【夏の日の想い出・分離】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-03-12
「ところで和泉ちゃんの隣に座っている美人さんはどなたでしたっけ?」
と千里が訊くので美空が
「相沢さんだよ」
と答える。
千里は目をぱちくりさせて
「まさか相沢さん、性転換しちゃったの〜?」
と訊く。
「あ、どもー。相沢孝郎(たかお)あらため海香(みか)です。秋に海外旅行してきて、ちょっと身体を直してきました」
などと海香さんが言う。
「へー。黒木さんが性転換するなら分かるけど、相沢さんが性転換したというのはちょっとびっくり。確かに男性時代の面影がありますね」
と千里。
「海香さん、信じられてしまってるけど?」
と小風が言う。
「へ?」
と千里は小風を見て声を出す。
「相沢孝郎さんの妹さんですよ」
と和泉。
「なーんだ。びっくりした!」
「孝郎さんが弟さんの件で忙しかったから、今回の音源制作では代わりに妹の海香さんにずいぶんギターを弾いてもらっているんだよ」
と私は説明する。
「なるほどー、そうだったのか」
「ライブにも私が出て行って相沢でーすと言ったら、きっとお客さん、私が性転換したんだと思うよね?」
「ああ、それは絶対思われそう」
京都駅にお昼過ぎに着いたので、一緒に御飯を食べた後で、予約していたレンタカーを借りる。元々11人という人数であったため、車は8人乗りのヴェルファイアと5人乗りのプリウスを借りていた。
「雪が降ってるね」
と空模様を見て小風が言う。
「すみません。これタイヤはどうなってますかね?」
と社長が尋ねる。
「どちらもブリザック(ブリヂストンのスタッドレスタイヤ)履いてますよ」
とレンタカー屋さんのお兄さんが答える。
「だったら安心ですね」
当初の予定ではプリウスは私と花恋が交代で運転してKARIONの4人が乗り、ヴェルファイアは黒木さんと社長が交代で運転して、他の7人が乗車することにしていたのだが、結局千里がプリウスに乗って、私と千里で交代して運転することにする。花恋はヴェルファイアの方に乗る。
「こちらは女1人になるかと思ってたから良かった」
などと海香さん。
「そういう時は黒木さんに女装してもらって」
と小風。
「SHINさん、女装するんだっけ?」
と海香さんが訊く。
「しない、しない。こいつらに乗せられて何度かスカートとか穿いたけど」
と黒木さんは笑って言う。
「ふーん。SHINさん女装似合いそうだけど」
と海香。
「SHINさん、66のスカート穿けるんですよ」
と小風。
「それは凄い」
「何か凄いんだっけ?でも俺はローズクォーツのTAKAとかとは違うから」
と黒木さん。
「あの人、結局性転換したんだっけ?」
「してない、してない。あいつは女になりたい訳じゃ無くて単に女の服を着るのが好きなだけだよ」
うーん。SHINさんにまで女装趣味があると思われているか。
「でもウェディングドレス同士の結婚式の写真出てたじゃん」
「あれはマリちゃんが唆しておふざけでやったんだよ」
「なーんだ。でもあれで結構全国のMTFレスビアンの人たちが勇気付けられたと思うよ」
「ああ、それはあるかもね」
プリウスの方は、道のいい所を冬が運転しなよと千里が言うので、遠慮無くそうさせてもらうことにして、最初に私が運転席に座った。助手席が千里で後ろに美空・小風・和泉である。
「でも花恋ちゃんと冬が交代で運転することにしてたのね。フルビッターの和泉ちゃんじゃないんだ?」
と千里が訊く。
「ごめーん。私、実際にはあまり運転の自信が無い」
「嘘!?」
「年間2000kmも走ってないと言ってたね」
と小風が言う。
「うん。実際問題として神田のマンションに住んでて、スタジオとかレコード会社に行くのも実家に行くのも電車だから、車は一応買っているけど、駐車場から出すことはめったにない」
などと和泉は言っている。
「2000kmなら私の1週間の走行距離だなあ」
などと千里は言っている。
「でも確かに都会に住んでいるとあまり車を使う機会無いかもね」
「車は何持ってるの?」
「CR-Zだよ」
「おぉ、さすが」
「それ、大学1年か2年の頃に買ったんじゃなかったっけ?」
「そうそう。2年の時」
「その頃、何度か乗せてもらった」
「うん。最初の内はけっこうドライブしたけど、その内全然使わなくなってしまって」
「実際問題として、和泉より妹さんの方が走らせているとか言ってたね」
「うん。ちょくちょく妹が借り出している」
「フルビッターのペーパードライバーか!?」
高速を降りた後、国道24号を南下、橿原市内のコンビニで休憩した所で千里と運転を交代する。助手席に和泉が座り、私は後部座席に行って少し休ませてもらう。しかし最初はわりとしっかりした道路であったが、海香さんがセットしてくれたカーナビに従って進んでいくと、道は次第に山道っぽくなっていったようで、上手な千里の運転なのに結構な揺れがある。
「このあたりは雪が道路にも積もってるね」
「まあ雪道の運転は慣れてるから平気だよ」
「あ、そうか。千里、北海道だもんね」
「いや、北海道では(免許取ってからは)あまり運転してない。高校卒業したら千葉に出てきたから」
「あ、そうか」
「桃香の実家に行くのに北陸の道を随分走っているし、あとは雨宮先生の運転手として東北とか山陰とかも走り回ってるから」
「なるほどー」
「でもこの付近の雪はまた雪質が違うね」
と運転しながら千里は言っている。
「ああ、地域によってけっこう違うんだろうね」
「山陰の雪質とやや似てるかなあ」
千里が雪道を慎重に運転したので目的地に到着したのは16時頃であった。
「いい風情の旅館だね」
と外観を見て小風が言う。
