとも酢豚ではないものができそうだね」
「でもこれ、何だか心地良い調べですね」
と奈緒が言った。
「物悲しい調べとか紹介されることあるけど、私も活力あふれる調べだと思うよ」
と風帆が言う。
「しかし私たちの集団、13人いるね。これだけいると、私たち自体がおわらの流しの集団と思われたりして」
「いや、演奏してもいいけど、他所者だから遠慮しておこう」
結構な大集団の流しに遭遇したので、私たちは鑑賞しながらその後を歩いて付いていった。ところが沿道の観光客からバチバチ写真を撮られる。
「なんで私たちまで撮られるの〜?」
「流しの隊列の一部だと思われてるね」
やがてその流しが停まり「輪踊り」になる。
「観光客の方も踊れる方はどうぞ」
と言うので、私たちは「よし、行こう行こう」と言って、輪踊りの輪に入り、見よう見まねで踊った。
そこの輪踊りが終了した後で、私たちは風帆が「みんなこっち来てごらん」
というので、諏訪町に行く。
「きれーい!」
と私も友人達も思わず声を挙げる。
そこは石畳の坂が続いていて、両側に燈籠がずらっと並んでいる。
私は古い映画の中に迷い込んだかのような気持ちになった。
「私はここに来る度に、この景色を見るだけで、ここに来た価値があったと思うんだよ」
と風帆。
「私も小さい頃からここは好きだった」
と吉田さん。
「これぞ日本の美ですよね」
「素晴らしいよね。この風景はずっと残していきたいね」
唐突に不思議な気持ちが込み上げてきた。
「誰か、メモ帳とペンか何か持ってない?」
「あ、私持ってる」
と言って奈緒が貸してくれたので、私は今頭の中に浮かんで来たメロディーを大急ぎでそこに「ABC譜」方式でメモした。
「それ何の記号?」
と麻央が尋ねる。
「楽譜をABCで記録する方法なんだ」
「へー。もしかして作曲中?」
「うんうん」
「冬は小学校の頃にも何度かそんな感じで作曲してたね」
と奈緒が言う。
「へー、凄い」
私は思いついた曲のモチーフを全部書き終えた上で、最後にいちばん上に『Mai of Akari』と書いた。
「Akariって光る灯り?」
「うん」
「Maiって、獅子舞の舞?」
「せめて巫女舞と言って欲しい」
「そこまで日本語使うなら Akari no Mai でいいじゃん」
「うーん。正式なタイトルは後で考える」
そんなことをしている内に、諏訪町の坂道の上の方からまた流しの隊列が降りてくる。私たちは少し坂道を上り近づいて鑑賞する。美佳がカメラで撮影するが、フラッシュを使ったので私は注意した。
「美佳、こういう所でフラッシュ使ってはダメ」
「え?」
「だってフラッシュ焚かれたら、踊ってる人たちがまぶしいよ」
「あ、そうか。ごめーん」
「でもフラッシュ無しだと光量不足にならない?」
「だから、街灯とか店の灯りの下を通過するタイミングを狙って撮影する」
「なるほど!」
「動いている人を撮るからシャッター速度はあまり遅く出来ないんだよね。だから撮影の感度はできるだけ高く、F値はできるだけ小さく。そして、ぶれないように、左手の肘をどこかに置いて撮影する」
「へー」
「それでも結構光量不足にはなるから最終的にはPhotoshopで増感する」
「最後はそれか!」
「こういう時はCCDを使っているデジカメと、CMOSを使っている携帯とかのカメラと両方で撮影しておくともっといいんだよ。安いCMOSが意外に光量不足に強いんだ」
「冬ちゃん、そういうの良く知ってるね」
「全部、受け売りです。自分で実地で覚えた話ではないから間違ってたら御免」
「でも今の冬ちゃんの話、受け売りには聞こえなかった。凄く自信ありそうだったし」
「ハッタリです」
「ああ、冬ってハッタリの天才だよね」
とリナが笑って言っていた。
私たちはそうやって諏訪町や上新町付近、また少し下がって東町・西町なども歩き回り、深夜まで開いているお店で揚げ天を買って食べたりなどしながら、多くの街流しを鑑賞した。
「数十人単位の大きな街流しもありますけど、2〜3人のもありますね」
「そうそう。個人単位でやってる感じ。あれを見るのがまた楽しみなのよね」
