【夏の日の想い出・新入生の秋】(3)

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9月29日と30日、私たちは学校を休んでスイート・ヴァニラズのアルバム録音に参加した。アルバムには12曲収録予定で、その12曲分のコーラスを2日で録ってしまおうという魂胆である。(最初は1曲だけコーラスを入れるという話だったのが、話している内に全曲に入れることになった)
 
今回のスイート・ヴァニラズのアルバムに私たちは『恋のステーキハウス』という曲を提供していた。この曲も演奏や彼女達の歌は既に録られており、残りは私たちのコーラスを加える作業だけであった。
 
仮ミクシングされた音源を27日にもらって私たちは既に聴いており、28日はコーラス部分の譜面もFAXでもらい、私のマンションでふたりで既に練習してきていたので、実際の録音作業はかなりスムーズに進んだ。
 
初日に8曲済んでしまい、2日目は4曲で終わるね、などという話をしながら、29日の夜、彼女たちと一緒に作業後、居酒屋で食事をした。
 
「えー!?スカイヤーズのアルバム制作にも参加したの?」
「偶然同じスタジオだったんですよ。向こうは最高級の部屋、こちらは最安値の部屋でしたけど」
「出口の所で偶然YamYamさんと会って『あれ?ここで録音やってるの?』なんて話から。それでこちらが向こうの曲にコーラスで入ったし、こちらの曲を1曲、スカイヤーズが演奏してくれたんです」
「なんて美味しいことをしてるんだ。知ってたら、こちらも1曲演奏しに行ってたな」
 
「コーラスだけと聞いていたのに、1曲はメインボーカルで歌っちゃったね」
「なに〜!?」
「じゃ、こちらのアルバムでも1曲歌ってもらおうか」
「え〜!?」
 
その場で河合さんが須藤さんの携帯に電話をし、話はわずか15秒で決まってしまった。さすが旧友同士のことはある。
 
「ということでケイちゃんとマリちゃん、うちのアルバムで1曲歌ってよね」
「でも録音作業は?」
「明日はコーラス4曲で終わりだから、もう1曲私たちの演奏を録る余裕も作れる」
「あはは。。。。でも曲は?」
「今回のアルバムのために16曲用意して12曲に絞ったからね。予備があるよ」
とEliseは言ったが河合さんが
「いや・・・むしろ次のシングルに使おうかって言ってた『ペチカ』を使おう」
と言い出した。
 
「ああ、あれケイちゃんとマリちゃんに似合いそう」
「えー?そんなシングル用の曲とかいいんですか?」
「うん。その代わり、シングル用にはケイちゃんたちが1曲書いてくれたらいい」
「はい」
「でもあれ、編曲を依頼してないね」
「ケイちゃんに編曲してもらおう。明日の朝までに」
「どんな曲ですか?」
 
河合さんが鞄の中から楽譜を取り出して見せてくれた。
「わあ、可愛い曲」
「編曲できる?」
「スイート・ヴァニラズの5人で演奏して、私たち2人で歌って、みんなでコーラス入れる感じでいいですか?」
「そうそう」
「編曲させてください」
「今夜中にとかできる?」
「1〜2時間くらいで出来ると思います」
「じゃ、スタジオに戻って、みんな意見出しながらやってもらおうか」とLonda。「あ、いいね」とElise。
 
そういう訳で私たちはスタジオに戻った。政子にどんな曲か知ってもらうために譜面を取り敢えずコピーさせてもらい、私がキーボードを弾きながら歌ってみせた。「わあ、ほんとに可愛い」と政子。
 
休憩室でみんなでお茶を飲んで雑談しながら、私はその曲のスコア譜を五線紙に書いていった。
「スコア譜書くのに楽器使わないんだね」
「ケイの頭の中にはオーケストラが入ってるんですよ。ギターのパートにソの音を書いたら、頭の中のギターがソの音で鳴るんだって言ってます」と政子。「解剖してみたいね」とLonda。
 
「高校時代の体育の着替えでクラスメイトの女子たちが解剖を試みたことあるらしいですけどね」
「あはは」
「解剖される前に逃げちゃったらしい」
「ケイちゃん、女の子と一緒に着替えてたの?」
 
「ひとりだけ別室で着換えてました。でも、いいじゃん、女子更衣室で着替えなよ。楽屋ではふつうに他の女の子の歌手とかと一緒に着替えてたんでしょ?とか言われて、それじゃと思って、一度女子更衣室まで行って着替え始めたのですが・・・」
「みんなで飛びかかろうとしたら逃げちゃったとか」
「あれだけ殺気を感じたら逃げるって」
 
1時間ほどでスコア譜を書き上げたが、書いている最中もEliseやLondaが、ここはこうしない?などと言ってくるので、その部分は都度修正していた。できあがったスコア譜をコピーしてきてみんなで軽く合わせてみた。
 
一度弾いた感覚で再度テーブルを囲み、みんなでアレンジに手を加えていく。けっこうみんなバラバラの意見を出すが、それをEliseがうまくまとめていった。このあたりの仕切りはさすがだなと思って私は見ていた。
 
修正を加えた譜面をまたコピーして配り、再度弾いてみる。そしてまた集まってといった作業を4回ほど繰り返した。
 
「だいたい固まったかな」
「じゃ、これ朝までに清書しますね。というかデータ打ち込んでMIDIにして譜面プリントしますね」
「よろしく」
「じゃ、今日はお疲れ様でした」
 
といってその日解散したのはもう夜中2時であった。私たちはタクシーで私のマンションまで戻って一眠りした。
 

朝5時頃、目を覚ました。政子はまだ隣で寝ていたが、私はそっとベッドから抜け出すと、リビングで譜面をPCに入力していった。
 
6時頃政子が起きてきた。
「おはよー。もう少し寝てると思ったから御飯、6時半に炊きあがるようにセットしてた」
「ありがとう」といって政子は私にキスする。
 
「もしよかったら、もう少ししたら、鮭をロースターで焼いてくれない?」
「うーん。ロースター、私よく分からないのよね。私がそれ入力するから、冬、鮭を焼いてよ」
「いいよ。このプリントしたのに修正を書き加えているところを実際のPCの画面で修正して欲しい。それからまだ歌詞を打ち込んでないから、それを入れてくれる?」
「アイ」と言って政子は敬礼した。
 
私が人参と油揚げを切って切り干し大根と一緒に煮、それから鮭をロースターに入れて焼いて、その間にお味噌汁を作っていたら、御飯が炊きあがる音がした。切り干し大根を大きな丼に盛り、鮭を政子用に2切れと私用に1切れ皿に載せてテーブルに持って行き、御飯を盛ってから政子に声を掛けた。
 
