【夏の日の想い出・瑞々しい季節】(2)

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ローズ+リリーは元々高校2年の1月から大学2年の夏に至る「何ちゃって休業期間」に§§プロの紅川社長(当時)にずいぶんお世話になり、社長の配慮であちこちのイベントにローズ+リリーという名前も名乗らないまま、チラリチラリと出演して歌わせてもらっている。精神的にダメージを受けていたマリに人前で歌うことを経験させるという「歌手としてのリハビリ」のためだったのだが、当時それがローズ+リリーであることに気づいた人はわずかであった。
 
紅川さんがそこまで配慮して下さった背景には、元々私自身が§§プロから「川崎ゆりこ」の名前でデビューする予定があったこともある。私がもしその話を受けていたら、私はひょっとしたら今のアクアに近い形で売り出されていたかもしれない気もする。
 
しかし最終的に私は紅川さんの申し出を断り「川崎ゆりこ」の芸名は後輩の蓮田エルミが使うことになった。むろん当時は彼女はその芸名が使い回しであるとは知らず、後になって知って
 
「うっそー!? だったら私が男の娘騒動に巻き込まれていたのかも」
 
などと言っていた。
 
「エルミちゃんも男の娘なんだっけ?」
「男の娘もいいなあという気もしますけどね。だって男の娘ってずるくないですか? 可愛い服を着ておしゃれを楽しめるし、おちんちんでも遊べるし」
 
「大半の男の娘はおちんちんで遊んでないと思うけど」
「やはり早い時期に取っちゃう人が多いんですか?」
「いや、おちんちんをいじると、自分は女になりたいのに男の子みたいなことしてしまったと激しい自己嫌悪に陥るから、できるだけいじらないように我慢しているんだよ」
 
「へー。大変そう」
 

と言ってからエルミは小さな声で尋ねた。
 
「龍虎(アクア)も我慢してるんですかね?」
 
「たぶん」
 
と答えてから補足する。
 
「あの子は女の子になりたい訳ではないけど、まだ男に進化したくないんだよ。男にも女にもなれるモラトリアムの状態でいたい。こないだ記者会見では1週間に1回くらいオナニーしてますと言ってたけど嘘だと思う。たぶん我慢してるよ」
と私は答える。
 
「男の子って、そういうのって我慢できるもんなんですか?」
 
「きっと触りたくてたまらない気分の時は激しい音楽とか聴いて発散させてるんじゃないかな。最近ベビーメタルとかバンドメイドとか聴いてますって言ってたし」
 
「70年代男子アイドルみたいな話ですね。でもそれって本人がベビーメタルやバンドメイドのメンバーみたいな服で歌いたいのでは?」
 
「うーん・・・・」
と言って私は悩んだ。
 

私が§§プロからデビューするかどうか悩んでいた時期、§§プロに行く度に見かけていたのが、当時デビューして間もなかった秋風コスモスと、当時はまだ研究生であった蓮田エルミであるが(*1)、ある日事務所に行った時、線の細そうな美少女が人待ち顔で窓際のソファーに座っていた。
 
私が事務所に行って5分もしない内に紅川さんは来客(ζζプロの青嶋さん)との打ち合わせが終わり会議室から出てくる。
 
「ありゃ、洋子ちゃん来てたの?君なら今の打ち合わせに入ってもらっても良かったのに」
などと社長が言う。
 
「ピコちゃん(*2)、ご無沙汰〜」
と青嶋さんも言う。
 
「ご無沙汰しております。青嶋さん」
 

(*1)実際にはエルミより先に渡邊誉志詠(わたなべよしえ)−芸名:浦和ミドリ−がデビューすることになる。私は麻布先生のスタジオで録音スタッフとしてミドリのデビューシングルに関する作業を担当したものの、彼女とはそれ以前には会っていない。
 
(*2)「ピコ」は私が松原珠妃のデビュー曲『黒潮』のPV/写真集撮影の時に同行していくつかのシーンで珠妃の代役をした時に付けられた名前である。珠妃が演じていたのが「ナノ(南乃)」の役名だったので、その妹分ということでSI単位ナノの1000分の1でピコという名前が付けられた。ナノは10億分の1、ピコは1兆分の1だ。
 
この名前を知っているのは、当時の松原珠妃の活動に関わっていたごく少数の人だけだったのだが・・・・2014年、珠妃が『ナノとピコの時間』という曲を出したおかげで、全国的に、私が小学生の頃にピコという名前でビキニ姿の《女の子モデル》していたことが知れ渡ってしまった。当時の写真やビデオなどもあちこちに転載されまくったので、いまや多くの人が私はもう小学5年生の段階で性転換済みであったと信じている雰囲気である。Wikipediaにまでそう書かれているし!
 
しかしこの当時(2007年)は、この名前を知っていた人は青嶋さんや蔵田さんなど、せいぜい20-30人程度である。もっとも蔵田さんは私を(柊)洋子と呼ぶ。
 

「ピコちゃん、ここの事務所からデビューするの?」
と青嶋さんが訊く。
 
「まだ決めてないんですけどね〜。もう1ヶ所熱心に勧誘してくれている所(∴∴ミュージック)もあるし。先日紅川社長からは、こんな感じで可愛く売り出してあげるよと言われて見せてもらったイメージイラスト見て、くらくらと来たところで」
 
「あはは。そうだ。あんたもう手術は終わったんだっけ?」
「まだしてません!」
「じゃ早く手術しなきゃ。半年は身体休めてからでないとデビューできないだろうしさ」
 
「高校生では手術してくれる所ありませんよぉ」
「私、中学生でも手術してくれる病院知ってるけど」
「えっと・・・・」
「ここだけの話、小学5年生で性転換した子もいるんだよ。今は普通に女の子歌手している」
「それはまた早いですね」
「その子は生まれた時から女の子として育てていたらしい。だから友達とか親戚でもその子が実は男だったことを知らなかったんだって」
「安いライトノベルにありがちな話だ」
 
「ピコもやはり小学生の内に性転換しておくべきだったなぁ」
 

「あ、そうだ。洋子ちゃん、この子、紹介しておくよ」
と言って紅川さんは、窓際のソファーに座っていた美少女を手招きする。彼女が立ってこちらにやってくる。その歩く姿が美しいと私は思った。まさに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という感じである。
 
