【寒椿】(L 1)

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それは青葉が千里たちと出会う1年前、青葉が中学に入学した時のことであった。
 
入学式の朝。早朝に青葉と姉の未雨は起きると目配せして早めに家を出た。両親ともまだ寝ていた。2人が起きるのはだいたい7時半か8時頃である。顔を合わせると難癖付けて殴られたりするので、青葉も姉も両親が起きてくる前に家を出るのが習慣になっていた。
 
ふたりだけの秘密の「隠れ家」に行き、前日乏しい予算で買っていたスーパーの残り物のパンをふたりで分けて食べる。
「青葉、私バイト探すから」「どんなバイト?あまり変なのはやめてね」
「大丈夫よ。何か食べ物を扱う所がいいな。残り物をもらえるような」
「それいいね」
「青葉がいろいろ心霊相談とかしてもらった報酬のおかげで私も生き延びてる訳だし、私も少し稼がなきゃって。それとさ、私高校出たらあんたを連れて家を出ようと思う」
「揉めそう。。。」
「揉めたっていいさ。あと2年なんとか頑張ろう」
「うん」
 
「でもさ、青葉。あんたその格好で学校に行くつもり?」
「制服無いから仕方ないし」
「じゃなくてスカート姿でいいの?」
「だって小学校ではずっとこんなだったしね」
「まあね。。。。ホントに青葉、女の子だったら良かったのにね」
「私は女の子だよ」
「うん」
無表情で返事をする青葉に未雨は優しく微笑んだ。この子の顔に笑みが戻るのはいつのことだろう、と未雨は思った。いつも父親の暴力から自分を守ってくれてひとりで責め苦を受けていた。そのためいつしか感情を失ってしまったかのような表情になってしまった。しかし不思議なのは青葉の体質だ。かなり父親から殴られているのに、殴られた跡のようなものが一切無い。青葉は「殴られ方があるの」
などと言っていたが・・・・
 
制服については自分の中学時代の制服がせめて使えたら、と未雨は思った。あれは自分が卒業したあと母が売り飛ばしたのである。売る時に未雨は写真を取られた。母がいったいどこに売ったのか考えたくも無かった。母はしばしば自分用に妙に色っぽい下着を買ってきて穿かせてはすぐに脱ぐように言って、それを売っているようであった。ほんとにいいかげんにして欲しい。こんな家早く出なくてはと未雨は思う。バイトを見つけるのは独立のための第一歩だ。
 
「じゃ頑張ろうね」とふたりは手を振り、各々の通う学校へと別れて行った。
 
青葉が私服のポロシャツとスカート姿で学校に出てくると、早速教師に咎められた。
「君、なぜ制服を着ていないのだね?」
「済みません。制服を買ってもらえなかったので」
「そんな馬鹿な話があるか?」
などと教師が言ったが、すぐに小学校時代からの級友が弁解してくれた。
「先生、この子、親から何も世話してもらってないんです。御飯さえもらってないんですよ」
「何?御飯もだと?」
「はい。それで小学校の時は、御飯とか洋服とかも友達から分けてもらってました」
「うーん・・・・入学式終わったらちょっと職員室に来なさい」
 
青葉は結局私服のまま入学式に参加し、そのあと職員室に行って、担任の先生から家庭での実態についていろいろ訊かれた。途中から校長や生活指導の先生らも加わり青葉の話を聞くと、皆「それはひどい」と言っていた。
 
制服にしても姉が2年前まで使っていたものが使えたら良かったのだが、それは姉の卒業直後に母がブルセラショップに売り飛ばしてしまったと語るとなんて親なんだと怒る先生が多かった。
 
「これ児童相談所に通報すべきですね」と生活指導の先生が言う。
「やめてください。私と姉は取りあえず何とか生き延びているので。大人の人が来て、私達の養育のことで話をしたりすると、そのあとひどく殴られるんです。今まででも」
「うーん。。。。」
「とりあえず、何とか制服が調達できないか努力してみますので、それまでは私服での通学を認めていただけませんか?」
 
