【春光】(1)

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青葉は岩手県で東日本大震災に被災し、姉・両親・祖父母を一気に失ったが、縁あって女子大生の千里と桃香に保護され、桃香の母の住む北陸の町で新たに「女子中学生」としてのスタートを切ることになった。
 
4月25日の月曜日、母に付き添われて初登校した青葉は、1時限目の時間を使って校長・教頭・生活指導主事・学年主任・担任・保健主事と今後の学園生活について打ち合わせをし、必要な書類を書いたり、教科書を受け取ったりした上で、2時限目がちょうど担任の小坂巻子先生の授業になるので、小坂先生に伴われて教室に入った。
 
先生が「転校生を紹介します。岩手県で今回の震災に被災して御両親やお姉さんなどを亡くしたのですが、縁があってこちらの学校で就学することになりました、川上青葉さんです。みなさん仲良くしてあげてくださいね」と紹介する。 
教室内はざわざわしていたが、青葉が
「みなさん、おはようございます。岩手から転校してきました川上青葉です。よろしくお願いします。えっとこの通り、女子として通学させていただくことになりましたが、戸籍上は男子なんです。『お、美少女転校生』なんて思っちゃった、男子のみなさん、結婚してあげられないのでごめんなさい」
と可愛い声で挨拶すると
「えーー!?」「うそ!!!」
という悲鳴に似た驚きの声が湧き上がった。
 
先生が少し困ったなという顔をする。
「ちょっと静かに!その件は先に私から言うつもりだったんだけどな」
「あ、ごめんなさい」
 
「えー、本人から説明があったように、川上さんは性同一性障害です。戸籍上は男子ですが、見ての通り、本人はほとんど女子ですので、少しだけ配慮してあげてくださいね。体育は女子のみなさんと一緒に受けてもらいますし、トイレも女子トイレの使用を許可していますが、更衣室については、この教室の隣の使っていなかった用具室を、青葉さん用の更衣室とすることになりましたので、男子も女子も覗いたりしないようにね」
と先生が言う。
 
「それから、もうひとつ」と先生が言う。
「ごらんの通り、川上さんはちょっと表情が硬いのですが、実はこれまで暮らしておられた家庭で、ネグレクトされて暴力も随分振るわれていたようで、その影響で感情表現が下手なのですが、みんなに仲良くしてもらえば、少しずつ心もほぐれてくると思うので、無表情であっても、少し勘弁してあげてください」
と言った。すると青葉は
 
「というわけで、震災孤児でオカマで無表情という三重苦の川上青葉です。どうしようもない子ですが、よかったら色々いじってください」
と、青葉は冗談っぽく言うと、笑顔でぺこりと頭を下げた。
その言い方がおかしかったので、教室が一瞬笑いの渦で包まれる。小坂先生は困惑していたが、青葉は「どこに座ったらいいですか?」と平気な顔で尋ねる。 
「あ、えっと、そこに机を入れておいたから」と2列目の右端の机を指した。青葉は赤い学生鞄を持ったまま、その席に座り、隣の席の女子に
「よろしくお願いしまーす」と言って、可愛く挨拶した。
 
「あ、よろしくね」と挨拶された美由紀は笑顔を返した。美由紀は
『どうしよう?この子に私、少しドキドキしちゃう』と思った。
 
教室はざわめいたままであったが、小坂先生は「さ、英語の授業を始めるよ」といって教室を鎮める。
 
「Today, we will start from page 21. Open the textbook. Someone read the text? Hi, Kawakami!」
と先生はいきなり青葉を指名する。
「Yes, ma'am」
と青葉はきれいな英語で答えて立ち上がると、テキストを読み出した。「Mr. Smith comes to the Airport. "Where are you going?" .....」
 
教室の中に小さなざわめきができていた。小声でみんなが口にしていたのは2点。青葉って英語の発音が凄くきれい!というのと、青葉の声って女の子の声だよね、というものであった。
 
青葉がテキストを読み終わると、その発音に感心した小坂先生は
「Thank you. Your pronounciation is excellent!」と言う。
すると青葉は笑顔で「Thank you for your compliment.」と答えた。
小坂先生は青葉がさきほどから、けっこう豊かな表情を見せるのに気付いていた。一週間前にチラっと見た時とはかなり違う!新しい家族の人たちの『リハビリ』が多分強烈に効いているんだろうなと思った。
 
2時限目が終わると、たちまち青葉のまわりに人だかりができる。取り囲んでいるのはほとんど女子である。
 
「ね、ね、ほんとに男の子なの?声も女の子だよね」
「うーん。自分では、私は女の子のつもりなんだけどね。戸籍上は男子ということになってるんだよね〜」
「喉仏も無いよね。まだ声変わりしてないの?」
「私、声変わりはしないよ。だって女の子だから」
この返事にはみんな意図をはかりかねている。
 
「胸はそれパッドとか入れてるの?」
「ううん。生胸だよ。触っていいよ」
「えー?触っちゃおう」と言って、美由紀が青葉の胸に触る。
 
「わー、普通の胸、というか、青葉ちゃん、けっこう胸あるじゃん」
「あ、名前は呼び捨てでいいよ。今一応Aカップ付けてるけど、最近少しきつい感じになってきたのよね。Bカップに変えようかなと思ってるところ」
 
「あ、じゃ私も呼び捨てにして、青葉。私美由紀だから。女性ホルモン?シリコン?」
「了解、美由紀。お薬とか手術とかはしてないよ。これはおっぱいが大きくなあれ、大きくなあれ、という魔法を掛けたの」
 
「それだけで大きくなるの?」と別の子が信じられないという声をあげる。「うん」
「じゃ、私にも掛けてよ、その魔法」と、その子、日香理は言った。
「あ、私も呼び捨ててでいいからね。私は日香理」と付け加える。
 
「いいよ、日香理。でも毎日掛けないといけないけど、いい?」「うん」
「それと、これ漫画の魔法みたいに『元に戻す』ことはできないよ。
大きくしちゃってから、小さく戻してって言われても困るけど、ホントにいい?」
日香理はそう念を押されると、ちょっと考えていたが
「うん。いい。やっちゃって、青葉」と言った。
 
