【夏の日の想い出・3年生の秋】(2)
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(c)Eriko Kawaguchi 2012-09-07
姉が初めて彼氏小山内和義さんを紹介してくれた時、私は「えー!?」と叫んだ。
「冬ちゃん、久しぶり」と彼は笑顔で言った。
それは小学生の時の親友、麻央のお兄さんだったのである。
「私たち、中学の時同級生だったんだよね。でも私が東京に引っ越したから離れ離れになっていて、連絡も取ってなかったんだけど、仕事の関係で偶然遭遇して、それから急速に仲が進行しちゃったのよ」
と姉は言った。
「でも、僕は冬ちゃんのこと女の子と思い込んでいたよ。僕が結婚申し込んだ時に、萌依ちゃんから、うちの弟に変なのがいるんだけどいい? と言われて、『え?萌依ちゃんに弟なんて、いたっけ?』と思っちゃった」
「あはは」
「でももう性転換手術もして本当の女の子になって、戸籍も女になってるんなら全然問題無いじゃん」
「すみません。変なのがいて」
と私は笑顔で答えた。
ふたりは7月8日(日)の大安吉日に結納を済ませ、今日2012年10月27日の挙式となったのである。
式には当然新郎の妹である麻央も出席するし、私も出席するが、強引に出たい人・出したい人たちが数名いた。
政子は「私たちは夫婦なんだから、冬が出席するなら私も出席する」と主張し、私の姉の友人という名目で招待し、席は私の隣にした。正望は私が出席させてと頼んだのだが、私と正望が婚約者に準じる関係であることは非公開なので、結局、新郎の友人名目で招待してもらった。そしてリナは「親友の姉と親友の兄が結婚するなら、私も行かなきゃ」と言い、結局こちらも私の姉の友人名目で招待して、席は麻央の隣にした。更に奈緒まで「政子が出て、リナちゃんに麻央ちゃんまで出て、私を招待しないなんて、あり得ないよね?」と言ったので、こちらも私の姉の友人名目で招待した。席は政子の隣にした。
そういうわけで、直接姉とは関係無い、私の関係者がぞろぞろと披露宴会場には、紛れ込んでいたのである。
もうひとり紛れ込んだ人がいた。
「ケイちゃんのお姉ちゃんの結婚式なら、マリちゃんとふたりで歌うよね?」
「ええ。マリは当然私とペアですから出席しますし、私たちふたりが出席すれば、当然何か歌います」と私は答える。
「じゃ、それ聴きたいから、適当な名目で僕も会場に入れてよ」
ということで、新郎の友人名目で、町添部長も招待してもらったのである。町添さんが御祝儀を100万円も包んでくれていたのを知って後から驚愕したが。
(私たちも上島先生の結婚式には私名義で80万、政子名義で80万包んで、キャンペーン中で北陸にいた私たちに代わり、津田社長が披露宴に行ったらしいが。この業界では一般常識とかなり懸け離れた額の御祝儀を包む習慣があるようだ)
町添さんと正望は隣り合う席にした。会場で町添さんは「私の彼氏」を品定めしていた感じで色々話しかけていたようだったが、法律家を目指す真面目な青年ということで、良い印象を持ったようであった。
結婚式に出席するのは昨年12月のマキの結婚式に続いて2度目だ。私は昨年のお正月に着た振袖を着た。今年のお正月に着た振袖では豪華すぎて、姉に悪いからである。麻央もけっこう良い感じの振袖を着ていた。政子も私に合わせて(あまり豪華すぎない)振袖を着ている。リナ、奈緒はドレスを着ている。
もっとも正確にはもう1つ、今年3月に霧島で「夢の中で」体験した、私と政子自身の結婚式というものがある。
考えてみれば、私は昨年12月のマキの結婚式で花嫁が投げたブーケをつい受けとめてしまった。そして「じゃ次はケイちゃんとマリちゃんが結婚するのね」
などとXANFUSのふたりに言われたのだが、そのことば通り、3月に私と政子は結婚式を挙げたわけだから、あのブーケには意味があったんだな、と思う。
私と政子が「結婚式」を挙げた直後、記念写真を自宅マンションで撮ろうとしていたら、偶然姉が来訪した。そこで写真係になってもらい、たくさん私と政子で並んでいる所を撮影したもらったのだが、その時、姉は「折角だからお花も欲しいね」と言い、近くの花屋さんでブーケを買ってきてくれた。
そして撮影終了後「じゃ、ブーケは次の花嫁さんに」と言って姉に渡したのだが、姉が和義さんと再会したのは、そのブーケを渡した翌日だったらしいのである。マキの結婚式から今日の姉の結婚式まで、美事にブーケがリレーされたことになる。
今日は先負で、午後から吉の日ということだったので、挙式が13時から、披露宴が14時からに設定されていた。
挙式は神式で、参列者は、新郎の両親、兄2人、弟、妹(麻央)、父の姉、母の兄、新婦の両親、妹(私)と政子、父の兄、母の姉4人、の合計17人であった。政子は最初頭数に入っていなかったのだが、私が式場に入ろうとすると、当然のように私にくっついてきたので、一緒に参列することになった。
厳かに進む式に参列していて、私はまた3月の自分たちの結婚式に思いを馳せていた。新郎新婦が三三九度をしている時は、私と政子の三三九度を思い出す。あの後、実際にも何度かやったし、琴絵が巫女役をして再度やったりもした。
やがて式が終わり、少し休憩して披露宴となる。
休憩時間の間は、私は政子、奈緒、リナ、麻央と5人でおしゃべりに興じていた。
「これで麻央と冬は姉妹になったのか。何か羨ましいなあ」と奈緒。
「姉弟じゃなくて姉妹でよかったね」とリナ。
「私と冬はほとんど夫婦みたいなものだから、私と麻央ちゃんも姉妹ってことにしてもいい?」と政子。
「うん、いいよ」と麻央。
「えー!?じゃ3人姉妹なの?私も姉妹にしてよ」と奈緒。
「いっそ、私たち5人、義理の姉妹ってことにしない?杯を交わすって感じで」とリナ。「ああ、いいかも」と麻央。
「じゃ、さっきの結婚式の時の杯で」と言って麻央が杯を取り出す。
それに手近にあったウーロン茶をつぎ、5人で回し飲みをした。
「これで私たち、5人姉妹ね」
と言って、私たちはハグし合った。
「ところで誰がいちばんお姉さんなんだっけ?」と奈緒。
「誕生日の順番で言うと、麻央、政子、リナ、私、奈緒だね」と私。
