【夏の日の想い出・若葉の頃】(2)

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「そして歌っているのは、私、ケイと」
「私、マリです」
 

ここで拍手があり、次の曲に行く。
 
前半は電気楽器をほとんど使わないアコスティックタイムである。『たまご』・『ダブル』と最近発表した重厚なサウンドの曲を演奏し、そのあと超絶ヴァイオリン六重奏のある『花園の君』で聴衆を圧倒する。更にダンサーを入れて龍笛の音が美しい『女神の丘』を演奏する。更に『Heart of Orpheus』、『幻の少女』とたたみかける。
 
『Tu es bell - 君は美しい』で箸休めした後、前半の最後は多数の和楽器をフィーチャーした上に、ヴァイオリニストも10人並べた『振袖』を演奏する。この10人は今回ヴァイオリン専門で入ってくれている6人に、鷹野・宮本・香月の3人に更に長丸穂津美(LC)も参加してもらったものである。
 
穂津美さんはピアノが巧いのだが、実はヴァイオリンもかなりできる。彼女には第7ヴァイオリン鷹野さんの次の第8ヴァイオリンに入ってもらった。最初彼女にスコアを見せたときは
 
「これ10本のヴァイオリンが全部違う譜面を弾くわけ〜〜!?」
と言って驚いていた。
 
驚いていたというより呆れていた感じもあった。
 
「まあ、こういうアレンジができるケイって実は天才なのかも知れん」
とアスカが言うと
「いや、ケイは天才ではなくて変態です」
と鷹野さんが言い、穂津美さんはそちらに賛成と言っていた。
 
ちなみに穂津美さんはスリーピーマイスでは顔を隠しているが、KARIONやローズ+リリーのライブに伴奏で参加する場合は、これまでも顔はさらしている。
 
従って、今日のライブで顔を隠しているのは《謎の男の娘》さんだけである。
 

『振袖』を演奏して私が和楽器の演奏者を紹介した後は、ゲストコーナーとなって私たちは休憩する。今回のツアーでは震災復興イベントでもゲストと進行役をしてくれた品川ありさがツアーに帯同して毎回この幕間の時間に歌ってくれることになっていた。
 
私たちは彼女の歌をモニターで聞きながら前半のライブで汗を掻いた下着を交換し、後半用の衣装を身につける。
 
「だいぶ悲鳴があがってましたね」
と今回のツアーにずっと帯同してくれるイベンター・★★クリエイティブの山岸さんが言う。
 
「スマホですか?」
と風花が尋ねる。
 
「です。ちゃんとスマホや携帯の電源はお切り下さいと注意してますからね。切っていなかった人が悪い」
 
「まあ破壊力が凄いよね」
「ヴァイオリンの弦も前半だけで3回切れましたね」
 
「アスカさんのが2回と真知子ちゃんのが1回切れました。アスカさんが切れた時は、真知子ちゃんが自分の楽器渡して、真知子ちゃんはソナタちゃんの楽器を受け取って弾き続ける」
 
「オーケストラで弦が切れた時もそういう方式ですよね」
「ですです」
 
「まあそれで私が頑張って弦を張り直す」
と自分は出演していないもののツアー全部に帯同してくれる夢美が言う。
 
「夢美のヴァイオリンのFloraも活躍したね」
「うん。あれだけトラブル起きればね」
 
「3度目の弦切れの時に私が受け取ったヴァイオリンですよね?」
と佐藤典絵さんが言う。
 
「そうそう。弦の張り替えが間に合わなかったから」
「あれどこのですか?すごく弾きやすいと思った」
 
「下倉ヴァイオリン社だよ。たぶん100万円くらいの品」
「嘘。国産ですか?」
「E.H.Rothってドイツの工房だよ」
「へー。何か400-500万円のヴァイオリンかなと思った」
 
「あれは冬が6年くらい弾いた後、私が譲り受けてまた6年くらい弾いているから」
と夢美が言う。
 
「上手い人が弾いた楽器は進化してるのよね」
と真知子ちゃん。
 
「修理の跡もありますね」
「うん。演奏中に天井から物が落ちてきてさ」
と私が言う。
 
「ひゃー」
「それでネックが折れちゃったんで交換したんだよ」
「そんなこともあるんですねー」
 
「まあ建物が崩壊しないだけマシかな」
とアスカが言うと
 
「海道天津子さんと川上青葉さんが弾くと、地球が爆発しそうだよね」
と七美花が言うが
 
「まあ、そのくらい普通だね」
と七星さんは言っていた。
 

品川ありさの歌が終わると後半のステージが始まるが、最初は静かに演奏が再開される。『雪を割る鈴』である。
 
長袖にロング丈のサラファンを着た竹下ビビと松野凛子の静かなダンスを背景に、月丘・山森のダブルキーボード、アスカ・真知子・ソナタのヴァイオリン三重奏、久本照香のフルート、上野美津穂のクラリネット、七美花の篠笛、線香花火の干鶴子(えつこ)のバラライカと杏菜のバヤン。
 
干鶴子さんは本当に器用な演奏者で、ヴァイオリン・フルート・トランペット・フレンチホルン・ピアノ・グロッケンと様々な楽器を弾きこなす。また新しい楽器を覚えるのも早い。それで私がバラライカを弾ける人を探していた時に、「あ、私が練習して参加する」と言ったのでやってもらったのである。フルートを早い時期から相棒の杏奈さんにお願いしていたので、結局線香花火の2人がそろってローズ+リリーのツアーに参加してくれることになった。干鶴子さんはロシア人のバラライカ奏者の集中レッスンを3ヶ月間受けてバラライカを弾きこなせるようになったらしい。
 
