【夏の日の想い出・分離】(3)

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「笛が凄く素敵でした」
と海香さん、そして御両親も言っていた。
 
「彼女は龍笛の腕ではたぶん国内で五指に入る人ですよ」
と私は言っておく。
 
「うん!そのくらい凄いと思った。いや、本当に名手の音ですよ」
とお父さんが言っていた。
 
「そういえばお父さんも笛を吹かれるんでしたね?」
「ええ。私も横笛吹きだからこそ、この巫女さんの笛の凄さが分かりますよ」
 
お父さんが千里の名刺を欲しがったので「越谷F神社副巫女長・村山千里」という名刺を渡していた。そんな名刺もあったのか!!
 

一同が部屋から出て行くと雪があがっていた。千里の龍笛は本当に龍を呼ぶようで普段は晴天でも落雷があったりするのだが、今日は雪をやませる効果があったのかもと私は思った。
 
11時少し前、雪がやんでるのでということで、雪上走行に慣れているスタッフさんが様子見を兼ねてスノーモービルで八川集落・大原集落まで往復してきてみるということであった。また、ここと八川集落の間の道の除雪作業も一時中断していたのを再開するということで早ければ15時頃には開通するかもという話だったが、やはり八川と大原の間の道路のほうが、まだ復旧の目処が全く立っていないらしかった。
 
「蘭子ちゃん、醍醐さん、出発するなら、その前にお昼食べて行かない?」
と孝郎さんが言うので、結局美空たちもそれに付き合うことになり、5人で食事をする。この最中にもテレビ局のクルーが回ってきた。多分他にすることがないから、ずっと各部屋を巡回しているのだろう。
 
「食材は何日分くらいあるんですか?」
と美空が心配そうに訊く。
 
「一週間くらいは大丈夫ですよ」
と食事を運んで来てくれた海香さんが言う。
 
「でも美空の消費が激しくて3日で食べ尽くしてしまったりして」
「むむむ」
 

スノーモービルで様子を見に行っていた人が戻ってきて、八川集落、そして大原集落までのルートも大丈夫だということであった。地図を示してこういうルートで走ればOKですからと言われる。GPSも貸してもらう。
 
「八川と大原の間の道の方はどうですか?」
「あれはヘタすると一週間かかるね」
「わぁ・・・」
 
「村外に出ないといけない人に関しては場合によってはヘリコプターなどで空輸することも考えると、村役場の課長さんが言ってました。ヘリコプターが離着陸できる場所を夕方くらいまでに作るという話」
 
「じゃ何とかはなりますね」
「ええ。閉じ込められて出られないということはないですよ」
 
今週はローズ+リリーだが、来週はKARIONのステージがある。
 

パソコンや着替えの入った大きな荷物は置いていくことにし、着替え1回分と身の回りの品だけ持つ。防寒用の服と手袋、雪山用のサングラスも貸してもらった。それでスノーモービルに乗る。千里が運転席に座り、私はその後ろに乗って千里に抱きつくようにする。スノーモービルというのは、要するに雪の上を走るバイクのようなものである。
 
テレビ局のクルーがこの様子を撮影している。和泉たち3人が見送ってくれる中、
 
「ではお先に」
と声を掛けて出発する。
 
「しっかり掴まっておいてね」
「うん」
「冬は女の子を抱きしめたら変な気分にならない?」
「私はレズじゃないよぉ」
と私。
「うん。私もレズじゃないから平気」
と千里。
 
「お互いに政子ちゃん、桃香だけが例外なんだろうね」
「そうだと思う。でもさ」
「うん?」
「実際千里って本当に桃香が好きなの?」
「好きじゃなかったらとっくに別れてるよ」
「でも浮気とか放置してない?」
「浮気しても桃香は絶対に私を捨てないと確信しているから良いんだよ」
「はぁ・・・」
 
「あの子はひとりの恋人だけでは満足できない子なんだよ。恋愛エネルギーが常に余っているから、あれだけのエネルギーをひとりで受け止められる人は存在しないよ。それに女の子となら法的に結婚してこちらが捨てられるということもないしね」
 
「うーん・・・・」
 
「普通の人なら複数の人を愛そうとするとエネルギーが半分になっちゃう。それで相手は不満を持つ。ところが時々最初から数人分の恋愛エネルギーを持っている人っているんだよね」
 
「千里ももしかしてそうなの?」
「まあ冬も政子ちゃんもそうなんだろうね」
「あるいはそうなのかも知れない」
「芸術家には結構そういう人っているのかも」
「確かに。芸能人とか画家の結婚がうまくいかない原因のひとつって気がするよ」
 
「でも冬は政子ちゃんが男の人と結婚したらどうするのさ?」
「うーん。その時はその時だなあ。私も正望と結婚しちゃうかも」
「それで収まる?」
「実は自信無い」
 
「だろうね。大林君との仲、実際問題として進展してるでしょ?」
 
「あの子はあくまで友だちだと言っているし、むしろあいつは嫌いだとか言っているし、まだデートもしてないみたいだけどね。メールの頻度はけっこう高くなっている気はする。クリスマスプレゼントも交換したみたいだし」
 
「それ本格的じゃん」
「大林君はベルギー産のチョコの詰め合わせの豪華なのを贈ってきた。政子は駄菓子の詰まった800円のクリスマスブーツを贈った」
 
「あはは」
 
「バレンタインにも嫌がらせと称して、大林君が嫌いなブランデー入りのチョコボンボン渡したみたいだし」
 
「大林君ブランデーが苦手?」
「ブランデーも焼酎も飲めないって。普通の日本酒やワイン・ビールはいいんだけど」
「ああ、そういう人はたまにいる」
「蒸留酒が苦手みたいね。ウィスキーは水割りなら何とかなるらしいけど」
 

