【春夢】(1)

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これは青葉の中学2年5月の物語で、「春光」および、「寒梅」ラストのあと、連休明けからから始まる。「クロスロード」の1ヶ月前になる。
 
連休明け、高速バスで関東から北陸に戻った青葉は、そのまま学校に出るつもりだったのだが、旅行の荷物を持ったままでは大変でしょ?という母がバス停で待機していてくれたため、旅行の荷物はお土産ごと母に渡し、学生鞄のみの軽装備で学校に出ることができた。そういう配慮をしてもらったことが嬉しくてバス停でまた青葉は泣いてしまったのであるが。
 
学校に着き、教室に入っていくと、日香理が机に突っ伏して寝ている。トントンと肩を叩いてみた「おはよう」「あ、青葉?もう少し寝せて」と寝たまま答える。「夕べ遅く東京から戻ったから眠くて眠くて」
「あ、私も今東京から戻ってきた所。朝着く高速バスで」
「きゃー、眠くない?」
「ううん。疲れてたからか、バスの中で爆睡してたから、それで疲れが取れたみたい。あまりにも深く寝てて危うく乗り過ごす所だったけど」
「あはは、それは大変。そうだ。昨夜の夢の中に青葉が出てきたよ」
「そ、そう?」
その件については青葉は『少し』覚えがあった。
 
「青葉がなぜかヌードでさ、おっぱいがFカップくらいあって」
「わあ、そんなにあったら少し邪魔かも」
「私もDくらいで充分かなあ」
「あれ?なあに、このチラシ群は?」
「途中の道の駅にあったの何となくバッグに入れておいたの、ついそのまま学校まで持って来ちゃった」
「へー」
 
どうも長野県の道の駅で拾ったもののようである。青葉は何となくチラシを見ていたが、やがて1枚のチラシを見て「あっ」という声を立てた。
「どうしたの?」「いや、知り合いが載ってて・・・」
 
そこには「橋元劇団・座長襲名公演8月20日より開演・○○観光ホテル」という文字があり、嵐太郎の藤娘の扮装の写真が出ていた。携帯のWWW機能を使って検索を掛けてみると嵐太郎は今週の水曜日11日に仙台で「東北大震災復興祈願・橋元嵐太郎座長襲名記念公演」と称して公演をするのを皮切りに、座長襲名公演をあちこちでやるようだ。
 
むくりと日香理が起きてきた。「知り合いって・・・その大きく載ってる女の子?」
「うん。以前同じクラスになったことあるんだ」
「可愛い子ね。でも男の子みたいな名前。そういう芸名?」
「いや、男の子だよ。女形なんだ」
「え〜!?嘘。凄い美人なのに」
「女装は少し私も指導した。スカート穿いたこと無いと言ってたのを穿かせて町を連れ回したりしたよ」
「おお、そういう現場にいたかったなあ。やはり美少年にはスカート穿かせなきゃ」
BL好きの日香理らしい発言である。
「座長になるなら、祝電と。。。花束でも贈ってあげようかな」
 
青葉は初日の公演の場所を再確認すると、すぐに携帯から祝電と花束を嵐太郎に贈ってあげた。贈る時に、こちらの電話番号を指定しなければならなかったので、青葉は自分の携帯の番号を入れた。(住所は元の岩手県の住所を書いておいた)。翌日嵐太郎から電話が掛かってきた。
 
「よかった。。。青葉、生きてたんだね。立派な花束ありがとう。でも3月11日以降夢にも出てきてなかったから、ずっと心配してたんだ」
「ありがとう、ラン。私は無事。姉ちゃんも両親も死んじゃったんだけどね」
「それは・・・・何と言ったらいいのか・・・・・辛いだろうけど頑張ってね。あ、被災者の人に安易に『頑張って』と言うなとは言われたけど、青葉なら大丈夫だよね?」
「うん。大丈夫。私、励まされたほうが嬉しい」
「何かの時には僕を頼ってもらってもいいし。今どこにいるの?まだ大船渡?震災直後に葉書は出したんだけど宛先不明で戻って来てたんだ」
 
「今、縁があって伏木ってとこにいるの」
「富山県の?」
「よく知ってるね」
「公演で行ったことあるから。凄く奥の深い港で大きな橋があるよね」
「うん。ちゃんと覚えてるんだ、凄い」
「青葉と会う前だなあ。小学3年生頃」
「へー」
「行った所は全部覚えてるよ」
 
「各地でできた恋人もみんな覚えてる?」
「あはは。まあね。誕生日くらいは言える。でも今でも好きなのは青葉含めて3人だけだよ」
「私ひとりと言わない正直さは評価してあげる」
 
「青葉、僕の夢の中に何度も出てきたし、迷ってる時にアドバイスくれたりもしたし。去年なんかも親父が倒れて、他の劇団から合併を打診された時とか、ほんとに迷ったけど、夢の中の青葉に言われて僕が中心になって頑張ることにした。ああいうのって、僕が勝手に夢に見てるんじゃなくて、青葉がほんとに助言してくれてる気がしてるんだよね」
「・・・まあね・・・」「やはり」
 
実は青葉は夢の中で勝手に(半ば無意識に)他人の夢を訪問してしまう癖があった。ただ相手はかなり相性のいい友人に限られる。
 
千里、早紀、咲良、椿妃、などはその常連の被害者で、美由紀、日香理、も会ってから間もないのに既に各2度ずつ侵入している。実は連休明けの日も確かに日香理の夢に侵入した覚えがあった。
 
嵐太郎も実はそういう被害者メンツの一人だったが、千里や早紀たちほど頻繁ではなく、年に数回程度である。
 
「そんなだから葉書の返事もらえなくても、ずっと青葉のこと好きだった」
「ありがとう」
「でもさ・・・」
「なに?」
「青葉、声が女の子のままなんだね?夢で聞いてる声と同じ」
 