「こちら、そう遠くない内にデビュー予定の秋風メロディーちゃん」
「おはようございます。秋風メロディーと申します。よろしくお願いします」
 
メロディーはとても美しいソプラノボイスで挨拶した。
 
「こちら、モデル出身で民謡の名取りで、スタジオ技術者とかもしている柊洋子ちゃん」
「おはようございます。柊洋子です。よろしくお願いします。あのぉ、秋風って?」
 
「うん。秋風コスモスのお姉さんなんだよ」
「そうだったんですか!」
「メロディーちゃん、コスモスちゃんのこないだのシングルは全部洋子ちゃんに録ってもらったんだよ」
「わあ」
 
「実は秋風メロディーを先に売り出す予定だったんだけど、レコード会社との企画がまとまらなくてね。そんな時に、女子中生を使ったCMの企画があって。コスモスが当時ぎりぎり中学3年生の3学期だったんで、彼女を起用したんだよ。それで後先になってしまったけど、お姉さんも年明けくらいにデビューさせるつもり」
 
「へー」
 
実際には彼女はデビューには至らず、代りに翌年春、浦和ミドリがデビューすることになる。
 
「元々オーディションに合格したのはこのお姉さんの方で」
「あ。そうだったんですか?」
 
「それで本名が《あきこのむ》と言ってね」
「済みません。どんな字ですか?」
 
それで紅川社長は《伊藤秋好》と紙に書いてくれた。
 
「源氏物語の秋好中宮ですか!」
「よく知ってるね」
 
「それ知っている人はいいんですけど、知らない人はだいたい《アキヨシ》とか《しゅうこう》とか読んじゃいます。語感で男の子と思われることもよくあって」
 
と本人は言っている。
 
「ひどいよね。好という字は分解したら《女子》だから、こんなに女の子らしい名前はないと僕は思うんだけど」
などと紅川さんは言っている。
 
「まあそれで秋という字が入っているし、この子、ものすごく歌がうまいから秋風メロディーという芸名を考えたんだよ」
 
「なるほどー!」
 
妹の方は改善のしようが無いほどの音痴である。だったら姉のついでだったのかと私は思い至った。しかしコスモスが庶民的「可愛い子」とすればお姉さんのメロディーは正統派の美人である。
 
「妹の方はそれでCMの話があって急遽デビューさせて、実は名前を何にも考えてなくてね」
「はい」
「でも急に入った仕事で、その日の朝連絡があって、夕方にはプレスを始めないという話で」
 
「慌ただしいですね!」
 
たぶん誰か他の歌手で進めていた企画がボツになって急遽ピンチヒッターが必要になったんだろうなと私は想像した。この世界では時々ある話だ。松田聖子のデビューなどもそれに近い。あの事務所は当時「10年に1人の逸材」と言われた中山圭子という歌手を売り出したばかりで、松田聖子のデビューは1〜2年先の予定であった。それが先輩歌手(香坂みゆき等いくつかの説あり)が歌うはずだった『裸足の季節』が本人が歌えなくなり急遽練習生だった聖子に歌わせ、バタバタと録音してレコードを出したのである。しかしこういうのが意外に売れてしまうのである。
 

「だからジャケット撮影とかも私服のままで」
「ああ」
「名前ももう考えている時間が無かったんで、秋風メロディーの妹だし同じ秋風でいいかなと思って。それで秋にはコスモスかなと思って秋風コスモスという名前を、プレスする工場から『歌手の名前は無くていいんですか?』と電話があった時に、その場で考えて返事して」
 
「わあ」
「実はその電話で僕が何と返事したか自分でも忘れてしまって。プレスがあがってきたのを見たら秋風コスモスになってたから、我ながら適当な名前つけちゃったなと思ったんだけどね」
と紅川さん。
 
「まあ名前は後から変えてもいいしね」
と青嶋さん。
 
「ところがそのCDがいきなり4万枚売るヒットになっちゃったから、もう今更変えられなくなってしまったんだよ」
 
「芸名ってそんなものかもしれませんよ」
と青嶋さんは笑って言っていた。
 

その後、お姉さんの秋風メロディーと会う機会はあまり無かったのだが、それが今年の3月にバッタリと新宿の街で遭遇したのである。
 
秋風メロディーは赤ちゃんをスリングで抱いていて、コスモスも一緒であった。
 
「珍しい所で珍しい人に」
「おはようございます、ケイさん」
とコスモスが挨拶する。
「おはようございます、メロディーさん、コスモスちゃん」
 
「わあ、私の名前覚えていてくださったんですね?」
とメロディーが言う。
 
「ご結婚なさったんですか?」
「あ、いえ。シングルマザーなんですよ」
「大変ですね!」
「コスモスにもだいぶ助けてもらいました」
「まあ、赤ちゃんは可愛いし」
 
「6ヶ月くらいかな」
「ええ。12月25日に生まれたんですよ」
 
「凄い。クリスマス生まれですか。全然知らなかった!でもこの子のお父さんとは結婚できなかったんですか?」
「面倒くさいと思ったから」
「へ?」
 
「だって結婚して子供産んだら、旦那と子供の両方世話しないといけないじゃないですか。旦那の面倒まで見きれないから子供だけでいいと思って」
 
「うーん。しっかりした女性はそうかもしれないですね」
 
「まあ妊娠中の検診の費用とか出産の費用とかは全部出してくれましたけどね。あと養育費も毎月もらってるし」
とメロディー。
 
「そのくらいは出してもらわないとね」
とコスモス。
 
しかし養育費を毎月払っているというのは一応経済力のある男性なのだろう。それにふたりの話しぶりでは不倫ではなく独身男性のようだ。それで結婚しないのは本当の所はなぜなのだろう。
 
「赤ちゃん見に来るのはいつでもいいよと言っているし」
とメロディ。
「交際は続いてるみたいだから結婚すればいいのにと私は言ったんですけどね〜」
とコスモスは言っている。
 
「交際している内に入らないと思う。メールのやりとりしてるだけ」
とメロディー。
 
「へー。じゃ何かお仕事とかなさりながら、ひとりで赤ちゃん育ててるんですか?」
「最近はずっと在宅ワークで」
「内職とか、ネット関係か何かのお仕事とか?」
 
「あ、いや実は・・・」
とメロディーは恥ずかしがっている!?
 
