【夏の日の想い出・生りし所】(下)

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「でもケイ、それはもしかして老化現象では?」
などと雨宮先生は言う。
 
「老化なんですか〜?」
 
「だって、年取ると運動した後の筋肉痛が数日経ってから出てくるじゃん。あれと同じよ」
 
「うむむむ」
「東郷誠一さんとか、高校生頃の胸のときめきを突然思い出して可愛い曲ができることある、なんて言ってるよ」
 
「その話、雨宮先生が言ってたと東郷先生に話していいですか?」
「私の報復が怖くなければどうぞ」
 
上島先生が笑っていた。
 

「だけど遅れて記憶がよみがえるというのでは、海野博晃なんて自分は前世の記憶で書いてるなんていつか言ってたね」
と上島先生が言う。
 
「確かに40-50年前の歌って感じですよね」
「それだから中高年に熱く支持されてるんだけどね」
 
「あれ、薬で記憶が混乱してるんじゃないの?」
などと雨宮先生は言うが
 
「あの人、お酒は飲むけど、薬はやってませんよ」
と千里が言う。
 
「医者から禁酒を言い渡されたのでは?」
と私。
 
「やめてない。曲を見れば分かる」
と千里。
 
「じゃ、死ぬのは時間の問題だな」
と雨宮先生。
 
「誰か強く言える人がいたら、言ってあげた方がいいですよ」
と千里が言う。
 
「それちょっと東堂千一夜先生に相談してみようかな」
と上島先生が言った。
 
「ああ、そのくらいの大先生から言われたら考えるかも」
と私も言った。
 

「前世の記憶と言ったら、城島ゆりあとかも『私前世は美少女女子高生だったから』なんて言って可愛い曲書いてるね」
 
「城島ゆりあも実態が見えないなあ。雷ちゃん会ったことある?」
「いや、会ってない」
「私も顔見たことないのよね」
「本人は『私、男よ』と過去に何度か発言してるけど、声は女だよね」
「まあ男でも女の声が出る人いるから、そのあたりは分からないけどね」
「あの人も鴨乃清見とか、桜島法子などと同様で、公の場には一切出ないし、写真も非公開だし」
「でもラジオ番組には結構出てるね」
「FM80.0にだけは出る。でもラジオ局には覆面つけて来ているという噂もある」
「なんて怪しい人だ!」
 
「そこまで顔を隠すということは、誰かの別名義という可能性もある?」
「そのあたりも分からん」
 

狭野神社から20分ほど走って、霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)に行く。ここは田園地帯の中に立っている神社であった。千里はこの神社に行く時、カーナビの指示を無視した進行をした。
 
「ここ気をつけてね。カーナビの指示に従うと田んぼの真ん中に連れていかれるみたい」
と千里はカーナビの地図を見ながら言っている。私も覗き込んだが、確かにルート指示が水田の畦道のような所を迷走した末に神社の裏手の森の中に突っ込んでしまっている。多分そちらから神社には到達できない。
 
「なんか今日はそういう所が多いね!」
と上島先生。
 
「田舎はたぶんデータの登録もアバウトなんですよ。目的地の1km手前で目的地の近くですというアナウンスで案内を打ち切られたこともありますよ」
と千里。
 
「うむむ」
 
「その後は紙の地図を見ながらたどり着きましたけど」
 
「確かにかえって紙の地図の方が頼りになることあるよ。カーナビでも地図は見られるけど画面が狭いからどこを通って行くべきか分かりにくいことがある」
と私も言う。
 
「農道や林道の収録率も悪いよね」
「そうそう。それもあるんですよ」
 
「田舎って国道よりよほど立派な農道や林道が通っていたりするから、カーナビを信じていると、とんでもない道に連れて行かれることもある」
と雨宮先生は言っている。
 
「うん。目の前に広くてまっすぐの道があるのに、カーナビはわざわざ細くて曲がりくねった道にナビゲートしようとするんだよね」
と千里は笑いながら言っていた。
 

雨が降った後のようで、いたるところに水たまりができている。それを避けながら、私たちは歩いて行った。
 
「ここは別の意味で凄い神社だ」
と私は言った。
 
「うん。凄い。原始的なエネルギーを感じるよね」
と千里は言った。
 
なお、ここには霧島六社のひとつ夷守神社(ひなもりじんじゃ)が合祀されているということだった(正確には元々夷守神社があった場所に霧島岑神社が引っ越して来て同居した)。それで現在、霧島神社は六社が五ヶ所なのである。
 
