【夏の日の想い出・変セイの時】(1)

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小学4年生の秋。私はお祭りの集合場所に遅刻して行き「君そこの集会所ですぐ着替えて」と言われて行ってみたら、そこにあったのは女子のお祭り衣装だった。女の子と間違えられたんだ! と思ったものの、遅刻してきておいて着替えにまた手間取っていてはと思い、私はそのまま女子の衣装を着てお祭りに参加した。
 
すると女子たちは「あ、似合ってる」などと言い、男子たちも「別にどっちの衣装でも構わん」などと言ってくれて、私はクラスメイトたちにそのまま受け入れてもらえた。
 
そして女子の衣装を着た私に、女子たちは積極的に話しかけてくれた。私は小3の12月末に東京に引っ越してきて以来、全然友だちができず、男子とも女子とも会話ができずに孤独な学校生活を送っていたのが、これをきっかけにして女子たちと話ができるようになった。
 

そのお祭りの翌日は「体育の日」でお休みではあったが、お祭りの総括のための子供会が開かれたので集会が行われる学校に出て行った。
 
子供会の会長(6年生)が遅れてきていたので、その間みんなおしゃべりをしている。私の近くでは奈緒たちが遊園地に行く相談をしていたので、つい興味を持ってそちらを見てしまったら、
 
「冬ちゃんも遊園地行く?」
と言われた。それで
「うん。ボクも行きたい。一緒に行っていい?」
と言うと
 
「うん。冬ちゃんならいいよ」
と有咲が言う。
「どうせならスカート穿いて出ておいでよ。多分持ってるよね?」
などと奈緒。
「えー!?どうしようかなぁ」
と私は答えてしまってから、この反応は「スカートを持ってる」という返事に等しいことに気がついてしまった。
 

子供会が終わった後、各自いったん家に帰ってお昼を食べてから13時半に遊園地の入口で集合することになる。
 
私は家で母・姉と一緒にお昼を食べると
「友だちに誘われたから、遊園地に行ってくる」
と告げた。
 
すると母は
「へー。珍しい。東京に来てから友だちと遊ぶってのが無くなったみたいで心配してたけど、誘ってくれる友だちができたんだ!」
と喜んでくれて、お小遣いに、遊園地の入園料(小学生300円)を含めて100円玉10枚と「余ったら返して」といって千円札3枚を渡してくれた。
 
私は自分の部屋で女の子下着を身につけ、トップには中性的なパーカー、ボトムには膝丈のスカートを穿いた上で、そのスカートの上にズボンを穿いて、財布とハンカチ・ティッシュにボールペンとメモ帳を入れたポシェットをリュックに入れ
「行ってきまーす」
と言って出かけた。そして自宅から少し離れた所の物陰でズボンを脱いでリュックに入れてしまった。
 

バスに乗って遊園地前で降りる。
 
奈緒が既に来ていた。
「おぉ!スカート姿の冬ちゃん、可愛い!」
と言われる。
 
「えへへ。スカートでの外出は初めて」
「へー。でもやっぱり持ってたんだ?」
「うん。こっそり部屋の中で穿いてただけ」
「ふーん。じゃ、これからはどんどん穿いて外に出てきなよ。学校にも穿いておいでよ」
「えー?それはちょっと恥ずかしいかなあ」
「でもそれでバスに乗ってここまで来たんでしょ?」
「うん」
「不特定多数の人に見られる方がずっと恥ずかしい気がするよ。それが平気なんだから、学校では平気だよ」
「そ、そうかな?」
 
やがて他の子も到着するが、みんなから
「可愛い!」
「似合ってる!」
と言われた。
 
「もう冬ちゃん、男の子辞めて女の子になっちゃいなよ」
「そうそう」
「学校にもこれで出てくればいいよね」
「変性届か何か出せばいいんじゃない?」
「あ、じゃ名前も変えなくちゃ」
「名前は冬子でいいんじゃない?」
「私が代筆してあげようか?」
「え−!?」
 
「こんな感じでどう?
《変性届 4年3組唐本冬彦
私は性別と氏名を変更しましたので下記届け出ます。
旧性別・男 新性別・女
旧氏名・唐本冬彦 新氏名・唐本冬子》
はい。これあげるから、明日先生に出しなよ」
 
「えっと・・・」
「冬ちゃんって、こういうの真に受けそう」
「うん。でも出してもいい気がするよ」
「どうしよう?」
 
「ほら。ほんとに悩んでる!」
 

その日はそのスカート姿で遊園地の中でたっぷり遊んだ。
 
いきなり遊園地内にあるジェットコースター3つに連続して乗るが、それまで私はジェットコースターは苦手だったのが、この日はそんなに怖くない気がした。
「これ、結構楽しいかも」
「うんうん、楽しいよね」
などと言い合う。
 
その後、バイキングではさすがに平衡感覚がおかしくなって1分くらい立てなかったものの、ティーカップは割と平気で、どんどん手で回転させて、一緒に乗っていた有咲の方が「ストップ!もう回さないで!」と叫ぶほどであった。
 
ゴーカートは奈緒とふたりで乗ったが、私の運転を見て奈緒は
「ふーん。女の子にしては運転がうまい」
と言ってくれた。そういう言われ方をすると嬉しくて心がとろける感じだった。
 
どうかした子なら
「へー、冬ちゃん、運転うまいね。さすが男の子だね」
などと言われて、傷つくところだ。
 
動きの大きな乗り物をだいたい制覇したところでジュースを飲みながらいったん休憩する。
 
「でも実際冬ちゃんと色々おしゃべりしてると、私、冬ちゃんの性別が分からなくなっちゃったよ」
とひとりの子に言われる。
 
「冬ちゃんって、一応男の子だよね?」と別の子に訊かれて私は
「よく分かんない」
と言ってしまった。
 
「自分でも分からないのか」
「道理で私たちが分からない訳だ」
「いや、以前から冬ちゃんって、実は女の子なのではという噂はあった」
「そんな噂あったの!?」
「そうそう。冬ちゃんって男なのかな?女なのかな?って言ってたよね」
 
