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スイッチを入れてふたりの目に飛び込んできたのは、巨大な津波の映像だった。
「何?これ・・・・」
淳平も叔母も絶句した。
それはもう何かであらがうことのできるものではなかった。
田畑が飲み込まれていく。ビニールハウスが飲み込まれていく。この田畑を作ってきた人のたくさんの努力が無残にも波の中に消えていく。淳平は自分が作ったものが無碍に壊されていくような気がして涙がこぼれてきた。
家が飲み込まれていく。道路が飲まれていく。道路上の車が飲み込まれていく。「あの車、人乗ってなかったよね?」と叔母が言ったが、淳平は答える言葉が無かった。
津波はやがて高架になっている道路の所で停まった・・・・かに見えたが、その暴力的なエネルギーは激しくうごめいていた。どこか突破口を探しているように見える。そしてやがて、高架の中の1点を突き破る。津波は更にそのエリアを広げていった。近くの道を走っている車がいる。あの車は逃げ切れるだろうか。画面の端から外れてしまったが、淳平は何とか逃げてくれることを祈った。
いつの間にか長い時間が過ぎていった気がする。ふたりとも、あまりの無残さに、言葉を失い、何もすることができずにいた。テレビの電池が切れる。「これバッテリーですか?」「単三電池でも動く。10本必要だけど」
「車にあるから取って来ます」
淳平は車に戻ると、電池のパックの他に、カップ麺を2個と、カセットコンロを取って来た。テレビに電池を入れてスイッチを入れたあと、やかんを借りてペットボトルの水を入れ、お湯を沸かし始める。
「テレビ停めてラジオにしようか。そのほうが電池節約できるし」と叔母は言って、テレビを消し、小型のラジオを付けた。正直もうこれ以上悲惨な映像を見ていられない精神状態になりつつもあった。家の電気はまだ回復しない。寒くなってきたのでストーブを付けた。
「いや、とんでもない時にこちらに来ちゃったね」
「・・・さっきから考えていたんですけど、僕はここで何かしなければならない気がします。そのためにここに来たという気がします」
カップ麺を食べると叔母は少し元気が出たようで、親戚などと電話で連絡を取り始めた。しかし、電話がつながらずなかなか安否確認が出来ない。淳平も和実に電話するがやはりつながらない。自分の兄や実家にも電話するのだがそれもつながらない。かなり輻輳している感じだ。実家は愛媛なので問題ないのだが、やはり気になるのは石巻の和実だ。メールの返事も来ていない。
21時頃、黒石市に住んでいる伯父がやってきた。電話掛けてもつながらないので女の一人暮らしが心配だからというので、とにかく来てみたのだという。伯父も親戚関係の安否は確認できてないということだった。「とにかく電話がつながらないとどうにもならん。その前に電気か・・・」
その日は電気が回復しないまま、早めに寝ることとなった。
結局、電気が回復したのは翌日の夕方くらいであった。食料は叔母の家にも多少の備蓄があったし、淳平も車に積んでいるので心配なかったが、供給がストップするのは確実なので、どのくらい非常事態が続くのかが不安だった。12日はスーパーに買い出しに行ってみたが、どうも出遅れたようであまり物が残っていなかった。どうやら昨日のうちに買い物に来なければならなかったようだ。念のため数軒コンビニに寄ってみたが、全く物が無いか、そもそも閉めていた。
ただ出歩いたことで、色々情報も入手することができた。やはり地震そのもの以上に津波の被害がひどかったようだ。どこどこの町が壊滅状態などという話が入ってくる。仙台市内で100名ほどの遺体発見などというニュースも流れてきた。淳平はこの地震の犠牲者がひょっとしたら1万人を超すかも知れないという気がしたが、口に出すのはやめておいた。
12日の夕方、mixiに和実が「もう悲惨。取りあえず私も姉も無事」という短文の書き込みをしていた。よかった。無事だった!と思うとホッとした。私が「よかったぁ」などと言っていたら、伯父が画面をのぞき込んできた。「石巻の友人が無事と書き込んでました」と言う。
和実のトップページの写真を見て「へえ、ガールフレンド?めんこいな」
と言った。淳平は少しドキッとした。数日前、別れ際にキスされた時の記憶がフラッシュバックする。淳平は大変だろうけど頑張ってね、というコメントをしておいた。同じ内容のメールも送っておいた。
