【少女たちの国際交流】(1)

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森田雪子は道北の小さな山村で生まれたが、雪子が小学1年生の時に留萌支庁の小さな漁村に引っ越して来た。お父さんが勤めていた製材所が倒産した後、お父さんは漁船に乗る道を選択したのである。
 
北海道は広く(面積としては九州より広い)、言葉も地域によってかなりの差異がある。それで雪子は最初の頃この新しい町で使われている言葉がよく分からなかった。そのことから孤立するようになり、中にはあからさまに雪子をいじめる子もいた。それで雪子は小学1年生の頃、随分寂しい、そして辛い学校生活を送っていた。
 
そしてそれは小学2年生の6月だった。
 
学校が終わって帰ろうとしていた時、教室で何か話している女子が2人いた。それは梢恵ちゃんとクリスちゃんであった。
 
クリスちゃんはお父さんが外国人で男の子並みに背が高い黒い肌の女の子である。彼女は日本語もややあやふやで、結果的に他の子との交流があまり無いものの、雪子が教室の中で「孤立」しているとしたら彼女の場合は「孤高」を保っている感じがあった。雪子は自分もあんな風に堂々としていられたらいいのにと彼女に憧れていた。
 
「ワタシ、セ・タカイカラ、オトコノコ、オモワレテルコトアル」
などと言って自分でそういうのを話のネタにしている。
「クリス、本当はおまえ男だろ?チンコあるんじゃね?」
などと男子がからかうと
「チンチン10本アッタヨ」
などと平気で答える。
「10本もあるのか!?」
「ケースケ、ナンボンアル?」
「俺は1本だ」
 
「ワタシ10ポンアッタカラ11本キッテ、オンナノコニナッタヨ」
「なんで10本しか無いのに11本切れるんだよ?」
「アト1ポン、ケースケのチンチン、イマカラキッテアゲル」
 
などと言って、からかった男の子のちんちんをつかんじゃう!
 
「やめろ!チンコ切られたくない!」
と言って男の子が慌てて逃げて行く。
 

クリスちゃんはまだ2年生なのに、本来は4年生以上らしいミニバスのサークルに入っている。梢恵ちゃんもそのミニバスに入っていて、同じサークルなのでクリスちゃんは梢恵ちゃんとだけは結構よく話している感じだった。梢恵ちゃんは幼稚園の頃から英語を習っていたということで、どうもふたりは日本語と英語を交ぜて会話している雰囲気だった。
 
その日、ふたりが何か話しているのを何気なく見ていたら、やがて梢恵ちゃんがこちらに来て雪子に言った。
 
「雪ちゃん、あんた、この後何か用事ある?」
「ううん。何も無いけど」
「じゃさ、ちょっとミニバスの手伝いしてくれない?」
「手伝い?」
「今日参加人数が少なくてさ、球拾いが居ないのよ。それでシュート練習とかで外れたボールが転がっていったのを取って来るのを手伝ってもらえないかと思って」
 
雪子はこの学校に来てから、何かに誘われたことが1度も無かったので驚いたが、また嬉しかった。それで
 
「いいよ」
と笑顔で答えた。
 

それで3人で体育館の方に行く。クリスちゃんが何か英語で言ったのに対して梢恵ちゃんも何か英語で返事していた。するとそれを受けてか梢恵ちゃんが雪子に訊く。
 
「雪ちゃん、バスケットしたことある?」
「ううん。何かボールを輪っかの付いた網に放り込むんだよね」
「そうそう。基本的にはそれが分かっていればいい」
「あのボールを撞きながら走るのが格好いいなあと思ってた」
「ドリブルと言うんだよ」
「へー」
 
3人が体育館に行った時、まだ誰も来ていなかった。
 
「ゴール引き出すよ〜」
と言って梢恵ちゃんが言うので一緒に用具室に入る。長い鉄の棒が4本あるので3人で1本ずつ取る。
 
「こういう感じでやるんだよ」
と言って手近なゴールで梢恵ちゃんが手本を見せてくれる。
 
梢恵ちゃんは棒の先の?みたいな形をしているフックを器具の中央の丸い穴に差し込むと下の方のコの字の形になっている所を持ってぐるぐると回す。するとそれに合わせて壁にピタリと付いていたゴールが少しずつ引き出されていく。
 
「へー。そうやって動かすんだ?」
「お金持ちの学校だとボタンを押せばいい所もあるみたい」
「なるほどー」
 
それで3人で残りの3箇所に散り、全部のゴールを引き出した。雪子はあまり腕力が無いので少し時間が掛かっている。自分の分を終えた梢恵が見に来てくれた。
 
「こんなんでいいかな?」
「あ、少しボードが斜めになってるね」
 
と言って梢恵はフックをゴールを支えている腕の一部に引っかけると横に引っ張って、ゴールのバックボードがコートに対してまっすぐになるように調整した。
 
「まっすぐにはなったけど、中心線からずれてる気がする」
「まあそれは愛嬌で」
 

棒を用具室に片付けたあと、モップを持ってフロアの掃除をした。モップを持ったまま走るのだが、まだ身体の小さな小学2年生にはなかなか大変である。
 
「これきつーい」
「まあこれも練習の一部」
 
掃除が終わった後は3人で軽くアキレス腱を伸ばしたり手を振ったりする運動をした。
 
「上級生が来るまでもう少し時間があるかな」
と言った梢恵ちゃんは、雪子にバスケットの基本的なルールを教えてくれた。
 
「基本的にはボールを運んでいって、ゴールに放り込めばいい。そしたら2点入る」
「1点じゃなくて2点なんだ?」
「うん。他にフリースローというのがあって、これは1点」
「へー」
 
「細かいルールは色々あるけど、ボールを持ったまま3歩以上歩いたらトラベリングと言って反則。だからドリブルしながら走る」
「なるほどー!」
「ドリブルをやめた後、再度ドリブルしてはいけない。ダブルドリブル」
「じゃ、ずっと続けてないといけないんだ?」
「そうそう」
「何か面白そう」
「ドリブル、ちょっと練習してみない?」
 