私たちは路地のような所で胡弓ひとりと踊り手ひとりという組も見た。胡弓の音は美しく、(女性の)踊り手の踊りは優雅であった。
「でもこの笠をかぶると顔が分かりませんよね」
「男か女かも分からないよね」
「え・・・赤とか青とかの浴衣着ている人は女で、黒いの着ている人は男ですよね?」
「そうとは限らないよ。黒いの着てる人をよく観察しててごらん。体形が明らかに女性って人が混じってるから」
「えーーー!?」
「男性が女性用の浴衣を着ているケースもあります?」
「どうだろうね。いるかもね」
「冬がこの町に生まれていたら、やはり赤い浴衣を着たのでしょうか?」
「まあ、黒い浴衣ってことは無い気がするね」
「やはりね」
「誰かさんに無理矢理赤い浴衣を着せられていたかも」
「ああ、ありがちありがち」
私たちは少し通りから引っ込んだところで一時休憩していた。
「でも風帆伯母さん、最初に聞いたお囃子が、観光客のだったってのが、今夜たくさん聞いてて分かりました」
と私は言う。
「分かる?」
「ええ。最初聞いたのは『キタサノサー、ドッコイサノサ』って感じでしたけど、本物は『キタサァノサ〜、ドッコイサァ〜ノサ』って感じですよね」
「さすがコピーの達人」
「え?何どう違うの?」
というので私が再演してみせていると、何だか観光客らしき人が4〜5人こちらに寄ってくる。
「唄われよ〜、わしゃ〜囃す」と伯母が唄うので
「ゆら〜〜〜〜ぐ〜釣〜〜橋〜〜 手に〜〜手〜を〜〜取〜〜り〜〜て」と私が唄う。「キタサノサ〜ァ〜、ドッコイサァ〜ノサー」と伯母。
「渡る〜〜〜〜〜井田〜川〜〜 オワラ、春〜〜の〜〜〜風〜〜〜」
と私は唄い、続けて
「唄われよ〜、わしゃ〜囃す」と唄う。
すると吉田さんが唄い出す。
「月が〜〜〜〜〜隠れ〜〜りゃ〜、また〜〜手を〜〜つな〜ぐ〜」
「キタサァノサ〜ァ〜、ドッコイサァ〜ノサー」と私。
「揺れ〜〜〜る〜〜〜釣橋〜〜〜〜〜、オワラ恋の〜〜〜橋〜〜」
と吉田さん。
「見送り〜〜ましょ〜うか 峠の茶屋ま〜で」
「人目がなけれ〜ば あなたの部屋ま〜〜で」
何だか周囲から拍手が来た。写真まで撮られちゃった! いいのかなあ。
「でも、今の歌詞、意味深」と美佳。
「何だかいいね」と奈緒も言う。
「エロいね」とリナ。
「でもこれ唄うのより囃す方が難しいみたい」と私が言うと
「そうそう。囃すのは上級者でなきゃできないよ」と伯母は笑って言った。
明け方、5時頃まで町を散策した後、先に吉田さんと他にお弟子さん2人がワゴン車の中で仮眠し、残りのメンバーは聞名寺の中の椅子に座って、おにぎりを食べお茶を飲みながら、祭りの余韻を語った。奈緒とリナは携帯の番号・アドレスを交換しているようであった。
「冬がお風呂は男湯に入ってます、というのが大嘘であったことが分かったのは大きいな」
とリナ。
「結局、冬のおちんちんは幼稚園の時以降、誰にも目撃されていないというのも大きな情報だ」
と奈緒。
「冬に関する情報は今後も交換していきましょう」
などと言って、ふたりは握手をしていた。
今月下旬に、美耶の結婚式に出る(正確には出席する両親に付いてくる)ので名古屋に来て、翌日、九州の明奈・東京のアスカと一緒にナガシマスパーランドに行くことになっているという話には、愛知の3人組が「私たちも行く」と言っていた。奈緒はその日は都合がつかないらしく悔しがっていた。
「ところで『風の盆』と『越中おわら節』というのが微妙に言い分けられている気がするのですけど」
とリナが風帆に訊いた。
「色々な解釈があると思うけど『風の盆』は宗教行事、『おわら節』というのは芸能だと思う」
と風帆は言った。
「ああ」
「元々『唄で糸とるオワラ桑もつむ』というように、この町は絹の町だからふつうの町でお盆をやる8月15日頃は、蚕の世話で忙しいんだよ。それで少しずらして、この時期にお盆をやるようになったんだよね。二百十日の風鎮めの行事という話もあるけど、本来『風の盆』はふつうの『お盆』なんだよ」
「なるほど」
