【春音】(2)

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体育祭の後は、代休の月曜日の後、火曜日から通常の授業が始まる。
呉羽はそれまでと同様に学生服を着て学校に出てきて
「女子制服じゃないの〜?」
と男子からも女子からも言われて、頭を掻いていた。その日は勉強会の日でもあったので、勉強会の席でも、みんなから「女の子すればいいのに」などと言われていた。
 
なお、体育祭の後から、志望校はC高校だけど一緒に勉強したいと言った世梨奈が勉強会のメンツに加わった。一度奈々美も来たのだが、奈々美は
「このレベルには付いていけん」
と言って、1回でリタイアした。
 
「じゃ、奈々美、自分と同レベル程度の子を集めて勉強会したら?」
「そうだなあ。呼び掛けてみるか。世梨奈も一緒にやらない?」
「んーー、じゃ私は掛け持ちしようかな。このレベルの中で鍛えられるのも捨てがたいし」
 
「だけど呉羽は女の子の服を着てくればよかったのに」
「そうそう。学校に女子制服で来る勇気がなくても、友だちの前では女の子でいればいいんだよ」
 
「うん・・・でも実は女の子パンティ穿いて来た」と呉羽。
「おお、よしよし。ブラジャーは?」
「今日は付けてない」
「明日からは付けてきなさい」
「うーん。でも僕、胸が無いから」
 
「『私』と言いなさい」
「えっと・・・・私、胸が無いから」
「女性ホルモン飲むといいよ」
 
「青葉、ホルモン剤売ってる所紹介してあげなよ」
「私はホルモン剤は飲んでないけど、売ってる所は知ってるよ」
「そんなの飲まない、飲まない」
「取り敢えず、これ売ってる所のURL」
と言って、青葉は輸入代行店のアドレスをメモで渡す。呉羽は一瞬迷ったようだが、メモを生徒手帳に挟んだ。
 
「おっぱい大きくしたいでしょ?」
「したくない、したくない」
「全然大きくする気無いの?」
「うーん。。。ちょっとだけ」
「素直に『私、おっぱい欲しい』と言いなよ」
「うーん。。。」
「おっぱい大きくしないと、競争でゴールに飛び込む時、不利だよ」
「えーっと」
 
「恋の競争する時も、同じくらい可愛い子同士なら、胸の大きい方が勝つから」
「そういうもの?」
「呉羽、男の子の感覚分からない?」
「それが実はよく分からなくて」
「ああ、女の子感覚なのか」
 
「呉羽、恋愛対象は?」
「えっと・・・女の子が好きだけど」
「へー。男の子を好きになったことはないの?」
「・・・・ある」
「ああ、バイなんだ?」
 
「女の子とセックスしたことある?」
「・・・・ある」
「えー!? 凄い。男の子とセックスしたことは?」
「どんなのが男の子とのセックスなのか分からない」
「ああ。じゃ、それっぽいことしたことはあるんだ?」
呉羽はまた俯いて顔を赤くした。
 
「もう、呉羽純情すぎるよ〜」
 

水曜日。青葉は学校の授業が終わると、学校近くの駅まで走って行って電車に飛び乗り、高岡駅からサンダーバードに乗り継いで19時半に新大阪に到着する。そして、そのまま駅近くのビルで開かれている、アナウンススクールに出席した。
 
青葉がアナウンサー志望というのを聞いた、冬子たちのレコード会社の部長さんに勧められて来年の春から金沢で新開講するアナウンススクール(週1回の授業)に入ることになったのだが、その前に今年度いっぱいは、新大阪の教室に月1回出て、基本的なことを学ぶことにしたのである。
 
青葉が出席したのはいちばん初心者向けのフリータイムコースで、口の開け方や発音・イントネーションの基本を学ぶようになっていた。生まれは関東ではあるものの、仙台弁・南部弁系(気仙方言)の地域で育ち、ここ1年半は北陸弁地域で過ごしている青葉にとって、標準語イントネーションは結構抵抗があるものであったが、新大阪教室なので関西弁地域で育った人が多く、みんな標準語のイントーネーションがうまく出せないことから、他の生徒さんたちとも、お互い親近感があった。そもそも北陸弁のイントネーションは関西弁に近い部分も多いので、逆に生徒さんたちの話す関西弁が伝染しそうな気もした。
 
20時から21時までの授業を受けた後、少し生徒さんたち(10代の生徒が多い)と交歓して、ついでに何人かと携帯のアドレスも交換してから、コンビニでおにぎり・パン・お茶を買って、22時発の富山行き阪急バスに乗る。
 

新大阪の高速バス停でバスが来るのを待っていた時、青葉はふと何かの気配を感じてあたりを見回した。しかしその気配の出所はよく分からなかった。
 
ハードスケジュールで動いているのですぐに深い眠りに入ってしまう。しかし、深く寝たので、バスが草津PAに着いて開放休憩になった時、まだそんなに時間は経っていないのに目が覚めてしまった。このバスの開放休憩はここだけなので、まだ朝には遠かったが、トイレに行ってきて、水分補給で烏龍茶を買って飲みバスに戻ろうとして・・・また青葉は何かの気配を感じた。
 
見回すが、それらしき視線のようなものは無い。
 
ん??
 
青葉のこれまで10年間拝み屋をしてきた勘が「何かある」と告げる。開放休憩の時間はそんなに長くないので、取り敢えずバスの自分の座席に戻り、それから、目を瞑ってゆっくり考えてみる。
 
新大阪でも何か感じ、今この草津でもまた感じた。
 
ひとつの可能性は、乗客の中に何か関わりのある人物がいる場合。青葉は動き始めたほぼ満員のバスの中にそっと霊的なソナーを向けてみる。ここで「素人」
ならこのソナーに特別な反応をする。逆に「プロ」なら反応を抑制する。どちらにしても普通に反応する人と区別できる。もし何か悪意なり意趣を持っているのに「普通に反応」できる人がいたとしたら、その人物は超大物である可能性もあるが、今は取り敢えずそこまでは考えない。
 
