【夏の日の想い出・幼稚園編】(1)

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物心付いた頃から、私はよく姉の部屋でエレクトーンを弾いていた。
 
姉が小学2年生(私は2歳半)の時、友だちに誘われてエレクトーン教室に通い始めた。教室でエレクトーンの購入も勧められたのだが、お友だちがお姉さんの使っていた HS-8 という一世代前の機種から新しい EL-90 という機種に買い換えるということで、その古い HS-8 を安価に譲ってもらうことになったらしい。
 
幼い私を「お守(も)りしておいて」と言われた姉はしばしば私を自分の部屋に連れていき、エレクトーンで『チューリップ』とか『メリーさんのひつじ』とか『きらきら星』とか『かえるの歌』とか、そんな感じの曲を弾いていたらしいが、姉が弾いていると私は笑顔でそれに聴き入ってご機嫌だったらしい。
 
そして姉が弾き終わって休んでいると、鍵盤を触りたがるので触らせていたらしいが、最初はめちゃくちゃに鍵盤を単に押すだけだったのが、何となくよく姉が弾いていた『チューリップ』とかを真似て弾こうとする。そこで、私の指を取ってド・レ・ミと押してあげると凄く喜ぶので、それで私の指を握った状態で色々な童謡・唱歌の類を弾いたりしていたらしい。
 
それでその内、ドの音は親指で弾こうね、レの音は人差し指で弾こうね、みたいな感じで指使いを教えてあげると、私はどんどん覚えていき、3歳の誕生日の頃には、ちゃんと指替えしながらドレミファソラシドを弾けるようになり、簡単な曲は探り弾きしたりするようになっていたらしい。
 
姉がそれほど私に熱心に教えてくれたのは、何と言っても私が姉が演奏している時にそれを邪魔しなかったからだと、後に姉は言っていた。小さい妹弟がいる子は、しばしば練習中に下の子が勝手に寄ってきてでたらめに鍵盤を触り邪魔するのにかなり悩まされるようだが、私はそういう「邪魔」はせず、姉が弾いてる時はおとなしく聴いていて、休んでいる時に触るという性格だったのだという。
「『順番』と言うと納得してたんだよね」
と姉は言っていた。
 

私が幼稚園に入ったのは1996年である。私立の幼稚園で2年保育だった。幼稚園の頃の記憶というのは、ほとんど残っていないのだけど(多分)入園式の時の記憶かなというのがある。
 
園長先生のお話があったのだが、園長先生は「ぐりとぐら」のペープサート(紙人形)を取り出して、両手で表裏ひっくり返しながら、ぐりとぐらの物語を話し始めた。みんな、この物語は知っているので、セリフの所でしばしば園児たちの唱和になる。
 
その内、ぐりとぐらに出てくる女の子、すみれちゃんの話が出てくる。その時、園長先生は(名前順に並んでいたので)列の先頭に居た私を
 
「ちょっと、ちょっと君来て」
と言って近くに呼び、私に、すみれちゃんの役をさせた。私もその本は何度も読んでいたので、すみれちゃんのセリフの所でそれを言う。それで、園長先生の両手のぐり・ぐら、に私のすみれちゃんで、物語は進んでいった。
 
数年後に母から聞いた話では、先頭に並んでいるふたりの子を見たらどちらも女の子と思ったので、取り敢えず髪の長い私を引っ張り出したのだということだったらしく、園長先生は入園式が終わり、年中組の担任の先生に指摘されるまで、私が女の子ではないことに全然気付かなかったらしい。
 
その私の隣に並んでいたのが、私にとっては最も古い親友、リナであった。
 
リナも最初私のことをてっきり女の子だと思っていたらしい。入園してすぐに隣の席であったこともあり、すぐに仲良くなり、けっこう一緒に遊んだりしていて、1ヶ月くらいたってから
 
「ね、もしかして冬ちゃんって男の子?」と訊いた。
「うん、そうだけど」と私は答える。
 
「うっそー! どうして男の子トイレ使ってるのかなと不思議に思ってた」
などとリナから言われた。
 
「うん。私、自分では女の子だと思うんだけど、先生が君は男の子だから男の子トイレ使いなさいって言うから、そちらに入ってる」
 
「へー。自分では女の子だと思ってるのか。じゃやはり女の子でいいのかな。でも冬ちゃん、名前の最後が『こ』だから名前も女の子みたいだよね」
「うん。確かに『こ』で終わるとたいてい女の子の名前だけどその前に『ひ』
が付いて『ひこ』で終わるのは男の子の名前なんだって」
「へー、初めて知った」
 
そんなやりとりはあったものの、リナとはずっと仲の良い友だちで、幼稚園でもよく遊んでいたし、幼稚園が終わった後でも、(母同伴で)お互いの家を訪問して、お人形さん遊びをしたり、一緒に絵本を読んだり、お絵かきをしたりして遊んでいた。
 

私は髪は長くしておくのが好きで、物心付くより前から、かなりのロングヘアだったらしい。元々私は女顔だったようだが、それで髪を長くしていると当然女の子と思われる。
 
みんなから「あら、可愛いお嬢さんですね」と言われると、母も「可愛い」と言われるのは悪い気がしなかったので、さすがにスカートとは穿かせなかったものの結構可愛い感じの服を着せていたらしいし、私が髪を切るのを嫌がったので、幼稚園の頃は胸くらいの長さにしていた。結果的に私を男の子と思う人は、まずいなかったという。
 
母や姉などと一緒に町に出たりした時も、デパートなどでトイレに行こうとしてお店の人に場所を訊いたりすると「あ、連れてってあげるね」などと言われて、だいたい女子トイレに連れて行かれたので、こちらもちゃっかりそのまま女子トイレを使っていた。
 
私は少なくとも物心付いて以降、立って小便器でおしっこをしたことというのは無い。男子トイレでも個室しか使っていなかったから、女子トイレは個室がたくさんあるので好都合だった。男子トイレはしばしば個室が1個しかなかったりして、そこが塞がっていると待つのが大変だった。
 
そうやって女子トイレを使っていて出ようとした時に姉に遭遇したことが何度かある。
「なんで、あんたこっち使ってるのよ?」
と言われるが
「場所訊いたらここに連れてこられた」
と言うと姉は納得していた。
 