「じゃ、とりあえず今日の分。椅子に座って」と言い、青葉は席を立って日香理をその自分の座っていた椅子に座らせた。
 
青葉はその横に膝を付くと、右手を印でも結ぶような形にして左手を日香理のお腹の下のほうに当てずに2〜3cm浮かした感じにする。そして目をつぶっていたが、やがてその手をお腹の付近から胸のあたりまで上下に動かし始めた。身体にはタッチしない。
 
他の子から青葉に質問が飛ぶが、青葉は返事をしない。集中しているので、聞こえてない感じだ。青葉はその動作を5分ほどやっていたが、やがて次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴ると、動作を中断した。
 
「今日はここまで。また明日」と言う。
「これって気功? ね、ひとつ質問。胸だけじゃなくて、お腹の方からやるのね」
「そう。気功に似たもの。で、おっぱいを作るのは女性ホルモンだから、女性ホルモンを出している卵巣の機能も高めるの」
「ああ!」
「日香理、ちょっと生理の乱れあるでしょ。このヒーリングでそれも治っちゃうかも」と青葉が言うと、「よく分かるね!」と日香理は驚きの声を上げた。「あと自分でツボを押してね。場所はね、触るよ」「いいよ」
「ここと・・・ここと・・・ここ、これが効果強い」
青葉に指で触られたポイントは、確かに感触が違っていた。
「場所、分かんなくなっちゃったら、いつでも教えてあげるから」
「うん」
3時限目・社会の先生が入ってきて、みんなは席に戻った。
 
実際に日香理の胸は青葉のヒーリングで少しずつ大きくなっていき、6月に入る頃には日香理はAカップを卒業してしまった。青葉の所にはそれを聞いて、胸を大きくしたい子、生理不順などを治して欲しい子などが集まるようになり、青葉はその報酬は「おやつ1個」としておいた。もらったお菓子はみんなで食べるようにしたので、青葉のまわりにはいつもおやつがあふれるようになった。 
その日はとりあえず休みの時間になる度に青葉のまわりに生徒が集まり、色々と質問責めにしていた。みんなの質問は主として青葉の性別問題に集中する。震災の被災者というのは半ば忘れられていた。
 
「前の学校でも『女子生徒』だったの?」
「授業中だけ学生服だったの。通学もクラブ活動も女子制服。私みたいな変則的な生徒がきて混乱した先生達の妥協の産物だよね」と笑いながら言う。 
「トイレとか更衣室とかは?」
「トイレは私、幼稚園のころからずっと女子トイレだよ。更衣室は小学生の頃からずっと専用更衣室あてがわれていたんだけど、去年は同級生の女子たちにしばしば拉致されてって、みんなと一緒に女子更衣室で着替えることが多かった」
「よし、私達も青葉を拉致していこうよ」という声が数人から上がる。 
「水泳の水着とかは?」
「小学1年の時はいろいろ準備不足で全部見学したんだけどね。小学2年生以降は女子用のスクール水着で授業出てたよ」
「水着着たら、あのあたりとか、あのあたりとかはどうなってるの?あ、胸はあるのか・・・・」
「私の水着姿は、水泳の授業が始まった時のお楽しみね」
 
青葉が前の学校でコーラス部に入っていたと聞くと、日香理から「じゃうちの部に来て」と誘われ、コーラス部の部室に行った。この学校では音楽室をブラスバンド部が使っていて、コーラス部は理科室で練習していた。理科室に1台古いアップライトピアノが置かれているのであった。
 
「この子、実は男の子なんだけど、ふつうに女子の声が出るんですよ」
と日香理が青葉を紹介する。
「私も君が女の子の声で話しているの何度か聞いたけど、女子の声でどのくらいの声域が出るの?」と顧問の寺田先生に聞かれた。
「D3からC7まで出ます」
 
「嘘!4オクターブも?」
「出してみます」というと青葉は自分でピアノの前に座り、鍵盤を弾きながら下の方はD3から上の方はC7まで、安定した声で発声してみせた。
「すごーい」
部室のあちこちで歓声が上がる。
 
「調子が良ければC#7とかD7まで出る時もあるけどどうしても出ない時もあるので使えません。C7は一応安全領域ではあるのですけど、風邪引いてたりすると、A6くらいまでしか出ない時もあります。ということで私、アルトでもソプラノでも歌えますよ」とにこりと微笑みながら言う。
 
「もちろん、ソプラノでお願いするわ」と寺田先生は嬉しそうな声で言った。「ちなみに男子の声は出るの?」
「それは出ないんです。ごめんなさい」
 
「ね、『夜の女王のアリア』歌える?」という声が部員の中から掛かった。青葉は笑いながら「やっぱりそれ歌わされるんですね」と言うと、自分でピアノの和音を弾きながら階名で歌い始めた。
 
ソドーレーミー、ソソドーレーミー、ソソソソソソソソド、ミミミミミミミミラ、ドドドソ、レレレソ、ミドミソ・ドソラファ・ソドミソ・ドソラファ・ソドドレーファーソーラシドー、ソソソソソソソソド、ミミミミミミミミラ、ドドドソ、レレレソ、ミドミソ・ドソラファ・ソドミソ・ドソラファ・ソド・レレ(♭)ミミ(ナチュラル)ミド・ソーラシド
 
「すごーい!」「ブラーバ!」みんな凄い拍手をする。ドソラファの「ド」がいわゆる「High-F」(F6)でこの音をきちんと出して歌えるのは一流のソプラノの証しである。青葉はそのF6の上のG6,A6も安定して発声することができた。 
「先生、ソプラノソロのある曲やりましょう」と3年の女子から声が出る。「うん。何かいい曲がないか探してみるわ」と寺田先生は笑顔で答えた。 

「ただいまぁ」と言って青葉が帰宅すると、桃香の母・朋子は「おかえり」と言って出迎えた。すると、青葉が玄関のところで立って・・・・泣いている! 
「どうしたの?」とびっくりして朋子が尋ねる「学校でいじめられた?」
「違うの。学校のみんな親切だったよ。仲良くなれた。そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「私、家に帰ってきて『お帰り』て言ってもらったのって、凄く久しぶりな気がして・・・・」
 
朋子は玄関に行くと、青葉をぎゅっとハグする。
「いつでも『お帰り』って言ってあげるからね。ここに帰ってくる時も、お姉ちゃんたちの家に行った時も『ただいま』と言うんだよ」
「うん、ありがとう」
「さ、涙拭いて、靴脱いで」
「うん!」
 
