【バレンタイン・パーティー】(上)

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忍はカレンダーを見てため息をついた。バレンタインまであと10日。普段の年なら、どうせチョコなんてくれる女の子なんていないからと「関係ねえ」という気持ちでいられるのだが、今年はどうにも無関心ではいられなかった。
 
彼の心を揺らしているのは隣のクラスの鈴音であった。忍と鈴音は1年生の時に同じクラスであったこと、文化祭の時に彼女が所属する英語部でやる英語劇の出演者が足りず、忍が応援で出たこと、またふたりとも京統大学の理学部を志望していたことなどから親しく話すようになり、お互いの携帯の番号も教えあって、いつでも話ができる仲になっていた。ただ、ふたりの関係は、まだ「恋人」という感じではなかったし、実際ふたりで恋愛っぽい話題を話したことはなかった。友人カップルの噂話などはしたりすることもあったが、そのくらいは同性の友人とでも話題にする話という気もする。
 
彼女、僕にチョコとかくれたりしないかな・・・・・
 
そのことが気になり、いっそこちらからバレンタイン前に告白しちゃおうか、などとも思うのだが、なかなか告白する勇気が無かった。そもそもふたりの関係は今友達としては充分良好だったので、もし告白して拒否された場合、友達としてもいられなくなるのではという不安があり、それが彼の決意を鈍らせていた。
 
その日、学校が終わった後、参考書を買いに町へ出た忍は、ビルの角の所で立っている鈴音を見かけ、声を掛けようと近づいていった。その時!
 
崩れるように鈴音はその場にしゃがみ込んでしまった。「!?」驚いた忍はすぐに駆け寄ると声を掛けた「鈴音さん、大丈夫?」「あ、忍くん・・・・」
「凄い熱」「うん。風邪引いちゃって。用事があるから出てきたんだけど、無理みたい」「病院に行く?」「ううん、家に帰る」「じゃ、タクシーで帰ろう。家まで送っていくよ」忍は参考書を買うのに結構な額のお金を持ってきていたので、彼女の家までのタクシー代くらいは出せるはずと思い、そう言った。
 
「うん、そうしようかな。家まで戻ったら、お母さんいるからタクシー代払えると思うし」それなら全く問題無い。忍は流しのタクシーを停めると、鈴音を乗せて、自分も一緒に乗り込んだ。「春日町まで」
 
彼女の住所は頭の中に入っているが実際には行ったことはない。近くまで行くと鈴音の道案内に頼ることになった。そして家まで行き、体調の悪い鈴音を車内に残したまま、忍が先に降りて呼び鈴を鳴らすのだが、応答がない。玄関も鍵が掛かっているようである。「あらあ、お母さん買い物にでも出たのかな?」
 
結局タクシー代は忍が払い、鈴音の持っている合い鍵で中に入ることになった。
「ごめんね、お母さんすぐ帰ると思うから、そしたらタクシー代返すから少し待っててくれる?」忍も病気の彼女を一人で放置できないと思ったので待つことにした。鈴音に頼まれて薬箱から葛根湯を出す。忍が後ろを向いている間にパジャマに着替えた鈴音はその薬を飲み、ベッドに入って横になった。
 
好意を持っている女の子の寝姿を見るのはどきどきしたが、病気なので仕方がない。部屋から出て居間で待ってようかとも思ったのだが、彼女が少し話しがしたそうであったので、彼女の部屋にしばらくいることにした。
 
「でもどこに行くんだったの?」
「うん。実はバレンタインのチョコを買いに出たんだ」
忍はドキっとする。それは誰に渡すチョコなんだろう。
「ああ、せっかく当選したチケットだったのになあ。悔しいなあ」
「チケット?」
「うん。銀座パピヨンの今日だけ限定の特別仕様のチョコなのよね。ホテルフォンターニュの広間で女子限定のイベントがあってそこで販売されるんだけど、入場にチケットが必要で、その抽選に当たったから出かけたのだけど」
 
「誰か友達に頼むとかは?」
「うーん。他人のチョコ買いにわざわざ町まで出て行ってくれそうな子は・・・よし。陽菜に頼んでみようか」
鈴音は携帯で友人に掛けていたが、向こうは出ないようである。
「ダメか。亜弓はどうだろう」
鈴音は別の友人に掛けていたが、こちらも出ない。
「参ったなあ。歌穂は塾だし、美香は部活だし・・・・・うちまでいったん来てチケットを持ってから出かけないといけないから、あまり遠い所に住んでる子には頼めないんだよね」
 
