【夏の日の想い出・歌を紡ぐ人たち】(1)
(c)Eriko Kawaguchi 2012-09-09
私たちの恩師とも言うべき、上島先生が属していた(と言ったら叱られるので本当は「属している」と言わなければならない)ワンティスというバンドは、元々△△△大学の学生で作っていたバンドに所属していた、高岡さん(Gt)・雨宮さん(Sax)・上島さん(KB)の3人を中心に2001年6月に結成されメジャーデビューを果たした。
つまり△△△大学の学生のまま活動しているローズ+リリーからは大学の先輩にも当たる。
ワンティスがメジャーデビューする時、高岡さんたちのバンドのライバルバンドとみなされていた同じ△△△大学の別の学生バンドから、水上さん(B), 三宅さん(Dr)が加わった。また、バンドには属していなかったものの雨宮さんの友人でDTMが得意であった下川さんがマニピュレーターとして加わって、6ピースバンドとしてスタートした。
サウンドに厚みを加えるため、ライブではこれに海原さん(Gt), 山根さん(Tp)が加わり、ボーカル・コーラス担当として高岡さんの恋人であった長野夕香さんとその妹の支香さんが加わっていたが、やがてこの4人も正式メンバーとして加えられ10人編成のバンドになった。
男性8人・女性2人のバンドではあるのだが、雨宮さんはしばしば女装していたので、男性7人・女性3人のバンドと思われることもよくあったようである。雨宮さんはワンティスの元になったバンドに加入する前、ビジュアル系のバンドをしていて、それで「女装が癖になった」らしいが、性志向はノーマルだとご本人は言っていた。私は雨宮先生とも、上島先生の御自宅で何度も会っているのだが、いつも高級ブランドの婦人服を着こなし、上品にお化粧をしていて、女声で話すので、最初てっきり女性と思い込んでいたくらいである。
「でもあの頃、僕と雨宮が恋人関係なんじゃないかとよく邪推されてたね」
と上島先生は言っていた。この話をしたのは多分2012年5月頃だ。
「高岡は夕香さんと公然の恋人だったから、自然と雨宮と上島をペアで考えちゃう人が多かったんだろうね」と下川先生。
「私、男の人には興味無いんだけどね」と雨宮先生。
「と言って、女の子にも興味無いよね」
「まあね。あまり興味はないけど、セックスは時々するよ。実際自分はアセクシュアルじゃないかと思ったこともあるけど、性欲自体はあるからなあ。自分自身混乱してた時期もあるけど玉抜いちゃったので、すごく落ち着いたよ。私が女の子とセックスするようになったのも、玉抜いた後からだよ」
「玉抜いたと聞いたから、女になるつもりなのかなと思ったらそのつもりは無いというし」
「ヴァギナは欲しい気もするけど、おちんちんも捨てがたいからね。玉無いとコンちゃん付けずに遊べていいよ。上島もそんなにたくさん浮気するなら抜いちゃったら? これ以上隠し子作ったら、奥さん切れるよ」
「いや、僕はまだ男辞める気無いから」と上島先生が言ったが
「私、既に切れてます」と奥さんはマジで怒った顔で言った。
花村唯香を見い出したのも雨宮先生だが、私は一度彼女が男の娘というのをご存じだったんですか? と訊いてみたことがある。すると笑って先生は言っていた。
「あんな可愛い子が、女の子のはずが無いじゃない!」
ワンティスの歌は主として高岡さん(Tenor),上島さん(Baritone)が歌っており、これに女性2人(夕香:Soprano, 支香:Mezzo-soprano)が加わった混声四重唱が基本だったが、高岡さんがメイン、上島さんがオブリガートで、女性2人はコーラスというアレンジも多かった。また曲によっては雨宮さんがサックスを休んで、男声・女声を駆使して歌に参加することもあった。
元々はロック寄りのフュージョンが得意なバンドだったが、メジャーデビュー曲『無法音楽宣言』はタイトルに反して、かなりおとなしめのポップスである。ただ「無法」という名の通り、上島さんがノコギリをヴァイオリンのように弾いたり、雨宮さんは水を入れたペットボトルを並べて木琴のように叩いたり、銃声(おもちゃの紙火薬銃)、車のクラクション、チャルメラの音、風船を割る音など、様々な音を加えた作品に仕上がっており、当初はコミックバンドかと思われたほどであった。
この奇異な曲が、大いに受けていきなりミリオンヒットを飛ばし、ワンティスは人気バンドになった。
そして人気絶頂だった2003年の12月。バンドリーダーの高岡さんが中央道を愛車のポルシェで疾走していてカーブを曲がりきれずに防護壁に激突し即死した。時速300km以上出していた上に、高岡さんの遺体からも同乗者でやはり一緒に即死した恋人の夕香さんの遺体からも、高濃度のアルコールが検出された。
この事故とともにワンティスは活動停止してしまった。
レコード会社はバンドの事実上のサブリーダーであった上島さんに補充メンバーを入れてバンドとしての活動を継続してくれないかと打診したが、上島さんは断ったし、また上島さんに断られたため、続いて打診を受けた雨宮さんも断った。
「だってカレンが死んだあと彼女の代わりに誰かボーカル入れてカーペンターズを継続できましたか?レノンが死んで、代わりに誰か入れてビートルズを再結成できましたか?」
などと上島先生は良く言っていた。
その後、バンドのメンバーの中で、上島さん・水上さん・海原さんは各々独立のソングライターとして活動するようになり、雨宮さんはプロデューサー、下川さんはアレンジャーおよびサウンドプロデューサーとして活躍、三宅さんは現役のドラマーとして別のバンドで活動、山根さんはジャズトランペット奏者として活躍している。
ある時(2013年1月頃)、私は政子に支香さんのことを話した。
「高岡さんと夕香さんの事故死で、ワンティスのメンバーはみんなショックを受けたんだけど、やはり一番可哀想だったのが支香さんだよ。あの事故でお姉さんと仕事を同時に失ったんだもんね」
「私もあの事故は凄い騒ぎで連日テレビでやってたから覚えてるよ。あんまり派手な事故だったから、謀殺説まで出てたよね」と政子。
「でも高岡さんを殺して得する人なんていないからね」
「まあね」
「夕香さんと支香さんって、凄く仲の良い姉妹だったみたいね。1つ違いなんだけど、顔立ち似てるし、ふたりとも身長高いし、双子と思われることもよくあったらしい」
「ああ」
「あの事故のショックでお母さんが寝込んでしまったらしくて」