と言うので、雪子はまずはボールを撞いてみる。最初、ボールが自分が思った以上に高く跳ね返ってくるのでびっくりする。
 
「これ、凄く高く跳ね上がる」
「ああ。鞠撞きの鞠とかよりは随分よく弾むよ」
「へー」
 
それで何とか安定して撞けているので、そのまま少し歩いてみる。
 
「あ、うまい、うまい。そのまま走ってみよう」
 
走ってみるとボールが向こうに行きすぎたり、逆に思ったほど進まなくて走る速度を落としたりしなければならなかったりするものの、雪子は何とかコートの端から端までドリブルで走ることができた。
 
「うまいよ、雪ちゃん。才能あるかも」
と梢恵に言われて、雪子はちょっと嬉しくなった。
 

やがて上級生も来て、コーチの先生も来て練習が始まった。最初に体育館の中を5周走るのは雪子も一緒にやらされる。その後ラジオ体操、柔軟体操、ストレッチなどもする。
 
それからドリブルしながらコートを10往復などとやっていたが、梢恵は半分の5往復にしてもらっていた。雪子は初めてだからということで3往復で勘弁してもらったが、3往復もするだけでも、かなり辛い。しかしそれだけドリブルしながら走っている内にドリブルの要領がかなり分かってきた。
 
上級生が7−8往復した頃、雪子はやっと3往復してゴール下まで戻って来た。
 
「雪ちゃん、この3往復する間に随分ドリブルが上手くなった」
と梢恵から言われた。
 

やがてシュート練習が始まる。Bコートの2つのゴールを使い、上級生がどんどんシュートするのの、外れて飛んで行ったボールを拾ってくる。雪子と梢恵が各ゴールの球拾い係になった。クリスは3〜4年生たちと一緒にシュート練習に参加する。背が高いので彼女は別格なのだろう。梢恵が3〜4年生のゴールに付き、雪子が5〜6年生のゴールに付いた。5〜6年生は上手い子が多いから取ってくる回数も少ないだろうからと梢恵に言われた。
 
5〜6年生の所に付いているとみんな体格のいい子ばかりである。男子にはもう見上げるほどの高さの子もいる。こちらにはコーチさんが付いて、色々指示を出していた。
 
雪子がこぼれ玉の方に歩いて行ってボールを掴み返したら、コーチから注意された。
 
「こらボール拾い、ちゃんと走ってボール取って来い」
「はい、済みません!」
「それからボール投げるのは片手投げじゃなくて両手でパスの要領で」
と言われるが分からない。
 
すると近くに居た河合というネームの付いたユニフォームを着ていた男の子がお手本を見せて教えてくれた。
 
「なるほど!そうやって投げるんですね?」
「君、バスケ初めて?君は腕が細いから片手投げじゃあまり届かないよ。こうやって両手で押し出すようにして投げた方が届くし、方向も狂わないと思う」
「ありがとうございます!」
 
それで次からは走ってボールを取りに行き、走って戻ってチェストパスの要領でボールを返したら、またコーチに注意される。
 
「こらぁ、ボール拾い、ラグビーじゃないんだぞ。ボールを持って走ったらトラベリング! ドリブルして戻って来い」
「すい、済みません!」
 
それで雪子は走ってボールを取って来て、ドリブルで戻って来てからボールを返す。するとこれがかなりの運動量である。5〜6年生は8人居て、左右に別れて4人サイクルでシュートを撃っている。見ているとかなりの確率で入るし、外れてもゴール近くで掴めることが多いので結果的には10回に1回程度ボールを拾いに走って行くことになった。帰りはドリブルして帰ってきてパスするがこれが結構息が上がる。30分ほどのシュート練習で、雪子はもう足がガクガクになる感じだった。
 

シュート練習の後は2チームに分かれて紅白戦をした。雪子は梢恵と2人でスコア係をしたが、梢恵が細かいルールを都度教えてくれるので、雪子はこの日の試合見学だけで、かなりルールを覚えた。
 
「片足を動かさなければもう片足はいくら動かしてもいいのね?」
「おもしろいでしょ。誰かが屁理屈言ったのが、正式ルールに採用されちゃったんだろうね。軸足のことピボットとも言うんだよ」
 
「あ、バスケットって15点取ったら勝ちとかじゃなくて時間いっぱいするのね?」
「そうだね。バレーとか卓球とかは何点取ったら勝ちだけど、バスケットは上限が無いから、どうかすると24分の間に100点とか点数入っちゃうこともあるよ」
「ひゃー」
「S小とか強いよ。S小が春にH小とやった試合が108対0だったんだよ」
「それって途中で打ち切ったりしないの?」
「最後までやるのがルール、最後まで手を緩めないのがマナー」
「そういうものなのかあ」
 
「春の大会ではうちはS小とは当たらなかったけど、そこそこ強いM小に50対20で負けた」
「大差だね〜」
 

紅白戦が終わった後は、また長い棒を出してきてゴールをたたみ、そのあと、またモップを持ってコートを走って掃除する。今日最初にやった時はモップを持ったまま走れず歩くようにして掃除していたのだが、今度は何とか少し走れた。
 
「これきついけど、何だか面白い」
「でしょ? 中高生の大会とかだと、掃除係の子が横一列に並んで同じ速度で走って掃除するんだよ。すごくきれいだよ」
「へー。掃除も大事なんだね」
「うん。だってちゃんと掃除してないとコートの状態が悪くなるしね」
「確かにね」
 
そんな話をしながらモップを用具室に戻そうとしていたら、シュート練習の時に雪子にパスの仕方を教えてくれた河合君が雪子に声を掛けてくれた。
 
「君、今日1日で凄く上達したね。才能あるよ。また来週も頑張ろうね」
「はい、ありがとうございます」
 
と雪子は笑顔で返事したが、梢恵から言われる。
 
「雪ちゃん、来週も参加する?」
「あ、参加していいかなあ」
「うん、歓迎歓迎。2年生は今私とクリスに2組のリル子の3人だけだからさ」
と梢恵が笑顔で言った。
 
そのリル子ちゃんが今日は休みだったので代わりに雪子が誘われたようである。しかし雪子はこの後ずっとミニバスの練習に参加するようになり、この日を境に孤独で辛い学校生活から抜け出したのである。
 