ここでは、お参りした後、私も上島先生も雨宮先生も、千里も五線紙を出して曲を書いていた。龍虎が興味深そうにその様子を見ていた。
 

更にここから40分ほど走って東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)に到達する。
 
「霧島東神社」の「東」は「ひがし」と読むのだが、「東霧島神社」の「東」は「つま」と読むのである。
 
「鬼が居る」
と龍虎が嬉しそうに声をあげる。
 
神社の入口の所に赤い鬼の像が立っているのである。
 
「この神社の石段は鬼が一晩で作ったらしい」
「へー。それで」
 
そして赤い狛犬がいる。
 
「ペイントされた狛犬って珍しいですね」
と龍虎。
「うん。南国っぽいね」
と千里は言っていた。
 
拝殿に至る石段は鬼が作ったものなら凄い所ではないかと思ったのだが、わりとまともな石段だった。
 
「大分の熊野の磨崖仏の所にも似た伝説があるけど、あそこの石段に比べると遙かに登りやすい」
と雨宮先生は言っている。
 
「でもきつい」
と体力の無い上島先生が言っている。
 
「雷ちゃん、ほんとあんた運動不足」
「でも運動する時間が無いんだよ」
「仕事のしすぎだからなあ」
 
お参りした所で、また全員五線紙にメロディーなどを書き込んでいた。
 

そして帰ろうとしたのだが・・・
 
「提案。女坂に回ろうよ」
と千里が言った。
 
「そうだね。私たち女だし」
と雨宮先生。
 
「雨宮先生は男性かと思ってました」
と私が言うと
 
「私、時々女になるから」
と先生は言っている。
 
「あのぉ、僕も女坂に行っていいですか?」
と龍虎が鬼の作った石段を見て言っている。
 
「龍ちゃんは、女の子でもいいからおいで」
と千里。
 
「僕も今だけ女でもいい?」
と上島先生。
 
「やはりあんたは性転換した方がいいな。そしたら浮気もしなくなるだろうし」
と雨宮先生は言った。
 
それで全員帰りは女坂の方を降りた。
 
そしてこれで霧島神社五社の探訪が終わった。
 

「この先はあまり迷わないよね?私が運転するよ」
と私は千里に言った。
 
「うん。それじゃよろしく」
と言って運転を代わり、私が運転席に乗って車は出発する。東霧島神社を出たのは12時半くらいであった。
 
「どこかで御飯食べようよ」
「じゃ、次のSAに入りましょう」
 
私は都城ICから車を宮崎自動車道に乗せると、山之口SAに入った。
 
ここのスナックコーナーでお昼御飯とした。私は食べている最中にメロディーが浮かんだので書き留める。それを覗き込んだ千里は
 
「それ霧島東神社で書いたような曲だ」
と言っていた。
 
「老化じゃなかったら、あんたの頭、ちょっとねじが何本か抜けているのでは?」
などと雨宮先生が言っている。
 
「先生みたいに全部吹き飛んではいませんから」
と言っておいた。
 

私は千里がワカメうどんを食べているのに気づいて言う。
「千里、そんなので大丈夫? お肉とか食べたらいいのに」
「私は鵜戸神宮のお参りが終わるまでは生臭は食べないよ」
 
「そうだったのか!」
 
「それって千里だけでいいよね?」
と雨宮先生が言う。先生は豚骨ラーメンに鶏天を食べている。
 
「もちろんです。私が巫女ですから、私が代表して潔斎しています」
「よしよし」
 

食後、トイレに行ってから車に戻るが、龍虎はまたまた男子トイレに入ろうとして「あんた違う」と言われて、女子トイレに入っていた。
 
「龍虎、あんた女装していた方が問題が小さい気がする」
「えーっと・・・」
 
「ケイ、あんた着替えでこの子が入りそうなスカート持ってない?」
「ウェストゴムのがありますが」
「ちょっと龍虎に貸してやって」
 
「うーん。まあいっか」
 
それで私が旅行用バッグの中からスカートを1枚出して渡すと龍虎はズボンを穿いたままスカートを穿き、その上でズボンを脱いでいた。なんかその着替え方が手慣れている?
 
「ズボンでも女の子に見えていたけど、スカート穿いたら、誰も男の子とは思わないな、これ」
 
と私は龍虎を見て言う。
 
「あんた、この後は女子トイレを使いなさい。でないと揉め事多発」
と雨宮先生は言っている。
 
「分かりました。じゃ今日のところはそうします」
と龍虎も言っている。
 
しかしこの子、ほんとにスカート穿くことに抵抗が無いみたいだな、と私は見ていて思った。
 

宮崎自動車道を宮崎ICで降りた後、国道220号線を南下する。
 
「今日はスムーズに行くね」
「そうですね。この道は悲惨なほど混むこともあるのですが。やはり平日だからでしょう」
 
それで15時前に青島近くの公営駐車場に到着した。
 
ここから15分ほど海岸沿いに歩き、石畳の橋を渡って青島に到達する。拝殿でお参りした後、右手にある奥の宮にも行く。
 
「ここはまたいい雰囲気の所だね」
 
「私大学生時代に友人と一緒に宮崎に来て、ここ青島に来てさ」
と雨宮先生が言う。
 
「神社の御由緒書きに玉依姫という名前があったのが何となく記憶に残ってね」
「ええ」
 
「ここに来た翌週に今度は兄貴の彼女とそのご両親を兄貴と一緒に案内して京都市内の観光をしてさ」
 
「なぜ先生が付いていくんです?」
「兄貴は深刻な方向音痴なんだよ」
「ああ・・・・」
「まあそれで仕方ないから付いて回ったというか連れて回ったんだ」
 
私は少し考えた。
 
「それお兄さんの弟としてですか?」
「私は弟ですと自己紹介したんだけど、向こうが驚いている風だったのを見て兄貴は『妹です。お茶目な妹で』とか言った」
 
「あははは」
 
「私の性別は結婚式が終わるまで明かさなかったみたい」
「なるほどー」
 
「まあいいけどさ。その京都観光した時に上賀茂神社でまた玉依姫という名前を見たんだよ」
 
「あれ?同じ神様なんですか?」
と龍虎が訊く。
 
「当時はもしかしたら、同じ神様かと思った。ところが無関係なんだな」
と雨宮先生。
 
「玉依姫というのは神霊の依代(よりしろ)になる巫女という意味だよ。つまり神様の依代となり、神の花嫁になった女性が玉依姫」
と千里が説明する。
 
「へー!」
 
「だから玉依姫という名前は全国的にあちこちにあるよ」
「そうだったのか」
 
「そのあたりから私も日本神話に興味を持って、古事記・日本書紀・風土記と一気読みしたのよ」
と雨宮先生は言う。
 
「なるほど」
 
「ちなみに青葉がこの春に作った千葉の神社も名義は玉依姫になっている」
「ほほぉ!」
「もっともそちらの玉は魂の玉じゃなくて、宝玉なんだけどね」
「へー」
 
青葉によると、あそこは上総国一宮神社と深い関わりがあるらしい。上総国一宮神社(玉前神社)には、波間に光る12個の玉を納めたという伝説があり、あの千葉の玉依姫神社の本来のご神体もおそらく光る玉だろうと青葉は言っていた。但し、あそこの神社には依代として柿右衛門の大きな絵皿が奉納されている。仙台のデパートで、青葉が支店長を務める政子の父から買ったものらしい。
 
そしてどうもあの神社の創立と、ローズ+リリーが本格的な活動再開できたことに関わりがあるっぽいのである。
 

神社を出た後、千里が本来の『Blue Island』である『恋のモーニングコール』を発想した場所に行ってみた。
 
「ここは凄い場所だね」
「雄大な景色ですよね」
「この大海原から登ってきた朝日は美しかったですよ」
 
「待って。曲が浮かんだ」
と言って上島先生はまた五線紙に曲を書いている。今回の旅は豊作のようである。
 
「しかしここの朝日を見たい気分にもなりますね」
と私は言ったが
「ケイ、あんた明日の予定は?」
「KARIONの制作があるんですよ」
「それは放置できるな。雷ちゃんは?」
「僕も朝日を見たい気分だけど、吉竹零奈の制作に顔を出さないと」
「あんた、そもそも歌手の制作にめったに顔出さないじゃん。千里は?」
「修士論文の中間発表会が今週末にあるので、その最終確認を指導教官とする予定になっています」
 
