【春老】(3)

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青葉がホテルに戻ったのは、もう夜11時くらいである。
 
今日は密度の高い1日だったなあと振り返る。しかし社長にも言ったが、まさかこんな大変そうな案件が、1日で片付いてしまうとは思いも寄らなかった。
 
ステラジオのホシちゃん、精神的に辛いだろうけど立ち直って欲しいな、と思った時、青葉は水泳部のほうの事件の中で、死亡者中唯一の女性だったジャネさんという人のことを考えてしまった。
 
彼女は事故から精神的に立ち直ることができなかったんだなと思う。ああいうスポーツやっている人には、鋼の心臓を持つ人と、物凄く繊細な人の両極端があるような気がしてきた。
 

お風呂に少しゆっくりと入ってから寝ることにする。
 
身体を拭いてしばらく裸のまま涼んで、その後裸の上にそのままガウンを着てベッドに潜り込む。
 
「お休みなさい」
と言って寝ようとした時、電話が掛かってくる。冬子である。
 
青葉は
「私は高岡に居ます、私は高岡に居ます」
と自分に言い聞かせてからオフフックした。
 
「おはよう、青葉」
「おはようございます、冬子さん」
 
「それでね。今度のツアーでの演奏なんだけど、一昨日の地震で熊本は凄い被害出てるみたいじゃん」
「はい。あれ凄いですね。九州ってあまり地震無いのに。お城まであんなに崩れるなんてびっくりしました」
 
「それで政子が熊本の応援ソングを作ると言って」
「はい」
「『もっこす清正公』という曲を書いたんだよ」
「もしかして政子さんが曲まで書いたんですか?」
「五線紙の上に斜線を引いたり波線で揺らしたり」
「現代音楽っぽいですね」
 
「まあ私にしか読めない譜面だったから、普通の人が読める譜面に変換するのは私がやった」
 
「なるほどー」
 
「それで今回のツアーではその曲を毎回冒頭に入れることにした」
「あ、その譜面を追加ですか?」
「いや、この曲は私のアコギ1本で演奏する」
「へー!東北ゲリラライブの時のスタイルですね」
「そうそう、そうなんだよ」
 

「でもその1曲入れた影響で予定が変わってしまって。例によって演奏曲目は毎日微妙に変えるんだけど、構成上の都合で『女神の丘』を半分くらいの公演に入れることにした」
 
「はい」
 
「それであの曲は龍笛が入っているんで、まあ青葉なら問題無いだろうけど、念のため練習しておいて欲しいと思って連絡したんだよ」
 
そこまで冬子が言ってから、青葉は「忘れてた!」と思った。冬子から先月福島に行った時に、ゴールデンウィークのツアーでは龍笛頼むね、と言われていたことをすっかり忘却していたのである。
 
えーん!これ老化現象かなぁ。
 
慌ててローズ+リリーのツアー日程を確認する。
 
初日は・・・・4月29日・沖縄?
 
ちょっと待て。筒石さんを守るためには29日から5月5日くらいまでは彼の近くに居る必要がある。
 
「あのぉ、済みません、冬子さん」
「うん?」
 
「実はそのぉ、霊的な仕事の都合でどうしても今回のツアーに参加できなくなってしまって」
「え〜〜〜〜〜!?」
 
と冬子は驚いてから言う。
 
「それ困るよ。他のパートなら演奏できる人誰か見つかるけど、龍笛は人を選ぶ。下手な人には吹かせたくない」
 
「あっと今田七美花ちゃんとかはダメかなあ」
「彼女にはこのツアーで笙を吹いてもらうんで」
「うちの姉は・・・・忙しそうだな」
「どうだろう?青葉がどうしてもダメなら千里に訊いてみるけど。でもこんな直前になってから言わないでよ」
 
温厚な冬子さんが珍しく怒っている。いや、怒って当然だ。しかしこちらも筒石さんの命が掛かっている。
 
「ほんとに申し訳ありません。ちょっと人一人の命が掛かっているもので」
 
「うーん。それならやむを得ないだろうけど、困ったなあ」
 
それで冬子は「ちょっと代理演奏者が見つからないか何人かに訊いてみる」と言って、いったん電話を切った。
 

冬子からの電話は30分後に掛かってきた。
 
「千里は合宿中で不可だった」
「あ、そうか。そうですよね」
「天津子ちゃんはゴールデンウィークは信者さんたちと富士山に登るツアーなんだって」
 
「ああ。最近彼女には、信者さんが付いちゃってるみたいなんです」
「教祖様なのかな。でも青葉も教祖様だよね?」
 
「まあお年寄りの信者さんが多いですけど。天津子ちゃんは若い信者が多いみたい」
「あはは。彼女なら若い子が崇拝してしまいそうだよね」
 
むむむ。それやっぱり私は年寄りくさいのかなあ、と青葉は一瞬悩んでしまった。
 
「鮎川ゆまは南藤由梨奈のツアーとまともにぶつかるんだよ」
「ああ」
 
「他にも何人か訊いてみたんだけど急なことで都合がつかなくて。それで結局、千里が禁断の吹き手を紹介すると言ってきた」
 
「禁断の吹き手ですか!?」
 
「誰だろうね」
「それは分かりませんが、千里姉が紹介するのなら確かな腕の人だと思います」
「うん。私もそう思ったから、その話でお願いすることにした」
 
「そうでしたか。でも演奏者が見つかって良かった」
「うん。青葉も無理しないでね。青葉っていつも自分のキャパを超えた仕事の仕方してるからさ」
 
「ありがとうございます。気を付けます」
と青葉は答えた。
 
いつもこちらが冬子さんに言っていることを逆襲された感じだ!
 