すると有咲が
「冬ちゃんの性別か。私が占ってあげようか」
と言ってリュックの中から何やらカードを取り出した。
 
「トランプ占い?」
「ううん。これはタロット」
「わあ、凄い!有咲、タロットできるの?」
「ピアノ教室の先輩の中学生のお姉さんから習った」
「へー」
 
私は「ああ、ピアノ教室か・・・いいなあ」と思ってその話を聞いていた。
 
小学校1-2年の時は、学校の音楽準備室で毎日ピアノを弾いていて、深山先生から指導も受けていた。3年生になってからは深山先生は転任してしまったものの、自主的な練習は続けていた。しかしこちらの学校に転校してきてからは、学校に自由に弾けるピアノがなく、私はちょっとピアノに飢えていた。
 

有咲はそのタロットを何度も何度も手の中でシャフルしていた。
 
「冬ちゃん、誕生日はいつ?」
「あ、えっと10月8日」
「え? じゃ、冬ちゃん今日が誕生日?」
「うん」
「おお、それはおめでとう!!」
 
と言って、みんなから祝ってもらった。
「ありがとう」
と私は本当に嬉しい思いでみんなに感謝した。
 
「1と0と8を足して9だから、9枚目を開くね」
と言って有咲はタロットの上から9番目のカードを開いた。
 
「High Priestess」
と書かれていた。
 
「なあに?そのカード」
 
「これは女教皇というカードだよ。ローマ教皇って基本的には男しかなれないんだけどさ。昔ヨハンナという女の人がいて、男装して神父をしている内に出世して、教皇にまでなっちゃったんだって」
と有咲が説明する。
 
「へー」
 
「要するに男装女子ってこと?」
「そうそう。冬ちゃんは男の子の格好をしていても中身は女の子ってことだね」
 
えー!?というので、こんな占断は自分でびっくりした。
 
「宝塚の男役みたいなもの?」
「ああ、そんな感じそんな感じ」
 
「中身が女の子ってことは、おちんちんは無いのかな?」
「おっぱいあったりして?」
 
「あれ、冬ちゃん、水泳の授業の時は男子の水着だった?」
「あ!冬ちゃん、水泳の授業は全部見学してた」
「あ、あはは・・・」
 
「それってさ、実は女の子だから、男子の水着にはなれなくて、見学で押し通したってことでは?」
「おっぱいあったら男子の水着にはなれないよね」
「うちの学校の男子水着っておちんちんの形がくっきり出るけど、冬ちゃんならそこに何もなくて、女の子と同じ形だから、それも恥ずかしいとか」
 
「えー? そんなことは無いと思うけど」
 
「じゃ、冬ちゃんは男の子なの?」
「うーんと。。。。自分の意識としては女の子のつもりなんだ、本当は。でも、戸籍上は男ということになってるんだよね。だから小学1年の時の担任の先生から君は男の子なんだから、と散々言われて、それでちょっと男の子の振りしている感じかな」
「ああ・・・」
「そうか。男の振りをしていただけか」
 
「じゃ、やっぱり本当は女の子でいいんだよね?」
「普段ももっと私たちとおしゃべりしようよ」
「これからは女子で集まる時は冬ちゃんも誘っちゃおう」
「それは嬉しいかも」
と私は正直な気持ちを言う。
 
「よしよし。じゃ、今日みたいに集まる時は誘うから、冬ちゃんスカート穿いてきてね」
「えー? だってみんなあまりスカート穿いてないじゃん」
「うん。でも冬ちゃんはスカート穿くように」
「うんうん。それが参加の条件ね」
「あはは、どうしよう」
 
「学校にもスカート穿いてくるといいよね」
「そうそう。さっきもそれ話してたの」
「冬ちゃんは明日変性届を出すから」
「変性って男の子から女の子に性別を変えるってこと?」
「そうそう」
「今日はお誕生日でいいタイミングだから、10歳になったのを機に男の子から女の子に変性しちゃうといいね」
「賛成!賛成!」
 
私は本当にさっき渡された「変性届」を提出して学校にもスカートで出て行きたい気分だった。
 

休憩の後は、みんなで園内を一周する汽車に乗ったり、ミラーハウスに入ったり、ボールプールで遊んだりした。ボールプールが結構楽しくて、時を忘れる感覚だった。
 
何度かボールの海の中でひっくり返ったり、あるいはわざとひっくり返されたりしたが、パンツが見えてしまうので
「あ、冬ちゃん、女の子パンツだ」
などとも言われる。
 
「ふだんもパンツは女の子用?」
「ううん、今日だけ」
「学校にもそれ穿いておいでよ」
「うーん。どうしようかなあ」
 
そしてその日を境に、私は女の子たちとほとんど垣根の無い感じで話ができるようになったし、特に奈緒や有咲とは「ちゃん」を付けずに呼び捨てで「奈緒」
「有咲」「冬」と呼び合う間柄になることができた。奈緒・有咲とは6年生までずっと同じクラスであった。
 
また有咲も奈緒も自宅にアップライトピアノを持っていたので、私はしばしばこのふたりの家でピアノを弾かせてもらい、その時期の私にとって貴重なピアノレッスンの時間にもさせてもらっていた。
 

5年生になって夏も近づいてくる感じのあった頃のこと。
 
私は朝起きた時、何だか喉の調子がおかしい気がした。声がかすれるのである。おかしいなあ。昨夜はちゃんとうがいをしてから寝たのに。風邪じゃないよね。などと思いながら、学校に行く。
 
「あれ、冬ちゃんちょっと喉の調子悪い?」
「うん。何だか朝から変なんだよね〜」
 
などといったことを女子の友人たちと話していた。
 
昼休みにトイレ(一応自制的に男子トイレ)の個室で用を達していた時、個室の外で同級生の男子2人の会話が聞こえた。
 
「へー、お前の兄ちゃん、やっと声変わりが来たの?」
「そうそう。中学2年で声変わりってかなり遅いよな」
「うちのクラスでも**とか**とかはもう声変わり始まった感じだし」
「だいたい小学5年から6年くらいで来る奴が多いよな」
 
その会話を聞いた時、私は衝撃を覚えた。
 
自分のこの喉の調子がおかしいのは。。。。声変わりの前兆だ!!
 