「あんた算数と音楽がダメね」
と小学3年生の千里は1学期の通知簿を見た母から言われた。
 
「うーん。割り算がよく分からない」
と千里は答える。
 
「あんた九九(くく)は全部言える?」
「言えると思うけど」
「じゃ7の段を言ってみて」
「しちいちがしち、しちにじゅうに、しちさんにじゅう、しちしにじゅうろく、・・・」
 
「ちょっと待て。『しちにじゅうし』でしょ?『しちさんにじゅういち』、そして『しちしにじゅうはち』」
 
「あれ〜〜?」
 
「あんた夏休みの間に九九を全部覚え直そう。九九が分からなきゃ割り算ができるわけない」
「そういうものなの?」
「当然」
 

「音楽はなんでダメなんだっけ?」
「ハーモニカが全然吹けない」
「ハーモニカは私も苦手だなあ」
「なんか吸ったり吐いたりというのがどうにも覚えきれなくて」
「ああ、それで分からなくなるよね」
 
と母も言っている。どうも母もハーモニカはそのあたりで挫折しているようだ。
 
「何か楽器をひとつでもできるようになれば、自信持てるから、自信持てると他の楽器にも挑戦できるようになるんだよねー」
 
「ふーん」
「あんた、幼稚園の頃はおもちゃのピアノよく弾いてたね」
「うん。あれ凄く好きだったけど、お父ちゃんが踏んで割っちゃったし」
「まあ人が通るような所に置いておくからだけどね」
「お父ちゃんからもそう言われた。あれ壊れたの凄く悲しかった」
 
「新しいの買ってあげようかとも思ったけど、あれはあくまで幼児用だったからなあ。そうだ。あんたヴァイオリンとか弾いてみない?」
 
「バイオリン?」
「私が昔買ったのがあるのよ」
と言って母は押し入れの中を探し始めた。それは10分ほどで見つかった。
 
「あったあった」
と言ってヴァイオリンのケースを出してくる。
「これ昔通販で買ったのよ。3万円もしたんだよ」
「すごーい!」
 
3万円のヴァイオリンというのがあり得ないほどの安物だというのは当時の千里には分かっていない。
 
母はケースからヴァイオリンを取り出すと、調子笛を吹きながら調弦する。
 
「その笛の音と同じ高さにするの?」
「うん」
「ちょっと音が違うよ」
「あれ?そうだっけ」
「どの音に合わせるの?」
「太い弦から順にソレラミ。その笛に書いてある記号ならGDAE。音階で5つ行った所なんだよ。ソラシドレ、レミファソラ、ラシドレミ」
「へー」
 
それで千里は調子笛を吹いては、ヴァイオリンの糸巻きを調整して指で弦をはじいてみて、同じ高さの音が出るようにした。
 
「これで合ったと思う」
 
「じゃね、これをこう構えて」
と言って母はヴァイオリンの持ち方を教えてくれる。
 
「それで弓を弦に直角に当てて。そうそう。それで引いてごらん」
 
千里が弓を動かすと、きれいな音が出る。
 
「おお、すごい。最初からそんなにきれいな音が出るって千里、あんた天才かもよ」
「そうかな?」
 
母に褒められたので気を良くした千里は左手の押さえる場所を移動しながら「咲いた咲いたチューリップの花が」と演奏してみた。
 
「うまーい」
と母は褒めてくれた。
 
「でもその音が出る場所がすぐには分からない。ちょっと探すような感じになる」
「最初から分かる人は居ないよ。たくさん弾いている内にどのあたりを押さえればいいか分かるようになるんだよ」
 
「これ、どこを押さえたらどの音が出るって印とか付けちゃダメなの?」
「ヴァイオリンの音の高さはその日の温度とかでも変わるから」
「へー」
 
「それにヴァイオリンの弦って演奏している内にどうしても弛んでくるんだよ」
「なるほどー」
 
「だから印を付けて覚えた人は、温度とかが変わった時に対処できないし、長い曲を演奏していると、少しずつ音程がくるってくる」
 
「じゃ、ちゃんと感覚で覚えないといけないんだ?」
「そうそう。それで頑張ってごらん」
「うん!」
 
その夏、ヴァイオリンは千里にとって、楽しいオモチャになった。
 

留萌はニシンで栄えた町である。明治中期頃からニシンの漁獲量が増え、町は大いに潤って「ニシン御殿」が多数建つことになる。この頃のニシン漁のことを歌ったのが、あまりにも有名な『ソーラン節』である。ただしこの歌が生まれたのは留萌より南西の積丹半島付近とされる。
 
しかしニシンは大正期頃から漁獲高が減り始め、戦後間もない頃になると全く穫れなくなってしまった。代わって注目されたのがスケトウダラであるが、これも次第に漁場が北に移動していき北海道沖では穫れなくなってしまう(*1)。
 

(*1)史実ではこのスケトウダラが穫れなくなっていった時期はだいたい1980年代後半なのですが、この物語ではスケトウダラ船団の廃船を2005年頃としています。史実としても2000年6月に留萌の底引き網漁船が全て廃船になっており、物語の中で2006年春に千里の父が乗っていた船が廃船になる展開にしているのはこの事件を少し年代をずらして物語に組み込んだものです。
 
武矢は1977年春に中学を卒業してスケトウダラの船に乗った設定です。
 

それで留萌近辺の2010年代の漁業はエビ・タコ・ホタテなどが中心になっており、特にホタテの稚貝の養殖はここが北海道の中心地になっている。ここで育った稚貝が各地に運ばれて、北海道のホタテ養殖が成り立っているのである。
 
しかし千里が小さい頃、まだ沖合の漁船が盛んに活動していた頃は、多くの男衆たちが北海道西岸に集まり、またたくさん人が集まってきているのを目当てに商売などする人たちも集まってきて、留萌界隈は夕張などの炭鉱の町同様に活気あふれる町であった。その集まってきた人たちの中には本州や九州などから、はるばる来た人たちもあったし、外国出身の人も混じっていた。
 
誰に対しても優しい性格である千里は幼い頃、近所に住む外国出身の子供たちに何だか頼りにされてしまうことも多かった。彼らとの会話は様々な言語をミックスした会話になりがちだった。
 
「Go to seashore and play?」
「Oui oui allons」
「pangingisda?」
「Que bom」
「じゃ釣り竿持ってくるよ」
 