青葉が感情を殺したような独特の口調ながらも、ひじょうに大人びた言葉遣いで話すため、先生達もとりあえず青葉の家庭との接触に関しては少し様子を見てからということになった。
「制服は、私がちょっと卒業生に声掛けてみるわ」と保健室の佐々木先生が言った。「それ、お願いします」と生活指導の先生が言った。
 
翌日、佐々木先生が早速制服を調達してきてくれていて、青葉は保健室に呼ばれた。
「うまい具合にまだ持っていた卒業生がつかまったのよ。さ、着替えてみて」
「ありがとうございます」
青葉はいつもの無表情で感謝のことばだけ言うと、その場で着ていたポロシャツとスカートを脱ぎ、佐々木先生が渡してくれたセーラー服の上下を身につけた。青葉が下着姿になった時、佐々木は青葉の体に虐待の跡が無いか注意して見たがそのようなものは見あたらず、少しホッとした。ブラに収められた胸がまだ小さい。栄養が充分でないせいかも知れないとも思ったが、1年生ではホントに胸の無い子もいるから標準からそんなに外れてもいないだろう、と佐々木は思った。
 
「これで中学生らしくなったわね。さ、これで授業受けてらっしゃい」
「ありがとうございました」
青葉はていねいにおじぎをして教室に戻っていった。
 
青葉がセーラー服を着て教室に入ってくると、青葉のことを知る級友たちからざわめきが漏れた。特に仲のいい早紀から突っ込みが入った。
「何?青葉、女子として学校に通えるの?」
「うーん。とりあえずこの服もらったから、これ着とく」
「ふーん。ま、いっか」
 
その日の2時限目は身体測定であった。青葉は当然女子のほうに付いていく。何人かそれを見てぎょっとしている女子がいるが、青葉はふだんめったに見せない笑顔で手を振った。早紀などは気が気ではない。さすがに下着姿になれば、女の子でないことがバレるのではと思って少しハラハラして見ていた。
 
青葉のほうが早紀より少し前の順番である。名前を呼ばれてパーティションの向こうに消えていく。そろそろ服を脱いだ頃?もしかしてそろそろ悲鳴が?などと心配していたがそれは空振りに終わった。やがて青葉は何事もなかったかのように、いつもの無表情な顔で出てきた。
 
「終わった?」「うん。終わったよ」「何か言われなかった?」「別に」
いったいどうなってるんだ?? 早紀は青葉の次の子が出てきたところを捕まえて聞いた。この子は他の小学校から来たので青葉のことを知らない。
 
「ね、青葉、何か変じゃなかった?」「変って?」
「その・・・・」
「うーん。わりとおっぱい小さい方かな。でももっと小さい子もいるしね。身長低いからおっぱいの発達も遅いんじゃない?」
などと言っていた。たしか青葉は身長が150cmくらいの筈である。
 
青葉まさか性転換しちゃってないよね・・・・と早紀は首をひねっていた。
 
翌日は体育の時間があった。青葉は当然のごとく女子更衣室に入ったが、小学生時代の級友数名につかまった。
「青葉、あんたが女子更衣室を使っていいかどうか確認させて」
「どうぞ」
「まず服を脱いでよ」
「うん。着替えるには脱がなきゃ」といってセーラー服を脱ぎ、ブラとパンティーだけになる。
「よく見せて」
といって、取り囲んだ級友たちがじっくりと青葉の体を見ている。
 
「おっぱい、一応あるね」と顔を見合わせている。
「あるよ。小さいけど」と青葉はいつも通りの顔で答える。
早紀は取り囲むメンツには入っていないものの、少し離れた所から心配そうに眺めていた。ほんとに青葉は胸にかすかな膨らみがあった。どうやってあんな胸を作ったんだろう。小学生時代は、青葉は男子とも女子とも別の部屋でひとりで着替えていたので、早紀も青葉の下着姿を見たのは小学2年生頃以来だった。むろんその頃はブラなどはつけていなかった。女の子パンティに少し異様な膨らみがあったけど。。。。でも今の青葉にはその膨らみが見あたらない。
 