「冬が高校生時代はオーケストラの女子中高生3人組と呼ばれていたのにね」
などと杏奈が言うと
 
「そのあたりも詳しく聞きたい」
と政子が興味津々であった。
 

『雪を割る鈴』は前半がスローテンポで、後半がアップテンポに切り替わる。その合図となるのが「鈴を割る」演出で、今日の鈴割り役は沖縄のローカル・アイドルの子にお願いした。
 
地元のラジオなどにもよく出演していて現地では知名度のある子なので結構な歓声があがっていた。
 
この「鈴割り」を境にしてライブは後半のリズミックタイムに入る。
 
松野・竹下はキャミソールとミニスカの衣装に替わっている。バラライカとバヤンも元気に音を奏でる。曲は会場とともに一気に盛り上がって終曲まで行く。
 
大きな拍手の中、私は鈴割りをしてくれた子、そしてバラライカ・バヤンの演奏者を紹介した。
 
その後は上島先生の『風神雷神』、そして最新シングルから『ちゃらんぽらんな恋』と続ける。この曲ではヤフオクで入手した、筥崎宮のちゃんぽんを品川ありさに吹いてもらったが、楽しそうに吹いていた。
 
そして、バックスクリーンに摩天楼の写真と私とマリがハングライダーで滑空している様子を映し出しながら『摩天楼』、新宿西口の映像を背景に『仮想表面』、そして『Flying Singer』『トップランナー』と続けた後、会場の天井に3D映像を投影して『影たちの夜』、更に『コーンフレークの花』と進む。
 
『コーンフレークの花』では、松野・竹下コンビが最初は《琉装》で出てきたので歓声があがる。そしてふたりは曲の進行に合わせてそれを脱いで白いドレス姿、最後はビキニ姿で踊ってくれた。
 
私がダンサーのふたりを改めて紹介すると
 
「ビキニで終わり?」
という声が客席から掛かる。
 
「それ以上やったら逮捕されるからね」
と言ってかわしておく。
 
「ちなみに2人とも男の娘じゃなくてふつうの女性だからね」
とも言っておく。
 

ふたりが曲の途中で脱いだ琉装とドレスを回収するのに、風花と夢美が入ってくる。そして2人は私とマリにお玉を渡した。
 
「そういう訳で最後の曲です」
と私が言うと
 
「え〜〜〜!?」
という声が帰ってくる。
 
「では行きます。『ピンザンティン』」
 
拍手とともに、会場で多数の観客がお玉を振っている。私たちもそれに合わせてこの楽しい食の讃歌を歌って行った。
 
「サラダを〜作ろう、ピンザンティン、素敵なサラダを」
「サラダを〜食べよう、ピンザンティン、美味しいサラダを」
 
そしてこの曲の終曲とともに幕が下りる。私たちはお玉を左手で振りながら右手でバイバイをした。
 

幕が降りきると同時に拍手がアンコールを求める拍手に変わる。
 
私はシークァーサー・ドリンクをコップ1杯飲む。マリは用意してもらっていたA&Wのハンバーガーにかぶりついている。そのマリがハンバーガーを食べ終わったところで私たちはまたステージに出て行く。
 
アンコールの拍手がやむ。
 
「アンコールありがとうございます」
 
普通の拍手と歓声が返ってくる。
 
「アンコールしてもらうと、本当にまた活力が出てくる思いです。歌手をやってて良かったぁと思う瞬間ですね」
と私。
 
「でも沖縄大好きですよ。今もアンコールしてもらっている間にA&Wのハンバーガー1個食べたんですが、これを食べるのも楽しみで」
とマリ。
 
「ゴーヤーチャンプルー食べた?」
と声が掛かる。
 
「昨夜食べたよ。タコライスも食べたし、ちゃんぽんも食べたし」
「まあマリは食べ歩きするために歌手をしているようなもんだね」
「うん、私の最大の目的はそれ」
 

「アンコールしていただいたので1曲演奏します」
 
と私が言うと大量の演奏者が入ってくる。彼らが位置に付いた所で近藤さんからOKのサインがあるので
 
「それでは聞いてください。『門出』」
 
《謎の男の娘》さんの龍笛と七美花の笙の音が響き、他の楽器も音を奏で始める。前奏を16小節聞いてから、私たちは歌い始める。
 
「朝日がまぶしくたっていいんじゃない?」
「隣で狐が鳴いていたっていいんじゃない?」
「私は旅立つ。新しい生き方を求めて」
 
私とマリは最初はユニゾンで歌い出すが、すぐにメロディーをマリに任せて私はハイトーンまでラララで上がっていき、最高音のE6に到達する。一時的にまた私がメロディーを歌うが、またまたマリにメロディーを任せて私の歌はどんどん音を下げて行き、最低音のC3まで到達する。この音は私が(女声で)ぎりぎり出せる最低音である。私はこの曲を出すまで長いことこの音を使っておらずE3までしか歌っていなかったのだが、千里は「確か冬ってC3も出せたよね?」と言って、この譜面を渡した。
 
1番(AB)サビ・2番(AB)と演奏してから間奏に入る。
 
龍笛とフルート、笙とサックス、琵琶とギターの掛け合いが入れ替わりで行われる。私とマリは目をつぶってそれを聞いている。やがてトランペットが響いて私たちは3番の歌詞を歌い出す。
 
そしてサビを経て曲は新たなメロディー(C)に入り、更にDメロまで行く。このDメロは全部マリがメロディー(C4〜E5)を歌って私はほぼオクターブ上のA4〜E6付近で装飾的に別のメロディーを歌っている。そして一瞬私はF6の2分音符を歌い、そこからふたりでサビを三度唱する。
 