「おわらの文化を継承しているのは町ごとの住民で組織する『保存会』と、広く他の地域のファンの人も集めた『道場』という組織があるけど、『道場』
の方では能登半島の飯田とかでも『飯田風の盆』という行事をしている。飯田の乗光寺というところの主宰でね。これが田舎町だから観光客の少なかった30〜40年前の八尾の『風の盆』を思わせる風情でなかなか良いんだ。私も1度見に行ったけど良かったよ」
「へー」
「その『飯田風の盆』もやはり宗教行事という雰囲気が強い」
「能登半島ですか」
「そそ。飯田というと長野の方が有名だけど、こちらは能登の飯田。昨年能登空港ができるまでは本州の中で東京からいちばん遠い町と言われた所だよ。金沢からローカル線を乗り継いで6時間掛かってたからね」
「金沢から6時間って、東京に着いちゃうじゃないですか!」
「東京過ぎて、成田くらいまで行けない?」
「そのくらい交通の便が悪かったのさ」
「わあ」
「今は羽田から1時間で能登空港まで飛んでいけるからね。能登空港からは珠洲道路(すずどうろ)というのを通ってレンタカーで40〜50分ほどで飯田に到達できるよ」
「それでも40〜50分か」
「それでさ、その珠洲道路ってのが実は地図に載っていない道路なのさ」
「えーー!?」
「だからカーナビに任せていたら珠洲道路を通れず、遠回りで曲がりくねった国道に誘導されてしまうよ」
「なんでー!?」
「道路を作るのに、国交省の予算だけじゃなく、農水省の予算とか、県の予算とか、様々な予算を併用しているから、珠洲道路というのは公式には、国道や農道や県道や市道などの寄せ集めにすぎない。実態は高速道路並みの規格で作られているのに」
「知る人ぞ知る基幹道路ですか?」
「地元でもスキルの低いドライバーは怖がって通らない。高速道路を走る技術が無いと走れない道だから」
「へー」
「名阪国道に似てる?」
「そそ、あれに近い存在だよね。田舎で交通量が少ないから、あんなに危険じゃないけど」
その話を聞いた時、私はまた唐突に心の中で何かがこみあげてきた。その私の様子を見た奈緒が、さっとメモ帳とペンを渡してくれた。
「ありがとう」
私がメモ帳にAとかBとかCとかのアルファベットを書き綴っていると麻央が言う。
「今夜これでもう4曲目だよね」
「うん。今夜は何だか刺激されるものが多い」
「作曲っていつ頃から始めた?」と風帆から訊かれる。
「東京に引っ越してきてからかなあ。初期の頃、友だちができなくて孤独だったから、その頃の心理状態が創作に結びついたのかも」
「ああ、冬が男の子の振りをしていた時代だね」
「今までにどのくらい書いたの?」
「最初の頃のに番号付けてなくて、去年の夏から楽譜の整理を始めたので、漏れているのがあるかも知れないですが、作曲帳にきちんと書いたものは番号が52番まで付いています。今夜の4つで56になるかな」
「よく書いてるね〜!」
「でもみんな小さな作品ばかりだから。16小節の唱歌形式が多い。ひとつだけ演奏に10分掛かるのもあるけど」
「大作じゃん!」
「ソナタ形式ってのを書いてみたかったら書いてみただけなんですけどね。でも不満があるのでこれまでに何度か改訂していたりします」
「へー。でもたくさん作るといいよ。その内、どこかで発表できるようなものも出来るだろうしね」
「はい」
私はこの飯田の話を聞いて書いた作品に『Far Road Mirage』とタイトルを付けた。リナから「まんまじゃん」と突っ込まれた。
ワゴン車の中で仮眠していた吉田さんたち3人が戻って来たので帰ることにする。私たち5人が先に富山駅まで送ってもらい、それから伯母たちも帰るということだった。
「じゃ、そちら運転お気を付けて」
「うん。ゆっくり帰るよ。そちらも電車の中で寝ていくといい」
「ええ。女同士だから、そのあたり気兼ね無いですからね」
「うん。女の子だけで集まった良さだよね、それ」
私が頭を掻いているのを見て美耶が笑っていた。
「冬ちゃん、私の披露宴の余興には女の子の服で出てくるよね?」
「えー、恥ずかしいです−」
