【春声】(3)

前頁次頁目次

1  2  3 
 
時間を戻して日本時間の16時(タイ時刻14時。千里の手術が始まる2時間前)、青葉は笑顔で、母と彪志に手を振り、手術室に運び込まれた。硬膜外カテーテルは既に設置されている。
 
「じゃ、麻酔しちゃいまーす」と明るい声の松井先生。
「はい。よろしくお願いしまーす」と同じく明るい声の青葉。
「何か音楽流す?」
「あ、持ち込みですが、そこのローズ+リリー、ローズクォーツをひたすら掛けてください。特に聖少女は必ずローテーションに入るようにして欲しいんですが」
「へー。ファンなの?」
 
「ケイとお友だちです」
「わあ、そうだったんだ! MTFつながり?」
「はい、そうです。それに聖少女は私も、共同作曲者のひとりとしてクレジットされてるし」
「えー!?」
と言って松井医師は看護婦が手にした聖少女のCDの裏面をのぞき込んでいる。
 
「あ、この作曲者が『マリ&ケイ+リーフ』って書かれている、このリーフが君?」
 
「私のペンネームです。この曲には私自身のヒーリングの波動が入っていて、体調維持・回復にいいんです」
「いいこと聞いた」
「今日の手術代金も聖少女の印税から出てます」
「おお、すごい!」
 
「さて、麻酔は効いてきたかな。ここ感触ある?」
「無いです」
「ここは?」
「無いです」
「じゃ、手術、はーじめーるよっ!」
「お願いします」
 
「さあ、楽しい楽しい手術」と言う松井医師はほんとうに楽しそうである。人間の身体を切り刻むのがほんとに好きなのだろう、と思い青葉は微笑む。手術する付近は鏡を介して青葉に見えるようになっている。
 
「メス入れるよ」
「よろしくー。自分が性転換される手術の様子って絶対1度しか見られないものだから、私もとっても楽しみ」
「うんうん。性転換は2度3度はできないからね」
 
あらかじめ切開する場所にペイントされた予定線に沿って松井医師がメスを入れていき、青葉の股間と性器を、まずは「解体」していく。
 
「ほんとに平気そうね?」と松井先生。
「ええ。麻酔も掛かってるし、第三者が手術されてるの見てるのと同じです」と青葉。
「なるほどね」
「でも松井先生、切り方が凄くうまい。それに正確。刃を入れる深さが安定してるし」
「ふふふ。褒めて褒めて」と先生。
「松井先生、天才ですね」と青葉。
「うん。よく言われる」と松井医師は本気で答えている。
 
脇で手術の様子を撮影している鞠村医師も微笑む。そして鞠村医師は、これ、音声を記録しないモードにしといて良かったと思っていた。こんな会話、他の医師には聞かせられない。そばで見守っている麻酔科医は少々呆れていた。
 
手術は順調に進行していくが、松井医師と青葉は、半ばおしゃべりでもするかのように、いろいろな会話をしていく。ふたりの会話は主として日本語であるが、時折英語やドイツ語の会話になることもあった。日本語でも英語でもドイツ語でも青葉が医学用語を巧みに使うのを聞いて、鞠村も麻酔科医も驚いていた。
 
「君、何ヶ国語できるの?」と松井先生。
「さあ。数えたことはないです。必要に応じて勉強していたから。魔術関係の本って、実に様々な言葉で書かれているんですよ。特にその国や地域のローカルな秘術とか、そこの古い言葉で書かれていたりするから。たぶん現代では誰も使用者がいないような言語まで勉強しました」
「なるほど」
 
やがて、青葉の陰茎がきれいに解体されてしまう。皮膚、尿道・尿道海綿体、陰茎海綿体、亀頭に分離されている。
 
「ふつうの人なら自分のおちんちんがこう解体されていくの見て気分が悪くなると思うんだけどね」と松井先生。
「私、普通じゃないですから。でも先生も普通じゃないですよね」と青葉。「うん。私、天才外科医だから」と松井先生。
「ほんと天才ってのは先生のオペの様子見て納得しました」と青葉。
 
「ありがと。さて、あ・お・ば・ちゃーん、今からおちんちん切りますよ〜」と先生。「はーい。お願いします」と青葉。
 
「チョキン」と言って、松井医師は青葉の陰茎海綿体を身体から切り離した。
 
「わーい。これでもう君、女の子になっちゃったよ」と先生。
「やったー!」と青葉。
「じゃ、これ捨てちゃいまーす。ぽい」
「バイバーイ、私のおちんちん」
 
ふたりのやりとりを聞いて、鞠村医師と麻酔科医が思わず顔を見合わせて不覚にも笑ってしまった。手術の助手をしている看護婦さんたちからも微笑みが漏れる。
 
このあたりで手術は折り返しになる。男性器の解体が終了したので、この後はひたすら女性器を作っていく作業である。
 
「ここにトンネル掘っちゃうよ〜」
「でもそのトンネルって行き止まりなんですよねー」
「うーん。君、子宮が無いから、それだけは残念だねー」
「50年後くらいには子宮まで作れるようになってるかなあ」
「さあ。でも子宮まで作るとしたら、何を材料にするかが問題だよね」
「iPS細胞かな」
「あ、なるほど。じゃ卵巣もできるんじゃない?」
「卵巣は難しいですよ。癌化しやすいから、100年掛かると思う。卵子だけなら多分20年後には作れるでしょうけど」
「あぁ。そうかも知れないね。はい、トンネル掘削完了」
「次は内装作業ですね」
 
「そうそう。これはこうやって形を作るんだよ」
などと説明しながら、松井医師は膣の形を作っていく。
 
「じゃ、埋め込んじゃうよ−」
「ほんとのトンネル工事と似てますね」
「うんうん」
 
「で、取り敢えず詰め物っと」
「早く、そのヴァギナ使ってみたいなあ」
「青葉ちゃん、回復力凄そうだから、たぶん3ヶ月後には使用可能だよ」
「彼氏の誕生日が11月なんですよねー。誕生日祝いにさせてあげようかな」
「ああ、それいいんじゃない?」
とても中学生との会話ではない。
 