このサビを2度繰り返し、1回Aメロを歌ってからサビを再度歌って私たちの歌唱は終了。コーダを16小節演奏して演奏終了する。
 
232小節、7分44秒も掛かる長大な曲である。
 
その長い曲が終わるとともに物凄い拍手がある。私たちは深く観客にお辞儀して退場する。他の演奏者も一緒にステージを去る。
 

またもやアンコールの拍手が来る。
 
私とマリの2人だけで出て行く。
 
「本当にアンコールありがとうございます」
拍手が来るのを心地よく受け止める。
 
「それでは本当に最後の曲です。『あの夏の日』」
 
スタッフがグランドピアノをステージ中央まで押して来てくれる。私はそこに座って『ブラームスのワルツ』から借用した前奏を弾き始める。マリはいつものように私の左側に立つ。
 
そしてふたりで歌い出す。
 
あの伊豆のキャンプ場での出来事はまるで昨日のようだ。私は目に涙を浮かべながら、この曲を弾きつつ歌っていった。
 
やがて終曲。
 
割れるような拍手の中、私とマリはステージ最前面に立ち改めて深いお辞儀をする。そして私の左手とマリの右手を繋いだまま、私の右手とマリの左手を斜め上にあげて、会場の拍手を受け止めた。
 
再度一緒にお辞儀をしている間に幕が降りた。
 

打ち上げは宿泊しているホテルのプライベートキッチンを使って行ったが、《謎の男の娘》さんは、ひとりで食事したいということだったので、風花が食事を用意してもらっていた重箱に詰め、飲み物と一緒に渡していた。
 
「あのマスクしたままは食べられないよね?」
「飲み物はストローを無理矢理下の方から挿入して飲んでいたね」
「本当は誰なんだろう?」
 
「おそらく何かの分野で名の売れている人なんだろうね」
「バスケ関係かな?」
「あるいはそうかもと思った」
「多分、本来契約とかの関係で、他で報酬をもらったりしてはいけないんじゃないの? 今回もギャラは要らないというのを、VISAの商品券だけ押しつけたから」
 
「千里さん自身だったりして」
「まさか!」
「千里は今東京の合宿所でオリンピックの合宿中だから、ここに居られる訳が無い」
と私は言うが
 
「いや、醍醐さんにしても、ケイさんにしても、神出鬼没で物理的に移動不可能な場所によく出現しますから」
などと氷川さんは言っていた。
 

私たちが那覇公演をした4月29日、アクアは札幌で3万人の観衆を前にドーム公演をしていた。公演は途中で退場を願うほど興奮する客が出る中3時間近くアクアが熱唱して無事終了。アクアとマネージャーの鱒渕水帆さん、秋風コスモス社長、レコード会社の三田村彬子課長、鮫川さん、それに今回のツアーで自ら付き人・雑用係を買って出た西湖の6人は他のスタッフとは別れて車(鮫川さんの運転するエスティマ)で北方へ30分ほど走り、奈井江町にある小さな温泉宿に入った。
 
札幌近郊だとアクアのファンと一緒になり、サービス精神旺盛のアクアが振り回されて疲れが取れないという事態になるのを避けるため、大きく離れたのである。ここまで来ることは少数の人しか知らない。
 
6人でのんびりと打ち上げをやる。女性と未成年だけなのでアルコールも無しで、美味しい料理(アクアの希望でジンギスカンにした)を食べながら烏龍茶などを飲みつつ1時間半ほどおしゃべりする。
 
もっともアクアの素性を知らないっぽい旅館の仲居さんは
「女だけの旅もいいですよね〜」
などと言っていた。
 
実は戸籍上の性別でいうと男3人・女3人なのだが!
 
(三田原さんは奥さんとの結婚維持のため戸籍の性別を変更していない)
 

「でも葉月(西湖)ちゃんに来てもらって良かったですよ」
と鱒渕さんが言う。
 
「はい。ボクも同世代の西湖ちゃんがそばにいると結構心強いです」
とアクア本人も言っている。
 
他は三田原さんは40代、鮫川さんは28歳、鱒渕さんが21歳、コスモスが24歳である。西湖はアクアの1つ下の中学2年生である。
 
「アクアさんは凄いです。舞台袖でステージ見てて、もうボーっとしてました」
と西湖。
 
「確かに同世代・同性の人が1人いると、随分違いますよね」
とレコード会社の鮫川さんが言う。
 
「やはり男と女では細かい所で分からない所があるし」
と鮫川さんは言うが
 
「むしろアクアは男の子の感性が分かってない気がする」
とコスモスは鋭い指摘をする。
 
「うんうん。それは私も思った」
と三田原課長も苦しそうに頷きながら言った。
 
「そもそもアクアって、立っておしっこしてないでしょ?」
などとコスモスは言う。
 
「え〜?何で知ってるんですか?」
「ほほぉ」
 
「だって、そもそも立っておしっこができるような服を着ているの見たことない」
「ちょっとぉ、社長、酔ってません?」
「ああ、私はぶどうジュースで酔えるんだよ」
 
コスモスはさっきから富良野産のぶどうジュースを飲んでいる。
 
「確かにスカートでは立っておしっこできないよね。汁が垂れちゃうから」
と三田原さん。
 
このあたりは「女装経験者」でないと分からない微妙な部分である。
 
「ボク、そんなにスカート穿いてませんよー」
と言いつつ、今アクアはスカート姿である。全く説得力が無い。
 
「いやアクアちゃんの普段着ってむしろスカートが多い気がします」
と鱒淵さん。
 
「でしょ? 雑誌のインタビューくらいだと、そういう格好で受けてたりするもんね」
 
「えーっと、実は普段着に男物がなかなか見つからなくて」
「アクアが性転換しますと発表してもたぶん誰も驚かない」
「別にボク女の子にはなりたくないですー」
 

ライブが終わったのが18時半で、温泉にたどり着いたのが19時半。それから1時間ほど休憩したあと打ち上げをして、部屋に戻ったのが22時である。
 
龍虎(アクア)は旅疲れとライブの疲れがあって、部屋に入るとそのまま眠ってしまった。23時頃、西湖が「お風呂に行かれました?良かったら一緒に行きません?」と言いに来たのだが、龍虎は夢うつつで
 
