【△・男はやめて女になります】(2)

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2019年春、弘田ルキア、本名弘田光理は世田谷区J高校に入学した(西湖が入りそこなった高校で西湖が最終的に入ったS学園とも距離は近い。なお、S学園は女子校だがJ高校は共学である。普通、男子は女子校に入れない)。
 
光理の実家は横浜市で、中学時代は実家から放送局やスタジオなどに通っていたものの、結構“通勤”が大変だったし、出席日数不足にならないかヒヤヒヤだった。
 
高校に入るに伴い、芸能活動のしやすい学校に行くのと同時に学校近くのマンションに住むことにした。マンションの家賃は月7万円だが、毎月の収入は平均して20万円程度はあるから家賃・学費・携帯代などを払っても平気だ。親からは食費も含めて15万円程度で生活して残りは貯金しておくように言われている。
 
「将来、ちんこをチョッキンする時のためにも貯金が必要だろ?」
と父親は寒いダジャレを飛ばしていた。
 
実際には凄く売れていた時期(最高瞬間月収は500万円あった:翌年の住民税が恐ろしかったが)に充分貯金していたので、貯金は取り敢えず3000万円ほどあり(親には内緒)、性転換手術を受けたいと思ったらその程度の資金はある。しかし光理は特に性転換手術を受けたいとは思わない(興味が無いと言えば嘘になるし手術方法をネットで調べたし手術を撮影した動画もyoutubeで見てドキドキした)。もっとも何かの間違いで性転換されちゃったら女として生きていける気はする。
 
母なども
「お嫁さんになる時は結構お金がかかるよ」
と言っていたが、光理は自分はお嫁さんになるんだっけ?と少し悩む。
 
バラエティ番組でウェディングドレス着せられて男性のお笑いタレントさんと模擬結婚式とかあげさせられたけど(相手の男性タレントさんが照れていた)。
 

J高校は芸能人の生徒も多い。同じ学年に20人くらい居るという話だった。生徒定数は1学年240人で6クラスである。光理は1組だった。初日に教室に入っていくと、ひとりの女子と目が合う。
 
「わぁい、ルキアちゃんだ」
と言って、彼女はいきなり光理に抱きついてきた。
 
「ちょっとちょっと、坂出さん」
とルキアは彼女を押しとどめて言うが
 
「そんな他人行儀な。モナと呼んでよ。ハピサンで共演した仲じゃん。私、ルキアちゃんのこと好きだよ」
 
「あまり他人が聞いたら誤解するようなこと言わないでよ、モナちゃん」
 
そういうわけでWindFly20の坂出モナであった。
 

彼女のおかげで光理は女子のグループにつかまってしまう。
 
「男子制服着てきたんだね。女子制服にすれば良かったのに」
「ボクは男の子だよ〜」
「高校進学前にプーケットに行って性転換手術を受けたと聞いたのに」
「そんな話初めて聞いた!」
 
「髪は長いままなんだね」
「ああ。これはお仕事でのイメージがあるから学校には特に許可取った」
「芸能人はわりと取れるみたいね」
「あと、巫女してる子も許可取れるみたい」
「ボクは巫女はしないと思うな」
 
「でも校内では結ぶか編むか、しないといけないんじゃない?」
「あ、そうだっけ?」
 
「私が結んであげるよ」
と言って、ひとりの子が光理の肩くらいまである髪を2つに分けて各々を赤い玉ポニーで留めてくれた。
 
「髪が凄いさらさら。全然絡んでないね」
「トリートメントしっかりしてるから」
 
「はい、できあがり」
「ありがとう」
 
「可愛くなったよ」
「そうかな」
「この玉ポニーはあげるね」
「ありがとう」
 
こんな感じで光理は女子たちから抱きつかれたり、膝に乗られたり!髪を色々アレンジされたり、ネイルをされたり(本当は違反だが緩い高校なので派手なもの以外は注意されない)イヤリングとか付けられたりして、女子のオモチャと化すのであった。
 
その内慣れてくると、男子へのラブレターの仲介まで頼まれたりして、光理は少なくとも自分は“男子”とは思われていないなと、自分の性別について悩んだりしていた。
 
女子トイレにも連れ込まれそうになったが、さすがに逃げた。
 
「ルキアちゃんなら女子トイレ使ってもいいのに」
「ちんちん無いんでしょ?」
「あるよー」
 
でも男子トイレに入ると、男子たちは少しギョッとしたような顔をして
「弘田さんは個室使いなよ」
と言われるので、結局この高校では1度も小便器は使用しなかった。
 
取り敢えず女子たちからはだいたい「ルキアちゃん」とか「みっちゃん」と呼ばれ、男子たちからは「弘田さん」と呼ばれて、女子に準じた扱いをされている感じだった。
 
性教育の時も
「みっちゃんはこっち」
 
と言われて、女子と一緒にスライドを見たりした。
 
おかげで生理の仕組みについてもよく知ることが出来た。生理と生理の中間の14日目がいちばん妊娠しやすいというのは新鮮な驚きだったが、女子の中にも「生理の時が妊娠しやすいのかと思ってた!」という子が居た。
 
更にこの高校では、ゴールデンウィーク前に「大事なこと」を教えておかねばというので、避妊具の付け方!の練習まですることになる。太いマジックインキを、男性のおちんちんに見立ててやってみる。避妊具の表裏を確認してから袋を破るところから取付けまでグループごとに代表1名が実演した。光理は「ルキアちゃん、絶対誘惑されるから万一の場合のために練習しておいた方がいい」と言われて実際に付ける練習をしたが、避妊具の実物は初めて見たので、こうやって付けるのかと驚いた。くるくるっと開いて行くのはちょっと面白いと思った。
 
なお避妊具は買う勇気がない人がいたら、いつでも保健室であげるよ、と保健の先生は言っていた。
 
生理用品の話も随分して
 
「みっちゃんは羽根つきが好き?羽根無しが好き?」
などと訊かれる。
 
何か答えないといけない気がしたので
「羽根つきかなあ」
と答えたら、
『ルキアちゃん生理あるらしいよ』
という噂が広まってしまった!
 

