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目次]
群衆はややどよめいたが、交換は続いていた。しかし金の鷽・銀の鷽なんて、当たらないよなあ、と私は思った。ずっと交換しているのは大きさの違いがいくつかあったものの、みんな感触的に木の鷽だった。金属製のものにあたれば、絶対感触が違うはずだ。
ところどころで「わっ当たった」という声がした。しかし受け取ってすぐに離れていいシステムなら、神職さんたちは、どういう基準で渡す人を決めているのだろう? ほんとに適当なのだろうか?? そんなことを考えていた時耳元で「それは思いの強い人」という声がした。
え?と思ってそちらを見ると、緑色の振袖を着た中学生くらいの女の子がこちらをニコっと見ていた「替えましょ替えましょ」というので、私は彼女に自分が持っていた鷽を渡して「替えましょ替えましょ」と言った。代わりにもらったのは、何かずしりと重い鷽だ。「強い思いを持った人は独特のオーラをまとっている。そういう人に金の鷽や銀の鷽を渡すの。でもあなたの鷽はこれ。このまま静かに人混みから離れて」そう少女は言った。
私はその声に覚えがあった。福豆を渡してくれた子の声だ。そして、杉の下で聞いた声だ。そしてこれは確か・・・・・
私はその子に誘導されるように、人混みから静かに離脱した。替えましょ替えましょの声で腕を伸ばしてくる人はいるが、私は交換せずにしっかりとその鷽を握りしめていた。
「みちる、大きくなったね」「やはりかずみちゃん?」私は小学1年の時に事故で亡くなったはずの親友の名前を口にした。彼女はふふふと可愛く笑うと、人混みの中にまた消えていった。私が手にした鷽を見ると、それは緑色に塗られた鷽であった。
そしてその時、私は自分の体に異変が起き始めていることにも気づいていた。
私はとにかく家まで帰ろうと思って歩き始めたが、そのままふらふらとして堪えられず、しゃがみ込んでしまった。
「君君、大丈夫」「あ、すみません、何とか」
とは言ったものの立ち上がれなかった。人が集まってくる。
私は結局、神社の巫女さんのひとりに車で家まで送ってもらうことになった。家の前でお礼を言って降りたものの、またふらふらとしたので、結局巫女さんがインターホンのベルを鳴らしてくれた。
母が出てきて、びっくりしたようにして私を家の中に入れ、巫女さんにお礼を言う。「貧血かな?気をつけてね。あなた体が細いし、無理なダイエットとかしちゃダメよ」「はい、ありがとうございました」
「あら、あなた何を握りしめてるの?」「あ、これ?」といって私は
その緑の鷽を母と巫女さんに見せた。そうだ。ずっと握りしめてたんだ。
「その鷽は!」
巫女さんは驚いた様子だった。
「これは何か特別な鷽なんですか?」
「いえ。私も詳しく知らないというか、ごめんなさい。失礼します」
巫女さんは慌ただしく帰って行った。
その頃、お祭りが終わって帰り道を歩いていた高校生が会話をしていた。
「なにその観鳥天満宮の伝説って?」
「もともと観鳥天満宮って、今は鳥を観るって書くけど、昔は緑色の緑で緑天満宮だったらしいね。寛文年間に、徳川綱吉公がまだ館林の城主だったころ、緑色の小袖を着た乙女に先導されて天神様が降臨したというのが、この神社の御由緒らしい」
「それでその緑色の小袖の乙女というのが、この鷽替えの人混みの中に何年かに1度現れるという伝説があってさ」「緑色の着物くらい着ている人いるんじゃない?お祭りだから和服の人もいるでしょ」「まあね。でもその緑色の乙女が、緑色の鷽を渡してくれるんだって」
「へー、じゃ金の鷽、銀の鷽のほかに大当たりの緑色の鷽があるんだ!」
「その鷽をもらった人は、ホントに自分がついた嘘を本当にできると」
「ふーん。誰か緑色の鷽とかもらった人いるの?」「あくまで噂だから。でも、それで本当にできる嘘というのは、自分でも嘘と思ってついた嘘じゃなくて、自分にとっては本当であるような嘘なんだって」「例えばどんな?」
「うーん。例えば金持ちの男の財産に目がくらんで、好きでもないのに『あなたが好きです。あなたのこと一生愛しますから結婚しましょう』とか嘘で言っても、そういうのは叶わない。でも、自分はここに大きな遊園地を作ってみんなが楽しめるようにしたいとかお金も無いのに言っても、誰もいい加減なこと言ってと思うけど、本人が本気でそうしたいと思っているのなら、そういう人が緑の鷽をもらうと、それは叶うんだって」