青葉は鞄を置き、制服から私服のトレーナーとスカートに着替えると、宿題を取り出してそれをしながら母に今日あったことを楽しい口調で語った。母はお茶を入れて、その話をニコニコしながら聞いている。
 
「よし、宿題終わった!」
「じゃ、これ」といって朋子は携帯電話を差し出した。
「最低限の機能があればいいと言ってたから適当に選んだよ」
「ありがとう!」
「わあ、防水機能付きだ、これ助かるかも」
「まずは何ヶ所か電話番号登録しなくちゃ」といって、アドレス帳を持ってきて登録しはじめる。
 
携帯電話は母が持つように勧めたものであった。
 
震災以降でも、佐竹さんの所に様々な「霊的相談」が寄せられていた。それを青葉は毎日1度くらい佐竹さんと電話連絡をして、話を聞いては、できる範囲で対応していたのだが、けっこうな長時間通話になることが多く、電話代もかなりかさんでいるものと思われた(一応、青葉が対応できる時間帯に佐竹に掛け、向こうからコールバックしてもらう形をとっていた)。それだけ長時間電話を使うなら、いっそ1台青葉専用のがあったほうがいいと言って、携帯電話を買うことにしたのであった。
 
青葉は携帯電話など使ったことがなかったので、よく分からないからお任せしますと母に言い、母は「適当に選んだ」と称して、最新のいちばん機能の高い携帯電話を買ってきた。青葉の仕事にはそのくらい必要と考えてのことだった。 
青葉の所に寄せられる相談の中で震災以降、もっとも多かったのが「行方不明者探索」であった。これには最初正直青葉も困った。行方不明者とはいうものの事実上死んでいる人がほとんどである。青葉が依頼を受けた探索の中で、単に連絡が取れていなかっただけで実際に生きていたのは、最初の頃頼まれた人の中の、4人のみであった。
 
生きている人の場合、その人につながるヒントからその人の反応を探って見つけることができる。これは青葉が子供の頃から得意とする霊査で、曾祖母が生きていた頃も「私よりうまい」と言われてよくやらされていた。ところが、死んでいる人は青葉が霊的に呼びかけても反応してくれないので最初の内青葉はどうしていいか分からなかった。
 
悩んで考え出したのが「愛用品探し」に似た方法だった。亡くなった人の周囲には、その家族のオーラが付着している。そこで依頼人のオーラをよく確認して、それと同じオーラが残る場所を探すことにした。これをやると、依頼者の行動範囲や、生きている知人などもどんどんヒットしてしまうのだが、根気よく探していれば、見つけることができる。しかしこの方法は、どうしても1人30分以上はかかり、その間ずっと集中を続けなければならないので、さすがの青葉もかなり消耗した。 
最初に「行方不明者探索」の依頼があったのは、青葉が桃香たちと出会った翌日、酒田まで移動する途中に佐竹さんに電話連絡を入れた時であった。その時はやり方が分からずずっと悩んでいて、翌日の朝、特急に乗って移動していてなにげなく月山をながめていた時に突然方法を思いついた。そして早速列車のデッキで集中してやってみて「ここだ」と思う場所があったのですぐ、乗換駅の新潟で佐竹に電話した。そして佐賀に着いてから再度佐竹に連絡すると果たしてその場所で遺体が見つかったということであった。
 
この時点では青葉も単に「良かった良かった」と思ったのであったが・・・・・ 
佐竹さんとこに頼むと、行方不明になっている家族の遺体が見つかるらしい、という噂が広まり、依頼者が毎日どんどん来るようになった。佐竹も困ったが、青葉も「さすがにそんなにたくさんできません」と言わざるを得なかった。 
そこで青葉と佐竹は話し合って、この件の依頼については依頼者を減らすために最低料金を決めることにした。
 
青葉は元々、霊的な相談に関しては、料金を定めず「御厚志」ということにしていたのだが、この「行方不明者探索」は1件最低3万円と定めた。また毎日先着3名までということにした。先着枠を越えた分についてはどんなに頼まれても「これ以上は無理ですから受けられません」と佐竹が突っぱねてくれた。 
青葉は、行方不明の人が震災時にいたはずと思われる場所の位置を地図上で確認してもらうとともに、依頼主との会話を録音しておいてもらうように頼んでいた。特に依頼主から行方不明になっている人に『メッセージ』を語ってもらうように頼んだ。青葉が後で、それを聞いて、それをもとに霊査をおこなうためである。 
青葉は毎日午後の数時間をこの「行方不明者探索」に当てていた。ほんとうは午前中のほうが探索のパワーは高いのだが、探索がヒットする時、青葉は実際にその遺体と対面するのと同様の感覚を味わうので、午前中からそういう対面をするのは青葉自身辛かったからであった。遺体の中にはほんとに酷い状態のものもあり、何度か青葉はつい霊査中に吐き気をもよおしてトイレに駆け込んだりもしていた。
 

青葉は携帯電話を母から受け取ると、自宅、桃香たちのアパート、桃香・千里・母の携帯、学校、佐竹の連絡用携帯、菊枝の自宅と携帯、佐賀の祖父の家、早紀の母の携帯、咲良の母の携帯、椿妃の母の携帯、弁護士の事務所、などを登録した。岩手の友人達はみんな当面携帯でないと連絡が取れない。 
「あ、この短縮機能って便利なんだね」などとマニュアルを見ながら言うので母は驚く。「ほんとに携帯のこと知らなかったのね」
 
「うん。人が使っているのは見てたんだけど、たまに借りて使っても番号押してコールする以外のことしたことなかったのよね。マニュアル読んで勉強しよう」
といって熱心に取扱説明書を見ている。母はそういう青葉を楽しそうに見ている。 
朋子は桃香を産んだ2年後にもうひとり子供を妊娠したのだがその子は流産してしまった。直後に夫が亡くなってしまったので、もうひとり子供が欲しかったなという気持ちが残っていた。ここでにわかにもうひとり育てることになり、何か楽しい感じがしていた。しかもこの子はいろいろな荷物はしょっていても、根は素直な子だと思った。どちらかというと周囲の人の気持ちを配慮しすぎるくらいのところがある。これまでの家庭環境や、小さい頃から関わることになってしまった『お仕事』がこの子を物凄く早熟な子にしたのだろう。
 