「物は言いようだね」
と美空。
「まあボロいね」
と千里はハッキリ言う。
「ここは一軒宿と言っていたね」
と和泉。
「うん。この奥八川温泉にはこの宿しかない」
と私。
「というか、ここにはこの宿屋以外の家が無いような」
「集落からも離れているよね」
「そうそう。集落の郵便局の所で残り1.2kmと表示されていたから」
と千里が言う。
「凄い場所だね」
と和泉。
「その集落からの道も細かったね。対向車来たらどうしようと思った」
と小風。
「あの道が崖崩れとかで通れなくなったら、私たち閉じ込められたりして」
と美空が言う。
「そういう悪いことは言わないこと」
と千里が言っている。
「閉じ込められたら困るよ。28日には福島でライブがあるのに」
と私。
「いや、福島のライブに出るのはローズ+リリーのケイでここに居るのは顔が似ているけどKARIONの蘭子だから関係無いはず」
と小風。
「うーん。その話はもういい加減にやめようかなあ」
と私も言った。
玄関を入った所にロビーがあるが、そこで黒木さんと鐘崎さんがコーヒーを飲みながら話していた。
「すみませーん。待ちました?」
と私は言う。
「いや。僕らも5分くらい前に着いた所。宿泊が1人増えたのは言っといたから。でも、なんか凄い道だったね」
と黒木さん。
「道が狭いし、雪が積もっているし」
と和泉。
「あれ路肩がどこか分からないじゃん。それでもう慎重に時速5-6kmくらいで走ってきたよ」
と黒木さん。
「こちらも慎重運転でしたけど、5-6km/hまではいかないですね。20km/hくらいだったかな?」
と和泉。
「うん、そのくらい」
と千里。
「よくそんな速度で走れるね!」
「路肩は把握の仕方があるんですよ」
「あ、そうか。醍醐さん、北海道だったっけ?」
「ええ」
「さすが北国の人は違うなあ」
「黒木さんはどこでしたっけ?」
「僕は島根。それで一応雪道は何度か走ったことあるんで、雪道になった所から社長と運転交代したんだけどね」
「なるほどー」
「海香さんに助手席に乗ってもらった。海香さんが運転しましょうか?と言ったんだけど、万一事故が起きた場合の責任の問題があるからさ」
「確かにそれはありますよね」
と小風が納得したように言う。
「だったら部外者の私が運転して良かったのかなあ」
などと千里は言うが
「国際C級ライセンス持ってる人はさすがに別格」
と私は言っておいた。
「そういえば他の人は?」
「社長と海香さんはTAKAOと何やら話し込んでいた。HARUとMINOは一風呂浴びてくると言って湯の方に行った。花恋ちゃんは車酔いしたみたいで部屋で寝てますと言ってた」
「なるほどー」
旅館の仲居さんが、私たちにもコーヒーを持って来てくれたので、それを飲みながら私たちも少し休み、黒木さんたちとおしゃべりしていた。その内、女将さん(相沢さんのお祖母さん)が出てきて挨拶してくれた。80歳とは聞いていたがまだ充分60代前半に見える。とっても若い人である。何より目が輝いているので、それでよけい若く見えるのだろう。
「遠い所からお越し下さいましてありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、葬儀の時には来れなくて申し訳ありませんでした」
挨拶などした上で少し話している内に
「もし良かったら温泉に入られませんか?」
と言うので、まだ夕食まで少し時間があるしということで、私たちも温泉に行くことにした。
シャンプーとリンスはお風呂場に備え付けのを使ってくださいということだった(通常のシャンプーは湯質の関係で全く泡が立たないらしい)ので、タオルだけもらって5人で浴場の方に向かう。
浴場は別棟になっていて渡り廊下を渡って階段を降りた所にあった。右側に女湯、左側に男湯がある。私たちはもちろん5人とも女湯の方に行く。
「冬はさ、この男湯と女湯が別れる所で悩んだりしてなかった?」
と千里が訊く。
「悩みはしてたけど、自分はこちらに入るべきだと思って女湯に入っていたよ」
と私が言うと
「こちらに入るべきだと思って男湯に入ったんじゃなくて、女湯なんだ?」
と和泉が驚いたように言う。
「それは私も冬も同様だと思う。男湯に入るのは絶対違うけど、本当に女湯に入ってもいいのかで悩んでいた」
と千里は言った。
私たちは脱衣場に入り、服を脱ぎながら話す。浴場には今誰も居ないようである。
「冬、小学生以降は男湯に入ったこと無いって言ってたね」
と小風。
「うん。千里もでしょ?」
「小学4年生以降で言えば、ほとんどそうかな。その後、男湯に入ったのはほんの数回しかない」
「入ったんだ?」
「一番最後に入ったのが高校2年の時でさ」
「嘘!?」
「お父ちゃんが風呂行こうと言って連れて行かれて。当時自分の性別のことお父ちゃんにはまだ言ってなかったからさ。男湯に入っちゃったよ」
「でもそれもう性転換した後だよね?」
「必死で胸とお股を隠してたよ」
「凄い」
「でも後から入って来た人はここ混浴だっけ?と思ったみたい」
「まあ思うよね」
私たちは浴室に移動し、各自からだを洗ってから、浴槽につかりまたおしゃべりを続ける。
「でも私、冬を女湯の脱衣場で最初に見かけた時はびっくりしたなあ」
などと小風が言う。
「あれは高校1年の暮頃だったっけ?」
と私は懐かしむように言う。
「うん。だと思う。あれデビュー直前くらいだったし。それで、もう手術しちゃったの?と訊いたら内緒と言うけどさあ。裸になった所を見たら、おっぱいは普通にあるし、お股には何も無いし」
と小風。
「私が結局いつ性転換手術したのか分からないと言う友だちが多いね」
と私は言っておいた。
「ああ、それは私もよく言われる」
と千里。