「もう少しでできるから。でも食べながらやっちゃおうっと」
と言うと政子は「いただきます」と言って御飯を食べながらパソコンへの入力をしていく。やがて「終わった。鳴らしてみるね」といってMIDIの演奏を掛けた。「あ、ここ直そうっと」私はノートパソコンを自分の方に寄せると、何ヶ所か微妙な修正をした。プリントを掛けてから、朝御飯の残りを食べる。
 
一緒に片付けをし、着替えてから、私たちは抱き合ってキスをして、出かけた。8時にスタジオに入る。スタジオにはまだLondaしか来ていなかった。
「おはようございまーす」
「おはよう」
「みんな疲れてるから少し遅刻かな」などとLondaが言う。
「あれ?マリちゃんとケイちゃんって、もしかして一緒に暮らしてるの?」
「あ、えっと・・・・一応住居は別ですが」
「昨夜はケイのマンションで一緒に寝たね」
「その前の日はマリの家で一緒に寝たね」
「ああ、何となく分かった」とLondaは笑っていう。
 
8時40分頃に全員揃った。スコア譜を再度みんなで確認する。MIDIを鳴らしてみせて、またいろいろ意見を出し合い、多少の修正をする。それを私がパソコン上で再修正し、スタジオのプリンタを使って人数分プリントした。スイート・ヴァニラズのメンバーが楽器部分を演奏して収録する。4回演奏して、結局3回目の演奏を採用することにした。
 
それを聴きながら、私と政子が歌う。これは3回歌って2回目のを採用した。最後にそれを演奏と重ねたものを聴きながら、スイート・ヴァニラズのみんなと私たちも加わってコーラスを入れた。作業はお昼頃終わり、みんなで近くのピザ屋さんに行って昼食をとった。残りのコーラスは昼食後である。
 
「じゃこれを使わせてもらったので代わりにシングル用の曲何か書きますね」
「うん、よろしくー。11月中旬くらいの音源制作になるから来月中にもらえばいいよ」
「ということで、マリ、作詞よろしく−」と私。
「OK。ケイが私に美味しいもの食べさせてくれたらできるよ」
「じゃ、今夜はビーフストロガノフ」
「あ、あれ好き。オージービーフにして」
「了解」
 
「ふたりって同棲してるんだっけ?」とMinie。
「いえ、夕食作る手間省くのに、いつも一緒に食べてるだけです。たいてい1日交替でお互いの家で」
「作るのはケイで、私は食べるだけだけどね」
 
「夕食の後はそれぞれの家に戻るの?」とSusan。
「だいたい夕食作った家にそのままかな」
「やはり同棲のような気がする」とCarol。
 
「そういえば、ふたりの創作活動って、マリちゃんが作詞でケイちゃんが作曲だよね」
「だいたいそうですね」
「でもクレジットはいつも『作詞作曲:マリ&ケイ』なのね」
 
「ええ、実は心理的にはけっこう共同作業なんですよね」
「マリが詩を書いている時も、私が曲を書いている時も、お互い相手がそばにいるから書けるんです。物理的にそばに居ない場合でも、心の中では、そばにいる気がするし、電話掛けて会話はしないけどつないだままの状態で書くこともあるし。第三者には各々単独で書いているように見えるかも知れないけど、実は精神的には詩も曲もふたりで書いているんです」
 
「『作詞マリ・作曲ケイ』で登録したのは、最初に書いた『遙かな夢』だけですね。高2の11月頃、金沢のホテルに一緒に泊まった時、こういうクレジットにしようって話したんです。今は『遙かな夢』もマリ&ケイに登録変更しました。まあ、レノン・マッカートニーみたいなものかな」と政子。
「ああ、それと似てると思ってた」
 
「ジョンとポールは『目と目』で話しながら曲を作ったとか言いますけど、私たちはハートとハートで話してる感じだよね」
「以心伝心みたいなものかな」
「むしろ一心同体?」
「クォーツのサトさんに『以珍伝珍』でしょ?『一珍同体』、いや女の子同士なら『零珍同体』?とか、からかわれたけど、私たちセックスはしないからね」
「え?しないの?」
 
「ケイのおちんちんがまだ使えた頃も結局しなかったよね。今はもうケイがほぼ女の子の身体になっちゃったから、やりようもないです」
「女の子同士でもできるよ」
 
「でも昨夜一緒に寝たとか言ってなかった?」とLonda。
「札幌公演に一緒に行った時もふたりだけ同室だったよね」とElise。
河合さんが笑っている。
 
「仲良しだから高校時代から同じベッドでは寝てるけど、セックスはしないです」
「えー?高校時代はまだケイちゃん、男の子の身体だよね」
「私たち女の子同士の感覚しかなかったもんね」
「だいぶマリにもてあそばれたけど、一線は越えなかったね」
「私はもししたかったら、してもいいよと言ったんだけどな」
「友だちという関係を崩したくなかったからね」
 
「信じられないなあ。私なら同じベッドに寝たら即やっちゃうぞ」とElise。「私、Eliseにやられそうになって逃げ出したことある」とLonda。
 
「私たちはしないよね」
「なんか怪しいなあ」とEliseもLondaも言った。
 
「そもそもふたりの雰囲気って熱々の恋人同士にしか見えないんだけど」
とCarol。
 

10月の1日(金)午後から3日(日)までは福島県の相馬市・浪江町・郡山から福島市までローズクォーツでドサ廻りをした。2日は郡山周辺5ヶ所で公演をして、温泉旅館に泊まった。
 
公演が終わって、とりあえず温泉に入って汗を流させてもらおうと思い、大浴場の方へ歩いて行っていたら、途中で12人ほどの女の子の集団と遭遇した。
 
「あれ?」とその中から私に声を掛ける子がいる。私もその子に見覚えがあった。「おはようございます、ともかちゃん」とその子に挨拶する。
「あ、ケイちゃんだ!」「おはようございます、さよこちゃん」
「あ、おはようございまーす、ケイちゃん」「おはようございます、まちこちゃん」
という感じで、その中のかなりの人数と挨拶を交わした。
 
「こちらでイベントあったの?」
「うん。この隣の温泉センターで」と佐代子。
「私はすぐ先の公民館で歌った」と私。
「わあ、ニアミスだったんだ」
 
「でも、ひとりひとり名前を覚えてるって凄っ」
「あ、私わりと一度会った人は覚えてる」
「2年もたってるのに」
 
それはローズ+リリーのメジャーデビュー直前に、温泉でのイベントで一緒になった、リュークガールズの面々だった。その時、私たちは彼女たちの前座を務めたのであった。
「でも、見てない子が結構いる」
「かなり、メンバー入れ替わったからね」
 
「初めまして、よしみです」「初めまして、ローズ+リリーのケイです」
「初めまして、ひろこです」「初めまして、ローズ+リリーのケイです」
なんてことを、初めての子たちと握手しながらやっている内に浴場の入口に着いた。
 