「次はクリちゃん作っちゃおうかな」
と言って松井医師は亀頭を小さく切り取り、陰裂の前端付近になる予定の場所に設置して、顕微鏡を見ながら神経と血管をつないでいく。
 
「あ、先生」
「ん?」
「そのクリちゃん、少し動かせます? 後ろに0.1mmくらい」
「このくらい?」
と顕微鏡で確認しながら医師は指を動かす。
 
「はい。それでOKです。その方が神経がたくさんつながります」
「へー。君、組織のつながり方を透視できるんだ?」
 
「はい。それができなきゃ、気功での治療はできません。透視というより、エコーに近いです。見えるんじゃなくて組織からの反射で干渉縞に近いものを感じ取って位置関係を把握します」
 
「なるほど。凄いな」
と松井先生は感心している。
「じゃ、サービスでもう少したくさん血管つないであげる。普通は2本しかつながないんだけどね」
「ありがとうございます」と青葉が微笑む。
 
その後手術は尿道口の設置、小陰唇と大陰唇の形成と進んでいった。
 
「わあ、まるで魔法みたいです。自分のがこういう形になっていくなんて、まるで夢みたい」
「うん。私は女の子になりたい子に夢を与える魔女。でもこれもう夢じゃなくて、現実だからね。逆に男の子の形には戻れないからね」
「はい。この形を自分の心の中にきちんと受け入れることが性転換の最後のステップですよね」
「うんうん。心の問題がいちばん大きいよね」
 
手術はおしゃべりに夢中になった松井医師がたびたび手を停めたりしたこともあり、3時間ちょっと掛かって、19時すぎに終了した。
 
「はーい。これで完成」
「ありがとうございました!」
 
「これ、麻酔が切れたら猛烈な痛みが来るけど、少し寝ておく?」
「あ、睡眠薬の処方は不要です。自分で少し寝ます」
「了解。しかし、こんな楽しい手術は私も初めてだったわ」と松井医師。「たくさん勉強になりました」と青葉。
 
「勉強はいいけど、青葉ちゃん、闇の手術で性転換まで手がけないように」
と松井先生。
「手術したいって子がいたら、先生を紹介しますよ」と青葉。
 

手術室から運び出され病室に戻った青葉は、部屋で待っていた彪志と母に笑顔で手を振る。
 
「あんた大丈夫なの?」と母。
「うん。結局ずっと起きてた。でも疲れたから少し寝るね。彪志キスして」
「うん」と言って彪志が青葉の唇にキスする。
 
「お母ちゃん、ちー姉の方は?」
「予定が遅れたみたいで1時間くらい前に手術が始まった」
「そうか。今やってる最中か」
「でも、あんたは千里のことは考えないで、自分のことに集中しなさい」
「うん。私自身が回復しないと、向こうまで手が回らないから。ちー姉には申し訳ないけど、最初は自分優先」
「そうだよ」
 
「じゃ、寝るね。おやすみなさーい」と言って青葉は眠りに就いた。
 

青葉は40-50分眠るつもりだったのだが、実際には1時間半以上寝て、起きた時に壁の時計を見ると、もう21時すぎだった。
 
ちょうど電話が掛かってくる。母が取る。
「うん。うん。分かった。そちらも大事にね」と言って切る。
 
「ちー姉、どう?」
「今、手術が終わったって。無事成功」
「了解」
 
青葉は「さて」と思う。とにかく猛烈に痛い。自分の表情にロックを掛けたので、母や彪志はこの表情から自分が猛烈な痛みに苦しんでいることに気づかないだろうが、とにかく痛いものは痛い。
 
自分をヒーリングしなくちゃと思うのだが、あまりにも痛すぎてパワーがまるで出ない感じである。
 
青葉はナースコールをする。
「済みません。かなり痛いので、鎮静剤か何か処方していただけませんか?」
 
麻酔医がやってきてくれて、青葉の状態を確認する。
「これ、物凄く痛いよね?」
「はい、痛いです」
「君を見ていると全然平気そうだから」
「平気なのと痛いのとは別ですから」
「凄い精神力だなあ。少し強いの入れるよ」
「ありがとうございます」
 
しかし麻酔医が処方してくれた薬のおかげで、とりあえず青葉は身体全体のバランスを回復することができた。「よし、これが第一歩」
 
ヒーリングを始めようとするがやはりパワーが出ない。
『困ったな』
と思う。青葉がどうも実際にはかなり痛がっているようだということに気づいて彪志が手を握ってくれた。
「ありがとう」
あ、さすが彪志だ。助かる。ちょっとだけパワーが出るよ、これ。青葉は手を握られているとそこからエネルギーが流れ込んできて、自分の体力が回復していくのを感じる。やっぱり彪志に来てもらってよかったなあ。
 
パワー回復と共に感覚が研ぎ澄まされてていく。今まで聞こえてなかった母と彪志の心の声が聞こえるようになった。母が心配している様、そして彪志の愛を感じた。わあ。ふたりともありがとう。。。。
 
そう思った時、脳内に「着信」があった。
『手術終わった?』
菊枝からのダイレクト・メッセージだ。
『終わった。今回復中』
と返信する。
 
『私の筆ペン使って』と菊枝。
 
あ! 青葉はそれを思い出した。3月に岩手で一周忌をした時、来てくれた菊枝から、筆ペンをもらったんだった。
 
「彪志。私のいつものバッグの中に、筆ペンが入っているはずなの。取ってくれない?」
 
「筆ペン?だめだよ。青葉。今お仕事とかしたら。何か記録することがあったら俺が書いてやるから」
「違うの。依代(よりしろ)なの」
「あっ、そういうこと? 分かった」
 
彪志が筆ペンを取ってくれる。
「彪志、悪いけど1時間くらい、私に触らないでいてくれる? ちょっと大きなパワーを通すから。彪志はまだこのパワーに耐えられないから、私に触ると、回路が壊れる」
「うん。そばで見守ってるよ」
 
青葉は菊枝の筆ペンを左手に持ち、精神を集中した。
 
よし、ハニーポット起動!
 