「まあ誤魔化して入っていた時期が結構あったからね」
「性転換した後で友だちと一緒に温泉に行った時、これまでと何も変わらないようだがと言われた」
「ああ、それはこちらも言われた」
「実際には、冬は小学2年生の時、千里は小学3年生の時に性転換手術したんだったっけ?」
と美空が言う。
「何かこの手の適当な噂の発信源のひとつは美空のような気がするなあ」
「ああ、同感」
「実際はふたりとも高校1年の時だったっけ?」
と和泉が訊くので
「私は実際には大学2年の時」
「私は本当は大学4年の時」
と私と千里は言ったが
「それはさすがに嘘が酷い」
と小風から言われた。
「冬はライブは何時だっけ?」
「28日16時。一応27日のお昼くらいから移動しようかなと思っている。花恋に橋本駅まで送ってもらって、ここから橋本まで2時間くらいで行くはずだから関空から仙台空港まで飛べば向こうに21時半頃に着くんだよ」
「飛行機がもし欠航したら?」
「新幹線の乗り継ぎでもその時刻から22時すぎに到着する」
「飛行機も新幹線も変わらないじゃん」
「そうなんだよね〜」
「福島空港って無いんだっけ?」
「あるけど、福島空港って郡山市より南方にあって、福島市まで1時間以上掛かるから仙台空港の方が便利。便数もあるし」
「ライブに間に合う最終連絡は?」
「28日6:55に橋本を出て新幹線乗り継ぎで福島駅に14:16に到着する。まあそんなギリギリに行ったらいけないけどね」
「千里は試合は何時?」
「27日の15:00秋田市内」
「秋田市までの最終連絡は?」
「来る途中、乗換案内で確認したけど、27日の朝6:34に橋本を出ると秋田に14:16に到着する連絡がある」
「じゃ27日の朝御飯まで食べてから行けばいいね?」
と美空が言うので
「みーちゃん、ここから橋本までの時間を考えてない」
と小風が指摘する。
「うん。26日中にこちらを出るよ。矢鳴さんに迎えに来てもらうことにした。26日の夕方こちらを出て大阪まで送ってもらう。大阪近辺で泊まって朝7:30の新幹線に乗れば秋田に14:08に到着するから。実は他の選手は東京から同じ新幹線に乗るんだよ。東京10:20発なんだけどね」
「ああ。じゃそのコースがいいかもね」
「だったら26日の晩御飯を食べてから出ればいいね?」
と小風。
「うん。そうしようかな」
「ご飯はちゃんと食べなきゃね」
と美空が言うと
「みーちゃんには、それが一番大事だよね」
という声が出る。
お風呂からあがった後、夕食に行く。
山の中の1軒宿なので、肉料理が中心かなと思ったら、勝浦漁港から買い入れてきたというお魚のお刺身が新鮮でびっくりした。大きな鰹の頭を丸ごとオーブンで焼いたものも物凄く美味しかった。ロースト・ボニートという感じである。
「お若い方はお肉のほうがいいかとも思ったのですが、逆に普段お肉が多いなら、お魚もいいかもと思いまして」
などと女将さんが言っていた。
ご飯はおひつに入れて私たち5人と起きてきた花恋の女6人連れの所に1つ置いてあったのだが・・・私たちが食べている所の様子を見た女将は、とってもさり気なく、おひつをもうひとつ美空の横に置かせた。
「そちらのおひつの方が先に無くなりそうだ」
と小風。
「そちらは食べそうなのは千里くらいだね」
と美空。
「私も高校1年の頃までは食が細すぎると言われてたんだけどね」
と千里。
「自分の性別問題に決着が付いてからは、しっかり食べて身体を鍛えるようにしたから。今の筋肉って、だから高校2年以降に付いたものなんだよ」
「ということは、やはり高校1年で女の子になったんだ?」
と美空。
「もう最近みんながそう言うから、それでもいいことにした」
などと千里は言っている。
食事が終わってから部屋に案内してもらい、お茶菓子などももらって少し一息付いたかなと思っていたら、20時近くになってから花恋が来て
「KARIONの4人さん、ちょっといいですか?」
と言う。千里が
「行ってらっしゃーい。気をしっかり持ってね」
と言って手を振っているので私と和泉は顔を見合わせて少し緊張した面持ちで男性部屋の方に行った。
(今回の部屋割は、千里・花恋を含む女性6人で1部屋、社長を含む男性5人で1部屋にしている)
部屋には、社長、相沢兄妹、黒木さんたち4人の合計7人がいる。そこに私たち4人が入り、花恋は私たちを案内した後「醍醐さんと一緒に居ます」と言って下がった。
私と和泉は緊張したまま座る。小風も空気を感じて顔が引き締まっている。美空は何だろう?という顔である。
「あのぉ、まさか∴∴ミュージックが倒産したんですか?」
などと美空が訊くので、難しい顔をしていた社長が思わず破顔して
「いや、大丈夫だよ。君たちがたくさん稼いでくれているからうちの会社は安泰」
と言った。
「実はたいへん申し訳無いんだけど、僕はトラベリング・ベルズを辞めさせてもらおうと思って」
と相沢孝郎さんが言ったのに、私は驚愕した。
孝郎さんの説明はこうであった。
11月に社長をしていた弟さんが亡くなり旅館の後継問題が浮上した。五十日祭を待って、名目だけの専務をしていた孝郎さんが取り敢えず社長を継承、海香さんも名目だけという約束で常務となった。孝郎さんは社長に就任すると会社の帳簿をチェックした所、高額の工事代金を二重に計上したり、勤務実態の無い人への給料が支払われたことになっているなど、見るからにおかしな所が多数見つかった。
「最初は単純ミスと考えたかった。多少なら目を瞑るつもりだった。しかし金額が大きすぎてね」
と孝郎さんは言った。
それで新社長の権限で大阪の監査法人の会計士を呼んで会計監査をしてもらった。その結果帳簿が保管されていた過去7年間だけでも5千万円もの使途不明金が発覚したというのである。