青葉の知識は一般に物凄く、呪術関係はもとより、外国語、化学関係、医学薬学関係、などは凄かったが、一方で今携帯の短縮機能に感動していたみたいに、けっこう世俗のことで知らないことがある。朋子は先週青葉を、映画や落語や遊園地などに連れ回したが、青葉は「落語」というもの自体を全く知らなかった。遊園地でも青葉はジェットコースターというものを知らず「何?この乗り物!山道走っていて崖を駆け下りる時より怖い!」などと感動?していた。 
その日はカレーライスで、材料は午前中に朋子が買い出してきていたのだが、青葉が作ってみたいというので、教えながら作らせた。包丁さばきなどは上手であるが「へー、タマネギを最初炒めるんだ!」「アク取りってしたこと無い」
などと基本的なところで知らないことが多かった。
 
「これから毎日青葉に作ってもらおうかな」「うんうん。やりたい!」
「青葉、物覚えはいいから、きっとすぐ料理上手になるよ」
「そうかな」
「うん。お料理上手になると、いいお嫁さんになれるよ」
「私・・・・お嫁さんになれるかな・・・」
「なれるって。ちゃんと理解してくれる人も世の中にはいるから」
「えへ。そうなるといいなあ」
 
朋子はまた驚いた。青葉が涙を流している。「どうしたの?」
「なんか似たようなことを昔、おばあちゃんに言われた気がしたら、なぜか涙が出てきた」
祖母もこの震災で亡くなっている。
 
「いいんだよ。悲しくなったら泣けばいいの。青葉って、いつも無理しているようなとこ、あるでしょ。いつも笑顔でいるのがいいけど、悲しい時は泣いてこそ楽しい時に笑顔が出るんだよ」
「うん、ありがとう。でももう元気になった」
と言って青葉は「ごはん盛ってくるね」と言い、台所に立っていった。 

 
翌日、学校の2時限目が体育だった。青葉は隣の用具室に行って着替えようとしたが、同級生の女子たちは昨日言っていたように、青葉に「いいからこっち来て来て」と言って、青葉を女子更衣室に拉致していった。
 
「ね、ね、ここでみんなでおしゃべりしながら着替えようよ」
「いいよ」といって青葉は笑っている。みんながこちらを見ているのを意識して「では、青葉、脱ぎまーす」などと右手を挙げて宣言すると、制服を脱ぎ、その下のブラウスも脱いで、ブラとパンティだけになる。
 
「では1分間だけ鑑賞タイムです」などというので、みんな寄ってきて青葉の下着姿を見る。一緒に着替えている他のクラスの子たちも事情がよく分からないまま「何?何?」と言って寄ってくる。
 
「ほんとにブラがきつそう」
「ウェストのくびれがすごい。青葉、ウェストいくつ?」「57だよ」
「ほっそーい。体重聞いていい?」「身長152cm,体重40kg」
「40kgなのに、このウエストの細さって・・・・」
「私、足とか手とか太いからね。毎朝10km走ってるし」
「おまたに膨らみが無いのはなぜ〜?」「だって女の子だもん」
 
などと質問に答えていたがやがて「1分経過〜。今日の鑑賞タイム終了♪」
と言って、青葉はジャージを着てしまった。
 
その日の体育の授業は走高跳びだった。ウォーミングアップで校庭を3周し、ふつうの準備運動をしたあと「2人組になって柔軟体操」と言われる。青葉がさて・・・と思っていたら、美由紀が寄ってきた。
「青葉、組もうよ」「うん」
日香理も寄ってきていたが、先を越されたのでチェッという顔をしている。しかし、青葉も美由紀や日香理とは昨日からたくさん話しているので気兼ねがない気がした。最初に美由紀が青葉の背中を押す。
 
「青葉、触った感触も女の子の身体みたい」と美由紀が言う。
「えへ。だって私、女の子だもん」と青葉は答える。
「そうだよね。でも青葉、よく曲がるね」
「うん、私けっこう身体は柔らかいほうかな」
 
開脚して足を伸ばした状態で背中を押すと青葉の胸は地面に付いてしまう。「ね、ね、180度開脚できる?」「できるけど」「やってみて」
青葉は頭を掻きながら、左右に180度開脚してピタリと腰を地面に付け、次は前後に足を開いてやはりピタリと地面につけてみせた。
「すごーい」と近くの組からも声が掛かる。
「新体操とかできるじゃん」
「あはは、パスパス。さ、次は美由紀の番」
 
「私、身体固いのよね−」
「身体が柔らかい人と組んで柔軟体操してると、自分も柔らかくなるんだよ」
「え、そーなの?じゃ、青葉いつも組もう」
「うん」
青葉は美由紀の背中の比較的下のほうを押してあげた。
「わー、ここまで曲がる。こんなに曲がるとは思わなかった」などと言ってる。「このポイントを押すと曲がりやすいの。これで身体を慣らしておくと、ここから外れた場所を押しても曲がるようになるよ」
「へー。覚えとこう」
 
「青葉、前の学校でも柔軟体操、女の子と組んでしてた?」
「うん。小1以来の友達の早紀って子と組んでしてたよ。小1から中1まで、ずっと同じクラスだったんだ」
「へー。ちょっと嫉妬したりして」
「なぜ嫉妬する〜?」
 
走高跳びはバーを80cmから始めようとしたが、最初に飛んだ5人が連続してバーを落とす。
 
「なんだ、みんななってないなあ。誰か模範演技。お、川上、おまえ運動神経良さそうだな。やってみ」と先生が指名した。
 
「えー?私高飛び苦手です」などと言いながらも正面に立つと助走して、踏み切・・・・・ろうとして、足が滑ってしまった。「あっ」青葉は飛べずにそのまま顔面からバーに激突してそのまま正面からマットに倒れ込んだ。
 
「おい?大丈夫か?」
「すみませーん。失敗!足すべっちゃった」と青葉が立ち上がって照れ笑いすると、みんなも爆笑する。ただ1人、日香理だけが笑わずにじっと青葉を見ていた。 
「もっ1度挑戦していいですか?」「うん、やれ」
 
今度は青葉も少し真剣な顔をし、さっきよりバーに近い所に立つと、大股で3〜4歩半ば歩くような感じの助走を取り「えい」と声を掛けて、きれいなベリーロールでバーを越えた。今度は「おー」という声がみんなから上がる。
 
