【春順】(2)

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1月20日の深夜、アクアの女子制服姿の写真がネットに流出した。アクアは現在放送中の『ねらわれた学園』でも、昨年春から秋に掛けて放送された『ときめき病院物語』でも女子制服姿を披露しているが、どちらも番組の中の衣装である。ところがこの日流出したのは、それとは違うもので、職人さんたちの調査で、実際にアクアが通学している中学の制服であることが確認される。
 
「アクアちゃん、女子制服で通学するようになったの?」
などという声が出て、結局21日の夕方になってアクア本人が秋風コスモス社長と一緒に記者会見する騒ぎになる。
 
「えー、僕はふつうに男子制服で通学しています」
と困ったような顔のアクアは明言した。この記者会見にアクアは実際に学生服を着て出席している。
 
「この写真は?」
 
「それ、背景から判断して、たぶん8月頃に僕が学校のセーラー服を着たまま放送局に入った時の写真だと思うんですよね。実はその日、友だちとふざけてて、罰ゲームで女子制服を着せられちゃって、それでお仕事の時間も迫ってたし、そのまま放送局に入ったんですよ。ですから普段から女子制服を着ている訳ではないですから」
 
「何の罰ゲームだったんですか?」
 
「男の子アイドルの顔写真だけ見て名前を言うというゲームで、僕は写真30枚の内27枚言い当てたんですけど、勝負した相手の女の子は全員言い当てたんで素直に負けを認めました」
 
記者会見場に笑い声が満ちた。
 
「アクアさんってお友だちは女の子が多いんですか?」
「あ、わりと女の子の方が多いですね」
「じゃこの着ておられる女子制服もお友だちのものですか?」
「ええ、そうです」
「お友だちの服がちゃんと入るんですね。アクアさんウェスト幾つでしたっけ?」
「55ですけど」
 
細い〜!という声が思わず記者の間から漏れた。
 
「まあアクアの性別問題については、明日にも発表予定のアクアのライブでの衣装を見て頂ければ結構分かるのではないかと思います」
 
と笑顔でコスモス社長はコメントした。
 

1月22日、震災復興支援ライブの詳細が発表されたが、その日の内に1月26-27日の福島市内のホテルはあっという間に予約がいっぱいになってしまったようである。ホテルによってはあまりの負荷に予約システムがトラブって定員を超える予約を受けつけてしまい、予約した客に平謝りして、少し遠くのホテルでもよければそこまでの交通費をホテル側が負担して代替確保するなどとして交渉していたらしい。
 
その1月22日、千里は前夜の夜行バスで大阪に入り早朝から貴司と会った。実はその日の午後から千里はまたレッドインパルスに合流、23-24日に佐賀市で行われる試合に「出席」するので、その移動途中(?)大阪に寄ったのである。
 
朝7時にいつものNホテルのレストランで出勤途中(?)の貴司と待ち合わせし、早い時間なのでモーニングを頼み、今日はワインをグラスで頼んで乾杯する。
 
「これはおとそということで」
「じゃ明けましておめでとうだね」
と言ってグラスを合わせる。
 
この早朝、貴司の出勤前のデートというのもふたりは結構やっているのである。
 
「そうそう。これ車の代金を借りたお金。ありがとうね」
と言って貴司は千里に563万円を現金で渡した。
 
「確かに」
と言って千里は微笑んで受け取り、自分のバッグに入れる。
 
「数えなくていいの?」
「信じているから。利子はトイチで入っているだろうし」
「ごめーん。利子つけてない」
「じゃ足りない分は、後日、貴司の愛でもらおう」
「それはこちらも歓迎」
 

「走らせてみた?」
「うん。パワーが凄いね。今日も時間があったら乗せてあげたかったけど」
「じゃ来月来た時にドライブデートしようよ」
「いいよ」
 
千里がオールジャパンの銅メダルを見せると「いいなあ。凄いなあ」と言ってメダルに触っていた。
 
この日ふたりは8時には別れ、地下鉄で貴司は心斎橋、千里は新大阪に移動する。千里は佐賀までの新幹線+かもめの切符を買った後、駅近くの銀行支店ATMで貴司から返してもらった583万円を自分の口座にいったん入金した。入金してみたら1万円多く584万円あったので、貴司数え間違ったなと思い、後で1万円返す旨、貴司にメールしておいた。
 
そして新幹線に乗ってから大学の初期納入金概算と車の購入代金の貸しとして282万円、桃香の名前で朋子の口座に振り込んだ。
 
車の購入資金の貸しのことまでは聞いていなかった朋子は昼休みに振込に気づいて金額に驚愕し、桃香に電話した。桃香も聞いてなかったので慌てて千里に確認して、こういう説明をすることにした。
 
「青葉が車で通学すると言っていたけど、車って購入手続きしてから受け取るまでに結構時間が掛かるでしょ?だからお金貸してあげるから、合格したらすぐ買えと言ったんだよ。いや、私も千里も、夏のボーナスと冬のボーナスを使わずに貯めておいたから、取り敢えず一時的に資金があったんだ。5月以降こちらは各種の支払いに使わないといけないけど、青葉は5月頭に300万くらい印税が入ると言っていたから、それで200万円は返してもらえたらいい。82万円は大学の納入金分としてあげるから」
 
朋子もそれで納得したようであるが、桃香は「そういうのちゃんと言っておいてくれ」と千里にあとで文句を言った。千里は実は単に言い忘れていただけである!千里は結構こういうのが抜けているのである。
 

千里は新幹線と長崎本線の特急《かもめ》を乗り継いで12時すぎに佐賀に到着。市内の某体育館に集合時刻の13時前に辿り着いた。明日・明後日1月23-24日の佐賀市内の試合で、Wリーグのレギュラーシーズンが再開されるのである。
 
簡単なミーティングの後、午後いっぱい練習をする。1軍選手全員と、千里を含む数名の2軍選手・練習生10人ほどが一緒であるが、千里がレッドインパルスの練習に参加するのは約1ヶ月ぶりである。
 
「やはりサンは凄く強くなっている」
と今期限りで引退予定の(餅原)マミさんから言われた。
 
「いや、サンは社会人選手権から戻って来た11月以降凄く強くなったと思っていた。でも12月下旬に最後に見た時から倍くらい強くなっている」
と(広川)妙子キャプテンが言う。
 