実際問題として子供たちはお互いが言っていることを半分も理解していなかったので、ひとりだけ釣り竿ではなくバドミントンのラケットを持ってくるなど、トンチンカンなことが起きてしまう場合も時々あったが、身振り手振りなども加えてお互いの意志を伝え合っていた。
 
どうにもならない時には英語・フランス語までは分かる年上のコハルが教えてあげることもあった。
 

この時期に千里によく馴染んでいたのは、アメリカ人(でも国籍は日本)のタマラ(珠良)、スーダン系フランス人(でも国籍はやはり日本)のリサ(梨紗)、純粋な?フィリピン人だけど両親はもう10年も日本で暮らしているという勲男、日系ブラジル人(日本とブラジルの二重国籍)のヒメ(姫)といったあたりであった。特にタマラとは幼稚園の時からの同級で千里といちばん仲が良かった。
 
他にリサも小学1年生の時から一緒だったので、千里はタマラやリサと会話する内に、けっこう英語やフランス語を覚えていった。ヒメと勲男は3年生の春に転校してきた子である。それまでヒメは留萌郡の別の町、勲男は旭川に居たらしい。
 
このグループはよく一緒に鬼ごっこなどをしたり、リサちゃんのお母さんなどに付き添ってもらって釣りに行ったり、あるいは冬の間は室内で本を読んだり歌を歌ったりしていた。勲男君が多少乱暴な所があり、しばしばヒメちゃんが泣かされるのを体格の良いリサちゃんがかばってあげるなどという構図ができていた。千里はだいたい傍観者だったが、タマラは勘が悪く、そもそもいじめに気づいていないことも多かった。
 
「でもこの5人、たぶん男の子2人と女の子3人だと思うんだけど、ちょっと見ると男の子1人と女の子4人に見えるね」
 
などと学校の先生などは笑って言っていた。
 
「Well, who are boys?」
「Isao et ....」
「Hime?」
「Eu sou uma menina!」
 
といった感じで、みんな首を傾げていた。千里は内心冷や汗を掻いていた。コハルがおかしそうな顔をしている他はみんな分かっていないようだ。
 
なお、この時期の千里の格好は中性的な服装のことが多く、まだ堂々とスカートを穿いて出歩いたりまではしていなかった。でもトイレの場所を尋ねると間違い無く女子トイレを案内されていたし、タマラたちと遊んでいる時も、ちゃっかり女子トイレを使っていた。
 

この集まりには各々の同郷の子(多くは外国籍)が参加することもあったし、ヒメの妹・オトメや千里の妹・玲羅などが顔を出すこともあった。しかし玲羅はこのグループで交わされている会話がさっぱり分からない。
 
「今、リサちゃん何て言ったの?」
「玲羅の絵がアドラーブルだって」
と千里は答える。
 
「アドラーブルってどういう意味?」
「どういう意味って、アドレしたいくらい良いってこと」
「アドレって?」
「うーん。日本語では何て言うかなあ」
「要するにお兄ちゃんも意味分からないの?」
「意味は解るけど、いちいち日本語に直して考えないし、日本語では何て言うんだっけ?」
「そんなこと私に訊かれても分からない」
 
そんな感じになってしまうので、結局玲羅が参加するのは、釣りに行く時とか、イースターとか七夕などでおやつやごはんなどを食べるような場合で、あまり話さなくても何とかなる場合が主であった。
 

一方、この年の夏休み、雪子はずっとミニバスの練習に参加していた。
 
雪子は背が低いので、もともと背の高い子が多いバスケのチームの中にいるとちょこまかしている感じでそれがかえって対峙する相手にはやりにくく感じるようであった。
 
「コーチ、この子、この小ささが逆に武器になってますよ」
と河合君などが言い、熱心に雪子にドリブルのテクを教えてくれて雪子はそれをどんどん覚えていった。
 
雪子の上達を見てコーチは8月の大会にBチームの一員として試合に出してくれた。ミニバスは1チームに最低10人必要(登録人数はこの大会では最大18人になっていた)なので初心者でも出場機会をもらえるのである。
 
雪子はまだ2年生でもあるし、コートに出してもらっても大したことはできなかったのだが、一度こぼれ玉を確保してドリブルで独走して相手ゴール近くまで行くことができた。自分ではとてもシュートできないので5年生の鈴木君にパスし、彼がきれいにシュートを決めて得点に結びつけることができて大満足だった。このプレイは後でコーチからも褒められた。
 
「お前、ドリブルのセンスあるよ。これで走るのが速くなると凄く強くなる。お前ジョギングとか毎日するといいよ」
などとコーチから言われるので
 
「はい!」
と笑顔で答え、雪子はこのあと本当に毎日近所を走り回るようになり、また8月下旬になって2学期が始まっても昼休みにずっと校舎の周りを走っていた。雪子は教室にいるといじめられやすいので、教室外に出て走ることで、それからも逃げることができ、一石二鳥だった。
 

ある日、雪子はいつものように体育館でミニバスの練習の準備をしていた。その日は梢恵やクリスもまだ来ていなかったのでひとりで4つのゴール全部を引き出した。そして床掃除でもしてようと思い、モップを持ってフロアを走っていたら同じクラスで雪子をよくいじめている女子、多枝と斗美が来た。
 
「ふーん。雪子、ミニバスに入ったんだ?」
「うん。入れてもらった」
「でもあんた最近、少し生意気じゃない?」
「そうそう。私たちのお使いとかもしないしさ」
 
雪子はじっと彼女たちを見ている。
 
「あたしたちさ、ちょっとボールで遊んでて図書館の窓割っちゃったんだよ。あんた代わりに自分が割りましたって言って叱られてきてくれない?」
 
雪子は1年生の時は何度か似たようなことをやらされていた。しかし今日の雪子は違った。
 
「そんなことをするいわれはないです」
とハッキリ拒否した。
 
「あんたそれでいいと思ってんの?」
と言って多枝が雪子を捕まえようとしたが、雪子はさっと逃げた。
 
「逃げるか!?」
と言ってふたりは追いかけてくるが、雪子は素早い。この夏休みの後半ずっと毎日走っていたし、新学期になってからも昼休み走ってるので、脚力が大幅に上昇しているのである。
 
二人が体育館の中を追いかけ雪子が逃げるという構図になるが、どうしてもふたりは追いつけない。しかし二人は左右に別れて両側から雪子を体育館の端の方に追い詰めた。
 
雪子はチラッと出口が細く開いているのを見た。
 
そこに斗美が
「手間掛けさせやがって」
と言って雪子に突進してくる。彼女が自分のごくごくそばまで来た時、雪子はひょいとその細い隙間からフロアの外に出た。
 

ガツン!
 