「ごめーん、眠いから寝てる。先に入ってて」
と言って、ひたすら寝ていた。
 
寝ている間に夢を見ている。
 
どこかでベッドに寝ていたら白衣を着た女の人が龍虎のスカートをめくり、パンティを下げて、あの付近をいじり始める。何されるんだろうとドキドキしている。
 
「じゃ今から手術します」
と言われる。え?何の手術なの?と思っている内に無影灯が点くのを見る。ジーという音がしている。肉が焼けるような臭いがする。あ、どこか切られてるのかなあと思う。
 
龍虎は小学1年生の時に3時間に及ぶ大手術を受けたことがある。あの時、川南さんに、おちんちん切られちゃうぞと随分脅されたなあ、などと当時のことを懐かしく思う。
 
でもおちんちん切られちゃってたら切られちゃってた時だよなあ、というのも最近龍虎は思うのである。
 
ボク・・・別に女の子でもやっていける気がする。積極的に女の子になりたいわけではないけど。
 
などと手術されながら思っていたら
 
「手術終わったよ」
という声が聞こえる。
 
「ありがとうございます」
と答える。
 
「これで君はもう立派な女性だよ」
とお医者さんが言った。
 
え?え?え?
 
「立って鏡に映してごらん」
と言われるので、龍虎はベッドから起き上がるとそばにある白雪姫にでも出てきそうな姿見に自分を映してみた。
 
きゃー。
 
でもきれい!
 
龍虎は姿見に映る自分の姿に見とれていた。
 
おっぱいが凄く大きくなっている。ああ、このくらいおっぱいあるといいよね。そして・・・・お股の所には見慣れたものが無くなっていて、1本縦の筋が映っていた。
 
「良かったね。これで安心してお嫁さんに行けるね」
とそばで声を掛けてくれたのは、千里さんである。
 
「私は小学4年の時に手術して女の子になったんだよ。龍ちゃんも、もっと早く手術しておけばよかったのに」
 
「そうかなあ・・・」
「アクアが本当の女の子になりましたと発表したら、人気沸騰しちゃうかもね」
「そうですか?」
 
などと会話しつつ、女の子のおしっこの仕方を覚えなきゃなあ、と思った所で目が覚めた。
 

時計を見ると2時である。
 
「あ、お風呂入っておかなくちゃ」
と思う。
 
起き上がって、アクアは着ていたネグリジェ(ファンからの贈り物で凄く可愛い)を脱ぐと、ポロシャツを着て、スカートを穿いた。タオルとシャンプーセットを持ってお風呂に行く。
 
唐突にさっき見た夢が思い出されてドキドキする。
 
ボク・・・ほんとに性転換手術しちゃうことになったらどうしよう?
 
などと考えてしまう。自分では女の子になるつもりは無いと思ってはいるけど、取り敢えず去勢しとこうか、とか、性転換手術受けたいんでしょ?とか言う人が随分いるので、何だかふらふらと手術を受けてしまいそうで、自分が怖い。
 
夢の最後に姿見で見た自分の「女の子ヌード」を思い出してしまう。
 
おちんちん取っちゃう勇気は無いけど、おっぱいくらいは大きくしてもいいかなあ・・・
 
などと思っている内に、大浴場に到着する。左手にニタイノンノの湯、右手にカムイワッカの湯とある。
 
どっちだっけ!?
 
記憶をたどると「女湯はニタイノンノの湯です」と案内された気がする。旅館の人は一行が全員女性と思い込んでいたようなので、女湯だけを案内したのである。そういえば、休憩時間の内に鱒淵さんがお風呂に入ってきていて、
 
「何とかノンノの湯って、森の中の温泉って感じの演出がしてあって、いい雰囲気でしたよ」
と言っていた気がする。
 
だったら、ボクもニタイノンノの湯に入ればいいよね、と一瞬思ってから、
 
ダメ〜〜〜!
 
ボクは男の子だから、男湯に入らなくちゃと思い直す。
 
ちょっと女湯に入りたい気もするけどね。深夜だし誰も居ないだろうし、いいんじゃないかなあ、とは思うものの、こないだ女湯で丸山アイさんに遭遇して注意されたしとも思う。ツアー中に痴漢で逮捕されたりしたら、大変だ。ツアーは中止になって、何十億円という損害賠償請求されたりして。
 
そんなの払いきれないし!
 

ということで、自粛して男湯のはずのカムイワッカの湯の方に行く。
 
脱衣籠を取ってポロシャツとスカートを脱ぎ、シャツを脱ぎ、愛用のプリりのブラを外す。ライブ中に着けていたものは汗だらけになったので、これは終了後に着替えて着けたものである。そしてそのブラとセットのパンティも脱ぐ。
 
男湯でこんな服を脱いでいるのを見られたら騒ぎになるということは龍虎は何も考えていない!
 
タオルとシャンプーセットを持ち、脱衣場から浴室に移動する。
 
誰も・・・居ないかな?
 