この時点で青森・岩手付近の親戚とはだいたい安否の確認が取れていた。ただ仙台にいたはずの従妹の佳奈とまだ連絡が取れていないようであった。
13日のお昼前、携帯に着信があり、見ると和実からだ!淳平はすぐにオフフックボタンを押した。「もしもし大丈夫?」「とりあえず生きてる。でもお腹空いた」
「今どこにいるの?」「石巻市内の避難所。姉ちゃんの住んでいたアパートも勤めていた美容室も流されちゃった」「よく無事だったね」「私は仙台市内に買い物に行ってたの。石巻までは通りがかりの車に乗せてもらって戻った。姉ちゃんもちょうど交代で遅めのお昼御飯に出ていて、ビルの6階にいて無事。でも美容室のあった所まで戻ってみても跡形もなくて。スタッフの誰とも連絡とれないみたい」「なんと。。。。。そうだ。食料無いの?」「全然無いよ−。もう空腹感通り過ぎてる。昨日は配られたおにぎり1個を姉ちゃんとふたりで分けて食べた。今日は果たして何か食べられるか」
「そちらに行くよ。とりあえず調達できる範囲の食べ物を持って行く」
「でも道が寸断されてるから」「やってみるさ」
和実は携帯の電池節約のため、必要な連絡をする時以外は切っていると言っていた。ただ予備のバッテリーを持っているので数日は大丈夫らしい。現地はまだ電気が回復していないようであった。
淳平が友人のいる石巻に寄ってから東京に帰ると言うと、伯父が「うちのリンゴを持っていけ」と言った。伯父はリンゴ農園を経営している。収穫は秋だが、出荷は少しずつおこなうので、まだかなり在庫があるらしい。どっちみち国道4号線がどのくらい通れるのか分からなかったし、仙台方面には山形の方から回りこもうと考えていた。黒石は途中だ。
私と伯父は叔母に別れを告げて黒石に向かい、伯父の家で、りんごの箱を載るだけトヨエースに詰め込んだ。伯父の家にあった電池、カセットボンベ、に灯油も6缶ほど積み込んだ。伯父にお礼を言い、7号線を夜通し南下する。和実にそちらに向かっているので避難所の場所を教えてくれるようメールをした。その日は酒田近くの道の駅で車中泊した。翌朝47号線で新庄まで行くが、47号線の新庄以東は怪しい感じがしたので、いったん13号線で山形市まで南下。国道286号で仙台南部に入った。
悲惨だった。
これをどうやって復旧すればいいんだ?と淳は思った。あちこちで通行止めになっていて、淳はそのたびに地図を見て迂回路を探して石巻を目指した。仙台の中心部まで行った頃、和実から返事が返ってきた。そちらに向かっていると、警官が検問をしていた。
「どちらまで行きますか?」
「石巻です」
「向こうは道路がめちゃめちゃで通れませんよ」
「なんとかします。救援物資を運んでいるので」
「おやそうでしたか。では緊急車両の許可証を発行しますので少しお待ち下さい」
少し待っていると、警官が許可証を持ってきてくれた。
「これで三陸道を通れますので使って下さい」
「ありがとうございます。助かります」
どうもこの車がいかにも物資を運んでいるふうなので、許可証をもらえた気がした。プリウスならダメだったかもなと淳は思う。そもそも物資が載らなかった。運命は仕組まれているものだという気がした。三陸道の入口で許可証を見せて乗ると、緊急車両のみなので、道はがらがらであった。しかしあちこち道路が傷んでいる。淳は慎重に車を進めた。
石巻河南ICで降りて、和実が連絡してくれた避難所に辿り着いた。
青森からりんごを持ってきたことを告げると、避難所にいた人たちが
協力して、箱をおろしてくれた。半分くらい降ろしたところで「うちだけでは悪いので、別の避難所にも持って行って欲しいと言われた。そこで、リンゴ以外の救援品、カップ麺、米、水、電池、カセットボンベ、灯油なども半分だけ降ろし、市の職員の人の誘導で別の避難所まで持って行き、それからまた和実たちの避難所に戻ってきた。
「リンゴ美味しかったよぉ、淳。そして来てくれてありがとう」と言って和実は淳に抱きついた。淳はドキドキした。和実はライトグリーンのモヘアのセーターにジーンズのスカートを穿いていた。地震にあった時に着ていたもので、着替えも無いらしい。
「ねえ、淳はこれから東京に戻るの?」
「そのつもりだったけど、どこか行く所があるなら乗せてくよ。幸いにもガソリンは地震の直前に満タンに給油してたんだよね。この車、バンにしては燃費がいいからまだ半分も使ってない」
「私と姉ちゃんを盛岡まで連れてってくれない?反対方向で申し訳ないけど」
「実家だね」