「実は公開してないんですけど、うちの姉は最近作曲家として活動しているんですよ」
とコスモスがバラしてしまう。
 
「そうだったんだ! 名前は?」
 
「自分の名前ではあまり書いてないんですけどねぇ」
とお姉さんは更に照れながら言う。
 
なるほどー。ゴーストライターかと私は納得する。
 
「でも最近けっこう自分の名前でも書いているよね」
「うん。上野美由貴という名前なんですが」
 
「メロディーさんが上野美由貴だったんですか!!!」
 
私は驚愕した。
 

上野美由貴は2011年頃から時々名前を見るようになった作曲家で、2013年の春頃からは小野寺イルザに定常的に楽曲を提供しており、現在は中堅の作曲家とみなされている。2014年には彼女が書きイルザが歌った『夜紀行』がRC大賞の金賞を受賞している。北野天子はデビュー以来、上野美由貴がメインの作曲家になっている。
 
私は昨年春に北野天子のアルバムを作る際、雨宮先生に頼まれて、上野美由貴さんの名前で1曲楽曲を書いて提供している。
 
その時雨宮先生に上野さんのプロフィールを知りたいと言ったのだが、作曲家は作品が全てと言われて、教えてもらえなかったのである。実際上野美由貴は一切公の場には姿を見せていない。
 

立ち話も何だしということで、結局うちのマンションに来てもらった。私とコスモスがいると、普通のお店に入れば目立ち過ぎる。
 
政子はお目付役の佐良さんと留守番していたのだが、戻ってみると「ちょっとドライブしてきます」というメモが残っていた。居ないのは好都合である。
 
私は居間に赤ちゃん用の布団を出して来て敷く。洗濯済みのシーツを出してきて掛けた。
 
「そんなものがあるんですか?」
「いや、赤ちゃん連れの友人も多いので用意しているんですよ。一応毎回布団乾燥機は掛けてますが、他の赤ちゃんも使っているので、気になるようでしたら、タオルケットか何か出して来て下に敷きますが」
 
「あ、私は全然気にしません」
と言ってメロディーは赤ちゃんをその布団に寝せた。
 
「衛生とかに過敏になったら子育てなんてできませんよ」
などとメロディーは言っている。
「赤ちゃん、たくましいもんね」
とコスモス。
 
「女の子かな?名前聞いてもいいですか?」
「薫というんですけどね」
「源氏物語の薫大将だ!」
 
源氏物語で秋好(あきこのむ)中宮は六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の娘で、伊勢の斎宮を経て源氏の養女となり冷泉帝と結婚して中宮(皇后)に立つ。子供はできなかったものの、源氏の死後は冷泉院とともに源氏の遺児・薫の後見人となるのである。
 
つまり薫大将は秋好中宮の息子に準じる存在である。
 
「私の本名知ってる人からはみんな言われました。でも実は源氏物語のことは全然頭になくて。産んでから何て名前にしようかなと思っていた時、病室のデスクのところに栗本薫の小説が積んであって『あっ。薫って格好いいな』と思ったんですよ」
 
「栗本薫から来たんですか!」
 

「でも昔から思ってたけど、お姉さんは難しい名前なのに、妹さんは易しい名前ですよね」
と私は言った。
 
「それお互いにコンプレックスだったんですよ」
とコスモスが言う。
 
「お姉ちゃんは、なかなか自分の名前まともに読んでもらえなくて、絶対に誤読されない私の名前が良いといって」
とコスモス。
 
この姉妹は姉の秋風メロディーが伊藤秋好(あきこのむ)、妹の秋風コスモスは伊藤宏美(ひろみ)である。
 
「それで妹は、自分の名前はありふれてる。苗字もありふれてるのに名前もありふれてる。私の名前はめったにないから良いといって」
とメロディー。
 
「まあ確かに伊藤宏美は同姓同名の数が凄いだろうね」
 
「そうなんですよ。過去に同姓同名の人に8人会ったことあります。7人は女の子だけど1人は男の子」
「男の子で宏美もいるのか・・・」
 
「ファンレターでは多分30人以上見ました」
「そうだろうねー」
 
「お姉ちゃんの名前は最初本名でデビューさせてもいいくらいだって紅川会長は言っておられたんですよね」
とコスモスは言う。
 
「芸名だってお姉ちゃんの秋風メロディーは会長が1ヶ月くらい悩んで決めたもので総格31の大吉。私の秋風コスモスは会長が電話で聞かれて1秒で決めたもので総格27の凶なんです」
 
「まあ姓名判断なんて当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦ですよ」
 

2人の芸名問題について私は後で青葉に尋ねてみたのだが、ふたりの画数はこのようになっているらしい。
 
秋風メロディー 総31◎ 天18○ 地13◎ 人11◎ 外20□
秋風コスモス 総27△ 天18○ 地9△ 人11◎ 外16◎
 
つまり総格で見ると確かにメロディーは大吉でコスモスは凶なのだが、10-20代で重要な人格はふたりとも11画で大吉なので大きな問題はない。そしてふたりの名前で決定的に違うのが外格だというのである。外格は環境の良さ、周囲からの支援などを表す。これがメロディーは20で凶なのに対して、コスモスは16で大吉である。
 
これはメロディーは実力はあっても周囲の支援を得られないのに対してコスモスは実力は大したことなくても、みんなから助けられ、支えられて伸びていくことを表す。外格はアイドルとしてある意味いちばん大事な画数ですよ、と青葉は言っていた。
 
ちなみに上野美由貴は「天格14凶、地格26凶、人格20凶、外格20凶、総格40凶。ここまで酷い名前は珍しいです」ということである!
 