「やればできるじゃないか。もっとバー上げてよさそうだな。どのくらいまで飛べる?」
「今までの最高記録は130cmです」
「なんだ、もう少し飛べそうなのにな。まあいい、130にしてみよう」といって体育の先生はパーを130に調整する。
 
「行きます!」といって右手を上げると、やはりさっきと同様の3〜4歩の助走から、掛け声を掛けて飛んだ。ベリーロールでバーの上を包み込むように通過するが、その時、青葉のバストがバーに接触した。「あっ」と一瞬声を上げる。マットに落ち込んでからバーを見るが、バーは揺れたものの落ちなかった。「わぁセーフ」と喜ぶ。 
みんなが拍手をしていた。
「いやあ、ちょっと焦りました。以前飛んだ時はもっとバスト小さかったから」
などというので、一同がどっと笑った。
 

その日の帰り、青葉と美由紀と日香理は3人で教室を出て、一緒に帰り道を歩いていた。部活動は美由紀の美術部が先に終わっていたのだが、日香理と青葉のコーラス部の練習が終わるのを待っていてくれた。3人は偶然にも帰る方向が同じなので、時間さえ合えば学校から700-800mくらい一緒に帰ることができる。 
「青葉、今日の走り高跳びだけどさ」と日香理が言う。
「ああ、日香理にはバレてたよね。笑ってなかったから見抜かれたなと思った」
「なに?どういうこと?」と美由紀。
「最初の失敗はワ・ザ・と・ってこと」と日香理。
「えー!?」
「あはは、ごめんごめん」
「うけ狙いでしょ?あれ」
 
「うん。あそこは笑いが欲しいなと思っちゃったのよ」と青葉は照れながら言った。「青葉って関西芸人?それに女の子がわざわざ顔からバーにぶつかる?」
「えへへ、ちゃんと怪我しないようにやったよ」
「だよね。そんな気がした。それに助走が全然違ってたし」
 
「でも、130cmのバーにバストがかすったのは計算外。あれはマジでびっくりした」
「私たち女の子って、少しずつ男の子ほどは運動がしにくい身体になっていくんだろうね」
「うん、そうだね」と青葉は静かに頷く。
 
「でも青葉は、わざわざそういう身体になっていく道を選んだんだ」
と美由紀は、青葉の顔を見ながら言った。美由紀の頭の中では、青葉を「女の子」
と見る考えと「女の子になりたい男の子」と見る考えが、シュレディンガーの猫のように重なり合った状態になっていた。
 
「うん」と青葉は今度は元気に答えた。
「小学4年生の時に見た夢が忘れられないんだ。みんなと一緒に道を歩いていたら別かれ道があったの。で、女子の友達がみんな右側の道に行っちゃうんだよね。私ひとり置いてけぼりにされて、男子の友達から『こっちこい』と言われて左の道に連れていかれちゃうの」
「すごい象徴的な夢だね」
 
「私、左の道は嫌、私も右の道に行くんだって、頑張ったの」
「へー」
「その成果がこのおっぱい」
「じゃ、そのおっぱいを通行証として、私が青葉を右の道に連れてってあげる」
「ありがとう」
 
「なんだかよく分からないけど、私も一緒だよ」と日香理。
「うん」
 

 
3日目。水曜日の午後にコーラス部の練習を終えてから帰宅すると、母から「荷物届いてるよ」と言われた。
 
ひとつが千里から送られてきた数珠であった。
「わあ、きれい」
ローズクォーツのピンク色の数珠である。
「あ、なんか持った時に凄く暖かい感じがする」
「へー」
 
「早速電話電話」といって自分の携帯から千里に掛ける。
「ハロー、ちー姉」「ハロー、青葉」
「数珠届いたよ。ありがとう」「そんなんで良かった?」
「うん。凄く気に入った」「良かった良かった」
「大事に使うね。あ、そうそう今日学校でさ・・・・」
 
青葉はけっこう長時間しゃべっている。しゃべっている途中で鞄から宿題を取り出し、やり始めた。左手で宿題をしながら、右手では電話を持ってずっと話している。朋子は微笑んでそれを見ていた。
 
朋子は、この携帯から、桃香の携帯、千里の携帯、そして佐竹の携帯の3ヶ所へは無料で通話できる設定にした。その設定で正解だったな、と思う。 
30分ほどしゃべってから電話を切った青葉に母は
「もうひとつの荷物がその箱」
という。段ボールを開けるとハードディスクが5台入っている。
 
「あ、菊枝が来たんだ」
「うん。じきに戻りますから、待っていかれませんかと言ったんだけど、今日はこれ置きに来ただけだからと言って」
「菊枝らしいなあ・・・」
 
「で、伝言なの。ゴールデンウィーク中、できたら5月6日に来てって。2泊でって」
「ふーん、分かった。あ、住所言ってなかった?引っ越したはずなんだ」
「それがね・・・・」
「なに?」
「住所は教えないから、自分で見つけておいで、と伝えてくれって」
「あはは、面白い」
「見つけられるの?」
「菊枝が隠すつもりなら私には無理。でも隠す気が無ければ見つけられる」
 
「ふーん。でも美人さんね」
「うん。菊枝とも長い付き合いだなあ。最初会った時はまだ高校生で。凄い人がいると思った」
 
「ね・・・・」
「ん?」
「お母さん、私連休に岩手と高知と行ってきていい?」
「うん、行っといで。そのくらいの旅費はすぐ出してあげられるから」
「あ、旅費はだいじょうぶ。こないだお姉ちゃんたちに受け取ってもらえなかった30万もあるし。それに今回は仕事絡みになるから大半を経費で落とせるから。岩手もいくつか向こうに行かないとできない案件がたまっていて・・・」
「いいけど気をつけてね。でも、そちらは資金が結構あるようなこと言ってたね」
「うん。むしろ経費ある程度使わないと税金もったいない。あと。私、ここ1ヶ月ほど、他人の行方不明探索ばかりしていたんだけど・・・・」
 
「お姉さんたちを探すのね」
「うん。ここからリモートでできないこともないけど、実際に現地で探してみたいんだ」
「行っといで。今週末から行くの?」
「ううん。いろいろ事前に準備したいこともあるし、29日,30日は任意参加だけどコーラス部の練習もあるし、2日の夜の仙台行き高速バスに乗ろうかなと思ってる」
「高速バス疲れるよ。新幹線使ったら?」
 