「ランには言ってなかったなあ。実はランに会った時期の少し前に、私実質的に去勢しちゃってたのよね。だから私声変わりはしないよ」
「そうだったのか・・・・だから当時も男の子的な要素が全く無かったのか。当時も今もだけど、僕はやはり青葉のこと、女の子としか思ってないよ」
「それも、ありがとう」
 
「あ、住所教えてよ。また絵はがき出すから」
「いいよ」
といって青葉は住所を教えてあげた。
「じゃ、今度からは私も返事出すよ」
「わあ」
「ただし気が向いた時だけ」
「うん。それで充分」
「それと、この電話番号、時々掛けてもいい?」
「いいよ。時々なら」
「じゃ、時々。あ、良かったら今掛けてるこの番号登録しておいてよ。僕の仕事用の携帯なんだけど」
「私のこの携帯も仕事用」
 
水曜日の学校が終わってから、青葉は朋子に伴われて、地元の大学病院の精神科を訪れた。こちらでジェンダークリニックを開いていると聞いたので、やはり近くのほうが受診に負担がないからというのでまず行ってみたのである。 
医師と臨床心理士からいろいろな質問をされた。最初どうにも話が噛み合わない。「性別に違和感を感じはじめたのはいつ頃から?」
「違和感というのは無いです。私は生まれた時からずっと自分は女の子だと思ってました」
「で、男の子だと思うようになったのはいつ頃から?」
「男の子だなんて思ったことないですけど」
「え?今男の子になりたいんじゃないの?」
「あの・・・・私MTFなんですけど。FTMじゃなくて」
「え!?」
 
青葉があまりにも完璧に女の子なので勘違いされたようであった。
 
「ごめんなさい。あなた、女の子にしか見えないもんだから」
などと女医さんが言いながらカルテを修正している。いや修正というよりはMTF用のカルテ原本を開いて、そちらに既に記入してしまっていた分をコピペしている感じだ。
 
青葉は予め自分史を詳細に書いてきていたので話はスムーズに進んだ。もっとも青葉の自分史は強烈だ。
 
・物心ついた頃から自分は女だと思っていた。
・幼稚園の頃、ずっとスカートを穿いていた。女子トイレを使用していた。・この頃から既に下着は女子用。髪も長くする。
・拝み屋をしていた曾祖母の仕事にしばしば同行していたが、そういう時は 巫女の衣装を着ていた。
・小学校に上がるが、先生から女子トイレの使用を認めてもらう。
 更衣室は専用の部屋をあてがわれる。身体測定はひとりだけ別に。
 友人はほとんど女子。遊ぶのもだいたい女子とばかり。
 アンケートを出したり会員登録する時は性別・女で登録。
・小学2年の時以来、学校にはスカートで通う。
・小学2年以降、水泳の授業にも女子用スクール水着で参加
・小学3年の時、タック(自己流)を覚えて、以後頻繁に行う。
・小学4年の時、体内の「気の波動」を女性型に転換させる。
 また男性器に「気」を流さないようにする。
・小学5年の時、睾丸の機能を停止させる。男性との恋を経験する。
 この頃から常時タックするようになる。
・小学6年の時、「気」の調整で女性ホルモンの分泌を活性化させる。
 乳房が膨らみ始めたのでブラジャーの使用を開始する。
・中学1年の時、授業中は学生服を着用するも通学やクラブ活動は女子制服 でよいと学校に認めてもらう。トイレは女子トイレ使用。更衣室も
 一応専用更衣室をあてがわれるが、実際にはしばしば女子更衣室使用。 コーラス部でソプラノに入る。
・中学2年。新しい中学で基本的に女生徒として受け入れてもらう。
 
※男物の服は小学1年の頃一時的に通学に使っていたのと中1の時に
 授業中だけ学生服を着ていたの以外では、着たことがありません。
 下着は男性用は1度も身につけたことがありません。
※男の子型の自慰の経験はありません。幼稚園の頃、何度か突発的な勃起の経験は あるものの、小学校に入った頃から勃起しないように自制を掛けていました。※第二次性徴が来る前にと睾丸機能を停止させたので変声はしていません。※身体の発毛はふつうの女子程度です。ヒゲは生えません。
青葉の自分史を見た医師は「君って、女の子になりたい男の子ではなくて、もう既に女の子になってしまった子、いや違うな・・・男の子に一度もならないまま女の子に育ってしまった子という感じだね」と感想を漏らした。
「フライングも甚だしいけど、残りはSRSと戸籍変更だけか」
 
今の学校から特別な扱いをしてもらっているため、できるだけ早くGIDの診断書を提出したいと言ったので、その日の内に血液検査や性器検査などもしてもらった。 
青葉の身体がどう見ても女性ホルモンをやっているようにしか見えないのに薬は飲んでいないと主張するので、ひょっとして精巣や副腎などに病変があるのではと疑われ、その検査もされた。
 
「病変とかは無いですが精巣がひじょうに小さいですね。最初無いのかと思った」
「はい。昔よりかなり小さくなったと思います。自分で機能停止させてから3年ほどたつので縮んでいるのかと」
「外傷を受けて機能不全になったケースで萎縮してしまったという事例はあるけどね。中には組織に吸収されて消失したケースもあるけど」
「ええ。その事例、医学関係の本で読んだので、吸収・消失というの狙ってます」
「ふーん。それは時間の問題という気もするね。でもペニスは縮んでないね」
 
「縮んだらヴァギナの材料として困るのでそちらは縮まないように調整してます。勃起性能はとっくに消失してるので勃起はできないですけど引っ張ったり広げたりして定期的に刺激を与えてます。タックするときもわざとギリギリ引っ張った位置で固定したりしてます。逆ダイレ−ションです」
「なるほど。それは続けた方がいいです」
「はい。でも中身は萎縮してて、ほとんど皮だけになってますよね」
「ちゃんとそれも認識してるんだね。海綿体組織もほとんど残ってない。あなたのSRSでは多分何も廃棄物が出ませんよ」
と医師は少し笑いながら言った。
 