「でもおまたにはあれがあるんでしょ?」
「さあ」と青葉はとぼける。「触ってみていいよ」
取り囲んだメンツは顔を見合わせていたが、そのうちひとりが
「あたしが触る」と言って、青葉のおまたにパンティの上から触った。ん?ん?などと言いながら数秒触っていたが、やがて手を離した。
「何にも付いてないよ。それに割れ目みたいな感触あった」
 
「青葉、性転換しちゃったの?」と取り囲んでいたメンツのひとりが訊く。
「秘密。でも私自分では自分のこと女の子だと思ってるの。だから女子更衣室に来たんだけど」
取り囲んでいたメンツはしばらく顔を見合わせていたが、そのうちひとりが
「青葉の体がどうなっているのかは分からないけど、一応見た目女子だから女子更衣室でもいいんじゃない?おちんちん、もし付いてたとしても、それをぶらぶらさせたりはしないだろうし」と言う。
「そうだね」
「じゃ、いいことにしよう」
ということで、彼女たちの『試験』を青葉はパスしてしまった。
 
早紀は彼女たちが離れたあと青葉に近寄り「ね、取っちゃったの?」と訊く。「秘密」と言って青葉はめったに見せない笑顔を一瞬早紀に向けたあと、またいつもの表情に戻り、制服と同様に保健室の先生が調達してくれていたジャージを身につけた。
 
翌週月曜日の放課後にクラブの紹介と勧誘が体育館で行われた。青葉は説明を聞いたあとそのまま帰ろうとしていたが、更衣室で青葉のおまたに触った子・椿妃に捕まってしまった。「ねえ、青葉どこか入るクラブ決めた?」「別に」
「じゃ、コーラス部に来ない?あんた凄い高音出るでしょ」「うん、いいよ」
椿妃は相変わらずこの子は表情からは何も気持ちが読み取れないなと思いつつも、別にいやがってはいないようだよなと思い、コーラス部の部室になっている音楽室に連れていく(ブラスバンド部は隣の音楽準備室を使っていた)。
 
入部届に椿妃に続いて青葉が記入する。名前を記入して性別は女の方に○を付けるのを椿妃は見た。「私、パートは分からない」などと言っているが、「この子、ソプラノでいいですよ。テストしてみてください」と椿妃がいうので、テストしてもらった。ピアノの音に合わせて青葉はしっかりとした伸びのある声を出す。実は声明で鍛えているので大きな声を出せるのだが、そこまでは椿妃も知らない。
 
青葉の声は下の方はE3まで出た。アルトのいちばん下の音より低い。そして問題が上の方である。まだ出るのか?とピアノの音を出している3年生が目を見張っている。教室にいた部員たちがみんなおしゃべりをやめて青葉の方に注目した。結局青葉の声はA6まではきれいに出てB6は苦しかったが、B♭6なら何とか出る感じだった。
 
「この子、小学校の音楽の時間の合唱ではアルトに入れられたりソプラノに入れられたりしてましたけど、どちらもきれいに歌えてました」と椿妃はいう。「ソプラノでお願いできる?」と部長の3年女子が言った。「でもここまで出たら、魔笛の『夜の女王のアリア』とか歌えるでしょ」と言う。青葉は「はい。それ随分歌わされました」と言って、「Cの音下さい」と言ってピアノの人に音をもらうといきなりアカペラで歌い出す。
 
「So bist du meine Tochter nimmermehr.  So bist du meine Tochter nimmermehr.
 hahahahahahahaha-ha, hahahahahahahaha-ha,  hahahaha hahahaha hahahaha-hahahaha-hahahaha-hahahaha-ha,
 meine Tochter nimmermehr.
 hahahahahahahaha-ha, hahahahahahahaha-ha,  hahahaha hahahaha hahahaha-hahahaha-hahahaha-hahahaha-ha,
 So bist du meine Tochter nimmermehr」
 