「これなら4月から即スターターだな」
と松山ヘッドコーチも言っている。
 
「むしろ明日の試合に出したいくらいだ」
と黒江アシスタントコーチ。
 
むろん千里は3月までは40 minutesの選手なので、それまではレッドインパルスの公式戦に出場することはできない。
 
「そうだ。私の4月からの背番号なんですけど、もし可能だったら今40 minutesで付けているのと同じ33番を使えませんか?」
と千里は言ってみた。
 
「あ、いいよ。今の所33を希望している新入団予定の子は居ないし」
とチーム代表の小坂さんが言う。
 
「33ってやはりパトリック・ユーイングですか?」
と高校時代以来の知り合いである札幌P高校出身の(渡辺)純子が訊く。彼女は2008-2010年の3年間旭川N高校の湧見絵津子と良きライバルとしてしのぎを削っていた(坊主頭仲間でもあった)。
 
「あ、いや。私が平成3年3月3日生まれだからと、40 minutesでは勝手に33に決められてしまったんだよ。でもそれでオールジャパンで3位になれたから縁起がいいかなと思って」
 
「なるほど」
と小坂さんは言ったものの
 
「それだと来年もレッドインパルスは3位だったりして」
とマミさん。
 
「うむむ」
「いや、今年はうちはBEST8だったから3位の方がまだいい」
と(三輪)容子さんが言う。
 
「じゃ私が準々決勝まで出ますから、準決勝以上ではユズ(柚野美杉)を使ってもらえば」
と千里が言うと
 
「え〜?」
と美杉本人がびっくりしていた。
 

練習のあとみんなで夕食を取ったが、一息ついたあたりで千里は広川キャプテンの部屋を訪問し、別件で相談があると言った。
 
「実は私が今在籍している40 minutes、以前在籍していて昨年春までは私がオーナーをしていた千葉ローキューツ、それから私の親友・佐藤玲央美がキャプテンをしている実業団のジョイフルゴールドが、今各々運営会社を設立してプロ化を進めている所なんですよ」
 
「ああ、そんなこと言っていたね」
 
「それで女子の球団って採算取るのが大変でしょう?」
「うん。うちだって、そんなに余裕がある訳じゃない。実際問題としてWリーグでも一応採算が取れているのはうちを含めて上位数チームだけだよ」
 
「それで、少しでも採算が取れるように、その3チームで春から秋に掛けてのオフシーズンに、定期的に有料の練習試合をしようかという話をしているんですよ。《関東クロスリーグ》とかもっともらしい名前付けて。時間帯は平日の夕方。これは通常の大会などにぶつからないようにするのと、実は会社勤めしているメンバーが結構いるので、彼女たちが出場できるようにするためでもあり、また夕方なら観客を期待できるからなんです。一応このあたりの話まで、バスケ協会の方には打診して内諾を得ています」
 
「クラブチームと実業団が混ざった有料リーグ戦というのは面白いね」
 
「それで今3チームしかいないのですが、奇数ではやりにくいんで、偶数にしたいんですよ」
「ほほお」
「それでもし良かったらレッドインパルスさんに1口乗ってもらえないかと思って」
 
妙子は腕を組んで考えた。
 
「それってうちの知名度を利用しようというのではないよね?」
「多少はありますけど、レッドインパルスは2軍でもいいですよ」
 
「いや、ジョイフルゴールドとか40 minutesは、こちらもマジで1軍が相手しないとまともな試合にならない」
と妙子は言う。
 
「それ売上の分配方法は?」
「入場料に関してはホームチームの総取り、グッズ販売に関しては販売した各球団がそのまま取ります」
 
「シンプルだね」
「比率按分とかしていたら面倒ですよ」
「確かに確かに」
 
「もし良かったら検討して頂けないかと思って。必要ならうちの社長やジョイフルゴールドの社長にも来させますから」
 
「うん。上に打診してみる。そちらの社長って誰だっけ?」
「以前レッドインパルスの顧問をして下さっていた立川智雄さんです」
「おお!」
「ちなみにジョイフルゴールドの社長は藍川真璃子さんです」
「すげー!」
 
「ローキューツの社長はまだ決まっていないんですよ。今会社設立に向けては作曲家の毛利五郎さんが動いておられるのですが」
「その名前は知らないや」
「たくさん仕事している割には名前の売れてない人ですね」
 
曲も売れてないけどね、とはさすがに言えない。
 
「へー。でも私も相手がジョイフルゴールドや40 minutesなら大いに興味がある。だってサンドベージュとかビューティーマジックとかなら、気軽には練習試合できないじゃん。相手が実業団やクラブチームなら、そのあたりが安心できるし、ある程度手の内もさらけ出せる。これは特にまだ公式戦での出番が少ない若手の鍛錬にもいいよ」
 

1月23日の試合の相手はエレクトロ・ウィッカだったが、花園亜津子はコート上から千里に結構挑発的な視線を送っていた。花園亜津子は先日おこなわれたオールスターでMVP,3P女王を取ったが千里が《おめでとう》とメールしたら《今年までは当然取るけど、来年のオールスターでちーに勝って3P女王取らないと価値は半分しか無い》などと返信してきていた。
 
24日の相手はサンドベージュであったが、この日は三木エレンがこちらに笑顔で手を振っていたので、千里は会釈を返しておいた。
 

1月25日(月)。この日から国立大学の一般入試・出願期間が始まる。各受験生は、センター試験の自己採点結果にもとづき、自分の志望校を決めて願書を出すことになる。
 
一応青葉たちの高岡T高校では、大手予備校のシステムを利用した各自の志望校の合格可能性ランキングを受験した全生徒に配り、また担任が各生徒と話し合って志望校を決定していった。
 
青葉は予定通り前期・K大学法学類、後期・T大学経営法学科で願書を出した。空帆も予定通り前期・東京工大、後期・千葉のC大学、美津穂は前期T大学で後期は受けず、代わりに私立で同じ富山市のI大学を受ける。
 
日香理はセンター試験の自己採点結果では第1志望の東京外大はB判定であった。個別試験の結果次第という感じで、更に必死に勉強すると言っていた。予定通り、前期は東京外大、後期は金沢のK大学で願書を出した。
 