弘田ルキアはアクアより2つ下の2003年生まれである。2015年、小学6年生の時に現在のプロダクションの城沼さんという30代の女性マネージャーに、新宿を歩いていた時にスカウトされた。
 
実は城沼は女の子と思って声を掛けたのだが、男の子と知ってびっくりする。しかし当時アクアが中性的な魅力で物凄く売れ始めた所だったので、この子も同様の路線で行けると思って城沼はそのまま彼をスカウトした。
 
実際には中学に入るのと同時に、2016年4月に『水玉模様の傘』という女の子に歌わせてもいいような可愛い曲で歌手デビューする。この時点で彼はふつうにまだ声変わりが来ていなかった。しかしこの曲が5万枚も売れたことから、事務所では彼の声変わりを心配した。
 
デビュー時点で城沼さんは結婚のため退職しており、代わって彼を担当したのは、鷺鷹さんという40代の男性マネージャーである。そして実は声変わり防止に女性ホルモンを飲まないかと勧めたのも鷺鷹さんだった。
 
ルキアは念のため精液の冷凍保存をしてから女性ホルモンを飲み始める。それで声変わりを抑えていることができたものの、中学2年の3学期頃、胸が膨らみ始めたので、社長に直接相談し、ホルモン剤を飲むのをやめることにした。そして、やめたら3ヶ月もしないうちに声変わりが起きて、彼の人気は急落した。それまで5000人の会場を満杯にしていたのに、3000人の会場の半分も埋まらない状況になる。
 
でも自分は男の子なんだから仕方ないとルキアは思った。
 

彼のマネージングは引き続き鷺鷹さんがしていたが、ルキアが人気絶頂だった頃はルキアの専任だったものの、人気急落後は後輩の仙道聡美ちゃんというルキアより2つ下の男の子(男の娘?)を主として担当するようになり、ルキアに関わる時間は少なくなる。どちらかというと放置されていることが多くなった。
 
以前は放送局とかまで車で送迎してもらっていたが、電車でひとりで移動してと言われる。それは自分が売れてないのだから仕方ないと割り切っていた。
 
ところが2019年5月、鷺鷹さんは唐突に解雇されてしまった。どうも仙道君にも女性ホルモンを勧めていたのを、彼の父親が怒って怒鳴り込んできたことから、解雇に至ったようである。
 
ルキアの場合は、親が寛容すぎて「お前いつ性転換するの?」とか
「セーラー服で通学する?」などと言われていた。仙道君のお父さんは大工さんで、彼を跡継ぎにと考えているようだが、彼の腕力では無理だと思う。彼はケースに入ったアルトサックス(4kgくらい)を持てなかった!
 
(モナだって10kgのお米を持てるのに)
 

鷺鷹さんの後任として、事務所は若林歌織さんという25歳の女性を新たに雇用し、ルキアと仙道君に付けた。彼女は大阪のイベンター、夢橋音楽事務所を昨年末に東京に戻りたいからと言って退職し、東京の実家で過ごしていた。ところが、独身の年頃の女が家に居ると、見合いの話をどんどん持ち込まれるのに閉口して何か仕事がないかと探していたらしい。彼女は実は女子大生時代、アクアの付き人をしていたらしく、事務所の社長が見知っていたので採用したということだった。
 
アクアの付き人はあまりの忙しさで半年以上続いた人が居ないなどという噂もあるが、彼女はその激務を1年続けたということで、体力と精神力のある人のようである。実際、初めて会った時も、頼りがいを感じた。
 
「アクアさんって女性ホルモン飲んでるんですか?」
と仙道君が質問したが
 
「飲んでないよ。実際彼は病気の後遺症で、ほんとうに成長が遅れているんだよ。年齢は高校生でも、身体はまだ小学生なんだよね。だから性的に未成熟。声変わりがまだなのは病気が生み出した奇跡だね」
と彼女は言っていた。
 
本当に女性ホルモンを飲んでないとは、とても思えないが、守秘義務を守っているのだろうと思い、ルキアは彼女に信頼感を持った。
 

さて、若林さんが担当になった後、実は大きく変わった点があった。
 
それはファンからのプレゼントの処理である。
 
プレゼントはたまに危険なものもあるので、基本的に薬品やサプリ(女性ホルモンを含む)、手作りのお菓子や手編みのセーターなどの類い、また個人発送のものは、悪いが廃棄させてもらう。デパートや洋服店・お菓子屋さんなどからの直送品だけを受け付けるルールである。しかし(バイト店員が宛名ラベルを盗んで個人から発送したりの例もあるので)念のため大手プロダクションで金属探知機やX線検査機などを持っている所に検査を依頼し、それで合格したものだけが受取り対象になる。
 
その先が問題である。
 
鷺鷹さんは、プレゼントの品物を見せて
「居るのがあったら持って行って」
と言い、ルキアたちが
「じゃこれもらいます」
と言ったものだけを自宅に運んでくれた。
 
ところが若林さんは検査合格した品物を自宅にそのまま持って来て
「要らないものはそのままゴミに出してね」
と言ったのである。
 
それで・・・・
 
ルキア宛にわりとよく送られてくる、女の子用の服や下着(サイズはちゃんとルキアの身体に合うサイズが選ばれている)がそのまま自宅に届けられるようになったのである。これは以前はスカートやブラジャー・パンティなどが並んでいて、興味は持っても「このスカートください」などとは、とても言えなかったので、結果的に廃棄されていたものである。
 
ところがそれがそのまま全部渡されるようになったのである。
 

当然、身につけてみる!
 
実は4月に起きた“あること”をきっかけに自分でも女の子の服を買うようになっていたので、ファンからのプレゼントの服ももらうようになると、女の子の服が部屋にあふれ、結局部屋の中では、ほぼ常時女の子の服を着ているようになってしまった。
 
ルキアはこの春から世田谷区のJ高校に進学して、むろん学校には男子制服で通っているものの、つい“出来心”で、女子制服も作ってしまった。
 
実は学校で「女子制服作っちゃおうかな」と呟いたら、クラスメイトの坂出モナが「ぜひ作ろう」と言って、洋服屋さんまでわざわざ付いてきて「この子4月になってから転校してきたんです」などと言ってくれた。もっともモナが付いてなくても、お店のお姉さんは光理をまさか女の子でないとは思いもしなかったようではあった。ちなみに申込書の振り仮名は「ひかり」と書いた。
これは昔からよくある誤読なのである。
 
それで家の中でしばしば女子制服を身につけて過ごしていたりする。さすがにそれを着て出歩く勇気は無いが、学校ではモナに唆されてみんなの前で着てしまった。写真禁止とモナが言ってくれたから誰も撮影してないと思うが、ある日はその女子制服のままで音楽の時間アルトの列に並んでいたら、音楽の先生は最後まで気づかなかった!(声変わりしたと言ってもアルト音域くらいは出る)
 