「今ざっと考えてみたんだけど、岩手行って、それから友達がひとり青森県の八戸に移動しているからその子に会って、それから菊枝に会うのに高知に行って、それから最後に桃香姉ちゃんたちに会ってから戻ってこようと思うの。すると青森から高知までと、高知から千葉への移動はどうしても飛行機になると思うのよね。そうしたら、ここから岩手まで行くのと、千葉からここまで戻るのは高速バスにして、経費節約したほうがいいかな、と」
「資金たくさんあるんじゃなかったの?」と母は笑っている。
「貧乏性なのよ、私。それに高速バスは夜間の移動で時間が節約できるし」
 
「ああ、それはいいかもね。でもきついと思ったら、日程ずれてもいいから楽な交通機関に切り替えるのよ」
「うん。無理はしないよ。で9日の朝、こちらに高速バスで戻ってきて、そのまま家には戻らずに学校に行くね」
「分かった」
「じゃ、すぐ飛行機とバスの予約しよっと」
と言って青葉は自分のノートパソコンを開いた。これは先週千葉に行った時に都内の量販店で買ってすぐに基本設定をしておいたものである。こちらの家では(すぐ回線を使いたかったので)ADSLの契約をしてもらい、月曜日に開通していた。 
「青森から羽田経由で高知も、高知から羽田も残り1席だったのが取れた」
「すごいね」
「これ・・・・・菊枝の親切かも」
「え?」
「自分で事前に予約しておいて、私がこれをするだろうと思う時刻の直前にキャンセルしてくれたような気がする。逆にいうと、この時間に高知に入ってこの時間まで一緒にいてね、ということ」
「でもそういうルートで青葉が移動するとは知らなかったんじゃないの?」
「孫悟空がお釈迦様のてのひらの上しか飛び回れなかったみたいに、私はしばしば菊枝のてのひらの中にいるのよね」
「・・・・なんか凄い人ね」
「うん。私にとってはまだまだ雲の上の人。でもいつか追いつけるように頑張る」
 
その時、青葉の家の裏手30mほどの所の公園に路駐していたパジェロ・イオが発進した。菊枝は『盗聴器』のスイッチを切ってから楽しそうに独り言を呟く。「青葉、まだ甘いよ〜、私がここにいたことに気付かなかったでしょ?いくら私だって、あまり遠い場所からは青葉の細かい動作まで分からないからね。それに霊的なものだけじゃなくて物理的なものにも注意しなくちゃ。ま、でも青葉の移動ルートは私の山勘が当たったね。我ながら偉い!7日にたっぷりデートしようね。さて、今日の晩御飯は『海天すし』にしようか?『きときと寿し』にしようか・・・・」
 
菊枝は運転しながらなにげなく外を見ていたが、ふと道を歩いていた少女に目を留めた。「あれ?今の子、青葉の気配が強く付いてた。仲の良い友達かな?」
青葉がバスや列車の予約などまで終わらせた時、ピンポーンと玄関のベルが鳴った。「はーい」と青葉がインターフォンに応えると「あ、青葉〜、今夜泊めて」と日香理の声。びっくりして青葉が玄関のところに行き、日香理を中に入れる。 
「よくここが分かったね」
「うん。住所はこないだ聞いてたから、それを頼りに辿り着いた」
「でも、どうしたの?」
「ちょっと母ちゃんと喧嘩しちゃってさ。私がもう家出ていくと言ったら、ああ、お前なんか出て行ってくれた方がすっきりするとか言うから、
もう出てきた」
「あああ」
「明日はちゃんと帰って母ちゃんに謝るから、今晩ひとばん泊めて」
「いや、それはいいけど・・・・ね、お母ちゃん、日香理のお母さんにこちらから連絡しなくてもいいかな?」
 
「じゃ、私が連絡してあげるよ。自宅の電話番号教えてくれる?」
「すみません」
母は日香理の家に電話し、明日には帰宅して謝ると言っているから
今晩一晩お預かりしますと言った。向こうも済みません、お願いしますと言っていた。
 
「済みません、ありがとうございます」と日香理が朋子に礼を言う。
「だけど何があったの?」
「いつものことなんだけどね。。。。進学のこととか彼氏のこととかで意見が対立して。私は大学行きたいから普通科に進学したいんだけど
親は女の子が大学まで行ったって就職先が無いよとか言って、商業科
系の所に行けというのよね。あと、私去年から交際している男の子が
いるんだけど、交際といっても電話したり一緒に散歩したりするだけ
なんだけどさ。でもこないだから何度か連続で、彼とのデートのあと
門限破っちゃって。清い交際できないのなら別れろとか言われて。
清い交際してるつもりなんだけどなあ・・・」
「わあ、彼氏とかいいなあ」
 
「そう?で、私の家出もこれで中学に入ってから3度目で、前泊めて
もらった友達の所にまた泊めてもらうのも何だし、と思ってたら青葉
のこと思いついたから、来ちゃった」
「私には遠慮しなくていいよ。私日香理とは親友のつもりだし」
「じゃ、また家出した時は、またここに来ちゃおうかな」
「うんいいよ。家出推奨するわけじゃないけど」
 
日香理は青葉に「一緒に宿題しない?」と言ったが青葉は「ごめん。
もう終わらせちゃった」と答える。結局、青葉が晩御飯を作りながら
日香理が宿題をしながら、台所と居間でおしゃべりしながら、という
構図になった。朋子は楽しそうな顔をしながら雑誌を読んでいる。
時々日香理が「ここどうやるんだっけ?」などと分からないところを
訊くと、青葉はうまくヒントを出して日香理に自分で気付くように
してあげた。「青葉、教え方うまい」などと日香理も言う。青葉が
考え方のポイントなどを説明すると「あ、そうか、そう考えれば
良かったのか」などと日香理も納得した様子。「時々、美由紀も
誘っていっしょに勉強会とかしようか?」「あ、いいね」
 
日香理も今までちょっと孤立しがちな性格で親友と呼べるような友達がいなかったが、青葉とは何となく抵抗感なしで話をすることができていた。結果的には青葉を介す形で、美由紀ともここ数日よく話すようになり、3人は急速に仲良くなって来つつあった。
 
