【娘たちのフィータス】(2)
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(C) Eriki Kawaguchi 2019-08-12
龍虎は1月9日(金)こそ早退したものの、ローズ+リリーと一緒に列島を駆け巡った10-12日の連休が明けての 13-16日(火−金)は「平日なので仕事は原則として入れない」という方針に従い、学業に専念して授業が終わったらそのまま自宅に戻る生活を送ることができた。
龍虎は事務所から東京−熊谷の新幹線定期(FREX)を渡された。3ヶ月定期で199,400円という金額にギョッとする(「通学」ではないのでFREXパルは使えない)。
「こんなに使いますかね?」
と思わず言った。
東京−熊谷間の料金は運賃1140円+自由席特急料金2050円の合計3190円なので、199400÷3190=62.5で、3ヶ月間に63回以上乗車したら元が取れることになる。1ヶ月に10回お仕事をした場合、3ヶ月で30往復、60回乗車になるので微妙だと思ったが、偶然事務所に来ていた千里が
「絶対土日だけで済む訳無い」
と言った。やはり「平日はやむを得ない時以外は仕事を入れない」という“口約束”は、すぐにも反故(ほご)にされそう!と思った。ひろかちゃん、ありさちゃんもかなり忙しそうだもんなあ。
(この時期、ひろか・ありさが忙しかったのは§§プロの主力タレントが相次いでダウンしたり引退したりして、その2人でカバーしていたためもある)
「新幹線でも間に合わなくなったら、自家用飛行機通勤かな」
「そんなの、どこに着陸するんです!?」
17日(土)は『ときめき病院物語』の撮影があったので、龍虎は新幹線で東京に出て撮影に臨んだ。この日も鱒渕が撮影に付き合ってくれたが、最初は業界のしきたりなども分からないだろうというので、日野ソナタもサポートで入ってくれ、鱒渕も助かった。多数の役者さんやスタッフがいる中、どういう順番で挨拶すればいいかなど、ソナタが居なかったら、全く見当もつかない所だった。
この日、龍虎は学生服を着て放送局のスタジオに入ったのだが、現地合流した鱒渕は“彼女が”男装しているのを見て
「あら、男役もするから、その気分を出すために男の子の服を着てきたの?」
などと尋ねた。
「その男女両方の役をやるの、けっこう大変なんですよね。気持ちのスイッチが必要で」
とアクアは答える。
「やはり男の子の役をする時は、男の子になったつもりで演じるのね」
「そうなんですよ。男役の時は男の子のつもりで、女役の時は女の子のつもりで」
ふたりの会話は実は噛み合っていないのだが、そのことにお互い気付いていない!そしてその会話を聞いていた日野ソナタも、噛み合っていないことに気付いていない!
なお、ボディダブルを務める天月西湖(この時点ではまだ“今井葉月”の名前は付いていない)は、女役に気持ちを慣らすため、セーラー服を着てスタジオ入りしていたので、鱒渕は“彼女”のことも、普通に女の子と思い込んでいた。この時期まだ西湖は女声が出せなかったのだが、鱒渕は声の低い女の子と思っていた。
西湖はこの時点ではまだ小学6年生だが、中学生役をするので、学生服は4月からの進学もあるからと自分で買って、セーラー服も川崎ゆりこに用意してもらって自宅に数着!置いていた。なお、西湖は小さい頃から舞台でたくさん女の子役を演じているので、スカートを穿いて人前に出たり出歩いたりするのは全く平気である。
18日(日)は、3つの放送局で、4つのバラエティ番組の撮影があったのだが、この日のアクアの付き添いは日野ソナタが単独でした。鱒渕は19日(月)に実は卒業制作のデモンストレーションが入っていた。それで
「日曜日は何時頃終わりますかね?」
と尋ねて
「何か用事でもあるの?」
と訊かれたので卒業制作のことを言ったら
「だったら、18日は休みなさい」
と田所が言った。それで18日は、鱒渕は大学に行き、制作品(ビデオ作品)の最終的な調整作業をしたのである。
19-23日、龍虎は放課後にデビューシングルの音源製作をしたので、学校が終わった後、タクシーで熊谷駅に行き、新幹線(熊谷16:01-16:40東京)で東京に出る。この5日だけで既に10回乗車なので、龍虎は千里の言ったことが正しかったことを認識した。
スタジオに入り、伴奏してくれるゴールデンシックスのメンバーと一緒に作業をした。放送局に入るわけではないから、カジュアルな格好でおいでよ、と龍虎とは旧知のゴールデンシックス・花野子が言ったので、龍虎は新幹線の中で学生服から、トレーナーとジーンズ(パンツ)に着換えてスタジオに入った。
しかし、スタジオに入ると
「龍ちゃん、普段着ているような服を着なさいと言ったじゃん」
と花野子に言われて、速攻でスカートに穿き換えさせられる。
(なぜか龍虎に合うサイズのスカートがある)
ついでにジーンズのパンツは没収されてしまった。それでその日はスカートのまま帰ることになる(帰りは東京23:00-23:39熊谷)。そしてズボンを没収されてしまったので仕方なく(?)、翌日からは東京に向かう新幹線の中で、学生服を脱いでトレーナーにスカートという格好に着換えることにした。
(龍虎は男物の服をあまり持っていない−着ていると川南や彩佳に取り上げられてしまう−明らかなセクハラだが、本人はセクハラされて嬉しがっている)
鱒渕は19-20日は卒業制作の関係で出て来られなかったが、21-23日はアクアの制作に同席した。それで鱒渕はアクアがスカートを穿いている所しか見ていない。
24日(土)はまた『ときめき病院物語』の撮影があり、龍虎は学生服を着て放送局に行ったが、鱒渕は男役をするので気持ちを男の子にするため男装しているのだろうと思っていた(例によって西湖はセーラー服でスタジオ入りしている)。
24日は撮影終了後、都内のホテルに泊まり、翌日は朝からスタジオに入って、デビューシングルの最終的な歌唱録音をした。これが昼過ぎに完了し、龍虎は
「お疲れ様でしたぁ!」
とゴールデンシックスのメンバーや氷川さん、鱒渕さんに挨拶をして、新幹線で熊谷市の自宅に戻った。
自宅に戻ると母から
「セーラー服受け取ってきたよ」
と言われる。
先日、夏恋が注文してくれた、龍虎が通う中学の女子制服ができあがってきていたのである。
「早速着てみる?」
と母から訊かれる。
「そうだなあ。せっかく作ってもらったし、ちょっと試着してみようかな」
「うん」
それで着てみたが、リボンの結び方が分からない。龍虎はここの中学のセーラー服をこれまで何度も着せられているのだが、リボンはだいたい彩佳や宏恵が結んでくれていた。それで結局彩佳に電話して、リボンの結び方教えてと言ったら、すぐ来てくれて、何度も練習させてくれた。それでだいたいの要領は分かったものの、これきれいに結べるようになるには結構な練習が必要だなと感じた。
彩佳も自分のセーラー服を持って来ていたので着替えて2人並び母に記念写真を撮ってもらう。
「じゃ一緒にお出かけしよ」
と彩佳が誘う。
「え〜?恥ずかしいよぉ」
「何を今更」
結局、宏恵も呼んで3人セーラー服姿でお出かけし、ロッテリアに入ってしばしおしゃべりしていた。するとそこに偶然週刊誌記者が入って来て、龍虎たちが着ている制服が“アクアが通っている中学の女子制服”であることに気付き、3人は“アクア君の通う中学の女生徒”としてインタビューを受けることになった。しかし記者は最後まで、自分がアクア本人と話していることに全く気付かなかったようであった!