「気の毒にね−」
「印税とかは入ってくるけど、収入としては激減したから、建てたばかりの自宅を結局売却する羽目になったみたいね」
「でもこの業界は基本的に水物だからね。私たちも明日から無収入になる可能性だってある」
「うんうん。それは私も割り切ってるつもりだけどね」
「仕事は結局上島先生や雨宮先生が回してくれるようになって今では歌手として安定した仕事をしているけど、一時期はほんとに経済的にもかなり悲惨だったらしい。その時期、上島先生が個人的に経済支援していて、それを縁にふたりは恋愛関係に陥ってしまったみたい」
「それって、上島先生が結婚する前?」
「もちろん」
「じゃ、なぜ支香さんと結婚しなかったのよ?」と政子は訊く。
「上島先生の恋人は別に支香さんだけじゃなかったから」
「ぶっ」
「上島先生の恋人は私が把握しているだけでも7人はいる」
「仕事だって忙しいのに、よくそれだけの恋人との時間が取れるね」
「子供も少なくとも2人いるよ。認知はしてないみたいだけど」
「えー!?」
「たださ。上島先生の基準で、恋愛関係にあればいい人と、人生を共にしたい人というのは別、という気がするんだ」
「ほほお」
「やはり茉莉花さんって、上島先生が人生を賭けてもいいと思う人だと思う。支香さんともし結婚しても1年もたなかったかもね。茉莉花さんだからこんなに長期間、夫婦という関係を維持できるんだと思うよ。あのふたり相性が凄くいい感じだしさ。よく以心伝心してるよね」
「ああ、先生が何か言う前に、茉莉花さんには分かっちゃうよね」
「たぶん魂の相性がいいんだと思うよ」
「だったら浮気しなきゃいいのに!」
「そのあたりが私にも理解できない部分だけどね」
「ね。冬にとって人生を賭けてもいい人は、私なの?正望君なの?」
「・・・・・その質問に答える必要ある?」
と私は政子の瞳を見つめて言った。私たちは10秒ほど見つめ合った。
「無い」と言って微笑んで政子は私にキスをした。
ローズ+リリーと仲の良いユニットは、いくつもあり、スイート・ヴァニラズやスカイヤーズにはホントにいろいろお世話になっているし、スリファーズ、ELFILIES、などは楽曲を提供している縁もあり、個人レベルでの親交も深い。
しかし対等な立場で仲の良いユニットというと、何と言っても一番はXANFUSであろう。
XANFUSとの付き合いは、高校時代にまで遡る。
私たちがメジャーデビューしたのは2008年の9月だが、XANFUSは10月で、こちらが少しだけ早い。その日私たちは午前中に北海道に行ってキャンペーンし、午後から飛行機で九州の福岡まで行ってキャンペーンするという大移動をしていた。
そして福岡のCDショップに行った時、控室にお揃いの衣装を着た女の子2人組がいた。
「おはようございまーす」
「おはようございまーす」
と挨拶を交わす。
「私たちローズ+リリー(ローズ・プラス・リリー)というの。私がケイ、こちらマリ」
「私たちはXANFUS(ザンファス)。私が音羽。こちら光帆」
私たちはどちらも高校2年生のユニットでデビューしたてだということが分かると急速に親近感を感じた。
「わあ。お友だちになりましょうよ」
「じゃ、友情の証にハグしよう」と政子。
「へー!」
「私たちがデビューした日に ELFILIES ってユニットの子たちにハグしてもらったのよね。そしたら凄く落ち着いて歌えたんだ」
「ああ、ステージってそもそも緊張するのに、デビューの時って物凄い緊張だよね」
「私なんかもう足が震えて震えて。早く終わんないかなってのばかり考えながら歌ってた」
「じゃハグして落ち着こう」
と言って、最初音羽と私、政子と光帆がハグし、それから光帆と私、政子と音羽がハグし、最後に私と政子、音羽と光帆でハグする。
「あ、なんか落ち着ける気がする」
「ね」
「じゃ、今度から私たち会った時はいつもハグ」
「OK、OK」
「だけど音羽ちゃん、おっぱい大きいね」と政子が言うと
「ケイちゃん、おっぱい小さいね」と音羽が言った。
「音羽はDカップあるもんね」と光帆が言うと
「ケイは実は男だからね。胸が絶望的に無いのよ」と政子が言う。
「えー?うっそー!?」
無論、XANFUSのふたりは冗談だと思ったようであった。
「へー。今日は鹿児島、長崎、熊本、久留米と回ってきたんだ?すごっ」
「えー?そちらは札幌でイベントやってからこちらに飛んできたの?」
「お互いハードスケジュールだねー」
「アイドルって体力無いとやってられないね!」
「でも高校生だから勉強もしないといけないしさ。私たち一応9時で解放してもらえるから、そのあと夜1時くらいまで勉強してるよ」
と政子が言うと
「偉ーい。私は家に帰ったらバタンキュー」と音羽。
「私もマリも成績を絶対落とさないことが条件なのよねー」と私が言うと「私は親からは恋愛禁止だけ言われてる」と光帆。
「恋愛かぁ。もう2年くらいしてないなあ」と私。
「私は3年彼氏いない」と音羽。
「私はローズ+リリー始める直前に別れた」と政子が言うと
「事務所に別れさせられたの?」と心配そうに光帆が訊く。
「ううん。浮気の現場押さえたから三行半突きつけた」と政子が言うと
「こんな美人の恋人がいて浮気するって酷い男だね」
と光帆は憤慨したように言った。
「でもさあ。恋愛禁止状態で女ふたりでずっとくっついて行動してると少し変な気分になることない?」と音羽。
「ああ。私たち何度か裸で抱き合って寝たことあるよ。お互いにあの辺を悪戯したりしたし」
と政子はあっさり、私とのことをバラしてしまう。私は頭を掻く。
「わっだいたーん。私たちはまだ下着で抱き合った所までだな。あそこも下着の上からタッチしただけ。キスはよくするけど」
と音羽が言う。「ちょっとちょっと」と光帆が慌てて言ってる。
こんな感じで私たちはお互いの「秘密」をあっさりバラして、それでよけい仲良くなったのであった。
私たちは翌日大阪でも同じCDショップで鉢合わせして、またハグしあって「友情の儀式」を交わした。
数ヶ月後、私が実は戸籍上男であったことが写真週刊誌の報道で明らかになり、それがきっかけで、私たちがきちんと「親権者が承諾した」マネジメント契約書を交わしていないことが明らかになったことで、私たちは活動停止に追い込まれてしまった。
私たちは当時人気急上昇中で、様々なイベントへの出演の予定が入っていたし、全国ツアーの予定などもあったが、それが全部吹き飛んでしまった。取り敢えず目前に迫っていたクリスマスライブには、同じ事務所の後輩ピューリーズが出演することになった。