それはショッキングな出来事だった。
 
自分としては漠然と身体は男でも女としてやっていきたいと思っていた。しかしそんな気持ちとは無関係に押し寄せてくる、体質男性化の波・・・・
 
4年生の時にも随分自慰で悩んだ。したくないのについしてしまうその気持ちとの戦いは数ヶ月に及び、様々な工夫で、何とか自慰はほとんどしなくても済むように押さえ込んだ。
 
しかしそれにも関わらず、今自分に声変わりが来ようとしている。
 
嫌だ!
 
男の声になってしまうのなんて・・・・
 

その日、1日中私は落ち込んだ気持ちでいた。
 
奈緒から「どうしたの?」と言われたけど「うん、大丈夫」と答えておいた。
「あ、やっぱり体調がよくないのかな。ゆっくり休むといいよ」
「うん。ありがとう」
 
でもその晩は眠れなかった。東京に引っ越して来てから、1年近く友だちができなかった。それが昨年のお祭りの時のハプニングを機会に、女子のクラスメイトたちとふつうにおしゃべりできるようになった。それから半年ほどの学校生活での充実感。
 
でもそれは彼女たちが自分を「女の子」と見てくれているからだ。自分がこれからどんどん男性化していったら、やはり彼女たちとの関係はもう維持できなくなってしまうのではなかろうか・・・・
 
特に声が男になってしまったら。
 
どうしても彼女たちとの間に壁ができてしまう。
 
そんな気がした。
 
それは絶望に近い孤独感に襲われる気分だった。
 

後から考えても、なぜその日自分がそういう行動を取ったのかは分からない。
 
ただ気がつくと私は「ちょっと出かけてくる。夕方までには戻る」と母に言って家を出ていた。ズボンの下にスカートを穿いていたので、物陰でズボンを脱ぎ、スカート姿になった。
 
自分の貯金通帳を持ち出していたので郵便局に行き、貯金を全額下ろした。修学旅行の積立てで、3万円ほどの金額が入っていた。
 
私はそのお金を持ち電車に乗って東京駅に出た。そしてふらふらと別のホームに移動し、ちょうど来た電車に乗ったが、行き先も見ていなかった。私はぼーっとしていたが、ふと「次は阿豆、次は阿豆」と静岡県の温泉町の名前が告げられる。
 
あ、ここ以前一度来たな、と思った。
 
私は電車を降り、駅で運賃を精算して外に出る。
 
温泉の硫黄の臭いがするが、それは心地よさを感じさせるものであった。
 
でもこんな所までふらふらと出てくるなんて、まるで私、自殺でもするかみたい、などと思ってからハッとした。
 
自殺・・・・!?
 
それは本当にその瞬間まで全然考えていなかったことだった。
そして次の瞬間、この町の外れに、有名な自殺スポットがあることを思い出した。
 
私って、自殺するためにここに来たのかしら??
 
そうだなあ。死んじゃってもいいかも知れないという気がした。
男の身体になってしまうって、何だか耐えられない気分だった。
それで苦しむより、まだ男になりきっていない、今の身体のまま死ねたらいいかも知れない。
 

そんなことを考えつつ、町を歩いていたら、何やら広場で賑やかな声がした。
 
何だろうと思って近づいて行くと
「素人民謡大会」
という看板が出ていた。へー、民謡大会か。
 
と思って眺めていたら、
「あ、君、大会の参加者?」
と声を掛けられた。へ?
 
「参加する人はこのエントリーシートに名前と年齢・性別を書いて、受付に出して」
と言われて、紙を渡される。私は
「はい、ありがとうございます」
と言って受け取った。
 
ふーん。民謡大会かあ。ちょっと面白いかも、と思い何気なく参加要項を見ていたら
「プロとしてレコード/CDを出したことのない人で、日本国内在住・中学生以上」
などと書かれている。
 
CDは出したことないけど、中学生以上じゃ出られないじゃん!
 
と思ったものの、私は何だかこの大会に出たい気分になってしまった。よし、年齢は誤魔化しちゃおう。私、中学生でも通るよね? 中学生でも結構幼い感じの人はいるもん。特にこのくらいの年の女の子って、発達の個人差が大きいから、年齢が分かりにくいんだよね。
 
それで私はエントリーシートに
《冬子・12歳・女・中学生・東京都》
と書いてから、名前だけじゃまずいよね〜。苗字も無くちゃと思い、いったん《冬子》と書いたところに文字を書き足して《美冬舞子》にしてしまった。曲目は何を歌おうかと一瞬考えたのだが、ここは静岡県だしと考えて『ちゃっきり節』
と書いた。
 
受付に提出するが、特に年齢確認のためのものとかは求められなかったのでホッとした。割と適当なのだろう。
 
順番を待ちながら他の人たちの歌を聴く。わあ、気持ち良さそうに歌っている。あ、この人凄く上手い、などと考えながら聴いていたら、いつの間にかさっきまで自分が自殺とか考えていたこともきれいに忘れていた。
 

やはりご当地ソングだけあって『ちゃっきり節』を歌う人も結構いる。私はそれを聴きながら心の中で自分でも歌って、練習とさせてもらった。小さい頃は他人の歌を聴いてしまうと、ついそれをそのままコピーして歌ってしまったものであるが、今はそのようなことはない。ちゃんと自分の唄い方をすることができる自信があった。
 