「でも政子ちゃんが大林君と結婚したとしても、たぶん政子ちゃんと冬の間の関係は何とかなると思う」
などと千里は言う。
 
「千里は何とかしてるみたいね」
「まあね」
 
千里はしばらく沈黙していた。そして言った。
「冬にだけは言っちゃおう」
「うん」
「私、とうとう貴司とセックスしちゃったよ」
 
私はしばらく考えていた。
 
「それは今までしていなかった方が不思議だと思う」
「無節操にするつもりはない。次はもし貴司が世界最終予選でオリンピックの切符をつかめたら、してもいいと言った」
「細川さん、それなら頑張るかもね」
「うん。それを期待している」
 

八川までのルートは距離は短くても峠越えになるし、何と言っても新雪なので千里が慎重に走ったこともあり5分ほど掛かった。私たちは孝郎さんから聞いていた、非番の従業員さんの所に寄り、交通の復旧の様子を訊いた。
 
「どうも大原と八川の間の道の完全な復旧には10日くらいかかるみたいなんですよ」
「10日ですか!?」
 
「倒木の処理にかなり手間取っているみたいで」
「ああ。奥八川からここまでの道でも何本か倒れているのを見ましたよ。チェーンソーで切断したりして大変な作業になっているみたいですね」
 
「結局、旅行客とかは自治体のヘリコプターで輸送すると言ってます」
「ああ、やはりヘリなんですね」
 
多分片原元祐さんや和泉たちもヘリになるかなと私たちは思った。テレビ局のクルーはおそらく10日間、この集落や奥八川温泉からのレポートになるのだろう。私たちはスノーモービルで走行するルートをその人に再確認してもらった。
 
この八川集落では携帯の電波が通じたので、矢鳴さんとも直接電話で連絡が取れた。彼女はあと少しで大原に着く見込みということであった。やはり雪のためなかなか思うように走れないらしい。スタックしている車も数台見たという。一応チェーン規制が掛かっているがチェーンを付けたりスタッドレスを履いていても、そもそも雪上走行に慣れてないドライバーが多いのだろう。
 
私は町添さんにも電話して、スノーモービルで奥八川温泉から八川集落まで取り敢えず出てきたこと、これから大原集落までやはりスノーモービルで移動することを伝えた。町添さんも万一私が間に合わなかったらどうしよう?と思っていたということで、ホッとしていた。
 
「しかし基本的にケイちゃんは忙しすぎるからなあ」
「部長のスケジュールには負けます。香港に行った翌日にまたアメリカ出張とか」
「まあ上に立つ者は下の者の3倍働かなきゃ許されないからね」
 

それで暖かい飲み物なども飲んで集会所でトイレにも行ってからスノーモービルは出発する。
 
「しかしまあ08年組もここの所受難続きだったよね」
と千里は言う。
 
「確かにね〜」
「XANFUSは解散騒ぎ、ローズ+リリーはマリちゃん熱愛報道、AYAは休業騒ぎ、KARIONはバンドリーダーの離脱で済んだのは軽い方かもね」
 
「それはひとつの考え方かもね」
「でもAYAのゆみちゃんは何で休業していた訳?」
「結局そのあたりは語らないけど、復帰したというのは自分なりに何かを乗り越えたんだろうね」
「まあ悩む時もあるよね。あの子も中学生の頃からずっと芸能界のお仕事してきて」
「キャリア長いもんなあ」
「でも冬はもっとキャリア長い」
「まあ私も悩んだ時期はあったよ」
 
「冬の場合は芸能生活のことより性別で悩んだ時期の方が長かったのでは?」
 
「確かにそれはある。男として生きるのか女として生きるのか、正直な所かなり揺れていた。私、政子と出会ってなかったら、まだ揺れていたかも知れない」
 
「あの子は唆すの上手いからね」
「そうなんだよ!」
 
「私の場合は、悩んでいる内にいきなり女性ホルモン大量に打たれちゃったし、唐突にあんたは女子だと言われて女子バスケ部に移動されちゃったから悩むこともできなかったな」
 
「その話、少し突っ込みたいんだけど、でも確かにベクトルが私と千里と青葉では違うよね」
 
「うん。青葉の場合は最初から何も迷っていない。自分は女だと信じていた。この3人の中では冬がいちばん普通。あと実態が見えないのが和実だけどね」
 
「ああ、あの子は絶対過去の自分の履歴を偽っていると思う」
「高校生になってバイトしに行ったらメイドさんだったから女装するようになったって話はどうもうさんくさい。それ普通はメイドさんになったりせずに、ごめんなさいと言って帰ってくるでしょ?」
 
「言えてる言えてる。高校生になって女装を始めたし、大学生になってから女性ホルモン飲み始めたなんて言う割にはあの子も骨格が女の子だもん」
 

八川集落から大原集落までは10分ほど掛かった。孝郎さんの友人という人の所にスノーモービルと借りた防寒着・サングラス・GPSを預かってもらう。それから矢鳴さんと連絡を取り、迎えに来てもらった。
 
「お疲れ様です。大変だったでしょう?」
 
「ええ。なかなかまともに進めなかったから。でも今から移動すれば充分福島に間に合いますね。醍醐先生も今日の試合は無理でも明日の試合には出席できるでしょうし」
「ええ」
 
この大原集落でまた町添さんに電話して、矢鳴さんと合流できたこと。これから車で五條方面に向かうことを伝えた。
 
「でも矢鳴さん、もしかしてずっと運転してました?」
「はい」
 
「だったら、ここは取り敢えず冬が運転した方がいい」
と千里が言う。
 
「うん。そうしようか」
「すみませーん」
 

それで矢鳴さんには後部座席に行って仮眠してもらい、私がプラドの運転席、千里が助手席に乗って車は出発する。千里も眠りはしないものの目を瞑って神経を休めているようだ。
 
「あれ?この車、オドメーターがまだ500kmしかない」
「うん。年末に買い換えたばっかり」
「それを借りてきたんだ!」
「今回の走行が最初の大旅行だね」
「いいの〜?」
「前の車も私が運転した距離が7〜8割だよ」
「あぁ・・・」
 
しかし確かに雪道でスピードを出せないし、結構慎重に走っている車があり、ところどころ片側相互通行になっている所もあったりで、なかなか思うように進行しない。これは今日中に福島に辿り着くのは無理だなと私は思った。このままだと京都か大阪で1泊かなという感じである。
 