「でも薫ちゃん、可愛いですね。お母さんも美人だし、きっとこの子も美人に育ちますよ」
と私は言ったのだが
 
「あ、すみません。その子、男の子で」
とメロディー。
 
「ごめんなさい!」
「赤い服を着せているのはママの好みで。どうせ本人分からないから母親の好みで可愛いの着せちゃおうと」
とコスモスがコメントする。
 
「なるほどー」
 
「男の子で薫だとますます薫大将ですね」
「男の子じゃなくて男の娘だったりして」
 
「女装させるのもいいなあ。この子には女装の味を覚えさせようかな」
と母親が言っているので、私は
「やめときましょうよ〜」
と言っておいた。
 
「アクアみたいな男の娘って、やはり小さい頃から女の子の服をよく着せられていたのかな?」
とメロディーが言うので
 
「アクアは一応普通の男の子アイドルなんだけど」
とコスモスが言う。
 
「いや、あれは間違いなく男の娘だ」
「女装させたくなるほど可愛い男の子というだけで」
「でも女装が好きでしょ?」
「うーん。味をしめている気はするけど」
 
というふたりの会話を聞きつつ、私はコメントのしようがなく困っていた。
 

「そういえば、ここだけの話ですが、私、去年の春の北野天子のアルバムに、上野美由貴の名前で1曲書きましたよ」
と私が言うと
 
「あ、ごめんなさい!あの時は、つわりがきつくて無理ができなかったものだから。東郷先生に相談したら、君の名前で君っぽい作風で誰かに書かせるからと言われて、結局4曲、他の方にお願いしたんです。私、作曲に関しては東郷先生の門人くらいの立場なので」
 
「それが回り回って1曲、私の所に来たみたいですね。私は普通ゴーストライトは、しないんですけど、あの時は友人の作曲家が書く予定が急用が入って書けなくなったんですよ。それでピンチヒッターで」
 
「すみませーん!でも私自身他の人の名前でたくさん書いてましたが、自分が誰かに書いてもらったのはあれが初めてでした。でも私もゴーストライターの人脈ってどうなっているのか良くわかりません」
 
「私も分かりません。あまり深入りしない方がいいみたいだし」
「私はどっぷり浸かってしまっている感じで」
「まあ需要がありますからね」
 

「そうだ。去年ケイちゃんにお手数けたのなら、代わりに何か1曲書きますからアルバムか何かにでも使ってもらえません?」
 
「あ、それだったらKARIONのシングルに1曲いただけませんか?」
「いいですよ。名前は誰の名義にします?」
「ご自身のお名前で」
「じゃ、上野美由貴は契約的にいろいろ面倒なので、何か新しい名前で」
 
そう言って彼女が書いてくれたのが『君をずっと見つめていたい』という曲であった。名義は「阿木結紀」になっていた。本名の秋好(あきこのむ)とペンネーム上野美由貴の合成かな、と私は思った。
 
ちなみに「阿木結紀」は天格11大吉、地格21大吉、人格16大吉、外格16大吉、総格32大吉というすばらしい名前である。
 
それを青葉から聞いて、私はメロディーさん、こちらの名前の方が売れないか?と思ったのであった。
 

その秋風メロディーから提供してもらった曲を含むKARIONの新しいCDは2月下旬にトラベリングベルズの相沢孝郎さんが辞任し、代わりに妹の海香さんが加入した後、3月から企画を進めていた。
 
シングルという名目で実質ミニアルバムにしようという方針を固め、6曲入りにすることになる。森之和泉・水沢歌月で2曲くらい、櫛紀香・黒木信司で1曲のほか、樟南さんから年末に頂いていたのを1曲使い、広田純子・花畑恵三ペアに打診してみたら書いてくださるということだったので1曲お願いし、あと1曲、誰かにお願いできないかなと思っていた時に、ちょうどメロディーから楽曲提供の話があったので、お願いしたのであった。
 
楽曲のとりまとめと録音は春休み中にKARIONのツアーをしていた時期の平日に進め、5月中旬まで調整を進める同時にPVを制作。CD単体のものとDVD付きのものの2バージョンの形で6月に入ってからプレスに回した。
 
それを6月29日(水)に発売した。KARION26枚目のシングルである。前回のシングルは昨年の7月22日に発売しているので、約1年ぶりのシングル・リリースとなった。
 

当日は中野のスターホールでファン3000人と報道関係者を招待して発表記者会見ミニライブを行った。
 
この日の伴奏はごく普通の「拡大版トラベリングベルズ」である。
 
ギターMIKA ベース HARU ドラムス DAI サックス SHIN トランペット MINO という基本メンバーに、キーボード 春美 グロッケン 響美 ヴァイオリン 夢美 フルート 風花 というメンツが加わっている。
 
新参のMIKAも春休みのツアーですっかり他のメンバーに溶け込んでいる。
 
春美と夢美は曲によってはお互いのパートを交換する(大変な方を夢美が弾く)。風花も曲によってはキーボードを弾く。なお、春美というのはスリーピーマイスのLCこと穂津美のKARIONでの名前である。響美は夢美の姉である。
 

幕が開くとトラベリングベルズの前奏が流れ始めると同時にKARIONの4人が舞台袖から自転車で登場する。この演出に観客が大いに沸く。4人は自転車を降りて歌い出すが、衣装は身体に密着するバイクウェアにヘルメットもかぶったままである。
 
最初の曲『ぼくの自転車』に合わせた演出であった。
 
なお、ウェアの色彩はいつものように4人のパーソナルカラーを使っている。和泉が赤、私がピンク、小風が黄色、美空が青である。
 
この曲のPVをステージの端に積んだマルチモニターでも流した。私たちKARIONの4人がこの日ステージで着たのと同じ配色の密着スーツを着て自転車で走っている様子も撮影しているが、ほかに学生服を着て男装した品川ありさが、セーラー服の女の子を後ろの荷台に載せて自転車で走っているシーンがたくさん映っている。これが観客にかなりどよめきを起こしたのである。
 
歌い終わってから全員ヘルメットを脱いでから、和泉が説明する。
 
「みなさん、新曲発表記者会見ライブにお越し下さり、ありがとうございます。最初にタイトル曲の『ぼくの自転車』を聞いて頂きました。ちなみに今映っていたPVに出ていた男の子は品川ありさちゃんですね。彼女はローズ+リリーの『ペパーミント・キャンディ』でも男装していましたが、男装がよく似合いますね。男の子になりたいとか思ったことない?と訊いたら、自分にもその内、おちんちんが生えてくるものと小さい頃は信じていたと言っていました」
 