それで洗い場で身体を洗い、髪も洗う。コンディショナーを掛けている間にあの付近とかも洗う。足の指の間とかも洗う。それからコンディショナーを洗い流し、身体全体を洗い流した上で、湯船に浸かった。
 
ああ、でも疲れたなあと思う。
 
途中に休憩コーナーをはさんで3時間の歌唱はほんっとにエネルギーを使う。体力をつけるために、龍虎は3月頃から毎日早朝6km走っていたのである。
 
さて、明日、というか今日は午前中に大阪に飛んで京阪ドームだ・・・と思っていたとき
 
「あれ?」
という女性の声を聞く。
 
へ?なんで男湯に女の人がいるの?と思ってそちらを見ると、コスモス社長である。
 
「社長!?なんでここにいるんですか?」
「それはこちらが聞きたい。アクア、女湯に入るんだっけ?」
「え?ここ男湯じゃないんですか?」
 
「12時までは男湯だったけど、日付が変わってから女湯になったんだよ。ここの温泉は両方の湯を楽しめるように夜中の12時を境に男湯と女湯が毎日変わるようになっている。だから泊まった日に片方に入って、翌日起きてからもう片方に入るということで、性転換しなくても両方に入れるようになっているんだよね」
 
「知らなかった!」
「旅館の人説明してたけど、聞いてなかったのね」
 
「すみません!間違いです」
「まあ女湯でアクア見ても誰も驚かないかもね。女の子にしか見えないから。むしろ男湯に入ると騒ぎになる気がする」
 
などとコスモス社長は笑っている。その社長のバストが凄く大きいのをまともに見てしまって、いいなあ、あのくらいバストがあったらなどと思ったりしていた。
 
「すみません。すぐあがります。向こう側に行きます」
 
「まあまあ。夜中だし誰も来ないから大丈夫だよ。それにこのカムイワッカのお湯ってアクアにぴったしかも。ワッカってね、アイヌの言葉で水を意味するんだよ」
 
「へー!」
「アクア、あるいはアカ(閼伽)とひょっとしたら同語源かもね」
「確かに似てますね」
 
「稚内(わっかない)というのも、水の流れる川という意味だよ」
「なるほどー」
 
「でもドーム公演初日どうだった?」
「あ、何とか頑張れたかな」
「うん。最後まで声量が落ちなかったし、音程も不安定にはならなかったね。と音痴の私が言っても仕方ないけど」
 
などという感じで、結局龍虎はコスモス社長とその場で15分くらい会話した上で
 
「やはり向こうに行きます」
と言ってあがった。
 
「別に女湯でもいいのに」
とコスモス社長が言うのが、後ろ髪を引かれる思い(?)だった。
 

身体を拭いて、ブラとパンティを身につけ、シャツを着て、ポロシャツとスカートを穿き、カムイワッカのお湯を出て、反対側のニタイノンノの湯に入る。
 
ノンノって雑誌の名前みたい、などと思う。
 
ここでまたポロシャツとスカートを脱ぎ、シャツを脱いでブラとパンティも脱ぐ。身体はさっき洗ってしまったのでシャンプーセットは置いたままタオルだけ持って中に入る。洗い場で一応軽く身体を洗うというよりお湯で濡らしてから、湯船に入る。
 
ふーっと息をつく。
 
ボク・・・そういえば男湯に入ったの、いつ以来だっけ?
 
と考えてみたものの、分からない気がした。
 
小学校の修学旅行ではうまく彩佳たちに乗せられて女湯に入っちゃったからなあ。4年生の時に沖縄旅行に行った時は、部屋付きのお風呂だったし。2年生の時、田代のお父さん・お母さんたちと一緒に「家族になった記念に」と言って行った草津温泉では「家族が別れて入るのは寂しいよ」とかいって家族風呂を借りて入った。
 
その前、小学1年生の時に支香おばちゃんに連れられて行った常磐ハワイでは「まだ今年くらいまではいいよ」と言われて、支香おばちゃんと一緒に女湯に入っている。
 
それ以前・・・・志水のおばちゃんたちと暮らしていた時代にも温泉に行った記憶はあるものの、男湯に入ったか女湯に入ったかよく覚えていない。微かに記憶があるのは、
 
「あの男の子、格好良いね」
「ちょっと香取慎吾に似てない?」
「私が独身なら結婚したいくらい」
 
などという会話が近くで交わされたのを覚えているくらいである。その時、香取慎吾って誰だろうと思った記憶がある。
 
ここで謎なのが、男性を話題にして「格好良い」とか「結婚したい」と言っていたのは女性ではないかと思えること。だったら、自分は女湯にいたのかも知れないが、しかし女湯に香取慎吾似の格好いい男性がいるはずがないのであって、この会話の記憶は実は龍虎にとって、物凄い謎なのである。
 

でもひょっとしたら、これってボク男湯初体験かも、と思うと何だか凄く不思議な気分になった。
 
ボク・・・こうやって少しずつ男になっていくのかなあ。
 
今ならまだ女の子にもなれる気がするから、ちょっと惜しい気もするけど、やはりボクは男に生まれたんだもん。男にならないといけないんだよね?と考えるが、それも凄く悲しい気がしてきた。
 
男になったら、やはりスカートとか穿いちゃいけないのかなあ。ブラとかも着けちゃいけないのかなあ。でもブラは快適だし、スカートも楽なのに。
 
やはりボク男になるのに抵抗感がある気がする。
 
といって女になりたい訳では無いというのは自分の中で一応決着をつけているつもりである。
 
取り敢えず、ボク、恋愛対象は女の子だ(と思う)し。
 

その時、近くで小さな水音がして、初めて龍虎は近くに他の客がいたことに気づく。
 
きゃっ。
 
全然気づかなかった!
 
