【寒蘭】(1)

Before前頁次頁目次

 
これは青葉が小学5年生の11月頃の物語である。
 
その日は連休の最終日で、青葉と未雨のふたりは土曜日から泊まりがけで祖母の家に来ていた。最近、青葉たちの両親は青葉や未雨が家に居ても居なくても全然気にしていないため、ふたりは週末を祖母の家で過ごすことがよくあった。その日の夜は祖母・祖父・未雨・青葉の4人で食卓を囲む。
 
「いっそ、お前たちずっとこちらで暮らすかい?」と祖父から言われたが「たぶんそれ言い出すと、抵抗されると思うんだよね」と青葉は言う。「それに私、今の学校が気に入っているから転校したくないし」
「青葉、今の学校では完璧に女の子してるもんね。学校がけっこう配慮してくれてるんでしょ?」
「お前、ずっとその格好のままで通していくつもりなのか?」と祖父が言うが「だって私、女の子だから」と青葉は『いつものことば』を主張する。「いいじゃないの。この子、本当は女の子に生まれるはずだったのよ」と祖母がかばう。
 
「しかし小学校は私服だけど、中学になると学生服着ることになるぞ」と祖父が言うが
「どうかしら。この子、セーラー服着て中学に行ったりしてね」と未雨。「青葉はきっと、中学に行っても高校に行っても、女の子のままという気がするねえ。そして、きっといい恋人ができて、可愛いお嫁さんになりそうな気がしてならないわ」などと祖母が言った。
 
「お嫁さんか・・・・私、なれるかなあ」
「なれる、なれる。青葉みたいに可愛ければ、言い寄ってくる男の子いるから」
青葉はそうなったらいいなあ、などと思うが、そう思いつつも、実はその問題に関して青葉は、ほとんど諦めていた。
 
春頃から始めた「男性機能停止大作戦」はほぼ完成しつつあった。
 
青葉は自分の性腺がほぼ完全に機能停止したことを確信していた。それはもう『男になってしまう』ことを恐れる必要がなくなったことを意味したが、同時に自分はもう子供を作ることができなくなったことをも意味していた。そのことを青葉はさすがに少しだけ寂しい気がした。両親の愛を得られない青葉にとって、ほんとうは自分がいづれ愛情ある家庭を作りたいというのが夢だった。しかし、子供を作ることができなくなったということは、その夢は諦めて一生ひとりで生きていかなければならないということを意味する気がした。
 
私、結婚とかは不可能だろうしな・・・・・と青葉は思う。性転換手術のこと、「特例法」のことは理解していたので、自分もいづれ性転換手術はしようと思っていたし20歳を過ぎたら戸籍上の性別は女性に変更するつもりではいたが、自分みたいな女の子を愛してくれる男性なんていないだろうし、などと思ってしまう。そしてそれはそんなことを考えていた、連休明けの火曜日のことだった。 
朝礼で担任の先生が、スラリとした身長165cmくらいの美男子という感じの男の子を伴って入ってきた。
 
「転校生を紹介する。橋元嵐太郎(はしもと・らんたろう)君だ。橋元君は、土曜日からこちらの市内で公演をしている橋元劇団の座長の息子さんで、劇団が公演をする1ヶ月間だけ、この学校に通うことになる。1ヶ月後にはまた転校してしまうが、その間みんな仲良くしてやってくれ」
「橋元嵐太郎です。短い間になりますが、みなさん、よろしくお願いします」
 
嵐太郎はよく通る、ハイトーンな声で挨拶をした。美形なこともあり、女子の間でざわめきが起きている。
「なんか格好いいね」と隣の席の早紀も言うので、青葉も「うんうん」と頷いておいた。ふーん。ああいうのが女の子には人気なのかなあ・・・・青葉はその時は嵐太郎にそう興味を感じなかった。
 
その日の3時限目、青葉たちのクラスは理科室で実験をしていた。嵐太郎が青葉たちの班に入っていた。試験管に薬品を入れてホルダーに置こうとした時、一瞬青葉は嵐太郎と目が合った。嵐太郎がニコっと笑う。思わず青葉はニコっと笑顔を返してしまった。その瞬間、ドキっと心臓が音を立てたような気がした。何?今の?1日ほぼ全部無表情で通している青葉にとって、そもそもニコッとすること自体が『不覚』という気がしたのではあったが・・・・
 
