【一日限りの体験】(上)

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私が就職したのは千葉県の小さな印刷会社である。社員は今年入った3人を入れて10人。高校卒業後2年間専門学校でイラストやCGの勉強をした。折からの就職難でたくさん面接に行ってことごとく落ちて、8箇所目で、やっと採用になった会社である。同級生の中では女子の方が比較的よく採用になっていたようで男子はみんな苦労していた。大卒の男子がランクを落として就職口に割り込んでいるようで専門学校卒は苦しい。今年私と一緒に採用になった残りの二人も大卒男子で、高卒の初任給でいいからと粘って採用になったと言っていた。
 
本当はもう一人大卒の女子がいたのだが、3月末になってから他の所に行くことにしたからといってキャンセルしたらしい。「女手がないと不便だな」と社長がこぼしている。その人が入るからといって、今までずっと辞めたいといっていた30代の女性に退職の許可を出してしまっていたので、今会社には女性の社員がいない。時々社長の妹さんが顔を出してくれるがお茶を出したりするのは今新人の三人が交替でしている。
 
今3人はそれぞれ一人ずつ先輩に付いて仕事の勉強をしている。私は学校では主として手書きのイラストばかり書いていてCGは苦手だったのだが、ここの仕事ではCGばかりのようである。大卒のふたりは専門的な教育は受けていなくても趣味でかなりCGをやっていたらしく、マウスでさっとワンタッチで可愛い女の子の絵などを描いてしまう。私はそれができないので「イラスト科の卒業が聞いて呆れるな」などと軽口を叩かれていた。
 
私が付いたのは高田啓二という先輩である。かなり厳しい人でいつも怒っているような顔しか見たことがない。お客さんにもそんな調子で接しているので、時々社長や専務から叱られているようだ。しかし高田さんが叱られると数時間以内には私が高田さんから何かで叱られるので、私はびくびくしている。他の新人ふたりが付いている先輩は結構けっこう柔らかそうに見えるので「ああ、外れに当たったのかなぁ」などと心の中では嘆いている。
 
それは何とか仕事にも慣れ始めたかなと思っていた4月中旬の土曜日だった。
休日なのでゆっくり起きて御飯を作るのが面倒なので町に出てショピングセンターの7階にある食堂街で、450円のカツ丼定食を食べる。この安さが魅力だ。
食事をしたあと急にトイレの大に行きたくなったので、トイレの表示を探して中に入る。この時なにか違和感を感じたが、便意が優先していたので気にせず個室の中に飛び込んだ。ひと息付いて水を流して外に出る。その時 
目の前に25〜26歳の若い女性がいるのを見た。「え!?」双方が同時に声を出したが次の瞬間彼女は「きゃー」という金切り声をあげた。ちょっと待て、ここはもしかして女子トイレだった?? そうか中に入った時に感じた違和感はそうだったのかと思い至り、その次の瞬間『20歳の印刷会社社員逮捕。女子トイレで痴漢行為』という新聞記事が頭の中にちらつき、目の前が真っ青になった。
 
その時だった。
 
「済みません。御免なさい。彼、私の連れなんです」と言って、列の途中に並んでいた27〜28歳くらいの女性が強引に私の腕を引っ張って外に連れ出した。
そのあまりの力強さに私の腕は折れるかと思ったほどである。
 
私はもう頭の中が空白で何も抵抗する余裕はなかった。彼女は私をショッピングセンターの端の非常口と書かれた所にたくさん荷物が積み上げてある所まで引っ張っていった。そしてやっと私の腕を放すと「ふう」と大きく息をつく。
そして「佐藤君、あんな所で何やってたのよ」と怒ったような調子で言った。
 
私は「済みません。男子トイレと間違って入ったんです」と答えてから、名前を呼ばれていることに気付き『え?誰?』としげしげと相手の顔を見た。
 
その顔の形、そして声の微妙な調子に聞き覚えがあった。でもまさか。。。
「高田。。。さん?」
 
彼女?彼?はそれには答えず「ああ、あんたのせいで私もトイレに行きそびれちゃった。仕方ない。隣のガストにでもいくか。ちょっと付き合いなさい」
私はもちろんそれに反対することはできなかった。
 
ショッピングセンターの隣にあるガストに入った私たちは窓側の席に通された。
オーダーをしてから、高田さんはトイレに立つ。そして戻ってきた所を私はしげしげと見てしまった。とてもきれいにお化粧している。男性が女装をしたのを何度か見たことがあるがたいていきたない感じの「おかま顔」になっていた。でも目の前の高田さんはとても男性には見えない。自然な感じで、美人に見えるし、つい心をときめかせてしまうくらいである。
 