と思ってそちらを見たら、何だか見たような人物である。
 
「あれ、アクアちゃんだ。おはようございまーす」
「おはようございます、丸山アイさん。あ、えっと。。。。」
 
「私は明日札幌公演で今日は前泊なんだけどさ。札幌周辺が全くホテル取れなくて。仕方ないからここまで離れた所に宿を取ったんだよね」
 
「すみません。私のライブに来るお客さんでいっぱいになっちゃったみたいで」
 
「聞いた。でも偉いね、アクア。今日はちゃんと男湯に入っているのね?」
「ボク男ですから。でも・・・なんで丸山アイさんは男湯に入っているんですか?」
 
「だって私男だもん。男湯に入らなくちゃ」
 
「うっそ〜〜!? アイさん、女の人じゃなかったんですか?」
「男だけど」
 
「だって、こないだは女湯にいたじゃないですか?」
「うん。私、女湯に入るのが趣味なのよね〜」
 
「え〜〜〜!?」
 
実際今日のアイは男声で話しているのである。
 

「今夜も女湯に入ろうと思ったらさ、先客がいるみたいだから自粛して男湯に入った」
 
「でもでもアイさんって、こないだおっぱいありませんでした?」
と言って龍虎はアイの身体を見ようとするが、この温泉の湯は濁り湯なので、首まで浸かっていると胸は見えない。
 
「女湯に入る時はおっぱい付けて、男湯に入る時はちんちん付けるんだよ」
「じゃ、アイさん、おっぱいもおちんちんも無いんですか?」
 
「プレス機を持っているんだよ。女体の型に入ってプレスすると女の形になって男体の型に入ってプレスすると男の形になるんだ。便利だよ」
 
「そんな無茶な。クッキー生地じゃあるまいし」
 
「ふっふっふ。今夜は馬脚を現さないうちに退散しよう。じゃね」
と言ってアイは湯から上がった。
 
龍虎はアイの身体を見ようとしたものの、アイは巧みに身体をタオルで隠していて、おっぱいがあるかどうか、おちんちんがあるかどうかはよく分からなかった。
 
ただ、おちんちんがあれば、歩いている時に股間に見えそうなのに、それが見えないので、実はおちんちんは無いのではという気もした。
 

アイがあがってしまった後は、龍虎はひとりになったので湯船の中でぼーっとしていた。そのうち少し眠くなってきた気がしたのであがることにする。実際には女湯の方でも十分暖まっていたので、わざわざ男湯にまで入る必要は無かったのだが、一応ちゃんと男湯に入りましたよという実績を作っておきたかったのである。
 
脱衣場に出ると、アイが女物の浴衣を着て髪はポニーテイルにし、何かドリンクを飲みながらスマホ片手に涼んでいた。そのアイの様子が物凄く色っぽいと龍虎は思った。ふつうこの姿を見て男と思えという方が無理だ。女の人にしか見えない(*1). やはりこの人、男だっての嘘なのではという気がした。男にこんな色気あるか??
 

(*1)龍虎は自分もそうみんなから言われていることを認識していない。
 

「けっこう長く入ってたね」
「少しうとうととしたので、あがることにしました」
 
「でもあんた、ちんちん無いじゃん」
「隠しているだけです」
「よくそれで男湯に入るなあ」
とアイは言っている。
 
そして龍虎が服を着ていると
 
「ああ下着は女物なのね」
などと言われる。
「実は旅の荷物をお母さんにまとめてもらったら、お母さんが女物の下着ばかり入れてたんです」
「親切なお母さんだ」
 
そして全部服を着ると
 
「あんたスカート穿いて男湯に来たの?」
とアイがまた呆れたように言う。
 
「まずかったかなあ」
 
実は母が入れてくれた着替えが全てスカートでズボンが入っていなかったのである。ちなみにステージ衣装は今回は前半が男性用ビジネススーツ、後半はサッカー選手のような感じの服であった。
 
「まあ深夜だからいいけどね」
「ですよね?」
 

「でもこのドリンク美味しい。アクアも飲まない?おごってあげるよ」
と言ってアイは自販機に小銭を入れてドリンクを買い、アクアに渡してくれる。
 
「ありがとうございます」
と言って受け取り、ふたを開けて飲む。何だかお薬みたいな味がする。栄養ドリンクなのかなあと龍虎は思う。
 
「ちょっと薬っぽいけど美味しいですね。何ていうドリンクですか?」
「そこに書いてある通り」
 
龍虎はドリンクのラベルを見るが読めない!?
 
「これ何語ですか〜?」
「タイ語。オイストロミンって書いてある。これね。疲れている時に飲むと疲労回復に効果があるんだよ」
 
「へー。確かになんか活力が湧く気がします」
「成分がいいからね」
 
龍虎は突然不安になった。
 
「それって、覚醒剤みたいなのは入ってないですよね?」
「まさか。そんなの飲んだら身体がぼろぼろになっちゃうよ。あんたみたいな子にはその手の誘惑も多いかも知れないけど気をつけなさい」
 
「はい」
 
「このドリンクの主成分はエチニルエストラジオールだよ。それとプエラリア・ミリフィカとヨーグルトのミックス」
「何でしたっけ?」
「まあ俗に言う卵胞ホルモン、女性ホルモンの一種ね」
 
「え〜〜〜〜〜〜!?」
 
「まあアクアは普段から女性ホルモン飲んでいるだろうけど、女性ホルモンって身体に入れると元気になると思わない?」
 
「そんなの飲んでません」
「注射してるんだっけ?」
「してません」
「貼り薬か塗り薬?」
「そんなのもしてません」
 
「じゃ、どうやって女性ホルモン取ってるのさ?」
「そんなの取ってませんよ〜」
 
「じゃ去勢しちゃったんだっけ?」
「しません。ボク、別に女の子になりたくはないです」
 
「僕の前で今更な嘘つかなくてもいいのに。女性ホルモン取ってない中学3年生がその体型で声変わりも来てないってのはあり得ない」
とアイから言われてドキッとする。
 
実はアクアは青葉のセッションで体内をホルモンニュートラルに近い状態にしてもらっているので、実際問題として女性ホルモンを日常摂取しているのとそう変わらない状態にはある。
 