その日の放課後、嵐太郎が「招待券あげるから、ぜひうちの公演見に来て」
などと言っていたら、早紀が「見に行く、見に行く」といって招待券を3枚もらってきた。「3枚?」「私と青葉と咲良ね」などという。
「私も行くのか」青葉と咲良は同時に声を上げた。
 
会場は市内の旅館であった。中に入ると、ホールにはけっこうな人がいる。青葉は幼稚園の頃、ここで1度旅芸人の公演を見たことがあったのを思い出した。しかし旅から旅へというのはたいへんだろうな、などと思ったりする。物語は何かの時代劇のようで、たぶん有名な物語なのだろうなとは思ったが、青葉には筋がぜんぜん読めなかった。これたぶん、本来の物語展開の見せ場だけをつないでいるのかな?という気がした。元々の物語を知らないと、筋が分からない訳だ。 
やがて凄い拍手があって、お姫様風の衣装を着けた子供の役者が出てくる。「きゃー、嵐太郎君、かわいい!」などと早紀が声を上げるので、よくよく見ると確かに嵐太郎だ。ああ、女形(おやま)なのか、と青葉は思い至った。俗世間のことに知識のない青葉だが、性別問題の絡みで『女形』という言葉は知っていた。「ね、ね、ね、凄い可愛いね」と早紀は興奮気味である。青葉は咲良と顔を見合わせている。
 
嵐太郎は傘を持ったまま何かの舞を舞っていたが、きれいな踊りだと青葉は思った。かなり傷んだ感じのカセットテープ?から流れる音楽に合わせて舞っているが、音楽のひどさに比して嵐太郎の舞にはセンスの良さを感じた。青葉は初めて嵐太郎に興味を感じた。
 
公演後、早紀は青葉と咲良を連れて楽屋のほうに行く。
「済みません。こちらは関係者以外立ち入り禁止なので」と言われたが「あ、それ僕のクラスメートだから通してください」と奥から嵐太郎が言って3人は楽屋の中に入った。
 
嵐太郎はもう衣装を脱いでジャージの上下を着ていたが、メイクはまだこれから落とすところのようだ。
「嵐太郎君、すっごく可愛くなるのね」と早紀はまだ興奮した感じで話す。「ありがとう」
「同じ女装でも、青葉のとは全然タイプが違うんだな、と思っちゃって」
「え?青葉ちゃんって女装なの?」
青葉は苦笑いしながら「まあね」と答える。
「だって、女の子にしか見えないよ」と嵐太郎が言う。
 
「まあ、物心ついた頃から、私は女の子の服しか着てないから」
「僕も物心ついた頃から、女物の服着せられて舞台にあがってたけどね」
「へー。じゃ女装歴は、青葉も嵐太郎君も似たようなものか」
「いや、それは少し違う」「いや、そういう分類は乱暴」
と嵐太郎と青葉がほぼ同時に言った。
 
「だいたい僕は舞台の上だけ女物の服を着ているけど、青葉ちゃんはたぶんいつもそういう服なんだよね」
「うん」
「それと女形というのは『物語の展開の上で女役をしている男の役者』というのを主張しないといけないんだ。基本は男。『女にしか見えない』のでは僕が思う女形じゃないけど、青葉ちゃんは根本的に女の子であって、そもそも男の子の要素が存在してない感じ」
「ああ、そうか。私、嵐太郎君は女物の服を着ていても恋愛対象になるけど、青葉はもし男の子の服を着ていたとしても恋愛対象じゃないもんなあ」
 
「私も女の子は恋愛対象じゃないよ」と青葉は苦笑しながら言う。
「私の恋愛対象は男の子」
「そういえば前にもそんなこと言ってたね」
「ふーん、青葉ちゃんは男の子が好きなのか。恋人とかいるの?」
「いませんよ」と青葉は困ったような顔で答える。どうも今日はポリシーにしている無表情が貫けないな、と青葉は思った。
 