「でも小さい頃の冬がどんな女の子だったかを知りたいなあ」と政子。「そのあたりは本人に訊けばよろしい」と奈緒は言う。
「やはり、小さい頃から女の子だったんだよね?」
「まあ、それも本人に訊こう」と麻央は笑って言っている。
「しかし冬が高校生の時に使っていた一人称の『ボク』がどうも麻央ちゃん由来のようだというのが分かっただけでも収穫だ」と政子は言う。
「ボクの真似して使ってたみたいね。でも冬はもう『私(わたし)』になっちゃったね」と麻央。
「だけど、冬は幼稚園の頃は『私(わたし)』って言ってたんだよ。それを小学校にあがった時に先生から『男の子なんだから僕と言いなさい』と言われて直されたんだよね」とリナ。
「冬って言われたことを受け入れちゃうタイプだからね。ボクなんて、先生から『私って言いなさい』と言われたけど、全然変わらなかったから」と麻央。
「この中ではリナがいちばん古いお友達なのね」
「そうだね、幼稚園の時からだから」
「幼稚園の頃はよく一緒に水遊びとかしてたね。お互い裸で」
「ああ、幼稚園だと、そんなものだよね」
「奈緒ちゃんは、冬が男の子だった頃におちんちん見てるの?」と麻央。
「ふふふ。見てるし触ってるよ。少し悪戯したし」
政子が一瞬嫉妬を含んだ目をした。
「じゃ、この中で冬のおちんちんを見てないのは私だけか」と麻央。
「政子ちゃんは当然見てるよね?」
「もちろん」
「だけどさ。この世で、冬のおちんちんを見たことがあるのは、家族以外ではたぶんリナちゃんと私と政子ちゃんと今日は来てないけど若葉の4人だけだよ。冬はおちんちんを男の子には1度も見せてないようなのよね」と奈緒は言う。
「なんかそれって重要なこと?」と私は笑って言う。
「普通は男の子同士でたいてい見てるもんだよね」
「お風呂とかプールの着替えで見たりもするし、男子トイレで立ってしていたら、隣の子のが見えたりするもんだと思うけど、小学校の時の男子の友達から聞いたのでは、トイレで冬のおちんちんを目撃した友人はひとりもいないと」
「小学校の時にそれなら、たぶん中学や高校でも同じだよね」
「それって実はおちんちんは最初から存在していなかったとか?」
「そんな馬鹿な」と私は笑う。
「うーん。。。少しずつ小さい頃の冬の実像が見えて来たな」と政子は言った。
やがて披露宴が始まり、私たちは会場内の各々の席に付いた。人目があるのであまり正望に接近できないので目で会話したりしていたら、嫉妬した政子からテーブルの下で蹴りを入れられた。ふだんの政子ならこのくらいで嫉妬しないのだが、今日は自分より古くから私を知っている友人が何人もいてイライラしている感じであった。
紋付き袴と黒引き振袖の新郎新婦が結婚行進曲の音楽に乗せて入場しメインテーブルにつく。今日は姉と和義さんの中学時代の同級生で、東京在住の友人が司会をしてくれていた。司会者から新郎新婦の紹介があり、続いて、新郎の会社の社長と新婦の会社の社長から祝辞があった。そしてケーキ入刀である。
私も政子もカメラを持って撮影に行く。たくさんのフラッシュが焚かれる中、姉と和義さんは嬉しそうな顔でケーキにナイフを入れた。前日に姉が手作りしたものだが、作り方がよく分からんというのを私が電話で指導しながら作ったものである。実は1個目は失敗し、深夜に再挑戦した2個目をここに持ってくることができた。
その後、新郎の会社の専務の音頭で乾杯をした。政子は「やっと食べられる」
と言って食べ始める。「私のもあげるね」と言ったが「当然もらう」と言って凄い勢いで食べている。向こう隣に座ってる奈緒まで「私も全部は食べきれないから少しあげる」と言って、幾つかの品を政子の前に移した。「ありがとう、妹よ」などと言っている。先程の誕生日順の姉妹の長幼では、政子が次女で奈緒は五女になる。
このあとスピーチがいくつかあり、やがて余興に入る。新郎の友人たちが臼と杵を持ってきて、餅を搗き始めたのには驚いた。搗いたお餅はみんなに配っていた。姉の友人たちはやはり無難に歌を歌ったりするグループが多い。新郎の伯母さんが琴で「六段の調べ」の演奏をした後、母の姉たちが三味線、太鼓と唄を分担して『めでた』を唄う。
「めでた、めでたの若松様よ、若松様よ、枝も栄える、葉も繁る」
博多では「祝いめでた(博多祝い唄)」、富山県では「福光めでた」として知られ、他にも多数の地域で唄われている全国的な、おめでたい民謡である。旋律が違う花笠音頭もこのバリエーションだが、元は伊勢の木遣り唄だったのではないかとの説もある。
母の姉たちが唄っている時、麻央の親戚の叔母さんが「あの人達凄くうまいね」
と言ったらしい。麻央が「だって民謡教室の先生達ですから。一番上のお姉さんは全国大会で優勝したことありますよ」と言うと、「へー凄い!」と感心したらしい。
「次は新郎の妹さん、麻央さんとご友人によるギター演奏です」
という案内で、麻央が大学の友人2人と一緒に前に出て行き、クラシックギター3つによる合奏で『恋のアランフェス』(アランフェス協奏曲第二楽章)を演奏する。麻央は振袖なのでちょっとやりにくそうだったが、この美しい曲をきれいにまとめていた。
「そして最後は新婦の妹さん、冬子さんとご友人によるデュエットです」
と案内され私と政子は奈緒の拍手に送られて出て行った。披露宴会場のエレクトーン(stageaがあることは事前に確認済みであった)を借りて、椅子に座る。政子はいつものように私の左側に立った。USBメモリから演奏データをロードする。
リズムシーケンスをスタートさせ、前奏を聴いた所で私たちは『Long Vacation』
を歌い始めた。
元々は別れと再会を繰り返した末に結婚した友人夫妻(晃・小夜子)のために作った曲だが、中学時代に恋人未満の関係のまま別れ、12年の月日を経て再会し結婚した姉たちに贈るのにもふさわしい曲だ。
Long Vacationというのは「愛の長い休暇」ということで、恋人でなかった時代は愛が休んでいたのだという意味だが、この曲を発表した時、ローズ+リリーの多くのファンが、これはローズ+リリーの休養期間終了宣言、事実上の活動再開宣言ではないかと感じたらしい。実際、私たちはこの曲を発表して以来、矢継ぎ早に何枚ものシングル・アルバムを発表してきた。
私たちが歌っていると、新郎新婦の目に涙が浮かんでいるのに気付く。私たちはふたりの愛のために一所懸命この歌を歌っていった。