ヒロミも前期K大学、後期T大学で願書を出した。彼女は今度は最初からちゃんと『呉羽ヒロミ・女』と記載した願書を提出した。
 
さて問題が美由紀である。第1志望の金沢美大はC判定である。
 
「無理だよ、これ」
と親友の明日香からハッキリ言われている。
 
「でも実技の方が配点高いから、それで挽回できる可能性あるよ」
と本人。
「美大を受けるような子ってさ、たいてい専門の塾に行ったり、個別で画家に弟子入りしてかなり鍛えてるよ。美由紀は美術部で描いていただけでしょ?とてもかなわないよ」
 
「えーん」
「でもまあ美大は試験が中期だから、出すだけ出してみたら?」
と日香理などが言うので、結局、美由紀はT大学芸術文化部を前期(2.25-26), 金沢美大を中期(3.12-14)で受けることにして願書を提出した。
 

その美由紀は国立の願書を出した翌日、1月26日には金沢の私立G大学の芸術学部に試験を受けに行ってきた。
 
試験科目は国語・英語・実技である。美由紀は国語はまあまあである。英語はあまり得意とは言えない。実は3つめの科目は実技ではなく、数学か地歴を選択しても良かったのだが「数学なんてわざわざ0点を取るためのもの」と言って、実技の選択となった。
 
指定時間内に与えられたモチーフのデッサンを描くという問題で、美由紀は「まあまあ出来たかな」と言っていた。
 

1月29日の夕方、旅行代理店の人がやってきて、青葉に旅行クーポンを渡した。どうも千里は最初から高岡の旅行代理店の人に依頼してチケットを手配していたようである。
 
なるほど〜! チケットを「持たせる」ってそういう意味だったのかと青葉はやっと理解した。「持たせる」なんて言うから、ちー姉の眷属さんが持ってきてくれて「こんにちは」になるのかしらなんて考えたけど「持たせる」って普通は人が持ってくるんだよね? 私自身が霊的なものに考えが寄りすぎているのかなと青葉は思った。
 
「新幹線の座席指定券が今日発売だったので今日のお届けになったんですよ」
と旅行代理店の人は言っていた。
 
福島のライブは2月28日である。後泊して帰りの新幹線は2月29日になるので発売日が今日になったので、今日のお届けになったということのようであった。でも帰りはオープンの方が便利だったんだけどなと少し思った。まあ日程が変わる場合はみどりの窓口で変更すればいいか。
 

それで旅行代理店の人が帰ってから封筒を開封した青葉は困惑する。
 
先日の電話で聞いていたのでは、新幹線での往復とホテルのクーポンを渡すということだった。
 
ところが中に入っていたのは、2/27の新高岡→福島の新幹線チケット、2/27-28の福島市内のビジネスホテルの宿泊クーポン(2泊)、そして2/29の福島→盛岡の新幹線チケットと、席が並びの東京→盛岡のチケット、そして座席指定のされていない、盛岡→新高岡および盛岡→東京の新幹線チケットである。乗車券は伏木←→盛岡と、千葉←→盛岡で発行されている。
 
しばらく考えていて千里の考えたことが分かった。
 
つまり福島まで来たあと、足を伸ばして彪志と一緒に盛岡の彪志の実家に行ってこいという意味だ。
 
「ちー姉、親切すぎるよ〜」
と青葉は思わず独り言で言ってから顔をほころばせ、彪志に連絡するのにスマホを取った。
 

翌日、1月30日(土)。青葉は早朝から母のヴィッツで送ってもらい、金沢のK大学キャンパスまで行った。
 
この日、推薦入試の面接があるのである。
 
降ろしてもらった大学の門の所から法学類のキャンパスまで歩いて行く。控室に入って、順番を待つ。朋子は終わるまで近くのショッピングモールで待機しておくと言っていた。
 
1時間近く待ってから受験番号を呼ばれるので部屋に入る。1人の面接時間はだいたい5分から10分くらいだなというのを感じていた。どうも短時間で終わった子は「合格可能性の高い子」と「可能性のほとんど無い子」だな、とこれまでの様子を見ていて思った。ボーダーラインの子は質疑応答の時間が長くなるようである。
 