それから一週間ほどした日の放課後だった。青葉はストックしていた食料が前日母に見つかり全部持って行かれてしまったので、補充の買い物をしに、スーパーに来ていた。また別の隠し場所考えないと・・・などとも思うが、自宅内でものを隠せるような場所は限られている。
パスタコーナーを見ていた時、ばったりと嵐太郎と出会った。
 
「あ、こんにちは」「こんにちは」
「偉いね、買い物のお手伝い?」などと嵐太郎が訊く。
「うーんまあそんなものかな。嵐太郎さんも買い出し?座長の息子さんでもそういう雑用するのね」
「いや、むしろ雑用こそが座長一家の仕事」
「あ、なるほど、そんなものか」
「ね、今少し時間ある?」などと言うので、お互いの買物を終えてから、道々話しながら帰ることになった。
 
「でも青葉ちゃんの女装はほんとに完璧だね。色々教わりたいなあ。どうやったら、そんなにちゃんと女の子のオーラが出るのか」
「むしろ、私は男の子の感覚が分からないけどね」
「ね、一度じっくりと青葉ちゃんを観察させてくれない?」
「観察って何するの?」
と青葉は苦笑する。どうも嵐太郎の前ではポーカーフェイスが保てない。 
「うーん。一緒に散歩したり、おしゃべりしたり」
「そのくらい、いつでもいいけど。嵐太郎さんも女の子の服着てくるの?」
「僕、舞台ではいつも女物の着物着てるけど、時代劇ばかりだからさ、ふつうの女の子の服って持ってないんだよね」
「・・・貸してあげようか?スカートとか女の子っぽいパーカーとか」
「ええ?ほんと?そういうの1度着てみたいと思ってた」
「ただ嵐太郎さん、背が高いから、私の服合うかなあ」
 
「何とかなるさ。ね、明日は公演が休みなんだ。2時間くらい一緒しない?」
「いいよ」
「じゃ明日4時半にサンシャイン公園のシンボルの所とかどう?」
「OK。あ、早紀が嵐太郎さんのファンみたいだから一緒に連れて来ようかな」
「えーっと、とりあえず明日は青葉ちゃんと2人だけで話したいな」
「ふーん」
と青葉は答えてから、『あれ?これってもしかしてデート??』と思い至った。 
翌日の放課後、青葉は適当にみつくろった服を持って公園のシンボルの所に来た。「やあ」と嵐太郎が片手をあげて挨拶する。青葉は軽く会釈をした。
早速公園のトイレで着替える。
「わあ、スカート穿くの初めて」などと喜んでいる。
「やみつきになったりしてね」
「女装って癖になるっていうもんなあ」
膝下まであるスカートだったのだが、嵐太郎が穿くと膝上になってしまう。裾長めのパーカーを持ってきたのだが、嵐太郎が着ると短めになった。しかしちゃんと破綻無く着こなせている感じだ。
 
「ちゃんと女の子に見えるよ」と青葉は言う。
「そう?こういう格好するの初めてだから少しドキドキ」と嵐太郎。
「じゃ、少し散歩する?」
「うん。しようしよう。ありがとうね、青葉ちゃん」
「あ、私のことは呼び捨てでいいよ。みんな友達はそうしてるし」
「そう?じゃ、青葉。あ、僕のことは『ラン』と呼んで」
「OK、ラン」
ふたりは公園を出るとしばらく海岸沿いを散歩した。
「僕、仕事柄、女装の男の子たくさん見ているけど、青葉は女装男子とは全然雰囲気が違んだよね。オーラ自体がホンモノの女の子という感じだし」
「私、自分は女の子だと確信しているから」
「そのあたりの気持ちの持ち方なのかな。あ、女装のテクニックとかは盗ませてもらうけど、僕自身としては青葉のことは女の子とみなしてるよ」
「ありがとう」
「とっても可愛いし。僕の恋人になってほしいくらい」
「あはは」
「いや、冗談じゃなくてさ、一目惚れしちゃった感じで」
「まあ、そのくらいで」
と言って、青葉は話を遮る。これ以上続けると何を言われるか分からない。 
やがて商店街のほうに進んでいく。青葉も嵐太郎の態度から、これはやはりデートだったんだ!ということに気付いていた。ただ、こうして歩いている所を他の人が見ても、ふつうに女の子が友達同士2人で一緒に歩いているように見えるだけだろう。
 