ルキアとしては自分の性別意識は男だし、女の子になりたいような気持ちは無い(つもりではある)ものの、家の中でスカートを穿いて過ごしている時間は自分の心が落ち着く感じがした。
 
そして学校に行く時も女の子パンティを穿いていくようになり、体育のある日は女の子ショーツの上に男の子トランクスを重ね穿きして行くようになった。当然トイレで立っておしっこができないが、そもそも光理は他の男子から「個室使いなよ」と言われて、立ってしたことは無かったので、光理が毎回個室に入っていても、友人たちは特に何も言わなかった。
 
ブラジャーを着けている日もあるが、ルキアはどっちみち胸が少し膨らんでいるので男子更衣室でも身体測定などでも、絶対にアンダーシャツを脱がない。それでかえってブラジャーを着けていてもバレにくい。むろんブラジャーが透けて見えないように灰色や紺など、色の濃いアンダーシャツを着ている。(でもモナや美琴には抱きつかれてブラを着けていることがバレてしまった!)
 

 
ルキアは小学生や中学生の頃はスカートを穿いたり女の子パンティを穿くと性的に興奮して、つい“して”しまった後、強い罪悪感に苛まれていたが、もうこの時期には、そういう段階は卒業しており、女の子パンティを穿いたりブラジャーをつけたからといって、性的に興奮したり罪悪感を感じることはない。むしろそのほうが心が落ち着く感じで「ボクその内女の子になりたくなったりしないだろうか?」と少し不安を感じるくらいである。
 
なお、ルキアは2年間にわたる女性ホルモン服用の副作用(本作用?)で、おちんちんは全く立たなくなっているので、男の子型のオナニーはできない。オナニーする時は女の子のようにあそこを指で押さえて回転運動を掛けているし、実はローターも通販で買って所持している。
 
自分が性転換されてしまう夢や、女の子の姿で学校に行ったりテレビに出たりする夢はわりとよく見る。
 
もっともテレビ番組で女装させられるのは、ルキアの場合、普通である!先日もバラエティ番組でフライトアテンダントのコスプレを披露したが、共演者たちからは女の子にしか見えないと言われたし、ファンからも
 
「良かったです。このまま女装キャラで定着して下さい」
「あまりにも可愛いから、ちょっと手術して女の子になっちゃいませんか?」
 
などというファンメール(主として女子から)が大量に送られて来た。
 
(男子からのファンメールはそう多くないのがアクアとの違い)
 

「女の子の声を出す練習しない?」
と若林マネージャーは言った。
 
「練習したら出るもんなんですか?」
「出るよ、声質で出やすい人と出にくい人があるんだけど、ルキアちゃんの声なら、少し要領覚えるだけで出るようになると思う」
 
「要領なんですか!?」
「そもそも男女の声の違いは何だと思う?」
「声帯の長さじゃないんですか?」
「長さだけ言うなら、アメリカ人の女性の声帯は日本人男性の声帯より長い場合だってある」
「そうかも!」
 
「むしろ男女の声の違いはフルートとクラリネットの違いなんだよ」
「えっと・・・」
 

若林さんは、実際にフルートとクラリネットを持って来ていた。
 
「どちらも普通のフルートとクラリネット。このフルートは65cm, このクラリネットは70cm。ほとんど長さに差はない。でも吹くと」
と言って若林さんは指を全部押さえて吹いてみせた。
 
「フルートはこれ」
 
音感の良いルキアにはそれがC4(中央C)であることが分かる。
 
「クラリネットはこれ」
 
この音はD3である(B♭クラリネットの最低音は記譜ではE3だが、B♭管では実音がC→B♭と長二度(=全音)低くなるので実音はD3になる)。C4からは7度下、つまり1オクターブ近く低い音だ。
 
「ほとんど長さが変わらないのに音は1オクターブ近く違うでしょ?」
 
「ええ」
 
「その違いはフルートは開管楽器で、クラリネットは閉管楽器だからなんだよ」
と言って若林さんは図を描いて説明してくれた。

 
「管楽器は缶の中で空気が振動することで音が出る。音は本当は縦波なんだけど、分かりやすいようにここでは横波風に表現している。左がフルートで右がクラリネット。ただし分かりやすいように管体の長さを揃えている。フルートは歌口の所が開いているから、管の両端が開いた開管楽器、一方、クラリネットは管の端が閉じていてマウスピースで息を吹き込むから閉管楽器になる」
 
「開管楽器では、両方の端が開放されているから、両端で波は最大幅揺れる。それでこの左側のような波形になる。でも閉管楽器では片方は壁でここは揺れることができない。それで右側のような波形になる。だから開管楽器では波が半波長振れることができるけど、閉管楽器では1/4(4分の1)波長しか揺れることができない。それで同じ管の長さであっても波長が倍になる。波長が倍ということはつまり、周波数は半分になり、1オクターブ低い音が出る」
 
波長と周波数が逆比例することくらいは、音楽に携わるものとしてルキアも理解している。
 
「なるほどー。それでクラリネットの音は低いんですね。下の方の図は倍音の出方ですか?」
 
「そうそう。開管楽器では両方が最大幅になるから、その2倍・3倍・4倍の振動を作ることが出来る。だからフルートは2倍音・3倍音・4倍音を出すことができる」
 
「そうか。クラリネットって2倍音が出ないですよね」
 
「そういうこと。2倍音を作ろうとすると、管の右端で波の振幅がゼロになるような波形を作らないといけないけど、そこは開放されているから、そんな波形は成立しない。それでそこが振動しているという前提で考えると、3/4波長揺れている波形になってしまう。するとこれは元の波形の3倍ということになる。だから、クラリネットでは3倍音・5倍音・7倍音と、奇数倍音しか出ない」
 
「結構難しい理論で動作しているんですね」
 
「まあ昔の人は物理学とか分からないから、経験で把握したんだろうけどね」
「これ物理学なんですか?」
 
「そうそう。ここで半周期で261.6Hz(中央C)になるには、音の速度を340m/sとして、340÷261.6 = 1.3m だから、その半波長分は 130cm÷2 = 65cm となる。だからフルートの長さは65cmくらいになる訳ね」
と若林は説明したが
 