「失礼します」
と挨拶して中に入る。
 
面接官が5人並んでいる前に置かれた椅子の所まで行く。
 
「受験番号****. 高岡T高校から参りました川上青葉です。よろしくお願いします」
 
と言ったまま立っていると
 
「あ、座って」
と言われるので
「失礼します」
と言って座る。
 
面接官の中には先日事前面談をしてくれた田幡教授もいる。
 
「川上さん、合格したらこちらに入学しますか?」
と年配の教授が尋ねた。
 
「はい、縁があって合格させて頂きましたら、ぜひ通いたいと思っています」
 
「了解です。では今日はこれで結構ですから」
「え!?」
 
さすがに青葉も驚いた。
 
「いや、あなたのことは先日私がたくさんお話して、素晴らしい学生であることが分かっているから、事実上もう合格ということで」
と田幡教授が笑顔で言う。
 
「ありがとうございます。頑張ります」
「一応合格発表は2月8日なので、それまでは合格したこと他には言わないように」
「はい、守秘義務は守ります」
 
「法律の専門家らしい言葉だね」
と中年の男性教授が言い、明るい雰囲気の中、青葉の面談は終わった。
 
「でもこれ面接とは関係無いし、セクハラになるの承知で言っちゃうけど、君、本当に普通の女性だね」
とひとりの教授が感想をもらした。
 
「アルゼンチンみたいに自分の性別は自分で申告できたらいいんですけどね」
と青葉は言うと、田幡教授が頷いていた。
 
「では失礼します」
と言って席を立ち、戸の所であらためて会釈してから退出した。
 
青葉がわずか1分ほどで出てきて表情も明るいので、近くにいた受験生が驚いている雰囲気だった。
 

母に連絡して迎えに来てもらう。それで母にだけ
 
「事実上合格と言われちゃった」
 
と言うと、母も驚いていた。
 
「でも良かったね〜。合格おめでとう」
「ありがとう。でもこれ合格発表までは他人には言わないでって」
 
と言って青葉も微笑む。
 
「了解了解」
 
「それでさ、桃姉からこないだ言われたんだよ。車を買うのならできるだけ早く買わないと、納期が結構掛かるよって」
「うん。桃香そう言ってたね」
 
「だからお母ちゃん、車屋さんに寄って帰ろうよ」
「いいけど、どこのメーカーとか決めた?」
 
「うん。車種はこないだから少し検討していた。トヨタのアクアにしようと思う」
 
「へー!」
 
「実は5月頭に入るはずの印税、大半が歌手のアクアちゃんのCDに私が書いた分の印税なんだよ」
「ああ」
「アクアの印税で買うから、車もアクアだといいかなと思って」
 
「それもいいかもね。でもアクアちゃんの印税っていくらくらいもらえるの?」
と朋子はちょうど赤信号で車が停まった時に尋ねた。
 
「さっきお母ちゃんを待っている最中にメールでもらった報告書では3256万円だって」
と青葉が言った。
 
「え〜〜〜〜!???」
 
と朋子は凄い声をあげた。あんまり驚いた拍子に車の操作をミスって赤信号中なのにブレーキから足が浮いてしまい、車が動き出しそうになったのを慌てて再度ブレーキを踏んで停めた。
 
青葉はこれ、まだ信号で停まっている所で良かったと思った。運転中ならマジで事故を起こしたのではなかろうか。
 
「3256円じゃなくて?」
 
信号が青になる。朋子は車を発進させたが、交差点を少しすぎた所で左脇に寄せて停車させハザードランプを焚いた。うん。停めるのが無難だよね。
 
「間違いなく3256万円。念のため桁もよくよく数えたけど間違ってない。でも私もびっくりしたー。もしかしたら1000万円行くかなとは思ってたんだけど」
 
これまでの最大印税はKARION『黄金の琵琶』での400万円(800万円を空帆と半分こにした)である。但しそれは最近の霊関係のお仕事の赤字補填で消えてしまっている。
 
「恐ろしい金額だね」
「アクア、凄い人気だもんね。但し入金するのは5月2日になるのよね。その直前4月29日までに授業料は払わないといけないし、入学金は2月16日までに払わないといけない」
 
「じゃ、やはり取り敢えず車の代金と、入学金・授業料はこないだ桃香が用立ててくれたお金で払わないとね」
 
「うん。お金の順序とかタイミングって難しいよね」
 
「しかしそんな大金、あんたどうすんの?」
「半分はお母ちゃんにあげるよ」
「それは要らない。ちゃんと貯金してなさい」
「そうだね。じゃ、とりあえず投信にでも放り込んじゃおうかな。お母ちゃん、証券会社の口座を開設してくれない?」
 
「分かった。それはやっとくって、どこに言って手続きすればいいんだっけ?」
「ネットで申し込めるよ。マーケットスピードが使いたいから楽天証券がいいな。未成年で申し込むためには、保護者であるお母ちゃんの口座も開設しないといけないんだけど」
 
「楽天証券ね。了解」
と言ってから朋子は唐突に言う。
 
「でも3000万円あったらアクアが15台買えるね」
「15台も買ったら駐車場代が大変だよ!」
と青葉は言った。
 

トヨタの販売チャンネルには、トヨタ店・トヨペット店・カローラ店・ネッツ店の4種類があるが、アクア・プリウスといった人気ハイブリッドカーはどの系列でも扱っている。そこまでは青葉もあらかじめ調べておいた。
 
それで青葉たちは「どこでも売ってるなら、どこでもいいか」などと言っていたのだが、たまたま信号で引っかかった時に朋子が「あそこにもトヨタがあるね」と言ったので、そこのネッツ店に入ってみた。
 
ネッツ店というのはこの時点で青葉は把握していなかったが、実はコンパクトカーとミニバンを得意とするお店である。
 
お店に入っていき
「アクアが欲しいんですけど」
と笑顔で言う。
 
「はい、グレードとかはご検討なさっていますか?」
「Sで」
 
アクアは基本的にL−S−Gの3グレードに別れるが、動力システムは同じ物が使用されていて、違いは内装や装備品だけである。Lは徹底的に低コスト化がなされていて、タイヤも一回り小さいサイズ、スペアタイア(オプション)は搭載せずにパンク修理キットでの対応、窓ガラスもSとGは高遮音性ガラスだがLにはこれが使用されていない。
 
SとGの違いはハンドルが本革かウレタンかや、シートがGの方がより高級感のあるものを使っているなどの違いで、機能的にはほとんど差が無い。それで、アクアはSが売れ筋なのである。
 

こちらが車種を指定、更にグレードも即指定したことで、かなり検討した上で買いに来た客と判断したようである。
 
「取り敢えず試乗してみられませんか?」
というので、ヴィッツに乗せていた若葉マークを貼り付けた上で、助手席に母、後部座席にスタッフさんを乗せて、お店の近くを少し走り回る。
 
「運転が凄くお上手ですね。でも若葉マークなんですね。もう若葉卒業間近ですか?」
「あ、そんな感じです」
と取り敢えず答えておく。母がしかめ面をしている。
 
実際には青葉はアクアやプリウス、ホンダのインサイトなども運転したことがあるので、ハイブリッドカーの「癖」のようなものにも慣れている。実際の車を運転してみても、特に問題などは感じなかった。それで買うことを決めて事務所の中に入る。オプションなどを決めていくことにする。
 
「色はどうなさいますか?」
と係の人は最初に言ってボディーカラーの見本を見せてくれる。
 
「実は4月からの通学に使いたいんで、できるだけ早く欲しいんです。納期ができるだけ短いのがいいんですが」
 
確認してもらうと色では、ライム、シルバー、ブルー、クールソーダ、など人気の色がやはりたくさん生産している分、納期は早いと言われる。
 
「うーん。赤系統がいいんだけどなあ。オレンジパールクリスタルシャインとかスーパーレッドは時間かかります?」
「はい。やや長めになるかと」
 
「じゃクールソーダにしようかなあ。それの場合でどのくらいですか?」
「そうですね。今やや混んでおりますので、だいたい2ヶ月くらいではないかと」
 
すると3月末になる。何かでずれると入学式に間に合わないかも知れない。ほんとにちー姉に言われた通り、車の納期って時間が掛かるんだなと思う。
 
青葉がそれで少し悩んでいるとお店の人が言った。
 
「あ、もしキャンセル車でも良ければチェリーパールクリスタルシャインのキャンセル車があるのですが」
 
「それ納期は?」
「これでしたら1週間ほどでお届けできます。ただメーカーオプションなどは変更ができません」
「それどんな色ですか?」
 
係の人がモニターで見せてくれる。
 
「きゃー。ショッキングピンク!?」
と朋子が悲鳴に似た声をあげる。
 
「可愛いと思うけどなあ。でもこれなら1週間くらいで手に入るんですね?」
「はい。もし今日ご注文を頂けましたら、2月8日にお届けできると思います」
 
合格発表の日じゃん!
 