「ケイさんはどちらに入るんですか〜?」といたずらっぽい顔で朋香。「もちろん、こちらだよ」と笑って言って、彼女たちと一緒に姫様の方の脱衣場に入る。
 
「でも、2年前はごめんね〜。私の性別のこと言ってなくて」
「中身が女の子なら戸籍は関係無いよ〜。でもケイさんが脱ぐのをちょっと注目」
「あはは」
と言いながら、私が服を脱ぐと、「おぉー」という声が数人からあがる。
 
「性転換手術済みなんですね!」
「えっと、実はまだ完全には終わってない。でも9割くらいは女の子になったかな」
「どのあたりがまだ女の子じゃないの〜?」
「そのあたりは企業秘密ということで」と私は笑う。
「ま、とりあえず男湯には入れないよね」
「それはその身体では無理だね」
 
みんなでわいわいやりながら浴室に入る。身体を洗ってから浴槽に浸かった。
「おっぱい触っていいですか〜?」
「いいよ。でも触られたら触り返すよ」
なんてことを数人の子とやる。
「あ、やわらかーい。シリコンですか?」
「そうだよ」
「ふつうのおっぱいの感触と変わらないね」
 
「うん。変わらないね」
「あれ?女の子のおっぱい触ったりするの?」
「マリのはいつも触ってるよ」
「あ、おふたりレズだったんでしたね」
「えー?それは違うけど」
「でも世間ではもっぱらそういう噂だけど」
 
「えーっと。。。でもみんな元気そう」
「私たち元気なのだけが取り柄だよね〜」
「うん。全然売れないけどね」
「売れなくても、私たち別にキャンペーンとかもしないし、給料なんて最初から無くてこういうところで歌ったら1人1回2000円というだけだから維持費も掛からないってんで、メンバーが全員卒業するか会社が潰れるまで続けるって社長は言ってる」
「温泉は温泉側のサービスだしね」
「遊園地のイベントだと終わったあと少し遊べるしね。乗り物代は自腹だけど」
「埼玉の◇◇デパートとか定演してるからファンからプレゼントもらえるしね」
「ああ、そういうのいいかもね」
 
「ケイさんはお給料制ですか?」
「お給料は無いよ。印税とかライブやった時のマージンとかラジオの出演料とかだけ」
「じゃ、売れないとゼロ?」
「そそ。マリもだよ」
 
「マリちゃん、今日は来てないの?」
「うん。今日はローズクォーツで来たから」
「ローズクォーツ?」
「あ、知ってる。男の人3人と組んでバンドもやってるんだよね」
「うん。とりあえず公式には私はそちらがメイン」
 
「そういえばローズ+リリーのCDしばらく出てないよね」
「うん。年末に1枚出す予定だったんだけど、あれこれ他のスケジュールが割り込んできて、今3月くらいかな?って所までずれ込んでしまってて。どっちみち5月か6月くらいにはアルバムを発売できそうなんだけど」
 
「へー。でもこないだ私、ローズ+リリーの新曲をカラオケで歌ったよ。有線でよく流れてるから覚えちゃった。『恋座流星群』っての」
「うん。あれは有線・カラオケや放送局でのリクエストのみ。CDやダウンロードでは売ってない。今月から着メロも解禁したよ」
「えー?でもローズ+リリーならCD出しても売れそうなのに」
 
「でもリュークガールズもCD出さないよね」
「うん。私たちはこういう温泉とかデパートの屋上とかでのイベント限定」
「え?そうなの?以前テレビのバラエティとかにも出てたのに」
「テレビはもう2年近く出てないよ」
「そうだったのか」
「私あまりテレビ好きじゃなかったなあ。変な事ばかりさせられて。お客さんの前で歌う方が楽しい」
私は彼女たちのステージをあらためて見てみたい気がした。
 
「デビューした頃はCDもあったよね」
「うん。でもプレスした分を売り切った後、作ってくれないね」
「だって1000枚プレスしたの売るのに2年かかったもん」
「でも、けっこうそういうもんじゃない?」と私。
「CDは出さないけど、新曲は毎年3〜4曲覚えさせられてる」
「それって、けっこう事務所から大事にされてるんじゃないの?」
「そうかも」
 
彼女たちと浴室の中でかなり話し込んでしまったので、私がいつまでもあがってこないことから、須藤さんが途中で様子を見に来たくらいであった。
 
私は彼女たちの数人と携帯の番号とアドレスを交換した。なんだかこの時期、こんな感じて、私の携帯には同業者の登録がどんどん増えていった。
 

10月4日・5日の月火はローズクォーツはお休みで、マキたち3人は仙台で休暇を過ごしていたが、私は東京に戻り大学に出る。水曜から金曜にできるだけ自由に動けるように3時間目までで講義が終わるようにしているので、その代わり月火は五時間目まで入れていた。
 
4日の日、政子はふつうに四時間目で終わっていたのだが、私が講義を受けている間に今日の晩ご飯の買い物をしてくれていた。一緒にマンションに帰って、夕飯の支度をしかけていた時、私の携帯に上島先生から着信があった。
 
「おはようございます。ケイです」
「やあ、ケイちゃん。実は僕、昨日までフィンランドに行っててね」
「それはお疲れ様です」
「いろいろ面白そうなもの仕入れてきたんだけど、僕フィンランド語は読めないから、どうもよく分からなくて」
「はい」
 
「君、フィンランド語できたっけ?」
「私は読めませんが、マリなら読めます」
「ああ、そうか。マリちゃんの方が20ヶ国語くらいしゃべれるんだったね」
「ええ」
「いや、こないだ夏フェスで会った時に、そんな感じのことを話したような気がしたんで電話してみた。それで、もし良かったら時間の取れる時でいいから、ちょっと来てこれ読んでみてくれない?今からでもいいけど」
「今すぐお伺いします。19時頃着くと思います」
 
私たちは衣まで付けて揚げる直前だったトンカツを冷蔵庫にしまい、ふたりで一緒に簡単な片付けをしてから、電車で先生のお宅まで行った。フィンランド語と、念のため(先生が他の言語と誤認している可能性を考えて)スウェーデン語・ノルウェー語・ポーランド語の辞書も持った。駅まで行く途中で須藤さんに電話をしたが繋がらなかったので、メールを入れておいた。
 
上島先生の自宅に着き、奥さんの案内で応接間に行くと、AYAがいてこちらに手を振った。
「わあ、お久〜」「ごぶさた〜」
などと言って、私たちはハグしあった。
「電話ではけっこう話してたけど、会ったの久しぶりだね」
「ほんとほんと」
 