部室全体から割れるような拍手。
『この子、無表情だけどノリはいいのよね』と椿妃は拍手しながら思っていた。
 
部長が「ブラーバ!」と言って拍手しながら近寄ると「6月に大会があるからさ、ソプラノで出てよね」と嬉しそうに言う。
 
ただ椿妃にはひとつだけ不安があった。「青葉、声変わりとかしないのかな」と。
 

青葉の性別はちょっとした偶然でばれてしまった。
 
連休に入る前、担任が青葉の家庭の件について、小学校の時の担任の先生に話が聞けないかと思い、連絡を取ってみた。そして話をしている内に小学校の先生が「あの子、あんななりしているけど、さすが男の子ですよね。お姉さんを父親の暴力から守ってあげているみたいで」などと言った。
「へ?」と中学の担任は思った。「男の子?あの子、男の子なんですか?」
「え?」と今度は小学校の担任が言う。「男の子・・・ですよね」と向こうがかえって自信無いという感じの声で答える。
 
早速青葉を呼び出す。
 
「君、もしかして男の子なの?」
「私は自分では自分のことを女だと思っています。ですから、入学以来女子として扱ってもらえて、とても嬉しかったです。でも戸籍上の性別は確かに男になっています」
 
このあと職員室はちょっとしたパニックになってしまった。
誰も青葉が女の子ではないなどとは思いもよらなかったのであった。
 
「だって私この子の下着姿見てますけど、女の子の体にしか見えませんでしたよ」
と保健室の先生も体育の先生も言った。青葉の家の人にも話を聞きたいということになったが、両親との接触は問題がありすぎるようであったし、そもそもまともな話が聞けそうにないということで、青葉本人に確認して、高校に行っているお姉さんに来てもらうことにした。担任、学年主任、生活指導主事、校長、教頭、養護教諭の6人で話を聞く。未雨は語った。
 
青葉が物心ついた頃から女の子になりたがっていたこと。小学校に入った頃からずっと女の子の服しか着ていないこと。友達もほとんど女の子で、遊ぶ時も女の子たちと遊ぶことが多かったことなど。青葉のバストについては姉もよく分からないが、本人がいろいろ努力して作り上げたもののようだと言った。「ホルモン剤を飲んでいる訳ではないと思います。そもそもそんなもの買うお金ありません」と姉は言った。ただ青葉はヒゲも生えないし、体毛などもふつうの女の子並みであり、また声変わりはしていないようだと証言した。
 
青葉の姉にいったん退席してもらってから、その結果や別途小学校の時の担任から聞いた話などを報告した職員会議は大荒れに荒れた末にひとつの妥協案を見出した。あらためて青葉と姉を職員室に呼び、結論を伝える。
 
まず一応男子である以上、少なくとも授業中は男子の制服を着て欲しい。授業中以外の服装については特に何もいわない。通学時や放課後活動・校区外活動は「制服」であれば構わない。(つまり女子制服でも構わない。特にコーラス部の練習や大会には女子制服で行ってもらって問題無い)
 
トイレについては、男子トイレの使用は困難なようだし余計な混乱をもたらしそうなので来客用の多目的トイレを使ってもらいたい。髪の毛については女子の基準で長くなりすぎなければよしとする。(この中学は男子の髪はかなり短くすることになっているのでそれを青葉に強制するのはさすがに気の毒だということで全員一致した)
 
体育の時の着替えについては、小学校の時の扱いと同様に専用の更衣室を用意する。体育の授業については男子と一緒にさせて男子と身体の接触があるといろいろ問題がありすぎるので、女子と一緒に受けてもらう。夏の水泳の授業の時の水着は女子用でよい(青葉は胸があるので男子の水着を着せるわけにはいかない)。
 
そこで男子の制服をあらためてOBに頼んで調達して青葉に渡すことにした。
 
翌日、青葉が学生服を着ているのを見て教室はまたざわめきが起きた。担任が経緯について説明する。
 
しかし授業中だけ男子の制服を着ることを強要されたことで女子生徒の間に青葉への同情が広がった。特に椿妃たち、先日青葉を更衣室で取り囲んで身体チェックしたグループなどは、青葉に「あんたが可愛い女の子になれるよう応援するからね」などといって、しばしば可愛い服を調達してきて、青葉に「これあげる」などと言ってプレゼントしてくれた。彼女たちとは放課後一緒に遊んだりすることも多くなった。
 