「それ、オプションとかはどんなのが選択されていますか?」
 
「ブリリアントレッドS用ファブリック、T-Connectナビ、LEDヘッドランプ、スペアタイヤ、アルミホイール、SRSサイドエアバッグ、ヒーター付きドアミラーなどの寒冷地仕様、サイドバイザー、エアロパーツセット、IRカットフィルム、といった所ですね」
 
バックモニターやコーナーセンサーが選択されておらず、エアロパーツやアルミホイールが選択されているので、たぶん車好きの女の子が買おうとして途中でキャンセルしたのかなと青葉は思った。
 
「やはりこういう色を選んだのは若い女の子かなあ」
と青葉がつぶやくと、母が
「もし男の子だったら、それも凄いね」
と言って、ちょっと場がなごむ。
 
「男の娘だったりして」
「意外に50歳くらいの男性会社役員さんだったりして」
 
お店の人が困ったように苦笑している。
 
「価格は?」
「一応2,534,482円でございますが・・・キャンセル品ですのでお値引きしますよ。端数も外して、税込み245万円ではいかがでしょう?」
 
「現金で払いますからジャスト200万円になりません?」
と青葉は言った。
 
「現金ですか?」
「今からATMで降ろしてきてお渡しします。保険もこちらで契約していいですよ」
「保険もですか?ちょっとお待ち下さい」
 
係の人が奥に行って、どうも店長さんらしき人と話している。店長さんが首を振っている。しばし話しているが、やがて店長さん自身が係の人と一緒にこちらに来た。
 
「保険をこちらで契約して頂いた上で、現金で今頂けるということですか?」
「ええ。ATMに行ってきて30分以内にはお渡しします」
「でしたらさすがに200万円という訳にはいきませんが、230万円ではいかがでしょうか?」
 
「210万円とかでは?」
「うーん・・・・225万円では?」
「212万円」
「うーん。。。224万円」
「213万円」
「そのあたりが実に微妙な線なので・・・」
「店長さん、いっそゾロ目で222万円にしません?」
 
店長さんは少し考えていたが言った。
 
「女子大生さんの若さに負けました。222万円に致します」
「ではそれで」
と青葉は笑顔で言った。
 
結局30万円ちょっと値引きしてもらったことになる。
 
「あんた、桃香みたい」
と朋子が呆れて言った。
 

それで母に書類を書いてもらっている間に青葉が母のキャッシュカードを預かり、若葉マークを貼り付けたヴィッツを運転して近くの銀行支店まで行ってお金を下ろしてきた。
 
「確かに222万円頂きました」
と言って領収証を渡してくれる。朋子はケーキと紅茶をもらって食べている。青葉も出してもらって頂いた。何だか色々アメニティももらったようで紙袋に詰まっている。
 
「あ、これ美味しい。どこのお店のですか?」
と言うと、ケーキの製造元のシールを渡してくれた。
 
「今度買ってみよう」
 
「では2月8日にお届けに参ります」
「はい、お願いします」
 

青葉が面接を受け、即合格と言われた1月30日、千里を含む40 minutesのメンバーはさいたま市Vアリーナに来ていた。関東クラブバスケットボール選手権があるのである。40 minutesは12月の東京都大会では優勝している。今回の大会には東京都大会で2位だった江戸っ娘、千葉県大会で優勝して出てきたローキューツも参加している。
 
この日はローキューツのオーナーである冬子も、近くだしということで顔を見せていた。江戸娘のオーナーの上島雷太さんから、諸経費や打ち上げ費用などの概算として20万円預かってきたなどと言っていた。さすがに上島さんはこういう所に顔を出す余裕は無いだろう。
 
初日は1回戦と2回戦が行われる、40 minutesの初戦の相手は茨城2位のチームだったが、主力が出ることもなく快勝した。午後からの2回戦では主力が出たものの埼玉県1位のチームにこれも快勝した。
 
江戸娘は初戦は突破したものの、2回戦で茨城1位のサンロード・スタンダーズに敗れて初日で消えることとなった。昨年の関東クラブ選手権で4位になったチームである。
 
ローキューツは神奈川県2位・埼玉県2位を連破して明日に勝ち残った。
 
この日はまた例によって3チーム合同の食事会をした。今日敗れた江戸娘も明日の5〜8位決定戦で6位以上になれば全日本クラブ選手権に行けるので40 minutes, ローキューツ双方のメンバーから「頑張ってね」と言われていた。
 
なお、今回は会場がさいたま市なので、どのチームも宿泊はしておらず、全員食事会が終わった後、電車で自宅まで戻った。一部は車の相乗りで来ていたメンバーもいたようである。千里・冬子は車で来ているメンバーに「食事会のあと最低1時間は仮眠してから出発するように」と注意しておいた。
 

「そうそう。やっとローキューツの運営会社・社長が決まったよ」
と冬子は千里とふたりだけの時に言った。
 
「誰になったの?」
「千里も知っているよね? 細川さんのいるチームの元部長、高倉昭徳さん」
「あぁ・・・」
 
「監督の西原さんからのつながりで頼んだ」
 
ローキューツの監督・西原敏秀さんは、MM化学の元監督船越涼太さんの友人である。船越さんは高倉さんにヘッドハンティングされてMM化学の監督に就任した経緯があった。高倉さんは元はテニス選手であったが長年MM化学のバスケチームに関わったので今では充分バスケに理解がある。昨年春に退職して、今は地元の千葉に戻り塾の先生をバイト的にしながらスポーツ少年団のコーチをしていたと冬子は説明した。
 