しかしまだメジャーデビューもしていないピューリーズではとても私たちの代替全ては務められなかった。
私は当時、家から外に出ることもできなかったし、使っていた携帯を父に取り上げられてしまって、どことも連絡が取れなかったが、深夜姉の部屋に行き、姉に頼み込んで携帯を借り、町添さんの携帯に掛けた。(私の携帯のアドレス帳は父が初期化してしまったが、実はパソコンにバックアップを取っていたので番号は分かった)
「夜分恐れ入ります。ご迷惑お掛けしております。ローズ+リリーのケイです」
「ケイちゃん! 今どこか遠くに行ってるの? 親戚の家にでも避難してるんじゃないかとか報道が言ってたけど」
「いえ。自宅で親から軟禁状態です」
「ああ、自宅か。それが一番安心できるかもね」
「それで、私たちが動けなくなって、かなりあちこちにご迷惑掛けてるんじゃないかと思って」
「うん。実は、様々なイベントで、君たちが出演するはずだったものに誰を出すか悩んでる」
「もし良かったら XANFUS 使ってもらえないでしょうか?同じ2人組ですし」
「ああ。そんな子たちがいたね!」
「彼女たちと私たち偶然にもイベント会場などで何度か鉢合わせてしていて彼女たちの歌を聴いてますが、うまいんですよ。売れてないのが本当に惜しいと思ってて」
「へー。そんなにうまい?」
「ええ。私たちとはちょっとタイプが違って。かなり激しいダンスをしながら歌うので、マウスシンクを多用してますが、実は生で歌ってもかなりうまいんです」
「ほほお。ちょっと僕も彼女たちの歌を少し聴いてみるかな」
「よろしくお願いします」
「XANFUSと仲良しなの?」
「はい。会えばお互いハグしあって、友情を確認しあっています」
「へー。女の子同士の気安さだね。あ、ごめん。君男の子だったんだよね?」
「あ、いえ。私は自分では女の子のつもりなので」
「そうだよね? その言葉聞いて、ちょっと安心した」
「済みません。混乱を生じるような状態で」
「ここだけの話、身体とかいじってるの? どうにも君が男の子だなんて信じられなくて」
「町添部長は口が硬そうなのでお話しします。手術とかはしてません。でも、マリにも親にも言ってませんが、女性ホルモンは実は6年くらいやってます」
「なるほど。それゆえのその声か」
「ええ。声変わりは一応来たのですが、かなり軽く済みました。二次性徴もむしろ女性的に発現したし。おかげで友人からは触った感触が女の子みたいとか言われますけど」
「君、凄いハイトーンの声も持ってるもんね。今月末発売予定だったCDの中の『涙の影』は完全にソプラノだし」
「ええ。あまり公開してませんが。実はあの声より更に上の声も持ってます」
「そうなの? ぜひそれ一度聞きたいなあ」
「では、ほとぼりが冷めた頃に」
「うんうん。ね、ひとつだけ聞かせて。ほとぼりが冷めたら、また歌手活動する気ある?」
「ぜひまたしたいです」と私は即答した。
「うん。それを僕も楽しみにしてるよ」と町添さんは楽しそうに言った。
このことばが思えばその後のローズ+リリーの運命を決めたと言ってもよいかも知れない。
こうして私は姉の協力のおかげで、密かに町添さんと度々連絡を取ることができていたのだが、私が推薦した通り、ローズ+リリーに割り当てられていたイベント関係の出演予定の多くが XANFUS に振り替えられた。そして、それをきっかけにXANFUS の人気が上昇しはじめ、彼女たちの2枚目のシングルはゴールドディスクを達成して、スターダムへの道を歩き始めたのであった(1枚目のシングルも最終的にはゴールドディスクになったが、12月末時点では2000枚程度しか売れていなかった)。
そして騒動も落ち着き、自宅軟禁状態にあった私と政子もまた高校に出て行く。私は自分の女装が全国に報道されたので、もう開き直って学校にも女物の下着を付けて出て行くようになった。そして、それ以降の私は学校でも「半分女」
のように扱ってもらったので、結構快適であった。
そして6月に私たちの「ベストアルバム」が発売された。コンサートのリハーサルを録音した音源を丁寧にノイズ除去して整えたものに、スタジオで演奏した楽器の音を加えて、まるでふつうにレコーディングしたかのように作りあげたアルバムである。恐らくふつうにアルバムを制作するのの10倍以上のコストが掛かっている。しかしこのアルバムは30万枚を売って、制作費用を充分すぎるほど取り戻したのであった。
このアルバムの制作指揮は町添さんが直接おこない、サウンドの調整には下川先生もかなり関わったようであったが、アレンジは多くの曲で私が行ったので私は頻繁に担当の秋月さんや町添さんなどとやりとりをしていた。そして1度だけ政子も連れて、★★レコードを訪問した。5月中旬のことだった。
その時、★★レコードのロビーで偶然にも XANFUS と遭遇した。私は自分の性別問題があったので、ちょっと躊躇したのだが、彼女たちの方から私たちにハグを求めてきたので、私たちは半年ぶりにハグしあって友情の確認をした。
「やっぱりケイちゃん、ハグした感触が女の子だよ〜」
「男の子だってのが嘘ってことないの?」
「ごめんね〜。戸籍上は男の子なんだよね。でも自分では女の子のつもりなんだけど」と私。
「だったら全然問題無いね」と音羽。
「うんうん。これからも友情の確認しようね」と光帆。
「うん、しようしよう」と政子も笑顔で言った。
政子自身、★★レコードに足を運ぶのにあまり気が進まない感じだったのだが、ここで XANFUS と遭遇して「友情の確認」をしたことで、かなり気分がよくなった感もあった。
「それに私たちケイちゃんに感謝しないと」と音羽。
「何?」と政子が訊く。
「私たち、ローズ+リリーが出るはずだったイベントに1月から3月に掛けてたくさん振り替えで出演したんだけどさ。町添さんがこっそり教えてくれたんだよ。私たちを使ってと推薦したのがケイちゃんだって」
「へー。ケイって町添さんと連絡取り合ってたんだ?」
「その話は内緒にしといて。その話が表に出ると、私も町添さんも困るし」
「でも私たちが契約切られずに、たくさんCDとか売れたのもケイちゃんのお陰だし」
「だって、私たち友だちじゃない。だから、そんなことで貸し借りは無し」
と私は言った。
「そうだよねー。よし再度友情確認の儀式」と音羽が言って、私たちはまたお互いにハグしあった。