青葉は日曜日の最終新幹線で高岡に帰還した。
 
18日・月曜日に大学から戻ると、朋子が
 
「高知の弁護士さんから連絡があって、こないだの高知行きの交通費を振り込んだって。これ明細」
 
と言って朋子はメールをプリントしたものを見せる。
 
交通費は一部その場で現金で仮払いしようかという話もあったのだが、女性親族たちから、高額の現金は落とすと怖いし、旅の途中だと「飲み代などで」男たちが使い込みそうという意見があり、帰宅後の振り込みに統一したのである。
 
「伏木から金沢駅まで能越道・北陸道経由で54km、燃費10km/Lで計算して5.4Lをリッター140円で計算して756円に高速料金1190円、往復で3892円。公共交通機関部分が金沢から新大阪まで特急で7650円、新大阪から伊丹空港まで630円、伊丹空港から高知空港まで20700円の合計28980円。これの往復を私と青葉の2人分で115,920円。合わせて119,812円。青葉の口座に入れたって」
 
エスティマのETCカードは行く時は千里の、帰りは紗希のを使用している。エスティマのレンタカー代も千里のカードに課金されている。各々が請求しているはずだ。最後にガソリンを入れたのは彪志なので、それは彪志が請求したであろう。
 
「ありがとう。確認する」
と言って青葉は自分のパソコンを取り出してACアブプタをつなぎ起動する。
 
「うん。その分入ってる」
 
「でもこれ米原を経由した分はノーカウント?」
「標準的なルートで計算したのかもね」
 
(湖東経由でも湖西経由でも運賃は計算の特例で同じになるのだが、特急料金は新幹線乗継ぎ割引を利用しても割高になる。新大阪と米原は隣の駅ではないので特定特急料金の対象外なのである)
 
「あ、それが公平かもね。そもそもうちなんかは金額が少ないから、北海道や沖縄から来た人たちを優先してあげなくちゃ」
 
「そうそう。でも今回は急なことで私も青葉にお金は頼ったけど、入学金とか授業料とか所得税とか払った直後で、青葉大変じゃなかった?」
 
「ちー姉が貸してくれたお金があったんで何とかなった」
「良かった。けど、千里にも負荷掛けたね」
 
「ちー姉には洋服代も出してもらったしなあ。でも高知の人たちはお金足りたのかな?」
 
「なんか高額の香典を包んでくれた人がいて、結局JR東海株は売却しなかったらしい」
「へー!」
 
「もっとも咲子さんが相続税を払うのに多少売却しないといけないらしいけどね」
「払える分だけ動産を遺してくれたのがありがたいね」
「全く全く。相続税が払えなくて住んでる家を売却するハメになるってよく聞く話だもん」
 
「ついでに言うと、その家を売却して得たお金にも税金がかかる」
と青葉が言うと
「税務署ってあくどいね」
と朋子は言った。
 
(ただし相続税納税額の分までの売却代金は非課税)
 

19日(火)。昼休みに青葉が学食で星衣良たちと食事のあとおしゃべりしていたら近くの席に吉田君が来た。
 
「吉田、学生証は交換してもらった?」
「いや、それがさぁ」
と言って、吉田君は学生証を2個並べる。
 
「うん?」
「こちらが最初にもらった学生証。性別が女になってる。こちらは昨日作り直してもらった学生証。ふりがなが『くにお』になってる」
 
「は?」
 
吉田君の名前は邦生と書いて『ほうせい』と読むのが正しい。
 
「あれ〜、なんでこうなっちゃったんですかね?と言って学生課の人が学生証の中身を確認してもらったら、やはり性別は女のままだった」
 
「それって、女で『ほうせい』と読むのはおかしいから、きっと『くにお』だろうと気を利かせてくれたのでは?」
 
「ということで再度作り直しということになったけど、連休に掛かるから、できあがるのは連休明けかもということで」
 
「じゃそれまでは女子学生のまま?」
「そうなるみたい。参ったぜ。こないだ学生寮に入っている友達の所に行って寮のゲートを学生証で通ろうとしたらキンコンとなって寮長さんが飛んできた」
 
「ああ。女を連れ込もうとしたと思われたんだ?」
「俺本人を見て、『あんた女には見えんね』と言われて通してくれたけど」
「あははは」
 
「いや、やはりここはもういっそ身体の方を直して女子学生に。名前はくにおちゃんでいいじゃん」
 
「よくないよー。俺が女になったら、たぶん嫁のもらい手が無いよ」
「うーん。顔も美容整形で」
 

金曜日(22日)の夜になって、春吉社長から電話が掛かってきた。
 
「一応、被害者の補償について、大堀君、舞鶴君、長浜君についてはだいたい妥結した。まだ正式な書類は交わしてないけど、補償する金額では合意できた」
 
「大変でしたね」
「あと残りは金沢のスナック経営者の人なんだけどね」
「ああ、はい」
「取り敢えず御遺族と連絡は取れて、明日僕が弁護士を連れて金沢に行って交渉することにしたんだけど、もし良かったら川上さんにも同席してもらえないかと思って。こういう心霊的なことをうまく説明できるか自信無くてね。芸能界の人間だと、けっこうこの手の話は信じてくれるんだけどさ。もちろんこれは別途料金を払うから」
 
「分かりました。明日ならこちらも大学が休みなのでいいですよ」
 

それで青葉は翌日、アクアを運転して金沢まで行き、金沢駅で社長と弁護士さんと待ち合わせた。タクシーで片町の裏通りにあるスナックに行く。お店は夕方から開けるらしいが、開店前の店内で話をしようということになった。お店は「数虎」という名前である。カズトラとでも読むのだろうか?スウコだろうか。掲示しているメニューを見るとこの付近のスナックにしては比較的良心的な値段に思えた。
 
交渉の場に出てきたのは70代の男性である。亡くなった人のお父さんということであった。
 
「世の中、そういうこともあるんでしょうね。それはまさに不慮の事故ですよ」
 
とお父さんは青葉の説明を理解してくれたようであった。
 
ここのスナック自体はその人が亡くなった後、奥さんが運営していたらしいが、実はここ1年くらい、その奥さんが体調を崩して休店がちになっており、もう店を畳もうかと言っていたらしい。
 
「ただ、畳むのにも銀行とかからの借入金を精算する必要があって。どうしようかと思っていたのですよ。それで補償金をいただけるということなら、それで払えるだけでも払えないかと思っていたんです」
 
とお父さんは言う。
 
「借入金はおいくらあるんですか?」
と社長が訊く。
 
「実は2000万円ほどありまして」
「だったら5000万円払いましょう」
 
お父さんはそんな金額を提示されるとは思ってもいなかったようで驚きの表情を見せる。
 
「ありがたいです。そんなにいただけたら、息子と孫の墓を建ててやれます。実は今納骨堂に入れたままで」
とお父さん。
 
「お孫さんも亡くなったんですか?」
「実はそうなんです。それで、嫁も意気消沈してしまって。体調を崩したのもそのせいで。その下にも2人女の子がいるから、それだけが心の支えになっている状態なのですが」
 