「すみません。私、算数苦手です」
とルキアは答えた。
 

「まあそれで声の話になるんだけど、男性と女性の声のピッチが違うのは喉の発声器官を開管で使うか閉管で使うかの違いなんだよ」
 
「ああ」
 
「女性は開いて使うから高い音になる。男性は閉じて使うから低い音になる」
「へー」
 
「開いて使うか、閉じて使うかは、習慣の問題が大きい」
「習慣なんですか!?」
 
「男性でも凄い高い声出す人いるよね。逆に女性でも凄く低い声出す人もいる。それはそういう声の出し方をする習慣が身についているからなんだな。ただ男性は思春期の頃の喉の筋肉の発達で閉管状態の方が声を出しやすくなる。それで出しやすい出し方をするようになるから声変わりが起きる」
 
「そうだったのか」
 
「だから、男性でも最初は少し抵抗感があるけど、女性と同様に声帯を開いて声を出せばちゃんと女性のように高い音が出る。その要領さえ覚えたら、普通に女性の声は出るんだよ」
 
「やってみたくなりました」
 
「でしょ。それを覚えるにはいくつかの方法があるけど、多くの人が試行錯誤している内に突然出るようになると言っている」
 
「わぁ」
 
「たとえばひとつの方法は、裏声で高い声を出して、それを少しずつ低くしていって、これ以上低い声は出ないという所まで下げると、それがわりと女声に近い」
 
「やってみようかな」
 
「ただこういう出し方って、ずっと出していれば平気になるんだけど、最初の内はそういう出し方をするための筋肉が鍛えられてない。それで無理していると喉を痛めて、全然声が出なくなる。だから最初の内は1日30分以上は練習してはいけない。そして練習後は飴とかを舐めて喉のメンテをすること」
 
「それ割と大事ですね」
「うん。とっても大事。喉を潰したら2度ときれいな声は出なくなるから」
 
「じゃ無理しない範囲で練習してみます」
「うん。あと喉の筋肉を鍛えるには、うがいする時にガラガラガラって声を出しながらする。但しこれもやりすぎないこと。後は顔の筋肉を動かして顔の運動。これって笑顔を作る練習にもなるし」
 
「なるほどぉ」
 
「まあこういう訓練の上手いボイストレーナーに付く手もあるけどね」
「それ紹介して下さい!受講費は自分で払います」
 
それでルキアは1年ほど前に失ったソプラノボイスを取り戻すべく練習を始めたのである。
 

今年4-7月の3人の千里の動きはこのようであった。
 
4.06○千里の父が千里1のアパートを訪れて千里と和解
4.07★▲ 千里2・千里3が大裳に千里1の監視を依頼
4.08○千里1、岡山で菊枝と会う。妖怪粉砕。夜ルキアと一緒に入浴。
4.09-16○千里1がホテルに籠もって編曲作業。
4.10★千里2、ジャネの提案で50mプールを郷愁村に作ることに。
4.17-23★フランスのLFBで千里2はプレイオフ準々決勝で敗退。千里2はアメリカに移動。
4.19○千里1、絶不調の冬子(ケイ)の作曲代替を依頼される。
4.19-4.26○全国を走り回って眷属たちとのコネクションを回復。
4.26-5.01○東北を北上して出羽で美鳳と再会。霊的力を回復する。
4.26-5.01▲千里3はNTCで第二次合宿
 
5.01○千里1、髪を切る。板橋区に土地を買い練習場建設契約。
5.01★北里ナナのCD発売。記者会見に出る。
5.06-12▲千里3がNTCで第三次合宿。
5.12★千里2、アメリカでWBDA開幕。
5.13○千里1が神戸でスーパーのテーマ曲を依頼される。帰りに高岡により桃香も呼んで一緒に夕食を取るが、途中かほく市で変なレポーターに絡まれていたアクアを助ける、依田怜をうっかり性転換。
5.17▲★ 千里2と千里3が釈迦堂PAで手打ち。
5.下旬○千里1が康子と一緒に坂東三十三ヵ所を巡る。
5.20-6.03★千里2が日本代表第四次合宿に参加(その間WBDAには千里3が参加)。
5.29★千里2が依田をフォロー。男に戻し奥さんは女に変える。
5.30★千里2が青葉の振りをして啓太の除霊。
5.31-6.02★千里2がベルギーとの親善試合に出場。
 
6.11○板橋ラボ往復用にヴィッツを買う。
6.17-26○千里1が由美を連れて西国三十三ヵ所巡り。
6.19★千里2が1の代わりにヴィッツを受けとる。
6.27★★レコードの株主総会で村上社長解任。町添が社長に。
6.27MM化学の株主総会で鈴木社長解任。大混乱の始まり。
6.29○信次の一周忌。ムラーノを優子に渡す。
6.30○川島家に来た水鳥羽留の子供が信次の子と気づく。
 
7.01-05▲千里3日本代表第5次合宿NTC
7.13-19★千里2日本代表第6次合宿NTC
7.05○板橋区の練習場完成・引き渡し
7上旬○千里1名古屋でアパート爆発の補償金を受けとる。七回忌に来た阿倍子たちと遭遇。
7.10★アクアのCD発売。記者会見に出る。
7.24★千里2、オーリスを使って貴司を姫路の家に案内する
7.26▲千里3が青葉から日本往復に関する相談をうける
7.29★千里2がWBDA決勝戦を見学(日本時間で7/30朝)その後フランスに移動。
7.29▲千里3がランクルで冬子たちを敦賀駅に迎えに行き、小浜の施設引き渡しに立ち会う。
7.31▲千里3、青葉と会って青葉が性転換していることを告げる。Havai99の月から相談を受け村原を男に戻す。
 

 
貴司を姫路の家に案内した経緯はこうであった。
 
貴司から豊中市のマンションを出なければならないが、現在の給料で家賃が払えて、通勤が可能な適当な物件が見当たらず、一時的にでも市川ラボに住んではダメかと相談されたのは千里2である。
 
千里2は自分と貴司の“愛の巣”に美映を入れるなんてとんでもないと思ったし、そんなことを言う貴司の無神経さに怒りさえ覚えた。それで代わりに提案したのが、姫路の家を使うことである。ここは元々貴司が美映と離婚した後、貴司と一緒に住もうと思っていた家だが、まだ使用していないので比較的抵抗が少なかった。それで7月24日、オーリスを運転して姫路に行き、貴司をそこに案内した。この時、この家には2階に上がる階段が存在しないことに気づき、播磨工務店の南田に言って作らせた。
 
貴司と美映は7月29日に千里(せんり)のマンションから姫路の家に引っ越したが、この日、千里3は小浜に行く用事があり、乗せる人数の都合で貴司のランクルを借してと言った。この時3番は貴司が姫路の家に美映と一緒に引越すなんて話は全く聞いていなかったので貴司が戸惑うことになる。
 