幼稚園では時々「お散歩」と言って、園を出て近くの道を、多分30分くらい掛けて歩いて園に戻るというのをしていた。幼稚園から数百メートル離れた所に温泉の湧き出ている公園があり、足湯などができるようになっていた。お散歩のコースはいくつかあったが、その公園まで往復してくるコースが園児たちには人気があり、私も好きだった。この時、幼稚園から公園までと公園から幼稚園までは別の道を通るので、それも何だか楽しかった。
 
行った先では公園の滑り台などで遊んだり、裸足になって足湯に浸かって遊んだりしていた。足湯は湧きだしている場所からL字状に公園の端を流れて外に流れ出していた。お湯の深さは10cmもあるかないかだったと思うが気持ちいいので私はリナと一緒に好んで流れの所に腰掛け、足だけお湯に付けて、おしゃべりしたり、尻取りなどしたりして遊んでいた。
 
そんなある日のこと、近くで遊んでいた男の子のグループのひとりがかけっこか鬼ごっこかしていて転んでしまい、ちょうど私とリナが座っていた所にぶつかってきたことがあった。私もリナもバランスを崩して、湯の流れの中に落ちてしまった(私たちが落ちたおかげで、ぶつかってきた男の子は落ちずに済んだ)。
 
この先のことは小学生の時に書いた「私の思い出」というノートがベースだが、このノートの内容には若干(?)の創作も入っているかも知れない。
 
「あらら、びしょ濡れ! 着替えなきゃ」
と言われて、私とリナは引率していた先生の中のひとりに連れられ、一足先に幼稚園に戻った。
 
園にはだいたい何かで服を汚した子のために予備の服が用意してある。私たちを連れ帰ってくれたのは若い助手の先生だった。年齢が近くて美人だったので園児たちにも人気だったが、性格的にはややのんびりした感じで、よく先輩の先生に叱られていた。
 
その先生は私たちを連れ帰ってから、服とビニール袋を出して来て、
「これに着替えてね。濡れた服は袋に入れてね」
と言った。
 
私たちは一緒に自分たちの教室で着ていた服を全部脱ぎ、袋に入れた。
 
「へー、冬ちゃん、おちんちん付いてるのか?」とリナ。
「そうなんだよねえ。無くなっちゃうといいのに」と私。
「ふーん。無くしたいんだ」
 
などと言いながら渡されたパンツを穿く。
 
「あれ?」
「あ、それ女の子用なのでは?」
「うーん。でもまあいっか」
「いいんだ?」
「だって私、パンツの前の開き使わないし」
「ふーん。おしっこの時困らない?」
「私、おしっこは座ってするもん」
「へー。女の子と一緒なんだ」
 
それからシャツを着て、服を着るのだが・・・・
 
「あ、スカートか」
「ね。もしかして○○先生、冬のことを女の子と思い込んでいるのでは?」
「うーん。まあ、いいんじゃない?」
「ふーん。まあ冬ならスカート穿いてもいい気がするよ」
 
そういう訳で、その日はその後スカートを穿いて過ごしたが、そのことで、友人や担任の先生とかからも、何か特に言われたような覚えは無い。そのまま集団下校で家の近くの集合場所までみんなと一緒に帰り、ふつうにバイバイして自宅に帰った。
 
「あら、その服どうしたの?」
と母。
「公園の足湯に落ちちゃって、着替え借りたの」
「ふーん。じゃ洗濯して返せばいいのね?」
「うん」
 
そんな会話をしたらしいことは、ずっと後に母から聞いたことである。その時私がスカートを穿いているのを何か思わなかった?と訊いてみたが、小さい子供だし、別にいいんじゃないかなと思ったなどと言っていた。
 
私が女の子としての自分をあまり歪めずに育てていくことができたのは、そんな感じの、のんびりしていて許容的な母の姿勢というのもあったのだろう。
 
「でもスカート姿可愛いじゃん、とは思ったよ」
と母は言っていた。
「あの時、お前にスカート好き? って訊いたら好きって言うから、じゃお姉ちゃんの服の小さくなったのあげようかと言ったら、欲しいというから、何枚かスカートあげたら、凄く喜んでいたよ」
 
とも母は言うのだが、私にはそういう記憶が無いし、この時期スカートを日常的に穿いていた記憶は無い。ただスカート穿きたいな、という気持ちはずっとあったと思う。
 

母によれば私は幼稚園の頃、どちらかというと「目立たない子」だったらしいが、私がいつも褒められていたのが、お絵描きだったという。
 
物心付くか付かない頃から、よく姉が放置していた塗り絵をしていたらしいが、そのうち落書き帳に自分で絵を描くようになり、セーラームーンとかキティちゃんとかの絵をたくさん描いていた。当時私が愛用していたのはクーピーである。
 
幼稚園では持ちやすい?幼児用の太いクレヨンを使っていたのだが、これはディテールが描きにくいので、あくまで幼稚園で使うだけで、家ではクーピーで結構細かい線を使ったお絵描きをしていた。最初の頃は12色のを使っていたが、私がよくお絵描きしているので、小学校に上がった頃には30色の大きな金属製の箱に入ったクーピーを買ってもらい、それでたくさんお絵描きしていた。
 
当時、幼稚園が終わった後でリナや、他の女の子たちの家に行って遊ぶ時も、私は愛用のクーピーを持って行き、色々な絵を描いていたが、特にセーラー戦士の絵は好評で、リクエストに応じてたくさん描いていた記憶があるし、母が何枚か取っておいてくれたので、幼稚園の時に私が描いたセーラー・ジュピターとセーラー・ウラヌスの絵が今でも残っている。それを見た政子からは
 
「わざわざ性別曖昧な戦士を描いてる所が凄い」
 
などと言われたが
 
「いや。全戦士描いてたけど、たまたまこの2つが残ってたんだよ」
と弁明しておいた。
 
でもリナによれば私が描くセーラー戦士の中ではウラヌス(天王はるか)が最も評判が高かったという。
 
「当時はるか様には、おちんちんは付いているのか付いてないのかって、結構議論したよね」
などとリナは言う。
「うんうん。付いてる派と付いてない派と、拮抗してた気がするよ」
 
「はるか様には付いてるけど、ウラヌスに変身したら無くなるという説もあった」
 
「そうそう。それがまた、取り外す派、収納する派、ふっと消えちゃう派とか、色々あって」
 
「取り外す派にも、ネジ式とか、ボタン式とか、接着式とか、マジックテープだとかファスナーとか諸説あって」
「今考えたら、まるでディルドーだね」と私たちは大人だから言えるジョークを言う。
「ほんとほんと」
「まことちゃんに預けるなんて説もあったよ」
 