運転手さん、交替の運転手さんも含めて、全員探査してみたが、怪しい感じの人は無かった。
 
もうひとつの可能性。それは自分の持ち物の中に、何か問題のあるものがある場合。
 
青葉は自分が持っているものをひとつひとつ思い浮かべてみた。
 
通学用のカバン、教科書・ノート類は昨日学校に置きっ放しにして身の回りのものと宿題だけ入れたリュックを持って、サンダーバードに飛び乗っている。宿題・・・怪しくないよな?(朝起きてからしよう) アナウンススクールのテキスト、ノート・・・問題があるとは思えん。洗面道具と化粧水・手鏡・生理用品などを入れたポーチ・・・いつも持ち歩いているものだし。筆箱は愛用の品。中に入っているボールペンやシャープペンも普段使いの品ばかり。
 
うーん。。。自分の身につけている服を考えてみる。今着ているブラ&ショーツのセットはしまむらで買ったものだし、学校の制服セーラー服上下は別に問題無いだろうし、上に羽織っているパーカーはイオンで買ったものだし。ハンカチとポケットティッシュはキャンドゥだ。
 
うーん。。。。。
 
5分くらい考えていて、青葉はただひとつ見落としていたものに気付いた。
 
携帯電話!
 

メールが来てないか確認する。日香理と明日香、それに早紀から1通ずつ来ていた(美由紀は受験勉強のため携帯没収中)が、ごくふつうの雑談メールである(朝起きてから返信しよう)。あれ?と思う。彪志からメールが来てない。いつもなら夜バイトに行く前にメールくれるのに。そう思った時、彪志からもらったウサハナのストラップが赤く光っているような気がした。
 
これか!!
 
最初、彪志が自分に恋しいという気持ちを念じたのかも知れないと思った。しかし「赤く光る」というのは危険信号だ。
 
青葉は千葉にいる彪志のことを霊的に探索してみた。
 
「やばい!!!」
と思わず青葉は口に出してしまった。それくらい焦った。
 
青葉は携帯に表示されている時刻を見た。
 
間に合えば良いが・・・・
 
彪志宛にメールを送る。
 
《超危険。仮病使ってもいいから、今すぐ早引きして店を出て》
 

30分後、彪志から返信があった。
 
《他ならぬ青葉からの警告だから無理言って早引きした。結構文句言われたけど。何があるの? そうそう。今夜は仮眠で寝過ごしそうになっていつものメールできなかった。ごめんね》
 
《メールは無問題。何があるかは、明日の朝のニュース見れば分かるよ》
 
そう返信して、青葉は心を再度鎮め、眠りに就いた。
 

朝5時すぎに砺波駅南に到着する。青葉はここで降りて城端線の始発を待つつもりでいたのだが・・・・駅の所に母の車があった。
 
青葉は微笑んでそちらに行き、窓をトントンして乗せてもらった。車が出発する。
「お母ちゃん、ありがとう。わざわざ迎えに来てくれたのね」
「ここで1時間待ちだからね。待っている間に眠り込んじゃったら遅刻」
「確かに」
「いったん、おうちに戻るから、寝てなさい」
「うん」
 
青葉は素直に返事をすると、後部座席でまた眠りに就いた。ああ、自分もこのシチュエーションで泣いたりしない程度には「暖かい心」に慣れてきたな、と睡眠の世界に落ちていきながら思った。
 

6時頃自宅に着く。目を覚まし、母に御礼を言って車から降りて、一緒に家の中に入る。あらためて携帯を見てメールをチェック。彪志からメールが来ている。
 
《もうびっくり。ピザ屋さんでガス爆発。詳細はまだ不明》
 
《俺が早引きしてから20分くらい後に、変な客が来て店内に乱入。強引にガスの栓を全部開けたらしい。取り押さえようとしたが、その前に加熱中のオーブンから引火して爆発。副店長と先輩が軽い怪我。乱入した変な客が重傷》
 
《しかし何だか悪い気がするよ。俺だけ都合良く難を逃れて》
 
青葉は返信した。
 
《こういう状況で『俺ラッキー』とか言うんじゃなくて先輩に悪いなんて思う彪志が好き。軽傷で済んだのは私が護りを送り込んだから。結果的には彪志が関わってたから軽傷で済んだようなものだから、気に病まなくていいよ》
 
そして、千葉まで飛んで行って彪志の先輩を護ってくれた、自分の眷属さんに『お疲れ様』と心の中で言った。彼は返事代わりに右手で○のサインを作り微笑んだ。青葉は母に入れてもらったコーヒーを飲みながら宿題を始めた。
 

10月20-21日の土日は文化祭であった。
 
青葉はコーラス部で体育館のステージに出場する。これがコーラス部での最後の活動になる。
 
体育館のステージに出場するのは、コーラス部、プラスバンド部、演劇部、英語部(英語劇)、のほか有志の個人やグループによる出演がある。バンドを組んで演奏をした人たち、個人や2〜3人組で歌を歌った人たち、スピーチをした人、2人組で登場して漫才をした人たちなどもいた。また高岡は「万葉の里」
と言われているため、浴衣を着て箏の伴奏に合わせて万葉集の歌の朗読をした人たちもいた。
 
このような有志による出演は土曜か日曜のどちらか1回であるが、コーラス部、プラスバンド部、演劇部、英語部、のステージは土日に1回ずつである。
 
1日目のステージでは部長でもある青葉が指揮をして(指揮しながら歌も歌う)『立山の春・愛』と『フライングゲット』を歌った。さすがに指揮しながらソロまで歌うのは難しいので、ソロは『立山の春』では葛葉が、『フライングゲット』では葛葉と1年生の鈴葉が掛け合いで歌う。
 
しかし2日目のステージでは指揮に関して葛葉に提案する。
「葛葉〜。今日は私も最後のステージだからソロ歌わせて」
「ええ。歌ってください」
「指揮しながらは歌えないからさ。今日は葛葉が指揮してよ」
「えー?私が指揮ですか? でも文化祭の2日目の指揮をした人は翌年部長をやらされるという巷の噂があるんですが」
「そんな噂は初耳だなあ」
 