「こないだのローズ+リリー特集ではナビゲートありがとう」
「あれは楽しかったよ。今度私の特集があったら、ふたりでナビしてよ」
「あ、それいいかも」
 
「でもケイちゃんと前回ハグした時もふつうに女の子の身体だったはずだと思ってたけど、今ハグしてみても、やっぱり女の子の身体だ」
「この春からけっこう改造したから。以前ゆみちゃんと会った時は改造前だったけど、色々誤魔化してたのよね」
 
「でも夏フェスにはローズ+リリーも出てくるかなって期待してたのに」
「ごめーん。私がしばらくはステージには立たないなんてワガママ言ってるもんだから。ケイをその分、こきつかって」と政子。
 
「でもAYAはBステージラストだったもんね。来年はAステージ狙えるんじゃない?」
「うーん。Aステージはバンド優先だしね。あるいは大きなヒット曲が出ればとは思うけど、なかなか40万枚の壁を越えられない」
「いやあ、その辺は僕も責任感じてる」と上島先生。
 
AYAはデビュー曲こそ38万枚売ったものの、その後のセールスはだいたい20万枚前後を続けている。今年の5月に出した曲は久々の好セールスで、そのおかげで夏フェスのBステージラストを取ったのだが、それも37万枚ほどで停まりそうである。
 
「ケイちゃんこそ、ローズクォーツの方ならAステージ狙いやすいんじゃない?」
「うーん。ヒット曲が出ればね。。。とりあえず最初のシングルは6万枚だし」
「今そのくらいだね。でもクォーツの人達がまだ他の仕事との兼業で動けずにキャンペーンとか出来なかった中でそれだけ売ったら偉いと思う」と先生。
「また、何か書いてあげるから」
「ありがとうございます」
 
先生がフィンランドから持ち帰ったという資料はかなりの分量があったが、書籍などは専門家に依頼するものの、サンタクロース人形!とかアクセサリーの類に添えられている短文や、添付されているメモ帳サイズの説明書の類、またポスターに書き込まれている詩のような感じのものなどを、ざっと訳してもらうと嬉しいということだった。政子は頷くとその文章を訳してレポート用紙に書き込んでいき、それをテープで各グッズに貼り付けていっていた。先生はその政子の訳をみながら頷いている。また先生は向こうで撮った写真の整理をしているようだった。
 
「でも私の訳って、いわゆる『超訳』なんで、専門の翻訳家さんとかが見たら絶句すると思いますけど」と政子が言うが
「いや、翻訳口調の日本語として意味がよく分からないのより超訳の方がいいよ」
と先生は答える。
 
「私、逐語的に訳すのって、うまくできないんですよね。原文読んで頭の中に展開されたイメージを自分の言葉で書き出していくから」
「君の書いた歌詞など見ても、これイメージをそのまま書いたなって思うことあるね」と先生。「『天使に逢えたら』を聴いた時、ほんとに天使が見える気がしたよ。高岡の詩にもそういうの多かったんだよね」
 
高岡というのは、上島先生がバンドを組んで活動していた頃のバンドリーダーで、当時上島先生がキーボード、高岡さんはギターを弾いていた。上島作品の編曲をよく引き受けている下川先生はそのバンドのセカンドピアニストであった。ギター2人、ベース、ドラムス、キーボード2人、サックス、トランペットに女性ボーカル2人という10人編成のバンドでフュージョンやスカを得意としていたがポップス系の曲もけっこうやっていた。
 
その頃は作詞が高岡さんで、上島先生が作曲だったのだが、高岡さんは25歳の若さで交通事故で亡くなってしまった。リーダーの高岡さんのカリスマ性でもってるバンドだったため、高岡さんの死でバンドも活動停止してしまったのだが、5年ほど前から上島先生は自分で作詞作曲して楽曲を様々なアーティストに提供し、自らそのプロデュースも手がけるようになってきた。そして次第に『上島ファミリー』と呼ばれる人たちが形成されてきていた(この当時は10組ほど)。
 
なお、ローズクォーツもローズ+リリーもプロデュースには先生は関わっていないので、上島ファミリーには分類されておらず、逆にそれで上島先生は気楽にこちらに楽曲を提供してくれている感じであった。
 
「ケイちゃん車を運転するんでしょ」
「ええ。マリと一緒によくドライブします。この春から既に1万km走りました」
「かなり走ってるね。運転には気をつけてね」
「はい。須藤さんからも絶対安全運転、交通法規遵守、制限速度絶対厳守を言われてます。誓約書も書いたし」
「うん。それがいいよ。それから疲れている時は運転しないようにね」
「はい。きついなとか眠いなと思ったら、最悪道路の脇に駐めても仮眠してます」
「感心感心。高岡は馬鹿やって死んじまったからなあ」
 
高岡さんは愛車のポルシェで中央道を疾走していてカーブを曲がりきれずに防護壁に激突して同乗者の恋人と共に即死した。私はまだ小学生だったが、その時のニュースは覚えている。時速300kmでの激突で死亡した2人の遺体から高濃度のアルコールも検出されたということだったし、高岡さんは新譜のレコーディングでその前3日ほど徹夜していたとのことであった。
 
「特に同乗者がいる時は慎重にね」と先生は言った。
「はい。同乗者がいると眠気覚ましにはなるけど、注意力もその分取られるから基本動作をしっかり思い起こしながら運転してます」
「しっかり起きていられるように、適宜刺激を与えてます」と政子。
 
「なんか意味深だ」とAYA。
「こないだ、ちょっとうとうとした時はビンタくらったけどね」
「当然。ピンタした後で非常駐車帯に駐めさせて少し仮眠させました」とマリ。
「うん。いいコンビみたいだ」
 
「ああ、でも運転できるっていいなあ。私は運転免許、事務所にとりあげられてるもん」とAYA。
「私はいつもぼーとしてるから運転絶対無理。だから免許取りにも行かない。それにケイがいるから必要な時は呼び出すしね」と政子。
「なんだ。ケイちゃんってマリちゃんの専属ドライバーなんだ」
「そそ」
 
「免許取ってすぐの頃は何度か運転したのよね」とAYA。「でも駐車場でうっかりRに入れたまま発進して、壁にぶつけちゃって。後ろのバンパーやっただけだったけど、それで免許とりあげられた」
「まあ、人にぶつけなかったからいいんじゃない?」
「それで最近はどうしても運転したい気分の時はゲームセンターに行って、シミュレーターでバーチャル走行なんだよね。よけい自由にぶつけられていい感じもあるけどね」
 
「今はバーチャルな時代だしね。大企業の営業会議とかネット使ってしてるし。そのうちふつうの会社員も通勤とかせずに自宅でバーチャル勤務とか」
 
「バーチャルセックスとかもあるよね」と政子。
「USBに接続できるキットもあるね。男の人がそこに出し入れしたら、向こうのPCでも伸び縮みするから、それを女の人が入れればいいんだって」とAYA。
「わっ」
 
