【夏の日の想い出・小4編】(1)
(c)Eriko Kawaguchi 2012-07-28 改2013-04-14
これは僕が小学4生の時のエピソードである。
僕は小学3年の12月に転校したのだが、その転校先の学校でなかなか親友を作ることができず、最初の1年ほど、孤独な学校生活を送っていた。
一方、僕は小学1年の時から珠算の塾に通わされていて、それは小3で転校した後もまた転校先の近くの珠算塾に行かされて、結局小学5年生の2月まで続いた。
本当は姉が習っていたエレクトーンに興味があり、実際しばしば家にあるエレクトーンを勝手に弾いていたのだが、親に自分もエレクトーン習いに行きたいと言っても親は「男の子がそんなのを習ってどうする?」と言って行かせてくれなかった。
そんなことを言われる度に僕は「やっぱり女の子に生まれたかったなあ」と思うのであった。
それでもエレクトーンを弾きたがっている僕に、姉は僕が3歳の頃から結構エレクトーンの弾き方、指使い、楽譜の読み方などを教えてくれたし、視唱や聴音書き取りの問題をさせたりした。また、しばしば自分があまり練習したくない時に、僕に代わりに弾かせて自分は漫画を読んでいて、親があたかも姉がちゃんと練習しているものと思わせるような「偽装工作」したりしていた。
そんなエレクトーンを習いたいと思っていた僕が実際に通わされていたのが珠算であるが、僕はこれが苦手だった。簡単な2桁くらいの読み上げ算なら何とかなるものの、3桁になると指が全然付いて行かなかった。掛け算は全くできなかった。姉が「あんたエレクトーンの指は私より器用に動くのに、なんで珠算の指はそんなに動かないのよ?」などと言うほどであった。僕は小学3年の時に珠算の検定を受けさせられて9級を取ったが、実は全部暗算で解いたものだった。
そしてそれは小学4年生の夏休みだった。その珠算の塾でレクリエーションをすることになり、バスで1時間ほど行ったところにある鍾乳洞に行くことになった。鍾乳洞というものは、母の郷里の近くに「飛騨大鍾乳洞」というものがあり小1の時に行って以来だったので楽しみだった。
バスに乗っていくのだが、乗る前に先生がみんなに何か配っていた。僕は何配ってるんだろ?と思ったが、ぼんやりしていてただそれを眺めていた。バスで1時間ほど掛かるので、みんなワイワイおしゃべりしているが、僕はあまり友達がいないので、ひとりでぼんやりと景色を眺めていた。
やがてバスを降りるという時、僕たちは列になって降りて行くが、前の子達が料金箱にお金を入れているのを見る。え?お金がいるの?と僕はこのとき初めてその事に気付いた。前に並んでいた6年生の武村君がお金を入れて降りて行く。僕はどうしよう?と立ちすくんでしまった。
その時武村君が僕の方を見て「あれ?どうしたの?お金無いの?」と訊く。僕がコクリと頷くと、武村君はもうほとんどバスのステップを降りていたのを戻ってきて「ほら」と言って、僕の代わりに料金の500円玉を入れてくれた。「ありがとう」と言いながら僕はバスを降りる。
「乗る前に先生が往復のバス代配ってたのに受け取らなかったの?」
「ああ、あの時配ってたんだ! 僕ぼんやりしてて」
「しっかりしろよ」
と彼は言い、先に降りていた先生に
「先生、唐本のやつ、バス代を受け取ってなかったんですよ。俺が代わりに入れたから、帰りのバス代下さい」
と言う。
「おお、そうか。唐本、先生の話はちゃんと聞いておけよ」と言って、先生は武村君と僕に500円玉を1枚ずつ渡した。
武村君がにっこり笑ったのに釣られて、僕もニコリと笑った。武村君のその笑顔かとても素敵に思えた。
昔行った飛騨大鍾乳洞は直線状のコースで、ひたすらまっすぐ歩いたような記憶だったが、その日行った鍾乳洞は複雑なコースであちこち曲がったり昇ったり降りたりがあり、灯りと案内が無ければ迷ってしまいそうな感じだった。見学時間は1時間と書かれていたが、子供の足なので、もっと掛かる雰囲気だった。途中休み休み行く。
僕はさっきのことがあり武村君にちょっと好意を持ってしまったのだが、その武村君は5年生の井出さんと仲が良いようで並んで歩いている。僕はふたりの少し後を歩きながら、ちょっと井出さんに何かもやもやした感情を持ってしまった。その頃僕はまだそれが「嫉妬」という感情であることを知らなかった。
そしてそれは全部で20あると聞かされていたチェックポイントの内12個まで過ぎた時のことであった。僕たちは少し疲れていたが、もう半分を過ぎたということで少し元気が出る。僕の後ろを歩いている同い年の女の子2人の会話が楽しくて、ついそちらに時々混ざったりしていた時、僕たちは突然前の方でバチン!という音を聞いた。
僕たち3人が前を見ると、井出さんが武村君を平手打ちしたようである。
「知らない!」
と叫ぶと井出さんはそばにあった脇道に飛び込んでいく。
「あ、そっちに行っちゃいけない!」
と武村君は言うと、慌てて井出さんの後を追っていった。
僕はやばい!と思った。一緒に居た女の子ふたりに
「○○ちゃんは目印代りにここに居て絶対に動かないで。○○ちゃんは後ろの方にいるはずの先生を呼んできて」
と言い、ふたりが頷いたのを見て僕もその脇道に飛び込んだ。出がけに姉が持たせてくれていた懐中電灯を取り出して点ける。「暗〜い所に行くんだから持って行きな」と姉が半ばふざけるように言って持たせてくれたものが役立つとは思いもよらなかった。
足音や声が聞こえるので、見当を付けて歩いて行く。いくつか途中に分かれ道があったので、僕はその曲がり方をしっかり頭に叩き込む。しかし井出さんはどうも、ひたすらまっすぐ走って行ったようである。
途中で足音は聞こえなくなったが、たぶんまっすぐ行けばいいだろうと思い、10分近く歩いた時、懐中電灯の灯りが人影を捉えた。見つけた! 僕は我ながら自分の勘は大したもんだと思った。(この時は)
「大丈夫ですか?」
と言って駆け寄る。
「助かった。懐中電灯の灯りが見えてきたので、わぁっと思った」
「帰りましょう」
「サンキュー、唐本」
僕たちは「来た道」を戻り始めた。しかし・・・・
「これ、こっちじゃない?」
「え?こっちだと思いますけど。僕、ひたすらまっすぐ来ましたよ」
「でも、こちらの道から来ても、まっすぐという感覚になると思う。そんな細い道通るわけないよ」
「うーん・・・・」