「一応無事は確認してるんだけど、向こうもかなり被害にあったみたいだから」
「よし、行こう」
和実と姉は盛岡に移動するということを避難所の人に言ってから、淳の車に乗り込んだ。和実を真ん中にして、左側にお姉さんを乗せる。
「すみません、お邪魔します」とお姉さんは恐縮している。
「青森からは4号線を下ってきたの?」
「いや通れるかどうか不安だったから7号線の方から回り込んできた」
「わあ、やはりひどいのかな」
「でも来る途中で会ったトラックの運転手さんとかから聞いた話ではかなり通れるようになっているみたい。だから4号線を北上しよう。浜街道は絶対無理だろうし」「ですね」
108号で大崎まで出てから4号線を北上する。途中広めのCBがあったので車を駐めカップ麺で食事にした。荷室に移動し、カセットコンロでお湯を沸かしてお湯を注ぐ。「わあ、暖かいもの食べるの久しぶり」と和実も姉も喜んでいる。
「あのさ、和実。着替えてないんだったら、もし私の着替えでも良かったら着る?実は今回の旅に出かける前に買った新品のブラとショーツが1組だけ残ってるから、それをお姉さんに使ってもらって、和実は私の使っている服だけど、洗濯済みのを。これも地震に遭う前日にコインランドリーで洗ったもので」
「わあ、助かる。貸して貸して」
「じゃ、出しておくから着替えてね」といって淳は着替えを渡して先に運転席に戻った。しばらくして和実と姉が戻ってきた。
「着替えたら凄く気持ちいい」「良かったね」
淳は笑顔で車をスタートさせた。
さすがに4号線は混んでいた。しばしば渋滞にひっかかったが、ガソリンがもったいないので動かない時はエンジンを停めておき、前の車との距離が少しできたらエンジンを掛けて前に移動した。その日は結局花巻近くの道の駅で車中泊をした。駐車場はいっぱいだった。
鍋でお湯を沸かして「サトウの御飯」を暖め(10〜15分ほど熱湯につけるとけっこう美味しく戻ってくれる)レトルトのカレーを掛けて夕食にする。和実がトイレに行っている間にお姉さんが話しかけてきた。
「あの・・・」「はい?」
「あの子の性別は・・・・ご存じでしょうか?」
「ええ、聞いてますよ」「ああ、よかった。あの子ああしてるとホントに女の子に見えちゃうから、同性と思っておつきあいしていたら実は異性だったなどということになると色々面倒だして思って、ちょっと老婆心ながら・・・」
「あはは、それは全然問題無いかと。私も男ですし」「え!?」
お姉さんは目をパチクリさせていたが「本当ですか?全然気付かなかった」
と、ほんとに驚いている様子であった。
「あの・・・」「はい?」
「あの子とは、もしかして恋人同士なんですか?」
「いえ、友達ですよ、とりあえず今のところは」と淳は笑って言った。
「でも好きになっちゃいそうなくらい可愛いですね」
一週間前に逢ったばかりだということは黙っておいた。お姉さんとも携帯の番号とメールアドレスを交換しておく。
「あの子をああいう道にハマらせちゃったのは私にも責任があるんですけど・・・でも、ああしてるとホントに可愛くて、姉の欲目かも知れないけど。それでつい、可愛い服を買ってきて着せてみたくなっちゃったりするんですよね。
避難所でも誰もあの子が女の子ではないなんて思ってもいなかったみたいでした。だけど、あの子が本当の女の子になりたいとか言い出したらどうしよって少し不安ではあるのですけど」
「それは本人もしっかり悩んで自分の進むべき道を考えているみたいですよ」
と淳はまじめな顔で答えた。
そこに和実が戻ってきた。
「わあ、カレーだ。嬉しい」
「あと5分くらい待って。あ、そうだ和実」「うん」
「実家に帰るなら、その格好はまずいでしょ。私の男物の服あげようか?洗濯してないけど」
「あ、それはいい。この格好で行くから」「え?」
「それ私も言ったんですが、この際だからカムアウトしちゃうって」
と姉が困ったように言う。
「それ、いつかはしないといけないかも知れないけど、何も今しなくても」
と淳は言った。
「私のことのショックで地震のショック忘れちゃうかもね」
と和実は笑っている。
食事が終わったあと、しばらく道の駅のテレビでニュースなどを見たあと8時頃、寝ることにした。荷室の布団に和実とお姉さんを寝せて淳は運転席で寝ていたのだが、少しして、和実が運転席の方に来た。「こちらで寝せて」
「狭いよ」「くっつけば平気」和実はそういうと、淳の傍にくっつくようにしてスヤスヤと寝てしまった。寝顔がとても可愛かった。