確かにチケットを持ってないと入れないのでは、そういう面倒さがある。その時、忍はさっきから考えていたことを思い切って言ってみた。
「なんならさ、僕が代わりに行ってこようか?どんなのを買うか教えてもらえば」
 
純粋に鈴音が残念そうにしているのを見かねて言ったのだが、言いながらも後悔していた。そのチョコを渡す相手がもし自分なら、自分で買いに行ったものを自分でもらうのも変な感じだし、それよりあげる相手が自分以外の男だったら・・・
 
鈴音がよく同じクラブの先輩の男子の話をすることは認識していた。また英語部の顧問の若い男性教諭のこともよく話す。彼女がその2人にある程度の好意を持っていることはうすうす感じていた。「特別なチョコ」はそのふたりの内のどちらかに渡すものなのかも知れない。もしそれを自分が買いに行くのなら、なんて間抜けなんだろ。しかしその心配は一瞬で杞憂になった。
 
「ごめん。これ女子限定イベントだから」
「ああ、そういえば、そういう話だったね」
 
忍はさっき鈴音が女子限定と言っていたのを忘れていたことで真っ赤になったがそれで正直ほっとしたと同時に、また自分が役に立てないことに悔しい思いがした。
 
鈴音は再度友人に電話をしていたが、やはりつながらないようであった。「イベントは何時からなの?」「7時から」
今は5時である。どこかから鈴音の家に来てチケットを受け取り、それから町まで行くとしたら、けっこうギリギリになるかも知れない。
「ああ、もう無理かなぁ」鈴音は携帯を閉じて目をつぶった。
 
「ごめんね、役に立てなくて。僕が女の子なら行ってあげられるのに」
「女の子なら・・・・」
「あはは。まさか女装していくわけにもいかないし」
「女装!それだ!」
「え?」
「ねえねえ、忍くん女装したことある?」
「そんなの無いよ」
「ね、私の服ちょっと着てみて」
 
鈴音はベッドから起き出すとタンスの中からピンクのセーターと、黒いロングスカートを取り出した。「このセーターだぼだぼタイプだし、このスカートはウェストがゴムだから、入ると思う。忍くん、細いし」
スカート?を穿くのか?
忍は戸惑ったが、好きな女の子の頼みである。「分かった」というと、鈴音が向こうを向いている間に着ていた服を脱ぐと、そのセーターとスカートを身につけた。スカートなんて穿くのは初めてだ。なぜか変な気分になる。
 
「わあ、けっこう似合ってるよ」
忍は姿見に自分の姿を映して自分でも少し驚いた。忍は髪も比較的長い方だし明日くらいに床屋さんに行こうと思っていて割と伸びていた所だったので、そう不自然ではない感じだ。これなら女の子に見えるかも?
「あ、でも・・・・・ねえ、眉毛を少しカットしてもいい?」
「よく分からないけど、いいよ」
鈴音は机の引き出しからポーチを取り出すと、その中から小さなハサミを出し忍の眉毛を切り出した。鈴音の顔が超接近しているので、心臓がドキドキだ。
 
「うん、これで凄く女の子っぽくなった。あとはおっぱいか」
鈴音の口から「おっぱい」などという単語が飛び出すと、それだけでドキリとする。
 
胸のところにハンカチを丸めて入れてみたが、歩いている内に落ちそうな気がした。「落ちるとやばいよね。。。。仕方ない。ブラジャー付けてくれる?」
ブラジャー!?鈴音のブラジャーを僕が付けていいのか?
 
「これ、こないだ買ってまだ自分ではつけてないブラなんだ。未使用だから、たぶんあまり抵抗ないよね」といって、鈴音はビニールのパックに入ったブラを取り出して開封した。よかった。未使用のものなら・・・。さすがに鈴音の使用済みのブラを付けるのなら頭の中がおかしくなりそうだ。
 
ブラジャーなんてものを付けたことは無かったが、母がやっているのを見たことがあるから、何とかなりそうな気がした。忍はいったん上半身裸になるとそのブラを何とか付けようとしたが・・・ホックが届かなかった。それを言うと「ホックしまってなくても大丈夫と思う」と鈴音は後ろを向いたまま答える。結局ホックがしまってないブラの中にハンカチを入れて簡易パッドとし、その上に元から着ていたTシャツを着て、その上に鈴音のピンクのセーターを着た。
 