などというやりとりはあったものの、葛葉は指揮を引き受けた。
 

そうして2日目のステージが来る。青葉はこのコーラス部で1年半活動した。昨年は『島の歌・幸い』のソロを歌い、全国大会まで行き、9位に入賞した。そして今年は『立山の春・愛』のソロを歌い、全国大会で3位に入った。但し青葉が歌ったのは地区大会と中部大会までで全国大会では葛葉が歌った。もっとも3位に入賞したおかげで表彰式で再度歌う機会が与えられ、そこでは青葉が歌ったのであったが。
 
そしてこの文化祭。1日目は葛葉がソロを歌い、2日目では自分がソロを歌う。最初は中学まででコーラスはやめるつもりだったが、全国大会まで行ったことで、また新たな意欲が湧いている。結果的には葛葉は高校では自分のライバルになるかも知れない。ライバルを育てるのもまた不思議な充実感がある。
 
『立山の春・愛』が葛葉の指揮で歌唱スタートし、最初は他の子と一緒に普通のソプラノのパートを歌う。指揮をしている葛葉も指揮しながらソプラノ・パートを歌っている。そして途中からソロパートが始まる。青葉はしっかりした歌い方で、この部分を歌った。
 
メロデイアスで表現力を要求されるパートだ。多少のざわめきを含んでいた体育館の中が、青葉がソロパートを歌い出した所からシーンとなる。みんなが自分の歌を聴いてる。快感!!
 
ああ。アナウンサーにならなかったら歌手になってもいいかも知れないな、なんて気もしてくる。でも歌手で霊能者ってことになるとマスコミに散々引っ張り回されてオーバーワークになりそうという気もする。歌手も霊能者とは両立できない仕事かもな。
 
ソロパートを歌いきった時、観客から拍手が湧き起こった。その拍手を聴きながら、青葉はたちは更に歌い続け、4分12秒の歌を歌い終えた。
 
指揮を終えた葛葉が少し昂揚した顔をしている。ソロも気持ちいいけど、指揮ってのも結構気持ちいいんだよね。
 

2曲目『フライングゲット』が始まる。最初のNa Na Na の所は全員で歌い、その後のAメロ、Bメロを青葉と鈴葉の掛け合いで歌う。そしてサビはまた全員で合唱である。この掛け合いの部分は、誰かが急に休んだりした時のために、青葉・葛葉・鈴葉の3人で、どの2人の組合せでも歌えるように練習していた。
 
みんな良く知っている曲なのでこの歌を歌っている時は館内に手拍子が起きた。その手拍子に乗せて歌うのも、また独特の快感がある。会場がステージとひとつになる時間である。
 
気持ち良く歌い終えて、指揮者の葛葉が観客の方に向き直り、お辞儀をした時、それまでの手拍子がそのまま称讃の拍手になり、更にすぐアンコールの拍手になってしまった。
 
青葉・葛葉、そして副部長の美津穂で顔を見合わせる。
 
その瞬間、青葉は悪戯心を起こしてしまった。3人でステージ上で集まるが、その時、ピアノ伴奏の子と、バスのパートの所に並んでいる田代君を呼ぶ。何だろう?という感じで田代君もその3人の所に寄ってくる。
 

「みんな『BELIEVE』は歌えるよね?」
「シェネル?」
「いや、杉本竜一の」
「あ、そっちか」
「シェネルのビリーブもみんな知ってると思うけど、杉本竜一のビリーブも5月頃、かなり練習したから行けますよ」
 
「○○ちゃん伴奏できる?」
「キーは?」
「F」
「行けます」
「葛葉、指揮できる?」
「大丈夫だと思います」
 
「それで出だしのソロパートを田代君歌ってよ」
「え?田代君が歌うの?」と美津穂。
「うん」
「ちょっと待って下さい。Fのキーで歌う場合、出だしの音は?」と田代。
「A5」
「A5〜!? 男子はテノールの子でもA4かせいぜいC5が限界だよ」と美津穂。「ところが田代君はA5が出るんだな」と青葉。
「ほんとに?」
 
「済みません。A5で歌い出したら最高音は?」と田代。
「D6」
「ひぇー」と葛葉。
「行けるよね?」
「行けます」と田代。
「ほんとに行けるの?」と驚いたように美津穂。
「田代君はD#6まで出るのよ」
「うっそー!」
 
「ということで、みんな頑張ってみよう」
 
あまり打ち合わせに時間も取れないので、みんな各々の位置に戻る。美津穂と青葉は隊列に、葛葉は指揮台に、伴奏の子はピアノの所に。ただ、田代君は青葉から「君はここ」と言われて、指揮台のそば、隊列から少し飛び出した所でセットした。
 

葛葉の指揮棒に合わせてピアノ伴奏がスタートする。8小節の前奏に続いて、田代君が歌い出す。
 
美しいソプラノボイスだ。
 
隊列にいるコーラス部の面々も、指揮をしている葛葉も「へー!」という顔をしている。特に田代君がこのソロパートの最高音D6をしっかり出すと「おぉ」
という感じだ。
 
観客席の方は、学生服を着ている男子部員がソプラノソロを歌い出したので「えー!?」という感じの反応であった。
 
やがて全員で歌う部分に入ると、田代君は本来のバスパートを歌う。バスは人数が少ないので、田代君が抜けると辛いのである。
 
そして間奏を経て再びソプラノソロとなる。するとまた田代君が美しいソプラノボイスで8小節歌い、それから全員での合唱になると、またバスに切り替えである。バスとソプラノでは声の出し方自体が全く違うはずだが、さっと声区を切り替えられるところは、器用さも持っているようである。
 
最後4パートが作り出す和音で終了。
 
観客席から割れるような拍手とともに「ヒュー」とか「すげー」といった歓声も出ていた。みんなで観客席に手を振って退場した。
 

「いや、盛り上がったわね」
と音楽準備室に戻ってから、体育館ではステージ脇で見ていた寺田先生からも言われた。
 
「でも田代君のソプラノソロはびっくりした」
「彼、元々去年、川上さんに次ぐ2人目のソプラノソロを育てようという話になった時も立候補したもんね」
「ほんとにソプラノソロもやる?」
「ああ、ソプラノソロ歌える子は3〜4人いた方が、何かあった時に助かるし」
 