ふつうの男の子が女の子の服を着ても「女装している男の子」に見えがちだけど、嵐太郎はちゃんと「女の子」に見えている。スカート穿くのは初めてとは言っていたけど、女物の着物をふだん着こなしているからその応用で初体験でも穿きこなせているんだろうな、と青葉は思った。クラスメイトの男の子にお遊びでスカートを穿かせたりしたことがあるが、いきなり転んでしまう子も多かった。ズボンを穿いている時のような足の運びをスカートですれば、足がスカートにぶつかってまともに歩けない。嵐太郎はちゃんと女の子的な足運びができていた。 
嵐太郎がドーナツでも食べない?という。「ごめん、私あまりお金がなくて」
と青葉が言うが「あ、大丈夫。ぼくが出すから」というのでおごってもらうことにする。
 
ドーナツ屋さんで嵐太郎はチョコドーナツとアップルパイにオレンジジュース、青葉は豆乳ドーナツとミルクティーを頼んで店内で食べた。
「こんなことしてると、まるでデートみたい」と青葉はわざと言う。
「僕はデートのつもりだけど」と嵐太郎がまじめな顔で言った。
「やはりそうか」と青葉はわかりきったことを答えた。
「来週もまたデートしてくれない?」
「いいよ。また女の子モードでならね」
「うん」
 
その日はドーナツ屋さんでしばらくおしゃべりをしてからそこの店内のトイレで嵐太郎が服を着替えてデート終了となった。旅芸人の子供としてあちこち回っていて体験したこと、様々な出会いと別れなどを嵐太郎は語っていた。青葉はその聞き役に徹していた。
 
その週の週末、青葉と未雨はまた祖母の家に行くことになった。祖父が車で迎えにきてくれた。出がけに郵便物をチェックし、父や母宛のはそのまま玄関に置いたが、未雨宛と青葉宛のが1通ずつあったので持って出た。青葉宛のは嵐太郎からであった。
 
「なんか随分厚いね」と未雨。
「あはは。何書いてあるんだろ?」といって青葉は開封し、車内で読む。 
「便箋30枚あった」
「ラブレター・・・・だよね」
「そうみたい」
「ふーん。そんな手紙をくれる男の子ができたんだ」
「うーん、何といったらいいか」
「その子、青葉の性別は知ってるの?」
「知ってるよ」
 
「あら、青葉、男の子からラブレターもらったの?」
などと向こうに着いてから祖母も言う。
「でもどこまで本気なのかなあ」と青葉は少し照れている。
「便箋30枚もラブレター書いてくるなんてかなり本気だって。お返事書きなよ。そうだ、これ今日買ったレターセットだけど青葉にあげる」
と言って未雨はキティちゃんのレターセットをくれた。
「ありがとう。じゃお返事書くかなあ・・・あ、ボールペンが無かった」
 
宿題をするのに筆箱は持ってきているのだが、入っているのは鉛筆ばかりである。「これ使うといいよ」と言って祖母がボールペンを1本渡してくれた。「ありがとう」と言って青葉は受け取ると、少し迷いながらも嵐太郎にお返事を書き始めた。
「あれ?このボールペン、すごく書きやすいね」
「気に入ったんなら、あげるよ」
「え?ほんと?ありがとう。もらっちゃおう。でもなんか高そう。なんて読むの?これ。シーファー?」
「シェーファー。盛岡とか仙台のデパートに行くと替え芯売ってるから、そういうとこに出た時に替え芯買っとくといいよ」
「ひゃー、なんか本格的に高そう。もらっていいの?」
「いいよ。友達から海外旅行のお土産にもらったものだけど、青葉が使うのなら、あげるから」
「わあ。そんな品を。大事に使うね」
「うん」と祖母はニコニコして言った。
 