「それはさすがにキャンセルできんな。帰るか」
「雨宮先生優しいですね」
「千里の卒業が遅れると、仕事を押しつけにくいから」
「なるほど」
 
「ドライバーの都合が付かないのでは仕方ない。明日朝1番の飛行機で帰ろう」
と雨宮先生は言った。
 
「結局、そうなるんですか?」
「じゃ、次の目的地に移動する間に、ケイ、今夜の宿の確保、明日朝1番の飛行機の予約、それとレンタカー屋さんに乗り捨てしたいという連絡を入れて」
「分かりました」
 

それで青島を出てから千里の運転で40分ほど走り、鵜戸神宮の“鳥居前”の駐車場に到達する。
 
ここは観光バスなどで来ると元々の駐車場に着けることが多く、そこからは古い参道を10分ほど歩いて神社に到達するのだが、車で来る場合、平日など、混雑していない日なら、南側から新しい参道を回り込んで、神社のすぐそばに付けることができる。公共交通機関で来た場合も、バス停からこの新しい参道を30分ほど歩くことになる(荷物は預けられるお店がある)。
 

鳥居を入ってすぐ千里が言う。
 
「そこにトイレがあるでしょ?」
「うん」
「ここでちょっと揉め事があってさ」
と千里。
 
「あんたまさか男子トイレに入ろうとしたの?」
と雨宮先生。
 
「まさか。私の友人のバスケット女子が女子トイレに入っていて悲鳴をあげられて女性警官に捕まったんですよ」
 
「あらら」
「私たちが彼女は間違い無く女の子ですと証言して、解放してもらったけどね」
「女で良かったね」
 
「まあその騒動のことを書いたのが実は『Blue Island』なんだよ」
 
「あの名曲が、そんな状況で生まれたんだ!?」
と上島先生が驚いている。
 
「夢を壊すような話だ」
と雨宮先生は言っている。
 

鳥居の所から細い遊歩道を5分ほど歩いて、断崖絶壁の途中にある鵜戸神宮に到達する。
 
「凄い場所に建てたんですね」
と龍虎が言っている。
 
「まあ建てること自体が凄い修行だったんだろうね」
 
お参りしてから左手奥の方に回っていく。
 
「ここ、おっぱいが大きくなる岩よ。あんたたち触って行かない?」
などと雨宮先生が言っている。
 
「私は今のサイズで充分なので」
と私は言う。
「これ以上大きくなると試合に差し支えるので」
と千里は言っている。
 
「僕は胸を膨らませる必要はないから」
と上島先生。
 
「龍虎は、触ってみない?」
「そうですね」
と言って、龍虎はその岩に触っている。
 
「ああ、やはり、あんたおっぱい大きくしたいのね?」
「え?この岩触ったらおっぱい大きくなるんですか?」
 
「あんた話聞いてなかったの?」
「どうしよう。おっぱい大きくなっちゃったら」
「ブラジャー付ければいいのよ」
「ブラジャーか・・・・」
 
「ああ、つけたいんだ?」
「別に要りません!」
 
「今、悩んでいたよね?」
と雨宮先生が言う。私は笑いをこらえるのに苦労した。
 
私が貸したセミタイトスカートを穿いて足を引っかけたりもせずに普通に歩いているのは、どう考えてもスカートを穿き慣れているし、スカートで歩き慣れているとしか考えられない。
 
でもこの子、女の子になりたい男の子とは違うみたいだな、というのも私は感じていた。
 
ただの女装趣味!??
 

運玉投げの所に来る。
 
「この素焼きの玉をそちらから、向こうにある亀の形をした岩の所に投げ入れることができたら運が開けると言われています。男性は左手で、女性は右手で投げてください」
 
と説明を受け、全員5個ずつ玉をもらう。
 
最初に雨宮先生が右手で投げたが2個岩の凹みに入った。
 
「モーリー凄いね」
と上島先生が言っている。
 
「まあ元野球選手だし」
「でもそれ20年近く前の話だろ?」
「鍛錬は怠ってないよ」
「偉い」
 
上島先生は左手で投げたが1個も入らなかった。私が右手でやってみるが、全く入らない。
 
「次は龍虎ちゃん行く?」
と私は言ったが
 
「龍虎は真打ちだよ。私が先に行く」
と言って千里は右手で5個全部入れる。
 
周囲から歓声が上がる。
 
「さっすが」
 
「さて、龍ちゃんの番だよ」
 
それで龍虎が左手に玉を持って投げようとしたのだが、近くにいたおじさんが注意する。
 
「君、女の子は右手だよ」
 
龍虎は一瞬上島先生の顔を見たが上島先生は笑って頷いている。まあこの容貌で、スカートも穿いていれば、女の子にしか見えない。
 
それで龍虎は右手に持ち替えて投げた。
 
遠く届かない。
 
「それ全力で投げないと届かないよ」
と雨宮先生が言う。
 
それで龍虎は大きく振りかぶって思いっきり投げた。しかしあと少し届かない。
 
「これ、マジで全力出さないとダメですね」
「そうそう」
 
それで龍虎は2〜3歩助走まで入れて思いっきり投げた。
 
玉は岩の凹みに当たったものの、跳ねて向こうに行ってしまった。
 
「当たった、当たった。その調子」
「はい」
 
それで4個目を投げるがわずかに軌道がずれて右側に落ちてしまう。
 
「しっかりと目標を見て」
と千里が助言する。
 
それで龍虎は最後の玉を思いっきり投げる。手を放す瞬間まで目を離さない。しかし投げた勢いでバランスを崩す。それを千里がさっと抱き留めた。
 
玉はきれいに岩の凹みに乗った。
 

「やったやった」
と上島先生。
 
「これで龍ちゃんの望みは叶うね」
と千里。
 
「何望んだの?」
と私が訊いたのだが
 
「あっ」
と声をあげる。
 
「ん?」
 
「何も考えてませんでした」
 
「ああ、だいたいそんなもの」
 

鵜戸神宮を出たのが16:30くらいである。私が運転する。
 
「今日はこのままホテルに入る?」
と上島先生が訊く。
 
「そうだなあ。日没は何時だっけ?」
と雨宮先生。
 
「18:32です」
と千里。
「それを適当な場所で迎えたいな。あ、あそこに行こう。小戸神社。分かる?」
と雨宮先生。
 
「分かります。カーナビをセットします」
と言って、千里は今日宿泊するホテルに設定していた目的地を変更していた。
 
「今度行く所はどこ?」
と上島先生が訊く。
 
「伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の両命は淤能碁呂島(おのごろじま)という所でたくさんの神様を生むんだけど」
 