「で、本当に間違っただけなのね」「はい」「気を付けなさいよ。警察に突き出されたりしたら、間違いでしたなんて言い訳は通らないんだから。あんたは丸め込まれやすいからね。あっという間に常習犯でしたという上申書に拇印押しちゃうよ」「済みません」
 
食事が来たので一緒に食べる。食べながら(これおごってもらえるのかな)などと変なことを考えていた。実はあまり現金を持ってきていない。
 
「あの、ところで」私はそのことよりもっと聞いてみたいことを聞こうとした。
「ああ、この格好?私の趣味よ。休日はいつもこうだな。会社では男らしく、私生活では女らしく、というのが私のモットー。そのバランスが創作意欲をかき立てるのよ」
 
高田さんの声のトーンもちょっと聞いただけでは女性の声にしか聞こえない。
かなり年季が入っているのだろう。そういえば高田さんと最初に会った時に『眉ずいぶん細くしてるな』と思ったことを思い出した。おしゃれなんだろうと思っていたのだが、こうしてみると女装するのに必要だったからなのか。
 
「ただ今日は特別なんだけどね。いつもは服装と気持ちだけ女の子だけど、今日は身も心も女になりきってるんだ。だから男の子をハントして楽しもうと思ってたんだけど、あんたと会うとはね」
 
と高田さんはよく分からないことを言う。そしてしばらく考えているふうだったがやがてこう言った。
 
「まぁ、あんたでもいいか。今日一日付き合わない?」
 
はあ?私は何を言われているのが一瞬理解できなかった。もしかしてデートに誘われている? 私はなんだかとても嫌な感じがした。目の前にいる美人が本当の女性なら喜んでokしたいところだが、実は男だし、しかも日々私を叱りとばしている高田さんだ。しかし断るとあとが怖い気もしてきた。私を痴漢として突き出すぞと言われそうな気までしてくる。
 
「じゃ、お手柔らかに」
 
私がそう答えると高田さんは「ふふふ」と笑う。その笑い方の仕草が色っぽい。
思わずドキンとしてしまった。「じゃ少しだけ付き合って。嫌になったら帰っていいから」
 
その言い方がいつもの高田さんとは正反対の気がして、私は逆に今日はずっと付き合ってもいいかなという気になってしまった。
 
レストランの代金は高田さんが払ってくれた。「だって新入社員じゃ貧乏でしょう。今日の費用は全部私に任せて。私の好きでしてるんだから」と言う。
私はちょっとホッとした。
 
ファミレスを出たあと、駐車場に停めてあった高田さんの車で私たちは最初美術館に行った。デルヴォー展が来ていたのだ。イラストに関わるものとしてはやはりこの実物は見ておきたい。しかし入場料が高いので実は迷っていた。
 
「デルヴォーはいいよね」「ええ、私も好きです」「特にこのシーメイドのシリーズ凄くない」私は一瞬『シーメイル』と聞こえてドキッとしたが、あぁsea-maidかと思い至って「ええ」と答えた。デルヴォーが描く女性の裸体はエロチックさがなく、まるでサイボーグか何かのような感じがする。
堂々と裸体がさらされているのに、その画面に自然に溶け込んでいるこの空間感覚が凄い。私はその絵を見ながら目の前にいる女性の裸体の曲線を想像しかかったが、あぶないところで「待て、この人は男なんだから」とブレーキがかかった。その時、なにやら心を見透かしたような視線で、高田さんは私を見た。
 
美術館の後は遊園地に行った。実はジェットコースターに乗るのは初めてだ。
私は思いのほか怖くて手すりにがっちりとしがみついていた。360度回転したところでは思わず声をあげてしまった。すると高田さんが私の手を握って微笑む。それで私は急に気持ちが落ち着いて怖くなくなってしまった。
 
「ジェットコースターって女の子が叫ぶのが定番なんだけど、本当は男の子のほうが怖がってるらしいよ。タマタマが付いているせいらしいとは聞いてたんたげど、確かに私は今回怖くなかったな」と降りてから高田さんが言う。
 
え?でも高田さんだって付いてるのでは。。。と思ったが、それを言う前に今度は私はホラーハウスに連れ込まれた。
 
「高田さん、遊園地よく来るんですか?」「ううん。一人で来たって面白くないし。5年ぶりかな。それより『高田さん』はやめてよ。今日は恋人同士なんだから、啓子でいいわよ」
 