「血液検査の結果を見ても完全に女性ホルモン優位ですね。これは通常の女性のホルモン量ですよ。女性ホルモン剤を飲んでいる人ではなかなかこういうきれいな数値は出ないです。ホルモン剤飲んでません、というのは本当ですね」
「私『生理』があるんです。出血とかするわけじゃないけど、その前後になると精神的に少し不安定になりますし、『生理』の少し前にお腹が痛くなったりします。黄体ホルモンと卵胞ホルモンの分泌のサイクルができているみたいです」
「へー。それは面白い」
 
「実は、病変もなく、半陰陽でもなく、女性ホルモン優位になって自然にバストが発達した事例というのが過去に1度、アメリカで報告されていることはされているのですよ。その人も体質が女性的になるように暗示を自分に掛けていたと言っていたらしい。ただこの事例『そんな馬鹿な』といわれてまともな医学雑誌には論文が掲載してもらえなかったようで、三流雑誌に取り上げられただけ。私は偶然にも訪米中にそれを読んでいたのだけどね。あなたのケースと似ているので、今あらためてあの事例は本当だったんだなと思うことができます。どっちみちこれは非常に稀な事例のようですね」とその医師は語った。
 
「性別適合手術を希望・・・・していますよね?」
「はい。希望します。できるだけ早く受けたいです」
「分かりました」といって医師はカルテに入力する。
「ただ、年齢的なものもあるからね」
「ええ、年齢的に許されるようになったら即受けたいです」
「お母さんは、その点はどうお考えですが?」
 
「この子を保護した直後くらいはこの子の姉たちとも、せめて18歳くらいになるまで待とうね、と言っていたのですが・・・・この子のあまりに完璧な女の子ぶりを見ていて、もう少し早くてもいいかな、とも思い始めた所です。そして現実に学校のご厚意で女子中学生としての生活がスタートしてみてやはり男性器がこの子の身体に付いていることが、物凄く大きな障害となっていることを再認識しました。それ以外はほんとに完全に女の子なのに、それがあるために、日々多大なストレスを受けるし、この子にしても周囲の人たちにしても、その配慮をしなければならない」
 
「だから私は思うんですよね。この子の意志が固ければ、そして対応してくれる病院があれば、できるだけ早く手術を受けさせてあげて、完全な女子学生として、やっていけるようにできないものかと。戸籍上の性別は20歳まで変更できませんけどね。それに」
 
「それに?」
「実際問題として、この子、おっぱいがあって下着姿になっても女の子にしか見えない状態だし声も女の子なので、それで中学に入った頃から友達にほぼ完全に女子と認めてもらって同級生の女子たちと垣根の無い交流をしてきているんですね。この子におっぱいが無かったらここまでみんなに仲良くしてもらえなかったんじゃないか、もう少しお互いに遠慮のある付き合いになってしまったんじゃないかと思います。やはり身体の問題って重要なんですよね。だからこの子が少しでも楽に生きていけるようにしてあげたいと思っています」
 
医師は頷きながらカルテに入力していた。次回は青葉の言うところの『生理』が近づく頃にあたるはずの一週間後に受診することになった。青葉の診察カードは性別Fで作ってもらったので、そのカードで他の科にも掛かれることになった。 
5月の連休に高知の菊枝の家に行ってきた時、青葉と菊枝は資料館データベースのコピー(ハードディスク5台)を、過去に青葉・菊枝の双方が関わったことのある北海道在住のクライアントで資産家の越智さんのツテで、北海道銀行の貸金庫に預かってもらうことを決めた。青葉のいる北陸、菊枝のいる高知、まだ仮住まいではあるもののとりあえずデータベースだけ5月中に再起動する予定の岩手の佐竹家、それに北海道銀行の貸金庫、と4ヶ所にコピーがあれば、多少の災害が起きても、全部が一度にやられることはあるまい、というわけである。貸金庫のデータベースは半年に1度くらい最新のものに差し替えることにした。
 
「でも、青葉ちゃん、ほんとに大変だったね。お姉さんやご両親も亡くなったとということだけど、力落とさずにね。何かあったら、こちらもできるだけ力になるから」
データの性質上、宅急便や郵送の手段を使いたくないという話に北海道からわざわざ高知の菊枝のところまでデータが入っているハードディスクを取りに来てくれた、越智さんの娘・舞花は、帰り道?高岡の青葉の所にも寄って、青葉を励ますように言っていた。舞花さんは今大学2年生である。
「ありがとうございます。何となく岩手にいた時より私、元気です」
と青葉は答える。
「うん。確かに凄く表情が豊かになった気がするし。それに・・・・」
「はい」
 
「前回会った時からなんだかぐっと女っぽくなった気が」
「あはは、お年頃ですから」
と青葉は照れ笑いしながら答えた。
「胸、それホンモノだよね」
「はい。今月からブラをBカップに変えました」
「女として成長過程か・・・・青葉ちゃんは色々気になる子だわあ」
 
その晩、青葉が氷見産の鰤や、この季節ならではのホタルイカ(美味だが寄生虫がいるのでルイベと同様いったん超低温冷凍したもの)を使って、握り寿司を振る舞うと「すごーい。青葉ちゃんが握るんだ!」とまず感動し、実際に食べると「美味しい!菊枝さんとこで頂いた鰹も美味しかったけど、ここの鰤もすごく美味しい」などと感動していた。
 
「能登半島の氷見・佐々波・宇出津付近で獲れる鰤は凄く美味しいんですよ。この味って日本一かも。今はシーズンオフですけど、冬場は『寒鰤』といって脂が乗ってまた美味しいから、一度冬にいらしてください」
などと青葉は(自分もつい最近知った知識で)解説していた。
 