その筆ペンは菊枝が愛用していた品なので、菊枝の依代(よりしろ)になることができる。これを通して、菊枝のパワーを分けてもらえるのだ。
 
凄っ! どんどんエネルギーが流れ込んでくる。凄まじいパワーだ。これだけのパワーがあれば自分をヒーリングできる。
 
青葉はまずは自分の新しいヴァギナから修復作業を始めた。
 

青葉はゴールデンウィークの修行のお陰で、パワーアップし、ヒーリング能力自体も実は少しだけ進化していた。そして菊枝から分けてもらっているパワー。それを使って青葉は少しずつ傷の修復作業をしていった。
 
『やはり、4月のあの事件は私にとっても意味があったんだなあ。これだけのヒーリングができるようになったのは結果的には美由紀のお陰だよ』
と青葉は思う。
 
以前の青葉なら、そういう傷の周囲の気の流れを直すまでしかできなかったのだが、今の青葉はパワーを少し上げると実際の組織の中の物質的な流れもきちんと直すことができる。ただし神経1本、リンパの流れ1つ、といったものを1個ずつ把握しながら修復するので、物凄く時間がかかるしエネルギーも消費する。
 
新しいヴァギナの周囲の傷が何といっても面積が広いので、その表面の中で大きな血管や体液の流れ、また神経などのある部分を優先して修復していく。
 
でも凄いなあ。これ。ヴァギナって面白い器官だなあと思いながら作業を進める。これが自分のものになっちゃったなんて、本当に嬉しい!
 
しかし結局ヴァギナの表面のおおまかな修復だけで1時間掛かってしまった。
 
彪志が1時間たったので「手を握ってもいい?」と聞いてくる。青葉は微笑んで「じゃ、右手握ってくれる?」と頼んだ。右手側にあまりパワーが漏れないように調整する。
 
ヴァギナの次はクリトリスに集中する。ここは手術中に自らリクエストして設置する位置を調整してもらったので神経がつなぎやすい。面白いようにどんどんつながっていく。これも回復したら揉まれるのが楽しみと思って彪志の方を見る。彪志がドキっとしたようにこちらを見た。
 
クリトリスの後は、小陰唇・大陰唇の付近の大きな傷の部分を治していく。
 
その時、どこか「遠い場所」に青葉は痛みを感じた。これ何だ? と少し考えてみたら、千里の痛みではないかということに思い至る。わあ、ちー姉ったら、かなり痛みで苦しんでいるなと思う。
 
青葉はいったん自分の傷の修復を中断した。代わりに身体全体のバランスが崩れているのを直す。アドレナリンを大量に出して軽い興奮状態にする。まずは傷の直接の痛みを何とかしないとバランスも何もあったものではなかったので傷の修復を優先してきたのだが、ここまで傷を治せばバランスの回復もできる。青葉は30分ほど掛けて態勢を整えた。
 
「お母ちゃん、電話ちょうだい」
「どうするの?」
「ちー姉のヒーリングする」
「だって、お前・・・・」
「私はもう大丈夫だよ」と言って笑顔を作ってみせるが、母は
「だめだめ。お前の笑顔には騙されないんだから。まだ大丈夫じゃないでしょ?」
と言う。全て見透かされている。
 
「じゃ、30分後に電話する」
「分かった。先に自分自身を治しなさい」
「けっこう治したんだけどなあ」
 

30分後、やっと母は電話を掛けることを許してくれた。
 
「はい」と桃香の声。
「やっほー」と青葉。
「青葉!? もう大丈夫なの?」と桃香。
 
「桃姉、ちー姉の様子は?」と青葉。
「かなり苦しんでる」
「数珠、手に付けてくれた?」
 
「あ、忘れてた! ごめん。自分の腕に巻いたままだった」
と言って桃香が青葉の数珠を千里の左手に巻き付けた。青葉は向こうの「受信機」
がきちんとセットされた感触を得た。
 
「ヒーリングするよ。ちー姉」と青葉
「青葉・・・あんたこそ、大丈夫なの?」と千里が苦しそうな声で言う。
 
「私は元気だよ。ハンズフリーにして、子宮の上に置いて」と青葉は言った。
「子宮の上ね。OK」
と桃香は言って、携帯を千里の「仮想子宮」の上に置いた。
 
よし。この位置がいちばんヒーリングしやすい。青葉は千里の新しいヴァギナの位置を探すと、そこに向けて気を流し込み、傷の修復作業を始めた。
 

※ この日のタイムライン(日本時間:タイ時間はこの2時間遅れ)
 
16時 青葉手術start
18時 千里手術start
19時 青葉手術end
21時 千里手術end
21時 青葉目が覚める
23時 千里意識回復 激しい痛み
0時 青葉が千里に電話してくる
 

1時過ぎに青葉は千里のおおまかなヒーリングを終えて電話を切った。さすがに疲れたし、まだまだ痛いので寝なくちゃ。
 
「私寝るね。お母ちゃん、彪志、おやすみー」
と言うと、青葉は深い睡眠に落ちていった。
 
夢の中で男の子がひとり、向こうの方へ歩いて行っていた。そこに昨年睾丸が消失した時、夢の中で立ち去って行った男の子が迎えに来た。そしてふたりでバイバイして遠くに行ってしまった。そしてそれと入れ替わりにひとりの女の子がやってきて、青葉に向かってニコっと笑った。
 

翌朝、青葉は爽快に目を覚ました。かなり体力は回復している。母がベッドのそばで寝ていた。彪志はいったん帰ったということで、朝また出てくるのだときく。8時頃、松井医師がやってきて声を掛けてくれた。
 
「痛い?」
「はい。痛いです。これで痛くなかったら神経が切れてますね」
「うんうん。痛くて当然。でも平気そう」
「昨夜自分でかなりヒーリングしましたから」
「ほほお」
 
と言って医師はガーゼを外して傷の状態を確認する。
「・・・・これ普通の人なら3日くらいたった状態」
「普通じゃないもので」
「呆れた。でも一週間は入院してもらうからね」
「はい。おとなしくしてます」
「どういう、おとなしくだか」と言って医師は笑っている。
 
9時すぎに彪志が出てきてくれた。
 
「彪志、眠れた?」
「うん。ぐっすり。7時くらいに起きるつもりだったけど寝過ごした」
「別に誰も文句言わないから、ゆっくり寝てていいよ」
「でもそれが問題でさ。ひとり暮らししてると、そういうのも自分で戒めないと、どんどん怠惰になっちゃう」
「それが独立の第1歩ということだよね」
「そして青葉は女の子としての第1歩だね。昨日言いそびれたけど、おめでとう」
「ありがとう」
 
「しかし結局切っちゃう前に、青葉のおちんちん見られなかった」
「ふふふ。好きな人にそんなもの見せたくなかったしね」
 
「でもゆうべは凄いパワーを操ってたね」
「菊枝からパワーを分けてもらったんだよ。菊枝かなりパワーアップしてる」
「凄いのだけは分かった。俺はあまり役に立てなくてごめん」
 