そういう訳で、15分ほど歩き回った末、僕たちは「迷った」という認識を持った。
「くよくよしても仕方ない。取り敢えず休もう。こういう時は、変に歩き回るより、じっとしていて体力の消耗を防いだ方がいいんだ」
と武村君。
「ごめんなさーい。僕がちゃんと道を覚えていれば」
「仕方ないよ。こんな所、誰だって迷うさ。その内誰か助けに来てくれるよ」
「うん」
「電池が切れたらやばいから、懐中電灯も消しといて、足音がしたら点けることにしよう。そしたらここにいると分かるから」
「そうですね」
僕たちはとりあえず腰を下ろして休むことにした。懐中電灯を3人の中の誰でも取れる位置に置いてから消す。
「飴でもなめる?」
と言って武村君が僕と井出さんに飴を渡した。
「ありがとうございます」
と僕は言って受け取ったが、井出さんは無言である。さっきから全然口をきかない。たぶんまだ喧嘩中なのだろう。
かなりの時間の沈黙が続いたあと井出さんがやっと
「寒いよ」
とひとこと口をきいた。
「これ着るか?」
と言って、どうも武村君が着ていたウィンドブレーカーを渡したようである。それを着る井出さん。ああ、武村君ってホントに優しいんだな、と僕は思った。
しかしこの会話をきっかけに、また喧嘩が再開してしまったようである。僕がそぱにいるのにも関わらず、井出さんは何か今日のことで気に入らないことがあったようで激しく武村君をなじる。武村君も「それはさすがに言い過ぎだろ?」などと言って応戦するので、かなり激しいやりとりになってしまった。
僕はちょっと居たたまれなくなり、ちょっと場所を離れようと思い、座ったまま少し横にずれたのだが・・・そこには地面が無かった。
「あ」という短い声を出し、ボチャンという水音。ぎゃー、ここに池があったのか!暗くて見えなかった。
わあ、沈む!と思った時、腕をがっしりと力強い手でつかまれる。
「俺ひとりじゃ無理だ。井出、そっちの手をつかめ」という武村君の声。懐中電灯の灯りが点く。井出さんが点けたのだろう。
反対側の手を女の子の柔らかい手でつかまれた。
「せーので引き上げるぞ。せーの!」
ふたりが力を合わせてくれたことで、僕は無事水の中から引き上げられた。
「ありがとうございます!ほんとに助かりました」
「お互い様だよ」
「唐本君、大丈夫? 服濡れたんじゃない?」
「うん。ずぶ濡れ。でも仕方ないです」
「でも助けはいつ来るか分からないし。あ、そうだ。私、着替え持ってるのよ。私汗っかきだから、たくさん歩いたら汗掻くかもと思って持ってきてたの。私の服でもよかったら着る?」
「えー?でも井出さんの服なのに」
「だって、このままじゃ風邪引くよ」と井出さん。
「うん。唐本、この際、井出の服でもいいから着た方が良い」
井出さんが自分のリュックから服を取り出す。Tシャツはまだいい。でも、スカート? それと女の子パンティ!?
「分かりました。じゃ、貸してください」
「うん。灯り無いと着換えられないでしょ。私、後ろ向いてるから」
「あ、俺も後ろ向いてる」
と言ってふたりが後ろを向くので僕は開き直ってその服を着ることにした。
まずはずぶ濡れになってしまった自分の服を全部脱ぐ。それから比較的濡れてない感じの上着の袖で身体を拭いた。そしてまずTシャツ。サイズが合うかな?とも思ったが、ふつうに着れた。それから・・・パンティ? 恐る恐る穿いてみる。何とか穿ける! 井出さん、わりと身体が大きいもんね。
そしてスカート! かなりドキドキしながら穿き、ファスナーをあげた。これもきれいに上まであげることができた。
「ありがとうございます。何とか着れました」
と僕が言うと、ふたりが振り向く。
「唐本・・・・」
「唐本君・・・・」
とふたりが何やら絶句してる。
「どうしたんですか?」
「いや、女の子の服を着ても全然違和感無いのね。唐本君って」と井出さん。
「そ、そう?」
「ふつうに女の子に見えてる」と武村君。
「きっと暗い場所だからですよ」
と言った時、僕は突然「分かった」気がした。
「ね。帰れる気がします」
「え?」
「こっちです、道は」と僕は指さす。
井出さんと武村君が顔を見合わせる。
「じゃ500数える間だけ、唐本の言うとおりに歩いてみよう。それで出られなかったら、また休憩する」
「はい」
僕は懐中電灯を持つと、ふたりを先導して歩き始めた。分かる。なぜか知らないけど、帰る道がこちらだとハッキリ分かる。
武村君は10ごとにカウントを口に出す。それが450まで行った時、向こうの方に懐中電灯の灯りが見えた。僕はこちらの懐中電灯を振る。
「そちらは誰?」とおとなの人の声。
「道に迷いました」と僕は大きな声で言う。
「そこを動かないで!」
とおとなの人は言い、こちらにゆっくりと近づいてきた。
「君達、○○塾の子?」
「はい、そうです。ご迷惑お掛けしました」
こうやって僕たちは無事生還した。
事務室に連れて行かれて先生や他の塾生とも再会する。井出さんが友人の女の子と抱き合う。
「あれ? 男の子2人と女の子1人と聞いてたけど、男女の人数が逆だったね」
と係の人が言っている。
「唐本、なぜそういう格好してるの?」と先生が訊いたが
「あ、私、池に落ちてしまって。それで井出さんが持っていた着替えを借りたんです。あ、井出さん、これ洗濯して返しますね」
「池? 君達、池の所まで行ったの?大きな石筍が2本立ってる?」
「ああ、石筍2つありました」
「よくあそこから戻って来たな。君達を見つけた場所から400-500m先だぞ」
「あそこで休んでた時、突然帰れる気がして、歩いて来ました」
「うーん。本当はこういう時は歩き回るのはよくないのだけどね」
「でも、あそこまでは今日は探しに行ってなかったろうな」
「子供の勘は案外凄いのかも知れない」
などと係の人たちが言い合っている。男女の数が違っていたことは忘れられた感があった。
ついでに井出さんと武村君の喧嘩もいつの間にかどこかに行ってしまったようで、ふたりはずっと手をつないでいた。僕の心の中に甘酸っぱいちょっとだけ辛い気持ちが沸き上がっていた。それは初めての「失恋」だったのかも知れない。
「だけど、そういう格好していると普通に女の子に見えちゃうね」
と帰りのバスの中で僕は何人もの女の子に言われた。
「えー?誰だってスカート穿いたら女の子に見えるんじゃない?」
「ほんとかなあ」
「今度誰か他の子で実験してみよう」と井出さんが言うので
「俺は嫌だぞ」と武村君か予防線を張っている。