なお資料館の運営主体については、菊枝も自分も調べてみたけどやはり社団法人がいいみたいだと電話してきた。
「宗教法人にした方が税金なども助かるんだけどさ。宗教法人にする場合、凄まじく大きな問題があって。役員が20歳以上でないといけないのよね。青葉を役員にしない訳にはいかないから、少なくとも青葉が20歳になるまでは宗教法人の線は無し」
 
「宗教法人って、うちは別に宗教でもないし、信者さんもいないしね」
と青葉は笑って答えたが菊枝は
「その件だけどさ。瞬嶽師匠が私と青葉に印可を渡したいのだけどって、こないだ手紙が来てたよ。阿比留文字を達筆な毛筆で書いてあったから、判読に時間掛かったけど。それもらってくれば堂々とお寺を名乗れるよ」
と言う。
「あ・・・それはうちにも来てたけど、読めなかったから放置してた。たぶん同じ内容かな。で、菊枝は取りに行ったの?」
「いや、私もそんな柄じゃないし」
 
菊枝は法人化するなら自分も出資し、また自分の手持ちの資料も電子化を進めて、青葉の資料と相互に参照しあえるようにしたいと言っていた。青葉も菊枝の手持ちの資料には大いに関心があった。連休に高知に行った時も、そのボリュームに圧倒されたのであった。
「こんなに資料あるのなら、うちの資料とか不要では?」
などとその時、青葉は言ったが
「それが、うちには無い資料がたくさんそちらにはあるのさ」
という。お互いの興味の傾向やコレクションの方向性が異なるようであった。相互に補いあうことができると、どちらにとっても嬉しい。
 
そういう訳で青葉と菊枝のふたりが代表になる線で手続きの準備を司法書士に依頼することにした。できたら「そういうのパス」と言っている慶子も代表に入れたいけどとふたりとも言い、菊枝が一度話してみると言った。
 

それは5月下旬の金曜日の午後であった。学校から帰宅したばかりの青葉の携帯に岩手の慶子から電話が入った。
 
「ちょっと祈祷したいのでハニーポットを出してもらえますか?」
「自動起動モードを使わずに、わざわざ電話してくるというのは、少し難しめの祈祷なのね?」
「ええ。ふつうの祈祷のつもりで来たのですが、症状が重いのでホンモノが必要みたいなんです」
青葉は何か嫌な予感がした。
 
「今現場にいるんですよね」「はい」
「その人のそばに行ってください」「来ました」
「患者さんの左手を取って」「(ちょっと失礼します) 取りました」
 
「あ、女の子だ。私と同じくらいの年か・・・・・やっぱり。その人やばいです。直接行きます。そのまま手を握っていて下さい。応急処置します。。。。しました。これでこれ以上悪化することはないです。ハニーポットは今から起動しますから、祈祷は祓えの祝詞を使って。仏教系の呪法は使わないで下さい」「分かりました!」
 
「今からそちらに行きます。確か夕方19時のはくたかに乗ったら仙台に24時前に着けたはずなので」「じゃその時刻に仙台駅に迎えに行きます」「お願いします」
 
青葉は電話を切ると、母に緊急事態なので今から岩手に行ってくると告げた。「じゃ高岡駅まで送るわ」と言って朋子はヴィッツを出した。
 
実際には道があまり混雑していなくて高岡駅には17:20頃に着いてしまったので、17:41のはくたか23号に乗ることができた。青葉は母のヴィッツの助手席で予約センターに電話して仙台までのチケットを確保したので(この手のものを決済するために青葉は自由に使えて限度額も無いクレカを1枚、ある資産家のコネで発行してもらい所有していた)、駅に着くとすぐにみどりの券売機でチケットを発行し、そのまま、はくたかに飛び乗った。母が駅弁を買ってきてくれたので、それを夕飯にした。青葉はひとつ早い便に乗れたので仙台に22:42に着くと慶子に連絡した。
 
高岡1741→1959越後湯沢2008→2054大宮2102→2242仙台
(はくたか23 Maxとき348 はやぶさ505)
 
無駄に大きい気がする越後湯沢の駅の中を走って東京行き新幹線に飛び乗り、大宮で東北新幹線に乗り継ぐ。大宮駅も8分待ちという慌ただしい乗り換えだ。仙台に着くと慶子の友人で青葉も何度か会ったことのある槇子さんが迎えに来てくれていたのでその車に乗り、大船渡を目指した。慶子は何かあった時のために患者さんのそばに待機しているのだという。深夜2時頃に病人の家に着いたが、向こうは感謝していた。
 
「富山県から駆けつけてきてくださったんですか!」
「3月まではこちらに住んでいたんですけどね」
すぐにヒーリングを始めた。
 
「祈祷・・・とかではないんですね」
「祈祷までしている余裕がありません。これはヒーリングしまくります。朝まで連続6時間くらいかな」
といって、青葉は患者の女性のそばでヒーリングを続けた。見た感じ、電話で感知した通り、自分と同じくらいの年の女の子だ。尋ねると青葉と同じ中学2年生で柚女(ゆめ)さんといった。
 
「ところでこれ、病名とかは分かりますか?病院では先生が迷っている感じで。それで様子見ましょうなんて言われたら急に夕方4時頃にこの状態になって。救急車呼ぼうかとも思ったけど、病院まで遠いし、この状態で動かしていいものかどうか迷ってた所に、お義母さんが呼んでくれた佐竹さんがちょうど来てくださって」
「病院の先生に分からないの当然です。これ霊障から来たものですから」
「霊障!」
 