「違うよ。彪志からパワーをもらえたから菊枝と交信できるレベルまで自分を回復できたんだよ」
「ああ、そうだったのか」
「彪志がいなかったら、昨夜はまだ菊枝と通信できなかったよ。朝になったと思う。あの時、ちー姉が凄く苦しんでたから、ちー姉を助けられたのも彪志のお陰だよ」
 
「じゃ、俺も役に立ったんだね」
「うん。物凄く助かった」
「良かった」
 
その日ずっと彪志と母で青葉のそばに付いていて「青葉が無茶しないように」
監視しつつ、あれこれおしゃべりしていたが、青葉がとても元気なので彪志はいったん帰ることにする。夕方のはくたかで帰ることにし、朋子が駅まで送っていった。
 

その日、青葉は自分のヒーリングを少し進めると、携帯で桃香に掛け、千里のお腹の上に携帯を置いてもらって千里のヒーリングも進めた。だいたい自分を1時間ヒーリングしたら、30分休んでから千里を1時間ヒーリングし、1〜2時間休む、くらいのサイクルで作業を続けた。千里の方も回復が速いというので、向こうの医師に驚かれているということであった。
 

午後5時頃になって、美由紀と日香理が美由紀のお母さんと一緒にお見舞いにやってきた。ちょうど彪志と入れ替わりになった。
 
「やっほー」と青葉が元気そうに手を振ると
「もう大丈夫なの?」と訊く。
 
「うん。痛みはまだかなり凄いけど、私は元気」
「大手術の後だから、まだ苦しんでるかと思ったよ」
 
「彪志君は?」
「ちょうどさっき帰ったんだよ。あ、そこの引き出しの中に彪志から美由紀たちへのお土産の東京ばな奈入ってるから、持ち帰って明日学校で分けて」
「わあ、ありがとう。気が利く彼氏だねえ」
 
「ごめんね、私が取ってあげられたらいいんだけど、さすがにまだ身体が動かないから」
「いや、青葉なら手術の直後にひとりで歩いて病室まで戻ったりしないだろうか、なんて話もしてたんだけどね」
「私も、さすがにそこまで化け物じゃないよ」
 
「でも、とうとう女の子の身体になれたね。おめでとう」
「ありがとう」
「やっぱ、嬉しい?」
「とっても嬉しい」
 
「でも手術中麻酔掛けられて寝ている間とか、何か夢見た?」
「あ・・・・私、手術の様子を見たいってわがまま言って、下半身麻酔でやってもらって、ずっと手術の進行を見てたのよ。執刀医の先生とおしゃべりしながら」
「はあ・・・?」
「こんな大手術を下半身麻酔だけ??全身麻酔じゃなかったの?」
「うん」
「で、自分が手術されるところを見てたの?」
「うん。鏡設置してもらって」
 
「信じられない!」
「やっぱり青葉は化け物だよ」
「自分の身体が切り刻まれていくの見てて、気分悪くなったりしないの?」
「私、血見るの平気だし。麻酔掛かってたら切られても痛くないから、ほとんど他人の身体見てるみたいなもんだし」
「あり得なーい」
 
「じゃ、おちんちん切り落とされる瞬間とかも見てたの?」
「うん。やったーって叫んじゃったよ」
「私、青葉のこと理解してるつもりだったけど、さすがの私にもその感覚は理解できない」
 
「だって私を15年間苦しませたものが無くなったんだもん。感激の瞬間だよ」
「確かにねぇ。青葉にとっては、おちんちんって、できものとかイボとかに近い感覚だったのかなあ」
 
「ああ、近いかもね。むしろ目の前のたんこぶ。ただの邪魔物だったもん。それよりやっかいなのは、そんなものが付いてたことで、私しばしば男とみなされてたからね。なんで〜、私は女の子なのにって、そういうストレスと15年間戦ってきたから」
「ああ、それは辛かったよね」
 
「でもこれで私も完全に女の子になれたから、のびのびと生きるんだ」と青葉。「既にのびのびと女の子してたよね」と日香理。
「うん、してた」と美由紀。
「そうだったかな?」
 
学校が夏休みに入った21日には大勢のクラスメイト(大半が女子だが一部男子も)がお見舞いに来てくれて、賑やかな病室となった。あまり騒いでいて、婦長さんから注意されるほどだった。
 

青葉の回復がひじょうに速いので、退院は予定を1日繰り上げて7月24日と決まった。その前日、23日に冬子がわざわざ富山までお見舞いに来てくれた。
 
「元気そうで安心した」と冬子。
「昨日あたりから暇なんで、けっこうベッド抜け出して病院の中を散歩してたんだけど、取り敢えず寝ておこうかって注意された」と青葉。
 
「私は去年性転換手術した時、退院の日が来ても、立つのがやっとって感じだったよ。手術の後、数日痛みに苦しんだしね」
「まあ、ふつうはそうだよね。政子さんが付いてってくれたんでしょ」
「そうそう。こういう時、恋人がそばに付いててくれるのは心強いよね」
「うん。私も彪志のおかげで凄く助かった」
 
「でも性転換した後、それまでの恋人と別れちゃう人って、凄まじく多くない?」
と冬子。
 
「それは仕方ないよ。結局、男の身体のその人が好きだったんだから、身体が女になっちゃって、愛し続けられる人は少ないよ。政子さんはそういう意味で冬子さんにとって、とても素敵な存在だったね」
「うん。政子の場合は元々ビアンの傾向があったから、男の私より女の私の方が好きだったんだ」
 
「うちのちー姉と桃姉もそういう関係だから、たぶんあの2人は手術後も別れないだろうと思ってるんだけどね」
「彪志君はどうだろうね?」
「捨てられたらその時だけど、私は捨てられないことを信じている」
「私も信じてるよ」
「ありがとう。体力回復したら、愛の女神様にお礼参りに行ってこなくちゃ」
 
「神様にお礼参りか・・・・そうそう。政子と3月に九州に行った時、宮島がもう暗くなっててお参りできなくて、再訪する約束をしてね。来月の新曲キャンペーンで全国回る時に、広島の後に時間を作れるようにしてもらって、行ってこようと思ってるの」
 
「ああ、それなら、宮島だけじゃなくて三大弁天様と弁天様の元締めの所にも行くといい」
と青葉は言った。
 
「弁天様って、えっと・・・・」
「宮島というか厳島(いつくしま)神社に祭られているのは、宗像(むなかた)の三女神といって、それが仏教の弁天様と同一視されている」と青葉。
「ああ。それは聞いたことあるような」
 