日香理が宿題を終えた頃、青葉が今日の晩御飯の八宝菜を完成させ、
卓に中華鍋ごと持ってくる。
「さあ、食べよう。今食器とお箸と持ってくるね」
と青葉。
「わあ、美味しそう。私手伝うことない?」
「じゃ、そこからお箸を3組持ってって。適当でいいから」「うん」
「あと、お茶を飲むカップと。ついでにそこのお茶も」「了解」
 
朋子はその様子をニコニコして見ていた。
「女の子が2人もいると華やかでいいわあ。家出でなくても時々気軽に来てくださいね」などと言う。
「はい。今度はふつうにお泊まりに来ます」
 
夕食後、青葉は「祈祷のお仕事があるから、先にお風呂入っていて」というので日香理は先にお風呂を頂いた。風呂から上がると「あ、今集中してお仕事しているから、こちらで少し待ってて」と青葉の母が言うので、ファッション誌など眺めながら母と世間話などをしている。自分の母より年代が上だと思うのになんか世代ギャップを感じさせない、感覚の若いお母さんだと日香理は思った。考えが柔軟そう。それで青葉みたいな少し変わった子がなついちゃったのかな、などとも思った。ああ、うちの親もこのくらい柔軟ならいいのに・・・・などと思っていたら青葉が2階から降りてきた。
 
「終わった?」と朋子が声を掛ける。
「終わった。今日は割と楽だった」
「何をしてたの?」
「私は祈祷師だからね。霊的な相談なの。ただ学校もあるし1日3件までにしてもらってるんだ」
さすがに最近はほとんど死体の捜索をしているとは言えない。
「ひいばあちゃんが死んで以来、その跡を継いで小学2年生の時からやってるの」
「すごーい」
「お風呂入るね。日香理、ここにいてもいいし、私の部屋に行っててもいいよ。2階の2番目の部屋だから。パソコン、ゲストで入って使ってもいいし。ネットつながってるから。パスワードは********ね」
「ありがとう。ネットしちゃおうかな」
 
日香理は2階に上がると、ここかなと思った部屋に入り、薄明かりの中で蛍光灯の紐を探し、灯りを点けた。学習机のそばに赤い学生鞄がある。本棚があるが中身はほとんど空である。震災でやられて何も残らなかったと言ってたなと思う。 
なお、この部屋は、桃香の部屋の隣の部屋で以前はほとんど物置状態になっていたのを掃除して使えるようにし、学習机とかタンスとかを入れたものである。学習机は桃香が高校時代まで使っていたものである。
 
日香理が本棚を見ると、並んでいるのは広辞苑と今年の神宮宝暦に理科年表の3冊、それになぜか「Winnie the Pooh」(くまのプーさん)のペーパーバックが立っていた。日香理は、青葉英語うまいもんねと思いながらその本を取り出し眺めてみる。ぱらぱらとめくっていくが、このくらいの英語なら自分にも何とか読めそうな気がした。
 
本を閉じて棚に戻し、机の前に座ってノートパソコンのふたを開ける。まだ買ってまもない感じで「Intel Core i7-2630QM」などと書かれたシールが貼られたままだ。i7って確かいちばん新しいCPUだよね、などと思いながら、表示されたGuestのアイコンをクリックし、さっき青葉から聞いたパスワードを打ち込む。パソコン触るの久しぶりだな・・・・何を見ようかな・・・・ 
30分くらいネットを楽しんでいたら、ふと日香理は歯磨きをしていないことに気付いた。いけないいけない。ログアウトしパソコンをスリープさせると、日香理は自分の荷物から歯ブラシセットを取り出し、下の階に降りていった。居間は常夜灯になっている。お母さんもう寝たのかな・・・・
 
浴室の脱衣場のところにあった洗面台を使わせてもらおうと思ってドアを開けた時だった。同時に浴室のドアが開いて、青葉が出てきた。
「あ」
「あ」
「ごめん、歯磨きしようと思って」
「ううん、ごゆっくり、私今あがったところだから」と青葉が笑顔で言ってバスタオルと着替えを手に取ると、日香理と入れ替わりで居間のほうに抜けた。 
日香理は水道で歯ブラシを濡らし、いったん水を止めてから、歯磨き粉を付けて歯を磨きつつ心の中で呟いた。
 
『見ちゃった・・・・でもどうなってるの?青葉のバストほんとに大きかったし、それに・・・・おまたの所、発毛してなくて、そしてそして・・・・あの割れ目ちゃんは何よ?青葉って完璧に女の子の身体じゃん。実はもう性転換手術済みなのかしら?????』
歯磨きが終わり、居間のほうに戻るともう青葉はいない。お部屋かな?と思い、上がるともうふとんが2つ50cmほど離して敷いてあった。青葉は髪をといていた。その仕草がちょっと色っぽい。青葉って女の色気があるよなあなどと思っていたら『青葉の身体の秘密』は聞きそびれてしまった。「おつかれー。もう11時になっちゃったね。寝ようか?」
「あ、うん」
「そっちの布団、使ってね」
「ありがとう」
 
「じゃ、電気消すよ。おやすみ」
「おやすみ」
「あ、私朝4時に起きたら少し外を走ってくるけど、日香理はゆっくり寝ててね」
などという。
「へー。早朝ジョギング?」
「うん。平日はこの付近を走ることにした。休日は少し遠出して南砺市方面で山道を走るつもりでいる」
「それ、ダイエットとかじゃないよね・・・」
「うん、修行」
と青葉は笑いながら言う。
「ということで、おやすみー」
「うん、おやすみー」
 
5分くらいたった頃、日香理は小さな声で呼びかけた。
「青葉、まだ起きてる?」
「なあに?何か相談事ありそうだなと思ったから起きてた」
「あ、ごめんね。なかなか言い出せなくて」
「言いにくい話なのね?」
「青葉、秘密守れるよね」
 
「私は祈祷師だから刑法134条2項で相談事に関して守秘義務が定められてるよ」
と青葉が半ば冗談のように言うので、日香理は何となく心が開いた。
「彼とのこと、清い交際なんていったけど、こないだ実はキスしちゃったんだ」
「キスは別にいいんじゃない。好きなんだったら」
「で、キスしたのでちょっとお互い壁が消えてしまった感じで・・・・それで彼からさ・・・・今度1度Hしない?って誘われてるんだ」
「・・・日香理の気持ち次第だと思うよ。彼としたいなと思ったらしてもいいし、まだ自分には早いと思うなら、正直にそう言って断ればいい」
 