私たちの振り替えを務めた、もう一方のユニット、ピューリーズも同様に私たちの代わりにイベントに出たことから知名度が上がり、メジャーデビューすることになる。彼女たちは私たちより1つ下の学年なので、私たちが大学1年の夏頃から、大学受験のための休養期間に入った。
私たちを売っていた△△社としては、私たちがコケて、それに代わって稼ぎ手となったピューリーズが休養期間に入り、この時期一時的に稼ぎ手が無くなってしまった。
それを救ったのが「ピューリーズの妹分」スリファーズであった。彼女たちはまだ中学生であったが、ひじょうに高い歌唱力を持っていて、ピューリーズの妹分とは言っていたが、実際問題としてピューリーズより上手かった。
彼女らはピューリーズに楽曲を提供していた堂崎先生から楽曲をもらう予定だったのだが、その時期、堂崎先生が調子を落として楽曲の創作ができない状態に陥っていた。ピューリーズはうまい具合に休養期間に入ったから良いのだが、スリファーズは困る、という話になっていた時、ひょんなきっかけから私と政子が彼女たちに楽曲を提供することになってしまった。スリファーズのリーダーでソプラノの春奈がどこからどう見ても女の子にしか見えないのに実は戸籍上は男の子というのに私が親近感を持ち、政子が興味を持ったのもあった。
彼女たちはインディーズでの実績が無かったので、レコード会社としては大して売れないだろうと思ったのだが、ミステリアスな春奈の雰囲気もあってメジャーデビュー曲がいきなり26万枚売れて、最初は品切れで大変だった。
そんな春奈と私たちはデビュー曲発売の10日ほど前の日曜日、都内で偶然遭遇した。
その時期、私はローズクォーツの新譜『バーチャル・クリスマス』の録音作業をしていたのだが、だいたいその日までに作業はあらかた完了し、明日は微調整だけすればいいねという話になり、夕方17時で解散した。政子に電話して
「終わった。今から帰るね」
と言うと、
「冬〜、お腹空いたよ〜。私今日朝から何も食べてないよぉ」
などと言う。
そういえば冷凍室の食品ストックが尽きていたのだが、忙しいので補充できずにいた。何も無くても適当に食材を買ってきて何か適当に作るだろうと思っていたのだが・・・・
「カップ麺でも買ってきて食べれば良かったのに」
「お腹空いて買いに行く気力無い。冬〜、私しゃぶしゃぶがいっぱい食べたい」
「お腹空いてると言う割に贅沢なこと言うね。どこかの食べ放題にでも行く?」
「あ、行く行く。今どこにいるの?」
「今日は品川区の****スタジオに来てるんだけどね」
「あ、だったら、近くに**天然温泉があるよね」
「うん?近くかな。よく分からないけど」
「そこの3階に入ってるしゃぶしゃぶ屋さんが、7000円食べ放題で、凄く美味しいんだよー」
「そりゃ7000円も出せば美味しいだろうね」
「そこ行こうよ。ついでに温泉にも入ればいいし」
「ああ。私もちょっと汗流したい気分だったから、行ってもいいかな」
「じゃ行く。**駅で待ち合わせしよう」
「・・・・マーサってカップ麺をコンビニまで買いに行く気力は無くてもしゃぶしゃぶを食べに**駅まで出てくる元気はあるんだ」
「当然」
そういう訳で私たちは**駅で待ち合わせることにしたのだが、政子を待っていた時に、バッタリと春奈に出会った。
「あれ?ケイ先生。おはようございまーす」
「あ。春奈ちゃん。おはようございます」
「お仕事?」
「はい。お台場に行ってきました。今帰るところです。今日は4回公演で疲れました。どこか大きい風呂にでも行きたい気分」
「ああ。私も今マリと待ち合わせで、これから**天然温泉に行こうと思っていたところ。なんなら、一緒に来る?」
「はい、行きます!」
そういう訳で、少ししてやってきた政子と一緒に3人で**天然温泉に行くことになった。まずは、政子のお腹を満たすために、しゃぶしゃぶのお店に入る。「ここは私のおごりね」と言っておく。
「わーい。御御馳走様です」と春奈は素直に喜んでいる。
しかし政子が食べ始めると春奈はポカーンとしてその様子を見つめていた。
「どうしたの?」
「いや。マリ先生のスピードが凄いです」
「マリは食べ放題の所でないと怖くて連れて来れないよ」
「3人で21000円の元が取れちゃいますよね、これ」
「そうそう。お店も女の子3人でこんなに食べるとは予想できないよね」
「私ね。女に生まれて良かったと思うのよね。こういう所で男性より安い料金で食べられるんだもん」
この店は男性10000円、女性7000円の食べ放題である。私は女性3人と告げて店に入った。実は3人のうち2人は戸籍上男性だが、戸籍上男性の2人が少食なのに対して戸籍上女性の1人が凄まじいペースで食べている。
「確かに女は得ですよね! でも私男の子してた頃も食欲は女の子並みって言われてた」と春奈。
「ああ、それは私も。同級生の女の子たちよりずっと少食だったから」と私。
「私はギャル曽根が出てきた時に、まっちゃんみたいなのがいるね、と友だちから言われた」と政子。
「ああ。マリ先生はまっちゃんですか」
「政子だからね。春奈ちゃんは何て呼ばれてたの?」
「元の名前が宗春(むねはる)だったので、むっちゃんです。でも小学5年生の年末に年明けからは『春奈』になると宣言したら、それからは、はっちゃんと呼ばれるようになりました」
「へー」
「その名前で年賀状をくれと友だちに頼んだんです」
「ああ。使用実績を作るためね」
「はい。できるだけ早い時期に改名を申請するつもりです。性別は20歳まで変えられないけど、名前はその前にでも変えられるから」
「不便だよね。実態が女の子なのに男名前だと」
「中学の名簿は最初から春奈にしてもらったし」
「良かったね」
「ケイ先生は名前はどうしてたんですか?」
「私は冬と呼んでるけど、小学校からの友だちの奈緒とかも冬と呼んでるね」
「うん。戸籍上は冬彦だからね。たいてい冬ちゃんで、親しい子は冬と呼び捨て」
「でもさ・・・『唐本冬子』と書かれた賞状が何枚かあるよね」
「よく間違われてたんだよ。昔からDMとかがよく冬彦じゃなくて冬子になってた。電話で伝えると『ふゆひこ』って結構『ふゆこ』に聞こえちゃう」
「でも高校時代の定期券なんて、冬彦の名前なのに性別・女になってたね」
「でもそれで咎められたことは1度も無い」
「あろうことか、生徒手帳の写真はなぜか女子制服着て写ってたんだ」