この帰りのバスの中で、僕は女の子たちとたくさん会話をした。僕は転校前は女の子の友人と普通に話していたのに、転校後は新しい学校でクラスメイトの女子たちとも塾の女子たちとも、自分との間に見えない壁があるような感じがしていた。しかしその日はその壁が無くなってしまったような気がした。
自宅に「ただいま」と言って帰る。
「お帰り。お前、鍾乳洞の中で迷子になったんだって?」と母。
「うん。でも無事帰って来れたから。心配掛けてごめーん」
「あれ?なんでお前女の子の服なんか着てるの?」
「鍾乳洞の中で池に落ちちゃって。女の子の友達がたまたま着替え持ってたから借りたんだよ。洗って返さなくちゃ」
「へー。でも女の子の格好、様になってるね」と当時中3の姉。
「なんか、みんなから言われた。今度からそういう格好で出ておいでよとかも」
「ああ、いいかもね。いっそもう女の子になっちゃう?」
と姉は笑って言った。
その頃姉はエレクトーンのグレード8級を持っていて7級に挑戦中だった。当時よく練習していたのがクィーンの『I was born to love you』だった。
「お姉ちゃん最近よくその曲弾いてるね。それでグレード試験受けるの?」
「ああ、この曲お前、小1の頃によく歌ってたね」
「英語読めなかったから、イ・ワス・ボルン・ト・ロベ・ヨウとか歌ってたけど」
「ああ、何か変な英語だと思って聞いてた。一応これ7級のアレンジだから受験曲にも使えるのよね。でも、この曲、右手はそんなに難しくないんだけど、左手がけっこう辛いのよ」
と姉は言い
「弾いてみる?」
などというので僕も弾かせてもらっていたが、確かに左手が押さえっぱなしじゃなくてリズムを刻むし、コードのバリエーションも細かく変わっていくアレンジになっている。本当に左手の忙しい曲だ。
「あ、でも私よりうまい」
「そう? でもこれ弾きこなすの、かなり練習しないといけないね」
「うん。適度に頑張る」
高校受験があり、あまり練習時間も取れないのでグレード試験は11月に受けて、落ちたら高校に入ってから再挑戦かな、などとも言っていた。
8月の初旬、高山に住む伯母がやってきた。母は女の子ばかり5人姉妹のいちばん下なのだが、この叔母さんはいちばん上のお姉さんで母とは14歳も年が離れている。僕も久しぶりにあったので、挨拶などして話していたが、その時姉が自分の部屋で『I was born to love you』を練習していた。
「あら、萌依ちゃん、エレクトーン弾くのね」
「ええ。いっこうに上達しないんですけどね」
「これ、クィーンの・・・・」
と伯母さんはアーティストの名前は出てきたもの曲名が出てこないようだ。
「『I was born to love you』ですよ。『僕は君のために生まれてきた』という意味ですね」
と僕は言った。
「あら、冬彦ちゃん、英語の発音きれいね」
「学校で毎週1回英語の時間があって、イギリス人の先生が教えてるんです」
「へー。今は小学校から英語教えるんだ? そうそう。『ぼーん・つ・らぶゆー、僕は君のために生まれてきた』いい歌ね」
「そうですね。僕は君のために生まれてきた。僕は君のためにあり、君は僕のためにある、ってストレートなラブソングだよと姉が言ってました」
「じゃ、聖見の結婚式でこれ弾いてくれないかしら?」
「え?」
この叔母さんの娘(僕たちの従姉)が来月1日(土曜日)に結婚することになっていた。結婚式には両親は参加する予定だったのだが、遠いし夏休みの最後だし、僕と姉はお留守番の予定だったのだが、この話から急遽姉も行くことになり、そうなると小学生をひとりで置いとけないということで、僕も一緒に行くことになってしまった。
もっとも僕自身は披露宴に出るわけでもないし、姉も余興でエレクトーンを弾くだけで、宴自体には出ない。たぶん、他の従姉兄たちとロビーで遊んでるということになりそうだ。
高山に行くという日の3日前。姉が自分の部屋に僕を呼ぶので行ったら
「このスカート、デザインが気にいって買ったんだけど、サイズが合わなかったのよ。冬、穿けたらあげるよ」
などと言う。この手の話は毎年数回ある。
「なんで試着してから買わないのさ?」
「うーん。64入ると思ったんだけどなあ」
「それに僕、スカートもらったって困るし」
「そう? スカートなんて、めったに穿けないから喜ぶかと思ったのに」
「なんで〜?」
「取り敢えず穿いてみてよ」
「もう・・・・」
僕は文句は言ったものの、ズボンを脱いで、サイズが合わないというスカートを穿いてみた。
「おお、似合うね、さすが。ウェスト苦しくない?」
「かなり余ってる」
「むむむ。私ではきつい、冬では余る。たすきに短し帯に長しってやつか?」
「それ、帯とたすきが逆だと思うけど」
「まあ、そうも言うかもね」
「ところでお姉ちゃん、曲の練習は進んでる?」
「進んでないよぉ。聴いてたら分かるでしょ?」
「うん、苦労してるみたいだなとは思ったけど」
「聖見姉ちゃんの結婚式だしなあ。トチる訳には行かないのに。疲れた。ちょっと、あんたしばらく弾いてて」
やれやれと思い、僕は演奏を始める。スカートは穿いたままだ。
姉は床に放置していた『カードキャプターさくら』を読み始める。
僕はモーニング娘。の『ハッピーサマーウェディング』をウォーミングアップ代りに弾き、そのあと『I was born to love you』を弾く。あ、今日は割と調子いいなと思う。
「うまいじゃん。いっそ冬が弾いてよ」
「頼まれたの、お姉ちゃんでしょ?」
「まあ。そうだけどさ」
「でも考えてみたら私はエレクトーンを小2の時から始めたけど、最初からあんた私の弾いてるの見て、小さい指で見よう見まねで弾いてたもんね。3歳から弾いてるあんたの方がうまいに決まってるわ」
「でもきちんと習ったこと無いよ。男の子が習っても仕方ないって言われて」
「冬、女の子だったら良かったのにね」
「そうだね・・・」
「・・・・冬さ、たまに私の服を勝手に着てるよね?」
「あ・・・・」
「まあいいや。そのまま、しばらく弾いてて。私もう少し休んでる」
と言って姉は漫画の続きを読む。
僕は『I was born to love you』を自分でも引っかかってしまった所を重点的に練習し、合間に『結婚行進曲』とか『あなたのキスを数えましょう 』とか『乾杯』とか『There Must Be An Angel』とか、披露宴っぽい曲を弾く。姉は指でリズムを取りながら漫画を読んでいた。結局その日、姉はその後全然練習しなかった。