『私があそこを貸すって言ったの?』
『そうだけど』
 
『じゃ家賃は30万円くらい払ってね。本当は月100万円取りたい所だけど、貴司だから特別』
『千里が2万円でいいて言ったんだけど』
『私がそんなこと言った?』
『言った』
 
『じゃまあいいや。だったら差額は身体で払って』
 
しかしランクルが無いと引越に困ると貴司が言うので、代わりにキャラバンを貸した。実際にはキャラバンで良かった。荷物が多すぎて、引越屋さんが用意していた4トントラックに荷物が載りきれなかったのである。
 
なお、この日、千里3がキャラバンを豊中市のマンションに持って行き代わりにランクルを持ち出したのが、千里がこのマンションを訪れた最後になった。
 

韓国で世界水泳に行っていた青葉から練習場所確保のため、7月27日に日本までピンポイント往復したいと7月26日に相談を受けたのも千里3である。この時期、千里2はアメリカでWBDAのプレイオフをしていた。
 
相談を受けた千里3は、コシネルズのチャン・スヤン(現在まだ韓国国内の慶州(キョンジュ)に住んでいる)に電話して、7/27-28日に、青葉を光州(クァンジュ)の世界選手権会場から、仁川(インチョン)空港まで送り迎えして欲しいと依頼した。
 
「途中で“空輸”するから、青葉には寝ていてくれるよう言って」
「了解です」
 
それで本来は光州と仁川空港の間は5時間くらい掛かるのだが、青葉がお弁当を食べてから眠ってしまったら即《わっちゃん》にワープさせたので、1時間ちょっとで到着している。
 
なお、青葉が会場を不在にする間、千里はコシネルズのメンバーで現在は宮城県内に住んでいるキム・ソンミを代わりに(普通に飛行機で)光州に行かせ、青葉の代役をさせた。これは選手が大会中に会場を離れるのは様々な問題が生じやすいからである。
 
案の定、27日の夕方には金堂さんが夕食のお誘いに来た。何でも誘うつもりだった同年代の短距離の女子選手に振られてしまって、代わりだったらしいが、青葉が居ないとまずかった。
 
更に28日の午前中には抜き打ちドーピング検査で呼び出された。ソンミも焦ったが、その時点でスヤンが運転する車の中で眠っている青葉の膀胱から尿を採取して、それを転送し、検体のすり替えをやって、何とか誤魔化した。しかし初めてドーピング検査を受けたソンミは
「人前で(ほぼ)裸になっておしっこするなんて、恥ずかしかったぁ!」
と言っていた。
 
コシネルズのメンバーの中で、キム・ハウンならバスケット選手生活が長いのでドーピング検査も受けたことがあるし、彼女は日本のパスポートを所有していてむろん韓国にも入出国できるが、彼女は人間!なので、青葉に擬態させるのは難しい。そもそも彼女は和実のお店の管理で忙しいので、こういう用事で使うのは申し訳無い。(更に男と誤認されてよけいな面倒が起きそう)
 

映画『ヒカルの碁』は春先からいくつかのシーンを撮影していたのだが、正式には(2019年)7月20日にクランクインした。アクアや葉月など、多くの撮影参加者が、撮影セットの作られた郷愁村(埼玉県熊谷市)の出演者用マンションに泊まり込んで朝から晩まで撮影に参加した。何人か、マンションではなく、この郷愁村を運営しているムーランが経営しているホテル“昭和”に泊まっている人もある(宿泊料は個人負担だが補助は出る)。主演のアクア、藤原佐為役の城崎綾香、桑原仁役の藤原中臣さん、藤崎あかり役の元原マミなどである。
 
アクアはホテル昭和のコテージ型別館“桜”に泊まっているが、これはアクアが3人いるので、それがバレないようにするためというのが大きい。葉月はマンションに泊まっているが、《わっちゃん》は彼の疲労具合を見て時々ホテル昭和のリーズナブルな別館“富士”に泊めている《かぶちゃん》に代理をさせていた。
 
葉月はこの映画ではアクアのボディダブルをするとともに、院生の奈瀬明日美役も演じている。それで奈瀬役を主として葉月本人にやらせて、アクアの特に男の子役ボディダブルを《かぶちゃん》にやらせるようにした。アクアの女の子役ボディダブルは葉月の疲労状況に応じて交替でやらせる。
 
例によって葉月は自分は“うっかり眠っていて撮影に行けなかった気がする”のに「さっきの演技よかったね」などと言われるものの、最近いつものことなので気にしないことにしていた。しかし《かぶちゃん》に結果的に3割程度代行させていることから、葉月は本人が出ている時は元気いっぱいの演技を見せ、おかげで“元気な明日美”が撮れて中村監督も満足げだった。
 
中村さんは『キャッツアイ・華麗なる賭け』(2017)、『八十日間世界一周』(2018), に続いて3度目のアクア映画の監督を務めている。
 

7月23-29日には学校でのシーンを撮影するため、学校に関わる出演者、生徒役や囲碁部員役のエキストラなどと一緒に加須(かぞ)市の廃校に行って撮影しているが、これは現地に泊まり込むのではなく、毎日郷愁村からバスで、片道30-40分かけて通っている。エキストラさんたちも各自の自宅からの通勤だが、熊谷駅まで来てもらえば駅からバスを運行している。
 
加須市での撮影には学校に無関係の桑原本因坊役・藤原中臣さん、緒方九段役・大林亮平などは参加していない(その間、助監督の高原さんが棋戦の様子などの撮影をしている)。
 
アクアは3人の内2人は“桜”のコテージに居て、適宜撮影場所に行っている1人と交替していた。《かぶちゃん》は《わっちゃん》が加須市内のホテルに連れていき、そこを拠点として適宜葉月と入れ替え、葉月は強制的に眠らせておいて疲労回復を図った。学校シーンには明日美は出ないので、比較的負担は小さかった。
 

7月26日は、主役のアクアが苗場ロックフェスティバルに出場するため撮影はお休みになった。20日のクランクインから25日まで6日間、朝から晩まで撮影してきていたので、アクアと葉月以外の役者さんにとっては助かる休日である。撮影は27日午後にアクアと葉月が戻ってきてから再開される。そして29日まで加須市で撮影を続け、30日からは郷愁村のオープンセットでまたメインの撮影が再開された。ここからはネット碁で謎の棋士 "sai" が活躍する話や、院生時代のヒカルの話、などの撮影が進む。27,28,29,30,31と連続してまたハードな撮影が続いたし、ここまで順調に撮影が進んでいたので、8月1日は夕方で撮影は終了して8月2日は撮影お休みとなった。
 