「・・・高校、男子制服で通われたんでしたよね? なんか男子制服着た写真が写真週刊誌に載ってたし」
「ああ、あれ見た?」
「冬は高校の制服はなぜか夏服だけ女子の制服を持ってたんだよ。でもそれで通学してきたことなかったよね」
「うん。無かったね」と私は言った。
「・・・・・ちょっと待て。拷問して追求してみる必要がありそうな気がする」
と政子。
政子が「満腹した」と言ってから、お風呂の方に移動する。特選和牛200g入りの皿がたぶん10皿くらい、はけた。
「春奈ちゃんは・・・・どっちに入るの?」
「ケイ先生は・・・・どちらですか?」
「ケイは私と一緒だよ」
「じゃ、私もそちらに」
「へー」
ということでお風呂の受付の方に行く。受付の人はこちらを見て女湯のロッカーの鍵を3つくれた。ごく常識的な反応である。素直に受け取る。
「でも私は女湯の鍵しかもらったことないですけど、受付の人が迷うような人も時にはあるんじゃないでしょうか?」と春奈。
「そういう場合はやはり素直に性別を聞くのかなあ」
「声聞いたらたいていは分かるんじゃない?」
「声でも判断付かない人っているもんね〜」
「プールとかは自販機だから結果的に自己申告ですよね」
「春奈ちゃん、プールは?」
「水泳の授業は小学1年の時から女子のスクール水着着てました。ケイ先生は?」
「小学3年生までは男子の水着着て参加してたけど、4年生以降水泳の授業は全部見学で押し通した」
「ああ」
「春奈ちゃんみたいに、ちゃんと女子の水着で出れば良かったのに」
「いや、その勇気は無くって」
「でも男と女に分けるって面倒くさいよね。いっそ脱衣場も浴室も男女一緒にしちゃえばいいのに」と私が言うと
「いや、それは困る」「それは困ります」と政子も春奈も言った。
「だけど、水泳の授業サボってたという割には、冬は泳ぎが凄くうまいよね」
「うん。まあ中学の時は水泳部にいたこともあったしね」
「ちょっと待て。それってまさか男子の水着を着たりしてないよね?」
「あっと、またその件はその内ね」
ロビーでサービスのジャスミンティーなどを飲みながら少しおしゃべりした後、脱衣場に移動する。
なんとなく政子は春奈の方に視線をやり、春奈は私の方に視線をやる感じで服を脱いだ。
「ケイ先生の胸はシリコンですか?」
「うん。Dカップにしてもらった」
「でも乳首も大きい。ホルモンはいつから?」
「高校卒業してからだから、半年ちょっとかな」
「すごーい。それでそこまで乳首が発達するって、物凄くホルモンの効きがいいんですね」
「そうかもね。春奈ちゃんはホルモンだけ?」
「ええ。私は成長遅いみたいで、まだBカップなんですよね〜」
などと言いながら、下の方も脱いでしまう。
「それはタック?」
「ええ。常時してます。外すのは病院でお医者さんに見てもらう時くらい。ケイ先生はタックじゃないみたい・・・でもまだ手術終わってないんでしたよね?」
「割れ目ちゃんだけ作ってもらったの。中に隠してる」と私は説明する。
「すごーい」
「くすぐったりして、開門させようとするんだけどね。なかなか開かないね」と政子。
「マリ先生とケイ先生って、ほんっとに仲が良いみたい」と春奈は笑顔で言った。
「でもそこまで手術するんなら、おちんちんも切っちゃえば良かったのに」と春奈。「ね?そう思うでしょ?」と政子。
「友だちみんなから言われてるのよ、ケイは」
「うん。まあ。。。姉ちゃんからも言われたしなあ」
浴室の中ではどちらかというと音楽活動のことで話題が盛り上がった。
「堂崎先生、なかなか調子が戻らないみたいですね。気分転換に先日はヨーロッパ旅行に行って来られたようですが」
「創作活動ってどうしても波があるからね。というか、波があるような人でないと、なかなか良い作品は書けない」
「上島先生はたぶん例外中の例外だよね」と政子。
「そうそう。上島先生はピカソタイプ。とんでもなく凄い作品からふつうに凄い作品の範囲で波があるんだよ」
「ああ」
「上島先生もピカソ並みに多作だよね。たぶん年間600個か700個書いてない?」
「いや、もっと多いと思うよ」
「ひゃー」
「ピカソが生涯に制作した美術品は15万点というから。仮に7歳くらいから92歳くらいまで85年間作り続けたとしても、1年に、はいマリ」
「15万÷85は1764」
「それを365で割ったら?」
「4.8」
「ということで1日に平均5個作ってた計算になる。恐ろしいよ」
「ちょっと待ってください、今の計算は?」と春奈。
「マリの頭の中には電卓が内蔵されてるんだよ」と私は言う。
「へー!」
「ケイの喉にはボイスチェンジャーが内蔵されてるよね」と政子。
「ああ!」
「でも春奈ちゃんは、自分で曲を書いたりしないの?」
「何度か書いたことありますけど、彩夏にも千秋にも酷評されました」
「あらら」
「これならソフトで自動メロディ生成でもした方が出来が良いとか」
「わあ、酷い言われよう」
「まあ、めちゃくちゃ言われていても、いろいろ習作をしておくといいよ。そのうち良い作品が書けるようになるかも知れないし」
「この世界の人って、よく曲を書く人と演奏はうまいのに自分ではほとんど書かない人っているよね」と政子。
「作曲というのも、ひとつの楽器パートみたいなものだと私は思うよ。例えばサックス吹く人はふつうにサックス吹くけど、他の楽器パートの人は何かで興味を持ったりしない限りサックスを覚えようとはしないでしょ」
「ああ」
「それにサックス吹いたことない人はどうすればいいか戸惑うし、練習してなきゃいつまでたっても吹けるようにはならない。作曲も同じで、練習しなきゃ、うまくならない」と私は言う。
「ああ、面白い見解だね。でも才能による差はあるよね?」と政子。
「誰もが渡辺貞夫や伊東たけしになれる訳じゃないもん」
「そうですよね」
「でも伊東たけしだって、サックスの練習してなかったら、あんなに吹けるようにはならなかったし、最初から巧かったわけじゃない」
「そっかぁ!」
「春奈ちゃんだって、曲を書いてたら、大作曲家になる可能性だってあるよ」
と私は言った。
春奈は頷いていた。
「女装も才能による差があるよね」と政子は唐突に言う。
「それって才能なの?」と私は笑って言った。
「だって、冬や春奈ちゃんは、女の子にしか見えないけど、女装させても男にしか見えない人が大半だよ」
「確かにそうだね」
「やっぱり、冬にしても春奈ちゃんにしても、女装の才能があったんだと思うよ」
「そうか?」