「冬もおちんちん取り外せたらいいのにね、なんて言われてたね」
「あはは、言われてた」
「だけど実際問題として、冬のおちんちんを見たことのある子は女の子でも男の子でもいなかったよね。私は多分見てると思うんだけど、自信無いんだよなあ」
「ふふふ」
「しかも、おちんちんの付いてないお股を見た記憶もあるんだ。あれ、冬って本当は女の子だったの? なんて訊いた記憶あるし」
「ふっふっふ」
 
リナのお母さんによれば、私は友人たちから「ウラヌスちゃん」と呼ばれていたらしいが、私もリナもこのニックネームは覚えていない。
 
「リナと遊ぶ時、よく冬ちゃんってリナのスカート借りて穿いてて、お絵描きもその格好でよくしてたよ」
 
などとも言われたのだが、これは私もリナも覚えていない。ひょっとしたら私って自分が思っている以上に小さい頃、女の子の服を着ていたのかもと思うこともあるが、やはりその頃の記憶そのものが曖昧である。
 
私の描く絵でセーラームーンの影響というのは大きかったみたいで、当時私が描く絵はみんな少女漫画っぽかったらしい。園児の絵が幼稚園の玄関とかに張り出してあると、多くのお母さんたちから
 
「あら、この絵上手ね。女の子らしくて可愛い」
などと言われて、母は他人の振りして聞いていたなどと言っていた。
 

恐らく年中さんの6月頃ではないかと思う。
 
地元でスポーツ大会か何かがあって、多数の幼稚園児が開幕式典に動員され、歌を歌い、マスゲームをするということであった。そのため、お歌やマスゲームの練習を結構やらされた。
 
当日、幼稚園に集まってからバスで会場に移動し、最初は各幼稚園ごとの区画に座って開会式が始まるのを待つ。
 
やがて式が始まり、先生の指示で起立する。流れる音楽に合わせて歌を歌う。私のノートには『あかいちから』を歌ったと書かれているが、きっと『若い力』
だろう。
 
そのあと、マスゲームの準備をするためいったん退場する。体育館の外側廊下に出て、控室で衣装に着替えるという話だったのだが、控室の準備ができていなかったようでしばらく待たされる。
 
けっこう待ってから大会の係の人が
「控室が空きましたので女の子はこちらに来て着替えてください。男の子は申し訳ないですが、体育館の外で着替えてください」
などと言う。
 
それで男子と女子に別れてそれぞれ着替える場所に移動する。
 
この時、私は外に出ようとしたのだが、玄関の所で腕章を付けたお兄さんに止められる。
 
「君君、女の子は向こうで着替えるから」
と言われ、そばにいた腕章を付けたお姉さんに
「この子連れてってあげて」
と言われた。
 
「OK。君、迷子になっちゃった? お姉さんが着替える場所に連れてってあげるね」
と言われて、手を引いて控室に連れて行かれる。
 
そして控室の中で赤いワンピースのような服と帽子を渡された。渡されたので、まあいいかと思い、私は幼稚園のスモッグの上にそのワンピースを重ね着し、赤い帽子もかぶった。
 

やがて「さあ行くよ」と言われ、ぞろぞろと出て行く。このマスゲームは男子は全員同じ動き、女子は全員同じ動きで、まとまっていなくても良いので、ここではそもそも色々な幼稚園の子が入り乱れている感じだった。
 
10人単位でフロアに出て行く。赤い服を着た女子の輪を、白い服を着た男子の輪が取り囲んでいる状態で音楽スタート。私は幼稚園での練習では男子の方の動きをしていたのだが、女子の動きもいつも見ていたので、そちらもちゃんと踊ることが出来た。左右の子とタイミングが揃うように気をつけながら女子の動きをする。
 
『走れマキバオー』(『走れコータロー』の替え歌)の歌に合わせて、結構速いテンポで踊りは進む。左右の子と手を繋いで中心に寄り、また輪を広げる。こちらが両手を挙げて立っている所で、外側に居る男の子がぐるりとその周りを回る。音楽に合わせて走って輪が回転する。最後は外に向かって座り、その前に男の子が立つ形で踊りは終了した。
 
退場し、男子はまた外に出て行き、女子はさっきの控室に戻る。ここで赤い服を脱ごうとしていた時、バッタリとリナに遭遇した。
 
「あれ、なんで冬、赤い服着てるの?」
「よく分からないけど、こっちに連れて来られてこの服渡されたからこれ着た」
「へー。じゃ、それで踊ったの?」
「うん。私、女の子の踊りも分かるし」
 
「まあ、冬はそれでいいのかもね〜」
と言ってリナは笑っていた。
 
一緒に服と帽子を脱いで畳み、戻す場所に置く。そして一緒に自分たちの幼稚園の集合場所に移動した。
 
そういう訳で、このマスゲームで私が女子として踊ったことを知っているのはリナだけだと思う。
 

当時私たち一家は愛知県内に住んでいたのだが、年中さんの夏休みに何かの懸賞で大分ハーモニーランドの招待券(パスポート引換券)が当たってしまい、折角当たったならということで、博多に住んでいる伯母(母の姉:四女)の家を訪ねるのを兼ねて行くことにした。父は仕事の都合が付かないということで母・姉・私の3人で出かけた。当時姉は小4である。
 
以下の話も小学生の時に書いた「私の思い出」という秘密のノート、それから後に姉や母から聞いた話を総合し、若干の推測を加えたものである。
 
朝早くから電車に乗り名古屋駅に出て新幹線に乗る。朝早く出てきたので待ち時間に駅構内のドーナツ屋さんに入った。
 
「あ、私そのキッズセットがいいな」と姉が言った。
子供向けのグッズ数点とドーナツ数個、ドリンクのセットのようである。「ふーん。まあいっか」と母は言い
「じゃ、そのキッズセット2つください」
とオーダーした。
 
「お子様のサイズは何センチですか?」
「あ、この子は150で、こちらは100です」
「かしこまりました。ではお詰めしますね」
 
と言ってグッズを詰めた袋を渡してくれた。
 
姉はすぐに中身を見たかったようだが、あまり時間もないので新幹線の中で見ようということになる。
 
私はドーナツ1個にアイスウーロン茶(私は小さい頃からお茶派だったらしい)を飲み、姉はドーナツ2個とメロンソーダを飲む。母はアップルパイにコーヒーを飲んでいた。食べた所でお店を出る。
 