結婚式は午前中ということで、僕達は前日8月31日に新幹線と特急を乗り継ぎ、高山まで行った。昨年は来なかったので2年ぶりの高山だった。聖見が明日着る婚礼衣装を見せてもらい姉と一緒に「わぁ」と感激の声をあげた。
「きれいですね。いいなあ」
などと僕が言うと
「冬ちゃんも、こういうの着てみたい?」などと聖見から言われた。
「いや、着たい訳じゃないけど素敵だなあと思って」
「さすがに着れないよね。これ着たかったら、おちんちん切って女の子にならなくちゃいけないしね」
と聖見。
僕はそんなことを言われてちょっと頬を赤らめた。姉がそんな僕をじっと見ている気がした。
翌日、僕と姉はふたりとも黒いポロシャツとベージュのショートパンツを穿き、白いハイソックスを履いて両親といっしょに会場に向かった。姉は演奏の時は黒いビロードのワンピースを着ることにしていたが、事前に着せてると汚すかもといわれて、直前に着替えることになったのである。父はブラックスーツ、母も黒いフォーマルドレスを着ている。
会場で久しぶりに会う従兄姉たちと交流する。
「なんかそうして同じような服を着てると、どっちが萌依ちゃんで、どっちが冬彦ちゃんか分からない感じだね」
などとひとりの従姉に言われた。
「そういえば小さい頃もよくお揃いの服着てたよね」
「そうだね、今は私と冬って背丈も同じくらいだしね」
「髪の長さも似たような感じだよね」
「私は短いのが好きだし、冬は長めの髪が好きだから、同じくらいの長さになってるよね」
「顔立ちも似てるもんね」
「お互いに替え玉ができたりしてね」
「そうだなあ。身体測定の時に冬を替え玉にしちゃおうかな」
「それはさすがに無茶」
「でも裸にならない限り、けっこうバレないかもね」
「冬彦ちゃんって、優しい顔立ちだもんね」
「うん。ちょっと女装させてみたいくらいだよね」
子供たちはみんな式や披露宴には出ないので適当に遊んでいたが、やがて姉の出番が近づいてくる。
「そろそろ着替えなくちゃ。冬、ちょっと一緒に来て」
「何で?」
「あのワンピース、背中のファスナーが自分では上げられないから、冬上げてよ」
「はいはい」
そんな役、女の子の従姉妹の誰かに頼めばいいのにと思ったものの、一緒に付いていくと、女子トイレに入っていこうとする。僕が入口で停まってると「どうしたの?」と訊く。
「だって・・・」
「ここトイレの中に更衣室があるのよ」
「でも女子トイレだし」
「私、女子だから」
「僕、女子じゃないんだけど」
「またまた。冬はいつも女子トイレに入ってるでしょ?」
「入らないよ〜」
「まあいいじゃん。冬って女子でも通る気がするよ。さっきも女装させてみたいなんて、みんなから言われてたじゃん」
「うーん・・・」
「それに子供だし構わないよ。あまり時間無いしさ」
と言って姉は僕の手を引いて、女子トイレに連れ込んだ。
更衣室は手洗い場の向こうに、3つ並んでいた。洋服屋さんの試着室のような感じで、カーテンで開け閉めするタイプである。幸い、誰も使っておらず3つとも空いていたし、他にトイレを使用している客もいないようであった。
その中のいちばん奥の更衣室に一緒に入ると、姉は唐突にこんなことを言った。
「ねえ、私の代わりにこのドレス着て、弾いてくれない?」
「へ?」
「さっき従姉妹たちからも言われてたようにさ、私と冬って背丈も同じくらいだし、顔立ちも似てるじゃん。この服着て出て行けば、私だと思ってもらえると思うのよね」
「そんな無茶な」
「私、やっぱり演奏に自信が無いのよ」
「昨日出がけに練習してた時も、かなり突っかかってたね」
「冬の方がうまいもん。こんな披露宴とかでぼろぼろの演奏なんて聞かせられないでしょ」
「僕もまだあの曲完全に弾きこなせてないよ」
「だって冬って本番に強い性格だもん。私は逆に本番に弱い性格だしさ」
うん、それは言えるという気はした。姉は緊張するとダメというタイプだ。
「それにさ、冬、女の子の服を着るの好きでしょ?」
「あっと・・・・」
「私のスカート、私が穿かせてあげてる以外にも時々こっそり穿いてるよね?」
「・・・うん・・・まあ・・・」
「去年転校した時にリナちゃんからスカートもらって、それも時々穿いてるでしょ?」
「・・・あれ、うまく隠してるつもりだったけどなあ・・・」
「お母ちゃんはボンヤリさんだから気付いてないだろうね。それ内緒にしといてあげるからさ。なんなら時々スカートくらい貸してあげてもいいよ」
「ちょっと借りたいかも・・・・」
「じゃ、このワンピース着てみよう。女の子に見えなかったら諦めるから」
あまり着替えに時間を取っていると出番に間に合わないかも、というのもあった。僕は結局うまく乗せられてしまって、ポロシャツとショートパンツを脱ぐと、姉のビロードのワンピースを着た。背中のファスナーを上げてもらう。少し恥ずかしい気はしたものの、鏡に映して見ると、われながら美少女だという気がした。
「うん。女の子にしか見えない。問題無し。はにかんでる様もまた可愛い」と姉。
「えー、でもバレるよ〜」
「大丈夫だよ。そうそう。女の子パンティも穿かなきゃね。そのつもりで未使用の用意しといたんだ」
と言って、姉は真新しい女の子ショーツを取り出す。
僕は女の子ワンピを着ているのに下が男の子パンツというのは嫌だなと思っていたので、素直にその女の子ショーツに穿き換えた。あ、やっぱりいいな、これ。おちんちんは例によって下向きに収納する。
あらためて鏡の中の自分を見てみる。ちょっと可愛いよね。でも心臓ドキドキ。
「けっこうこれ好きかも」
「よし、それで弾いてこよう。靴はこれね」
と言って姉がきれいな黒いエナメルのパンプスを取り出す。
「ヒール無いから、履きやすいし、ペダル演奏もしやすいと思うけど」
僕は履いてみたが少し余る感じだ。
「余るね。これはティッシュ詰めればいいよ」
と言って姉はポケットティッシュを出すと2枚ずつかかとに詰めた。
「何とかなるかも」
「よし、それじゃお願い。はい、これ楽譜」
「うん」
僕は姉と一緒にトイレを出た。ショートパンツ姿の姉とワンピースを着た僕が並んでいるのを見たら、きっとショートパンツ姿の方が僕で、ワンピースを着ているのが姉だと、多くの人が思うだろう。あまり近くに寄らない限りは!