「今、三陸一帯は迷ってる霊だらけですから。ちょっとたちの悪いの拾ってしまったみたいですね」
「そちらはどうすれば」
「電話受けた時にリモートで防御入れてそれ以上侵食されないようにして。この家に来て、患者さん見たのと同時に切り離しましたよ。そちらは然るべき所に預けました」
 
「良かった。それでなんですね。佐竹さんがお電話なさって『大先生』とやりとりしただけで症状が緩和したので。それでその大先生が来てくださるというから、それを待とうと思ったんです。でも大先生がお若いのでびっくり」
「ええ、それで信用してもらえないことがあるので、いつも佐竹さんに前面に出て頂いています」と青葉は言った。
 
「かなり体力を取られて衰弱していますが、原因はもう取り除いているから、霊で乱れた気の流れを復旧して、あとは体力を回復できたら大丈夫です。そこまで私が処理します」
「お願いします」
 
そのヒーリングを1時間もしたころ、青葉はそばで待機している慶子に言った。「慶子さん。お腹すいた。コンビニで何か買ってきてくれない?」
「はい。でも珍しいですね。ヒーリング中に敢えて食べるなんて」
「霊的な力を高めるには食べないほうがいい。でもこのヒーリングは無茶苦茶パワーを消費する。私、何か食べないともたない。お肉がたべたい」
 
「安い牛肉でもよければ、冷凍室にありますが」と家の人が言う。
「それください。焼いただけでもいいですから」
家の人が冷凍室の牛肉とありあわせの野菜を炒めてくれた。青葉は左手でヒーリングしながら右手でそれをいただいた。
 
「食べながらヒーリングするの凄く失礼ですが、ヒーリングを停めたくないので並行でさせていただきます」
「はい、お願いします」
 
慶子もコンビニでフライドチキン、トンカツ弁当に、別途患者用にと青葉に言われたスポーツドリンク2Lボトルを2本買ってきた。青葉が家の人に作ってもらった野菜炒めを食べているのを見て佐竹は言った。
 
「あれ?青葉さん、右手でも箸使えたのね?」
「私、ヒーリングは利き手の左手でないとできないけど、字を書いたり箸を使ったりはどちらの手でもできるの」
「器用ですね」
「左利きの人って、みんな右手を鍛えさせられた経験があるから結果的にどちらの手でも行けるって人、多いですよ。私は幼稚園の時の先生が左利き矯正主義者で。幼稚園のお弁当は右手で食べさせられていたし、ひらがなの練習とかも右手でやらされた」
「ああ」
 
「だから私、一時期梵字は左手でしか書けなくて、ひらがなは右手でないと書けなかった」
「それはまた。でも・・・・左手のヒーリングと右手のお箸と、動きが全然違うのを同時にできるのも凄いです」
すると青葉はニコリと笑い
「私、両手で同時に別の絵を描いたり、ピアノで左右別の曲を同時に弾いたりできますよ」と言った。
 
そんなことを言っている内に青葉はフライドチキンもトンカツ弁当もぺろりと食べてしまっていた。
 
「ふだん凄い少食なのに。青葉さんがこんなに食べるの初めて見た」
「私が食べてるんじゃなくて、柚女さんが食べてるの」
「え?」
「私が食べたエネルギーをこのヒーリングで柚女さんに注入しているから。今、私のヒーリングは気の流れを強めているのと同時に、点滴みたいなこともしているんです」
「ああ」
「ただ、水分までは移転できないから、そうね」と青葉は時計を見る。「30分後。3時頃にさっき買ってきてもらったスポーツドリンクを飲ませましょう。その頃にはそれを飲める程度まで回復しているはずです」
「はい」
 
実際青葉のヒーリングで体温は40度を超えていたのが39度近くまで落ちてきた。自分で目を覚まして喉が渇いたというのでスポーツドリンクを飲ませる。「よかった。しゃべられる状態まで回復したのね」
「うん。さっきまでよりは楽」
「スポーツドリンクは飲めると思うだけ飲んでいいですからね」
と青葉が言う。
 
「はい。あれ?看護婦さん・・・じゃないですよね」
「私は気休めの拝み屋さん。ヒーリングしてますから、柚女さんは気にせず寝てて」
「はい」といって彼女は目を閉じる。
 
青葉はその後もずっとヒーリングを続けた。柚女の母が見ていても、柚女の表情がほんとに苦しそうだったのが少しずつ楽な感じの表情になっていくのが目に見えて分かった。これ救急車呼んで入院させていても、こうはならなかったろうと母は思った。
 
「ずっと手を動かしていますが、疲れませんか?」
「疲れます。でも頑張ります。あ、すみません。コーヒーあったら下さい。熱いのがいいです。砂糖抜きで」
「はいはい。ミルクは?」
「ふだんはブラックなんだけど・・・今はミルクあったほうが嬉しいかな」
「はい」
 
柚女の体温を測る。38度2分まで下がってきている。柚女は寝ていたが、30分に1度くらいストロー付きのコップにスポーツドリンクを入れて、柚女の口にストローの先を差し込んであげた。すると無意識に柚女は少しそれを飲むようであった。「水分の補給が大事なんです。どうしても脱水症状になりやすいから」と青葉は言った。 
「37度前後になるくらいまでヒーリング続けます。そこまで行けばあとは自力回復できるだろうし。そしたら祈祷しますね」
「祈祷はおまけみたい」
「ええ。祈祷は飾りです。どちらかというとその場にいる人たちの気持ちを整える効果があります。周囲の人がみんな回復を願う方向に心がまとまれば、それが本人の回復の力になるんです」
「ああ、祈祷ってそういう効果なんですか」
 