啓子?そうか高田さんの下の名前は啓二だから女性モードでは啓子なのか。
でもさすがに男と分かっている相手を女名前では呼びにくい。するとその気持ちを察したのか「啓ちゃんでもいいけど」「じゃ啓ちゃんと呼びます」
「じゃ、私は佐藤君のこと、和ちゃんと呼ぶね」私の名前は和馬である。
 
ホラーハウスは安い遊園地なのでかなりチャチな出来だ。しかし高田さんはしっかりしがみついて来る。そのうちこちらもだんだん本当に女の子をエスコートしているような気がして、出口の付近では、相手の肩をしっかり抱きかかえていた。
 
そのまま外に出て数歩あるいたところで突然ハッとして身体を離す。高田さんは「ふふ」と面白そうに笑った。
 
遊園地で遊んでいる内に急に天気が悪くなってきた。「売店に傘があるだろうから買いに行こうか」と言っているうちに突然大粒の雨が降ってくる。私たちはすっかり濡れてしまった。
 
「参ったな。着替えを買わなくちゃ」高田さんがそういうので私たちは遊園地を出る。ちょうど近くにユニクロがあったので、そこで服を少し調達した。私がワゴンに置いてあった500円のワークシャツと1000円のズボンを選んでいると、高田さんが「和ちゃん、デートでそれはないよ」と言って、1900円のシャツと2900円のズボンを選んだ。「お金は私が払うから。あと下着も適当に選んでよね」
と言う。高田さんは可愛いブラウスと花柄のスカートに女物のパンツとキャミソールをかごに入れている。私は一瞬彼女が男であることを忘れていた。
 
ユニクロを出てから高田さんが「どこかで着替えよう」というので私はつい「ええ、そうしましょう」と返事してしまった。高田さんが車で少し走らせると近くにお城のような形のホテルが一軒見えてきた。「あそこにしようか」
「え?でもあそこは」「いいじゃん。ただ着替えるだけよ」と言ってそこの駐車場に車を入れてしまう。
 
御休憩3時間2900〜5800円と書いてある。高田さんはパネルを眺めて「ここにしよう」と言って5000円札を入れ、エーゲ海風4200円と書かれたパネルを押した。鍵が出てくるのでその鍵の番号を見て私たちはエレベータを上がった。
 
「身体冷えちゃったでしょう。先にお風呂入っていいよ」と高田さんが言うので私は買ってもらった着替えを持ちお風呂に行こうとしたが「お風呂場に持っていったら濡れちゃうじゃない。ここに置いておけばいいわ。私テレビ見てるから」というので、それもそうかと思い、高田さんが向こうを見ているのを確かめてその場で服を脱ぎ、お風呂場に入る。
 
こんなホテルに入ったのは初めてだ。お風呂場がとても広い。いつもホテルというと狭いユニットバスの所にばかり泊まっているので、こんな所もいいなという気がした。身体にシャワーを当てるがそれでも冷え切ったからだがまだ冷たい気がする。私は湯船にお湯を入れ始め、溜まるまで待ちきれないのでそのまま中に身体を入れた。
 
なんとかスネの半分くらいのところまでお湯が来たとき「和ちゃん、まだ?」
という声がした。そうだ。高田さんだって自分と同じように濡れて寒いはずだ。「あ。すみません。そろそろあがります」と答える。まだ充分暖まってはいないが、彼女に風邪をひかせてはいけない。
 
ところが高田さんは「待ちきれないから、私も入っちゃうね」と言った。
私は焦った。しかしすぐに焦る必要もないことに気付いた。男同士なんだから別にお互いに裸を見ても構わないじゃないかと思う。
 
しかしここ数時間の疑似デートで、私は高田さんをまるで女の子のように感じはじめていた。それが裸になればどうしても男の肉体を見ざるを得ない。それがなんだか辛い気がした。高田さんは女の子であって欲しい。そんな気がしてしまったのである。
 
ガラっと風呂場の戸が開く。
 
そこには高田さんの一糸まとわぬ姿があった。
 
私は「え?」と驚きの声をあげた。
 
豊かなバスト、くびれたウェスト、なめらかな腰のライン。
肌は雪のように白く美しい。
 
そこに見えたのは紛れもない女性の裸体の曲線美だった。
 
むろん股間にも何もなく、なぜか毛の無いその場所に一本の縦線が見えていた。
 
私は午前中に見たデルヴォーの、駅に立つ裸の女性の絵を思い出していた。
 
 
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