子供にとって新幹線に乗るというのは興奮する体験である。窓の外の景色も楽しいし、特に窓際に座った姉はかなり興奮して「静かにしなさい」と叱られていた。
 
「あ、そうだ。キッズセットのグッズ見てみよう」
ということで、中を開けてみる。
 
「へー。ノートに鉛筆に、お茶碗にお箸に・・・・」
「結構入ってるね」
「お正月の福袋の残りかな」
「さすがにもう福袋のは残ってないんじゃない」
「あ、パンツもある。りりかのか」
「ああ、それでサイズ聞かれたのね」
 
「冬のも同じ?」と言って姉が覗き込んでくるので、私は袋の中身を出した。
 
「手帳とボールペン、マグカップにスプーンか。ね、ね、私のと交換してよ」
「うん、いいよ」
「あ、冬のにもパンツ入ってる。こちらもりりかだ」
「ふーん」
「あれ、でもこれ女の子パンツだよ」
 
「ああ」
「お店のお姉さん、冬を見て女の子と思ったのかな」と姉。
「まあ、そんなこともあるだろうね」と母。
 
でもそういうのは、割と日常茶飯事である。
 
「サイズ100だから私は入らないしなあ」と姉は言ったが
「まあ、冬が穿けばいいんじゃない」と母は言った。
「そうだねー。別にパンツなんて他人に見せるもんでもないしね」と姉。
 
私は女の子パンツを穿いていいと言われて、ちょっとドキっとした。
 

景色を見ながら、姉がしゃべりまくるのを聞きながら、おやつなども食べながら、3時間ほど揺られて小倉に着く。
 
ここで博多から来た伯母と、2人の娘(私の従姉)純奈・明奈(小3・小1)と落ち合った。一緒に大分行き「ソニックにちりん」に乗り、杵築駅で降りてバスに乗り換え、ハーモニーランドに入る。
 
絵本で見るサンリオのキャラクターがたくさん歩いているので、私は凄く興奮した。それまで私は「キキとララ」が好きだったのだが、園内に入ってすぐに「マイメロ」ちゃんに握手してもらったので、すっかりマイメロのファンになってしまった。姉や従姉たちもとても楽しそうにしていた。
 
あれこれショーを見たり、観覧車に乗ったり、コースターに乗ったり、園内のふたつの区画を結ぶ汽車に乗ったりして、とても楽しい時間を過ごした。私は後に東京に引っ越してからピューロランドにも行っているが、ただ見るだけという感のあるピューロランドに対してハーモニーランドは動きがあって、より遊園地志向が強い。
 
園内を歩いているキャラクターとはたくさん記念写真も撮った。キティちゃんのお家みたいな所があり、そこでも色々衣装を着けて記念写真を撮るコーナーがあったので、みんな写真を撮ろうということになる。
 
従姉たちはキティちゃんとミミィちゃんの着ぐるみを着たが、姉は赤いプリンセス風のドレスを着た。そして姉は私に「あんたこれ着たら?」と言って、ばつ丸くんの着ぐるみを渡したのだが、姉が可愛いドレスを着ているので「私もドレス着たい」と私は言った。すると母が「ああ。それもいいんじゃない?」
と言ったので、私はピンクのドレスを着た。
 
それで私と姉、従姉2人、4人入った写真、母と伯母まで入り6人で写った写真と4枚の写真を撮った。
 
この時の写真はその後紛失したものと思っていたのだが、母がスキャンしてパソコンに取り込んでいたものが、私が大学1年の時に偶然出てきて、データを送ってきてくれた。これは政子に見つかりにくいようにサムネールを偽装して、フォルダートリーの深い所に隠しておいた。
 
「じゃ、女の子たち、ひとり1回ずつくじを引いて」
と言われて、純奈と明奈はそれぞれ1回ずつ引き、キティの手鏡と指人形を当てた。次に姉が引こうとしたのだが、思い直したように
 
「冬の方がくじ運強いから、冬が引いてよ」
と姉から言われ、私が2本引くことになった。
 
すると青い玉が2個出た。
 
「大当たり〜!」
と可愛い服を着たお姉さんが言って、キティちゃんの水着か当たったと告げる。
「君たちサイズは何かな?」
 
「あ、お姉ちゃんの方は150、小さい子は100です」と母が言い、可愛いキティの水着をそれぞれもらった。
 
この時、もし伯母の娘が1人であったら、私が当てた水着は従姉にあげてたところだが、向こうが2人だから1人にあげると姉妹で微妙な感情になるので、こちらで2着とももらった方がいいと思ったのだ、と後で母は言っていた。
 
「でも男の子用の水着もひょっとしてあったのでは?」
「あ、それは考えなかった」
と言って母は笑っていた。
 
「わーい、水着だ。プールとかも行きたいなあ」と姉が言うと
「じゃ、博多に戻ってから一緒にプールに行こうか」と伯母が言い、「あんたたちにも水着買ってあげるから」と娘たちに言った。
 

充分楽しんでから、引き上げる。帰りはバスで日出(ひじ)駅のほうに出て(ハーモニーランドは杵築駅と日出駅の間にある)、JRで別府に入り、別府の大きな旅館に泊まった。
 
私たちの家族で1部屋、伯母たちの家族で1部屋取る。一息ついてから温泉に入りに行こうということになる。
 
「冬は男湯に入るの?」
「幼稚園児をひとりで入れられないし、まだ小さいから女湯でいいよ」
 
「あ、そうか。高山の温泉でも女湯に入ってたよね。でもおちんちん付いてるのに女湯に入っていいのかなあ」
「うーん。じゃ、おちんちん取っちゃおうか」
 
取っちゃおうかと言われて私はドキっとした。おちんちん取られたら、私、女の子になっちゃうのかな?
 