青葉は良くないことって続くんだよなと思った。
 
しかしともかくも、金額については妥結し、弁護士さんが用意しておいた書類にお父さんが署名捺印し、交渉自体は30分で終了してしまった。賠償金の支払いは和解の翌月末、つまり5月末におこなうことにした。
 

「こちらのお店は長く運営しておられたんですか?」
「息子は20年くらい前から、この片町界隈で他のお店で働くようになりましてね。オーナー店長になったのは2000年くらいだったかな。だから亡くなるまで10年間店長をしたことになります。そのあと6年間運営した嫁も偉いですけどね。嫁は水商売とかの経験が無くて当初は苦労したようですが。でも息子が死んだ時にそちらの事務所からいただいたお見舞い金のおかげで何とか持ちこたえたんですよ」
 
「お見舞い金ですか。私は知らなかった。長浜が独断で払ったのかな?」
と社長は独り言のように言う。
 
「はい。その時に1000万円頂いて。あの時は孫が浪人してましてね。父親が急死して予備校にやるお金も無いと言っていた時に、そのお金を頂いて本当に助かったんですよ。でも今回のと合わせたら6000万円になるから、本当にそんなにもらっていいものか」
などとお父さんは言っている。
 
社長はまさかそんな高額を長浜さんが払っていたとは、全く知らなかったようで、困ったような顔をしている。他にもホシさんが毎月送金していた分もあるはずである。青葉は実際問題としてこのスナックはこちらからの補償金でここ6年ほどは運営されていたのではと思った。
 
社長は言った。
 
「合計6000万円はかまいません。でもその代わり、この件は親しい人を含めて誰にも言わないようにして頂きたいのですが」
 
「はい、それは秘密にします」
 

青葉は2010年の事件で亡くなったオーナーの年齢を計算していた。
 
「20年くらい前から片町界隈のこの手のお店で働いておられたというと、もしかして学校を出て間もない頃からですか?」
と尋ねてみる。
 
「ええ。実は息子は学生時代はずっと水泳ばかりやってましてね」
「水泳の選手だったんですか!」
「大学は結局出席日数不足で退学になってしまったのですが、その後就職先が無いなどと言い出して」
「あらあら」
 
「それで取り敢えず当座のバイトでといってスナックの従業員に応募したら採用されて。当面のバイトのつもりだったのが、結局そのまま20年です」
 
「水に合ったんでしょうね」
と春吉社長が言う。
 
「息子も息子ですが、私も実はずっと市内のスイミングクラブで水泳のコーチしていたんですよ」
「おお!」
 
「だから息子の学業についても進路についても何も考えてなくて。子も子なら親も親ですね」
と言って笑うので、少し場が明るくなった。
 

「社長すみません」
と青葉は春吉さんに断ってから言う。
 
「お父様が、20-30年前にスイミングクラブのコーチをなさっていたのでしたらちょっとお尋ねしたいことがあります。こちらの事故の補償の件とは別件なので、もしよかったら近い内に1度お会いできませんでしょうか?」
 
と青葉。
 
「何でしょう? 差し支えなければ今聞いてもいいですが」
とお父さん。
 
「川上さん、僕らが邪魔で無ければここで聞いてもいいよ。誰にも言わないよ」
と春吉社長も言う。
 

青葉は迷った。しかし水泳部の事件はタイムリミットがかなり迫っている。そこで青葉は尋ねた。
 
「1980年代前後ではないかと思うのですが、金沢あるいは北陸近辺の水泳選手の間で、何か悲恋事件のようなものは無かったでしょうか?」
 
するとお父さんはピクッとしたようで、目を瞑って腕を組み、考えるようにしていた。そして、やがて口を開いた。
 
「あれはとても悲しい事件だったんですよ」
と70代の老コーチは語り始めた。
 

「じゃ2人とも物凄い有望選手だったんですか?」
「そうなんですよ。大学は別の所だったけど、各々の大学のプールでも泳いでいたし、うちのクラブに来ても泳いでいた。ふたりとも凄まじい練習してたね。この子たちふたりともオリンピックに行けるかもと僕は思っていたよ」
 
「それでふたりは恋仲だったんですか?」
「うん。マソちゃんってのが女の子で、サトギ君ってのが男の子で、ふたりはよくサド・マゾ・コンビと言われていたよ」
 
「あはは」
 
青葉はここは笑っておかないといけない気がした。社長も同様に感じたようで少しタイミングがずれたものの笑った。弁護士さんだけポーカーフェイスである。
 

「最初はマソちゃんのレベルが凄かった。それでサトギ君がそのマソちゃんを好きになって、付き合ってと言ったら、自分に勝てたら付き合ってもいいと言って」
 
「漢らしいですね」
「うん。マソちゃんはさっぱりした性格だったよ」
と70代のコーチは懐かしむように言う。
 
「それでサトギ君もほんとに頑張って練習してね。その勝てたら付き合ってもいいと言われてから半年後に、やっとマソちゃんを抜くことができた」
 
「へー」
 
「それからふたりは恋人として付き合いながらずっと切磋琢磨していった。それでふたりともどんどん実力を上げていってね。ふたりとも国体に出たりもしたんだよ」
 
「それは本当に凄いですね」
 

「ところがマソちゃんが車にはねられてね」
 
その話を聞いた時、青葉は背中がゾクっとした。
 
これはホンボシだ。
 
「もしかして足を切断したとか」
「よく分かるね!」
「右足ですか?」
「正解。どうして分かったの?」
 
「勘です」
「君、ほんとに凄い霊能者みたいだね」
 
春吉社長があらためて感心したように頷いている。
 
青葉としてはK大水泳部のジャネさんが右足を切断したので、この人も右足だろうと思ったのである。そしてジャネさんが自殺した以上、もしや・・・。
 
老コーチは話を続ける。
 
「もうマソちゃんは泣いて泣いて。足を失ったことが悲しかったんじゃない。自分の選手生命が絶たれたことに耐えられない思いだったんだよ」
 
「辛いですよね」
 
「サトギ君が練習にも行かずにずっとマソちゃんに付いててね。足が片方無くたって、もう片方で倍蹴ればいいじゃないか。退院したらまた一緒に練習しようよとか言って。そしてサトギ君は彼女にプロポーズしようと思って、指輪も買ってきたんだよ」
 