1時間ほどしたところで千里が運転代わるよと言うので代わってもらい、私が助手席に行った。やはり車の進行はのろのろである。助手席に移った時に車の時計を見たら14:28であった。
 
「冬も疲れたでしょ。少し仮眠するといいよ」
「うん。そうさせてもらおうかな」
と言って私も目を瞑った。
 

車が停まる感覚で目を覚ます。何だかぐっすり寝たという気がした。運転席には千里がいるので、ずっと千里が運転していたのだろうか。どうも私が起きたのに続いて後部座席の矢鳴さんも起きたようである。
 
「ごめん。かなり眠っちゃったみたい」
「着いたよ」
「え?もう五條?」
 
「福島だよ」
 
私は自分のスマホを見た。17:34?? 日付も2月27日である。
 
「福島って、大阪の?」
「まさか福島県福島市。今夜は冬、このホテルに泊まる予定だったよね?」
 
確かに見上げると私と政子が泊まる予定だったRホテルである。
 
「なぜ、この時間で福島まで来ちゃう訳〜?」
 
すると千里は少し厳しい顔で言った。
 
「歌手は歌が命だよ。最高の歌をライブで届けるためには体調管理が大事。公演に間に合えばいいというものではない。町添さんは冬がもう既に大物歌手だから苦言を呈さなかったと思うけど、本来直前に交通の不便な山奥の村まで行くようなスケジュールは入れてはいけなかったんだよ」
 
私は彼女の言葉を考えた。
 
「ありがとう。そういうきついことを言ってくれるのは千里だけだよ」
 
「じゃ今夜はぐっすり休んで明日、いいステージをしてね」
と千里は笑顔で言った。
 
「うん。頑張る」
「マリちゃんに唆されてHなことで夜更かししないこと」
「それはちゃんと休ませる」
「あ、そうそう。マリちゃんにお土産があったんだ」
 
と千里が言うと
「そうでした。忘れる所でした」
と言って矢鳴さんが、タコ焼きのパックが4個入ったポリエチレンの袋を出してくる。
 
「大阪で醍醐先生のお友達に車を借りたので、大阪に寄ったついでにタコ焼きをマリ先生用に買っておいてと言われたものですから。私、いつも醍醐先生からお財布をひとつ預かっているんですよ」
 
「ホテルの電子レンジで温めてもらってから食べるといいよ」
「そうする。ありがとう。でも矢鳴さんは、これ何か不思議とかは感じないんですか?」
 
「醍醐先生の担当になってから最初の頃は何度か驚いたことがありましたが、もうこの程度は慣れました」
と矢鳴さん。
 
むむむ。
 
「あ。そうだ。ついでにこれもあげるね」
と言って千里は《金萬》を1箱私に渡す。
 
「これ確か秋田のお菓子だっけ?」
「うん。私、秋田での試合に出てきたから」
「え〜〜〜!?」
 
「新人なのに、こんなしょうもないことで欠席したら罰金ものだもん。まあベンチには座れないから客席からの応援だけどね」
 
「いつ出たの?」
「15時試合開始だから、15時からまあ17時くらいまでかなあ。その後で福島に戻って来た」
 
「いいや、もう考えないことにする」
と私は言った。
「うん。その方が精神衛生上いいと思うよ」
と千里。
 

「じゃ美里さん、このあと秋田方面への運転お願いします」
「はい。私もぐっすり寝せてもらったので、ノンストップで行けますよ」
「そちらも気をつけて」
「ありがとうございます」
 
「でもまあ私の周囲にも時々不思議なことが起きることはあるみたいだけと、青葉の周辺や、マリちゃん・みそらの胃袋ほど不思議ではない」
などと千里は言っている。
 
「確かにマリの胃袋は不思議だ!どう考えても物理法則に反している」
 
「じゃ、頑張ってね」
「うん、ありがとう」
 

そういう訳で私は結局夕方に福島市内のホテルに泊まることができたのであった。政子は私が到着して間もなく仁恵・風花と一緒に到着したので、タコ焼きはホテルの部屋に付いている電子レンジで温めて食べた。仁恵と風花は半分でいいと言ったので1パックをシェアし、私も半分で充分だったので政子が2個半食べた。
 
私はわざと少し遅くになって19時過ぎてから町添さんにも福島に到着したことを伝えたが、町添さんは驚いていた。
 
「どうやってそこまで行ったの?」
「内緒ですが実はF-15 Eagleで移動したんです」
「それ昔やったね!」
 
と言って、町添さんも細かい移動手段は詮索しないようであった。町添さんとしては私が今夜中に福島に入れたことで、本当に安心したようである。
 
「じゃアクア君に負けないステージを頼むよ」
「さすがに中学生には負けませんよ」
「うん、よろしく」
 

「ところでさ」
と町添部長は小さい声になる。
 
「ネットで出所不明の情報として、明日のアクアの衣装は女の子みたいなミニスカートらしいというのが出回っているんだけど、そんな服着せたら、あの子色物って感じになってしまわないかね?」
 
私は微笑んだ。
「その件に関してはコスモス社長が、アクアは男の娘ではなくて普通の男の子であることをファンの皆さんに確認してもらいますと言ってましたから、大丈夫だと思いますよ」
 
「あ、そうなの?紅川さんは何だか曖昧なこと言ってたから心配してた」
「適度に煽って適度に引き締めるのがコスモス社長のやり方みたいですね。こないだの女湯疑惑とかも」
 
「あれ本当にあの子、女湯に入ったの?」
「その辺はまだ謎ということで」
 
私はタコ焼きを食べ終わって一息ついた政子をカラオケ屋さんに誘った。そしてそこで明日歌う予定の曲を2時間一緒に歌った。
 

翌日の朝、私は加藤課長の要請に応えて、福島の民放テレビ局の生番組に出演し、今日「震災復興支援ライブ」の第一弾が行われることを視聴者に伝えた。
 
「チケットは大変申し訳ないのですが、全て売り切れておりますが、ソールドアウト後の問合せが凄かったので、福島県内に住んでおられるかお勤めしておられる方、通学しておられる方限定で、ライブ・ビューイングを行うことにしました。下記の会場でおこないます。来て下さる方は運転免許証や社員証・学生証など、住所か勤務先・通学先を確認できるものをお持ち下さい。入場料は2000円頂戴しますが、頂いたお金は全額被災地に寄付させて頂きます」
 