と千里は説明を始めようとしたのだが、雨宮先生が茶々を入れる。
 
「そのふたりの神様が結婚する時の話をしなさい」
 
千里は
「先生、好きですね〜」
と言って、千里はその一節を暗唱する。
 
「『汝が身は如何にか成れる?』と伊邪那岐命は伊邪那美命に尋ねた。すると伊邪那美命は『吾が身は成り成りて成り合わざる所、一所あり』と答えた。それに対して伊邪那岐命は『我が身は成り成りて成り余れる所、一所あり』と答え」
 
とまで言ってから
「この先は18歳未満禁止なので」
と言ってその先を言わなかった。
 

「18歳未満だと聞いてはいけないことが書いてあるんですか〜?」
と龍虎が言う。
 
「そうだよ。もし興味があるなら、古事記の最初の付近をこっそり読むといい。ただし、読んでるの見つかったら補導されちゃうからね」
 
「え〜?どうしよう」
と龍虎は言っているが、ジョークにそのまま合わせているのか、純情無垢なのかは、その話し方からはうかがい知れない。
 
「でもその『成り成りて成り合わざる所あり』とか、『成り成りて成り余る所あり』って、もしかして、あの付近の話ですか?」
と龍虎。
 
「分かってるじゃん」
と雨宮先生。
 
「で、あんたはどっちなのさ?成り成りて成り合わざる所があるの?それとも成り余る所があるの?」
 
「成り余ってますー」
 
「ふーん。だったら、君の場合は、その成り余っている所を取った方がいいかもね。余っているって、つまり余計なんでしょ?」
 
龍虎は顔を真っ赤にして言った。
「え〜?どうしよう?」
 
「迷うのか!?」
と思わず上島先生が突っ込んだ。
 
私は可笑しくてたまらなかった。千里も助手席で苦笑している。
 

「まあそれで伊邪那岐命と伊邪那美命は結婚する。そしてたくさんの神様を産んだんだけど、最後に火の神である火之迦具土神(ひの・かぐつちのかみ)を産んだ時、女陰(ほと)に火傷を負って死んでしまう。伊邪那岐命は死んだ伊邪那美命を葬った後、泣いて過ごしていたんだけど、そのうち我慢できなくなって、黄泉の国へ行って伊邪那美命を死後の世界から連れ戻そうとする」
 
と千里は日本神話のその付近を解説する。
 
「それで真っ暗な黄泉国の中で伊邪那美命を探り当てて、現世に戻ってくれと頼むと、伊邪那美命は話し合ってみると言って黄泉国の神様と交渉している。ところが交渉に時間が掛かっているので、どうなっているのだろうと思い、様子を見ようとして伊邪那岐命は灯りを付けてしまった」
 
「ところがそこで見たのは腐りかけて見るも無惨な姿になった妻の姿だった。それを見た伊邪那岐命は肝を潰して逃げ出す。一方の伊邪那美命は恥ずかしい姿を見られたことに怒って追いかけてくる。そして、とうとう黄泉比良坂(よもつひらさか)という所に、伊邪那岐命が大きな岩を置いて現世と黄泉国の間の行き来ができないようにしてしまった。そしてふたりはお互いに離縁を宣言してしまう」
 
「黄泉国から現世に戻った伊邪那岐命は、汚い所に行ってきたなあと言って筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原というところで川に浸かって禊(みそぎ)をする。この時、水の底の方にいる時に底津綿津見神・底筒之男命、水の中ほどにいる時に中津綿津見神・中筒之男命、水の表面まで出てきた時に上津綿津見神・上筒之男命が生まれた」
 
「そしてこの底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神の三柱が安曇一族に祭られることになる海神(わだつみのかみ)で、底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命が住吉神(すみのえのかみ)となる」
 
「最後に伊邪那岐命が左目を洗った時に天照大神(あまてらすおおみかみ)、右目を洗った時に月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれた。これを三貴子という」
 

「まあ、そういう訳で、今から行く小戸神社というのが、その禊ぎをした場所ということなんだよ」
と千里は説明した。
 
千里は宮崎市内に入ると、最初に県庁の近くの川のそばに車を停めた。
 
「長時間停められないから急いで降りて」
というのでバタバタと降りる。車はハザードを焚いている。
 
「現在、小戸神社は別の場所に移動してしまっているんだけど、ここが元々の小戸神社のあった付近らしいんだよ。だから伊邪那岐命はこの付近で禊をしたのかも知れない」
 
「千里詳しいね!」
「いや。私も今教えてもらった」
 
「誰に!?」
 
千里は斜め左上に視線をやりながら「えーっと」と言っていたが
「話してもいいと言っている。実は霧島神社で霧島大神に会った時に、道案内役に眷属さんを貸してくれたんだよ。その眷属さんが教えてくれた」
 
「えっと・・・・」
「まあ、あまり深く考えないで」
「そうする!」
 

私たちは川の流れを少し見ただけで、すぐ車に戻る。そして現在の小戸神社に向かった。
 
結構広い駐車場があり、平日なので、神門のすぐそばに駐めることができる。そして降りてみんなで参拝する。
 
「ここの御祭神は?」
「伊邪那岐神だよ」
「なるほど、なるほど」
 
みんなでお参りした後、由緒書きを見ていた上島先生が言う。
 
「ね、さっき醍醐君が話してくれたのって、祓詞の中に入ってない?」
「ご明察です」
と千里は言って、祓詞を暗唱する。
 
「掛けまくも畏き伊耶那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓え給いし時に生りませる祓戸大神たち、諸々の禍事・罪・穢あらんをば祓え給い清め給えと白すことを聞こしめせと、恐み恐みも白す」
 