1月28日(水).
冬子は新しくリーフとエルグランドを買ったので、カローラ・フィールダーは売却することにし、佐野君が高く買ってくれるお店を知っているからと言うので、一緒に行くことにした。この時、フィールダーには佐野君だけが乗っており、冬子と政子は、佐野君の奥さん・麻央が運転するインテグラに乗ってフィールダーの後を付いて行っていた。
ところがその途中、フィールダーは何かを避けるようにして急ハンドルを切ったが、その勢いで道路から逸脱し、斜面を滑落して炎上してしまった。冬子はすぐ斜面を降りようとした麻央を捉まえ、政子にそのまま押さえているよう言って、自分で斜面を慎重に降りて行こうとした。
ところが佐野君は目の前に立っていた。
麻央が泣いて佐野君に抱きついた。
「怪我は?」
と冬子が訊く。
「大丈夫みたい」
とまだ呆然とした佐野君が自分の身体をあっちこち触ってみて答える。
「どうなってんの?」
「分からない。気付いたら、そこに居た」
もちろん先日の約束に基づいて《くうちゃん》が彼を車外に転送したのである。車が滑落を始めた瞬間に転送したし、今回は1人だけだったし、予め“心の準備”もしていたので、ちゃんと地面に着地させる所までしてあげた。先日はさすがの《くうちゃん》も3人を車外に出すだけで精一杯だったのである。空中に揚げたのは、地面に置くとスピンしている車にはねられる可能性も考えた一瞬の判断である。今回は車が滑落していったので、地面に置いてもはねられる可能性は無かった。
冬子は谷底で激しく燃えているフィールダーを見て
「これは本当は一週間前の中央道で炎上したんだ」
と思った。
JAFを呼んで車を引き上げてもらい、来てくれた人の工場に運んで廃車処理をしてもらってから、もう夕方になってしまったが、冬子は佐野君たちを料亭に招いて、1週間前の出来事を語った。
「本当はあの車は1週間前に燃えたんだと思う。でもきっと神様が私と政子を助けてくれたんじゃないかな。だから今日の事故はその埋め合わせ、辻褄合わせが起きただけで佐野君のせいじゃないから、悪く思ったりしないで」
「だったらあの車があんなに激しく燃えたのも納得いく。中古車屋さんに行くのに必要な程度の燃料しか積んでなかったのに」
と佐野君も言った。
「あの時は神戸まで行くのに満タンにしていたからね」
「じゃ、やっぱり私が燃やしちゃったのね」
と政子が言う。
「気にすることないよ。それで中田、たくさん運転の練習する気になったんだろ?」
と佐野君。
「だったら、私、私たちの身代わりになる形になったフィールダーちゃんのためにも頑張って運転も歌も練習する」
と政子。
「うん。事故ってさ、どうしても起きちゃうけど、それをバネに努力すれば次は簡単には事故を起こさないように自分が成長できるんだよ」
と佐野君は言った。
「じゃ、利春はこの後せめて半年は事故を起こさないようにしない?」
と麻央が言うと、佐野君は頭を掻いていた。
阿倍子の所に通ってきてくれる家政婦さんは2人で、だいたい1日交替で来てくれることになっている。基本的には、前日頼んでいた買物をしてから昼前にうちに来てくれる。本当は規約違反らしいのだが、キャッシュカードを預けて、ATMでお金を引き出してきてもらうこともある。
そしてその後、家事をしながら阿倍子とおしゃべりをしている。実際何時間も掛けてするような家事も無いので、阿倍子のそばにいて話し相手になり、血圧・脈拍・体温・体重を測って、体調管理と雑用をこなすのが主たる仕事という感じである。そして晩御飯を作ってから夕方には帰っていく。今の所医者からカロリー制限などはされていないので、おやつなどを買ってきてもらい、一緒に食べたりすることもある。
その日、阿倍子は家政婦さんが帰った後の夕方8時頃、突然タコ焼きが食べたくなった。貴司がいたらタコ焼き器で作ってくれるのだが(阿倍子はタコ焼きを焼くのが苦手である)、貴司が帰宅するのは稀である。だいたい会社が終わったら、兵庫県にある夜間も使用できる体育館に移動し、そこで深夜まで練習をしている。帰りの電車が無くなってしまうので、そのまま泊まって朝直接会社に出かける。つまり全く帰宅しない。
以前、ほんとうに練習しているのだろうか?浮気とかじゃないよね?と思い、同行させてもらったこともあるが、実際夜遅くまで練習を続ける姿を目にして、凄いなあと思った。これなら自宅に戻る暇も無い訳だ!社員選手ってほんとに忙しいんだなと思った(その日は阿倍子は播但線最終で姫路に出て姫路市内で泊まった:駅までは市川ドラゴンズの女性選手がバイクで送ってくれた)。
そういう訳で、阿倍子は《外出禁止》を貴司から言われているものの、タコ焼き買いに行くくらいいいよね?と思い、マンションを出た。雨が降っていたので傘を差して道を歩いて行く。千里中央駅の前に屋台のタコ焼き屋さんが出ていたので、そこで1パック買った。
それで帰ろうとしていた時、阿倍子は突然貴司との約束を破って外出したことで罪悪感を感じた。貴司さん私のこと心配して外出禁止と言っていたのに、私、破っちゃった。これで本当に気分が悪くなったりしたら、言い訳もできない。
ところがそんなことを考えた瞬間、本当に気分が悪いような気がしてきたのである。
「えーん。どうしよう?このくらい大丈夫と思ったのに」
結局、立っているのも辛いので、うずくまってしまった。傘も落としてしまい雨が当たる。タコ焼きのパックも落として水たまりに落ちてしまった。
立てない。
ああ、やはり出歩いたのまずかったかな。タコ焼きくらい我慢すればよかったと後悔するが、どうにもならない。
異変に気付いたのは、ちょうど部活が終わって帰宅して、偶然にも阿倍子の体調メンテを始めようとしていた青葉であった。
やばい!