「ちょっと、冬いらっしゃい」
と言われ、ズボンとパンツを脱ぐように言われる。
 
「あんたのタマタマってよく身体の中に入り込んでるんだよね。だからいつものように押し込んじゃおう」
と言ってギュッと中に押し込まれる。押し込まれると出てこない。そうそう。私のタマタマは小さい頃しばしば、袋の中には無くて体内に入り込んでいた。お腹に力を入れると飛び出してくるのだが、特にそういうことをしない限りは結構長時間、中に入ったままになっていた。
 
更に母は
「おちんちんも押し込んじゃえ」
と言ってギュッと中に押し込み、その上から広い肌色の絆創膏のようなものを張り付けた。
 
「ほら、これでおちんちんもタマタマも無くなった」と母。
「わあ、女の子みたい」と姉。
 
などということで、私はお股を女の子風に偽装された、と小学校の時に書いたノートには書かれているのだが、母はそんなことをした記憶は無いという。
 
「あんた、おちんちん付けたままお風呂に入ってた気がするけどなあ」
と母は言うが、その後の記憶やノートの記述を見ると、やはり股間偽装していたのだと思う。
 

お股を偽装した状態で立ち上がると、身体のしわがその絆創膏付近に集まってくるので、ちょっと指で押すと、まるで割れ目ちゃんみたいな感じになった。その状態で、私は普通にパンツを穿き、旅館の子供用浴衣を着て、母・姉と一緒に旅館内の温泉に行った。
 
服を脱いで裸になった時、小1の従姉の明奈からお股を見咎められる。
 
「あれ? 冬ちゃんって、おちんちん無いのね」
「さっき、取られちゃった」と私。
 
「ああ、おちんちん付いてたら女湯に入れないから、取っちゃったよ。お風呂あがってから、またくっつけてあげる」などとうちの母。
 
「へー。取っちゃったんだ。じゃ、今は女の子と同じなのね」
 
「冬ちゃんは凄く可愛いから、ずっとおちんちん付いてない方がいいかもね。もうくっつけなくてもいいんじゃない?」
などとと伯母も言う。
「お母さん、私もおちんちん取っちゃったから付いてないの?」と明奈。
 
「そうだよ。明奈も凄く可愛かったから、おちんちん無い方がいいね、と言って取っちゃったんだよ。小さい頃にハサミでチョキンと切っちゃった」
などと伯母もノリで言う。
 
「ふーん。でも私、おちんちん付いてても良かったなあ。立っておしっこしてみたかった。冬ちゃんは、おちんちん付いてた時は立っておしっこしてた?」
 
「あ、私は立ってしたことないよ。いつも座ってしてたもん。おちんちんなんて邪魔なだけだよ」
「ふーん。そんなに邪魔なのか。じゃホントに無くてもいいんじゃない?」
 
そんな感じで冗談なのか本当なのか判然としない会話をした。
 
何だかとても広い温泉だった記憶がある。女の子同士に近い感覚を持てたこともあったのか、明奈とは意気投合したので、ふたりであちこち走り回ったりして、叱られた。
 
色々なお風呂があって、木の香りがするお風呂、白く濁ったお湯の入っていてなんだかぬるぬるした感じのお風呂、電気が通っていてピリピリするお風呂、滝みたいなお風呂、などがあったことが、小学生の時に書いたノートには描かれている。
 

お風呂を上がってから、一緒に御飯を食べに行く。どんなものを食べたのかはさすがに覚えていないが、鶏の天麩羅が美味しかったと、ノートには書かれている。
 
食事の席で明奈から訊かれる。
「冬ちゃん、おちんちんくっつけちゃった?」
「うん。くっつけられちゃった。本当は要らないんだけど」
「ふーん。だったら、また取っちゃえばいいのに」
 
「でも冬ちゃんって、髪を長くしてるし、優しい顔立ちだから、女の子の服を着せると可愛くなりそう」
と伯母に言われた。
 
「うん。この子、赤ちゃんの頃からよく女の子と思われていたね。可愛い服を着たがるから、私も結構萌依のお下がりを着せてたし。そもそも、この子って生まれる前も産婦人科の先生が『女の子です』と言ってたのに、生まれてきてみたら、なんかお股に付いてるから『え?』と思ったよ」
と母が言う。
「女の子と信じてたからベビー服も女の子のばかり用意してたし、名前も冬子にするつもりだったんだよね」
 
「明奈の服ちょっと貸そうか。明奈はサイズ110だから、冬ちゃん着れそう」
「あ、着せてみようか」
 
などという話があり、貸してもらった明奈のワンピースを部屋で身につけると
「可愛い」
などと言われる。
「こういう服を着せたら、もう冬子ちゃんでいいね」
「このまま本当の女の子にしてしまいたいね」
「髪は三つ編みとかにしても可愛くなりそう」
「ああ、この子、小さい頃はセーラームーンみたいなツインテールにしてたんだよ」
「へー」
「でも何かで髪押さえた方がいいね」
 
などと言っていたら姉が
「あ、私のカチューシャ貸してあげる」
と言い、花のカチューシャを貸してくれた。
 
このワンピースに花のカチューシャを付けた写真は数枚残っている。
 

翌日は別府駅からソニックと新幹線で博多に移動した。私は明奈から借りたワンピースを着たままである。そしてこの日は名古屋のドーナツショップでもらった「りりか」の女の子パンティを穿いていた。
 
博多駅の地下街で純奈と明奈も水着を買ってもらう。その時、姉が
「あ、冬のパンツの換えも買ってあげようよ」
などと言ったので、母は
「ああ、そうだね」
と言って、私に合うサイズの女の子パンティ2枚組を1つ買ってくれた。キティちゃんもどきという雰囲気の猫キャラのパンティだった。
 
その後、電車で一緒に福岡市近郊のレジャープールに行った。
 
6人で一緒に女子更衣室に入り着替える。
 
「全員女だから便利ね」と母。
「男の子が混じってると面倒よね。私も春絵も男子更衣室には入れないし」
などと伯母。
 
母も伯母も私を女の子として扱う「お遊び」を楽しんでいたようであった。
 
「あれ、またおちんちん取ったの?」と明奈。
「うん。女の子水着をつけるから、おちんちんは取っておこうね、って言われた」
「男の子じゃ、こんな可愛い水着は着れないもんね〜」
 
更衣室の中で、私と姉はキティちゃんの水着、純奈と明奈はセーラームーンの水着を着た。胸の所も隠す水着って初体験だった(と思う)ので、何だか「女の子としての自分」を認識してドキドキした。
 

「考えてみると、あんたって小学校に入る前は男子更衣室を使ったことが無いよね」
などと後に母は言っていた。
「お父ちゃん、いつも忙しかったし、お父ちゃんと遊びに行った記憶ってあまり無いもん」
「そうそう。だからあんた、多分小さい頃は男湯にも入ったことないんじゃないかなあ」と母。
 