と言って会場のリストが書かれたボードをカメラに向けた。
 
「今日はアクアさんとローズ+リリーなんですね?」
 
「はい、そうです。12時からはアクアのステージ、16時からはローズ+リリーのステージです。チケットは別々で、アクアのチケットではローズ+リリーのイベントには入場できませんし、ローズ+リリーのチケットではアクアのイベントには入場できませんので、お間違いの無いようお願いします。なお会場に通じる道路は一般の車は通行禁止になりますので、福島駅、福島西ICそばの臨時駐車場からのシャトルバスをご利用下さい」
 
と私は説明した。
 

実は2月26日夕方、2月27日朝と昼、3回に渡って私を含む4人が奥八川温泉に来ているのが映像付きでテレビ放送に流れていたこと、その奥八川温泉が、おりからの全国的な大雪で孤立していることがニュースで流れていたことから
 
「ケイちゃん、今日のライブに間に合いますか?」
 
という問い合わせが大量に来ていたのである。レコード会社やイベント事務局などでは
「ケイはちゃんと出演します」
という回答はしていたものの、ネットでは「本当に大丈夫か?」という書き込みが多数なされていたのである。
 

この番組は福島県ローカルだが、速攻でその映像が動画投稿サイトに(違法に)転載される。
 
「おお、ケイがもう福島に来ている」
「良かった!万一ライブ中止なんてことになったらどうしようと思った」
「でもどうやって来たんだろう?」
という感想が出る。
 
奥八川温泉に閉じ込められているテレビ局スタッフの中継で11:30の中継では私を含むKARION4人が映っていたのだが、18:00の中継では3人しか映っておらず、小風が「らんこは今トイレに行ってるんです」と言っていた。
 
それでおそらく私は11:30と18:00の間に奥八川温泉を脱出したのだろうと多くのファンは推測したようである。実際に奥八川温泉と八川集落の間の道が開通したのは16:30頃である。この情報は地元の住民が町内放送で聞いた情報としてツイートした。
 
ただ八川集落と大原集落の間の道は27日の内に開通しなかった。まだ4〜5日かかりそうだということがテレビでは報道されている。ただ旅行や出張で来ていた人の一部を天候が落ち着いてきた27日18時頃から、ヘリで空輸し始めたという報道もなされたので、
 
「恐らく蘭子は16:30に奥八川温泉を出て、そのヘリコプターで大原に移動し、その後は車で奈良方面に向かったのではないか」
 
という説が有力視された。
 
「大原から福島市までGoogle Mapで計算すると11時間で着くと表示される。27日の18時半に大原を出れば28日の朝5時半に福島に到着するよ」
 
「いや、それはあくまで渋滞無しで走った場合。昨日の奈良県南部は交通網が大混乱で、天河神社から大淀町まで4時間掛かったなんて話もあった。東名も中央道も北陸道も速度制限されていた。特に新東名は事故まで起きていた。恐らく実際に走ったらその倍の丸一日掛かったとしてもおかしくない」
 
「だったら大阪あたりに出て朝一番の飛行機で福島空港か仙台空港に移動したのでは?」
 
「福島空港に朝いちばんに到着する便は伊丹からの8:10-9:25。番組に間に合わない。そもそも福島空港って福島市と凄まじく離れているから。福島空港から福島市まで1時間以上かかる」
 
「仙台空港に朝いちばんに到着する便は伊丹からの7:05-8:20。でも仙台空港から福島市までもやはり1時間以上かかる。やはり9時の番組に間に合わない」
 
「やはり移動できるだけ車で移動した上で朝いちばんの新幹線を使ったのでは?」
 
「9時の番組開始に間に合ういちばん遅い新幹線は福島駅8:48着のやまびこだと思う。東京発は7:12。それまでに昨夜の交通事情で東京に辿り着けるとは思えない」
 
「大原集落から五條あたりまで多分5時間。五條から大阪まで昨夜の道路事情なら3時間。大阪から東京までやはり昨夜の道路事情ならうまく新東名を避けて東名の方を通っていたとしても早く見て8時間。どうやっても東京に着くのが午前10時。静岡あたりで新幹線に乗り継いだとしても8時半くらいが限界」
 
「やはりKARIONのらんことローズ+リリーのケイは別人だから」
 
「いや。それだけは絶対ありえない!」
 

テレビ局の番組に出演した後は、スターキッズや他の伴奏者とスタジオに集合し、氷川さんにも臨席してもらって、細かい演奏に関する確認をする。風花にマリの代役を務めてもらい本番と同じ進行でリハーサルをおこなった。
 
「なんかこういう本格的なリハーサルって久しぶりだね」
などと鷹野さんが言う。
 
「すみませーん。いつも適当で」
「ところで眠り姫の目覚めは?」
「まああの子はアクアのステージを見たいだろうから、それまでには起きるはずです」
「なるほどー」
 
「あの子はこういうリハーサルやったら、それで疲れて本番する体力が無くなるから」
と私は言う。
 
「うん。あの子はそれが味だからいいんじゃないかね。ケイを含めて周りがしっかりしておけばいいよ」
などと鷹野さんは言っていた。
 

今回『振袖』『灯海』『門出』に含まれている龍笛については千里がチームに帯同して秋田に行くという話であったので、元々青葉に頼んでいだ。彼女は高岡から自腹で福島まで来てくれていた。
 
「実は今回の往復交通費は千里姉に出してもらったんです」
「そうだったんだ!」
「自腹だし高速バスで往復しようと思っていたんですけどね。高速バスで一晩揺られてきて、疲れた体ではまともな演奏にならないと言われて新幹線の往復チケットとホテルのクーポンを送ってきたんですよ」
 