と思った青葉は千里に電話した。
「分かった。貴司に連絡して何とかする」
「うん」
貴司はその時間帯、会社が終わって、バスケ練習のため市川ラボに向かう新快速の中に居た。千里は貴司の位置を把握した上で《くうちゃん》に頼んだ。
「OKOK」
と言って、くうちゃんは貴司を電車の中から千里中央駅の前に転送した。
「わっ。何だ何だ?ここはどこだ?」
と思わず声をあげるが、目の前に阿倍子が倒れていて、周囲に心配そうにそれを見守る群衆がいるのに気付く。
「阿倍子さん!」
と声を掛けて傍に寄る。
「貴司さん?」
と阿倍子は目を開けると嬉しそうに言った。
「すぐ病院に行こう」
貴司は阿倍子をぐいっと抱き抱える。
「あんた、その人の知り合い?」
と周囲の人から質問された。
「はい、家族です」
と貴司が答える。
「車ある?」
「いえ」
「タクシー停めてあげるよ」
と言って、流しのタクシーを停めてくれた人がいた。
「あ、レジャーシート持ってるよ」
と言って、タクシーの後部座席にレジャーシートを広げてくれた人がいた。(実は千里の眷属《とうちゃん》である)
それで貴司はタクシーの後部座席に阿倍子を運び込むと、そのレジャーシートの上に寝かせた。
「すみません。近くて申し訳無いのですが、**産婦人科まで」
と言うと、タクシーは出発した。
「やれやれ」
と千里は呟くと、貴司のスポーツバッグおよび、水たまりに落ちたタコヤキと阿倍子の傘を拾った。
「たいちゃん、悪いけど、あそこの屋台のたこ焼き、1パック買ってマンションに置いといて」
「OKOK」
「でも京平君の身体が掛かっているんでしょ?千里心配しないの?」
と訊く者もある。
「顔色見ただけで分かったよ。全く問題無い。たぶん、自分は気分が悪くなったりしないだろうか?という不安が引き起こしたもの」
「へー!」
実際、《びゃくちゃん》も頷いているので、どうも本当に問題無いようである。
「何より、京平本人が私に助けを求めていないし。あの子、すやすやと寝ている」
「へー!!!」
それで千里は阿倍子の傘も彼女に託すと、スペインに戻してもらった。スポーツバッグは雨に濡れてしまったので、外側をよく拭き、中身は洗濯機に放り込んだ。明日の(日本時間の)夕方までには乾くだろう。
タコ焼きは捨てるつもりだったが、もったいない気がしたので、パックを開けてみるとパック内部まではあまり泥水が浸入していないことに気付く。それで水洗いしてペーパータオルで拭いてみたら結構行けそうだった。オーブントースターで焼いてから、イカリのタコ焼きソースを掛けて食べたら美味しかった!
阿倍子は病院で診てもらったが、千里が想像した通り、特に何も問題は無いということで赤ちゃんも無事だった。しかし貴司はそのまま数時間病院で阿倍子に付いていて、深夜一緒にタクシーで帰宅した。その晩はずっとマンションに阿倍子と一緒にいた。
「あれ?たこやきがある」
「あれ〜?私それ落とした気がしたのに」
何か記憶が混乱しているのだろうということにして、レンジで温めてから一緒に食べた。
翌日の朝御飯は、千里が「京平のためだし」と言って、阿倍子の分まで作ってマンションに届けたので、それを貴司は阿倍子と一緒に食べて、出勤して行った。(阿倍子は貴司が朝御飯を作ってくれたと思った)
なお、千里は毎朝市川ラボに泊まる貴司に朝御飯をデリバーしている。実際にはその時間はスペインでは夜中で自分の夕食を作るついでである。おかげで貴司は毎朝千里の手料理の朝御飯を食べられているが、要するに餌付けである!
貴司と千里は話し合い、1月いっぱいで“毎日”家政婦を頼むのは終えて週2回にするつもりだったのを、阿倍子の体調がまだ不安定であることから、当面週3回(日水金)にすることにし、阿倍子には引き続き病院に行く日(原則火曜日)以外は外出禁止・絶対安静を言い渡した。何か急に食べたくなった場合は出前を取るように言った。阿倍子も先日約束を破って外出したら倒れたことから、ちゃんと守ると言った。この週3回の体制が3月いっぱいまで続いた。
なお阿倍子のお母さんはずっと名古屋の病院に入院したままである。退院した場合、カロリーコントロールができない(隙あらばおやつなどを食べようとする)ので、インシュリンの定期的投与が必要なこと以外、体調としては悪くないものの、病院の個室に入れておかざるを得ないのである(相部屋だと同室患者からおやつをもらってしまう)。この人の場合、身体より精神の問題という感じもある。
12月に給料遅配を起こした貴司の会社は1月も2日遅れで給料が支給され、先行き不安感から、退職者が出始めていた。このため一部の部署が機能麻痺に陥る状況も出始めていた。リストラが行われるのではという噂も出ていた。
千里は当面自分が生活費の面倒は見るから退職して他のチームに移りなよと言ったのだが、健康保険の問題もあるし、引越が妊娠に悪影響を与える可能性もあるから、阿倍子の妊娠中は無理と貴司は答えていた。
2015年1月28日.