私たちが歌っている時、麻央の親戚の叔母さんが「あの人達異様にうまいね。それにエレクトーン弾いてるのに、まるで生のバンドと演奏してるみたい」
と言ったらしい。麻央が「だってプロの歌手だから。ミリオンヒット5枚出してますよ」と言うと、「うっそー!」と絶句したらしい。
演奏が終わると、物凄い拍手があった。町添さんがとても満足げな様子。この歌を聴くためだけにここに来たであろう町添さんをそういう表情にすることができたというのは私も嬉しかった。
私たちは拍手が弱まるのを待ち「ハッピー・ウェディング!」「キス、キス」
と言う。すると姉たちはそれに応えて、座ったまま唇を寄せてキスをした。
拍手が新郎新婦への拍手に変わる。
披露宴はその後、新郎新婦から両親への感謝状朗読へと進み、クライマックスに達した。
二次会の会場に向かおうとしていた私たちを町添さんが呼び止めた。
「僕はね、ローズ+リリーにばかり肩入れ過ぎと言われながらも、君たちをずっとプロモートしてきたけど、さっきの君たちの歌を聴いて、その判断は間違ってなかったというのを再認識したよ」
「ありがとうございます」
「マリちゃん」
「はい」
「来年は横浜エリーナでやろうよ」
「はい。歌います」
「よし。企画作るからね」
「はい」
町添さんは本当に嬉しそうな顔をして会場を去って行った。
「いやあ、武芸館やろうと言われるかと思ったよ。あんな凄いとこでなきゃいいや」
と政子。
「・・・・横浜エリーナの方が大きいんだけどね」と私は言う。
「えー!?そうなの?」
「武芸館は定員1万4000人だけど、横浜エリーナは1万7000人くらい」
「ひぇー!」
「でもね」
「うん」
「武芸館は元々柔道や剣道とかの試合をする施設だからね。音響が微妙。最初からコンサートでの利用を考えて作られている横浜エリーナの方が音響とかはいいんだよ。実際、あんな大きな会場なのに『音響家が選ぶ優良ホール100選』
にも選ばれているしね。私たちみたいなユニットのコンサートするには武芸館より絶対横浜エリーナの方がいいと思う。武芸館でやったと言えばステータスにはなるけどさ」
「そっかー。武芸館より大きかったか。でも音響が良いっていのはイイね!」
「うん。それに夏フェスで8万人の前で歌ったじゃん」
「そうだよね! じゃ1万7000人は平気だよね?」
「うん。マーサはちゃんと歌えると思うよ」と私は笑顔で言う。
「よし。歌おう。でも美味しい御飯付きね」
「もちろんだよ」と言って私は政子に柱の陰でキスをした。
背中に鋭い視線を感じた。あ〜ん。今度は正望に妬かれてる。その日は結局1度も正望とは話す時間が取れなかったのである。しかもデートは3ヶ月以上していない!!
翌11月。スリファーズの全国ツアーがあった。性転換手術の後、まだ体調に不安がある春奈を気遣い、私はこのツアーに同行することにした。私が行くというと、政子も付いてくるというので、一緒に行くことにした。春奈たち3人は高校があるため、週末を利用しての公演になるので学業優先の政子も動きやすい。初日は11月3日(土)札幌である。先月ローズ+リリーの突発ライブをやった、きららホールなので政子が「またここだ!」と言って喜んでいる。自販機でコアップガラナを買ってきて飲んでいる。
「春奈ちゃん、手術の跡はもう痛まないの?」と政子が尋ねる。
「まだ時々痛いです。でも初期の頃に比べたら随分楽になりました。手術終わってすぐは、私もう死ぬんじゃないかって痛さだったもん」と春奈。
「出産の痛みと性転換手術の痛みって、どちらが痛いんだろうね?って話してたんですけどね」と彩夏。
「両方経験できる人ってまず居ないから不明ですね」と千秋。
「手術が終わって自分のあそこ見て、最初どう思った?」
「とうとうやっちまったな、って思った」と春奈。
「ああ」
「嬉しいとか何とか、そういうこと考えるようになったのは少し痛みが引いてきて、心の余裕ができてきてからですよ」
「そんなものだろうね」
「冬なんかは高校の友だちに女装姿晒す前に全国に報道されちゃったから、何をか言わんやだけど、春奈ちゃん最初、女の子の服を着て学校に出て行った時、友だちの反応とか、どうだった?」と政子が訊く。
「何も言われなかった」と春奈。
「あぁ・・・・」
「かなり経ってから、そういえば最近、ムッちゃんよくスカート穿いてるね、とか」
「それってパンツルックの多かった女の子が最近スカート穿いてるね、って感じか」
と政子。
「そうそう」
「要するに、春奈ちゃんって、最初からみんなに女の子と思われていたってことね」
「そうみたい」
「それって小学生の頃だよね」
「うん。スカート穿いて学校に行くようになったのは小学4年生の2学期から」
「担任の先生とか何か言った?」と政子。
「何も」と春奈。
「女子トイレの使用も敢行したけど、誰も何も言わなかった」
「ああ。誰かさんみたいだ」と政子。
「へー」と千秋。
「冬はスカート穿いて学校に行ったのは小学何年生頃から?」と政子。「ふふふ。誘導尋問には引っかからないもんね」と私。
「くそ・・・・」
「でもケイ先生って、小さい頃から女の子の格好してた気がする」と千秋。
「そんな気がするんだけどねー。真相を知ってそうな小学校の頃からのお友だちに訊いても、みんな口が硬くて、『本人に訊くといいよ』としか言わないんだもん」
「それって、もし当時ケイ先生が男の子だったとしたら言うだろうから、言わないということは、やはり女の子だったのでは?」と彩夏。
「そんな気がするんだけどねー」
ライブは最初に発売されたばかりの新譜のC/Wの曲『高校1年生』を歌った後、「ジャンケンで勝ったので今回このツアー通してMCやります」と言った彩夏が短いおしゃべりをしてから、『アラベスク』『遙カナル波斯』『サンダルフォンの叫び』
『八点鐘』とヒット曲を惜しげも無く並べていく。
ここでまた彩夏のMCが入るが、なかなか終わらないので春奈と千秋は
「座ってょ」と言って、座ってしまうものの、それでも終わらない。結局10分ほどしゃべった末に、バックバンドの人から「ねえ、そろそろ歌おうよ」と促されて、やっと楽曲に行く。(実は体調万全でない春奈を休ませるためであるが予定では5分くらいのトークのはずだった。本人も止まらなくなっていた)