「でもさあ、女装する人の中にけっこう芸術的な才能とか、神秘的な才能のある人がいると思わない?」と政子は唐突に言う。
「ああ・・・クロウリーとか出口王仁三郎とか女装の写真を残してるよね。歌手の女装なんて珍しくもないし」
「フレディ・マーキュリーも女装してたっけ?」と政子。
「あれは・・・ただのジョークだと思う。そんな特殊な例を出さなくても、ボーイ・ジョージとかもいるし、日本ではピーターとかIZAMとかもいるし」
と私。
「モデルさんなんかにはふつうに女性モデルとして活動してるけど、実はって人、わりといるよね」
「ああ、いるねえ」
「そういえばベルリオーズが女装してたとか言ってなかった?」
「あれも日常的なものではないと思うよ。恋人が他の男と結婚すると聞いて一時的に錯乱して女装してその彼女と結婚相手を殺しに行ったらしいから」
「で、殺したの?」
「その前に我に返ったらしい」
「なーんだ。面白くない」
「面白さで殺されても・・・」
「去勢されそうになったのはベートーヴェンだっけ?」
「そう思ってる人けっこういるけど、ハイドンの間違いだと思う」
「ああ」
「カストラートになることを勧められたんだよ。歌うまかったから」
「カストラートか・・・・私って一種のカストラートなんでしょうね」と春奈。
「今の時代って、わりと女性ホルモン入手しやすくなってるから、けっこう事実上のカストラートが発生しているかもね」
「冬はカストラートじゃないよね?」
「知ってるくせに」
「・・・あのぉ、ケイ先生とマリ先生って、ケイ先生がまだ男の子だった頃にも恋人だったんでしょうか?」
「完全な形でのセックスはしてないよね。でも私に男性能力があったことは実地に確認してるよね」
「まあ、そうだね」と政子。
「へー」
「春奈ちゃん、オナニーの経験無いの?」と政子は唐突に訊く。
春奈がむせる。
「こらこら。それってセクハラ発言」と私は政子を注意する。
「あ、いいですよ。ホルモン始める前に何度かやりました。でもこれ内緒で」
「冬もオナニーなんて『何度か』のレベルじゃないの?」と政子。
「そうだなあ・・・・・全部で30回くらいはしたかも」と私は微笑んで答える。「ああ、じゃ私と大差無いレベルですね」と春奈も微笑んで言った。
スリファーズのメジャーデビューは△△社主導で行われたもので、★★レコード側は必ずしも乗り気ではなかった。
そもそもインディーズでは数十枚しか売れていなかったというのもあり「まあ、やるならどうぞ」という感じで、最初は正式な担当も付けてもらっていなかった。発売イベントもレコード会社側は消極的だったので、レコード会社の名前だけ使わせてもらい、△△社が全部費用を出して、私と政子を同席させることで、音楽雑誌や新聞の記者などにも何人か来てもらうことに成功した。
ところがふたを開けてみると、この発売イベントを見た観客が即その店にあったCDを買い求め、それでは足りなかったので、その人たちは他のCDショップを回って各店舗に少しずつ置いてあるCDを買った。それで数時間で売り切れたのだが、事実上一瞬で売り切れたに等しい状態だった。レコード会社も慌てて追加プレスをするとともに、一応スリファーズに関する事務的な処理をしていた北川さんにスリファーズの正式な担当になってもらうことを決めたという、泥縄の状態であった。
そしてこのデビュー曲はCD/DLあわせて26万枚を売り、いきなりプラチナディスクを達成した。
彼女たちの活躍に刺激を受けたのが、ピューリーズである。受験のために休養していた間に、「ピューリーズの妹分のスリファーズ」だったはずが、いつの間にか「スリファーズのお姉さん格のピューリーズ」などと言われるようになっていた。
それでピューリーズの3人は「受験のための休養」というのを利用してそのままフェイドアウトしちゃおうか、などとも言い合っていたらしいのが、俄然やる気を出した。
大学に合格すると、すぐに新しい音源製作に入る。その時点でまだ堂崎先生が調子を戻していなかったが、津田社長に楽曲を下さいと直訴。社長が個人的に交友のあった作曲家・関沢鶴人さんという人に、臨時で楽曲を依頼した。関沢さんは元々は演歌系の人なのだがピューリーズのために、『舞い戻ったカモメ』
という曲を書いてくれた。
この曲は悪戯心でわざと演歌的なタイトルを付けてあるが中身は完全なポップスである。しかもわざとピューリーズの3人は振袖を着て発売イベントに登場したので、3人が演歌に転向したのか?と一瞬思った人もあったらしい。しかしそこにギター・ベース・ドラムスのバックバンドが登場して16ビートのリズミカルな伴奏を始めたので、戸惑いの空気は安堵の空気、そして歓声へと変わった。
このCDのジャケ写もまるで演歌のような雰囲気で作られており、CDショップではしばしば誤って演歌のコーナーに並べられていた(そもそも作曲家が演歌で有名な人だし)。しかしミスマッチなタイトルにそのようなわざとミスリーディングするような演出が受け、ピューリーズはこの曲を7万枚売って美事に復活した。
そしてどうしてもスリファーズにはセールス的に負けるものの、△△社の看板アーティストのひとつとして、活躍を続けている。
関沢さんはこれを機会にポップス系の楽曲も頼まれるようになり、何人かのアイドル歌手にも、定常的に楽曲の提供をするようになった。またピューリーズにも、そのあと1年間、堂崎さんが復活するまで楽曲の提供を続けた。そして数年後には、ポップスライターとして知名度が上がり「あれ?演歌も書くんですか?」
と言われるようになってしまった。
私と政子は作詞作曲する時に何本かのボールペンを使っているのだが、中でもお気に入りなのが2本のセーラーのボールペンである。1本は赤いボールペン、もう1本は青いボールペンで、私たちはこれを「赤い旋風」「青い清流」と呼んでいる。
「赤い旋風」は概して積極的な歌を紡ぎ出してくれるし、「青い清流」は静かな歌を紡ぎ出してくれることが多いが、ふたりで同時に詩と曲を書く時は、概して政子が「赤い旋風」を使い、私が「青い清流」を使っていることが多い。
「赤い旋風」は私が高校に入学した時、親戚のおじちゃん・おばちゃんから入学祝いにもらったお金で買ったボールペンである。(正確にはお金が足りなかったので、たまたまその場で遭遇した麻央に2000円借りたので、私と麻央が共同で買ったことになる)