「おお、おっぱいあるように見える。これで完璧ね」
「よし、じゃこれで行ってくるよ。何を買うのか教えて」
鈴音はイベントのパンフレットに載っているチョコの写真にマジックで○を付けて、忍に渡した。「もしこれが売り切れてたらこれ」といって、優先順に1,2,3と数字を記入した。
 
そして鈴音から財布の入ったキティちゃんのポーチを渡され、それをえいやと開き直って肩に掛けると、歩き出そうとして・・・・いきなり転んでしまった。
 
「あ、スカート穿いている時は足の刻みを小幅にしないと、足がスカートにぶつかって転んじゃう」
「難しいんだね」「女の子は小さい頃からやってるから意識しないんだけど」
「僕は即席女の子だから」「それと足で歩くんじゃなくて腰で歩く感じにすると可愛くなるよ」「うーん。努力する」忍はさっきいきなり転んだ反省から小さく足の幅を動かすようにして、歩き出した。
「じゃ行ってくるから、鈴音さんは寝てて」
「うん。何か分からないことあったら電話してね」
 
勢いで、女の子の服を着て鈴音の家を出たものの、外に出ると、自分がスカートを穿いて道を歩いているという事態に、忍はとても変な気がした。それになぜかあそこが大きくなりそうになる。忍は鞄で、あの付近を覆い隠すように持った。
 
道々自宅に電話して、町で会った友達が突然体調を崩したので家まで送ってきたこと。その子の頼みで用事を済ませていくので帰りは遅くなることを母に伝えた。その友達というのが女の子であることまでは言わなかった。
 
地下鉄に乗って町に向かう頃には、最初の昂揚した気分が冷めてくるとともに誰か知り合いにでも会ったら恥ずかしいなという気持ち、それと男とばれたらどうしよう?という気持ちが湧いてきた。ついうつむき加減になる。しかし地下鉄を降りてホテルへの道を歩いている途中、ショウウィンドウに映る自分の姿を見たら、なんとなく可愛い感じがした。これ自分でなかったら、一目惚れしちゃうかも、などと思ったりしたら、この格好でいることに少し自信が出てきた。少なくとも男とバレることは無いんじゃないかな、と思った。
会場のホテルに入る。『白鴎堂プリゼンツ・バレンタイン女子会 朱雀の間』
という掲示を見て、そちらに進む。化粧品会社の主催で、それで女子限定になっていたようである。受付でチケットを出し、鈴音の名前を言うと、照合されてから「身分証明書を」と言われるので、預かってきた鈴音の学生証を出す。
 
写真と今ここにいる自分とは違うが、証明書の写真はけっこう変な写り具合のものが多いので、問題にはならなかったようであった。番号とQRコードの入った名札を渡され、掌にブラックインクのスタンプを押された。番号は3716だった。「トイレなどで部屋の外に出た後で戻る時、掌を機械にかざして頂きます」と言われた。けっこう厳重な管理体制になっているようである。またおしゃれな紙バッグに入ったお土産を渡された。中をちょっと見たら化粧品のようであった。
「最後にサプライズ企画がありますので、ぜひ最後までいらしてくださいね」
と言われた。何か抽選会でもあるのだろうか。
 
会場内に入ると、10代の女の子たちが集まっている空間特有の匂い、いわゆる「女臭い」匂いがして、きゃーと思った。忍はこの匂いが少し苦手である。「ここは女子だけの空間」という感じで男の自分は拒否されている気分になる。
 
まずは鈴音に頼まれていたチョコを探す。第一希望のものの所には凄い列ができていたので、忍はそこに並び、ふっとため息をついた。列に並んでいるのもむろん女の子ばかりである。自分がここで浮いてませんように、と心の中で冷や汗をかきながら思った。忍は列の人数とテーブルに置かれた箱の数をざっと比較してみたが買えそうな気がした。しかし中にはひとりで数個求めている子もいる。けっこう途中で不安も感じたが。何とか買うことはできた。しかし、忍がそのチョコを買った時にはもう残りは20個くらいになっていた。忍は第一希望のが買えたことを、鈴音にメールした。返信は無かった。たぶん寝ているのだろう。
 