「いっそ通常の歌唱でもソプラノパートに来ない?」
「それも悪くないなあ。バスが手薄になるから、誰か補充メンバー捕まえて入部させないといけないけど」
 
「ソプラノに来るなら、女子制服着てよ」
「やはり、そうなる?」
「だって男子制服着た子が混じってたら変だし」
「女子制服、着たくない?」
 
「うーん。ちょっと興味はあるけど、ハマったら怖い」
「ああ、ハマる、ハマる」
「1年後には立派な女子中学生になってたりして」
「それ、ありそうで怖い」
 
そういう冗談で盛り上がった後で、この文化祭で部活終了となる3年生が抜けるので、その後の部長・副部長を決めようということになる。
 
「部長は葛葉だよね〜」
「うん。問題なし」
という声があちこちから上がる。
 
「えー!?やっぱり、そういう展開?」
「当然」
 
しかしこれは葛葉もある程度覚悟していた感じであった。
 
「あ、副部長は田代君ってのは?」
「ああ、男子の副部長というのも面白いかもね」
「いや、田代君が女子中生になっちゃったら、従来通り、女子2人の組合せ」
「じゃ、女子制服を着てもらって副部長ということで」
 
「ちょっと待って。女子制服は勘弁してよ。副部長は引き受けるから」
 
といったことで、新体制が決まった。青葉と美津穂が、葛葉と田代君と握手し、引き継ぎが行われた。
 

文化祭の翌週の日曜日は模試があった。この後、模試は12月下旬にもう1度あるが、その段階では最後までどちらを受けるか迷っている人の最終判断要素ということになるので、大半の中3生にとっては、この模試で志望校をほぼ決めることになる。
 
公立高校に限っていえば基本的には志願できるのは1校1科のみだが、落ちた場合若干の募集がある二次募集に応募することはできる(その場合、既に受けた入試成績で合否判定され、新たな入学試験は行われないから、入試自体を失敗してしまった場合は救いようがない)。また、理数科・社文科のある高校の場合は例外的に同じ高校の普通科を併願できるので、理数科狙いだけど微妙などという子は併願をすることになる。
 
日香理などは社文科志望だが普通科を併願するつもりだし、呉羽なども理数科を狙ってはいるものの、普通科併願である。
 
青葉たちのグループでやはり最大の問題は美由紀であった。
 
美由紀は夏休みに「かなーり勉強しなきゃ」というのを認識してから、本当に頑張った。まず両親に頼んで合格までテレビの電源を入れないことにし、実際美由紀のお母さんはテレビにカバーを掛けてしまった。また美由紀が使っていたパソコンと携帯も没収した。携帯は一時休止の手続きを取った。
 
夏休み中に進研ゼミの1,2年のテキストを仕上げ、10月までに3年生のその月までのテキストも制覇した。英語の勉強に毎朝ラジオの英語講座を聴き、英語の語彙が弱いということで、自作の単語帳を常時持ち歩いて友だちとおしゃべりしながらも、必死で単語を覚えた。また他にも数学で基礎力を付ける問題集を頑張ってやっている。おかげで2学期の中間テストはどの教科もほぼ満点で、先生にも大いに褒められたのである。
 
しかし狭い範囲から出題される中間テストと違って、模試は中学の3年間全ての学習範囲から出題される。どうしても苦手な部分、あまりしっかり勉強していない部分を問う問題も出る。ある程度は論理思考でカバーできるものの最後は勘である。いわゆる「本番に強い人」には、この勘が良い人が多い。美由紀もわりと勘は良い方という感じだった。
 
「美由紀、どうだった?」
と日香理は自分のことより先に美由紀の点数を心配した。
 
「うん。今日の問題は苦手な所が全然出なくて、すごくスイスイ解けたよ」
「おお、良い顔をしている」
 
「でも美由紀、ここで気を抜いちゃダメだよ。これが出発点だよ」
「うん。ね、ね、勉強会を週に4回に増やさない?」
「4回?」
「今やってる火曜・木曜の他に、土日」
「ああ、いいんじゃない?出られる子だけ出るということで」
 

その「出られる子」ではないのが青葉である。一応11月中旬から3月までは拝み屋さんの仕事はお休み、ということにはしているものの、今月もずっと北陸と岩手の双方で色々相談事を持ちかけられ、だいたい平均1日に1件のペースで対処していたし、何人か固定客のヒーリングもしていた。
 
10月半ばの岩手行きは、青葉自身の体調が万全では無かったので中止したが、11月上旬はまた岩手との往復である。ただ今回はいつもとルートが違っていた。
 
2日金曜日に6時間目の授業が終わったらすぐ、学校まで迎えに来てもらった母の車で富山空港まで走り、16:55のANA羽田行に乗る。18:00に着いたら1時間半の待合せで同じANAの19:30新千歳行きに乗る。この同じ便にスリファーズの春奈が乗っていて、一緒に千歳市内の一流ホテルに行き、その夜はヒーリングを施す(実際には機内でも、主として心理的なヒーリングをしている)。
 
スリファーズが3日から全国ツアーを開始するので、その間、可能な範囲で青葉に春奈をサポートして欲しいという依頼がレコード会社の部長さんからあったのである。この日はツアー初日前夜にヒーリングしてもらって、疲れを取り、また8月に性転換手術を受けてまだ万全ではない女性器の調子や身体全体の分泌の状態を整えてもらって、本番に臨もうということだった。春奈には手術の直後から9月の中旬まで毎日ヒーリングをしていたので、すっかり顔なじみである。年齢もひとつ違いなので、気安い感じでおしゃべりを楽しみながらのヒーリングになった。
 

その夜は同じホテルに(宿泊料レコード会社持ち)で泊まり、翌朝早朝にホテルを出発。7:30の花巻空港行きに乗る。ホテルが札幌ではなく千歳市内になったのは青葉の負担をできるだけ小さくするためである。花巻空港には慶子が迎えに来てくれていて、慶子の車で、その日最初の依頼のあった、遠野市に入った。
 
元々慶子の父が亡くなった後、慶子と青葉のコンビで処理する霊的な仕事は、青葉の家庭的な事情もあり、大船渡を中心に、南は陸前高田・気仙沼、そして内陸の住田町といった「気仙地方」にほぼ限定する形で応じていたのだが、震災後にたくさんの「遺体探索」で名前が知られてしまってから、そこからの口コミで、今までよりやや広い範囲からの依頼も結構持ち込まれるようになってきていた。釜石市では何度か仕事をしたことがあったものの、遠野市は今回が初めてである。
 