観客の中に結構うなずく顔がある。こういう女の子は時々いるものである。
 
「ちなみに事務所の後輩のアクアに『おちんちん要らないなら私に譲ってくれない?代わりに私のおっぱいあげるから』と言ったら、アクアはかなり悩んでいたとか」
 
と和泉が言うと、会場に笑い声が漏れるが、同時にかなりざわめく。
 
「ちなみに今の映像で後部座席に座っていたセーラー服の子はアクアに似てますけど、アクアではありませんので」
 
という和泉の声に、安堵するようなため息があちこちから漏れる。
 
みんな、アクアみたいに見えるけど、本当にアクアが女装して出演しているのだろうか?と疑問を持ったようであった。
 
「この子の正体については、今日の夕方7時半からΛΛテレビで放送されます『そっくり・とっくり・びっくり』をご覧下さい」
と和泉は言った。
 
実はこの情報の管理にはひじょうに神経を使ったのである。今日のライブで正体を明かしてしまうと、番組のネタバレをしてしまうことになる。しかし番組はある程度前宣伝をして視聴率を稼ぎたい。それでこの日の同番組の予告には
 
《あの超人気アイドルの超そっくりさん登場》
 
という曖昧な書き方がされていた。それがこのKARIONのライブが終わる前にネットには《今日の『ソクトビ』にアクアのそっくりさんが出るらしい》という情報が流出していた。誰かが会場内から発信したのは明らかだが、この日の警備では、会場内で情報機器を使用している人を発見できず、警備態勢の課題としてあげられた。
 

会場内最前列に並んでいる報道陣からの質問に和泉が主として答える。
 
内容は主として曲自体に関するものや、今回の「実質的にミニアルバム」の編集コンセプトなど、またKARIONの今後の活動予定などであったが、海香さんにも質問が入った。
 
「海香さん、性転換おめでとうございます」
「ありがとうございます。女の身体はいいですね。記者さんも性転換してみませんか?」
「20年くらいしたら考えてみます」
 
と軽いジャブを交わした上で
 
「ご実家の旅館はいろいろ改修をなさっているようですね」
と尋ねられる。
 
「おかげさまで。話題になったことから引き合いが多くて、予約が大量に入っているんですよ。それでまずは自家発電の設備を設置しましたし、それに続いて現在太陽光パネルの設置も進めている所です。また電話会社および自治体と話し合って高速無線回線の中継基地を建てることになり、これは年内には完成する予定ですので冬には間に合います」
 
「大量に予約が入って、さばききれないということは?」
 
「新館を建ててますので大丈夫のはずです」
「新館はいつできるんですか?」
「8月1日(月)引き渡し予定です。役所の検査を受けて8月5日(金)から使える予定です」
 
実際には一週間前の7月25日引き渡し予定である。何かあったらまずいので一週間の余裕を見て8月5日以降の宿泊客の分から予約を受け付けている。実は大阪の学習塾から8月5日(金)〜14日(日)という日程で合宿の予約が入っている。確かにこんな山の中だと遊ぶ場所もないので、勉強に集中するしか無い。新館は全室個室バス付きなので、大浴場が苦手な現代っ子にも助かる。
 
「ずいぶん早い建設ですね」
「ユニット工法ですから。それに基礎工事は実は数年前に行われていて、その時は建築会社が倒産したので、工事が中断してしまったんですよ」
 

またKARIONの楽曲の方に戻っていくつか質問が出た後、2曲目に行く。
 
2曲目は櫛紀香さんが詩を書き、SHINが曲を付けた『雨のメグミ』である。自転車を片付けて、代わりにまたパーソナルカラーの傘を持って歌う。バックスクリーンに雨が降る様子を後ろ側から投影する。
 
また、ステージ中央に小さい小屋があり、この曲の間奏の間にKARIONのメンバーがひとりずつその小屋の中に入ってはドレスに着替えて出てくるという演出をした。そのため、今日のこの曲の間奏は通常バージョンよりかなり長いものになっていた。
 
なお、この曲はダブルミーニングになっていて、櫛紀香さんが福島県田村市で農業をしながら書いた、まさに雨の恵みで作物が育つとともに、明記はしていないものの放射能も洗い流してくれることを示唆している一方で、雨の日にメグミという名前の女性に会って心をときめかしている様子も歌われているのである。
 
この曲のPVでは実際に櫛さんが農作業をしている様子の映像も入っているが、雨の中を歩く後ろ姿の女性の姿も映っている。
 
歌い終わった後の記者からの質問で
「あの女性は誰ですか?」
というのが出てくるが
「元Parking Serviceのテルミさんです」
と和泉は答える。
 
テルミさんには2014年夏のKARIONツアーにも参加してもらっている。Parking Serviceを辞めた後は一時引退していたのだが、2年前のそのツアーをきっかけに、ぼちぼちと活動を再開し、最近は全国各地のライブハウスを回るツアーなどもしているようである。
 
「ただし」
と和泉は言った。
 
「1カットだけ、櫛紀香さんご自身の女装があります」
 
この発言に「え〜〜〜!?」という声が会場からあがる。
 
「DVDを買った方はよくよく見てくださいね」
と和泉は笑顔で付け加えた。
 
「ちなみに紀香さんに『女装好きでしょ?』と言ったら『あまり唆さないでください』と言っていました」
 
櫛紀香の女装写真は大学生時代に友人に乗せられて女装したものが流出したことがあるものの、酷い女装写真で、あれは黒歴史にしてくれと本人は言っていた。今回はスタイリストさんに服を選んでもらっているし、そもそも後ろ向きである!
 