鈴音からは義理チョコに使えそうなのがあったら10個くらい買ってきてと言われていたので、会場内を見てまわる。化粧品会社主催だけあって化粧品も置かれているし、メイクレッスンなどもやっていた。それをなんとなく見ていたら「じゃ、次のモデルはあなた」と、こちらに向かって言われてしまった。え?え?と思って左右を見るが、どうも自分が指名されているようである。なりゆきで椅子に座ると、「お化粧の経験はあまり無し?」などと訊かれながら化粧水で顔を全部拭かれる。更に乳液、メイクアップベースと塗られていった。説明は周囲の観客向けという感じである。そして10分もしない内にきれいに化粧された顔が鏡の中にできあがっていた。さすがプロがする化粧である。とてもきれいに仕上がっていて、忍は『これが自分?』と信じられない思いだった。
 
モデルになったご褒美にとまたなにやら化粧品をいろいろもらった。「ありがとうございます」と言って、席を立ち会場を見て回る。結局義理チョコ用には100円のトリュフを10箱買った。さっきの化粧品と一緒にお土産用にもらった紙袋に入れる。だいたい会場も見て回ったので帰ろうかなと思った時、突然会場内がざわめいた。にわかに会場の片隅にロープで区切ったエリアが確保された。そういえばサプライズがあると言ってたっけ? ドラムスが設置され、スタンドマイクが4本置かれる。そしてマイクを持った女性が登場すると「それではこれよりサプライズライブを行います。出演はザ・モレアーズです」と告げると、会場内に黄色い悲鳴が沸き上がった。
 
ザ・モレアーズ? 忍は女の子達に凄い人気のイケメン男性四人組ロックバンドということしか知らなかったが、楽器を持った四人が登場し、いきなり演奏を始めるとその迫力に圧倒された。最近の商業音楽は、編集の技術が良いので、下手な演奏でも発売される音源は上手に聞こえるようになっているものだが、このユニットは生でも凄く巧かったし、またノリの良さが快適だった。会場はビートを刻む手拍子の音に満ちていたが、忍もいつしか満面の笑みで手拍子を打っていた。
 
演奏は4曲おこなわれた後、アンコールに応えてもう1曲演奏された。そこまでMC無しでずっと演奏が行われたが、最後にリーダー?とおぼしきベースを持った人がマイクを手に取り、会場に呼びかけた。
 
「みなさん、今日は突然の登場だったのに、演奏を熱心に聴いてくれてありがとう。ザ・モレアーズは来週、沖縄宮古島でクローズドライブをします。そのライブにこの会場から32人を招待します。当選した人と同伴1名(女子限定)2人分の往復航空券とホテル宿泊券も一緒にプレゼントします。太っ腹なプレゼントをしてくれる白鴎堂さんに拍手!」というので、会場内はキャー!!という悲鳴で満ちる。
 
電光掲示板とパソコンが持ち込まれ、メンバーの4人が交代で8回ずつキーを押し、その度に当選番号が電光掲示板に表示された。当たった人は係員の誘導で受付デスクに行き、手続きをしていた。
 
抽選が進むに連れ次第に会場は沈静化して、細かなざわめきへと変わっていた。そして最後にリーダーがキーを押して電光掲示板に 3716 という数字が表示される。
「はい、最後の当選番号は3716です。この番号の名札の方、こちらにどうぞ」
とアナウンスの声。へー3716。。。。。3716?? 忍は自分の名札を改めて見てみた。3716じゃん。当たった!? 忍は手を挙げて、係の人の方へ歩いていった。
 
忍が名札を見せると、確認のためといわれ掌のブラックインクをスキャンされた。
「間違いありませんね。当選おめでとうございます。こちらで登録をお願いします」
と言われ、あらためて住所と名前、電話番号を記入させられた。「この当選の権利は他の人に譲ったりすることはできません。当日会場では生体認証でチェックをさせて頂きますので、両手の人差し指をスキャンさせて頂けますか?」「はい」
当選したことが信じられない気分だったので言われるままに両手をスキャナの上に置いた。「それではチケットはご住所に火曜の朝発送します。もし木曜までに到着しなかった場合はすぐにこちらにお電話下さい」といわれて紙を渡される。
 
「なお同伴の1名は女子限定ではありますが、姉妹、友達、お母さん、どなたでもけっこうですので、お名前を月曜日の夕方までにウェブまたは携帯から登録してください。航空券がその名前で発券されますし、また当日、メンバー全員のサイン入り色紙をそのお名前宛で書いてもらいプレゼントします」「あ、はい」
「当日入場は、今お渡ししますワッペンとあなたの生体認証でおふたり入ることができます」といってワッペンを2枚渡される。
 