「死んだんですか?」
 
コーチはこくりと頷いた。
 
「どんなに慰められても彼女の心は癒されなかったのかも知れないね。病院の8階の窓から飛び降りて自殺してしまった。サトギ君が指輪を持って病院に来たら、彼女がいなくて窓が開いているので外を見たら、下に彼女が倒れていたそうだ。8階だからね。ほぼ即死だったらしい」
 
青葉は涙が出てくるのを抑えられなかった。見ると社長まで涙ぐんでいた。
 
「マソちゃんが死んでしまった後、サトギ君は全く練習に出てこなくなった」
 
「あぁ・・」
 
「家族も彼と連絡が取れないので心配してね。田舎から出てきて彼のアパートに行ってみたら」
 
「あぁ・・・・・」
 
「息をしていなかったらしい。でも顔は物凄く穏やかだったらしいよ」
 
「あの世で一緒になったんでしょうかね」
と社長が言う。
 
お父さんはしばらく考えるようにしていたが、
 
「そうかも知れないね」
と言った。
 
そんなことを言った時、青葉は突然そのことに思い至った。
 
例の怪しげな女は・・・自分があの世にいるから、彼氏をあの世に連れていって添い遂げたいのでは?
 

青葉たちはお父さんに一礼してからスナックを出た。金沢駅に向かうタクシーの中で春吉社長がぽつりと言った。
 
「悲しいね」
 
青葉も言った。
 
「私はどういう場面でも感情を表に出すなと言われて訓練を受けています。しかし今日のお父さんの話は涙が止まりませんでした」
 

金沢駅で軽く食事をしてから春吉社長たちと別れた後、青葉は少し駅の裏手の界隈を散歩した。
 
「違う」
 
と青葉は思った。
 
そのマソさんが犯人の訳がない。だってマソさんはサトギさんとあの世で一緒になったのだから、新たな恋人を探す必要は無いのである。
 
では・・・・事件はどうなっているのだろう?
 

青葉が母に電話して、実は面倒な事件に関わってしまい、今日は運転する自信が無いけど、どうしよう?と言うと、母は電車乗り継ぎで金沢まで来てくれた。それでこの日青葉は母が運転するアクアに乗って高岡に帰還することになった。
 
「あんた、今回の事件はかなり大変そうね」
 
「うん。まだホンボシが分からない。ホンボシかなと一瞬思ったものはあったんだけど、それの訳が無いんだよ」
 
「何か恋愛問題っぽい?」
 
「それは間違い無いと思う。簡単に言うと、女の幽霊が生きてる男を誘惑して、誘惑された男はその幽霊に出会って3週間後に亡くなっている。だから、私は女の幽霊がその男とあの世で結婚するために取り殺したのではと思ってみた。でもそれなら、そもそも何人も殺す必要無いし、今ホンボシっぽい気がしている人にはちゃんと恋人もいて、死んだ彼女を追うように亡くなっているんだよ。だから、その人が新たに男を探す必要も無いんだよね」
 
「うーん・・・・。青葉の常識だとそうかも知れないけど、人間の恋愛感情ってそう簡単ではないよ」
 
「え!?」
 
「だって、人は浮気する生物だよ」
 
「え〜〜〜〜〜!?」
 

青葉はハッとした。
 
浮気と言ったら、自分はその酷い例をいつも見ているではないか。
 
千里姉は、桃香姉と貴司さんとの二股。貴司さんは奥さんが居て、千里姉とも愛人関係(千里姉の主張ではこちらも夫婦関係)なのに、更に別の恋人を作ろうと、しばしば浮気を試みている。桃香も千里姉という人がいるのに、ほぼ常時別の女の恋人を作っている。なんか自分が知っている人たちって全員常時二股以上だ!
 
そして青葉は思った。
 
千里姉にしても桃香姉にしても、貴司さんにしても貴司さんの奥さんにしても、かなりの嫉妬をしている。千里姉が貴司さんの新たな浮気を徹底的に潰すのは嫉妬からだ。千里姉は桃香姉の浮気を一見放置しているようにも見えるが、桃香姉の浮気相手全員の写真を撮っていたりしている。あれは絶対こっそりと呪詛している気がする。長続きしないように。桃香と早く別れるように。
 
桃香姉も千里姉と貴司さんとの関係に結構神経をとがらせている。しばしば自分にまでふたりの関係がどうなっているかを尋ねてくる。貴司さんも自分が二股しているくせに、千里姉には自分以外にも恋人がいるようなので、それが結構気になるような様子である。
 
みんな自分のことは棚に上げて、恋人の浮気には嫉妬している。
 
人間って、なんて勝手な生き物なんだろう!?
 

あ、でも自分だってこないだは彪志と愛奈ちゃんのことで嫉妬したしなあと考えてみる。
 
朋子は青葉が瞑想的な状態に入ったとみて言葉を掛けずに無言で運転している。そのアクアの後部座席で揺られながら、青葉は人間の複雑な恋愛模様のことを考えていた。
 

翌24日。早朝、春吉社長から電話が掛かってきた。
 
「先日の悪魔の歌の件で、ちょっと見てもらいたいものがあるんだ。突然で申し訳ないのだけど、ちょっと東京に出てきてもらえないだろうか?」
「はい」
 
それで青葉は水泳部の件も気になるものの、朝1番の新幹線(富山618-832東京)で東京に出た。
 
東京駅に春吉社長とターモン舞鶴さんが来ている。車で向かった先は先日訪問した大堀前副社長の自宅である。
 
「早朝から済みません」
「いえこちらこそ済みません」
 
と言って、青葉たちを案内してくれたのは故人の長女・浮見子さんである。浮見子さんはなぜか学生服を着て男装している。青葉は男装している理由が気になったが、事件とはたぶん関係無いと思うので、気にしないことにした。
 