やがて自分の番が来る。私はステージに上がった。
 
「24番、東京から来ました中学生、美冬舞子と申します」
と言ってから、三味線と太鼓の伴奏を聴いて唄い出す。
 
「唄はちゃっきりぶ〜し〜〜、男は〜次郎長〜、花はた〜ち〜ば〜な〜、夏はた〜ち〜ば〜な〜、茶のか〜を〜り〜」
 
と唄ってここで裏声を使い
「ちゃっきり ちゃっきりちゃっきりよ」
と唄う。
 
高音が出にくくなっているのは意識していたので、この部分は少し慎重に声を出したら、かえって可愛い感じにまとまって自分でも「おおっ」と思った。
 
「きゃァるが啼くんて、雨づ〜ら〜よ〜」
 
これまで「ちゃっきり節」を唄った人は、みんな1番を唄ったところで停められたので自分もそうだろうと思ったのだが、まだ唄ってよいような雰囲気である。それで続けて
 
「茶山、茶どこ〜ろ〜、茶は縁どころ〜」
と2番も唄い出す。2番以降の歌詞は3年くらい前に1度聴いたことがあっただけだったが、その微かな記憶を掘り出しながら唄う。
 
何かサービスで2番まで唄わせもらえるのかなと思ったが、2番を唄い終わってもまだ停めが入らない。それで
「駿河よい国、茶の香がにほうて」
と3番を唄い出す。さすがに3番までかなと思ったら、まだ停めが入らないので更に4番も唄う。
 
結局5番まで唄ったところで
「はい、結構です」
と言われた。
 

お辞儀をしてステージから降りる。観客から暖かい拍手が来て、拍手されるっていいな、と私は思った。
 
その後で唄う人たちを会場の客席パイプ椅子に座って聴いていた時、スタッフの腕章を付けた人が私に近づいて来て訊いた。
 
「ね、ね、あなたプロじゃないですよね?」
「あ、はい。素人です」
「唄とか三味線とかの名取りじゃないよね?」
「はい、名前は頂いていません」
「どこかの事務所と契約してたりはしない?」
「してません」
「CD出したこともない?」
「はい、ありません」
「了解です。失礼しました」
 
私は年齢や性別を疑われたりしないかと、そちらの方が気になっていたので、それを訊かれなかったことでホッとした。
 
やがて出場者全員の歌唱が終わり、審査が行われている間、ゲストの民謡歌手の人が唄う。『武田節』と『下田節』を唄ったが、すご〜い! うま〜い!と思った。『武田節』の中の「鞭聲粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河をわたり」
という詩吟部分も格好いい〜!と思ったし、小節(こぶし)の回し方が物凄く心地良い。あそこまで回すには物凄く喉を鍛えているはずだ。
 
と思った時、ふと考えた。
 
声変わりって、つまり声帯が伸びるんだよね。でもギターやヴァイオリンの弦を途中で押さえて鳴らせば高い音が出るように、もし声帯が伸びちゃったとしても、長い声帯を短く使えば高い音は出るはず。
 
それでは、なぜ昨日の朝から高い声が出にくくなったか?
 
それは伸びた声帯に筋肉の成長が追いついてないからだ。
 
だから、多少声帯が伸びたとしても、その分喉の筋肉の方も鍛えたら、ちゃんと高い声を出すことはできるのではないか?
 
私はそれを思いついた時、一筋の光明を見たような気がした。
 

ゲストの歌手が唄い終わり、審査委員長さんがステージに上がった。
 
「それでは審査結果を発表します。まず1位、○○○○さん」
 
それは私より3人くらい後に唄った30歳くらいの女性だった。その人も凄く巧い!と感動しながら聴いていた。『磯節』を唄った人だ。大きな拍手に包まれてステージに上がり、記念品のトロフィーと賞金10万円をもらっていた。
 
きゃー、優勝すると10万円か。凄いなあ。
 
「次は2位、****さん」
 
この人の唄は聴いていない。おそらく私がここに来る前に唄った人なのだろう。この人も拍手の中、ステージに上がり、記念品の盾と賞金5万円をもらっていた。
 
わあ、いいなあ。私も少し民謡練習しようなかなあ。喉の鍛錬には良さそうだし。そしてこういう所で入賞できるようになれるのを目標にして。
 
そんなことを考えていた時、司会者さんが次の名前を読み上げる。
 
「そして3位、美冬舞子さん」
 
え?
 
拍手が湧き起こるが誰も動かないので司会者さんが再度呼ぶ。
 
「美冬舞子さん、おられませんか? 帰られたのかな?」
 
そう言われて私は
「済みません。居ます!」
と大きな声で言い、ステージに駆け上がる。
 
うっそー! 3位? 信じられない!!
 
審査委員長さんから、記念品のメダルと賞金3万円を頂いた。
 
きゃー、こんなにもらっちゃったよ。いいのかなあ。
 
1位の人を中心に、2位の人が左、3位の私が右に並んで、会場に向かってお辞儀をすると、再び大きな拍手が来た。
 
そして私は昂揚する気持ちを抑えながらステージを降りた。
 

その日の帰り道の記憶は飛んでいる。飛び込みで参加した民謡大会で思いがけず入賞して、賞金までもらっちゃって、心ここにあらずの状態だったのだろう。
 
取り敢えず私は翌日、貯金の引きだした額と同じ額をまた郵便局に入れておいたが、それでも27000円ほどが手許に残った。凄ーい。これ秘密のお小遣いにしよう、と考える。
 
でもああいう大会に出るのっていいなあ。賞金がもらえたということ以上にステージで唄ったことの快感が忘れられない気がした。
 
また大会は無いかな?
 
うちの母の姉妹は全員民謡の名取りである。母も三味線の先生の資格を持っているのだが、少なくとも私が物心付いて以降、母が民謡を唄ったり、三味線を弾いている所を見たことがないし、そもそも家に三味線は無かった。
 
しかしそれでも一応何とか会という民謡の団体には所属しているので毎月その機関誌が送られて来ている。母はそれを開封もしていなかったが、私は時々それを読んで、母の姉たちの活躍を見ていた。
 
私はその機関誌の最新号を開いてみた。
 
あるある。
 
全国の民謡の大会のリストが載っている。次週の日曜は甲府で大会がある。確認してみると飛び込み参加可能だ。出場資格を見るとプロでない人で10歳以上となっている。よし、これなら堂々と参加できるじゃん! 甲府まで行って来よう。
 

そういう訳で、私はまた翌週の日曜日、女の子の服を着て「あずさ」に乗り、甲府まで行った。今度はちゃんと予定を見て行動しているので、大会が始まる前に到着できた。
 
《美冬舞子・10歳・女・小学生・東京都》
とエントリーシートに書こうと思ったのだが、ふと思い直す。
 
私は先週、静岡県阿豆の大会で12歳と自称した。民謡の世界って結構世間が狭いから先週の審査員の人で今週のこの大会にも審査員で来ている人がいるかも知れない。だったら10歳と書くのはやばい。
 
そこで私はまた
《美冬舞子・12歳・女・中学生・東京都》
と書いて提出した。今回唄う曲は『木曽節』である。これは幼稚園の頃に結構唄っていた記憶があった。当時祖母にも指導されたし、小学生になってからも機会あるごとに伯母たちに随分指導を受けて細かい歌唱法を鍛えられている。先週唄った『ちゃっきり節』よりは自信のある曲である。
 
しかし大会が始まると「きゃー」っと思った。
 
レベルが高い!
 