経理を担当していたのは番頭の奥さんであった。孝郎さんは監査結果の書類を示して彼女を追及するが、埒があかない。それで、これなら業務上横領で告訴せざるを得ないと言うと、番頭さんの方が、それは自分が指示してやらせていたもので全ての非は自分にあり、妻には罪は無いと告白したのであった。
番頭さんの息子が強姦事件を起こしたり、傷害事件を起こしたりして多額の賠償金が必要になり、最初は「ちょっとだけ借りておいて後で返す」つもりで会社のお金に手を付けてしまったものの、それが返せなくなり、発覚しないように色々帳簿上の工作をしたということであった。
「取り敢えず2人には辞めてもらうことにした。退職金は払うことにした」
「払ったんですか?」
「但しそれは会社に与えた損害に対する賠償金の一部として相殺させてもらった。だから実際にはお金は払っていない」
「退職金だけでは足りませんよね?」
「足りない分は損害賠償請求の訴訟を起こした」
「当然ですね」
「祖母さんは長年貢献したんだから、ふたりの借金ということにしてやれと言ったんだけど、当人たちが既に破産寸前なんだよ」
「ああ・・・」
「息子が起こした事件の賠償金支払いのため、既に持っていた山も手放し、家も土地も抵当に入っている。その上、カードローンやサラ金に2000万円くらい借金があるらしい」
「じゃ、借用証書書いてもらっても無意味ですね」
「うん。破産で消えてしまう。だから敢えて訴訟を起こした」
「なるほど」
「まあそれでだ。やり手でアイデアマンで従業員や旅行業者・仕入れ業者さんたちの信頼を集めていた弟が急死して、それでなくても従業員はみんな動揺している。そこに多少煙たがられてはいたみたいだけど、みんなが頼りにしていた番頭夫妻が不正経理で首になったとあれば、みんな不安でたまらないと思うんだ。それで俺は板長さん、仲居頭さん、それに女将(相沢さんの祖母)と4人で話した」
「はい」
「板長は俺がガキの頃に随分可愛がってくれて、俺にスキーを教えてくれた人でさ。自分は女将にも義理があるし、もし俺が主人になってくれるなら自分は辞めないと言った。俺はだったら自分が若主人になると言った。それで板長も仲居頭も納得してくれた。他の従業員は自分たちが説得すると言ってくれた。だから、俺はここの主人になることにした」
私たちは無言で聞いていたが、私は相沢さんの言葉に「漢」を見た。みんなの表情を見ると、小風も相沢さんを憧れのまなざしで見ている。和泉はポーカーフェイスであるが、恐らく様々なことを考えて、脳味噌が高速回転しているのだろう。
「いや。もうこのまま旅館を畳むことも考えたんだよ。しかし畳んだら祖母さんが生き甲斐を失って急速に老け込むだろうしさ。それに弟が積極的に営業をしていた結果、団体旅行の予約とかを向こう1年くらい先まで受けているんだよ。旅館を畳んだら、その違約金が恐ろしいことになる」
と相沢さんは言う。
「わぁ・・・・」
「それでなくても、その5千万円の欠損金を含めて銀行への借金もかなりある。旅館を閉めたら役員に名前を連ねている俺の責任も問われる。俺自身が破産に追い込まれる」
「前門の虎・後門の狼みたいな話ですね」
「そうなんだよ。だからここは進むしかないと思った。でもこの村に居てKARIONまではできない。それで社長に相談させてもらった」
そこで初めて畠山社長が発言する。
「彼の辞意をどうするかは、僕自身としては、君たちKARIONの4人の気持ち次第だと思うんだよ」
「そういうことであれば仕方ないと思います。TAKAOさんの決断を尊重します」
と和泉は即答した。
私も小風も頷いた。美空は少し考えていたが
「この旅館の料理すごく美味しかったもん。こういう所は無くしたらいけないと思います」
と言った。
それでその場が急にやわらいだ感じになった。
「俺たち4人としてもTAKAOの考えを尊重したいということにした」
と4人の中で最年長の児玉さんが4人を代表するかのように言った。
「では彼の辞意を認めていいね?」
と社長。
「はい」
「みんな済まん」
と言って孝郎さんはみんなに頭を下げた。
その時唐突に海香さんが言った。
「兄貴が辞めちゃうなら、代わりに私がトラベリング・ベルズに入っちゃおうかなあ」
この発言にはその場に居た全員が驚いた。孝郎さんも驚いた顔をしているから事前に誰にも言ってなかったのだろう。しかし黒木さんが真っ先に答えた。
「歓迎、歓迎。ぜひトラベリング・ベルズのギターを弾いてよ」
「あ、でも大学院卒業するまでは学業優先にしてもらってもいいですか?」
「うん、いいよいいよ」
と畠山さんも笑顔で言った。
翌26日は孝郎さんは午後から私たち4人+千里を旅館の送迎用ワゴン車に乗せて八川集落まで自分の車で連れて行き、そこの夏祭りで使う屋台等が展示してある記念館、農産物や土産物のお菓子などを置いている物産館、村出身の歌人の碑、村外れにある「四本杉」とか「白糸の滝」と呼ばれている(本当に!)小さな滝などを見せてくれた。
「まああまり大して見るような所は無いんだけどな」
「でもこの四本杉はかなりの樹齢ですね」
「うん。奈良大学の先生の鑑定では樹齢1200年くらいだろうということ」
「凄いですね、それは」
孝郎さんたちの両親が住んでいる家にも寄ったので、私たちは挨拶をしておいた。両親は夏は畑を耕し、冬は椎茸の菌床栽培をしているということだった。その椎茸を少々と大根を段ボールに1箱受け取り荷室に積んでいた。
「いや孝郎に苦労掛けてしまって済まん。俺が社長やれたら良かったんだが、俺全くそういうセンスがないから。昔会社勤めした時も3ヶ月で首にされてしまったし」
などとお父さんは言っていた。