「これを見てください」
と言って浮見子さんが見せてくれたのは先日、青葉が問題の譜面とSDカードを発見したSR楽譜集である。
 
「この裏表紙の所なんですが」
「え!?」
 
この楽譜集の裏表紙は二重になっており、その間に問題の譜面とSDカードが入っていた。それは先週青葉が瞬法さんと一緒にお焚き上げしたはずである。ところが・・・・
 
「また入ってますね」
と青葉。
「ですよね?」
と浮見子さん。
「これどういうことだろう」
と春吉社長。
 

青葉は首を振った。
 
「戻って来たんでしょうね。お焚き上げ程度じゃダメってことですね」
「そういうことってあるの?」
 
「もう30年くらい前ですけど、兄弟子が関わった案件で似たような出来事がありました。それは魔術の本だったのですが、捨てても捨てても、いつの間にか本棚に戻っているというんですよ」
 
「うーん・・・・」
 
「恐らくですね。大堀副社長が亡くなる直前に焼却したのも、コピーではなくこのSDカードの原本だったのではないかと思います。もしかしたら譜面も一緒に焼却したのかも。ところが焼却してもここに戻って来ちゃったんですよ」
 
「うむむ」
 
「そもそもこの譜面って、長浜さんが処分したとおっしゃってましたよね」
「うん」
「でも処分しても、いつの間にか復活してたんですよ」
 
「なんてことだ」
 
「この楽譜集、必要ですか?」
「いや要らない。ここに綴じられている譜面は全部どこかにデータがある」
 
「でしたら私にこの楽譜集自体を私に預けて下さい。別の方法で処分します」
「どうするの?」
 
「焼却したら戻って来るので焼却せずに単純封印します。ある場所に、この手のものを永久封印することのできる所があります。普通の人では近づけないし、辿り着いたら今度は脱出ができなくなるという場所です。そこにこれを納めてきます」
 
「なんか凄そうな所だね」
 
「それで万一その処分が失敗したらこの楽譜集はここに戻って来ると思います。浮見子さん、もしよければ当面週に1回、その後は月に1回くらいでもいいので、気を付けておいていただけませんか?知らない人がうっかり見てしまうと危険なので」
 
「分かりました。時々チェックするようにします」
と男装の浮見子さんは凜々しい感じで答えた。
 

青葉はその楽譜をシールド用の特殊加工した保冷バッグに入れると、それを持って東京駅まで送ってもらい、東海道新幹線に飛び乗った。
 
京都駅で降りると駅前のレンタカー屋さんで車を借り、高野山の★★院まで走った。
 
「また何か変なものを持って来たな」
と瞬醒さんが言った。
 
「封印の場所に持っていきます」
「醒練、付いていってあげて」
「はい!」
 
青葉は★★院の40代の修行僧と一緒に山道を2時間ほど歩いて、その場所に到達する。
 
「何ですか?ここ?」
「凄い場所でしょ?」
と言って青葉は自分と彼をロープでつないでから「時空の地平」を越える。
 
「何も見えません!」
と醒練が言っている。
 
「私とロープでつながっている限りは大丈夫ですから」
「はい」
 
中心点に到達する。青葉は醒練と一緒に般若心経を唱えながら楽譜集のファイルを中に投入した。
 

作業が終わってから、その場を離れる。「時空の地平」からこちらの世界に戻ると、
 
「あ、やっと瞬葉さんが見えるようになった」
と言う。
 
「でも醒練さん、中でもちゃんと私と会話できてましたでしょう?」
「あ、はい?」
 
「それだけ醒練さんの力があるということです。ふつうの人なら、声も聞こえなくなりますよ」
「ひゃー!」
 
また2時間書けて★★院まで戻ったが、醒練さんは
「マラソン10回くらい走った気分」
と言い
「じゃマラソン10回走ってみるか?」
と師匠から言われて慌てて
「今年の夏の回峰に参加しますから勘弁してください」
と言っていた。
 

青葉は明日は大学の講義があるので帰りたかったが、瞬醒さんが、疲れた身体で車を運転したら事故起こすから少し休んで行きなさいと言う。確かにこの手のものに関わった時は「呼ばれやすい」ことを青葉も考え、休ませてもらうことにした。食事も頂いた上で仮眠する。
 
そして午前3時に★★院を出て京都市までレンタカーで戻った。京都市内に以前★★院にいた醒環あらため瞬環さんが住職をしている寺があり、そこに行ってレンタカーの返却作業をお願いする。そして青葉自身は朝6時のビジネス・サンダーバードに乗って金沢まで戻り、そのまま大学に出た。1時間目の講義には間に合わないものの、2時間目からは出席することができた。
 

その日の放課後、青葉は今回の一連の事件について考えながら構内を散策していた。プールや教室などを見て回る。キャンパス内の池のそばをゆっくりとした歩調で歩く。やがて歩くのをやめ、じっと池の中の蓮を眺める。
 
青葉がそこで5分も佇んでいた時、
「君、死んではいけない!」
と言って、男性が青葉を後ろから抱きしめるようにした。
 
へ!?
 
「あのお、私考え事してただけです。死んだりはしません」
 
と言って男性の腕を振り解きながら振り返ると、民法学の中川教授である。
 
「中川教授!」
「あ、君は川上青葉君だったっけ?」
「はい、覚えて頂いていて光栄です。そもそもこんな池に飛び込んでも死ねないと思いますよ」
 
「あ、そうかな。実は昔担当していた学生が自殺してしまったことがあってね。それが僕にもトラウマになっているんだよ。僕も若かったし」
 
と中川教授は言う。自殺は本人にとってはそれで全てを終わらせることかも知れないが、周囲の人には一生その心の傷が残るのである。
 
先生でさえこのようにずっと悩んでいる。マソさんやジャネさんの家族などはさぞかし辛い思いをしているのではと青葉は思った。
 
「教授がまだ若かった頃というと、30年くらい前ですか?」
「うん。もうそんなになるかな。彼女水泳をしていてね。日本代表候補になるくらい優秀な子だったんだよ。だから法学部には在籍していても、弁護士とかは目指さずに水泳の道を進むんだろうなと僕は思っていた」
 
青葉はドキっとした。
 
それって・・・まさかマソさんのことでは?
 