それで佐為役の城崎綾香こと本名・宮田雅希は、1日に撮影が終わった後、恋人の丸山アイこと本名・久保早紀を呼び出してデートすることにした。
 

恋人といっても2016年の秋以降3年近く同棲しているので、既に事実上夫婦である。ただ、どちらが夫でどちらが妻なのかは判然としない。婚姻届けを出さないのは、ふたりとも法律上は女性であるため提出できないからというのもある。性的な役割でも家庭生活上の役割でもふたりは対等である。料理や掃除などは手が空いているほうがするし、性生活でどちらが男役かも、その日によって違う。
 
実はふたりとも男性器・女性器の双方を持っている“ふたなり夫婦”である。何度か“ミューチャル・インサート”もしているし、同時射精にも1度だけ成功しているが、さすがにこれは体力を使うし、実はあまり気持ち良くない。あくまで性生活のバリエーションのひとつだ。むしろ実は双方女性モードで女性器同士を刺激しあう、いわゆるトリバディズム(貝合せ)の方が気持ちいいと思っている。
 
貝合せのいい所は、キスしながら乳房を合わせながら性器も合わせられるという“三所責め”ができることで、これは女同士ゆえに得られる最高の快感である。そもそも女性器同士の接触は明確な終わりが無いので長時間楽しむことができる。射精してしまうと急速にテンションが下がるので、貝合せする時は、双方とも男性器は興奮しないように“女性的に昂揚”するように気持ちをコントロールする。男性的興奮と女性的興奮は実は全然違うのである。
 
ふたりはどちらかが法的な性別を男に変更すれば法的婚姻も可能だが、双方とも男になるつもりは無い。丸山アイの“高倉竜”モードもあくまで余技にすぎない。早紀が“ボク”という自称をよく使うのも男の意識があるわけでは無く、ただの《ボク少女》である。
 
また、どちらも“女性芸能人”ということになっているので性別変更などしたら大騒ぎになる。それで2人はどこか適当な市に引っ越して、パートナーシップ宣言をしようかという話もしていた。
 
もっとも城崎の事務所は、彼女(彼?)のイメージダウンを恐れて25歳になるまでは入籍しないで欲しいと言っている(契約書では27歳になるまで結婚不可とされているが、事務所の社長は25歳になったら構わないよと言っている)。雅希の生年月日は1995.6.20なので、実は来年の6月になれば結婚可能である。(早紀と綾香のどちらかが法的性別を変更しない限り、多分パートナーシップ宣言することになる)
 

そういう訳で、8月1日の夕方は、熊谷だと映画の他の出演者もたむろしていて見られる可能性があるので、雅希は秩父鉄道に乗って御花畑駅まで行った。ここで早紀と落ち合う。
 
まずは駅近くのラーメン屋さんに入り、軽く腹ごしらえをする。ふたりは普通に女同士の友人にしか見えないだろう。デート中のカップルとはまず思われない。ふたりはこんな感じでデートすることが多いので、噂になったりすることもない。(東京から離れた場所では、早紀が高倉竜になって男女型のデートをすることもあるが、そう多くは無い)
 
「ちょっとドライブでもしようか」
「うん」
 
それで近くの駐車場まで行くが、早紀が「乗って乗って」と言う車を見て、雅希はびっくりした。
 
「なんか目立つ車だね」
「そうだっけ?」
「でもこの車は初めて見た。かっこいいね」
などと言いながら乗り込む。
 
「でしょ?しばらくデートできなかったからと思って」
と運転席に座りながら早紀も言う。
 
「まあこないだの車よりはマシだけど」
「こないだはごめんねー。動かなくなるとは思わなかった」
「あれ、見るからにボロかったよ。これは何てモデル?」
「フェラーリJ50だよ。限定10台で生産された日本専用モデル」
「高そう!」
「そうでもないよ。300万だったし」
「へー。意外に安いんだね。1桁上だと思った」
 
早紀はお金の単位を言っていない。300万と聞いて、車に詳しくない雅希は300万円と思いこんでしまった。中古でもフェラーリが300万円で買える訳がない。早紀はこのフェラーリJ50(の新品)を300万ユーロ(約3億4千万円)で買っている。
 

その日は秩父周辺をドライブしてから、結局秩父市内のビジネスホテルに泊まる。この日早紀は女装はしていたものの、身体は男だった。しかし雅希は「男の衝動」を感じてしまったので、早紀に
 
「僕が男役したいから女の子になってよ」
と要求し、雅希=男・早紀=女、の形で5回戦までやった。生でしたかったが、早紀がちゃんと避妊具を付けてと言うので付けてした。それで夜中すぎまでやっていたので、さすがに疲れて寝てしまったが、眠りに落ちていきながら、
 
「男の子になりたいとは思わないけど、男のセックスって気持ちいいよなあ」
と思った。
 

翌8月2日はホテルをチェックアウトした後、朝から秩父神社にお参りして2人の幸せをお祈りし、ちちぶ銘仙館、羊山公園などを散歩した。3時すぎに
 
「あまり遅くなると明日からの撮影に差し支えるだろうし」
と言って郷愁村に帰ることにする。それで雅希はちょうど近くだった長瀞(ながとろ)駅でおろしてもらい、熊谷方面の電車を待とうと思った。それで切符を買ってから駅舎の中に居たのだが、トイレに行きたくなった。
 
ここはトイレは駅舎の外にあるので、いったん外に出てトイレに入る。雅希はちんちんは付いていても、ずっと女として生きてきたので、男子トイレに入ったことはない。必ず女子トイレに入る。これが早紀の場合は、“アイ”モードの時は女子トイレ、“竜”モードの時は男子トイレに入っている。よく男子トイレ使うなあと感心する。実際彼は高倉竜になっている時は男にしかみえないから凄い。
 
それで個室(女子トイレには個室しかない)でしてから手を洗って外に出ようとした時、入ってきた女性(女子トイレに入ってくるのはふつう女性)とぶつかる。
 
「あ、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ」
 
それで雅希は駅舎の中に入り、5分ほどで来た熊谷行き急行に乗った。熊谷駅からは郷愁リゾートの送迎バスで郷愁村まで戻ることができる。
 

 
雅希は出演者用のマンションではなく、ホテル昭和の方に泊まっているので、自分の部屋に行き、少し早いけど寝ようかなと思った。それでシャワーを浴びようと思い、服を脱いでお風呂場に行き、香りの良い桧製の浴槽の中に入ってシャワーを出す。
 