「でも自販機に女性ホルモンのドリンクとか売ってるんですか?」
 
「それは自販機の取口に最初から私が入れておいたんだよ。実際に自販機のボタン押して出てきたのはこちら」
 
と言ってアイは取口からオロナミンCを取り出してみせる。
 
「うっそ−!?」
「これ、よくある手口だから騙されないように」
 
「アイさんに騙されました!」
「まあちょっとした親切かな」
 
「えーん。また女性ホルモン飲んじゃった」
「ああ、やはり時々飲んでるんだ?」
「こないだも知り合いのお姉さんに、うまく騙されて女性ホルモンの錠剤を飲まされちゃったんですよ」
 
実を言うと、川南にはこれまであの手この手で5回も女性ホルモン剤を飲まされたり注射されたり、塗り薬を塗られたりしている。
 
「ああ。アクアが男性を廃業することになるのは時間の問題だな」
と言ってアイは笑っていた。
 

そんな感じでふたりがしばらく脱衣場で会話をしていたら、そこに男性客が入って来た。
 
しかしアイとアクアを見ると
「ごめんなさい!間違った」
 
と言って慌てて飛び出して行く。
 
「今の客、絶対女湯に行ったよね」
「女湯はさっきまでコスモス社長が入っていたんですよ。でももうさすがにあがっていると思う」
「だったら、今は空か」
 
「ということは・・・・」
 
ふたりはその後の展開を考えて顔を見合わせた。
 
「逃げようか?」
「そうしましょう」
 
それでふたりで男湯の脱衣場を出て廊下に出る。
 
「でもアイさんって結局女の身体なんですか? 女性ホルモン飲んでるんでしょ?」
「女性ホルモンを飲んでるのは確か。実は僕の声の維持のためなんだよ」
「わぁ」
「アクアもその声を維持するために女性ホルモン飲んでるでしょ?」
「え、えっと・・・」
 
「でも僕の身体の状態は内緒。まあ《活動している睾丸》が存在しないことくらいは認めてもいいよ」
「へー!」
 
まあ睾丸が付いてて、この体型・この色気は無いよなあと龍虎は思ったが、自分もみんなからそう思われていることは認識していない。
 
「でも僕、性転換手術の前後に、男の子とも女の子ともセックス経験してるよ」
とアイは言った。
 
セックスなんて言葉を聞くとドキッとする。さすがにセックスの意味くらいは(何となく)分かっている。
 
「それ手術の前にどちらとして、手術の後にどちらとしたんですか」
「内緒」
 

ローズ+リリーは那覇公演の翌日、4月30日に福岡公演をした。
 
そして・・・この日、大阪では政子の元恋人・松山君が露子さんと結婚式を挙げた。正望は司法修習の最中なので出席できなかったものの、式には佐野君、菊池君など、高校時代以来の友人が何人か参列したようである。私と政子は佐野君に託してご祝儀を渡している(どちらも父親の名義を借りた)。
 
その件に付いて、私は当日できるだけ触れないようにしていたのだが、福岡公演が終わって博多駅近くのホテルに入り、シャワーを浴びてからベッドに腰掛けて涼んでいたら、政子はぽつりと言った。
 
「寂しいよぉ」
 
「一緒に寝よう」
と私は答えた。
 
「うん」
と政子は言い、私は政子をしっかりと抱きしめた。
 

翌日も広島で公演があるので、本当は早く休まないといけないのだが、この日は私たちは3時頃まで睦み合っていた。
 
「腹いせにアクアを去勢しちゃおうかなあ」
「どうやって去勢するのさ。本人は去勢するつもりは無いよ」
「たとえばさ、オナニー用の小型の箱に偽装しておちんちん切断機を渡すってのはどうかな」
 
「何そのオナニー用の箱って?」
「そういうのあるんでしょ?こないだ亮平から聞いたけど。たばこくらいのサイズで中におちんちんを入れるとバイブレーション機能が付いていて、気持ちよく逝けるんだって」
 
「聞いたことない。ジョークでは? 男の子はバイブレーション程度の刺激では逝けない気がする。多分生殺しになる。それにそもそもたばこサイズではおちんちんが入りきれない」
 
「おちんちんってそんなに大きかったっけ?」
「まるでバージンみたいな発言、今更しないで」
 
などと言った会話をしつつ、そんなネタまで話すって、大林亮平と政子はどのくらい進行しているのだろうと私は訝る。
 
「そっかー。男の子のオナニーの実態も分からないなあ」
「そもそもアクアはオナニーしないと思うよ」
「嘘!?」
 
「あの子、人前では月に1回くらいオナニーしてますと言っているみたいだけど実際には全然してないと思う」
 
「しなくても平気なの?」
「男性的な発達がしないように我慢してるんだよ」
「だったら女性ホルモン飲めばいいのに」
「それは飲みたくないんだよねー」
「アクアの性的な傾向もよく分からないなあ」
 
「普通の男の子だと思うけど」
「それだけは絶対違う」
 

4月29日から5月5日まで、7日間に6公演というハードスケジュールの公演をこなした後は、2日間休んだ後で8日の幕張である。
 
私とマリは5日の金沢公演が終わった後、6日に東京に戻ると、★★レコードの北川さんのお見舞いに出かけることにした。
 
私たちは直接北川さんに担当してもらったことはないのだが、私とマリがこの業界で食べていけるようになったのは、北川さんから多数のアイドル歌手の曲作りを依頼されたことが大きい。
 
ローズ+リリーは初期の頃は、話題にはされていても、そんなに大きなセールスがあった訳ではなかった。しかも歌唱印税というのは1%しかない。それに対して作曲印税は8%なので、私たちは初期の頃、自分たちが歌うのより、他の子に楽曲を提供することで利益を得ていたのである。
 

6日、金沢で朝ご飯を食べてから新幹線に乗り東京に戻るとお昼である。そのまま東京駅界隈でお昼を食べて恵比寿のマンションに戻る。荷物などを置いてから着替えて出かけようとしていたら、珍しい来客があった。
 