「あ、そうかも。私、少なくとも小学校に入ってからは男湯に入ったことないから、私って一度も男湯は経験してないのかもね」
「ちょっと待って。あんた、小学校の修学旅行はどうしたのよ?」
「女湯に入ったよ」
「呆れた。よく入れたね。でも中学の修学旅行は?」
「あれはそもそもセーラー服着て参加したしね」
「えー!?」
 
と言って母はおそるおそる
「高校の修学旅行は?」
と訊く。
「もちろん女湯に入ったけど。あの時期はローズ+リリーで女の子として全国飛び回ってたから、ツアー先のホテルでも女湯に入ってるし。私が男湯に入る所をファンに見られたりしたら大変じゃん」
 
「うっそー!!」
 

この時、私は直前にお股の所を偽装されていたので、女の子水着をつけても、お股の所が変に盛り上がったりはしていなかった。このお股がスッキリしているのがいいなあ、と私は思っていた。ただ問題点はこのままではトイレに行けないので、水分控えてなさいと母から言われていた。髪が長いので3つにまとめた上で巻いて水泳用帽子の中に収納する。
 
私は当時泳げなかったので、もっぱら水遊びをしていたと思う。ビーチボールとかで遊んだ記憶が何となく残っている。姉と純奈が水深のあるプールに行って泳いでいるので、私と明奈は浅いプールで遊んでいた。姉たちの方に伯母が付いていて、私たちの方に母が付いていた。
 
最初、私と明奈のふたりでボール遊びをしていたのだが、明奈の投げたボールが逸れて、飛んで行ったのを取りに行ったら、同じくらいの年の女の子と接触した。
「あ、ごめんなさーい」
「こっちもごめんなさーい」
 
などと言ったのをきっかけに、その子たちのグループ3人と一緒に遊ぼうか?という話になる。5人で円陣バレーのような感じでビーチボールをして楽しんだ。考えてみると「5人」という人数は円陣バレーするのにとても都合のいい人数だ。それぞれ向かい側右手の子に向かって打てばきれいに全員回るのである。
 
「そちらきょうだいですか?」
「私たち、従姉妹〜」
「あ、私たちも従姉妹〜」
 
というので、お互いに名前を名乗った。
 
「こちらはアキちゃん、フユちゃん」
「こちらはロコちゃん、トモちゃん、まあちゃん」
 

この相手の女の子たちの名前は、うちの姉がこの旅行のことを夏休みの宿題の作文に書いたものが偶然残っていたので確実なのだが、この時、私と同じくらいの感じの女の子<まあちゃん>が強いインパクトを与えたようで、私のノートにも「マサちゃんたちと遊んだ。楽しかった」と書かれている。
 
この「まあちゃん」あるいは「マサちゃん」というのがひょっとしてその時期福岡市に住んでいたはずの政子だったのではないかという可能性を考えてみたことはあるのだが、分からない。どうせ向こうは覚えてないだろうし、もし覚えていたら、女の子水着を着た姿を晒していたことになり、藪蛇なので訊いたりするつもりもない。
 
また、ノートには「滑り台が怖かった」と書いてあるので、きっとスライダーをしたのだろうが、私はだいたいそういうのにしても、ジェットコースターにしてもそんなに好きではない。ハーモニーランドのコースターはあまり恐怖感のないものだったので良かったのだろうが、このプールのそばに併設されている遊園地のコースターはプールの方から見ていても怖そうで、乗りたくなーいと思った。
 

3時間ほどプールで遊んでから出る。みんなでシャワーを浴びて更衣室に入る。
 
「また男の子に戻っちゃうの?」
「冬は愛知に戻るまでは女の子のままでいいんじゃない?」
「このままずっと女の子のままでもいいかもね」
「ああ、もうおちんちん捨てちゃおうか?」
 
などということで、水着を脱いで身体を拭いた後は、朝から穿いていた<ナースエンジェルりりかSOS>の女の子パンティを穿いて、明奈から借りているワンピースを着る。
 
みんな着替え終わった所で、姉や純奈が
「ジェットコースター乗りたーい」
と言ったので、みんなで遊園地の方に行った。
 
私はジェットコースターは嫌だぁと思っていたのだが、幸いにも!?この時は身長制限に引っかかり、乗らずに済んだ。明奈は乗りたがっていたが、やはり身長が足りなかったので、ジェットコースターには純奈と姉の2人で乗った。私と明奈は「じゃ、あんたたちはこちら」と言われて、メリーゴーランドに乗る。
 
夏休みでもあり、ジェットコースターもメリーゴーラウンドも結構な列ができていた。見ていると、男の子は馬に単独で乗せ、女の子は馬車に2〜3人組で乗せている感じだった。
 
並んでいる列の少し前に、先ほどプールで一緒になった「マサちゃん」がいたので手を振ったら、こちらにずれてきて、一緒におしゃべりする。
 
「そちらのお姉ちゃんたちは?」
「ジェットコースターに行った。私も乗りたかったんだけど、背丈が足りないって言われた」とマサちゃん。
「あ、私も背丈足りないといわれた」と明奈。
「私はあまり乗りたくなかったから助かった」と私。
 
「えー?楽しそうなのに」
「怖そうだよお」
「いくじが無いね」
 

そんなことを言いながらもゆっくり列が進み、やがて順番になる。私たちは3人で一緒に馬車に乗った。
 
待つ時間は長かったが、回っているのはほんの短時間である。すぐに終わってしまう。それでも
 
「楽しかったね〜」
「ね、観覧車にも乗りたーい」
などというので、双方の付き添いの親も同意して、3人で観覧車に行き、一緒に乗る。
 
「わあ、海がきれい」と明奈が言い、童謡の「海」を歌い始めた。私もマサちゃんもそれに唱和するが・・・・
 
「マサちゃん、歌下手ね」と明奈が言う。
「うん、私歌下手なの」とマサ。
 
「ね、ね、ゆっくり歌ってみようよ。そしたらマサちゃんも合わせられるかも」
と私は提案してみた。
 
「うん。いいよ。じゃ、ゆーーーくり歌おう」
と言って明奈は、1音を4〜5秒ずつ伸ばしながら、また「海」を歌い始める。すると、マサは最初は調子っ外れの音を出すのだが、「うーーーーーーー」とか「みーーーーーーー」とか、音を長く伸ばしている内に途中で私と明奈が歌う音に合わせてくるようになった。
 