「この人は畑の作物を見るのと神楽の笛吹くくらいしか才能がないからね。そういう私もお金とかのこと全然ダメで。目の前にあるお金は全部使っちゃうから私が経理とかしたら半年で倒産しちゃうよ」
とお母さんも言っていた。
「そうだ神主さんに挨拶しとかなくちゃ」
と言って、孝郎さんの車は村の神社に向かう。
明日の「百日祭」はここの宮司さんが斎主をしてくれるのである。
孝郎さんが降りるので私たち5人も何となく付いて行く。社務所に入り、宮司の奥さんがお茶を出してくれたので頂いた。
「今宮司は御旅所の方に行っているんですよ。すぐ戻って来ると思いますから」
「奥様は巫女さんもなさるんですか?」
「若い頃はしてたけど、結婚する時に引退したんですよ。祭礼では村の小中学生に巫女さんをお願いしてるんですよ」
「なるほどー」
お菓子まで頂いておしゃべりしていたら、10分ほどで宮司さんが戻って来た。作務衣姿なので、何か純粋な作業をしに行っていたのであろう。
「ああ、お待たせしました」
と言って部屋に入ってきたが驚いたような顔をして
「あんた何者?」
と言った。
宮司さんの視線の先は千里である。
「お邪魔しております。相沢さんがなさっているバンドの関係者です」
と千里は笑顔で答える。
「あんた、凄い巫女だね」
「越谷市のF神社の副巫女長を拝命しております。昨年春までは千葉市L神社の巫女をしておりました。一応巫女歴は12年ほどあります」
「さすが。あんたが男だったら、あんたに斎主をしてもらいたいくらいだよ」
「私はただの関係者ですので遠慮しておきます。宮司さま、斎主よろしくお願いします。それに私は今夜発つ予定ですし」
「分かった。あれ?あんた最近、子供を産んだよね」
「ええ。それもあって神事はしばらく休ませて頂いているのですが」
その会話に和泉と小風が「へ?」という顔をしているが美空はニヤニヤしている。
「でもあんたは子供を産んでもまるで処女のような巫女のパワーを保っている。凄いな」
「私が駆け出しの頃、指導してくださった留萌Q神社の巫女長さんは3人の子持ちですが、強い力を持っておられました」
「うん。時々、そういう凄い人がいる。うちのとか最初の妊娠できれいにその方面のチャンネルは閉じられてしまったみたいだけどね」
「ああ。そういえば私、幽霊見なくなった」
と奥さんは言っていた。
八川集落と奥八川温泉の間の細い道を車は走って旅館に戻る。車内で千里はどこかにメールをしていた。表情から見て彼氏では無さそうなので、桃香にでも連絡しているのかなと私は思った。
「なんか雪が強くなってきましたね」
と小風が言う。
「うん。天気予報でも今夜大雪と言っていたから明日の朝、除雪が大変かも知れん」
と孝郎さん。
「この道の除雪はどうするんですか?」
「旅館で除雪車持ってるから、それでやるよ。作業やってくれる若い衆を念のため今日中にこちらの集落から呼んでおく」
「へー」
「蘭子ちゃん、何時のに乗るんだっけ?」
「明日27日のお昼すぎにこちらを出て橋本を16:05の電車に乗って関空から飛ぶつもりです」
「この天候なら飛行機飛ばないかも知れないよ」
「その場合は新幹線乗り継ぎでも辿り着けます」
「どっちみち早めに出た方がいいかも知れないなあ」
「そうですね」
「醍醐さんも秋田に行かなければいけないのでは?」
と和泉が心配する。
「うん。今矢鳴さんとメール交換していたんだけど、五條市とこちらの間の道路が今一時通行止めになっているらしい」
「嘘!?」
「警察の人に訊いてみると今日はもう無理だと言われたって。除雪作業は明日の朝からするって」
「え〜〜!?」
「仕方ないからとにかく道路が開通するのを待つしかない。矢鳴さんには五條市内で泊まってもらうことにした。私もチームの方に道路通行止めで動けないので、ひょっとしたら明日の試合に間に合わないかも知れないと連絡した」
「千里が出場しなかったらやばいんじゃないの?スリーポイント女王でしょ?」
「私は試合には出ないんだよ」
「え?そうなの?」
「チームの一員として同行するだけ。試合に出るためには毎年5月の時点で選手登録されていないといけないから。私は3月まではあくまで40 minutesの選手だよ」
「なるほど」
「でも道路が不通なら蘭子もやばいのでは?」
「明日の昼までには開通しますよね?」
「それを祈るしかない。最終連絡は?」
と相沢さんが訊く。
「一応28日の朝1番の便に乗れば間に合うことは間に合います」
「27日中には何とか復旧するんじゃないかなあ」
と相沢さんはやや不確かな感じで言った。
私たちが旅館に着いてみると玄関近くに大きなアンテナを乗せたテレビ中継車が停まっている。何だろう?と思いながら玄関を入って行くと、テレビカメラを持った人たちがいた。私たちを見るとひとりの女性が「あっ」という顔をしてマイクを持って駆け寄ってきた。
「済みません。もしかしてKARIONさんですか?」
と質問したのは、私も見たことのある関西ローカルのタレントさんである。名前は・・・何だったっけ!? と思ったら和泉がお返事をした。
「はい、そうですよ、西風帆奈美ちゃん、ご無沙汰」
と和泉が笑顔で言う。
この時、千里は和泉と私が持っていた荷物をさり気なく手に取るとカメラに映らない所に移動した。
「わっ、私を覚えてくださってましたか」
「デビューして間もない頃、帆奈美ちゃんの出ておられる番組に出演させて頂きましたね。4人で」
「そうそう。あの時4人のKARIONさんとお話したのに、その後、3人で活動しておられるみたいだったから、蘭子ちゃん辞めちゃったのかなあと思ってたんですよ」
「すみませーん」
と私は謝る。
「ところで、蘭子ちゃんとローズ+リリーのケイちゃんは同一人物なのではという疑惑に関しては?」
と彼女は私に質問してくる。