「どうもあそこのチーム、急速に崩壊しつつあるみたいね。船越監督も辞めたんでしょ?」
と冬子は言う。
 
「そうなんだよ。予算がかなり削られているみたい。スポーツ手当がかなり減額されているみたいでさ」
と千里も答える。
 
「細川さん、他の実業団なり、あるいはBリーグに行かないの?」
「私もそれ勧めているんだけどねー。会社に恩があるからと言って」
「でもスポーツ選手の旬は短いよ。できる時に挑戦しなきゃ」
「だよね〜」
 
「それ千里もだけどさ」
 
千里はドキっとした。そうなんだよな。自分はいつも逃げてばかりいる、と千里は冬子の言葉を聞いて思った。
 
「だから私は千里がレッドインパルスに移籍すると聞いて、よし頑張れと思ったよ。千里は、いつ休んでもいいというポリシーののんびりしたチームに居たら才能の持ち腐れになってしまう。楽しむスポーツも悪くないけどさ。千里はもっと厳しい環境に身を置いた方がいいと思っていた。プロは競争が大変だろうけど、千里ならきっと生き延びていけるよ」
 
「ありがとう」
と千里は笑顔で答えた。
 

「あとさあ」
と冬子は言った。
 
「ソフト会社に勤務してます、なんて嘘はいい加減やめよう」
「それ嘘ってことになってんだ!?」
 
「だって、千里が会社に行っているの見たことないし、そもそも行く時間があるとはとても思えない。千里の友だちに聞くとみんな千里にプログラムが書ける訳無いと言うし、千里って凄い機械音痴だし、結論としては千里はソフトハウスなんかに勤務してない」
 
「うむむむ」
 
「それにさ、千里、今持っている名刺の種類、見せてよ」
「うーん・・・」
と言って取り出した名刺入れから名刺を出しみる。
 
40 minutesの代表の名刺、レッドインパルスの選手の名刺、作曲家・醍醐春海および作曲家・鴨乃清見の名刺、越谷市のF神社の副巫女長の名刺と出てきた。
 
「そのレッドインパルスの名刺は初めて見た。ちょうだい」
「OKOK」
と言って渡す。
 
「で、そのソフト会社の名刺が無い」
「あ、しまった。今手元に無いや」
 
実は10月に一度営業に出た時に相手に渡して切れてしまった後補充するのを忘れていたのである。
 
「やはり勤務実態無いのでは?」
「うーん・・・」
 
「千里が男子中学生・男子高校生してましたというのと同じくらいの大嘘だね。千里の中学高校時代の写真が女子制服を着たのしかない以上、千里はたぶん女子中学生・女子高校生をしてた」
 
「その言葉、そのまま冬に返すね」
 

翌日。1月31日。この日は準決勝、決勝、および順位決定戦が行われる。なおこの大会は6位以上が3月下旬の全日本クラブ選手権(愛媛県今治市)に行けるので、昨日勝ち残った4チームは全て、今治に行けることは確定している。
 
試合はまず午前中に40 minutesが群馬県のチームを、ローキューツがサンロード・スタンダーズを倒して決勝戦に勝ち上がる。それで午後からは、ローキューツと40 minutesでの決勝戦ということになった。
 
両者の対決はちょうど1年前の関東クラブ選手権・準決勝以来である。この1年江戸娘とはたくさんぶつかっているのに、隣の都県というだけでここまで対戦が少ないというのも不思議だ。
 
昨年は82-92で40 minutesが勝ったので、今年ローキューツ側はリベンジに燃えている感じだった。しかし今日は途中で向こうは戦意喪失する選手まで出てくる事態となる。この1年の間に両者には圧倒的な実力差ができていた。
 
結局34-67のほぼダブルスコアで40 minutesが勝った。
 
夕子と薫、揚羽と千里で握手した後で、薫が
「負けた。もう引退しよう」
と言ったのに対して、揚羽が
「この状態での引退は許さない。また鍛え直そうよ。クロスリーグ始まる4月までに。でないと、リーグ戦で一勝もできないという悲惨なことになるよ」
と言い、薫も
 
「そうだなあ。気を取り直して頑張るか」
と言っていた。
 
お互い個人的には知り合いばかりなので、そのあとはあちこちでハグしあった。
 

別会場で行われた5−8決定戦・5−6位決定戦で江戸娘は2連勝して江戸娘はこの大会5位となり、江戸娘も全日本クラブ選手権に行けることとなった。
 
大会後は、またまた40 minutes, ローキューツ、江戸娘の3チーム合同の打ち上げをして、お互いに親睦を深めた。
 
「しかしローキューツと江戸娘の姥捨て山だったはずの40 minutesが結果的にいちばん強くなってしまうとは」
という声も元ローキューツで現在40 minutesに居るメンバーから出る。
 
「女子はどうしてもいったん結婚とかで現役引退するタイミングあるからね」
「そういう選手が復帰して集まったのが40 minutesだから」
「それ以外に元のチームから諸事情で放り出された選手もいる」
 
「既婚選手多いし、子連れ選手も多いし」
「練習場はしばしば託児所と化している」
 
「ね、ね、ローキューツさん」
と江戸娘の青山玲香主将が、ローキューツの原口揚羽に声を掛ける。
 
「クロスリーグは火曜・水曜の夕方なんでしょ? もし良かったら木曜の夕方とかにうちとそちらで練習試合やらない?入場料は無しで。うちは資金も組織も無いからクロスリーグには参加できないけど、適度な練習相手が欲しいなと思ってさ」
 
「あ、それは歓迎。うちも今のままだとクロスリーグのお荷物になりかねんと思ってた。少し鍛えなきゃ」
と揚羽は言ってから
「ね、キャプテン、いいよね?」
と薫に訊く。
「あ、うんうん」
 
「あれ〜?ローキューツって揚羽ちゃんがキャプテンじゃなかったんだっけ?」
「いや、薫がキャプテン」
「ごめーん。勘違いしてた」
「ああ、影が薄いんだな」
と水嶋ソフィアが言っていた。
 
「私こそ高校時代はベンチを温めてるキャプテンとか言われたのに」
と揚羽は言う。
 
「揚羽は人をまとめるのがうまいからキャプテンにしたんだよ」
と暢子が言うと
「じゃ、私、やはりキャプテンは揚羽に譲ろうかな」
と薫が言い出す。
「薫はカリスマで頂点に君臨するんだよ」
と千里がフォローした。
 