私たちはそういうゆったりとしたペースで、歌ったが、最後の方はマサちゃんもかなり短時間で、私と明奈が歌う音に合わせてくるようになる。
 
「マサちゃん、ちゃんと歌えるじゃん」
「うん。私、自分でも今のはわりとうまく歌えた気がする」
「マサちゃん、練習すれば、もっと上手になるよ」
と明奈は言った。
 
そんなことを言っている内に観覧車は地上に着き、私たちはバイバイして別れた。
 

遊園地で遊んだ後、私たち(私と姉、純奈と明奈、うちの母と伯母)は、その近くのちょっと可愛い感じの建物に入る。そこは楽器がたくさん置いてある博物館のような感じの所であった。
 
珍しい楽器がたくさんあって、触ってみることができたので、動物の骨でできている楽器(たぶんキハーダ)を恐る恐る触って鳴らしてみて「ビジュヮーン」
という感じの独特の音が出るので、わぁと思ったとノートに書かれている。
 
水を入れたコップが並んでいるのをマレットで打って演奏するコーナーもあったし、その隣には様々なサイズのお茶碗を並べて箸で打つコーナーもあった。
 
ふつうに木琴、鉄琴、マリンバ、ヴィブラフォンなども置いてある。普通の木琴(シロホン)とマリンバの音の違い、普通の鉄琴(グロッケンシュピール)とヴィブラフォンの音の違いを感じてみようなどと書かれていたので叩いてみて「へー」と思う。
 
トライアングルとかタンバリン、カスタネットやマラカスなどもあるので4人で鳴らして遊んだりした。ギターやヴァイオリンは指を押さえきれないものの、弦をはじいて楽しんだ。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスと同じような形をしてサイズの違う楽器が並んでいるので、それぞれ弦をはじいてみて、音の高さが違うのを感じて感心した。
 
木管楽器コーナーでは、係のお姉さんが色々な楽器を吹いてみせてくれた。フルート、ピッコロ、アルトフルート、バスフルート、クラリネット、オーボエ、アルトサックス、テノールサックス、ソプラノソックス、リコーダー、オカリナ、龍笛、篠笛、色々なサイズの尺八、篳篥(ひちりき)、笙(しょう)、パンフルート、サンバホイッスル。これらの楽器をひとりで吹いてみせていたが、今思えば随分器用な人だったと思う。
 
「サクソフォンは金属で出来てるけど木管楽器なんだよ」
とお姉さんは教えてくれた。
 
「それからこれは木管楽器ではないんだけど、木管楽器の親戚ということで」
と言って、ハーモニカとカズーも吹いてみせてくれた。
 
金管楽器のコーナーにはお兄さんがいて、トランペット、トロンボーン、コルネット、チューバ、ユーフォニウム、ホルン、アルプホルン、法螺貝、チャルメラ、ズルナ(トルコ風のチャルメラ)、ビューグル(進軍ラッパ)、など吹いてみせてくれた。この人もほんとに器用な人だった。
 
「法螺貝は金属じゃないけど、金管楽器の仲間だよ」
とこちらのお兄さんにも教えてもらった。
 
ピアノやエレクトーンも置いてあった。ピアノを弾いてみようと思ったものの鍵盤が重くてうまく弾けない。それでも何とか「チューリップ」を右手だけで弾いた(らしい)。エレクトーンの方は姉の部屋でいつも弾いているので、機種は違ったものの(記録が無いので分からないがかなり古いタイプだったと思う。ひょっとしたらD-60とかかも)演奏するのには問題無いので、黄色や赤・白のレバーを操作して音色を設定し、子供用の補助ペダル鍵盤をセットしてもらって私は両手・両足を使い『茶色のこびん』を弾いた。
 
そこをエレクトーンの向こう側から写真を撮られたのが、残っていて、この写真は大学1年の時に政子に見つかり
 
「これ何歳の時の写真?」
「これ多分女の子の服を着てるよね?」
 
などといって椅子に縛り付けられた上でお股にローターを当てて刺激するなどといった方法で責め?られたのだが、白状はしていない。
 

その日は伯母の家に泊めてもらったが、2DKの伯母の家に私たち3人が泊まるのはなかなか無茶だったようである。ふだん純奈・明奈が寝ている寝室に私と姉も一緒に寝て、ふだん伯母夫婦が寝ている居間に伯母と母が寝て、伯母の旦那様は台所で寝たようである。
 
伯母の旦那様は、私たちを見て
「あれ、春絵さんとこ、女の子2人でしたっけ?」
などと訊いていた。
伯母も母も
「うん。そうだけど」
と答えていた。
 
その日は私は姉とふたりでお風呂に入り、あがった後は、朝博多駅の地下街で買ってもらったキティもどきの女の子パンティを穿き、持参していたキキとララのパジャマを着た。
 
このパジャマは男女兼用なのだが、男の子が着る場合はズボンの前の所を仮糸で縫ってあるのを外すようになっていたのだが。。。。のんびり屋の母はそのことに気付かず、私は当然ズボンの前開きなんて使わないので、女児仕様のままの状態で当時愛用していたものである。
 
しかし四畳半の狭い部屋(しかも純奈と明奈の学習机2個や本棚・タンスなど色々なものが置かれている)に4人で寝るのは、結構な大騒ぎであった。あんまり騒ぐので「あんたらうるさい!」「近所迷惑!」などと叱られたが、こういうのは叱られるのもまた楽しい出来事であった。
 

「あの時は、男の子のあんたは分けて自分のそばで寝せるべきかとも思ったけど何となく女の子として埋没してたから、まあいっかということで子供たちだけ、4人で寝せたんだけどね」
と母は後に言っていた。
 
「私、小学校に上がってからもリナや麻央の家に泊まったりしてるし」
「そうだよね〜。逆に男の子の家にお泊まりしたことないよね?」
「そんな親しい男の子いなかったし」
 
「確かに。でも女の子数人でお布団並べて寝るのも楽しいだろうね」
「ああ。麻央の家はお布団だっし広かったから、私とリナ美佳と4人で4つ布団並べて寝てたけど、リナんちは狭くてベッドだったから、予備の布団1つ出して私とリナが一緒にベッドに寝て、美佳と麻央が予備のお布団の方に寝る、というのがだいたいのパターンだったかな」
 