歌は『愛の飛行』『愛の停泊』『愛の祈り』のファンの間での通称『愛三部作』
を歌ってインターバルになる。
今回のツアーでインターバルに出演するゲストは<ベビーブレス>というデュオである。リリーフラワーズの世話役だった吉住尚人先生が指導していた女の子2人で、年齢はスリファーズと同じ学年。今年の夏にメジャーデビューしたばかりである。
私と政子は高校時代にベビーブレスのふたりとは一度会ったことがあったのだが、その時も「美しい音色を出すデュオ」だと思ったが、ハイトーンに更に磨きが掛かっているようである。
ある意味、リリーフラワーズ的な系統とも言えるが、曲調が親しみの持てるポップス調で、伴奏(マイナスワン音源)もドラムス、パーカッションを入れて「売りやすいアレンジ」にまとめている。
インターバルが終わると、お色直しをしたスリファーズの再登場である。後半はまず今年夏に発表したアルバムの中の曲を中心に歌う。アルバムのタイトル曲『りらっくす』から『きゃんどる』『しぇすた』『ぷりまべーら』と静かな曲を続けると、観客はみな着席して聴いている。
ここでまた彩夏が短いおしゃべりをした後、
「今回のツアーには、実はローズ+リリーのマリ先生・ケイ先生が付いてきてくださっているんです」
と言って私たちを紹介する。私と政子は笑顔で出て行き、歓声に応える。バックバンドの人たちはいったん退場する。
「じゃ挨拶代わりに何か演奏しますから、スリファーズは休んでて」と言い、3人が椅子に座っている間に、政子の電子ヴァイオリン(YAMAHA SV200)と私のウィンドシンセ(AKAI EWI4000s)のデュエットで、スリファーズのインディーズ時代の曲『三羽の小鳥』を演奏する。
「三羽」が音楽の「サンバ」に掛けてあって、サンバのリズムに乗せた軽快な曲である。スリファーズのお姉さん格であるピューリーズに楽曲を提供している堂崎隼人先生の作品である。一般にはあまり知られていない曲だが、ライブに来るほどの熱心なファンの中には知っている人も多く、演奏しはじめた時に「わぁ」といった感じのどよめきがあった。当時は50枚しか売れてないが、メジャーデピュー後、引き合いが来て最終的に6万枚ほど売れている。
今回のツアーではとにかく春奈を休ませながら歌わせるということで、ゲストと私たちの演奏に、彩夏の長いMCを入れて実質インターバルを3回作ることにしたのだが、このライブはスリファーズのものということから私と政子は歌わないことにし(でないと私たち目当ての客が押し寄せて迷惑になる)、代りに楽器演奏をすることにしたのである。
『三羽の小鳥』の次は『SEVENTH HEAVEN』(有頂天)という曲を演奏する。Perfumeのヒット曲(ポリリズムのB面)であるが、スリファーズはインディーズ時代のライブでよくこのカバーを歌っていて、当時のCDに収録されているし、メジャーデビュー以降も初期の頃ライブで結構取り上げていたのである。
最後にスリファーズが昨年夏に出したアルバムの中の曲で個別ダウンロードの多かった『砂漠の純情』を演奏する。ちょっとエキゾティックな曲である。
そして私たちは挨拶をして下がった。バンドの人たちが代わりに登場して演奏を始め、再びスリファーズが歌い出す。大ヒット曲『メルリビオン』を皮切りに『純情変奏曲』『総帆展帆』『恋のアフターバーナー』と元気な曲を続け、最後は出したばかりの新曲『空白地帯』で締めた。
『空白地帯』は愛の疎外感を歌ったもので、私が『愛の空白地帯』と名前を付けたら政子が「『愛の』は要らない」と言って『空白地帯』にしたのだが、確かにその方がインパクトが強くなった感があった。
割れるような歓声の中、三人は退場した。
そしてアンコールを求める拍手。5分ほどで三人が再登場。衣装は汗を掻いたキャミソールを交換しただけである。実はその5分間、春奈を横にならせておいたので、大規模な衣装チェンジはしなかったのである。
彩夏がアンコールお礼の挨拶をする。そして私がピアノを弾いて『月は巡る』を歌う。震災直後の2011年4月に『愛の祈り』とカップリングして出した曲である。
手拍子も打たずに静かに聴き入る聴衆。
そしてお辞儀をして私は下がりバンドの人たちが再び入って元気なリズムを打ち始める。彼女たちのメジャーデビュー曲『香炉のダンス』を歌って熱狂の中、ライブは終了した。
「春奈ちゃん、大丈夫だった?」
「ええ。30分単位で休ませてもらったから、何とか頑張れました」
今日の打ち上げは春奈の体調に考慮し、ホテルの畳敷きの小宴会場を借りて、スリファーズの3人、私と政子、甲斐さんの6人だけ集まってやっている。ガスコンロに乗せた鍋で蟹を大量に茹でた。打ち上げ前に富山の青葉に電話を掛けて30分ほど遠隔ヒーリングもしてもらった。春奈は食べながら時々横になって身体を休めていた。
春奈を休ませながらの打ち上げなので、春奈が遠慮無く横になれるよう「身内」
だけにしたいいうことで、バックバンドの人たち、ベビーブレスの2人、★★レコードのスタッフさんには、別途高級店で蟹料理を楽しんでもらっている。
「でも今回のツアーは各地の食べ物が楽しみだなあ」と政子。
「今回は政子ちゃんの食べ歩きツアーになるのかもね」と甲斐さん。
「仙台は牛タンかな。金沢は寒鰤、大阪はどて焼きかなあ。神戸では神戸牛を食べて、岡山ではままかり?牡蠣も行けそうだなあ。 福岡は水炊き、イカも美味しそう。沖縄はゴーヤチャンプルにタコライスにアグー豚もいいなあ」
などと政子が言っていたら
「マリ先生の話聞いてたらお腹空いてきた。あと2匹くらい茹でようよ」と春奈。
「うん、食べられるのは良いことだ」と言って甲斐さんは、係の人を呼び、蟹を4杯追加した。
スリファーズのツアーをやっていた最中の2012年11月21日、ローズ+リリーの2枚のシングルが発売になった。というよりも正確には建前上「発売されていたCD」
の再発売をおこなった。『恋座流星群』と『Spell on You』である。
この2枚はローズ+リリーの公式ホームページのディスコグラフィーではそれまで通し番号無しで掲示されていたのだが、一般発売に伴い10枚目のシングル、11枚目のシングルとしてカウントすることにした。