3曲目和泉・歌月の『紫色のダリア』、4曲目広田・花畑の『恋はスローイン・ファーストアウト』、5曲目の樟南『パンダとペンギン』と進む。
 
この樟南さんの曲には記者から質問が来た。
 
「今の曲、パンダとペンギンって唐突にサビで連呼されているだけのように思ったのですが、何か意味があるのでしょうか?」
 
「パンダ、ペンギンというのはインターネットの検索サイトgoogleで検索用のデータを作る時の、ウェブサイトの評価方法の名前なんだそうです」
と和泉が答える。
 
「そんな名前が付いているんですか!」
「ですから、自分は男の子たちに評価されてないみたい、というのでペンギンやパンダに恨み言を言っているんですね」
 
「なるほどー」
 
「ちなみにパンダというのは、中身を充実させることを要求し、ペンギンというのは、友達が少ないことを評価するらしいですよ」
 
「少ないのがいいんですか!?」
「誰にでも好かれる人は、中身が無いというのがgoogleの見解だそうで」
「へー!」
 
実際にはいわゆる「SEO対策」でお金を払ってあちこちのサイトからリンクを張ってもらったサイトが増えすぎたため、目に余る低質リンクの多いサイトの評価を極端に下げたのである。これは世界中のWeb管理者に衝撃を与え、大手のサイトではリンクタグにrel="nofollow"という記述を入れて「このリンクは相手サイトを評価して張っているものではないから評価の計算には入れないでくれ」とgoogleに主張する対応に追われた。対応できずにリンクコーナーをまるごと削除したサイトもあったようである。
 
「少数精鋭の友人を持つ人が本当に素敵な人ということで。恋愛もそうですね。男の子がいくらでも寄ってくる女の子は、いろいろ問題のある可能性があります。恋愛はただ1人の人に愛してもらえたらいいんですよ」
 
「それは男でも女でも言えてます!」
 

最後に演奏したのが阿木結紀作詞作曲『君をずっと見つめていたい』である。
 
阿木結紀さんは丁寧にトラベリングベルズの構成に合わせたバンドスコアの形まで作って送って来てくれたので、私たちはほとんど修正せずにほぼそのまま演奏することができた(フルートとヴァイオリンのパートだけ追加した)。私や和泉は普通に2オクターブちょっとの声域で歌っているが、小風と美空は各々の声域の最低音から最高音まで使われていて、音源制作の時は小風が
 
「この曲きつーい」
と言っていた。
 
「でも出るでしょ?」
「うん。出ることを忘れていた」
 
美空は最初スコアで指定されていた最低音のG3が出ないと言った。
 
「A3までしか出ないよぉ」
と本人は言うが
「いや美空は以前歌った『水曜日は焼きそば』でちゃんとG3を歌っていた」
と私は指摘する。
 
「それ美空が書いた歌じゃん」
「頑張れ」
 
かなり頑張っていたもののなかなか出ない。
「性転換したら出るようになるかな」
「美空が性転換したら社長とお父さんがショック死すると思う」
「どっちのお父さん?」
「両方!」
「じゃ頑張るか」
 
結局半日近く頑張って、景気付けに焼きそばを8人前平らげたら出るようになった!と喜んでいた。
 
「これで性転換しなくても済んだ」
 

『君をずっと見つめていたい』自体は美しい曲である。MIKAさんのギターが静かにリズムを刻み、SHINのサックスは4人の歌を補うように、長く伸ばす音符の所に装飾音を入れていく。
 
4人のハーモニーを美しく響かせ、曲の盛り上がりととともに、音程はどんどん高くなっていき、私と和泉はいわゆるHigh-Fを超えるG6の音を一瞬だけ歌う。この間小風が一時的にメロディーを歌うので、この部分は小風が張り切っていた。
 
最後はSHINのサックスと風花のフルートの掛け合いのコーダを演奏して終了である。
 

演奏終了後は希望者全員にサインを書いた。来場した人のほぼ全員が希望した!(飛行機などの都合や、子供を保育所に迎えに行く時間などで、どうしても無理だった人もあるようである。理由の明確な人には後日書いたサインを郵送する対応も取った)
 
今回のサイン会の方法としてはこのようにした。
 
最初に今回のイベントに応募する段階で登録してもらっていた「誰々さんへ」という宛名を、あらかじめ日付および管理番号と一緒に印刷した色紙を来場者分3000枚用意する。それを会場で受け取って私たち4人の前に並んでもらう。
 
並ぶ順序もこの色紙に印刷した一連番号順である。トイレで中座しても元の所に戻れるので、実際にはロビーに展示してあるKARIONの過去のライブ写真や歴代のCDジャケット、またPVなどを見学していて、そろそろかなというタイミングで並べばよいということになった。
 
KARIONの4人は並んでいる人から見て左から小風・和泉・蘭子・美空の順に座っている。例えば和泉の前に並んだ人は最初に和泉に書いてもらい、その色紙が私に渡され、私が自分の分を書き美空に渡す。美空も自分の分を書き、後ろにあるベルトコンベヤに乗せる。それが小風の所に運ばれてきて、小風が最後に自分の分を書き、客と握手して渡す。
 
つまり、小風と握手したい人は和泉の前に、和泉と握手したい人は私の前、私と握手したい人は美空の前、美空と握手したい人は小風の前に並んでください、という案内をしたのである。
 
なお、最後のほうの数人は長時間待ってもらったしということで、サービスで全員と握手できた。
 
希望者が全部はけるのに3時間近く掛かった。1人平均750人と握手したことになるが、握手する側もなかなかの重労働であった。ライブより疲れた!
 

「疲れた〜。焼肉食べたい」
と美空が言う。
 
「今日の打ち上げはしゃぶしゃぶのつもりだったんだけど」
と畠山社長が言うと
 
「しゃぶしゃぶ大好きです!」
と美空は慌てて言っていた。
 
またこの会場限定で発売した今回のCDの《英語歌詞版》は1人最大2枚までと数量限定にしたものの4000枚も売れた。つまり2枚買った人がどんなに少なく見ても1000人は居たことになる。
 

その日の夕方のテレビ番組『そっくり・とっくり・びっくり』は凄い視聴率になったようである。番組は有名人のそっくりさんが出てきて、何か芸をしてみせ、タレント審査員さんたちに点数を付けてもらい、優勝者には豪華な賞品が当たるという仕組みである。(最後はダーツなのでうまく行けば海外旅行や宝石などがもらえるものの、ダイソーで買った『とっくり』になる場合もある)
 