「ケイちゃんと私、よく似てると言われるんですよねー。でも他人の空似ですよ」
と私が答えると、小風が呆れたような顔をしていた。
「こちらはご旅行ですか?」
「この旅館の社長が私たちのバックバンド、トラベリング・ベルズのリーダーなんですよ。その縁で訪れたんです」
「おお、バンドマン社長ですか!凄いですね。あれ、もしかしてあなたですか?」
と帆奈美は孝郎にマイクを向けた。
「ええ。先月社長になりたてですが。ギターを弾くようなパワーで楽しい旅館にしていきますので、よろしく」
と孝郎も笑顔でカメラに向かって答えた。
「ところでこれ生中継じゃないよね?」
「生中継です。スタジオさん、いったんお返しします」
私も和泉も「嘘!?」という表情をした。
スタジオと切れた後で、帆奈美ちゃんが説明する。離れていた千里もこちらに戻って来る。帆奈美ちゃんは千里を私たちのマネージャーと思ったかなと私は思った。
「いや、実は俳優の片原元祐さんがこちらに来て温泉とお料理を楽しむ所をレポートすることになっていたんですよ」
「なんて突然出てくる大物の名前」
片原元祐さんというのは、昨年夏に関わった歌手の松居夜詩子さんの息子である。つまり作曲家・本坂伸輔の内縁の妻であった里山美祢子さんの弟にも当たる。一昨年に連続歴史ドラマで主役の武田信玄を演じたことから、今特に注目されている俳優のひとりだ。
「もしかしてこの雪で遅れておられるんですか?」
「そうなんですよ。ここまであと8kmの表示は出ているそうですが」
「割と近い?」
「でもその8kmが時間掛かるみたいで」
「それ国道168号ですよね?168号は通行止めになってませんでした?」
「そうなんです。今新たにこの道には入れません。猿谷ダムから風屋ダムの付近が通れなくなっているらしいんですよ。それで車を順次、こちら方面と五條方面とに誘導しているらしくて」
「片原さんの車はどちらにおられるんですか?」
「風屋ダムより少しこちら側になるみたいです。ですから多分今日中にはこちらに辿り着くだろうけど何時になるかは分からないと」
「ああ・・・」
「それで放送ではひたすら『まだ来ておられません』と言っていた所で、KARIONさんのおかげで、助かりました」
「通行止めになっいるんだったら、帆奈美ちゃんたちも泊まり?」
「ええ。それは最初から泊まりの予定で来ました。夕食を頂いておられる所をレポートしないといけないから」
「片原さん、夕食に間に合いますかね?」
「夕食の様子は深夜の番組で流すので、それまでに到着してもらえたら。もしその放送時間までにも間に合わなかったら、KARIONさんの食事風景とか撮影できます?」
「いいですけど、私たちはあまり豪華な食事は取りませんけど」
と和泉が言ったが
「いや、その時は豪華なのを出すよ」
と孝郎さんが言い
「おっ、楽しみにしておこう」
と美空が言った。
結局片原さんは20時くらいに到着したので、私たちは放送用の「豪華な食事」は食べ損ねたものの、孝郎さんが「これサービスね」と言って神戸牛のすき焼きを差し入れてくれたので、美空が大喜びしていた(これを食べている所も撮影された)。このすき焼きはとっても美味しく、神戸牛でもかなりグレードの高いものかなと私は思った。
なお、明日の霊祭を取り仕切ることになる神主さんが孝郎さんたちの両親と一緒に、同じ頃、こちらの旅館に入った。明日、集落との間の道路が一時的に使えなくなる可能性もあるとみて今夜の内にこちらに入っておくことにしたらしい。
翌2月27日朝、私たち(取り敢えず私と千里と和泉と花恋)は6時半頃、目覚めた。空調が切れているようで寒い。スイッチを入れようとしたが点かない。何だか薄暗いので、灯りをつけようとしたものの、それも点かない。
「停電かな?」
「ちょっと聞いてきます」
と言って花恋が部屋を出て行く。そして10分ほどで海香と一緒に戻って来た。
「すみません。雪のせいで電線が切れてしまったようで全館停電しています」
「あらら」
「電話の線も切れているみたいで、携帯もダメみたいですね。今ストーブを用意させている所ですが、電気の復旧までどのくらい掛かるか今の段階では分からないので、できるだけストーブを置く部屋の数を節約したいんです。良かったら、一部屋に集まってもらえないかと思って」
「じゃ私たちが男部屋の方に移動した方がいいね」
「すみません」
小風と美空を起こして、取り敢えず身の回りのものだけ持って社長や黒木さんたちが泊まっている部屋に移動する。
「でも外を見たら凄い雪ですね」
「積雪が1mを越してますね。このあたりでもさすがにこんな雪は久しぶりに見ました」
と海香さん。
「時々あるんですか?」
「私が子供の頃以来ですよ」
「きゃー」
「テレビとかネットとかも使えないし、ここ電波が弱くてラジオも入らないんですよね。ケーブルテレビ頼りだったんだけど、電気が来てないとそれも話にならなくて。携帯も使えないから情報がよく分からないんですが、ともかくも全国的に凄まじい雪のようです」
「わぁ」
「道路はどうですか?」
「放送局のスタッフさんたちが、本局と通信衛星経由で連絡が取れるのでそちらから情報を頂いているのですが、奈良県南部は交通網があちこちで寸断しているようです」
1部屋に集まってほどなくして孝郎さん自身が石油ストーブを持ってきてくれて点火する。
「あ、ストーブでちょっとホッとした」
と美空が言うと
「ホット(hot)だからホッとするんだよね?」
とダジャレ好きな小風が言う。
「じゃ私は他の人たちのフォローを」
と海香さん。
「うん。頼む」
と言って孝郎さんが部屋に残り、海香さんは出て行く。
「いや泊まりの女性従業員は少ないから、海香も含めて居る女はフル回転になってる。SHINに女装させて手伝わせたいくらいだよ」