日本のバスケット界を再建するためのFIBAタスクフォース『JAPAN 2024 TASKFORCE』が設立されたことが発表され、また同日第1回目の会合が開かれた。その中心となるチェアマンには日本サッカー協会最高顧問(元Jリーグ・チェアマン)の川淵三郎が就任した。他のメンバーは下記である。
川淵三郎:日本サッカー協会キャプテン
インゴ・ヴァイス:FIBA中央委員会メンバー(ドイツ)
青木剛:日本オリンピック委員会副会長(水泳)
岡崎助一:日本体育協会専務理事(文部省)
梅野哲雄:日本バスケットボール協会・会長代行(元修猷館バスケ監督)
林親弘:川崎ブレイブサンダース(NBL)部長
木村達郎:琉球ゴールデンキングス(bj)社長
萩原美樹子:早稲田大学バスケットボール部・女子部ヘッドコーチ
中村潔:株式会社電通・執行委員
境田正樹:四谷番町法律事務所・弁護士
川崎ブレイブサンダースは実はプロ化に最も消極的だったので敢えてここに取り込んだという事情があった。ここが同意してくれたら、他も追随するだろう。
川淵は「Jリーグを作った男」である。30年前、1980年代のサッカー界では、プロ化を目指す一部のチームと、あくまで社員福祉の一部と考え、社員選手中心で運用したいチームとの間で、溝ができようとしていた。
川淵はむしろサッカーのプロ化に反対の立場だったのだが、ヨーロッパのプロリーグの視察を命じられ、渋々渡欧する。ところが現地でプロクラブチームの情報を収集し、様々な人と会う内に、すっかりプロ化推進派に転換したのである。彼がこの出張中に見い出したのが、サッカー日本代表を飛躍的に強くしたマリウス・ヨハン・オフトだった。
川淵はプロ化に消極的な日本サッカーリーグ(JSL)に見切りを付け、上位組織である日本サッカー協会(JFA)内に「プロリーグ検討委員会」を設置。ここをベースにして半ば強引ともいえるプロ化の推進をした。これは当時まだ55歳だった川淵のバイタリティーが生み出したものともいえる。最初の参加チームとなる10チーム(オリジナル10)も選定。この時は、プロチームのレベルに達していないと思われる住友金属が積極的だったので、わざと屋根付き15000人収容のスタジアムが無いと認められないと言ったら、鹿島市長が「作ります!」と言って、本当に作り始めたので、ヤマハ発動機(後のジュビロ磐田)が落選して住友金属(鹿島アントラーズ)が入ることになった。しかも川淵が『弱すぎる』と思っていたそのアントラーズが第1シーズン・ファーストステージで優勝するという嬉しい誤算もあったのである。
川淵は、この時、ちょうど進行中であった1994ワールドカップ(開催地アメリカ)の予選とJリーグのスタートを重ね、サッカー関係者が驚くほどの観客動員を実現して、誰もが信じていなかった、プロサッカーリーグのスタートを成功させた。
その後、サッカー界はこの“Jリーグ”を頂点として、J1/J2/J3/JFL といったヒエラルキー構造を作り上げ、プロもアマも一体となったチーム運営がなされるようになり、チームは全国津々浦々に作られ、少年サッカーは少年野球以上の盛り上がりとなるようになってきた。
この日本のサッカー界の現状が、今回はFIBAから理想的なスポーツ運営の姿とみなされ、その流れを作った男である川淵をスカウトした。
そして今や78歳となった“老兵”は、それに応えてくれたのである。
(**)筆者は当時サッカーのプロ化という話に、90分掛けて点数が1〜2点しか入らない試合に観客なんて来ないのでは?採算が取れないのでは?と懐疑的だったのですが、図らずもJリーグの広報用CDの編集の一端に参加することになりました。
私がしたのは、Adobe Premiere, Macromind Director を使って、東京で制作されたフルバージョンの広報用“マルチメディア”(ゲーム感覚で様々な物の解説をする作品:後にこの用途はFlashの独擅場となった)のダイジェストを作る作業でした。
実はそれで私はオリジナル10のチーム名も覚え、リベロとかカテナチオとか、今まで知らなかったプレイスタイルの名前も覚え、オフサイド・トラップなどの作戦を学ぶことになり、それで興味を持って、サッカーの中継なども見る内に、これはひょっとするとプロ野球を越える人気が出るかもと思うようになりました。
広報用CDの最後に入っていた20分にも及ぶゴール・ラッシュのビデオですが、これには“レンダリングやっと終わった!72時間掛かった”といった感じの隠しコメントが埋め込まれていました。よほど嬉しかったのでしょうが、このオリジナルを編集した人の重労働ぶりが伺われました。たぶんその72時間のレンダリングを10回以上やる羽目になっています。
(恐らく今のPCでやればこの程度の長さのレンダリングは5分くらい?)
2015年2月2日(月).
この日は、アクアのファンクラブの初回入金(入会金+年会費で税込み5400円)の振込最終日(この日までに振込を終えた人には会報の初号を郵送する)だったのだが、この日までに振込を終えた人は、20万人を越えた。
先行してファンクラブが活動開始していた品川ありさ・高崎ひろかのファンクラブ会員数はいづれも6万人ほどで、これでも充分多い。XANFUSが4万人、AYAが8万人、である。ちなみにローズ+リリーのファンクラブ会員は50万人くらいだが、恐らくアクアのファンクラブ会員数は、あっという間にこれを抜くものと思われた。
§§プロでは、この入会手続きを処理するため、データ入力センターと契約して常時20人程度のスタッフを派遣してもらうと共に、プロダクションやイベンター・レコード会社などに過去に勤めていた人を中心に“完全コネ”(要推薦状)で50人ほどの臨時スタッフを雇った。
最初は5人しか雇っていなかったのだが、『これではとても無理』ということで、どんどん増員するとともにデータ入力センターとも契約した。それも最初10人の契約だったが、間に合わない!というので20人に増やしてもらった。急に人数が必要になったので、九州や北海道の支店から応援で来てくれた人もあったようである。
作業のために都内のマンションを3室(1室は休憩用)借り、ヘッドセット付き電話と(USBを殺した)パソコンのセットを40台ほど並べ、警備員まで雇って24時間体制で作業をしてもらった。入会申込みは大半はネット登録してもらい、その登録情報を元にこちらから郵送した振込票(金額訂正不可)でコンビニ・郵便局から振り込んでもらう方式である。大半の作業は自動で進む。これらのシステムは∞∞プロのシステム部が開発し、長年他のタレントのファンクラブで運用してきているので今更バグが出たりはしない“枯れた”システムである。
しかし、ネット登録されたデータをプリントして別納郵便で発送する作業、登録された写真が不鮮明だったり、ペットや人形!の写真、素顔が分からないほどの濃厚メイク(聖飢魔II並み!)だったり、明らかに登録された年齢・性別と異なる場合などの問い合わせ、発送した振込票が戻ってきた場合の問い合わせ、住所・氏名・生年月日・性別などの修正依頼の処理、データに変な所が無いかチェックする作業、そして名寄せによる二重登録のチェック、などなどで膨大な人間の作業が必要だった
性別については「性別は実態と合わせてください」と広報している。戸籍上は男性でも実際女性として生活している人は、男性として登録されるとライブ会場の入場で揉めるのは必至である。それでそういう人はちゃんと女性として登録して欲しいと広報している。ファンクラブ会員以外の人がライブ会場で入場する時に公的な身分証明書として男装の写真が貼られた運転免許証を持っているのに本人が女装だった場合、入場に時間が掛かる場合もある(こちらの手間も掛かる)。そういう人はファンクラブに入って女性として登録しておいてくれると、こちらとしては嬉しい。
そういう訳で、男性として登録されているのに写真が女性にしか見えないというので、問い合わせて、結果的に性別を修正してもらうことになったケースも多々あったのである。(この男女逆のパターンもある)
ファンクラブの発足予定日は3月8日なのだが、これらの作業は、申し込みを受付始めた1月5日から始めて実際は(2月2日までに入金された分が)3月1日まで掛かった。スタッフは引き続きどんどん登録される入会申し込みの処理に追われ、進学の関係で3月いっぱいで辞めるスタッフもいるので、新たなスタッフ採用が必要で、田所や沢村はその面接に追われていた。
2月4日(水).