「なんかほんとに神主さんが祝詞あげてるみたい!」
と上島先生が言うが
 
「巫女ですから」
と千里は言う。
 
「そういえば、そんなこと言ってたね!」
 
「まあ千里は巫女で、女子大生で、女子バスケット選手で、作曲家という不思議な子だ」
 
「君、忙しいね!」
 
「いえ、日本で最高に忙しい上島先生からしたら、私など暇すぎる部類ですよ」
 
「まあ確かに雷ちゃんも異常だよね」
 

上島先生が再度川を見たいというので、神社に車は駐めたまま、川の所まで歩いて行く。
 
そこには大淀川の豊かな流れがある。それをみんなでしばらく見ていた時、上島先生は言った。
 
「龍虎の芸名はアクアにしよう」
 
「アクア!?」
 
「伊邪那岐命が黄泉国の汚れをこの川の水で禊いだように、龍虎の歌で人の心が浄化されるようにという意味だよ」
と上島先生。
 
「なんか凄い大それた名前のような気がします」
と龍虎本人は言う。
 
「それにこないだ龍虎のホロスコープを見てくれた占い師さんが龍虎は水星が根だと言っていたでしょ?」
 
「あ、そんなことを言われました」
 
「水星が龍虎の運気の鍵となる。水の星が運気を握っているから、やはりアクアでいいと思う」
 
「龍虎って出生時刻はいつだったっけ?」
と千里が訊く。
 
「14:21です」
 
千里は携帯を操作している。そしてしばらく見ていた。
 
「ああ。確かに水星がファイナルになっている」
と千里は言う。
 
千里はメモにこのような感じのダイアグラムを描いた。
 
V/獅子→太陽/獅子(F)
 
火星・冥王星・A/射手→木星/蟹→月/乙女→水星/乙女(F)
M/天秤→金星/蟹→月↑
E/山羊→土星/双子→水星↑
 
海王/水瓶→天王/水瓶(F)
 
千里の携帯の画面には
太=獅27 月=乙13 水=乙10 金=蟹21 火=射21 木=蟹7 土=双13 天=瓶22 海=瓶6 冥=射12 A=射21 M=秤9 V=獅4 E=山7 PF=山7 PS=射5
 
といった表示が出ていた。
 
「これって、太陽もそのファイナルになるわけ?」
「そうそう。太陽もFinal dispositorになる。でもそちらは実質太陽だけ。多くの天体が月や水星が絡む支配星系列に入っている。まあ龍虎の女性的な面が強いのも分かるよ。女性的な局面のほうがエネルギーが大きいんだな」
 
「もうひとつ天王星に至るのもあるね」
「うん。でも天王星・海王星のみが絡むものは世代的なものだから、他の星と特に関わっていなければあまり考える必要は無いよ」
「なるほど」
 

「じゃ、龍虎の芸名はアクアということで」
と雨宮先生が言った。
 
「この旅は結果的にはアクアの芸名を決める旅だったんだな」
と雨宮先生。
 
「そうだったんですか!」
と龍虎は驚いたように言った。
 

上島先生はすぐに紅川社長に電話し、龍虎の芸名をアクアにしたいと告げた。紅川さんは少し待ってくださいと言って、どうも誰か類似の芸名が無いかとか、画数の吉凶とかを調べていたようである。
 
「画数的には問題無いと思いますよ」
と千里が言う。
「カタカナの『アクア』は6画。幸福を与える吉。英大文字で『AQUA』なら8画で堅実な吉。先頭だけ大文字にして『Aqua』なら7画で道無き道を切り開いていく力強い吉」
 
「龍虎に似合いそうなのは、その幸福を与える吉って感じかも」
と上島先生は言う。
 

小戸神社の駐車場に戻ったのは18時半頃である。ちょうどここで日没となった。
 
「このあとホテルに行きますか?」
 
「まだ宮崎牛のステーキを食べてない」
と雨宮先生はおっしゃる。
 
「そうでした!」
「さて、どこが美味しいか分かる?」
 
「今眷属さんに教えてもらいました。そこに行きます」
と言って千里は自ら運転席に座って車を出した。
 
その移動中に紅川さんから電話がある。
 
「OKということだよ」
と上島先生は言った。
 
「ただ僕が命名したということを出すと、アクアの身元が分かってしまう可能性があるから、誰か別の人が命名したかのように装う演出をしようということで、それは紅川さんに任せると言った」
 
「分かりました」
 

やがて車を着けたのはJA宮崎直系のお店である。
 
「決して安くはないんですけど、宮崎の人たちはお祝い事とかある時にここに来るらしいですよ」
と千里。
 
「ほほお。じゃ、ここは雷ちゃんのおごりで」
と雨宮先生。
「OKOK」
と上島先生は笑って言っている。
 

お店に入ると、結構人が多い。入口のところで待っている人たちもいる。しかし千里はお店の人に
 
「少し早かったかな。霧島の名前で19時に予約していたのですが」
と言う。
 
「はい。伺っております。もうお席は用意しておりますので、こちらへどうぞ」
と言って案内された。
 
「凄い」
「沙耶さんのサービスみたいですよ。代金は適当に払っておいてねということですが」
 

席に着いてから、お店の人が
 
「最上級シャトーブリアンのコース、お肉は200gに増量で、5名様でよろしかったですか?」
と訊く。
 
「はい、それで」
と上島先生は答えたものの、お店の人が席を離れた後で、テーブルに立っているメニューを見て「あははは」と笑っている。
 
「まあ雷ちゃんには端金(はしたがね)だよね?」
「まあ龍虎のデビュー前祝いということで」
「芸名がアクアに決まった記念に」
 

「でも宮崎は口蹄疫が大変でしたね」
と千里が言う。
 
「うん。あれは宮崎牛が消滅するかも知れないという危機だったんだよ」
と雨宮先生。
 
宮崎では2010年の春から夏にかけて口蹄疫が大流行した。当時殺処分された牛や豚は合計で30万頭近い(水牛・山羊・羊なども含む)。一時的に宮崎の畜産は壊滅状態になった。
 
中でも感染を避けるために別地区に避難させていたエース級・種牛6頭の中で最高の超エース《忠富士》の感染が確認されたのは畜産関係者にショックを与えた。
 
忠富士の子供は育ちが物凄く速く、美味しい肉をつけていた。関係者は泣く泣く忠富士を殺処分にするが、問題は残りの5頭であった。
 
本来はひとつの飼育場で1頭でも感染牛が見つかれば、感染拡大を避けるため、その飼育場の牛は全て殺処分しなければならないことになっている。しかし、忠富士が感染していたからといって他の5頭も処分してしまうと、宮崎牛はいったん消滅してしまう。復興には物凄い年月が掛かる。
 
そして実はこの種牛問題は宮崎牛のみならず、全国のブランド牛にも影響を与えかねなかった。それはこの宮崎の種牛の精液は、松阪牛も含めて全国の多くのブランド牛を生み出すのに使われていたのである。ブランド牛に精液を提供しているのは宮崎牛だけではないとはいえ、この5頭を処分すると、日本全国の肉牛生産自体にも影響を与える恐れがあった。
 