遠野は民話の里なので、地域特有のものが絡んでいたら難しいなと思い、念のため『遠野物語』を再度通読して予習しておいた青葉であったが、実際の案件はクライアントに会ってみると、単純な健康問題で、霊的なものの絡みも無かったのでホッとした。
 
「これは病院に行きましょう」と青葉は言った。
「霊障とかではないんですね?」と50代の主婦。
「霊的な妨害とか作用とかは無いですよ。このお家もとても家相が良いです」
「ほんとですか。安心しました。でも私、病院嫌いで」
「病院に行かないと治りませんよ」
「内科ですかね?」
「そうですね。最初は婦人科を受診なさると良いでしょう。そこから具体的な症状については耳鼻科とか内科とかを紹介される場合もありますが。ホームグラウンドは婦人科に置いておくのが良いですよ」
 
「ああ、これ更年期障害?」
「です」
「じゃホルモンとか補充すればいいのかしら?」
「それもお医者さんの指示に従った方がいいです。素人療法していると糖尿病とか誘発したりして、苦労しますよ」
「そっかー。仕方無いなあ。一度行ってみるか」
 
どうも本人が病院受診に消極的な雰囲気なので、青葉は同席していた娘さんにも強く病院に行かせるように言っておいた。
 

その日は遠野市の後、釜石で1件、大船渡で1件の依頼をこなして、その日は慶子の家に泊まる。翌日曜日は午前中に大船渡でもう1件処理した後、午後から気仙沼で1件処理して仙台に向かった。到着したのは17時。用意してもらった休憩所で仮眠を取り、豪華なお弁当をもらって食べた後、20時半に仙台公演が終わった春奈のヒーリングを約1時間する。春奈も公演後の食事は後回しにしてヒーリングを受ける。そして青葉は仙台駅前22:10の高速バスで富山に戻る。
 
なかなかのハードスケジュールであった。
 
今回は合流できなかった彪志とは、高速バスの車内でメールで会話した。彪志はバイトしていたピザ店でこないだガス爆発事故があり、店舗改装中なので、現在バイトも休止中。夜が暇である。
 
《北海道で泊まったホテル、凄く素敵で感動した》
《高そうだね》
《いわゆる豪華ってのとは違うんだよね。むしろ質素だけど、心地よい感じにまとめられてるの》
《ああ。でもゴージャスでキンキラキンなら、落ち着いて休めないよ、きっと》《でも自費で泊まるのにはあんなホテルには泊まれないなあ》
《まあビジネスホテルだよね、俺たちは。でもそういうホテルに泊まれる程度には青葉も貧乏性を抜け出してきたのかな。2年前なら私トイレでいいです、とかゆってそー》
《そうだね。せっかく提供してもらったものはありがたく受け取る》
 
《よしよし。そうだ。青葉、ケイちゃんの仕事もしてたよね》
《うん》
《ローズ+リリーの大分公演のチケットとかコネで取れないかな?》
《聞いてみてもいいけど、私は行けないよ。受験生だから》
《内々定しててもダメ?》
《ダメ。頑張ってる子たちに悪いから》
《そうか。。。青葉が行けないんじゃ詰まらないしなあ》
《来年行こうよ。たぶん全国ツアーくらい、するかもよ》
《お、裏情報?》
《No,No.想像。マリさん、かなり精神力回復してきてるから》
《へー。それは楽しみだ。あ・・・もしかして青葉、マリさんもヒーリングしてるの?》
《業務上の秘密なので教えられません》
《ふみふみ》
 

翌朝・月曜日は朝6時半頃に高岡駅前に着き、迎えに来てくれていた母の車で自宅に戻って、車中と自宅で合計1時間ほどの仮眠をしてから、学校に出た。
 
青葉が昼休みに恒例のお土産配布で「白い恋人」を配ると
 
「なぜ岩手に行って『白い恋人』?」
と訊かれる。
 
「ああ。金曜日は北海道に行って、土曜日朝一番の便で岩手に移動したからね」
「えー!? なんて素敵な」
「全然素敵じゃない。新千歳に着いたのが金曜日の夜21時半でそのまま千歳市内のホテルに22時半到着。翌朝ホテルを出たのが朝6時で、7:30の花巻行きに乗った。だから千歳市内から出てない」
 
「なんつー鬼畜なスケジュール。観光とかは?」
「無理。お店はみんな閉まってる。札幌にも行ってないし。この『白い恋人』は事前にホテルの人に頼んで買っておいてもらったもの」
「お仕事?」
「そそ」
 
「そんなハードスケジュールになるんなら、たっぷり依頼料取りなよ」
「うん。高額もらったよ。泊まったホテルも一流ホテルだったしね」
「しかし一流ホテルなのに、夜10時に入って朝6時に出たんじゃ、もったいない」
「しかもその内2時間はお仕事してたからね」
「じゃ、まともに寝てないのでは?」
「うーんと。4時間くらいは寝たよ」
「凄くもったいない」
 
「あ、下旬には似たようなスケジュールで沖縄にも行ってくるけど、お土産何がいい?」
「沖縄も夜着いて朝帰還?」
「沖縄は昼間しか接触できない人のヒーリングするから、今回より少しはマシになるかも」
 
「A&Wのハンバーガー」
「それはさすがに鮮度的に無理」
「タコライス」
「右に同じ」
「アイスぜんざい」
「融けちゃうよ」
「ゴーヤチャンプル」
「そのくらい今度作ってあげようか?」
「サーターアンダギー」
「ちんすこう」
「紅芋ポテト」
 
「まあ、その辺かな、やはり無難な所は」
 

次の週末は、スリファーズの公演は9日土曜が金沢で10日の日曜が大阪であった。春奈が金曜日の富山行き最終便で富山空港に降りて、レコード会社の人の車で高岡まで来たので、夏に春奈が1ヶ月滞在した、レコード会社の部長の友人宅で青葉がヒーリングをした。春奈はそのままその家に泊めてもらい、翌日の金沢公演で歌う。
 