それを高校1年夏にキャンプに行った時、政子が気に入り「これ頂戴」などというので、あげたものである。元々麻央から、多分このボールペンは誰か親しい人にあげることになる、と予言されていたので、ああその通りになったなと当時私は思ったものである。
元々政子は病的なほどに暗い詩、救いようがないほど読んだら鬱になる詩を書く傾向があったのが、「赤い旋風」を使い始めてから、ぐっと詩の内容が明るくなった。もっとも敢えて暗い詩を書くために普通のボールペンを使うこともあるようである。
高校時代から大学2年頃までに作った曲の中で、特によく出来た曲はほとんどこの「赤い旋風」で書いたものである。
「青い清流」の方は、実はある人の遺品なのだが、それはこんな経緯で私の元にやってきた。
2011年8月16日。私は12日の夏フェスでローズクォーツの一員として8万人の前で歌った。その疲れを休める間もなく、明日から半月ほどにわたってレコーディングに入る予定であった。17〜18日は ELFILIES で、19日から28日まではローズ+リリーの新しいアルバム『After 3 years』である。その自分たちのアルバム用に、上島先生に何か曲を頂けないかと打診していたのだが、ギリギリのこの日の夕方になって「曲をあげるからちょっと来て」という電話が掛かってきた。
上島先生のこういう言葉は「もしかしたら今夜作曲する時間ができるかも知れないから来てみて」という意味である。行っても他の用事で結局作ってもらえないこともあるのだが、とにかく呼ばれたからには行かなければならない。
明日はスリファーズのファーストアルバム『遥カナル波斯』の発売日でもあるので、午前中にその発売イベントに顔を出す予定だったので、今夜は徹夜はしたくなかったのだが仕方無い。
そういう訳で私は「明日があるから寝てる」と言う政子をマンションに置いて、ひとりで上島先生の御自宅に向かった。
行くと AYA が来ていた。私と顔を見合わせて軽く手を振る。AYAもたぶん新曲をあげるからと言われて来ているのだろう。しかし上島先生はその日は顧問弁護士の先生と何やら話し込んでいた。ああ、これはやはり徹夜だなと覚悟を決め込み AYA とおしゃべりをしていた。
その AYA がトイレに立っていた時、テーブルに置かれていた先生の携帯が鳴った。
「ごめーん、ケイちゃん。たぶん鹿野(しかの)さんだと思う。取って用件聞いてくれない?」と上島先生が言う。
鹿野さんというのは演歌系のレコード会社の担当者の女性だ。これはどうも今夜はかなり先生の仕事は溜まっているようだ。今夜は曲はもらえないかも知れないなあ、と思いながら私は電話を取った。
「お待たせしました。上島です」
「あ、えっと。あなた奥さんじゃないわね?」
「お世話になっております。ローズ+リリーのケイと申します。ちょっと今先生が手が離せないので、用件を伺っておくように言われたのですが」
「ふーん。あ、わたし《しか》だけど」
私はこの時、相手の名前を「しか」だけ聞いて、「しかの」さんだと思い込んでしまった。
「明日、22、大森、と伝えて。上島先生に直接ね。あ、これ復唱しないで」
「はい、分かりました」
私は聞いた内容をメモに書いて先生にお渡しした。先生はびっくりしたような様子で「あ、ありがとね、ケイちゃん」と言って、メモをねじるようにしてゴミ箱に捨てた。
私はその先生の表情と慌てぶりを見て、今のは先生の彼女だ!ということに気付いた。
「あ、ケイちゃん、相手は何て名乗ってた?」
「すみません。《しか》と聞いたのですが、てっきり《しかの》様かと思い込んでしまいました」
「あ、いいよ、大丈夫。ありがとう」
その日、上島先生と弁護士さんの話し合いは23時頃終わった。
上島先生はそれから私とAYAに「ごめんねー、今作るからね」と言い、作曲作業に入った。そして AYA用に『Katyusha』、ローズ+リリー用に『Anastasia』という曲を書いてくれた。
「ケイちゃん。今日は1曲が限界。明日か明後日くらいまでにもう1曲書いて送るから」
「ありがとうございます。レコーディングは28日までやってますから、それまでに頂ければ大丈夫です」
と私は言ったのだが、2曲目は本当に28日に送られてきた!
「でも今日はトルストイですか?」と私は先生に訊いた。
「よく分かったね」
「何、何?」とAYA。
「カチューシャというのは、トルストイの『復活』のヒロインの名前なんだよ。髪飾りのカチューシャは、昔カチューシャ役を演じた人気女優さんがそういう髪飾りをしてたから。そしてアナスタシアというのは、ずばり復活という意味」
「へー!」
「いや、実は昼間、古い友人に招かれて演劇を見に行ったんだけど、それがトルストイの『復活』だったんだよ」
「なるほど!」
「先生の創作って割と刺激に忠実なんですね」とAYA。
「ああ、マリよりいいと思うな。マリなんて、岡山でぶどう食べたらマスカットって曲を書いて、札幌でほたてステーキ食べたら恋のステーキハウスなんて曲を書いたからね」
「あはは。でもマリちゃんは天才詩人だと思うよ。なんか発想が凄いんだよ。ここでこんな言葉、ふつう思いつかない!って感じの言葉が綴られてるからね」
と先生はマリを褒めていた。
「あ、そうそう。町に出たついでに、CDショップで明日発売のスリファーズのアルバム買ってきたよ」
と言って先生は、棚から1枚CDを取りだした。先生の場合、棚に収められているということは、全曲聴いたことを意味する。つまらない曲だったら先生は捨ててしまうし、まだ聴いてないものはカバンに入っている。
「曲の品質もいいけど、まとめ方がうまいね。これ並みのプロデューサーがまとめてたら10万枚も売れない所だと思うな」と上島先生。
「へー。スリファーズはちょっと面白いサウンドですよね。それに春奈ちゃんってどう見ても男の子には見えないのに。先生の予想としては何枚行きますか?」
とAYA。
「これはプラチナ行くね」
「わあ」
「ありがとうございます。でもアルバムのプロデュースをひとりでやったのは初めてで」
「今度の君たちのアルバムもケイちゃんが指揮しなよ。君のプロデュース能力は高いというのを、このアルバム聴いて思った」
「はい」
「僕もちょっと裏工作してあげるからさ」
「えー!?」
そしてこの『After 3 years, Long Vacation』の制作中、美智子はあれこれ用事ができて頻繁にレコード会社や○○プロ、また放送局などから呼び出され、結局アルバムの制作指揮は事実上私がしたのである。