「だけど、聖見ちゃんの披露宴ではドレス着てエレクトーン弾き、俊郎さんの結婚式では振袖着て三味線弾いたんでしょ?」
「じゃ、美耶さんの結婚式では、ビキニを着てエレキギターかな」
「ギター弾けないよぉ」
「なるほどビキニの方は構わないんだな」
翌週の日曜日、陸上部の大会があった。
私は出るのが2種目だけなので、相変わらず雑用係として走り回る時間の方が多かった。午前中400mの予選があったので出て行った。予選はけっこうな人数がいて、次から次へという感じだったので、私も特に何も言われない。6人で走ったが5位の人に80mくらい離されてのゴールであった。遠く及ばない感じではあったものの、私は全力で走ったのが気持ち良かった。
その後もゴールのテープ持ちなどをしていたが、やがてお昼になり、自分のチームの所に戻り、お弁当を食べていた。チームは今の所総合で3位ということで「へー凄い」などと思いながらみんなの話を聞いていた時、チアリーダー部の協佳がやってきた。
「はーい、こちら今どんな感じですか?」
「今、総合3位だよ」と若葉が答える。
「おお、凄い。それではチアを送ろう」
「チアって、協佳ひとりなの?」
「チアガールズは現地調達さ」
「へ?」
「はい、若葉ちゃん、この衣装着よう」
と言って、協佳は若葉にミニスカとボンボンを渡す。
「ちょっと、ちょっと。ここで着替えろと?」
「そのジャージの下にショートパンツ穿いてるよね?」
「ランニングパンツだけど」
「うんうん。それで構わない。その上にこのミニスカ穿けばいいんだよ」
「なるほどー」
「はーい、そこの美枝ちゃんも頑張ってみよう」
「えー?」
と言いながらもミニスカとボンボンを受け取る。
「そちら彩絵ちゃんだったよね? 君も参加しよう」
と言ってミニスカとボンボンを押しつけている。
「他に1年女子はいない?」
と言うと、彩絵が隣の子を指さす。
「そちらは名前なんだっけ?」
「あ、えっと稀夕ですけど」
「はーい。稀夕ちゃんも参加しよう」
と言ってミニスカとボンボンを押しつけている。
「あと1個あるんだけどな。あ、冬がいるじゃーん」
「ボクもするの?」
「何を言ってる、経験者」
「へ?冬ちゃん、チアガールの経験あるの?」
「そそ、上手かったから、チアリーダー部にも勧誘したのに、陸上部入るから入れないと言って逃げたんだよね。さあ、頑張ろう」
「へー!」
私はポリポリと頭を掻きながらミニスカとボンボンを受け取る。
私がミニスカを穿いたのを見て、彩絵が
「冬ちゃん、まだ足の毛とか生えてないの?」
と訊く。
「えっと生えて来たら毛抜きで抜いてる」
と答えると
「なるほど!」
となんだか納得された。
「冬のミニスカ姿、全然違和感無いね」
などと貞子が言っている。
「あ−!ボクがしなくても、そこに1年女子いたじゃん」
「あれ?そちらも1年女子? 何か偉そうな雰囲気だったから上級生だろうと思って、声掛けなかった」
と協佳。
「いや、私がミニスカ穿くと、男が女装してるみたいと言われるから遠慮しとくよ」
などと貞子は言って笑っている。ああ、貞子は麻央と似たタイプかなと私は思った。
「冬ちゃんは全然女装には見えないね」と稀夕。
「うん、ふつうに女の子にしか見えない」と彩絵。
「はーい。冬ちゃんは私と並んで。若葉ちゃん、美枝ちゃん、彩絵ちゃん、稀夕ちゃんは後ろに並んで、私と冬ちゃんがするアクションを見て真似してね。はーい、行くよ」
と言って協佳は携帯で音楽を鳴らすと、それに合わせてアクションし始める。私はその協佳の踊りを横で見ながら、それと対称になるように動いた。私たちの後ろで若葉たちが踊る。
「Go!Go!●▲中!、ほらみんなも叫ぼう」
「Go!Go!●▲中!」
そういう感じで10分ほどの即席チアによる応援パフォーマンスが行われたのであった。
午後一番に走り高跳びの予選があった。高跳びの棒やクッションが設営されている場所に行く。待機していたら
「あれ、君、今の時間は男子の予選だよ。女子の予選は14時からだけど」
などと運営の腕章を付けている先生に言われる。