ホテルを取れたということは恐らくイベントの詳細発表前に押さえていたのだろう。福島市内のホテルは発表があったその日の内にほぼ予約が満杯になってしまったので、日帰りを選択した客も多いようだ。九州から日帰りという凄い客もネットで見かけた。
 
どうも千里は今回のイベントを通じて私に体調管理を再度警告しているなと私は思った。そういえば昨年のツアーでフランス公演の出来が良くなかったと則竹さんにも指摘されたことを思い出す。まあ、あれはスケジュールを組んだのは加藤さんだけど! しかし自分自身ハードスケジュールで動くのに慣れてしまって体調管理が後回しになっていたかも知れないということを自省した。
 

笙は七美花(交通費は母親の友見が出してくれている)に吹いてもらっているので、高校生コンビになったが、このふたりが笙と龍笛を吹くと、まあ物が壊れること壊れること。
 
近藤さんのギターの弦がいきなり全部切れて「ぎゃっ」と近藤さんが声をあげる。
 
「しまった。弦の予備が無い」
と近藤さんが言ったが
「ケイに言われて用意していました」
と言って、風花が予備の弦を出す。
 
「切れること予想してたの?」
「ギターの弦もベースの弦も5組ずつ用意しています」
「ああ・・・」
 
「いや、この笙にこの龍笛なら、このくらいのことは起きても不思議じゃない」
と酒向さんが言っていた。
 
「でもライブ中に切れたらどうしよう?」
 
「予備のギターとベース、予備のサックスにキーボードも持って来ています。お好みのものではないかも知れませんが」
と風花は言った。
 
「観客のスマホが壊れたりして」
「電源の落ちているスマホやICレコーダにまでは影響出ませんよ」
と青葉が言うと
 
「ほほぉ」
と感心したような声が上がった。
 
「違法録音防止効果があるな」
 

政子は11時くらいに起きて「アクアのステージが始まっちゃう!」と騒ぎ、ご飯も食べずに仁恵とふたりで会場に向かったらしい。どうもアクアのことはご飯より優先のようだ。
 
「今日はアクアちゃん、どんな可愛い衣装を着るのかなあ」
 
などと言っていたらしいが、今日のアクアのステージ衣装はダンディ路線であったようだ。前半背広にズボンというビジネスマン風?の服で、西宮ネオンのゲストコーナーをはさんで、後半はサファリルックで野性的な演出をした。最近、アクアの路線が当初の予定を越えて「男の娘疑惑」が出るほど可愛い系に振れすぎたので、このあたりで少し揺り戻しておこうという秋風コスモス社長の指示だったらしい。
 
それでも会場は黄色い声にあふれていて物凄く盛り上がったということであった。幸いにも警備員が苦労するほどの騒ぎは起きなかったものの、あまりにも興奮しすぎて裸になってしまった女の子(さすがに2月の福島の野外は寒いと思う)や、他の客に抱きついたりしていた女の子、感極まったのか泣きわめいていた女の子、走り回っていた女の子など30人ほどが拘束されて会場外に連れ出されたらしかった。
 
また違法録音対策チームがスマホやアクセサリーに偽装した録音装置などで演奏を録音していた客を20人も捕まえて、データ消去の上念書を書かせたらしい。
 

15時にスターキッズや伴奏者たちと私、それに風花や氷川さんなどのスタッフと一緒に専用のバスで会場入りする。政子と仁恵、加藤課長や町添部長などとも合流する。
 
「氷川から聞いてるけど、ケイちゃん今回はかなり気合い入っているみたいね」
 
「それですが、今回は直前に交通事情の悪い場所に行くスケジュールを入れてしまって申し訳ありませんでした」
と私は部長に謝っておいた。
 
「うん。まあ間に合ったからOK。あとはステージで全ての答えを出せばいい」
「はい」
 

30分前、今日のステージ衣装に着替え、メイクをする。伴奏者さんたちや氷川さん、進行役の品川ありさちゃんなどと軽いおしゃべりをしながら気持ちを集中させていく。マリがおやつを食べていないので珍しいなと思ったら、既に★★レコードの奥村照枝さんからドクターストップが掛かっていたらしい。
 
5分前、スターキッズおよび何人かの追加伴奏者がステージに出ていくと歓声があがる。
 
「七星さーん!」
「繁樹さーん!」
などといった声も掛かるので観客席に向かって手を振っている。
 
1分前、進行役の品川ありさが舞台下手端に姿を現すと、その姿を認めたファンから「ありりーん」と声が掛かるので品川ありさは手を振ってから
 
「それではこれより東日本大震災復興支援ライブ《鳥》の部を始めます。ローズ+リリーの登場です!」
 
拍手と歓声の中、私たちは出て行く。が、私たちの姿を見た観客の中にざわめきが起きる。しかしそのざわめきを消すように『振袖』の前奏が始まるので、それを聞いてみんな手拍子を始めてくれる。
 
和楽器をフィーチャーした曲である。今日は笙を今田七美花、龍笛は青葉が吹いてくれている。
 
そして演奏を始めて1分もしないうちに会場のあちこちで「きゃっ」という小さな悲鳴が起きたようである。それが全員「電源を入れていたスマホ」だったようで、ルール違反ということで全員スタッフ・エリアにご同行願い事情を聞かせてもらった。
 

さて、ステージ上の私たちは『振袖』の演奏が終わった所で
 
「こんにちはー!ローズ+リリーです」
とふたりで一緒に挨拶する。会場から「こんにちはー」という返事が返ってくる。
 
「今日の衣装、驚かれたと思うのですが」
と私が言うと
 
「高校生になったの?」
という声が会場から響いてくる。
 
私たちは実は私と政子が3年間通った◆◆高校の女子制服(冬服)を着て来ているのである(学校の承認済み)。
 
「普段のコンサートでは毎回衣装を新調しているのですが、今回はその費用も寄付しちゃおうかという話になりまして。衣装をいつも作ってくれているデザイナーさんには悪かったのですが、既存の服で歌おうということにしました。でも過去のステージで使った服は、再利用すると色々問題があるんですよね。大人の事情というか。でも本当の普段着だと、震災で亡くなった方に失礼かなと思い、それで高校の制服を着てみました」
 