「三大弁天というのは、宮城県の金華山の黄金山(こがねやま)神社、琵琶湖の中に浮かんでいる竹生島(ちくぶじま)の都久夫須麻(つくぶすまじんじゃ)神社、そして広島の宮島にある厳島神社。3つとも船で渡らないといけないんだよね」
「へー」
 
「それと弁天様というか、宗像三女神の元締めは福岡県の宗像大社だから、そこにも行った方がいい。政子さんとの結婚の報告なんでしょ?」
と青葉は言った。
 
「ちょっと!なんで知ってるのさ?」と冬子は驚いて言った。
「部屋に入ってきた時、『マーサと結婚したことは黙ってよう』という心の声が聞こえたよ」
 
「もう。。。。青葉には絶対嘘つけないんだな」
「クライアントの秘密は守秘義務があるから大丈夫だよ。その腕に付けてるブレスレットが、結婚指輪代わりなのね?」
「そこまで分かるなんて。そう。これおそろいのを買ったんだよ」
 
「おそろいのか・・・・・私もそういうの欲しいな」
「ふつうに結婚指輪すればいいじゃん。私と政子は結婚指輪できないから、これにしたけど」
「私と彪志は、結婚できるの10年先だもん」
 
「10年か・・・・私も正望の方とは結婚できるのたぶん10年以上先」
「弁護士もお医者さんも、資格取ってまともに活動できるようになるまでに掛かる時間が長すぎるよね」
「ほんとだよね。でも10年待つのが辛かったら、婚約の印をふたりで持てばいいのよ」
 
「うん。エンゲージリングとかはふだん付けていられるものじゃないから、もっと日常使えるものがいいよね。冬子さんも正望さんと、そういう品を何か持ったら?」
「あ、それは考えてみたい」
 

退院する予定の24日。和実がその翌日に性転換手術を受けるために入院してきて、青葉の隣の部屋に入った。早速お見舞いに行く。淳と胡桃も来ていた。
 
「いよいよだね。でも、手術しちゃったら、とっても調子よくなるから頑張ってね」
「うん。まだ少しどきどきしてる」と和実。
「私は今日で退院だけど、明日も夕方からこちらに来て、手術終わったらすぐヒーリングしてあげるから」
「それ、期待してる。私、退院した後の予定が詰まってるから」
「今度は店長さんだもんね。頑張ってね」
「うん」
 
「だけど一週間前に青葉自身が性転換したばかりだと、とてもヒーリングしてくれるまでの余力無いかとも思ってたんだけど、元気そう」
「自分をしっかりヒーリングしたもん」
「やっぱり青葉は超人だよ」
 
「でも不思議だよね−。結局あの後、和実の子宮って一度も透過映像に写らないんでしょ」
「そうなんだよね。もっと頻繁に写るものかと思ってたんだけど」
「やはり女体化のタイミングって、凄くわずかの時間なんだろうね」
「それかやはり子宮があるように見えるのは間違いなのか」
 
「間違いで3回も写真に写ったりしないよ」
「そうかなあ・・・・」
 

25日は朝から学校に出て行き1学期の通知簿を小坂先生から受け取った後、コーラス部の部室に顔を出した。
 
「わあ、退院おめでとうございます」
「歌える?」
「さすがに今日は無理! まだお腹に力が入らないし」と青葉。
 
「川上さん、あなたの名前は一応メンバー表には入れてるからね。部長だし。名古屋までは行く?休んでる?」と寺田先生。
 
「一応付いて行きますね。そのくらいの体力はありそうなので」
「じゃ、表彰台で全国行きの切符を受け取ってね」
「ええ、そのつもりで行きますから、みんな頑張ってね」
 
歌唱に参加する人数は35人だが、課題曲と自由曲で15人まで入れ替えることが可能になっている。つまり最大50人まで連れて行くことができるので、先生としてはその枠の中に青葉を入れておいて、実際の歌唱に参加させるかどうかはその時の青葉の体調を見て決めようと考えていた。
 
「葛葉〜、ソロの仕上がりはどう?」と青葉。
「先輩。自信無いです〜」と葛葉。
 
しかし実際に練習を聴いてみると、葛葉はソロパートをほんとにしっかりと歌っている。これなら大丈夫だな、と青葉は安心した。
 

25日はタイのほうで千里も病院を退院した。桃香が付き添ってその日の飛行機で帰国する。そして成田からそのまま富山に連れて来た。
 
千葉のアパートで休ませてもいいのだが、どうせ大学も夏休みだし、青葉のいる富山の方が、千里の体力回復も速いだろうということで、8月いっぱいはこちらで過ごさせることにしたのである。
 
「ちー姉、思ったより顔色がいい」
「青葉のおかげだよ。でもタイからここまでの旅はしんどかった」
「今日は取り敢えずゆっくり寝るといいよ。明日からヒーリングしてあげるから」
「ありがとう。青葉の方は調子どう?」
「私はいたって元気」
「でも無理しないでね」
「うん。岩手行きも8月いっぱいは休止。今さすがに霊障相談までやる体力は無いよ」
「青葉もゆっくり休まなきゃ」
 
「そうそう。これタイのおみやげね」といって桃香がイヤリングを取り出した。「わあ、きれーい」と青葉が声をあげる。
 
それは青い石を三日月型にカットしたものが、銀色の小さい星形のプレートにぶらさがっている、大人っぽいイヤリングであった。三日月の下には赤い小さな丸い石もおまけのように付いている。
 
「中学生に贈るなら、もっと可愛いのがいいかとも思ったんだけど、青葉ならむしろ大人っぽいのがいいかなという気がして」と桃香。
「うん。こういうの好き。ありがとう」
 
「プレートが星、本体が月、そして下の赤い石が太陽で日月星の組合せだという口上で。確かにそんな気もしたから、神秘的な物の好きな青葉に合うかなとも思って。石の名前は分からん。売ってた店の人は青い石はブルースピネルで赤い石はルビーだと言ってたんだけど、スピネルにルビーなら、もう少し値段が高い気がしたんだ」と桃香。
「青い月の形の石はブルークォーツだよ」と青葉。
 
「ああ。クォーツか」
「ブルークォーツは熱処理で青を発色させたものが多いんだけど、これは珍しい天然のブルークォーツっぽい」
「へー。それでか。いや、クォーツにしては少し高めだと思ったんだが、天然物だから高かったのか」
 