「君臨すれども統治せず?」
などと薫は自虐的に言っていた。
 

2月4日(木)にK大学医学部推薦入試の「一次選考」(いわゆる足切り)の結果が発表され、ヒロミは合格していた。二次試験(面接)は2月8日に行われる。
 
2月5日(金)には明日香と世梨奈が受験したH大学の合格発表があり、2人とも合格していた。青葉は「おめでとう」と言って2人を祝福した。
 
2月8日(月)。
 
朝9時、美由紀が受験した金沢のG大学の合格発表が行われた。美由紀は合格していた。青葉や明日香は「おめでとう!」と言ったのだが、美由紀が悩んでいる風なので、青葉たちは顔を見合わせた。
 
その日青葉は6時間目が終わるとすぐに帰宅した。今日納車されるアクアを受け取るためである。ディーラーの人を待っている内に16:00になる。
 
この時刻に青葉が受験したK大学法学類の推薦入試・合格発表が行われた。青葉はネットでK大学のサイトを参照して、自分の受験番号が合格者リストにあることを確認する。それから担任と教頭に「合格していました」というメールを取り敢えず送った。すぐに「おめでとう!」という返信があった。
 
16:30頃、ディーラーの人がやってくる。あはは、お母ちゃんが「ショッキングピンクだと言っていたけど、ほんとにそんな感じ。凄いインパクトじゃん!
 
『青葉は何でも物事を控えめ控えめにしようとする癖があるからこういう色はむしろ青葉のためには良い』
と後ろから《姫様》が言った。
 
それ、桃姉にもよく言われるよなあ、と青葉は思った。
 

夕方朋子が帰宅するが、ヴィッツを駐めている駐車場と同じ所に新たに枠を借りた場所に駐めているアクアを見てきたという朋子は
 
「なんかほんとに凄い色だね」
と言った。
「お母ちゃん、ドライブでもしない?」
「じゃイオンにでも行って、青葉の合格祝いしよう」
「うん」
 
それで若葉マークを貼った新車のアクアを青葉が運転してイオンモールまで行き、駐車枠にとりあえず駐めたものの、通りがかる人がいちいちこちらを見て行く感じだ。うん。これインパクト凄い!
 
夕食時なのでどこも列ができているが少し待って「海天すし」に入る。それで各々好きなのを取って食べようということにするが、例によって青葉が安い皿ばかり取っているのを見て、朋子は中トロとかイクラとかを取って青葉の前に置く。
 
「あんた、こういうのは全然改善されないね」
「ごめーん。貧乏性だから」
 
「でも青葉がうちに来てからまだ5年なんだね。私は何だかもう30年くらい、あんたと一緒にいる気がするよ」
「私まだ18歳だよ!」
「あんた、年齢も不詳だもんね」
「よく言われる。でも私も何だかずっと長いことお母ちゃんと一緒にいるような気がする」
 
「でもあんた最初から普通に女の子だったね」
「えへへ」
 
「私最近、自分が男の子だった頃のこと忘れてしまってる。私本当に男だったんだっけ?とか思ったりして」
「そりゃあんたは男の子だったことなんて無いんだから当然」
「そうかも」
 
「彪志君の勤務地はまだ分からないの?」
「うん。3月上旬になるまで分からないみたい」
「大学出たら、彪志君の勤務地に行って結婚しちゃいなよ。私のこと気にしてたら、いつまでも結婚できないよ。私はひとりでも何とかなるからさ」
 
「そうだなあ。でも私、彪志の所に行くにしても、少し社会に出てお仕事してから結婚したい」
 
「青葉、とっくの昔に社会に出てお仕事してるじゃん」
「うーん。桃姉からそういう指摘をされたことはある」
 
「あんまり彪志君放置していると、他の女の子に取られるよ」
「それ、こないだから何度もちー姉から言われた」
 
「そのあたりが青葉、まだ恋愛というものの経験が浅いからかも知れないけど、愛ってね、確保できる時にしっかり確保してないと、大きな後悔をすることになるから。それはほんの1時間決断が遅れただけでも逃げて行ってしまうものなんだよ」
 
青葉は朋子の言葉を目を瞑って考えた。
 
「彪志が富山以外の勤務地になったら、私、毎月2回くらいアクアを走らせて会いに行こうかな」
「うん、頑張れ、頑張れ」
 

青葉はK大学に合格したことから、T大学、△△△大学で事前面談をしてくれた先生に連絡し、行き先が決まってしまったので、そちらは受験しない旨、また今回は縁が無かったものの、色々親切にしてくれて感謝しているという旨いづれもメールで連絡した。どちらからも「そちらでお勉強頑張って下さい」というお返事をもらった。
 

2月9日、青葉の所にまたまた相沢孝郎さんから電話が掛かってきた。
 
「会計監査の結果が出た。それで番頭夫妻には辞めてもらうことにした」
「これからがむしろ大変でしょうけど頑張って下さい」
 
「うん。それでさ、刑事告訴をするかどうかはまだ決めてないけど、穴を開けた金額を番頭夫妻の借金ということにしてやれ、とうちの祖母さんが言っているんだけど、どう思う? 長年旅館に貢献してきた人なんだからと言ってさ。まあ400-500万なら考えてもいいけど、5000万もあるんだよ。判明しただけで」
 
「天沢履の上爻変。これその番頭さん、たぶん経済的に破綻しかかってますよ」
「ああ、そうかも知れん気はした」
「たぶん個人的にどうにもならなくなって、会社の金に手を付けてしまったんですよ。本人に確認してみてください。たぶん破産寸前くらいではないでしょうか」
 
「だとすると、これ借金ということにしてやったら、破産でチャラになるよね?」
「なります」
 
「じゃ、その対応は無しだな」
「天沢履というのは、道を行けということでもあるんです。先日も似た感じの卦が出ましたけど、やはり原則通りに行った方がいいです」
 
「ありがとう。それから、ちょっと個人的なことなんだけど」
「はい?」
 
「正直な所、俺はここに骨を埋める覚悟ができてきた。ここまで引っかき回しておいて、あとは誰かお願いって訳にはいかなくなった」
「上に立つ者の辛さですね、それって」
 
「まだちょっと∴∴ミュージックの社長と話し合わないといけないけどさ」
「ええ」
 
「でもそれ以上に困っているのがさ、女房のことで」
「はい?」
「女房がこんな山の中の何も無い所には住みたくないと言っている」
「あぁ・・・」
「いちばん近いショッピングモールまで車で2時間掛かる」
「東京に住み慣れた人には辛いですね」
 