「なるほどねえ。私はその緑の鷽もらって東大に受かりたかったな」
「本気で東大に行こうと自分で思ってる?」
「ぜんぜん」
「じゃダメじゃん」
「そうか!」
「大丈夫?みちる」
母は何とか居間までたどり着いてカーペットの上に横になった私に声を掛けた。
「お母さん、驚かないでね」
私は母の前でぜんぶ服を脱いだ。
「みちる、これは・・・・・」
私は「信じてくれないかも知れないけど」といって、神社の境内で起きたことを語った。母は私の体にとりあえずガウンを掛けてくれていた。
「信じるしかないわね。これ見たら。でもどうしようか?このあと」
「私は、そのうちお金貯めて手術してこういう体になりたかったから、今こうなっちゃっても、全然問題無い。今日は寝るね」
「気分が悪かったら言うのよ。救急センターに連れて行くから」
私の体の「トランスフォーム」は実はその時点でもまだ続いていたのだが、翌朝には完全に完了していた。母は抵抗する私を説得して病院に連れて行った。
ずいぶんあれこれ検査された。その結果、私の体は完全な女性であり、卵巣も子宮もあることが分かった。半陰陽の一種ではないかと医師は思ったようで染色体検査などもされた。生まれた時に女性の外見だったのに、10代の頃に突然男性の外見になってしまう「5α還元酵素欠損症」という症例が30年ほど前ドミニカで大量発生したことがあり、それの逆のタイプの半陰陽かも知れないと医師は言っていた。
しかし・・・検査の結果は「正常なXX」ということだった。
「あなたね、ほんとに男の子だったんですか?元々女の子だったのを男と偽って今まで暮らしていたのでは?」などと医者からは不審の目で見られる始末だった。
私は「間違いなく女性である」という診断書を下さいと言った。
医師は不満そうな顔で診断書を書いてくれた。数日後、母と一緒に裁判所に行き性別訂正の申請をして即日認められた。父はこの件に関して沈黙を守っていた。結局、私はそのあとずっと父とは何も話していない。
半月ほどにわたる欠席のあと、私が女子の制服を着て学校に行くと、みんなは驚いた様子であった。母が検査結果の報告書や診断書、そして性別の訂正がなされた戸籍抄本などを添えて学校に説明したので、学校側もすみやかに学籍簿上の性別を変更してくれた。「いや、性同一性障害のケースかと思って職員会議で討議せねばと思ったのですが、一種の病気だったんでしょうね。その場合の性別変更は全く問題ありません」と校長先生は言っていた。
私はクラスメイトたちからあれやこれや質問攻めにあったが、その異変があの鷽替えの夜に起きたということ以外は何でも素直に答えた。体育での着替えの時は、私がもじもじしていたら女子達に腕を引かれて女子更衣室に連れていかれ下着姿にされてたくさん観察された。彼女たちの厳密な査察?の結果、私は女子更衣室の使用、問題無しということで結論付けられたようであった。女子トイレを初めて使った時もドキドキだったし、注目の的だったが、私もすぐに慣れたし、みんなもすぐ慣れた。そして私はごく普通の女の子ライフを送り始めた。そして、男の子時代は全然友達がいなかったのに、女の子になってからは、何人か親しく話せる友人ができていた。
1年後。私は節分の夜、ひとりで観鳥天満宮を訪れた。今年はもう鷽替えには参加しない。あの杉の木の下で見物を決めていた。するとあの声がした。「どう、新しい生活には慣れた?」私はその声のする方を向くと彼女が消えてしまいそうな気がして振り向かずにそのまま答えた。ただ、目の端に緑色の振袖が見えているような気がした。
「ありがとう。最初はいろいろ戸惑いがあったけど、だいぶ慣れたよ」
「よかった。みちるは女の子のほうがふさわしいもん」
彼女の声はよく考えると耳に聞こえるのではなく、直接頭の中に飛び込んでくる感じだった。
「また会える?」「必要な時には。どっちみち63年2ヶ月後には会えるけど」
私はその年数の意味は聞かないことにした。
「でも会えなくても、私はみちるのそばに存在してるよ。それが私の修行なんだって。あ、あまり余計なことしゃべるなと注意された。じゃ、またね」
彼女が手を振った気がしたので、私も手を振った。
私はポーチからあの緑の鷽を取り出した。
「私も頑張らなくちゃ」
鷽替えが始まっていたが、その声を背中に、私はゆっくりと神社を後にした。
(C)2011-02-03 Eriko Kawaguchi