「リナちゃんと一緒に寝てたの!?」
「うん。私たち女の子同士の感覚しかなかったし」
「あ、そうか」
「でも結構どさくさにまぎれて、お股触られてた」
「ちょっとぉ!」
「それで『今日もおちんちん無いね』と言われてたけどね」
「えーっと・・・」
 
と言ってから母は訊いた。
「あんた、小学2〜3年生の頃はもう、おちんちん取ってたんだっけ?」
「私がおちんちん取ったのは大学2年の時だよ」
「ほんとに〜? よく考えたら、私も冬のおちんちんって、幼稚園の頃までしか見たこと無いんだよね」
「うふふ」
 

翌朝の朝ご飯に「おきゅうと」が出て、私は、これ何だろう?という感じで恐る恐る食べると、けっこう美味しかったので
 
「あ、これ美味しい」
と言ったら
 
「それ好き? じゃ私のもあげる」
などと純奈にも明奈にも言われて、たくさん食べていた。
 
この日も私は明奈の服を借りて着た。
 
その日の午前中は福岡市近郊のお寺に行った。そこに「地獄」があり、
「怖くないから、ちょっと見ていきなよ。昔はあちこちにあったらしいけど、最近じゃ、こういうのやってるお寺って珍しいから」
と言われて、私はちょっと怖い気がしたのだが、みんなでぞろぞろと出かける。
 
お寺の本堂で大きな仏像が3体並んでいる前でお参りする。姉の作文には「あまちゃ・かのん・けいじ」と書かれているので、多分阿弥陀如来(あみだにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・勢至菩薩(せいしぼさつ)の、「阿弥陀三尊」だったのだと思う。
 
「地獄」はそのお寺の本堂地下にあった。入口の所に「牛頭馬頭」が立っていたが、ちょっとユーモラスな雰囲気だったので、私は「そんなに怖くないかも」
と思った。
 
両側にお地蔵様が立っている中を進んでいくと、突き当たりの所に閻魔様が座っている。全然怖くなさそうなのだが、一応子供たちは神妙な顔をしている。
 
「この閻魔様は嘘をすぐ見破る」とガイド役の若いお坊さんが言う。
 
「たとえば君」
と言って、いちばん前に居た純奈が呼ばれて閻魔様の前に立つ。
 
「『私は男です』と言ってごらん」とお坊さん。
 
それで純奈が「私は男です」と言ったら、閻魔様の手が動いて頭を殴られた。
「ちょっと、痛いです!」
「じゃ『私は女です』と言ってごらん」
それで純奈が今度は「私は女です」と言うと、閻魔様の手が動き、頭をなでなでされた。
 
「へー、面白い。私もやっていいですか?」と姉が言い、「私は男です」と言って殴られ、「私は女です」と言ってなでなでされた。
 
「私も、私も」と言って明奈がやってみて、同じ結果となる。
「冬もやってみなよ」
というので、私も閻魔様の前に立ち
 
「私は男です」
と言った。
 
殴られた!
 
えー?と内心思いながらも
「私は女です」
と言うと、閻魔様になでなでされる。
 
その後は、針山地獄とか、亡者が鬼に責められている所とかの人形があったのだが、何だか全然怖くなかった。その先は「たいない」(胎内だと思う)と言われて真っ暗な所を通過した後、蓮の花に乗ったお釈迦様の像があるところに出る。
 
どんなに行いが悪くて地獄に落とされても、長い時間の後には極楽に行くことができる、という日本仏教の「あの世観」がベースになっている。
 
私たちは
「割と面白かったかな」
などと言いながら外に出た。
 
「でも、冬ちゃんは閻魔様が見ても女の子なんだね」
「今、おちんちんどうなってるんだっけ?」
と言って、明奈はいきなり私のお股に触る。
 
「あ、またおちんちん付いてなーい」
「だから女の子だと閻魔様からも思われたのね」
「閻魔様は嘘付かないだろうから、やはり冬は本当に女の子なんだよ」
「いや、ひょっとしたら嘘ついたから、閻魔様におちんちん抜かれたのかも」
「閻魔様って、おちんちん抜くの?」
「女の子はみんな嘘付いておちんちん抜かれたのかもね」
 
母と伯母は笑っていた。
 

お寺の後は天神に出て、IMSとかアクロスとかに行った。特にアクロスの段々になっていて上の階までいっぱいの緑はとても強く印象に残っている。母や伯母は階段を上るのが辛かったようで
 
「もうあんたたち勝手に行っといで」
と言い、子供4人で走って一番上まで昇って遊んでいた。
 
「でも冬ちゃんって、スカート穿いててもちゃんと歩けるよね」と純奈が言う。
「えー? なんで?」
「だって、学校でふざけて男の子たちにスカート穿かせてみるとたいていすぐ転んじゃうよ。足がスカートに引っかかるみたい」
「へー」
 
「冬、ふだんもスカート穿いてるんだっけ?」
「穿きたいなとは思うけど、穿いてない」
 
「ホントに〜? 閻魔様に殴られるよ」
「でも、もう冬ちゃん、このまま女の子になっちゃえばいいよ」
 
などと純奈からは言われていた。
 
ちなみに女の子の服を着ていた以上、この2日間はトイレも女子トイレを使っていた。
 
「冬ちゃん、その服でトイレ不便じゃない?」
などと伯母から尋ねられたが
 
「私、いつも座ってするから」
と答えると
「ああ、じゃ元々女の子と同じなんだね」
と言われた。
 

その日の夕方の新幹線で名古屋に戻ったが、私は家に帰るまでずっと女の子の服を着ていた。これからもずっと女の子の服を着ていたいなと思ったので、自宅に帰ってから、お父さんが帰ってくる前に男の子の服に着替えなさいと言われた時はちょっと悲しかった。
 
「パンツは今日は、これ穿いててもいい?」
「うん、いいよ」
 
ということだったので、それで妥協した。なお、借りた明奈の服だが、たぶん洗濯して返送したのではないかと思っていたのだが、
 
「あれ、元々明奈ちゃんの小さくなった服だったから、そのまま持ってていいよと言われて、あんたのタンスに入れてたと思うよ」
 
などと後に母は言っていた。そんなものが自分のタンスに入っていたら、きっと私は喜んでそれをいつも着ていたと思うのだが、そういう記憶は無い。このあたりもよく分からないところである。
 
 
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