「高校時代に作ったベストアルバムも、あれ半分くらいはケイちゃんがプロデュースしたみたいなものでしょ? 下川も一枚噛んでるし、町添さんが昔取った杵柄で、かなり頑張ったみたいだけどね」
町添さんは元々プロデューサー出身で、★★レコードを立ち上げた頃は、かなりのCD制作を直接指揮していたし、自分でバンドアレンジ譜なども書いていた。
「今回のアルバムに使う曲、今データ持ってる?」
「あ、はい。タイトル曲にはこれを使おうかと」
と言って、私はパソコンを取り出すと『Long Vacation』のMIDIを流してそれに合わせて歌った。
AYAもそして先生までも涙ぐんでいるので驚く。
「僕ちょっとメール打つ」
と言って先生はどこかにメールを打った。多分明日の恋人とのデートをキャンセルしたな、と私は思った。
「それと今渡した曲、作り直す」
と言って、先生は楽譜に手を入れ始め、結局最初のものとは似ても似つかぬ曲に仕上がった。
「なんか、この曲凄いです! こんなの頂いていいんですか?」
「凄く美しい曲を聴かせてもらったからね」
「先生、ついでに私にもう1曲作ってください」とAYA。
「よし」
と言って、先生はAYA用にももう1曲書き始める。AYAは明日・明後日でシングルのレコーディングの予定だったのである。さっきまでは2曲目は明日書くつもりだったようである。
そこで先生が書き上げたのは『Balalaika』という、郷愁あふれる曲だった。
6時の時報が鳴った。私はAYAと一緒に先生の御自宅を辞し、自宅に帰ると、出かけなければならない時刻まで、ひたすら寝た。
2012年2月16日。私はローズクォーツの全国ツアーで仙台に来ていた。
今回のツアーでは那覇公演と福岡公演の間に、上島先生と恋人との密会写真が新聞に載り、そのため翌日の朝のアニメの主題歌を差し替えなければならないという事態が起きて、たいへんだったのだが、この仙台公演が終わればあとは東京と横浜でやって、ツアーも打ち上げである。
その日は平日で私は大学があるので、授業に出たあと新幹線に飛び乗って仙台に来て、18時からのライブをして、終わったら打ち上げは欠席して新幹線で東京に戻る。
ライブが終わった後、クォーツのみんなと別れて仙台駅に来た時、コンコースでひとりの背が高い女性と目が合った。
「おはようございます」と私は挨拶した。
「おはよう。最近大活躍だね」」
「ありがとうございます」
「どこ行くの?」
「東京に帰ります。大学生なもので、授業が終わってから新幹線で仙台に来てライブやって、また明日は授業があるから今日中に帰らないと」
「学生さんは大変だね! 私も東京に帰る所なのよ。チケットはもう取ってる?」
「いえ。これから買うところでした」
「じゃ、一緒に買おうよ」
「はい」
新幹線で並びの席に座ってから、私は小声で支香さんに訊いた。
「響原さんから何か言われましたか?」
「半年間の謹慎を言いわたされた。って、私のことは上島から訊いたの?」
「いえ。写真を見た時に分かりました」
「ふーん・・・」
「去年支香さんからの電話を私取っちゃいましたし」
「ああ、そんなことあったね!」
「こちらはお仕事ですか?」
「ううん。私、元々仙台の出身だから。ちょっと実家に顔出していた」
「そうでしたか!でも震災の時は大丈夫でした?」
「実家は完全崩壊。でも借家だからね」
「ああ」
「持ち家だったら辛かった所だよ。借家で助かったよ」
「ポジティブ・シンキングですね」
「そうそう。で、私、上島とは別れることにしたから」
「そうですか・・・・」
「それでさ。上島に渡そうと思ってて、結局渡しそびれたものがあるんだけどね」
「私がお渡ししましょうか?」
「うん。頼んじゃおうかな。これなんだけど」
と言って、支香さんは青いボールペンを私に渡した。
「こないだ荷物整理してたら出てきたんだよ。これ、高岡さんが作詞に使ってたボールペン」
「わあ・・・・」
「姉貴の家で最後の作品を書いた後、ドライブに出で死んじゃったんだよ」
「『疾走』を書いた後ですね」
「うん。結局あの曲は発表しないままになってしまった」
「どこかで世に出したいですね。上島先生に一度見せて頂きましたが、素晴らしい作品ですよ」
「・・・・でもね、実はあれはたぶん姉貴が書いた作品」
「え?」
「高岡さんが作詞していたことになってた作品の多くは本当は姉貴が書いてたんだ」
「そうだったんですか・・・・」
「そのこと知ってたのは、たぶん上島だけ。だから上島は私に毎年膨大なお金を渡してくれているんだ。これは私と上島との恋愛とは関係無いところでね」
「いろいろあったんですね・・・」
「最初の数ヶ月だけだよ。本当に全部高岡さんが書いてたのは。でもあの人弱い性格だったんだ。プレッシャーに耐えられなくなって。その内作品が書けなくなった。そんな時に、たまたま姉貴が書いた詩を見て、凄い、これ使わせてって言って。商業的に、姉貴が書いたと言うと、レコード会社が企画を通してくれない。だから高岡さんが書いたことにしていた。このボールペンも実は姉貴が主に使ってた」
「ああ」
思えば私と政子の作品をほとんどそのまま出すことができているのは、私たちの実力を町添さんに買ってもらっているのと、美智子がまた寛容だからなのだろう。普通はやはりなかなか勝手はできないものなのだろう・・・・
「ではこのボールペン、確かにお預かりします」
私は翌日、上島先生の御自宅を訪問し、ボールペンを(奥様の前だったこともあり)、高岡さんのご遺族と偶然遭遇し、上島先生に渡してくれるよう頼まれたと言って、手渡した。「ご遺族」という表現で先生は支香さんのことだと分かったようであった。
「ああ、このボールペンは見覚えがあるよ。高岡の自宅の遺品の中には無かったから、事故の時車に持って行ってて、車と一緒に燃えちゃったのかな、などと思ってたんだけど、あったんだ」
「奥の方に入り込んでいたらしいです」
「まあ、あの時は大混乱だったしね」
先生はしばらくそのボールペンをいじっていたが、やがて言った。
「このボールペン、ケイちゃんとマリちゃんで使ってくれない?」
「はい?」
「たぶんね、このボールペンは女性が使った方が良い作品を生み出す」
「へー!」
「『疾走』みたいな良い作品を書いてよ」
「分かりました!」
そうして、私はボールペンを上島先生から頂いた。そしてそのペンを使って最初に書いた作品が『風龍祭』であった。
【夏の日の想い出・歌を紡ぐ人たち】(1)