披露宴の会場に近づいていくと、ちょうど会場の進行係の人がドアを開けてこちらの方を見たところだった。
「ああ、良かった。そろそろ出番だから、誰か捜しに行かせないといけないかと思ったところだった」
「すみません。遅くなりました」
「萌依ちゃんだったよね? 今歌っている人の次にお琴の演奏が入って、その後が君の出番だから」
と言われる。
会場ではお婿さんのお友だち?の人たちがウルフルズの「バンザイ」を歌っている。音が外れているのがちょっと気持ち悪かった。僕はこういう音の合ってない歌が凄く嫌いだ。だからアイドルの歌とかはほとんど聞かない。
その後、2番目の伯母さんが華やかな和服で出てきて、箏の演奏を弾き語りで始めた。この曲は知っている。『千鳥の曲』だ。いい歌だなあと思う。さっきの歌がひどかっただけに、きちんとチューニングされた歌はよけい心地よく感じる。
僕はその演奏を聴いて、とても良い気分になった。
「では次は新婦の従妹、唐本萌依さんによるエレクトーン演奏です」
と司会者から言われる。
僕は姉にニコッと微笑みかけると、楽譜をしっかり右手に持ち直してエレクトーンの所に行った。家にあるのとは違う機種だ。家にあるのはHS-8、姉が教室でレッスンに使っているのはEL-90と聞いていたが、これはHS-8より一世代前のFS-30である。こんな古い機種はたぶん教室にも無いだろう。でも何となく勘で設定方法は分かる。僕は上鍵盤にサックス、下鍵盤にギター、リズムはディスコを選択した。ブレイクバリエーションのボタンを押すが、まだリズムはスタートさせずに、ノーリズムでサビを演奏する。
設定をしながら、姉ちゃんなら慣れてない操作卓を目にした所で頭が沸騰してたかも、と思いちょっと笑みが出る。
ひととおりフリーにサビを演奏(実はウォーミングアップを兼ねている)したところでリズムをフィルインとともにスタートさせる。そして前奏に引き続き再度サビの演奏をする。それからAメロに入る。
あれ?何だかいつもより調子いい。しばしば指のスピードが付いていかずにうまく弾けていなかった所もスムーズに弾けてしまった。
何だか物凄く調子が良かったので、あまりうまく弾けていなかった間奏部分のギターソロも入れてみる。おお、行ける行ける。調子に乗りすぎて間違ってしまったが、間違った所をまるで独自アレンジしたかのようにうまく展開させてまとめた。グライドを使ってチョーキングっぽい表現もする。何となくハイテクニックな雰囲気になってしまったので、拍手が来る。あはは、怪我の功名!と思いながら僕は演奏を続けた。
この時、母は隣に座っていた姉(僕の伯母)から「萌依ちゃん、うまいね!」
と言われたらしいが、母は「いや・・・あれは・・・」とだけ言って口をつぐんだらしい。
やがて最後にサビを4回リピートして演奏を終了する。大きな拍手。僕は会場に向かっておじぎをして外に出た。
姉と一緒にすぐに女子トイレに行く。更衣室に入って背中のファスナーをおろしてもらいワンピを脱ぐ。そして元の服に戻る(パンティはそのまま)。ふたりで一緒にトイレから出て行った時、入口の所に母が立っていた。
「あんたたち、どういうことか説明して」と険しい顔の母。
「あ・・・・ごめんなさい」と僕。
「ごめん。私どうしてもうまく弾けなくて、冬に代わってもらった」と姉。
「それにしても何も冬彦が萌依の振りして弾くことはないでしょ」
「だって・・・」
「萌依が調子悪いので代わりに冬彦が弾きます、とか言って弾いても良かったんじゃない?」
「あ、そうか!」
「気付かなかった!」
ってことは、僕って女装のやり損?
「あんたたちには呆れたわ。まあ、無事演奏できたからいいけどね」
と母はやっと笑顔を見せた。
「取り敢えず、お疲れ様」
と言って、母は僕たちに自販機のジュースを買って1本ずつ渡してくれた。
先にも書いたように姉は洋服を買う時、試着せずに買うタイプである。それで買って家まで持ち返ってから「あ、この服あまり合わない!」などと言い出す。
そういう服を姉はしばしば僕に押しつけていた。Tシャツやセーターなどはよいのだが、女の子仕様の左前ボタンのポロシャツとか、七分丈のパンツとかも結構押しつけられ、僕はそういう服を着て学校に出て行くこともあった。友だちから「あれ?それ女物じゃない?」と聞かれても僕は
「ああ、お姉ちゃんのお下がり」と言って平然としていた。
僕は当時友人達から「普通の男の子とは違うみたい」と思われている感じだったので、そういうのは全然気にしていなかった。
「あーん。このスカートも失敗!あげる」
「いや、スカートもらっても穿いて歩けないし」
「うそ。こないだも穿かせてあげたら嬉しそうにしてたじゃん」
「そんなこと・・・無いと思うけどなあ」
「ああ。このブラジャー、サイズが合わない。冬なら合わない?」
「僕、ブラジャーには用事が無いけど」
「いいから付けてごらんよ」
といって強引に付けさせる。
「ああ、ピッタシじゃん。そのブラあげる」
「いや、ブラとかもらっても困る」
「まだ今は胸が無いからね。来年か再来年になれば胸も膨らんでくるだろうし、ブラが必要になるよ。少し付ける練習しておくといい」
「胸は膨らんでこないと思うけど」
「自分でブラを付ける時はね、ほらこうやって左右の指先にホックが来るように持って、指先を合わせるようにして留めるのよ。さあ、やってごらん」
と言って姉は僕にブラを自分でつける練習をさせた。
「ほら、上手くいった」
「へー、こうやって留めるのか。面白いかも」
「面白いと思ったら、そのブラあげるからさ」
「もらっても、おっぱい無いから使わないし」
「ブラはきっとあんた必要になると思うな。付ける練習はよくしておこうね。そうだ、おっぱいが膨らむ薬、買ってきてあげようか?」
「遠慮します」