2年後にこれが唯一の青葉の所持品かつ祖母の形見になるとは、この時は夢にも思わなかった。
 
その週末明けに青葉は嵐太郎と2度目のデートをした。こないだよりぐっと可愛い短めのフレアースカートとガールズっぽいポロシャツを持っていって着せた。「あ、私より可愛い感じになった」
「可愛いけど、これちょっと恥ずかしいよ。だいたいこれパンツ見えそう」
「見えないように歩こう。あ、座り方も気をつけてね。ちゃんと両膝がくっつくように座る」
「あ、そうか。それこないだも言われたんだった。でもつい忘れちゃう」
「男の子はおまたによけいなもの付いててやりにくいだろうけど、ちゃんと膝をくっつけておかないと、おかしいよ」
「あのぉ、それ僕にはよけいなものじゃなくて、大事なものなんだけど」
 
そんなことを言いながらもまた散歩したり商店街を覗いたりしながら、いろいろおしゃべりをする。
「でもラン、こないだよりずっとスカート姿に慣れた感じ」
「そう? 青葉の着こなしとか、醸し出している雰囲気をコピーしようとしているんだけど、なかなかうまくいかない」
「舞台の方も早紀が最初見た時より女っぽさが増している、なんて言ってたよ」
早紀は毎日公演に行っているのである。さすがに青葉も咲良も付き合ってない。「いや、毎日見に来てくれてありがたい。でも急に女らしさが増したっていうのは母ちゃんにも言われた」
「しかし私がランとデートしてるなんて聞いたら猛烈に嫉妬されそう」
「あはは」
 
「でもさ・・・」と嵐太郎が少し遠い目をして言う。
「うん?」
「僕、この仕事をずっとしてていいのかな、なんて思ってんだよね。今は親に付いて歩かないといけないからこの仕事をする以外の選択肢が存在しないんだけど、大人になっても続けるのか、飛び出しちゃうのか。とりあえず中学卒業するまではどうにもならないけど」
 
「ランは役者続けていいと思うよ。この一座に居るか、あるいはどこかの劇団に入るかという選択は出てくるだろうけどね」
「そう思う?」
「だって才能あるもん」
「あるかな?」
 
「センスがいいよ。そのセンスもっと鍛えたほうがいいからさ、テレビとかででも、歌舞伎や日本舞踊の中継とかはもちろん、現代劇の公演とか、バレエの中継とかも、どんどん見るといいと思う。旅芸人という枠で仕事をするのか、他の分野で活躍するのか、それはランの気持ち次第だけで、ランはきっといい役者になれる」
 
「なるほどそうか・・・旅芸人という枠で僕は考えすぎていたかも知れない」
「なんなら色々とやってみて、最終的に自分がやりたいと思う世界に行くのもいいかもね。演劇といっても実に様々なものがあるんだし」
「うん」
 
「ね、青葉は自分の将来はどう描いているの?」
「え?」
「何かになりたいとか」
「うーん。特にないけどな」
「手術して完全な女の子にはなるつもりなんでしょ?」
「もちろん」
 
「でも、女の子になることだけが目的だったら、女の子の身体になれた途端きっと心が迷子になっちゃうよ」
「ああ、たしかにそうかも」
「女の子になったあとの、自分の人生をしっかり思い描いておかなきゃ」
 
「ほんとにそうだね」
「ふつうの女の子でも、将来の夢と訊かれて『お嫁さんになりたい』という子がたまにいるけど、それじゃ結婚した途端人生が終わってしまうよ」
「うーん。ありがちだ。それ」
 
思えば、物心ついた頃から役者として舞台に立ち続けてきたランと、物心ついた頃から霊能者としての仕事をしてきた自分とは似ているのかも知れないという気もした。ランにはいろんな世界を見ろなんて言ったけど、自分もそうだ。何か「表の仕事」を持てるといいな、という気がした。
 
青葉がそんなことを考えて数秒間無言になった時、
「ねえ、青葉」
と嵐太郎が言ったので、青葉は何気なく嵐太郎のほうを見る。え?
 