そして日曜日は青葉が午後からサンダーバードで大阪に行って、公演が終わった後の春奈のヒーリングをし、夜行バスで翌朝富山に帰還した。
 
このようにして性転換手術後わずか3ヶ月で組まれた「鬼の(春奈談)」ライブツアーは、青葉あってこそ敢行できたのであった。
 
そして10日の日曜日に大阪まで往復したのに、その週の水曜日14日は今度はアナウンススクールの2回目に出席するのにまたサンダーバードと夜行バスで大阪まで往復した。母が「あんた本当に大丈夫?」とあらためて訊いたが、青葉は「大丈V」などと古いギャグを飛ばしていた(青葉は世俗に疎いが時々変なものを知っている)。
 
次の週は17日土曜日が岡山で18日日曜日は福岡である。これはさすがに対応困難なので、どうしようと言っていたら、菊枝が「私が代行しようか?」と言ってくれたのでお願いすることにした。それでこの週末は菊枝が高知から出てきて、スリファーズのツアーに帯同してくれたのである。
 
青葉はいつも「非接触式」で掌を身体と平行に動かす方式で春奈のヒーリングをしていて、菊枝も普通はその方式でやるのだが、この時は「サービス」と称して、春奈を裸にして自分も裸になって抱きしめる方式でヒーリングをした。
 
春奈は「ちょっとドキドキした」などと言っていた。純粋な褒め言葉として
「もしまだ私に男の子の器官が付いてたらセックスしたくなったかも」
などと菊枝に言ったが、菊枝は笑顔で
 
「春奈ちゃん、可愛いからセックスしてあげてもいいよ」
などと言う。春奈は一瞬悩んでしまったらしいが
「菊枝さん凄くいい女だから、私男の子辞めたこと後悔しちゃうかもしれないから、セックスは遠慮しておきます」
 
と言った。すると菊枝は代わりにと言って、女の子のオナニーの仕方を何通りか教え、更にGスポットの場所を実際に春奈のヴァギナに指を突っ込んで押さえて教えた。
 
「あ、確かにそこ気持ちいい」
「ね。ここの快感にハマると、きっと男の子だった時より気持ち良くなれるよ」
「わぁ・・・私、ハマって猿になっちゃったらどうしよう」
「ピンクローターをお供にね」
「う・・・・買っちゃうかも」
 
また菊枝は、男の子との恋愛についても色々と実践的なことを教えてくれた。
 
「妊娠しないってのは結婚しようとすると不利だけど、恋愛するにはむしろ有利だよ。男の子は安心してセックスできるからね」
「確かに」
「それを武器に男の子を落としまくればいい」
「はい、頑張ってみます」
と春奈も結構乗り気になってきた。
 
一方の青葉は17-18日に岡山・福岡に行かなくて済むことになったので、じゃ当初の予定通り、岩手に行ってきます・・・などと言っていたのだが、青葉の体調を心配した朋子から「岩手行き禁止」の命令が下りた。
 
「あんた自身も手術してからまだ4ヶ月しか経ってないことを忘れちゃダメ」
 
青葉も実はさすがに疲れていたので、素直に従った。そういう訳で青葉の受験前の岩手行きは結局、11月上旬のが最後になったのであった。
 

そして翌週は23日金曜日の祝日から25日の日曜まで三連休である。スリファーズのライブも、23日沖縄、24日東京、25日横浜と三連チャンになる。
 
青葉は金曜日授業が終わってすぐに、上旬の北海道行きと同様に母に学校まで迎えに来てもらい、車で富山空港まで走って16:55のANA羽田行に乗る。羽田で冬子・政子と合流して20時の沖縄行きに一緒に乗る。そしてその日はそのまま冬子たちと一緒に宜野湾市の一流ホテルでゆっくりと休んだ。
 
翌日の午前中、那覇空港に沖縄某島在住の祈祷師Tさんを迎えに行く。Tさんはいわゆる「ユタ」であるが、ユタというのは基本的に俗称であり、正式にはその活動分野によって様々な名称を名乗っている。Tさんの場合、病気平癒の祈祷を得意としており、ウグヮンサーと自称している。現在は別の島に住んでいるのだが、Tさんのお母さんは久高島の出身で「イザイホー」を経験した最後の世代である。イザイホーは本来12年に1度午年に行われてきたのだが、過疎化などのために1978年を最後に行われていない。そのイザイホーを受けた正規の巫女であるお母さんを連れて行くかもとも言っていたのだが、ここ数年病気がちで今回も飛行機の旅は辛いということで見送りになった( 数ヶ月後に体調回復したお母さんを連れて再訪した)。
 
Tさんは冬子を見るなり「あれ?あなた男の人?」などと言ったが、青葉が「私と同類ですよ」と言うと「ああ!」と言って、冬子に非礼を詫びた上で、「あなたの魂は歌う巫女。音楽を職業にすると成功しますよ」などと言う。
 
「いや、この人、プロの歌手です」と青葉が言うと
「えー?ごめんなさーい」と言っていた。
 
「へー。冬は歌う巫女か、Tさん、私の魂は?」と政子が訊くと
「あなたの魂は神懸かりになってお筆先を書く巫女。あなた、こちらの人の相棒? そしたら作詞を担当してあげたら良いわよ」
などと言う。
 
「いえ、私そのまさに作詞担当です」
と言って政子は笑った。
 
Tさんは政子の手を握り
「あなた、一時期かなり精神的に落ち込んでいたわね。でも自分でそれを克服した。あ、もしかしたら、こちらの相棒さんの助けがあってのことかな。でももうほとんど元気になってる。そろそろ本来の自分の力を発揮して活動を再開すべき時よ」
と言った。政子は深く頷いていた。
 

そのTさんと青葉、冬子・政子の4人で、例の患者が入院している大学病院に行く。最初に医師に面会して、病気の状況などについて説明を受けた。
 
「ウィルスなどによって起きるものではないですし、一応空気や接触などで感染することはないとはされていますが、面会なさる場合、その点は自己責任でお願いします」
と念を押される。
 
「この病気は発病したらその進行を止める方法は無いとされてきたのですが、この患者の場合、2007年夏に発病し、いったん急速に状態が悪化して11月に緊急入院したものの、2008年夏から進行速度が急に遅くなりまして、2009年秋から症状が一進一退の状況になりました。そして2010年の12月に一時危篤状態になったものの、その後は、むしろ改善が見られるようになりまして、病変細胞の数が減り始めました。このようなケースは、世界的にもひじょうに珍しく、欧米の医師からも注目されています」
 