「どうして亡くなったんですか?」
 
「彼女亡くなる少し前に交通事故に遭ってね」
「あら」
 
「その事故のせいで右足の足首から先を切断してしまったんだよ」
「わあ」
 
「それでもちろん日本代表の道は閉ざされてしまったし、そもそも水泳自体続けられないかもなんて言っていた。足以外にもあちこち身体を痛めたみたいでさ」
 
「ああ、それはスポーツ選手にとっては死ぬより辛いですよ」
 
「だと思う。彼女は強い選手だったし、物凄い美人だったからキャンパスでも人気でね。いつも男の子たちの注目の的だった」
 
へ!?
 
「言い寄る男の数が10や20じゃなかったよ。だから事故に遭って、選手生命は絶たれても『絶望しないでね』『足なんか無くたってフィンを付けたら泳げるじゃん』『足くらいなくてもいいから僕と結婚してよ』って、毎日病院に大量の男の子が詰めかけてさ。病院の先生が、あんたらうるさい!他の患者に迷惑だって怒るくらいで。彼女も結構笑顔で。だから案外早く立ち直って今度はパラリンピックとか目指すのではと思っていたんだよ」
 
そんな話・・・一昨日聞いた話とは全然違うぞ!!
 
「ところがそんな感じで1ヶ月くらい経った時に、彼女は突然病院の窓から飛び降りて死んでしまったんだよ。彼女に憧れていた男の子たちが泣いて泣いて。なんで死んじゃったんだよ。マソの馬鹿!って。あ、その子、マソちゃんと言ってね」
 
「はい」
 
「もうお葬式は凄い騒ぎだったよ。ご両親も娘が死んでしまったのはショックだったものの、大勢のボーイフレンドたちに囲まれて賑やかなお葬式で、つい笑顔を見せたりしていた。彼女、歌も好きで水泳しないなら歌手になってもいいくらい上手かったからね。もうお葬式がカラオケ大会になっちゃって」
 
「凄いですね」
 
そういえば和彦じいさんの葬式も自分たちが出た後、カラオケ大会と化したと桃姉が言ってたなと青葉は思った。
 
「一周忌の時も三周忌の時も、たくさんの元ボーイフレンドたちが集結してまたまた凄い騒ぎだったよ」
 

青葉は中川教授の話を聞いて、自分がとんでもない思い違いをしていたことに気づいた。
 
人の話って、ひとりからだけ聞いたらダメなんだなと思った。
 
おそらく・・・・マソは大学で見せていた顔と、スイミングクラブで見せていた顔がまるで違っていたんだ。サトギ君というのは彼女の唯一のボーイフレンドでは無かった。単なるワンオブゼムだった。
 
青葉は学食のテーブルの所に座り、リュックのサブポケットから愛用のタロットを取り出す。
 
1枚引いた。
 
太陽のカードである。
 
この子は自殺したりするような子ではない。
 
青葉はそう確信した。
 
ということは・・・・
 
青葉はそこで恐るべき結論に達した。
 
そしてこの事件の本当の犯人が分かってしまった。
 

その夜、青葉が今回の犯人に対する対処を考えていた時、水泳部の圭織さんから電話が掛かってきた。
 
「こんばんは。青葉です」
「こんばんは。こないだ青葉ちゃんと話した女の子と出会ってから死ぬまでの期間なんだけどね」
 
「はい」
「改めて自分でツイッターの検索して、ひとりひとりについて確認して行ったのよ。それで結論。最初に死んだ木倒さんと海に落ちて死んだ**さん以外の3人の男子は、全員女の子と出会ったような示唆をしたちょうど20日後に亡くなっていることを確認した」
 
「20日後ですか」
「でもそういう示唆した日って、その彼女に会った翌日だと思うんだよね」
「あ、そうですよね」
「だから全員、怪しい女と出会った21日後に亡くなっていることになる。木倒さんだけがハッキリしない。1ヶ月近く経ってるとは思うんだけど。それから**さんはよくよく見たら、会っていたのは男の子の友達だった」
 
「あら、そちらですか」
「うん。ホモなのかなとも思ったけどメッセージ見る限りは普通の友達みたい。その男の子とは、模型作りの趣味が一致して交友していたようね。その子がお葬式にも出て悲しいよぉとか書き込んでいるから、この人は今回の事件とは無関係かも」
 
「なるほどー」
「偶然同じ時期になったんだろうね」
 
「じゃその人は除外して考えましょう。ありがとうございます!」
「役に立つ?」
「大いに役に立ちます」
 
これで筒石さんを守るべき日が明確になった。
 
最初のひとりは何かイレギュラーなことがあったのかも知れない。それ以降が21日後で定まっているなら今回も21日後だろう。筒石さんは4月11日に女と出会っているから、殺(や)られるのは21日後の5月2日ということになる。
 

青葉は千里に電話をした。
 
「ちー姉。合宿中で悪いんだけど、パワーを貸して欲しい」
「何するの?」
「ちょっと幽霊と戦うのに、私だけのパワーでは足りないおそれがあって。失敗すると人を死なせてしまうから」
 
「ああ。何か大変そうな案件を抱えているなとは思ったけどね。いつ?」
「5月2日なんだよ。でも時刻は分からない。0時から24時まで警戒する必要がある」
 
「大変ね〜。青葉、じゃその日は0時から24時まで起きているつもり?」
 
「過去の被害者の死亡時刻がバラバラなんだよね。それで時刻までは絞りきれないんだ」
 
「まあ命に関わることなら仕方無いね。その日は試合が無いし。遠慮無く使って」
「ごめんねー」
 

筒石さんのガードは笹竹ひとりだけでは大変なので、紅娘や小紫とも交代させて常時警戒をしていた。
 
4月27日。この日青葉は午後、中川教授の講義を受けていたのだが、講義が終わった後、教授が青葉を呼んだ。
 
「こないだ君が聞いていたマソちゃんの件だけどね。当時の彼女のボーイフレンドのひとりとちょうど連絡が取れたんだよ。何なら話を聞いてみる?」
 
「はい、聞きたいです。よろしくお願いします」
 
それで青葉はそのあとアクアに教授を乗せて、金沢市内のレストランに行った。その人はそのレストランのオーナーシェフをしていて、ちょうどお昼の営業時間が終わり、夕方以降の営業時間の前で、時間が取れるということであった。
 