この日、男子の分裂しているリーグの一方、bjの代表者会議が行われたのだが、JAPANタスクフォースの境田はこの会場に乗り込み、bj全チームの代表と名刺交換して、そのひとりひとりと話し合い、各クラブと率直に意見を交わした。bj側はそもそもプロ化するためにJBLから飛び出した経緯があったこともあり、プロリーグ創設には積極的で、きちんとした運営がされるのであればbjを脱退して新リーグに加盟するのには前向きな姿勢であることを確認した。
2月5日(木).
龍虎はこの日の昼休みに冬子(ローズ+リリーのケイ)にメールし、個人的に相談したいことがあると言って1度会えないかと尋ねた。するとケイは訊いた。
「私はあまりテレビとか出ないし、アルバムも1月21日にローズ+リリー『雪月花』の外国語版を出して、昨日KARIONの『四・十二・二十四』も出して明後日からはツアーが始まるけど、今日なら時間が取れるよ。龍ちゃんは?」
「今週は月曜から木曜まで毎日学校が終わったらそのまま帰宅できたんですよ」
「それはよかったね。だったら、今日夕方会おうよ。私が熊谷まで行こうか?」
「あまり知り合いに見られたくないから、こちらとそちらの中間の大宮とかはどうでしょうか?」
「いいよー」
それで龍虎が新幹線で出てくるので、その時刻に合わせて大宮駅前で16:45に待ち合わせることにしたのである。
ケイは最近買ったらしいリーフに乗ってきてくれていたので、その車に同乗して車内でお話しした。
龍虎の要件は自分は偶然にも思春期の発達が遅れ、まだ声変わりが来ていないけど、あと4年くらい、高校を卒業するくらいまで来て欲しくないので、男性機能を壊さない程度に、身体が女性化しない程度に、そして声変わりがこないようなホルモンコントロールをしたいということだった。それで“同様に声変わりしないようにホルモンコントロールしていた”冬子にそのやり方などを習いたいと言ったのである。
実はこの問題は冬子に相談しろと龍虎は《こうちゃん》から言われたのである。
冬子は自分がやっていたホルモンコントロールとは趣旨が違うとは思ったものの、龍虎に「女の子になりたい訳ではない」「いづれは女性と結婚して子供も作りたい」という彼の意志を確認した上で、それなら紹介できる人がいると言って、青葉にセッションをしてもらうことにする。青葉と会わせるため、KARIONの3月15日金沢公演にアクアをゲスト出演させることを紅川さんに連絡を取って決めた。そのついでに青葉の所に連れて行こうという訳である。
2月7日はクイズ番組の収録を終えた後、付き添ってくれた田所さんから「ちょっと来て」と言われて行ってみると貸し倉庫で、ボタンを押して入口を開けてみると10m×10mほどのスペースに大量の段ボール箱が積み上げられている。
「ここは・・・」
「幾つか箱を開けてごらんよ」
それで手近な箱を開けてみると、リボンの付いた包みがたくさん入っている。別の箱を開けてみると、それにもたくさん入っている。
「アクアちゃん宛てに送られてきたバレンタインのチョコ」
「あははは。お菓子屋さんが始められる」
「今だいたい1000箱くらいあるけど、2月14日までにはたぶんこの倍にはなると思う」
「1000箱・・・」
「大型トラック5台分。中身は3万個くらいかな」
「1日3個食べても1万日ですか」
「30年くらい掛かるね、それ」
「どうするんです?これ。今までのタレントさんへの贈り物とかどうしてました?」
「うちもバレンタインをもらうのは初体験だけど、ホワイトデーとか各タレントさんのお誕生日には、結構なプレゼントが送られてきていたよ。基本的には全国各地の福祉施設に配っていた」
と田所さん。
「それに準じて処理をお願いします!」
とアクア。
「チョコだけじゃなくてお洋服とかマフラーとかお人形とかもあるよ」
「それも福祉施設行きですか?」
「高価なブランド物とかは福祉施設への贈り物としてなじまないから衣装としてキープ。実際初期の頃プレゼントしたら入居者間で取り合いの喧嘩になっちゃったことがあって、それ以降高価なものは贈らないことにした。普及品は福祉施設へ。デザインに難があるものは廃棄。手作りのは悪いけど廃棄。高価ではないブランド品とかでサイズが合う物は本人へ」
「じゃそれもその方式で」
「だったらアクアちゃんのサイズに合うものは選別して届けるね」
「お手数お掛けします」
「ちなみに贈られてきているのはほぼ全部女の子用の服とか下着だけど」
「あははは。せっかくだからサイズが合うのは頂きます」
「それから多分女性ホルモン剤ではないかと思われるお薬も大量にあるんだけど」
「すみません。それは廃棄で」
「女性ホルモン剤も一部もらっておく?」
「要りません!」
そのまま帰るなら東京駅まで送ると言われたのだが、買いたい本があったので、新宿で降ろしてもらった。それで紀伊國屋方面に行こうとしていたら、バッタリ、彩佳・桐絵・麻由美の3人と遭遇した。バレンタインのチョコを買いに来たというので、龍虎もそれに付き合うことにする。
「龍ちゃんはバレンタイン誰に贈るの?」
「うちのお父さんと、お父さんのお友だちで、ボクと良く遊んでくれていたおじさん」
龍虎は毎年、田代の父と上島雷太にバレンタインを贈っている。
「彼氏とか居ないんだっけ?」
「ボク、男の子には興味無いよぉ」
「まあ、龍は女の子にも興味無いけどね」
「あ、それは分かる」
「ボク、恋愛ってのがよく分からないんだよ」
「龍はまだ思春期が来てないしね」
「龍自身は誰か女の子からバレンタインもらったことあった?」
「無い。ボクは多くの女子から“男の子”とは思われていないし」
「まあ確かに私たちも男の子とは思ってないよね」
「龍はまだ中性だからね」
4人で一緒にチョコを買った後は、マクドナルドに入って、しばしおしゃべりしてから一緒に高崎線の電車で熊谷まで帰った(FREXを持っていると、並行する在来線の列車にも乗ることができる)。龍虎が持っている定期を見て麻由美は言った。
「1万9千円ってやはり結構するね」
「麻由美ちゃん、桁を読み間違っている」
「え?」
と言って麻由美は再度桁を数えてみた。
「うっそー!?」
「まあ恐ろしい金額だよね」
と彩佳は言った。
2月9日の夜、千里と桃香は花野子から呼ばれて冬子のマンションに行った。なぜ花野子が冬子のマンションに居たのかは分からないが、ひょっとしたらアクアに関する打合せだったのかも知れない。行ってみると居たのはこういうメンツだった。