「だよね。。。私、Hに興味はあるけど、まだちょっと自分には早い気がする」
「じゃ、ちゃんとそう言おう。嫌いだから断るんじゃなくて、もっと大人になってからしたいんだって」
「うん」
「それから、どうしてもすることになったら、ちゃんと避妊しないとダメだよ」
「あれ・・・使うんだよね?」
 
「・・・買いに行く勇気無いんでしょ?」
「うん」
「それで使わずにやっちゃって妊娠したら、そのあと大変だよ」
「うん、それは分かってるつもりなんだけど。さすがに私まだ赤ちゃん産む覚悟はない。せめて高校卒業してからかなって」
「ほんとは避妊具はちゃんと男の子側が用意しなきゃいけないんだけどね、男女交際のマナーとして。でも若い男の子にはそれが分かってない子も多い」
「こちらからそれ言うと、Hに合意したみたいに思われそうで」
 
「難しい所だよね。これあげる」
そう言うと、青葉は布団から抜け出し、いったん灯りを付けると机の引き出しからそれを3枚取り出して日香理に渡した。
「生理用品のポーチか何かに一緒に入れておくといいよ。♀マークのついてるほうが女の子側、つまり外側だからそれを上にしてかぶせちゃえばいい。反対にすると無理にかぶせようとしても途中で停まっちゃうから。もし間違って逆にかぶせようとして失敗に気付いたら、それを裏返して使ったらダメ。逆にかぶせた時に付着した精液が表に来ちゃうから。もったいがらずにそれは捨てて、必ず新しいの使ってね」
 
「う、うん。これ初めて見た。でも、どうして持ってるの!?」
「こういう相談してくる子のために買ってあるの。実は昨日も相談してきた子にあげた」
「わあ。でも、これ青葉、自分で買いに行ったの?」
「うん。こないだ東京に行った時にドラッグストアで買っておいた。私もさすがに地元ではあまり買いたくない。無くなったら津幡あたりに行って買ってこようかな」
と青葉は笑いながら言った。
「でもその3枚でも足りないくらいしたくなったら、勇気出して自分で買いに行こうね」
「うん」
 
「私の震災で亡くなった姉ちゃんね・・・」
「え?」
「高校生だったんだけど、ちゃんと避妊せずに彼氏とHしてて」
「うん」
「妊娠しちゃってた。妊娠ばれたら退学という学校だったのに」
「退学になっちゃったの?」
「ううん。その前に震災で死んじゃったから」
 
「・・・ごめんね」
「ううん。でも日香理に同じ失敗して欲しくないから」
「ありがと。やはり私ちゃんと断る。高校卒業までは清い関係で居ようって言ってみる」
「うん。頑張ってね」
青葉は灯りを消して「おやすみ」と言った。
 
「おやすみ」
と日香理は言ったものの、なんだか眠れない。
「ねぇ・・・青葉」
「なあに?」
「私、彼とうまく行くかなあ・・・・」
「・・・・たとえばさ」
「うん」
「連休明けにテストやると言われたとするでしょ」
「うん」
「そのテストでいい成績が取れるかどうか今分かると思う?
「うーん。連休中に勉強していたか次第かも」
「恋愛もね、そういうこと」
「・・・・・そうか。うまく行くかどうかじゃなくて、頑張るかどうかか」
「不安は自滅を招くよ。テストだって、自分にはできるわけないと思ってたら分かる問題でも分からなくなっちゃう」
「うん。ありがとう。そう考えると少し気持ちが楽かも」
「グッドラック!だよ。やるだけやって、ダメだったら撃沈すればいい」
 
「・・・・でも青葉って凄いね。もしかして恋愛経験ある?」
「あるよ。短い恋だったけど。でもデートはしたし、キスまではされたよ」
「相手は・・・男の子?」
「私、レズじゃないもん」
「そうか」
 
日香理はなんか楽しい気分になってきた。青葉ってやはり面白い。でも青葉とキスした男の子ってどんな子なんだろうな・・・などと想像しながら少しずつ睡眠に落ちていく日香理は、青葉の『身体の秘密』のことはきれいに忘れていた。 
翌朝、日香理が起きると青葉はもういなかった。早朝ジョギングかな?と思い、着替えて下に降りていくと青葉は台所に居て、
「おはよう。もうすぐ朝御飯できるよ」と言ってる。
「もう戻って来たんだ。でも、えらーい。朝御飯も青葉が作るのね」
などと言っていたら、青葉の母も出てきた。
「おはようございます」
「はい、おはようございます。あら、もう朝御飯できてる感じね」
「もうすぐできるよ」
「あ、私も手伝う」「じゃ、これ食卓に持ってって」「OK」
 
「青葉が作りたいというから朝も任せたの。おかげで私は楽」
と朋子が笑顔で言っている。
 
「わあ、お味噌汁が美味しい」と日香理は朝食を頂きながら言う。
七分搗きの御飯、若布と車麩の味噌汁、ほうれん草のおひたし、切干大根と人参の煮物、という質素なメニューだが、それぞれきちんと作ってある感じだ。 
「ありがとう。ダシは天然ダシの粉末で手抜きだけどね。朝からきちんとダシ取るのはさすがに大変だから。それと、私、わりと薄い味付けが好きで、物足りない人もいるかな、とかも思ったりするんだけど」
 
「へー。東北出身だから味付け濃いのが好みかと思った」
「お父さんが九州出身だったから、小さい頃お父さん好みの西日本系の薄味で育ったからかも」
「なるほどー。でも私もこのくらいの味付けが好き。濃いのは苦手。でも青葉、いいお嫁さんになれるよ」
「お嫁さん、なりたいなあ」
「占いとかは青葉のほうが得意だろうけど、私、青葉は26歳までに結婚しちゃうと断言しておこう」
「日香理にそう言われると、ほんとに結婚できそうな気がしてきた」
 
でも青葉の所に泊まったと言ったら美由紀に妬かれそうだな、とふと日香理は思う。でも今度は3人でお泊まりすればいいか、などとも思ったりしていた。 
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