「うん。スピネルは普通この形にはカットしないよね。もったいないもん」
「ああ、それは私も思ったんだ」
 
「小さい方がスピネルだよ。レッドスピネル」
「ああ、そちらがスピネルであったか」
「でもきれいな色合いだよね。これも熱処理されてない」
「スピネルって熱処理するんだっけ?」
「昔は熱処理されてるのがルビー、されてないのがスピネルって言ってたんだけど、最近はスピネルでもやるんだよねー。オレンジ色のスピネルがきれいな赤に変身する。でも熱処理されてる石は、私にはすぐ分かる」
「ほほお」
 
「桃姉だって、着色されたニンジンとされてないニンジンの差は分かるでしょ?」
「あ、私は分からん。千里は分かるみたいだが」
少しきつそうな顔で横になって会話を聞いていた千里が吹き出した。
 
青葉はしばし石の美しさを堪能した上で、イヤリングを自分の耳に取り付けた。
 
「うん。大人っぽい」
「お母ちゃん、写真撮って」
「はいはい」と朋子は笑顔で青葉の携帯で写真を撮った。
 

千里を休ませてから、母の車で病院に行き、和実のお見舞いをする。青葉が行った時は、ちょうど手術が終わり、病室に戻ってきてすぐで、まだ和実は麻酔で寝ているところであった。
 
青葉はさっそくヒーリングを始めた。ヒーリングしながら、淳や胡桃と話していた所に松井医師が見に来てくれた。
 
「おっ。ヒーリングやってるね。でも自分がヒーリングしてもらわなきゃなくなるほど無理しないでね」と松井。
「自分自身のヒーリングと交替でしてます」と笑顔の青葉。
 
「今寝ているからいいけど、目が覚めたらたぶんかなり痛いと言うだろうから鎮静剤を処方してもらうから」
「お願いします」
「和実ちゃんの手術も凄く楽しかったよ」
「そうですか」
「青葉ちゃんの手術ほどじゃなかったけどね。青葉ちゃんの手術みたいなのは私も二度と経験できないだろうな」
 
「手術されてる患者と執刀医が楽しくおしゃべりしながらとか、普通あり得ないですよね」
「全く。もう一回青葉ちゃんのおちんちん切ってあげたいくらい」
「残念ながら、おちんちん無くなっちゃったので、もう切れないです」
「ほんと残念。あ、淳さん、あなたもおちんちん切ってあげようか?今9月なら予約入れられるよ」
と松井医師は淳に声を掛ける。
 
「あ、済みません。今大きな仕事を抱えてるんで、それが片付かないと、手術受けて休んでいられないので」と淳は慌てたように言う。
「女性のSEさんにお願いしますと言われて、女装で仕事してるって件ですよね?」
「そうそう。それで私、会社にも女装で出て行くようになって完全フルタイムになっちゃった。タックも常時になったし。バストももう男装できないようなサイズにしちゃったし」
 
「おお、それはめでたい。じゃ、その仕事が完成したら、お祝いに手術してあげようか?そしたら結果的に本当の女性SEさんがした仕事になる」と松井。
「えっと、片付いてから改めて考えさせてください」
「あら、考えてたら、すぐ次の仕事が始まっちゃうわよ」
「うーん。。。」
松井は本当に手術がしたくてたまらない感じだ。
 
「和実ちゃんとの間に子供作りたいなら、精子は冷凍しとけばいいじゃん」
「あ、その冷凍はお願いできますか?私の手術の方は置いといて」
「あ、いいよ。何なら明日にでも取り敢えず1本取ろうか? 今夜タック外してたら、たぶん明日は採取できる」
「あ、じゃ外します」
と言って、淳は部屋付属のトイレに入る。
 
青葉はふと思い出したように松井医師に尋ねた。
「そうだ。私と同じ日にタイで義理の姉がSRS受けたのですが、彼女のメンテこちらでお願いできますか? 8月いっぱいは富山にいるので」
「いいよ。いつでも連れておいで。お姉さんのSRSって、MからF? FからM?」
「MからFです。20歳過ぎてるから、すぐ法的な性別変更できるんですよね。それだけが羨ましい」
「ほんと、青葉ちゃんはそれだけは5年我慢しないといけないからね」
 

7月26日から28日までの3日間は、青葉はコーラス部に出てはいったものの、実際の練習には参加せず、見学していた。学校の後、母の車で病院に行き和実のヒーリングをする。そして自宅に戻ると、千里のヒーリングをした。
 
「あんた結局忙しい生活になるんだね」と朋子。
「忙しくしてないと落ち着かないのよね。貧乏性なんだと思う」と青葉。
「あんた自身の調子はどうなの?」
「あ、いたって元気」
「ほんとに〜?」
 
母はそういう青葉の言葉は100%は信じてない感じであった。
 

29日は朝からコーラス部のみんなと一緒に名古屋に行き、合唱コンクールの中部大会に参加する。ソロを歌う葛葉は会場に着いてもまだ不安がっていたが、会場裏の広場で1度練習し「ちゃんとできてる」とみんなから言われると、何とか頑張ろうと言っていた。
 
去年も思ったが、やはり中部大会ともなると参加校のレベルが高い。みんなも会場内の座席に座り「うまいねー」「すごいねー」などと言いながら他の学校の演奏を聴いていたが、こちらもやはり昨年全国まで行った自負があるので、精神的には余裕があった。ただひとり葛葉を除いては!
 
そしてやがて出番になる。青葉は結局歌唱への参加は見送ることにしたが、ステージ脇までは付いていく。まずは課題曲を歌うメンバーがステージに上がり、2年の子のピアノ、寺田先生の指揮で歌唱が始まる。葛葉ももちろんソプラノのメンツの中に入り、みんなと同じ旋律で歌う。ソロで歌うのは自由曲である。
 
やがて課題曲を歌い終わって、自由曲とのメンバー入れ替えで10人ほどの部員が下がろうとした時のことであった。
 
突然ソプラノのいちばん前の列に立っていた葛葉が崩れるようにして倒れた。え!?
 
