■女子大生たちの新入学(1)
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2009年3月7日。千里が受験した千葉市のC大学の合格発表があり、千里は合格していた。落ちることは無いだろうとは思っていたものの、ちゃんと合格者のリストに自分の受験番号があるとホッとする。
入学手続きは13-14日ということであったので、母と一緒に千葉に出て行くことにする。母はお金が掛かるからJRの乗り継ぎで行こうと言ったのだが、千里は合格は確実と踏んで3ヶ月前に「特割」で航空券を買っておいたので「かえって飛行機の方が安くなるんだよ」と言って、飛行機で往復することにした。
早朝、母が留萌からJRで旭川まで出て来て一緒に空港に行く。
「千里。色々お金要るだろうと取り敢えず30万用意してきたんだけど」
と言って母が封筒を渡したが、千里はそれを母に返した。
「大丈夫だよ、お母ちゃん。ちゃんと貯金しといたから自分で払えるよ」
「そうかい」
「未払い金とかの溜まってるのを払うのに使ってよ」
「そう?じゃ使っちゃうよ」
「うん」
あまり時間の余裕が無いので、手荷物を預けた上で、すぐ検査場に行く。
「はい、お母ちゃんのチケット」
と言って航空券を手渡す。
「なんか色々小さい字で書いてある」
「どこからどこに行く便か、何時発の便かを確認しておけばいいよ。こちらは帰りの航空券ね。出発時刻の1時間前までにはチェックインしないと乗れないからね」
「そんなに早くこないといけないんだ?」
「都心から羽田まで1時間掛かるから、最悪でも2時間前には都内を出ないといけない。初めてで戸惑うかも知れないから3時間前に出た方がいいかも」
「飛行機って何だか面倒!」
「その分、乗ってる時間が短くて汽車の長旅よりは楽だから」
「この名前の後ろに書いてある 41F って年齢?」
「そうだよ。私のは、18F になってる」
「Fってのが歳って意味?」
「ああ、それは性別。男はMで女はF」
「あんた、Fじゃん」
「性別は合っているはずだけど。私性別Mの航空券なんて使ったことないよ」
「うーん・・・・」
母は少し悩んでいる。
「そもそも私の今日の格好で性別Mの航空券持ってたら、搭乗の時に咎められるしね。この切符違うって」
と千里は言う。
「ってか、あんたそういう格好で良かったんだっけ?」
と母は言う。
「私の普通の服装じゃん」
「確かにね」
千里はごく普通のセーターに、ごく普通のスカートを穿いている。
「あんた、大学に入ったらもう完全に女の子になっちゃうの?」
「私は女の子だよ」
母はまた少し考えている。
「あんた、もう性転換手術も終わってるんだっけ?」
「お母ちゃんに高校入る時約束したよ。20歳までは去勢もしないって」
「・・・・去勢はもう終わってるよね?」
「まだだよ。手術する時は事前に言うよ」
千里はそう言ったが、母は信じてないように思えた。
飛行機なんて乗るの初めてという母は、セキュリティチェックでお財布が引っかかり、携帯が引っかかり、家の鍵が引っかかって、最後にブラジャーのワイヤーまで引っかかった。
「こんな大変なの、もうやだぁ!」
などと音を上げていたが、千里は
「でも帰りは1人で乗ってよね」
と言っておいた。離陸する時も、あきらかに怯えている。
「あんた平気なの?」
と母。
「慣れた」
と千里。
「慣れるくらい乗ったんだっけ?」
「高校時代に40-50回乗ったと思うよ。もっとも自分で料金払ったことはほとんど無いけどね。マイルだけはたくさん溜まってクリスタルになっちゃったけど」
「クリス??」
母は上級会員制度のことは知らないようである。
「でもバスケで全国大会にも結構出たもんね」
「うん」
インターハイやウィンターカップでの激しい戦いが千里の頭の中でリプレイされる。あれはやはり自分にとって青春だよなぁと思った。
「でもさ、あんたその格好で入学手続きしたら、何か言われないかね?」
「問題無いと思うけど。私、受験票の性別は女だったし」
「・・・・・それって、学校の調査書と性別が違ったらまずいんじゃないの?」
「学校の調査票が性別・女だから、むしろ男と書いたら違うと言われる」
「調査票の性別、女にしてもらったの?」
「私、N高校では生徒手帳の性別も女子だったよ」
「えーーー!?」
母があんまり大きな声を立てたので、近くの席の人が何だろう?という感じでこちらを見た。
お昼前に羽田に到着し、空港連絡バスに乗って13時半すぎ千葉駅前に着いた。市内の路線バスで大学まで行き、手続きをする。あらかじめ準備していた書類を渡し、何やら書類をもらって、手続きはすぐに終わった。
「あっけないね!」
と母が言う。
「入学金と授業料は既に振り込んでいるし、こんなの書類を郵送するだけでもいいじゃんって気もするけどね」
「ほんとに!」
取り敢えず近くのファミレスに入って遅いお昼御飯を食べた後、一緒に不動産屋さんに行く。
「ああ、C大学ですか。合格おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「じゃ大学の近くがいいですよね」
「多少遠くてもいいですよ。それより家賃が安ければ」
「なるほど。ご予算はどのくらいですか?」