なお出演者は美容整形などで似せているのではないことを、直前に美容外科の医師の診察を受けてチェックされることになっている。
 
この日は安倍総理のそっくりさんに始まって、女優・天見信子のそっくりさん、演歌歌手・吉野鉄心のそっくりさん、などと続く。途中、谷川海里のそっくりさんが出てきて、かなり上手い歌を披露したのがどうもチャンネルを替えられるの防止という感じもあった。そして最後に出てきたのが、事前にネットで情報が流れていた通り、アクアのそっくりさんである。
 

その子は『ねらわれた学園』で高見沢みちる役をしたアクアが着ていたのと同じようなセーラー服を着て出てきた。
 
アクアの最新ヒット曲『眠る少年』を歌う。その歌い方がとっても可愛い。本家より可愛いくらいだが、まあ本家は男の子なので仕方無いところだ。
 
歌い終わった所で大きな拍手がある。歌はまあまあである。音痴ではないが、アイドル歌手として売るのにも辛い程度の歌である。
 
近寄って来た司会者の《先割れフォーク》のマツ也とスキ也が彼女を紹介する。
 
「秋田県から来た、尾崎マリヤちゃんである」
 
本人がお辞儀をし、また拍手がある。
 
「でも君、可愛いね!」
「歌もうまいし。俺、嫁さんにしたい」
「ありがとうございます。お嫁さんはパスで」
 
「あんた、ハルラノ桜のそっくりさんだっけ?」
とマツ也から訊かれてスタジオが爆笑になる。本人は困ったような顔をしている。
 
スキ也が
「何言うてんねん?アクアちゃんのそっくりさんだよね?」
とフォローするので
 
「はい、そうです」
とその子は答える。
 
「その衣装はどうしたん?」
「通販で買いました。ほぼ同じような感じのを売ってるんです」
 

そのあと少し会話してからマツ也が腕を組んで考えている。
 
「ところであんたの性別は?」
「男です」
 
「え〜〜〜〜〜〜!?」
という声がスタジオに響く。これは台本ではなく本当にスタジオ見学者や出演しているタレントさんたちを驚かせたようである。
 
「じゃ、あんた***付いてんの?」
とマツ也。***の部分は編集で消されていた。
 
「付いてます」
「声は女の子みたいな声やね?」
とスキ也。
 
「発声法ですよ。私、女声で歌った歌をたくさんkoebuとかニコ動に投稿してますよ」
 
「凄いね。去勢してる訳じゃないのね?」
「去勢しようかどうか随分迷った時期もあったんですけど」
「今からでも遅くないで」
「うーん。でも手術代高いんですよ」
「女装するのは好きなの?」
「好きです。よく女装外出してます」
「女の子になりたいんだっけ?」
「それは男のままでいたいんですよ」
 
「あれ?マリヤというのは芸名?」
「本名です。本当は鞠矢、鞠つきの鞠に、弓矢の矢と書くんです」
 
「なるほど。漢字で見たら男名前だね」
「女装する時はカタカナにして。私けっこうカタカナのマリヤで通してるんですよね〜」
「この髪は?」
「すみません。ウィッグです。この長さで学校に行ったら叱られるので」
「自分は女になりたいから伸ばしますと宣言すれば?」
「それやると数年以内に性転換手術受けることになっちゃいそうで怖いです」
「受ければいいやん。女になったら嫁さんにしてやってもいいで」
 
「ほんとですか?」
 

プロデューサーから「そのやりとりはやめろ」という指示があったようで話題を変える。
 
「でも歌がうまければいいのにね」
「すみませーん」
「この可愛さで歌もうまかったらアクアと入れ替わってもバレん」
「私、音楽の成績、いつも1とか2ばかりでした」
「まあ、この歌じゃ仕方無い」
「それを除けば本人より可愛い」
 
などといったやりとりがあった上で
「それでは採点を」
となる。
 
結果は審査員全員が10点をつけ満点で今日の優勝者となった。
 
それでダーツに挑戦する。今日のダーツの最高商品はフロリダ・デイズニーランドへの旅だったのだが、マツ也がマジックを持って来て
 
《タイへ性転換手術の旅》
 
と書き換えてしまう。
 
「え〜!?」
と本人は困ったような様子。
 
「ここに当たったら、潔くタイに行って身体治してきなさい」
 
「うーん。じゃ当たったら潔く行ってきます」
「よし」
 
それでダーツを投げるが、ダーツは見事に《とっくり》に当たり、ダイソーで買ってきた100円の徳利を渡されていた。
 
「あんた未成年だっけ?」
「お父さんにあげます」
「だったらいいか」
「性転換手術代は大人になってから自分で稼いで貯金して」
「貯金してチョッキンしてもらう訳ね」
 
などと最後は使い古されたジョークで締めていた。
 

「あんなそっくりの子が出てきたら、ボクお役ご免になっちゃうんじゃと、ひやひやしながら見てましたよ」
 
と翌日ちょうど§§プロからの書類をお使いで持って来てくれた西湖が言っていた。
 
「あの子、背が高いからね」
とPV撮影の現場に立ち会っていた私は言う。
 
「そうらしいです。聴いたら172cmあるんですって」
「だったら156cmのアクアのボディダブルにはなれない」
「そうですよね。でも去年の1月に『ときめき病院物語』の撮影が始まった時はアクアさんが155cm, ボクが153cmだったんです。今はアクアさんが156cmでボクが158cmで」
 
「2cmの差なら問題無いね」
「でもこれ以上ボクが成長しちゃうと代役は務められなくなっちゃいます。アクアさんは身長伸びないのかなあ」
 
「アクアは去勢してるんだから、もう身長は伸びないと思うよ」
と政子が言う。
 
「アクアさん、いつの間に去勢したんですか?」
「西湖ちゃんも去勢するといいよ」
 
「えー?どうしよう。悩んじゃう・・・」
 
と西湖はマジで悩んでいたので、彼が帰った後で、私は事務所に電話して西湖がアクアの生殖器のことで誤解したような気がするので、早まったことをしないように気をつけてあげてと田所さんに伝えておいた。
 

6月下旬に北海道のラベンダー畑を見に行ってチェリーツインの陽子・八雲に会った後東京に戻ると、私は八雲たちから言われた『夏の少年・冬の少女』をはじめ他にもいくつかの曲のスコアを起こしてくれないかと博美に電話して頼んでみた。すると
 