『恋座流星群』は公式には2010年9月1日に発売されたCDで、同名曲のほか、『私にもいつか』,『ふわふわ気分』の2曲と、『明るい水』『ふたりの愛ランド』
の新録音版を収録したCDである。
当時、諸事情で私たちがCDを出せない状況の中で、放送局や有線放送、カラオケなどからリクエストに応えたいとして多数の照会が来ていたので、CDだけプレスして、一般のCDショップなどには流さず、放送局・有線・カラオケ配信元など限定で頒布したものである。一部、ローズ+リリーと交友のあったアーティストなどにも渡している。
曲目としては全てどこかのアルバムなどに収録されているのだが、実はこのシングルそのままのテイクで収録されているのは『ふわふわ気分』のみである。アルバムに収録された『恋座流星群』はリミックスされているし、『明るい水』
と『ふたりの愛ランド』のこのバージョンはどこにも収録されていない。
『Spell on You』は2011年1月14日に発売されたことになっているCDで、同名曲のほか、『神様お願い』『イチャイチャしたいの』『帰郷』が収録されている。
こちらも、このCDに収録されているものがそのまま他のでも聴けるのは表題曲の『Spell on You』のみで、他は無かったり入手困難になっていた。
そういう訳で、この2枚をあらためて一般販売しても、ある程度のセールスが見込めると★★レコードは踏んだのである。10月から私たちがテレビに出演したことで、今まで私たちを知らなかった層がCDを買ってくれるようになって、過去のCDのセールスが軒並み上がっているのも考慮された。
「再発売」するに当たって、どちらもジャケ写は新しいものに変更した。
『恋座流星群』の元のジャケ写は流星を見つめるマリ&ケイだったのを、新しいジャケ写では、ふたりがペンを持って夜空に星座を描いているというものになっている。『Spell on You』の方は、元のはアラビア風のランプの前でふたりが祈る姿であったが、新しいものは、真ん中に背広を着て後ろを向いた人の姿があり、左右に立ったマリとケイがその人の背中を指さして何か念じている構図である。
発売時に「この後ろ姿の人は誰でしょう?」というクイズをした。期限とした発売後1週間以内の回答者が5万人もあった。
がっちりした体格のサトは違うので、似たような体格であるタカ、マキ、そしてスターキッズの月丘さんという回答がひじょうに多かった。★★レコードの加藤課長ではという答えも意外に多く、「私の名前がそんなにファンの間に知られてるんですかね?」と本人がびっくりしていた。ほか編曲者の下川先生という答えもかなりあった。
正解は実は男装した宝珠さんで、この回答をした人は78人だった。正解者全員にローズ+リリーのサイン色紙と「特製ローズ+リリー・トランプ」をプレゼントした。このトランプは非売品である。
元々2年前、2010年夏にファンの方が、お手製の「ローズ+リリー・トランプ」
を作って送ってきてくれたのである。私たちはそのトランプで随分遊ばせてもらったのだが、美智子が「これ面白いね。実際に記念品グッズとして作らない?」
などと言ったりしたものの、当時はなんだかバタバタしていて結局作らなかった。
それを今年の秋に突然政子が思い出し「トランプ作ろうよ」と言ったので、様々な衣装を着て写真撮影などして制作したのである。
今回はそのトランプの最初の放出となった。ハートとダイヤのコートカードに政子、スペードとクラブに私の写真を使っている。ハートはヨーロッパの王家のイメージで王様・女王様の扮装とJはパブリックスクールの制服風、ダイヤは中国風(Jは人民服)、スペードはアラビア風(Jはベリーダンス風)、クラブは日本風(Jはセーラー服)にしている。
またジョーカーはマリ版ジョーカーとケイ版ジョーカーの2枚を作った。ふたりとも悪魔の扮装をしている。またスペードのエースとハートのエースには、私と政子がピタリと肩を寄せ合っている写真をマークの中央に入れた。スペードAはミニスカのステージ衣装で、ハートAは振袖である。
「ハートのエースのふたりってほとんど恋人宣言ですね」という反響が多かった。
「しかしこの王様の衣装を着けた冬ちゃんって、男装した女性にしか見えないね」
とサンプルを見た宝珠さんが言った。
「七星(ななせ)さんのジャケ写はばっちり男の人に見えてましたよ」と政子。「まあ、後ろ向きだしね」と宝珠さん。
「でもよく男装の七星さんって分かったなあ。私、冬に言われるまで全然分からなかった」と政子。
「冬ちゃんはすぐ分かった?」
「男装の女性というのはすぐ分かりましたよ。雰囲気で。だから後は誰だろうと思って。こういうのに協力してくれそうな女性で、一応一般にも名前が知られている人と思うと、七星さんがいちばんに浮かんだので。他に考えたのはスイート・ヴァニラズの Susan とか、スリファーズの千秋とか、身長が165cmくらいはある感じがしたから。背の高い人を考えてみて」
「やはり男装女装している人に敏感なのね?」
「私にはそのあたり分からないなあ。正解した人の中にも結構GIDの当事者がいたかもね」と政子。
「でも、マーサは花村唯香を一発で女装っ子というの見破ったよね」と私。
「手を握ったからね。見ただけじゃ分からなかった」
「ああ、触覚が発達してるんだ?」と宝珠さん。
「でも、冬って最初に会って手に触った時、絶対これ女の子だと思ったのよね。それに、冬って、高校時代も、後ろから見たヌードが女の子のヌードにしか見えなかったな」
「ああ、当時もヌード見てるんだ」
「かなりHなこともしてたし。セックスはしてないけど」と政子。
「まあ、インサートはしてない、というのが正確な所かな」と私は訂正する。
「ふふふ。まあ、中高生のセックスなんて、そんなものでしょ」
「でもそういうセックス一歩手前くらいのことしてても、私は女の子とイチャイチャしてる感覚しか無かったのよね」
「なるほどね。でも政子ちゃんって冬ちゃんがいかに女の子らしいかというのを楽しそうに話すけど、元々《女の子の冬ちゃん》が好きだったのね?」
「ええ。私にとって冬は《可愛い女の子》だったから。実際最初の頃は、マジでこの子男装女子では?って疑ってたし。だから私、彼氏が居ても、女の子である冬を好きになるのは矛盾しなかったのよね」