冬子と政子
和実と淳
あきらと小夜子
横沢奈緒 冬子の小学校以来の親友
南国花野子 ゴールデンシックスのリーダー
矢嶋梨乃 ゴールデンシックスのサブリーダー
琴尾蓮菜(葵照子)千里の小学生以来の親友
前田鮎奈 千里や花野子の高校以来の親友
この中で、蓮菜と鮎奈は医学部卒業間近で、ちょうど医師の国家試験を終えたところ。奈緒は医学部の5年生で来年国家試験を受ける。
この日はそれもあってか、医学的な話題がわりと多かった。その内、みんな妊娠検査をしてみよう、などという話になり、全員トイレに行って検査薬におしっこを掛けてきた。妊娠するはずのない、元男性のメンツもやらされる。もっとも淳や冬子などはかなり“不純な動機”で検査薬を使用していたようだ。
この日のメンツの中で、妊娠中の小夜子(出産予定日は6月)は当然陽性になるのだが、他はみんな陰性になる中で、千里だけは陽性になり、みんなを驚かせた。
「千里妊娠してるの?」
「まさか」
「千里、検査薬まだあるよ。もう一度やってみない?」
「いい、いい」
と千里は笑っていた。
むろん、京平を本当に妊娠しているのは千里だから、陽性になるのである。
2015年2月11日(水).
この日、龍虎はコーラス部の最後の大会に参加した。どっちみち多忙で部活などとてもできないのだが、来月にはプロ歌手としてデビューするのでアマチュアの大会には参加資格を失う。それでこの日が最後のコーラス部員としての活動になったのである。
学校で参加する大会だから、当然龍虎は学生服で集合場所に出て行った。
ここで龍虎はまだ声変わりが来ていないのでソプラノである。普段の大会ではまわりがセーラー服を着ている中、ひとりだけ学生服を着てソプラノパートを歌っていた。ところがこの日、みんながうまく乗せて、龍虎にセーラー服を着て歌うように唆す。
「でもセーラー服の予備とか無いんじゃないの?」
と言っていた時“主犯”っぽい宏恵が
「龍ちゃんのセーラー服、私が持って来ました」
と言って、バッグの中から取り出す。
「うっ・・・」
そのセーラー服は見覚えのあるハミングミントのハンガーに掛かっていた。つまり龍虎の部屋から持ち出してきたものである!
「それ誰のセーラー服?」
「龍ちゃんのですよ。龍ちゃん、自分のセーラー服を持っているんです」
「え〜〜〜!!?」
と部員たちから声があがる。
「そんなの持ってるなら、それを最初から着て来れば良かったのに」
「学校にも普段からセーラー服で出てくればいいのにね」
と言われて、結局龍虎はそのセーラー服を着てしまう。
「可愛い!」
「似合ってる!」
「ほんとに明日からそれで学校に出ておいでよ」
とみんなが言った。
なお着換えた学生服は宏恵が「預かってあげるね」と言って自分のバッグに入れていた。
それで龍虎は最後の大会で、セーラー服を着てソプラノの列に並んで歌ったのである。大会が終わってから学生服に着替えようと思ったのだが「電車の時間があるから急いで」などと言われて、ドタバタと会場を出る。それで結局、龍虎はセーラー服のまま自宅まで戻ってきた。母は帰宅していたが、母は龍虎がセーラー服を着ているのを見ても何も言わない。いや、むしろこの日の事件は母も共犯だった可能性が高い。
自室に戻り、セーラー服を脱いで普段着に着替え、セーラー服はハンガーに掛けようとしたのだが、これを掛けていたハミングミントのハンガーが見当たらない。あれ?どこにやったっけ?と考えていた時、事務所の沢村さんから電話があった。
今夜のスタジオμ(生放送)に、急病で倒れた歌手の代わりに1曲歌って欲しいということだった。時刻を見ると新幹線の時刻までギリギリである。アクアは
「すぐ行きます。時間がないので、普段着でもいいですか?」
と尋ねる。
「いいよ。衣装は用意しておくから」
本来は放送局やドラマの撮影現場には制服で出入りするよう言われている。しかしこの時はほんとうに着換えている時間が無かった。
それで今日はアクアは白いトレーナーと黒いコットンパンツ(母から借りた)という格好のまま(渋滞を避けるため)自転車で熊谷駅まで走り、新幹線に飛び乗った。東京駅で丸の内線に乗り継ぎ、赤坂見附で降りて##放送まで行く。
行くと宝塚の男役みたいな派手な衣装を着せられメイクもされた、それで番組では『恋人たちの海』を歌った。
この日はアクアの出演は予定されていなかったものの、番組オープニングの出演者紹介でアクアが出ていたので、ネットにそのことが大量に書かれ、おかげでこの日のスタジオμは物凄い視聴率になった。
番組が終わった後、龍虎はスタジオμにも出ていた松浦紗雪さんに食事に誘われた。一応男女なので変な噂を立てられてはいけないということで、双方のマネージャーも付き添い、4人での会食である。松浦さんは
「アクアちゃんはもっと可愛い服を着るべき」
と言って、食事をする所に行く前に高そうなブティックに寄って、プレタポルテの物凄く可愛いドレスを買ってくれた。それでそのドレスを着て一緒に食事に行くことにする。
行った洋食店はとてもお洒落な雰囲気のお店で、松浦さんはここのお馴染みのようであった。食事は松浦さんがおごってくれたのだが、とても美味しかった。松浦さんはすっかりアクアのファンになってしまったと言い、ファンクラブの会員番号1番をくれないかなあ、と言ったがアクアは「希望者がたくさん居るので、一応社長に伝えておきます」と答えておいた。
松浦さんと別れて、沢村さんと一緒に東京駅まで行ってから別れる。龍虎は結局買ってもらったドレスを着たまま新幹線に乗り、帰宅した。家に戻ってきたのは23時頃であった。自室に戻り、ドレスは衣裳ケースに掛け、この日はもう疲れたので、シャワーも浴びずにそのままパジャマに着替えて寝た。
翌日2月12日、龍虎は珍しく寝過ごしてしまい7時半頃、母に起こされてやっと起きた。朝御飯を食べてから、昨夜シャワーを浴びてなかったので軽く浴びて汗を流し、トイレも済ませてから自室に行ってから着換える。
昨日セーラー服を着て、更に可愛いドレスまで着た余波があるので、龍虎はこの日何となく、ブラジャーとパンティを着け、防寒にキャミソールも着けてからブラウスを着た。そして学生服の上下を身に付けようとした。
ところがその学生服が見当たらないのである。
何で?