嵐太郎が真剣なまなざしで青葉を見つめていた。ドキッ。何これ?
「好きだよ」
嵐太郎は確かにそう言った。え?え?え?ちょっと待って。
青葉は視線を逃がそうとしたが、それを嵐太郎の視線が許してくれない。 
嵐太郎の顔が近づいてくる。ちょっとー!?これってまさか。
嵐太郎との距離は既に警戒区域を突破していた。
うそー!?青葉は堪えられずに目をつぶった。
 
接触の瞬間身体に強烈な電流が走った気がした。
一瞬全身の気の流れが乱れる。きゃー!
そっと嵐太郎の唇が離れた。
 
青葉は自分の唇の感触をいつまでも短期記憶の中でループさせていた。青葉の頭の中の時計が一時停止している。
 
「あ、そろそろ戻らないと」
「うん」
まだ思考が停まったままだ。
 
「適当な所まで送っていこうか。僕はこの格好で帰っても構わないから。服は明日学校で返すし」
「うん」
促されて立ちあがり、歩き始めたがまだ何も言葉が出ない。
 
しっかりしろー!私!青葉は自分の脳に再起動を掛けていたが、なかなかリスタートしてくれない。
 
「だいじょうぶ?」
青葉がほんとに何も言葉を発しないので、さすがに嵐太郎が心配して尋ねた。「う、うん。大丈夫」
あ、やっと少し言葉が出た。頑張れ!私。
 
「来週もデートしてくれる?」
「うん。いいよ。また、あの時間あの場所?」
青葉はやっとまともな言葉が出たなと思った。そのついでに自分でもしばらく経験していなかったような凄い笑みが出る。
 
「わあ、青葉ってそんな表情もするんだ」
などと嵐太郎にも言われる。
 
そんな会話をしながら青葉は自分の身体の中に何か未体験の変化が起きているのに気付いていた。何か自分でも知らなかった物質が身体の中を大量に流れている。これって何だろう?この時はまだ青葉はその正体が分からなかった。
 
翌週、青葉は先週とは一転して、清楚なちょっとお嬢様風のブラウスとプリーツスカートを持ってきた。
「青葉、僕のいろいろな面を引きだそうとしてくれてるね」
「まあね・・・・お。いい雰囲気。お姉様って感じになるね」
「先週のは着るのが少し恥ずかしかったけど、今週のは別の意味で難しい。心を乙女らしくシフトしないと、この格好を受け入れられないというか」
「そうそう。先週がポップスなら今週はバロック。でも着こなしが心の問題だというのは、さすがよく分かってるね」
「一応役者ですから」
 
「あ、それからさ」と嵐太郎。
「明日から12月1日まではずっと公演が続くんだ」
「そして引っ越してしまうのね」
「うん。だから今日は・・・」
「最後のデートなのね。カレンダー見てたぶんそうだろうと思った」
「ごめんね」
「ううん。最初から期間限定というのは分かってたから」
「また手紙書くから」
「気にしないで。それぞれの場所にそれぞれの恋があるんだろうし」
 
「・・・僕、女の子とデートしたのって、青葉が初めてだよ」
「・・・ほんとに?」
「ほんとだよ。そして青葉のこと、ほんとに好き」
「あまり私を本気にさせないで」
「本気にさせちゃう」
「あ・・・・」
 
2度目の接触は最初の時ほどの衝撃は無かった。しかし接触の瞬間は、やはり青葉の身体中の気の流れが乱れて、アラートが付きっぱなしの感じになった。 
先週ほどではなかったが、それでも気の流れが元に戻るまで3分くらい掛かった。その間ずっと青葉は嵐太郎の顔を見つめていた。嵐太郎も熱いまなざしで青葉を見ていた。青葉は、この人、私の事を本当に好きなのかな。。。などと考えていた。 
ふたりはそのあとしばらくそこに座ったままふつうのおしゃべりを楽しんだ。「商店街の方に行こうか」と嵐太郎が言い青葉も「うん」と言って立ち上がる。並んで歩き始めたが、嵐太郎が手を伸ばしてきた。青葉はためらいながらもその手を取り、ふたりは手をつないで商店街に入っていった。
 
早紀や咲良となら手をつないで歩いたことは何度でもあるが、男の子と手をつなぐのって、それとは全然違う感覚だ!
 