「面白い関係だなあ。。。あれ?このトランプ、裏が楽譜になってるのね?」
「ええ。『遙かな夢』の先頭16小節です」と私は答える。
「これを曲の順序に並べるとですね」
と言って私はトランプの裏模様の楽譜を並べていく。
「これで譜面の順序通りなのですが、こう並べた上でカードをひっくり返します」
と言って私は並べたカードを全部表に返して行く。
「おお!」と宝珠さんが嬉しそうな声をあげた。
「黒いカードを地にして、赤いカードでR+Lという文字が現れるんですよ」
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カードでR+L
「でも私、このトランプの大きな欠陥に気付いた」と宝珠さん。
「何ですか?」と政子。
「裏を見ただけで、何のカードか分かるじゃん!」
「まあ、それはご愛敬ということで」と私は笑った。
ローズ+リリーのふたつのシングルが「再発売」された5日前、ローズクォーツの2枚目のオリジナルアルバムが発売された。ローズクォーツは、昨年夏にファーストアルバムを発売した後、スイート・ヴァニラズとの交換アルバム、それから「Rose Quarts Plays」シリーズで、2月にRock, 4月にJazz, 7月にLatin, 10月にClassic と発売していたが、オリジナルアルバムは1年ぶりであった。
私はアルバム発売後の土日、スリファーズのライブで岡山と福岡に行ってきたのだが、週明けの19日、大学が終わってから事務所に出て行くと、なにやら美智子が頭を抱えていた。
「どうしました?」
「悲惨だ・・・・」
「ローズクォーツのアルバムですか?」
「うん。初動1500枚」
「ああ」
「去年のファーストアルバムは初動2万で最終的に4万売れたのに」
「うーん。比例計算すると最終3000枚ですか?」
「マジでそうなるかも知れん」
「ローズクォーツプレイズ・シリーズは毎回1万枚程度売れてるのにですね」
「なぜ、こんなに売れないのだろう・・・・」と美智子。
「去年4万売れたのは忘れた方がいいですよ」と私は言った。
「そうか?」
「みっちゃん自身に迷いが無い?」
「うむむ・・・・」
「ローズ+リリーとローズクォーツの路線問題で私たちとみっちゃんが話し合ったのがちょうど1年前だったよね」
「ああ。そうだね。1年経ったね」
昨年(2011年)の11月19日、私と政子は早朝、美智子の自宅を訪問した。
私と政子の恋愛問題で美智子から懸念を表明されていたので、その問題についてきちんと説明するためであった。
私と政子がお互いに深く愛し合っていること。しかし、その愛とは別に各々男性の恋人も作って、そちらも愛していること。そして少なくとも自分たちの心の中では、私と政子の愛と各々の恋人との愛が矛盾しないことを正直に言った。
「ふたりの愛って、ふつうの恋愛とは愛の次元が違うのかも知れないね」
と美智子は言って、私たちの気持ちに理解を示してくれた。
「だけど、あんたたちいづれは各々男の人と結婚するんじゃないの?」
「そうですね・・・・14年後くらいには結婚するかも」と私。
「私も14年後くらいに結婚しようかなあ」と政子。
「随分先の話だね。さすがに結婚したらそれぞれの彼氏と一緒に住むんでしょ?」
「通い婚になったりして」と政子。
「ああ、それもいいね。多分、私と政子って結婚しても一緒に暮らしている気がします」と私。
「あんたらの旦那、可哀想!」と美智子はマジな顔で言った。
そして私たちはこの時言った通りに14年後(2025年)に各々結婚したのであったが・・・・
「だけど、あんたたちが入ってきた時、すごく思い詰めたような顔してたからさあ。私はてっきり、退職させてくださいとでも言われるかと思ったよ」
と美智子は笑って言った。
「あ、その件なのですが、実はちょっとお願いがあるのですが」
と私は言った。
「まさか、本当に辞めるの?」
「辞めはしませんが、ローズ+リリーとローズクォーツの路線の問題で」
「うん?」
「これまでローズ+リリーの音源製作も、ローズクォーツの音源製作も、私たち3人に、星居さん(タカ)を加えて4人で話し合いながら製作してきましたよね」
「そうだね。槇村君(マキ)が何も言わないから、結局星居君の意見を重視することになる」
「その結果、ローズ+リリーと、ローズクォーツの曲のラインナップとかアレンジが似たようなものになっている気がして」
「うーん。。。」
「実際、ローズクォーツの最初のシングルに入れた『あの街角で』とか、あまりクォーツには合わない素材でした。あの時は、ファンから要望の高かったあの曲を早くリリースしたい気持ちがあったので、私も入れてしまったのですが」
「うんうん」
「先日作ったローズクォーツのシングルでも『いけない花嫁』は結構クォーツ向きだと思うんですけど、『夜窓にノック』はどちらかというとローズ+リリー向けだったんですよね」
「ああ、そうかも知れない」
「やはり同じスタッフで作ってると、どうしても混乱しちゃうと思うんです。演奏している人間もほとんど同じだし」
「確かに」
「プロデュースの責任を分担しませんか?」
「ふむ」
「ローズ+リリーは、やはり基本的には私と政子の個人的な活動で、商業的な展開もその延長線上なので、私と政子に任せてもらえないでしょうか?そしてローズクォーツの方は、みっちゃんに基本的にお任せして、私はむしろ方針的なものには口出ししないようにします。技術的なことでは色々言いますが」
「なるほど」
「大きな会社なんかで部門分けして、部門間で競争させたりするでしょ?それと同じで、私とみっちゃんで競争しない?」
「ああ、それは面白いね」
「ローズ+リリーは私が統括して、ローズクォーツはみっちゃんが統括して、各々のセールスを競うの」
「いいよ。面白いじゃん、それで行こう。だいたい、あんたうちの専務だしね」
と美智子は楽しそうに行った。
「私自身、実際時々混乱していたってのはあるよ。特にここしばらくは政子もローズクォーツの音源製作に参加してたからさ。ローズ+リリーの音源製作とローズクォーツの音源製作が、完全に同じ人間、同じシステムで進んでたからね」
と美智子も言った。
「じゃ、お互いに頑張ろう」