指揮台の所にいた寺田先生が慌てて駆け寄る。反射的に青葉もステージ脇から飛び出して、葛葉のそばに寄った。
 
「おなか・・・・痛い」と葛葉は苦しそうにしている。
青葉は葛葉の腸の付近を大至急ヒーリングする。ちょっと炎症が起きている感じだ。食当たりなどの類ではないようだが、10秒で治りそうにも思えない。
 
進行係の人が心配そうに近づいてくる。
「どうですか?」
緊急事態なので係の人も待ってくれているが、さすがに何分も進行を止める訳には行かない。寺田先生は決断を迫られた。
 
「○○さん、○○さん、○○さん、松本さんを医務室に運んでくれない?」
と、課題曲を歌ったあと交替で下がることになっていた2年生部員3人に頼む。
「分かりました」
3人が寄ってきて葛葉を抱えて舞台袖に下がる。
 
「川上さん、ソロ歌える?」
「私が歌うしかないですよね」と青葉は答える。
 
「体力が足りないんです。ソロのところまで私、しゃがんでいます。歌い終わったら、またしゃがみます」
「うん。それでいい」
 
進行係の人にお詫びをし、その後会場に向かっても先生がお詫びの言葉を言ってから演奏を開始することにする。混乱があったので、副部長の美津穂がステージに並んでいる人数を再度数えて35人であることを確認した。万一人数が規定外になっていたら失格になる。
 
美津穂が「確かに35人です」と報告したのを聞いて寺田先生はピアノの子に合図を送り、指揮を始めた。むろん寺田先生もちゃんと人数を数えたのだが、こういう時は複数の人間で確認した方がいい。青葉が最前列でしゃがんでいるので、少し会場にざわめきがある。しかし部員たちは非常事態が起きたおかげでかえって適度の緊張ができたようで、しっかりと歌を歌っていった。
 
(入れ替えは予定通り12人交替したのだが、葛葉の代りに青葉が入ったので過不足は生じてないのであるが、みんなそこまで考える余裕はさすがに無かった。なお交替人数は念のため15人と届けていたので13人の交替は問題無い)
 
やがてソロパートが近づいてくる。青葉はようやく立ち上がり、精神を集中した。ソロを歌う1分48秒の間だけ歌うための体力が出ればいい。そう青葉は考えた。
 
自分の出番だ。青葉は全力で声を出した。うん。調子良い。ぴたりと音程もリズムも合ってる。実際問題として声を出したのは手術を受ける前日、17日以来12日ぶりだったので、さすがの青葉も少し不安があったのだが、ちゃんと歌えている。
 
ソロパートはみんなの歌唱と調和しながらどんどんクライマックスへと進んで行く。そして青葉の歌は最高音の F6 に到達する。その音を聞いて会場から「わぁ」
という感じの溜息のような反応。F6 を 3回出して、ソロパートは終わりに向かう。
 
歌いきった! 青葉はそう思ったとたん、倒れてしまった。さすがに寺田先生がびっくりするが、青葉は倒れたまま、先生やみんなに笑顔で手を振る。みんなも一瞬ビクっとしたものの、青葉が笑顔なので、そのまま歌い続ける。ソロ部分が終わってから1分半ほどで演奏は終了した。
 
会場に挨拶した上で、美津穂や日香理たちが青葉のそばにより、抱えるようにして退場した。
 
「大丈夫?」
「うん。何とか」
「でも、青葉の歌、今日はすごい調子良かったね。高音がのびのびと出てたもん」
と日香理。
「ほんと?今日はさすがに自分でもどう歌ってるか分からなかったよ。でもそんなに高音出たのは、やっぱり女の子の身体になったからかな」と青葉。「ああ、それはあるかもね」と日香理も笑顔で言った。
 

青葉は1-2分休んだだけですぐに体力を回復し立ち上がることができた。青葉が大丈夫そうなので寺田先生と副部長の美津穂は一緒に葛葉の方を見に走って行った。
 
結局葛葉の腹痛の原因は不明であった。精神的なものでしょうかねぇ? と医師も言っていたが、20分ほど医務室のベッドで寝ていたら回復し、立ち上がることができるようになった。「ほんとに、みんなごめんなさい」と申し訳ないという顔で謝っていた。
 
青葉たちの演奏から1時間弱ほどして、全ての学校の演奏が終わった。10分ほどの休憩の後、成績発表となる。
 
3位は△▽中学であった。昨年1位となったものの在校生ではない子が歌っていたとして涙の辞退となった中学であったが、見事に昨年のリベンジを果たした。
 
2位は今年中部大会に初参加となった**中学が射止めた。物凄い歓声があがりなかなか止まらないので、係の人に注意される。青葉たちはふと去年の自分たちにその姿を重ねて微笑んだ。
 
そして1位。青葉たちの◎◎中学の名前が呼ばれた。青葉は隣にいた日香理、美津穂と抱き合い、後ろの席にいた葛葉の頭をゴシゴシとした上で握手した。
 
表彰式になる。3位の学校から表彰される。昨年は府中さんが最初に表彰の台に上がったんだった。青葉はそれを微笑んで見守った。次に2位の学校。代表の子がもう120%の笑顔をしている。こういう顔を見るのは気持ちいい。そして自分たちの学校の名前が「優勝」という単語とともに呼ばれる。
 
青葉はステージにあがり、理事さんから1位の表彰状を受け取った。表彰状を渡した時に理事さんが小声で「大変だったみたいだけど頑張ったね」と言った。「ありがとうございます」と笑顔で言って青葉はステージを降りた。
 

青葉はホールを出たところで少し隅の方に行き「こちら中部大会1位通過」と椿妃・柚女にメールをした。すると椿妃からは「東北大会2位通過」、柚女からは「東北大会3位通過」という返事が来た。「おめでとう。来月東京で」とお互いにメール交換する。
 
携帯の電源を切って、みんなが集まっている方に行ったら、日香理から「椿妃たちは東北大会2位だったって」と言われた。「うん。私も今椿妃とそれメール交換した」と言って微笑んだ。
 
「だけど、川上さんも凄かったね。今日の歌はちょっと神がかってたよ」と先生。「そんなに凄かったんですか?」と青葉。
「高音ののびがグレードアップしてた」と美津穂も言う。
「あれかな。共鳴孔がひとつ増えたせいじゃない?」と三年の男子が言い、隣に居た女子からパンチを食らう。
 
名古屋までコーラス部のメンバーと一緒に来てくれていて、昨年はみんなに自腹でアクエリアスをおごってくれた教頭先生は、今年はみんなにハンバーガーとコーヒーのセットをおごってくれた。
 