「大学には制服が無かったからね」
とマリが言う。
 
「うん。そうだね。大学の制服があったらそれでも良かったよね」
 
「だけどその女子制服の内側に、唐本というネームが入っていることに私は突っ込みたい」
とマリ。
 
「どうして?私の苗字は唐本だから、そういうネームが入っているのは当然。マリの制服にもちゃんと中田というネームが入っている」
 
「私はこの制服で3年間通学したからね。でもケイも自分の名前が入った制服を持っていたということは、やはり3年間女子制服で通学していたのね?」
 
「私が男子制服で3年間通学したのはマリが見てるでしょ?」
「女子制服の夏服を着ているのは見たことあるんだよねー」
 
「ああ、けいおん!した時だよね」
「でもちゃんと冬服も持っていたということは、やはりいつも女子制服だったんだ?」
「まさか」
「後でケイのお友達に訊いて調査してみよう」
 

「それでは次の曲は『ダブル』。実はこの曲は某男の子アイドルが某テレビ番組でダブルロール(一人二役)をしているようだな、というので書いた曲だったんですよね」
 
と言うと、大きなざわめきが起きていた。
 
「それ男の子アイドルではなく、男の娘アイドルということは?」
とマリが突っ込んでくる。
 
「いや多分あの子は男の娘ではなくふつうの男の子」
「いや、絶対に普通ではない。あんなに振袖やミニスカが似合う普通の男の子なんてあり得ない」
「まあいいや。では演奏を始めます」
 
多数の楽器を二重化した曲だが、今回は参加者の関係で多少省略している。
 
アコスティックギター:近藤&宮本、ウッドベース:鷹野&酒向、ピアノ:美野里、オルガン:夢美、マリンバ:月丘、フルート:風花&七美花、ヴァイオリン:アスカ&真知子、サックス:七星&青葉。
 
つまり、ピアノ・オルガン・マリンバを1人にしている。交通費自腹でギャラ無しというのをやってもらえる、ごく身内で、かつ経済的にも余力のある人で固めたのである。実際には真知子ちゃんの交通費宿泊費はアスカが出してあげている。
 

広い会場に優しいアコスティック楽器の音が響いていくと、観客は手拍子も打たずに聞き惚れてくれていたようである。そして手拍子を打たなかった分、終わった後の拍手は最初の曲の1.5倍くらいあった気がした。
 
その後、再び青葉の龍笛をフィーチャーして『たまご』、七星さん・鷹野さん・宮本さん・夢見もヴァイオリンを持ってヴァイオリン6重奏にして『花園の君』、同じくヴァイオリン6重奏と七美花の篠笛をフィーチャーした『灯海』、ヴァイオリンはアスカ・真知子・夢見の「ハイレベル」な3人に減らして『花の女王』(鷹野さんもかなりハイレベルだがベースの方を弾いてもらった)、そしてやはりアコスティックな世界で『時を戻せるなら』『カントリーソング』、『神様お願い』と演奏すると、『カントリーソング』や『神様お願い』では涙を浮かべている観客がかなり見かけられた。
 
『カントリーソング』は双葉町で農業をしていた若い夫婦の話に刺激されて書いた作品である。彼らは望郷の思いを胸に秘めながら現在岩手県内に移住して土地を買ってリンゴやブルーベリーなどを生産している。この曲を出した時は震災の半年ほど前に偶然にもUTPの須藤さんが撮影していた双葉町の映像をPVに使用したので、かなりの反響があった曲だ。
 
『神様お願い』は震災の復興を祈るような曲だとして凄まじいダウンロードのあった曲である(実際には沖縄の難病の少女の回復を祈って書いた曲)。震災に絡んでよく取り上げられる曲で、現在でも毎月1000カウント以上のダウンロードがある。ローズ+リリー最大のヒット曲だが、今後もこれ以上のヒット曲は出ないだろう。
 

ここでいったん私とマリ、伴奏者は下がる。そして今日の進行役をしてくれている品川ありさが自身出てきて、カラオケで自分の持ち歌を歌う。彼女まで自分が通っている高校の制服(もちろん女子制服)を着て出てきたので
 
「可愛い〜!」
という声が掛かっていた。
 
(私やマリには「可愛い」という声は掛かっていなかった!さすがに16歳にはかなわない!)
 

品川ありさが歌い終わって下がると、それと交代に私とマリ、スターキッズが一緒に出て行き各々の位置に就く。
 
「すごーい!」
という声が掛かる。実は後半、私たちは高校の時の体操服上下で出て行ったのである。
 
「ところでケイ、突っ込みたいことがある」
「何だろう?マリ」
 
「うちの高校の体操服ってほとんど男女共通だよね」
「うん、そうだったね」
「でも2つ男女で違う所があるんだよね」
「そうだったっけ?」
 
「ひとつは今冬用にズボン穿いているから分かりにくいけど、ズボンの下にケイは黒いハーフパンツを穿いたよね」
「うん。マリもハーフパンツを穿いた」
 
「そこが1つの問題で、女子はハーフパンツだけど、男子はショートパンツだったんだよね」
「そうだったっけ?」
 
「ケイ、高校時代ハーフパンツ穿いてた?」
「うん」
「やはりケイって女子生徒だったんだ?」
「一応高校までは男子生徒してたけどなあ」
「やはりケイが男子高校生だったというのは嘘だという気がしてきた」
「そんなことないと思うけど」
 
「もうひとつ、ネームの刺繍が入っているよね」
「うん」
「ケイの体操服には紺色の糸で唐本というネームが入っている」
「マリの体操服にも紺色で中田というネームが入っているよね」
 
「これ女子は紺色の糸で刺繍が入っていたけど、男子は黒だったんだよね」
「そうだっけ?」
 
「黒色刺繍のネームの入った体操服でショートパンツの男子の中に、紺色刺繍のネームが入った体操服でハーフパンツのケイが1人いたら、随分浮いて見えたはず」
 
「あ、私、他人から浮いて見えるのは全然気にしないから」
 
「ケイ、高校時代、バスケとかラグビーとかした?」
「バスケはしたけど、ラグビーとサッカーではゴールキーパーしろと言われた」
「ラグビーにゴールキーパーは無いよ!」
「そうだったっけ?」
 