とは言ったものの、本当はそんな薬があるなら飲んでみたい気分だった。
ちょうどその頃。僕は「おちんちんいじり」というものを覚えてしまった。最初は偶然なんとなくおちんちんをいじっていたら気持ちよくなり、やがて手で握って上下させる方法を覚えた。最初の頃は凄く気持ちよくなる感覚はあったものの、白い液体は出ていなかった。透明な液体が出てきていたので、自分ではおしっこが出てきたと思い「無理矢理おしっこを出す方法」として、一時的にハマってしまう。しかし、すぐにこれは「いけないこと」だと思い、しないようにしようと思う。
でもすごくしたくて我慢が出来ないような日もあった。それであれこれ考えた結果、最初おちんちんが付いているのが悪いんだと思うようになった。そもそも自分はおちんちん要らないと思ってたし、いっそおちんちんを切っちゃおうかとも思った時期もあったが、その内、おちんちんより、たまたまの方が元凶ではないかと気付いた。
ひょっとして精子が生産され始めて、その精子が僕にこんなことをさせてしまうのでは?タマタマを取っちゃったら、あるいは働かなくしたら、僕はこの「おちんちんいじり」を止められるのでは、という気がした。
最初潰そうかと思い、ペンチでつかんで押さえつけてみた。あまりの痛さに悶絶し、僕はしばらく立てなかった。思い切って力を入れたら潰れるのではと思ってやってみたこともあるが、気を失ってしまった。意識を回復した時、結局タマが潰れていないのを認識して悲しくなった。
そのうち「茹で上げる」という方法を思いつく。うちの風呂はガス釜方式だったので、焚いていると熱いお湯が出てくるところがある。僕は自分のタマタマをその熱いお湯が出てくるところに当てておくというのをやるようになった。物凄く熱いのだが、それを我慢した。当然のことながら袋の部分はやけど状態になるので、湯船を出てから冷水を掛けて冷やし、馬油を塗っておいた。冷やすときはタマ本体は冷えにくいように体内に収納してから袋の部分だけ水冷した。
これをやり始めてから確かに僕は「おちんちんいじり」をする頻度が減った。それまで2日に1度はいじってしまっていたのが、週に1回くらいで済むようになった。それでも、いじってしまうと物凄い罪悪感を感じた。
それにお風呂でタマタマを茹でるのはかなりの苦痛を伴う。痛くてパンツが穿けない。
その内、学校で男の子たちの噂で、あれって冷やしておかなければ機能を発揮しないという話を聞く。そもそもおちんちんとタマタマが外にぶらさがっているのは、温度を下げるためで、あれが体内にあると体温が高すぎて機能が落ちるのだという。だからパンツも密着するブリーフより風通しの良いトランクスのほうが男の機能を高めるにはいいんだと彼らは言っていた。
僕はタマタマが体内に格納できることを知っていた。でも中に押し込んでもそのままだと外に勝手に飛び出してきてしまう。何かで押さえつけておく必要がある。その時、僕は女の子ショーツを使う方法を思いついた。
自分が持っている女の子ショーツを1枚取り出し、タマを体内に押し込んでからショーツをぴっちりと穿いてみる。
だめだ。重力で下がってくる!
しかしこれは試行錯誤している内、おちんちんを下向きに収納して「ふた」をする形にして、それを更に小さめのショーツでしっかり押さえるとよいことに気付く。またショーツを穿く代わりに布製のガムテープで押さえても何とかなることにも気付く。後で考えるとタックの一歩手前である。
特にこれを重力のあまり掛からない状態、寝ている時にすると、朝までしっかりタマは体内に格納されたままであった。
僕はこの方式を思いつくと嬉しくなって、それから毎晩寝る時はタマを押し込んで女の子ショーツなどで押さえて寝るようにした。
また時々、体内に収納する代わりに、ショーツの上からカイロを貼り付けてやけどしない程度の高温にしておく方法も思いついた。冬の間、ホッカイロをお腹などにいれて暖めた後は、途中からしばしばお腹からお股にカイロを移動していた。またうちに電池式のカイロもあったので、これをよく休日などはショーツのタマタマの上に置き、その上からもう1枚ショーツを穿いて押さえておいていた。
このような「高温」作戦をするようになってから、僕は「おちんちんいじり」
は月に1度くらいで我慢できるようになった。寝ている時に女の子ショーツを穿いてると、朝うっかり穿き換え忘れて、そのまま学校に行ってしまうこともよくあった。
僕は使用した女の子パンティは堂々とそのまま洗濯機に入れていた。当時家の「お洗濯係」は自分になっていたので、洗濯機から取り出して乾すのも、それを取り込むのもだいたい自分でするので、あまり問題は起きなかった。たまに母が取り込むと、それは姉のタンスに格納されてしまっていたが、姉がこちらに持ってきてくれていた。
僕がその時期こういうことをして「男性機能低下」をさせたのは、女の子になりたいからではなく、当時物凄い罪悪感を感じていた「おちんちんいじり」
をやめたいからであった。
その頃、僕は声のことでも少し悩んでいた。僕は3年生の頃までは女の子の友だちが多かったので、彼女たちとよく話す結果、話し方も女の子っぽい話し方が染みついていたし、自分でも自分は少し女の子っぽい声を出してるよなと思っていた。
ところがある時、学校にひとりの女子がお姉さんのだというICレコーダを持って来ていた。いろいろしゃべって録音して聞いてみるというお遊びをする。みんな面白がってやっては「えー?私の声ってこんなの?」などと言っている。面白そうなので僕も「貸して貸して」と言って、自分の声を録音して聞いてみる。
ショックだった・・・・
僕の声って何だか変。何か男とも女ともつかないおかしな声になっている。えー?僕って今までこんな声で話してたの?