と凄い音がした。
 
細い雪子は楽々通れた隙間を、身体の大きな彼女は通過できなかったのである。
 
「ちょっと大丈夫?」
と多枝が斗美に声を掛けているが、何とか大丈夫そうなのを見て、扉を手で開けてからこちらにやってくる。斗美も立ち上がり頭を手で押さえながらドアを通ってきた。
 
「なめた真似しやがって」
と言って雪子に迫るが、そこに立ちはだかる影があった。
 
「クリスちゃん?」
と雪子が声をあげる。
 
クリスは笑顔で彼女たちに声を掛けた。
「あんたたちもバスケするの?」
 
「いや、別に私たちは・・・」
「バスケ、楽しいよ。おいでおいで」
と言ってクリスはふたりを片手ずつで掴んで!引きずるようにして体育館の中に入って行った。多枝と斗美も男子なみの体格と腕力があるクリスにはさすがにかなわない。
 
雪子もそれに続いた。
 

クリスはどうもその2人がバスケに興味を持って体育館に来たものと思い込んでいるようである。
 
「いやだからバスケとかしないってのに」
などと言っているがクリスは
 
「あ、掃除は終わったのね〜」
などと言いながらモップを片付けるとボールの入っている箱をひとりで抱えて出してくる。重いのに腕力が凄い!雪子も走り寄って途中から手伝った。そしてクリスは
 
「みんな来るまで輪になってパス練習しようよ」
などと言って、ボールを多枝に投げる。ふたりは顔を見合わせていたもののクリスとはさすがに喧嘩したら分が無いと思ったのだろう。雪子の方にボールを投げてくるので雪子は斗美にパスする。それで結局4人で循環パスが始まってしまった。
 

やがて梢恵が来たが、いつも雪子をいじめている2人がパス練習などやっているのでびっくりする。
 
「どうなってんの?」
と声を掛けると、多枝が
 
「やってられるかよ」
と言ってボールを体育館の隅の方に放り投げる。斗美も
「帰ろう、帰ろう」
と言って練習をやめて体育館から出ようとする。
 
ところがそこにコーチが入って来た。
 
「君たちは?」
と尋ねると
 
クリスが
「入部希望者です」
と答える。
 
しかし多枝と斗美は
「別にバスケとかする気ないですよ」
などと言っている。
 
コーチはふたりを見て一瞬考えるようにしたが
 
「君たちちょっとだけやってみない?」
と言って彼女たちをゴールの近くまで連れて行った。
 

ふたりをゴールのすぐそばに立たせる。
 
「君たち2人とも結構腕力ありそうだよね。ここからボールをゴールに入れられる?」
 
「馬鹿にしてるんですか?この距離からなら入りますよ」
「じゃやってごらん」
 
と言ってコーチがボールを多枝に渡す。それで多枝が投げるが入らない。
「あれ?」
などと言いながら放り投げるがどうしても入らない。10回シュートして1本も入らなかった。
「君もやってごらん」
と言ってコーチは斗美にボールを渡す。
 
斗美も10回シュートして1本も入らない。
 
「森田やってみ」
と言ってコーチが雪子にパスする。
 
それでゴール真下から雪子がシュートすると10本中7本入った。
 
「すげー!」
 
「森田はまだ始めて2ヶ月くらいだよ。君たち腕力ありそうだし、練習すればもっと入るようになると思うぞ」
とコーチは言った。
 
多枝と斗美は顔を見合わせていたが
「じゃ取り敢えず森田に負けないようになるまではやってみます」
と多枝が答えた。
 
雪子は自分にとってオアシスとなっていたバスケの時間までこの子たちが来るというのには抵抗があったものの、クリスが
「仲間増えるのいいこと」
と言って笑顔を見せているので、まあ何とかなるかなとも思った。先輩たちのいる所じゃ、この子たちもあまり変なことしないだろうしね。
 

さて千里は夏休みの間、随分とヴァイオリンを弾いていた。もっともヴァイオリンいうものは結構な音がするので、父が帰宅している時とかは「うるさい」と言われる。それで千里はしばしば外に持ち出して、浜辺などで弾いていた。リサやタマラも興味を持ってかわるがわる弾いたりする。
 
「でもシサト、ヴィオロンうまいね」
とリサが褒めてくれる。
 
「シサト、ピヤノは弾かないの?」
「幼稚園の頃、おもちゃのピアノ弾いてたけど、壊れちゃって」
「うちのピヤノドロア(アップライト・ピアノ)でも良かったら弾く?」
「あ、弾きたーい!」
 
それで千里はリサの家にお邪魔し、彼女の家に置かれているピアノを弾かせてもらった。
 
「シサト、指はピアノの指になってるね」
とリサのお母さんが言ってくれた。
 
「小学校の体育館に置いているピアノ時々触ったりしてるからかなあ」
 
リサのお母さんはフランスに住んでいた頃、ちゃんとピアノを習っていたらしく、千里に指潜り・指換えなどの基本的な技術を教えてくれた。それまで指換えを知らなかった千里は
 
「すごーい。これ便利!今までこういう時困ってたんです」
と言って感動していた。
 
ピアノの弾き方については、幼稚園の時に簡単に習っていたものの、当時は楽しくピアノで遊ぼうという感じのお稽古だったので、あまり難しいことは知らなかった。しかしリサのお母さんは千里の演奏を見て
 
「あんた既にバイエルのレベルは卒業してるね」
と言って、少し難しい教本を渡してくれて、それを見ながら千里は練習をさせてもらった。
 

この頃はしばしば千里がピアノを弾いて、リサが千里のヴァイオリンを弾いて、あるいはその逆でセッションをしたりもした。タマラやヒメが歌う係だった。千里もリサも「感覚演奏」のようなところがあり即興に強いので、お互いの思いつきで何かの曲を弾き始めても相手はそれにすぐに合わせることができた。歌係のタマラたちが
 