と言って、私は美智子と硬い握手をした。
その後、ローズ+リリーはシングルでは『天使に逢えたら』が130万枚行ったのをはじめ、4枚のシングルで合計300万枚、3つのアルバムが合計270万枚のセールスをあげた。ただローズ+リリーの場合、ライブ収入の類いがほとんど無い。
一方のローズクォーツは「Rose Quarts Plays」シリーズはだいたい毎回1万枚前後、シングルが3枚合計で35万枚でローズ+リリーより1桁小さい状態。しかしローズクォーツは全国ツアーをやった他、ライブハウスにもよく出演しているので、そのライブ収入が結構大きい。
ローズクォーツのCDセールスが悪い訳ではないし、安定して10万枚前後売るアーティストはレコード会社からはVIP扱いなのだが、やはり美智子としては悩んでしまう所であった。そして彼女自身かなり期待していた1年ぶりのオリジナルアルバムが悲惨な初動でショックを受けていたのである。
「私、基本的にはローズクォーツの方針にはあまり口を出さないことにはしてるんだけど、ローズクォーツって、やはりロックバンドだと思いません?」
と私は言った。
「うん・・・・」
「みんな器用で、ポップスでも演歌でも民謡でもやっちゃえるから、ついついいろんなことさせたくなるけど、いろんなことするのは Rose Quarts Plays の方でやればいいし、オリジナルアルバムやシングルは、本来の彼らが得意なものに集中させた方が、いいものに仕上がる気がする。もっともロックはCDだけで稼ぐものじゃないだろうけどね。ライブあってのロック。ロックって、観衆と一体になることで完成する音楽だもん。スタジオで『イェィ!!』とかシャウトしても虚しいし」
「そうだよなあ」
「ごめんね。ローズクォーツの方は任せると言ってたのに」
「いや。私も再度ちょっと考えてみるわ」と美智子は顔をしかめるようにして言った。
「案外、月羽さん(サト)や太田さん(ヤス)の方が冷静に見てるかも。彼らとも話し合ってみたら? 星居さん(タカ)は柔軟すぎて、何でも受け入れちゃう所あるから。その点、私も似たような性格だけどね。ローズ+リリーのポリシーがぶれないのは、政子がしっかりしてるからだよ。出来上がった曲を聴いて、これはスリファーズ用とかこれはノエルちゃん向きとかって、さっと決めちゃうもん。結果的にローズ+リリーに合った曲だけが手元に残る」
「さすが、政子ちゃん、ローズ+リリーのリーダーだね!」
スリファーズのツアーでは、春奈はツアー後半になるほど元気になっていった感じであった。本来の回復速度以上に体力・気力が戻って来ている感じである。
「なんかお客さんからエネルギーをもらえる感じなんですよねー」
と春奈は言っていた。
「ああ。私も手術後1ヶ月でライブやって、ステージに立ってお客さんから歓声が来た瞬間、元気になったもん」
と私が言うと
「手術後1ヶ月で歌えるのはケイ先生だけです」
と春奈は言った。
「でも、青葉なんて性転換手術して11日後に合唱大会のソロを歌ったよ」
「青葉先生は超人ですから例外です」
23日(祝)の沖縄公演には、その青葉を連れて行った。ローズ+リリーのファンで難病と闘っている女性、麻美さんのヒーリングができないか、青葉に見せるためである。22日学校が終わってから羽田行きの飛行機に乗ってもらい、羽田で私と政子と合流し、一緒に那覇まで行って(那覇着22:20)、その日は市内のホテルに泊まる。政子のリクエストで全日空ホテルに泊まったが、青葉は
「こんな凄いホテルに泊まるの初めて!」
と言って、かえって落ち着かない風だった。
翌朝、青葉が知り合いの沖縄在住のユタ・Tさんを呼び出し、一緒にお見舞いに行った。麻美さんの顔色は良くて、最近は毎日リハビリで歩いたり、手を使う作業として編み物をしたり、声をしっかり出せるように歌を歌ったりしているということだった。
青葉は難しい顔をして麻美さんの身体に手かざししてスキャンした。
「うーん」と言って、Tさんと顔を見合わせている。
『難しいの?』と私は心の中で青葉に尋ねた。たぶん青葉ならこれを読み取ってくれる。
「これはあれですよね?」と青葉はTさんに尋ねる。
「私もそう思います」とTさんは言った。
「どうですか?」と麻美さんの友人、陽奈さんが心配そうに訊く。
「これはヒーラーの仕事ではないです」と青葉は言った。
「これはお医者さんの仕事ですね」とTさんも言った。
「ヒーリングしたり祈祷したりすることはできますが、麻美さんの精神状態も気の流れも、とても良くて、どちらかというと、その良好な心と気の状態がこの難しい病気を快方に向けています。ですから、私たちがヒーリングなどをするより、お医者さんの治療をしっかり受けて、リハビリに励む方が、早く快復しますよ」
と青葉は笑顔で言った。
「もしかしてローズ+リリーの音楽が既に麻美をヒーリング済みだったりして?」
と陽奈さん。
「ああ、そうかもです」と青葉は言った。
それでもせっかく来たからということで、Tさんが祈祷をし、その後青葉が全身のヒーリングをした。祈祷の間、麻美さんは「なんか健やかな気分」と言っていたし、青葉のヒーリングを受ける間は「身体の免疫細胞が活性化していくみたいな感じ」などと言っていた。
青葉は「サービスで異常細胞を少し殺しておきました」などとサラリと言った。
Tさんは「もし何かあったらすぐ駆けつけますから」と言って名刺を渡した。
「私が端末になって、川上さんのヒーリングを施すこともできますよね?」
「ええ。Tさんは物凄く優秀な端末みたいです」
と青葉は笑顔で言った。
「私・・・その内退院できます?」と麻美さんが訊くと
青葉は「あと1年10ヶ月」、Tさんは「あと23ヶ月」と同時に言った。
実際に麻美が退院したのは1年9ヶ月後の2014年8月末であった。高校1年の時にこの病気に倒れて、病状が急速に悪化して入院したのが2007年11月だったので、6年9ヶ月にわたる入院生活となった。麻美は2010年3月には通っていた高校から一応卒業証書を特例でもらっていたのだが、入院中からしっかり高校の勉強、受験勉強をして退院後地元の国立大学の医学部保健学科に入った。