後から考えてみるとそういう声になっていたのは、実はこの頃からもう変声期が始まっていたからだと思う。私の変声期は翌年、小学5年生の春頃から本格的に始まったのだが、この時期、既に声帯がもう変化を始めていたのだろう。
「うそみたい・・・」と僕が呆然とした表情で言うと
「なんか自分で聞いてるのとは違う声だよね」とみんな言う。
「あのね。耳をこうやって手で覆って聞くと、わりと録音した声に近いよ」
とひとりの子が言う。
へーと思い試してみる。
「あ、ほんとだ。録音した声と同じだ」
「だから自分の声を変えていきたい人や、声色の練習したい人は、こうやって聞きながら練習すればいいんだって」
「あ、頑張ってみようかな」
「冬ちゃん、男の子っぽい声を練習するの?」と有咲が訊く。
「えっと・・・」
「むしろ女の子っぽい声を練習したら?」と奈緒が提案した。
「どっちにしよう?」
僕は正直少し悩んだ。
「冬ちゃん、裏声出る?」
「裏声って、こんな感じ?」
「ああ、そんなの」
「裏声、きれいだね。その声をもう少し鍛えたら、結構女の子っぽい声になるんじゃない?」
「そうそう。で、地声の方はもっと男の子っぽい声にしていったら、冬ちゃん、どちらの声も出るようになるよ」と奈緒は笑顔で言った。
小4の2学期。僕たちの学校は地域のお祭りに参加した。愛知の学校では、お祭りは適当に参加する感じだったのだが、この校区では「地域の中の教育」を旗印に、学校が積極的に関わらせるようになっていた。
お祭りでは大人達は大きな人形の載った山車を担いで町を練り歩き、クライマックスでは近くを流れる川の中に入ってぐるぐると回転する。東京都内の町にしては珍しく勇壮な祭りである。昔はかなり大きな山車を作ったらしいが、明治になってから電線にぶつからないようにするため、高さが制限されるようになり、小規模のものになってしまったらしい。
お祭りではその山車作りから始める。
各学年が3クラスなので、小学3年から6年までをクラス単位で縦割りにして、3つの山車を制作することになっていた。お祭り用の倉庫から材木を出して来て、先生達や保護者たちの協力で組み立て、一方でそれに載せる人形を作る。人形は竹細工に和紙を貼り、絵を描いて仕上げるので、その竹を組み立てるところは5年生を中心に大人たちの指導でしていく。それに和紙を貼るのは4年生の仕事である。最後に6年生たちが、おとなの人が指定した箇所に指定の色の絵の具で塗って、絵を完成させる。その年6年生にはとても絵のうまい子がいて人形の顔は、その子が3体ともフリーハンドで描いて完成させた。
「2年後には冬ちゃん顔を描いたら?絵すごくうまいよね」と有咲が言ったが「ああ、だめだめ。冬ちゃんが描くと全部少女漫画になっちゃう」と奈緒が笑って言った。
完成した人形を山車に乗せて固定すると、みんなから歓声が上がった。
しかしその先に問題があった。
山車の担ぎ手は、男の子たちは法被に赤褌である。褌と聞いて僕はクラクラする思いだった。女の子たちは甚平で下は半タコである。
その年は20年ぶりの大祭ということで、法被や甚平が一新されることになり、新しい法被や甚平を一括で大量に作ったらしい。そこで当日配るのでということだった。
そして祭りの当日。僕は褌なんて嫌だなあと思いながら、ちょっと暗い気分で集合場所に行った。ところが行ってみると人が少ない。あれ?と思い、近くに居たおとなの人に尋ねる。
「すみません。○○小学校の4年生ですが、お祭りの集合場所はここではなかったでしょうか?」
「君、遅いぞ。集合時間は10時だったのに」
「えー?11時じゃなかったんですか?」
「最初11時だったけど、10時に変更になったんだよ。聞いてなかった?」
ああ、僕っていつもボーっとしてるから、聞き逃したんだ!
「ごめんなさい。聞き漏らしです」
「君、何組?」
「1組です」
「1組なら、青い衣装だから、そこの集会所の2階に行って青い服の入ってる箱から衣装取って着換えて来て。急いで」
「はい」
僕は集会所に飛び込むと、言われた通り2階に駆け上がった。段ボール箱が多数あり、青、赤、黄、とマジックで書かれている。サイズがあるようで、L,M,Sと書かれていたが、僕はたぶんSでいいかなと思い、青Sと書かれた段ボールから、ビニール袋に入った衣装をひとつ取った。
着ようとして「え?」と思う。
これ・・・法被じゃなくて甚兵衛だよね。それとこれ、褌ではないよね。
などと一瞬考えてから、これは女の子の衣装だということに思い至る。僕、女の子と間違えられたんだ!
頭の中がカーっとした。さて、どうしよう。
遅れてきて急いで着替えてと言われたのに、またさっきの所に戻って自分は男の子ですと主張して、男の子の着替え場所を案内してもらう? 僕はそれが申し訳無いような気がした。えーい、このまま女の子の衣装を着ちゃえ。
なぜそんな発想になったのか自分でもよく分からないが、とにかくこの時はかなり焦っていた。
着ていた服を脱ぎ、甚兵衛を着て紐で結ぶ。半タコを穿き、腰の所を結ぶ。着て来た服をビニール袋に入れてマジックで名前を書き棚に置く。そして僕は集会所の階段を駆け下りた。
さっきの所に行くと、20歳ほどの男の人が
「君、バイクで送ってあげるよ」と言う。
「ありがとうございます」と言って、バイクの後ろの席に乗り、しっかりと手を男の人のお腹に回した。
わぁ、これ何か素敵・・・・
「行くぞ」と男の人は言ってバイクをスタートさせる。すごーい、なんかこれ気持ちいい。僕は送ってくれている男の人にちょっと憧れの念さえ持ってしまった。
やがて、子供山車が町の途中で一時休憩している場所に辿り着く。
「着いたよ」
「ありがとうございました!」
「じゃ、俺は帰るから」
と言って、彼は帰っていった。僕はしばしその行方を見送ったが、すぐにハッとして、青い法被や甚兵衛の子たちが集まっている山車のそばまで行く。
「遅れてごめんなさーい」
と言って僕がそばに寄るとクラスメイトたちから
「遅ーい。あれ、でもなんで女の子の衣装着てるの?」と言われる。
「よく分からないけど、こういうことになっちゃった」
「まあ、いいんじゃない。どちらの衣装でも」と委員長。
「冬ちゃんは、むしろこちらが似合ってる気もするね」とひとりの女の子。「男の力で担いでくれるなら、女の衣装でも問題なし」とひとりの男の子。
少し休んだところで山車が出発する。僕はわりと力を要求される端の方を持ち「ワッショイ!」「ワッショイ!」の掛け声で力を入れて担ぎ棒を抱える。女の子たちはだいたい内側のあまり力の要らないところに入っている。
数分担いで動いては小休憩を入れる。そのあとまた担ぐ。だいたい30分くらい動いたら長めの休憩を入れる。そういう動きで僕たちは町中を走り回った。お昼時には、おにぎりとお茶が配られた。
大人の山車は川の中に入ってぐるぐるというのをやっていたが、子供山車は川の中に入るのは危ないということで、そこまではしない。ただひたすら地面の上を練り歩く。
子供山車の運行は15時に終わった。終点から着替え場所に戻るのにバスを出すということだった。
「男子は1号車、女子は2号車に乗って下さい」
と言われた。
僕は1号車に行きかけたが、ふと立ち止まった。これって男子と女子と行き先が違うんだろうか? 僕は女子の着替え場所で着換えちゃったから、もしかして、女子の方のバスに乗らなきゃいけない? でも僕が乗っていいんだろうか?
僕が立ち止まっているので、その後ろから来た同級生の奈緒が「どうしたの?」
と声を掛けた。
「いや、僕さっき女の子と間違われて、集会所の方を案内されたから、僕の着替えもそちらにあるんだけど」と言うと。
「ああ、じゃ、私たちと一緒に行こうよ」と奈緒は言う。
「男子はね、集合場所から少し移動して公民館で着換えたんだよ。集合場所から着替え場所までランニングさせられてたね」
きゃー、僕男子の方に入らなくて良かった!