上島先生は過激な話になってきたので苦笑していたが、ふと何かを思いついたようであった。
「あ、ケイちゃんがいいかな。ちょっと来て」
「はい」
「僕、ピアノで和音弾くから、少しフリーに歌ってみてくれる。ラララでいいから」
「はい」
そういって上島先生はピアノを弾き始めた。私はそれに合わせてラララで歌う。10分ほどフリーに歌っていたが
「うーん。いい感じ」
と言って、PCに向かうと、それに接続しているキーボードで、今私が歌ったメロディーを弾いていく。それにあわせてPCの画面上にMIDIのデータができていく。ひととおり弾いたところで、音符の乱れを調整し、コード付けをしていく。更に歌詞部分にキーボードから直接ことばを入力していった。
 
私は政子やAYAとひたすらおしゃべりをしていたが(政子はおしゃべりしながら翻訳をしていた)、先生はPCで楽曲を調整し続け、1時間ほどで完成させて譜面をプリントした。
 
「ケイちゃんに協力してもらったし、これケイちゃんにあげる」
「わあ、ありがとうございます」
バーチャル・クリスマスというタイトルが書かれていた。
「ローズクォーツ向きかな。今からレコーディングすれば、ちょうど12月に発売できるだろうしね」
「あ、はい」
と答えながら、これはスケジュールの組み替えが必要だぞと思う。
 
「先生、私のは〜?」とAYA。
「うんうん。今夜中に書くから。明日からレコーディングだもんね」
「わ、ごめんなさい。そんなところに割り込んで」
「うん。大丈夫。そちらのも書くから」と先生。
「でも書けなかったらケイちゃんに書いてもらおうかな」と言って笑う。
 
「私、先生みたいに売れる曲は書けないですよー」と私。
 
「でもこないだガールズバンド・フェスティバルで入賞したバンドの曲、ケイちゃんが書いたんでしょ?あれ、ヒットしそう」とAYA。
「うん。SPSの『恋愛進行形』ね」
「私、ゲストに呼ばれてて聴いてたら、いい曲じゃん。で作詞作曲:マリ&ケイになってるから、あれ?っと思って」
 
「SPSのキーボードの子と、エレクトーンの同じ教室でレッスンしてたんだ」
「ああ。そういう縁だったんだ」
「けっこうリキ入れて書いたけど、上島先生の作品は格が違うからなあ」
 
「どんな曲なの?」と先生が訊くので、私はその曲のMIDIを開き、演奏させると、それにあわせて自分で歌った。
「いい曲だね」と先生。
「格好いい曲だね!」とAYA。
「その曲、きちんと編曲してローズ+リリーで歌えばプラチナ行くかもね」
と先生は付け加えた。
 
「ええ。ローズクォーツ向きじゃないですよね。セルフカバーするなら、ローズ+リリーのほうですが、どっちみちこちらは今新譜出せないし、彼女たちより先に出すわけにもいかないし」
 
「やはり、演奏するアーティスト意識して作曲とかするもんなんですか?」
「うーん。その時によるね」と先生。
「ケイちゃんは?」
「私の場合、演奏する人とそれを聴いてくれる層を意識して書く場合と、何も考えてなくて純粋に曲が出来ちゃう時とがある。『恋愛進行形』は彼女たちの演奏見させてもらって、聴き手として審査員さんの世代を想定して書いた」
 
「でも純粋にできた時は名曲だよね」と先生。
「ええ。扱いにくいけど、頭で作った曲に及ばないものを持ってます。先生の『甘い蜜』とか、それっぽい気がしました」
「うん、そうそう。出来ちゃってから誰に渡そうと思った時、ふとケイちゃんの顔が思い浮かんだんで渡した」
「ありがとうございます」
 
「5月の放送で聴いた『影たちの夜』も、純粋に出来た曲でしょ?」と先生。
「はい」
「CD発売しないの?」
「出したいです。それで今回録音したアルバムにも入れなかったんですよね。ふだんそんなんでもったいながったりしない須藤さんが、これはアルバムに入れるのはもったいないと言いましたし」
 
「うん。あれはぜひシングルで出して欲しいね。名曲だもん。今聴かせてもらった曲とかこないだ限定版CDでもらった『恋座流星群』とかは歌い手や聴衆を意識してるよね。あれは中高生の女の子がターゲットでしょ」
「はい」
 
「ね、ね、私を意識して20歳前後の女性をターゲットに1曲書いてよ」とAYA。
「うん。ゆみちゃんを意識したらケイちゃんがどんなの書くか見てみたいね」
と先生。
「わ、先生からまで言われると・・・」
と言って政子を見ると、翻訳作業をしながら政子は
「私、チキンたくさん食べたら詩が書ける気がするなあ」
などと言い出した。
 
「そういえばお腹すいてきたね」と先生は言うと、インターホンで奥さんを呼ぶ。
「ケンタッキーまで行ってきてくれない?」
「いいよ。何個くらい買ってくる?」
「私2本」とAYA。
「私6本」と政子。「6本!?」とAYA。
 
「マリは無茶苦茶食べるんです」と私は笑って言う。
「私3本お願いします。少しマリに取られそうだから」
「じゃ、僕も3本ね」
「私も食べていいよね」と奥さん。
「もちろん」
「じゃ全部で16本買ってくる」
 
と言って奥さんはケンタッキーに予約の電話をしてから出かけていった。私は奥さんが出る前にお茶などのありかを聞き、先生のリクエストでレギュラーコーヒーを入れて、みんなに配った。
 
「でもローズ+リリーってユニット名はどうやって決まったの?」
「元々リリーフラワーズという女性デュオがいたんだけど、私とケイがそのライブの設営作業のバイトで行ってた時、リリーフラワーズがトンズラしちゃったのよね」
「へー」
「それでステージに穴あける訳にはいかないってんで、私とケイが急遽その代役をさせられたのよ。元が女の子のデュオだからってんでケイは女装させられたわけなんだけど」
「もしかして、それが女装の発端?」
「そそ。メジャーデビューの時には女の子の水着まで着せられたしね」
「わあ。よく男の子の身体で女の子の水着を着れたね」
 
「そのあたりがケイの凄いところでね。男の子が女装してるように見えないんだもん。あのあたりとかあのあたりとかを誤魔化しても、ふつうはボディラインでばれそうなものなのに、ウエストもくびれてるし、肩はなで肩だし、水着を着せても女の子のボディラインだったもんね」
私はただ笑っている。
 
「だから、ケイってやっぱり女の子なんだって確信した」と政子。
「私もケイちゃん、男の子と思ったことはないなあ」とAYA。
 
「まそういうわけで、最初のステージではリリーフラワーズの振りをして歌ったんだけど。どうせ誰も知らないからとか言われて」
「あはは」
「でも、やっぱり元々のリリーフラワーズを知ってる人に遭遇するとやばいからということで、次回からは少し変えて、ローズ+リリーにしたのよね」
 