そのあたりの経緯は青葉が先月九州大学医学部の○○教授とやりとりして聞いた話でもある。
 
「その後徐々に回復してきて、今年の春にはそちらのおふたりのライブを聴きに一時外出できるまでになってきています。そして、これは新情報なのですが、実は先月になって、九大の方から、この病気にこの薬がひょっとしたら効くかもという情報がもたらされまして、本人や家族の同意の下現在治験をしているのですが、確かに改善が見られています」
 
それも実は聞いている話である。
 
「このまま行きますと、退院して日常生活に戻れる可能性もあると見ています。ただ、前例の無いことなので、いつまた病気が再進行して生命に関わる事態になっても不思議では無い、ということは覚悟しておいて欲しいとご家族には言っております」
 
常に最悪の場合を家族に伝えておくのは、医師の基本的な行動である。不測の事態になった場合に「先生、治ると言ったじゃないですか?」などと批判し、更には医療過誤訴訟に進むケースもあるので、医師も大変なのである。祈祷師や占い師・宗教家の場合も「インチキ」として詐欺で告発されるリスクが常にある。警察官が凶悪犯に発砲したのを批判するマスコミや人権団体まであり、現代は、命を守る仕事をしている者にとって生きにくい時代である。
 

青葉たちは、担当の女性看護師さんに案内されて病室に向かった。
 
病室(個室)に入った途端、とても力強い波動が感じられ、青葉は「おおっ」
と思った。Tさんも同様の感覚を持ったようで、青葉と顔を見合わせた。
 
患者はベッドの上に渡したテーブルの所に肘を置いて、見舞いに来ていた友人の女の子と腕相撲をしていた!凄い元気!
 
「こんにちは」と冬子と政子が言うと
「わあ、ケイさん・マリさん。また会えた!嬉しい!!」
と明るい声で言う。
 
「今日はね、麻美ちゃんの状況を知り合いの霊能者さんに見てもらかうかと思って連れて来たんだよ」
「わあ」
 
患者は最初、Tさんがその「霊能者」で青葉は付き添いか何かと思ったようであったが、Tさんは久高島出身のウグヮンサー、いわゆるユタ。そして青葉は「日本で五指に入る霊能者」と紹介すると、びっくりしていた。
 
「高校生くらいですよね?」と訊かれる。
「いえ、まだ中学3年です」
と青葉が答えると、2度びっくりされた。
 
しかし青葉は患者の様子を見て、更に素早く患者の身体をスキャンしてみて、かなり意外だったので「うーん」と言って、Tさんと顔を見合わせた。
 
青葉が難しい顔をしたもので、冬子が心の中で『難しいの?』と呟くのが聞こえる。青葉には聞こえるだろうと思って、心の中で呟いたのであろう。
 
「これはあれですよね?」と青葉。
「私もそう思います」とTさん。
 
Tさんは「ちょっと失礼」と言って患者の左手を握り、それから右手も握ってやはりという感じで頷く。
 
「重症なんですか?」と患者の友人は言うが、「これはヒーラーとか祈祷師とかの仕事ではないです」と青葉は言った。「これはお医者さんの仕事ですね」とTさんも言った。
 
「ヒーリングしたり祈祷したりすることはできますが、麻美さんの精神状態も気の流れも、とても良くて、どちらかというと、その良好な心と気の状態がこの難しい病気を快方に向けています。ですから、私たちがヒーリングなどをするより、お医者さんの治療をしっかり受けて、リハビリに励む方が、早く快復しますよ」
と青葉は笑顔で言った。
 
「私も同感です。世界でも40〜50人しか患者がいない未解明の難病ということではありますが、やはり病気にいちばん抵抗できるのは、本人のパワーなんですよね。あなたは、物凄くパワーがみなぎっていて、その状態は健康な人以上です。それだけのパワーがあるから、この難しい病気に対抗し、そして身体を快復に向かわせているのだと思います」
とTさんも落ち着いた口調で言った。
 
「じゃ、ひょっとして麻美って、病変細胞の部分を除いたらすこぶる健康体?」
「ええ、とっても健康です。オーラもとても強いですよ。私、こんな『病人』
を見るのは初めてです。たいてい病気の人って、オーラは弱々しいのに」
と青葉。
 
「私が楽天的だからかなあ」
「ああ、性格も良い方向に作用しているでしょうね」とTさん。
 
「身体の中の気の流れもとてもスムーズです。ちょっと病変細胞のある場所を確認していたのですが、身体の中の気の流れの主流部分の近くにはもうほとんど病変細胞が認められませい。主流から離れるにつれ病変細胞の率が上がっているから、麻美さんは、実際問題として自己治療をしている感じですね。それと太い血管の近くも病変細胞が少ないですが、これはお薬の効果だと思います」
 
「へー。もしかしてローズ+リリーの音楽が既に麻美をヒーリング済みだったりして?」
と患者の友人。
「ああ、そうかもです」
と青葉は笑顔で言った。
 
それでもせっかく来たからということで、Tさんが祈祷をする。病室の霊気の流れを確認して持参の座布団に流れに向かって座り、目を瞑り膝を叩きながら、祈りの歌を歌う。
 
冬子も政子も青葉にしても、こういう祈祷をしている所を見るのは初めてであったので「へー」という感じで見ているが、沖縄に住んでいてユタに接触した経験のある患者とその友人は、普通にその歌を聴いている。患者がとても気持ち良さそうにしているので、この歌は患者の心のパワーを正常化・増幅する効果があるみたいと思いながら、青葉は聞いていた。
 
Tさんの祈祷の後、患者は「なんか健やかな気分」と言っていた。
 
祈祷の後は、今度は青葉がヒーリングをする。掌を身体から2〜3cm離した距離で身体と平行に動かす、いつものヒーリングで、政子・冬子は見慣れているが、患者も友人も、Tさんも「ほほお」という感じで見ていた。そして青葉は通常のヒーリングをしながら密かに「鏡」を起動した。病巣の中で、やはり内臓に近い部分が問題だと判断する。特に密集している付近に向けて光を照射する。
 