「どうしたもんかと思ってさ」
 
青葉はまた易を立てた。
 
「雷山小過の5爻変、沢山咸に之く。六五。密雲あれど雨ふらず。我が西郊よりす。公よくして彼の穴に在るを取る。象に曰く、密雲あれど雨ふらず、はなはだ上なればなり」
「え、えっと・・・」
 
「2時間掛かるといっても2時間あれば行けるんでしょ?」
「うん」
「奥様を買出係とかにして、毎日でもそこまで車で往復させればいいですよ」
「ほほぉ!」
「片道2時間、充分日帰り可能ですよ。東京あたりだと通勤に2時間なんてざらだし」
「言えてる言えてる」
「誰か他の人に運転してもらって寝ててもいいですし」
「まあ、それはあるな」
 
「それからですね」
「うん」
「沢山咸というのは愛情を意味するんです。奥様をたくさん愛してあげてください」
「・・・・」
 
相沢さんはしばらく沈黙していた。
 
「考えてみる」
と少し照れたような声が返ってきた。
 
「はい、頑張ってください」
 

電話を切ってから青葉は考えた。
 
「密雲あれど雨ふらず、はなはだ上なればなり」というのは、現代語でいえば「雲は厚いのに雨は降っていない。それはその雲より上に居るからである」ということである。
 
つまり、ちゃんと恵みを得られる場所に居ないことを表す。相沢さんの占断では、これを町から遠い山の上にいるからと読み、ちゃんと雨の降る場所(町)まで降りて行けば良いと読むと同時に、奥さんと睦みごとをして、愛情豊かにしてあげれば良いというのにも読んだ。
 
しかしそれって自分のことでもあるじゃんと青葉は思う。
 
自分は彪志を愛情飢餓の状態に置いてないか?と青葉は悩んだ。
 
また雨の降らない場所というのは、子供を産めない女である自分のことをも意味するようで青葉は自己嫌悪に陥ってしまった。
 

「寝ようかな」
と小さい声でつぶやいた所に和実から電話が入る。
 
「はい」
「こないだから連絡しようと思っていたんだけど、何か最近忙しくて」
「そんな時あるよね」
「あ、そうだ、大学合格おめでとう」
「ありがとう」
 
「私なんか大学に合格した時、やった!これで春からは女の子生活できると思ったもんだけど、青葉は元々女の子生活してるから凄いよ。私も女子高生したかったなあ」
 
「和実、本当に男子高校生してたんだっけ?」
「うん。中学高校3年間は男子として通学してるよ」
 
「私の手元に、法隆寺の五重塔の前で和実が女子制服を着て並んで映っている集合写真があるんだけど。これ修学旅行の時のかなあ」
 
「嘘!?」
 
「和実もいろいろ嘘ついてる気がするなあ」
 
「あ、そうそう。それで私の赤ちゃんのことなんだけど」
 
どうも和実も過去のことには触れられたくないようだ。
 
「経過はどう?」
「もう完全に安定期に入ったみたい。昨日も行ってエコー写真見て来たけど順調に育っている感じ」
 
「良かった良かった」
「でもエコー写真見てたら、代理母さんじゃなくて私自身が妊娠しているみたいな気がして」
 
「それは間違いなく和実自身が妊娠しているんだと思うよ」
 
青葉は和実の赤ちゃんの妊娠週数表をパソコンに表示させた。
 
「あ、明日は5ヶ月目の戌の日じゃん。和実、腹帯とかしてみたら?」
「それいいね! 明日買って来よう」
「うちのちー姉も何だか5ヶ月目の戌の日に腹帯してたよ」
「へー!」
「ちー姉も彼氏が奥さんとの間に子供作るのにけっこう協力したから、自分が妊娠している気分になって、そういうのつけてみたんだと思う」
 
「私たちって、取り敢えず妊娠能力ないけど、そういう精神的なものって結構大事だよね」
と和実は言う。
 
「うん。それはいつも悩む所だけどね」
「私も赤ちゃん作れたんだからさ、きっと青葉も赤ちゃん作れるよ。覚えてる?初めてクロスロードの集まりを東京でした時、小夜子さんの叔母さんのビストロにみんな集まった時」
 
「うん」
「あの時、青葉、あそこに居た全員に子供ができると言ったじゃん」
 
「そんなこと言ったね」
と言って青葉も懐かしい気分になる。あれは実際には青葉の守護霊さんが言ったことばである。
 
「あの当時はまだ小夜子さんのお腹の中に、みなみちゃんが入っていただけで、子供のいる人はいなかった。あきらさんと小夜子さんの子供は3人に増えた。私も妊娠中だし、千里もあれ結局子供産んだんだよね?」
 
「それ他の人には言わないで。まあ隠し子のようなものだし」
「ふむふむ。それでさ、政子と冬子の間の子供は時間の問題という気がするんだよね」
 
「たしか契約上28歳だかまでは子供作れないみたいよ」
「まあそうだろうね。桃香はたぶん2−3年以内に子供産むよね?」
「桃姉にOLなんか務まる訳ないと思うんだよね。だからそうなると思う」
 
「すると残りは青葉だけだよ」
 
青葉はドキっとした。
 
「私、青葉は絶対子供産めるって確信してるから」
 
青葉は少し考えた。
 
「本当に産めるかなあ」
「自信持ちなよ。青葉っていつも自己否定しちゃうからさ」
「それはいつもちー姉からも、冬子さんからも言われる」
 
「前にも言ったと思うけどさ。私は震災で色々頑張って人助けしたご褒美に神様から赤ちゃんもらえることになったみたい」
 
「うん。それは最初から感じていた」
 
「震災のことについてなら、青葉は私よりもっとしている。だからきっと青葉もご褒美をもらえるんだよ」
 
青葉はまた考えた。
 
「そうなるといいなあ」
 
「そうなるって」
「うん。ありがとう」
 
和実との電話を終えた後、しばらく青葉は微笑んだまま余韻に浸っていた。
 
 
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