「お母さん、少し寝てくださいね。ぜんぜん寝てないでしょう」
「そうしようかな。でもあなたは?」
「来る途中の新幹線の中でずっと寝てましたから」
 
母は4時頃から5時半頃まで仮眠を取った。起きてみても青葉がずっとヒーリングしているのを見る。体温を測る。37度4分。かなり下がってきている!数字を聞くと青葉は「あとひといきですね。たぶん7時か8時くらいまで続ければいいかなと思って始めたんだけど、7時くらいで終了できそう」
「でも2頃に来ていただいて、それからもう4時間ほど。よく体力持ちますね」
「もうクタクタといいたいところだけど、本当に私自身がくたくたになるとそのマイナスの波動が柚女さんに入っちゃうから、私自身はハイテンションにして、疲れていない身体状況にしています。こういうことができるように普段から身体を鍛えていますから。毎朝10km走っていますし、休日には山道を縦走しています」
「すごい」
「過去に24時間耐久コースでヒーリングやったこともありますよ」
「ひゃー」
「さすがにそれやったあとは丸2日寝てましたけど」
 
青葉はふと幼い頃に曾祖母が自分をハニーポットにして重症患者を1日かけたヒーリングで治療した時のことを思い出した。今柚女のお母さんに言ったのは小学6年生の時の体験なのだが、あの幼い頃に体験した治療が今までで最大級だったかも知れない。とにかくあれは凄いエネルギーを消費した。まだ当時は曾祖母も結構なパワーを持っていたはずなのに、それでも足りず自分のパワーまで使った。物凄くお腹が空いて、出してもらったおやつを大量に食べて「よく食べる子だねえ」なんて言われた記憶が残っている。まだ物心ついて間もない頃で、あれは自分が持っている最も古い時代の記憶だ。あの子も中学生だった(と自分が小1の頃に聞いた)。今頃は結婚でもしているだろうか・・・・・もしまだこの近辺に住んでいたなら震災で無事であればいいけど。
 
柚女は7時頃に目を覚ました。体温は36度8分になっていた。もうほとんど平熱といっていい温度である。ただ柚女のふだんの平熱は35度4分くらいなので36度8分はまだ微熱状態だと母は言った。
 
「あれ?あなた○○中にいた川上さんですよね?」
と柚女がいう。
「ええ。ここは△△中の校区?今○○中と臨時合併でしたよね」
「私、コーラス部でソプラノ歌ってて一応昨年はソロやってたんだけど、あなたのソプラノソロ聞いて負けたぁと思ったの」
「△△中は昨年は『蔵王の森』だったっけ?ソロパート・・・あ、1ヶ所あった。ああ、あれが柚女さんだったのか」
「ええ」
 
「じゃ、今は椿妃たちと一緒に今練習してるのね」
「ええ。椿妃ちゃんとも仲良くしてますよ。で、合同になったから、川上さんいたらソロは取れないよな、と思ったら県外に転校していったというし。ほっとしたようながっかりしたような。で結局ソプラノソロ、私と○○中校区の新1年生の立花さんとで競ってるんです。立花さん、私立に行くつもりだったのが、川上さんのソプラノ聞いて、公立への進学を決めたという人で」
「あらぁ、それは申し訳なかった」
「彼女も凄いんです。私達、本番ではどちらになっても恨みっこ無しということで一緒に練習してるんですよ」
「わあ。頑張ってね」
 
「ね。『夜明け』」のあのソロパート『巫女の歌』のところ、聴かせてくれません?でもホンモノの巫女さんが巫女の歌を歌ってたなんて思わなかった」
「あれ聴いて体調悪くならない?子供とかおびえるんだよね」
「大丈夫です。気分悪くなったらヒーリングしてくださる人がそばにいるし」
「あはは」
 
「お母さん、録音して」というので柚女の母がICレコーダーを準備する。青葉は柚女の部屋のピアノのふたを開けると、最初の音だけ取ってソロパートの少し前の付近からアカペラで歌い始めた。ソロパートになったところで、慶子がびっくりして目を見開いている。
「凄いです。でもこれ生で聴けて幸せ。でも楽譜と微妙に音程違いません?」
「青葉さん、ずるい。今の歌、ホンモノの『叫び』の音程使ってる」と慶子。 
「幸福を呼ぶ『招福の叫び』だから、いいでしょ?」と言って青葉はニコリと笑った。「そんな秘密があったんだ!私も真似させてもらおう」
「作曲者がどこかでホンモノの『叫び』を聴いて譜面に記録しておいたのをモチーフに使ったんでしょうね。でも無意識に西洋音楽の音程に直しちゃった。譜面通りだと招福の効果は出ない」
 
どうせなら椿妃を呼びましょうという話になり10時頃、椿妃に電話する。青葉が来ていると聞いて「御見舞いに行く」と言って椿妃がやってきた。「早紀にも連絡したんだけどさ。早紀は今日は仙台に行ってるのよ。明日の夕方帰るらしい」「わあ、すれ違いか」「うん。悔しがってた。今度からは来る時、前もって連絡してって」「今回は緊急事態だったんだよ。昨日の夕方4時に急遽来ることにしたから」
 
「夕方に向こう出てこちらに何時に着くの?」「高岡を17:41の特急に乗ると、22:42に仙台に着く。ちょうど5時間」「意外に近いんだね」「日本一速い特急と新幹線の乗り継ぎだから。元々はくたかは北陸新幹線用に開発された車両を使っているんだよ」
 
柚女が青葉さんから「巫女の歌」のホンモノ、聞きましたというと椿妃が私にも聞かせてというので、青葉はもう一度今度は自分でピアノ伴奏しながら披露した。今度は椿妃が携帯で録音する。
 
「向こうでもソプラノソロだよね。何歌うの?」
「『島の歌』という合唱組曲の中のどれか。2番『春の声』と5番『フィナーレ・幸い』にソプラノソロがあるから、どちらかになると思う」
「あ、その曲のフィナーレなら私アルトパート歌えるよ」と椿妃が言うので「じゃ一緒に歌おうか」と言って歌い出す。青葉がピアノ伴奏をしながらである。柚女がまた母に頼んでICレコーダで録音した。
 