「Wait, wait, what is this song?」
などと言って焦ったりしていた。
 
曲は学校の音楽の時間に習っている曲から当時流行っていたブラックビスケット、SPEED、モーニング娘。などの曲、フランス民謡の「月の光に」「王様の行進」、「アヴィニョンの橋の上で」「雨が降るよ羊飼いさん」など、またリサがピアノ教室で習ったという「トルコ行進曲」「バッハのメヌエット」「ハイドンのセレナーデ」「ワルトトイフェルの女学生」などといった曲も演奏していた。
 
リサと千里はピアノとヴァイオリンを交替で弾いていたのだが、ピアノ譜だけを見ながらヴァイオリンをお互い適当に入れているので「Vous etes assez habile!(あんたたち器用だね)」などととリサのお母さんは言っていた。
 
「でもシサト、なぜG線だけで弾く?」
「えーっと、他の弦にうつると一瞬音程が分からなくなるもので」
「ああ。それとシサト、左手の使い方が少し変。それ初心者にありがちな間違い」
 
と言ってリサのお母さんは千里の左手の使い方を少し修正してくれた。最初は凄く違和感があったものの、すぐにその方がうまく弾けることに気づいた。
 

10月の連休(10.9-11)には、リサのお母さんが、タマラ、千里、ヒメの3人を旭川までパーティーに連れて行ったくれた。旭川周辺のフランス人の集まりがあり、少々ゲストを連れて行ってもよいらしかった。おとなは参加料が要るものの小学生は無料という話だった。
 
リサのお父さんがルノーのトゥインゴの運転席に座りお母さんが助手席、子供4人が後部座席に乗るのだが、車に乗る前にリサのお母さんが
 
「あんたたち、ドレス着なさい」
と言って可愛いドレスを4つ渡してくれた。
 
「タマラは赤が似合いそう。ヒメは青が似合う。シサトは緑かな。私は黄色を着よう」
と言ってリサが割り当てを決めてしまう。
 
「そういえば、リサはなぜチサトのこと、シサトって言うの?」
とヒメが尋ねる。
 
「ああ、フランス人はそういう発音になるだけだよ」
と千里が解説(?)すると、ヒメは
「ふーん・・」
と言っていた。
 

その場で4人とも着替える。
 
「千里、男の子みたいなパンツ穿いてる」
などとタマラから言われる。
 
「これ楽だよー」
と千里は言っておいた。
 
車の中でヒメが言った。
「でもこないだイサオがチサトは男だって言ってたね」
 
「私、男だけど」
と千里が言うと
 
「それ冗談きつい」
と千里とは既に5年ほどの付き合いのタマラが言う。
 
「私シサトと一緒に何度か温泉に行ったけど、千里おちんちん付いてないよ」
 
「なーんだ。冗談か」
「千里が男の子のわけないよねー」
 
などとタマラとヒメは言っていたが、千里は内心ちょっと罪悪感を感じていた。
 

旭川市内のホテルで開かれていたパーティーは、あまり堅苦しくない感じで、食べ物やおやつもたくさんあって、なかなかいい感じだった。子供向けにソフトドリンクもたくさん置いてあるので、そういうのを飲みながら料理や甘い物を食べながら、千里たち「女の子4人」はおしゃべりしながら歩き回っていた。
 
ゲームコーナーがあり、
「君たちやってみない?」
とスタッフの人に誘われる。
 
ボウリングのコーナーでは全員3本ともガーターで残念賞の一口チョコをもらった。輪投げのコーナーではタマラは4個とも外れ、ヒメとリサが1個だけ1点の所に入れ、コハルは2点の所に1個入れたが、千里は4個とも一番遠い所にある10点の所に入れて40点満点で賞品のクレヨン12色セットをゲットした。
 
「千里すごーい」
などと4人から言われる。
 
「私、幼稚園の頃、輪投げ得意だったんだよねー」
「へー」
 
「うちの父ちゃんが輪投げを作って私と千里にくれたんだよ。それで練習してたんだけど、千里は上達したけど、私はダメだった」
 
とタマラが解説した。
 
「コハルもだいぶやってたよね?」
とタマラはさらに言う。
 
「うん。私もあまり上達しなかった。千里は輪投げの才能があると思う」
とコハルも言う。
 
「オリンピックに出られるかな?」
「オリンビックに輪投げあったっけ?」
 

千里はスタッフの人が賞品の棚から輪投げの賞品のクレヨンを取って渡してくれた時、その隣にあった妙な形をしたものに目を留めた。
 
「Qu'est-ce que c'est a cote de lui(隣にあるのは何ですか)?」
と係の人に尋ねる。
 
「フルート・ドゥ・パン(パンフルート)だよ」
「それは何をしたらもらえるんですか?」
「バンドー・フレシェットだよ。これ難しいよ」
「やってみたいです!」
 
フレシェットというのは英語でいえばダーツである。千里はスタッフの人から説明を受ける。
 
「ここでバンドー(鉢巻き)で目を隠して見えないようにして、この小さな矢を手で持ち、あの的(まと)に向かって投げる。3本の矢が全部真ん中に当たったら、賞品のフルート・ドゥ・パンがもらえる」
 