「先生、お金大丈夫ですか?」と2年生の子が教頭に言うが
「優勝だからね。奮発しなきゃ。もし全国大会で5位以内に入ったらみんなにステーキを御馳走するよ」
と教頭は言う。
「先生、それ言ったことを後悔しますよ」と3年生の子。
「構わん、構わん、うちの母ちゃんから僕が責められるようにしてくれ」
と教頭は笑顔で言っていた。
 
(去年は教頭先生は全国大会10位以内だったというので、みんなにケンタッキーをおごってくれたのである)
 

中部大会が終わってJRの特急で高岡に帰還、駅からは母の車で深夜に帰宅した青葉は、自宅で意外な人物の姿を見た。
 
「菊枝!」
 
母が紅茶を入れてくれて、3人で菊枝が持って来てくれた高知のお菓子を頂く。千里と桃香はもう寝ている。
 
「わあ、中部大会優勝なんだ。おめでとう」
「私の代わりにソロ歌う予定だった子が倒れた時はもうどうしよう?と思ったよ」
「よく青葉歌えたね。見た感じまだ体調20%くらいでしょ?」
 
「そんなもの。まだお腹に力が入らない。神がかってたとか言われたけど、自分では無我夢中で、どう歌ったかも分からない。歌いきった所で倒れたし」
「その状態だから、青葉のフルパワーが歯止め無しに出たんだよ。倒れたというのはほんとに全力使い切ったんだね。青葉のパワーをそんな短時間に集中して出したら、そりゃ神にもなるよ」
 
「でも葛葉、何とかしないと。来年は頑張ってもらわないといけないからなあ」
「本番に弱い子っているのよね。青葉は逆に本番に強い子だもん」
「うん。精神的なものだよね」
「心のヒーリングが必要って感じだね」
「でも、そういうのは本人から希望されない限り、勝手にできないし」
「場慣れさせるしかないね。経験積むことで、自信も出てくる」
「そうだよね」
 
母が思い出したように、先日和実からもらった東京のお菓子も出して来た。青葉は今日はさすがに疲れていたので、甘い物がどんどん進む。
 
「でも、こちらに来るの、すっかり遅くなっちゃった。すぐお見舞いに来ようと思ってたんだけどね。色々抱えてたからすぐは来れなかったのよ」と菊枝。「ありがとう。手術当日も菊枝のおかげで急速ヒーリングできたし」と青葉。
 
「お母さんから手術の時刻は聞いてたから、終わって麻酔から覚めただろうと思う頃合いに念を送り始めたんだけど、最初全然反応無かったのよね」
「あ、私は麻酔は下半身麻酔だけでやったから。全麻じゃなかったんだ」
「はあ?」
 
菊枝もその件は初耳だったようで、手術の様子を自分で見たいと言って下半身麻酔にしてもらったと青葉が説明すると
「私だって、そんなことできないよ。よく自分が切り刻まれるの見てて平気だったね」と呆れた様子。
 
「血見るのは平気だし」
「負けた〜。私、初めて青葉に負けたと思った」と菊枝。
「でも菊枝は性転換手術は受けないだろうし」
「そうだね。私は女やめる気無いし」
 
「でも、やはり手術直後は凄まじくパワーが低下してたよ。だから菊枝に呼びかけられても反応できなかったんだろうね」
「ああ、そうだろうね」
 
「彪志が手を握ってくれたら、彼からパワーが流れ込んできて。それで菊枝の念を受信できるところまで回復させられたんだ」
「あんたたち良いコンビみたいだもん」
「彪志がAPU(航空機の始動エンジン)になってくれて、菊枝がメインエンジンになってくれて、あの日のヒーリングはできたという感じだった」
 
3人で30分ほどおしゃべりしてから、もう寝ましょうということになる。菊枝は青葉の部屋に泊めることにしていた。母が先に布団をふたつ敷いてくれている。
 
「菊枝はどこに行くのにも車で行ってるね」
「うん。のんびり車中泊の旅。疲れたら疲れた所で寝ればいいから楽だよ。ホテル予約してたら、そこまで到達しなきゃいけないじゃん。結果的に無理しちゃうもん」
「確かにそれあるなあ。私も免許取ったら車中泊の旅しようかな」
「彼氏に会いに行くのにね?」
「えへへ」
 
「じゃ、そろそろ寝ようか」
「青葉、裸になりなさい」
「うん」
 
青葉は素直に服を脱ぎ、下着も脱いで、完全に裸になった。
 
「きれいに女の子になれたね」
と言って、菊枝は青葉のお股をのぞき込み、指で触ったりもしている。
 
「でも切っちゃう前の青葉のおちんちんを見たのは、私と彪志君だけかもね」
「あ、彪志には見せてない。2度触らせたけど」
「見せてあげれば良かったのに」
「好きな人にそんなの見せられない」
「ふふふ。ヴァギナの感じはどう?」
 
「うん。感激。でもまだ詰め物してるの」
「私は男じゃないから、そこは使わないから大丈夫」
と言って、菊枝も服を脱いでしまう。
 
わあ、まぶしいと思う。でも今は自分もこれと同じような身体になれた。
 
「さ、青葉ちゃん、今夜は私と甘ーい時間を過ごそうね」
「お手柔らかに」
と青葉は微笑んで布団の中に入る。菊枝も同じ布団に入り、しっかり青葉を抱きしめた。身体を抱きしめられるのと同時に菊枝のオーラでも包まれる。とても心地よい。一瞬で疲れが取れていく感じだ。菊枝が小声でささやく。
 
「青葉、かなり無理してるだろ? だめじゃない。自分がまだこんなに弱ってるのに。他人のヒーリングどころじゃないよ、この身体では」
「ごめん・・・」
「今夜は、やれる範囲のヒーリングしてあげるから」
「ありがとう」
「寝てるといいよ。その間にずっと癒やしてあげる」
「うん。寝る」
 
「いい夢見れるといいね」
「彼氏の夢見ちゃおうかなあ」
「今日は私が青葉を独占してるから、彼氏の所には行けないねー」
 
「ああ、私まだまだ菊枝にパワーで負けてるからなあ」
「私に追いつけるくらい頑張りなさい」
「うん。頑張る」
「でも今日はゆっくりおやすみ」
「うん。おやすみ」
 
青葉はとても優しい菊枝のヒーリング波動に包まれながら、すやすやと眠りの世界に落ち込んでいった。
 
前頁次頁目次

1  2  3 
【春声】(3)