「身分証明書などは基本的には必要ありませんが、何らかのトラブルの時のために用意だけはしておいてください。なお女子限定のライブなので、男性の方を同伴してこられても、入場はでませんのでご承知おきください」「分かりました」
 
手続きを終えると忍はふっと大きく息をつくと、少し人混みから離れたところで鈴音にメールをする。「ありがとう」という返事がかえってきた。自分の自宅には電話を入れた。用事が済んだのでこれから、友達の家に寄ってから帰ると伝える。
 
鈴音の家に戻ったのは9時半であった。「どうしたの?その顔!?」と化粧した顔に驚かれた。「いや、メイクレッスンコーナーで捕まっちゃって」というと大笑いしている。鈴音もかなり元気を回復したようだ。「でも化粧美人だね。忍。写真撮っていい?」「お好きに」こちらはもう完全に開き直っている。しかし『化粧美人』って褒め言葉なのだろうか??
 
鈴音はデジカメで忍の単独写真に、お母さんに頼み自分と並んでいる所の写真も撮って喜び、その上でクレンジングを用意してくれた。お母さんはこちらに丁寧にお礼をいって、タクシー代にプラス手間賃といって5000円札をくれた。遠慮せずにもらっておく。しかし若いお母さんだ。鈴音の姉と言われても信じてしまいそうな感じである。
 
「それで」と言って、忍はザ・モレアーズの突然ライブがあったこと、そして来週の宮古島クローズドライブに当選したことなどを伝えた。お母さんがお腹空いたでしょう、と言って御飯を用意してくれている。忍は自宅に戻ったらまた食べるんだけどとは思ったが、ありがたく頂いた。
 
「そういうわけで、もし都合がついたら誰かお友達誘って行ってくるといいよ。2月12日というので急だけど」「ザ・モレアーズ嬉しい。私も好きだよ。今日も聴きたかったなあ。来週は絶対行きたい!ねえお母さん、行っていいよね」
「あんたも高校生だからね。一人旅くらいいいか。あまりハメは外さないようにね」「うん。でも宮古島か!行ったことないし楽しみ。あれ?でも」「ん?」
 
「よく考えたら、これ当日生体認証で入るんでしょ?で登録してるの、忍の生体情報」「あ・・・そうか。どうしよう。あ、でも何かの時のために身分証明書を持ってきてと言っていたから、現地で生体認証がエラーになっても、鈴音は自分の学生証で入場できるよ」鈴音は先程から忍を呼び捨てで呼んでいた。いつもは「忍くん」というのが「忍」である。そこで忍も「鈴音さん」と普段言っているのを「鈴音」と呼び捨てにしていた。
 
「なるほど、確かにそうかも・・・でもさ、こうしたらスッキリしない?私と忍がふたりで宮古島に行く。それで会場には私の名前で登録されている忍の生体認証で入る。同伴者は忍の名前を登録しておいて、私は同伴者の忍ちゃんとして入場すればいい」「あら入れ替わるわけね」とお母さん。「そうそう」「でも同伴者は女の子でないと」と忍が言ったが、「だから私と忍でふたり、女の子同士でいいじゃん」と鈴音は言ってこちらを意味ありげな視線で見る。
 
その時、忍は思い至った。スカートを穿いてお化粧した状態で、この家に戻ってきて、鈴音のお母さんに会った。もしかしてお母さんは自分を、女の子の友人と思っている? あ、だから鈴音は「忍くん」ではなくて「忍」と僕のことを呼んでいるんだ。女の子に「くん」を付けるの変だもん。
 
「ほんと、それはいいわね。忍さん、しっかりした感じでお行儀もいいし、うちの鈴音はルーズで躾も出来てないから、一緒に行ってくださると、私も安心だわ」と、お母さんは乗り気の様子である。
「ね、忍、一緒に行こうよ」と鈴音は少しコケティッシュな視線を送った。「うん。じゃ一緒に行こう」と忍は答えてしまった。
この時点では、好きな女の子とふたりで旅が出来るなんて、という気持ちが忍にはあった。しかし、その旅がどういう旅になるのか、忍にはまだ想像ができていなかった。
 
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