先週、阿豆で飛び込み参加した大会は、民謡の機関誌の大会リストに無かった。おそらくマイナーな大会だったのだろう。しかしこの大会に出てきている人はレベルが違う。たぶんみんな民謡教室で練習している人たちばかりだ。
 
参った。今日は良い唄を鑑賞して帰るということに意義を見いだそう。
 
そう思いながらも、やがて自分の順番が来て、私はステージに立つ。
 
伴奏の三味線の音がクリア! 先週の微妙に頼りげなかった伴奏とは違う。伴奏する人たちも上手い人たちが来ている。よし、この上手な伴奏での歌唱を体験することでよしとしよう、と私は開き直った。
 
そして唄い出す。
「木曽のナァー中乗りさん、木曽のおんたけさんはナンチャラホイ」
 
唄い出すと何だか気持ちいい。すぐに停められる雰囲気も無いので私はとっても気持ち良く、この唄を熱唱した。それにこの唄はあまり高い声を使わないので、今の私の喉の状態でも、けっこう何とかなる。
 
1コーラス歌ったが、まだ停められないので、続けて別の歌詞で唄う(木曽節の歌詞は数百種類あると言われる)。
 
「花のナァー中乗りさん、花の寝覚がナンチャラホイ」
 
そんな感じで2コーラス目を唄いきっても、まだ停められない。私は調子に乗ってどんどん別の歌詞で唄っていく。
 
そして4コーラス唄ったところで終了の合図があったので、私はお辞儀をして下がった。観客席からたくさん拍手をもらって、私はとてもいい気分だった。
 

今日は早めのエントリーだったので、私の後で唄う人たちがとてもたくさんいた。私はそれを楽しく聴いていた。
 
全員の歌唱が終わり、15分間の休憩があった。トイレに行く。スカートを穿いているし、私は当然のように女子トイレに入る。そして長蛇の列に並ぶ。休憩時間になる前に行っておけば良かったのかも知れないが、全員の唄を聴きたかったのである。
 
とっても長時間待って個室に入り、用を達すると、ふっと息をつく。10日ほど前、声変わりの兆候があった時に感じた絶望を忘れてしまいそうだ。私はこの時、民謡を唄うことに大きな歓びを感じていた。そして民謡って喉を鍛えるのにはとってもいいかも知れないとも思っていた。そして喉を鍛えていれば声変わりを克服できるかも知れないという気さえしていた。
 
会場に戻る。
審査結果が発表される。
 
「第1位、□□□□さん」
「第2位、△△△△さん」
と呼ばれて、その後、
「第3位、美冬舞子さん」
と呼ばれた。
 
やった!また入賞した!
 
正直今日はほんとにハイレベルだったので、とても入賞できないだろうと思っていたので、その中での入賞は嬉しかった。
 
ステージで賞状と賞金を頂く。
 
観客からの大きな拍手をとても心地良く感じた。
 

この日の賞金は大会規模が大きかったこともあり10万円もあった。きゃー!なんて素敵な。
 
私は翌週は今度は前橋に出かけてやはり民謡大会に出場し、ここでは『草津節』
(草津よいとこ一度はおいで、という歌詞)を唄って2位になり、また賞金8万円を頂いた。嬉しいな。これだけ秘密のお小遣いがあったら、女の子の洋服が少し買えたりして、などと思う。
 
実は女の子用の下着を少し買いそろえたい気分でもあったのである。特にこの頃私はブラジャーを買ってみたくてたまらない気分だった。
 

会場を出て前橋駅でちょっと本の立ち読みをしていた時、
「ちょっと済みません」
 
と言って、40代くらいと20代くらいの女性2人組に声を掛けられた。
 
「はい?」
と言って振り返ってから、その20代の方の女性に見覚えがあったので、私は思わず声を上げてしまった。
 
「津田先生!」
 
相手はそう言われてびっくりしたようであった。それは愛知に居た時、小学1年生の時に習った習字の先生だったのである。
 
「あ、違った、苗字は大石になったんでしたね?」
「あ・・・もしかして、あなた唐本さん?」
 
と相手もこちらを認識した。
 
「はい!」
「でも女の子の格好・・・」
「あ・・・これは私の趣味というか・・・」
「へー! 可愛くなるね。こんなに可愛くなるなら、女の子の服着てもいいと思うよ。というか、さっきのステージ、女の子にしか見えなかったよ。声も女性の発声だったし」
 
「えー!?さっきの民謡大会、見ておられたんですか?」
「そうそう、それで」
と40代の方の女性が言う。
 
「あなた、先週、甲府の大会に出てたわよね?」
「はい、出ました」
「その前の週は阿豆の大会に出てたよね?」
「はい。きゃー、全部見られていたなんて恥ずかしい」
 
「もしかして大会荒し?」
「そんな、大それた。ステージで歌うのが気持ちよくてハマってしまって。結果的に入賞して賞金まで頂けたら、言うことないですけど」
 
「いや、君はこれ以上素人の大会に出ちゃいけないよ。次はプロの大会に出よう」
「えー?でも私プロじゃないし」
 
「私がプロと認定するよ。名前も無償であげていい」
「うんうん。唐本さん、既にプロのレベルに達してるよ。あの歌い方。特に先週の『木曽節』は、あれ木曽節の大会に出ても入賞できるかもってレベルだったよ」
「そんなに凄いかしら?」
「うんうん、凄い凄い」
 