「やります!」
と言って千里は係の人から目隠しをしてもらった。
 
1つ目の矢を渡される。的の方角だけ教えてもらう。これは教えてもらわないと人のいる方に投げちゃう人がいるからかなと千里は思った。
 
左手で矢を持ってから気持ちを集中する。すると的が見えるような気がした。その中央に向かって投げる。
 
「当たり! 君凄いね」
と係の人がいうので当たったようだ。よし、この感覚で投げればいいなと千里は考える。2本目の矢をもらう。さっきと同じ感覚で投げる。
 
「また当たり!」
 
そして3本目。
 
「惜しーい!」
 
ありゃ〜、外れたか!? と思って目隠しを外すと、矢は中央の円をほんの1cmほど外れてひとつ外側の円の所に当たっていた。
 
あぁ残念!と思ったのだが係の人が言う。
 
「君、小学生?」
「小学3年生です」
「小学3年でここまで当てるって凄いよ。おまけして賞品あげるね」
「ありがとうございます!」
 

それで千里はパンフルートをもらってしまったのである。
 
「凄いものもらったね!」
「うん。これ楽しそう!」
 
と言って千里は早速その場でパンフルートを吹いてみる。吹いたのは『アヴィニョンの橋の上で』である。
 
「千里、その楽器前にも吹いたことあるの?」
とタマラから訊かれる。
 
「ううん。初めて」
「初めてでなぜそんなに吹ける?」
「え?これ吹けば鳴るもん。管はドレミ順に並んでいるし。ハーモニカよりずっと易しい。タマラやってみる?」
 
と千里が言うのでタマラも吹いてみるが、全然まともな曲にならない。
 
「難しいよぉ!」
「やはりいきなり吹ける千里が異常なんだ」
とリサが言っていた。
 

「でも千里、輪投げも目隠しフレシェットも凄かった」
とヒメが言う。
 
「うーん。気持ちを集中して当てたい所めがけて投げれば当たるよ」
「でも目隠ししたら見えないじゃん」
「そうだっけ? 気持ちを集中したら目隠ししてても見えると思うけど」
「いや、普通は見えない」
 
「千里目を瞑って」
とヒメが言うので目を瞑る。
 
「これ何本?」
とヒメが指を立てて訊くので千里は
 
「3本」
と即答する。
 
「じゃ千里向こう向いてて」
「うん」
 
それでヒメは千里の後ろで指を立てる。
 
「これ何本?」
「4本」
 
「やはり千里って目を瞑っていても後ろ向いていても見えるんだよ」
とヒメ。
 
「なぜ見える?」
とタマラ。
 
「たぶん全身に目がある」
「東洋の神秘かも」
「うーん・・・」
 

そんなことを言っていたら、リサのお母さんが5人の所に来る。
 
「あ、ここにいたのね。ちょっと来て」
と言って連れて行かれる。
 
「ゲストでお招きしている歌手の前座をすることになってた小学生のグループが風邪引いちゃって休みらしいのよ。それであんたたちちょっと何でもいいから演奏してくれない?」
 
などとリサのお母さんが言う。
 
「何弾くんですか?」
「ピアノとヴァイオリンは用意してあるのよ。リサがピアノ、シサトがヴァイオリン弾いて、他の子は歌でも歌ってもらえたら」
 
と言ったリサのお母さんは千里がパンフルートを持っていることに気づく。
 
「あら、その楽器は?」
「今ゲームでもらったんです」
「あ、それじゃそれ吹く?」
「それでもいいかな」
「だったらヴァイオリンは?」
とタマラが訊く。
 
「ヒメも弾けるよね?」
とリサ。
 
「あまり自信ないけど」
 
それで、フロアの一角に作られた楽器演奏コーナーで、リサがピアノの前に座り、ヒメがヴァイオリンを持ち、千里がパンフルートを持った。ヒメが少し弦をいじっていたが
 
「これ調弦されてないみたい」
と言う。
 
「貸して」
と千里が言ってヴァイオリンを受け取り、リサに
「ソの音ちょうだい」
と言った。
 
それで千里はG線を合わせ、それから5度の音程を取ってD線、また5度の音程を取ってA線、そしてまた5度の音程を取ってE線を合わせた。リサにレラミの音を順に出してもらって微調整する(平均律に合わせるため)。
 
「これでOK」
と言ってヒメに返す。
 

「何演奏する?」
「タマラとコハルが歌えそうな曲」
「月の光には?」
「あ。それなら私もフランス語で歌えそう」
とタマラ。
「私もだいたいは分かる」
とコハル。
 
それで『月の光に(Au clair de la Lune)』を演奏することにした。
 
リサが前奏代わりに最初の4小節を弾いてから、一斉に演奏する。
 
リサがピアノで和音を弾くので、千里がパンフルートでドドドレミーレードミレレドーーーとメロディーを弾き、ヒメはヴァイオリンでドーーーミーレー、ドーレードーーーと根音?っぽい音を弾いた。それでタマラとコハルが
 
「Au clair de la Lune, Mon ami Pierrot, Prete-moi ta plume, Pour ecrire un mot, ...」
 
と歌う。静かな夜に月の光が射してきて、それで中に居る人と外に居る人とが「ちょっと開けてよ」「隣の娘の所に行ったら?」などと言って会話する、やや意味深だが、とても美しい曲である。
 
タマラは途中で歌詞が分からなくなって何だがごにょごにょと歌っていたが、コハルがしっかり歌詞を覚えていたので、後半ではそれに合わせて歌い、何とか最後までたどり着いた。
 
とりあえず拍手をもらう。
 
「Encore!」
「Un plus!」
 
などと声が掛かる。千里たちは顔を見合わせた。
 
「What do we play?」
「Sur le pont d'Avignon?」
「OK Let's go」
 
それで今度は一転して明るく楽しい曲『アヴィニョンの橋の上で』を演奏する。最初の方だけちゃんと Les beaux messieurs font comme ca, Les belles dames... と普通通りに歌った後は、橋の上で踊る者にタマラの思いつきで色々な人を登場させる。
 
犬が踊ったり猫が踊ったり、先生が踊ったり、お母さんが踊ったり、おジャ魔女が踊ったり、ドラえもんが踊ったり、タマラが自分が知っているキャラクターを色々登場させて歌うので会場もずいぶん盛り上がった感じだった。
 
大きな拍手をもらってから、待機していたおとなの合奏団の人に譲った。
 

お礼にと言って、5人全員にお菓子の袋と直径20cmくらいのボールを1個ずつもらった。
 
「What kind of ball?」
「Football?」
 
などと言っていたら、お礼を渡してくれた人が
「C'est un ballon de basket-ball, la taille quatre」
と教えてくれた。
 
ミニバスで使用するのが5号球なので、それより1つ小さいサイズである。
 
実は今日演奏を予定していたのが男の子のグループだったので、男の子ならというのでバスケットボールを用意していたらしい。
 
「男の子が女の子になっちゃったのね」
「でもそもそもバスケットは男女ともするし」
「ミニバスは男女混合だもんね〜(*2)」
「でもうちの小学校のミニバスは男子しか入れないみたいね」
「うん。女子で1人だけ6年生のジュネさんが入っているけど、あの人すごくうまいもん」
「でもせっかくこんなのもらっちゃったし、少し遊んでみようか」
 