宮崎県は、ルールを曲げて、この5頭を殺処分しない方針を決めた。
 
この方針に政府は激怒。これは国家的危機であるとして他県への感染拡大を防止するためきちんと法律を守るよう主張する民主党の山田正彦農林副大臣(途中で農林大臣に昇格)と、この種牛を育てるのにどれだけの手間と年数が掛かっているのか、種牛を殺せば宮崎牛も消滅するし日本全体の畜産にも影響が出るとする東国原英夫知事との間で壮絶なバトルが起きる。しかし東国原は断固として、この5頭の処分を拒否する姿勢を貫いた。
 
それと平行して県は祈るような気持ちで経過観察を続けた。
 
残りの5頭は何週間経っても陰性のままであった。
 
宮崎県がこれに期待していたのは忠富士と他5頭が実は一緒ではなく少し離れた部屋で飼われていたためである。これは忠富士という牛は精液は大量に生産するものの物凄く気性の荒い牛で、他の牛の近くに置けなかったためである。人間で言えば暴力絶倫男だ。このことが結果的に他の5頭を救った。
 
この5頭以外の種牛は県が管理していた49頭、民間で管理していた6頭がいづれも殺処分されている(この民間6頭についても宮崎県は処分を拒否していたものの、最終的には処分に同意し、飼主を説得した)。
 
しかし5頭のエース級種牛だけは宮崎県が最後まで守り抜いた。
 
忠富士の殺処分から3ヶ月が経って、東国原知事は口蹄疫の終息宣言を出した。しかし、その後、このわずかに残った5頭のエース種牛、福之国・勝平正・秀菊安・美穂国・安重守から、宮崎牛は復活し、全国のブランド牛も守られたのである。
 
そして2年後の2012年には長崎で行われた品評会で宮崎牛が内閣総理大臣賞を受賞するまでに至る。
 
2013年、宮崎県は従来の種牛センターから充分遠い場所に第2種牛センターを建設。ここに福之国と秀菊安の2頭を分離して、万一の場合の安全度を高めることになった。2014年現在宮崎県の種牛は16頭にまで増えており、その中には忠富士の子供も2頭含まれている(2016年現在34頭。忠富士の子供が3頭)。
 

料理が来るまで、雨宮先生はそういう話を私たちにした。
 
「でもそれ宮崎県内だけで封じ込めたのが凄いと私は思う。しかもこれだけの大流行を4ヶ月くらいで終息させているし」
と私は言った。
 
「うん。大流行にしてしまったのは初期の対応ミスだけど、その後の封じ込めは、日本の衛生技術と市民の衛生意識の勝利だと思うよ。そして運も良かったと思う。へたすれば日本全国の牛や豚が絶滅していた」
 
と雨宮先生は言う。
 
「でもこれ大変なんだ。感染している牛を診た獣医師は、その獣医師を媒介にした感染を避けるため、一定日数他の牛と接触してはいけないんだよ。だから大量の獣医師が必要になった。全国の獣医師が宮崎に応援に行った」
 
「実際お隣の韓国では当時全国に感染が拡大してしまったよね」
と上島先生。
 
「そうそう。悲惨なことになった。向こうは殺処分が350万頭に及んだ」
「うわぁ」
 
当時の口蹄疫の流行は韓国に端を発して、日本・中国・北朝鮮へと感染が拡大している。北朝鮮の被害は情報統制により規模不明だが韓国同様に悲惨なことになった模様である。
 
「日本では当時、隣接県が道路を封鎖していたね」
「うん。バリケード作って通れなくしたり、主要道路では通過する全ての車を停めて徹底的に消毒」
 
「それできちんと拡散を防止できたのが日本の凄い所だと思うよ」
「ひとりひとりの市民の意識が高いね」
「消毒を嫌がって抜け道を抜けたりとかされるとどうにもならなくなるからな」
 
「だけど過去に口蹄疫で痛い目に遭ったオーストラリアとかは空港とかでも消毒を徹底しているらしいよ」
 
「そのあたりが、日本はまだ甘かったんだろうね。先行して韓国で口蹄疫が発生していたから、十分な警戒をする必要があったんだよ」
 

「なんかそういう話を聞くと、このお肉は凄く貴重なものって気がします」
と言いつつ龍虎は美味しそうにお肉を食べている。
 
「まあシャトーブリアンってのは1頭の牛から600gくらいしか取れない最高に美味しい部位だからね」
と雨宮先生は顔をほころばせて言う。
 
「きゃー!じゃこの5人分で1頭と3分の2ですか!」
と龍虎。
「そうそう。それを金に物を言わせて頂かせてもらっている」
と雨宮先生。
 
「すごーい」
と龍虎は無邪気な表情で言っている。
 
千里ももう潔斎が終わっているので、美味しそうにステーキを食べている。
 
「まあでも、お金持っている人がこうやってお金を落としていくことで、また宮崎の畜産も振興するわけだから、お金のある人はどんどん高いお肉を買うのが良い」
とも雨宮先生は言う。
 
「牛さん、貴重なお肉をありがとうございます。美味しく頂いています」
などと言って龍虎はステーキを食べている。
 
私はその様子を見ていて、やはりこの子は大物になるぞと思った。
 

一通りコースが終わり、デザートを食べていたらお店の人が入ってきて
 
「本日はレディスデイで、これは女性のお客様だけに特別サービスです」
と言って、私の前、千里の前、そして龍虎の前にだけアイスクリームを置いていった。
 
「うーん・・・」
と言って上島先生が悩んでいる。
 
「なぜモーリーの前には置かれなかったんだろう?」
「私男だし」
 
「どうして僕の前にも置かれたのでしょうか?」
と龍虎が言っているが
 
「女の子にしか見えないし」
と雨宮先生は言っていた。
 

その後トイレに行って来たのだが、龍虎と一緒になった。スカート穿いているし女子トイレを使うんだよ、などと雨宮先生に言われていたのだが、見ていると何のためらいもなく女子トイレのドアを開けて中に入る。個室が2つあって、その前に女性が2人並んでいたが、龍虎は何の照れもなく、その列の後ろについた。
 
うーん・・・・。
 
この子、女子トイレにも慣れてるじゃん!
 