身体全体にシャワーを当てる。顔に当て、耳の後ろを洗い、喉の付近を洗い、豊かなバストを洗い、やがてお股を洗う。雅希には割れ目ちゃんがあり、その割れ目ちゃんの中にちんちんが収まっているので、割れ目ちゃんを開き、その中のおちんちんを取り出してその先の皮がかぶっている部分をめくって洗う必要がある。雅希は、大陰唇と小陰唇の間にも、ちんちんの先の所にも垢がたまりやすい面倒な身体である。
 
ところがちんちんを取り出そうとした時・・・・
 
「え!?」
 
ちんちんを外に出そうとした指が空振りしてしまったのである。
 
何で?
 
と思って割れ目ちゃんをよくよく開いてそこを見る。
 
「嘘!?無くなってる!」
 
そこには中学生の時に唐突に生えて来て、ずっと雅希を10年以上悩ませてきたおちんちんが見当たらないのである。
 
「何で無いの〜〜!?」
 
雅希は思わず声を出してしまった。
 

指で割れ目ちゃんの中を触ってみると、前の方に凄く感じやすい部分がある。これクリちゃんみたい。その少し奥に何か小さな穴っぽいものがある。尿道口のようだ。そして割れ目ちゃんのいちばん奥には穴がある。これは普通にヴァギナである。
 
「なんかまるで女の子の身体みたいなんだけど?」
と雅希は困惑した。
 
どうしてこういうことになっちゃったんだろう?雅希はこれまでもヴァギナはあったし、セックスで女役をする時はそこに早紀のちんちんを受け入れていた。
 
クリちゃんと尿道口は小学生の時まではあったのだが、中学生の時、そのクリちゃんが急に大きくなり始め尿道口を飲み込むようにして、ちんちんに変化してしまった。更に割れ目ちゃんの後方、膣よりは少し前付近の陰裂左右の皮膚が膨らんでその内部に卵形のものが左右1個ずつあるのを感じるようになった(それについて雅希は考えないことにしているが、男の子の睾丸みたいなものかもという気はしている)。
 
だから、雅希はクリちゃんが無くなりちんちんができたことになる(早紀によると「5α還元酵素欠損症」という病気らしく、わりと時々あるものらしい)のだが、今の身体はその変化する前の普通の女の子だった時代のものと同じ感じだ。割れ目ちゃん後方にあった筈の玉のようなものも見当たらない。
 
雅希はシャワーのことも忘れてしばし呆然としていた。
 

トントンという音がする。
 
更にスマホも鳴る。雅希は取り敢えずバスタオルで身体を拭き、浴室を出てスマホを見た。早紀からだ!
 
「はい」
「ボク。今、部屋の外にいるんだけど、入れてくれない?」
 
雅希は本当に救われた気がした。自分1人ではどうしていいか分からない。でも早紀って“超能力者”(と雅希は解釈している)みたいだから、きっと何とかしてくれる。
 
それでバスタオルを身体に巻いただけの状態でドアを開けた。早紀は中に入ってくると、雅希を抱きしめてキスしてくれた。
 
それだけで物凄く落ち着いた。
 

「まあちゃん、身体に異変が起きてない?」
「どうして分かったの?実は、おちんちんが無くなって、まるで女の子みたいな身体になっちゃったの」
 
「まあちゃんに何かあった気がしたから来てみた」
「ありがとう!凄い勘がいいね。私、どうしようかと思った」
 
それで早紀は
 
「どうする?ちんちん欲しいなら、まあちゃんを男の子に戻してあげるけど」
「そんなことできるの!?」
「ボクが自分の身体を男に変えたり女に変えたりしてるの、いつも見てるくせに」
「あれって他の人にも適用できるの?自分だけじゃなくて」
 
「そうだけど」
「・・・・」
「どうしたの?」
「だったら、私、女の子の身体にして欲しかったよぉ」
「女の子になりたかったの?」
「私が男になりたいみたいにみえた?」
「ちんちんで結構遊んでるし、男でいたのかと思ってた」
「男なんて嫌だったよぉ。女の子に戻れるなら戻りたかった」
「ごめん。誤解してた」
 
早紀はわりと他人の気持ちを理解できない所がある気はしていた。ちょっとサイコパスっぽい所もある。でも早紀は自分には優しくしてくれるから好きだ。
 
「だったら女の子になれて嬉しい?」
「嬉しい!女の子になれて、凄く嬉しい」
「だったら、今の身体のままでいい?」
「うん。これでいい」
 
「なーんだ。心配して損した。じゃボク帰るね」
「ちょっと待って。私を抱いていってよぉ」
「いいけど」
 

それで早紀は男の子になって雅希を抱いてくれた。物凄く気持ちいい気がした。これまでで最も気持ちいいセックスだったかも知れない。
 
「私をこれまでみたいな身体にもできるの?」
「完全に同じにはできないけど、似た感じにはできるよ。まず、まあちゃんをいったん男の子に変えて、その後女に戻す途中で止めると、ちんちんもヴァギナもある状態になる」
 
「あ、それが早紀のふつうの状態か」
「そうそう。男女まじりあってるのがわりと快適だから、よくその状態にしてる」
「でも早紀って、完全な女の子になってることも多いよね」
「まあ気分次第だね。ちんちん要らない気分の時も多い」
「私ちんちん要らない!」
「でも結構遊んでたじゃん」
「ちんちんで遊ぶのは気持ちいいし、射精の快感もいいけど、やはり私は女の子の身体でいたいよ」
「これからは普通の女の子として生きていこう」
「そうする。生理も来るよね?」
「来ると思うよ」
「だったら早紀の赤ちゃんも産んであげるね」
「ボクがパパになるのか・・・・」
「早紀、ママになりたい?」
「悩みはある」
 
小空と小歌は自分のことママと呼ぶけどね。結局自分も千里ちゃんと同様に父親と母親の両方になる運命なのかも知れない。
 
(早紀は自分を父親とする子供がもう既に存在していることを知らない)
 
「でもなんで私、完全な女の子に戻ることができたんだろう?」
「気にしなくていいよ。まあちゃんがこの身体で満足しているのなら、それでいいじゃん」
「うん。気にしないことにする」
 