トイレに関しては椿妃や早紀など同級生の女子が10名ほどで校長の所に抗議に行った。青葉は普通の女の子と全然変わらない。トイレは全部個室なんだし、わざわざ女子トイレから排斥する必要はないのではないかと。校長もその件に関してはどちらかというと容認派であったので、再度職員会議に掛けることを約束してくれた。その結果、青葉は男子の制服を着ている時は共用トイレを使ってもらうが、女子の制服を着ている時は女子トイレで構わないことになった。
 
先生達の中にも、授業中だけ男子制服を着るようにさせなくても、ずっと女子制服でよいのでは、という意見の先生もけっこういたが、保守的な先生たちの抵抗で、その件については少し時間をおいて議論することになった。
 
そういうわけで青葉は毎日、女子の制服で通学してきては1時限目の前に学生服に着替え、授業が終わるとまた女子の制服に着替えて、図書館で過ごしたりクラブ活動をしたり、また友人達と街に遊びに出たりする生活をするようになったのであった。昼休みもコーラス部の練習がある時は青葉は「専用更衣室」で女子制服に着替えて出ていた。
 
コーラス部ではみんな青葉の性別問題には驚いていたが青葉が「私は今後も声変わりしないですから大丈夫です」と明言したのでそのままソプラノに留め置かれた。入部時にE3〜B♭6だった青葉の声域はゴールデンウィーク明けの頃には練習の成果、D3〜C7まで広がっていた。顧問の先生は青葉のこの声を活かさない手はないというのでソロパートのある曲を練習に組み込んだ。
 
「青葉、男子の声は出ないの?」と椿妃は訊いたが「それは出ないんだ、御免」
と青葉は答えた。「もしかしてカストラート状態?」「似たようなものかな」
 
更衣室問題に関しても青葉の級友たちは先生達に申し入れたものの反応が芳しくなかった。そこで椿妃らは実力行使に出て、体育の時間に青葉を半ば拉致するかのように「いいからこっちおいで」と女子更衣室に連れていき、ここでみんなとおしゃべりしながら着替えようよなどと言った。この結果、少なくとも体育の時間は青葉はみんなと女子更衣室で着替えることが多くなった。その状況を見ても先生達は特に何も言わなかった。一応のタテマエは通っているので、実態については、黙認してくれている感じであった。
 
青葉がいつも無表情で感情を殺した話し方をすることについては保健室の佐々木先生が心配して、しばしば保健室に呼んで話をした。しかしなかなか改善は見られない感じであった。5月のある日、佐々木先生と青葉が保健室にいた時、同じ1年の別のクラスの女子生徒が気分が悪いといって保健室に来た。とりあえずベッドに寝せて熱など測ったりしていたが、青葉に気付くと「ねえ。青葉、容子の生理不順、治してあげたんでしょう。私のも治してくれない?」という。
 
「ちょっと診せて」と言って青葉はその子のお腹のあたりに左手を出す。直接身体には接触させずに2〜3cmの距離に留めている。
「生理不順というより生理が重いでしょ、これ。それと生理前がきついよね」
「うん、そうそう」
「生理のサイクルはそんなに乱れないんじゃない?今気分が悪いのもPMSかな」
「そうなのよ」
佐々木はふたりの会話を聞いてあっけにとられている感じだ。
 
「とりあえず応急処置。今辛いのを軽くしてあげる」と言うと
青葉は目をつぶって、左手をそのままの位置に置いたまま、右手の指を何やら印でも結ぶような形にした。しばらくそのままにしていたが、やがてゆっくりと左手を身体と並行に動かし始めた。気功かしら?と佐々木は思う。青葉はその動作を5分くらいしていたが、やがて「あ、ここだ」と小さく呟くと、一気に強くその手を動かした。「あ」と女生徒が声を出す。
 