彼の話はおおむね教授の話を確認するような内容であった。彼はマソのボーイフレンドは20人くらい居たと言っていた。
 
「練習のあと、彼女を家まで送っていくのを『マソ親衛隊』の中から2名決めて回してたから」
「凄いですね。2名にするのは安全のためですか?」
「そうそう。1人だと抜け駆けしようとする奴が出るかも知れないし、乱暴なことしようとする奴が出てもいけないし」
 
「なるほどー」
 
「そのボーイフレンドの中にサトギさんっていませんでした?」
「サトギ? うーん。知らないなあ。親衛隊以外にもファンは多かったから、その中の誰かかもね」
 
彼の話から、青葉はやはりサトギはマソにはほとんど問題にされていなかったのではと想像した。
 

「マソさんのご家族については、何かご存じですか?」
「お姉さんがいましたよ。お姉さんも水泳選手だったんですが、マソほどでは無かったんですよ。国体には姉妹で出てますけど」
「へー。でも国体に出られるレベルなら、やはり凄かったんですね」
 
「しかしあそこの家庭も屈折してるなと思ったんですけどね」
「はい?」
「事故のあとでお母さんが、どうせ交通事故に遭うなら、姉の方が遭えばよかったのにって」
「それは酷い」
 
「姉妹でどうも微妙な感情的な軋轢があった気もします。妹のマソの方は気にしてなくて、むしろいつもお姉さんを立てていたんですけど、お姉さんはどうしても妹がいつもちやほやされるし、実力では全然かなわないしで、気持ちとしては複雑なものがあったんじゃないでしょうか」
 
「ああ。妹や弟が優秀だとお姉ちゃんは辛いですよね」
 

そのレストランのオーナーさんの紹介で、あと2人市内に住んでいるマソの元ボーイフレンドに会うことができた。その3人は特に仲が良くて、30年経っても時々会っているらしい。
 
そしてその日最後に会った人がサトギのことを覚えていた。
 
「サトギ、いたよ。ちょっと気の弱そうな奴で。マソは問題にしてなかったけど、変なこともしそうにないというので、安全パイと思われて、色々雑用に使われてたかな。当時のことばで言うと、メッシーとかアッシーとかそんな感じ」
 
どうもスナックのオーナーのお父さんの話とは随分違うようだ。あの人は一部だけを見ていたので誤解していたのだろうか。
 
「マソの葬式には来てたけど、一周忌の時は見なかったから、本人としてもそんなに熱心じゃなかったんじゃないかね」
 
と今日会った人は言っていた。
 
まあ、その時は死んでいるから、来ようにも来られないよね。
 
「だいたい、そいつ他にも彼女いるみたいだったし」
 
何〜〜〜〜!?
 
それだと何か最初聞いた話とまるっきり違うじゃん!!!
 
「まあ、あれだけマソから男扱いされてなかったら、他の女に目移りしても仕方無いかもね。それか男扱いされないから、もう男辞めちゃってたりしてね」
などと彼は笑っていた。
 
しかし青葉はこの一連の聞き取りで、事件の性質がかなり分かってきた。そして最初の頃「悲恋事件」のことを聞いて回っていた時に、マソとサトギの事件が探索に引っかからなかった理由(わけ)も分かった。多くの人が、これを悲恋事件とは捉えてなかったからだ! 悲恋事件と認識していたのはサトギ周辺や一部のスイミングクラブ関係者のみだったのだろう。
 

「そういえばマソって珍しい名前だと思うんですが、どういう字を書くんでしたっけ?」
と帰りの車の中で青葉は教授に尋ねた。
 
「それがね、漢数字で十二六と書くんだよ」
「どうしてそれでマソと読むんです?」
 
青葉は本人を前にすればたいていの名前の読み方は分かるが、本人がおらず名前の字だけを見たのでは読めない。
 
「マソというのはマラソンの略らしい。マラソンの距離は42.195kmだけど、それを尺貫法に直した時に十里二十六町なんだって。ご両親は陸上選手だったんだけど、娘は姉妹とも水泳選手になったとか言ってた。お姉さんは一二三と書いて『ほっぷ』と読む」
 
「へー!」
 
青葉は大学で中川教授を降ろした後、変換ソフトを使って計算してみたが、42.195kmは十里二十六町四十七間一尺五寸になることが分かった。その上の方だけ取って、十二六なのだろう。
 

5月1日になる。その日は早めに寝て、22時に目を覚ました。
 
朋子のヴィッツを借りて深夜の8号線を運転し、野々市市内の筒石さんの自宅近くまで行った。
 
いつものアクアでは目立ち過ぎるのである。5月2日は朋子にアクアを使ってもらう。朋子は「この車で会社に行くの?」と嫌そうな顔をしていた。
 
「お母ちゃんも若返ったねと言われるかも」
「うーん。私も恋愛しちゃおうかな」
「いいと思うよー」
 
ヴィッツには食料・飲料と簡易トイレも積んでいて、一切その場を離れなくてもいいようにしておいた。
 
なお、5月2日は本来は講義のある日だが、美由紀は「2日?私のカレンダーでは休み」と言っていたし、世梨奈は実は美津穂や他2名の合唱軽音部の後輩とともに、ローズ+リリーのツアーに4月28日から行っていた。5月8日までツアーと一緒に行動した後、5月14-15, 21-22日にも行ってきてくれる。
 
そして明日香はゴールデンウィーク前の4月23日から自動車学校の合宿に入っている(彼女は連休が明けても免許を取得するまで大学を休むつもりらしい)。星衣良も連休中は両親と一緒に新潟の母の実家に帰省すると言っていた。
 

この日、夜間の間はいつもの笹竹ではなく、もう少し戦闘能力のある(=青葉のパワーも消費する)蜻蛉を筒石さんのそばには付けていた。
 
青葉自身は神経を7割くらい眠らせて消耗を押さえつつ、何かあったらすぐ対処できるようにした。
 
朝が来る。ここまでは何も起きなかった。筒石さんが出かける。蜻蛉と交代した小紫に付いて行かせ、青葉は少し離れた距離からゆっくりとヴィッツを進行させた。
 
やがて彼は金沢市郊外のあまり知られていない公園に来た。人待ち顔である。ここで女と会うのだろうか。
 

やがてある気配に、青葉は緊張した。車のドアをそっと開けて車外に出た。キーは外して持つものの音を立てないようにドアは寸止めにする。
 
筒石さんが立ち上がって手を振る。例の女がやってくる。そっと1枚の写真を取り出し、あらためて女を見る。やはりマソだ。この写真はマソの元ボーイフレンドのひとりが持っていたものをコピーさせてもらったものである。
 