「あ、すみません。私、男子です」
と私は男声で答えた。
「あ、そうだったのか。ごめん、ごめん」
他の選手を見ていると全員背面跳びである。その中で私がベリーロールで飛ぶので、ちょっと注目されている感じもあった。
女子の選手の中にはベリーロール派もいることもあり、
「あれ、君、女子じゃないよね?」
などともまた言われたが
「済みませーん。男子です」
とやはり男声で答えておいた。
この日の高跳びで私は何だか物凄く調子が良かった。1m20cm, 1m30cm, を2度目までにクリアし、これまで1度もクリアしたことのなかった1m40cmも1発目で飛べてしまった。きゃー、すごーいと思う。
それでも予選通過標準記録の1m45cmを3回とも失敗してしまったので、さすがに決勝には行けないかと思ったのだが、その日は予選通過標準記録を飛べた選手が少なかったらしい。
それで、1m40cmを1発目で飛んだ私と、もうひとりの選手の2人が追加で決勝に出られることになった。
チームに戻って予選の結果を報告すると
「おお、凄い、凄い」
とみんなから褒められる。
「冬ちゃん、凄いね。練習でも1m40cm飛んだこと無かったよね?」
「ええ。いつも1m25cmくらいが限界で。1m30cmもまだ2回しか飛んだことないです」
その時若葉が「あっ」と言った。
「先生、冬が1m40cmを飛べた理由が分かりました」
「へ?」
「さっき、冬はミニスカ穿いてチアガールしてたでしょ。この子、女の子の服を着ると能力が上がるから、さっきの余韻が残ってたんですよ」
「ああ!それありそう」と美枝も言う。
「だったら、冬ちゃんのユニフォームは今度からスコートにしようか?」
と加藤先生は、けっこうマジな顔で言った。
15時から行われた走り高跳びの決勝ではバーが1m50cmから始まったので、私はあえなく3回とも失敗して、戻って来たが
「しまった、直前にスカート穿かせるべきだった」
などと言われた。
それでもその年は3年生の選手層が厚かったし、絵里花さんや貞子、石岡さんや野村君など、1〜2年も活躍して、私たちのチームはどんどん点数を重ねていき、2位に大差を付けて優勝した。
ちょうどその時間に回ってきた教頭先生が缶ジュースをおごってくれて、全員で乾杯した。
「加藤先生、これで先生がこの中学に来られてから6回目の優勝ですね。ホントに凄いです」
と教頭は言うが
「いえ。私は何もしてないですよ。生徒達が頑張ってくれただけです」
と加藤先生はにこやかに答えていた。
大会が終わった後、私は他のチームメイトと別れ、電車に乗って成田に向かった。その日、ドイツに短期留学していたアスカが帰国するのである。
私が成田空港に到着したのはアスカとお母さんが乗る便が到着して少し経ってからのようであったが、入国手続きに少し時間が掛かったようで、結構待ってからアスカたちは出てきた。
「お帰りなさい、そして優勝おめでとう!」
「あれ、私のコンテスト優勝知ってた?」
「だって、新聞に載ってましたよ」
と言って、私は新聞記事の切り抜きを見せる。
「すげー! こんなにでっかく載ってる」とアスカ。
「あら、私もびっくり」とお母さん。
「だって地方の小さな大会なのに」
「ヨーロッパの大会で日本人が優勝したとなると、マスコミは騒ぎますよ」
と言って私は微笑む。
「いや、帰国しようと思ってたところで、ここで大会があるから腕試しと大会に慣れるの兼ねて出てみない?と言われてさ、それで帰国の予定を延ばして行ったみたら優勝しちゃって」
「アスカさんの腕だもん」
「でも私より上手い感じの人が2人くらい居たよ。それで刺激になるなと思ってたのに」
「コンテストって純粋な技術だけの問題じゃなくて、その演奏の出来具合が評価されるから」
「うんうん、私の先生もそれ言ってた」
「それにアスカさん、舞台度胸があるし」
「あ、それは自信ある」
と言ってアスカは微笑んだ。
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【夏の日の想い出・風の歌】(1)