最初、看護師を志望していたのだが、入ってすぐに発達障害児や自閉症の子供の訓練に関心を持ち、作業療法士の資格を取るため、鹿児島の国立大学の保健学科に途中から編入。在学中に大学での勉強訓練以外にもTEACCH,PECS,ポーテージ,その他の訓練システムのワークショップに積極的に参加。卒業後、沖縄に戻ってその関係のトレーナーとして仕事を始めた。彼女が大学を卒業したのは私と政子の間の娘・あやめが生まれて1ヶ月後である。
そして2012年秋のスリファーズのライブは11月25日、横浜フューチャーホールで打ち上げとなる。このツアーを通して、ずっと彩夏がMCをしていたのだが、この日は彩夏は前半までMCをしたところで
「実は今回のツアーでずっと私がしゃべり続けたのは、春奈が体調万全じゃなかったからなんです」
と発言した。
実は「春奈ちゃん、体調悪いのでは?」という問い合わせがかなり来ていたのである。ジャンケンで決めたとは言っていたものの、今までのライブではいつも春奈がMCをしていたので、何かあったのではと思った人も多かったようである。
そこでスリファーズの3人と春奈の母と姉、△△社の津田社長・甲斐さん、★★レコードの加藤課長・氷川さんに、私まで加わり会議をして、性転換したことを公表することを決めた。
彩夏の発言に会場がどよめく。
「春奈ちゃーん、大丈夫?」という声が多数掛かる。
春奈が発言する。
「みんな、ごめんねー。確かに体調万全じゃなかったけど、みんなから元気をたくさんもらったから、だいぶ元気になってきたよ」
「じゃ、今日はこのあと春奈がMCをしてよ」と彩夏。
「いいよ。最終日だし頑張る」と春奈。
「ここで衝撃の発言があります」と千秋が言う。
「えへへ。実は春奈は、8月に性転換手術を受けて、本当の女の子になりました」
と春奈が発言すると、会場は「えー!?」とか「きゃー!」とかいう声が湧き起こるが、そのうちひとりの観客が「おめでとう!」と言うと、会場全体が「おめでとう!」コールに変わった。
「ありがとう。みんな! それでまだまだ手術の跡の痛みとかで、体調が充分じゃなかったんだけど、ほんとにこの1ヶ月間のツアーで、みんなの応援で、春奈はすごく元気になりました。みんなのおかげです」
「頑張ってね!」「身体大事にしてね」などの声が掛かる。
「このツアーにマリ先生・ケイ先生がずっと付いてきてくださったのも、私の体調を気遣ってなんです。マリ先生・ケイ先生、ありがとう」
と言ってステージの袖を見るので、私と政子は一緒に出て行った。
私は会場に向かって挨拶した上で発言した。
「私も去年の春に同じ手術を受けたので、宿とかで、春奈ちゃんの傷の具合とかチェックさせてもらってたけど、ファンの人の応援で元気になった分かな。傷の状態がどんどん良くなってますよ。ふつうの人ならもう1年近くたった状態になってると思う」
「わあ・・・」などというどよめき。
春奈が突然思いついたように言った。
「ねえ。ケイ先生、私が女の子になったお祝いに何か曲を下さい。ツアー完走記念も兼ねて」
「いいよ。じゃ、今作っちゃおうか。マリ、行ける?」
「ああ。何だか行ける気がする」
私はバックバンドのキーボードの人の所に行き、楽器を借りた。
政子が私の左に立つ。
「マリ、タイトルは何にする?」
「じゃ、『女になった日』」
「まんまじゃん!」
「じゃ私が即興で1回演奏してみるから、2回目はマリがそのメロディーに乗せて、詩を作りながら歌ってくれる?」
「いいよ」
私は2000人の観衆から押し寄せるエネルギーのようなものを受け止めながら、キーボードを弾いていった。時々止まったり探り弾きをしながら、Aメロ、Aメロ、Bメロ、サビ、と演奏し、更に A A B サビと繰り返してから、間奏をはさみ、Cメロ、Bメロ、サビ、と演奏して、更にサビを2回演奏して終えた。
「行ける?」
「今の演奏聴きながら詩は考えてた」
「よし。行こう。彩夏ちゃん、マリが歌う詩を書き留めてくれない?」
「はい」
バンドリーダーの人が余っている五線紙とペンを彩夏に渡してくれた。
それを見て、私は再度今作ったばかりの曲を演奏する。政子はその演奏に乗せて歌を歌っていった。「女になった」というのを「初めて恋をした」という意味に解釈している。たぶん、私にそういうタイトルを言った時、そういうことを思いついていたのだろう。
演奏とマリの歌唱が終わると客席から拍手。
「じゃ、スリファーズ、今そこで書き留めた詩を見ながら歌ってね」
「はい」という元気な声。
再度私のキーボード演奏に合わせて、今度はスリファーズの3人が歌った。観客も手拍子を打っている。政子も楽しそうに手拍子を入れていた。
大きな拍手と歓声で歌が終わった。私と政子はキーボードを貸してくれたバンドの人にお礼を言って、袖に下がった。
この時、即興で作った曲は、翌日スタジオで再録し、年末に緊急発売されて、80万枚のビッグセールスを上げた。また11月頭に発売していたCDも急激に売上が伸びて、そちらも1月末までに累計80万枚に達した。
11月末。私たちが作ったのとは別の「ローズ+リリー・トランプ」が世に出た。少女漫画雑誌の付録に付けられたもので、切り離して使うタイプである。私たちの似顔絵を専属の漫画家さんが描いて作られている。こちらはハートとクラブがマリで、ダイヤとスペードがケイになっている。ハートは百合の花が散りばめられていて、ダイヤはバラの花、クラブはカエデ、スペードはアヤメになっていた。
そして月明けに出たその雑誌のライバル誌は「スリファーズ・トランプ」を付けていた。そちらはダイヤが彩夏、クラブが千秋、スペードが春奈で、ハートは王が春奈、女王が彩夏、ジャックが千秋になっていた。
2冊の雑誌を買ってきた政子がカードを切り離しながら楽しそうに言う。
「日本中に女装男子をはびこらせようという魂胆みたいね」
「春奈ちゃんへのファンレターって元々男子と女子から半々だったらしいけど、性転換を発表してから、女子からのファンレターが急増したらしい」
「ユリスキーか?」
「でも男の子のファンからも女の子のファンからも恋人になりたいって書かれてるって」
「私、日本の将来が少しだけ不安になった」と政子は言った。
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【夏の日の想い出・3年生の秋】(2)