その時初めて青葉は気づいた。彼女が右足を引きずるような感じで歩いていることに。右足が不自由なので、ああいう歩き方になるのだろう。そのことに筒石さんは気づいていないようだ。
 
青葉は《雪娘》と《海坊主》をふたりの至近まで近寄らせて警戒させた。
 
眷属の中ではこの2人がいちばん戦闘能力があるのである。
 

突然女と筒石さんの前に、男が出現した。青葉は急いでふたりの所に駆け寄る。男は言った。
 
「マソは僕のものだ。マソをたぶらかそうとする奴はこうしてやる」
 
男が大きな金棒を出して振り上げる。
 
『海坊主!』
と青葉が叫ぶ。
 
《海坊主》が筒石さんをかばいながら、その男を殴ろうとした。
 
が、この時思いも寄らぬことが起きた。
 
筒石さんが《海坊主》を押しのけて、男に強烈な回し蹴りを食らわせたのである!
 

水泳選手のキックである。筒石さんはインカレにも国体にも出ている選手だ。
 
男が向こうに吹き飛ぶ。金棒が転がる。《海坊主》が呆気に取られている。
 
「何だこいつ? 通り魔か?警察を呼ぼう」
と言って筒石さんがスマホを取り出す。
 
(筒石さんに海坊主や雪娘は見えない)
 
そして彼が110番しようとした時、そばに寄っていたマソが後ろ手に小刀を取り出すのを見た。マソが筒石さんの背中を刺そうとする。
 
《雪娘!》
と青葉が叫ぶが、《雪娘》はその前にもうそれに気づいていた。
 
自分の剣を抜くと、マソの後ろで、彼女の身体と平行に剣を振り下ろした。
 
ブツッと何かが切れたような音がした。
 
マソが小刀を落とす。
 
その時、やっとその場に辿り着いた青葉は、《雪娘》と同様、自分も『秘密兵器』の剣を抜くと、筒石を襲った男の背後で剣を振り下ろす。こちらもブツッという音がした。
 
『青葉、気を付けろ!本体が出てくる』
と《海坊主》が言う。
 
『うん』
 
既にマソの背後に居た何か大きなものが動き始めていた。《雪娘》が剣を持ったまま戦い始める。
 
青葉も男の背後に居たものと戦い始める。
 
『青葉、こちらは俺に任せろ。雪娘を助けろ』
と《海坊主》が言うので、青葉はそちらは任せて、《雪娘》と一緒にマソの背後に居たものと戦い始めた。
 

マソも男(おそらくサトギ)も何か大きな霊団のようなものに操られていたのである。青葉と《雪娘》が切ったのは、その霊団が使っていた『操り糸』である。もっともマソは単に巻き込まれただけだが、サトギは本人もかなり凶悪だ。
 
筒石さんは突然始まったチャンバラ?を見て、警察に電話するのも忘れて呆気に取られている。マソは霊団とのつながりが切れると、小刀を落としたまま「あれ〜?」という感じで首をかしげている。
 

この事件の主犯はサトギである。
 
浮気性でたくさんボーイフレンドがいないと気が済まないマソは水泳をしている良い男を見つけるとすぐ誘う。そしてそれに嫉妬したサトギがマソとデートしている男を殺すのだ。
 
青葉はひょっとしたらマソさんが死んだのも、実は自殺ではなく、サトギが殺したのではと想像していた。おそらくはプロポーズして断られたのに怒り、自分でマソを病室から突き落としておいて、あたかも自分が入って来たら彼女が転落していたかのように装ったのではと。もう30年も経ってしまうと真相は分からないだろうが。
 
青葉は今回の一連の事件の中で、最初に死んだ2人、木倒さんとジャネさんだけは性質が違う気がした。他の3人がマソと出会って21日後に亡くなっているのに、木倒さんは「恋人ができて約1ヶ月後」、ジャネさんは事故死ではなく自殺である。
 
おそらくはジャネさんが亡くなった状況とマソさんが亡くなった状況が似ていたので、それに刺激されて古い霊的な念が再起動してしまったのだろう。
 
それにしても・・・
 
と青葉は戦いながら思う。
 
筒石さんは一発で相手を蹴り倒した。おそらくサトギは30年前にもマソに言い寄っていた男たちにちょっかいを出そうとしたものの、みんな返り討ちにあっていたのではなかろうか。中川教授や数人のマソの元BFと話した中でも、その事件の直後に他に死人は出ていないようなのである。そして、今回の事件で筒石さんもサトギを倒した。前に死んだ3人は、喧嘩があまり強くなかったのかも知れない。
 

■簡易年表(暫定1版)
1969.4.27 サトギ生まれる (牡牛座。金星逆行中 ボイド中)
1969.12.6 マソ生まれる(射手座。牡牛座とは不幸になりやすい組合せ)
1988.06 マソ(18歳.大1)が事故に遭い、足の先を切断
1988.08 マソが転落して死亡。
2008.10 ステラジオ結成(高校3年)
2009.08 ホシがLSDにはまる。3ヶ月(10-12)入院して薬を抜く。
2010.01 ホシたちがメーン長浜と知り合う
2010.07 スナック店主がDSを演奏して死亡。その後長浜が自分で1千万調達して遺族に補償金を払う。
2011.02 メーン長浜が北陸道で運転中に死亡。
2011.06 ステラジオ・デビュー
2014.12 幡山ジャネが事故で足の先を失う
2015.01 キャッスル舞鶴が自宅マンションで死亡。
2015.01 木倒部長が鉄骨の下敷きになり死亡
2015.07 多縞部長が一酸化炭素中毒で死亡
2015.11 **が白血病で死亡
2016.03 溝潟部長が感電死
2016.03 ピュア大堀が公演先で膵臓癌により死亡。SDカードを焼き捨てる
 
 
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【春老】(3)