「やはりケイは女子高生しかしていなかったという証拠がどんどん出てくる」
 
こういう話をしている間、会場ではあちこちで苦笑が漏れていた。
 

「じゃそろそろ曲行きましょう。男の娘をテーマにした曲、『コーンフレークの花』」
 
「ケイは男の娘じゃなくて女の子みたいだけどね」
 
それで前奏が始まる。そして私たちは歌い出すが、振袖を着た青葉と七美花が出てくるので歓声があがる。
 
この曲はサンバのリズムになっているのだが、ふたりの踊りは日本舞踊である!しかしそのサンバで日本舞踊というのが、妙にうまくハマっていて、楽しい雰囲気を出していた。
 
曲が進む。青葉と七美花の踊りは続く。観客はふたりが途中で振袖を脱いでドレスか何かに変わるのではと期待したようであるが、ふたりは服を脱ぐ様子は無い。それで客席では隣同士でささやき合うような姿も結構見られた。
 
やがて終曲となるが、青葉と七美花は最後まで服を脱がなかった。
 
私はふたりを紹介する。
「踊ってくれた人、若山流民謡名取りの若山鶴海さんと、作曲家の大宮万葉さんでした!」
 
拍手がある。
 
「ちなみにふたりはまだ高校生なので、彼女たちに服を脱がせたら私が警察に捕まるので、脱ぐのは無しね」
 
と私が説明すると、爆笑があった上でまた大きな拍手が贈られていた。
 

この後、そのまま青葉にサックス、七美花にトランペットを吹いてもらって『摩天楼』を演奏する。『ダブル』でもそうだが、青葉と七星さんは同じピンクのヤナギサワ製サックスを使っているので、見た目にも綺麗だし、音の調和性も良いようである。
 
そして七美花のトランペットは格好良い。良い意味で黒人ジャズプレイヤーが吹いているかのような味がある。高校生で人生経験もまだそんなに無いだろうに、これだけ吹ける七美花は末恐ろしいと私は思った。この子は本当に管楽器の天才である。
 
曲目は更に『仮想表面』『Flying Singer』『ハイウェイデート』『モバイル・ガールズ』『ペパーミントキャンディ』と今年出した曲の中から元気な曲を演奏していく。『ペパーミントキャンディ』では、今日は進行役だけでなく幕間での歌唱までしてくれた品川ありさが、彼女も学校の体操服を着てサッカーボールを蹴って出てくると、リフティングを始めた。
 
このパフォーマンスに会場は「おぉっ!」という声があがり、彼女に対する声援も凄い。彼女は中学時代サッカー部に所属していて、リフティングは得意である。『ペパーミントキャンディ』のPVの中では男装してこの技を披露してくれたのだが、今日は普通に女子の体操服姿でしている。
 
そして彼女はこの歌を私たちが歌い終えるまで1度も落とさずにリフティングし続けたのである。これは私も凄いと思った。歌が終わった後の拍手も凄かった。
 

「それでは最後の歌になりました」
と私が言うと
「え〜〜!?」
という反応が返ってくる。
 
「ローズ+リリーのライブをやる時は必ずこの曲を入れますと約束している曲」
とまで私が言うと
「ピンザンティン!」
という声が客席から返ってきて、既にお玉を取り出して振っている人たちが多数いる。
 
「はい、では行きましょう。食の讃歌『ピンザンティン』」
 
氷川さんがお玉を2つ持って出てきて私たちに渡してくれる。アスカのヴァイオリンがこの曲のサビの部分のメロディー「ドファソラーシ・レドシラ・ソミラ、レレレミ・ファファミレド」を2回演奏し、それに続けてスターキッズの伴奏も始まる。そして私たちは歌い出した。
 
「太陽の力だよ、アスパラ、トマト」
「土の中から、ニンジン・タマネギ」
 
曲はAメロのあとBメロを経てやがてサビに入る。
 
「サラダを〜作ろう、ピンザンティン、素敵なサラダを」
「サラダを〜食べよう、ピンザンティン、美味しいサラダを」
 
私がマイクを客席に向けながら歌うと客席からも大きな声でこの歌に唱和してくれた。お玉を振りながら歌ってくれる。
 
そしてまたAメロに戻り、Bメロ、サビと行って、サビをリピートして終了。
 

物凄い歓声と拍手の中、私たちも伴奏者もステージから退場する。
 
会場の拍手はすぐにアンコールを求めるゆっくりしたリズムの拍手に変わる。私は甘いコーヒーを1杯飲んで喉の調子を整える、マリは凍天(しみてん)を1個ほおばっている。2分ほどの拍手の後、私たちはまた体操服のままステージに出て行く。
 
アンコールの拍手が普通の拍手に変わる。声援もある。
 
「アンコールありがとうございます」
拍手がある。
「人生、悩むこともあります。後ろを見て悔やむこともあるし、自分には別の生き方があったのかもと思う時もあります。あの時ああしていればと思うこともあります。でも私たちは過去には戻れません。未来に向かって進むことしかできないのです。そんな気持ちを歌った鴨乃清見先生の曲『門出』」
 
大きな拍手がある。青葉も入って来て龍笛を構える。
 
私の歌唱力をギリギリまで酷使するような曲だ。声域もいちばん下からいちばん上まで使っている。この曲を歌えなくなったりしないように自分は日々研鑽をしていかなければと思わせる。マリに割り当てられたパートはそんなに難しくないものの、私のパートでは通常ありえないような音の進行をする所があり、伴奏者が音を出す前にこちらが歌い出す所もあるので、かなりしっかりした音感を持っていないと音を出し間違える。伴奏者にもヘビーな演奏を強いていて、ギターにもサックスにも、そして龍笛にも超絶プレイを要求している。とんでもない難曲だが、聴いている分には圧倒されるような感覚がある、と氷川さんは言っていた(氷川さんはお世辞を言う人ではない)。ネットでも「なんつー曲だ!」と半ば呆れるような書き込みが多かった。
 
