広告:Re-born(佐藤かよ)
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■宴の後(4)

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会社が引けてから、私はあのスナックに行ってみることにした。
 
「いらっしゃい」と若いママが声をかける。時間が早いせいか客は他に誰もいなかった。水割りを注文する。「中村さんでしたわよね」とママが言う。「すごいですね、覚えていてくださったんですか」「それが商売ですから」
 
「実はちょっと訊きたいことがあるのですが」とママの顔を伺う。「先日、こちらに来た時に、私たちの様子で何か変わったことはなかったかな、と思いまして」と自分でも訳の分からない聞き方をする。
 
するとママはしばらく考えていた風だったが、やがて「違ったら御免なさい。もしかして、あなた女の方ですか?」「え?」ドキっとする。ママは続けた。「違うわね。最近、女になった方ですね」私はあまりにストレートに言われて、返す言葉を失っていた。
 
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「でしたら、もしかしたら、ここがお役に立つかも知れないわ」ママはそういうと、近くのメモ用紙に何かを走り書きして渡してくれた。
 
そこには「青木クリニック」という名前と簡単な地図が書かれていた。
 
「もし、そこに行かれるのでしたら私の服をお貸ししてもいいから、女の格好に戻ってから行かれた方がいいわ。そちらの部屋で着替えれるけど、どうします?」
 
私は何をどう考えていいのか分からず、取り敢えずその小部屋に入った。休憩用の部屋のようである。ママはいくつか服を取り出して渡してくれた。
「これとこれ、着ていくといいわよ。返さなくてもいいから。じゃ、私は店に出てるから」といってママは先に小部屋を出る。
 
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私は手渡されたブラウスとスカートを手に取ったまましばらくながめていたが、やがてため息を付き、それに着替えて外に出た。するとママが「あらやはり可愛くなるわね。お化粧品は?」私が用意してないというと、ママは手近のバッグを取り出して、簡単にメイクをしてくれた。私はお礼を言い、1万円札を2枚出して渡そうとしたがママは「多すぎるわ」と言って1枚返してよこした。私はおじぎをしてスナックを後にした。着てきた背広はママが紙袋に入れてくれた。
 
私は近くの駅から電車に乗り、そのメモ用紙を眺めていた。「青木クリニック」私はここで手術されたのだろうか?とにかくそこに行けば、何かが分かるに違いない。もしかしたら男に戻れるかも。
 
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そんなことを考えている時、電車の中に若い女の子たちの集団が乗ってきた。今からコンサートにでも行くか、どこかのクラブに踊りにでも行くのだろうか。かなり派手ないでたちをしている。楽しそうな声。
 
ふと、視線が近くに座っている会社帰りのサラリーマンらしき人たちに行った。会社が終わった後だけあって、少しくたびれたような格好をして、一人はスポーツ新聞を読んでいる。一人は他人の迷惑も考えずに大股を開けて座っている。
 
電車が乗換駅に到着した。
 
しかし私は降りなかった。紙袋に入った背広のポケットから手帳を取り出して路線図を確認する。「2つ先で乗り換えたら、そのまま家に帰れる」私はそう思うと、ママからもらったメモを手の中でクチャクチャにした。そして、乗換駅のゴミ箱に放り込んでしまった。

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やがて駅に着き、自宅への道をたどる。そしてドアを開けると妻が飛びついてきた。「どうしたの?」「ふふふ。ちょっとお祝い」と言ってキスをする。「思わずお赤飯炊いちゃった」私はドキッとした。そういえば女の子の初潮の時ってお赤飯炊くんだっけ?
 
「なんで私に生理が来たこと知ってるの?」最近私は妻と話す時には一人称が「私」になっていた。言葉も完全に女言葉である。「生理?何それ?あのね、私妊娠してたのよ」「え?」「あら、そういえばどうしてあなた今日は女の子モードなの?」
 
妻はそもそも生理不順のたちだったのだが、ここしばらくあまり生理が来ないので今日病院に行ってみたところ妊娠4ヶ月くらいということが分かったということだった。「あなたが女になっちゃう3日くらい前に一度セックスしたじゃない。あの晩に出来た子よ、きっと。私たちにはもう子供はできないのかって諦めていたから、私嬉しい」
 
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妻はとても喜んでいた。私もとても嬉しかった。しかし私は更に自分に生理らしきものがきたことを妻につげなければならなかった。妻はまたびっくりしたようだった。「ね、あなたも一緒に病院に行って見てもらいましょう。取り敢えず、私の友達ってことにして。保険に入ってないから自由診療ということにしちゃいましょう。あなた今裸になっても完全に女の子の姿だから婦人科に行っても大丈夫よ」
 
そこで私は数日後生理が終わった所で1日会社を休み、妻の友人の平沢玲子という女性ということにして婦人科の診察を受けた。「生理不順なので少し詳しく検査してください」ということにしたのである。すると『子宮の中』
まで調べられて「大きな問題は無いですが、少しお薬出しておきましょう」
ということになった。つまり今の私には確かに子宮が存在しているようなのである。しかし婦人科のあの診察台は!超恥ずかしかった。ああいう経験をすることになるとは、半年前の自分には信じられないだろう。
 
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ちょうど28日後に私には2度目の生理が来た。間違いない。私は完全な女になってしまったようである。このことについては自分でもやっと開き直りができてきた。妻の妊娠の方は順調であった。私は仲の良い友人ということで、妻の子宮の中の赤ちゃんの様子も超音波で見せてもらうことができた。春が近づいていた。いつまでもゆったりしたセーターで胸を隠しておくことはできないであろうと思われた。3月末で私は会社を退職した。
 
しかし子供は夏頃には生まれる。稼がなければならない。私は最初から女性の格好でまた平沢玲子の名前を使いファミレスの皿洗いの仕事を得た。それと合わせてインターネットのホームページで女装する人向けの化粧品や衣服・靴などの通信販売をするサイトを立ち上げた。
 
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自分が最初なかなか合う靴がなくて苦労した経験などをもとに、服にしても靴にしても詳細なサイズを掲載し、また画像の色数をうまく減らしてカタログの閲覧をとても軽くできるように工夫したことと、荷物を局留めで送れるようにし支払いもコンビニでできるようにしたため、家族にかくれて女装する人たちにうけたようで、バナー広告による収入も合わせると、月間10万円近くの収入になった。それとファミレスのバイトの収入を合わせると月収22万円。会社では給料は月に18万円くらいしかもらっていなかった(しかもボーナスは不況で出ていなかった)ので、結果的に収入は増えたことになる。
 
これだと子供が生まれてもなんとかやっていけそうである。来月には別のドメイン名で、普通の女性でややサイズがイレギュラーな人向けの通販サイトも立ち上げる予定。
 
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「パパがいなくてママが二人って子供の教育に良くないかな?」「気にすることないよ。世の中、理想的な親なんていないし、いたら気持ち悪いもん」
 
プラス志向の妻の言葉に支えられて、私は8月か9月には自分を遺伝子的には父とする娘(超音波の診断では女の子とのことだった)の母の一人になる。
 
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