「あ、すみません、こちらの方は」
「あ、ごめん。紹介しなくて。こちら、うちの父です」
 
私は聞き違えたかと思った。
 
「お母さん?」
「ううん。お父さん。もっとも性転換しちゃったから、ある意味ではお母さんだけどね」
「えーーーー!?」
 

結局、津田親子の車に乗せてもらい、東京に戻りながら車の中で話すことになった。親子の呼び分けが面倒なので、私はお父さん(お母さん?)の方を津田さん、娘さんの方を先生、と呼ぶことにした。
 
「麗花が結婚するまでは、性転換の治療をするのを控えていたんだよ。だから麗花の結婚式には、ちゃんと紋付き袴を着て出たよ。男装している気分だったけど」
 
「お父さんは私が物心付いた頃から、家の中では女の人の格好をしてたのよね。だから、むしろ男装している所を見るのが変な気分だった」
「へー」
 
「結婚式が終わってから、会社も辞めて、タイに渡って性転換手術を受けた」
「タイ?」
「うん。タイは性転換手術が盛んだから、日本とかアメリカからもタイに手術を受けに行く人は多いんだよ」
「そうだったのか・・・」
 
「性転換してもお母さんと仲が良いね。手術にもお母さんが付き添いでタイまで行ってあげてたしね」
「うん」
「女の人の身体になった後も、夜は一緒に寝てるよね」
「私のおちんちんはもう10年前から機能停止してたから、夫婦生活は手術前と後でほとんど変わってないんだわ。睾丸は麗花が生まれてすぐの頃に取ってしまっていたしね」
「へー」
 
私は「夫婦生活」という意味はよく分からないままも、何だかいいなあと思った。
 
「唐本さんも性転換手術受けたい?」
「受けたいです。でも、津田さん、声も女の人。それに喉仏も無いし」
 
「声は発声法なのよ。男でも努力すれば女の声が出せるものなの」
「ああ、やはりそうなんですね!」
 
私は半月ほど前に声変わりの兆候が訪れたことを言い、それからかなり悩んだものの、喉の筋肉を鍛えたら、女性の声が出るのではないかと思ったことも語った。
 
「その推察は正解ね。喉仏はどうにもならないけど」
「じゃ、津田さんの喉仏は?」
 
「私の喉仏は手術して削ったの」
「わあ」
「でもそのおかげで、声域が小さくなってしまった。声を犠牲にするか、喉仏を我慢するかって、かなり悩んで、私は喉仏を手術する道を選んだ」
「う・・・私ももしかしたら、悩まなきゃいけないのかなあ・・・」
 
「唐本さん、カストラートって知ってる?」
「知ってます。9歳か10歳くらいで、おちんちん取っちゃって、ソプラノの声を維持した人ですよね」
「おちんちんじゃなくて、タマタマの方ね」
「あ、そうだったんですか!」
 
「おちんちんは取らないわよ。その子たち女の子になりたかった訳じゃないから。タマタマを取れば、声変わりは来ないから」
「あ、そうなのか・・・・」
 
「小学5年生の性知識だと、こんなものかな」
などと津田さんは笑っている。
 
「今タマタマ取っちゃえば、声変わりはこれ以上進まないし、喉仏も大きくなったりしないわよ」
「お父さん、小学生に変なこと唆したらダメ」
 

私たちは都内に入ってから、ファミレスで休憩し、話を続けた。母に電話して予定より少し遅くなることを伝える。先生が替わってくれて、偶然遭遇したので懐かしくて、少しお引き留めしていますと言ってくれた。母も先生のことは覚えていたので、ご無沙汰しておりましてなどと挨拶をしていた。
 
「私は元々音楽関係の仕事をしていたのよ。色々コネあるから、もし唐本さんがCDデビューとかしたいと思ったら、紹介してあげてもいいわよ。もちろんすぐにはデビューできないだろうけど、レッスンを1年も受けたら行けるかも知れない。今小学5年生なら中学になると同時にデビューとかもいいかもね」
「まだそこまでの気持ちは」
 
「でも中学生の民謡歌手は結構いるよ。私は麗花が結婚してから会社を辞めてすぐ性転換手術を受けて、半年ほど身体を休めてから、民謡の教室を開いたのよね。私、若い頃に唄と三味線と尺八の先生の免状をもらってたから」
と津田さん。
「わあ」
「私も三味線は弾けるから、父の教室の手伝いをしてるのよね」
と先生。
 
「だから、あれだけ歌えてるなら、今すぐあなたに名前あげていい」
「ごめんなさい。私の母も民謡の先生で」
「そうだったんだ!」
 
「でも、私が物心付いて以降、母が民謡を唄ったり三味線弾いてる所を見たことがありません」
「あらあら」
「私が生まれるより前に挫折したんだと言ってました。でも母の姉たちが高山とか名古屋とか福岡とかで民謡の教室を開いているので、他で名前を頂いたりしたら叱られますから」
 
「そういうことなら、名前をもらう時はそちらの伯母さんたちからもらうことにして、大会に出たり、あるいは逆に大会や演奏会のお囃子隊とかになるような場合に使える、仮の名前をあげることにしようか」
「あ、はい、それなら」
 
「唐本さん、『冬子』という文字に字画を足して『美冬舞子』にしたって言ってたわね」
「ええ」
 
「じゃ、同じく『冬子』に字画を足して『柊洋子』なんてのはどう?」
「あ、何だかとっても民謡歌手っぽいです」
「じゃ、それで行こう」
 
そういう訳で、実は『柊洋子』の名付け親は津田さんなのである。
 

それから私は毎週、津田さんの教室に通うようになった。そこで発声法を学ぶことを通して、結果的に喉の筋肉を鍛えることになった。そのおかげで私はそれまで女子の友人たちとの会話に使っていた、ボーイソプラノ的な声(実際にはアルトボイス)を引き続き維持することができた。
 