と孝郎さん。
「女装しなくてもいいなら手伝える所は手伝うけど」
と黒木さん。
「うん。頼むかも知れない」
「私たちもできる範囲で手伝いますよ」
と和泉。
「うん、申し訳ないけど頼むかも知れない」
最初に千里が発言した。
「相沢さん、提案します。取り敢えず自家発電の設備を作りましょうよ」
「うん。俺も思った。すぐに発注するつもり」
「電気さえあればだいぶ違いますよね」
「そうそう。それで道路状況なんだけど、テレビ局のクルーからもらった情報によれば、こういうことのようなんだよね」
と孝郎さんは説明した。
・八川集落と国道沿いにある大原集落との間の村道は積雪に加えて倒木などもヘリコプターからの観察で確認されており、復旧に数日かかる見込み。
・五條から熊野に至る国道168号も数カ所で通行不能箇所が出ていてこちらは必死の除雪作業を進めているので、おそらくお昼頃までには、取り敢えず五條と大原の間は通れるようになる見込み。
「あのぉ、この旅館と八川集落との間の道は?」
と私が訊くと
「うん。多分今日中には通れるようになると思う」
と孝郎さんは言った。
「え〜〜!?」
「でも八川まで行けてもその先の道が通れないんでしょ?」
と和泉が尋ねる。
「そうなんだよ。そちらの方が重症。今日明日に通れるようになるということは多分無い」
私は青くなった。万一道路が開通してくれなくて移動できず、明日のライブに出られないなどという事態になったら、前代未聞。非難囂々だろう。特にこれは通常のライブではない。多くのボランティアの人に動いてもらっているチャリティライブなのだ。物凄く多くの人に迷惑を掛ける。
何か?何か手は無いか??
ほどなく仲居さんが朝御飯も運んできてくれたので、美空が「頂きます!」と大きな声で言って食べ始める。私たちも和んでしまい、みんな朝食を食べ始める。
「ご飯、美味しいです。ぶりの照り焼き最高」
と美空はご機嫌である。
私もここは取り敢えず食事をした方がいいと思ったので食べ始める。お腹が空いている状態では妙案も浮かばない。
その時、千里が言った。
「スノーモービルが使えませんか?確か女将さん自らスノーモービル走らせていると聞いた気がしたのですが」
「うん。実は俺もそれを考えた所。蘭子ちゃん、明日の午後に福島県でライブがあるんだろう?」
と孝郎さん。
「はい」
「だからもう少し雪が小降りになった所で、スノーモービルの上手い奴に蘭子乗せてもらって八川集落まで、状況によっては、更に向こうの大原集落まで送らせようと思う。大原集落から先はたぶん昼頃には車で移動可能になりそうということだから、それで五條まで行けば、そっから先は電車で移動できる」
「良かった」
私はちゃんと行けるルートがあると分かると安心した。
「今日中に大阪くらいまで辿り着けばあとは何とかなるよね?」
「うん。最悪明日朝の新幹線で移動すれば新大阪から福島までは4時間半。飛行機ならもう少し早いかな」
「今の状況なら明日も飛行機は飛ばないかも」
「まあそれでも新幹線で間に合うなら何とかなるね」
「大原集落から五條まで車でどのくらい時間がかかりますかね?」
「ふだんなら2時間で行くんだけど、雪道だからスピードが出せないと思うし交通規制とかが掛かる可能性あるから5時間見たほうがいいかも」
「そんなに!?」
「ここから大原までスノーモービルでどのくらいかかります?」
「あそこまで走ったことがないので分からないけど、たぶん30分くらいで到着する」
「だったら放送局の人に頼んで、★★レコードの奈良支店に連絡を取ってもらって、車を1台大原まで持って来てもらえるようにできませんかね?」
と和泉が言う。
「うん。頼んでみよう」
と孝郎さんは言ったのだが、千里が発言する。
「そもそも私が大阪まで移動するつもりで矢鳴さんに来てもらっているから、矢鳴さんに乗せてもらえばいい」
「あ、そうか!」
「矢鳴さんは今五條市内にいる。さっき一瞬だけ携帯のアンテナが立ったからその瞬間にメール送信して、道路が開通したらこちらに向かってできるだけ近い所まで来てくれるように頼んだ。多分大原まで来てくれると思う」
「凄い!」
と私は思わず言った。
「車はアテンザを持って来たの?」
「東京から運転してきたら大変だから、新幹線で大阪まで行って、貴司からランドクルーザー・プラドを借りてきてもらっている。雪道にも強いよ。もちろんスタッドレス履いてる」
「よく堂々と借りるね!」
「車は以前から私たちお互いに融通しあっているから。関東に貴司が来た時にインプを貸したこともあったよ」
「へー!」
千里は矢鳴さんに再度連絡するといい、携帯を開いてメールを打っている。
「千里はスマホにしないの?」
「私、そちらのマリちゃんと同様に静電体質なんだよ」
「ああ。。。」
「スマホとは相性が悪いみたい。ショップで触ったらいきなり落ちた」
「そうそう。マリもそうだっんだよ。それでマリも結局ガラケーに戻してしまった」
「私はこりゃダメだと思ったから、最初からスマホには変えてない」
千里はメールを打ち終わった後でずっと画面を見ている。
「よし」
と言って送信ボタンを押す。
「うん。送れた」
「すごい」
「見てると、ずっと圏外なんだけど、たまーに一瞬だけアンテナが立つんだよ。その瞬間に送信すると何とかなるみたい」
「でもそれガラケーだからかも。スマホは全くアンテナ立たないもん」
ほどなくして千里の携帯の着メロが鳴る。
「矢鳴さん、既に出発しているって。今、もう20kmほど来ているらしい。カーナビには奥八川温泉まで50km 1時間と表示されているらしいけど、まあ大原に到着するのがお昼くらいだろうね。途中途中連絡を入れてくれるって。それとケイはスノーモービルで脱出するから大丈夫という件を町添さんに連絡してもらったから」