今日の観衆も手拍子を打つのも忘れて聴いてくれている。
 
そして終わるのと同時に物凄い拍手があった。今日のライブで最高の拍手をもらった感じがした。
 
私たちは笑顔でお辞儀をすると、スターキッズや青葉とともにステージ下手に下がった。
 

再びアンコールの拍手がある。私はコーラを一口飲む。マリはまた凍天を1個食べている!「これ売ってる所教えてください」などと言っている。どうもかなり気に入ったようだ。
 
今度は私とマリのふたりだけで出て行く。
 
「再度アンコールありがとうございます」
拍手がある。
 
男性スタッフが2人入って来てクラビノーバをステージ中央に設置する。
 
「まだまだ復興には遠いですけど、やがては福島や宮城・岩手が日本でいちばん活力にあふれた地域になるといいですね」
と言ってから私は最後の曲名を告げる。
 
「それでは本当にこれが最後の曲です。愛し合っているのに別れてしまった恋人が長い年月を経て再会し今度こそは結ばれるという歌『Long Vacation』」
 
拍手がある。私がクラビノーバの前に座り、マリはいつものように私の左側に立つ。私の弾く前奏に続いてふたりで一緒に歌い出す。
 
この曲は小夜子とあきらの恋を歌った曲ではあるのだが、発表した当時は、ローズ+リリーの休養が終わって活動再開するという宣言ではないかと随分言われた。そして実際にその後、半年ほどで私たちは完全に活動を再開した。実際にはそんなこと考えてなかったんだけどね!
 
あの頃のこと、当時たくさんやった東北方面でのゲリラ・ライブのことなども思い出しながら私はこの歌を歌っていった。なぜか涙が浮かんでしまう。私は感極まりながら歌っていた。
 
そして私は自分が涙を浮かべてしまったことで「やられるかも」と思っていたら案の定、マリは間奏のところで私にキスをした。
 
「きゃー!」
という悲鳴が観客席からあがるが、私たちのキスに対して悲鳴が上がるのもどうもお約束になりつつあるなと私は思った。
 
私は笑顔でこの曲の後半を弾きながら歌っていく。
 
そして静かに終曲。
 

拍手が凄い。歓声が凄い。私は立ち上がってマリと手をつないでステージ前面に出て行き、一緒に大きくお辞儀をした。そして両手を斜めにあげてたくさんの歓声に応え、それから再度お辞儀をして下手に下がった。
 
品川ありさが「これにて本日のローズ+リリーのライブは全て終了しました」の口上を述べた。
 

3月13日(日)、##放送をキー局とする全国ネットで、先月の全国的な大雪被害に関する特集番組が放送された。ここは2014年1月5日に、KARIONが実は最初から4人であったことを「08年組特集」で公開することになった放送局である。そして今回、この番組の前宣伝の中に
 
《KARION,ローズ+リリーのファン必見》
 
という文字が入っていた。この大雪でKARIONと片原元祐さんが奈良県の山奥の温泉宿に数日間閉じ込められてしまったことは当時一緒に閉じ込められてしまった奈良##放送のクルーによるレポートで知られていた。それでこの番組は報道系の番組としては異様な視聴率になった。
 
番組はとってもまじめに作られている。当日の天気図や気象衛星の写真が表示され、気象予報士の人や大学教授などにも取材して、この大雪の原因に関する推測などが語られる。
 
東北や北信越でも道路の不通や孤立した村のことが報道されたが、奈良県の奥八川温泉については、被害の多かった地域からはずっと南方であったこと、そしてたまたまテレビ撮影のクルーが行っていて、泊まり客などにインタビューした映像があったこと、特にKARIONの4人や片原元祐さんなどという有名人がいたことからけっこうな分数を割いてインタビュー映像が流れていた。
 
停電で2日間も電気が使えなかったことについても相沢孝郎社長が「またこんなことにならないように自家発電設備を発注した。ゴールデンウィークには間に合わせる」とテレビ局の取材に対して答えていたのも好感されたようだった。そもそも彼はKARIONのバックバンドのリーダーとしてある程度顔も知られているので、美空がいかにも美味しそうに旅館の料理を食べている所があらためて流れたのとも相まって、この旅館への予約が随分たくさん入ったようだ。結果的には良い意味での宣伝になったようである。
 
そして番組の最後の方になってから、27日11:30頃にKARIONの4人が食事している所の映像が映る。カメラは食事が終わった所で蘭子が、他の3人に手を振り、防寒具とサングラス・手袋を身につける様子が映る。
 
このあたりからネットでの書き込みを見てチャンネルを変える人なども出たようで、視聴率が何だか物凄いことになった。
 
そして庭に出て、同様に防寒具とサングラス・手袋をした女性が運転席に座っているスノーモービルのタンデムシートに蘭子が乗り込む所が映ると
 
「これだったのか!!」
「スノーモービルか!!!」
という書き込みがツイッターに大量に書き込まれた。「スノーモービル」という単語がツイッターのトレンドに上がって、それでこの件に気づいた人もかなり出たようである。
 
12時にスノーモービルで奥八川温泉を出れば大原から車に乗って夕方には五條に辿り着くので、その日の内にJR/近鉄と東海道新幹線を乗り継いで東京まで辿り着くことができる。すると朝一番の東北新幹線で福島に入ると充分朝9時の番組に出演可能なのである。ネットの住人たちの多くはこの連絡が存在することを確認して、それで納得してしまった。「でも福島市内で27日19時半頃、ケイとマリが並んで歩いているのを見たよ」という数件の書き込みは無視された。
 

蘭子が再度KARIONの他の3人に手を振ってスノーモービルが出発し、雪原の中に消えて行く所で番組は終了した。
 
そういう訳で、この日で私は「らんこ」と「ケイ」は別人と、わざわざ主張するのはやめることにしたのであった。
 
 
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【夏の日の想い出・分離】(3)