一方で私は「お囃子」の発声も再度練習する。
 
「この声って、本気でソプラノですね」
「そうそう。ふつう男の人にはこの声は出ないけど、私は出るし、唐本さんも出てるわね」
と津田さんは楽しそうに言った。
 
民謡の唄の練習というのは半分が発声の練習と言っても過言では無い。私はこの変声期が来始めた小学5年生というジャストタイミングで、喉を鍛えて、結果的に女の子の声に聞こえる声をしっかり出す訓練を受けられる幸運に恵まれたのであった。
 
また麗華さんの方はピアノの先生の免許も持っているということで、待ち時間に少しピアノも教えてもらった。ピアノをきちんと習うのは小学2年生の時以来だったので、これもかなり勉強になった。この民謡とピアノのお稽古は、私が高校受験で多忙になるまで続けたが、高校生時代も時々顔を出していた。
 
私は津田さんの教室に通うにあたって月謝を毎月1万円払った。本当はもう少し高いようなのだが、子供だしということで負けてもらったのである。この月謝は親に出してもらうのではなく、自分で払っていた。
 
津田さんの勧めでいろいろなプロの大会に出場して、しばしば入賞して賞金を頂いたりしたこと、それからそのような大会や演奏会などの裏方の仕事を斡旋してもらったことにもよる。お囃子隊や、後には三味線の伴奏でも、あちこちに出かけて、その度に手当で1万円とか2万円とかを頂いた。この裏方の仕事は20歳頃までずっと続けていた。
 
なお、これらはあくまで「賞金」とか「謝礼」であり、お給料とかではない。また私は津田さんの教室と何らの契約もしていない。これは中学生以下の歌手を使う場合「雇用契約」をすると中学生以下を労働者として使用したことになって労働基準法違反になるので、あくまで津田さんの所は私と、大会事務局などとの仲介をするだけという立場を取るのである。これはジャニーズの若い歌手などもそういう形態である。(むしろジャニーズの若手タレントのためにこういうシステムが確立されたらしい)
 
そういう訳で、結果的に、このようなことをして音楽で稼いでいても、実は私はまだ契約的なプロではなかったのである!
 

また私は津田さんと、性のことも色々話した。私が今悩んでいること、これまで悩んできたことと、ほとんど同じようなことを津田さんも子供の頃悩んでいたということで、その話はとてもためになった。
 
また私は、本などを読んだり、ビデオなども見せてもらって、性のこと、生殖のこと、セックスのこと(セックスのビデオを見せてもらったのは強烈だった)、そして性ホルモンのことや性転換手術のこと、またたとえ性転換しても戸籍上の性別は変更できないことなども含めて(特例法の施行は私が中学1年の時)、色々なことを勉強していった。
 
「でも昔はカストラートというシステムがあったから、声変わりを停めることができたけど、今は逆にそういう道が無いよね」
「そうそう。女の子になりたい男の子は、みすみす自分の身体が男性化していくのを我慢しなければいけない。それで自殺しちゃう子もかなりいるはず」
 
私は津田さんたちと会う半月ほど前、自分もちょっとだけ自殺を考えたことを思い出していた。
 
「津田さん、何とかして・・・・男性化を止める方法って無いんでしょうか。私、東京に出てきてから最初なかなか友だちが出来なかったのに、自分のこういう性質を女の子たちに知られてから、女の子の仲間と思ってもらえて、今は日々楽しく女子の友人たちとおしゃべりしているんですけど、私が声も男になって、体つきとかもどんどん男になっていったら、彼女たちとの間にどうしても遠慮ができてしまうと思うんです。私は友だちを失いたくないんです」
 
津田さんの教室に3回目くらいに行った時、私は訴えた。
 
「私が10代の頃に悩んだことそのままだからね。全然他人事じゃないよ」
と津田さんは言った。
 
「色々な道はある。でもそれぞれ、後戻りできないことだし、君自身にとって重大な決断が必要だと思う。君はまだその決断をするための知識が絶対的に不足している」
と更に津田さんは言った。
 
「それは感じていました。私がそれを勉強する間、ちょっとだけモリトラアムを作れないものでしょうか?」
「モラトリウムかな?」
「あ、それです」
 
津田さんは少し考えているようだった。
 
「ちょっと来て」
 

私は津田さんに連れられて、都心のビルの中にある小さなクリニックに行った。
 
最初、津田さんがお医者さんと何やら話をしていた。それから私はカーテンを引いて津田さんにも見られないようにした中で、裸になってベッドに横になるよう言われ、お医者さんから身体のあちこちを触られた。おちんちんも随分いじられたし、タマタマも手の中でコロコロとされた。
 
「君、おちんちん立たないの?」
「去年まで立ってましたが、努力して立たないようにしました」
「なるほどね。オナニーはしてる?」
「もうほとんどしてません。今年は3月に1回だけ、ついしちゃいました」
「ふむ」
 
その後、服を着てから今度はお医者さんから直接私に色々質問をされた。また「自分史」というのを書かされた。私は涙を流しながら、先生の質問に答えた。それから血を採られて、検査をされた。心理テストみたいなのもされた。
 
「分かりました。私はあなたを性同一性障害と診断します。そして男性化を一時的に止めるため、微量の女性ホルモンを処方します」
 
と先生は言った。
 
「お願いします」
と私は答えた。
 
取り敢えず注射しますと言われて注射してもらう。
「これでいったん体内のホルモンバランスをほぼ中和したはずです」
「ありがとうございます」
 
そして貼り薬を渡された。
 
「この貼り薬を4分の1にカットしてお腹あるいは背中などに貼ってください。ベルトの当たる位置は避けて。週に1度貼り替えて、3週間貼ったら1週は休んでください。つまり女性の生理周期と同じサイクルにします。かぶれないように貼る場所は毎回変えた方がいいです」
 
「分かりました」
「貼ってすぐは吐き気などを催したり頭痛が起きたりする場合もありますが、女性の生理痛や生理前症候群と同じようなものです。生理前症候群って分かります?」
 
「はい。PMSですね。生理前、排卵した後の黄体期後半くらいに精神的に不安定になったり頭痛などが起きたりする現象ですよね」
「うん。ちゃんと勉強してるね」
「女子の友人から生理に関するパンフレットとかもらって勉強してます」
 