「1万円くらいでありませんか?」
「1万円!? それはさすがに無茶です。だいたい3万円前後が相場ですよ」
「少しくらい不便な場所でもいいです。お風呂無くてもいいし、トイレ共同でもいいですよ」
「ちょっと待ってください」
それで不動産屋さんは悩みながら物件を調べている。
「1万5千円じゃダメですか?」
「共益費込みですか?」
「別です。共益費が2千円必要です」
「じゃ、実質1万7千円ですね? もう少し安い所は?」
「うーん・・・・」
と不動産屋さんは悩む。
そしてハッと何かを思い出したような顔をする。席を立って奥の方にいる偉そうな人の所に行き、話をしている。それでその人と一緒に出てくる。
「あのぉ、事故物件はダメですよね?」
「自殺者の出た部屋ですか?」
「いえ、自殺ではないのですが、昨年末に向いの中華料理店がガス爆発を起こしましてね。その中華料理店の2階に居た人が軽い怪我をしただけで、死者なども出なかったのですが、その爆発でこのアパートも窓ガラス粉砕、大家さんの家の玄関も壊滅状態で、住人も全員退去したんですよ。その後一応の修復はしたのですが、雨漏りが酷くて。やはり建て替えなきゃいけないかなとは言っているのですが、爆発事故を起こした中華料理店からの賠償金がなかなか入らないし、大家さんも今手持ちが無いとかで、すぐには建て替えられないんです。ですから、入居なさる場合、建て替えの準備ができたら、速やかに退去してもらうという一筆を入れてもらうことが条件になります」
と店長さんらしき人は説明した。
「ああ。全然構いませんね、安いんだったら」
と千里は明るく言った。
「とにかく安い物件がいいんです」
と不動産屋さんで桃香は言った。
「安いというとご予算はどのくらいで?」
「五千円くらいの物件はありませんか?」
「それはさすがに無茶かと。C大学の周辺は1Kでも3〜4万しますよ」
「雨漏りくらいは平気ですよ」
「風呂無し・キッチン・トイレ共同でもいいですか?」
「バストイレ付きの2DKくらいがいいんですけど」
「2DKなら7万はしますよ!」
「そこをせめて7千円に負けられない?」
「無理言わないでください!!」
そんな押し問答をしていた時、事務所に疲れたような顔をしたスタッフが3人ほど戻って来た。
「あ、お疲れさんでした」
と声が掛かる。
「片付いた?」
「最低限だけです。あとはハウスクリーニングの業者に頼みます」
などとやりとりをしている。
「何かあったんですか?」
と桃香が訊く。
「あ、いえ。ちょっと事故がありまして」
「事故って自殺?」
「あ、えっと、そのぉ」
「ね、ね、自殺があったばかりの所なら超格安で借りられない?」
と桃香がキラキラした目で言うのを、母の朋子はとっても不安そうな顔で見詰めていた。
千里が契約したアパートの入居日は4月1日ということにした。物件は2階建てで各階に3部屋ずつあるが、千里が借りるのは1階中央の部屋である、実はここがいちばん雨漏りが少ないらしいのである。(2階は事実上居住不能らしい)お風呂は無いがトイレと小さなシャワールームが付いている。結局家賃1万円で、共益費千円、敷金1ヶ月分、礼金ゼロということになった。
その日は母と一緒に千葉市内のホテルに泊まる。
「お母ちゃん、先にお風呂入るといいよ。朝早くから出て来て疲れたでしょ?」
「うん。じゃ先に入るね」
などと言って母が先にお風呂に入ったが、ホテルの風呂って何だか入った気にならないなどと言っていた。伝統的日本人体質である。
「お風呂のガスのスイッチどこだっけ?と探しちゃった」
「ぬるくなってきた時は熱いお湯を入れればいいんだよ」
「でも余分なお湯使うのもったいないよ」
「そういうのって最近の日本人が忘れてしまった発想だなあ。日本人って元々エコな生活してたのに。まあ追い炊きするより熱いお湯を足した方が金銭的には安く上がるんだけどね」
「お前、友だちにメールか何かしてたの?」
「うん。何人かとやりとりしてた」
「あんたの友だちってだいたい合格したんだっけ?」
「みんな無理しなかったからね。全員目的の大学には通ってる。同級生には前期を落として後期試験を受けた子もいるけど、やはり女子は親が浪人に難色示すんで安全策で行った子が多いんだよね」
「蓮菜ちゃんは結局どこ受けたんだったっけ?」
「東大の理3。直前の模試ではB判定だったんだけど、私本番に強いからと言って受けて美事合格。まあ親には強気なことを言いつつ実は本人としては最後まで東京医科歯科大とどちらにするか、かなり悩んだみたいなんだけどね。一応滑り止めに□□大学も受けたけど、多分□□大学に通って東大落とした場合は浪人の選択してたと思う」
「あんたも□□大学受けたね」
「うん。私も蓮菜も合格はしたけど、授業料が違いすぎるもん」
「不況だもんね」
「親は東大が厳しいなら北大を受けたらと言ってたんだけど、東京に出て来たかったんだよ」
「あんたもその口だね」
「うん。まあね」
父は最後まで千里が関東方面の大学を受験するのには反対していた。願書のハンコも父がどうしても押してくれないので、母が代わって押してくれたものである。
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女子大生たちの新入学-(上)