「百合族・薔薇族とは無関係?」
「へ?」
「だって、ケイちゃんがクォーツと一緒に作ったユニットがローズクォーツだから、やはりケイちゃんがローズで、マリちゃんがリリーなんだろうなと思って」
「あ、その対応は何となく最初からそうだったね。ローズちゃんとかリリーちゃんと呼ばれたことはないけど」
 
「それでケイちゃんとマリちゃんは同性愛の関係っぽいし、マリちゃんは同性愛で女の子だからリリー、ケイちゃんは同性愛で男の子だからローズなのかな?とか」
「うーん。そういう解釈は初めて聞いた」と私。
「そもそもケイは女の子だし。そもそも私たち別に恋愛関係無いし」と政子。
 
「えーっと前半は同意するが、後半は同意できないぞ。でも考え過ぎだったかな」
とAYA。
 
「AYAさんは本名があやこさんとか、あやかさんとか?」と政子。
「いや、それがね・・・AYAはユニット名なのよね」
「うん。ソロプロジェクトだよね。Superflyとかマイラバと同じ。本名は優美香さん、ゆみちゃんだよ」と私。
「あれ?そうだったんだ」
 
「元々は3人いたんだよね」
「そうなのよ。あおい、ゆみ、あすか、の3人のイニシャル取ってA-Y-Aだった。ところがあおいとあすかがデビュー直前に辞めちゃって」
「だから最初の頃は、FMとかでAYAのゆみさんと呼ばれてたもんね」
「うん。でもAYAがいかにもそのまま人の名前みたいだから、AYAさん、AYAさんと呼ばれるようになって、まいっか、というところで」
「今逆に『ゆみちゃん』って呼んでるのは親しい人や熱心なファンだけでテレビの歌番組とかAYAさんになっちゃってるね」
「そっか。そういえばケイはさっき『ゆみちゃん』って言ってたね。私も、ゆみちゃんでいい?」
「もちろん」
 
やがて奥さんが戻って来た。お皿を配り、その上にチキンを置いていく。政子の前には大皿の上にチキン6本とビスケット2個が置かれた。
 
政子は辞書とレポート用紙を脇にやり、翻訳作業の手を休めてチキンを食べ始めた。チキンはどんどん骨だけになっていく。
「軟骨まで食べるには両手必要なのよねー」
「美味しいよね、軟骨。でもお店じゃそこまで食べられないよね」
「そうそう。周囲に男の人がいる所とかではこういう食べ方できない」
「えーっと、僕一応男だけど」と上島先生。
「あ、先生はジェントルマンだから問題無しです」
 
やがて、大皿の上のチキンが骨だけになりビスケットも消えたところで政子は「よし、書くぞ!」と言うと、手をおしぼりで拭き、バッグから作詞用の青いレターパッドを取り出した。そして作詞の時にいつも使っている愛用のセーラーのボールペンを手に持つと、スラスラと詩を書きはじめた。
 
「スラスラ書いてる」
「えへへ。チキン食べながら頭の中でまとめてた」
「なるほど」
 
私は政子が書いている間に、PCにAKAIのMIDIキーボードを接続し、更にヘッドホンもつないで、政子が書いている詩を見ながら、少し探り弾きして、その詩の世界に『チューニング』した」
 
「できたー!後、よろしく」
「OK」
「そのチキンとビスケット、食べないなら私もらうね」
私の前にはチキン2本とビスケット半分が残されている。
「どぞー」
と私が言う前に政子はチキンを持って行く。
「まだ食べるの!?」とAYAがマジで驚いている。
 
私は政子の詩を見ながら、キーボードとマウスの双方を使って音符を綴って行った。だいたい30分ほどで完成させる。
 
「できた」
「凄い」
「歌ってみますね」
 
私はヘッドホンを外して音が出る状態にすると、MIDIを再生しながら、政子の書いた詩を歌ってみせた。
 
「ああ、私っぽく歌ってる!」とAYAが言う。
「格好良い曲だね」と先生。
「じゃ、僕もそれに負けないの書こう」
というと先生は最初ピアノの所に行って、少しメロディを探している雰囲気だったが、やがて「よし」というとPCのそばに座りKORGのキーボードで弾いて音符を入れていく。時々「うーん」と言って停まったりしながらも1時間ほどで曲を完成させた。
 
「ケイちゃんなら初見で歌えるよね。これちょっと歌ってみて」
と先生は言い、MIDIを再生する。私はその音を聴きつつ先生のPCの画面を見ながらその曲を歌った。
 
「ああ、また私っぽく歌ってる」とAYA。
 
私が歌い終わると「このあたり修正しようかな・・・」と言って先生は譜面の修正作業を始める。
 
「なんか刺激される。。。私もちょっと修正しよっと」
 
先生の修正作業は15分ほどで終わった。
「ケイちゃん、もう1度歌ってみて」
「はい」
 
再度歌う。さっきのよりぐっと引き締まった感じがあった。
「うん。いい感じだ」と先生。
「あとは実際のレコーディングしながら微調整しよう」
「今の修正、私ものすごく勉強になりました。この修正作業で売上げが2割は増えましたよね」と私。
「うんうん」と笑顔で先生は頷いた。
 
「私も完成させます」と言って、私は自分の曲のほうの修正作業を続ける。作業は20分ほどで完成した。もともと修正するつもりだった部分に加えて先生の歌を見て感じたところを修正した。
 
「できました。歌ってみます」と言って、私はMIDIを再生しながら今度は既にPCに入力済みの歌詞を見ながら歌う。
 
「なんか印象が変わった」
「うーん。凄いな。僕ももう1度修正しよう」
と先生は再び譜面の修正に取りかかる。
 
こんな感じで私と先生はAYAに提供する曲をお互いに影響しあいながら夜中の3時頃まで修正作業を続けた。
 
「なんか高岡が生きてた頃、こんなことしてたなと思った」と先生。
「やはりケイちゃんは色々刺激になる存在だ」
 
「私、今夜は自分の作曲技術がぐーんとレベルアップしました」と私。
「勉強代払わなくちゃ」
「それ、僕がケイちゃんからもらった刺激で相殺しよう」
 
「なんか先生とケイの間で火花が散ってたね」と政子。
 
「この2曲、私がもらっていいんですよね」とAYA。
「うん。これ両A面で出そう」と笑顔で先生。
「レコーディングの時に、ふたりにコーラスで入ってもらおうかな」
「あ、いいですね」とAYA。
 