と思った次の瞬間、龍虎は思いだした。
昨日、学生服を宏恵から返してもらっていない!
どうしよう?と思った時、母が部屋のドアをノックした。
「龍ちゃん、私もお父ちゃんも出るけど、龍ちゃんまだ準備できない?」
「お母ちゃん、ボクどうしよう?昨日学生服を宏恵に預けたまま、返してもらうの忘れてた」
「あら。だったら、そこにある制服を着ていけば?」
と母は指さした。
セーラー服の上下を掛けたハンガーがある。
「え〜〜〜? セーラー服着て学校に行くの〜〜〜?」
「あんた、セーラー服で通学したいからそれ作ってもらったんだよね?いつから着ていくんだろうと思ってた。あんた今日は女の子下着を着けてるみたいだし」
ブラ線がブラウスから透けて見えるので、ブラジャーを着けているのが分かる。
「ちょっと待ってぇ」
「3分以内に制服着たら、学校近くまで乗せていくけど。それ以上遅くなるなら、私たちもうあんた放置して自分たちの学校に行くよ」
「待って。1分、いや30秒だけ考えさせて」
と言って龍虎はハンガーに掛かっているセーラー服を見つめた。
龍虎の脳裏に《こうちゃん》の声が響く。
『龍虎、お前がセーラー服で学校に出て行っても誰も何も言わないぞ。たぶんごく平常に1日を過ごすことになる』
今回の“一件”にはたぶん《こうちゃんさん》は噛んではいないとは思うけど、この状況に乗じて、ボクをからかっているな、と龍虎は思った。
龍虎が時計の針を見ていてもう20秒経つ。母はドアを開けたままこちらを見ている。
そしてもう28秒経った時、唐突に龍虎は思いついた。
「ボク、今日は体操服で行く」
「ああ、それは問題無いかもね」
それで龍虎は着ていたブラウスの上にもうそのまま体操服の上下を着た。そして母のベルタに飛び乗り、学校まで送ってもらったのであった。
「恥ずかしがらずにセーラー服で通学すればいいのに」
と母が言い
「お前がセーラー服で通学したいのなら、お父ちゃんが学校に行って先生と交渉するぞ」
などと父まで言っていたが!
なお、この日学校で龍虎が宏恵に学生服のことを言うと、宏恵は
「あ!忘れてた」
と言って、龍虎の携帯を借りて自分の家に電話し、お母さんに龍虎の学生服の入ったバッグを持って来てもらった。おかげで龍虎は2時間目以降は学生服で授業を受けることができたのだが、例によって
「今日から龍ちゃんはセーラー服を着てくると聞いたのに」
と何人もから言われた。
2月12日(木)、この日が“天王山”だった、と後に境田は語っている。
この日、分裂している男子リーグNBL, bj 双方の代表者会議が行われたのだが、川淵と境田は双方の会場に乗り込んで、新リーグの私案を提示したのである。この時、川淵は報道陣を退席させようとしたスタッフを叱責。こういうのは密室の会議ではなく、堂々と公開の場でやるものだと言った。
川淵たちが示した新リーグの加入条件はこのようなものであった。
●全参加チームの条件
・今年4月末までの現所属リーグに対する脱退届提出(FIBAの要求)
・サラリーキャップ(年俸総額規制)廃止。
●1部リーグ参入の条件
・5000人収容のアリーナを用意する。
・そのホームアリーナで8割以上の試合を開催。
リーグ統合のためにはかなりの妥協をするのではと思われていたのに川淵は逆に極めて高いハードルを提示した。NBLの会合にしてもbjの会合にしても、参加者は“厳しすぎる条件”に驚く。
「そんな5000人収容のアリーナなんて貸してくれない」という声があったが、川淵は言った。
「それ誰と話してますか?体育館の管理者と話して、そんなにたくさん貸す訳にはいかないと言われて帰って来たりしてません? 市長さんと話して下さい。知事さんと話してください。市長や知事がOKと言えばまず貸してくれますよ」
実際にJリーグ設立の時に、行政を動かしてプロサッカーチームの設立を実現した川淵の言葉には物凄い説得力があった。それで多くのチーム運営者が、ひょっとしたら採算が取れるのかも知れないと思うようになった。
そしていったん採算が取れるかもと考えた場合、5000人観客が入る体育館を確保するくらいは必須と思われた。
この日はまさに“転換点”となったのであった。
2月13日(金) 日本バスケット協会はユニバーシアード女子代表候補の19名を発表。この中に千里の名前も含まれていた。
但しエントリーの締め切りまでに日本がFIBAの資格停止処分を解除してもらうことができなかった場合は、日本はユニバーシアードにも参加できない。選手としては解除してもらえることを信じて練習に励むしかない。
千里が日本代表として“発表”されたのは2012年6月以来2年8ヶ月ぶりである。
千里はその間に理不尽な代表落ち宣告+貴司の婚約破棄のダブルショックで精神的に沈み、性転換手術を受けて(?)体調回復に時間が掛かり、バスケの実力も落ちていた所で、強化部長の吉信さんから、気持ちの切り替えも兼ねて、スペインに行って来なさいと言われ、グラナダのレオパルダに参加することになったのである。そして千里はスペインで美事に復活した。
もっとも実際には千里は2013年10月のアジア選手権に、大会直前にインフルエンザで多数の選手が倒れたことから、緊急召集されスペインから急行して選手権に参加している。しかしそのことは日本ではバスケット協会のサイトにさえ書かれていないので、このことを知る人は少ない。
今回の代表候補合宿は2月18-20日の3日間、東京北区のNTCで行われたが、マッチングで千里に勝てる選手が1人もおらず、ブロックしようとした体格の良い夢原円が吹き飛ばされるほど(夢原のチャージングが取られてバスケットカウント・ワンスローをもらう)で、「千里の強さはそれ自体が反則だ」と鞠原江美子から言われた。
2月28日(土).