「ね、こんな感じの服もまた可愛くない?一度挑戦してみるといいよ」
「ああ、これはまた着こなしが難しそうだ」
などと洋服屋さんの前で立って話していたら、トントンと肩を叩かれた。 
え?と思って振り替えると、早紀だ。
「青葉、何してんの?そちらは友達?」などと訊いてくる。
あはは、これは最悪の状況で最悪の相手に遭遇したかもなどと青葉は思いつつ開き直って紹介した。嵐太郎がわあ、どうしようという感じの顔をしている。「ラン、こちら私の親友の早紀。って知ってると思うけど」
「あ、うん」
「え?私のこと知ってる?」
「うん。早紀、こちらラン。早紀が毎日通い詰めている相手。フルネームは橋元嵐太郎ね」
 
「何!? え? あ、ほんとに嵐太郎だ!全然気付かなかった」
「いやまあ」
と嵐太郎が照れている。
「わあ、嵐太郎って、こういう格好もするのね」
「私が女装の教育中」
「えー、そうだったの?」
「ランと呼んであげて、この格好している時に男名前で呼ばれるのは辛いから」
「あ、ごめん。じゃ私もランと呼んじゃおう」
と早紀は少し興奮ぎみだ。
 
「ねえ、ラン、もうこれランにとっても最後の自由時間だし、ランの最強のファンとランの最愛の恋人と、3人でカラオケにでも行かない? 私今日は少しお金持ってきてるから」
青葉は今日は突発的な展開があるかもしれないと思い、1万円札を財布に入れてきていた。
「ちょっと待て、その最愛の恋人というのは?」と早紀。
「へへへ。早紀に抜け駆けして実はランとデートしていたのだ」
「えー!?ずるい。あ、でも私そしたらデート邪魔しちゃったのかしら」
「いいじゃん、あのさ、早紀、ランは明日からずっと連続公演で、そのあとすぐ引越なのよ。だから、今日は最後の自由時間なんだ」
「わあ」
「だから、最後は3人で。ね?」
「青葉がそれでいいなら、いいよ」と嵐太郎も言うので、3人は町の中心部にこの夏オープンしたばかりの全国チェーンのカラオケ屋さんに入った。もう17時なので、一応小学生である青葉たちは18時までの1時間コースである。
 
「まずは、今日の主賓、ランから1曲どうぞ」
と青葉が言うので、嵐太郎は舞台でも歌っている「私の城下町」を熱唱した。青葉と早紀が拍手をする。「うまい。さすがプロね」
「じゃ次は嵐太郎ファンクラブ会長、早紀どうぞ」
「お、肩書きもらっちゃった。よし」
と言って、早紀はアラジンの「陽は、また昇る」を歌う。
嵐太郎と青葉は途中からコーラスで参加した。
歌い終わってお互いに拍手する。「私もこの歌、大好き」と青葉。
「日本はもっと自信を持って頑張らなきゃだめよ」
 
「さ、それでは真打ち、青葉どうぞ」などと早紀が言う。
「私あまりヒット曲とか知らないのよね・・・」などと言いながら青葉が歌ったのは「Amazing Grace」だった。美しいソプラノに嵐太郎が思わず「凄い!」と言う。 
「しかし3人とも趣向が全く違うな」と早紀。
「つまりお互い歌いたい曲がかぶらなくて良いんじゃない?」と青葉は応じる。 
3人は時間まで歌ったりおしゃべりしたりして、時を過ごした。青葉は嵐太郎とデートしていることで早紀に少し後ろめたい気持ちもあったので、3人でこういうことができて、少し気分的に楽になった。嵐太郎は私と2人で過ごしたかったかも知れないけどね。。。。
 
早紀は毎日公演を見に行っていたのだが(顔パスで入れてもらっていたので結局早紀は1度も木戸銭を払っていない)、青葉は時々しか行っていなかった。しかし最後の2日間は青葉も早紀と一緒に午後の公演に行き、終了後(夜の公演が始まるまでの間)は楽屋で、嵐太郎といろいろ話をした。
 