(*2)ミニバスの国際ルールでは男女を分けずにチーム編成することになっているが、日本では男子のみ・女子のみのミニバスチームの方が圧倒的に多い。しかし男女を分ける流儀が広まってしまった結果、試合に参加するのに必要な10人の児童を確保できずに休部に追い込まれているケースも多い。
 

それでパーティーから帰った後で話していたら、工作が得意なタマラのお父さんが次の日の日曜日にバスケットのゴールを作ってくれた。
 
鉄パイプの先に輪っかを溶接し、魚網の破れたやつをもらってきて巻き付けた。パイプを差し込む台はスーパーの幟を立てるコンクリートの台の壊れかけたのをお店の人に言ってもらってきて、セメントで補修して再利用した。
 
結構な重量はあるものの、台とパイプ&ゴールを分けて運べば小学3年生の女の子でも3〜4人で何とか運べる。それで千里たちはこのピーターさんお手製のバスケットゴール(ただしバックボードは無い)を近所の稲荷神社の境内に置いてずいぶん遊んだのである。
 
「でも私、キリスト教徒だけど、ここであそんでいいのかなあ」
とヒメが心配そうに言うが
 
「日本の神様は八百萬(やおよろず)の神、eight million gods といって、たくさん神様がいるから、キリスト教やイスラム教にユダヤ教の神様が少しくらい加わっても平気なんだよ」
 
とコハルが説明すると、みんな感心していた。
 
「コハルは神道信者?」
「そうだよ。日本人はたいてい神道信者と仏教信者を兼ねているけど、私は神道だけ」
「へー。千里は?」
「私はよく分からなーい。12月25日にはメリークリスマスと言うし大晦日にはお寺の除夜の鐘を突きに行って、お正月には神社にお参りするし」
 
「わからん!」
とヒメとリサが言う。
 
しかしコハルは笑って説明する。
 
「元々が八百萬の神様だから、他の宗教の行事もどんどん取り入れちゃう。日本人はたいていは元々が神道信者で、仏教はインドから入って来て日本風にアレンジされたものだと思う。日本の仏教は他地域の仏教とはずいぶん違う気がするよ」
 
「でも神社で遊ばせてもらうし、私、神道信者になっちゃおうかなあ」
と千里が言うと
 
「歓迎歓迎」
とコハルが言って握手していた。
 
「私たちはキリスト教徒のままでいい?」
「もちろんOK, Bien sur, Tudo bem」
 

しかしタマラや千里たちが始めた「バスケットボール」は誰もルールを知らないので、むちゃくちゃであった。彼女たちはゴールを置いた場所から5〜6mほど離れた場所に目立つ色の石を置き、そこを回ってきてボールをゴールに入れたら「1点」ということに決めた。
 
しかしトラベリングなどというルールを知らないので、ボールを取った子は、ボールを抱えて石の所を回ってきてはシュートする。バックボードが無いので直接入れなければいけないのだが、小学3年生ということでタマラのお父さんが高さ2mほどに作ってくれているので、結構入る。背の高いリサなどダンクのようなこともしていたが、それをダンクということなど知らない。
 
「でもバスケットおもしろいね」
「うん。これ冬になっても雪の上でもできない?」
「できそう、できそう」
「冬は部屋の中では輪投げして、外ではバスケットしようよ」
 
「だけど千里、バスケットもよく入れる」
「輪投げと同じ要領だよ。バスケットのネットの少し上を狙って撃てばいいんだよ」
「上を狙うのか!」
「だってボールはゴールの上から入って下に落ちるもん」
「そうか!」
「ゴールの下から入って上に出たらどうする?」
「あ、それ2点にしよう」
「了解了解」
 
2点ということになったのでタマラががんばって下から上に通そうとしていたが、ネットに阻まれてそう簡単には通らない。
 
「やはり2点ゴール難しいね」
などとタマラは言っていた。
 

千里たちはきわめて適当なルールでやっていたのだが、やっていると面白そうだねと言って、このグループ外の子も何人か参加した。
 
ここに参加したのが後々まで千里との交友が続くことになる、蓮菜や恵香たちであった。しかし彼女たちも元々のバスケットのルールが分かっておらず、タマラたちが考えた適当なルールで遊んでいた。
 

一方の雪子が参加しているミニバスチーム。
 
多枝と斗美の2人はその後毎週、ミニバスの練習に出てきていた。元々運動神経が良いのでパスとかドリブルとかもどんどん上達する。
 
ところがどうしてもシュートが入らない。
 
それを見ていた6年生の河合君が2人に言った。
 
「君たち、適当に投げてるでしょ。それじゃ入らないよ。ちゃんと狙って投げないと」
 
「それどうやるんですか?」
 
この2人もさすがに上級生にはちゃんとした言葉を使う。
 
「しっかりゴールを見て投げるんだよ。見ているだけでずいぶん違う」
 
と言われるのでやってみると、少し入るようになった。
 
「うん、その調子、その調子」
 
それでやっているのだが、しばしばネットに横から当たったり、ネットの下を通過していくことも多い。
 
「狙う時にゴールの少し上あたりを意識した方がいい。ゴールって上からしかボール入らないから」
「確かにそうですね」
 
「これボールを下から上に通したらダメなんですか?」
「それはバイオレーションだよ」
と河合君は笑って言う
 
「あと下をすっぽ抜けて行くとアウトオブバウンズで相手ボールになっちゃうでしょ?上すぎて跳ね返ってきたら、またつかんでシュートできる可能性がある。だから上を狙った方が有利なんだよ」
 
「なるほどー」
 
それで何度か河合君の模範演技を見せてもらった上で、彼女たちはゴールの上の方を狙ってシュートする。すると確かに上すぎてバックボードで跳ね返るものもあるが、バックボードに当たって入るケースも結構あり、ゴールする確率が随分上がった。
 
「うん。その調子、その調子」
と河合さんが2人を褒める。
 
雪子はそれを眺めていて、河合さんって格好いいなあと憧れるような表情で見ていた。
 
 
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【少女たちの国際交流】(1)