「どう?」
「今凄く楽になった」
「滞っていた所が流れるようにしたから。でも少し寝ていたほうがいいよ。夕べ、夜更かししたでしょ」
「凄いなあ、そういうのも分かっちゃうのね」
「寝不足はお肌にもよくないよ」
「そうだよね」
「それとホルモン分泌も少し乱れていたの修正しといた」
「ありがとう。あ、お代は月末でいい?今お小遣いピンチで」
「いつでもいいよ」
 
目をつぶってうとうととし始めた感じの女生徒を寝かせたまま、佐々木と一緒にベッドから離れた。
 
「今のってもしかして心霊治療?」
「心霊治療もしますけど、今のは気功です。たいていは気功のレベルで治せますよ。私のひいおばあさんが拝み屋さんだったんです。私が小2の時に亡くなったんですが、私はそのひいおばあさんから凄い素質があるって言われて、幼稚園の頃から一緒に滝行とかしてたんですよね。私、ひらがなより先に梵字の阿を覚えたんです」
「へー」
 
「それでひいおばあさんが亡くなってから、生前からこの子が私の跡継ぎだからってあちこちで言ってたみたいで、私でもいいから診てくれって人がたくさん来て。手に負えないのはひいおばあさんの大人のお弟子さんとかにも回していたのですが、私でもできる程度のものは治してあげたりしてました」
 
これは実は嘘である。逆に弟子の佐竹さんが手に負えないのが青葉の所にまわってきていた。お金も佐竹さんが1年前に亡くなるまで管理してくれていた。佐竹さんが亡くなった後は、佐竹さんの娘さんが連絡係をしてくれている。
 
「で、有料なのね?」
「はい。こういうものはタダでしてはいけないと言われています。タダですることで無責任になってはいけないから、ちゃんとお金を取るのだ、と」
「ああ、そういうことを言う人いるね」
 
「実際問題としてこれでいただくお代のおかげで、私と姉は最低限の食料を確保してるんです。これ秘密ですよ。親に見つかるとお金取り上げられるから
 
かなり慎重にお金は隠してるし。時々わざと少し発見させてそれで満足させてます」
「あなたって、ほんとに大人ね」
「かわいげ無いってよく言われます」
「違うわ。良い意味でよ。でも、ホルモン分泌の乱れとか、そんなの治せるのね」
「ホルモンは精神の影響を受けやすいので、逆に気功でコントロールしやすいです。私の胸も、自分の体内の女性ホルモンを活性化させて作ったんです」
「そうだったの!」
「・・・・先生にこれ言ったら叱られるだろうな・・・・」
「何?」
 
「私・・・小学5年生の時に自分の睾丸の機能を止めちゃったの」
「・・・・・」
「だから、私は去勢してるのと同じ。だって、声変わりとか絶対嫌だと思ったから。最初足に1本黒い毛が生えてきたのを見て、ああ私は男になってしまうのかなって、一晩泣き明かしたんです。でもこれ絶対阻止しようと思って」
「それで、あなたヒゲとかも無いのね」
「はい」
「叱られるようなことだとちゃんと分かっているのなら、いいわ。それと、そういうことを打ち明けてくれてありがとう。校長先生たちには言わないから」
佐々木はこの子が自分には少しだけ心を許してくれたんだなと感動していた。
 
「ありがとうございます。完全に止めるのに実際は1年近く掛かりました。でも止めた後、ホルモン的にニュートラルになるのはまずいからと思って女性ホルモンを活性化させたんです。おっぱいが少しだけできたのは、半ばボーナスみたいなものかな」
その時ちょっとだけ青葉は笑顔を見せた。
 
「青葉ちゃん、辛いことがあったらいつでも私に言ってね。あと御飯が確保できない時は遠慮無く言って。お姉ちゃんともども何か食べさせてあげるから」
「ありがとうございます。頼ることあるかもしれません」
 
青葉が丁寧におじぎするのを見て、佐々木はほんとにしっかりしている子だと思った。この子ができるだけふつうの女生徒として生活できるように、自分もいろいろしてあげたいとも思った。
 
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