「でも青葉、ピアノもだいぶうまくなったね」
「去年の9月から練習しはじめて、まだ1年たってないからね。でも即興でメロディー聞いてその和音を弾ける程度にはなったよ」
「ぜんぜんピアノやったことなかったんでしょ」
「うん。ピアノ弾ける女の子は素敵だとか、私を乗せた人がいたから。ちょっと頑張ってみた」
「八戸の彼氏だよね、それ」
 
「うん。でも彼氏ではないよ。それとこないだ来た時は言いそびれたけど、彼、4月に一関に引っ越したんだ」
「へー。近くじゃん、って富山からはどっちみち遠距離か」
「一応連絡したら会いたいというから、明日のお昼ちょっと会ってから帰る」
 
「ちゃっかりデートの約束もしたんだ」
「いやだから恋人じゃないし」
「まあ深くは追究しないけど。でも恋をすると巫女は力を失うから恋愛禁止、なんて昔は言ったみたいだけど、そのあたりってどうなの?」
 
「恋愛するとパワーは上がる筈だよ。ただ恋愛絡みの自分の欲望に惑わされて正しい答えを出せなくなったりする人もいるし、上昇したパワーを制御できなくなる人もいるんじゃないかな。ちゃんと欲望を制御できる精神力があって、上昇したパワーをちゃんと扱えるだけの修行を積めば問題無いと思う。この世界のお仕事するには心をいつでもニュートラルにできないといけないんだけど、恋心、特に嫉妬とかの心があると、ニュートラルにできない場合もある。私はドライだから恋心なんて簡単に心の中から排除しちゃうけどね」
「なるほどねえ。性格もあるのかな」
「たぶんね。霊的な仕事ってガラスみたいな華奢な心ではできないよ」
 
青葉は午後には椿妃と一緒におしゃべりをしながら、柚女のヒーリングをした。それが終わる頃には柚女が
「私、お腹すいちゃった」
などといって、そばを食べられるくらいまで回復したので、もう大丈夫でしょうということで夕方に、柚女の家を辞した。その日は椿妃が「ぜひうちに来て」
というので椿妃の家(仮設住宅だが)に泊めてもらった。
 
翌日の朝、また椿妃と一緒に柚女の家を訪問し、かなり回復しているのを確認の上で、1時間ほどのヒーリングと祈祷をした。
 
「じゃ、私はこれで」と椿妃を置いたまま昼前に出ようとすると
「デート楽しんできてね」と言われた。
 
慶子の車で一関に送ってもらい、2時に彪志と一ノ関駅前で落ち合うと、近くのレストランで一緒に遅いお昼御飯を食べた。
 
「変だな・・・八戸と大船渡なんてすぐ行けそうなのに全然会えなかったのにさ。高岡と一関なんて、恋愛するのには絶望的な距離になってからもう2度目のデートができるなんて。遠距離恋愛から超遠距離恋愛になったのに」
 
「私、2ヶ月に1度くらいこちらに来るつもりだったんだけど、それでは追いつかないわ。どんどん案件が溜まるんだもん。昨日は夜中から朝までは全力でヒーリングだったけど、午後からと今日の午前中は、その子のそばに付いていながら、同時に溜まってた霊的な処理もずっとやってた。今回は一応緊急出動だったんだけど、緊急でなくても月に2回くらいこちらに来ることになりそう」
「来る時は事前に連絡してよ。一ノ関でも大船渡でもいいから会おう」
「うん、連絡する」
 
結局、青葉の仕事処理のための定期的な岩手行きはこうして、毎回彪志とのデート?にもなることになったのであった。もっとも青葉は彪志のことを友人たちには「あくまで友達」と言っており、これが「恋人とのデート」であることは認めていなかったが。
 
青葉は震災の直後、嵐太郎には敢えて自分の無事を報せなかったのに、彪志には当日電話して無事を報せていた。彪志は自分には他に好きな人がいると言っているのに、無理にライバル心を出して来ようとはせずに、優しく包み込んでくれるので、そんな彪志の心を青葉は心地よく感じていた。
 
しかしいろいろ不思議なこともある。嵐太郎の場合、今は祭壇に置いているシェーファーのボールペンとか、スキャン画像が残っている絵はがきとか、記念の品があるのに、彪志とはもらった手紙も震災で失ったし、そもそも全然記念の品がない(青葉が書いた手紙はぜんぶ取っていると彪志は言っていた)。嵐太郎にはキスをされたが、彪志とはキスはしていない。おっぱいは触らせてるけどね・・・・
 
連休に会った時に触らせたら「すごい。大きくなってる。このおっぱいが俺のものだなんて感激」なんて言っていた。「さわったからといって彪志のものじゃないんだけど」と言うと「触れるんだから実質俺のものさ」などと彪志は言っていた。今日も出会い一番に彪志は青葉の胸を触っていた。 
「ふーん。じゃあ、性同一性障害の診断書もらったんだ」
「うん。この水曜日にもらいたて。診断書は2枚書いてもらって日本語で書いてもらった1枚は学校に提出した。もう1枚は英語で書いてもらって、これを手術受ける時に提出する」
「ああ、それが無いと手術してもらえないのか」
「うん。実に面倒なことに手術を受けるには、ふたりのお医者さんに書いてもらった診断書各1枚が必要。それで来週にも別の病院を訪問することにしてる」
「大変だなあ。俺は女になりたいなんて思ったことないから分からないけどさ」
「ふつうの男の子はそうだろうね」
 