「ああ。それはいいね。ネットの情報は結構あやしいから気をつけて。あと、勝手に貼る量を増やしたり頻度を上げたりしないでください。一応3枚、つまり4ヶ月分処方します。途中観察したいから2ヶ月後にまた来て私の診察を受けて。それでこの薬の処方は最大6ヶ月までにします。それ以上やると、男性としての発育が阻害されますし、身体が女性化して、生殖能力も永久に失われます。その半年の間に、あらためて自分の将来についてよく考えること。できたらお母さんとも相談して。性のこと、生殖のことも再度勉強して」
 
「はい」
 
こうして私は初めての女性ホルモンを処方してもらった。
 
クリニックの代金はもちろん自分で払った。診察代・検査代・薬代で3万円であった。
 

私は女性ホルモンを処方してもらったことで、物凄く心が安定した。変声の兆候が出て以来、私はかなり精神的な不安の強い状態にあったのだが、この注射でその不安が一時的に消える気がしたのである。
 
ところが!
 
私はこの注射をしてもらいホルモン薬も貼った夜、数ヶ月ぶりのオナニーをしてしまったのである。
 
何で自分はこんなことしちゃったんだろう、と凄く落ち込んだのだが、津田さんから電話があった。
 
「昨夜『おいた』しなかった?」
「どうして分かるんですか?」
「女性ホルモンが身体に入って、ホルモンのバランスが変化したから、身体がバランスを元に戻そうとして、そんなことさせちゃうのよ。この後はむしろしばらく、したくならないと思うよ」
と言われて、私はホッとした。
 
実際、私が次にオナニーをしたのは数ヶ月後だった。
 

数日後、自宅で母と姉と一緒に夕食を取りながらテレビを見ていたら、ニューハーフタレントさんが出ていた。水着姿である。
 
「この人、きれいだよね〜。元男だったとは思えない」と姉。
「顔も美人だし、身体のラインは完璧に女だよね。たぶん、この人は男だったというより、本来女だったんだろうね。元々の生まれつきだと思うよ」
と母。
 
「この人、性転換はもうしてるのかなあ?」
「してるでしょ。それも多分かなり若い内に。身体がいったん男性化してしまったら、この体形にはならないよ」
 
私はその会話に混ざると変な事を言ってしまいそうで、黙って聞いていたのだが唐突に姉が言う。
 
「冬も今のうちに性転換しちゃうと、この人みたいにきれいな身体になれるかもね」
「ふーん、冬、女の子になりたいんだっけ?」
と母が訊くので、私は言ってみる。
 
「なりたいかも」
「ああ、やはりね。高校卒業したら性転換しちゃうといいよ。女の子になりたかったら」
などと姉。
 
「性転換・・・いいなあ」
と私が言うと
「ふーん」
と母は言ってから
 
「ね、あんたもう性転換済みってことはないよね?」
と少しマジな顔で訊いた。
 
「あはは、どうかな」
「冬、まだ、おちんちん付いてるんだっけ?」
と姉が訊くので
 
「あまり自信無い」
と私は答えた。
 

5年生の1学期、うちのクラスの男子たちは変声ラッシュだった。
 
春先から2人ほど急速に変声した後、次々と声が低くなる子が相次いだ。ほとんどの子が短期間で「中性的な子供の声」から「男の声」に変わった。
 
「変声しちゃうと、何だか私たちとしても会話する時に身構えちゃうね」
などと奈緒や有咲と話していた時に、有咲が言った。
 
「元々男の子との会話には壁を感じていたけど、男の声で返されると100mくらい距離を置きたくなるよね」
と奈緒も言う。
 
「私、変声しちゃったらどうしよう?」
と私は正直な不安を言う。
「冬は変声じゃなくて変性するはずだから大丈夫でしょ」
「いや、実際に既に去勢してないの? もししてないなら早くやった方がいいよ。変声しちゃったら、取り返しがつかないもん」
と奈緒。
 
それは身体の問題と同時に人間関係もだよなあ、と私は思った。
 
「去勢したーい。でも小学生の去勢手術してくれる病院は無いだろうなあ」
「じゃ自分で金槌で叩いて潰すとか」
「ショックで死ぬかも」
「その程度で死ぬかなあ。私が潰してあげようか?」と奈緒。
「う・・・切羽詰まったら頼むかも。でも金槌で叩かれるくらいなら麻酔無しで切開して取り出してハサミで切り離した方がまだマシかも」
「ああ、そのくらいしてあげてもいいよ。私、お魚ならさばけるし。人間の身体も一度切ってみたい」
「うー。その内、ほんとに頼みたくなるかも」
「大丈夫だよ。冬は既に去勢済みだと私は見てるんだけどね」
と有咲。
 

私は津田さんに聞いてみた。
 
「女性の歌手で凄く低い声を出せる人いますよね。*田**子とか、むしろ男の声に聞こえちゃう。あれも、やはり訓練で出るようになるもんなんですか?」
 
「出るよ。女性の両声類さんもいるからね。男みたいに低い声はチェストボイスというんだけど、要するに胸に響くように出す。胸に手を当てて、声を出しながら手に震えが感じられるような出し方を見つけてごらん。私はもう出し方忘れちゃったけどね」
 
「へー」
「女性の声はむしろ頭に響くように出すよね。これはヘッドボイスという。君はだいたい元々の声がヘッドボイスっぽいもんね。発声法が元々女の子なんだよ。抑揚も豊かだし。その声で男と思われたことないでしょ?」
「電話に出ても、だいたい『お嬢ちゃん』とか『娘さんですか』とか言われます」
 
「だから、君ってもし声変わりしても、男っぽい声を出す女と思われるかもね」
「あはは」
 
「男性は抑揚の少ない話し方をする。女性は抑揚豊かな話し方をする。身近な男性・女性の話し方をよく観察して研究してごらん。実は声は女の声のままでも、抑揚を抑えるだけで、かなり男っぽくなる。胸に響かせるのと同時にそのあたりも練習してみるといいよ。でも君、実は男の声になりたいの?」
 
「なりたくないです。ただの好奇心です」
と私は答えた。
 
 
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【夏の日の想い出・変セイの時】(1)