お店を出たのが20時過ぎである。
 
今日のホテルは実は青島のすぐそばに確保した。朝起きて歩いて朝日を見に行けるようにである。
 
ずっと千里が運転しているので、ホテルまでは私が運転した。
 
部屋は和室を2つ取っている。私としては、上島先生と龍虎は親子のようなものだから1部屋で、残りの3人(雨宮先生・千里・私)は「女あるいは女に近いもの」なので1部屋でいいかと思ったのである。
 
「そちらの女の子は、誰と一緒ですか?」
とフロントの人が訊く。
「あ、僕と一緒。僕はこの子の父親の親友で、父親の代わりにこの子を連れてきたんだよ」
と上島先生が説明したのだが、
 
「しかし女子中学生をご友人とはいえ、姻戚関係の無い方と一緒の部屋にするのは」
とフロントの人は言っている。色々怪しいケースもあるのだろう。
 
「じゃ、私が雷ちゃんと一緒になるよ。龍虎はケイたちと一緒にして」
「こちらはいいですよー」
と千里が言う。
 
「でもあなた方は?」
「私と彼は元恋人なの。だから一緒でも構わないから」
「分かりました。それではその部屋割りでよろしくお願いします」
 

そういう訳で、龍虎は私と千里と同室になった。
 
「まあ、36歳のおじさんと一緒より24歳の私たちの方が気楽でしょ?」
などと千里は言っている。
 
「龍虎ちゃん、スカートはズボンに穿き換えなよ。そのままだとお風呂に行けないし」
と私は言った。
 
「そうします」
と言って龍虎はスカートを穿いたまま、ズボンを穿き、そのあとスカートを脱いだ。
 
お茶など飲みながら一息ついていたら、
「お風呂行こう」
と雨宮先生が誘いに来た。
 
ここは大浴場に行くタイプの宿である。
 
「雷ちゃんはまたいくつか曲を思いついたから書いてるって」
「仕事熱心ですね〜」
 
それで各自着替えを持って地下の大浴場に行く。
 
そして龍虎はひとりで男湯へ、私と千里・雨宮先生は女湯へと別れて暖簾をくぐる。
 
ところが、暖簾をくぐった途端、男湯の方から
 
「お客様、困ります!」
という声が聞こえてくる。
 
私たちは思わず顔を見合わせた。
 
そして困ったような顔をした龍虎が、女性従業員に《連行されて》女湯の暖簾をくぐってきた。
 
「女性のお客様はこちらでお願いします」
と言って従業員さんは出て行く。
 

「僕どうしましょう?」
と龍虎が本当に困ったような顔で言っている。
 
「女湯に入ればいいじゃん」
と雨宮先生。
 
「え〜〜〜!?」
 
「まあ、4人まとまっていれば何とかなるかもね」
 

それで結局龍虎は女湯の脱衣場で服を脱ぐのだが・・・・・
 
「あんた、そのシャツは女の子シャツじゃないの?」
「お母さんがこんなのばかり荷物に入れてたんですー」
「あんた、女の子パンティ穿いてるじゃん」
「お母さんが入れてたんですー」
 
女の子パンティを穿いているにもかかわらず、パンティに盛り上がりが無いのは元々凄く小さいのか、あるいは何らかの処理をしているかだろうが、私はどちらだろうと訝った。もしタックをしているのなら、やはりこの子は女の子になりたい男の子なのかも知れない。
 
「やはりあんた女の子なのでは?」
という雨宮先生の問いに答えようとした龍虎の唇に千里が指を当てて停め
 
「他のお客さんもいるから静かに」
と彼女は言った。
 
それで結局4人で女湯に入るのだが、龍虎はあの付近をしっかりタオルで隠していた。
 
しかし・・・・
 
この子、恥ずかしがったり、おどおどしたり、照れてるような様子が無いじゃん!
 
まさか女湯にも入り慣れてる!?
 

私たちは各自身体を洗ってから湯船に浸かった。湯船はいくつかあったものの、私たちは最も広い、豊玉姫の湯という所に入った。
 
当たり障りのない話をしていたのだが、龍虎はごく普通に私たちのガールズトークに付いてきている。
 
「この中でいちばん巨乳はケイかな。それFくらい無い?」
と雨宮先生が言う。
「Fカップのブラ付けてますよ」
「千里は小さいね」
「一応Dカップかな。でもこれ以上大きくなられると試合で困るんですよ」
「なるほど、抑え込んでいるのか」
「雨宮先生はEカップですか?」
「私もDカップだけど、千里より少し大きい感じだね」
 
そんな会話を龍虎は照れもせずに聞き、平気で私たちのバストを見ているようだ。しかしその視線は男の子が女性のバストを見ている雰囲気ではない。まだ思春期前の女の子が眺めているような《羨ましさ》を彼の視線の中に見た。
 
この子、やはりおっぱい大きくしたいんだろうなと私は思う。
 

そんな会話をしていた時、50代くらいの女性2人が浴室に入ってきた。どうも会話を聞いていると、長崎県から宮崎旅行でこちらに来たようである。
 
やがて彼女たちが浴槽に入ってきて、私たちに会釈する。こちらも会釈する。
 
「そちら、どちらからいらっしゃったんですか?」
「東京なんですよ。そちら今長崎とか、おっしゃってましたね」
「ええ。長崎県の諫早(いさはや)という所なんですよ」
「あ、それフーちゃんの良い人の出身地だね」
と千里が言う。
 
諫早は政子の出身地だ。
 
「うん。そうそう。でも私はまだ行ったことないのよ」
と私は答える。
 
「家族旅行ですか?」
と言われて、ん?と思う。ああ、雨宮先生が母親に見られたかと思い至る。
 
「そうなの。でも旦那は仕事してるとか言ってパソコン見てたから、娘たちと一緒に旦那は放置してお風呂に来た」
と雨宮先生。
 
「いや、旦那さんと一緒に来ても、女湯に一緒には入れませんよ」
「あら、そういえばそうね。まあ性転換させちゃう手はあるけど」
「ああ。旦那さんも性転換したら、全員女湯に入れるようになりますね」
 
「そちら大学生と高校生と中学生くらい?」
と彼女は私に訊く。
 
どうも私がいちばん上に見られたようだ。おっぱいのサイズの順だったりして!?
 