「それじゃ、全然行き先が違うんだ! でも他の女の子たちが着替えてる所に僕が行ってもいいんだろうか?」
「うーん。他の男の子なら問題だけど、冬ちゃんは問題無いと思うよ」
「えー?なんでー?」
「まあ、いいからおいでよ」
と言って、奈緒は僕の手を取って、2号車に一緒に乗った。
「あれ?冬ちゃん?」と僕に気付いたひとりが声を掛ける。
「この子、さっき集会所を着替え場所に案内されちゃって、あそこで着替えちゃったのよ。だから着替えがあそこにあるのよね」と奈緒が説明する。
「ああ、それで甚平着てたんだ!」
「じゃ、私たちと一緒に行って集会所で着替えなきゃね」
僕はちょっと頭を掻いて、奈緒の隣に座る。なんとなくバスの中で奈緒も含めて数人の女の子と、おしゃべりの輪が出来てしまった。
「冬ちゃん、話してて普通の女の子と話すのと同じ感覚だね」とひとりの子。
「ふだんももっとおしゃべりしようよ」
「うん」
そこで、僕はこの学校に転校してきてから初めて、女子達と心を割った会話ができた。女の子たちと同じ甚平の衣装を着てるからかな?というのをチラッと思った。
女子を乗せたバス2号車はやがて集会所前に到着する。みんなでバスを降りて2階に上がって行った。僕はそこでちょっと躊躇ったが、奈緒が
「さあ、恥ずかしがらずに入って入って」と言って手を引き、中に入る。
女の子たちはワイワイ言いながら着替え始めた。僕も心が緩んで、自分の服が入っている袋を取ってくると、奈緒たちとおしゃべりしながら、着替えた。
なんだか周囲から視線が来ているのを感じるが、敵意のある視線ではなく、むしろ好奇心という感じだ。
甚兵衛を脱いで半タコを脱ぐ。
「あれ〜。女の子パンティ穿いてるんだ?」
「うん、まあ」
最近夜寝る時はいつも女の子パンティを穿いている。それで今日は出かける時に男の子パンツに穿き換えるのを忘れていたのである。この時期、僕は結構な頻度で、女の子パンティのまま出て行っていることがあった。
「おちんちん、付いてるみたいに見えない」
「いや、半タコ穿いてる時も、おちんちんの形が分からないなあと思ったのよね」
半タコはわりと身体の線がストレートに出る服だ。
「実はおちんちん無いの?」と有咲。
「えっと、その辺は秘密ね」
と僕は笑顔で言うと、そのままショートパンツを穿き、ポロシャツを着た。でも僕が女の子パンティを穿いているというのは、女子たちには「やっぱり、そういう子なんだ」と好意的に取られた感じだった。
「なるほど。この雰囲気だと充分女の子に見えるよね」
「性別を間違われたというより、本来の性別の方に案内されたのでは?」
そんな会話があり、結局そのあともしばらく僕は女子更衣室の中で他の女の子たちとおしゃべりに興じたのであった。
僕は転校して以来、なかなか誰とも会話が成立していなかったのだが、この日を境に、けっこう女子たちとふつうにおしゃべりできるようになった。特に奈緒とはよく話すことが出来て、親友に近い存在になっていく。
そんなことを後にお正月頃、電話でリナに話したら
「要するに冬が女の子になったから、お友達になれたんだろうね」
と言われる。
「きっとみんな冬のこと、少し女の子っぽいとは思ってたろうけど、冬が一応男の子として行動してたら、女の子としてはどうしても遠慮がちになるじゃん。でも、冬が女の子として行動すれば、女子たちは自分達の仲間として受け入れることができたのよ」
「そう言われれば・・・・」
「誰も立ち位置のつかめない相手とは話しにくいもん。男の子と話すのと女の子と話すのは、全然違うからさ。どちらのモードで話せばいいのかというのは大事だよ。牛肉もマグロも美味しいけど、牛肉と思って食べてみたらマグロだったり、マグロと思って食べたら牛肉だったりしたら、あれ? って思うでしょ。冬はこの1年間、そういう状態だったんじゃない?」
「うーん。。。そんな気もしてきた」
「だ・か・ら、冬はそちらの学校では最初から女の子として通学すれば良かったのよ。明日からスカート穿いて学校に行きなさいよ。そしたら女の子たちともっと仲良くなれるから」
「えっと・・・・それはそのうち」
「冬は女の子として生きる道しか無いと思うけどなあ」
とリナは言っていた。
そのお祭りの夜。僕は夢を見ていた。
クラスメイトの子たちで集まってなにやらおしゃべりしている。その内そこにバスが2台来た。あれ?またみんなでどこかに行くのかな?女の子たちは右側のバスに、男の子たちは左側のバスに乗っていく。あ、僕もバスに乗らなきゃと思う。でもどちらのバスに乗ればいいんだろう?
迷っていたら、担任の先生(男性)が「唐本、何してる。男子は左のバスだぞ」
と言うので、僕はそちらに乗り込んだ。男の子たちが下ネタで盛り上がっている。僕はそんな会話聞くだけでも恥ずかしくて、うつむいてしまった。
先生が「じゃ、出発するぞ」と言った。
その時、突然、僕はここに居てはいけない気がした。
奈緒の声が聞こえた気がした。『こっちに来てもいいんだよ』と。
リナの声もした。『冬は女の子でしよ。ちゃんと女の子のバスに乗りなさい』と。
僕は席を立つと男の子たちが乗っているバスを降りた。そして女の子たちが乗っているバスの方へ行こうとした。向こうのバスの入口に隣のクラスの担任の先生(女性)がいて、こちらを見てニコッと笑った。
そこで目が覚めた。
翌日の月曜日、学校で奈緒たちが一緒に遊園地に行こう、なんて話をしていた。ボクは「あ、遊園地いいなあ」と思う。その時、奈緒と目が合った。
「冬ちゃんも遊園地行く?」
「うん。ボクも行きたい。一緒に行っていい?」
「うん。冬ちゃんならいいよ」と有咲が言う。
「どうせならスカート穿いて出ておいでよ。多分持ってるよね?」
「えー!?どうしようかなぁ」
ボクは微笑んで、彼女たちの会話の輪に交ざった。それはボクの10歳の誕生日だった。その日からボクは自分のことを言うのに男の子が使う一人称「僕」ではなく、麻央が使っていた《ボク少女》の一人称「ボク」を使うようになった。
【夏の日の想い出・小4編】(1)