雅希は幸せな気分で一夜を過ごした。
 
そしてこの後、城崎綾香の演技はとても安定して「城崎さん成長したね」
とプロデューサーから言われるようになる。
 

8月5日月曜日。この日からMM化学では、給与もボーナスも払わない会社に抗議して、労働組合がストを開始した。組合員でない貴司はおかげで、何とか業務を止めまいと奔走することになる。美映には
「今日は帰られないかも」
と電話し、結局夜中の1時すぎまで仕事をした。
 
会社を出るも、当然電車など無い。どこかカプセルホテルにでも泊まろうかなと思って流しのタクシーをつかまえようと歩道の端に立って車道を眺めていたらトントンと肩を叩かれる。
 
「千里!?」
「貴司どうしたの?」
 
「仕事で遅くなったけど、姫路に帰る電車はないし、カプセルホテルにでも泊まろうかと思ってた」
「ああ。だったら私と一緒に泊まろうよ」
 
貴司はゴクリと唾を飲み込んだ。
 
「いいの?」
「遠慮する仲じゃないじゃん」
 
それで千里はちょうど来たタクシーを呼び止めると
「帝国ホテル大阪まで」
と言った。
 
「大阪帝国ホテルじゃないんだ?」
「貴司とデートするのに、ビジネスホテルには行かないよ」
 
そうかな。わりと一緒にビジネスホテルに泊まっているけどと貴司は思ったか気にしないことにした。
 
タクシーは帝国ホテル大阪の玄関前に停まる。ドアマンがドアを開けてくれる。
 
「手続きは私がするね」
と言って千里はフロントでチェックインをした。
 
ホテルマンが2人を案内してエレベータで21階まで上がった。それで案内された部屋は豪華なスイートである。
 
「なんかこの部屋凄いんだけど」
「デートだもん。豪華な部屋でいいじゃん」
「うん。でも高くなかった?」
「気にしない気にしない。私のおごり」
「ありがとう。ところで・・・その、ボクのおちんちん返してくれないかな?」
 
「ああ。ちょっと待って」
 
それで千里は貴司の手を握った。
 
「男に戻ったと思うけど」
 
貴司はおそるおそる股間に手をやる。
 
最初、ちんちんが取れてしまった気がしたのでギョッとするが、それは普段接着している偽男性器だった。その下に本物の男性器があるのを確認して嬉しくなる。
 
「ありがとう!男に戻れた」
「よかったね。お風呂入っておいてよ」
「千里が先に入って」
「じゃ先にもらうね」
 
それで千里は浴室に行き、シャワーを浴びてきたようだ。バスタオルだけ巻いた状態で出てくる。
 
「待ってるよ」
と言ってダブルベッドに潜り込んだ。貴司は急いで浴室に行くと、さっと汗を流し、バスタオルで適当に身体の水分を拭き取って、ベッドに急行する。
 
「していいよね?」
「いつでもしていいんだよ。私の旦那様」
「うん」
 
それで貴司は千里が寝ているベッドの中に自分も潜り込むと、千里を抱いて、あっという間に逝ってしまった。
 
そしてそのまま幸せそうな顔で眠ってしまった。
 
「細川さんって、本当に忙しい人だなあ。この精液念のため冷凍しておこっと」
と小さな声で呟くと“千里”はベッドを抜け出し、貴司の棒にかぶせてある避妊具をはがすと、スポイトで中にある精液を吸い上げ、アンプルに移した。
 
そして貴司に“タッチ”してから部屋を出た。
 

実をいうと、長瀞駅で雅希が千里1と接触した時、千里1を監視している《たいちゃん》は、それを《きーちゃん》に連絡し、それで千里2と3もそのことを知ることになったものの、性転換させてしまった相手が相手だけに悩んだ。
 
2番と3番は直接電話で会談し、素直に虚空(丸山アイ)に話して謝るしかないという結論に達した。それで2番が代表して丸山アイに電話して謝った。
 
「だったら雅希、今頃は驚愕しているだろうなあ」
「本当にごめん」
「いいよいいよ。1番さんはまだ完全じゃないんだもん」
「1番の暴走は停まると思う?」
「ボクの予想では今年の秋くらいには停まると思う。取り敢えずあの子、四国のお遍路に行かせなよ」
「そうしようかと話し合っていた所」
「雅希はボクがフォローしておくから」
「ごめんね」
 
それで性転換して困惑しているだろう雅希の宿所に、早紀は《しーちゃん》に転送してもらって訪問したのである。この時点で、さすがの早紀にも、性転換して雅希が男になったのか女になったのかは判断がつかなかった。しかし部屋に入って抱きしめてみたら女の身体になっていたので、今までの雅希の身体はやはり男だったんだなと認識した(実際ちんちんが生えて来てから生理が来なくなったと言っていたし)。
 
それで雅希と話し合ってみると、雅希は女の身体になれて嬉しいと言うので、そのままの性別にしておくことにした。それでその夜は一緒に寝たが、雅希は本当に幸せそうだった。女になりたいならそう言えばいつでも女の子に変えてあげたのに、何で今まで言わなかったんだろうと早紀は思った。
 
しかしムカついた。
 
それで早紀は、自分の大事なパートナーを性転換させられた腹いせに、千里の大事なパートナーも性転換させちゃれと思ったのである。それで眷属を大阪に行かせてチャンスを狙っていたら、貴司が残業で遅くなって会社から出て来たので、自身で千里に変装してこれをキャッチし、ホテルに誘ったのである。
 

翌8月6日朝、貴司は爽快に目が覚めた。千里を探すが居ない。浴室にも居ない。帰ったのかな?それともコンビニにでも行っているのだろうかと思ったが、取り敢えずトイレに行くことにした。
 
いつもの習慣(貴司は2018.3.18に千里(千里3)から男性器を取り上げられて以来、ずっと座っておしっこをしている)で、便器に座るが、おしっこの出方が“ちんちんが無い”状態の出方である。
 
ああ、また取り上げられちゃったか。まあいいか。千里とする時は戻してくれるだろうしと思って達観する。その時ふと手が自分の“バスト”に触れた。
 
「え!?」
 
胸に触るとそこには豊かなバストがある。
 
「なんでこんなに胸があるの〜〜?千里、これ困るよぉ」
と貴司は情けない声を出した。
 
貴司はまだ半月後に自分の身体に起きて、その後28日おきに起きるようになる事象のことを知らない。
 
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【△・男はやめて女になります】(2)