「やるやる!」
と言って彼女はマンションに飛んできた。
 
「いやあ、最近ヒマをもてあましていて」
「そんな気がした」
「結婚するからといって早く退職しすぎたかなあと反省している」
「いや、それは辞められる時に辞めておかないと、いざなると仕事の区切りが付かなくて辞められなくなっちゃう場合もあるから」
「そうだよね!」
 
博美は私や政子の大学時代の友人で、大学を出てから都内の企業に就職していたのだが、昨年末に彼氏からプロポーズされ、結婚することを決めてその準備のためこの3月いっぱいで会社を退職した。2年間お仕事をしたことになる。
 
「Cubaseは使ったことあったっけ?」
「勉強する!フリーのMIDI入力ソフトなら使ったことあるんだけど、そういう本格的なのはやったこと無かった。ガイドブックとかあるかな?」
「ガイドブックよりここのサイト見ながら勉強した方がいい」
と言ってURLを教えてあげる。
 
「バンドスコアとかが読める人なら、使い方自体は3日もあれば覚えられると思うから、それで最初は適当な唱歌か何かをポップロックに編曲しながら入力してみるといいよ。実際に何度か試行錯誤しておかないと、なかなか要領がわからないんだよね」
 
「ああ、ソフトってそういうもんだろうね」
「最初は一週間くらいかけて作ったデータを全部廃棄して、新たに入力し直してみたいな試行錯誤をすることになると思う」
「やりそう、やりそう」
 
「音はCubaseに内蔵されている楽器でかまわないから。作ってもらったMIDIをそのまま製品に残すわけじゃなくて、あらためて生バンドで演奏するから。実際、MIDI作りの時に、楽器の音にこだわりはじめると、それだけで一週間飛んでしまうからさ」
 
「ああ、ありがち」
 
「このスコア起こすのは7月いっぱいまでに仕上がればいいから」
「了解。頑張る!」
 
私はその場でCubaseの最新版をダウンロードしてアカウントを1個買い、博美の名前で登録して、取り敢えず手持ちのキーボードも1個貸した。
 
「少し慣れた所でキーボードは自分の好みのを買えばいいよ。その費用もこちらの経費で落とすから」
 
と言っておいた。
 

アクアが出演(主演ではない)している『ときめき病院物語II』の放送は6月で前半が終了し、7月からは後半に入る。撮影の方は昨年はいろいろ予定外の事態が発生して8月いっぱいまで掛かったのだが、今年は順調に進んでいるので予定通り7月いっぱいでクランクアップの予定である。8月からは『時をかける少年』(仮題)の撮影が始まる予定である。
 
物語は昨年の放送ラストシーンで研修医前山(倉橋礼次郎)が新人看護師峰子(沢田峰子)に告白して「はい」と峰子が答え、ふたりがキスした所を受けて今シーズンではふたりが交際している前提で、今年転任してきた小児科医亜旗子(宮田黎子)が前山に横恋慕して何かと前山を誘惑しようとし、その亜旗子に、気の弱いレントゲン技師・津村(西城康晴)が憧れて結果的に便利に使われている、という状態で、この四角関係がメインストーリーである。
 
一方でアクアをめぐる四角関係は昨年の状態のまま進行している。
 
院長の息子・佐斗志(アクア)は舞理奈(馬仲敦美)と曖昧な関係を続けており、舞理奈の兄の純一(岩本卓也)は佐斗志の妹の友利恵(アクア)と恋人同士である(昨年純一が友利恵にキスしてふたりは恋人宣言をした)。
 
そして7月1日の放送で、この若い方の4人の関係に重大な転回点が発生した。
 

純一の両親が箱根の別荘に週末行くことにし、純一・舞理奈の兄妹も父と一緒にそこに行くのだが、院長一家も誘った。
 
病院の経営者という立場上あまり勤務地を離れたくないと思ったものの、副院長が「週末は私が詰めてますから大丈夫ですよ」と言ったので、佐斗志・友利恵と一緒に行くことにしていた。
 
ところが出かけようとしていた時に、大きな事故が発生して多数の怪我人が運び込まれてくる。佐斗志たちの両親はその対応のため旅行を中止する。しかし中高生の佐斗志と友利恵は別に患者対応には役に立たないし、私たちが面倒見ますよと純一の母が行ったので「じゃお願いします」ということで、2人だけ付いていくことになった。
 
そして別荘での夜。食事が終わり、入浴も終わり、もう寝ましょうと言っていったん部屋に入る。ここで部屋割は、純一の両親が1階の和室、純一と佐斗志の男組が2階の洋室A、舞理奈と友利恵の女組が2階の洋室Bである。
 
ここでもう夜も12時近くになった時、純一が佐斗志に言うのである。
 
「僕は向こうの部屋で友利恵ちゃんと一緒に過ごしたい」
 
その言葉に対して佐斗志は少し考えてから答える。
 
「友利恵はまだ中学生なんだ。セックスはしないで欲しい」
「うん。セックスまではしない」
 
それで純一は友利恵の携帯に掛けて同意を得た上でそちらの部屋に移動する。
 
そして追い出されたかっこうになった舞理奈が純一の部屋に入ってきた。
 
「私、この部屋で寝ていい?」
と切ない目で見ながら言う舞理奈(馬仲敦美)に佐斗志(アクア)は焦りながら答える。
 
「僕は1階の居間のソファーで寝るから、舞理奈ちゃんがひとりでここを使ってよ」
「佐斗志君が居間で寝てたら、結果的にお兄ちゃんと友利恵ちゃんが一緒に寝たこともバレちゃうよ。だから今夜のことはこの4人の共犯だよ」
 
「うん。じゃ、そっちのベッド使って。僕、こちらのベッドで寝るから」
「一緒のベッドじゃダメ?」
 
そう切ない表情で舞理奈が言ったところで画面はもうひとつの部屋の方に切り替わる。そちらでは純一と友利恵が見つめ合っているシーンから、やがて抱き合い、純一(岩本卓也)はそのまま友利恵(アクア)をベッドに押し倒した。
 
そこで「続く」の表示である。
 
 
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【夏の日の想い出・瑞々しい季節】(2)