「よし。じゃAYAちゃんのはこれで完成。さっきケイちゃんに渡した曲も、もう1度修正するね」
 
と先生は言って、そちらの修正作業を始めた。AYAは眠くなったというので、先生に案内されて奥のほうの部屋に行き、仮眠した。私たちと先生はあれこれ話しながら、政子は翻訳作業を、先生は『バーチャル・クリスマス』の修正作業をしていた。作業は朝6時前に終了し、私たちも1時間ちょっとAYAと同じ部屋で仮眠させてもらった。
 
7時半頃起き出すと、先生の奥さんが起きていて「朝御飯食べる?」などというので、政子も起こして、ついでにAYAも起こして、3人で今度は居間のほうにお邪魔して朝御飯を頂いた。
 
「すみません。長時間お邪魔して」
「いえいえ。あなたたちこそお疲れ様。結婚して最初の頃は私も付き合ってないといけないのかなと思って朝まで起きてたんだけど、そのうち開き直って夜12時くらいになったら、眠らせてもらうことにした」と奥さん。
「毎回付き合ってたら身がもたないですよね」
「そうそう」
 
「あれ?先生達そろそろ結婚2周年ですよね」
「うん。今月の12日が結婚記念日」
「わあ、おめでとうございます」と私たち。
 
「でも先生は睡眠時間はどのくらいなんですか?」
「睡眠時間というシステムがあの人無いみたい。疲れたら仮眠する、というのの繰り返し。ずっとお仕事ばかりしてる」
「わあ、それであの多作なんですね」
「ほんとよく書いているみたいね。たぶん年間500-600曲書いてるんじゃない?」
「いや、もっと行ってる気がします」と私。
 
「じゃ、子作りしてる暇ないですね」とAYA。
「そうね。。。。。私との間には子供できないのかも」と奥さんが言った。私は何かそのことばの言い回しが気になった。
 
私たちが朝御飯を終えても、まだ先生は寝ているということだったので、よろしくお伝えくださいと奥さんに言って、3人で先生のお宅を辞した。
 
「ゆみは何時からレコーディング?」
「10時から。家に戻って着替えたらまたすぐ出なくちゃ」
「頑張ってね」
「うん。じゃ、コーラスの件よろしくね」
 
私たちは途中の駅でAYAと別れ、そのまま大学に出て火曜日の講義を受けた。さすがに眠かったがなんとか頑張った。
 
「冬〜。私やっぱり眠い。午後はサボって寝てるね」
と昼定食を食べ終わった政子は言った。
 
「自分ちに帰る?」
「まさか。マンションの方で寝てる」
「うん。おやすみー」
「冬は午後の講義も出るの?」
「出るよ。仕事でサボらざるを得ないこともあるから、出られる時は頑張って出ておく」
「頑張るなあ。じゃねー」
と言って政子は学食から出て行った。
 
「昨夜はお仕事で徹夜?」と小春が訊く。
「そう。上島先生のところで朝まで。マーサはフィンランド語の文献の翻訳。その間に上島先生は私とAYAに渡す曲の作詞作曲。私もマーサと一緒にAYAに渡す曲を書いた」
「え?もしかしてAYAもいたの?」
「そそ。私たちとAYAと上島先生と4人で徹夜」
「わあ、今度会ったらサインもらえない?」
「そうか。小春、AYAのファンだったね。いいよ。近いうちにレコーディングで会うから」
 

10月11日、クォーツの3人は盛岡で休暇を過ごしていたが、私は東京で政子と一緒にAYAのレコーディングスタジオを訪れた。AYAの新曲レコーディングは前日までにほぼ完了していたが、そこに私たちのコーラスを重ねるのである。
 
暫定ミクシング状態で聴かせてもらったが、ひじょうに良い出来だと思った。「なんか今度の曲は凄くヒットするような気がするよ〜」とAYAは言っていた。
 
コーラスのパート譜をもらい、ふたりで歌う。重ねたものを聴いていたところに上島先生がやってきた。
「うん。いい感じに仕上がったね」
と先生も満足そうであった。
 
「この『2度目のエチュード』の登録は、作詞:マリ、作曲:ケイでいいんだっけ?」
「えっと、作詞作曲:マリ&ケイでお願いします」
「そうかそうか、ごめん。全部そのクレジットだったよね」と上島先生。「ケイ&マリじゃなくてマリ&ケイという順序には意味があるの?」とAYA。「マリがローズ+リリーのリーダーだから」と私。
「え?リーダーとかあったんだ!」
 
この時レコーディングしたAYAの『ラブロール/2度目のエチュード』は11月下旬に発売され、60万枚の大ヒットとなり、AYA初のダブルプラチナを達成した。
 
なお、このレコーディングの時、小春からAYAのサインを頼まれていたことを私たちはきれいさっぱり忘れていた。あとで小春から聞かれて「あ、ごめん」
と言い、結局翌月ラジオ局で遭遇した時に書いてもらって小春に渡した。
 
しかし、こうして私と政子はこの秋、自分たちのCDは出さないものの、様々なアーティストと関わり、音源制作にも参加した。そしてこの秋には更にもう1組、私たちが関わることになるユニットがあった。
 

AYAのレコーディングがあった翌日、その日は完全にオフの予定だったのだが、お昼に学食でみんなと御飯を食べていたところに、ELFILIESのハルカから電話が入った。
 
「ケイちゃん、私やっぱり辞めることにした」
「何かあったの?」
「こないだ1度断ったのに、やっぱりヌード写真集を出そうって言われて」
「あぁぁ」
「もうやってらんないと思った。辞めたら向こう2年は名前変えても音楽活動できないらしいけど、しばらく休養するのもいいかなと思って。もう契約解除申入書は書いたし、出しに行こうと思った所でケイちゃんの顔が頭に浮かんで、先に連絡しようと思って」
 
「。。。ね、その契約解除申入書出しに行くの、夕方くらいまで待ってもらえる?」
「うん。いいよ」
 
私は須藤さんに電話を入れた。今日のこの時間はまだ東京にいるはずだ。東北方面に移動するのはたぶん夕方からの筈。果たしてまだ自宅にいるようであった。
 
「みっちゃん、ELFILIESって覚えてる?」
「あ、えっと確かローズ+リリーのメジャーデビューの日にお世話になったね」
「わあ、さすが。それでさ、今彼女たちが引退の瀬戸際なのよ。って、後数時間したら引退確定なんだけどね」
「ふーん。ちょっともったいないな」
私はハルカたちの状況を簡単に説明する。
 
「そういう訳でさ、彼女たちを引き抜いたりできない?」
「うーん。興味ある素材だけどお金が無い」
「だから津田さんに引き抜かせるの」
「なるほど!」
 
須藤さんが津田さんにすぐに連絡を入れたところ、津田社長は興味を持ったようであった。彼女たちの映像が無いかと訊かれたが、ローズ+リリーのデビューの時のイベントのビデオが須藤さんの自宅PCに残っており、それの最後にスモークの中からELFILIESが登場して歌い始めるところが映っていた。須藤さんがそれを持って△△社を訪れると、津田さんは好感したようであった。甲斐さんが呼ばれる。
 