「ありがとう。助かる!」
そんなことをしているうちに放送局のスタッフが
「おはようございますー」
と言って入って来た。どうも泊まり客の様子を中継しているようだ。
「これ生中継ですか?」
「はい、そうですよぉ。この放送は奈良##放送を通して全国に生中継しています。おはようございます、KARIONさん」
「おはようございます」
「なんか大変な事態になってますね」
「どうも雪だけじゃなくて倒木が凄いみたいで、これここから出られるまで2〜3日掛かりそうですね。電気も使えないし」
「ふだん普通に使えているものが使えないと物凄く不自由を感じますね」
「でも朝御飯美味しいです。私このご飯の美味しさで満足しています。道路が開通するまで、この宿のご飯を堪能します」
と美空が言うと、場が本当に和む感じである。
「まあ出られない間は宿代はタダにしてもらえるみたいだし、アルバム制作で大変だったらか2〜3日休養のつもりで、のんびりさせてもらいますよ」
と私は言った。
「そういえば、らんこさん」
「はい?」
「調べてみたら、明日福島県でローズ+リリーのライブがあるみたいですが大丈夫なんですか?」
「私はKARIONのらんこですから。私がここに居ても、ローズ+リリーのケイはちゃんと明日、福島市に行って歌うと思いますよ」
と私はカメラに向かって笑顔で答えた。
その後少し話した所で、いったん生中継は終わる。
放送局との接続を切った後で帆奈美ちゃんが本気で心配して聞いてくれた。
「実際問題としてどうなさるんですか?」
「スノーモービルで八川集落、あるいはその先の大原集落まで運んでもらうことにしています」
「なるほど!」
「大原まで★★レコードのスタッフの人に車を持ってきてもらっているんですよ。ですからそこから車で五條まで走って、あとは電車と新幹線で移動しますので、明日の午前中までには福島に到着出来るはずです」
「その話、放送しちゃいけませんよね?」
「すみません。それは勘弁してください」
「分かりました」
「でも私たちがスノーモービルで脱出する所とか念のため撮影しておいてもいいですよ。放送はしないと約束して頂ければ」
と私はとっても婉曲的な言い方をした。
「ぜひ撮影させて下さい!放送しませんから」
と帆奈美は笑顔で言った。
放送局のスタッフが他の部屋に移動してから小風が心配するように言った。
「だけど醍醐さんも秋田に行かないといけないんじゃないの?」
「私は選手じゃないから、最悪間に合わなくてもごめんなさいで済むよ」
と千里。
「スノーモービルって定員は何人なんですか?」
と和泉が孝郎さんに訊く。
「1人乗りと2人乗りがあるから、うちのスタッフに2人乗りを運転させて後ろに蘭子を乗せようと思ってた」
と孝郎さん。
「しかし醍醐さんも出ないといけないのなら、2往復させようかなあ」
と孝郎さんは少し考えるようにしていたのだが、美空がこんなことを言い出す。
「だったら、千里が運転して、後ろに蘭子乗っけていけばいい」
「ほほぉ!」
「千里、スノーモービルを運転したことは?」
と和泉が訊く。
「何度もある。雨宮先生にこき使われているから」
「あぁ」
「だったら本当に醍醐さんが運転してもいいよ。スノーモービルは八川ならうちの親の家に置いていけばいいし、大原なら友だちがいるから、そこに置いていけばいい」
「うーん。じゃ、そうさせてもらおうかな」
と千里も言う。
「まあどっちみち雪がもう少し小降りになってからでないと、ベテランでも遭難する」
「じゃ空模様を待ちましょう」
9時頃、放送局スタッフから得られた天候の状況、復旧作業の状況をなんとプリントごっこで印刷した紙を仲居さんが配っていった。字は海香さんの手書きっぽいなと思った。
「電気が使えないので館内放送が使えなくて。それでコピー機も電気が無いと使えないもので」
「よくプリントゴッコなんて残ってましたね!」
「ランプが5個だけ残っていたんですよ。5回だけは使えるので取り敢えずまた夕方くらいには、状況報告のレポートをお配りします。
10時頃、お客様も少し落ち着いておられるようなのでということで、社長室に集まって孝郎さんの弟さんの百日祭を始める。ここは弟さんが執務のために使っていた部屋だが、現在孝郎さんは従業員用の大部屋の方に机を置いて執務しており、ここは使っていないらしい。この百日祭が終わった所で模様換えして応接室にするという話であった。
千里は神職さんから「あなた残っているのなら手伝ってよ」と言われて鼠色の巫女服に着替えてお手伝いをしている。
「その巫女服は初めて見た」
「葬祭用だよ。海香さんが巫女役を務めてくれる予定で神職さんが持ってきたのを私が使うことになった」
「なるほどー」
出席しているのは、女将、相沢兄妹とその両親、板長さん、仲居頭さんのほか数人のベテランっぽいスタッフさんたちである。私たちもその末席に並ばせてもらった。そんなに広い部屋では無いので、結構ぎゅうぎゅうになる。
祭壇が作られている。
巫女姿の千里が大幣を振って参列者のお清めをする。
神職さんが献饌をしてから祭詞を奏上する。一同はじっとそれを聞いている。千里が龍笛を吹く。葬祭用の曲なのだろうが、物悲しい悲哀を帯びた旋律である。私は後でこの曲の譜面を千里に教えてもらおうと思った。
やがて祭詞の奏上と龍笛の演奏が終わる。遺族を代表して後継社長の孝郎さんが玉串を捧げ、その後神職のお話があって百日祭は終了した。
30分ほどの儀式であった。
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【夏の日の想い出・分離】(2)