「私は去年大学を出て今はOLなんですよ。この子は高校生で、この子はまだ小学6年生で」
「なるほどー」
「いや、中学生にしてはおっぱい小さいなと思った」
 
すると龍虎が顔色ひとつ変えずに言う。
「私も早くお姉さんたちみたいにおっぱい大きくなるといいなと思うんですけど」
 
「大きくなるよ。だってお姉ちゃんたち2人ともおっぱい大きいもん」
と女性は笑顔で言った。
 

お風呂から上がってから、取り敢えず4人で私たちの部屋に入る。
 
「しかし女性客と遭遇しても堂々としてたね」
「向こうは龍虎を女の子と信じて疑っていなかった」
 
「龍虎は女湯に入り慣れてるね」
と雨宮先生は指摘する。
 
「えー?女湯なんて、小学1年生の時以来ですよー」
「それ全然説得力無い!」
 
「入院していた頃は、本来入浴時間帯ではない時間に看護婦さんに入れてもらっていたね」
と千里が指摘する。
 
「なんか男性の入浴時間帯に僕が入って行ったら、こちらを見て中に居た60代の男性がびっくりして足をすべらせて大変なことになったんです。それ以降、僕は単独で入りなさいということになって。でも何かあったらいけないからって、中年の女性看護師さんが付き添ってくれてたんです」
 
と龍虎は説明している。
 
「なぜ女性の看護婦と入る?男の患者には男の看護師が付くのでは?」
 
「それは龍虎の名誉のために説明しないことにします」
と千里。龍虎は顔を真っ赤にしている。
 
「うーん・・・」
 

「でもあそこで私もおっぱい大きくなるといいなとか言ってたね」
「やはりおっぱい大きくしたいんだ?」
「別に大きくしたくはないですー」
「ほんとかなあ」
 
「というか、自称が僕じゃなくて私になってた」
「というか、話し方が女の子の話し方になってた」
 
「男の話し方と女の話し方は、ちょっと心理的にスイッチを切り替える感じなんです。ボク、どちらも話せますよ」
 
「今の口調はボーイッシュな女の子って雰囲気だ」
「天然の俳優だね」
 
「ぼく俳優になりたいんです。歌手よりも」
「へー」
「あんなに歌が上手いのにもったいない」
 
「まあ歌って踊れる俳優ってのでいいんじゃない?」
と雨宮先生。
「歌って踊れる女優になっちゃったりして」
と千里。
「え〜〜〜!?」
 
「ちなみに本当に女の子になりたい訳じゃ無いの?」
と私は再度訊く。
 
「なりたくないです−。ぼく男ですよぉ」
 
「それを女の子口調で言われても信用できん!」
「あ、ちょっと間違った」
 

「でも女の子になりたい訳でもない男の子が女湯に入って、他の客のおっぱい眺めているというのは犯罪だな」
と雨宮先生は言ったが
 
「それそのまま先生に」
と私と千里はほぼ同時に言った。
 

結局私たちは10時過ぎまでおしゃべりをした後
 
「明日は早いからもう寝よう」
と言って寝ることにする。雨宮先生も上島先生の部屋に戻った。
 

翌朝。5:30に千里に起こされる。龍虎を起こし身支度をしてから上島先生たちに声を掛け、旅館をチェックアウトし、荷物は車に載せてから、歩いて一緒に橋を渡って青島まで行った。
 
まだ日出前に青島神社に参拝し、神社を出てから昨日行った鬼の洗濯板がある付近に行こうとしたのだが、その時龍虎が
 
「あ、月が出てる」
と言う。
 
龍虎が指す方角を見ると、十六夜(いざよい)の月が山の端に沈もうとしていた。
 
「これもしかして太陽と月を同時に見られるかな?」
と上島先生が言う。
 
「だったら、鬼の洗濯板ではなく、ここに居た方がいい」
と雨宮先生。
 
「そうしましょうか?」
 

それで私たちは神社のすぐ外のところで東の海を見ていた。時々西の空を見るが、まだ月は山の陰には隠れていない。
 
そしてやがて東の海から、真っ赤な太陽がゆらゆらとその姿を揺らしながら登ってきた。
 
私たちはみな無言でその美しい朝日を見ていた。
 
太陽が水面から離れた時、私は西の空を振り返る。月はまだギリギリ山の上にある感じである。
 
「あっ」
と龍虎が声をあげた。
 
「どうした?」
「これまさにあれですよ。左に太陽、右に月、そして真ん前には海があります」
 
「あっ」
と千里も声をあげる。
 
「この状況はまさに、左目を洗った時に太陽神たる天照大神、右目を洗った時に月神たる月読命、鼻を洗った時に、海神たる須佐之男命が生成したんだ」
 
「おぉ!!!」
 
「千里、昔の暦では、満月も月初めだよね?」
と雨宮先生が訊く。
 
「そうです。古い時代は、新月と満月が月初めで、1ヶ月の長さは今の半分だったんですよ。それが日本書紀に書かれている古代天皇の異様な長寿の秘密だとも言われています」
 
「それも面白い説だね」
 
「ということは、左側からは水平線から生まれたばかりの太陽、右手には満月月初で考えた場合の生まれたばかりの月があったわけだ」
 
「そうなりますね。こういうビジョンが見られるのは満月の前後だけですから」
 
私たちがそんなことを言っている間に月は山の陰に沈んでしまった。
 

「よし帰ろう」
 
それで私たちは車に戻ると、私の運転で宮崎空港に行き、レンタカーをそこで乗り捨てて7:35の羽田行きにチェックインした。
 
それで手荷物検査を通り、搭乗案内を待ちながら、私たちはたわいもない会話をしていた。
 
「私次のアルバムは『やまと』というタイトルにしようかな」
と私は言った。
 
「来年のアルバム?」
「ううん。来年のアルバムは『The City』というタイトルにするつもり。都会の美をたくさん歌おうと」
「へー。それも新機軸だね」
と上島先生が言っている。
 
「再来年に『やまと』というアルバムを作ろうかと」
「ローズ+リリーってそういう叙事詩的なもの、似合うと思うよ」
と上島先生。
「叙情派ではないよな」
と雨宮先生。
 
「なんか今回の旅で、桜を見て紅葉を見て、美しい湖も見たし、神秘的な夜明けも見たし、日本のあちこちに美しいものが転がっていると思うんですよ」
 
「まあそれを全部歌おうとしたら、それだけでライフワークになるだろうけどね」
「そういう歌手もいますよね」
 

そんなことを言っていた時、唐突に声が聞こえる。
 
「君、女子トイレが混んでいるからといって、男子トイレに来るなよ。それ、おばちゃんのすることだぞ」
 
と30歳くらいの男性の声が聞こえる。
 
見ると龍虎がまたまた男子トイレに入ろうとして、咎められたようである。千里が手を額にやって苦しそうに笑っている。
 
私は席を立ってそちらに行った。
 
「だめじゃん、龍ちゃん。私と一緒にこちらにおいで」
と言って、私は彼を女子トイレに連行した。
 
 
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【夏の日の想い出・生りし所】(下)