「ELFILIES?あ、知ってるよ。何度かイベントで一緒になったもん」と言う。
「えー?引退?もったいない」
 
といった話になったらしい。私は須藤さんから連絡を受けるとすぐにハルカに電話し、こちらで何かできるかも知れないので、ヌード写真集の件の回答を引き延ばし、契約解除申入書の提出も1週間くらい待ってくれないかと言った。ハルカは了承した。
 
津田さんは調査会社などに依頼し、ELFILIESの4人の契約状況、活動状況、更に素行調査まで行った。4人ともごくふつうの女子大生生活を送っており、成績もそう悪くないこと、暴走族などとの付き合いは無いこと、あまり変な親衛隊は付いてないこと、交際中の男性はいないことなど、また彼女たちが今年に入ってから実質的にほとんど芸能活動をしていないことなどが判明した。
 
また甲斐さんがハルカと内密に会って契約書を見せてもらった所、おかしな契約条項などは無いことも確認できた。
 
「もしうちに4人そろって移籍できたら、また歌う気ある?」
「やりたいです」とハルカは即答したということであった。
 
辞めたら向こう2年間活動できないと言われた件も、別に契約書にある条項ではないようであったが、こういう問題は揉めないようにきちんと話を付けた方が良い。
 
週明け、津田社長がELFILIESの事務所の社長に電話を入れ、何度かこちらに所属している歌手も参加するイベントで遭遇して、ELFILIESに興味を持っていること、彼女たちが今年に入ってから何も芸能活動をしていないことに気付いたこと、もし本人たちがよければ、こちらに移籍させてもらえないかということを申し入れた。
 
向こうは驚いたようであったが、取り敢えず会って話しましょうということになった。ELFILIESの所属レコード会社は◎◎レコードである。先日SPSの件で私や須藤さんがそこのJポップ部門の担当課長・林葉さんと会っていたので須藤さんが連絡を取り、こちらで彼女たちの再生を試みたいということを話し、仲介役をお願いして同行してもらい、津田さん・甲斐さんと一緒にELFILIESの事務所を訪れた。
 
「あまり私は腹芸は得意でないので」と向こうの社長さんは言ったという。
「ざっくばらんに。事前にこの子たちに接触しましたか?」
 
「済みません。イベントで何度も遭遇したことがあるもので、うちの所属歌手でそちらの子たちと親しくなっていた子が複数いまして。それで偶然町で会ってお茶でもと言って飲んで話していて、ずっと活動していないということを知り、それなら、いっそうちに来ない?なんて話をしたようです」
 
「なるほどそうでしたか。いや、うちもこの子たちをうまく売り出せたら良かったのですが、なかなかうまく行きませんでね」
「まあ、この業界は水物ですからね」
 
「じゃ、君たちは移籍するのに異存は無いの?」と向こうの社長さん。「はい」と4人。
 
「では、どうでしょ?移籍金は4人合わせてこのくらいで」
と津田社長は折り畳んだメモ用紙を向こうの社長に渡した。社長は「え?」と小さい声を上げてから「OKです」と言い、4人の移籍が決まった。
 
そういう一部始終を私はその晩、最初にハルカからの電話で聞いた(後で甲斐さんからも聞いた)。
「ちょっとホッとしたけど、移籍金いくらくらいだったんだろう?社長が驚いた顔してたから凄い金額だったんじゃないかと思って。なんか申し訳い」とハルカ。
 
「ハルカたちが気にすることないよ。別にハルカたちに請求したりはしないし。津田さんはそれだけの価値があると思ったから出したんだから」
「うん」
「それでさ、私が言い出したのが今回の移籍劇の発端だから、責任は取ってもらうよと津田さんに言われてて」
「え?」
 
「私がELFILIESの移籍第1弾シングルの楽曲書くからね」
「わー!嬉しい!」
「◎◎レコードの林葉さんからもぜひと言われたのよ。なんかプロデュースもしろって言われたから、甲斐さんと共同での制作にはなると思うけど、レコーディングの現場であれこれ言うと思うけどよろしくね」
「はい、よろしくお願いします、ケイ先生」
「うん、頑張り給え」
と言って、私たちは笑った。
 
ELFILIESの4人は歌のレッスンに通い始めた。そして最初のシングルの録音はローズクォーツの西日本方面のドサ廻りと、ローズクォーツ自身のレコーディングの合間を縫って、11月7-8日に行われた。この2日間、ローズクォーツで借りていたスタジオに彼女たち4人と実務上のプロデューサーである甲斐さんもいれて、ローズクォーツの録音作業の合間に彼女たちの録音をしたのであった。伴奏はローズクォーツがやってくれた。更にサトが4人にけっこう親切に歌唱指導をしてくれたりした。
 
「でも冬ちゃん、8月頃は暇だ〜!とかこぼしてたけど、急に忙しくなったね」
と甲斐さん。
「取り敢えず今月を乗り切れば」と私。
「今月はまだ3週間あるけどね」
「あはは、頑張るのであります!」
 
彼女たちの移籍第1弾CD用に私と政子が書いた曲は『Solitude』と『祭りの夜』
である。譜面を見た時にハルカが「わっ何だか久々にまともな曲もらった」などと喜んでいた。
 
どちらの曲も敢えて生ドラムスを打たずにリズムマシンの単調なシンバルとバスドラの音に乗せてリピートの多い軽快なディスコサウンドに仕上げた。いわゆるハウス系の作り方である。また、彼女たち4人の歌が各々楽器のひとつひとつのような扱いをして完成させた。これまで彼女たちはだいたいユニゾンで歌っていたので、ひとりひとり音程もリズムも違うパートを歌うというのに少し不安がっていたが(4人とも絶対音感は持っていない)、やっている内に「おもしろい」などと言い出した。
 
なお、Solitudeでは中央アジアっぽいメロディなので、バンドゥーラの音で前奏を入れ、間奏ではホムスの音を入れた。バンドゥーラの音はハープの音をベースに作り、ホムスの音は琵琶の音から作った。祭りの夜は日本のお祭りをイメージして間奏やBメロに芦笛や三味線・和太鼓・鐘の音を加えた。このあたりはサトさんのシンセ大活躍であるが、一部は私がMIDIの打ち込みで音を加えた。
 
(翌年出したローズ+リリー『涙のピアス』のアレンジで下川先生がホムスを指定したのは、この曲を聴いた時に「やられた!」と思って、どこかで一度使ってみようと思っていたからだと言っておられた)
 
このシングルは12月中旬に発売され、ELFILIESとしてはこれまでで最大のヒットとなった。
 
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【夏の日の想い出・新入生の秋】(3)