「ご無沙汰しております、滝口さん」
 
それはKARIONの元担当で、現在は4月に発足したばかりの製品開発室長である滝口史苑さんであった。正直な所、彼女はKARIONのメンバーとうまく行ってなかったこともあり、彼女がKARIONの担当を外れた後は、ほぼ交流は無くなっていた。
 
「ちょっと相談事がありまして」
と滝口さんは言うが
 
「今出かける所なんですよ。道すがらでもよければお話を聞きますが」
と私が言うと
 
「ではご同行させてください」
 
ということで、結局、マンションから20分ほどの所にある中央区の病院まで、滝口さんをリーフの後部座席に乗せて走ることになる。
 

「ローズ+リリーは絶好調だね」
と滝口さんが言う。
 
「おかげさまで。でも滝口さんも今は例のオーディションの仕事で忙しいでしょ。良さそうな子いますか?」
と私が訊くと
 
「このゴールデンウィークに合宿をやったんだけどね。合宿の主たる目的は、本人のセンスの確認、この芸能界で生きていけるタフさと、空気を読む力を持っているかなんだけどね」
 
「空気読めないと、無用な攻撃を受けちゃいますからね」
 
「そうそう。タフさ以上にそれが重要。この業界じゃ売れてない先輩にいじめられるくらいは日常茶飯事だから、それに耐える精神力も必要だけど、そもそもいじめのターゲットにならないように振る舞う狡猾さも必要なんだよ。全ての攻撃をまともに受けていたら、どんなに強い人でも心が折れる」
 
このあたりはマリはぽかーんとしているようだが、私は頷いていた。マリや美空などは、風に逆らわない柳のように、そもそも攻撃されにくいタイプである。小風とかAYAのゆみとかは危ない。
 
「まあそれで、来週合格者を発表しないといけないんだけど、実は誰を選ぶかで意見が3つに別れちゃって」
 
「うーん・・・」
 
3つにも別れるというのは、つまり絶対的に優秀な人が居なかったことを意味する。
 
「それでちょっと何人かのアーティストさんに聴いてもらえないかと思って。謝礼は払いますから」
 
「そうですねぇ」
「取り敢えず、彼女たちの歌を聴いてもらえません?」
 
「まあ聴くだけならいいですよ」
 
それでMP3プレイヤーに入っている歌唱を車内で鳴らしてもらう。
 

3人の演奏を一応聴いたところで、目的の病院に着いたので
 
「じゃ意見はお見舞いが終わったあとでいいですか?」
と言う。
 
「あら。病院?」
「制作部の北川さんが入院なさっているんですよ」
「ホント?知らなかった」
「何でしたら一緒にお見舞いに行きます?」
「あ、いや。私は待ってるよ」
 
滝口さんはPCレコードの出身で、今回大騒動になったMMレコード系ではないのだが、村上専務に拾ってもらって★★レコードに入った経緯があるので社内では「村上派」直系とみなされており、町添さんに心酔している感じの北川さんや南さんたちとは、どうしても心理的な溝があった。おそらく北川さんもお見舞いに来られると、どういう顔をしていいか分からないだろう。
 
「じゃロビーで待っておられませんか。車内は結構暑くなりますから」
「あ、そうしようかな」
 
滝口さんは『アイドリングして空調入れといたらダメなの?』という感じの顔をしていたが、むろん私はアイドリングはしない。
 
それで一緒に車を降りて病院内に入る。
 

受付の所で私が「北川奏絵さんのお見舞いに来たので病室を教えて下さい」と言い、調べてもらっていたら、ちょうどそこに白衣を着た60代くらいの男性が通りかかる。この病院のお医者さんだろうか。
 
その男性は私たちのそばで「ん?」と言って突然立ち止まると、滝口さんに向かって言った。
 
「君は誰の所の患者?」
 
「いえ。私は見舞いです」
と滝口さんが答える。
 
「君、健康診断受けてる?」
「あっと、しばらくサボってますが・・・」
 
北川さんなども忙しいのを理由に実は3年くらいサボっていたのを新課長の森元さんに強く言われて健診に行き、癌が見つかったのである。制作部の多忙な人には、健康診断をサボっている人が随分いる。
 
「君は胃癌だ」
とその医師(?)は言った。
 
「なんでそんなのが分かるんですか?」
「癌の患者は特有の臭いがするんだよ。この臭いは胃癌の臭いだ」
「臭いで分かるんですか〜〜〜!?」
 
「肝臓癌、胃癌は特に明確なんだよ。僕は子宮癌・大腸癌・乳癌の患者の臭いも分かる。君、今すぐ診察を受けなさい」
 
「でも、私、仕事が忙しいので」
「1年後に死んでもいいの?」
「1年後〜〜〜!?」
「これ放置していたら1年持つかどうかだと思う。すぐ来て。CTを取ろう」
 
医師は滝口さんの手を引っ張って連れて行こうとする。
 
「ちょっと待って〜〜!」
 
医師が私に尋ねる。
 
「君たちはこの人の娘さん?」
「知人ですが」
 
「取り敢えず立ち会って」
「はぁ」
 

結局医師は強引に滝口さんをCT室に連行!していった。それで私たちも立ち会いのもとで、CTスキャンを取った所、本当に胃の粘膜に進行癌が見つかったのである。
 
すぐにご主人に連絡を取ると、ご主人は会社を早引きして駆けつけてきた。そして即刻入院、来週手術!という日程が決まってしまった。
 
「でも仕事が・・・」
 
と情けない声で訴えるが、村上専務に電話した所、村上専務も驚いて病院に駆けつけてくる。それでとにかく治療のめどが立つまで休暇を与えるということを決めたのであった。
 
 
 
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【夏の日の想い出・若葉の頃】(2)