「診断書取れたらすぐ手術するの?」
「まだ14歳だからね・・・・この年齢では手術してくれないのよ」
「ああ」
「年齢誤魔化してやっちゃう人はいるけど。でも一応正規ルートでいこうよ、と姉ちゃんから釘を刺されている。正規ルートなら低年齢でしてくれる病院でも16歳以上」
「2年後か」
「ただね・・・・桃香姉ちゃんから、低い年齢で手術してもらえるかより、そこの病院の考え方や手術の方法に自分が納得するかを優先すべきで、納得できる所がたとえば20歳以上でしか手術してくれないなら20歳まで待ちなさいとも言われた」
 
「うーん。俺もその意見に賛成」
「桃香姉ちゃんは鋭い所突いてくるからなあ」
「俺、青葉が結婚できるようになるまで待つし、もし手術するのやめることにして戸籍が修正できなくなった場合でも、事実婚してあげるから」
 
「・・・あんまりそういうこと言われてると、私、期待しちゃうよ」
「期待してよ。ほんとに俺、青葉のこと好きだから」
 
「私・・・自分の気持ちが分からなくなっちゃいそう・・・・」
 
「実際結婚できるのは、俺が大学出て就職して1年くらい経ってからになるから、6年後くらいかな、いちばん早いケースで。それまでに俺のこと好きになってくれたらいい」
「その時、私は20歳か・・・たぶん戸籍はちょうど変更終わってる」
「青葉の戸籍が変更できるタイミングと俺が経済的に自立できるタイミングが同じというのは、やはり俺たち運命的なんだよ」
「ああ、言いくるめられてしまいそう」
青葉は困ったような笑いを抑えながら少し視線を外した。
 
「彪志は大学どこに行くの?」
「関東方面の大学に行こうかなと思ってる」
「ふーん。有名私大コース?」
「いや、私立に行くにはお金がきつい。といって東大に合格する頭は無いからさ。今狙っているのは☆☆大学」
「学部は?」
「理学部」
「わあ、じゃ、うちの姉ちゃんたちの後輩になるかも、なのか」
「え?」
青葉はもともと自分を震災後に保護してくれたのが☆☆大理学部に通う女子大生2人で、今は自分の姉代わりになってくれていることを話した。
「その内のひとりのお母さんが私の後見人になってくれたの」
「そうだったのか。じゃ、やはり俺たち縁が深いんだよ」
 
青葉はせっかく話題をずらせたと思ったのに、またここに舞い戻ってきて、しまったと思った。
 
しかし青葉も彪志との縁の深さは認めざるを得ない。同じ月にふたりの男の子から、あらためて「好き」と言われると、青葉の心は揺れてしまう。嵐太郎はいろいろ自分と共通のものを感じる相手だ。ただずっと会えていない。彼は座長として跡継ぎを作らなきゃいけないし、自分は旅から旅への生活はできないし、自分との結婚はあり得ないだろう。愛人にはしてくれるかも知れないし、青葉はそれでもいいという気はしていた。
 
一方の彪志は自分との共通点は少ないが、なぜか関わりが出やすい。今まで何度も結婚しようと言われている。周囲から反対されそうで実際に結婚できるとは到底思っていなかったが。でも自分は嵐太郎には1度好きと言ったことがあるが彪志にはまだ言ったことが無い。好きとは言ってないけど、彪志とは会って以来毎月数回は電話で話していた。青葉が携帯を買った時も彪志の電話番号は1桁の所(8番)に登録していた。今は週に2-3回通話したりメールしたりしている。 
「夢への無意識な侵入」でも実は、青葉がうまく侵入できない人が3人いた。 
まず菊枝の夢には、入ろうとしても半分くらいの確率で入れてもらえない。向こうが気が向いた時だけ入れてもらえるのである。これは向こうの方がパワーが大きいので仕方がない。
 
桃香の場合は霊的な呼びかけを無視されてしまうので、夢の中に入ってもこちらが向こうの夢を単に鑑賞しているような状態になってしまい、夢の中で会話することができない。
 
そして彪志だけは不思議でなぜか1度も夢の中に入ったことがない。以前それを菊枝に言ったら「好きな人の前では女の子はかえってなかなか自然な行動が取れないものなのさ」と言われた。私、彪志のことも好きなのかなあ....と青葉は迷う。 
ただこうして彪志とおしゃべりしている時って、私、心がすごくリラックスしているけどね、などとも思いながら、青葉は彪志といろいろな話をしていた。 
翌日の朝、学校で少しぼーっとしていると美由紀から肩を叩かれた。
「どうしたの?青葉がぼーっとしてるの珍しい」
「あ、週末急用で岩手まで往復してきたから、その疲れもあるかな」
「へー。頑張るねえ」
 
「ね。美由紀」「うん?」
「美由紀なら、ふたりの男の子から好きと言われたら、どうやって選ぶ?」
「何何?ふたりの男の子から告白されたの?でも珍しいね。いつもなら、青葉が相談を受ける側なのに」
「いや仮定の話で」
 
「でも、そんなの単純じゃん。自分が好きな方を選べばいいのよ。好きと言われたら心は揺れるけど、自分の人生なんだし、利己的に判断しなきゃ。あくまで、自分の好み。他人を思いやって人生選んだら後悔するよ」
「そうか・・・・利己的選択か」
「ま、恋なんて経験無い私が言うのもなんだけどね」
「いや、ありがとう」
 
そっか・・・私が他の子から相談されても、そう言うような気がする。だけど私はどちらが好きなのかな?それをあらためて考えようと思っていたところにメールが着信した。彪志からだ。「おはよう。眠れた?」という超短文。「おはよう。列車の中でぐっすり寝たよ」と返信した。
 
「今のメール、その彼氏から?」と鋭い指摘。
「あ、えっと。。。別に彼氏のつもりは無いんだけど・・・・・・でも確かに好きと言われた子のひとり」
と青葉はここでとぼけてもしょうがないと思い正直に答える。
 
「青葉、恋する乙女の顔をしていたよ」と美由紀は言った。
 
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