この日冬子はKARION福岡公演に出るため、羽田から福岡空港行きの便に乗ったのだが、機内で偶然§§ミュージックの紅川社長と遭遇した。紅川さんは入院中の明智ヒバリの様子を見に行く所だったらしい。
紅川さんは物凄く疲れているようで、冬子に
「自分はもう§§プロの社長を続けて行く気力が無い」
と弱音を吐いた。かつては“鬼のマネージャー”と言われた人だけに冬子はここしばらくの色々な出来事で、本当に精神的に参っているのだろうと思った。
「ケイちゃん、社長をやってくれない?」
と紅川さんは言ったのだが、その時、冬子は唐突に思いついた。
「社長さん、社長さん、いい子がいまっせ。へへへ」
「ほぅ」
「秋風コスモスなんてどうでっしゃろ?」
「ほほぉ!!」
福岡空港で冬子と別れた紅川は明智ヒバリの母と合流して、福岡近郊の精神科専門の病院に行った。ヒバリはここの閉鎖病棟に入院していたのだが、紅川と母が面会すると、ヒバリは言った。
「私、コスモスが咲いている所を見たい」
「そんな無茶な。今2月よ」
と母は言った。
しかし紅川は実は昨日、宮古島に住んでいる娘からコスモスが咲いたよというメールをもらっていたことを思い出す。
「だったら、コスモスの咲いている所に連れて行ってあげるよ」
ヒバリの母が外出許可を取り、紅川・ヒバリ・母の3人は宮古島に渡った。
FUK 13:40 (NH1121 737-500) 15:25 OKA 17:10 (NH1729 737-800) 19:00 MMY
宮古島空港まで紅川の娘・毬藻が車で迎えに来てくれていたので、一緒に乗って4人は宮古島と橋でつながっている来間島まで来た。
「わぁ・・・・」
「これは凄い」
一面のコスモス畑であった。
4人は日が沈んでしまうまでその景色に見とれていた。
ヒバリは「このコスモスが枯れてしまうまで毎日このコスモス畑を見たい」と言ったので、紅川はお母さんと話し合い、当面コスモスは紅川さんの実家に滞在させることにした。
「お薬をちゃんと飲んでいるというのが条件」
と紅川は言ったのだが、実際にはヒバリはサボって薬は一切飲んでいない。実は病院でも飲んでいる振りだけして飲んでいなかった。ヒバリは薬で自分の病気が治るとは思えなかったし、自分の精神的な回復にはここの豊かな自然こそが必要だと感じていた。
紅川は翌3月1日は朝から飛行機を乗り継いで東京に戻った。
MMY 8:50 (NU552 737-400) 9:35 OKA 10:50 (JL994 767-300) 13:10 HND
それでこの日関東ドームでおこなわれた、神田ひとみの引退ライブに出席。彼女の旅立ちを祝ってあげた。
このライブには§§プロの現役歌手が全員ゲスト出演した。秋風コスモス、川崎ゆりこ、桜野みちる、品川ありさ、高崎ひろか、アクア。アクアは本当は3日後の3月4日デビューなのだが、特別に新曲『白い情熱』を歌った。声援が物凄くて、神田ひとみに悪いくらいだった。
これはアクアにとって3万人もの観衆を前にしての初歌唱だったが、何とかあがらずに歌うことができた。
「自分のライブでこんな大観衆を前に歌うことって、まず無いだろうけど、いい経験をさせてもらいました」
とアクアは言ったのだが、実際にはアクアのライブは最低でもドーム規模が前提になっていく。
ひとみのラストライブが終わった後、ホテルのプライベートキッチンを使い、§§プロのごく内輪で、あらためて、ひとみの送別会をしてあげた。コスモスが幹事を務め、川崎ゆりことの掛け合いで、爆笑トークショーをして、みんなを和ませた。
送別会が終わった後、紅川はコスモスを別室に呼んだ。
「送別会の幹事お疲れさん」
「いえ、私はこういうのしか能がないですから」
「宏美(コスモスの本名)ちゃん、新しい仕事の話があるんだけど、やってくれないかなあ」
「はい、私は何でもやりますよ。上手にお歌を歌うことだけはできませんけど」
「簡単なお仕事なんだよ」
「へー、大変そうですね。でもどんなお仕事でも頑張りますよ」
「だったら、§§プロの社長をやってほしいんだよね」
「え〜〜〜〜!?」
「副社長にエルミ(川崎ゆりこ)ちゃん使っていいから」
「ああ、あの子は欲しいです」
「アクアは本人が女の子になりたいと言ったら性転換させちゃっても構わないから」
「あの子は既に性転換済みですけど」
「まだ付いてるらしいよ」
「裸にして確認しましたから間違いなく女の子です。ちんちん無かったし、割れ目ちゃんあったし、おっぱいも少し膨らんでいましたよ」
「そうなの?じゃ当面、女の子だということは秘密で」
アクアのデビューシングルは3月4日(水)発売なのだが、その前日3月3日(火)夕方から発売記者会見をおこなった。
コスモスはアクアをうまく乗せて「おひな祭りのコスプレだよ」と言って、十二単(じゅうにひとえ)を着せてしまった。むろん本人はこういう服を嬉しそうに着ていた!
3月7日は宮城県のみちのくスタジアムで“08年組”主催の震災復興支援イベントが行われ、アクアは前日6日の夕方仙台入りして、7日は朝6:05くらいから、ゴールデンシックスと一緒に20分くらい演奏した。数万人の観客を前に、『白い情熱』『Golden Aqua Bridge』『白い通学バス』『あの娘のバレッタ』、『スカート』『Nurses Run』と6曲歌ったが、物凄い声援だった。
先日の関東ドームでの、神田ひとみの引退ライブの時はかなり緊張したが、今回は大観衆の前で歌うのも2度目なので、落ち着いて歌うことができた。
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【娘たちのフィータス】(2)