そして当地での最後の公演が終わり、翌日いっぱいで嵐太郎は学校も離れて、その日の夕方、次の公演地に移動することになった。青葉と早紀は咲良も連れて駅まで見送りに行った。しばらく4人で立ち話していたが早紀が「ね、青葉とふたりで話したいこともあるでしょ。そこの売店の陰なら誰にも見られずに話せるよ」などと言う。「うん。じゃちょっと失礼して」と嵐太郎は言って、青葉を促し、売店の陰に行く。 
「いろいろありがとう。楽しかった」
「うん。私も楽しかった」
「青葉」
嵐太郎が青葉を見つめてキスしようとしたが、青葉は手で制して拒否した。 
「愛を誓うキスはするけど、私、別れのキスはしない」
「分かった。でも僕ほんとに青葉が好きだよ」
「私も好きよ」
と言って青葉はあれ?私自分から『好き』と言ったのは初めて?などと思ったらそのことを言われた。
「ありがとう。やっと好きと言ってくれたね」
嵐太郎が再びキスを試みるが、青葉はやはり制する。
 
「また会えると思うんだ。日本のどこかにはいるから」
「元々終わりのある恋だから盛り上がったと思うの。だから、嵐太郎は新しい土地では新しい恋を見つけて」
「恋はするかも知れないけど、青葉のことはずっと好きなままだと思う。移動する度に住所連絡するよ」
「私、都合のいい女になるつもりはないからね」
「うん。でも葉書とか出してもいい?」
「うん。でもたぶん私返事出さない」
「分かった。でも受け取ってくれるなら出すね」
 
「返事は出さないけど。ずっと応援してるから。いい役者さんになってね」
「うん。頑張る」
「じゃ・・・・」青葉はめったに見せない満面の笑顔を嵐太郎に向けた。「青葉・・・・」嵐太郎はその青葉の顔をしっかり見つめると、その手をつかんでしっかり握りしめた。その手から愛情の念が流れ込んでくるのを感じて、青葉は嵐太郎がほんとうに自分を愛してくれていたんだなというのを感じた。 
発車ベルが鳴る。
「行かなくちゃ」
「うん」
嵐太郎が手を振り、青葉も応えて手を振る。
そして嵐太郎は振り向くとそのままこちらを見ずに走って行き、列車のそばで待っていた早紀と握手をしてから、汽車に飛び乗った。
 
ドアが閉まる。青葉も列車近くまで来て、ふたりは見つめ合っていたが、やがて汽車は動き出した。そして嵐太郎の姿はあっという間に見えなくなってしまった。 
その時、青葉の目から涙が一粒落ちた。また先日から体内で活動しているのを感じていた物質が青葉の体内に大量放出された。そしてその時、青葉はそれの正体がやっと分かった。これって・・・・・
 
女性ホルモンだ!自分の身体の中に女性ホルモンが広がってきている。 
私、この恋で初めて女の子になれたのかも・・・・青葉はそんな気がした。青葉が涙を流しているのに気付いて早紀が手を握ってくれた。
「あ、ありがとう早紀」
青葉は思わず早紀をハグしてしまった。
「青葉〜、抱きしめる相手が違う」「ごめん」「でも今日はいいかな」と言って早紀も青葉を抱き返した。
 
その後、嵐太郎は律儀に引っ越す度に青葉に現地で買った絵葉書を送ってきてくれた。青葉は別れ際に言った通りいちども返事は出さなかったが、もらった絵葉書はスキャンしてメインシステムの自分のプライベートフォルダに画像保存しておいた。(メインのデータベースにつながっていない私用PCのほうに保存せず、メインシステムの方に入れたのはそちらにしかスキャナがつながっていなかったためである) 
震災前に菊枝が資料のデータベースをコピーしていった時、青葉はそのプライベートフォルダでもコピーできる強い権限を与えていたので、菊枝もうっかりそこまでコピーしてしまっていた。しかしおかげで、その画像は震災後まで残ることになったのであった。
 
嵐太郎は中2の6月に座長を継承したが、その時青葉は大きな花束を贈ってあげた。 
Before前頁次頁目次