この「鏡」の使い方も、初めこの道具をもらった頃は強い光で付近の細胞をまとめて焼くような使い方しかできなかったのが、8年も使っていると、ビームを絞って細胞単位で1個ずつ潰していくような使い方ができるようになっていた。これだと患者の身体の負担も、とても小さく、患者は何かされているということ自体を自覚しない。
 
更にある程度「鏡」で病変細胞を退治した後、今度はそういう病変細胞と戦っている免疫細胞に向けて「鈴」を作用させる。青葉が使う道具の中では一番歴史の浅い道具であるが、「鏡」でしっかり確認してから間違いなく免疫細胞だけに鈴を使いひとつずつ活性化させていく。ヒーリングの方は実はオートでやっているのだが、こちらの方は自分の感覚と頭脳をフル稼働させての治療であった。
 
青葉のヒーリングを受けながら、患者の女の子は、「身体の免疫細胞が活性化していくみたいな感じ」などと言っていたが、本当に活性化させているのである!
 
そして青葉はヒーリングを終えると「サービスで病変細胞を少し殺しておきました」などとサラリと言った。Tさんが「ああ、やはり。なんかしてるみたいだなとは思ったんだけどね」と言う。
 
Tさんは「もし何かあったらすぐ駆けつけますから」と言って名刺を渡した。
「私が端末になって、川上さんのヒーリングを施すこともできますよね?」
「ええ。Tさんは物凄く優秀な端末みたいです」
と青葉は笑顔で言った。
 
ユタになる人の多くが、若い時に「カミダーリィ」と呼ばれる神懸かり状態になって、夢遊病患者のように歩き回る事態を経験しており、だいたい霊媒的な才能の高い人が多い。そういう人は霊的な端末としてもとても優秀なのである。
 
「私・・・その内退院できます?」と患者が訊くと
青葉は「あと1年10ヶ月」、Tさんは「あと23ヶ月」と同時に言った。
 
患者の友人が頭の中で考えるような仕草をして(1年10ヶ月を月に換算していたようだ)「あと22〜23ヶ月ですか。おふたりの意見がほぼ同じ時期を指しているから、そのあたりで本当に退院できるのかも」と言う。
 
「高校は特例で卒業証書もらったみたいですけど、少し受験勉強して大学を目指すといいですよ」
と青葉は言った。
 
「ええ。実は私もこの春頃からそれ考えていたんです」
「どこか興味のある学部はありますか?」
「やはり看護婦さんかなあ。私、この5年間に看護婦さんにとってもお世話になったし。自分が元気になったら、恩返しで、お世話する方もしてみたい」
「いいと思いますよ。じゃ医学部の保健学科かな」
と青葉は笑顔で言った。
 

お昼になり、昼食が運び込まれてきた時点で、青葉たちは病室を辞した。患者の友人さんも一緒に病室を出た。
 
「だけど陽奈さんも、入院以来ずっと麻美さんに付いてあげてるんですね」
と冬子が言う。
 
「そうですね。元々は私そんなに麻美と親しかった訳じゃないんですよ。どちらかというと学校ではあまり馬が合わなくて、感情的な対立とかもあったんです」
「へー」
 
「それが何となく同級生のよしみで見舞いしてて、ベッドのそばで儀礼的に話をしていたら、意外に話が合うかもって感じになっちゃって」
「へー」
 
「今では週末はいつもこの病院に来ているのが、私の生活習慣になっちゃいました」
「麻美さんの病状軽減には、私たちの歌も作用していると思うけど、何よりも陽奈さんの存在というのが大きいと思いますよ」
と冬子から言われて、陽奈は少し照れるような顔をした。
 
その日の昼食は冬子のおごりで、陽奈さんも含めて5人で那覇市内のレストランで食べた。
「わあ、私まで頂いちゃっていいのかしら」
などと言いながらも陽奈さんは美味しそうに料理を食べている。患者本人も楽天的だが、この友人も楽天的な雰囲気。病気に負けないパワーというのは、この二人の二人三脚で出ているものかも、と青葉は思った。
 

昼食の後、お昼頃に沖縄に到着していたスリファーズの春奈の許を訪れる。ホテルの部屋の中でヒーリングする。
 
「こんにちは、菊枝のヒーリングどうでした?」
「私、あの人に恋してしまいそう」
「あはは、あの人結構レズっ気があるから」
「あ?そうなんですか?」
「誘惑されませんでした?」
「誘惑というか何というか・・・・」
と言って春奈は赤くなる。青葉はその反応が読めなかった。クリちゃんを心地よく揉まれて逝っちゃったなんて言えないよーと春奈は思っていた。
 
「あの人、青葉さんの先生?」
「姉弟子です。実質先生に近い存在ですけどね」
「へー」
 
「でもコンサートもとうとうこの週末で完了ですね」
「ええ。最初はほんとに大丈夫だろうかと思ったけど、ケイ先生が色々配慮してくれたし、今回のツアーではMCは彩夏がしてくれてるし、毎回青葉先生や菊枝さんにヒーリングしてもらってるし、何とか最後まで行けそうかな、という気分になってきました」
 
「良かった。あまり無理せずに頑張ってください」
「頑張ったら、無理します!!」
 

その日のスリファーズの公演は青葉も見学させてもらった。春奈が休み休みながらも、しっかり歌を歌っているので、青葉は微笑んで聴いていた。スリファーズの3人は、絶対音感(つまり平均律音感)を持っている春奈を中心に、彩夏・千秋の2人が春奈が出している音と(本人たちは意識してないようだが)純正律的に響くピッチの音を出しているため、ハーモニーがとても美しく聞こえる。
 
最初から楽器も純正律の音を出していて全てが純正律の世界になっているKARIONに近い心地よいサウンドだ。この年代でこれだけのハーモニーを出せるのは素晴らしいと青葉は思った。
 
念のためコンサートが終わった後も30分くらいの軽いヒーリングをして、その日は昨日と同じホテルに泊まった。その日は青葉もこの高級ホテルの心地よい寝具でぐっすり寝て、青葉自身ここしばらくの疲れが取れる感じであった。
 
 
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【春音】(2)